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昨日、おれんじさんからご丁寧な、お見舞いとお通夜参列のお礼のメールが届きました。あれから1週間が過ぎました・・・・こういう時間の経過というものは、おかしなものです。この1週間はもうずっとずっと昔のような気がしています。主治医への不満と、辛い思いも書かれていましたが、そんな中でも心優しい看護師さんもいてくれたそうです。入院前からお母様の相談によくのってくれた看護師さんだったそうで、お母様もとても信頼していたそうです。その看護師さんが、たまたま当直の晩に旅立たれ、母は、ひろりんさんと、この当直の看護師さんを待って逝ったのだと思いますと、書かれていました。ほんの少しだけど、ホッとしました。嫌な思いだけじゃなかったことがわかって。救われる思いが、ちょっとでもあって良かった・・・
2007年01月31日
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いつかはホスピスに入ろうと思っていますこんな言葉を何人もの患者さんから聞きました。言葉には出さずとも、頭のどこかにこんな思いを抱いている患者さんは結構いるのではないかと思います。ご自分が入院すると、病状がかなり悪い患者さんを院内で見かける事もあり、あんな風になる前に治療は止めて、ホスピスに入ろうと思いますそう、思うようです。ですが、実際はご自分から望んでホスピスに入った患者さんを一人も知りません。ホスピスというと、木漏れ日の中、車椅子に乗って愛する家族に押されてのんびりと散歩する。陽だまりの中で、気持ちよくうたたねをする。そんな場面を思い描きます。人はいつか必ず死ぬのだから、そんな風に穏やかに逝きたいと、癌患者さんじゃなくても誰でも思うものではないでしょうか。ですが、辛い抗癌剤治療に耐えて「時間」を得た患者さんは、自ら治療を止めてホスピスに入る事などもう選択出来なくなるようです。ホスピスを選択出来ないのであれば、最後の最後まで治療を続行するか、そのちょっと手前で治療を止めるか・・・選択肢は2つに1つという事になります。治療断念のラインは主治医の判断です。明らかにもう治療は難しいという場合もありますが、そうでは無い場合もあります。こういう場合はご本人、ご家族の意向が大きく左右します。治療を最後の最後まで続けた患者さんを何人も知っています。最後の最後まで治療を続けた患者さんの場合、最後の治療が、もしかしたら命を縮めてしまったのかもしれないと、後悔の念を抱くご家族も少なくありません。ですが、その最後の治療をしなければ、又、後悔したはずです。そして、その手前で治療を止めた患者さんも何人も知っています。知子さんがその一人でした。というより、私がそう判断しました。ご主人から全てを任されていましたから。もう1度タキソールという選択肢もあったのですが、知子さんの赤血球減少があまりにも顕著であった事、熱を出した事から、熱が下がっても、もう治療は止めた方が良いと思いました。この選択が良かったのかどうか、わかりません。最後の最後まで治療を続けても、その手前で断念しても、後悔をするのであれば、知子さんの負担を軽くする方を選びました。本人に真実を告げていなかったので、本人には恨まれているかもしれません。治療を止めた結果、時間を減らしてしまったのかもしれませんし、逆に増やしたのかもしれません。これは誰にもわからない事なのです。
2007年01月30日
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1年半~2年くらい前の話ですが、30代後半だったか、40代だったかな、この年代の女性患者さんの従妹さんから相談を受けた事があります。いつものごとくメールでの相談でしたが、ちょっと込み入った状態のようでした。患者さんは、スキルスで手術不可の状態。これに加えて、精神疾患ももっているそうです。この精神疾患のために、患者さん本人には癌告知は無理のようでした。病気や病状を理解し、自分の中に受け入れる事は到底不可能だというのです。精神疾患が絡んできますと、答えは難しいので、あくまでも一般的な話として●現在は手術が不可能であっても、化学療法が奏効すれば、長期延命が可能である事●化学療法には辛い副作用が付き物で「命に関わる治療」だと、本人が自覚せねば治療を開始しても、いずれ放棄してしまう事態が考えれる事●精神疾患は別にして、病状の理解と今後の予想を兼ねてセカンドオピニオンを受けてみて、それか ら判断するという方法もある事こんな内容をメールしました。相談してこられたのは、患者さんの従妹なので、自分がどう考えても判断出来る立場に無いので、患者の姉に話してもらえないかと言われました。この患者さんのお姉さんはメールが出来ないとの事で、電話でと頼まれました。電話ですと、時間を選べないという難がありますが、切羽詰まった思いは理解できますので電話で何度かお話しました。30分~1時間・・・もっと越えたかな・・・そんな電話でのやり取りを何度かしました。本人の意志は確認できない状態でしたが、とりあえず化学療法を施す事になりました。ですが、副作用でひどい吐き気に襲われ、案の定、患者さん本人は治療を拒否するようになりました。その辛さと、すごい嫌がり方を目の当たりにした、お姉さんや従妹さんも、ホスピスを考えるようになりました。命にかかわるとわかっていても、本人に真実を話せない、その本人が化学療法をとても嫌がっている・・・こうなれば、もうホスピスを選択せざるを得ない状況でした。ホスピスに関しても、何度か電話がきました。話していて感じたのは、この患者さんのお姉さんは私に答えを求めているのでは無いという事です。とにかく、ちょっと話が通じる相手と話したかった・・・それだけのように思いました。ご自分で質問を投げかけてすぐに「こんな事言っても、ひろりんさんだってお困りですよね」そう、言われました。そんな出口が見えない会話でも、必要な時があるものだと思いました。あの患者さん、どうされたかな・・・・
2007年01月29日
