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月曜日なら飯田橋界隈の職場へ出勤するが、すでにブランチを摂るお店を決めてある。 先週のリベンジで、年始以来ぶりの覆麺・智に来た。 今日の杯数限定らーめんは飛魚煮干と肉出汁だ。いつも時間を作ってここへ限定を食おうと思っていたが、いつも行列に阻止された。実際に今日の運がよかったかも。わしがスペシャルの食券を購入してから着席した際にまた後客が次々に入店。お姉さんに塩味、五段へのサービスの味玉、ネックをお願いした。 しばらく待ったらご対麵。アゴ出汁の甘みはかなり独特だが、今日は甘味よりも優しい塩気がしっかり味わえたのだ。一条流がんこ系として例外だが、覆麺もオープン当初から徐々にこのように強い塩気を強調しなくなってきたのだ。大根おろしもスープと合う少し縮れの中細麺はスープとの絡めと歯切れが良い。大判のチャーシューは歯切れがよい。ネックは味付けが濃い目だがスープとの相性が良い。 おいしかったね。覆麺の限定はいつもレベルが高い。このため、いつも長い行列ができている。しかも朝早く営業しているので、わしにとって訪問しに来にくくなった。いずれにせよ、タイミングと行列を見てまた再訪しよう。ご馳走様。
2024.11.18
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金曜日なら南柏の職場へ出勤するが、ブランチを摂るために柏を降りた。 すでにダイヤ乱れで2週間ぶりのAKEBIに来ることを決めたので:迷わずに入店。背脂生姜つけめん、味玉、ちゃーしゅーの食券を購入してから着席。半年ほどぶりのつけめんを食うこともすでに決めたのだ。 しばらく待ったらご対麵。タイミングを見て背脂生姜、ちゃーしゅー、麺、つけ汁という順番でのご提供。 醤油タレ、香味油、鶏や煮干しによるつけ汁は濃い目の味で中華そばのスープに似ている外見である者もののさらに凶暴な味だ。細切りのチャーシューもつけ汁に入っている。 やや縮れの平打ち中太麺はつけ汁との絡めと歯切れも良いし、コシもある。腹いっぱいで食いたい方なら大盛にしたほうがよさそうだが、わしならこれぐらいでちょうどよい。 三種類のチャーシューは異なった部位、味付け、固さ。これで楽しく異なった味の肉を味わうことができるのだ。 途中に背脂生姜を投入。 生姜も効いているが、まったくきつくない。つけ汁の味がさらに濃くなった。 最後はスープ割。鶏と魚介出汁のバランスいいスープを最後までおいしくいただいた。 おいしかったね。このつけめんはここへ移転してから提供されていなかったが限定として始めたらレギュラーへ昇格ってこと。旧店舗と異なったかつ流行っている味と異なったタイプなので、ここでしか食えない。わしもはまってしまった。ご馳走様。
2024.11.15
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無事に午後の検診を終え、そのまま帰宅したが、松戸を降りたらもう4時に過ぎた。 何を食うかちょっと悩んだが、3ヶ月ぐらいぶりの「松戸中華そば 富田食堂」に空いている席があるため入店。ちょっと悩んだが、味玉濃厚つけそば(220g)、心の味餃子2個の食券を購入。濃厚つけそばは今年度が始まったばかりの時にもいただいたが、この組み合わせなら1年ほどぶりだった。 しばらく待ったらご対麵。 本店では味をすでに変えたので、このような魚粉で濃厚に仕立てた豚骨魚介系のつけ汁が食べられない。載せた魚粉の量がやや少なくなったが、動物系出汁の濃度も高いと味わえた。 全粒粉使用の四角い太麺はつけ汁との絡めもいいしコシもある。さすがとみ田の自社製麺だ。昔なら大盛まで食うが、今のわしはもはや中盛まで完食する自信がない。 途中に心の味餃子のご登場。確かに昨日にいただいたものと同じ、餡の中の汁が少なくなったってこと。ただし餃子としてやはりレベルが高いほうだ。 最後はスープ割。魚介味が強まったもののやはり単に魚粉で濃厚に仕立てられたのではなく、出汁そのものがしっかりしている味だ。 おいしかったね。さすがとみ田だ。ランチタイムにいつも混んでいるのにも納得できる。このようなタイミングでしか食べに来れないとはちょっと悲しい。ご馳走様。
