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更新をサボってしまってすみませんm(_ _)m切羽詰ったご相談メールや、特急の電話等々の対応を優先しておりました。更新をサポるとご心配される方がいると、わかっておりながら、ごめんなさいです。。。掲示板に、奮闘中さんからご報告を頂いたので、これまでの経過をご紹介しておきます。患者さんは、奮闘中さんの奥さん(40代)です。メールを頂いた当初は、腹膜偽粘液腫との診断を受けておられました。2006年に卵巣破裂で手術を受け、卵巣の摘出手術を受けたそうです。2008年になると、腹部が膨らみ、残った卵巣と子宮を摘出する手術を受けました。2009年9月には、再度、腹部が膨らみ、病院へ。検査の結果、腹膜偽粘液腫だと診断が降りたのが、11月です。私に相談メールが届いたのは、2009年11月の下旬でした。手術予定を目前に控えた時でした。あまりにも切羽詰まった内容のメールでしたので、即、返事をするも、ご本人には届かずだったんです。私としては、特急の対応をしたつもりだったのですが、ご本人はご覧になっていなかったんですねぇ・・・たまたま別件の電話で、米村先生と話をする機会があり、その時に、こんな相談メールが来てますよと、奮闘中さんの話をしたところ。。。 そりゃ、急いで診ましょうとの返事。それで、緊急にセカンドオピニオンを組む事にしたんです。ですがもう、手術は目前。。。どんなに急いでセカンドオピニオンの調整を取っても、手術後の日程になってしまいます。予定通りに手術を受けるにしても、腹膜偽粘液腫と診断を受けたのであれば、米村先生の見解を聞いてからの方が、ご本人もご家族も納得がいくだろうと思いました。その上で、どういう選択をされるかは、ご本人とご家族の判断です。私が決める事ではありませんからね。ですので、これは先ずしませんが、緊急事態と判断し、直接、米村先生と話せるように取り計らいました。その結果、奮闘中さんは何をさしおいても、奥さんを米村先生に診て貰いたいと願っておりましたが、当のご本人が痛みを強く訴えていて、とても動けないと言います。ですので、予定通りの手術となったのです。開腹してみると、残念ながらとても切除できる状態ではなく、そのまま閉じることに。。。その際に採取した細胞から、腹膜偽粘液腫ではなく、粘液性の卵巣癌との診断を受けました。(この腹膜偽粘液腫か否かの定義ですが、採取した細胞の箇所によって変わる事はよくある事だそうです。卵巣癌が検出されながらも、全く別の箇所からは偽粘液腫と診断出来る場合もあるそうで、要は、取る細胞の場所により違っていることも、ままあるようです。つまり、癌が複合している事もあるとのこと。) 術後、奮闘中さんは、米村先生のセカンドオピニオンを正式に受診されました。そして今回の手術では、手が付けられなかったけれど、抗癌剤治療に希望を託して、再度の手術を目指す事となりました。抗癌剤治療が始まるも、腫瘍マーカーは恐ろしい数字が出ました。この恐ろしい数字が、2度目の抗癌剤投与では、半分に減りましたけど、まだまだ桁が違います。それでも、数値が下がった事で希望を持っておられましたが、そんな中で胸水が認められるようになりました。ここまでに至るまで、何度もメールや電話を頂いております。「胸水が溜まったって、病院から今電話がありました これって、もう手術は駄目って事ですか?」と、慌てふためいた奮闘中さんから電話がありましたっけ。。。胸水を抜いて、それを検査すると、そこからは癌細胞は検出されず・・・片肺だけだし、肺転移という事ではなさそうだしと、ホッとしたのもつかの間。。。今度は、「どこまで延命処置をするのか、答えを迫られています」 との電話。 どうしたら良いんでしょう?この時、酸素マスクをしていると聞き、酸素飽和度が低下している事がわかりました。マスクとなると、90を切って85か、80か、それともそれ以下か・・・・ 意識はありますか? 今、沢山の友達が来てくれていて、 みんなで呼びかけると目を開けます(既に、低酸素脳症だ・・・) 尿が殆ど出なくなっていて・・・(脱水症状という事もあるけれど、両方の尿管が閉塞したか、それとも腎機能が低下しているか・・・恐らくもう腎不全・・・)話を聞きながら、奥さんの状態を推測し・・・勝手ながら、私がベストだと思う事を告げると・・・ そうですか・・・ わかりました 自分が取ってきた道は、間違ってはいなかった、正しかったと信じてます ・・・・・・・・ また、電話してしまうかもしれませんが・・・ そう言って、電話が切れました。この日の2日後でしょうか、奥さんの旅立ちは。。。どんな事をしても、自分が妻を助けるのだと仰ってました。小さい子供の為、そして妻自身の為、自分の為。。。強い意気込みで、治療に希望を託していました。この訃報はあまりにも切なく、辛く、悲しい。。。。
2010年01月31日
