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ひょっとして、ご心配おかけしてますでしょうか昨日は、母の二人の主治医(整形外科医と消化器内科医)からお呼び出しがあって、現状と今後の方針をお聞きしてきました。お二人とも未だお若い先生で、どうやらこの二人、同期みたい。消化器内科の先生は、背の高いひょろっとした、軽音でもやっていそうな若い兄ちゃんって感じ。整形外科の先生は、ちょっと背は低いながら格闘技でもやっていそうな感じ。で博士と二人して話を聞いてきました。点滴による抗生剤がとても良く効いたんですが、服用に変える都度、炎症値が上昇してしまう、再燃を繰り返してしまってます。ですので今しばらく、点滴による抗生剤で治療に当たることになりました。今回、点滴を外したら、一気に炎症値が上昇してしまった事から、あと1ヶ月、「寝たきり」の指示つまりあと1ヶ月は入院のようです。てっきり、包括診療制度に引っかかって、ボチボチ別の病院で治療を・・・ってな話になるかと思っていただけに、この点だけはホッとしました。抗生剤が効いてくれているだけ、良しというところです。怖いのは、抗生剤をあれやこれやと変えるうちに、菌が黄色や緑に化けてしまうこと。そうならないうちに、炎症が完全に治まって欲しいんですが・・・そんなこんなのプライベートですが、ちゃんとこちらの活動もやってますこれまでも、「人の世話焼いている場合かい」って事は何度もありましたからねぇ。これもまた、何時ものことですわ12月3日以来の、「燃えてきた~」シリーズです。残念ながら、あのB子さんは、手術の夢が叶わぬまま旅立ってしまいましたが、A子さんの方は、盛り返しています。(過去の「燃えてきた~」シリーズ参照方)簡単に経過を書くと、第1子出産とほぼ同時に腸閉塞の症状で、スキルス胃癌・腹膜播種が判明した30代の女性です。当初、地元病院での治療があまりにも消極的だった為に、米村先生ってば、お怒りになり、関西に呼び寄せての治療となりました。無治療だった訳じゃないです、ガイドラインの治療は受けていました。ですが、ガイドラインの治療はこの患者さんには、効果乏しく体力低下もあって、治療が中断。これまでの経過から、地元では治療に対してかなり消極的。それで、米村先生が自ら呼び寄せたんです。(正確に言うと私が・・・かも)この間の治療の遅れは、患者さんに顕著な消耗を与えてしまいましてねぇ。。。さすがに米村先生も、治療、遅かったか・・・と懸念するほど。ところがその後、不思議と巻き返しましてね。手術は無理かも・・・と心配していましたけどなんとか無事、手術とあいなりました。かなり大掛かりな手術となりましたけどね。でも、頑張りましたよ、A子さん。ちゃんと回復して、元気になってくれませんとね~ママなんですもん
2013年01月31日
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私事ですが、母の入院も丸2ヶ月が経過しました。この間、病院に行かなかった日は、2日間だけという病院通いの日々でした。どうにも CRP が安定しません 明後日、注文したコルセットが出来上がってくる予定ですが、注文した途端、CRPが16に跳ね上がってしまいましてねぇ。。。何時、使用できるのやら。。。明日、ムンテラです。ところで、つい先日の米村先生の外来ですが・・・70人もの患者さんが来院されたんだそうですこれだけの患者さんが来られると、1人平均10分としても11時間かかる計算です。私に届いた報告メールには、9時間待った患者さんがおられました。朝9時に病院に到着。だけど、診察室に呼ばれたのは、夕方6時過ぎだったそうです。これまで私のデータでは、「7時間待ち」 が最長でしたけど、今回は、記録更新しちゃいました。もちろん、これは良い記録じゃないですけども。この9時間待ちの患者さん、ご本人がお元気そのものだから・・・という事もあるでしょうけども 米村先生、かなりお疲れのご様子でした と、米村先生を気遣って下さいました。その米村先生、実際、相当疲れたようです。前日は12時間の手術やってましたからねぇ。