2024.11.13
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明日の午後に健診を受けるため、血液検査まで最低10時間で食事することができない。こうなったら、野菜も補足できる夕食をしよう。 去年のクリスマスイブ以来ぶりの「雷 北松戸本店」に来た。とみ田の関係店は3ヵ月以上ぶりだったあ、雷なら支店を含め少なくとも半年以上ぶりだった。濃厚雷そば(ミニ)、半熟味玉、心の味餃子2個の食券を購入し、ニンニク増し、ウデチャーシューをお願いした。 事前に餃子と麺を同時に出したいということを教えてもらったが、順番としてまず心の味餃子のご登場。大きい心の味餃子はそこがパリパリまで焼いて、皮がもちもちし、餡も大きいが、餡の中の汁が少なくなったかな。 ほぼすぐご対麺。 上からみれば味玉がないことがわかったため、スタッフに確認してもらった。 やはりミニ、ヤサイ普通なのでそんなに高くなさそうだ。 麺の量が少ないため持ち上げやすい。このため、天地返しも順調にできた。このタイミングで味玉がご登場なので、味玉をそのまま載せた。濃厚味なのでスープは濃度と粘度がかなり高く、ニンニクのきつい匂いまで抑えたと味わえた。平打ち縮れ中太麺は茹で加減が固めでスープやもやしとの絡めもいいしコシもある。ウデチャーシューはかなり厚手で、味付けが濃い目でやや硬いものの歯ごたえがちょうどよい。 おいしかったね。二郎とそのインスパイアの200gまで完食できなさそうになったので、150gで助かった。減量中の身として午後6時にこれを食ったら罪悪感を感じたが。明日午後まで何も食わないので別にいいかな。ご馳走様。
2024.11.12
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火曜日なら南柏の職場へ出勤するが、ブランチを摂るために柏を降りた。 油そばを食いたいので、そのまま「兎に角 柏店」に入店し、坦々まぜそば(普通)、特製の食券を購入してから着席し、スタッフに温玉をお願いした。 しばらく待ったらご対麵。兎に角の油そばは1ヵ月ほどぶりだったが、坦々まぜそばは半年ぐらいぶりだった。特製とは、チャーシュー1枚、くん玉か温玉、海苔4枚ってこと。 厚みのある平打ちストレート中太麺はタレとの絡めもいいしコシもある。ゴマタレは結構濃いめで、高菜による辛さとも合う。わしにとって辛さがやや足りないので、少しラー油を足した。大判チャーシューも歯切れがよい。刻み切チャーシューは麺との絡めもいい。 途中に割スープをお願いした。 元のスープということで、魚粉で濃厚に仕立てた豚骨魚介スープだ。やはりトロトロでコクがあってうまい。 少しスープを飲みながら麺を食い進めた後に、割スープをつけ汁のように麺で食うのだ。 最後に残りの割スープを丼にかけ、一気に完食。 おいしかったね。痺れがないが、ゴマタレはかなりコイメで辛さとの相性もよい。次回は辛さを強めるため辛玉を頼んでみようか。ご馳走様。
2024.11.12
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勤務が終わった後に、病院へ行くために早めに帰宅。 かなり力を使ったので、その前にもう一杯を食おう。インバウンド客が多いが午後3時頃なら客が少ない「中華そば 勝本」に入店。1年ぐらいぶりだったが、月曜日不定休だったので仕方ない。味玉中華そばの食券を購入してから着席。この時間帯なのに、常に10人ほどの客がいるとはすごい。 しばらく待ったらご対麺。木のトレーでのご対麺だ。 かつての濃厚系や淡麗系の味をやめ、淡麗系の味よりややコイメの味へ改めたかなと思われる。濃厚系のようなトロトロした濃度と粘度に至らないものの、煮干しの旨味が強調されたのだ。中細麺はしなやかでスープとの絡めが良い。モモ肉のチャーシューは歯切れと味付けもいい。 おいしかったね。ようやく徐々に運営が軌道に乗ったようだ。インバウンド客の関係で銀座の八五にいくことがもはやなかろうが、ここなら時間のある時もっと頻繁に来たい。ご馳走様。
2024.11.11
