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本州の山間を縦断する路線が丸ごと消えることになりました。JR西日本が三江線(三次~江津間)を2018年4月1日をもって廃止することを決め、9月30日に国土交通省広島運輸局に廃止届を提出しました。本州で営業キロが100kmを超える路線の廃止は、史上初となります。 三江線は山陽と山陰を結ぶ連絡路線の一つとして1926年に工事が起工し、1930年に最初の区間が開業。その後、戦争による工事の中断があったものの、1975年に全線が開通しました。 しかしいわゆる陰陽連絡線としては全線開通の時期があまりに遅すぎました。他の路線としては、播但線が1906年に、山口線が1923年、伯備線が1928年に、それぞれ全通しました。すでに陰陽連絡線として定着していました。これに対して三江線が全通したのが1975年。大河・江の川に沿って走るために線形が悪く、しかも自動車の普及が進んでいる世の中で、利用客は当初から低迷していました。 他に廃止の理由として、大規模災害の多発が挙げられます。国鉄時代の1972年には5か月間、1983年には集中豪雨で約2か月間それぞれ不通になりました。JRになってからも2006年と2013年にはいずれも豪雨で長期間不通になりました。 「地域のための鉄道」が一番の理想だと私は思いますが、三江線は地方都市と地方都市を結ぶ路線。沿線は過疎化が進行。大規模自然災害にも対応できない。営業係数はJR西日本管内で最低の数字でした。営業係数は100円の利益を出すのにどれ程の費用が必要かを表した数字です。大阪環状線が58.8に対し、三江線は879.7(いずれも2013年度)。しかも三江線の場合、2008年度の746.1から大幅に悪化しています。詳しくは東洋経済オンライン「JR大赤字線は100円稼ぐのに800円も掛かる」をご参照下さい。 このことからも、JR西日本にとっても上場企業として苦渋の決断だったかと思います。JR西日本は数字だけを見れば不採算路線(越美北線、小浜線、小野田線、木次線など)を多数抱えています。 来年は国鉄民営化から30年です。JR各社は不採算路線の整理について本腰を入れてくるのでは、と考えています。
Sep 30, 2016
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今日は兵庫県の教員採用試験の最終合格発表日でした。結果は・・・、 落ちました。しかも補欠合格にも引っかかりませんでした。 「応援してくれた皆さん、ごめんなさい!」 本番で「失敗したな」と思った時点で嫌な予感がしてなりませんでした(8月20日の日記)。 敗因として考えられるのは・・・、 ・根っからの東京人である私が兵庫県を受験する志望動機の説得力が薄かった。 →私は「兵庫県の充実したキャリア教育に可能性を感じ、受験した」という趣旨の志望動機を伝えました。 面接官「では、東京ではそれほど充実していないのですか?」 私「・・・私の頃には『充実している』と感じたことは無かったので・・・」(趣旨) 比較の根拠が不明確だったかと思います。 ・「不服従」という難しい用語を持ち出し、自らピンチを招いた。 →自滅に近いと思います。 ・関西弁が当たり前の環境で、私の話す標準語が奇妙に聞こえたから? →私は「中途半端な関西弁を使うとみんなに失礼だから、神戸に帰省しても標準語を使う」という信念を持っています。ゆえに関西滞在中はずっと標準語で話していました(模擬授業でも標準語!)。それが神戸人の母に言わせれば癪に障るのだそうです。母は教育実習中、授業中は標準語で、生徒と話す時は関西弁で、と使い分けていたそうです。 まだ、終わったわけではありません。私学適性で良い結果も出ているので、諦めずに就職活動をします。
Sep 28, 2016
