全14件 (14件中 1-14件目)
1
1年365日、時々366日。色々あるけど全力全開、全身全霊楽しもうよ、よーよよよよ♪ この日は2月29日、4年に1度(厳密には400年に97度ある)うるう年の日です。1年が366日ある今年は何かラッキーなことが起こるよう、頑張ります。 ちなみに上記の歌詞はアニメ・ゆるゆり(第3期)のエンディング曲「あっちゅ~ま青春」から抜粋しました。
Feb 29, 2016
コメント(0)

その日の午前8時半過ぎに新宿を出発した私は途中、越後湯沢、長岡と途中下車をしつつも、午後5時半過ぎに新潟に着きました。ただ単に上越線を通り過ぎるのではなく、温泉に入ったり日本酒を試飲したりと、そこでしか出来ないようなことをして満喫しながら北上していきました。 新潟駅の駅名標。現在、新潟駅は高架化工事中のため、構内配線や連絡通路などがややこしく変遷しています。私が立っていた7番・8番のりばは仮設になっています。 8番のりば 17:35発 快速・糸魚川行き(8622M列車) 485系3000番台によるお得な快速列車。つい数年前まで全国津々浦々で活躍していたという印象の485系ですが、今や特急運用は青函トンネルを通る白鳥号のみ。しかも3月26日の北海道新幹線開通を前に、3月21日に営業運転を終了することにより、定期特急運用が消滅します。 (左)17:43発 白新線 普通・豊栄行き(669M列車、2番のりば) (右)17:43発 越後線 普通・吉田行き(158M列車、1番のりば) 両方とも115系。JR東日本・新潟支社には「国鉄新潟」と形容されるほど国鉄世代の車両が多く残っているのが特徴です。しかし新型のE129系、E653系の導入でどこまで車両数が減るか気になり始めました。 1番のりばを表示する行燈と地下通路が、懐かしい国鉄時代の雰囲気を醸し出している気がします。 17:41発 磐越西線 普通・馬下行き(2238D列車、3番のりば) 初代新潟色のキハ40系でした。 新潟駅万代口。秋分の季節のトワイライトな夜空の下でライトアップされて、きれいに見えます。 私にとっては2007年9月の大学ゼミ合宿以来、8年ぶりの新潟駅です。 駅前に直結している、新潟交通のバスターミナル。明日はここからバスに乗ってフェリーターミナルまで向かいます。 駅からしばらく歩いて萬代橋の上で、1枚フラッシュ撮影。 この萬代橋は1929年完成。1886年に完成した初代から数えて3代目になるもので、当時は新潟市内の信濃川河口付近にかかる初めての橋でした。橋が無かった時代は渡船で連絡していました。 現在の3代目は側面に御影石の化粧板を施した重厚な造りで、建築史上の価値が高いとして2004年に国の重要文化財に指定されました。 さて、その時まだ夕食をとっていなかったので、バスで新潟駅前まで戻りました。 改札の向こう側の1番のりばには、最新型のE129系が停車していました。 駅構内を適当に周り、万代口にある食堂で夕食としました。 入ったのは「ちゃぶぜん」さん。地鶏の唐揚げ定食。 無事完食。ごちそうさまでした。 (続く)
Feb 25, 2016
コメント(0)

長岡駅にて私は素敵なジョイフルトレインに出会いました。 キハ40系を改造した、越乃Shu*Kuraです。キャッチフレーズは「水と大地の贈り物」。2014年5月にデビューした、新潟県の風土や食を楽しむための列車です。 この日は上越妙高→直江津→長岡→十日町というルートを往復する運用でした。 長岡16:12発 上越妙高行き(列番不明) 窓が天井近くまで届くよう改造されています。ワイドビューによって日本海の夕日が楽しめそうです。 列車のロゴ。車内ではジャズの生演奏が行われていて、素敵だなと思いました。 さて、ジョイフルトレインを見てワクワクした私は新潟駅への道を急ぐことにしました。 16:16発 普通・新潟行き(447M列車) 5番のりばからの出発です。 新潟支社所属の115系。2本つないで7両編成での運用でした。夕方の帰宅ラッシュの時間帯と被るのか、長めの編成でした。 秋分の日を過ぎ、周囲が少しずつ暗くなってきました。 東光寺にて。 田上付近にて。見渡す限りの水田! その後、東三条で弥彦線、新津で羽越線、磐越西線と接続して県都の駅へと向かいます。 上沼垂(かみぬったり)信号場。越後石山~新潟間にある信号場で、白新線や貨物線との分岐点です。ここから新潟駅方面はわずかの距離ですが複々線になり、白新線の列車(豊栄発、664M列車)と並走しました。 新宿出発から9時間(計2時間40分ほどの寄り道を含む)かけて、ついに新潟・終点に到着! (続く)
Feb 23, 2016
コメント(0)

