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お風呂を映すのはやめたつもりでしたが、入浴剤というのは思っているよりもたくさんあって、癒しの時間としてやっぱり楽しいのです。同じものはできる限り続けずに入っています!緑色に少し青色が混ざったような濃厚なバスソルト(海塩)に、強炭酸タブレットを別に入れて入るENER-G BATH GREENです。香りはリフレッシュエナジーという独特の癖が強いものです笑昭和の飴玉や清涼飲料を思い出すような懐かしい香り。バスソルトがまだ溶ける前の写真で、溶けるとさらに濃い色になります。その少し右に強炭酸タブレットを入れたところで泡立っています。初めて使った時はどうなることかとドキドキしました。実際に疲れが取れたかどうかはわかりませんが、あったまるなぁと感じ、リフレッシュした気分になれ、「お風呂でチャージ」感はありました!ただ、好みは分かれるところかもしれません。入浴剤は回転率が早いので、常に次を物色中です!
2023.03.31
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「レコード芸術」誌が7月からの休刊を発表しました。中学から大学に入ってから暫くまで毎月読んでいました。レコード評では2人の批評家が講評と推薦かどうかを記します。2人共が推薦すると特選盤として讃えられます。特選盤を毎月チェックして好き嫌いに関わらず記録し、次に買いたいレコードをノートにしていましたが、特選盤が毎月何枚も出るわけですから買い切れるわけもなく、買いたいものがどんどん増えていって20歳くらいでやめました。この時に、演奏をどのように褒め評するかを学びました。着眼点や表現としてはたいへん勉強になりました。ただ、自分が好きな演奏は推薦されることがほぼなく、何が足りないのかという疑問と評論家の趣味も知りました。「レコード芸術」の「レコード」は記録という意味ではなく、SPやLPレコードの意味でしょうから世の中はCDに変わり、今やCDも廃れデータを聴いたりレコードが再版される時代となり、むしろレコード芸術という名前でよく今日まで続いたと思います。雑誌のレビューをクラシックファンの多くが信用した時代、特選盤が名演だと信じましたが今は趣味も多様化しました。若かった頃に推奨された演奏を懐かしがるのは中高年だけで、今では馴染みのない演奏家やオーケストラのほうが主流です。結果的には新譜レコードの宣伝情報誌のような意味しかなく、演奏家や団体がレコード芸術誌で紹介されることに意義を感じ、そこで爆発的にその録音物が売れるかと言うとそれほどでもなく、海外で定評のある演奏家や団体がそのまま紹介されています。音楽評論家とは何者なのか?人によって差があり過ぎます。昔大好きだったレコードジャケットのライナーノートを読み返すと、わかりにくく拙い文章表現があり参考にならないこともあります。あくまで文献を集めてまとめた机上で考えられた評論です。殆どが楽譜や演奏、制作過程を踏まえたレビューではないため、情報収集の結果による価値観を言っているわけですから、一般聴衆が好むかどうかは別だと言えます。例えば、日本のオーケストラを振りに来日する指揮者は、レコード芸術誌でよく推薦される指揮者とは限りません。自分が好きだった指揮者は全く推薦されませんでしたが、NHK交響楽団ほか日本のオーケストラにはよく来日しました。ロシアや東欧諸国のオーケストラは個人主義的なプレーが目立ち、協調性の意味で好感されませんでしたがファンは多い筈です。結果として、整然とした演奏が高く評価されますが、それだけであればAIでも評価・評論できると思います。クラシックの演奏もカラオケのように採点できてしまいます。芸術的な視点がどこにあるのか再度考えるべき時なのです。音楽に限らず伝統的に積み上げられてきた美学が危うい時代です。メディアで演出家や放送作家がゲストとして話す機会を見ますが、気持ちだけで何を話しているのか視聴者に伝わらないことが多いです。専門家なのですから、自分に対する演出や台本も考えるべきです。最近作曲家が自作の解説でどんな気持ちを表現したかを言いますが、実はその気持ちをどのように音に置き換えたのかという解説が必要で、一般にイメージを限定して曲を聴くことはなく聴き手の自由なのです。音自体の説明ができない作曲家は本物ではないと思います。