お昼も食べず、朝からずっと外来やっていて、診察室出る頃にはもう真っ暗ですから。 4時間も5時間も待つなんて異常やわ こんなの絶対に良くないですわ 何とかせないかんと思うとるんですと仰ってましたねぇ。。。しかしぃ・・・何とかすると言いましてもねぇ。。。何とかするって言うとですね、まず、外来日を増やすが思い浮かびますが、米村先生のスケジュールは殺人的です。体力的に無理というよりも実際、物理的に無理です。絶対無理。で次に思い浮かぶのが、他の医師と手分けして外来を行うですが、これは、患者さんサイドの反応が気になります。だって、皆さん、米村先生に診て貰うと言うよりも、米村先生に会いに来てるという方が、少なくないですからねぇ。「あの笑顔に救われている」 患者さんが実に多いですもん。となると、後は時間配分となるわけですが時間配分を作ると、70人なんて人数をそもそも、1日では受け付けられません。常に「もう満杯です」ってことになって、予約できなくなる患者さんが半数出てしまう計算です。どうしたらええねん。。。今のところ、待ち時間に対するクレームは、少なくても私には届いていませんが、何時間もかけて来院して、何時間も待たされて、数分診療ではやはり、患者さんだって辛いですよね。それにしても、手術前は水分を極力控え、食事も殆ど摂らず立ちっ放し。10時間を越える手術も珍しくない。おまけに外来日は、こんな状況でしょう。医者って、体に悪いことやってますね。
2013年01月29日
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母の入院も2ヶ月となりました。母の炎症の数値ですが、1歩進んで2歩下がったり、良い感じになったり、一気に急降下したり・・・で、まだまだ時間がかかりそうです。内科にいた頃は、同室の患者さんは介護施設から、誤嚥性肺炎や、風邪で高熱及び脱水症状で一時的に入院する方ばかり。入れ替わり激しく、尚且つ、会話成り立たずの患者さんが殆どでねぇ。唯一会話が成り立つ患者さんは、元気になって直ぐ退院。動けない母、ボケるんちゃうやろかと真剣に心配し、話し相手に毎日、通いました。今も毎日行ってますけど、整形外科は頭は、しゃきしゃきの方ばかりです。皆さん、足腰痛めて入院ですから、一人では動けないだけでね。今や、皆さんとはイイ感じのルームメイトです。必ずしも毎日行かなくてもいっか。。。って思えるようになったので、この間、東京ディズニーランドに行って来ましたランドは何年ぶりかなぁ、ここ最近はシーばかりでしたから。毎年1度は行きます寒かったけど、人が少なくてパレードなんて開始5分前でも最前列で見られましたところで。。。このところ、色々な患者さんのご家族から、これ何でしょうと写真が送られてきます。手術の傷口だったり、腹部の異変だったり。皆さん、「お見苦しい写真ですみません」 って書かれます^^;さすがにここに載せる訳にはいきませんけどね。今回の写真は、腹部に出来た小さな膨らみでした。サイズはLサイズの鶏卵程度。大きめのゆで卵を縦に半分に切った物がお腹に乗ってるて感じです。触るとぷよぷよしていて、水がある感触だと言います。患者さんはスキルス胃癌(50代・男性)。病気判明したのが2008年8月で翌月、手術。その後、TS-1 服用続けるも翌年の1月に腫瘍マーカーの上昇が始まります。CA19-9 が100を越え、腸管の拡張が認められたことから、腹膜播種との診断がおりました。そして、薬剤変更となったのですが、この頃に米村先生の元に来られました。米村先生の元で治療が開始されると、腫瘍マーカーが半減しましてね。イイ感じなのでそのまま治療を続行。そもそもこの方の場合、異例なんですが米村先生的には、「腹膜播種ちゃうんじゃないかなぁ」 だったので手術は行わず。この患者さんの話は過去にも何度か書いています米村先生の元へ来られて2年経った頃、たまたまPET CT を撮ったら甲状腺癌が見つかったこともありましたねぇ。癌なら切った方が宜しかろ~から切除。これは、甲状腺の専門病院でね。かれこれ4年のお付き合いなんで、色々とありましたけど全てが笑える話ですよ、今はね。