越後湯沢の温泉を堪能した私は上越線の旅を再開しました。 14:19発 普通・長岡行き(1741M列車、水上13:42発) 8737M列車の2時間後に水上を出発した列車に乗り込みます。この115系は白いボディに緑色の濃淡のラインが入っていて、3代目新潟色とも呼ばれています。 2両編成の電車が混雑する中、電車は越後湯沢を出発しました。 石打~大沢間にて。特急はくたか号が廃止され、幾分寂しくなってしまった上越線を北に向かいます。大きい町を離れると広い田園地帯に入るところが、新潟県には多い気がします。 上越国際スキー場前にて。この駅はJRで最も長い駅名です。 ほくほく線との接続駅・六日町にて。停車しているのはHK100形による犀潟行き(14:49発、840M列車)です。北陸新幹線開業以前は、ほくほく線普通列車も越後湯沢に乗り入れていましたが、開業後はほくほく線内で完結してしまったようです。 小出にて。この駅で只見線と別れます。 魚野川。実は上越線は土樽~越後川口間で魚野川とほぼ並行して走っています。ちなみに魚野川は越後川口駅付近で信濃川と合流し、日本海に注ぎます。 その上越線も越後川口で飯山線と合流し、しばらく北上すると宮内に到着します。 宮内で信越本線と合流します。これにて上越線全線走破達成。それから7分ほどして、 長岡に到着。8月に開催される花火大会で有名な長岡市は、新潟県第2の都市。 1997年にほくほく線が開通するまでは、この駅が首都圏と富山・金沢方面との乗り換えポイントになる駅でした。JR発足から間もない1988年3月に信越線・北陸線特急かがやき号が運転を開始し、東京~金沢間の最速ルート(上野~金沢間を上越新幹線連絡で4時間10分)となりました。 その後、在来線特急としてのかがやき号は’97年に北越号に吸収されて消滅しましたが、北陸新幹線の最速達列車の名称として復活しました(東京~金沢間を最速2時間28分)。 新潟県内を縦断するような運用を終えた115系。 次の新潟行き列車は40分後。ここで途中下車して、長岡駅ビルを見てみました。 (続く)
Feb 20, 2016
コメント(0)

谷川岳を上越線で越えた私は越後湯沢駅で途中下車をしました。時刻は12:20、もうお昼時なので腹ごしらえも目的の一つです。 越後湯沢駅の改札口。左側が在来線の窓口、奥が新幹線の改札機です。 ですがこの駅での一番の楽しみは・・・、 利き酒。この駅には、日本酒をテーマにした商業施設「ぽんしゅ館」があり、1回500円で利き酒ができるのです。 新潟県内の地酒117種類から5種類を選べます。 私が試飲したのは以下の5種類です。 吉乃川(長岡市) 男山(糸魚川市) 田友(小千谷市) カウボーイ・ヤマハイ(新潟市西区) 日本酒にしては随分変わった名前だと思いました。 風和(かぜやわらか。佐渡市) 特定の地域に偏ることなく、満遍なく飲んでみました。銘柄にもよりますが、全体的に辛口のものが多かったです。私はどちらかといえばフルーティなものが好きなのです。ちなみに今まで最高と感じたのは、愛媛の「しずく媛」です。 さて、腹ごしらえに爆弾おにぎりを食べた私は、もう一つの目的・温泉に向かうことにしました。 駅の連絡通路から外の景色(長岡方面)を見てみます。はくたか号もいなくなり、寂しさが隠せません。 南越後観光バス。塗装が地元の東急バスに酷似しています(現に、東急バスからも中古車を購入しているそうです)。 駅の東口をぶらぶらと散歩していると・・・。 さすが農業地帯というべきか、鍬が軒先に並んでいるお店もありました。こういったところで地域差が出たりしますね。 この公衆浴場で温泉を楽しむことにしました。江神温泉浴場。ただし、入浴料が安い分、タオルは自分のを持参するか、窓口で買うしかありません。 本格的な温泉に入るのは本当に久しぶりだったので、ゆっくり楽しみました。20分ほど入っただけであがり、駅へ戻ることにしました。 (続く)
Feb 18, 2016
コメント(0)
政府・自民党がまとめ上げた成長戦略提言の中に、プロ野球の16球団への拡大案が盛り込まれたことが報道されたのが2014年5月のことでした。それが15日、再び国会で持ち出されました。 プロ野球16球団構想、後藤田氏が政府の対応ただす(日刊スポーツ、15日) 自民党の後藤田正純衆院議員は15日の衆院予算委員会で、プロ野球を現在の12球団から「16球団」に増やす構想に触れた上で、政府がどう対応するか、覚悟をただした。安倍晋三首相、石破茂地方創生担当相、石原伸晃経済再生担当相、高市早苗総務相の名前を挙げ、「4人が(推進すると)言えば、NPB(日本プロ野球機構)も分かった、というと思いますよ」と、迫った。 