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老いる、というテーマは、もっと先の話だったろう。小兵衛は90歳までは寿命があるという設定だ。だが、作者の池波氏の生命力が落ちてきていたらしい。まだ、小兵衛は66歳だ。そして、作者は64歳になった。主人公と作者の年齢が重なる。池波氏に何らかの感覚があったのだろう。小兵衛は、友の死で落ち込んだ。息子、大治郎に諭された。老いを、意識するようになった。若い頃、一度も勝てなかった剣客がいた。70歳を過ぎた、その剣客が暴漢に襲われた。間違っても、やられるような相手でもないのに。そして、助けた小兵衛の事も判らぬような状態だった。「強かった、あんなに強かった男が、年をとると・・・」それから、小兵衛は初めて、めまい、をおこすのだ。
2011/06/30
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大治郎を凌ぐかもしれぬ暗殺者。それを防ぐ為に、小兵衛や弥七達が働く。その陰謀の解明に目途がついた時、小兵衛は興奮する。そして、大治郎はいつも通りに冷静だった。息子大治郎に静かに諭され、小兵衛は反省する。「近頃のわしは、どうかしている」一面でも、息子が父を超えた瞬間だろう。あるいは、超えたのではないかもしれない。父が後退し、息子が進んだから、立場が入れ替わった。親子、師弟、新旧の交代は、時というものが作用する。人は、以前の人よりも進歩しているわけではない。交代しただけだ。現代人が、昔の人よりも進歩しているわけではない。優れた人は、昔であろうが今であろうが変わりない。人は、時が経っても、それほど、進化していない。証拠に、くだらない人は、現代も相変わらず・・・
2011/06/29
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この小説の幾つもの柱の一つに、親子がある。小兵衛、大治郎なら、父と息子だ。田沼意次と三冬なら、父と娘だ。義母のおはる、と大治郎、あるいは三冬。又六と母や、その他の親子関係もある。池波氏の他の小説にも、大きな柱の一つとして描かれている。小兵衛66歳、大治郎31歳。現役の剣客としての大治郎、益々進歩している。無外流としての一流だから、人間が練れてきている。単に技や腕の強さだけではない。小兵衛は名人だが、友との死別などが多くなるにつれ「ワシも、もう年かな」などと弱気になる事もある。人は、肉体の衰えや悲しみの蓄積で気力が下がる事がある。嘗てなら簡単に乗り越えられた心の障害も、足踏みする事がある。人に、完成形など無いのだ。父と息子が同じ道を歩く。偉大すぎる父を超せない場合もある。全てではないにせよ、父を超える場合もある。その微妙な距離に小兵衛と大治郎がさしかかっていた。
2011/06/28
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「言葉に出すと、人の真実(まこと)が却って通じなくなる」確かに、その一面がある。気を読み、気を配り、気を遣えるなら言葉に出さずともいい。安心と信頼の関係が成り立つ。だが、言葉に出さずに理解し合える人達は一部だ。ほとんどは、言葉に出さねば、より誤解を生む。といって、言葉で真意は伝わらない。あるいは、一部しか、伝わらない。近代、そして現代になるほど、言葉に頼る関係になった。気配を読み、気配りをし、気遣いをして生活していた頃があった。お互いを認めようとしていた、優しい生き方の時代だ。言葉は、楽しむ為に使ったが、理解する為ではなかった。言葉に重きをおくようになってから、理解から遠くなった。話せば解るのではなく、放せば解るだったのに・・・ワシも言葉遊びを意識しているが、まだまだ硬いなぁ・・・
2011/06/27
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「人の言葉などというものは、いくら積み重ね、広げて見せても、高が知れている」駄文とはいえ、ワシも文章を書いている。たまにとはいえ、講演もセミナーもする。ほとんどが、言葉の積み重ねで成り立っている。だが、高が知れている、に反論なんて出来ない。言葉で仕事をする人も多い。言葉に重みや意味や真理さえ重ねる人も多い。言葉で幸せになれると思っている人も多い。指導者の多くは、背中より言葉を選ぶ人が多い。ワシも何の疑いもなく、言葉の重要性を信じていた。信じるな、疑うな、確かめよ。確かめるのは、行いのみだ。言葉だけで、人を動かそうとする人も多い。そういう言葉は、綺麗事だけが多い。人は、そんなに、単純に出来ていない。深浅、広狭、高低、清濁、それらの中間・・・そして、多種多様の考え、モノ、影響で複雑に生きる。
