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2008年1月から、トチローさんは米村先生の元で治療を受ける事となりました。再発が判明してから、ど~んと落ち込み期間を経て、新たな再スタートを切るべく決意したのです。その決意と共に、それまでのトチローさん自身を取り戻しました。この時、私はトチローさんに若造君を紹介しました。若造君は、直腸癌の患者さん(20代・・もう30代になったかな?男性)です。トチローさんが治療を受ける病院に、たまたま若造君が入院していたのがキッカケです。消化器系の癌で言えば、トチローさんの方が先輩ですが、「癌」という病気そのもので言えば、若造君の方が先輩。若造君は5歳の時に、悪性リンパ腫を患っていますからね。トチローさんも癌歴5年のベテラン?で、若造君も、直腸癌では初心者マークながら、癌治療に関しては、これまたベテラン?という、ちょっと毛色の変わった二人が揃ったのです。男性患者さんは女性患者さんと比べて、孤立しがちです。どなたも、入院すればカーテンをきっちり仕切り、大部屋なのに個室を作りだす。そのくせ、個室へは入りたがらない。費用の事もあるけれど、一人きりの部屋が嫌なんですよね。我関せずを保ちつつ、側に常に誰か人がいるという事が安心に繋がる・・・そんな風ですね、皆さん。男性患者さんは、本当は声高に癌の話が出来る相手が欲しいくせに、行動に出せない。なんとなく、そう感じます。癌の話って、仲の良い友達や、真剣に心配してくれる親戚とかに話してもイマイチ通じない・・っていう話をよく聞きます。話はいつも一方通行で、返ってくる言葉は、根拠のない「大丈夫」。何を言っても反応は変わらず・・・納得がいく反応が欲しい・・・皆さん、そう思うようです。だから、この二人を引き合わせることにしました。トチローさんにお願いしたのです、若造君を励まして欲しいって。喜んで、引き受けますよ一もニも無く、こう返事が返ってきました。実際、この二人は励まし合っていたようです。女性と違い、井戸端会議とはいかないようですが、抗癌剤治療の辛さや、これからの不安や、抱える思いは同じですからね。トチローさんは、TS-1服用と併用して腹腔内化学療法を受けました。トチローさんの場合、TS-1に耐性が出来ているという懸念はありますが、腹腔内にシスプラチンとタキソテールを投与します。この相乗効果はTS-1に耐性が出来ても、期待が持てるものです。週1回の腹腔内投与を10回までをメドに行い、その間に手術のタイミングを図る・・という治療計画です。ガイドラインが無い治療ですので、何回投与等の規定はありません。あくまで目安というか目標、単なる指針です。治療が進む中、トチローさんは、どうにも辛い副作用で参っていた時があります。そんな時に届いたメールだったか、電話だったか・・・こんな内容がありました。奴さん(若造君のこと)、すごく今、落ち込んでます自分が励ましてやりたいんだけれど、どうにも俺も余裕がなくなってきちゃって・・・ひろりんさん、俺の代わりに励ましてやってください辛い状況下の中でメールを返しても、逆に落ち込ませてしまうと思ったようでした。これまでも、余裕があると自分で思っていた筈は無いのですが、明らかにこれまでと違う自分を感じている様子でした。癌では相手の方が先輩でも、人生の先輩として、仲間として若造君には頑張って欲しい、今の自分には出来ないけれど、彼を励まして欲しいという思いを私は受け取ったのでした。
2009年01月30日
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トチローさんの、大学病院での検査結果は「腹膜播種」「リンパ3節転移」でした。。。他には転移は見られなかったものの、これはかなり厳しい状態での再スタートだと思いました。癌の転移は「血行性」「リンパ性」で起こると考えられています。リンパ1郡、2郡、3郡・・・という数字は、原発巣からみて近い所から、1、2、3・・・と名付けられています。つまり、この数字が大きい程、遠くに癌が飛んでいる事を意味します。血液も、リンパ液も体中くまなく流れていますから、遠くのリンパに転移が確認されたという事は、広範囲に癌が飛んでいる可能性がある・・・と懸念されるわけです。特に、スキルス胃癌の最大の特徴とも言える、塊を持たない(表現微妙で難しいですが)というのがあります。微細なまま、あちこちに飛んでしまう・・・目視できない癌が、あちこちに飛んでいるかもしれないのです。リンパ3郡となれば、その範囲も・・・???だから、とにかく厳しい再スタートだと思ったのです。地元病院、そして大学病院と2つの病院で会い損ねた私は、セカンドオピニオン先で会う事にしました。そもそも、私が勝手に「行く」つもりでいただけで、当のトチローさんは知る由もなかったですが。この日ばかりは、ちゃんと約束して会いに行きました。奥さんと二人で来院されました。診察室から出て来たトチローさんは、何やらブツブツ独り言を呟いてました。米村先生から「スキルス胃癌じゃないねぇ」って言われた・・・って。自分ではこの5年、スキルス胃癌だと言われ、ずっとそう思ってきたのに・・・ってね。先生から言われたという内容から、トチローさんの場合は、5型の胃癌だろうと思いました。「米村先生からこう言われました」という言葉から、大体、読めるようになりましたからねぇ・・・大抵は「通訳」?できますわ^^;恐らく、トチローさんの場合は純粋?なスキルス胃癌である4型の胃癌ではないという事でしょう。スキルスの形状をした癌も含まれる胃癌・・・という事だろうと思います。こういったタイプの胃癌も、一般的に「スキルス胃癌」と言われているようです。他にも同様の患者さんを、何人か知ってますから。大人しいタイプの胃癌の中に、性質の悪い胃癌が含まれている胃癌、という事だと思います。どの型の胃癌であれ、トチローさんのこの状態が厳しい事に変わりはありませんが・・・体力もあるし、一か八かわからないけれど、トチローさんは米村先生の治療を受ける事となりました。ここで、敢えて付け加えておきます。全ての患者さんが、治療可能という訳ではありません。治療は出来ません、または、余命数ヶ月云々と言われた患者さんが、多数、全国から米村先生の元には訪れています。実際に、どうにも治療出来ない状態の患者さんもいます。また、治療できたとしても、こういう状態の患者さんは、どこまで成果が望めるか、これはとても難しいのが現実です。