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今日の独善つぶやき・・・今日も千葉に治療だった。この時期にしては、涼しかった。そして帰りの東京駅。昨日の豪雨の影響で、新潟はガタガタらしい。「母のこと・6」この子(母)は育たないかもしれない。そう言われていたらしい。それでも、学校の成績はよかった。母にすれば、授業は一度聞けば解る話。同じような事を何度も繰り返すのは時間の無駄。(生意気ですいません・・・)後に学校の先生が訪ねてきた。「どうして、あんなに優秀に育ったのか?」さすがの祖母も答えようがなかったようだ。何も教えなかったのが、よかったのかねぇ・・・母は、私達子供に対しても同じだった。勉強をしろ、とは一度も言われなかった。どんなに遊んでいても、何をしても自由だった。それは、今の私の家庭でも同じだ。勉強など、本人がしたけりゃしてもいいけど・・・あまりマトモにするようなモノじゃない。どんなに勉強しても、いずれボケる・・・。頭がよくても性格が悪けりゃ軽蔑だけだ。頭がよくても仕事ができなければ、役にたたない。だが、優しい心を育てたなら、それは一生価値がある。
2011/07/31
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病弱ではあったが、いろいろな事に興味があった。祖母(母親)の仕事などにも興味があった。いろいろな事をすぐに覚えるタイプだったようだ。実際、母は何でも出来た人だった。それが、私には不思議だった。姉なども小器用に何でも出来るタイプだ。長兄もそうだ。だが、私はすぐ覚える事と苦手な事がハッキリしている。苦手な事は、出来ない事だと思っていた。苦手でやらない事は多いが、最近思った。私は、結構何でも出来るタイプの気がする。仕事を覚えるのは、早いかもしれない・・・それは、母の血をひいているような気がする。出来ないと思われた方が楽だから、出来ないフリをするが・・・出来ないことは、かなり少ないと思う。(これは内緒にしてくれ)
2011/07/30
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小遣いの額を二桁多く持たされていた。来客用にこも被りの酒が常に用意されていた。お菓子が一斗缶で、幾つも用意されていた。そういう家だったらしい・・・母の母、つまり私の祖母は二度目の結婚だった。(その後、三度目の結婚をするが・・・)望まれ、大層大切にされて、嫁入りしららしい。(一度目は夫が病死)明るく、美人で、冗談好きで、しかも働き者の祖母だ。嫁に欲しいと、男共が山のようだった・・・とか。母は、幼児の頃から病弱だった。心臓が弱く、喘息もあった。すぐ熱を出し寝込んでいたらしい。それでも、自然しかない山の中だ。ゆっくり、ゆっくり育っていった。
2011/07/29
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立身出世という概念は戦国時代あたりからだ。それでも、その頃は実力でのし上がる以外になかった。江戸中期以降、立身出世は世渡りの上手さで出来るようになった。実力は世渡りの一つの表現になってしまったのだ。そして、そのまま明治時代に移行する。立身出世にとらわれた武士達が競って為政者になった。それは公家とよばれた貴族階級も似たようなものだった。出世欲は本来の仕事や実力を阻害し、公職と相反する意識だ。民間の会社員なら問題ない。出世欲や出世方法に他人が口を出す事柄じゃない。口先だろうが賄賂だろうが勝手にすればいい。だが、公職に持ち込むのは基本的認識さえ出来てない。立身出世欲のオトコが為政者になってマトモな事などできない。当たり前だ。出世欲の為政者は、つまらぬオトコがほとんどだ。税金を貰っている身分で、個人欲を職業に持ち込むなよなぁ。それでも激動の時代は、否応なしに変化せざるをえない。明治初頭、そして大正の後期は時代が勝手に動いた。大衆は、大正モダンあるいは大正ロマンという風に包まれた。大正初期は、お洒落を意識できる、比較的穏やかな時代でもあった。日清・日露戦勝に続き、第一次世界大戦も戦勝国の仲間だった。敗戦国は過酷な状態だが、勝利国に利益をもたらす。日本は、景気がよかった。母はそんな頃を子供時代として育っていった。母の生まれた実家は、地域では裕福の方だったらしい。
2011/07/28
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大正5年(1916年)7月11日誕生。満年齢で95歳の誕生日を迎えたばかりだった。当日は、東京の兄嫁から送られた大きな花束に囲まれた。花の好きだった母だった。大正時代というのは、日本史で最も短い時代だ。実質14年だったが、国内外が激動した。前半と後半では、全く違う気風が漂った。その為、国民の意識も不安定な時代だった。まぁ、人間社会で安定の時代は珍しいけど・・・どの国でも、無能が為政者になる。あるいは為政者となって無能になる。いずれにしても、無能だが欲望は強くなる。無能で強欲な為政者で国が安定するわけがない。国という範囲(概念)を作った人間社会で平和は難しい。
