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しばらく、更新もせずにすみません。このところメールの対応に追われておりまして。。。今も、お返事をお待たせしている方々、本当にすみません。腸閉塞を含め、食事に苦労されている方が多いので、ちょっとばかり、経験を踏まえて今回は、栄養摂取のお話を。先ず、端的に言うと、食事が摂れない栄養不良の患者さんには、栄養の点滴で補う処置が取られます。この栄養の点滴ですけども、静脈から入れる透明の液体、まぁ、ブドウ糖ですね。これ500キロカロリー程度の栄養素です。ですけど体内に入り、カロリーとして現実的に起動してくれる分となると、500キロカロリーを下回ってしまいます。また、中心静脈から入れる黄色の高カロリー輸液は1000カロリーとか1200カロリーとかあります。遮光の袋がかけられているのは、中のビタミンが痛まないようにです。カロリーから言えば、これだけあれば食事が全く無くても大丈夫です。食べられない方にとっては、これ、強い味方。ですからあくまでも、食事の補助としてお薦めしてます。問題点と言えば、栄養の点滴血管に直接糖分が入る血糖値が上昇空腹を感じなくなる食欲がわかないって事でしょうか。以前からよく患者さんから耳にしていたんです。栄養の点滴をすると、お腹が空かない、食欲がわかないって。で、私自身の実体験ですけども、人は血糖値が高い状態だとお腹が空かないんですねぇ。我が家には糖尿病の母がいるので、血糖値コントロールの為に、血糖値の測定器があります。それで私も時々、測定しているんです。母の場合、両親も兄弟も皆、糖尿病なんで私も遺伝子的にありうる・・・と思いまして。ですが私の場合、何時計っても空腹時の血糖値は90未満。60~80台前半といったところ。ところが、たまに消化が悪くてカロリーが高いものを食べると、食事の時間になってもお腹が空きません。こんな時に血糖値を測定すると、90以上あります。個人差はあるのでしょうけど、私で言えば90以上あると敢えて食べたくない状態です。逆に80前後だと、「腹減った~」って感じです。余談ですけど、コレ、以前、米村先生にお話した事があるんですが、 アナタ、糖尿病は大丈夫やわ~って言われたんです。なんで、なんでわかるん検査もしてないのにって思ったんですが、計る都度、そうかもしんない、さいすが名医。。。とか思ったりしてですから、栄養の点滴をお薦めしながらナンですが、点滴すると更に、食べたくなくなるんですよねぇ。でも、でも、でもですよ。実際、食事が摂れない、おまけに抗癌剤治療で吐いてしまう、下痢が続く~では、脱水症状も心配です。栄養不良に加えて、抗癌剤治療による骨髄抑制で造血作用も低下している訳で、常に貧血状態と言っても過言じゃないです。それで、この間書いた患者さんのように低血糖で痙攣がおきたり、脱水症状で意識が飛んだり、貧血で倒れて打ちどころが悪かったり・・なんて実例報告が、私にはこれまで幾つも届いてますから。点滴なんてイヤって拒絶される方もいますが、変な意地張らずに今を乗り越える為にうま~く使って付き合ってくださいませ。
2015年01月31日
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久しぶりに、あのお若い胃癌患者さんの近況が届きました。お母様がね、報告をくれたんです。過去に3回ほど、書いております。最初は、2013年5月12日に。次は、この題目に変えて2014年3月22日、同年8月6日。あっ、もう4年目に入りましたから、ビミョーに題目変わってます。前回までは、肝転移から3年目でしたからね。最初に癌がわかったのは、2011年2月です。肝転移あり、腹水あり、腹膜播種ありでした。もちろん当初の病院では、ガイドラインにのっとり、抗癌剤治療による延命治療が行われ、当然のように手術不能の診断でした。治療はそこそこ上手くいっていましたけど、それでも、手術の話は出てこない。それで、思い切って米村先生の元へ来て、手術を受けたのが、2012年2月、癌発覚から1年後でした。