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この度、弟とYさんが16日(金曜日・大安)に婚姻届を提出しました。そして今日、箱根の教会で挙式をしました。少なくとも5年数か月間の交際の末の結婚です。 「兄として伝えたいことは多々あります。でも・・・まずは、おめでとうございます」 それと同時に、 「・・・うちの一族の新しい時代が始まったんだな。一区切りついたんだな」 と考えるようになりました。 2人の入籍の話を初めて聞かされたのは5月上旬のことでした。予想されていたとはいえ、軽く驚いてしまいました。 同時に「弟は教員になる夢を諦めた」と聞かされました。大学入学時から塾講師のアルバイトをしてきた彼としては、「教えること」について完全燃焼できたそうです。弟は現在、神奈川県内の某自治体の職員として働いています。定職に就いたことから、当事者としてはいつまでも「友達以上家族未満」という中途半端な状態から脱却したかったのかもしれません。 私が「2人が真剣に付き合っている」と初めて聞かされたのは2011年4月のことでした。私とYさんとの初対面はその年のゴールデンウィーク。実家のバーベキューパーティーに弟が招待したのがきっかけでした。 同時期の私は、初めての彼女が出来た頃でした。でも交際が7か月で終わった私と、ゴールインした弟との違いは何か。それは性格だと思います。 弟の性格について詳しいことは分かりませんが、少なくとも私より友達が多く、社交的なのは確からしいです。弟は小学生時代から同級生を自宅に呼んで、一緒にテレビゲームなどで遊んだことが多かったです。 その一方で私は、自分の意思で友達を自宅に呼んだことがありませんでした。実際、「友達を増やすことに何の意味があるのか」と考えていました。私が元カノのFさんと別れた最大の原因は、約1か月間会えなかったにもかかわらず寂しいと思ったことが無かったからです。Fさんがいなくても成立するんだったら、彼女がいなくても一緒だと結論づけたのです。 私は最近、「自分は軽いアスペルガーではないか」と考えることが多々あります。アスペルガー症候群の主な特徴として「自分のやりたいことに熱中する人が多い」「他人に興味を示さないことが多い」「親しい友達が相対的に少ない」「変にまじめで、冗談や皮肉が分からない人が多い」ことが挙げられます。 やっぱり私と弟は水と油です。 私は最近、納得したような、達観したような、不思議な考えにたどり着きました。アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」第12話を視聴して気づいたことがありました。 これまで「伝説」扱いされているアイドルグループ・μ’sを意識して、さながらμ’sの真似事をしながらアイドル活動をしてきた主人公たち。でも、(いい意味での)μ’sとの決別を描いた第12話を視聴して、私はこれを自分の立場に置き換えて考えてみました。 「自分は・・・、人柄だとか生き方だとかを弟と比べてはいけないんだ。弟の『幸せ』を追いかけてはいけないんだ」 少なくとも弟からは「兄貴に勝つために付き合っている」という趣旨の発言は一言も聞きませんでした。さらに、父からは「少なくとも父方の親族で、Nishikenは弟より負けてるなんて誰も思っていない」と伝えられました。今思うと、その父のアドバイスに、救われた気がします。 「幸せになるということは、単に結婚している人などの背中を追いかけることではなく、自分のやりたいように生きることではないのか」 ・・・何でもかんでも弟のマネをしていたら、私はいつか絶対に(様々な意味で)破たんする気がします。 私は、私の「夢の続き」を見つけます。弟の夢ではなく、自分だけの「夢の続き」を探して走ります。 私は学校の教員になるという夢を一度叶えました。私の「夢の続き」とは、社会科教師(または英語教師)として、日本あるいは世界のあらゆる物事に興味を持ち、例えば「将来、ちょっとローマに行ってみたい」というような興味・関心を持ち、探求心を大切にする生徒を育てていくことです。 とりあえず、本日はお二方、おめでとうございました。
Sep 25, 2016
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私にとって大事な試験が終わった8月28日からの1か月間、とにかく溜まっていたアニメ視聴のためにはっちゃけていました。そこで今年度すっかり忘れられている感がある、今年これまでに放送されたアニメの寸評をランキング発表とともに行います。 2016年のこれまでのアニメ寸評 ☆印の作品は暫定評価です。 (100点満点形式) 98 ラブライブ!サンシャイン!! →ヨハネこと津島善子が推しメンになってしまった私です。 Aqoursのメンバーが東京のイベントに出場した第7話が放映されて数日後、私は教員試験で兵庫県に滞在していました。