一度、腎機能の低下から、薬剤が変わったことはありましたが、問題なく今に至ります。腫瘍マーカーは正常値だし、時々行っている洗浄細胞診はクラス2です。今は治療も卒業となり、今年からそれまで毎月の外来が3ヶ月毎に変わった途端、年末の米村先生の外来時には、なんともなかったのに、突然、こんな風になり「これなんでしょう」というメールが届いたというワケです。届いた写真を見て、うちの博士 これ、癌とは違うなぁ 鼠径ヘルニアじゃないかと言う。だけど、やはり不安なんで米村先生に電話すると 心配要らんと思うけどぉ、診てみないとわからんから まぁ、来て貰ってください との返事なんで、まんま伝えました。で、つい先日、報告が届きましたがCT撮ってみたそうですけどやはりヘルニアだったそうな。(うちの博士の診断、結構当たるやん)またまた不安解消となりましたこの患者さんですかもうずっと、ハードにお仕事やってますよここに来て、いよいよ事業拡大だそうです。まだまだ飛躍中の、元ステージ4の癌患者さんです
2013年01月25日
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最近は、病院から帰るとホント忙しく慌しく、ドタバタと動き回り、ようやくやる事を終えると、9時半を回ってる。10時頃には、睡魔が襲う有様です眠ぅい中、お風呂。。。まるでお子ちゃまですところで、今日は前々回に書いた、「他の医師から、酷い言われようをした偽粘液腫の患者さん」の話です。患者さんは今は40代ですけど、私にメールが届いた頃、2010年は30代でした。その何年も前から、ずっと少量の腹水が認められていましてね。一体、これは何ってことで大学病院で検査を受けたんです。この腹水を検査すると、クラス3 偽陽性異型細胞 との結果が出ました。偽陽性だし、クラス3だし・・・つまりわかったのはこれだけで、病名とかわからない。。。それで、日本屈指の癌専門病院でセカンドオピニオンを受けたんです。そしたら、「腹膜偽粘液腫」 と診断を受けました。この病院は、過去にも何人かの同病の患者さんが訪れていますけど、基本、この病気の治療を請け負っていません。それで、米村先生の元へ来られ2010年の夏に手術を受けました。腸の切除もなく、術後の抗癌剤治療もなく、今はあの元気な患者さん同様、半年毎に米村詣でをやってます。他の患者さんと比べると、大した切除量ではなかったようですが、やはり、切れば痛い訳で、ご本人が言われるには それなりに痛く、辛い思いをしましたとか。術後の痛みは長引いて、長期に渡りオピオイドを使用したそうです。いよいよオピオイドも卒業となった時には、「禁断症状」 も経験したとか。(※オピオイドとは、モルヒネ等の麻薬系の鎮痛剤です)こんな辛い経験も今となっては、やっとこさ思い出すレベルだそうです。もちろん、当時は病気の事なんてもう考えたくもなく、病気からサヨナラしたく、向き合うなんて気持ちにはなれず、忘れたくって仕方なかったそう。ようやく今になって 「病気と向き合ってみようかな」 という気持ちになったんだそうです。それで私にメールが届きました。だから、お名前を見た時、私も 「ん~、誰」 だったんだなぁ(失礼)術後、痛みが長引いたことの不安から、地元で病院探しをしたそうです。それが、行く先々で酷い言われようったらありゃしない・・・だったとか。先ず、この手術に対して、「否定」 から始まり、中には、 「そんな手術をして、まともな事が体で起こっている訳がない」 とまで言った医師がいたそうな。そう言われてもねぇ。。。目の前に元気な患者がいるじゃないねぇここまで否定されると、手術批判だけに留まらず、目の前の患者さんの否定に行き着いてしまいます。少なくても、この患者さんは自分自身が否定されている気持ちになったそうですご自分の未来に×を沢山貰った気持ちになったそうですよこんな経験を繰り返すうちに、病院探しが嫌になり、特に問題もないことから今は、半年に1度の米村詣でのみだそうです。だけど、卵巣切除の更年期障害と思われる症状は明らかに出ていて婦人科はキープしたい、それにやはり、何かあった際の病院のキープもちゃんとしておきたいと病気に向き合うようになれたからこそ、強く思ったんだそうです。それで、自分の体に施された治療内容を十分把握して、尚且つ、病院に持ち込む際のデータとして保管したいとのご希望が私に届いたって訳です。 半年前に米村先生にはお願いしておいたのですが お忘れじゃないかと、心配で・・・ってね。よっしゃ~、ちゃんと言うておきまっしょそうそうこの患者さん、当時は一児の母でしたけど今は二児の母ですって。