過去に何度か書いてますけど、患者さんは20代の男性です。親御さんから見れば、まだまだ大人とは言えない未熟者。家の中では、小言の山。普通だったら、何も考えんと怒りまくりなれど、我が子は、ステージ4の癌患者。そう思うと、不憫になって叱るに叱れない。そんな心情だった訳ですが、元気が続くにつれ、親としての義務に目覚めて来ました。ちゃんとした社会人にせねば、それが親の役目。だけど、親がそう思う前に息子は病気を通して、社会の仕組み、現実を知ります。一見冷たい社会でも、冷たくせねばならない人も社会の荒波で生きる為の術なのだと理解し、また、時に人暖かさを感じ、感謝する人間になっていました。立派な社会人となりました。今、親御さんが心配するのは、正社員として働くようになって、ハードワークをこなしていること。そう、心配なのは体のことだけ。と言うのも、低血糖で痙攣を起こしたことがあるんです。2回ね。これ、他の患者さんにも相当するといけませんので、低血糖について少し、ご説明します。胃癌患者さんの場合、十分な食事量を摂れない方が多いです。人間の体は、摂取した食物を糖分に変換して、臓器を動かしているようなもの。だから、胃癌患者さんは、どうしてもカロリー不足に陥りやすいです。低血糖の症状として、よくあるのが頭痛。また、倦怠感や冷や汗という症状もあります。意識が飛ぶこともあり、低血糖って怖いんです。何か体調が変なんだけど。。。って思ったら、飴玉をなめて下さい。これ、糖尿病患者さんなら常識なんですが、常に飴玉を持ち歩くただ、これは私の場合なんですけども、空腹時に飴玉をなめる、もしくは甘い物を食べると気持ち悪くなる・・・という方もいるかもしれません。甘い物って、胃には負担だったりしますからね。その場合は、甘い物 + 何か別の食べ物。例えば、持ち歩きに問題ないせんべいとか、甘くないものも一緒に食べてください。ちなみに、この患者さんのように低血糖で痙攣なんて起こしてしまうと、痙攣を起こした間の事は、本人には記憶がありません。痙攣を起こしても、少しすると治まるようで本人はキョトンです。痙攣があった事を、本人にちゃんと話して自覚させて下さい。米村先生の手術を受けて、3年です。ますます元気。突然、消された未来や将来でしたが、いよいよ現実化して参りました。あっ、でも米村先生のげんかつぎなんで、完治は言いませんけどね。
2015年01月25日
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ついこの間のことです。手術を受けたばかりの患者さん(60代・男性)の娘さんから、手術内容の報告メールが届きました。この患者さんの発病の経過は私の父と似ています。胃の不調を感じたのが、2014年春。たまたま受けた職場の健康診断で、胃が荒れていると言われたそうです。9月になると、明らかに胃に不快感を覚え、10月になると、食事が通らなくなり病院へ。この時、スキルス胃癌・腹膜播種が判明しました。私の父も2001年春に胃がおかしいと言い出し、胃をさするような仕草が増え、夏には少量しか食べられくなりました。秋に病院に行った時は、スキルス胃癌。開腹するも、腹膜播種でインオペ。翌年の秋に旅立ち。。。でした。胃の調子がどうもなぁって半年も放置すると、腹膜播種のステージ4になってしまうのが、スキルス胃癌です。で、この患者さん、2014年秋に米村先生の元へ来られ、抗癌剤治療開始となりました。治療はDCS療法です。 D ドセタキセル(タキソテール) C シスプラチン(CDDP) S S-1 (TS-1)抗癌剤の3剤併用療法ですから、副作用も強い。この患者さんも、当初は相当の副作用でねぇ、もう、大変でした。治療は止めたいと言い出し、常にそばにいる奥さんもその姿を見て、オロオロと不安ばかりがつのります。おまけに、病院は自宅から遠い、遠すぎる。もう不安だらけです。娘さんは、必死のフォローの日々。この時、ご家族は一大決心をします。治療の為に自宅を離れ、病院近くにアパートを借りました。