後藤田氏は、地元の徳島県や南九州、沖縄県にプロ球団がないとした上で、「今までのプロ野球は、企業の宣伝みたい(な役割)だった。そうではなく、地方再生と同じパターンで、(地方に球団が)できたら盛り上がると思う」と、提案。サッカーのJリーグでは、チーム数がプロ野球より多いことも指摘した。 これに対し、石破氏は、「球団が増えれば、若い人たちに競争の機会を与えられる。楽天みたいに地域活性化にもつながる」とした上で、「官がものを言うことはなく、民が主導することになるが、ご指摘を踏まえて、政府としても検討する」と応じ、前向きに検討する考えを示した。 (引用終わり) 私は16球団への拡大には反対です。理由としては、 (1)2005年の楽天のような最弱チームが一気に4つもできること。 今でこそ注目されるチームの一つになった楽天イーグルス。私もその当時は大変注目していました(2005年3月1日の日記)。しかし発足当時は大変でした。消滅した近鉄球団で主力だった磯部と岩隈が入団し、初公式戦で勝利を飾ったとはいえ、チームは11連敗を2度経験するなど大苦戦。8月中に最下位が確定するという苦難のシーズンでした。 楽天球団誕生の裏には球界再編問題による、近鉄・旧オリックス両球団の消滅というつらい出来事がありました。しかし!16球団拡大にあたって、消滅する球団はゼロ。当然ながら、当時の磯部氏や岩隈選手のような即戦力がすんなりと入団することはあまり期待できないと思います。他球団で世代交代で戦力外通告されたベテラン選手や、伸び悩んでいる若手選手の(言葉は悪いですが)たまり場になってしまう可能性があります。それこそ一時的とはいえ、プロ野球のレベルが下がってしまうのではないかと危惧しています。 (2)独立リーグの立場はどうなるのか? 2004年の球界再編問題をきっかけにして、独立リーグができました。現在は四国アイランドリーグ(2005年発足)、ルートインBCリーグ(2007年発足)が知られています。共通しているのは、プロ野球チームが無い地域で活動していること。四国4県で活動している四国アイランドリーグは今年で12年目を迎えます。BCリーグは新潟、富山といった北陸信越地方で始まりましたが、現在は北関東や福島にもエリアを広げて8球団で活動中です。いずれも3年程度で解散せずに続いているのは、プロ野球球団が無いが故に地元のチームを応援したいという心理もあるかもしれません。 しかし!阪神やオリックスのある関西で旗揚げした関西独立リーグは運営サイドのゴタゴタもあって2013年に活動を停止しました。四国や北信越にNPB加盟のプロ野球球団が発足すると、多くの人たちの注目は当然プロ野球に流れるはずです。独立リーグの立場はどうなるのか、という立場です。 ちなみに自民党の案では、新球団の本拠地について具体的な候補地(静岡、北信越、四国、沖縄)まで出ていました。 私だったら、新潟、静岡、松山、鹿児島がベストかと思います。沖縄県は約140万人と人口が少ないし、他県から遠く離れていて移動が大変だし、選手もファンも運営サイドも様々な意味で不利だと思います。 (3)名乗りを挙げる大企業があるのか? プロ野球球団の運営には数百億円という莫大な資金が必要になります。現行の野球協約によれば、主なプロ野球の新規参加資格として、専用球場を持っていることが求められ、参入に際しては預かり保証金などの名目で30億円が課されることになります。費用節減を迫られている大企業が多い中、ソフトバンク、楽天、DeNAに続く大企業が現れるのか?というのが一番の心配です。 野球の活性化については実に面白いプランだと思いますが、心配する部分を列挙してみました。
Feb 17, 2016
コメント(0)

ここ水上駅は温泉郷への最寄り駅であると同時に、JRでの運行上の境目になる駅です。車両の運行面では、当駅以南が高崎支社、当駅以北が新潟支社の管轄になっています。駅の管理では土合駅までが高崎支社管内ですが、とりあえず大きな節目となる駅なのは間違いありません。 (左)11:40発 普通・長岡行き(115系、8737M列車) (右)11:44発 普通・高崎行き(738M列車) 新潟色の115系が見えてきて、東京人の私にとってはいよいよ異国情緒(?)溢れてくる景色になりました。 長岡行きの方向幕が誇らしげに見えます。 水上から北の区間は、普通列車が1日5往復(冬期は7~8往復)しか走りません(土曜・休日では11:40発の便が加わります)。旅客列車が極端に少なく、逆に貨物列車の本数が多いです。 8737M列車は定刻に水上を出発。左手にSLのための転車台を見ながら、奥利根と呼ばれる閑散地区を進みます。 実に6度目の利根川越え。 