米村先生は、こんな事を言うておりました。「僕が治療を断れば、目の前の患者さんは行き場を失うからね」だから、何とか治療の道を探しておられます。成果が付いてきてくれるかどうか・・・これはやってみなければ、わかりません。病気の現実、医療体制や病院の事情等々・・・トチローさんの奥さんは看護師さんであった事や、叔父さんに医師がいた事もあって、こういった諸事情全て踏まえて、トチローさんは治療を続行する事に決めました。まだ、息子さんが小さくて、父親が必要な時期だと思った事が、治療を受けたいと思う一番大きな理由だったようです。沢山の仲間を見送ってきて、今、ここで治療をやめる事の怖さもあったのではないか・・・とも思いました。再発して、こんなことを言ってましたね今まで、同じ病気の仲間を励ましてきたつもりだったけれど、再発して、初めて仲間の気持がわかりました皆、こんな気持だったんだなぁ・・死を間近に感じる怖さを、初めて知りました同じ癌患者だし、相手の気持がわかるようなつもりでいたけれど、全然違った・・・これが、トチローさんの素直な感想だったようです。
2009年01月27日
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昨年の5月か6月の日記に書いた、トチローさん(スキルス胃癌・40代・男性)の訃報が届きました。トチローさんとの出会いは、かれこれ3~4年前になります。ある癌専門の掲示板で知り合いました。私がブログを立ち上げる、ずっと前からのお付き合いです。ちょっと見た目の第一印象は「とっつきにくい人」ですが、中身は真に優しくて思いやりのある人です。お付き合いの長い患者さんでもあり、私にとって「患者さん」というより「同志」でもある彼の軌跡を少し書いておこうと思います。結論から言えば、訃報という不幸ではありますが、必ずしも「不幸」ではなかった事をどうしても書いておきたいという、私のワガママに少しばかりお付き合いください。トチローさんの癌が判明したのは、5年以上前のことです。彼は、糖尿病という持病がありました。凄い大食漢だったそうで、決して高いとは言えない身長ながら、当時の体重は90キロだったそうです。90キロ当時の写真と、胃癌後の写真を送ってくれましたけど正直、笑えますその体重が減ってきて、おかしいな??と思い始めた頃、胃癌を宣告されたのです。宣告を受けた地元病院では、即手術!!と言われたのですが、トチローさんの親戚には消化器とは違う専門外ながら医師がいて、その医師から「初回手術が肝要」というアドバイスを受けました。どこの病院でも良い、どの医師でも良いという訳じゃないんだ・・・そう思ったトチローさんは、色々と調べ、都内の大学病院で手術を受けました。確かに、癌には血行性転移というものがあります。手術時に、癌を転移させてしまうという懸念も実はあります。言わば、医師の技量により防げる転移もある・・・これは事実だと思います。トチローさんは術後、再発予防のTS-1の服用を4年半続けました。2週服用、2週休薬のサイクルです。癌の完治の目安として、「5年生存」というのがあります。5年再発しなければ、完治とみなす・・・という目安です。この5年に、あと半年・・・だった時に、再発が判明したのです。再発が判明するまでの4年半、彼は積極的に自分と同じ病気の仲間を探しました。スキルス胃癌になった自分に出来る事を、彼なりに考えたのです。同じ病気だからわかる事がある、気持がある、くじけそうな思いや孤独や、そんな思いを共有する事で支え合えるんじゃないか・・・そう思ったようです。私と出会ったように、掲示板で出会ったスキルス胃癌患者さんと、積極的に交流をもちました。と言っても、ご本人も胃を切除して、尚かつ抗癌剤を服用する体・・・体調がイマイチの時には、気持もイマイチに沈みます。「同時にお付き合いできるのは、2二人か3人が限度です」なんて、言ってましたね。トチローさんが再発するまでの、この4年半という時間は、スキルス胃癌患者さんにとっては「夢」のような時間とも言えます。この4年半という時間は、トチローさんにとって多くの仲間と出会い、そして多くの仲間を失った時間でもあります。仲間を失う度命の通貨を預かったのだから、その分、自分は生きなくてはいけないと思っていますそう言っていました。そんなトチローさんの再発が判明する3~4ヶ月前、体調不良で入院、胆嚢切除の手術を受けたとメールがきました。この胆嚢切除は癌が原因なのかそれとも、単に胆石でも出来ていて、胆嚢炎を起こしたのか、これはわかりません。癌とは関係なく、胆石がある人は胆嚢炎を起こしやすいものです。胆石を放っておいたばかりに、ある日突然腹痛に見舞われ、病院に行ったら胆嚢炎で緊急手術!なんて事もありますからね。ですが、胆石も無いのに胆嚢炎となると癌が疑われます。ですのでトチローさんの場合、この胆嚢切除と癌との因果関係は不明です。2007年の年末に腸閉塞を起こし、救急車で地元病院に搬送、入院という事態が起きました。かなりの腹痛で病院に搬送、そこでの応急処置でイレウス管を入れたようです。イレウス管が取れた頃、入院中のトチローさんから電話がきました。この病院を退院したら、主治医がいる都内の大学病院で診て貰おうと思っていますというより、ここでは応急処置しか出来ないんでですが、電話した様子では、もう大学病院の方ではお手上げ状態らしいです治療は出来ないだろうって、言われましたとにかく、1度大学病院に行って検査を受けてきますその検査結果を持参して、米村先生にも診て頂きたいのですが、お願いできますか?こんな内容でした。先ずは、体調回復が最優先の状態です。トチローさんの地元はそう遠くないので、お見舞いに行くつもりでした。状態からして、直ぐには退院できないだろうと思いましたし・・・入院している病院の名前を聞き、ネットで調べ、体調をみてお見舞いに行く準備だけはしていました。ところが、案外早くに退院しましてね。今度は、都内の大学病院に入院したと連絡がありました。はっ??じゃ、今度は大学病院を調べて・・・東京へ行くかぁと思っておりました。○○大学病院って、どこかしらん?って風です。よっしゃ、じゃ東京へ行こう!!と気合を入れたら、もう、ここも退院すると連絡が・・^^;あたしゃ一体、どこへ行けば良いねん!!そうこうしているうちに、米村先生のセカンドオピニオン受診の日が決まったのでした。2008年1月、丁度1年前です。
2009年01月25日