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つい先日の事ですけども、こんな事がありました。私のブログを、「開設当初からずっと見ている」 という方から、相談メールがありましてね。まぁ、こんな文字ばっかの長ったらしいブログを、そんなに長期間見ているなんて、なんて忍耐力のある方だこと、アナタは凄いと、内心思いつつ、メールを読みました。30代の奥様が、約4年前にスキルス胃癌で手術を受けたそうです。胃全的の手術は上手くいったものの、当時の進行度合いから、術後TS-1をずっと服用してきたそうです。服用して3年半、ボチボチTS-1も卒業して良いだろうとの事から、服用を止めたそうです。ところが、服用を止めてから4ヶ月、腫瘍マーカーが上昇し始め、CTで腹水が認められるようになりました。「再発」 との診断が降りて、新たな治療が開始されるという直前にメールが届いたのです。今後の治療方針を決める前に、どうしても、米村先生の見解を聞きたい。米村先生の見解を聞いた上で、今後の治療に望みたいとの強いご希望がありました。私のブログを長年読んでこられ、万が一、再発ということになれば、米村先生の見解を聞くと、心の中で決めておられた様子でした。私は、これまで良い経過も、そうでは無い経過も書いてきています。全てをご承知の上でという事ならばと、橋渡しをすることにしたのです。で、今後の予定を聞くと、もう即、米村先生の外来予約を入れねばならない状況でしてねぇ・・・米村先生に、「先生!!急ぎです!○○病院で○日に、宜しく!!」と、電話を入れると、いとも簡単に 「良いですよん」との返事。。。予約方法を急いで連絡しました。ところが、一旦は通った予約でしたが、この日は学会があり新患は後日という連絡があったそうで・・・・ご主人から、泣きながら??(←これはちと、オーバー)どうしたら良いでしょうか・・・とメール。しゃーないので、もう1回、先生にゴリ押し。 もう~、先生、良いって言ったじゃないですかこの日の予定を言い訳がましく?言われた後、 一人くらいなら、何とかなるでしょと、なり・・・これまた、ドタバタ。。。外来予約を管理する方の苦労あって、外来人数の調整が入り、何とかなりました。たまたま、この日に予約を入れる予定だった、大腸癌の患者さんからメールがあり、「うちは急ぎませんので」 と、予約日をずらしたとのこと。病院のスタッフ、そして、ご理解を示してくれた患者さん、ありがとうございました!!こういった病院スタッフのご苦労と、ご理解のある患者さんの好意で、何とか希望が通り・・・で、この患者さんはTS-1服用と併用して、腹腔内化学療法が開始される事となりました。予定では、2クール後に手術です。今回の件のドタバタを、この患者さんのご主人に伝えたところ。。。(私自身は、なんもしてませんから^^;)「見知らぬ方々のご好意に、妻共々、感謝で涙が止まりません 折れそうになっていた妻の気持ちが、少しずつ、前向きになってくれました」とのメール。。。新しい1歩を踏み出した、この患者さんにエールを送らせて頂きます!!
2010年01月27日
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先日、「1年ぶりのメールになります、ご無沙汰してます」というメールがケータイにありました。思わず、「あっら~、珍しい~」 と声が出ましたよ。メールの送り主は、スキルス胃癌(60代・女性)の患者さんの娘さんからです。この患者さんは、スキルス胃癌・腹膜播種で手術不可と診断を受け、その後、2007年10月に米村先生の元へ来られました。それから、TS-1服用と併用しての腹腔内化学療法を受け、2008年2月に手術を受けました。手術内容は、胃全摘、脾臓、胆嚢切除、リンパ2郡カクセイ、子宮、卵巣切除、腹膜部分切除です。こんな手術内容ですからね、失礼ながら年齢的なものもあり、術前のような生活が送れるようになるまで、1年を要しました。時間はかかりましたけど、1年を過ぎた頃から、難の無い 「普通」 の生活に戻り、2年を迎える今は、本当に元気に過ごされているようです。食事量は多いとは言えないようですが、少量であっても、美味しいと思える物を堪能でき、体重は術後から、プラス4キロ。ご夫婦で癌の完治を願う意味を含めての、温泉に出向く事が楽しみなのだとか。。。腫瘍マーカーも正常値をキープしてます。術後のTS-1服用は続いてますけどね。これは元々の 「お約束事」 みたいなものですからね~。病気発覚当時、不安で心配で仕方の無い、思いつめた娘さんからよくメールが届いたものでした。入院中には、この患者さんに、お会いした事があります。これまた、人生の先輩に対して失礼千万ですが、小柄な可愛いらしい方でしてねぇ・・・突然、目の前に現れた私が名乗ると、口に両手を当てて、病院に来ていたご主人に「お父さん!! この方が、ひろりんさんですって!!」と、叫ばれましたっけねぇご主人はご主人で、何故か廊下に立っていらしてねぇ・・・「何してるんですか?」と聞くと、「いやぁ、隣の患者さんが、これから米村先生の回診があるって教えてくれたんで、 待ち伏せしているんです なかなか、先生にはお会いできませんからねぇ」と、頭を掻きながら、笑って言われましたっけねぇ・・・「そうなんですか? 何なら、私が捕まえましょか~」なんて会話があったりして、和やかな面会となりました。あれから2年が経つんですねぇ・・・本当にお久しぶりのメールでしたけど、嬉しい報告のメールでした。お元気で何よりでございます~
2010年01月24日