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知子さんの執刀医はY先生のお弟子さんでした。年間執刀数から言えば、日本屈指の数をこなしている医師です。ちょっと無愛想ですが、話し方は誰に対してもとても丁寧な方です。何度も病院に足を運ぶうちに、何度となくお会いしてお話しするようになると、見かけによらず(失礼な表現ですみません)実はとても繊細な方だと感じました。何を聞いても、決して上から物を言うような言い方をしません。Y先生のように笑顔をふりまくタイプではありませんが、何となしに親近感を感じる方。たまたま院内で見かけると(病院が大きすぎて、病院に行ったからと言って会う事は稀です)遠くからお名前を呼ぶのですが、振り向いて黙って手を上げるという「愛想」は持ち合わせていましたね・・・って、よく考えてみたら、見かけたからと言って、用も無いのに名前を読んで医者に手を振るヤツはいないか知子さんの執刀医は、このお弟子さんですが、担当医としてY先生のお名前もありました。退院後、医療情報として知子さんの自宅付近の病院リストを出して頂いた事があります。単なる病院名のリストですから、知子さんの代理で受け取りに行きました。外来受付においておくから、と言われて行ったのに、受け付けの人が患者さん本人じゃないと渡せないと言います。個人情報保護法の絡みだと言うのですが、ただの病院名のリストなんで、個人情報とは言わないと思うのですが、せめて患者さんの診察券が無いと渡せないと言います。わざわざ来たのに・・・・困っていると、たまたま、診察を終えて知子さんの執刀医である、お弟子さんが診察室から出て来ました。すかさず、先生~!!私の身元を保証してくださぁい!!と、お願いしてようやくリストを頂いた事がありました。また別の日、病院でばったりこのお弟子さんにお会いしたので、知子さんの近況をお話しするとY先生は何っておっしゃっていますか?と、何故か私に聞きます。自分のボスなんだし、毎日顔を合わせているのだから、自分でY先生に聞けば良いのに・・・って思いましたけど、Y先生がおっしゃっていた事をお話しするとそうですか、うん、それは良かったん~、どうもY先生という方は、お弟子さんにとっては、かなり怖い存在のようだ・・・
2007年01月28日
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常々、主治医とは良好な関係を築くべきだと申し上げておりますが、これは案外どころかとっても難しいと言えます。自分の時はどうだったのかと言えば、決して自慢出来るものではなかったですし^^;昨日も書きましたが、父の最期の主治医はやはり事務的な医師。外来を待っている時に聞く、他の患者さんからの評判とは、ちょっとイメージが違いました。話をよく聞いてくれるから、待ち時間がすごく長くなってしまうん~、そうかなぁ~?前の主治医が転勤になり、主治医が変更になったから、この医師にとっては言わば父は途中から入った患者。だから、いまいちなのかしら?そんな風にも思いました。こちらも、前の主治医を追いかけるつもりでいましたから、(前の主治医の転勤先はこの半年後に開院)まっ、半年間を無難に過ごせれば良いかな・・・と、敢えてこの医師との意志の疎通も試みなかったので、この医師は責められません。ですから、父が急変したからと言って、ここにきて相手に心の医療を求めるのは、厚かましいとも言えますね。多くの医師に言える事は、「とっつきにくい」という事です。質問したい内容があっても、言い出しづらい雰囲気があります。常に上から見られているような、気がしてしまいます。Y先生みたいに、ちょっと笑顔を見せてくれれば随分と違うのですが。すっかり医者慣れしてしまった私は、今はどの医師に対しても何でも質問できる厚かましさを身に付けました。そこでわかる事は、医師側も積極的に質問してくる人には、ちゃんと対峙してくれるという点です。もう随分と前にも書いた記憶がありますが、70歳を越えた叔父さんが、かなり進行したスキルスと診断されて、もう手の打ちようがないと主治医に言われたと姪御さんから相談を受けた事がありました。セカンドオピニオンを薦め、ドタバタと資料も揃い、セカンドオピニオンを受ける事になりました。あまりにも急な話で、セカンドオピニオンの予約は取れたものの、どうしても当日は初老の奥様しか出向けないと言います。初老の女性がいきなり医師の話を理解できるものだろうか?と危惧した私は、一緒に話を聞く事にしました。この時、腫瘍内科の医師の話を聞きました。医師はおざなりとも言える説明を終えると、何か聞きたい事があれば聞いてくださいと言うので、TS-1は5FUを改良した薬ですが、実際はどう違うのでしょうかこんな質問をしてみました。すると、いきなり身を乗り出して「水を得た魚」のように消化抑制について話し始めたのです。マニュアル通りに仕事をこなしました・・・という風でしたが、質問を始めてからは丁寧に、おもしろそうに話してくれました。私も勉強になりました。患者側から積極的に何でも質問する、これはとっても大切な事だと思った出来事でした。
2007年01月27日
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昨日は初めて写真を入れてみましたら、案外好評みたいですいまいち、取り込み方がわからなくて四苦八苦しました。何故、今まで写真を入れなかったのかと言えば、やり方がわからなかった!!というだけで、単なるPCオンチなんです先日、主治医と合わなくて最後に不満をぶちまけてしまった患者さんのご家族の話を書きました。医師は優秀な医師ですし、たまたまこの方と合わなかっただけかもしれません。人ですから「相性」もありますから。ですが、対応がまずかったという点は否めそうもありません。医師も人、特に癌患者さんばかり沢山対応していますと、残念ながら「死」という別れは避けられません。心のこもった医療を志しても、何十人、何百人に対して心は砕けないでしょう。自分の精神を守る手段で、事務的な言い方になるのかもしれません。かくいう、父の最期の主治医もこの主治医と同じようなタイプでした。脳挫傷を追い、前頭葉に損傷を受けた父は「寝たきり」状態になり、その後無理して苦労して、市内の病院から、本来お世話になった癌専門病院に搬送したいきさつは、左のフリーページに書いています。手を貸せば歩ける父を「寝たきり」と家族は認めたくなかったのですが、病院に到着してすぐに診察したこの主治医は寝たきりですね、寝たきりの方に癌治療は出来ませんし、必要ありませんろくに診もせずに、迷いもせずに簡単に言いました。必死な思いで連れて来たというのに、この言葉には打ちのめされました。そして、転院を薦められ・・というより余儀なくされ、命を預けた病院に手の平を返された思いでした。その後、感染症から転院できなくなり最後までの約1ヶ月間この病院で過ごしました。入院期間なんて短いに越した事はありませんが、この1ヶ月という入院期間はこの病院の冷たさだけを感じた訳ではありませんでした。主治医は相変わらず事務的でしたが、必ず一緒に回診にくるレジデントの2名の医師のちょっとした心配りに救われました。今でも忘れられないレジデントの医師の言葉があります。主治医は患者である父の様子しか尋ねませんが、このレジデントの医師は徹夜で付き添う家族の体調にも声をかけてくれました。患者さんの具合はどうですか?と、主治医。ご家族さんの体調も大丈夫ですか?と、レジデントのM田先生。1ヶ月もいると、こんな救われる思いもあるものです。ですが、先日他界した患者さんの場合は、入院期間が5日です。入院期間が短い事は、患者さんにとってもご家族にとっても良い事だと思いますが、ただ病院や医師の冷たさばかりを感じてしまう時間になってしまいました。それが、とても残念です。
2007年01月26日