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昨年の秋に届いたメールなんですが、こんな患者さんがいます。スキルス胃癌(60代・女性)の患者さんなのですが、メールを送ってきたのは義理の息子さんでした。その後、患者さんの実の娘さんとのメールにバトンタッチしましたけどね。患者さんは3年前というから、2005年秋頃でしょうか・・胃癌を患ったそうです。当時の所見では、スキルス胃癌でステージ1。胃を全摘しましたが、ステージ1という事で、抗癌剤治療はなくそのまま過ごしていたそうです。2008年初めからダンピングが頻度に起こり、おかしいなぁ・・と思っていたようです。2008年秋に再発が確認されたそうです。その頃、頂いたメールには病理検査の結果が書かれていました。それは、腹壁の細胞の病理結果でした。ということは、腹腔鏡による検査を受けたという事かなぁ?と思いました。腹膜播種との診断でしたね。低分化腺癌と書かれていたので、スキルス胃癌には違いないけれど、3型ってとこでしょうか。3型でも4型でも、腹膜播種となれば大事には違いないし、治療も同じなので、この時点で型なんぞを気にしてもしゃーないですケド。とにかく慌てふためいた娘さんからは、頻繁にメールが届きました。義理の息子さんからはPCからPCへのメールでしたが、この患者さんの娘さんの方はPCが苦手ということで、ケータイから私のケータイへのメールでした。キャッチボールのようにメールが届くので、正直、指が痛くなり、PCの方へ頂けないでしょうかぁ?と、さすがの私も「泣き」を入れましたわ^^;このキャッチボールの合間にも、この時はたまたまなんですが、他の方からもメールがバンバン入っていたんで。学生時代に英文タイプ(今や死語?)2級というのを取得していたんで、キーボードを打つのは楽なんですが、ケータイの方は今時の高校生みたいにはいきませんで・・・私もトシかしらん。その後、この患者さんは米村先生のセカンドオピニオンを受け、転院しました。しばらく連絡が無かったのですが、手術が終わりましたと連絡がありました。腹腔内化学療法を経て、先日、ついに手術となったみたいですね。開腹してみると、腹膜の癌が見事に綺麗になっていたとか先生からは、「腹膜が凄く綺麗になっとって、腹膜は取るとこが無かった」と言われたそうです。腹壁に転移があったようなので、腹壁の癌を切除しったってことかしらん?このあたり、詳細書かれておらず、わからなんですけども。腹膜転移が確認されていて、それが綺麗になっていたこれが何より凄い事ですからねぇ・・・そりゃ凄いなぁ~というのが、私の正直な感想です。再発と言われた時は、どえりゃ~焦って大変な思いをしましたが、何とか手術へこぎつけ、抗癌剤の効果もハッキリ確認できたようです。大きな大きな山を越えたってところでしょうか。先ずは安堵致しました。
2009年01月21日
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今日は、前回の日記に書いた、ミユキさんの話をちょっと。ミユキさん(スキルス胃癌・30代・女性)からは、「米村先生の患者です」こんな触れ込みで、メールが届きました。2007年の秋だったか、初冬だったと思います。病気が判明した時には、腹膜に転移がありステージ4で手術不可。当時、ミユキさんには婚約者がいました。病気が判明して、ミユキさんは余命をも含めた自分の病状の全てを知りました。そんな中で、彼には別れを切り出したようですが、彼はそんなミユキさんと結婚の道を選びました。こんな自分と結婚してくれたんだから、不満なんて言ってはいけないんですけどぉ・・・唯一の不満は、ご主人が病気や治療の事を調べてくれない事なんだと言ってましたね。ミユキさんとしては、頭を掻き毟って、PCにくらいつくように病気や治療を血眼になって調べて欲しかったようです。そんな姿勢がちっとも見えないのが、唯一の不満なのだと。米村先生のことだって、自分で調べて辿り着いたんですよぉ~ミユキさんはこう言ったけれど、ご主人とも面識がある私は、ただ感情を表情や言葉に出すのが苦手・・というより、出来ないタイプに見えました。本人が知らない所で、頭を掻き毟っていたのでは?と思ったものです。そもそも、結婚という道を選択した事が、それを物語っていますもの。こんな不満を口にしながら、「逃げられたら困る」なんて言ってましたっけ。また、ミユキさんは母親の愚痴も言っていました。ご主人が外来に付き添えない時に、母親が一緒に新幹線に乗って外来に来ていたようです。私の病気のことなんて、全然理解していないんですきっと大丈夫よ、なんてスゴク暢気なんです外来で先生の話を聞いても、先生から「お母さん、ちゃんとわかっていますか?」と言われるほどなのだとか・・・そうそう先生、もっとガンガン言ってやってください!!貴女の娘は本当に酷い状態なんだって!!って、内心で思っているんですぅ~だって、全然母は、わかってないんだもの・・なんて言ってましたねぇ・・・愉快な患者さんだなぁと思いました。唯一の不満が、病状の深刻さを周りの誰もわかっていない・・って事だったんです。内容だけ聞くとお涙頂戴なんですが、本人の物言いは「ひろりんさぁ~ん、聞いてくださいよぉ~」ってな風でしてね。ニコニコと話す出すんですよ。TS-1に耐性が出来て、タキソールに変更の提案があった時もタキソールって髪が抜けちゃいますよねぇ・・・どうしよう~、先生はタキソールに変えた方が良いって言うんですけど・・・髪が抜けちゃうのは、ちょっとぉ~あぁ~どうしよう~こんな相談を受けました。あれやこれや、何を話したのか記憶が定かではないですけども、ミユキさんはタキソールを選択したんですが、その時も先生~、一世一代の決心をしましたぁって、廊下で叫んだんですよね^^TS-1に耐性が出来たという事は、病状が進行したことを意味します。それもわかっていて、もう治療を放棄して余命を過ごそうか、それとも次の治療を頑張ろうか・・・そんな状態だったんです。気持が上向く時と、どか~んと下を向く時がジェットコースターのようにやってきて、その都度メールが届きました。ミユキさんは、本当に全てを知っていたんですよね。自分が置かれている状態の儚さも・・・全部知っていた上での、明るさ、愉快さだったんです。そんなミユキさんからあのメールが届いてから、もうじき1年が経とうとしています。ミユキさんから届いたあのメールは最後のメールでした。「皆に感謝しています」の言葉と、病院のベッドに起き上がったミユキさんの笑顔の写真が添付されて。。。