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現在、書店や売店で発売中の月刊誌 「がんサポート・2月号」(1200円)に、胃癌・腹膜播種の治療法として、「腹腔内化学療法」 が紹介されています。この雑誌の中で、紹介されているのは、東の横綱大学での治療方法とその成果です。この雑誌で紹介されている手法は、TS-1服用と併用して、パクリタキセル(タキソール)を静注での点滴と腹腔内にも投与するというもののようです。このブログでも、何度もこの 「腹腔内化学療法」 の話は書いておりますが、この治療法自体は、ガイドラインには無い治療法である事から、使用する薬剤や、投与量、そして投与間隔等々・・・決まりはありません。腹膜播種の治療法としては、効果をあげてきているのですが、まだまだ世間一般に広まっているとは言えず、医師の中には、否定する方もいるのが現状です。そもそも、ガイドラインに無い治療法を施行するには、色々とクリアせねばならない問題があるのです。ですので医師の中には、 「やってみたい」 と思っていても、諸事情から施行出来ない場合が少なくありません。どこの病院でも、何ら問題なく施行出来るようになる為には、ガイドラインの治療として認めて貰うのが一番なんですねぇ。。。そういった意味で、この雑誌に取り上げて頂いたことは、大感謝です~東の横綱大学での研究成果となれば、どなたにも、興味を持って頂けるのでは無いでしょうかね~これまで、腹膜播種が認められると、抗癌剤治療が効果を出しても「手術」対象とはならないのが普通でした。「でした」 じゃなくて、現在進行形かも?ですが、この腹腔内化学療法で腹膜の癌を叩けたと認められた患者さんは、原発の切除を行う事も視野に入ってきたようです。それによる延命も認められつつあるようですよ~米村先生も、この手法は何年も前から取り入れています。雑誌に載っている、東の横綱大学のI医師の手法とは、ちょいとばかり違いますけどね。効果が出ているなら、何でも良いですけどね~米村先生の場合は、この治療法の目的は、元々この治療を経ての 「腹膜の部分切除を含む、切除」 なんですね。こちらも、成果が上がりつつあるようです
2010年01月22日
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コレ↓、今、私が何気にはまっている物です以前、ここで静電気で指を皮下火傷した話を書いた事がありますが、それを読んだある患者さんの娘さんが、「私が愛用している物と同じ物です、良かったら使って下さい」と、送ってくれたんです。コレ、静電気を徐電してくれるグッズなんです。パチッってきそうな時に触ると、雷マークが出るんですよ~何だか面白くて、ついつい試しております^^年末には、「皆さんが頼りにしています、お体を大切に」 と、数年前にご遺族となられた方から、恒例の黒豆も届きまして、どうやら、私は多くの方々に大切に思って頂いているようで・・・誠に恐縮でございます。。。すっかりお正月気分も無くなり、いつもの日常となり、メール書きまくりの日々が戻って参りました~大切にして頂いているのですから、頑張らねばですこの間の日曜は、知子さんの命日で茨城まで行って参りました。4年前に、54歳で胃癌で亡くなった身内です。身内と言っても、従兄の奥さんの妹(こー書くと、ややこしい!)です。当時、米村先生には、すっかりお世話になりました。胃潰瘍を定期的に繰り返し、痩せ細って気付いた時は胃癌・腹膜播種、大腸転移・・・手術をするも、膵臓への浸潤が激しく、剥がすのが大変な手術でした。腹膜に見られた癌は、既にかなり大きく(スキルス胃癌ではなく、スキルスタイプの胃癌でした)とても切除できる状態ではなく、原発と大腸切除の手術でした。術後の何ヶ月間かは、食事が普通に摂れるようになったものの、長くは続かず、在宅IVHと経口の食事となりました。このIVHですが、医療廃棄物なんですよね。基本的には、針は病院で処理して頂かねばならないんです。輸液のパックや、チューブは普通に可燃ゴミ(地域によってはプラスチックゴミ)で出しても構わないんですが、今のゴミ出しは透明の袋に入れて出さねばなりません。ご近所の手前、こんなゴミが出ていたら噂になってしまいますからねぇ・・・それを避けたくて、病院には申し訳無かったのですが、全て、病院で廃棄処分して頂いていました。いつも、ダンボール箱に入れて、それを外来時に持参して、看護師さんに渡す・・・が常でした。いつものように、ダンボール箱を看護師さんに渡した時のことです。あちらも心得ていて、笑顔で受け取ってくれました。診察を待っていると、あの看護師さんが渡したダンボール箱を持って、こちらにやって来ます。 あのぉ?これ、捨てて良いんですか?箱の中を見ると、使い古したタオルやら、Tシャツやらが入ってました。知子さん、捨てるつもりで要らなくなった物を、まとめてダンボール箱に入れておいたらしいです。 あらやだ、箱を間違えちゃったと、知子さん。。。(知子さん・・・それって、医療 廃棄物じゃなくて、衣料 廃棄物なんじゃ・・・・)さすがにこれを病院で処分して貰うのは申し訳なく、受け取って帰って来ましたよ~思いっきり笑った一幕でしたわそんな知子さんが逝って4年です。あと3ヵ月待てば、初孫の顔が見られたのに。。。初孫のゆず君は、この春、4歳の誕生日を迎えます。外来に行く時に、知子さんがよく履いていたリーバイスのGパンを頂いたので、そのGパンを履いてお墓参りに行って来ました。サイズ的に、私しか履ける人がいなかったんで、お言葉に甘えて形見に頂いたんです。だからかなぁ?ゆず君は、私になついて甘えて、別れ際に私の両手を引いて自分の家の車に乗せようとしましてねぇ。助けられなかったけど、知子さんのご家族は皆さん、私を親族同様に迎えてくれます。私的には、遠路の病院に連れて行き、家族との時間を減らしてしまったという申し訳ない気持が、今も拭い切れないのです。十字架を背負っているような気がしてます。ですが、知子さんのご主人も息子さん達も、「んな重いモン降ろして下さいよ」 って感じでねぇ・・・「いえいえ、これは私が一生背負わねばならない物ですから」「んな事してると、肩懲りますよ」・・・こんなやり取りがある訳じゃないですけども、こんな風なんです。今も尚、笑顔でお付き合いが出来る事に感謝です。。。ご主人、長男夫婦に二人の幼子、三男、そして姉夫婦に私達夫婦・・・法事ではありませんが、大勢が集まってのお墓参りとなりました。なんとなくですけども、知子さんの笑顔が見えた気がしました