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月曜日なら飯田橋界隈の職場へ出勤するが、狙っているお店の前にできている行列を見たら訪問を諦めた。久しぶりなのに、と悔しんでいるが仕方ない。 もちろん、予備の選択肢が用意してある。半年ぐらいぶりの「中華そば 二階堂」に入店。未食のメニューも多いが、結局いつものように、醤油味の特製わんたん麺の食券を購入。 しばらく待ったらご対麵。 動物系の鶏出汁は前に出ているが、魚介の塩気も味わえた。よく思えば、魚貝系の塩気に近い味だ。出汁とコイメの醤油タレ、油との相性もよい。中細ストレート麺は喉越し、歯切れ、スープとの絡めがよい。わしにとってボリュームがちょうどよいが、ランチタイムならご飯ものを一緒に頼んだ方も多いみたい。皮付きの鶏ハムは胡椒が効いていて厚手で歯ごたえがよい。レアチャーシューのはずだがかなり煮込んでいて、大判だが薄めなので歯切れがよい。エビワンタンと肉ワンタンの餡は大きくて、歯ごたえがあり、味付けもよい。ワンタンの皮も柔らかい。 おいしかったね。最近ほかのメニューを食っていないが、レギュラーの醤油味はやはりレベルが高い。次回は塩を食おう。ご馳走様。
2024.11.11
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金曜日なら南柏の職場へ出勤するが、ブランチを摂るために柏を降りた、という本ブログである意味で定着したセリフを言いたいが、電車のダイヤ乱れで早めに南柏を降りることにした。 つけめんを食う予定なので、4ヵ月ぐらいぶりの「舎鈴 南柏店」に入店し、つけめん並、味玉の食券を購入してから着席。 しばらく待ったらご対麵。舎鈴のレギュラーのつけめんは5ヵ月ほどぶりだった 六厘舎に比べやや薄めだがやはり出汁の濃度と粘度が十分に高い醤油味のつけ汁だ。 灰色だから全粒粉使用と思われる中太ストレート麺はもっちりしてつけ汁との絡めもよい。チャーシューは1枚のみで小振りでちょっと厚みがあり、歯ごたえと味付けがよい。特製のチャーシューのボリュームからみれば、味玉つけめんのほうがお得だと感じられた。 スープ割はセルフサービス方式で自分でポットで注ぐのだ。味がさらに薄くなったが、やはり魚介のコクが十分にあると味わえた。 おいしかったね。多店舗展開だが味のレベルが維持する努力も欠かせない舎鈴に敬意を表したいもんだ。次回はラーメン類を食おうかと思っているが、つけめんに惹かれるかな。ご馳走様。
2024.11.08
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一日中の在宅勤務だが、勤務内容によってあまり自宅から長時間で離れないので、ブランチも近所で食うしかない。 2年半ぐらいで放置してしまった。「らーめん専門店 麺座まねき」に入店。何を食うかかなり悩んだが、潮つけ麺の醤油味、太麺、味付玉子を注文。潮シリーズは3年ぐらいぶりだったが潮の醤油味は4年以上、潮つけ麺の醤油味は10年以上ぶりだった。 しばらく待ったらご対麵。 まねきと言えばまろやかでコクのある鶏ガラの出汁だが、潮シリーズは、さらに魚介を利かせたものである。魚粉を使用するが、トロトロまで行かない。ただし、魚粉の味ではなく、魚介の旨味がしっかりしているため、出汁はかなり旨味が出ていると言える。歯切れがよい刻み切のチャーシューも結構入っている。 世の中の麺に比べれば中太麺の太さだね。さすが自家製麺のお店で、つけ汁との絡めもいいし、コシもある。味玉は元々半分が載せてあるが、今日のスケジュールを考え、丸一個をお願いしたのだ。 最後はスープ割。やはり濃い目の魚介味が味わえた。 おいしかったね。わしには近いお店を放置する傾向があるが、ランチタイムに行列あるいは満席が多いここをお通りかかったら放置せざるを得ないことが多い。わしが着席した後にすぐ満席となったため、タイミングというより運がよかったかな。ラーメン寺子屋プロジェクトの卒業生は脱サラかつ年を取った方が多い。初期の卒業生の中にすでに年で店を畳んだ方が多い。まねきはかなり貴重な存在だ。またタイミングが良ければ来よう。ご馳走様。
2024.11.07