2009年01月20日
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昨年の秋にこんな訃報メールが届きました 「母が他界しました 何故か不思議と後悔がありません 色々とお世話になりました、ありがとうございます」正直、驚きました。何故驚いたのかと言えば、このメールが届く前に、この息子さんは怒っていたからです。患者さんは60代後半の女性で、スキルス胃癌です。病気判明時には、大腸への転移と腹水が認められました。当然のことながら、手術不可との診断です。ここでご相談を受け、米村先生のセカンドオピニオンを受診後、腹腔内化学療法を選択し手術を目指す事になりました。この患者さんの経緯はちょっと違っていて、地元病院の好意により、腹腔内投与を地元で受けていたという点です。この腹腔内化学療法というのは、腹腔内に直接抗癌剤を投与する手法ですが、腹腔内に抗癌剤が行き渡る個所にしか効果が期待出来ない為に、TS-1服用と併用して行われます。ガイドラインに無い治療法でもあり、どこの病院でも受けられる治療ではありません。ですが、この患者さん場合は何故か特別で、主治医の好意により、地元病院での協力が得られる事となりました。定期的に投与が行われ、治療は順調に進みました。ですがある時、何度目の投与だったのか忘れましたが、重篤な抗癌剤治療の副作用が出てしまい、生死を彷徨う事態になったのです。そこで、息子さん・・次男さんから怒りのメールが届きました。「何故、こんな状態になる前に抗癌剤の投与を止めてくれなかったのですか!!主治医の話では、抗癌剤のやり過ぎだそうです止めてくれさえすれば、母はこんな状態にはならなかったのに・・・主治医の話では、命が危ないそうです今、患者は病院でまさに死にかけています!!」しばらく連絡も無かったので、順調に治療が進んでいるのだと思っていました。抗癌剤投与の前には、血液検査を行なうのが普通です。この血液検査で体の状態を把握し、抗癌剤投与が可能な状態かどうかを判断するものです。投与前に、その都度相談がくるわけではありませんし、又、投与後の体調の報告義務は、この主治医にはありません。また誰にも、どうにも予測不可能な状態変化もあります。決して責任を逃れるつもりもなく、又、この主治医に責任転嫁をするつもりもありませんが、「何故、止めてくれなかったのか!!」と言われましても、何の連絡も報告も相談も届いていないので、止めようもにも、止めることなど出来ません。それに、投与が行われたという事は、治療可という状態であったハズで、予測不能な状態に陥ってしまったとしか考えられません。この治療に限らず、抗癌剤治療はどれもこれも、危険が伴なう治療です。ガイドラインにある治療であっても、危険が伴なうのは同じです。重篤な副作用が出たことがない治療なんて、ありませんです。抗癌剤治療が何たるかを、細かく説明して、次男さんには理解して頂きました。とにかく何時でも連絡して下さいと、これ以降に届くメール全てに私の連絡先も書き添えました。また、現在の状態がわかるデータを病院に持参して、米村先生にご相談して下さいとも、伝えました。その後、長男さんが来院されたようですが、現状を充分に納得して頂きました。この後も、頻繁に状態報告のメールが届きました。結局、この危険な状態は案外早くに回避できました。思ったよりずっと早く、ご本人は自力で院内を散歩出来るまで回復したのです。ひとまず、安堵しました。ですが、これだけ一時は心配な状況に陥ってしまったため、もう治療不可と主治医は判断したようです。ご家族としては、回復したのだからと治療再開を願う一面もありましたが、あとは患者本人の意思に任せるしかないと思ったようです。その後、治療は行われることはありませんでした。そして、それから2~3ヶ月くらい経ってからでしょうか・・上記の訃報が届いたのです。「母が他界したのは、悲しくて辛いですが、やるだけの事をやったのだという思いがあります。何故か、不思議なくらい後悔がありません」と書かれていたのです。患者さんご本人の思いは、今となっては知る由もありません。過去にやはり同様の重篤な副作用が出た、スキルス胃癌の30代女性患者さんがいました。ミユキさんと言いますが、彼女は生死を2週間彷徨った後に、こんなメールをくれました。「もう、治療は無理だそうです手術までいけませんでしたでも、やれるだけの事はやったし、充分頑張ったから悔いはありませんこれまで本当にありがとうございました、感謝しています」60代の患者さんが、ミユキさんと同じ思いであったかどうか・・・それはわかりません。「悔いが無い」と言えるのは実に難しいです。ですが、この60代の女性患者さんも、ミユキさんと同じ思いであってくれたら・・・と思う私です。
2009年01月17日
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ここで時々書いている、「若造君」(直腸癌・男性・20代)から新年の挨拶メールが届きました。私のブログをずっとご覧の方は、ご記憶にあるかと思います。彼とのお付き合いは1年ちょっとです。2007年の秋に、突然腸閉塞を起こし、直腸癌が判明しました。開腹してみると、腹膜播種でストマを造設しただけで閉じる・・・という状態でした。この時、「入院中で電話が出来ないから母に電話させます、相談に乗ってください」というメールが届きましてね。お母様からかかってきた電話は、スゴク取り乱していて、涙交じりでした。腹膜播種でも元気にしている方は沢山いますからと言っても、「うちの息子の場合はすごく悪いんです、どうにも手が付けられないんです、2ヶ月の命って言われたんです・・・」と何度も言います。「とにかく落ち着きましょう~!!」と何度も叫んだ記憶があります^^;その後、米村先生の元へきて治療が始まりました。この間、抗癌剤の副作用で吐き気は当然のごとくありましたが、痙攣が起きたり、電解質異常が出たりで、厳しい治療でした。食事に苦労が出て、高カロリー輸液での点滴が始まると、ここから感染症を起こして高熱が出たり・・・何をやってもアクシデントが付きまとうそれでも彼は乗り越えて、手術出来るまでに治療効果が現れました。手術前には、一度抗癌剤治療を止めて、期間をおく必要があります。手術待機になったらなったで、あの辛い治療から開放される期間なのですが、開放されたらされたで、「その間に進行してしまうのではないか?」