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今日はとても天気が良かったので、午後から隣町の菜の花が満開の公園に主人と散歩に行って来ました最近は土日は出勤だし、大晦日も正月2日も出勤・・・一体、いつから工学博士はサービス業になったのやらこの菜の花を見るためには、かなり急な長い階段を登らねばなりません。散歩というより、ちょっとしたハイキングです。ここは、昨年も今ごろ訪れました。知子さんが他界して、少ししてから来たところです。幾晩も一緒に病室に泊まりこみ、ずっと付き添った患者さんでしたので、知子さんが旅立った後はもう心が疲れきってしまいました。どうにも泣けて、泣けて・・・・病院に行く事もなくなり、日常が再開し始めたら、どうにもぽっかりと穴が空いてしまって・・・そんな中でも、メールにはお返事していましたが、疲労は蓄積していたのかな。とにかく、何も考えずにボーッとしていたい・・・そう、思っていた時にここへ来ました。満開の菜の花の先には、海も見え、そんな景色を何も考えずにただ眺めていました。今日もそんな風にして過ごしてきました。ちょっと元気になれたと思います。だけど、去年もそうだったけれど、この満開の菜の花より私を元気にしてくれたものは患者さんからのメールでした。去年も何人かの患者さんがメールをくれて、微笑む事ができました。今年も届きましたメールにコメントに・・・これが何より私の元気の源のようです。
2007年01月25日
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昨日の夜、昨日亡くなった患者さんの娘さんにメールを送りました。そろそろ落ち着いた頃合かと思い、葬儀日程の連絡を頼みました。すぐお隣の市にお住まいなので、行こうと思ったのです。この彼女は、このブログにも何度か投稿して頂いている、おれんじさんの事です。メールを送るとすぐさま電話がかかってきました。連絡せずにすみません、お通夜は今夜で8時からなんです時計を見ると、7時40分でした。あと20分でお通夜が始まる事になります。てっきり翌日だと思い込んでいた私は、一番忙しい時に連絡を入れてしまったようです。とにかくお通夜の会場であるお寺の名前と住所を聞きました。このやり取りを側で聞いていた主人が、メモ用紙に大きく「これから行こう」と書いて私に見せます。これでいて、結構私の良き理解者みたいです。急いで黒のセーターに黒のスカートに着替えました。この間、主人はPCで地図を出し場所の確認。数珠やら、おふさやら、とにかく葬儀セットをあたふたと用意し、主人の運転でお寺へ向かいました。主人も、一度この患者さんとは会っています。もっと若くして旅立った患者さんを沢山知っていますし、人生の幸せは時間ではないとも思っていますが、この53歳という年齢はやはり「早すぎる」と思ってしまいます。お寺に着いたのは8時40分。何とか読経の間に到着できました。お通夜の儀が終わって、喪主を務めていたおれんじさんは、気丈に次々と弔問客の応対をしていました。そのおれんじさんが、私の顔を見た途端、私の手を握りうなだれてポロポロと泣き出してしまいました。お世話になりっぱなしで・・・と、何度も繰り返します。ううん、そんなことないよだって、本当に何もしていないんです、私。この2年、本当に色んな事があった・・・でも、勉強になりました。そう言って、又泣き出します。また、連絡させてくださいそういう彼女にうん、待ってるからねと言って、この場を去りました。泣くつもりは無かったのに、大粒の涙が抱えていたコートに落ちてはじけました・・・・
2007年01月24日
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午前中に昨日お見舞いに行った患者さんの娘さんから電話がありました。本日の午前2時に旅立たれたそうです。今、母と綺麗な景色を見ながら一緒に帰る途中なのだと言っていました。母もひろりんさんには感謝していましたし、最後にお会い出来て喜んでいると思いますと言って頂きました。お礼と感謝の言葉を沢山頂きましたが、何とも切なく、悲しく、もどかしく、そしてどうにも虚しい感情が渦巻いています。主治医を変えてもらおうかと何度も思ったけれど、命を預けている相手になかなか言い出せず、冷たい態度や言葉をずっと耐えてきました昨日、娘さんはこう言って泣き出しました。最初に出会った外科医をとても気に入り、お母さまも、娘さんもこの外科医の話になると笑顔だったけれど、内科に移った途端変わってしまいました。化学療法自体は、心配なくまかせられる技量を持った内科医です。テレビにも出た事がありますし、日本では数少ないと言われる腫瘍内科医の一人です。担当医の名前を聞いた時は、安心したものです。優秀な医師である事は間違いなく、この医師の治療を受けられる事はそれは恵まれていると言えるでしょう。ですが、この優秀な医師は患者さんにとって医師ではなく化学者だったようです。人はいつか必ず誰もが死ぬのだけれど、その時一番求めるものはやはり、人の情ではないでしょうか。
2007年01月23日
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待っていてくれました。久しぶりにお会いする患者さんは、意識がなくベッドに横たわっていました。娘さんとも久しぶりにお会いしました。主治医は化学療法のスペシャリストと言える腫瘍内科医ですが、ハートがないと娘さんは嘆いていました。医師の僅かな気配りのある言葉で、患者も家族も安らげるものなのに、どうもこの医師は事務的で、体にも触れないし、人として何かが欠けている・・・そんな風です。この医師の対応が悔しいと涙ぐんでいる姿を見ると、たまらなく切なくなり、又私自身も涙が滲んでしまいまいした。患者さんもご家族も、体調が良くても外来日は怖いものです。「死刑宣告」を受けるのではないか?・・・頭のどこかでそんな思いをもっています。入院って言われるかも?もう、帰れないかも?怖くて、怖くて、そして勇気を持って診察室のドアを開けるのです。患者さんがどんな状態であれ、医師のちょっとした明るい言葉や笑顔・・・そんなもので救われる思いがあります。意味がなくても、体に触れてくれるだけで安心する事だってあります。そんな思いに気付かない医師がいる事が悲しくなります。腹水も溜まらず、腸閉塞の症状も出ていませんでした。体内のどこかで出血を起こしたようで、それが大量出血となったようです。デュロップパッチを使用していたとは言え、数日前までご自宅で過ごされていた事実は多くの患者さんを見てきて、本当にスゴイと思いました。病気発覚から2年ちょっとが過ぎ、本当によく頑張ってこられたと思います。車で往復100キロを越える距離を走って来ました。運転は好きなんです・・・一人で長距離運転していると「無」に近い状態になれるから。でも「無」に近いだけで「無」ではなくて・・・いつだったかなぁ・・・・どなたかのお見舞いに行った時だったかハッキリ覚えていませんが、たまたま外来に来ていたこの患者さんを見かけました。外来の待合の椅子に座っておられたので、声をかけました。ちょっと、精神的にパニックを起こしておられたようで怖いのよ、何だかとっても怖いの目に涙を一杯浮かべて、こう言って私を見上げました。私は何も考えもせず、ただ両ひざを床につけて目線を合わせ、抱きしめた記憶があります。大丈夫・・・って。切ない記憶ばかり蘇る・・・そして涙が溢れてくる・・・・
