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C から離れた後聞いてきたのは、女性ボーカルの歌寄りの音楽ばかりだった。中島みゆき、渡辺美里、宇多田ヒカル‥歌が好き、声が好きなんだと思う。バンドの音への興味はその後あまりにもなかった。そして思うことは、私は音楽のお客になれなかったということ。 演劇のお客にはなった。大小、新旧、ジャンルも問わず、東京中の劇場に行きたおした。 【メール便送料無料、通常24時間以内発送、午後1時までは当日発送】【中古】 何者でもない / 原田 宗典 / 講談社 [文庫]【メール便送料無料】【あす楽対応】 でも音楽のコンサートは数えるほどだ。あと、芸能人のお客っぽい存在が嫌だったことを思いだした。芝居を見はじめて、某お笑いコンビが所属する劇団の公演(コントじゃなく、普通の芝居)に行ったら、キャーキャー騒ぐ人やアンコールで客席からフラッシュたく人とかいて、舞台上から本人たちが必死に「やめて」とお願いしてるのに止まなかったのを見てすごく嫌だったことを覚えている。そこにいることで、自分もそういう一人だと見られたくない、と思った。 演劇のお客はおおむね大人だったので、そこにストレスはなく、大学時代は芝居ばっかり見ていた。キャーとか黄色い声をあげたり、客席でノリノリで踊ったりとか絶対無理、と思ってた。 いや、何を考えているかというと、いかに自分がC を自分の中で封印し、その上に何を置いて見ないようにしてきたかってことで、その箱が開いてしまったためにそこに向き合わざるを得ないのだ。 好きになるのには理由はいらないかも。でも見たくもないほど嫌いになるのには理由があったはず。
2015年12月31日
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あの頃持ってた赤い四角いアイワのラジカセはもうない。しかし次の日からの私の動きは中二のころのそれとたいして変わらない。ボイスレコーダーがMP3プレイヤーとして使えることに気づき、ココロはすっかりJC 。 動画をどうこうするスキルはないし自ら法に触れる勇気もないのだがせめて音だけでも‥って、考えることがまんま厨二。テレビの前にラジカセ置いて「しーっ」とか言ってたころと変わらん。 買ったCDをPC に入れると曲ぜーんぶに自動的にタイトルつけてファイル保存してくれるなんて‥びっくり!そして彼らの全作品は小さなマイクロSD に収まってしまう。CD 焼くのもあっという間にできるし。 CD 焼くのがすんごい大変だった記憶は15年ぐらい前のこと?ていうか私そのために外付けのCD -ROM ドライブ買ってた‥つなぐのにドライバーインストールして‥あの苦労はいったいなんだったんだ(遠い目)
2015年12月29日
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献花の会場は大人数の参列者により混乱はしていたようだが、私が心配していたような狂乱した人とかはいなかったようだ。C ファンの名誉のために、念のため。 50を過ぎたメンバーの方々をクンづけで呼ぶのもどうかとも思ったが、30年前(!)の記憶を取り戻していくプロセスなので思い出すまま、そのまま書かせてもらった。 ヒデキは倒れてから意識が戻ることはなく、田口くんの逮捕については知らないまま亡くなったという報道があった。 実は2ch はロム専で一度も書きこみをしたことがないし、FB もTwitterもやってない‥自分の言いたいことと同じことをコメントしている人がだいたいいるのでそれでいい。ロム専でもたいていの情報はネットで見つけられる。それでいい。 でも。 80年代に一世を風靡したバンドにしては、あまりにもあんまりな幕切れじゃないか。 文字にしてみて、さらに胸のつまる思いがした。 ヒデキファイナルの構成が素晴らしすぎる。選曲、演出、もちろん演奏はいうまでもなく。そのままDVD にしてくれないかな。お金出して絶対買う。たぶんあのとき見てた2万人は買うよ!「ヒデキファイナル」のタイムシフト予約の分は、リアルタイム放送後、本来1回しか見られないものを、8月31日まで回数無制限で見られるようにしてくれたので、期限まで何回も見ることができた。何回も見た。本当にありがたかった。
2015年12月26日