2010年01月19日
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若造君の現状を、ずっと気にされていた米村先生に訃報を伝えました。やはり、亡くなってましたと。。。 何時ですか? 昨年の11月です もっと生きていて欲しかったなぁ・・・(ここで溜息です) 彼ねぇ・・・野球をやりたがってたんですわ やらせてあげたかったなぁ・・・大勢の患者さんを抱えておられ、外来となれば待ち時間は1~3時間は当たり前。診察をしていても、待たせている患者さんが溢れているので、一人の方に割ける時間は長くはありません。そんな僅かばかりの時間ですが、患者さんの声はちゃんと米村先生の心には残っているようです。若造君が言ってました。手術直前にビビる若造君の太ももを軽く叩き、「心配要らん」 と米村先生が声をかけたそうです。若造君、「全身に電気が流れるようでした。痺れました!!米村先生、凄く格好良かったです」 って言ってたんです。だから、米村先生に本当に元気な姿を見せたくて仕方なかったんです。誰が何と言おうと、米村先生が 「良くなる」 って言ってくれるなら、それを信じて何でも耐えてみせますって。20代の彼にとって、自由が限られる時間では、満足できなかったんです。お子さんがいるような立場なら、子供の為に生きていたいと願うもの。ですが、独身で若い彼は誰かの為に 「生きているだけで良い」 では嫌だったんです。ご両親に負担をかけている事も辛かったようです。ご両親は、自分が生きているだけでも良いと思っている事は知ってました。ですが、若い彼は両親に負担をかけ、生きているだけの人生は受け入れられず、何かをしたくて、何かが出来ない人生は、受け入れ難かったんです。だから、自暴自棄になっていったんです。 「ホスピスに行って死を待ちます」って言ったかと思うと、 「やっぱり、抗癌剤をやった方が良いんですかね?」って聞いてきたり。。。酷かった下痢は、薬で随分と抑えることが出来るようになりましたが、肝機能が低下し、黄疸が出るようになり・・・この黄疸は肝転移の為か、それとも抗癌剤の副作用か、それとも胆管狭窄か・・・わからないまま、治まったり、ぶり返したりしてました。先のことは誰にもわかりません。出会った時、術後、自分にとっては最悪の時間が待ち受けているかもしれない、でも、普通の生活が送れるようになるかもしれない・・・・そう迷った時、きっと彼なら、例え、自分にとって最悪の時間が待っていようとも、手術を受けると言ったでしょう。闘わずして逝くことなど出来ないと、言ったでしょう。お母さまも、「私も、あの子ならそう言うと思います」 って言ってました。だから、彼にとってこの2年は、短か過ぎた時間だったと思いたい。。。
2010年01月18日
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年末にこのブログで 「メールください」 と呼びかけた若造君の今を知りました。米村先生が、しばらく連絡の無い若造君の現状を気にされていた事もあり、メールを送ってみるも、戻ってきてしまった・・という、あの患者さんです。年末から風邪を引いて声が出なくて、電話も出来ずにおりましたが、ようやく声も出るようになり、思いきって電話してみたんです。お母様が電話に出られました。若造君、昨年の11月に旅立っていました。。。2007年11月に、腸閉塞の酷い痛みで病院に担ぎこまれ、その時に直腸癌が判明。開腹するも、人工肛門造設のみに終わりました。この時告げられた余命は、僅か2ヶ月。。。余命2ヶ月と言われた彼は、2年後に旅立ったことになります。過去のブログに、「頑張れ若造!」 と題して、何度か彼のことを書いています。5歳の時に悪性リンパ腫を患い、抗癌剤治療の副作用である、吐き気も脱毛も、全て体験済みでねぇ・・・2度目の癌を乗り越えても、きっと又50歳くらいになったら、3度目の癌になるだろうなぁ。。次は何の癌だろう?なんて言ってた彼でした。手術を受ける前に1度、会ったことがあります。彼はIT関連の起業家です。仲間と会社を立ち上げて、彼の役目は営業でした。若さもあっての、「イケイケどんどん」。お金を稼ぐのが、面白くて面白くて仕方のない様子でした。そんな彼が、余命を告げられるような状態の癌となり、価値観が大きく変わったと言ってましたねぇ。私がボランティアでこんなことをしているのが、不思議だったようです。変な話ですが、患者さんに会いに行く交通費も自腹なら、電話等の通信費も自腹。何かをする度、「お足」 が出て行く状態ですからねぇ。正直言えば、出て行くと言っても大きな金額じゃないから、やっていけるようなものです。そんな私が不思議だったようですが、人が得て糧となるものは、何もお金だけじゃないって事は実感した様子でした。元気になったら、営利を目的としない仕事をするのだと言ってました。「何を始めようかなぁ~」って、明るく笑いながら言ってました。 そんな彼でしたが、術後のQOLは著しく低下しました。彼の言葉を借りるなら、「元の体に戻るとは思いませんでしたが、もう少しマシな体になるかと思ってました」というようなQOLでした。彼の場合、あまりにも大範囲の腸が癌に侵されていて、腸の殆ど切除した形となりました。その為、食事だけでは十分な栄養が確保できず、高カロリーの点滴も不可欠となります。また、腸の多くを切除したことから人工肛門となり、頻繁な下痢となりました。何をするにも、トイレの存在を気にせねばならず、時に夜も眠れず、自由が限られました。思い切った切除をしたからこそ、2ヶ月を2年に延ばせた時間でしたが、楽な時間とは言えませんでした。