未知なる世界、大舞台で緊張してしまうメンバーに、自分の姿を重ねてしまったのは無理もないと思いました。 第9話と第12話でグッとくる箇所がありました。第9話では3年生組の3人が持っていた夢とその挫折、そして3人の和解について考えさせられました。わだかまりも解けてスッキリしました。そして第12話、「μ’sの真似事」からの脱却を決意したシーンは、自分のアイデンティティを改めて問うエピソードとなりました。 94 三者三葉 →大富豪から没落し、慎ましい生活を送る西川葉子の生活!同級生に振り回されつつも高校生活を楽しんでいる様子に、安心感を感じる一作。「変わらない日常がまだまだ続く」タイプの最終回も素晴らしかったです。ちなみに、西川葉子は、氷川いおな(プリキュア)にしか見えません。葉山照は6代目三遊亭円楽みたいな腹黒。 91 この美術部には問題がある! →現実での恋愛に目もくれず、二次元の美少女への愛をキャンバスに表現しまくる内巻すばる。第8話で完成した大作を見て素直に「すごい」と感じさせられました。中学生同士のちょっと不器用な人付き合いが生々しくて良かったです。 90 NEW GAME! →ゲーム業界をテーマにした社会人アニメ。涼風青葉(社会人サイド)と彼女の友人・桜ねね(学生サイド)の意識のギャップが分かりやすく、学生時代に「働くこと」を本質的に考えていなかった自分への自戒の念を込めて視聴しました。 90 あんハピ♪ →花小泉杏など不幸な体質の美少女5人が、自分の幸せに向かって努力できることは何かを知ることができました。ギャグ要素が多かったですが割と楽しめました。 88 Re:ゼロから始める異世界生活 →主人公・スバルが「死に戻り」という転生を繰り返した末に自分の無力さを実感した姿(第18話)は特に心に響きました。正解は何なのか、暗中模索しながら憧れの人を助けるための方策を探し出す姿に緊張感を覚えました。 87 ハイスクール・フリート →当初は「はいふり」(仮題)という状態でしたが、第1話終了時での真のタイトル発表には良い意味でぶったまげました。OPの主題歌も相まって好印象でした。各登場人物に感情移入できたところもあります。しかし、物語も終盤になって岬明乃が艦長としての自覚や適性について悩むのは遅すぎではなかったのかと。マインドコントロールしたネズミはどこから来たのか、謎が未解明のまま終わったのは残念でした。 85 甘々と稲妻 →当初は「ただの育児アニメ」かと思いきや、食を通した父親と娘の絆についてきれいに描くものでした。つむぎちゃんの心情がリアリティに表現されており、私も大人としてどう接したらよいか考えさせられました。 83 ばくおん!! →巷で「けいおん!」のパロディと批判されながらも、バイクアニメとしてやりきってくれた感があります。新しい趣味に目覚めさせる可能性を持った一作。 80 ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った? →ネトゲの世界と現実世界での人付き合いについて考えさせようとしたのではと思います。確かにネトゲの技術的な問題などを分かりやすく紹介してくれた一面は良かったと思います。しかし、玉置アコがやや残念キャラだった。もう少し精神的に成長して欲しかったとも思っています。 72 無彩限のファントム・ワールド →じっくりストーリー形式かと思いきや、1話ごとの単品のエピソードが並ぶことが多かったです。その話はその話で楽しめたのですが、エニグマという謎のファントムに立ち向かう!という姿勢がもっと強ければ、より魅力的に見えただけに少し残念。 55 この素晴らしい世界に祝福を! →雨宮天さん演じるアクアがどうしようもないダメな女神。彼女に振り回される主人公・カズマには同情してしまいました。ストーリーも(少なくともアニメ版では)一切説明のないクエストが多く、私は視聴者として置いてけぼりになったように感じました。要するにぶつ切りの印象が強いアニメでした。 ☆50 アンジュ・ヴィエルジュ →まだ最終回まで視聴できてないので暫定評価。主人公たちの日常シーンは入浴ばかり。普段の授業風景や他の星のことをもっと知りたいのに、もどかしいです。 30 少女たちは荒野を目指す →物語の冒頭はかなり期待させられるものだったのに・・・、どうしてこうなった。