2007年01月22日
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土曜日にある患者さんの娘さんからメールが届きました。お母様がこの病気で、この娘さんと知り合ったのは2005年の春でした。住んでいるところが近い事もあって、患者さんであるお母様ともこの娘さんとも、何度かお会いしています。スキルスが発覚して術前化学療法をしてから手術に持ち込んだのが、2005年10月でした。ですが、実際開腹してみると膵臓との癒着がひどく、残念ながらバイパス手術を施行して閉じるという結果になりました。この時、お見舞いに伺いました。随分と以前に書いた事がありますが、私が病室に入るとこの50代の女性患者さんは体を起こし、ベッドの上で正座をされ私に深深と頭を下げられました。応援してくれたのに、こんな結果になってしまってすみません。私が死んだら、貴女と娘の事は私が守りますから。本当よ、本当に私が貴女と娘を守るからね。そう、娘さんと私に向かって言われました。その後、TS-1からタキソールに薬剤を変更しながらも、何とか化学療法が奏効し今に至りました。ですが、そのお母様が金曜に緊急入院となりました。土曜の晩には一時危篤になったと連絡が届いたのが今朝です。何とか、落ち着かれたようですがとても厳しい状態のようです。短期間で駆け抜けてしまう患者さんが少なくないこの病気です。楽ではない化学療法で、ここまで頑張ってこられたのは、ご本人と娘さんをはじめとするご家族の努力の賜物と言えます。実際、同時期にお会いした患者さんが他に3人いますが、残念ながらこのお三方は皆さん半年~1年前に旅立たれています。今、床に伏しているこのお母様は、努力と「運」が味方したのだと言えると思います。明日、お見舞いに行って来ます。間に合う事を祈りながら・・・・
2007年01月21日
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ふ~っ、今日はさぶいです・・・先日、ここで書いた「2度目の胃癌がスキルス」の患者さんからメールを頂きました。「年配」ではありません、自分は若いですははは・・・大変申し訳ございませ~んm(_ _)m見た目も、気力も充分にお若い団塊の世代でした~そもそも、この年代の方を「年配」などと称したらY先生にも怒られそうです^^;術後、この春で2年を迎えられる方ですが体重も5キロ増えたそうで、再発もせずにお元気に過ごされている患者さんのお一人です。昨日は患者さんやご家族からの愚痴は聞き役に徹すると書きましたが、中にはそりゃないだろう~と私自身も同調というか、腹立つ内容もあります。もう、本当にデリカシーが無い!!って。その中の二つを紹介します。一つは、50代女性患者さんから聞いた話。胃全摘の手術を受け、退院してしばらくぶりに自宅に帰った時。お風呂へ入るために脱衣場へ入ったら、同居のお姑さんがいきなりドアを開け手術の跡を見せてと、言ったそうで・・・この患者さんは、すごい屈辱だったと言っていました。話を聞いただけの私ですら、腹立たしくなりました同居のご家族でありながら、お姑さんには絶対に病気の事実は話さないでくれと、ご主人に懇願していたお気持ちが理解できました。ご主人はこの患者さんの気持ちを汲み取り、お姑さんには事実を話さなかったので、それ故に出来た摩擦も少なくなかったのですが。無理して料理を作ったり、寝込みたいのに我慢したり・・・・お姑さんに意地を張っていました。その気持ちも、女性としてわかりました。もう一つは30代女性患者さんから聞いた話。入院中、この方は個室に入っていました。ここの病院は、古くて個室でもトイレが付いていない個室があり、この方の個室はトイレが付いていませんでした。病状を考慮して、室内にポータブルトイレが置いてあり、これを使用していました。お見舞いに伺った事があるので、この方の病室は見ていますが、個室だからベッドを遮るカーテンは無かったように記憶しています。もちろん、窓のカーテンはありますけどね。で、用を足している時にたまたま主治医の回診があったそう。用を足している最中だと言うのに、この主治医は何事も無いかのように普通に回診して病室を出ていたと言うのです。上はパジャマを着ていますから、見えないにしてもデリカシーが無いわ~すんごく怒ってました。そりゃそうです、女は灰になるまで女という言葉がありますが、70歳、80歳の年齢だってこんな事されたら絶対に腹立ちます。この患者さんは30代です、怒り心頭でした一緒になって腹を立てた患者さんから聞いた話でした。本当にデリカシーが無いと思いました。そういう自分も、パワー溢れる団塊の世代の方に対して「年配」などと書き、デリカシーが無い人間ですね^^;ホント、すみません
2007年01月20日
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昨日は主人が急に休みとなり、午後から思い立って富士山の裾にある日帰り温泉に行って来ました水着で入れる温泉です主人と行くと、普通のお風呂だと男風呂と女風呂に分かれますからね。一人で温泉に浸かっても、30分が限界~ですから、水着で1時間半くらい色んな温泉に浸かってきました。足湯にドクターフィッシュ(こんな呼び名でよかったかしら?)がいて、足をつつかれてきました。小さな黒い魚が沢山集まってきて、長時間正座した後にピリピリくる、まさにあの感覚でした。初体験なので、はしゃいでしまいました闘病や入院が長引いてきますと、悪い意味での「慣れ」も生じてきます。この病気は、瞬く間に駆け抜けてしまう方もいますが、癌が取りきれなくても抗癌剤が長期奏効して、普通に過ごされる方もたくさんいます。この「普通」は「普通」であっても、やはり患者さんにとっては「普通」ではなく、この微妙なニュアンスを周りに求めると、時に摩擦も生じます。そんな愚痴を患者さんからも、ご家族からも結構聞いてきました。こういった愚痴は、誰かに言ってしまえば大抵は納まるものですから、聞き役に徹しています。このブログに書く内容は美談とも言えるものが多く、時に「家族愛」だったり、「夫婦愛」だったり、「親子愛」だったり・・・・これは全て真実ではありますが、そういった方々だって喧嘩や愚痴が無い訳ではありません。美談も喧嘩も愚痴も、ごく当たり前の日常の一部です。こんなにも努力して頑張っている方々がいるのに、ご自分の環境を思い「情けなくなります」というメールも時々届きます。ですが、それも又「普通」なんです。誰しも体調が悪い時には優しくなれないって、事を念頭においておいてください。心の中は感謝で満ち溢れていても、どうにも体調が辛い時はかんしゃくを起こして怒鳴り散らすような事だってあります。そんな時は、その方の本来の姿ではないのだと思ってください。病気が一時的にそうさせてしまっているだけなのだと。そして、最も大切なのはこの「慣れ」を「疲れ」にしない事です。「疲れ」というものも、人から「優しさ」を奪ってしまうからです。