という不安がつきまといます。これまた、なかなか先生から連絡がこない、先生に電話しても繋がらない・・・と、この時もお母様から「泣き」の電話がありました^^;再度「とにかく落ち着きましょう~」と叫んだような??不安なお気持は当然ですからね、しゃーないので先生に「煽り」を入れときましたそんなこんなではありましたが、昨年5月に手術となりました。当初、ストマを造設されたと聞いていましたが、普通にストマだと思っていました。普通、ストマとは大腸に付けるもの。それが、彼の場合は小腸だったんです・・・ストマとしか聞いていなかったので、これは想定外でした。つまり、大腸殆どが癌で冒されていたという事なのだろうと、後で思いました。大腸の一部であれば、切って繋げれば良いのですから。それに加え、腹膜播種であったという事は、確かに大変な状態だったのだという事がようやくわかりました。手術で癌は全て切除できましたが、その後、若造君は酷い下痢に悩まされます。再発予防の抗癌剤の副作用もあったと思いますが、若造君の場合、大腸をバッサリ切っていますからね。そういった後遺症でもあると思われました。大腸を切除した患者さんは、しばらく、下痢と付き合わねばなりません。その「しばらく」の期間がどれほどなのか、せめて、食事でコントロール出来るものになるようになるまで、どれほど時間がかかるものなのか・・・全く、先の見通しがつかないまま、下痢との戦いが始まったのです。昨年秋には、鬱状態とも思える内容のメールが届きました。地元病院に入院し、体の回復を計っている時だったようです。手術時に、米村先生の一言で全身に鳥肌が立つほど感動したとメールが届いてから、随分と時間が経っていました。今の自分は、まるでトイレに行く為に起きているようなものですとても、生きているとは言えません元の体に戻るとは思っていなかったけど、もう少しマシな体になるかと思っていましたこんな生活が続くのなら、自分にとって「死」も仕方ないかもしれません治療なんて、する気になれません「誰とも会いたくなくて、友達とは電話もメールも完全にシャットアウトしていますメールするのも、ひろりんさんくらいです」こんな事も書かれていました。このメールに対して、私は何と返したのか・・・正直、記憶がありません。ですが、それに対して返ってきたメールは大好きな野球をやっている姿を、米村先生やひろりんさんに見せたいですそれが出来ない自分が悔しいし、情けないし、米村先生に申し訳ないですこんな返事が返ってきました。若造君は、あの時手術を受けなければ、今、いない人かもしれないと私は思います。手術を受けたからこそ、永らいだ命だと。。。その永らいだ命が、新たな試練を与えてしまった・・・とも言えます。私と出会わなければ、無かった試練かもしれません。癌の治療は、先ず、命を延ばす事に重点が置かれます。どういう状態で生きるかは、二の次の重点なんです。数年前のことです。スキルス胃癌患者さん(30代・女性)が、ベッドの上にしか自由がなくなり、来る日も来る日も天井を見上げて過ごしていた方がいました。何ヶ月もそんな状態で過ごしていたある日、お見舞いに行きました。気の毒な状態だと思いました。自分なら、死を望むだろうとも思いました。ですが、彼女は言ったのです「死にたくないな」って。「自分なら・・」と仮定して、相手の心情を推測する事がままあります。ですが、それはやはり自分ではない。これまでの人生も、環境も、価値観も、全く違う相手に自分がなれる訳がなく・・・動ける人間に、動けない人間の気持がわかるはずもなく・・・「自分なら・・」と推測することの無意味さを知りました。どんな状態であっても、本人が死にたくない、生きたいと思い願うなら、それは叶えてあげる状態なのだろうと思いました。生きているからこそ、「死にたい」とか思えるわけです。死んでしまったら、そんな事すら思えません。だから、先ずは生きる道を探して、それから好きな事を考える時間を作れば良い・・・そう思っています。それが、例え「死にたい」という思いであっても・・・訳わからず、いきなり何も思えなくなるよりは、良いのではないかと・・・話が反れましたが、若造君からの新年メールは、随分と開き直ってましたアヘンチンキという薬を処方して貰ったら、下痢が治まってきたとか。でも、その代わり嘔吐があるそうな・・・高カロリー輸液の点滴を再開して、栄養面は何とかなっているようです。抗癌剤治療も再開してました。今は退院して自宅で過ごしています。再発したら、それは仕方ない・・再発しない方が不思議なくらいなんだし、のんびりやっていきます腸も、年単位で落ち着いてくれるのを待ちます今年も宜しくお願いします!と、元気メールをくれました月末には米村先生の外来があるようなので、米村先生にまた気合を入れてくれるように言っておきましょ先生はこれまた不思議な人で、先生の外来の後は元気になるって患者さんが多いんですよねぇ。どんな手を使ってるんでしょうねぇ
2009年01月13日
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ふと気がつけば、今年に入ってから更新のサボりが多いような・・・とにかく、メールのお返事を溜め込んでおりまして、ついこのような現象になっておりますが、私自身は元気しておりますので、ご心配ありませんように~です。ホント、すみませんですm(_ _)m訃報が届かない月は無いと、よくここで書いておりますが、今年に入って早々にも届きました。スキルス胃癌(40代・男性)の患者さんです。初めてメールを頂いたのは、昨年の秋。ご家族からのメールでした。病気判明したのが昨年の夏です。腹膜播種、腹水ありのため、手術不可。抗癌剤治療を受けていました。TS-1+シスプラチンの奏効率は70%とも言われていますが、この70%に入らなかったようで、私にメールが届いた頃はタキソールに変わっていました。体力が低下する中、入院による治療が出来ず、通院による治療を受けていたようです。ここは癌では有名な病院です。全国から癌患者さんが訪れることでも有名な病院の一つです。こういった有名病院に限りませんが、今の医療体制では入院による治療は基本的に出来ないのです。入院によって請求できる保険点数の上限が決まっていて、抗癌剤はどれも高額・・・高額な薬剤を入院で使用してしまうと、当然、病院としては経済的に辛くなるのです。大抵の病院は赤字を抱えています。ですので、何とか通院で治療をしなければならない訳です。