当初は、黒田紗雪たち「六波羅」のメンバーが自分たちの力で美少女同人ゲームを販売するという崇高な理想を掲げた箇所がかっこよく見えました。しかしその背景には、自己破産した紗雪の兄の借金の問題がありました。それを隠した紗雪はメンバーの夢を食い物にしたと批判されても仕方がないと思います。兄妹揃ってクズでした。 改善するとしたら・・・、 「真剣に打ち込めることを探していた」主人公・文太郎と、「兄の借金返済が目的の」ヒロイン・紗雪が、業界人・細川さんという協力者と出会ってゲーム制作を始めた。当初はバイト程度の感覚で業界に携わっていたが、ゲーム作りの奥深さに魅了されて真剣に取り組んでいく・・・という流れだったら素晴らしかったかも。 (ショートアニメ) 95 大家さんは思春期! →中学生ながら安アパートの大家である里中チエの魅力盛り沢山の一作。特に第4話ではチエちゃんの描写が滑らか過ぎて、惚れてしまいそうでした(完全に重症ですね)。ある意味で究極の形だと思います。 それにしても第7話で部活で豚汁220人分も作るのはやり過ぎ。 (2017年4月29日追記) 80 パンでPeace! →旅行先で視聴した際、カレーパンが気になってしょうがなくなりました。パンへの魅力を再発見させてくれた一作。3分程度のショートアニメなのが少しもったいないと思いました。 65 魔法少女なんてもういいですから。 →主人公と妖精(?)のどちらかというとほのぼの日常系アニメ。この手のジャンルでは定番の、悪の組織と戦う要素が無かったのは少々期待外れで残念。 私がこれまでに視聴した作品の寸評としては以上です。今年はあと3か月あります。これからもリアルの傍ら、アニメ大量視聴にいそしみたいと思います。では。
Sep 22, 2016
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関門トンネルを越えて本州に再上陸。わずか5時間ほどの九州滞在でした(その6参照)。 16:54発 普通・岩国行(3380M列車) 山口県の西端から東端へと走り抜ける鈍行列車。 私はこの列車には乗らず、下関駅周辺を歩いて回ることにしました。思えばこれが、私にとっての山口県初訪問でした。 下関駅のホームに建てられている、詩人・金子みすゞ(山口県出身)の似顔絵。彼女の生まれ故郷である長門市、仙崎方面へ向かう山陰本線の事実上の乗換駅になっています(正式な乗換駅は隣の幡生駅です)。 隣には詩「大漁」の文章が掲げられています。 気動車を改造した観光列車。 当時、下関駅の駅舎は再建中でした。 初めて降り立つ山口県をささやかながら歩いてみます。南口からペデストリアンデッキを歩き続けると・・・。 下関港の国際航路ターミナルへと通じています。 ふ頭では、釜山行きのフェリー(星希・ソンヘ)が出発を待っていました。 関釜フェリーのダイヤ。19:00発で、出発まで1時間半ほどあったのでターミナル内は多くの人でごった返していました。 (続く)
Sep 21, 2016
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東田第一高炉跡の見学を終えた後(その5参照)、私はスペースワールド駅まで徒歩で移動。 八幡製鉄所の規模縮小からしばらく経過した1999年7月、鹿児島本線の線路付け替えが行われました。それまで製鉄所敷地内を大きく南に迂回していたルートを切り替えたため、枝光~八幡間の駅間距離が1km短縮されました。その際、新ルートに設置されたのがスペースワールド駅です。この駅は文字通り、遊休地にできた遊園地「スペースワールド」の最寄り駅として設置されました。建設段階では東田第一高炉が完成した年にちなんで、1901駅という駅名案もあったそうです。 その後、813系による快速・門司港行き(スペースワールド14:44発、4246M列車)に乗車。 小倉、門司を過ぎて電車は終点へ向かいます。 門司港駅に到着。ここは、小倉駅、門司駅と並ぶ九州の玄関口。 門司港駅が駅舎改修工事(2018年完成予定)に入っていたのが少し残念でしたが、駅からしばらく歩くとレトロ調のおしゃれな街並みが見えてきました。 ちょうどお祭り(門司海峡フェスタ)があったためか、大混雑でした。 これは門司港レトロハイマート。分譲マンションですが、最上階にある展望室が特徴。亡くなった黒川紀章氏が設計を務めました。 門司区発祥の焼きカレー!チーズをトッピングしてオーブンで焼いたものです。