2007年01月19日
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この間のテレビ東京の「主治医が見つかる診療所」という番組を見ました。テレビ欄に「癌」の特集である見出しが書いてあったので、こういう番組はつい気になってしまいます。最近は治る「癌」も増えてきて、一人の人が転移や再発ではなく他の「癌」という病気にかかる事もさほど珍しい事ではないようです。一昨年、年配の男性ですが20年前に胃癌を患い、そして今、スキルスの患者さん!という方と出会いました。この方にしてみれば、2度目の胃癌です。20年前の胃癌で、胃を部分切除。20年間、何ともなかったのですからこの胃癌は完治と言えるでしょう。それが、20年の時を経て再度の胃癌はスキルスだった!!という訳です。ここでふと疑問が出てきました。では、20年前に胃を全摘していたらスキルスにはならなかったのでは??何年か前に国立がんセンターの講演に出向いた時に聞いた話ですが、ある小さな島国には胃癌になる遺伝子をもつ民族がいて、この民族の人は皆胃癌になるというのです。胃癌にならない為にはどうするのか?というと、健康な胃を切除してしまう・・・という結論に至り、ある年齢になると皆、胃を切除するのだそうです。胃がなければ胃癌にはならない・・・という理論です。すごい極論だなぁ~と驚きましたけど。この遺伝子は日本人には無いと、その講演の医師は言っていました。ですから、この2度目の胃癌になった方は20年という時間をかけて、たまたま新たな胃癌を作ってしまったという事になるのでしょう。何故、2度目の癌が又胃癌なのか・・・はわかりませんけれど。この患者さん、今もお元気にしていますそうそう、番組内で抗癌剤の薬瓶が幾つも並んでいるカットがありました。ハーセプチンとか、他は何だったかなぁ~よく覚えていませんが・・・左端にあった2本の瓶のラベルが目にとまりました。1本はドセタキセルと書かれていて、もう1本はタキソテールと書かれていました。おいおい、2本とも同じ物じゃないかい!!と、意地悪な突っ込みを入れたのは私だけでしょうか
2007年01月17日
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少し前に29歳の女性患者さんからメールを頂きましたこんな、私でも頑張っているって書いてくださいという内容で、ちょっとびっくりしましたが^^;ここの私書箱では文字数に制限があるので、詳細を別途メールして頂きました。今までの経過が書かれていましたが、それが・・・スキルスだけでは無かったので、はたまた驚きまして、何度も読み返しちゃいました。はるなさんというお茶目でチャーミングな未婚女性です。お写真も送って頂いて、本当に可愛らしいんですよ5歳の時に交通事故に遭われた時に1週間も意識不明だったそうです。この時に死んでしまってもおかしくなかったようですが、死神が尻尾を巻いて逃げ出したようです^^;だって、この後にも命を落としてもおかしくないようなご病気をされながら、今もお元気でいるのですから。昨年5月に胃痛と嘔吐で異変に気付かれ、スキルスと診断を受けられました。胃全摘の手術を受け、ステージ3との診断。現在は休職中で、TS-1+シスプラチンの化学療法を受けておられます。辛い、下痢や手足のしびれ、物忘れ等の副作用もちゃんと?出ていて、多くの方同様に辛い思いもされながらも、前向きで辛いからと言って、治療を止めたいと思った事はありませんと、書かれていました。はるなさんは、スキルスだけでなく、特殊とも言える持病もあり、又、病気とは関係なく悩み事から一時的に精神的に病んでしまった経験もお持ちです。ですが、癌という病気に出会った事で逆に前を向けるようになったとおっしゃっています。精神的に強くなったと感じられておられます。今まで、死んでもおかしくない経験を何度もしながら死なずにいたのだから、癌なんかじゃ死ぬ訳が無いっていうのが、晴菜さんのポリシーです^^スキルスだけじゃなくて、はるなさんはやっかいとも言える病気を持ちながら、本当に逞しい女性です。逞しくて、チャーミングな晴菜さんがとても好きになってしまいました。今後も近況を報告して頂く予定ですので、時折ここでも報告しますね。
2007年01月16日
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昨日は朝6時前に起床して、7時に家を出て茨城まで行ってまいりました。知子さん(享年54歳)の一周忌だったんです。(ボールマン3型の胃癌で、発見時にはかなり進行していました)大勢集まっての法事でした。私ら夫婦は、厳密に言えば血縁関係でも無いし、お招き頂くのも悪い気も致しましたが。実姉と、ご主人と、交代で病室に泊まり込んだ「仲間」なので、厚かましくも出席させて頂きました。知子さんが旅立ってから1年・・・その間、中3だった三男坊は高校生になり、長男夫婦には今7ヶ月の男の子が生まれました。長男夫婦に子供が出来たと判明した時、知子さんは静岡で治療入院中でした。その長男夫婦がお見舞いに来ている時に、私も病室に出向きましたが、あの時知子さんは顔をくしゃくしゃにして喜んでいました。「おばあちゃん」になるって言うのにね^^思えば、一昨年7月の長男の結婚式にさえ元気でいられるだろうか・・・そう、心配していたものです。それが、見事叶って痩せてしまったとは言え、綺麗に着飾って新郎の母として立派につとめあげました。人間というものは欲張りで、結婚式に出れたらその次は孫の誕生までは元気でいて欲しい・・・皆がそう思っていたけれど、欲張り過ぎちゃったのかな、これは叶いませんでした。法事の後は久しぶりに知子さんのお宅へ寄ってきましたが、デブ猫も人懐こい犬も変わらず元気にしていました。居間でふと天井を見上げると電気の傘が変わっていました。あたりまえに目にしてきた日常の物が少しずつ変わっていく・・・これが、時間が経過するって事なんでしょうね。知子さんの事も「患者さんの話」で、紹介していこうと思っています。
2007年01月15日