2011/06/26
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心の勉強、精神のセミナー、講演、宗教、その他。それらしい言葉に惑わされていた頃。内容が素晴らしいと勘違いしていた。内容が深いと、思い違いをしていた。心の琴線に触れる言葉はある。それで、変わったと勘違いする。変わるキッカケにはなる。だが、それで変わるわけじゃない。そこからの行いによって、変わるのだ。この世は、全て、行いにより変化する。それは、自分自身も同じだ。こんな当たり前を勘違いしていた。心や精神だけで、変われると思っていた。だから、言葉だけで変われると思っていた。深い言葉なんて、無い。キッカケの一つとして、言葉も、あるのだ。
2011/06/25
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仇討ち側と仇持ち側の双方を知った大治郎。しかも、双方とも大治郎と気が合った。人としては、双方とも、応援したくなる。知ったばかりに、大治郎苦悩する。「人の世の善悪は紙一重じゃよ」どちらが善い、悪いなんて決められない事が多い。それぞれの立場、事情、時の流れがある。その上で決心した事でも、思うようにはいかない。思いがけない事が、たびたび、起こってしまう。この世は、計算通りには進まぬ。まして、思い通りには・・・自分一人の世界じゃない。ワシが精神世界というアホな道を歩いていた頃・・・自分の世界しか観ていなかった。思えば叶う。継続は力なり(そして叶う)全ては自分次第。それらは、独りよがりの世界でもあったと気づいた。
2011/06/24
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大治郎の剣客としての評判は高かった。ある大名が指南役に欲しがった。だが、名利より剣の道を歩む大治郎は断る。すると、指南役は大治郎に勝たねばならぬ、と言った。その試合の話を聞いた小兵衛と三冬。「負けておやりなされ。今の江戸でお前に勝てる剣客はいない」大治郎は納得できない。闘ってみなければわからない。第一、相手に失礼ではないか。大治郎は、まだマジメの殻が脱げ切れない。嘗ての弟子を手にかけた小兵衛。人を活かす剣を教えきれなかった弟子だ。剣で人を殺め苦しめるようになったからだ。道場で弟子を教えていた頃は、小兵衛も柔らかさが足りなかった。その事を、今は気づいていた。だから、そんな試合で大治郎が負ける事など何でもない。それにより、困っている一人が指南役になれるのだ。納得できないまま木刀の試合に臨む大治郎。気力を欠いての試合だ。相手もそれなりに強いのは当然。そして、負けた。小兵衛たちは、負けてやったと思っている。いろいろなウワサを聞いた相手も納得しない。も一度の立会いを求めた。そして、相手に気づかれぬように、今度は負けてやった。大治郎、負けてもいい勝負を理解したのだ。そして、その日、三冬は男の子を無事出産する。空は真っ青に晴れていた。(「勝負」より)
2011/06/23
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大治郎が一人の浪人と出会う。お互い、一流の剣客同士だ。何となく息が合った二人は、浅い付き合いをする。小兵衛「それでよい」他人に言えない事情を抱えて生きている。深く交わえない事情も過去もある。だが、人と人は同調する相手と出会う事がある。その場合の付き合い方だ。「浅く、淡く付き合うがよい」自害した浪人から大治郎へ、名刀の脇差と手紙。浅く、淡く付き合ってくれたからこそ、幸せだったと。長く付き合うコツをワシは勘違いしていた。親友、恋人、師弟などの付き合い方だ。深く、濃く付き合うのが、当たり前だと勘違いしていた。浅く、淡く、付き合う。とても相手を大切にしている付き合い方だ。だから、その関係は長く、染みる付き合いとなる。例え身内や恋人であろうとも個性が違う。深く濃い関係を続けたなら、同調できない苦しさを伴う。大切な関係こそ、浅く淡く優しく付き合うのがいい。この歳になり、やっと人と人の付き合い方が出来るようになった。
2011/06/22