2011/07/27
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私は忘れるのが得意だ。それ自体が、良い、悪いじゃない。そういうふうな体質なのだ。だが、母はそうではなかった。母の体質を受け継いだわけではないらしい。だからこそ、今の内に記しておかかければと思う。2011年 7月16日母は(多分)天寿を全うした。しばらくバタバタと様々な出来事をこなしていた。今も、今後も、当分はアレコレの用事がある。少しずつ、切れ切れの一片ずつではあるが、母の事を集めてみよう。そして、私なりの表現ではあるが、記してみようと思っている。
2011/07/26
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幾つもの顔。幾つもの心。自分でも理解できない行動。不可思議な生き物として、人は、在る。人間という生き物について「そんなに簡単に割り切れるものではないよ。だから、面白いのさ」池波氏の言葉だ。人間賛歌は、こういうことだと思う。素晴らしいから、賛歌じゃないのだ。わけがわからないけど、生きている。ならば、賛歌だ。そこには、面白さがある。愉しさがある。生きる二本柱に、食と性がある。ならば、賛歌だ。池波氏の言葉は、カッコイイ。
2011/07/25
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この剣客商売も最終巻になってしまった。秋山小兵衛は93歳まで生きる設定になっている。息・大治郎や三冬、孫の小太郎を考えれば、物語は続いた。だが、作者の池波氏が急逝してしまう。惜しい・・・小兵衛は嘗て剣を交え、剣客同士として倒した相手がいた。26年前の40歳の小兵衛。「もうだめか・・・」と思ったほどの相手だった。その息子と知り合い、危急を救った。もちろん、父を斬った相手だと名乗った後の出来事だ。人の世の不可思議さ。どこかの宗教がいうような因果応報などではない。この世は、そんなに単純な法則で成り立っていない。当たり前だが、人は血が通って生きているのだ。多種多様と交じり合いながら、生きているのだ。理屈だけでは、観る事も愉しむ事もできない。
2011/07/15
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釣り合わぬ二人だが、秀は妊娠している。しかも二人とも乗り気だ。釣り合わぬ、という点では小兵衛とおはるも同じ。そこで又六は、小兵衛に母親への説得をお願いする。「おふくろは、先生を神様のように思っています」小兵衛「ワシは人間の端くれだ。お前たちと同じような事をしてきたのじゃもの」おはる「あい。剣術は神様でも、女にかけては・・・」人を観る名人でも、そんなものだ。だから、人は面白いのだ。そして、人は可愛いのだ。結局、又六の母親は秀の妊娠に気づいた。小兵衛からも「ワシが仲人する」と言われて承知した。三冬と同じような素直な女剣客、杉原秀。余計な見てくれなどに心を奪われず又六を選んだ。人の世など、いずれ変わるのだ。ならば、結構、似合いの二人だと思う。
2011/07/14
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今日の独善つぶやき・・・みなかみオンパク企画のプログラムの一つ。樹木気功を実施した。林厚省師から直接指導された、太極気功18式の応用だ。場所は谷川温泉の富士浅間神社境内。次は10月。そして来年から本格的になる・・・予定。「迷解剣客商売・74」身分、家柄、才量、価値観などなど。それらは、夫婦になるのに障害にならない。単純にそう思っていた時期があった。今は、障害になると知っている。知っているから、乗り越えられれる事も知っている。困難を承知の上の方が、障害は乗り越えやすいのだ。だが、たかが夫婦になることだ。無理して乗り越えなくてもいい。気持ち(心)は空ろにも、変化もする。意地をはって夫婦になるのも勝手だ。だが意地を通すのは、決して美しい生き方でもない。そういう事も、だんだんわかってきた。どちらでもいいが、苦労は少ない方がいいだろう。母親も小兵衛も、そういう思いだろう。絶対反対でも、絶対賛成でもない。人の世は、二人だけの世界ではない。アホらしいほど、バカな事柄が影響するのだ。若い頃は、アホやバカを認めなかった狭量の考えでいた。自分が、アホやバカでもあると、思いもしなかった。
2011/07/13
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めったに驚かぬ(胆が据わっている)弥七だが、「こうしたことが、あるものでございますかねぇ」秀と又六の組み合わせには、弥七も驚いたようだ。しかも、秀から手を出したと看破した小兵衛の話に、「ま、まさか、あの、お秀さんが・・・」自分を常に厳しくしている、折り目正しい剣客の杉原秀だ。弥七、まだまだ人を観るのが甘いなぁ・・・オンナには、そういうところもあるのだよ・・・母親と二人暮らしの又六。秀の事を母に言うと、反対された。「身分が違うし、人の出来が比べものにならないから無理だ」又六も、よく働くし心根も良いし、信頼もできる。だが、秀は人として、一段も二段も上等に出来ていると観たのだ。又六の母親も、人を観る目があり、人の世の仕組みを知っている。小兵衛も人の世を観ている。「たしかに、おふくろの言う事も一理ある」ワシは若い頃、人と人の組み合わせには、何の障害も無いと思っていた。まして、身分などは、人が作った幻想だ。心も、未来も、人は平等だ。原則論だけで、人の世をみていた、浅はかな頃だ。もちろん今も浅はかだが、原則をそのまま人の世に使わない。