上越線は1931年に清水トンネル(9702メートル)が完成したことにより、高崎~長岡間が全通しました。『雪国』(川端康成)の冒頭で「国境の長いトンネル」とは清水トンネル(現・上越線上り線)を指します。しかし1960年代になって輸送力増強による複線化が計画され、下り線用のトンネルとして新清水トンネルが完成しました。 湯檜曽駅上りホームが見えてきました。 下りホームは新清水トンネルに入ってすぐのところにあります。 1967年9月に完成した新清水トンネルは全長13500メートルに及びます。これは在来線用では青函トンネル、北陸トンネルに次ぐ第3位の長さです。 列車は湯檜曽出発から10分以上にわたってトンネルの中を進むことになります。そして湯檜曽出発から4分後。 土合に到着!「日本一のモグラ駅」と称される土合駅は、下りホームと上りホームの高低差が81メートルとかなり大きいことが特徴で、ホームから連絡通路まで462段の階段、さらに連絡通路から改札口まで24段の階段を登る必要があります。結果として電車から降りて改札を出るまで10分ほどかかるそうです。 ここで高崎から一緒だった方とお別れです。 少しホームに降りてみました。9月後半でも残暑が厳しい東京に比べて、トンネルの中ということもあり半袖ではかなり寒かったです。 最早地下シェルターみたいな雰囲気の土合駅でした。 土樽駅に着く直前で新清水トンネルを抜け出し、新潟県に入りました。 越後中里にて。冬季にはスキー場の休憩施設として使用されるスハ43系という旧型客車が設置されています。 越後中里~岩原スキー場前間にて、大きなカーブを曲がります。 12:14、越後湯沢に到着です。ここでもう一つの楽しみ、利き酒を堪能してみます。 (続く)
Feb 16, 2016
コメント(0)

交通の要衝・高崎に到着した私はすぐにホームを移動しました(その1参照)。 10:31発 普通・水上行き(115系、731M列車) 6番のりばから出発です。 車内の乗車率は(目視)110%ほどでした。4両編成の車内は行楽客でいっぱいでした。運よくボックスシートで空席を一つ見つけ、相席をさせていただきました。同じボックスシートの男性2人はともに私と同様の行動派の鉄道ファンの方(一人は学生さん、もう一方はお年を召した方)でした。 新前橋で両毛線と別れ、利根川に沿って群馬の山奥へと進んでいきます。 渋川にて。ここでSLみなかみ号(8735列車)と遭遇!この日はC61-20号機が牽引していました。 渋川~敷島間にて。ここから先は利根川を何度も渡るルートになります。 私事ですが、自分は小学校卒業まで数回、家族で万座温泉へスキー旅行に出かけたことがあります。その際の移動手段として185系による特急・草津号に乗車したことがあります(マイカー移動の回もありました)。草津号利用の際には、吾妻線の万座・鹿沢口まで乗車し、そこからバス(またはタクシー)で万座ハイウェイを40分ほどかけて移動し、万座プリンスホテルで宿泊していました。・・・そのために、かなり山奥のスキー場というイメージが残っています。 要するに渋川から先の上越線は、初乗車の区間。ワクワク感が高まってきました。 敷島駅にて。 上牧駅。終点の水上までもうすぐです。 「特急・急行等の通過列車にご注意下さい」 もうJRで急行は絶滅危惧種です(今年3月26日のダイヤ改正で急行はまなす号廃止により、全廃が確定しました)。 11時35分に水上に到着!ここは群馬県最北端の自治体・みなかみ町の中心駅。水上の温泉郷に出かける人、土合駅目当てなどで越後湯沢方面に出かける人などで1番のりばが賑わいました。 ボックスシートで相席した学生さんとはここでお別れ。私たちは長岡行きが停車している2番のりばに移動しました。 (続く)
Feb 14, 2016
コメント(0)

今回から私の過去旅行記の新シリーズ連載を開始します! 今回の行先は新潟県。「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった」という川端康成の『雪国』を読んで、上越線へのロマンを感じたために行ってみたかっただけです。最初は「越後湯沢で温泉に入って、おいしいお酒を飲んで帰ろうか」という軽い気持ちでしたが、信越線に乗ってみよう、新潟市まで行ってみよう、と話をどんどん大きくしてしまいました。 思えば私が新潟市を訪問するのは8年ぶりのことになります。2007年9月に大学のゼミ合宿で新潟市や巻町を訪問したことがありました(2007年9月21日の日記)が、それ以来となります。 プロローグ 2015年9月。私が勤務する大田区の学習塾では大変な事態が起こっていました。当時の塾長が実家の都合で鹿児島に帰郷するために退職したのです。