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ここまで演奏のみでずっときて。 再び松木さんがマイクをとって米川くんと笠くんに「(英樹さんが倒れる)直前までツアーの準備をしていてね・・・ツアーのリハーサルのとき、英樹さんとどんな話をしましたか?」のような話をふる。 米「話?したよ、したした」 松「したした、で終わりなの?笑」 笠「おはよう、ぐらいで」 米「あとはくだらない話」 松「笠さんはどうですか」 笠「え?(ヒデキと)田口くんの悪口ばかり言ってました」 出演者も客席も爆笑。「こんなに拍手もらえると困っちゃうんだよな」と笠くん。 これ以上は話題にできないけど、ちょっとだけそこに触れることで田口くんの存在を感じる。 松木さんに「僕と笠さんがしゃべるより、米川さんと笠さんが話した方がお客さんが喜ぶんじゃないかな」と言われて二人は「え、そう?」「あんまり話したことないもんね?この二人ね?」って、子どもか! しゃべってつなぐとか、ずっとヒデキがしてくれてたんだなと感じずにはいられない。 5分ぐらいのMC。でもファンはこういう話が聞きたいんだよね。3人とも泣かずに、明るく話をしているのが大人だなと思う。 松「英樹さんぜったいどっかで見てるから、最後にみんなの声とどけようよ」 米「盛り上がっていきましょう!」 とお客さんに呼びかけ、最後のブロックに入る。懐かしい「Born in the 60’s」のピアノのイントロ。田口くんの代わりに岩瀬さんという方がキーボードを弾いてくれている。米川くんのギターが入り一気に盛り上がる。 そしてキーボードのイントロから始まる「Let’s Go Climax」! やっぱりこれでヒデキを見送るんだな。 間奏で「ヒデキ愛してるよ ー!」と言う笠くん。お客さんがワッと沸くのがわかる。 定番のLet's Go!Let's Go!とお客さんのコールに、スクリーンの中のヒデキが「昔はもっとデカかったぞー!」とあおり、耳に手を当て客の声を聴くしぐさをする。 それに応えてお客さんは手を大きく振りあげ、コールはさらに大きく。「すげー良かったぜ!愛してるよー!」と満足げな表情のヒデキを見せて、演奏は終わる。 出演者はすべて退場。ニコ生のコメントにはアンコールを求める書きこみが相次ぐ。 そのあとスクリーンに過去のライブ映像として流れたのは「誓うよ 死ぬまで忘れないよ君のこと」で始まる曲。いつかどこかで会ったらその時は微笑んで、のような、もう泣かせるための曲。 私も覚えていなかったC曲だが、コメントの書きこみをみて「約束」というタイトルを知る。 しかも彼らのラストシングルのB面だった曲。たぶん会場は号泣だったのでは。 そして静かにヒデキの曲「I Love You」のオルゴールバージョンが流れ、すすり泣く声がだんだん合わせて歌う声に変わっていく。 ヒデキのベース、シャツを着たトルソーが、スタッフに運ばれ、退場し、客電がゆっくりつく。 「candy」が流れ始め、合わせて歌う客の声が聞こえたが、「本日の公演はこれで終了です」とのアナウンスがあり、放送が終わる。 ニコ生のコメントは賞賛と感謝の声で埋めつくされていた。「今日の放送はどうでしたか」というアンケートが表示され、迷わず「とても良かった」を選ぶ。途中から一緒に見ていた娘が「これ見て『良くなかった』っていう人がいるの?!」と言っていた。 たくさんのミュージシャンの仲間がみんなで見送ってくれたこと、ヒデキの、そしてCのカッコイイ姿を全国の元ファンたちが見ることができたことが本当によかった。このお別れ会「ヒデキファイナル」を実現させた松木さんには本当に感謝の言葉しかない。そして私のC熱は再燃し、この日以降、同じ思いのおそらく同世代の人々がネットでその気持ちを語りあい始めた。(つづく)
2015年12月11日
放送が始まる。会場に流れる客入れラストは「恋文」。 暗転して、ベースの前奏から始まる曲。 知らない曲だけど、彼はベーシストだったと改めて思い出す。舞台にはトルソーに着せられたヒデキのシャツ、愛用のベース。ステージの中央のスクリーンにヒデキの動画が流れ、スピーカーからは彼のベースとボーカル。それに合わせてギタリストとドラマーが演奏する。データのヒデキとのセッションなのだ。 20年ぶりぐらいに聞いた彼の歌声は、ずっと歌ってきた人の声だった。私が知らなかっただけで、ずっと音楽やってたんだ。3ピースのバンドは3曲を演奏して退場。画面は中継から離れ、「これから過去のライブ映像をお送りします」との字幕。 