腹水が抜いても抜いても多量に溜まってしまい、薬剤変更となったようですが、このタキソールは当ったようで、薬剤変更をしてからは溜まらなくなったようです。ですが、体力は低下・・・せめて入院による治療はできないものか・・と、ご家族は思案されていました。まぁ、小さな個人病院で差額ベッド代でも支払えば、全く不可能という事もないのですが、そういった病院を探すのも楽なことではありません。また、こういった状態の患者さんを受け入れてくれる病院があるかどうか・・・これも現実はとても難しい・・というより、厳しい。そんなこんなの低空飛行状態が続きましたが、ついに入院を余儀なくされました。入院となれば、治療は中断。これは、何も保険点数の問題だけにあらず、患者さんの状態からも中断せざるを得ない状況だったようです。ですが、患者さんご本人の意思だけは「元気」で、まだまだ、治療は出来る状態だと思っていたようです。正直、ホントのところの状態は把握しきれていません。ご家族からの話を聞く限りでは、確かに治療続行は難しいだろうとも思いましたが、ご本人は全く納得してはいない様子でした。そんな中で、緩和ケア病棟に移ることを主治医からは提案されます。病院内にある緩和ケア病棟というのは、大きく分けて2種類あります。あくまでも「一般的な話」という事を、付け加えさせて頂きますね。余命をも含めた告知を本人が受け、本人の意思で治療拒否、もしくは治療続行不可能な状態で、余生を過ごす場所がホスピスです。ここでは疼痛緩和のみ行い、治療は行いません。病院内に付属して作られている緩和ケア病棟は、こういったホスピスを目的とされた所もありますが、そうばかりではなく、治療も行いながら緩和ケアを行う所もあります。現在の癌治療は、早期から積極的に麻薬系の鎮痛剤を使用し、痛みの緩和を計りながら積極的に治療も行うのが主流となっていますから、この緩和ケアとの境界線が曖昧になっています。痛みというストレスがある状態では、治療成績がよくない事がわかっていますので、常に疼痛緩和も同時に行われるのです。この男性患者さんが薦められたという緩和ケア病棟は、どうやらホスピスのようでした。この緩和ケア病棟に移ることは、ご家族は納得していましたが、ご本人は全然納得してはいなかったようです。まだまだ、治療は出来ると思っていたご様子・・・実際、もう少し治療をしてみましょうか?という提案も一時はなされたようで、出来る事ならば・・とご家族も望んだようですが、体調から叶わなかったようです。結局、緩和ケア病棟に移り、その後旅立って逝かれました。余談ですが、この病院の患者さんとは何人かお付き合いがあります。何年も前の話ですが、やはりスキルス胃癌の患者さん(30代・女性)がこの病院の緩和ケア病棟に入った事があります。肝機能が悪化、ビルビリン値上昇でどうにも治療が出来ず、緩和ケア病棟に入ったのですが、それには条件がありました。早々に他の病院を探して移ること。緩和ケア病棟で2万円を超える差額ベッド代を支払って数日過ごし、お金が続かず安い部屋、それでも1万円に移り、1週間足らずをそこで過ごし、転院しました。この間、ご主人は地元で必死に病院探しをしていました。地元と言っても、目と鼻の先の距離です。1万円でもキツイけど、できれば、このままこの病院でと願っていたのですけどね。この2万円の部屋と、1万円の部屋で過ごしている間にも、ご主人には転院の催促です。患者さん本人は、ご主人の必死の苦労を知らず、「何故?転院しなければいけないの?」と言ってましたね・・・同じ病院で、こういう転院の催促を受けていた患者さんを知っている私は、緩和ケア病棟であっても、いさせてくれただけ、この男性患者さんは良かったのかな・・とも思うのですけども。この男性患者さんのご家族は、ご本人もでしょうけれど、ただただ後悔が残ったようです。積極的な治療を本人が望んでいたのだから、元気なうちに他の病院を探すべきだったのかな?とか、もっと、違う治療を探してみるべきだったのかな?とか・・・よくよく考えてみると、本人よりも家族の都合や意思ばかりが反映してしまったような気がするとか・・・私にメールが届いた時点では、とても遠距離の病院への移動なんて無理で、今の病院での治療しか選択肢は無かったのです。まりにも、早く悩む間も無くで時間が過ぎてしまいました。今となっては、何が一番良かったのか・・・考えても考えても、堂堂巡りです。
2009年01月11日
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年末と年始に、「ご挨拶」メールが沢山届いております。ご遺族となった方からも、エールメールが届いておりまして、誠にありがとうございますm(_ _)m昨年の秋頃でしたでしょうか・・・・腹膜中皮腫の患者さん(40代・女性)からメールが届きました。この方、なかなか愉快な方でして・・・1日に3回くらい電話がくる事が何度かありました。「ホント、本当に何度も何度もすみませぇ~ん」と、申し訳無さそうに電話がくるので、つい、微笑んでしまいます^^この腹膜中皮腫という病気、実に稀の中の稀な病気です。スキルス胃癌も、少ない病気で胃癌の1割程度じゃないか?と言われています。あくまでも統計上ではありますが、年間2000人位の発症ではないかと思います。毎年、何万人も胃癌患者さんは発症しますから、この数でも少ないんです。一般的な総合病院では、スキルス胃癌患者さんが、他のスキルス胃癌患者さんと出会う事なんて、まずないです。それくらいの少なさなんですねぇ・・・ですが、この腹膜中皮腫という病気は、年に10~20人程度の発症ではないか?と言われています。これだけ数が少ないですし、そもそも、何科にかかってよいのかわからない。この患者さんの場合、卵巣癌から始まったという経緯があるので「婦人科」でお世話になっています。女性だから婦人科ですが、何も女性特有と言う病気じゃないですし、男性なら何科やねん!ですよねぇ・・・???悪性の腹膜中皮腫ということで、抗癌剤治療を受けています。既に、何度か手術経験があり、まぁ、癌ですから取れるものは取ったという状態。ですが、腹膜までは切除出来ないという事で、腹膜の癌は抗癌剤で抑えていこう・・という事のようです。ですが、ご本人としては切除できるものなら、切除して欲しい・・・という気持がありますから、切ってくれる医者はおらんかしら?という思いを抱いていたようです。それで、私のブログがヒットしたようです。