それからは他校舎から応援があった日もありましたが、実際には応援が一切無く、時間講師のみで校舎を運営する日々が多かったです。中には手違いから保護者様からお叱りを受けたこともありました。 保護者「短い間でしたがお世話になりました」 私「はい、申し訳ございません」 退塾を通告されたやりとりがあった日にはもうショックでした。 私「塾長先生、なんで退職しちゃったんだよ・・・。もう嫌だ・・・」 その後、9月中旬にもなると授業や面談の日程変更など電話応対にも慣れてきましたが、いかんせんストレスの多い状態でした。5連休を迎えるというのに未解決の問題もありました。 それからの現実逃避の気持ちが高ぶっている中で、上越線旅行に乗り出しました。 1日目(2015年9月21日) 最大のネックとなる、水上11:40発の越後湯沢行き(8737M列車)に乗ると決めてから1日目全ての旅程を決めました。その日は朝7時起床。松屋でしっかりと朝食をとり、祖師ヶ谷大蔵から小田急線で新宿に出ました。 新宿8:31発 埼京線 普通・大宮行き(807K列車) この電車で赤羽まで出た後、本格的な列車旅が始まりました。と、ここで私はあることを企みました。 私「今月は気苦労も多かったんだし、ストレス解消も兼ねて高崎まで特急に乗るか!」 仕事をたくさん頑張ったんだから、自分へのご褒美として特急の自由席に乗ることにしました。これで高崎から出る水上行きに間に合うことを狙いました。 9:10発 特急・草津31号 万座・鹿沢口行き(651系、3031M列車) 4番のりばに651系1000番台が到着。私にとっては4年ぶりの651系乗車となりました(2011年GW・いわきへの旅行を参照)。1989年デビューの651系はスーパーひたちに充当されていて、JR東日本の黎明期を代表する特急電車でしたが、後継のE657系登場により撤退。交流機器を撤去した1000番台に改造されて高崎車両センターに転属された後、高崎線特急の草津号やあかぎ号(スワローあかぎ)に充当されるようになりました。 草津温泉への最寄り駅である長野原草津口を経由して、万座温泉(群馬県嬬恋村)への玄関口の万座・鹿沢口まで向かいます。 しかし5連休中ということもあって、自由席は立ち客が出るほどの混雑。結局、高崎までデッキで立っていました。そのデッキも大混雑。何のために特急に乗ったのか分からなくなりました。 草津31号は赤羽出発後、浦和、大宮、上尾、熊谷、高崎の順に停車します。 新町~倉賀野間で烏川を渡ったら高崎はもうすぐです。 10時20分、高崎に到着。ここで上越線の電車に乗り換えます。 (その2に続く)
Feb 13, 2016
コメント(0)

清原和博が覚せい剤使用で逮捕されてから1週間が経過しました(3日の日記)。それから様々な報道がなされ、現役時代から覚せい剤を使用していた疑惑が、巨人時代のチームメイトの証言により浮上しました。 元巨人野村氏「証拠ある」清原容疑者現役時も使用か(11日、日刊スポーツ) 覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された清原和博容疑者(48)と巨人時代に同僚だった元プロ野球選手野村貴仁氏(47)が、清原容疑者が現役時代の1998年時点で覚せい剤を使用していたと証言した。 10日、高知市内の自宅で日刊スポーツの取材に応じたもの。「(使用していた)証拠はある」とも明言した。野村氏は06年10月に同法違反(使用)の疑いで逮捕され、有罪判決を受けている。 昨年10月ごろから蓄えているヒゲをさすり、野村氏は自宅敷地内のゴミをかき分けて姿を現した。身ぶり手ぶりを交えながら口を開いた。その一言目だった。清原容疑者が覚せい剤に手を出した時期について断言した。 「98年ぐらいからやっていた」オリックスの中継ぎ左腕として95、96年のリーグ連覇に貢献した野村氏が、巨人に移籍したのが98年だった。当時プロ13年目で31歳のシーズンだった清原容疑者は、巨人の主砲として116試合に出場し、23本塁打80打点と活躍。4試合連続本塁打を放つなど、球界の顔としてオールスターにも出場していた。 野村氏は「今は無責任なことを言えない。(清原容疑者の)公判が終わったら話す」と、元同僚が覚せい剤に手を出した動機、自身との具体的なやりとりは明言を避けたが、98年時点での使用には自信を持つ。 「証拠はある。僕は野球バカじゃない。今、この家にはないけれど、コピーだったりがある」。 (引用終わり) 野村貴仁氏は「聞いたことある」というレベルでしたが、改めて調べると「がんばろう神戸」の時のオリックス2連覇の立役者の一人。抑え投手として活躍していました。