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心身ともにいいとは言えないが、 何とか前へ進まなくてはならない。早めに帰宅しなくてはならないので、できる限り今日の作業を進めたい。 というわけで、職場から近いこうや麺房に入店。いつものように、ワンタン麺、醤蛋を注文。女将さんはやはりすでにわかっているという顔をしているみたい。 しばらく待ったらご対麵。 醤油と塩の中間と言われる白醤油豚骨スープはコクがあり、塩気が強調されたものの食べやすい。青ネギも薬味としていい働きをしてくれるが、やはり少なくなった。縮れ細麺はスープとの絡めや喉越しもいいし適度なコシも残っている。醤蛋はいつもより味付けがやや弱いかな。ちょっと小さくなったものの厚手のロールチャーシューは味付けも塩気が強調され、歯ごたえがよい。肉ワンタンは皮がもちもちして、肉餡が大きい。 おいしかったね。こうや系のワンタンはやはり日本のラーメン屋の中でトップレベルの味だ。定期的に摂取したいというよりも中毒症状かな。ご馳走様。
2024.11.06
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火曜日なら南柏の職場へ出勤するが、ブランチを摂るために柏を降りた。 火曜日なら多くの柏駅周辺のお店の定休日であるため、選択肢が少ない。しかも銀行に行かなくてはならない。そのため、2週間ぶりの「兎に角 柏店」へ。開店直後だがすでに先客がいた。つけ麺(普通)、チャーシュー1枚、くん玉あるいは温玉、海苔4枚という特製の食券を購入してから着席し、スタッフにくん玉をお願いした。 しばらく待ったらご対麺。兎に角のつけ麺は3週間ぶりだった。 魚粉で濃厚に仕立てた豚骨魚介系のつけ汁は相変わらず濃度と粘度が高い。 平らなストレート中太麺は少し厚みがあり、茹で加減が柔らかいがつけ汁との絡めもいいしコシもある。小さくなったもののやはり大判で厚手の燻製チャーシューは歯切れや味付けがよい。 最後はスープ割。やはり最後まで濃度と粘度が高く、コクのあるスープを味わうことができた。 おいしかったね。魚粉で濃厚に仕立てた豚骨魚介系のつけ麺はすでに流行ってきたが、東葛界隈における草分けのここは相変わらずハイレベルの味を維持できている。油そばを頼む人がかなり多そうだが、兎に角はラーメンとつけ麺で有名店になったってことを覚えておかないとダメだ。ご馳走様。
2024.11.05
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西ノ宮稲荷神社での参拝が終わった後に、そのまま綾瀬駅界隈へゴー。このルートは7年ほどぶりだった。昔ならもう一杯が食えたが、減量中のわしにはもう無理な話になってしまった。ところで、せっかく綾瀬に来たので、当然、綾瀬三社へ参拝しなくてはならない。 帰宅のルートを考え、ちょっと回り道でまず綾瀬神社へ参拝。 元々氷川神社であり、明暦5年(1659年)に武蔵一宮氷川神社から分霊を勧請して建立された。同じ場所にも宝暦5年(1755年)に建立した胡録神社、あるいは第六天神社があった。老朽化で両社を合祀し、 昭和50年に綾瀬神社へ名を改めた。主祭神は須佐之男命や淤母陀琉神。 綾瀬駅の南側の界隈へさらに進んだら、綾瀬天神と呼ばれる北野神社に到着。 創建年代は不詳であるが、北野天満宮から分霊を勧請して創建された。旧普賢寺村にはすでに稲荷社・天神社、第六天社、八幡社があった。永正元年(1504年)、葛西青砥村の新義真言宗寺院・薬王山宝持院真頂寺(青戸8-18-18)の僧侶・賢空が、同寺の寺領であった普賢寺村の文殊山養福寺を中興開基した際に、養福寺の隣地を稲荷社・天神社・第六天社・八幡社を合祀し、北野神社を建立したという。主祭神は菅原道真公、相殿は宇迦之御魂命。 天満宮、北野神社には必ず撫牛の像がある。綾瀬天神の撫牛の隣は末社の八幡社である。 綾瀬天神から北へ向かい、線路の下から渡り、住宅街へさらに進んだら、綾瀬稲荷神社に到着。綾瀬三社の本務社。 金子五兵衛が開発した五兵衛新田の鎮守として伏見稲荷大社から分霊を勧請し、慶長19年(1614年)に創建された神社である。江戸時代で「稲荷神社」、明治7年(1874年)から「五兵衛神社」と呼ばれたが、昭和42年(1967年)に「綾瀬稲荷神社」へ名を改めた。主祭神は、宇迦之御魂命、相殿は、菅原道真公、水波能売神。 