2011/07/12
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人の範囲には自分も当然入る。自分の心、行動が観えない場合もある。分析して、自分を観える場合もある。だが、その通りにならない場合も多々ある。自分も辻褄の合わないヤツなのだ。アテにならないヤツなのだ。鰻売りの又六が小兵衛の隠宅に訪れた。そろそろ嫁を、と小兵衛や弥七も考えていた。ところが、女を連れてきている。おはる、の見立てでは妊娠しているらしい。その顔を見て、さすがの小兵衛も驚いた。杉原秀、根岸流手裏剣の名手で一刀流の道場主だ。まさか、という組み合わせ。さすがの小兵衛も「びっくりしたわえ」これだから、人と人の不思議さは変わりない。心など分析しても、とんでもないモノが出てくる。心とは違った、とんでもない行動もおきる。いつでも、節穴の目を自覚していた方がいい。
2011/07/11
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人を見るのは誰でもできる。見て、観るのは、少しだけ難しい。見ないで、観るのは、もっと難しい。それでも、一部なら、まぁ、観る事はできる。見えないモノを扱う仕事なら、多少は観えるものだ。だが、心は不意に動く事がある。どんなに名人でも予測もできない方向に動く事がある。元々、心は辻褄が合わない性質なのだ。多種多様なモノが潜んでいる器だ。思いもかけないモノが飛び出る事もある。だから、観えても、その通りにはならない事がある。間違って観えたわけじゃない。人は、そういうモノなのだ。その事を、充分わきまえた上で、人と接していく。すると、人って、結構面白い。この世は、結構、悪くないものだ。
2011/07/10
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理由なく着る恩が増えると・・・人の世は、とてつもなく上手くいく。調和し、共存し、協力して世を盛り立てる。真の意味の、御蔭様、になるのだ。御蔭様と恩(感謝)は、深浅があるのだ。更に、その先がある。人の世は、平和、になってしまう。人類が発生してから、一度も創れなかった状態だ。それが、恩を着るという深い意味だ。だから難しい。方法は簡単なのに・・・人は、未熟で不良品の段階だ。各自の、一歩で世界は変われるのに・・・ところで、ワシは裸族だから恩は着ないし着せない・・・
2011/07/09
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恩は着せるモノではない、という意味。更に掘り下げてみる。~してもらったから(着せられた)、も無くなる。つまり、~してもらったから、着るのでは無い。恩(感謝)を着るのに理由は無いのだ。だから、この言葉が深い。通常、恩を感じるのは、着せてもらうからだ。何かをしていただいた、から・・・だが、その間違いを指摘された。着るのに、理由無し。着れば着るほど、温かい人となる。この言葉の前では、つまらぬ説法など、屁のようだ。
2011/07/08
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今日の独善つぶやき・・・今日も桐生へ。さすがに、みなかみと比べ暑いなぁ・・・いろいろあるけれど、生きていこうね。「迷解剣客商売・68」奉仕は胞子と同じ。風任せ(無私)の境地。ところが長く関わると、私、が出てくる。奉仕してあげてるのに・・・そして、恩(感謝)を求める。評価(感謝)を求める。奉仕は、油断すると恩を着せてしまうのだ。奉仕の難しさは、感謝心(恩)を求める自分の心。奉仕は個人的な趣味なのに・・・社会的な意味を持たせたら、それは奉仕ではなくなる。(国が民に求める奉仕は、奉仕じゃないのだよ)恩(感謝)は、着せるモノじゃない。だから相手に感謝など無くても関係ないのだ。恩(感謝)は、着るものモノだ。自分が、勝手に着るモノだ。そして、これは着ると結構温かいモノだ。着せると、薄ら寒いモノでもある。
2011/07/07
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度々話の中で出てくるフレーズがある。「恩は着せるものではない、着るものだ」この言葉は、かなり深いと思う。感謝、という単語に置き換えてみればいい。ワシの学んだ沖道(ヨガ)の話だ。故沖先生がインドで暮らしていた頃の話だ。マハトマ・ガンディー師にヨガという生き方を学んだ。ガンディー師は暗殺された。その後、しばらくインドで奉仕活動をしていた。沖道の生き方「感謝・懺悔・下座・奉仕・愛行」その中で、奉仕の難しさを語ったことがある。ある期間は、無私(思)で実行できる。そのうちに相手に対して「何故、ありがとうが言えないのか?」という疑問、不満が生まれてくる。あるいは、他の人や組織に対して「私がこれほど奉仕しているのに、何故評価しないのか?」という不平、欲求などが生まれてくる。期間が長くなるほど、心の底に生まれ、溜まるモノがある。