それが・・・彼も引退後に覚せい剤で逮捕され、今は高知県内の自宅でひっそりと暮らしているそうです。野村氏のぼうぼうになったヒゲの姿は、現役時代からは想像もつかないほどの衝撃でした。 さらに、サンケイスポーツの取材では'98年5月の広島戦で3試合連続ホームランを放った際にも、試合前に覚せい剤を使用していたという証言も飛び出しました。当時の巨人は成績不振により、長嶋茂雄監督の進退問題に発展していた時期でした。読売ジャイアンツという名門に移籍し、4番バッターとして期待を受けてきた。重圧に負けたくないから覚せい剤に手を出したという証言も出てきました。・・・本人の立場として、押し潰されそうになる気持ちは分からなくはないですが、もっと他に方法があったのではないのでしょうか? だとしたら・・・、以下私の心の声。 じゃあ、オリックスに移籍してからも薬物やってたの!?交流戦でクルーンからサヨナラホームラン打った試合(2006年5月27日の横浜戦)とか、5時間30分の試合にサヨナラホームランで決着をつけた試合(同年8月29日の西武戦)とか。あの感動させたホームランも、覚せい剤の力によるものだったの!? そうだとしたら、私も応援していた者として大ショックです。こんな形でたくさんの人々を裏切ってほしくなかったです。仰木彬さんが今頃天国で泣いていると思います。
Feb 11, 2016
コメント(0)

出雲大社からスタートした旅は京都駅で終わりました。長く掲載してきた「山陰旅行記」もこれで完結させたいと思います。 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その8.5 その9 その10 その11 その12 その13 その14 12月前半に職場の上司から出雲大社についてのエピソードを聞かされました。それは、上司が出雲大社に参拝した次の年に結婚したエピソードを聞かされました。そういえば出雲大社は縁結びとして著名です。 2014年の私は、恋愛についても大きく苦しんでいました。「同級生が次々と結婚していく、弟には彼女がいるのに自分は昔付き合っていたFさんと破局してからそれっきり・・・」と焦っていました。そこから街コンに参加するようになったものの、成果はなし。2015年に入って私は「一大決心」として婚活サイトに名前を登録しました。月々の会費が1万5000円という破格の値段でしたが、未来への投資としてファッションや美容などにも気を付けてきました。しかし実際には2人の女性とお会いできたものの、初顔合わせで終了。高校の非常勤講師の仕事が終了して収入は半減。季節は夏になり、学習塾では夏期講習に関する仕事で多忙になりました。そこで私は「男の結婚なんて、極論を言えばいつだってできる。今は時期が早すぎただけ。まずは正規雇用を目指して勉強を続けるべき」と考えるようになり、スタッフの方との相談の結果、婚活サイトを退会しました。秋になって出会い系サイトに手を出しましたが、進展は見られず。 今月に入って私は結婚や恋愛について両親に相談しました。「自分は場合によっては、相手と妥協をしながら付き合っていきたい」と発言したことに両親は驚きました。 母親「じゃあ、『いつまでも教員になる夢を追いかけてないで、さっさと何でもいいから定職に就きなさい!』というタイプの女性と付き合い始めたらどうするの?」 私「それは無い!」 母「そういう価値観の人、いっぱいいるよ」 それと同時に母は「まぁ、今は『絶対に結婚しなければいけない』という時代じゃなくなったからね」とも言ってくれました。 この時、私は「恋愛や婚活への覚悟が足りないな」と自覚しました。もし教職に就く夢を諦めるとしたら「俺の人生、何だったの!?」ということになります。コーヒー派か紅茶派か。カレー派か肉じゃが派か。オープンカー派かワンボックスカー派か。両親はそうやって相性を確かめ合っていき、結婚しました。 価値観の擦り合わせが無いまま恋愛・結婚することはお互いにとって不幸になる。一人の方がマシだった・・・にならないように!父は何度かそう教えてくれました。 教職に向けての就職活動、恋愛・・・。どちらも中途半端にやっていると両方失敗すると悟りました。結婚はいつかはしたいけど、今はまだそのタイミングじゃない。私は「一人でやっていたとしても寂しいと思ったことがない」と数年前に悟った通り、まず恋愛ネタは当分の間封印します。そのためにこの日、登録していた出会い系サイトを退会し、非常勤講師の面接のためにとある学校に行きました。 道中、出雲大社は恋愛だけでなく、友達や職場の仲間など多くの大切な人々との縁をつないでくれている・・・そう解釈して参拝しました。 2016年の残り11か月が、私にとって良い出会いの期間になりますように。 何はともあれ、今回もミッション完了!私の未踏の県はこれで6県(高知、佐賀、長崎、熊本、大分、沖縄)にまで減りました。以上、ここまで北条響と共にお送りしました! 最後は私の愚痴や持論になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。 2015年末・山陰旅行記~完~