北野神社や綾瀬神社の本務社であるが、御朱印なら綾瀬稲荷神社のもののみである。 「綾瀬富士」あるいは「五兵衛富士」と呼ばれる富士塚。。富士北麓からボク石(溶岩塊)を西新井駅まで貨車で輸送し、さらに馬車で運び入れて昭和2年(1927年)に築かれた。足立区の紹介によると、「富士塚を築造したのは、麻布の包市郎兵衛が興した、山包講(やまつつみこう)の枝講である「山包丸渕講」で、現、山包綾瀬講。綾瀬地域の古称に由来する講名で、講紋は包の字を丸で囲んだり、山の字を丸で囲んだ紋を使用しています。現在では23区内唯一の山包講ですが、千葉県の市原・館山には多く残っています。」ということである。
2024.11.04
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明王院での参拝が終わった後に、そのまま綾瀬駅方面へゴー。 東武伊勢崎線の線路が見えたら左折し、西ノ宮稲荷神社に到着。 天正2年(1574年)に伏見稲荷から分霊を勧請し、創建したという。また、五反野はかつて開拓者である京極氏弥五郎の名前で弥五郎新田と呼ばれ、西ノ宮稲荷神社、東の宮、本田の宮三つの稲荷神社と一つの氷川神社があったが、明治、大正年間で西ノ宮稲荷神社に合祀された。このため、主祭神は宇迦之御魂神や素戔嗚尊である。 末社の三社殿。祭神は、菅原道真命、水波能売命、武甕槌命。 ちょうど神楽殿で奉納演奏が行われている。 昭和20年(1945年)5月25日の大規模空襲で神楽殿などが焼失したが、昭和30年(1955年)に社殿と拝殿を、平成元年(1989年)に神楽殿を再建した。現在の社殿は平成12年(2000年)に営造された。
2024.11.04
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梅田神明宮での参拝が終わった後に、江北通りを目指して南へゴー。 明王院の場所が確認できたのに、山門が大道ではなく裏道にあるため、なかなか見つけられなかった。とりあえずなんとか山門を見つけた。山門の正面は、平成19年に再建された回向堂。ここでは、御本尊の感得不動明王とは別の不動三尊が祀られる。 山号が萬徳山、院号が梅林寺、寺号が明王院。源義家の孫、六条判官為義の3男で、志田三郎先生(しだ さぶろう せんじょう)として知られる義広が祈願所として治承2年(1178年)に創建したのである。江戸幕府三代将軍徳川家光が鷹狩の際の御膳所ともなった。源家祈願所の由来により、家光から寺領13石を賜る。御本尊は感得不動明王。不動堂は、木造で全体が朱塗りであったことから「赤不動」と呼ばれた。赤不動もここの通称となった。寛保2年(1742年)も京都清閑寺より感得不動明王像をもらう前に、応安2年(1369年)から如意輪観音をご本尊として祀った。今感得不動明王や如意輪観音を不動堂で祀る。如意輪観音像は東京都文化財である。 無事に御朱印をいただいたが、急遽に参拝を決めたことで事前にいろんな確認をしなかったため境内に天満宮があることを知らなかった。また時間を作って参拝しに来よう。
2024.11.04
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中曽根神社での参拝が終わった後に、そのまま東へ進んだ。順番として梅田稲荷神社が先だが、さらに東にある梅田神明宮は本務社。 梅田神明宮の正面の鳥居。 慶長年間で創建されたと言われるが。最初、地主神を祀っていた。明暦の大火(1657年)や宝暦10年2月に足袋屋の明石屋から出火し、神田、赤坂、麻布、芝まで延焼した「明石屋火事」の際に、芝神明宮(現在の芝大神宮)も被災された。そのため、いずれの火災の時、御神体が一時的にこちらの境内へ遷座されたことから、新たに神明社として建立され、のちに梅田神明宮と呼ばれるようになった。主祭神は天照皇大神、相殿は井上正鐵霊神。 井上正鐵は幕末時代の国学者、神道家であり、1834年に京都へ白川伯王家に入門し、伯家神道を修め、神拝式許状を得、白川伯王家の神職許状と天津祝詞太祝詞三種祓等の奥旨皆伝を受け、1840年から梅田神明宮の神職となったが、 寺社奉行より邪教の嫌疑がかけられ、妻の男也(おなり)、門弟三浦隼人夫妻と入獄された。