時間が経過してもQOLが向上せず、彼は次第に鬱になっていきます。沢山友人をもちながらも、自ら壁を作りシャットアウト。メールする相手は私だけ。。。2009年に入ってから、そんな風に変わっていきました。鬱の次は自暴自棄となり「自殺」を口にすることもしばしばとなり。。。 どんな辛い治療でも耐えてみせますと言う日もあれば 元気になって野球している姿を、米村先生に見せたいのに ちっともそれが出来ない自分が悔しいです 先生にも申し訳ないですと言う日もありました。お母さまからは、若造君の感情の起伏が激しくなると、泣きながら電話がかかってきたものです。側にいるお母さまも、さぞ辛かっただろうと思います。お母さまは泣きながら言ってましたね、「例えどんな状態でも、生きていてくれれば良いんです」 って。どんなに息子に当たられても、その都度、喧嘩になってしまっても、入院費が毎月20~30万かかっても、何でも良いんです、生きてさえいてくれれば・・・・って。メールが途絶えて、メールしても戻ってきてしまって・・・もしや、もういないのでは???という思いはありました。もしかしたら、自ら旅立ったのでは???とも、思いました。思うだけで、怖い思いがしました。ですが、違いました。私は真の彼を見くびっていたようです。彼のお母さまが言ってました。 本人の希望で、気休めにしかならないって 地元の先生に言われながらも 抗癌剤治療を受けてました本人は、最後の最後まで生きることを諦めず、闘って逝ったそうです。シャットアウトしていた友人も、押しかけるようにして来てくれて、時に看病で寝ていない母親の代わりに、看病もしてくれたようです。そのお陰で、お母さまは眠る時間を取れたのだと言っておられました。最後は多くの仲間に守られて、闘って逝ったそうです。若造君が逝った翌日、ずっと子供の頃から生活を共にしていたお婆ちゃんまでもが、旅立ったそうで・・・可愛い孫を一人で逝かせるのは、忍びなかったのではないかと、お母さまが言われました。通夜、告別式は、若造君とお婆ちゃんと同じ日に営まれたそうです。見送りには大勢のお友達が訪れ、お友達の発案で、鳩を飛ばしてくれたのだとか。時間こそは間違いなく延ばせました。ですが、私と出会わなかったら、彼はこんな苦労をせずに短い時間ながらも、楽な余生だったかもしれません。この2年という時間は、彼にとって長過ぎたのか、それとも、短か過ぎたのか・・・どちらなのか・・・彼の気持を知りたい。。。お母さまからは、感謝の言葉を頂戴致しましたが、これで良かったのか。。。苦労をさせてしまっただけだったのではないだろうか・・・という思いがあります。お母さまからの、涙声での 「米村先生にも、貴女にも感謝しています、ありがとうございました」の言葉は胸に染みました。。。
2010年01月16日
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昨年の12月15日に 「ひょっとして虫垂癌?」 と題して書いた患者さんが、退院の運びとなりました~過去の日記を読んで頂くと、ざっと経過がわかると思います。この患者さん、ご家族も含めて前の病院では嫌な思いばかりしている方です。何をやっても期待できない、余命云々・・・そんな話しか聞いていなかったご家族は、米村先生の最初の受診でも、同じ事を言われたらどうしよう??本人を前に、余命の話なんてされたらどうしよう??と、真剣に心配していたそうですわ。で、初診の時に最初に家族だけ診察室に入れて貰って、「どうか、お願いですから、本人に余命宣告だけはしないで下さい」と懇願したのだとか。そしたら米村先生 嘘は言えません、僕はこういう人間ですからと、言うたそうな。。。この話を聞いて、博士と二人して大笑いです「よ~言うわ~」ってねそもそも、米村先生という人は、患者さんに余命なんて言うたこと無いと断言しても良いくらいです。そもそも、余命なんて当たらないし。。。受診前にメールを頂いていれば、そんな心配要らんって教えて差し上げましたのにねぇそんなこんなのご家族の苦労があって、ご本人は余命など知らされず、治療に励んでおられました。腹水が溜まるような状態から、FOLFOX が実に良く効いてくれて、本人、自転車で買い物に行ける程、本当に抗癌剤治療受けてるの?と思うほど、お元気になられました。そして、常に何とか切れないか?と模索する米村先生ですら、手術よりも抗癌剤治療の方が良いだろうと思っておられた患者さんですが、驚く程の効果が出て、手術となったのです。人工肛門は免れませんでしたが、年末年始は外泊が許され、その後は目に見えて回復され、退院となったようです。術後、しばらく痛みとの戦いだったようで、ご家族からは心配のメールが届いておりましたけど、許された外泊が、精神的に効果を現したようで、これが体にも伝わるんですねぇ・・・その後は見る見る回復し、退院となったようです。大きな大きな山を越えて、ご本人がポツリと言われたそうです。 命拾いさせて貰った あの時、米村先生が FOLFOX をやってみようって言ってくれなかったら、 今頃は、もう生きてなかったかもしれない ご家族は、言われていた余命だけは、上記のような苦労をしてまでも隠し通していましたが、当の本人はうっすらと感じていたようです。常々皆さんに申し上げておりますが、家族や医者が嘘を付いてくれても、体は嘘を付いてはくれませんよと。。。何も言わずとも、本人は体で感じてしまうものですからと。。。今は、FOLFOX の副作用の手足の痺れと、未だ不慣れな人工肛門にあくせくされているようですが、何よりご本人は前向きです。 今年は、もっと元気になるってね退院、おめでとうございます
2010年01月14日