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体はいつまでも嘘に付き合ってはくれないと、色んな形でお話しして参りました、それを改めて感じたエピソードを一つ。昨年12月26日に、旅立ったpeeさんから亡くなる1ヶ月くらい前に、ご自分の状態の詳細を書いたメールが届いた事があります。その後に私は未だ大丈夫でしょうか?そう、書かれていました。まだどころか、まだまだ、ずっと大丈夫ですよと返すとそんな嘘言わなくていいです、もう駄目なのにぃ~と、すぐに返事がきました。慌てて再度メールを打っている時に又、peeさんからのメールを着信しました。ごめんなさい、あんな事書いちゃって。ありがとう。こんな私だけど、最後まで宜しくお願いしますと、今度は書かれていました。嘘を言って欲しくてメールしてきたのでしょう。だけど、実際、予想した通りのメールが返ってきたら、ちょっとすねてしまった・・・そう、感じました。嘘でも希望が欲しい・・・そんな思いは誰もが持っています。まだ頑張らなきゃそう、言っていたくせに年賀状を出しますからねって言っても、この件には一切触れずにいました。もう、年は越せないと思ったのでしょう、私の問いかけに答えないなんて一度も無かったから。どうしたら前向きになれるのでしょうね・・・これは、こぐまママさんが亡くなる4日前に私に送ってくれたメールに書かれていた言葉ですが、この答えをもう何年も探し続けています。患者さんの数だけ答えがあるのだと、この何年かで思いました。peeさんは自分で叱咤激励してました。
2007年01月13日
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今週発売の週間朝日に癌治療の病院特集が載っています。今、流行の病院ランキングです。どこでどうポイントを稼いだのか、Y先生の病院が今回はトップになっていました。いつも、Y先生は上位に出てくるあの二つの病院を意識されていますので、これは喜んでいるだろうと思い、遅ればせながら新年の挨拶を兼ねて、この週刊誌の記事の事を書いてメールしてみました。そしたら、1位になったものの、後は落ちるだけですですってん~確かに言いえて妙です^^;こういった病院のランキングは、患者側からみた充実度というか、満足度ですから主人に言わせると病院の赤字ランキングですが患者側により良い病院を実現させるには、間違いなくお金がかかります。例えば、注射針1本も値段はピンキリだって事、知っていますか?大抵は70~130円程度らしいです。が、なるべく痛くない針となると1本200円くらいします。どの針を使おうが、患者側が支払う額は同じだし、健康保険から出るお金も同じ。ベテランの医師が上手に刺しても、医師になりたての新米さんが刺しても金額は同じ。病院で良くみかける点滴を管理するポンプ、これだって1台100万~します。こんな高価な機械、何十台、何百台とまとめて購入すればもっと安く手に入るようですが、それにしたってすごい金額になります。大きな注射器を押し出すような機械、よく塩モヒに使用しますが、これになると200万~するんですよ~ですから、病院によっては経済事情から栄養点滴等はポンプなしで直滴で落としたりするんですよ。それでも、保険点数は同じ、支払いも同じ。患者さんがより満足するためには、お金がかかる・・・すなわち赤字が増える・・・という、事になるんですよねぇ・・・昨日、訃報が2件届きました。ずっと、メールでお付き合いがあった方々なんです。かっちんさんのお父様、ひとみさんのお母様が旅立たれました。お二人のご冥福をお祈り致します。合掌
2007年01月12日
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父のスキルスが発覚した2001年秋、当時、親類縁者、親しい知人に癌患者がいなかったので、癌という病気に初対面だった私は、とてもナーバスになってました。母も同じです。まず、私達家族が気を使った事と言うと、ご近所にバレないようにする事でした。手術の為の入院時、主人、母、私、そして患者である父の4人で車で病院へ向かったのですが、当然帰りは父を病院においてきますので、3人になります。この光景を近所のオジさんがしっかり見ていまして・・・・いらぬお節介でこの間、旅行かばんを持って4人で出かけたのに、帰りはお父さんはいなかったね。入院でもしたの?こんな事を言ってきました旅行でも行ったの?ならまだしも、いきなり急所を突いてきました母、はすっとぼけてそんな事は無いわよ。家にいるけど。って、聞き流してました。もう、癌告知されたばかり、感情はトゲトゲでビンビンだって言う時だったので、もう家族皆ムカつきましたねぇ・・・このオジさんの発言には!!で、父が退院してきて、山あり谷ありでしたが事実を告知され、3週間~1ヶ月くらい落ち込みモードに入り、その後開き直ってしまった話は何度か書いておりますが、開き直った頃にこのオジさんの話をしました。怒るかと思いきや、本人はふぅ~んと頷くだけ・・・ちょっと拍子抜け・・・それから少しして、このオジさんが庭に出ている時に父は自分から話しかけに行きました。自分は胃癌である事、手術したけどそのまま閉じた事など、自分からベラベラと話し始めてしまったんですよ。この時は我父ながら呆れましたねぇ・・・もう~余計な事は言わないで良いのにぃ・・・・ってね。だって、家族は必死に隠していたんですよ、それなのに!!そしたら、このオジさん、明らかに視線が泳ぎました・・・視線を泳がせた後に、言葉は忘れましたが父を励ますような事を言いました。社交辞令とも取れそうな言葉でしたが。で、父はこの時、全く邪気の無い笑顔を返したんですよ、このオジさんに。今度は我父ながら、天晴れ!!って思いました。なんだか、もう心の中の霧がす~って晴れていくような気持ちになりました。わだかまっていたのは、私の方で父はそうじゃなかったようです。今の私なら、もっと父の気持ちを汲む事が出来るのに・・・・・・って、これ、peeさんに言われた言葉なんですが。今のひろりんさんなら、きっとひろりんさんのお父さんも、もっと幸せな時間を作れたでしょうに・・ってね。生意気言ってごめんなさい、だって、私が今そうだから・・・そんな風に言われた事がありました。父に対して出来なかった事で、今なら出来る事・・・気付かなかったけどpeeさんが教えてくれました。
2007年01月11日
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今年は恥ずかしげも無く、写真入りの年賀状を作成しまして・・昨年は喪中だったから出しませんでしたが、それまでは出していたmidoriさんの所へも出してみました。二人の娘さん宛で。そしたら、中学生の長女から手書きの年賀状が昨日届いたんですよ次女(6歳)と一緒に撮ったプリクラシールが2枚貼ってあって、可愛い笑顔なんです。昨年はお世話になりっぱなしで、すみませんでした!!!今年も宜しくお願いします。年賀状の写真を見て元気なのを確認できてよかったです!!!また、写メ送りますメールも送ります今年1年が去年以上に幸せな1年になりますように!こんな事が書かれていました。midoriさん存命中は、支えるなんて言い方はとってもおこがましくて言えませんが、ネットでご覧になっていた方々と同じように私も応援者の一人でした。そんな応援者の一人でしかありませんでしたが、midoriさんからも多くの「ありがとう」を貰いました。でも、今は間違いなくmidoriさんの娘さんに私が応援されています。この二人の笑顔は飛び切りのエールです。midoriさん存命中には思いもしなかったです、こんなハッピーのお返しがくるなんて・・・