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人間を描く池波氏の小説。今の歳になったから共感できる。生きる事が大切だが、生き続けると変わる。諸行無常だから、変わるのが当たり前だ。否応なしに、細胞は変わり続ける。肉体の変わり方が徐々だから、自覚しにくいが。当然、生き様も変わったり、多様化する。生き様は突然変わる事もある。中々変わらない事もある。だが肉体が変わるのだ。生き様が変わらないなど有り得ない。生き様は変わらないと思っている人は多いようだが・・・生き様は心の有り方で変わる。心は肉体の属性だから、肉体変化に影響される。生きているだけで、多種多様な心の塊が生まれる。心は常に生まれ続けている。大治郎が、ある人の全く違う一面を知り、小兵衛に訊ねる。「いったい、どのような方だったのでしょう?」「どちらも本当の顔じゃ。人という生き物は、みな、そうだ。わしなど、十も二十も違う顔を持っているぞ」ワシも以前は、生き様は一つだと思い込んでいた。だから真偽や正誤にこだわった時期があった。真や正や聖は、この世では求めるモノじゃない。求めても、人間の段階では判断できない。今は、幾つもの生き様を自由に選択できるようにしている。
2011/06/21
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おはるや三冬の他にも、素直な女が幾人も登場する。小さな道場を持っている女武芸者のお秀。根岸流の手裏剣の名手で、その技には小兵衛も一目置く。小兵衛ファミリーの一人といっていいだろう。親しくしている仲間達は、食と住を軽く共有する。独身のお秀も「今夜は秋山小兵衛先生のお宅に泊めていただく」弥七なども、簡単に泊まっていったりする。双方で飯も酒も泊まりも、実に遠慮なく自然なのだ。ファミリーの女達は、それぞれの個性がありながら可愛い。だが、男を騙す悪女、体で虜にする妖婦、残虐な毒婦も登場する。人は単純でもあり、複雑怪奇でもある。優女でも毒婦でも、強い男を簡単に弱くする魔力をもったオナゴ達だ。男と女は、違う能力の生きモノ。そういう、オトナの話も随所に描かれている。それにしても、素直な人達は、出来事を愉しく生きようとする。故御師匠様の「素直になれよ」の言葉。ワシが気づいた意味よりも、もっともっと深いようだ。素直な仲間達が多いと、人生は何倍も愉しめるようだ。自分が素直になれば、人生はもっと愉しくなる。いろいろなモノを解放し、開放すれば素直になれそうだ。
2011/06/20
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この小説はいろいろな要素が含まれている。人間を語る池波氏は、食と性も大切にしている。大切というのは、生きる愉しみに通じるモノでもある。食の愉しみは、いたるところで表現されている。質素な料理だが、一工夫で、とても美味しそうなのだ。愉しみ方が幾つもあり、とても素敵なのだ。食だけで、一冊の本が出来ているのだ。(別冊「剣客商売・包丁ごよみ」)池波氏は男だから、女の不思議さを上手く、優しく表現する。「この歳になっても、女のことはちっともわからぬ」だから、こはるや、三冬の可愛らしさが引き立つ。そして、女の嘘は女の本音だから、と優しく認める。大人の表現で、サラリと男と女の交情を描く。食と同じように、交情を愉しもう、という気にさせる。そして、不思議な話も幾つか描かれている。白狐の霊が、恩返しをする話だ。小兵衛は、何とはわからぬが、気配を感じる。名人は、常人には感じられる気配や、勘に目覚める。だが「そういった感覚に頼りすぎてもいけない」平常心を崩さぬ姿勢が大切だと説く。人の意識の脆さを知っているから名人なのだ。
2011/06/19
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今日の独善ひとこと・・・東京へ治療。8時に出て、5時に帰ってきた。新幹線で一時間ちょっとだ。希望者がいたら、数時間は出来たなぁ・・・「迷解剣客商売・49」武士が民を統括していた時代だ。政治行政司法を武士という心の小さい男達が司っていた。もちろん人は様々だ。武士といえど、広い(やわらかい)心の持ち主だっていた。だが、基本的に武士というのは体面を気にするように育っている。民よりエライと勘違いしている武士が圧倒的に多かった。旗本大身(何千石)同士の見栄の張り合いがあった。武士道を外れた小兵衛は「徳川の世も末だ」と平気で言う。近江屋「お、恐ろしいことをおっしゃいます。お声が、高こうございますよ」小兵衛「鮒は、安いな」江戸時代、町民はこういう駄洒落を結構言ってたらしい。