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ふと気が付けば。。。ものすごぉく更新をサボってしまったような。。。???身内の不幸話など書いたものだから、皆さん、気を遣われているようで、ここ数日ケータイは鳴らないわ、PCメールも殆ど無いわ・・・こーゆー現象は、私にとっては 「ありえへん」 ので、間違いなく、気を遣って頂いているのだと思います。何気に思いっきりご迷惑かけてまんなぁ。。すみませんちゃんとお待たせしてたメールの返事は、書いてましたからね~連休はご存知の通り、ドタバタしておりました。亡くなった叔父は、鼻が高く、ほりが深く、息子でさえも、「禿げる前は、カッコ良かった」と言う程の整った顔立ちでした。今で言う、イケメンですわな。叔母って、面食いだったのね告別式は納骨までをも済ませるスケジュールで、朝8時半に集合がかかり、午後3時半過ぎにお開きとなり、ほぼ1日仕事でした。母と、博士とで見送って参りました。またまた私事の話ですけども。。。従妹が10年くらい前に、フランス人と結婚しましてね。この彼、本当にスマートな人柄とでも言いましょうか・・・必ず、女性を立ててくれます。お国柄ってヤツかしらん?何かにつけ、奥さんの意向を聞き、義理の母の意向を聞き、実によく気が効く人です。日本語はペラペラで、コミュニケーションにも問題なし。だもんで、親戚の女性連には、この彼、大人気この彼、体を鍛えてて、マッチョです。長年の 「お肉大好き」 がたたったのか・・・昨年、胆嚢炎になりました。兆候は随分と前から出ていたようですが、我慢していたようです。ところが、母国に帰省している時に、耐えがたい痛みに襲われたようで、母国フランスで手術となりました。フランスの健康保険制度って、どうなっているのかわかりませんけども、フランスで手術、入院をした訳ですが、費用はタダですって腹腔鏡下手術で胆嚢を切除、だから入院期間も短く、早々に退院となって今は元気です。30代で胆嚢炎って言うのも、これまたナンですけどもねぇ・・・これからは、油物を控えなけりゃいけませんねぇ・・・お肉好きの彼には、辛いでしょうねぇ・・・で、ここでちょっと心配になったのは、医療費がタダは羨ましいけども、ちゃんと切除した臓器を病理検査したのかしらん?ってことです。タダでそこまでしてくれるのかしらん?まぁ、タダって言っても、お国がお金を負担してくれる訳で、逆にちゃんとしてくれるかな。そもそも、30代で癌なんて、先ず疑いませんからねぇ。だから、逆にどうなんでしょ?その昔、日本では虫垂炎(いわゆる盲腸)や、胆嚢炎だと、切ってそのまま廃棄だったそうな。というのも、病理検査をしても、保険が降りなかったから。検査費用は、病院が負担せねばならなくなる訳で、経営上、無理だったようです。それが、胆嚢炎と言われて切除したものの、その後、癌が再発して、実はあれは癌だったという事がわかって、裁判沙汰になったという事件が、その昔、あったとか?それ以来、盲腸でも胆嚢炎でも病理検査に出しても保険適用となったようです。でも、普通、誰しも盲腸や胆嚢炎と言われて「癌?」とか思いませんから、手術後に病理検査しましたか?って聞く患者サイドもいないでしょうけども。まぁ、フランス人のマッチョな彼は、ただの胆嚢炎だったとは思いますが、フランスの医療事情を知らないので、ちと、心配になった訳です。
2010年01月13日
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私事でまっこと恐縮ではございますが。。。身内に不幸が出来まして、明日はお通夜、翌日は告別式・・・と、この連休はドタバタしそうです。隣町に住む叔父(70代)が肺炎で亡くなりました。父も母も兄弟が多いもんで、叔父、叔母というのが沢山いますです。この亡くなった叔父ですが、若い頃、40代後半か50代に突入してからか・・・現役で働いている時に、会社の健康診断で胃癌が見つかってます。(ちなみに、父とは血縁関係にありませんので、遺伝的なものではないです)まぁ、20年前後昔に胃癌を患った訳です。当時の常識は、本人には告知しないというもので、当の本人は真実を知らされないまま手術となったようです。奥さん(私にとては叔母)は、時間がかなり経過してから、実は・・・と、本当の話をしたようです。早期発見だったようで、再発もせずに無事に定年を迎えました。性質の良い、早期胃癌だったようです。今の常識から言えば、本人に告知しないなんて有り得ない状態ですわ。こんな叔父でしたが・・・父の法事に来てくれた時の事です。胃癌の術後、13~14年は経った頃です。もっと経っていたかもしれません。精進落としで親戚が雑談で盛り上がる中、ふと気が付くとこの叔父がいません。叔母に聞くと、具合が悪くて隣の部屋を借りて横になっているとのこと。痩せたなぁと思いましたが、胃癌の手術と言っても、部分切除。術後15年近く経ってダンピングでも無いだろうと思いますが、隣の部屋を覗くと横になっている叔父がいました。私としては、この日は父の法事で、わざわざ来て頂いたという思いから声をかけたのですが、ちょっと体を起こして、「大丈夫だから」 と一言。食事もあまり摂らず、どう具合が悪いのかもわからないまま、時間が過ぎました。あの時の調子の悪さは、一体何だったんだろう???叔母が言うには、何時ものことだからと、気にも止めていませんでしたけども。法事に来れるくらいだから、大したことじゃ無かったのか、それとも、父への義理立てで無理して来てくれたのか・・・そして、数年前に会った時は、太ったという印象でしたけど、目に力がありませんでした。脳に何らかの支障がある方独特の目をしていましてねぇ・・・それから少ししてから、デイサービスのお世話になっていると聞きました。肺炎で入院したというのが、昨年の初秋だったようで、年を越して旅立ったという訳です。実際、高齢者の介護施設でお仕事をしている方が言ってましたが、介護が必要なお年寄りには、胃が無い方が割と多いのだとか。だから、胃癌になっても長生き出来るものだと思っていたと言ってました。(この方は、ご主人を胃癌で30代で亡くされてます)父は、この叔父の息子の仲人をしているという事もあり、この叔父は随分と父を立ててくれていたように思います。だから、私も父の名代として見送って来るつもりです。追記未だ、復調できておらず。この声、何とかなりまへんかねぇ・・・