ほどなく始まったのは2014年のAJ によるC 曲の映像。太いベースの音で始まったその曲はヒデキが歌い始めたら、すぐに自分の知っている曲だとわかった。ニコ生なので「これなんていう曲?」「こんなカッコイイ曲あったんだ」などのコメントが次々に挙がる。 そうだよC はカッコイイんだよ!知ってるよこの曲! AJ での映像のあとは2015年の笠くんもいる4人の演奏の映像。引きの固定カメラからの記録ではあるが、年を重ねた彼らによって演奏されるC 曲は懐かしくそしてカッコよかった。 1曲進むごとに、歌のタイトルも、歌詞も、細かい楽器の音も、全部、全部思い出す。 全部知ってる!全部! そしてその感覚をニコ生のコメントで、全国の恐らく同世代が共有している。 自分はコメントしなかったが、たくさんの人がそこでやりとりをしながら見ている。それは25年前には想像もつかなかった思いの共有のしかただった。C 曲への記憶の扉が開いていく。 再び会場の中継へ。 今度はステージ上に米川くんがいる。ドラマーはさっきと違う方。でも、大きい太鼓にC のロゴとメガネのマークが描かれたドラムセットは、ここに座るべき人がこれから登場することを予想させるのに十分だった。ヒデキと米川くんの掛け合いボーカルの曲が2曲。スクリーンのヒデキとアイコンタクトしながら音を合わせ、観客のノリをあおり、カッコイイ米川くん。当時よりもカッコイイかも。じゃこのタイミングで、と後ろのホーン隊から前に出てきてメンバー紹介しはじめたのが松木さん。初めて見た。そこで今日出演する全員の名前がようやくわかる。笠くんもステージに出てくる。そしてセッティングの時間を経て次の曲。笠くんのドラムではじまったのは「B・I・N・G・O」。C らしいノリノリの1曲め。画面のヒデキと息ぴったりの演奏、掛け合いボーカル、そしてコーラス。当時の笠くんには歌の不安定さがあっていつもハラハラさせられていたが、歌は当時以上に声も出ているし、ドラムも安定していてカッコイイ。そして当時と同じくカワイイ。ヒデキの曲「東京‥ナイトフェイス」では間奏のベースソロをクローズアップして泣かせる。 そうなのだ。 中継は「スクリーンを含むステージ全体」「ステージ上の演奏者」「スクリーンのヒデキ+ワイプの演奏者」「スクリーンヒデキ」を切り替えながら放送しているのだ。 「スクリーンヒデキ」はスクリーンの中の米川くんと楽しそうに並んで演奏していて、今一緒にいるようにしか見えないのだ。でも切り替わると画面を見ながら合わせる米川くんが一人。これは切ない。絶妙のスイッチングに「ヒデキはここにいるんじゃないか」「いるよ!絶対いる!」というコメントが相次ぐ。 見せ場もタイミングもバッチリの放送に愛を感じる。3曲目のイントロ「さーみなさんこの曲は覚えてますか~?知ってたら一緒にうたっちゃってくださ~い!いいですか~!」と画面から客席に呼びかけるヒデキ。イントロでわかるよ、知ってるにきまってるじゃん! ここでようやくシングル曲「原色したいね」が出てくる。 ヒデキは相変わらずデカイ声で、どっちが主旋律でどっちがコーラスかわかんないよ。もうこの辺りからはまったく目が離せなくなる。(つづく)
2015年12月11日
8月10日はデパート探検隊という企画に娘が当選していて、朝の9時集合だった。集合場所に連れて行き、イベントがスタートしたので、ほっとして一人コーヒーを飲みながら大学時代の友人Sさんにメールする。ヒデキの件があってからC ファンの彼女に連絡したいと思っていたが、メールも2年ぶりぐらいだし、何よりも急にC に関心を寄せている私のこの状態が彼女のそれと甚だしく異なっていたらどうしようと躊躇していたのだ。でも今日はもう10日だし、と思い切ってメールする。 お元気ですか。ヒデキさん亡くなっちゃったね‥久しぶりに曲きいたら懐かしくて思わずAmazonでCD買ってしまったよ。今夜追悼ライブ、ニコ生で配信あるときいてはじめてアカウントとりました‥今日は休みです するとすぐにメールの返事が来る。私は午後、献花にだけ行こうかと 献花に行くとは・・・Sさんも気にしてたんだとちょっと嬉しくなった。しばらくして今度はケータイに電話がかかってきた。Sさんは「今日は献花に行くために午後半休をとっている。仕事終わったらどこかで会おう」とのこと。偶然とはいえ、たまたまこの日に私も休みをとっていて、近くにいることに、何かの力さえ感じる。 13時過ぎに待ち合わせて、Sさんは献花のためのピンクのバラの花を一輪、花屋で買った。