嘗ての弟子が巻き込まれた抗争に、秋山親子が乗り出す。体面第一の武士の性格を逆手に取った。乞食同然の姿で、両家の殿様や家老や剣士達を棍棒でなぎ倒す。そんな恥ずかしい話を、誰も公にできずにウヤムヤにする。小兵衛の弟子は師匠を見破り、久しぶりに対戦して敗れる。乱入の意味を悟り、感謝と満足の、うっとりした顔で気絶していた。明治政府から現在に続く政治行政も武士出身が基礎を成した。だから未だに体面を気にする、心の狭い男達が多くいる。民よりエライと勘違いして威張る政治家、役人が多い。日本の政治行政は、400年以上昔から大して進歩してないのだ。(指摘され、けしからんと言うより、為すべき事があるだろ)当然、マトモな選挙など指導してない。世界でも珍しい、名前を大声で叫ぶだけの選挙カー。各地区の義理で縛った後援会への体裁名簿。必勝鉢巻、タスキ、習慣にない握手ぜめ。そんな事で当選しても、民の為の代理人にはならんだろ。
2011/06/18
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小兵衛から家を任された嘗ての弟子、植村友之助。病身だったが、徐々に回復してきた。無料で近所の子供たちに、読み書きなどを教えている。そういう弟子の生き様が嬉しく、様子をみに行った。すると、子供並みの知能の下男の為七も読み書きを習っている。来る子供の世話をやきながら、自分もたどたどしく筆を動かす。その一緒懸命さに、小兵衛の両目も閏うのだった。為七の作った昼食をみて、小兵衛は目をみはる。大層工夫して、上手く作っているのだ。為七は食事作りは、とてもよく覚えるのだそうだ。「ならば、どしどし台所仕事をさせるがよい。そこから当人の知恵も育つであろうよ」人間は、己が知らぬ知恵が幾つも隠されているという。その知恵の働きが引き出されるキッカケがないかぎり、「知恵は埋もれたままになってしまうものなのさ」引き出されてないだけで、全ての人間は幾つもの能力がある。ワシにだって、いいかげん、の能力があるのだ。(氣功能力に関しては、説明がメンドウ・・・)固定概念で学校の勉強、会社の仕事、家の仕事などで能力を計る。そんなものだけで、人としての評価までしてしまう。実は、能力は幾つもあるのに・・・ただ、そのキッカケに出合ってないだけなのに・・・アホな政治家や役人や経営者だって落ち込む事はないのだ。きっと、別の仕事なら能力があるのだ。その前に、性格は治した方がいいなぁ・・・(おっと、自分もか・・・)
2011/06/17
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ワシは長い間、弥七と同じ意見だった。どんな人も間違え、勘違いする。だが、人の世が勘違いで成り立っているとは思えなかった。多くの人が集まれば、勘違いは修復されていくと思っていた。勘違いで成り立つというのは、言い過ぎだろうと。だが、今は小兵衛の言う事がうなずける。多分、そうだと思っている。受け入れ難い事実だったが、確信に近い。人の世は勘違いで成り立っている。それに気づくと、人の世はもっとマシになる。マシになるコツは、至らなさの自覚だ。人の世が勘違いで成り立つと指摘する人は少ない。社会的に知識者といわれる人は、ほとんど口にしない。心の仕組みに気づけば、当たり前なのだが。我々の世の中は、お互いの勘違いの上で成り立っている。その事を自覚すると、少なくても殺し合いや戦争は無くなる。自分の正しさは、勘違いかもしれない。正しさを主張すると危ういかもしれない。この慎みの部分があるだけで、交流が出来る。相手を理解しようとする。 理解できぬながらも、認めるから対立しなくなる。
2011/06/16
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以前「虚心」のテーマで小兵衛の言葉を書いた。ワシが感銘した部分だったからだ。そこを、もう一度ここに記す。人を見抜く能力があっても勘違いした話だ。小兵衛「人間は誰でも勘違いするものだ。」人の世は勘違いで成り立っている」弥七「まさか?」勘違いはあっても、勘違いで成り立っているとは思えないのだ。すると秋山小兵衛が諭す。「お前ほどの御用聞きが、その事に気づかぬのはいけないよ。それほどに、人が人の心を読むのは難しいのじゃ」ここが中途半端な人生相談のセンセーとの違いだ。解らない事を認めているから名人なのだ。そして続ける。「ましてや天地の摂理などみきわめられぬ」ここも、中途半端な精神世界を語るセンセーとの違いだ。簡単に○○の法則などと言うのは、何とも未熟としか思えぬ。天が、神が、などと語るのは、とても恥ずかしいぞ。更に、その後に続く言葉も素敵だ。「できぬながらも、人はそうしたものじゃと、いつも我が心をつつしんでいるだけでも、世の中はマシになる」世の中をマシにするのに、難しい事はないと思う。政治、行政、学者、その他モロモロのセンセー達。指導する立場で、少し、耳が痛くないかぁ?この意味さえ解らないなら、人前に出るのはひかえようぜ。(「徳どん、にげろ」より)