2007年01月10日
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昨日はお正月のお飾りを近所の神社へ納めに行って来ました。ここは小さな神社ですが、大きなご神木かなぁ~がありまして、そこに大きなサルノコシカケが生えていました。おぉ~クレスチンやビシバニールの原料だ!!厳密に言えば、ちょっと違いますがクレスチンやビシバニールってこういったキノコの菌糸が原材料なんですよね。先日のニュース番組では「オーダーメイド医療」についても取り上げられていました。番組内では都内の大学病院でのリウマチの治療に関してのものでした。患者さんの同意を得て採血からDNAを解析し、過去の膨大なデータに基づき個々の患者さんに一番合う薬剤を選択するという治療方針です。DNA解析によって、副作用の出方まで予測出来るそうです。常々思っていますが、抗癌剤治療にこそ、これが必要なのではないか?と。何度となく書いていますが、抗癌剤治療というものは、治療と言う名前の博打だ!と言っても過言では無いと思っています。スキルス胃癌の治療のファーストラインは「TS-1+CDDP」が一番多いです。何故なら、奏効率が最も高い・・・単にこれが理由だと思います。抗癌剤治療の奏効率はどれもこれも、決して高い数値ではありません。その中で「TS-1+CDDP」は70%とも言われており、群を抜いた数字です。進行性胃癌の場合、不変である、つまり進行を食い止める事も奏効のうちと考える場合も少なくありませんから、残り30%は効かない、もしくは逆に悪化する確率という訳です。実際、この70%に入らなかった患者さんを知っています。効かなかったのに、辛い副作用だけはしっかり出ていました。もう、ふんだり蹴ったり・・・こんな風に書いてしまうと、うちの治療は「TS-1+CDDP」じゃない、どうして?大丈夫なの?と思われる方もおられると思いますが、患者さんの状態、多臓器への転移等で進行性胃癌患者のデータが多い病院ほど、その患者さんに合わせた治療を選択するものです。例えば、骨転移が既にわかっている患者さんであれば、「5FU+MTX」が一番骨転移に有効とされているように。で、抗癌剤治療こそ前もってどの薬が一番その患者さんに効く可能性があるのか・・・それがわかれば良いのに・・・と、熱弁したら、主人は調べようと思えば、今だって出来るんだよ。30万くらいはかかるだろうけれど。DNAの解析も随分と進んで、つい先頃、癌ではないけれど大分判明してきたんだ。だけど、こういった研究が進めば進むほど、また一般的になればなるほど、保険会社が存在し得なくなる。つまり、癌保険や入院保険が本来必要な人ほど、そんな保険に入れなくなる世の中が来てしまう。患者の利益だけに止まらない。と、言うんですよねぇ・・・・ん~・・・そうかもしれないけど・・じゃ、やっぱり癌細胞だけを狙い撃ち出来る、抗癌剤の開発を望むしか無いのかなぁ~
2007年01月09日
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昨晩、東京テレビのニュース番組WBS(ワールドビジネスサテライト)で、「患者に合った最適医療」という特集が組まれていたので、主人と一緒に見ました。カプセル型の内視鏡とか、手書きの電子カルテとか、保険適用されない子宮筋腫の治療・・・諸々の紹介でした。その中で、あれ?どこかで見覚えがある病院が・・・そう、Y先生の勤務されている病院です。ここでは、陽子線治療の紹介でした。初夢に出てきたあの陽子線治療です。1クール200万くらいだったと、うる覚えでしたが240万円でした。この金額ですから、もちろん保険適用外です。国内では5箇所だけで、父がお世話になった千葉の病院にもありました。そこではこの治療をする機械にかかる電気代だけで月に1000万円だと聞きました。もう、随分と前ですが夢の中の話ではなく、実際にY先生と主人と陽子腺治療の話をした事があります。主人は、陽子線治療の機械の仕組みと構造、それ故に人体に与える影響・・・そんな事を長ったらしい元素記号を入れながら、説明してました。「ほぉ~」「へぇ~」「ふぅ~ん」と、Y先生と私はわかったフリをしながら聞いてました(笑・・・って、こんな書き方ではY先生に失礼でした、先生は少なくても要所要所はちゃんと理解されていました。Y先生は国立大学の医学部を出ておられますからねぇ・・・完全にわかったフリは私だけでした^^;で、昨晩前にも話したけど、Y先生の病院はケチって(経費節減って言えば?)水素を使っているんだよな、ヘリウムガスが一番良いんだけどと、言う主人。って、んな話されたのなんて記憶の遥か彼方だし、そもそも理解不能なんですけどぉ(T T)話が逸れ過ぎました。この治療は動く臓器には使用出来ないので、つまり胃癌には駄目なんですって。心臓とか腸とか、どうしても動いてしまうから。テレビでは肝臓癌の患者さんが出ていましたが、最初の照射後から1年3ヶ月で、かなり癌が小さくなっていました。1クールは病状によっても違うと聞いた記憶がありますが、5~7回だったような・・・胃癌に関係無いとなると、もう記憶は本当にいい加減でして^^;この他にも興味深い内容がありましたが、続きはまた次回に。
2007年01月07日
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律子さんのHPを訪問したら、peeさんのブログが8日に閉鎖するのだと知りました。peeさんのHPには銀河鉄道999の絵が書いてありました。メーテルと鉄郎、車掌さんの絵も。peeさんと出会った時は本当にパワフルなので、圧倒されたものです。私には小さな子供がいます。子供には未だ私が必要なんです。絶対に死ぬ訳にはいかないんです!!良くわかりましたから、ちょっと落ち着きましょうそんなやり取りがあったように記憶しています。治療への貪欲なまでの取り組みと平行して、時間の使い方も考えられるようにしていかないといけないと、実は私は頭の中で考えておりました。もちろん、ずっとお元気でいる可能性だってちゃんとあります。けれど、そうでは無い可能性もあると思いました。病状の詳細は聞いていましたので、どちらに転んでも良いように気持ちを持っていかねば・・・と。ある晩、未だpeeさんはお元気でどこへでも行ける体力もあって、食べたい物がそこそこ食べられる頃、家族も良くしてくれるし、申し分ないのに何故か私は孤独なんですそんなメールを貰った事があります。kazeさんからも同様のメールが届いた事がありました。今までも患者さんは、どこか常にある種の「孤独」を抱えていると感じておりました。peeさんや、kazeさんに限った事ではありません。私はいつも自分の事しか考えられなくて、ひろりんさんの気持ちも考えずにメールをしてしまいます。バカバカって思うけど、暗闇に落ち込みたくないのです。だから、ひろりんさんは救世主ですこんなメールが届いた事がありました。救世主だなんてオーバーな^^;って言うのが正直なところですが、彼女のそんな気持ちは真実だとも思っています。又涙が滲んできちゃいました・・・・優等生の患者さんになる必要はありません、暗闇に落ち込みそうな時、甘えられる相手には甘えてください。peeさんは言ってました、それは間違いなく延命に繋がっているってね。