私の分も祈ってきて、と気持ちだけ託す。娘のイベントの解散時間が13:30だったので、それに合わせて2人で解散場所に迎えに行き、3人でカフェで昼ご飯を食べた。 Sさんはどうしてバラを持っているの?と娘が聞くので「昔好きだったバンドの人が亡くなったので、お別れの会に行くんだよ」とSさんが話す。14:30ごろにSさんは新宿に向かうというので、駅まで行って別れる。私と娘は反対方面の電車に乗るのだが、娘は自分も新宿に行くと思ったらしく「えー行かないの」と不満そう。 「うちのパソコンでお別れ会を見るから帰るんだよ、新宿に行っていたらお別れ会の時間に間に合わないからね」と言って家に帰る。 ベスト盤が到着したとアマゾンからの連絡があり、コンビニにてCDを受け取り、帰宅する。すると、後から頼んだ3枚のアルバムが、すでに自宅に届いていた。帰宅するとSさんよりメールが。唖然( ; ゜Д゜) 200人以上、並んでる気がする…。 ←これが15時30分頃終わった…。外で1時間、会場入ってまた並んで30分。係りの人も必死で叫んでて。すごかった(;´Д`)形見分けの衣装の細切れとピックもらいました。あとカード。こんなん用意するの大変だったに違いない。←しかも並んでる全員分なさそう ←と17時頃 想像以上の人が集まっている様子。 Sさんとは「お別れライブ、もしチケット余ってたら悲しいなって思ったけど、さすがに一瞬で売り切れたみたいだね。よかった」と話していたのだが、チケットの売れ行きも献花に訪れる人の数も心配しなくてよいレベルであり妙にほっとした。正直、近年どんな活動をしていたかわからないし、メジャーシーンにはいなかったことは間違いなく、ヒデキがどのように見送られるのか、見当もつかなかった。そして早めに夕飯を準備し、7時にはPC の前に正座。「お母さんはこれからライブを見ます」と宣言し、缶ビールスタンバイして、配信を待つ。(つづく)
2015年12月11日
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ネットを放浪しまくる中でわかったことは、6月の14日から行われるはずだったのは解散時の4人での再結成ライブツアーだということだった。 その前に2008年に関口渡辺笠でまた髪を派手に染めて再結成してCDまでリリースしていたこと、でもその活動はカッコワルイ内容に終わり、1年ぐらいで立ち消えていたこと、さらにその前には「Romanticが止まらない」がドラマ「電車男」に使われたこと、 ボクシング内藤選手が入場の曲に使っていたこと、稲垣吾郎が「C吾郎」として笠くんの真似をしていたこと、などは、リアルタイムでは自分の視界の端にはあったように思うが、ほとんど見ようとしないできたことが分かった。 2008年のカッコワルイCを悔しく思った米川・田口・渡辺の3人が、今でこそできるカッコイイCのセルフカバーを見せたい、と始まったのがAJ米田渡であること、そして今年の2月の英樹55歳バースディライブで笠くんも3人と共演し、6月にいよいよ4人C名義でワンマンライブをする予定でチケットも売りきっていたこと、その再結成ライブが全公演中止になったことを何日かかけて理解した。 それは確かに悲しいできごとであり、英樹の回復を願う書きこみがあちこちで見られるのも納得だった。 Cへの関心が高まり、気になっている日々を過ごしていた7月頭、今度は「元Cの男覚せい剤で逮捕」という見出しをヤフーニュースに見つける。衝撃を受け、頭の片隅で「先に抜けたあの人か?」と思いながら本文を開けると「田口智治逮捕」のニュースだった。あわてて2chを見に行くと「英樹がこんなときに・・」「もう終わりだ」と怒り悲しむコメントの数々。C名義で決まっていた仕事を当面辞退するというプロデューサーの言葉に、何もかもが終わってしまったと感じた。 ネットの書きこみの中には、全公演中止が逮捕によるものではなかったというのが、せめてもの救いなのではという意見もあった。確かに病気でできなくなっちゃったのは仕方ないけど、逮捕されてのキャンセルだったら損害はさらに大きいものだったのではないか、と思われた。 英樹は病床でこのニュースを見ているんだろうか、もし見ていたらどんなにショックを受けるだろうか、と心配するコメントに同意し、英樹の病状が気になっていた。 しかし、ヤフーニュースの伝えたCについての次の話題は「Cの渡辺英樹さん死去」であった。7月17日の夕方本人の公式ブログとプロデューサー松木さんのツイッターでの報告から始まり、即時2chにも書きこまれた。 