2023.03.30
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クラシック音楽をたくさん聴くとさまざまな音楽形態に遭遇し、「好きな曲は?」と聞かれても答に困ることが多いです。それぞれの曲で違った感動があり、違った良さがあり、その時の心境や関心で聴きたい曲が変わります。最近、音楽や演劇の有名人が「かっこいいところを見せる」「感動をを与えたい」と言っているのを見かけます。ただそう聞いても自分はかっこいいとは思わないだろうし、感動もしないだろうと冷ややかに見てしまうことがあります。SNSなどで「かっこいい!」とか「感動した!」声が届くために、そのようなファンへの言葉として言うのでしょう。また、有名人からそのような言葉を引き出したいメディア側の、ルーティーンな誘導尋問への模範回答なのだと思います。若い頃、どんな曲を作っても「聴いた人を感動させたい」などと言った日には「人はそんな簡単に感動しない」「いいかどうかはお客(視聴者)の決めることだ」など、皆が同じ感性と決めつけることを嗜められたことがあります。今でも良いと思うかどうかはお客様が決めることで、売り手が自分から「これはいい」と吹聴するのは憚れたり、自惚れと受け止められるような話は慎むべきと考えられ、日本的な謙虚さ、ストイックさを佳しとする文化は多いです。「かっこいいでしょ」「感動したでしょ」と発言できるのは、有名人の特権とも言え皆がSNSの中で真似をし始めました。どのようなスポーツでも昔はガッツポーズをしなかったことは、勝負に優ったとしても礼儀や精神性を重んじたのだと思います。WBCの確かポーランド戦に日本が勝利した後の、栗山監督への勝利インタビューの最中に、大谷選手がポーランドの選手と記念撮影したために、観衆がそちらに惹かれインタビューを監督自ら中断しました。この出来事はその後どこにも記事として触れられていません。昔ならば勝利者インタビューという誇らしいセレモニー中に、無視して記念撮影をするなど失礼千万と言われたかもしれず、大谷選手の一挙手一投足を美麗化するメディアも触れません。しかし、これは海外で生活する大谷選手ならではの配慮です。日本語でインタビューしても対戦相手のポーランドには通じず、意味のわからないセレモニーに敗戦チームはすることがなく、その状況を察することができる大谷選手だからこその気遣いです。インタビューとは答を想定した誘導尋問です。秒単位で時間に収めようとするテレビでは仕方ないのでしょう。しかし、誰もが予想のつく答を改めて話していることが大部分で、想定外のことを答えると記事として抜かれる可能性もあります。よくある例:「意気込みを聞かせてください!」の質問に、「勝つことだけを意識して臨みます!」「金メダルを目指します」などが想定回答で、嫌が上にも日本を背負っている感が出ます。これを回避する答が「楽しみたいと思います」などです。大谷選手はあまりにも注目され過ぎ話題をつくられ過ぎています。もはやメディアの欲しい要求に応えることが大きな仕事で、周りのつくるヒーロー像に応える演者のようになっています。だからこそインタビューに関心が薄いのかもしれません。また、負けたポーランドチームに配慮する優しさこそが想定外で、本当の大谷選手らしい振舞いであったように思います。テレビはその様子を一瞬も映さず記事になりませんでしたが、この優しさこそ逆にメディアに求めたい気がします。
2023.03.28
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今年は例年より早く桜が咲きました。品種によっても異なりますが、日照、角度、近さでも違います。1本1本、味のある佇まいを見せていて、その下での宴、風が吹き、花びらが舞い散る中でのひとときは風情があります。現代では一面が桜で埋め尽くされた圧巻の景色がよく見られます。全景として見る桜は冬のクリスマス・イルミネーション対して、春到来の世界観に満たされ清々しさに心が洗われます。1年で10日から2週間くらいのイヴェントを皆が心待ちです。桜の気持ちを考えてみました。桜の木は1本1本がそれぞれ異なり、束の間に咲かせる花をもっと見てもらいたい?かもしれず笑群生させている場所ならなおさらです。咲き遅れるわけにもいかず、皆が一斉に咲かせることに意味が出ます。多くの桜の中で特に個性的な花を咲かせたり、目立ってしまったら…管理者は取り除こうとするかもしれません。