2011/06/15
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剣客と商売に関して、小兵衛が語った事がある。刀装屋の嶋屋孫助に本音を洩らしたのだ。道場を拡張し名門にすれば、商売として成功だ。その為には諸家の庇護、援助が必要となる。世辞も汚濁の振る舞いも商売には必要となる。それらが悪い事とは思わぬし、やれぬ事とも思わぬ。だが、一流の技の道は常に全力で精進せねば落ちる。好きだから、全力で精進したい。名利(成功)を求めれば、技の質が下がるのだ。名利が欲しければ、別の道を歩くほうがいい。剣術が好きだったから、立身出世はあきらめたのだ。ワシも治療の道を歩いてしまった。(治療院)経営の道まで兼ねては歩けない。ワシは、不器用なのだ。治療や(健康)指導が好きだし・・・好きなモノや好きな人と歩いていきたいからだ。金が無いのは、実際窮屈でもあるが自業自得というヤツだ。そうして小兵衛は、更にその先に進んでしまった。剣の道からも己を解放して、名人となった。大治郎には「お前の剣は、いつになったら商売になるのじゃ?」などと言ったりするが、実は、その言葉の反応をみてたりする。まぁ、名人になると、結構ヒマなのかもしれない。
2011/06/14
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嘗ての弟子、植村友之助は病を患った。その体で、愚鈍だが人の善い為七を助ける。5千石旗本の長男の凶刃を一本の畳針で防いだ。根岸流の手裏剣の名手でもあったからだ。小兵衛は病身の弟子に見舞いする。そして、その後の旗本一派から守った。今回の事件で亡くなった御用聞きの富五郎。彼も元気な頃の植村に助けられた一人だった。そうして事情を充分知った小兵衛だ。故金貸し幸右衛門からの遺言で預かった家と金。その家を植村に任せ、50両を富五郎の妻に見舞金として出した。剣で人助けをした植村に、も一つ褒美を渡す。そこには、古びた畳針が一つ。「昔、わしが紙を綴じるのに使っていたものよ、見覚えあろう」「せ、先生・・・」ありがたく、押いただいた植村。他の人には変哲もない古びた針だが、弟子には宝物だ。「ゆっくりと、お前が辿った道を書きしたためてみるがよい。その一枚一枚を綴じる畳針じゃ」「かたじけのうございます」植村の両目が潤んだ。剣の師匠として、剣で人を助ける弟子に育った事。教えの真髄を理解してくれた事。小兵衛も嬉しかったのだ。「真の師弟というのは、よいものじゃのう」ワシもいつか、師匠にこう言ってもらえるようになろう・・・(「いのちの畳針」より)
2011/06/13
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剣一筋だった新婚の二人だ。一つ臥所(布団)に身を横たえる。真剣で強敵に対しても呼吸一つ乱さぬ三冬が乱れる。大治郎の呼吸も荒い・・・未熟者だなぁ・・・剣術のほかに、このような、すばらしいもの、があろうとは。結婚前の三冬と大治郎には、予期せぬ喜びだった・・・あまりに素直な三冬に、小兵衛も改めて感心し目を潤す。「大治郎は幸せなやつだ」「父上、まことに、さように思われますか?」「真も嘘もない。三冬どのが他の女性より優れていると申したのではない。大治郎にとって、かほどに似合いの妻を得たことが幸せなのだ。」相性の良さが、深い付き合いには最適になる。その他の条件など、それに比べたら微々たるものだ。才能、能力、財力、その他モロモロ・・・個と社会では、それらが優先する条件だろう。だが、個と個は、相性が最優先であり、圧倒的な比率をもつ。相性は個と個が出会わなくては、わからない。良き相性と出合ったなら、それは人生に大きなラッキーとなる。
2011/06/12