井上正鐵は1843年に三宅島へ流され、1849年に亡くなった。1868年に白川伯王家より「禊祓霊社」の神号が贈られ、梅田神明宮内に「井上神社」が創建され、神として祀られる。正鉄を教祖とする教派神道「禊教」は、彼の門人である坂田鉄安らがその思想を纏め、立教したものであるという。 梅田稲荷神社の正面の鳥居。 祭神は宇迦御魂命。源義家の孫、六条判官為義の3男で、志田三郎先生(しだ さぶろう せんじょう)として知られる義広が治承4年(1180年)に建立したと言われる。旧社殿は昭和20年(1945年)3月の東京大空襲で焼失され、昭和28年(1953年)に再建された。 奥には、井上正鐵とその妻である男也、高弟たちの墓がある。井上正鐵の遺骨は、分骨により谷中、梅田、三宅島の三箇所にあるという。
2024.11.04
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「らーめん 涌井」を出た後に綾瀬駅へ向かうが、寄り道で尾竹橋通りで南下。 中曽根神社、入り口と書かれる柱を見た。 住宅街なので表示がないが、グーグルマップで無事に神社への道を見つけた。 主祭神は国常立命、雷神。 元木囃子発祥の地という石碑があるが、元木囃子というものが検索しても出てこない。 中曽根神社は、室町時代で千葉勝胤(1471~1532)が築城した中曽根城の鎮守として創建された。千葉氏は妙見菩薩を守護神としていたので、当初の名称は「妙見社」であった。明治元年(1868)の神仏分離令によって妙見菩薩を祀っていた多く妙見神社、妙見社は、祭神を天之御中主神あるいは国常立命へ改めた。ここは昭和7年(1932年)、興野にあった雷神社を合祀して、「中曽根神社」へ改称された。
2024.11.04
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西新井大師の参道から環七へ来た後に、そのまま綾瀬駅へ向かう。 尾竹橋通りから左折し、北へ少し進んだら、「らーめん 涌井」に到着。閉店した恵比寿時代の香月出身の店主が1989年に西新井で創業したお店。 1998年より現店舗へ移転。ホープ軒本舗の直系ではないがつながりのあるホープ軒→香月→涌井という系譜で、背脂チャッチャ系、東京豚骨醤油ラーメンの老舗として知られる。涌井出身のえるびすもかつて激戦区の池袋で有名店として知られたが既に閉店。ほぼ満席。空いているカウンター席に着席し、醤油らーめん、玉子、こってりを注文。 しばらく待ったらご対麺。いわゆる背脂チャッチャ系だが、かつて食べた香月に比べ塩気が弱いのに豚骨スープの旨味と醤油とのバランスがよいと味わえた。背脂もまったくしつこくない。ストレート細麺は博多長浜ラーメンに比べやや太いほどの細さでもともと茹で加減が固めで、喉越し、歯切れ、スープとの絡めがよい。レギュラーで大判で厚手のチャーシューは2枚入っている。固さがちょうどよくて、歯ごたえがよいのにすぐ口にホロっと崩れたような食感だ。途中に当然多めのニンニクを投入。 おいしかったね。最近背脂チャッチャ系の直系店にあまり訪問していないような気がするので、新店に行くチャンスでもあるがここを選んだ。やはり正しい選択肢を選んだね。12時に過ぎると常に満席状態とうのも、老舗の底力だと言える。同じ系統の大慶にも行ってみたい。ご馳走様。
2024.11.04
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カレンダーでの五連休は今日に終了だが、実際に毎日働いてきた。せっかくだから、今日の仕事を始める前に休みらしいことをしようと思って出かけた。 大師前を降りた。西新井に来たことがあるが、西新井から東武大師線に乗り換えて大師前を降りたことがなかった。大師前駅に改札機がないので、西新井駅で乗車券で電車代を支払って大師前への電車に乗り、降りた後にそのまま駅から出るって体験も初めてだ。少し駅から回り道しないと参道にたどり着かないので、そのまま駅から近道で山門へ向かったほうがよい。参道の写真は参拝が終わった後に撮ったものである。 少し歩いたら、関東厄除け三大師の一つとして知られ、西新井大師と呼ばれる總持寺に到着。山号は五智山、院号は遍照院。 