その取り除かれた木の行く末はどうなるでしょうか?その個性的な木を誰が鑑定するかによって異なります。その木のルーツや変異が希少で価値があるのかどうか、そこまで詳しく探れる専門家が鑑定すれば、その木の行く末はもっととてもいい場所かもしれません。とても美しいのに誰も見ぬ間に花を散らしてしまう桜もあるでしょう。たくさん群生していると良さが埋もれることもあるでしょう。花を咲かせている間によき理解者に出会えるかどうかが大きく、環境やタイミング、出会いが一生における最大のポイントです。花の美しさで価値が決まる桜は、たいていは皆美しいですが、それぞれを細かく見ること、人のように内面までわかれば、見どころは他にもたくさんあるはずです。しかし、管理者の見識や経営方針で運命が決まってしまいます。運命を幸せと感じるか不幸せと感じるかはそれぞれでしょう。世の中は抗えない運命や埋められない格差(育て方)ばかりです。境遇や出会い、経験は選べませんから幸運を祈るしかありません。できることは楽観的な心持ちと希望を諦めないことです。
2023.03.25
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テレビで昭和を回顧し令和と比較する番組が増えました。懐かしむことがあれば昭和はこんなに酷かったとして、昭和をまったく知らない世代に今の素晴らしさを諭し、あたかも見違える進化を遂げてきたように感じられます。果たして、本当に令和は遥かによい時代になったのか?テクノロジーの発達、システムの構築という意味では、時と共に凄まじいまでの発展があったと考えられます。問題にすべきは目に見えない意識の部分だと思います。昭和とひと口に言っても戦前・戦後と60年以上です。何かにつけ制限を受けまさに生き抜いた時代ですから、今の平和にあぐらをかいたゆるさは思い当たりません。また今の便利さがなく不自由が当たり前の時代でした。例えばとてつもなく綺麗な字の長文の手紙が届いたり、1時間も話せば1万円もかかる国際通話が昭和です。どこでも喫煙が許されました。コンビニやファストフード店は昭和の終わり頃です。海外では日本の昭和を彷彿とさせる国があると思います。24時間開いているお店がなくとも風情を感じるはずです。環境に順応することができれば不自由は感じません。便利だから幸せかどうかと言えばそれはNOなのです。昭和にはあったけれども令和になくなったもの。お金があっても一人では困ることがあった昭和では、義理人情、近所付合い、理想を目指す美学がありました。令和は建前上は何でも認めるダイバーシティの時代となりました。令和における、人との接触をしなくても生きていく趣味、これは誰が好んでこうなったのか知りたい気がします。日本人はお花見で象徴される桜のように、健気で美しく、謙虚で優しく、他を重んじる精神がありました。外国人が日本や日本人のことをどう見ているかも話題ですが、日本に来ている外国人は日本を好きだから来ていると考えられ、どのような対象の外国人にどのような質問をしているのか?良い感想ばかりではないはずですからそこも言うべきです。「海外の人が感嘆する日本の考え方・言葉10選」という記事があり、そこに挙げられているものは、〈今では一般の日常では殆ど感じられない考え方である〉「侘び寂び」〈今では日本でない国でも重んじられている考え方である〉「もったいない」「生きがい」「改善」「和」「木漏れ日」〈今では昔よりも殆ど減ってしまった考え方である〉「おもてなし」「桜梅桃李」「思いやり」どこの国の人に聞いたかによって回答は全く異なるだろうし、昔の日本の面影を感じさせる言葉ばかりなのが注目です。結果的に古の日本を感じさせる場所が人気なのはわかります。しかし、今ではなく古の日本を憧れていることになります。昭和から令和に至る間に失われたもの、失なわれつつあるもの、本来そうあるべきではなかったことがたくさんあるのです。子供の頃に思い描いた未来の世の中がこんなはずではなかった、こんな世界になるとは思わず、失望する中高年が増えないか?では、今後の世界はよくなるのか?と言えばそうも思えず、建前上は大切にされている若者の未来も明るいとも思えません。世界に勝るのが好きな日本は本来の良さも捨ててしまった結果、結局外国人からは今よりも古の日本に憧れられているのです。
2023.03.21