2013年01月22日
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先月17日に書いた、「1%の可能性を探せ」 の患者さん(40代・女性)が帰ってきました。こう書くと実に格好良い話ですが、1%の可能性は99%の不可能と隣り合わせです。この患者さんの背景は実にシビアでした。虫垂癌が判明したのは2010年の秋。術前化学療法を経て手術となりましたが、この手術で腹膜播種が見つかりました。その後、米村先生の元へ来られ癌、完全切除を目指して手術となったのは2011年春です。ですが2012年秋には腸閉塞を起こし、再発となりました。この時、最初の病院だと思うのですが、某大学病院に腹痛を訴えて出向いたのでした。ここまでは、正直言うと珍しい話ではないです。よくあるとは言いませんけどね。シビアな背景とは、この腸閉塞を起こした時に飛び込んだ大学病院の対応でした。 「余命半年というところ。 癌が沢山あるから、切っても意味がない 今回は応急処置をしておきますが、 また、この病院に痛みを訴えて来院された時は モルヒネを打ちます 緩和ケアに行って頂きます その旨、了承する誓約書を書いてください」こうご本人にズバっと言ったようです。ご家族にそっと言うのではなく、本人に面と向かってです。ご本人、相当の凹みです。泣きますわ、そりゃ。もう希望も何もない、絶望の淵ってヤツです。ご本人の落ち込みは激しく、ご家族がみても辛そうでした。だってご本人は 「生きたい」 んですから。いきなりこんな事を言われても、「ハイ、わかりました」 なんて言えるわけありません。それで一縷の望みをかけて、米村先生に連絡を取ったらしい。先生 ん~、そりゃ診てみんとわからんからね 検査しましょか となり、遠路はるばる出向いたんです。匙を投げるのは、何時でもできますからね。その前に、ギリギリ可能性を探ろうというお考えからでした。それで開腹してみたのですが、予想以上に癌が広がっていて、手が付けられず、バイパス手術に終わったのでした。回復を待って、退院の予定が消化管穿孔を起こしてしまいました。時間を経て、ようやく塞がったと思った時は、また新たな穿孔が。。。 やってダメだったのだから仕方ないです どうにも出来なかった以上、後は、早く連れて帰りたいですご主人はそう言われました。病院よりも家で過ごさせたい、家族や友人に見守られる環境を整えたい・・・ですが、なかなか思うように回復しない。そんな中で、ご主人は在宅医療の模索を始めました。このような状態でも、在宅で看ることは可能かケアしてくれる病院はあるかようやく受け入れてくれる病院を見つけました。在宅看護のフォローを受けてくれる病院です。「移動中の危険なアクシデントもお覚悟の上なら」と。環境が整いそうな中、最終的な判断をご主人は迷いました。 どうすべきでしょうかと。。。私は 今、連れて帰って差し上げてはどうですかと答えました。もし私なら、帰りたいと思うし、その道中で死ぬようなことがあったとしても誰も怨んだりしません。だから、こう答えたんです。すると、ご主人から直ぐに返事が届きました。 連れて帰る決心がつきました決めてからの行動は素早く、ようやく家に帰って来ました。家では高校生の娘さんと、患者さんのお母さんが待ち侘びてました。二人揃って 「帰ってきてくれてありがとう」の言葉。 今は、在宅看護となり、ようやくご本人は心落ち着ける場所でゆっくり休むことができています。お帰りなさい、キョウコさん。
2013年01月21日