2007年01月06日
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年末、年始にも関わらず多くの方にご覧頂いているようで、誠にありがとうございます怠慢な私は元々皆勤賞は狙ってはいませんでしたが、年始早々に昨日はブログをサボってしまいました^^;メールのお返事を優先していますので、更新が無い時はその時間をメールに当てているのだと思って下さいませ。さもなくば、どこかへ出かけちゃったか・・・です^^ついつい・・・ケータイを覗き込んでしまうんです。そろそろpeeさんからメールが来る頃だって、感覚で覚えているんですねぇ・・・どうしたのかな?って思って、こちらからメール入れてみようかな・・・って丁度思う時分なんです。来るはずもないメールなのに・・・頭と感覚って違うモノなんですね。題名のステイゴールドって競馬ファンならご存知だと思います。何年か前に引退したサラブレッドです。サラブレッドは大抵は500キロを超える馬体ですが、ステイゴールドは450キロ程度の華奢な馬体。冠が付く大きなレースには何故か勝てずに、最強の無冠馬と言われた馬です。昨年、イジメを苦に自殺した少年が「ディープインパクトの子供に生まれ変わって強くなりたい」っていう内容の遺書を残した事がありました。だけど、私はステイゴールドのような生き方がしたいです。医師でもなく、看護師でもなく、ソーシャルワーカーでもなく・・・何の冠も付かない、BMI値18の華奢な体格で最強の無冠これが私のこの数年来持ちつづけている夢。夢は大きく、厚かましく~ですだけど、ステイゴールドってサンデーサイレンス産駒の馬で血統は素晴らしいんですよねぇ・・・これは私と大違いです少しずつ「患者さんの話」も加えていきますね。
2007年01月05日
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左隣のフリーページの「患者さんの話」にmidoriさんを付け加えました。未だ、途中ですが^^;思い出すと胸が苦しくなって、辛くなって、涙が滲むので、ついついmidoriさんの話は書けずにいたのです。忘れる事なんて出来ないし、忘れるハズもないmidoriさんとの思い出ですが、残っているmidoriさんからのメールを探して読み返してみると、あぁ~あんな事もあった、こんな事も言ってた・・・・と、忘れた訳じゃないのに思い出す事が結構ある事に気付きました。これ以上、記憶があやふやになる前にちゃんと書き留めておこうと思った訳です。私がちょくちょく彼女の名前をここで出しても、「誰?」って思う方も増えてきたでしょうからね。もちろん、今とてもお元気な患者さんだっていますけど、治療を受けながら生き抜いた患者さんの生き様はきっと今、闘病中の患者さんやご家族にとって意味や意義があると信じています。過酷な現実とも言えますし、目をそらして生きる事も選択肢の一つですけど、人は誰でもいつか必ず死ぬものだから・・・・昨年はイジメを苦にして自殺した子供の話題が多かったです。生きたくても生きられなかった方々を思うと、自ら命を絶つ事はやるせない思いがしますが、人は体だけが健康でも生きられないものだと思っています。ですから、体の健康が脅かされている患者さんにこそ、心の健康が必要なのだと思います。その為には、愚痴るのも良し、誰かに甘えるのも良しです心の叫び、一人で抱え込まないでくださいね。・・・って、まだお正月でしたね^^;
2007年01月03日
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お正月の三が日くらいは、病気の話はお休みしておきましょ書きたい!!って思う内容は溢れ返ってますけどね~我が家のお正月は特にイベントはなし!です。と、言うのも元旦こそは主人はお休みでしたが、大晦日も今日もシ・ゴ・ト・・・仕事と言ってもこんな時期ですから、挨拶まわりと言いましょうか・・・ですから、元旦はテレビ見て、レンタルでDVD借りて、近所の神社にお参りに行って、PS2でゲームして・・で、終わってしまいました父が存命の頃は、お客さんも来ていたものですが今はこちらが挨拶に行く立場です。それも未だ行っていませんが^^;初夢・・見ました。ちゃんと覚えています。主人がいて、Y先生がいて、他に何人かの白衣を着た医師らしき男性がいて・・・・「陽子線治療」について話合っていました。1クール200万(確か、このくらいの値段)の治療です。国内では数える程の施設でしか出来ません。なんじゃ、この夢は!!そもそも、陽子線治療はスキルスには関係ないし・・・鷹も富士もなすびも出て来なかったなぁ~
2007年01月02日
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昨夜は久しぶりに股関節痛で夜中に唸ってしまいました冷え込んだのと、大晦日に料理で立ちっ放しだったのがきいたのかなぁ~2007年となりました。この年を迎えたかった患者さん、当然迎えられると思っていた患者さん・・・・そんな方々の事をずっと胸に、今年も頑張ってみようかと思います。この数年・・・、毎年懇意としていた患者さんとお別れがあり、毎年喪中のような思いです。ですが、トチローさんや、winkiさんのご主人、masbooさんの奥さん、Y.Kさんの奥さん、そして他にも5年経過された患者さんだっています。そして、何より今は姿は無くても見えなくても、私の中にはちゃんといてくれますからね。今日も朝には富士山が綺麗に見えました。peeさんが本当にひろりんさんと一緒に富士山を見たいそう言った富士山です。私と一緒に富士山を見た夢を見たのだそうで・・・・・・・って事は私、神奈川に行ってたのかなそんな事も書いてありました彼女の常に不安に揺れ動いていた気持ちを思うと、きっと他にもそんな思いを抱えている患者さんが沢山いるのだろう・・・と思います。少しでも、そんな気持ちを軽く出来る人になること・・・私の今年の夢です。皆さん、頼りないヤツですが今年もどうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m
2007年01月01日
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