住み慣れた土地を離れて、縁のない土地で期間限定とは言え、生活するというのは、金銭面もさることながら、やはり精神面がね、辛い。何と言いますかね、堪忍袋の袋の大きさが小さくなってしまうと言うか、空気が違う場所のせいなのか、癌という病気がそうさせるのか、まぁ、不安定だらけです。そんな中で、辛い治療でしょう。手術前までも、そりゃ大変、大変。これ、皆さん同じですけども。で、術前には、腹腔鏡による温熱療法も施行。この時、腹膜に間違いなく癌はありました。ところが、いざ手術となり開腹すると、あった筈の腹膜の癌が消えていました。見事というしかないほどです。こう書くとですね、消えたならそれで良いじゃん。「癌が消えた」 とか魔法の言葉は色んな著書に出てきます。だけど、癌というヤツは消えたから安心じゃない。癌幹細胞が作り出した、ドーターキャンサーセルが消えただけのこと。癌幹細胞が眠り込んだだけのこと。癌幹細胞、コイツが存在する限り、癌は何かの拍子に起き出してしまう。その機会を癌幹細胞は、ずっと息を潜めて探ってる。だから、切ることに意味があります。ここで追記せねばならないのは、現状、癌幹細胞は見つけられないこと。どれが、癌幹細胞だか判別できないこと。だから、切除しても残してしまう可能性もあります。だけど、切れば幹細胞も切れる可能性があります。この患者さん、術前の辛い治療に耐えた甲斐は十分ありました。PCIスコアは、すべてゼロです。本当にお見事です。まだ、回復途上ですから、未来はこれからご自身で切り開いて頂くしかありませんけども、未来が、本格的に見えてきましたあっ、ちょっと余談をいいですか。あのね、娘さんから「今、手術室に入りました。また、術後にご連絡します」って内容のメールが来てから、なかなか報告メールが届かなくて、私、ホントやきもきしちゃいました。こういう時って、人間、悪い方向にしか考えが浮かばないものですねぇ。まさか、インオペ?とか、早々に合併症?とかもう、悪い想像ばかり。。。でも、良いご報告が頂けて、ようやく安心しました
2015年01月22日
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この方の話題は、年末からずっと書こうと思っていながら、今日になってしまいました。と言うのも、年末に患者さんの奥さんとたまたまお話する機会があったもので。昨年の6月11日に書いて以来となります。簡単に書くと、胃癌、それも印環細胞癌と診断を受けて、手術を受けたのが2008年夏。約半年後には、腫瘍マーカーが急上昇してしまい、CA19-9 が120まで上がりました。 「これはもう再発です 画像上でも腸間膜が腫れているし、腹膜播種です」と言われて米村先生の元に来られたのが、2009年3月です。だから、私とのお付き合いももうじき6年になります患者さんですか米村先生と同じで、ご自分の年齢おかまいなく、激仕事しておられます。自営業の社長さんですからねぇ、ご多忙はわかりますけども、働き過ぎじゃないですかってこちらが心配するくらい、働きまくりです。ここで皆さんに言うておきますけども、癌が再発していないからって、他の病気や怪我だってありますからね。癌ばかりが病気じゃないですからね。この患者さんだって、胃癌はどっかに行っちゃってますけど、甲状腺癌が見つかったり、脱腸になったり・・・って事があったんですから。甲状腺癌は、簡単に切除してハイ終わりになりましたから心配無用です。そうそう、昨年の12月に 「肺転移じゃなかった(大腸癌)あれから7年」で書いた、元気な大腸癌の患者さんだって、加齢黄斑変性症 で定期的に高い注射打ったりしているんですから。あっ、でもこれ、抗癌剤を卒業した途端、進行がストップしましたけどね。で、話は戻って、年末に奥さんと楽しいおしゃべりしたんですが、その時に、 まだ、米村先生に治ったって言って貰えないんですぅ だから、また半年後に診て貰います うちは、お陰様で米村先生に元気を頂きましたから、 何時間待っも5分診療で良いんです 今、大変な患者さんに米村先生のお時間は使って 頂きたいですからなんて仰っていて、半年後の診察が正に米村詣みたいです。