山門は江戸時代の後期に建立され、両脇に金剛力士像を祀る。もちろん、足立区指定文化財。 大本堂。空海(弘法大師)が関東巡錫の途中、西新井を通った際に、本尊である観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫り天長3年(826年)に寺院を建立したことに始まるとされる。大本堂は江戸時代中期に建立されたが、昭和41年(1966年)に火災により焼亡した。ただし、ご本尊は難を逃れた。今の大本堂は昭和46年(1971年)に再建された。 御本尊は十一面観世音菩薩、弘法大師。 不動堂。関東三十六不動霊場の二十六番札所である。 厄除弘法大師のご利益と観音慈悲の功徳を一時に与えて下さる礼拝所である。 参拝の後に無事にご本尊とお不動様の御朱印もいただいた。
2024.11.04
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やはり睡眠品質が悪いので、結構早く目覚めてしまった。だるいが、体を何とか動かしたくて、松戸駅へ歩行でゴー。 いろんな選択肢があるが、開店直後の「大勝 松戸店」に入店。最近濃厚系ではない醤油味の煮干しラーメンを食っていないので、大勝へ来ることをすでに昨日から決めてある。チャーシューのしっぽがないので、 チャーシューメン小、味付け玉子の食券を購入。 しばらく待ったらご対麺。このパターンでの注文は5か月ほどぶりだった。 醤油味の煮干しスープは煮干し油も効いているが油と塩気が適度で煮干しの旨味がしっかりしている。最近確かに酸味がやや弱まったかな。縮れ細麺はスープとの絡めもいいし、シコシコした食感だ。多めのネギとも相性も良い。縮れ細麺はスープとの絡めもいいし、シコシコした食感だ。二代目の時に本店で食った茹で加減に比べ、やや固めになったかな。肩ロースチャーシューは、脂身がついているもの、および肉だけのものという二種類が載せてある。いずれも歯切れと味付けがよい。 おいしかったね。永福町大勝軒系における早い時期から独立したお店はほとんど店主の高齢でしまったが、大勝は無事に三代目まで続いてきただけではなく、松戸へも進出してくれた。ありがたいもんだ。本店にも久しぶりに行こうか。ご馳走様。
2024.11.03
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いつものように土曜出勤だが、しばらくの間に私事で土曜出勤できないため、今日中に作業をできる限り進めなくてはならない。 職場の近くに新規オープンの「ラーメン 豚×豚×豚」に入店。二郎インスパイアのお店だが、勤務中ならニンニクをできる限り避けたいため放置していた。それに、200gさえ最近完食できないのではないかとちょっと弱気になった。紙で食べるメニューとトッピングなどを記入してからスタッフに渡し、先払いするというシステム。ところで、150gのミニも提供を始めたってこと。そのため、200の小ではなく、ラーメン(ミニ)、野菜普通、ニンニクマシマシ、アブラマシ、味玉、豚1枚をお願いした。 しばらく待ったらご対麺。煮卵半個は元々入っている。多めのアブラも綺麗だ。チャーシューも大判で厚手なものだ。 ヤサイは少なめが100g、普通が200gということで、普通にした。高そうだが、150gの麺なら完食できると思う。 麺の量が少ないので麺が持ち上げやすくて、無事に天地返しができたがその代わりに綺麗に見えない。麺はオープン直後と異なり、さらに改良されたものである。店はそのワシワシ、ゴワゴワの食感をアピールしている。確かにカタメを頼んでいないが、少し縮れの平打ち太麺はワシワシ、ゴワゴワというカタメで弾力の良い食感だ。もちろんもやしも麺と一緒に持ち上げやすい。スープは非乳化で、醤油タレが効いているが、出汁の塩気もちょうどよくて、ニンニクと合い、結構食べやすい。大判で厚手のチャーシューは歯ごたえと味付けがよい。 無事に完食。ライトな二郎だがなかなかよかった。客の意見でさらに味を進化させている姿勢も感服。帰る前に店主にミニを始めたことに感謝した。汁なしも気になるので、人と接さない時にまた来よう。ご馳走様。
2024.11.02