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抜荷事件に巻き込まれて拉致された三冬。大治郎が鬼の形相で敵地に乗り込み救出する。父親の田沼意次は通常の言い伝えと違い、傑物だ。地位や家柄など気にせず、大治郎に頭を下げた。「どうか三冬を妻に迎えていただけぬか?」朴念仁で赤くなって、口もきけぬ二人に代わり小兵衛が了承する。そして、実に簡素な、心こもった婚礼がおこなわれた。意次は涙を隠そうともせずに、娘の姿を喜んだのだ。町人と変わらぬ暮らしの大治郎だ。そんな暮らしの妻の仕事を何も知らぬ三冬。脂汗をかきながら、懸命に飯を炊く。「米が飯に変じましたかな?」「今夜は、だ、大丈夫・・・かと思います」近くの百姓の女房に教えてもらってるが、思うようにできない。炊事洗濯生活一般は下男下女がやってくれた三冬だ。本人は男と同じ剣客として生きてきたのが急に妻になったのだ。男装から女装に変わり、歩き方の足さばき一つがぎこちない。三冬(どうも、剣術のようにはまいらぬ)大治郎は男料理だが普通にこなせる。ちゃ、ちゃ、と御飯の上に作ったおかずを乗せて三冬に渡す。「さ、おあがりなさい」と大治郎。「かたじけない。む、これは、うまい」と三冬。奇妙で、可愛らしく、超強い新婚が出来上がった。大治郎の優しさ、三冬の素直さ、理想の形と思えるがなぁ・・・
2011/06/11
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三冬は剣客として一流だ。だが、大治郎レベルには届かぬ。一流でも幅はあるものだ。女の体では、最後の壁を突き破れぬと小兵衛はいう。その三冬に縁談があった事を大治郎に告げる。例の如く、三冬と試合をして勝ったなら、という条件だ。大治郎は相手の名前を聞いて、悩む。嘗て試合をした相手だった。大治郎が勝ったが、三冬では勝てない。しかも、性格が悪い・・・それだけでなく、鈍感大治郎も三冬が好きだと意識する。悩んだ顔で、小兵衛に会いにいく。そして、一喝された。剣の師匠は厳しいのだ。とはいえ、親としては、陰ながら応援したい。御用聞きの弥七に協力を頼む。「実はな、お前の智恵も借りたいのだ」「先生のおっしゃる事なら、盗みでもいたしますよ」「御用聞きのお前がかえ?」「ええ、いたしますとも」弥七にとっても師匠の小兵衛だ。絶対の信頼をおいているから言える言葉だ。腕は一流だったが、性格が三流の相手。己の腕を過信して、小さな道場主に敗れる。その帰りに野菜売りの老爺にぶつかり、八つ当たりに刀を抜く。そこに小兵衛が(軽く)相手をして、足を切る。こうして、三冬との試合は不成立となった。父親の田沼意次も相手の正体を知り、今後は三冬の好きにさせると誓う。(「三冬の縁談」より)
2011/06/10
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今日の独善つぶやき・・・今日も桐生に出張治療。5時間の治療依頼だった。長い時間をするのは、充実していい。「疲れるでしょう?」と聞かれるが、氣功自体は、そうでもないのだ。身体を動かさないから、疲れるだけだ。遠慮しないで、もっと依頼してくれぇ・・・「迷解剣客商売・40」数名の武士に襲われている男を助けた大治郎。手当ての甲斐無く亡くなるが、襲った方は邪推する。死ぬ前に、秘密を大治郎に話したのではないか?大治郎を暗殺しようと画策するが、大治郎強い。ついに、首謀者の旗本主が自慢の槍術で乗り出る。不意打ちをかけるが、大治郎、切り伏せる。「五千石の大身を切って捨てたことになる」「さようで・・・」まぁ、相手が悪いのだから大治郎にはお咎め無し。理由も、くだらない事だ。なにも人を殺してまで守るような出来事じゃない。旗本、大名、将軍、大統領、首相、主席、国王。くだらない連中は、地位に関係なく、どこにでもいる。それでも手傷を負った大治郎。介護するという内弟子の粂太郎に小兵衛が言う。「わしの家に来い、ご馳走してやるぞ」「いえ、私は若先生の看護を・・・」「今夜は、別の人に看護させてやれ」見舞いの品を抱えて、向かって来る三冬を見つけたのだ。三冬の心を見透かした、親心の小兵衛だった。(「暗殺」より)
2011/06/09