香ばしくておいしかったです。 海と背後にそびえる山々。神戸を連想させる風景です。 これはブルーウィングもじという歩行者専用跳ね橋。オランダあたりでよく見かけますが、日本で歩行者専用跳ね橋はこれが唯一です。 これは旧門司税関(2007年に経済産業省・近代化産業遺産に指定)。 1912年に完成した2代目の税関庁舎です。1927年に3代目庁舎が完成した後に民間に払い下げられましたが、1945年6月の空襲で被害を受けました。1995年に修復工事が完成して現在の姿になりました。 そろそろ門司港駅へ戻ります。 これは関門連絡船通路跡。1964年に連絡船が廃止されると封鎖されたのではと思います。 (続く)
Sep 15, 2016
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私が今年の教員試験の中でも最重要視してきた私学教員適性検査(8月28日の日記参照)。その結果が返ってきました。 結果。 専門教養 B(前年度C) 教職教養 A(前年度C) 見事ランクアップに成功しました。素直にうれしいです。 この結果だけに満足せず、自分から求人情報をチェックして就職活動を進める次第です。 とりあえず結果報告まで。
Sep 14, 2016
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東田第一高炉の史跡広場には、製鉄関連の様々なものが展示されています。 これはトーピードカー。高炉で作られた銑鉄を構内の様々な工場へ運ぶ役割を持っていました。 1950年頃の八幡地区の地図。八幡製鉄所専用鉄道の地図も書かれています。 ちなみに現在は八幡東区、八幡西区、若松区に跨る洞海湾。高度経済成長期には工場から出された未処理排水や生活排水などにより汚濁が深刻になり、大腸菌すら住めない「死の海」とも呼ばれたそうです。 詳しくは「おやじのつぶやき」さんの「北九州市産業遺跡の旅。その1」をご参照ください。 構内に出入りする貨車や機関車。線路が10本以上あるのが確認できます。いかに大規模な工場だったか想像できるかと思います。 東田第一高炉のミニチュア。 高炉を含む施設の中。ちょっとした博物館になっています。 八幡製鉄所の歴史についての説明板もあります。 完成した銑鉄はこの穴を通して取り出され、トーピードカーで各工場へ運ばれました。 (続く)
Sep 11, 2016
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八幡駅に降り立った私は連絡通路を通って、駅の北口に出ました(その3参照)。 目的地は、東田第一高炉跡。 八幡駅からしばらく東に15分ほど歩きます。遊休地が多いです。 東田第一高炉跡地(史跡広場)に到着!1901という数字が印象的です。 ここは日本史では絶対に外せない八幡製鉄所がスタートした場所です。高炉とは製鉄所のシンボルとなる施設で、鉄鉱石とコークス(石炭を蒸し焼きにしたもの)、石灰石を投入し、火を吹き込むことで溶銑(鉄鋼の大元となる素材)を作り出します。「1901」はこの高炉の火入れが行われた年で、製鉄所の歴史がスタートした年を表しています。 製鉄所ということもあり、金偏にまつわる漢字を紹介するコーナーがありました。 ここで北九州工業地帯、八幡製鉄所について少し長い説明をします。 組織としての八幡製鉄所は1897年6月1日に発足(開庁)しました。前年に帝国議会が下関条約での中国(清)からの賠償金を元手に製鉄所の設置を決定し、後に福岡県八幡村への設置も決定されました。実際に操業が始まったのは1901年。2月5日に東田第一高炉への火入れが行われ、5月から6月にかけて製鋼工場、中形工場、小形工場、鋼板工場などが次々と操業を開始しました。 製鉄所が八幡に設置された一因として、立地上の理由があります。第一に、鉄鉱石を産出する中国からの輸入に便利な場所だから。第二に近くに大規模な炭田があるから。以上の2点が挙げられます。その炭田が筑豊炭田です。現在、製鉄の原料となっている鉄鉱石は昔から通して国産のものは無く、輸入に頼りっぱなしです。鉄鉱石は主にオーストラリア、インド、ブラジルから輸入されています(戦前は中国から、戦後しばらくはマレーシア、インドから輸入していました)。 その一方で国内で賄えたのが石炭と石灰石でした。