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このところ、「お忙しいところ、すみません、緊急です」と言う電話やメールが連日でしてねぇ。。。ありゃま、そりゃ大変ってな風な対応が続いておりました。ですが、そんな中でも明るいお話も届いております。2012年6月20日と、その前、3月30日に書いた日記の患者さんの近況です。何故、この話題を書こうと思ったかと言えば、また別途、書くつもりなんですけども、他の医師から、酷い言われようをした偽粘液腫の患者さんがいましてねぇご本人、術後元気にも関わらず、この医師の言葉で大層傷つき意気消沈されましてねぇ。なんでそこまで言われなアカンのやろ。。。だから、んなこたぁ、ありゃしませんって話をちゃんと書いておかねばなぁと、思った次第ですわ。私、ちゃんと辛い事実も書いてますからね。元気な事実も書いておかねばでしょ。で話は舞い戻って、今日のお話は、60代の女性患者さんです。(過去ブログ参照方)手術を受けたのは2010年10月です。術後、2年数ヶ月が経ちました。この病気、実のところ、一括りにできなくて同じ、「腹膜偽粘液腫」 と診断を受けましても、術後、抗癌剤治療を必要とする方もいれば、この患者さんのように抗癌剤治療は不要とする患者さんもおられます。再発を繰り返すことが多い病気なだけに、抗癌剤治療は辛いけど、やっていると何となく安心という方もいますし、辛い抗癌剤治療を頑張ったのに、何度も再発してしまう方もいます。こうなると、何もやらないことが不安材料にもなりますが、米村先生は、 抗癌剤が効かないタイプがあるんよ、 こういうタイプは、抗癌剤やっても意味ないからね 気にしてもしゃ~ないんですわ まぁ、再発したらまた切ればええ ってどんと構えてます 術後、何もせんでも、ずっと再発せん患者さんもおるんよとも言うておられました。で現在、この患者さんはですね。。。これがまた、あいも変わらずとってもお元気です昨年はご主人と山登りで往復7時間歩いたとか。(私、これ絶対ムリです)趣味のテニスも続けておられるとか。今月などは、昔大好きだった(らしい)沢田研二のコンサートに行ってはじけて来たって言われますははは・・・今年も家族揃って穏やかなお正月を迎えたそうですが、当たり前の穏やかな日常は、幸せと感じることもないですけどもこの患者さんにとっては、格別な 「幸せ」 です。「当たり前」 なんて、ホントはどっこにも無いんですから。外来は半年に1度だそうで、前回の12月の外来も単なる、「米村詣で」に終わったご様子。次回の 「米村詣で」 は5月だとか。米村先生としても、これだけ普通にお元気だと、経過をみていたいようで 何ともなくても、ずっと来てやと言うたらしい手術を受けて、2年以上経って、これだけお元気なのですから、ご本人としては、もう病気なんて忘れたいところかと思いきや、ここにきて、貴重なご意見を頂きました。 病気がわかった時は、病気と向き合えずにいました 今になってようやく、自分の病気と向き合えるようになりました 病気のこと、知りたくなりました 私にとって、ひろりんさんのブログは、 他の患者さんの経験を知ることができる貴重な存在です 色んな方の経験を知ることで、頑張ることができます 自分の甘えを知ることもできます 辛いお話には胸が痛みますが、 何時の日か、自分だってそうなるかもしれません その時に備えて、覚悟をもてるように強くなりたいんです だからひろりんさんのブログは私にとって大切なものなんです言葉は若干違いますけど、このような事を言われました。このブログは、自分自身を鍛えるものでもある・・・んだそうです。(こんな風に捉えて下さる方もいるんだなぁ。。。)だから、昨年の炎上事件のようなことがあれば、 もう腹立って、腹立ってなんですってすみません、余計なご心配とお腹立ちをせてしまって
2013年01月19日