4人のうち2人を失い、もうCの復活はない、再結成は不可能、決定的だった。 再結成目前からのこの展開はあまりにもやるせないと、1か月前まで全く関心を持っていなかった私でさえ思ったのだから、ずっと彼らを応援してきた人たちはどんなにショックだろうか。 亡くなったのは7月の13日とのことで、近親者による葬儀がすべて終了してからの報告だった。8月10日にお別れの会を行います、とのこと。 お別れ会はライブだというが、自分には行く資格がないと思ったし行く気もなかった。チケットは瞬時に売り切れたようで、ずっと応援してきたファンの方がみんな行けたかなと気になった。 ライブのチケットのない人もピンクのバラを持参して献花式に参加できるとのこと。ちょっと心が動いたが、連日の猛暑の中、小学生の娘を連れて歌舞伎町はどうかと思ったし、何よりクレイジーなファンが全国から集まって発狂していたらなんて考えるとそんなの子どもに見せたくないので行けないと思った。そもそも10日は朝から用事があるので休みにしていたのだ。で、あれこれ考えているうちに、彼らの曲が聴きたくてしかたなくなった。ユーチューブでたくさん当時の映像が見られていい時代だなと思う一方で、1枚も手元にない彼らのCDが欲しかったな、と考えネットを見ていると、なんと2014年に新しいベスト盤と解散ライブ盤が、今年の1月にすべてのアルバムCDがリマスタリングされて再発売されていたことを知る。 解散後は本当にシングルを並べただけのつまらない、愛をひとかけらも感じないベスト盤ばかり何枚も出て、解散時に発売された2枚セットのベストを買っておけばよかったと本当に悔やまれた。 また、人気絶頂のころはレコードからCDへの移行期であり、リアルタイムでCDを発売していないので、流通している数が少なく、中古市場にもほとんど出回っていなかった。この新しいベスト盤にはツボをばっちり押さえたアルバム曲と、ファンだったら間違いなく喜ぶB面曲や、音源になっていなかったNHKみんなの歌で笠くんが歌った「ナヤミの種」まで入っている!さんざん悩んだが、7月26日にアマゾンでポチる。お届けまで少々時間がかかりますぜ、とメールが来たが、気長に待つことにした。 そして公式と2ch とつべを行ったりきたりしながらグダグダ過ごす夏の日々。お別れ会をニコニコ生放送にて配信との情報に、さすがにそれは見たいと思い、今まで持っていなかったニコ動のアカウントをとる。初め動画が再生できなくて焦るが、再生ソフトウェアの更新で見られるようになり一安心。余裕持ってセッティングしてよかった。 タイムシフト予約もネット情報を頼りになんとか済ませた。一番好きだった時期のCDは欲しいと思い、まだベスト盤も到着していないが再発のアルバム3枚をアマゾンにて注文する。この時点では、家族には夫にネットニュースが上がるたびに話題にしていた程度で「つきましてはCD を持っていないから買う!」と宣言はしたものの、娘にはC の話はしていなかった。(つづく)
2015年12月11日
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中学生になって、自分のラジカセを買ってもらった。カセットがダブルデッキの、赤い四角いアイワ?のラジカセだった。基礎英語を聞くというのが名目だったが、ラジオを聴くようになり、学校で習う歌ではないいわゆる「歌謡曲」を聴きはじめる。 どうしてCを聴くようになったかは、確か妹が「この曲いいね」といったのが「Lucky Chanceをもう一度」だったので、妹のためにラジオで流れたその曲をカセットテープに録音したのが始まりだったと記憶している。 そのうちだんだん彼らの活動が気になりだし、テレビやラジオをチェックし始める。妹は結局特にファンにならないで、私だけがハマった感じだった。ブレイクした曲「Romanticが止まらない」からではなく、それが過激なドラマの主題歌だったということも後から知ったのでそのイメージは薄かった。 中学生のころは家にビデオデッキがなかったのでテレビはリアルタイムで見るしかなく、ドラマを録画してみるような時代ではなかった。歌番組も新聞の番組表の出演者名を頼りにいつ出るんだろうとドキドキしながら見ている、そんな時代だった。だからラジオ番組はよく聞いていたが、映像としてのCを見る機会は本当に限られていて、関口脱退のイーストでのライブはビデオデッキのある友達に録画してもらって友達の家で見せてもらった。 高校生の時にはVHSがあったが、CDプレイヤーを買ったのはいつだったか? レコードプレイヤーはあったので、レコードからカセットテープに録音してそれを聴くのが普通だった。 CDはレコードよりも高価でありCの活動していたころはまだそれほど一般的ではなかった。中学の時はレコードレンタルだったのが、高校生ぐらいのときはCDレンタルになり、レンタルとかラジオからの録音とか、友達から借りたカセットテープをダビングするとか、そんな方法で彼らの音楽を聴いていた。(つづく)