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テレビをつければWBCの日本チームの話、と思われるくらいどのチャンネルでも報じています。しかも、1球1球の情報や心理など事細かで、ここまで内容に踏み込んで解説する競技としてダントツです。例えば将棋の藤井聡太五冠について勝敗は伝えても、将棋の内容は優勢だったか劣勢だったか程度であとは食事、それに比べるとWBCの報道は野球を知らなくてもわかり、誰しもの共通の話題になるまでに伝えています。これと同じようなことは定期的に起こります。つい最近まで新型コロナウイルスの話題もそうでした。今はWBC一色のテレビ朝日に比べて、日本テレビは今だに都の1日の感染者数を速報で流します。マスク着用の義務がなくなり第5類になろうとしている今、日々の感染者数の細かな増減を聞いてどう対処するのか?「感染予防効果のないマスク 神話はいつ終わるのか?」そんな記事を見つけ共感するものの自由はないと感じました。マスクの正しい着用が難しいことは実感できます。花粉症でマスクをしていてもくしゃみが出ます。マスクよりも感染そのものは個人差によって異なり、経験では抵抗力が弱っている時に発症すると感じます。若い頃から滅多に風邪をひかないタイプでしたが、コンサートの打ち上げ後に限って風邪をひいていました。明らかに疲れていて気が緩んだ時です。また、人との接触機会が多ければリスクが高いです。記事の中でマスクを外せない理由として3つ挙げられています。まず、マスクに感染防止効果はないので外しても変わらない。換気がもっとも有効で、空気の流れを止めるどこにでもある、アクリル板やビニルシートはリスクを増やすと書いてあります。次に同調圧力で「マスクは自分を守り、感染弱者を守る」と信じ、マスクをしない人は非社会的な人間だと思うと。3番目は責任問題で、学校や施設でマスクを外して、もし感染が発生したら責任問題になるとのことで然りです。問題は、マスク神話を信じる人がいる限り皆が外せないことで、「マスクをしない人が自分に感染させることを恐れる」件です。「自分の健康を守るために他者の自由を認める余地はない」これでは皆がマスクは外せないので、逆の同調圧力が必要です。一斉にマスクを外す大号令を国がするべきと言いますが、不安扇動と同調圧力が伴って皆がワクチンを打ったわけで、今更マスクは効果がないという理論は全てを否定します。また世界にマスクを広めたのですから体裁上も否定できません。日本のメディアは、WBC日本チームは最強で大谷翔平選手は格別、優勝の期待は国民に広がり、もし負けても讃えられるでしょう。強くて格別なのはここまでやらなくてもわかると思いますが、何をしても美談として神格化するのは洗脳のように感じます。テレビでは視聴者に一般的なニュースの情報選択の自由が少なく、伝える側の意思が一方的に選んできたものを見ています。各局が一斉に伝える分量が多ければ少なからず影響を受けます。逆に一切見ないとなれば世の中との意識差が出てしまいます。そのために、コロナ感染がとても怖いので感染したくない、そのためにマスクを必要とする考えを今更変えらない人に対して、変な目で見られないためにマスクをする連鎖は止められません。同調圧力が人を支配する社会には抵抗し意思を持つべきです。チャットGPTによる〈同調圧力の影響力〉の回答:同調圧力は、個人の意思決定や行動に影響を与えることがありますが、必ずしも人を支配するものではありません。同調圧力が強い場合、個人は周りの意見や行動に合わせることがありますが、その影響は個人によって異なります。同調圧力に屈してしまう人もいれば、自分の意見や行動を貫くことができる人もいます。また、同調圧力が支配的である場合でも、人が支配されることはありません。個人は自分自身の判断を下し、行動を選択することができます。同調圧力に従うか否かは、個人の自由意志によって決定されます。しかし、同調圧力が強い場合には、自分自身の判断を下すことが困難になることがあります。その場合は、個人の判断力を養い、自分自身の意見や価値観を確立することが重要です。チャットGPTによる〈マスクを外さない理由〉の回答:マスク着用が個人の判断に委ねられたとしても、周りの人々がマスクを着用している場合、同調圧力や社会規範の影響を受けて、自然とマスクを着用する人が多くなることがあります。