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ちょっと前、ステージ4の癌患者に、がん専門病院は優しくはないという話を書きました。実際、スキルス胃癌・ステージ4の癌患者さんが、この日記を読む前に、日本屈指の癌専門病院を訪れたのですが、感想は 本当にそうでしたでした。この患者さん(30代・男性)、スキルス胃癌が進行した状態で見つかったのですが、これ自体は珍しい話ではありません。昨年の夏に、胃の不調を訴えて病院に行き、胃カメラ検査を受けたようです。そこで、胃潰瘍が見つかります。お聞きした話から、明らかに医師は癌を疑っています。でなければ、細胞診などしません。だけど癌細胞は見つからない。だから、この時点では胃潰瘍。それでも、胃壁の厚さが気になるからと、時間をおいてまた胃カメラ検査。また、癌細胞は検出されない。それで経過観察となったのです。経過観察の2ヶ月の間に、顕著な癌の進行が見られ、突然の尿管狭窄による水腎症となり、ここでようやくスキルス胃癌判明となったのでした。「ここまで進行すると、ここでは標準治療しか行えない、外科的治療も行えない、癌専門病院や、大学病院ならもっと進んだ治療が受けられる」との説明から、私に相談メールが届きました。米村先生に診て欲しいとのご希望が、患者さんの奥さんからあったんです。ですが、ここでこれまた、先日書いた患者さん同様にご親族から別の意見が出されます。「都会の大きな病院の方が、きっともっと良い治療が受けられる」って。だから行ったんだそうです、癌専門病院にね。でも、そこでされた話は、後ろ向きな話ばかりでした。ここでも標準治療しか出来ないこと、残り時間の使い方を考えた方が良いこと等々・・・大抵の方が、手立てがないとか、余命云々とか言われるような大変な病状なら、それこそ専門性が問われ、最新医療が適応される筈設備の整った病院や、専門医が揃う病院ならきっと何か手立てがある筈って思うものなのでしょうけど、んなぁこたぁないんですねぇ。だけど、癌のことなど知らない、医療制度のことなど知る由もない方々は、やはり癌専門病院なら、研究医療機関である大学病院ならって思うようです。この患者さん、諦めきれず、地元の先生に説明された話をしてみます。 地元の先生のお話では、こちらでは標準治療以外の治療が 受けられるってお聞きしたんですが・・・ そういう場合もありますが・・・この後の説明は、よくご理解されなかったようなので、私がするとですね。標準治療以外の治療は、治験と呼ばれる治療法です。治験に参加する為には、患者さんに条件が設けられます。多くの場合、手術や抗癌剤治療を受けていない、未治療であることが絶対条件です。この患者さんの場合、この条件には当てはまるものの、進行状態から、対象から外れてしまうのです。そもそも治験というのは、標準治療との比較対照試験なので、標準治療組と、最新治療組とに分かれますが、これは、ランダムのくじ引きで決められます。だから、全ての条件もクリアしても、くじで外れたら標準治療組となるんです。つまり、癌専門病院や大学病院に行っても、普通に標準治療は行っているし、それ以外の治療が受けられるとは限りません。何よりですね、新しい治療法は標準治療にすることを目的としています。その為には、奏功率を上げなければなりません。奏功率を上げる為には、患者さんを選別せねばなりません。効果が見込めない患者さんに施行すれば、奏功率が下がってしまう。そうなれば、その治療法は効果薄いとなり、日の目をみることはなくなってしまう。将来的に、多くの患者さんに標準的に受けられる治療にする為に、悲しいかな、ここで選別が行われているのです。医療の進歩という大きな枠で見れば、致し方ない現実ですが、今を戦う患者さんご本人にとっては、今、その治療が欲しい。少なくても、前向きな治療、前向きに治療を受けなければ治療自体の意味がないです。だから、前を向けるように治療を受けましょう。これから一緒に歩き始めましょう。
2013年01月17日