米村先生はねぇ、何年経っても完治宣言は出さないと思うんですよねぇ。米村先生ならではの、「げんかつぎ」 なんです。完治って言わないことで、完治を目指しているというか。過去にねぇ、米村先生としても深く傷つく出来事があったんです。スキルス胃癌・腹膜播種で術後、5年を越え6年目に入った女性患者さんがいたんです。腹膜切除と、術中温熱療法が上手くいったんですねぇ。本当に元気でした。私も何度もお会いしてますから、間違いないです。だから米村先生 「完治宣言」 を出したんです。そしたら、間もなく再発。。。それからは、あれよあれよと言う間に癌が進行してしまいました。「治った」 なんて言ったばかりに、癌に隙を見せてしまった、だから、再発して癌が大暴走した。。。こんな風に米村先生が思っておられるのかどうかは、わかりませんけど、私にはそう見えます。何より、信頼する米村先生から治ったと言われて、実際、術後6年経って、この患者さんの喜びはどれほど大きかったことか。なのに、一気に突き落とされてしまった。この時のこの患者さんのお心を思うと。。。このお話をする時の米村先生は、本当に苦しそうです。決まって、眉をひそめます。今でも時々、話題に出ます。彼女の笑顔を思い出しています、胸の痛みと共に。だから米村先生は、もう完治宣言はしない。癌のヤツに隙なんか見せない。いつだって、こちらは臨戦態勢だぜぃなんて、思っておられるかはわかりませんけど、私にはそう見えます。だ・か・ら・・・完治宣言はしませんけど、正真正銘お元気だし、通院の必要も無い気もしますけど、でも、まだまだ米村先生にお顔を5分だけ見せに来て下さいませ
2015年01月20日
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今日は闘病や治療とは離れた内容です。年が明けてから、年賀メール宜しく、ご無沙汰していた方々からも、色々な近況メールが届いた話は以前書きましたね。その中には、ご遺族も含まれていて、息子自慢なんていう内容もありましたご主人は、2年前に大腸癌で他界されています。30代の若さでした。私にとっては珍しく、米村先生とは結局、縁もゆかりもないままだった患者さんなれど、不思議とお付き合いが今も続いております。多くの方同様にご主人の腹膜播種が判明してから、ご相談を受けていたのですが、かなり迷ったご様子でしたけど、米村先生のセカンドオピニオンを受けることもなかったんです。抗癌剤治療を続けるも残念ながら。。。という経過でした。病状がですね、私としましても積極的にお薦め出来かねる要素がですね、あったんです。遠方の地でもあり、お仕事の都合もあり、兎に角、諸事情踏まえての結論でした。そして。。。残念ながら旅立ちとなりました。現在、小学2年生の息子さんと幼稚園の娘さんがいます。いつまでも、泣いてばかりもいられません。奥さんは奮起しました・・・と言うより、せざるを得ませんでした。今もなお、日々奮闘しています。お若い未亡人には、田舎ゆえの勝手な妄想が付きまとうようで。。。時に、大いに同情され、悲劇のヒロインとなる。それが、逆に彼女を打ちのめした事もありましたが、ある時、彼女は気付きます。どんなに同情されても、気の毒に思われても誰もがやりたがらない役職に、仕方なく手をあげると、母子家庭で大変な方なんだからという同情はなく、誰も、代わろうとはしてくれない。世間の暖かさと、したたかさ。。。これ、実感らしいです。どんなに同情されても、自分の身に降りかからねば本当のところは理解されない。これ、社会の現実です。そんな現実など、おかまいなしにお子さん達は逞しく成長していて、その姿だけが、彼女を真の意味で支えています。今回のメールでは、小学2年生になった息子さんが亡くなったご主人が大好きだった、野球に打ち込んでいる事と、学校で書いた作文が、県の最優秀賞に選ばれたこと。少年野球を始める時にも逸話がありましてね、本人、お父さんが野球が大好きだったから野球をやってみたかったらしい。