2010年01月09日
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今年に入ってから、実に滅入る情報しか入ってきておりません(敢えて、書いておきますけども、医療情報元は米村先生じゃないですよ)これから変わりゆく医療体制と、癌治療の成績と・・・諦めたくはないけれど、諦める気もないけれど、もう「限界」も見えたなと思わざるを得ない状況に追い込まれつつありますわなぁ。。。溜息しか出ません抗癌剤治療って、本来は手術不能な癌患者さんに対して、「延命」を目的として行ってきた治療でした。それが、手術不能な患者さんでも、先ずは抗癌剤で癌を縮小させてから「切る」と言う手法が一般的に広がってきたのは、ほんの何年か前の話です。術前化学療法ってやつですね。この術前化学療法ですが、ある一定のクール、まぁ2~3クールと言ったところでしょうか、これを経て手術というのが、「普通」になって参りました。「手術不能」と診断された癌患者さんにも、希望の光が点ったという訳です。数クール程度の抗癌剤治療では、手術しても回復に影響を与えることもないのですが・・・この何年か、長期に渡る抗癌剤治療を経て手術を受けた患者さんを見て参りまして、思った事なんですが・・・長期、抗癌剤治療を受けた患者さんは、術後の回復が遅いという事です。この時点での手術ですから、病状は進んでいますし、食事もまともに摂れない方が多いですし、体力、気力も含めて明らかに低下されてますから、そういった全てが絡んでの結果でもあるんでしょうけども・・・で、抗癌剤の歴史ってそう長くないし、新しい薬剤も出てきてますし、抗癌剤が体に与える影響というのが、実際のところわかってない。わかっていないから、想定外のアクシデントが起きることもしばしばです。抗癌剤の影響による、「消化管穿孔」の報告事例が増えていると聞きました。抗癌剤治療を長期、及び、大量に投与された患者さんは、ある日突然、消化管穿孔を起こすというものだそうです。薬剤の種類に関わらず・・・です。消化管の壁が薄くなり、そこに穴が空くのだとか・・薄くなった壁は縫えないので、自然治癒を待つのがセオリーだとか・・・これまで、「縫合不全」とか、術後、時間が経過してから、縫い合わせた個所がほどけてしまったとか、(過去に術後2年経過でそう診断された患者さんがいました)こういう状態は、抗癌剤の影響だったかもしれません。そう考える方が自然で納得できる場合もあります。近年、手法を変えて作られた、分子標的薬なんて特に未知の部類で、わからない事だらけ。だけどねぇ、この分子標的薬ですが、私の理解に間違いが無ければ、要は、癌の増殖因子を抑える事を目的とした薬剤でしょう?これって、確かに成功したんです。癌の増殖因子を突き止め、これを増やせないようにする薬剤は出来たんです。効果も出しました。ところがですねぇ・・癌細胞ってヤツは、あったま良いんですねぇ・・・別の増殖因子を作り始めちゃうらしいんですねぇ・・・増殖因子を抑える薬を開発しても、新たな増殖因子を作ってしまうんで、きりがなく・・この手法では、癌を抑えるには限界が見えてきたようです。そこで新しく考え出されつつあるのが、癌のアトポーシスです。癌細胞を自殺に追い込む手法です。正常細胞には、全てにおいて寿命があります。わざわざ、切ったりしなくても睫毛は勝手に生え変わり、何センチにもなりません。皮膚も代謝を繰り返して、垢となり新たな皮膚が出来ていく。これを繰り返していく都度、遺伝子の長さが半分、その又半分、その又また半分となり、無くなった時が命が尽きる時。これが正常細胞で、要は、正常細胞にはそれぞれ寿命があるのに、癌細胞には寿命が無い。増殖し続けるだけ。だから、癌細胞にも寿命を作ったろうやないけという発想らしい。いずれにせよ、どんな研究が成果を出してくれるかわかりませんけども、良心的な費用で庶民に回ってくるのは、まだまだ先でしょう。という事は、少なくても現状では、やはり癌は「切る」がベストという事なのではないかと思っております。追伸もう、何ヶ月も前にお知らせした、米村先生が複数の医師と共同執筆した本が、ぼちぼち出来上がります。年末にゲラを見せて頂く予定でしたが、ちょい延びました^^;米村先生いわく、「僕、勉強したからね」という本です(←おいおい)米村先生のワガママで、先生のページを沢山取って頂いたのだとか。。。情報入り次第、お知らせしますね。
2010年01月07日