また、マスク着用が感染症の拡大を防止するために必要であるという科学的根拠が示されていることも影響していると考えられます。政府や専門家がマスク着用の重要性を訴え、メディアで報道されることで、マスク着用が社会的な義務や責任として浸透し、多くの人が着用するようになったと考えられます。ただし、マスク着用に関する意見や行動には、個人差があります。例えば、マスク着用によって呼吸困難を引き起こす場合や、その他の理由で着用できない場合もあります。また、マスク着用に対して反発心を持っている人もいます。総じて言えることは、マスク着用の普及は個人の判断だけでなく、科学的な根拠や社会的な圧力など多様な要因によって影響を受けているということです。
2023.03.19
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1人でも行ける、よく行くリーズナブルなお店の紹介です。1軒目はやきとり工房。ここのやきとりがとてもリーズナブルなのは有名?かもしれませんが、他の一品料理も個性的です。やきとり屋さんなのにチリコンカンとかもあって、チェーン店のこのお店でなぜメニューに入れたのか?もつ煮込みなど定番的なメニューもある中、馬刺しも掘り出し物でした。2軒目は、創作うどんと釜飯専門のお出しうどん・かかや珍しい食材とうどんを合わせたユニークな名前のメニューが並びます。写真・奥は生麩の揚げ出しみぞれうどんで名前から美味しそうです。写真・手前は飲み疲れたあとでもさっぱり食せる梅豚うどんです。3軒目は中生スーパードライが税抜200円を切るのが魅力、ここでしか食べられないやきとりの数々、三代目鳥メロです。定番の軟骨串、ポテトフライ。お腹いっぱい飲み食いしてもぜんぜん高くありません。
2023.03.14
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3月13日からマスク着用は個人の判断に委ねられます。しかし、街頭アンケートや報道がやたら多いです。個人の判断と言っているのに他人の影響を与えようとする、同調圧力ではないのか気になります。マスク業者など影響を大きく受ける人への告知はわかります。マスクを外すことによって感染者が増えるかもしれません。そんなことは想定済みであって、それよりも外す意義を言うべきでしょう。相対する意見がある場合に、一方のデメリットを言うのは、その意見に反対しているからです。もう一方のデメリットも言わなければ公平な比較にならず、すでに決まったことに対して足を引っ張るのは下衆ですよ。「自分の顔にコンプレックスがあるからマスクを外せない」これまで友人にマスクなしの顔を見せたことがない高校生の、マスク解禁が怖いと言う朝日新聞デジタルの記事です。さまざまな人がいることは理解しますが他人は助言できません。動画投稿サイトで再生回数を伸ばしたい人がたくさんいます。回転寿司店で愚行に及ぶ若者が制裁を受けるのは当然ですが、被害者の回転寿司屋さんも防ぐための設備投資をしました。そうでもしなければ治まりがつかなくなってしまいました。特殊詐欺の令和3年だけの検挙数は6,600件、2,370人詐欺に遭う人は令和3年だけで認知件数が14,498件、被害額は282億円(1日あたり7,730万円)ということで、これこそ被害の実体験動画を紹介できるといいと思います。「被害に遭わないように注意しましょう」とは言いますが、被害に遭った人は臆せず声をあげたほうがいいと思います。身近に起こりそうなことには賛否の声をあげますが、悪質な犯罪にこそ他人事にしてはいけないと思います。高齢者が被害に遭うことが多いのは確かかもしれませんが、数的に高齢者が狙われているからであって確率の問題です。被害者を減らすのではなく犯罪を減らすことが求められていて、社会や経済に病んでしまう環境を失くすようリードすべきです。人生がうまくいっているのは努力や実力ではなく概ね運です。いつどこでどのような環境かだけで決まることは多いです。他人の意見が自分にも当てはまるかどうかは逐一考え、同調圧力を受けても人は皆違うのだと考えたほうがいいです。うまくいっている時こそ弱者を気にかけるべきなのでしょう。政治家やメディアの物言いはその意味で象徴的だと思います。マスク着用が個人の判断になることは人との関わりを考えさせ、個人の考えを表明する機会ですから余計なお節介は要りません。他の人がどうしているかではなく、各自が判断しますから!