でも、少年野球って実際、お金がかかります。ユニフォームやら、スパイクやら、グローブやら、バットやら・・揃えるだけでもねぇ。。それで、お母さんは二の足を踏んで迷ってたんです。これに業を煮やした本人、勝手に申込書を提出してしまったらしく。。これ、父親ゆずりらしいです。で、この作文、読ませて頂きましたが、笑えたり、奥底にある寂しさが垣間見え、ちょっとグッときたりなんです。この少年、坊主頭なんです。今時・・・って感はなくもありませんけど、本人は、この坊主頭、気に入っているようです。何故なら、亡くなった父親が格好エエって頭をなでてくれたから。この記憶が強く残っているから、みたいなんです。「とうさんはしんでしまったから、もうなでてくれません」ってありましたけど。。。大好きだった父親が格好エエって言ってくれた坊主頭、自慢みたいです。
2015年01月18日
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今日は、あの虫垂癌の患者さん(40代・男性)の近況です。新年を迎えてからの近況が、ご本人から届きましたから、正真正銘の 「今」 です。昨年の8月2日の日記から、時々書いてます。以前の日記をご覧頂くとわかりますけども、昨年の6月の頃は、本当に大変な状況に陥っておられました。腹膜播種と言われ、米村先生の元に来られ、無事に手術を受けましたが、もうそろそろ2年になろうとしていた頃、地元で腸閉塞で再発、入院。絶食や、イレウス管での経過観察を2ヶ月くらい続けるも改善見られず、手術か、それとも緩和ケアか・・・と言った岐路におられました。ご本人は手術を望まれ、米村先生との連絡を試みるも上手くいかず。。それで、私に事実上のSOSメールが届いたんです。「米村先生に連絡がつきましたよ」って返信すると、それはそれは喜ばれましてね。何時の日か、必ず直接お礼を申し上げたいですと、何度も言われます。ですがこの時、単に米村先生に連絡が取れただけであって、たまたま、とんとん拍子に転院、手術という流れになりましたけど、私は、これまでの経験上、今後待ち受けているであろう困難が想像できます。これを乗り越えねば、元気も笑顔は戻らないでしょう。だから私も、何度も言いました。私への気遣いなど気にして下さるな。そんな事よりも、ご自分のお体の事だけを考えて、治療に専念して下さいと。これは言えなかったけど、必ず、生きて帰って来てくださいと心の中では思ってました。そして、今。。。小腸もかなり切除し、人工肛門となりまして、物理的に見れば、かなりな変化となりましたが、食事は普通の人並に食べることが出来ていますし、買い物や、初詣にも行けています。これはご本人の言葉そのままです 新年を迎えましたが、 自分のなかで、生きてる予定ではなかったので、 かなりとまどっています。 なにをしようか、先行きの予定は立ててよいのか、 人付き合いも荷物も整理されてるし、みたいな状況です。 嬉しい限りです。そう、ご本人も実際は私が懸念していた事を体で感じておられたご様子です。まだ、楽観しておられる訳ではありません。また、突然体調に変化なんて事になるかもしれないと危惧されています。それでも、予定外の新年を迎え、体調もまずまずです。明日よりも、来週、来月、そして来年・・なんてものも考えられるようになりました。まだミラクルは続きそうですあっ、くれぐれも申し上げておきますけども、このくらいの「お仕事」で私へのお気遣いは本当に無用ですから。だって、数え切れないくらいやってますし、日常茶飯事ですから全然、気にせんといて下さい。元気になって本当に良かった。
2015年01月12日