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今日は大変な天気となってますなここは雪ではなく、大雨と強風です先ほど、母からコソコソと電話何せ身動きが取れない中、大部屋にいるものだから、布団にもぐって、こっそり電話してくるんです。「今日はこんな天気だから、来なくて良い」って言うんで、今日は病院行くのを止めました。着替えもタオルも十分置いてあるしぃ、洗濯物は昨日、持って帰って来たしぃ、まっ、今日はいっか。その分、メール対応頑張ってますちょっと前のことだけど、たまたま同時期に、何人かの患者さんから 「偽粘液腫の患者さんは羨ましい」って感想が届きました。偽粘液腫の患者さんが集まる病院があるんですが、そこで治療入院した、他の癌の患者さんがそう言うんです。手術はとっても大変で辛そうだけど、確実に良くなって、元気になっていくのが目で見えるから、羨ましいって。直ぐ近くに元気になっていく患者さんがいる。でも、自分は違う・・・そんな感想でした。「羨ましい」 なんて自分が人から思われていること、きっと、この患者さんは思いもしてないでしょう。この方だって、辛い手術の後ですもん。それでも、「羨ましい」 って感想が私には届いてます。人は他人が思うほど、幸せでも不幸でもないけれど、自分の運命を悲しみとして受け止めている患者さんでも、他の人からは 「羨ましい」 って思われていることもあるんですよね。
2013年01月14日
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相変わらず、車を30~40分飛ばして母が入院中の病院通いは続いております。この移動時間を使えると私も結構楽なんですが、自分で運転しているから、何も出来ないんですよねぇ。あぁ、時間が欲しい(T T)うちの母ですか未だ、寝たきりです炎症している骨が固まるまで、起き上がることまかりならんと言われて2週間。検査結果がよければ、ようやっと座る練習だそうな。まだ、先は長そうです。消化器内科の先生も、殆ど毎日、来てくれているらしいんですが、私が行く時間と合わなくて、お話しできない。母の担当医の消化器内科の先生も、整形外科の先生も医者になって3~4年のお若い先生でね。この消化器内科の先生、私の中の消化器内科医のイメージを大きく払拭しましたよ。一言で言うと、「おもろい兄ちゃん」 です母、背中が痛いとずっと訴えていたんですが、肝臓のドレナージの針のせいそれとも、背骨の圧迫骨折が未だ痛むで、実のところ、新たな骨の炎症や膿瘍を見抜けなかったんですが、素直に 「ごめんなさいね、痛いって言ってたのに気が付いてあげられなくて」 って頭を下げました。ドレナージで動けなかったし、優先順位から言えば、やはり肝臓だからしゃ~ないんですが、整形外科の先生の説明時には、わざわざ同席しに来ました。後ろで立ちながら話を聞いてましたけど、やはりおもろい兄ちゃんで、うっかり背中で部屋の電気のスイッチを押して、真っ暗にしちゃって肝心の本題です。昨年の6月21日の日記に書いた、腹膜偽粘液腫の患者さん(40代・女性)の近況です。当時は、まぁちょくちょくメールのやり取りしてましたねぇ。母子家庭で、娘さんは高校生。最初の手術で長期間仕事を休み、次回の手術の日程が定まらなくて、仕事の方は、はいサヨナラってなっちゃって。生活のメド立たず、仕事が出来る体になるメド立たず・・・生活保護申請に行くも、門前払い。自動車を持っているというだけで、財産とみなされたそうな。ご本人、この体じゃ、車なければ、いよいよどこにも行けないと、泣いてましたねぇ。この患者さんの場合、難病の偽粘液腫の他に乾癬という、これまた難病の持ち主です。乾癬と言っても、状態は大差があるのですが、この方の場合、関節が腫れ激痛が伴うタイプ。仕事どころか、普段の生活にも支障をきたすような状態となってましてねぇ。だって、痛くてコップも握れなかったんですよ。患者さんご本人も 手術、何時でしょうかぁ 未だでしょうかぁって言ってましたが、私も米村先生に同じこと言いましたねぇ。米村先生を煽るなら、まかせておくんなさいだって、生活のメドが立たないばかりか、乾癬の治療のメドも立たない。これじゃねぇ、娘さんだって大事な時ですもん。乾癬って免疫異常の病気なので、治療では免疫力を下げるんです。だけど、免疫力下げると、今度は偽粘液腫の方がやばい。だから、早く腫瘍を取り除いて、その次に乾癬の治療をせねばだったんですよね。手術は2012年5月。術後、切ればそりゃ痛い痛い・・・という時期を過ごしましたが、回復し、じゃ次は乾癬ね・・・の予定が、皮膚科の医師が移動やら、交替やらで頓挫。