2015年12月11日
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6月半ば、何の気なしに見たヤフーニュースの見出しに「渡辺英樹さん入院」というのを見つけた。 あまりにも久しぶりに見たその名に気持ちが動いた。 ニュースは「大動脈解離のため緊急入院」「14日から予定されていた全国ツアーは中止された」ことを報じていた。 全国ツアー? 彼の? 彼のバンドの? 彼の最近の活動を知らなかったので、その時点では全くわからなかった。 普通に検索しても解ることはそれほどないので、すぐに2chの検索に移行する。 Cの名のついた最新の動きのあるスレッドがあることに驚いた。AJ?米田渡?スレタイの意味もよくわからなかったが、そこでは彼が倒れた話題でもちきりだった。スレッドを読み進むうちに、中止された全国ツアーが他でもないC再結成のものであり、それを楽しみにしていた人がたくさんいて、中止を皆が嘆き悲しんでいることを知った。 Cの再結成は解散以来何度かテレビの企画でしていた。しかし見るたびにがっかりさせられて、見るのもイヤになり、見ないようにしていた。第一線にいた頃と同じでなくても、何らか頑張って仕事している、輝いているならともかく、全くそれを感じさせなくなったと思ったのは、確かベストテンの同窓会的特番を見てのように記憶している。 だから、恐らく90年代半ば以降は彼らのことは自分の中で完全に過去のことになっていた。 記憶をたどると、91年に大学に入学して、1年か2年のときに、学科の友だちTさんと関口誠人のライブに行ったことがある。最後の曲が「千夜一夜の~」というサビの歌だったことだけ覚えている。そのころCはとっくに解散し、解散前に脱退してソロになっていた関口だけがメジャーの活動をしていたように感じていた。しかしその関口も「千夜一夜」の後ニューリリースが途絶え、いつしか存在を忘れていった。 そもそも、中学時代、Cがベストテン番組の常連であった人気絶頂の時ですら「えーC?」といった嘲笑めいた声を聞くことが少なくなく、ファンだと公言するのが恥ずかしかった。 自分は見ていなかったが過激な内容のドラマの主題歌でブレイクしたことや、 歌番組などでの扱いがミュージシャンとしてではなく、バラエティ的な面白さを求められて、ずっとそのイメージがぬぐえなかったこと、アイドルバンドとして見られていたことなどが「恥ずかしい」要因になっていたように思う。 中学のときに仲良くしていた同級生のGさんにはCをけちょんけちょんにけなされ、トーキングヘッズとかジェネシスとかを録音したテープをくれて「こうゆーのを聞け」と勧められた。 でもフィルコリンズとかはCのメンバーが好きだと言っていたミュージシャンだったので実は知っていた。Gさんはその後ICUの高校に進学した頭がよく大人っぽい子だった。 Cはバンドらしいバンドとして活動していた後期(87年関口脱退以降)になってもなお本格ミュージシャンと認識されずイロモノバンドだと思われていて、沸き起こりつつあったバンドブームには完全に入れてもらえていなかった。中学生の時ですらそんな感じだったから、高校生のときもCファンであることはごく一部の友達にしか言っていなかった。 部活も忙しく、コンサートに行きたいと言う勇気もなかったので、ただただ好きなだけだったんだな、と今となっては思う。高校生になって、近所の小さいイベントホール?でレコード会社主催で行っていた他アーチストと合同の無料ビデオ上映会には何度か行って、販促のチラシをもらったり、応募してもらえるビデオをもらったりしたがそれが精一杯だった。なので大学生になって行った関口誠人のライブがC関係で行った唯一のものである。(つづく)
2015年12月11日
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