Feb 7, 2016
コメント(0)

さて、若干戸惑い気味ながら福知山で乗り換えた私(その13参照)は、京都方面行きとなる1番・2番のりばに移動しました。 1番のりばから京都丹後鉄道のディーゼルカー(MF200形)を撮影。 北近畿タンゴ鉄道は巨額の赤字に苦しむ第3セクター鉄道ですが、2015年4月にウィラーエクスプレスの出資で新運営会社・ウィラートレインズが発足し、ブランド名も京都丹後鉄道(丹鉄)に変わりました。当初、ウィラーエクスプレスにはツアーバスだとか「事故が多い」という偏見を持っていた私ですが、丹鉄になってからはKTR8000形をリニューアルして運用するとか積極性が目立っている気がします。 15:43発 特急・はしだて6号 京都行き(289系、5086M列車) 当初乗車予定だったはしだて4号は運休。福知山到着が定刻より50分遅れになったので、必然的に1時間後のはしだて6号に乗車することに。 停車駅は、綾部、園部、亀岡、二条、京都です。 普段は4両編成のはしだて号ですが、この時期は年末の行楽シーズンだったためか増結車が待機していました。増結車が先に1番のりばに入線。貫通扉を開けて連結の準備中です。 続いて基本編成(天橋立14:56発)となる4両編成が到着。 この289系は、北陸新幹線開業以前に特急しらさぎ号に充当された683系2000番台を改造したものです。交流区間に入る必要がなくなったことから直流専用化改造を受け、5両編成の車両は6両(くろしお号)・4両(こうのとり号など)に組み替えられてデビューしました。 (参考)しらさぎ号に充当されていた頃の683系2000番台。2012年12月29日、松任駅(石川県)にて。 さて、福知山駅付近で発生した停電の原因は、福知山~丹波竹田間で架線が切れていたためと判明しました。 この時点で福知山線は依然として福知山~柏原間で不通。その影響で宝塚・大阪方面に向かう特急こうのとり16号・18号が福知山で運転打ち切りになったため、多くの乗客がはしだて6号に乗り込みました。その影響で、指定席での座席調整の車内アナウンスが聞こえました。 結局、福知山を定刻より9分遅れ(15:52)で出発。 4号車(自由席)の車内。大阪方面に向かうはずのお客さんも大勢いました。立ち客が出るほどの大混雑でした。はしだて6号は夕焼けをバックに、京都への鉄路を急ぎます。 その後、車掌さんからアナウンスがありました。要約すると、 こうのとり16号の利用客全員と、こうのとり18号の利用客の中で大阪方面に向かう人を対象に、特急料金払い戻しの案内でした。私の場合は和田山~京都間の700円返金でした。 17:14頃、定刻より8分ほど遅れて京都駅(31番のりば)に到着。福知山出発の際の遅れをほとんど取り戻せませんでした。 ちなみにこの289系は折り返し、特急きのさき13号・豊岡行き(5013M列車)になりました。 早速、精算所で特急料金払い戻しを受けることに。しかし、前で並んでいた中年夫婦の抗議があまりにも激しかったです。 女性「指定席だったんだよ!!駅から乗る予定のバスまでもう出たんだよ!JRはウソつき!!」 ちなみに全部関西弁です(関西弁は大変なので標準語に修正しました)。おそらく福知山駅での指定席での座席調整の結果、座れるはずの席に座れなかったんでしょう。しかし原因は架線トラブルなので駅員さんに怒鳴ってもしょうがないのではと思いました。後味の悪いゴールとなりました。 何はともあれ、京都駅にゴール!! その後、私はとっぷりと陽が暮れた京都の街並みに出て、清水道や八坂神社、四条河原町のマルイをぶらぶら歩いたのでした・・・。ちなみに清水寺はとっくに閉山時刻になっていて参拝できず。しょうがなく(外国人客でにぎわう)夜の八坂神社に参拝したのでした。 すぐに京都駅に戻った後、のぞみ52号(19:36発)で帰京したのでした。 (完結編に続く)
Feb 6, 2016
コメント(0)