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未だ、風邪が抜けきれておりませんこの鼻声、何とかなりまへんかねぇ???・・・って、聞こえてないがな?って、確かに2日から、メールのお返事はポツポツというペースで開始しております。体調がイマイチで、遅々としておりますが、ちゃんとやってますんで年末に、米村先生からこんな話を聞きました。 僕の患者さんの中に、ひろりんのブログを読んでいる人がおって その患者さんが、自分も死ぬんですか?って聞くんですわどうやら先生、返答に困ったらしい。。。これを聞いた博士が、 じゃ、書く内容を変えなければいけませんねと言うたんですが、この時、先生と二人して 嘘はいかん 嘘は書けないよと同時に言うとりました。私は、良い話ばかりは書けないと思っております。それじゃ、何だか悪徳商法みたいだし。。。良い話ばかりが書かれていては、返ってその良い話まで信憑性に欠けるというものじゃないでしょうか。それに何の為に癌患者さんは、知りたくもない、聞きたくもない告知を受けねばならないのか?という事になってしまうような気がしてます。自分の状態をちゃんと知る事によって、辛い治療にも耐えられるし、治療の選択の幅も広げられるし、自分の生き方を考えられるし、後悔を減らせるし、残す家族の事も考えられるし・・・こういった事を考えたくないのなら、何も告知を受ける必要は無いでしょう。何も知らない方が、どれだけ「お気楽」か。。。それも悪いとは言いません。その方が良いかも?と思う事もしばしばあります。簡単に治るような病気では、誰も真剣に治療や生き方なんて考えません。わざわざお金をかけて、遠路の病院なんて行く必要は無いですからね。それだけ難しい病気、手強い病気ってことです。諦めるのは容易いですが、挑むには勇気が必要ですからね。大きな声じゃ言えませんが、落ち込むのは何も患者さんの専売特許じゃないですよ。医療従事者だって、周りの方々だって、どえりゃー落ち込む事はあります。とは言え・・・私のブログを読んで、「自分も死ぬのか」と思った患者さんがいる事は事実な訳で。。。今後、どうやっていこうかと思いあぐねておりました。この際、辞めちゃう?も選択肢の中にありますが、今しばし、もがきながら続けていこうかと思っております。年末年始には、現在闘病中の患者さん、及びご家族はもとより、ご遺族となって久しい方々からもエールを頂いております。「続けてください」とのご要望に、どれだけ応えられるかわかりませんけども、そんなエールが届く間は続けようと思っております。
2010年01月05日
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明けまして、おめでとうございます年も明け、新たな気持で今年も頑張っていこうと思っております昨年も、その前の年も、メチャ忙しい年でしたけども、随分とこのペースと自分を合わせる事に慣れて参りました~こちらは、今年は良いお天気の元旦を迎えております。皆様方も、穏やかなお正月を迎えておられるだろうと思います。元旦早々、忘れかけていたというか、敢えて考えたくもない 「癌」 を思い起こさせるのもナンですし、私も体調はいまひとつですし、メールの対応は明日以降にさせて頂こうかと思います。年末の、ある患者さんとの会話をご紹介しますね。腹膜偽粘液腫の患者さん(70代・女性)です。ご主人が秋に亡くなられたそうで、喪中葉書が届いたんです。患者さんの体調こそは心配しておりましたが、ご主人の病状が芳しくない話など聞いておらず、まさに寝耳に水で、驚いて電話を入れたという訳です。この患者さんは2007年末に手術を受けています。良性の偽粘液腫でした。術後、本当にお元気になられ、普通以上の生活をエンジョイされてました。術後半年過ぎる頃には、ご主人の協力もあってご自宅の駐車場を畑に変え、夏野菜作りを楽しんでいるのだと聞いておりました。 米村先生に出会えて、あなたさんにも出会えて 本当に私は幸せやわ~そう笑いながら仰ってました。それが、昨年の6月に再発がわかりましてね。遠路、米村先生の大阪の病院まで診察に来られました。そこで、同病の患者さん方の苦労話を聞いて、 皆さん、人工肛門や食事、抗癌剤治療にとてもご苦労されていて 私は何て幸せな時間を過ごせていたことか 本当に私は幸せ者やわ~やはり、笑いながら仰ってました。そして、8月に再手術となり、この患者さんも人工肛門となり、小腸を切除したことから、経口だけの食事では栄養が不十分で、在宅での栄養点滴が不可欠となったのです。 今は小さなリュックを背負って、家でも普通に動けてます こんな便利な機械がある時代に生まれたお陰で、こうして家で過ごせます 本当に私は幸せやわ~ この小さなリュックというのは、栄養点滴を行なう上で必要なポンプを背負っているという事でしょう。ヒゲさんの奥さんが同じような生活を自宅で送っていましたから、良く知ってます。最初は、家の中のあらゆる個所にS字フックを下げて、動くたびに輸液を近くのフックに引っ掛けていたけど、リュックで背負う方法が一番楽チンだったって、ヒゲさんが言うてましたもん。訪問看護が週2回、往診が週1回という体制が整っているそうです。 大阪での手術後、1ヶ月入院。その後、地元の病院で1ヶ月入院している間に、ご主人が亡くなられたそうで。。。ドタバタの中での不幸となったそうです。「前からわかっていた事ですから」と、息子さんは言われましたけど、その後には「人生って色々ありますねぇ」とポツリとこぼしておられました。当の患者さんご本人は、 大変やったです 私が入院中のことでしょう そう言われましたけども、その後に こうして生きていられるのですから、幸せやわ~と言われました。常にどんな時でも、ご自分が持っている幸せを見つけられる方で、前を向くことのできる凄い方です。米村先生の話をしたら、 懐かしいわ~、飛んで会いに行きたいわ~と、仰ってました。先生ご本人には、ちゃんとこのメッセージを伝えておきましたよ
2010年01月01日
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