2023.03.13
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多様性がもたらす社会は本当にいいのか?いろいろなものがあって選べる幅はとても広く、「どれも素晴らしい」などと言われますが、ある程度淘汰されなければ社会の質は下がると思います。以前に慰問演奏に呼ばれて行った時に、会場にあるピアノの調律が決まって酷いことが多く、演奏する側としては苦痛の1時間になったりしました。それでもいる人が皆、口を揃えて良かったと言います。特別支援学校から演奏依頼を受けた時、そこの先生方はこどもたちがノリよく踊り出すのがよく、静かに聴いているのでは盛り上がっていないと言います。クラシックよりも他のジャンルでいいのではないでしょうか。初心者でも親しみやすい選曲や説明をすることは良いですが、聴衆にはいろいろな人がいて音楽に疎いとは限りません。楽器を嗜む人やクラシック音楽に惹かれる人が以前より増え、教える人も増え生徒をたくさん増やしたいと考えています。ちびっ子や初心者には教え方も決まっていて教えやすく、やり始めて早々にやりたい曲をやらせる風潮になりました。ただ、憧れる曲のレヴェルは概して高く演奏が難しいために、易しく演奏できるように編曲された楽譜が出回ったり、同じ楽器同士でアンサンブルをして楽しむようになりました。これらは先生と生徒の都合の良さから考えられたことです。先生や生徒に高度な音楽理論や知識を必要とせず、練習に関わる負担が少ない曲が好まれます。反面、不協和音程、音程が合わせにくいユニゾンが好まれず、結果として音楽的内容が平易で芸術性が損なわれる気がします。深さやシリアスさが音楽に欠けているのが今の特徴です。一般的に演奏されやすい曲と現代音楽との溝は深まるばかりで、クラシックの音楽史における近代以降の内容が欠落しています。その挙句にジャンルを超えたポップなクラシックが増えました。TVではクラシックをポップにしたアレンジ、無理のある編成、陳腐な編曲、情報番組のVTR裏で流れる不必要な音楽などが、NHK-FMでは昔と変わらぬクラシック番組が高視聴率を有し、同じ時代に流れる音楽でこれほど違うのかと実感させられます。誰が監修するかによって内容が全く異なるのが多様性ですが、聴き漁ってみても自分にとって新鮮な音楽は見当たりません。これまで勉強してきたこと、目指してきたこととは大きく異なり、今の時代の音楽に魅力が感じられず未来が案じられます。演奏において昔のレコードにある演奏と今の何が違うのか?はっきり言えるのは今は早く譜面を読め技術が向上しましたが、表現に個性よりも予定調和を第一に求めていると言うことです。短時間に卒なく安全に合わせられることが優先されています。速度や強弱の変化から瞬間的に起こる緊張感が少なく、常に安定した演技のようで新鮮さやリアルさが感じられず、台本と演技で固められた格闘技を観ているかのようです。スリリングな呼応と応酬の結果が調和であって欲しいのです。今の演奏よりも昔の演奏が個性的だと好まれるのは確かです。結果的に調和していない演奏もあった1900年代半ばの指揮者、「フルトヴェングラー」の良さは何かと、チャットGPT(AI)に訊たところ長文が返されてきました。要点は次の2点です。・音楽的解釈に深い感情的な共感を持っている。・しばしばテンポやダイナミクスの変化が多く、 時には遅く感じられることもあった。これらは今の演奏にはあまりないことで、楽譜に書かれていたこと以上に表現を加えていたと解せます。作曲者の意図をエモーショナルな表現で再現していましたが、1900年代後半になると楽譜への忠実さが重んじられました。曲にしろ演奏にしろ、今足りないことは深さや人間味で、説得力のある音、個性的な響き、明快な表現というリアルさよりも、装飾的、軽いノリ、準備された演技的な表現が感じられるのです。AIでは真似できない人間的な瞬間々々の内面の発露が欲しいです。
2023.03.12
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若者と言ってももちろんそれぞれが違います。親子くらい歳が離れるとコミュニケーションは難しいです。そこにはコミュニケーションにおけるスタンスが異なり、決定的な齟齬があるのではないかと考えています。若者は大人から教育上で言われてきたことを根幹とし、大人との関わりは基本的に指示されたことを行います。そこで発する語彙は定型的で多くはないようです。また逆鱗に触れるかもしれない”No”は通常言葉にしません。例えば前向きなアドヴィスや提案を投げかけたとしても、イレギュラーな話や対面で話す必要性のあることは、定型外的な会話や関係が生まれるため好みません。その際に返信が途切れたり来なかったりします。大人は若者に知ってもらいたいから伝えようとしていても、余計なお世話と受けとめると返信しないことで表明します。