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私のブログの愛読者の方なら、多分、ご記憶にあると思います。昨年の春頃だったと思います。このブログに、術後の経過や状態に不満的な内容がコメントで寄せられた事がありました。卵巣癌・腹膜播種で手術を受けたものの、その後、どうもおかしい・・・鬱病なのか、認知症なのか、とにかく変だというお話でした。地元の病院に転院したものの、炎症の数値は高いままだし、何より、寝たきりで何もしようとしない。リハビリの 「リ」 の字もできないし、会話も成り立たないという状況でした。その後の検査で、脳梗塞が判明したのでした。そんな時にこのブログの存在を知り、娘さんがコメントを寄せた。。。という経緯でした。その後、娘さんとは直接メールで交流を持ちました。何度かメールの交流がありましたが、しばらく、ご無沙汰していたんです。その娘さんから、年明けに年賀メールが届きました。近況も綴られていました。あれから、病状は回復。それに伴い、会話もちゃんと成り立つようになったようです。ただ、胸膜に再発が認められたそうで、ご本人の意思で、治療は止めることになり、今は、緩和ケアの病院でリハビリを行っているようです。再発が認められ、治療を止め、余命3ヶ月と言われてから既に半年が過ぎようとしています。私に最初にメールが届いた頃は、それはそれは辛い状況であって、胸の内を吐露と言うよりも、爆発させていた感がありましたけど、今は違います。米村先生の手を離れてから幾つも病院を移り、最初の転院先の病院で言われた余命は3ヶ月。だけど実際は半年を経過していて、 これは、やはり手術のお陰だと思うようになりましたとありました。寝たきりだった時は、脳梗塞だからもうずっとこのままなのかと思っていたようですが、 今はこんな感じです、 ひろりんさんに見て貰いたくてと動画を載せてくれました。歩行器を使ってではありますが、しっかりとした足取りでリハビリ訓練中でした。リハビリを終えた後は、穏やかな笑顔。寝たきりだったのに、会話が成り立たなかったのに、生気が消えていたのに、今は違ってました。こうなると、つい欲も出てしまいます。米村先生が言っていた、「抗癌剤治療を続けた方がええよ」の言葉が脳裏をよぎります。でも、本人が選んだのは抗癌剤治療ではく、緩和ケア。自分の親であっても、人の命に口出ししてはいけないと寝たきりになった時に思った過去があります。だから、今は口を出すことに怖気づいていると言います。何が正解なのかわかりません。ですが、この患者さんの場合、今は、手術を後悔してはいません。やはり、手術して貰って良かったと思えるようになりましたと言います。あれから渡り歩いたそれぞれの病院では、少ない余命を言われたけど、その時間はいつも越しているのだから。。。この患者さんも、奇跡の時を歩き出しているように思います。
2015年01月08日
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年末に退院となり、何とかご自宅でお正月を過ごすことが出来た患者さん。年末年始を病院で過ごされた患者さん。年末に体調が悪くなって、お正月早々に入院となった患者さん。色々とご報告が届いています。病気が病気なだけに、厄介ですけども、今年も、乗り切って参りましょうお正月には、色んな患者さんやご家族、ご遺族の方から年賀状や、年賀メールが届きました。2012年6月~8月に 「命がけ?の帰宅 虫垂癌」 で書いた患者さんの奥さんからは、 ようやく緩和ケア会で主人の看取りの話が できるようになりました ひろりんさんのブログのファンですのコメント付きの年賀状が。また、「そりゃないよ まいちゃん成長記」 のまいちゃんからは1/2成人式(10歳)の記念写真付きの年賀状が。また、現在も病気と闘っている患者さんご本人からも、明るい内容の年賀状が。必ず毎年元旦に 「再発もせず元気です」と年賀メールを下さる胃癌患者さんのご主人からは、術後6年目の文字が。年末には恒例の丹波の黒豆も届きました。スキルス胃癌でご主人が他界されたのは2007年11月ですから、もう7年経ちますが、毎年、「栄養付けてくださいね~」 って送って下さいます。おかげさまで、黒豆を煮る腕前が向上しました2004年に知り合ったスキルス胃癌で母親を亡くした息子さんは、もう、すっかり良いパパになってます。