これだけ稀な病気であれば、情報も少ないでしょうし、何のキーワードでヒットしたのかわかりませんけども、よく私なんぞの所に??という思いでした。そもそもですねぇ・・・私は胃癌、大腸癌であれば、ある程度の予測がつくようになりましたが、腹膜中皮腫なんて、全くわからんのです。だからと言って、「わっかりません」じゃ、あまりにもお気の毒なので、腹膜だし、米村先生に相談してみっか・・・と、本人に返事をする前に先生に相談という形を取りました。予想に反して、先生が「乗り気」っていう表現はおかしいですが、診てみましょうと言われるので、橋渡しだけしました。そもそも、これだけ数少ない病気でありながら、米村先生は何人かこの病気の患者さんを診ておられました。手術出来るかどうかもわかりませんし、そもそも、状態がわからないですし、あくまでも「話を聞くだけ」のつもりで、来てみてはどうでしょうか?という、実に軽いノリです。本人も「ダメもと」で良いと言われますし、話だけでも良いと言われますんで。セカンドオピニオンに必要な物のほかに、手術時に採取している癌細胞のプレパラートも持参して下さいと、伝えました。(これは、以前に書いた子宮体癌肉腫の患者さんの場合が、そうだったので)これら必要な物を揃えるために、主治医にお願いをしたら・・・すごぉく温厚な人で、信頼もしているし、評判も良い医師らしいのですが、いきなり手の平を返すがごとくの対応だったとか。「他の病院に行くなら、もう、ここでは診ない」とハッキリ言われたそうで、本人はビビってしまい半ベソ状態で電話が来ましたねぇ・・・本人は、「先生のことは信頼しているし、今後もここで診て貰いたいし、あくまでも話を聞きに行くだけですから」と、ちゃんと言ったのにと、言います。「それなのにぃ・・・」と・・・それでも何とか、話を聞きに行く事は納得してくれたそうで、資料を借りる手筈は整いました。「なんで、あの優しかった先生が、あんな事を言ったんだろう・・・」と、何度も繰り返し呟いていました。ホントに優しい穏やかな先生なんですよ、お世話になったし・・・と、こんな事を言われたというのに、かばうような口調でした。まるで人が変わったようで、信じられないという風で・・・まぁ、医者側からみれば、こっちは一生懸命治療してきたのに、別の医者の下へ行くんかい!!と思われたのかもしれませんけども。で、セカンドオピニオンに行き、手術の可能性を示唆されました。となれば尚の事、元の病院には行きたくない・・・で、別の病院探しが始まりました。やはり、地元病院の確保は必要ですからねぇ・・・・抗癌剤治療だけなら、消化器の病院でも受けられるからと、以前、消化器の病気でお世話になった病院に出向いてみました。そこの病院では「貴女の場合ねぇ、抗癌剤治療をしても、手術をしても2年生きられれば良い方なんだから」とハッキリ言われたと言います。そして、また半ベソ状態で電話が・・・「眠れなくなりました」と。。。こりゃまた、キツイ事を言う医者だなぁ・・・と思いましたが、とにかく、他にこれといってアテがないと言います。何を言われても、取り合えず、診てくれて、治療をやってくれれば問題は無いわけですが・・・とにもかくにも、何度も何度も心にも体にも傷を負ってきた患者さんです。何とか、少しでも生きたい、治りたいという思いだけなのに、上手く相手には伝わらなかったようです。そんなこんなの山あり、谷ありで、何度も何度も電話がかかってきました。それでも、吐き出したらスッキリする部分もあるようで、どんな内容でも最後は「あっははは・・・」で締めくくりです。時には「お恥ずかしい話ですけども、治療って、お金がかかりますよねぇ・・」なんて内容も。それでも、最後は「あっははは・・・」です。私って、笑えるヤツなんでしょうかねぇ??現在は、手術待機中です。これからも、落ち込むことも多々出てくるだろうと思いますが、その時は、また一緒に笑いましょ
2009年01月06日
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今日は叔母の家の新年会に呼ばれ、お昼からずっと出かけておりましたうちの博士は呑みすぎで、もうダウンしております叔母の孫(8歳・女の子)が、大晦日生まれでして・・・お誕生日のケーキを焼いて、持って行きましたチョコレートのスポンジケーキを焼いただけで、あとはチョコレートでコーティングしただけの、手抜きケーキですけど、下の男の子(3歳)と二人して「美味しい!!」って、綺麗に平らげてくれました。この小さな二人、1年ちょい前に父親が他界しています。ある日突然の「死」で、大変な思いをしました。ですが、子供って実に逞しいもんですねぇ・・・いつまでもウジウジしているのは、大人だけで、子供は直ぐに前を向きました。上のお姉ちゃんなんて、父親がいなくなって早々に「これからは、3人で頑張って生きていくの!!」って、宣言してました。患者さんからお子さんへの告知についても、ご相談を頂くことがあります。殆どの親御さんが、「可哀相で言えない」と言います。でも、家庭ではいつものようで、実はいつもでない異様な空気が常に流れていますから、子供だって感じるものがあるようです。滅多に来ない親戚が、怖い顔して訪ねてきたり、ヒソヒソ話を始めたり・・・なんだかよくわからないけど、子供は、ここにいてはいけないという空気を察し、自分の部屋に入ったりしてね。情緒不安定になって、一人で眠れなくなったりするようです。誰も何も説明してくれない、聞いてはいけない気がする、とにかく不安で仕方ない・・・子供なりに、パニックになる事もあるようです。ここでシリーズ化している「そりゃないよ」のスキルス胃癌の患者さん(30代・男性)には保育園に通う娘のマイちゃんがいます。このマイちゃん、大好きなお父さんの病気が「癌」である事を、ちゃんと知っています。お父さんが具合が悪いのも、時々入院するのも、手術を受ける事になったのも、この癌という病気のせいだと知っています。癌という病気がどういう病気なのか、それは多分、わからないでしょう。でも、大変な病気だという事だけはわかるみたいです。お父さんが調子に乗って食べ過ぎると、その様子をみて「食べ過ぎですよ」と叱るのはマイちゃんです。また、発熱なんてすると「コウセイザイを飲んで、休んだ方が良いよ」というのもマイちゃんです。体力を落として、ふらつきながら歩くお父さんを、小さな体で必死に支えようとするのも、マイちゃんです。小さくても家族の一員ですから、お父さんの役に立ちたいんですね。