日付が変わった瞬間にYahooのニュース速報を見て驚きました。 私がかつてオリックスファンとして応援してきた清原和博氏が、覚せい剤所持で現行犯逮捕されたとのことです。聞いた瞬間、「ウソであってほしい」と思いました。事実だとしたら本当に残念です。 清原容疑者、現役時代の栄光どこへ…覚醒剤所持で現行犯逮捕(3日、スポーツ報知) 警視庁は2日、覚醒剤取締法違反(所持)の疑いで、元プロ野球選手・清原和博容疑者(48)を現行犯逮捕した。警視庁によると、逮捕容疑は2日午後8時48分ごろ、東京都港区東麻布の自宅マンションで覚醒剤0.1グラムを所持していた疑い。清原容疑者は、PL学園高では1年時から4番打者として甲子園を沸かせ、プロ入り後は西武、巨人、オリックスで活躍。2008年に現役を引退し、野球解説者やタレント活動などをしていた。 警視庁によると、清原容疑者は「覚醒剤は私の物に間違いありません」と容疑を認めている。関係者によると、逮捕時は自宅マンションに一人でいたという。警視庁は2日に自宅を家宅捜索した。 清原容疑者をめぐっては、週刊文春の2014年3月13日号で「薬物使用疑惑」が報じられた。昨年8月28日にはフジテレビ系「ダウンタウンなうSP」に出演し、ダウンタウンの浜田雅功から「クスリやってんの?」と聞かれ、「風邪薬は飲みますけど、やってません」と否定していた。 1日に更新した最新の公式ブログでは「似顔絵」と題して「知り合いに 絵を書いてもらった 結構似てる」と記して、野球ボールを持っている似顔絵をアップしている。最近は毎日更新しており、母親と会ったことや墓参りに行ったことなどをつづっていた。 ~今月取材予定も~ 先月11日には名球会のイベントに参加し、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督から「野球人生はこれからだ」と激励され「お世話になった野球界に何らかの形で恩返ししたい」と明かしていたばかり。関係者によると現在、収録済みのテレビ番組はなくCM契約もない。ただ、今月にはプロ野球のキャンプ取材の予定が入っていたという。 (中略) 引退後は、14年9月に妻でモデルの亜希さんとの離婚を発表。現役時代に手術したひざの痛みがひかず、複数の痛み止めの服用を続ける中で、持病の糖尿病は悪化。ろれつが回らず、意識がもうろうとなる姿も目撃されていた。 (引用終わり) 清原といえば2004年オフに「泥水を飲む覚悟」で巨人に残留するも、結局は翌年オフに巨人を自由契約になったことが思い出されます。’05年12月、彼にオリックス移籍のオファーをかけていた仰木彬さんが亡くなりました。 「亡くなった仰木さんのためにも頑張ります」 そういう趣旨の言葉が力強く聞こえました。 現役引退から7年ほど。本当にウソであってほしいです。覚せい剤使用が事実なら、これまで応援してきた多くの人々を裏切ることになって、また多くの人々が離れていくかと思います。
Feb 3, 2016
コメント(0)
今更ながら「Go!プリンセスプリキュア」全体の感想を書かせていただきます。 率直に言います。 夢と、感動と、希望を、ありがとう。 最終話(第50話)で 「夢も絶望も、その両方が私を育ててくれた」 というセリフがありました。夢と絶望は表裏一体。とても良い言葉を聞かせていただきました。 私にとっては10年前に駅員として働いたことが、初めてのアルバイトでした。それから引っ越し屋のバイト、物流倉庫での成功と失敗。そして現在、教育現場での成功と失敗。全ての仕事場を通して味わった、夢と挫折。それらが全て自分の財産になる、と誇りを持てるエンディングでした。春野はるかというキャラには感謝しきれなくなるでしょう。 ここで、お知らせ。2月7日から新シーズン「魔法つかいプリキュア」が始まりますが・・・、 当分の間、プリキュアの視聴を休止します。 興味半分、不安半分という気持ちで私がプリキュアを見始めたのが3年前「ドキドキ!プリキュア」のことでした(2013年2月10日の日記)。当時は何か新しいことに積極的に挑戦したかった時期でしたし、何よりも、ネットの流行に遅れてる気がするという一種の危機感がありました。ネットの世界を楽しく過ごすツールとしてのプリキュアと位置付けていました。 その後、過去作として「ハートキャッチプリキュア」、「スイートプリキュア」を視聴(全話視聴済)。'14年夏からは「Yes!プリキュア5」も視聴し始めましたが、これは第9話あたりで中断したまま現在に至っています。これでとりあえず歴代12作品の内6作品を(一部含めて)視聴したことになりました。4年前の自分では考えられないくらいです。 そういった、所期の目標を達成したことが第一の理由。第二の理由は、私はもうすぐ30歳になるので仕事(生活の安定)にできるだけ専念したいからです。 ということで、「魔法つかいプリキュア」を2月から視聴することは無いと思います。では。
Feb 1, 2016
コメント(0)
全14件 (14件中 1-14件目)
1