若者が大人に対してNoと言うのは、若者にとって億劫で、相手に悪いと感じるのかもしれませんが、大人は逆です。大人はYESでもNOでも早く返事をしてくれと思っていて、返事を受け取れないために事が捗らず苛立っています。社会的に考えても可否に関わらず早く返信するのは常識で、返信しないことはどんな理由であれ文字通り失礼です。世代間のコミュニケーションギャップは現代の憂いです。若者は大人の立場や困っていることを知ろうとするべきで、改善手段としてはお客からクレームを直接受けることです。スルーできず、人が何を考えているか識る機会になります。しっかりしている若者もいますからここまでは一般論です。ただ一部の年輩者を見て皆が老害だと決めつけたり、若者は何を考えているかわからない宇宙人でもありません。理解しようとしないことがよくないのだと思っています。チャットGPT(AI)の答を記します。とても名答です。若者のコミュニケーションにおいて、既読無視や返信が遅い場合があるのは、様々な理由が考えられます。忙しさ:若者は、学校や仕事、社交活動など、多忙なスケジュールを持っていることが多いため、返信が遅れる場合があります。1.コミュニケーションの違い:若者の中には、オンラインコミュニケーションにおいて、返信が遅いことが普通であると考える人もいます。また、テキストメッセージやSNSなどを使う場合、即時返信を求められるような状況ではないため、返信が遅れる場合があります。2.コミュニケーションの質:返信が遅い場合、相手に対する関心や興味が薄れている可能性があります。また、相手との関係性や信頼度によっても、返信が遅れる場合があります。3.デジタル疲れ:若者は、スマートフォンやパソコンを使って多くの時間を過ごすため、デジタル疲れが原因で返信が遅れる場合があります。4.意図的な行動:返信が遅れる場合、相手に対する意図的な行動である場合もあります。たとえば、相手との関係を終了したい場合や、相手に対して不快感を示したい場合などです。以上のような理由から、若者のコミュニケーションにおいて、返信が遅れる場合があると考えられます。しかし、返信が遅れることで相手に不快感を与えたり、関係を損ねることもあるため、コミュニケーションにおいては相手の感情を考慮して、できるだけ迅速な返信が求められます。
2023.03.06
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今年の花粉症は例年になく酷く発症しています。特にいつ目が痒くなるかわからず目薬が手放せません。外に出るとくしゃみも出るので鼻水が出てきます。しかし、目薬を拭いたり鼻をかんだ後の、ティッシュを捨てるゴミ箱がありません。訪日外国人の困ったことの第1位は「ゴミ箱の少なさ」記憶のうえで街中のゴミ箱に蓋がされたのは、1995年にパリに住んでいた頃のことで、この時は爆破テロが起こったためです。当時ゴミ箱は街中にとてもたくさんありました。性別を問わず歩きタバコは日常で、吸い殻は路上にポイ捨てする人も多かったと思います。また、サンドイッチやタルトなど食べ歩きも日常で、買ったら必ず紙ナプキンや包装紙が付いてきます。観光客もそんなパリの生活に憧れていたので、道を歩きながらや公園のベンチで飲み食いします。カフェのテラスも同様、天気の良い日は外で食事です。当然ゴミは出ますからゴミ箱はあったほうが便利です。道端が綺麗だったかと言えばそうでもありませんが、清掃やゴミ回収の人は颯爽としてカッコよかったです。犬の糞回収専門のカッコいいバイクに乗った清掃の人、おしゃれな瓶の回収ボックスも意識の高さを感じました。日本でも遅れてテロ対策としてゴミ箱が減り始めました。ただパリでゴミ箱に蓋がされたのは一時的なことで、当時はテロの危険性が高かったためです。日本では街の中から日常的にゴミ箱がなくなりました。地球に優しくゴミを出さないようにする風潮もありますが、街中でゴミは出ないのかと言えば出ます。除菌シートやティッシュなど使ったあとも持ち歩くために、一時的なゴミ袋を常に持ち歩く必要があるのでしょうか?食べた後のお弁当容器ならその場で洗いたいわけですから、捨てられるものであれば捨てたほうが衛生的です。レジ袋削減の現状で、ゴミを持ち帰るための袋を持ち、街にゴミ箱がないのは結局非合理だと思われます。かつて日本でテロやそれに近いことが起きましたが、ゴミ箱が標的にされるから置かないと言うのは詭弁です。ゴミ箱があるからテロが起きるわけではありません。他にもカラス被害、処理経費などいずれの理由も疑問です。日本独特の一切のゴミを持ち帰る慣習、マスク会食など、人は何を目的として、何を楽しみとして生きているのか、衛生意識はどうなっているのかなど考えさせられます。近頃のおかしな規制は一部の考え方だと知るべきです。
2023.03.02
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