毎年、写真付きの年賀状をくれます。そうそう、虫垂癌・腹膜播種で米村先生の元に飛び込んで来た患者さん、実は悪性リンパ腫だったって事がありましたが、この患者さんのご主人が今も時折メールをくれます。クリスマスにメールをくれました。米村先生の手術を受けた時に、病理で判明したので、その後は、専門病院に転院されましたから、完全に米村先生を離れた形です。悪性リンパ腫の治療が無事に終わって、今はご自宅で過ごしておられます。今年は、娘さんがご結婚だそうです。大きな腫瘍は米村先生が切除しましたからね。これが、良かったんじゃないかと思っています。「思いがけず」 の患者さんからも、お孫ちゃんとのにこやかな写真付きの年賀状が届きました。この患者さん、昨年の春に腹水ありのスキルス胃癌が判明したんですよ。今のお姿を最初の主治医に見せたら、目を丸くするんじゃないでしょうか。他にも、色々と届きました。必ず、私へのお気遣いの言葉が添えてあります。温かなお心遣いを今年の力にさせて頂きます。ありがとうございます。ある意味、お正月はひろりんサポート活動の年史を感じます。
2015年01月06日
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あけましておめでとうございます。年末の最後の更新は、ちょっと愚痴めいた内容となりましてすみません。逆にご心配をおかけしてしまい、新たに心強いエールを頂戴しています。ありがとうございます。昨夜は、横須賀の軍港のカウントダウンイベントに行ってまいりました。見辛いですけど、手前が潜水艦で後方に見えるのがイージス艦です。午前0時丁度に、全ての艦から警笛音のボォーって音が鳴り響きます。同時に花火の打ち上げ。船の年越しって、なんとも粋ですよね。でも、気のせいなのでしょうか?旅客船や貨物船の警笛音と比べると、高い音に聞こえました。昔、門司港で聞いた時は、このボォーがもっと低音だった気がします。軍事オタクの博士に聞いても、わからんって。。。ところで、しばらくご無沙汰していた患者さんから年賀状が届きました7月27日の日記 「愚かと言うべからず」 で書いた患者さんです。あの時は、まるで癌の末期への展開が予想されるような内容となりました。抗癌剤治療で苦しく辛い思いの時間を過ごすよりも、今の良い時間を大切にする方が、賢明な生き方ではないだろうか・・そんな大きな岐路に、強制的に立たされた風でした。あの時も書きましたけど、こういった考え方を否定しているものではないです。健康な時にしか語れない理想と、その時にならないとわからない現実は違うだけのこと。健康な時に語った理想を生き抜くことは、並大抵な事じゃないです。これが出来る人は、実際にはどれだけいるのだろうと思います。年末最後に書いた患者さんの経過でも感じることは、人はただ 「生きる」 事がしたい訳ではなくて、「明日」を考えられる 「今日」 が欲しいんじゃないかと。極端に言えば、明日を得る為なら、1週間後の時間を捨てても良い。。。究極を言えば、こういった心情でしょうか。そんな希望がなければ、今を生きることはあまりにも苦しすぎます。だから、例え他人には愚かに見える事であっても、それを 「愚か」 だと言うべからずだと思うんです。・・・でも、そんな岐路にいたハズの患者さんから年賀状が届いてますから~一時、よく電話がかかってきてましてね。いっつも泣いてばかりの奥さんでした。ハッキリ言って、米村先生じゃなければ絶対手術する医者はいないそんな病状の患者さんでした。今年の3月に手術を受け、夏には強制的な岐路に立たされ・・・でも今、穏やかにお正月を迎えています。年賀状には、患者さんと奥さん、4月に幼稚園に入った娘さんの明るい写真が載ってます。凄いことにですねぇ。。。4歳の娘さんの直筆サインが年賀状に、鉛筆で 「ちさ」 の文字。今年もちさちゃん、泣き虫ママを宜しくね。あっ、ひろりんと一緒に宜しくねをしようね
2015年01月01日
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