2011/07/06
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一つの道、仕事、能力などでプロとなる。一人前となり、更にその先に進む。同じ道のプロ達にも一目置かれるようになる。まわりからは、先生、先生と呼ばれる。家、店、道場、院、会社などを構える。その頃から、油断すると錆びることがある。能力、実力が停滞し、下がることさえある。小兵衛も、一度そういう事があった。道場を構え、世上の評判が高まり、順風満帆の時だった。肝に銘じ、剣客として精進し直したから、今の小兵衛となった。自分より優れた相手と会わなくなる。嘗ての先生まで、小さく見える。すると、自分が大きくなったと勘違いする。人間の一生なんて、止まれば、たかが、なのに・・・今のところ、ワシはそこまで増長してない。が、油断は(常に)あるだろうなぁ・・・
2011/07/05
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老いや衰えに流されない方法は幾つもある。はね返す方法も幾つもある。小兵衛の生き方には、そのヒントが示されている。例えば今回の20番斬り。めまい、という老いを感じた直後の出来事だった。師匠との約束もあるが、小兵衛本人の気に入りがある。嘗ての弟子を守る、責任感と生きがいもある。あどけない子供を守る事も、心が静かに燃える。ふがいない武士社会への憤りもある。大身武家への反骨精神もある。頼りになる大治郎を別の大仕事に行かせた。その為に、自分が奮闘の立場となった事も気を上げた。もちろん、若い妻や嫁や孫が元気の源の一つとなる。そして、いい仲間達が支えてくれているから活躍できる。全ては、小兵衛の生き方の表われでもある。
2011/07/04
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老いにセットで付いてくる衰え。だが、小兵衛は60歳から登場した主人公だ。40歳下の女房をもらい、40歳下の別の美女から慕われる。血気盛んな他の剣客を、軽く、あしらう。そこには、老いも衰えも無かった。つまり、老いも衰えも単純な年齢ではない。時は確実に経つ。肉体は確実に衰える。それは、間違いない。ないが、速さは、一定ではない。マクロにとらえれば、老いも衰えも一方向。形あるもの、必ず滅する。だが、人間の一生では、単純な一方向ではなくなる。時には逆戻りもあるのだ。数年や、数十年は、何とかなるだろうなぁ・・・
2011/07/03
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今日の独善ひとこと・・・久しぶり、明日は千葉佐倉市への出張治療。数年前に船橋で長期治療した時に一日空いた日があった。佐倉にある川村記念美術館に行った。モネ、レンブラント、ピカソ、狩野派などなど・・・よかったなぁ~「迷解剣客商売・63」人の能力は、まだまだ隠されている。めまいをおこし、老人の仲間になった小兵衛。だが、今までの剣客人生でも最高の活躍をした。手出し無用と宣言して、20人斬りを一人でやってのけた。そして、小兵衛は手傷一つ負わなかった。刀がもつように、相手は殺さずに戦闘能力、意欲を斬った。「剣の道もあれほどまでに到達できるのかと驚きました。」目の当たりにした杉原秀は、あきれ顔で言った。小兵衛「不思議じゃ、たいして疲れていないようだ」徳次郎や又六は、驚嘆のあまり声も出ない。老いをテーマにしたが、衰えをテーマにしたわけじゃない。老いに、衰えは付きモノかもしれない。だが、単純に全て衰えていくわけじゃない。培った能力は、より冴えわたる事さえある。より、凄みを増す場合もある。(「二十番斬り」より)
2011/07/02
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名医、小川宗哲の診たて。「小兵衛さんも、やっと老人の体になったという印じゃ」その後、大事件に巻き込まれた小兵衛。隠宅に七名の刺客が踏み込んだ。丁度その時、再び小兵衛に、めまいが・・・その夜の襲撃について、御用聞きの弥七に話す。「おぼえておらぬのだ。だが、こうして傷一つない」血潮や襲撃の跡は残っている。小兵衛は脇差一つで、意識の無いまま七名を撃退したのだ。それを聞いた名医宗哲、うぅむ、と唸り。「小兵衛さんは、そこまで、到達なすったか・・・」一流を超え、名人になると、無意識で行動できるようだ。今回の大事件では、特に忙しく活躍する小兵衛。めまいは、何処かにいってしまったようだ。だが、ますます、武士世界に嫌気がさす。「こんな馬鹿げた武家社会では、もう世も終わりだ」だが、現代まで、その馬鹿げた意識で政治行政は続いている。
2011/07/01
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