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「麺屋 木ノ下」から出た後に、タワービュー通りに沿って錦糸町方面へゴー 逆方向で来ているので、山門から写真を掲載させていただく。少し歩いたら、鬼平情景を制覇した時にも訪ねたことのある「平河山 法恩寺」に到着。参道と逆方向から来たので、参道の写真は参拝の後に撮ったものである。 正面の入口。 御由緒、および鬼平犯科帳とのゆかりについて書かれてある看板。 本堂。御本尊は、十界曼荼羅。山号は平河山。院号は本住院。寺号は法恩寺。開山は本住院日住上人である。当初は本住院と称した。太田道灌が長禄2年(1458年)に江戸城を築く時、城内鎮護の祈願所として武蔵国平河村(江戸城平川口)に建立開基。道灌の跡を継ぎ城主となった嫡子・法恩斎の年忌に際し、孫の太田資高が寺号を法恩寺と改めた。その後神田柳原、谷中清水町と移転した後、元禄8年(1695年)に現在地に移った 道灌公記念碑。仙台石に、太田道灌の山吹の和歌の物語を浮き彫りにしている。 太田道灌開基の寺と書かれる石碑。「尻毛の長右衛門」は法恩寺から物語が始まるが、法恩寺は、「本所・櫻屋敷」で長谷川平蔵と岸井左馬之助が門前の茶店「ひしや」で20余年ぶりに旧交を温める場面にすでに登場した。 真ん中は開山の本住院日住上人の墓である。右側は五輪塔形式の太田氏七代供養塔。太墓石には太田資清、道灌、資康、資高、康資、重正、資宗ら太田氏7代の法号が刻まれている。太田氏七代供養塔は、墨田区登録史跡である。 前回は御朱印をいただけなかったが、今日無事に御朱印をいただいた。
2024.11.01
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春慶寺での参拝が終わった後に、タワービュー通りから錦糸町へゴー。 途中にブランチを摂ろう。支那そばやの麺を使うことで知られる「麺屋 木ノ下」に入店。開店直後で三分の一の席が埋まっている。「特製ワンタン麺 醤油2:2」の食券を購入してからカウンター席に着席。 しばらく待ったらご対麺。キノコ辛味も付き。メニューによって異なる薬味を提供するってこと。 スープは煮干、鰹節等の魚介系と鶏ガラなどの動物系に干し椎茸の出汁ってこと。タレと油も効いているが、しっかりしている醤油スープは実に食べやすい。細ストレート麺はしなやかで喉越やスープとの絡めがいい。支那そばやの麺だから、と思う。肉ワンタンと海老ワンタンはいずれも餡が大きくて、皮がもちもちしてうまい。肩ロースのレアチャーシューは歯切れと味付けがよい。豚バラは焼いてあり、歯ごたえと味付けがよい。鶏むね肉は柔らかい。 途中にきのこ辛味を投入。辛さが辛口に苦手な方もおいしくいただけるレベルだが、スープの甘味が少し強まったような気がする。 おいしかったね。上品で旨味がしっかりして食べやすい醤油味だ。ワンタンのレベルもかなり高いので、支那そばやと言えば塩だということで塩味も食いたくなった。遠征する時間と心の余裕があればまた来よう。ご馳走様。
2024.11.01
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午後に散髪を予約したが、せっかくだから、少し散歩しようと思って、押上を降りた。 少し歩いたら、「長養山 春慶寺」に到着。2022年12月26日に墨田区が2013に区内の16ヶ所に整備した「鬼平犯科帳」とのゆかりを紹介する高札「鬼平情景」を制覇した時、春慶寺にも来たが、武漢ウィルスとやら新型コロナウィルスとやらの感染拡大がまだ収まっていないため、御朱印はもちろん、4階の本堂へ参拝することさえできなかった。 春慶寺は、元和元年(1615年)浅草森田町に、真如院日理上人によって創建され、寛文7年(1667年)に浅草から本所押上村に移転し、約400年の歴史のあるお寺ある。推古朝に百済から請来したという普賢菩薩像を寛保2年(1742年)から祀っているため、押上の普賢さんとして知られる。今の堂宇は新しくできたもので、かなり立派なビルになった。御本尊は三寶尊と言われるが、御本堂で祀られるのは普賢菩薩だ。ご住持がいないため、書置きの御朱印をいただいた。
2024.11.01
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