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今日の独善つぶやき・・・昨夜、パソコンのディスプレイが壊れた・・・バックライトが切れたらしい。どうしても直らないので、今日中古を手に入れた。ついでに、最近のパソコンを見てきた。いいなぁ・・・ワシのパソコンと大違い。10ギガという骨董価値がつきそうなのを使っているのだ。パトロン求む・・・「迷解剣客商売・39」ある日、鰻売りの又六が小兵衛の家にきた。ドジョウを手土産に、ちょ、と相談をしにきた。「こんな事は、全く、余計な事かもしれねえですが」「世の中の、善い事も悪い事も、みんな余計な事から成り立っているものじゃよ」ワシは、長い間「世の中の事は全て必要必然で成り立っている」底の浅い、精神世界の言葉で、そう学んできた。それが、単純な、上辺の言葉だとは、気づかなかった。中々、深い言葉と思い込んでいたものだ。現象に一々意味を考えたり、因果を重んじたり・・・若気の至り、というヤツかなぁ・・・今は、小兵衛の言葉に納得している。この世は、余計な事が余計な事を引き起こしている。その為の舞台として、この世があり、諸行無常というシステムがある。余計な事を(しっかり?)体験するのが、この世に存在した意味かも。と思っているが、本当の事は人間では解らないと知っている。まぁ、事実として、余計な事だらけで、結構面白い。面白いとは思えない出来事も、体験には違いないし・・・
2011/06/08
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毛饅頭を教えてもらった大治郎と三冬。続いて三冬は、男女の行いを初めて目撃する。何故か修行を積んだ三冬の心臓が勝手に動悸する。そのまま、事件に巻き込まれ、大治郎を頼る。時々、大治郎に対して、赤くなるのも解せぬまま。大治郎の活躍で事件が解決した。事の顛末を御用聞きの弥七が解説する。三冬が目撃した場面を話そうとすると、「存じませぬ、存じませぬ」真っ赤な顔で三冬は、かぶりを振る。朴念仁の大治郎。「いったい何を見たのです」「存じませぬ!」三冬は怒ったように外に駆けていく。超鈍感な大治郎。「はて・・・?」純情な二人は、少しずつ融けていく。融通が目覚めていく。そして、お互いを意識していく。何とも、微笑ましい、剣客の二人だ。(「西村屋お小夜」より)
2011/06/07
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剣一徹な大治郎が変っていく。父であり師匠でもある子兵衛の雰囲気に染まっていく。その過程が、又何とも微笑ましいのだ。一人で小兵衛馴染みの酒屋に入り、ゆっくり酒を飲む。雨宿りの時間つぶしとはいえ、以前なら考えもしなかった。酒屋の夫婦は、そんな大治郎を嬉しそうにながめる。「若先生が、お一人で酒をあがるなんざ、全く珍しい」「きちんと、こう座って、あの飲みっぷりがよかったね」「不動さまの若いときのような、かたちでね」まだ、生真面目な飲み方なのだが、可愛いのだ。そこで起きる傑作な詐欺事件を小兵衛に話す。昔はテレビもラジオも無いのだ。当然として、面白い話は双方の楽しみとなる。野次喜多道中を読むと、当時の風俗がよく描かれている。人と人の話術が洒落ていて、話す事が生活に大きくかかわる。簡潔でも、言葉に心や情けや嬉しさ愉しさを乗っけて話していた。話は、愉しいものなのだ。美味い鯰を食べ過ぎて腹を下した小兵衛。薬を貰いにきた大治郎に、町医者の宗哲が言う。「小兵衛さんに、あまり薬を飲ますと、かえっていけない。なにぶん、体が人間ばなれしているからのう。なあに、薬のかわりに、毛饅頭でも食べさせれば、すぐ元気になる」まじめ顔で宗哲先生、とんでもないことを言い出した。「け、まんじゅう、と申しますと?」わけがわからない大治郎。今度は、その事を思い出して三冬に言う大治郎。「三冬どのは御存知か?その、毛饅頭なるものを」処女の生真面目な佐々木三冬だ。「耳にしたこともありませぬ」双方とも、男と女を知らぬ一流の剣客だ。その正体を教えてもらおうと、小兵衛の隠宅に向かうのだった・・・(「鰻坊主」より)
2011/06/06
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嘗て負けた小兵衛に勝つために現れた剣士。試合にて人を殺すことを喜びとする、残虐な性(さが)。普通の両親から生まれた、異常な才能。その飛び抜けた強さと、魔性。驚く牛堀に小兵衛が言う。「人の世には、計り知れぬ事があるものじゃよ。もともと人間なんてものが、わけのわからぬものさ」人を観る、名人としての小兵衛の言葉だ。これが基本にあるから、全てを認めていられる。才気盛んな魔性剣士、千代太郎。才能と復讐にこだわりすぎた。大治郎の自由な手法、無外流に敗れたのは当然かも。「父上、ごらんくだされましたな」「わしもな、同じやり方で闘おうと思っていたのさ」無外流の真髄は、こだわらないのが特徴だ。(「天魔」より)
2011/06/05