筑豊地区で石炭の採掘が開始されたのは室町時代だと言われています。明治維新後の産業革命で炭鉱が発展し、八幡製鉄所の発足でさらに生産量が増えました(戦前は最大の採炭地でした)。最終的には筑豊本線沿線、現・平成筑豊鉄道沿線、遠賀川沿岸に多数の炭田が存在していました。特に筑豊本線には貨物専用の支線が多数存在していました。正に、八幡製鉄所を中心とする北九州工業地帯を支える存在でした。 八幡製鉄所は当初、官営製鉄所と呼ばれましたが、1934年には官営製鉄所と5つの民間製鉄会社が合併し、半官半民の日本製鉄株式会社が発足。現在の新日鉄住金が保有する製鉄所の多くはこの日本製鉄時代から歴史が続いています。その後、第2次世界大戦→敗戦→財閥解体となり、日本製鉄は解散。八幡製鉄、富士製鉄など4つの会社に分割されました。その後、八幡製鉄と富士製鉄は再び合流。1970年に新日本製鉄株式会社が発足しました。そして2012年10月には住友金属工業と経営統合して、現在の新日鉄住金株式会社となりました。 所在地となる町も当初は八幡村でしたが、戦後は5市(門司市、小倉市、戸畑市、八幡市、若松市)がどんぐりの背比べのごとく存在するようになりました。1963年2月に5市合併で北九州市が誕生。同年4月に政令指定都市になりましたが、これは三大都市圏以外の地域では初めて、かつ、県庁所在地でない都市では初めてという、初めて尽くしの事例でした。 それに伴い、八幡製鉄所は戸畑区と八幡東区に跨るものとなり、住友金属と経営統合した現在は旧・住金が保有していた小倉製鉄所とも組織を統合しています。 しかし1970年代になり、新日鉄は最新鋭の製鉄所を東京湾沿岸に稼働させました(君津製鉄所)。さらに筑豊炭田も採掘量の減少から次々と閉鎖されました(1976年に最後の鉱山が閉鎖されました)。石炭から石油へのエネルギー革命の中で、この東田第一高炉は1972年に廃止となりました。1979年には八幡東区内の高炉や製鋼工場などが全て廃止となり、多くの遊休地が発生しました。それを象徴するかのように、北九州工業地帯自体の地位も低下しています。鉄道でも宮田線、上山田線など筑豊地区の炭鉱の町に乗り入れていた路線や貨物支線が次々と廃止になりました。 1990年には八幡製鉄所の本部事務所が八幡東区(枝光)から戸畑区に移転(現在、主な高炉は戸畑区にあります)。同年には東田エリアの遊休地を再開発してスペースワールドが開園しました。また、JR鹿児島本線の線路が移設されて路線の営業距離が1km短縮されるという効果も出てきています。 現在の北九州工業地帯は主に若松区で環境保護に力を入れています(エコタウン事業)。若松区には総合環境コンビナート、響リサイクル団地があります。そして筑豊本線の折尾~若松間(非電化区間)では2016年10月に、蓄電式電車である819系(DENCHA)がデビューする予定です。 もう一つの主力事業は自動車産業です。宮若市にはトヨタの、苅田町には日産の工場がそれぞれ存在しています。 以上、八幡製鉄所と北九州工業地帯の簡単な説明でした。 (続く)
Sep 8, 2016
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東京からほぼ休憩なしで、八幡製鉄所の近くの繁華街・黒崎までやってきました(その2参照)。黒崎では福北ゆたか線や筑豊電鉄線、西鉄バスのターミナルへと乗り継ぐことができます。また、地元百貨店の井筒屋が出店しています。そのためか当時の私は、黒崎界隈が北九州市一番の繁華街だと勝手に信じていました。 黒崎駅構内の案内板。国鉄の雰囲気が残っていることを感じさせるものでした。熊本方面という表示が残っていました(2013年5月当時)。九州新幹線全通前のダイヤでは、特急・有明号が小倉~博多~熊本間を結んでいました。 ホームから望む、黒崎駅前の井筒屋。 13:39発 快速・門司港行き(811系、4242M列車。大牟田11:41発) JR黎明期の1989年に登場した811系による快速に乗車。他のJR各社の車両だと、221系、311系、719系などと同世代です。 八幡駅に到着。駅名標のシンボルは当然、八幡製鉄所。 八幡駅前に停車していた西鉄バス。 バスには乗らず、徒歩で東田第一高炉跡まで移動することにします。 (その4へ続く)
Sep 6, 2016