だって、お母さんだって、お爺ちゃんだって、お婆ちゃんだって、お父さんを頑張って支えているんですもの。マイちゃんだって、お父さんの辛い時、ピンチの時には支えたいんです。だって、家族ですもの。何も教えてくれないまま、ただ、お母さんやお爺ちゃんやお婆ちゃんが、右往左往していたら、ただただ不安で仕方ないのではないでしょうか。お父さんが病気であること、それは癌という病気であること、これは大変な病気であること、だから、お父さんは時にしんどくて、大好きなマイちゃんに優しく出来ない事もあること、でも、調子の良い時は、いつもの優しいお父さんになってくれること・・・マイちゃんはマイちゃんなりに、理解して感じているようです。子供を悲しませたくない、辛い思いをさせたくない、そう親御さん達は思うようですが、一番辛いのは当の自分達で、子供は知らされないことの方が辛いかもしれません。何より、大人よりずっと逞しいのが幼い子供です。そして、何の役にも立たないようで、一番役に立ってくれる存在かもしれません。ヒゲさんも、奥さんがスキルス胃癌になった時、当時、小5と中1の娘に全ての告知をしてました。小さくても、子供でも、共に戦う仲間だからと言って。二人の娘はこの後、18歳と20歳になった時に、今度は父親の膵臓癌で2度目の辛い告知を受けたわけですが、ちゃんと辛さを乗り越えて、逞しく育ちました。ホントによくできた娘達でねぇ・・・もう、私は自慢しまくりたいですよ。ヒゲさんに代わって、私が親バカになりそうなくらいです。辛い思いを子供ながらにしましたが、避けては通れず、止むに止まれずの自分達の運命です。受け止めて生きていくしかありません。
2009年01月02日
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新年、明けましておめでとうございます今年も、宜しくお願い致します。昨年は、これでも頑張ったつもりなんですが、結果的に「年越しメール」を作ってしましました。ホント、すみませんです。大晦日は1日かけて「黒豆」を煮ましたその前の年は、煮方を失敗して硬くなってしまって・・・折角のお豆が残念な事になってしまいまして・・・反省今回は、見事に上手くいきました。壊れかけの電機ポットを使って7時間煮込んでみました。もう、バッチリです~ちょい、自慢ですわ実は、この黒豆はご遺族の方が送ってくれたものなんです。団塊の世代の奥様なんですが、ご主人をスキルス胃癌で亡くされて1年以上が経ちました。「多くの方々が貴女を頼りにしているのですから私だって、どれほど頼りにさせて頂いたことか知れません主人だって、感謝してる思いますわ」そんな風に言って下さり、今も尚、私を支えてくれている方なんです。ありがとうございます。。。年明け早々に、訃報でナンなんですが・・・年末に、スキルス胃癌(70代・女性)患者さんの訃報が届きました。この患者さんのことは、過去に書いた事があります。2007年10月に開腹手術をするも、腹膜播種で手術不可。その4~5ヵ月後に、米村先生の元へ来られ治療を受けていました。大動脈の周りのリンパに転移があって、実に切除が難しい状態でした。他に転移が無い事から、このリンパ切除と腹膜の部分切除の手術を受けたのが、3月でした。この患者さんの場合、年齢による体力を考慮して、術前の腹腔内化学療法も温熱療法も行わずの治療内容です。腹腔内化学療法や手術時に行われる温熱療法は、これまでのデータから高齢の患者さんへの体への負担が懸念されるのです。術後の回復は順調で、息子さんからは「口ばっかり、元気な患者です」等と、明るい報告を頂いていました。「○○先生(若い男性医師)は男前やなぁ~」等と、何気にイケメン好きだったみたいですよ^^ご本人はとても前向きで、尚且つ、明るく、その姿勢が効を奏したのか、お元気な時間が戻ってきました。「お元気」と言っても、70代の方ですし、胃が無い訳ですし、それなりの「お元気」ですけどね。術後の治療が始まったのは、5月だったか、6月だったか・・・酷い副作用が出て、中断を余儀なくされた事もありました。それでも、ご家族揃って出かける事もあり、楽しい時間を持つ事は出来たようです。そうそう、ご家族揃っての写真が送られてきたこともありましたね~そんな状態の患者さんではありましたが、9月には「再発」が確認されてしまいました。それでも治療が上手くいって、11月の洗浄細胞診では、癌が見つからなかった事もあったんです。ですが、何故か体力がどんどん低下してしまいました。地元の病院の助けを借りて、ご自宅で過ごす事が増えていきました。ご本人の希望と、ご家族の希望で、最後までご自宅で過ごされたようです。ターミナルケアに入ってから、息子さんから電話を頂きました。お母様の状態の詳細を話され、一つ、確認させて頂きたいのです地元の病院の医師に言われたのですが、本当に、お袋のこの状態は、もう、ターミナルケアの時期なんでしょうか?何か、大切な事をし損ねていて、その為に今、お袋はこんな状態なのではないか?自分達のミスで、お袋を回復させ損ねているんじゃないでしょうか?そう、ご自分を責めておられました。そうではなく、お聞きする限りは、やはりターミナルケアの時期であると思いますと、返事をしました。今、何より大切なのは、お母様をお一人で過ごさせないことだと思いますとも言いました。患者さんは、夜や暗がりを怖がるものですから、夜中でも電気を点けていてくださいと。そうなんです、電気は点けたままです誰かが側にいる事を確認しないと、眠らないんですそんな風に言われましたね。その後、米村先生の見解も求め、ターミナルケアの時が来た事を、ご家族も納得をされたようです。そして、年末に旅立っていかれたそうです。頂いた他メールには母は自分に関わった全ての人に感謝していました治ったら、恩返しをせないかんって、いつも言ってました子供が、こんな事を言いましたお婆ちゃんは、諦めない事を教えてくれたなぁ・・お婆ちゃんの死は寂しいけど、悲しいことじゃない最後まで病気と戦って頑張っていたけど、神様がもういいよって、天国に連れて行ってくれたんやそして、米村先生と私への感謝の言葉で締めくくられていました。どんな時でも希望を持って生きること、そして、それが叶わなくなっても、決して諦めないこと・・・感謝の気持を持つこと・・・そんな生き方を、この患者さんは私を含め、お子さんやお孫さんに残していかれました。
2009年01月01日
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