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小兵衛も男色(なんしょく)が理解できない。出来ないが、好奇心旺盛だ。武士同士のゲイの一人と親しくなった。そして、おはるに教える。「男と女より、絆が強いそうな」少数派だから、パートナーと出会う事が貴重なんだろうな。女房役の武士の献身的な振る舞い。「本当の女でも、ああは、まいりません」酒屋の亭主も感心する。心情が理解できなくても、偏見はないのだ。理解できなくても、同じ人だと認める。これが世界平和の鍵だと思うぞ。命を賭けて、好きな男に尽して、最後は武士として切腹した。「おまえさんは、今死なすには、本当に惜しい人だったよ」小兵衛の両眼が、じわりと、うるみかかった。宮崎駿監督の映画で描かれる妖怪と人の関係。多種多様な妖怪など理解できない。理解出来なくても、主人公は彼等を認め、仲良くなれる。人と人、人と動物、人と自然の暮らし方が示唆されている。理解なんざ、どうでもいい。同じ地球上に存在している仲間だ。
2011/06/04
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人の心の不可思議さの一つ、男色。まぁ、今ならゲイといい、女同士も含む言葉だ。日本のみならず、古今東西、いつの時代でもあった。あったが・・・、理解できない人には不可思議だ。ワシも生理的に理解できないタイプだ、ごめんなさい・・・。生理的というのは、理屈ではなく、生命の深い部分の反応だ。ワシは毛虫芋虫類が生理的に苦手だ。蛇類が苦手な人もいるだろう。彼等は何も悪くないし、異常でもない。そんな事は解っている。生理的に反応してしまうが、ただそれだけだ。理性的には理解できる。どの生物にも一定の割合でゲイがいると知っている。決して、異常な心情や身体ではなく、全く正常なのだ。ただ、マイノリティ(少数派)だから、差別されやすい。少数派を無視したり、イジメたりする社会が奇形だ。ワシは、個人的な生理的反応と、社会的イジメを混同しない。ワシの性格や生き方など、まさにマイノリティそのものだし。武士(男性)社会は、男色は社会的認知されていた。日本は、そもそも、性の多様性に大らかな国だったのだ。性に大らかなのは、人と人にも大らかな、いい国の条件の一つだ。見せ掛けの常識に縛られる現代社会の方が、狭く、卑怯な国なのだよ。小兵衛の時代は、男色は普通の社会風俗の一面だった。
2011/06/03
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並外れた力持ちの女性がいた。通称、金時婆さん。本名は、おせき、54歳。当時は、20歳過ぎれば年増。27歳くらいでも大年増。でもなぁ・・・婆さん、は酷いだろう。ワシより若いし・・・剛力だけでなく、とても親切な女性だ。武士を橋から川に投げて(他人の)子供を救った。目撃した小兵衛は、その武士達の仕返しを心配して芝居する。おせきの家に居候するのだ。その時、寝食代として2両(30~40万)を差し出す。おせき、こころよく、あっさりと受け取る。小兵衛「こいつは、ホンモノだ」と直感する。下手に遠慮したり、断ったりしないから、本物の親切者だと見切る。もちろん、無料でも同じ態度だったろう。その怪力は生まれつきだと知った小兵衛。「人間の備わったものの恐ろしさ、見事さ・・・まことに不思議なものだな、人間という生き物は・・・」人の心の不思議さ、辻褄の合わぬ仕組みと充分知っている。だが、体の能力の可能性は、感嘆し尊敬する仕組みがあった。小兵衛は、心の未熟さと体の見事さを知って人を観る。(「深川十万坪」より)
2011/06/02
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士農工商という身分制度があった。武士は威張っていた。威を張るのは、心が狭いからだが本人は気づかない。今でも、地位、役職とか性別とかで威張る男がいる。恥ずかしいという事を知らずに育ったからだ。小兵衛は名人になった。剣の道からも、武士からも放れている。だから、武士社会(男社会)のアホらしさを口にする。人品卑しいまま、権力を持つ階級を痛烈に批判する。「世の、人の手本ともなるべき大名・武家。このざまでは、徳川の世も末だのう」現代でも、全く通用する言葉だろう。武士や男社会の常識から解放されている小兵衛だ。飯も汁も簡単に作る。まだ武士社会の剣客意識の三冬に夕食を作ってやる。三冬は赤面する。これも、現代に全く通用する。自分や他人の飯を作れぬような男は使い物にならない。
2011/06/01
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