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その1からの続きです。 5年ぶり(当時)の福岡県訪問となりました(詳しくは2008年5月「福岡への1泊旅行」を参照)。でも今回は北九州市からのスタートです。 新幹線から在来線(鹿児島本線)へ乗り継ぎ、八幡製鉄所の周辺に向かいます。 (注)時刻表や列車番号などは2013年5月当時のものです。 JR九州の主要駅・駅名標の大きな特徴は、地域のシンボルといえる存在が描かれていることです。小倉駅は小倉祇園太鼓です。 (正面)13:11発 快速・荒尾行き(813系。4245M列車) 6番のりば (左) 13:09発 特急ソニック23号・大分行き(883系。3023M列車) 7番のりば JR九州のコーポレートカラーである赤に塗装された姿が印象的、813系(R236編成が先頭。何両編成かは失念)の快速に乗車します。 この快速は小倉から荒尾(熊本県)まで約140kmを走る長距離ランナー。快速の停車駅は西小倉、戸畑、スペースワールド、八幡、黒崎、折尾、赤間、東郷、福間、古賀、福工大前、香椎、千早、吉塚、博多の順に停車します。 (奥) 13:10発 普通・下関行き(415系。5170M列車) 2番のりば 関門海峡をトンネルで越えて本州に向かう列車は、小倉始発が多めです。 さて、快速(4245M列車)は定刻に小倉を出発。途中、八幡製鉄所専用鉄道の線路をアンダーパスしながら西に向かいます。北九州市は東西に広い市であるからか、面積が非常に広く感じました。 17分ほどで黒崎に到着。駅名標のシンボルマークは黒崎祇園山笠。 ここは北九州市の西部、八幡西区の中心地。小倉に次ぐ副都心の様相を呈しています。福北ゆたか線、筑豊電鉄線(いずれも直方方面)との乗り換えもできます。 13:31発 福北ゆたか線 快速・博多行き(817系) 4番のりば JR福北ゆたか線は、関東でいうところの湘南新宿ラインのような存在。かつて筑豊炭田で栄えた直方市、飯塚市を経由して博多駅まで向かいます。筑豊本線、篠栗線が2001年に電化され、気動車や客車列車に代わって電車が走るようになりました。 黒崎駅の1番・2番のりばには、自由席特急券の券売機が設置されていました。私鉄で有料特急に乗るのと同様の感覚で利用してほしいというものでしょうか。 福岡県の2つの政令指定都市である福岡市と北九州市。その二大都市を結ぶ交通手段には様々なものがあります。新幹線(JR西日本)、鹿児島本線(JR九州)、西鉄の高速バスが挙げられます。JR九州の場合、小倉~博多間には特急きらめき号、ソニック号が毎時2~3本運転されています。 駅ホームで遅い昼食としてうどんを食べました。 (その3に続く)
Sep 4, 2016
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私が幼少期によく見ていたアイドルが亡くなっていたことが分かりました。まだ33歳だったと聞き、さらにショッキングな気持ちになりました。 元子役・平田実音さん死去、33歳「ひとりでできるもん!」初代・舞ちゃん役(9月1日、スポーツニッポン) NHK教育テレビ「ひとりでできるもん!」で初代・舞ちゃん役を務めた元子役の平田実音さんが肝不全のため、8月5日に亡くなっていたことが9月1日に分かった。33歳だった。 かつて平田さんと番組制作に携わった芸能事務所「ゲンプランニング」の代表取締役・加藤元氏によると、平田さんは以前から体調を崩しており、入退院を繰り返していたが、8月5日に帰らぬ人になった。通夜、葬儀は関係者のみで執り行われた。加藤氏は「子どもたちのアイドルとして夢を与えた功績を称えてあげたい」と話した。 平田さんは1983年6月1日生まれ。91年に「ひとりでできるもん!」で初代・舞ちゃん役を担当し、ゲストとして「NHK紅白歌合戦」にも出演した。98、99年には「ひとりでできるもん!」にお姉さん役として再出演。2000年には「みんなの広場だ!わんパーク」(NHK教育テレビ)にミーオ役で出演し司会進行を務めた。加藤氏によると既に芸能界は引退していた。 (引用終わり) このニュースを聞いて、昭和どころか平成初期(1990年代)が遠くに去っていった気がしました。 平田実音さんが主人公の舞ちゃん役で出演していたのは1991年~’93年度までのこと。ちょうど私の小学校入学の時期と重なります。大のテレビっ子だった当時の私。「親近感を感じさせるお姉さん」という感覚で舞ちゃん(当時10歳前後)を見ていました。 思えばこの番組で、ビタミンA、ビタミンCなど栄養素を覚えたこともありました。フランス料理のマナー(食器の使い方、楽しみ方など)を学んだこともありました。 何らかの形で夢中にさせてくれた舞ちゃん、私たちを楽しませてくれてありがとうございました。ご冥福をお祈りします。 同じくNHK教育テレビの「英語であそぼ」の第3シリーズ(’95年~’97年度)のレギュラーを務めていた羽生未来さん(司会のお姉さん役)、ジェリー伊藤さん(おじいちゃん役)はいずれも亡くなられています。 自分が幼稚園~小学校時代を過ごした平成初期(’90年代)には当たり前だったものが、次々と姿を消しています。こんなこと書くのは反則かもしれませんが、実に寂しいです。 平成はもう28年も経っています。20年前と今とでは当然、まったく違います。現実を受け入れて生活するしかないですね。
Sep 2, 2016
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今年(2016年)10月、両親が広島旅行に出かけることになりました。特に母はかねてから原爆ドームや平和資料館に行ってみたいと強く願っていました。「広島や沖縄に行ったことがないなんて(日本人として)恥ずかしい」という責任感のようなものがありました。 そういえば今年は何気に広島に注目が集まっています。5月にはアメリカのオバマ大統領が現職大統領として初めて広島の原爆ドームと平和資料館を訪問しました。スポーツでは広島カープに優勝マジックが点灯。25年ぶりの優勝がいよいよ現実味を帯びてきました。 その空前の「広島ブーム」の中、私が広島に出かけた際の思い出を語ることにします。 2013年4月。私は学習塾(今の会社)で働き始めました。生徒との接し方、授業展開など最初は分からないことだらけでマニュアルを読まないと気が済まない時期でした。この年のゴールデンウィークになり、「自分へのご褒美」と言わんばかりに私は突発的に新幹線で遠くへ行ってみたくなりました。 私「いっそのこと、(財布の許す限り)のぞみ号でどこまで行けるか試してみようかなぁ・・・」 これが全ての発端でした。 2013年5月3日、金曜日(1日目) 新横浜 8:29発 のぞみ15号 博多行き(N700系) よく晴れたゴールデンウィーク後半戦の初日。私は新横浜駅にいました。なぜか「九州に行ってみたい!」という願望が強く生じました。そこで張り切って、新横浜~小倉間の自由席特急券を購入。 いつものように3号車に乗車。だが・・・、 客席は満員。デッキもぎゅうぎゅう詰め。デッキで2時間半ほどずっと立ったままで移動しました。そういえば大型連休に新幹線自由席を利用するのはおそらく初めてだったと思います。 「覚悟はしてたけど、これはきついなぁ・・・」 結局、3号車の座席に座れたのは新神戸を出発した後でした。ちなみに広島出発後は自由席はスカスカになっていました。やはり西に行けば行くほど引き続き利用する人は少なくなるようです。 途中、車内販売で熊本のからしレンコンをイメージしたスナックを購入。からしの味が効いていて、少し辛かったです。 新横浜出発から4時間半経過して・・・。 12時57分に九州の玄関口、小倉に到着。 当時、私にとっては5年ぶりの九州。新幹線での上陸は初めての経験でした。 13:04発 こだま735号 博多南行き(700系レールスター。岡山10:05発) 久しぶりのレールスターを撮影した後は取りあえず改札口に向かいます。 2013年は北九州市発足50周年という記念すべき年でした。1963年、門司市(貿易港の町)、小倉市(小笠原家の城下町)、戸畑市(住宅街)、八幡市(八幡製鉄所の企業城下町)、若松市(筑豊炭田の外港)という5つの市が合併して北九州市が発足しました。発足から約15年間は九州最多の人口を誇ってきました。1978年に福岡市に抜かれ、21世紀になってからは人口減少、100万人割れという暗い事情もありますが、それでも門司港レトロ、平尾台鍾乳洞、スペースワールドなど観光資源が満載の九州第二の大都市となっています。 そんな北九州市到着から、私の旅が始まりました。 (その2に続く)
Sep 1, 2016
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