どうすりゃええねん・・・でようやく年が明け、乾癬治療のメドが立ち始めました。ご本人から、久しぶりにメールが届きました。昨年の年末年始は、初回の手術で病院だったそうで・・・あの頃を思えば、今は本当に穏やかな日常だそうな。年末の米村先生の定期外来では、問題なしのお墨付きを貰って、日常生活も、以前の支障を思えば、寒さで起こる少しの痛み程度とか。そういえば術後に、米村先生が 偽粘液腫の腫瘍を取り除けば、 乾癬も楽になるんじゃないだろうか、わからんけど・・・ って言ってたなぁ。乾癬の本格的な治療は未だなのに、明らかな改善傾向じゃないでしょか、これ。久しぶりの近況メールは、実に明るかったですそうそう、この間の日曜日(1月6日)の読売新聞の 「病院の実力」 の欄に、皮膚癌が取り上げられてました。ここに、乾癬もありました。
2013年01月10日
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昨夜、9時半過ぎのこと。お風呂に入っていたら、博士がお風呂場のドアをどんどん叩く。 なぁにぃ 電話が鳴ってるぞぉどうやら私のケータイ片手に叫んでいるみたい。 だれからぁ~ わから~ん、番号しか表示されない (そう言われてもなぁ、アタシ、今、お風呂なんですけど。 頭、シャンプーしちゃってるんですけど。 どうにもならないんですけど。) あっ、切れた・・・ってだからぁ、どうにもできないんだってば、ムリったらムリお風呂から上がると こんな時間にかけてくるんだから、急用じゃないのか かけなおしてあげればと博士。まぁ、私のケータイ、メールも電話も急用ばっかですけども。夜10時を回ってしまったけど、まっ、かけなおしてみっか・・・で、電話してみた。このところ、夜は直ぐに眠くなるから、頭ハッキリしているうちじゃないとね~こちらから電話して聞くのもナンですが、 どなたですぅ から始まる。そしたら、お正月1発目に書いた、スキルス胃癌の患者さんのご親族でした。この患者さんの実のお兄さんが、スキルス胃癌の手術で腹膜播種が見つかり、その後、米村先生の元へ来られるも、みるみる進行してしまい最初の手術から2ヶ月後に他界。米村先生的には 「なんも治療らしい治療ができんかった」と悔しがった患者さんでした。今度は、この患者さんの妹さんが同じ病気。米村先生の治療を薦めるこのご親族と、いやいや、わざわざそんな遠くに行かずとも、近場のがん専門病院で診て貰った方が良いのでは?という別のご親族がいて、ある意味、意見が食い違ってしまい、米村先生の治療を上手く説明したいのだと言われます。私、この病気と関わって10年越えました。この間、医療制度ってヤツも痛いほど知りました。この病気のシビアさも、儚くもちゃんと存在する希望も知りました。今や、癌専門病院はステージ4の癌患者にとっては、全然優しくないこと、非情なこと、治療の見切りが早いこと、早々に緩和ケアを推進すること・・・生の声を沢山聞いてきました。包括診療制度や、独立行政法人化と世の中移り変わり、公立と言えど、苦労しているのはわかるけども、癌専門病院って、ある病院を除いては全てにおいて公立です。これこそ国がお金使って、赤字でもしゃ~ないやん、研究したってや。ってなるべき病院なのに、今は違います。公立病院でもちゃんと利益だしてや~に、変わってしまいました。だから、お金使って研究してくれるのは、ちょっと頑張れば治る癌と相場が決まってしまった。癌専門病院神話、大学病院神話は、もう昔の話。今は私立の病院が、患者さんを呼ぶために目玉商品を作ってナンボの時代。だって、病院だって潰れる世の中に変わったんですから。これも全て不景気のせい赤字大国になったせい健康保険の赤字を毎年、3900億円も出しているせい何のせいかは知らんけど、何のせいにしても、しばらく変わりそうもない現実があることは確か。それでもツテがあるから、コネがあるからと癌専門病院にもぐりこめば、その先で、もう治療法はないから他の病院へ・・・ってことにはならないでしょう。行き場に困ることはない、癌難民になることはない。それだけが、唯一の救いかな。こういった「救い」は提供できないし、米村先生の治療が必ずしも命を救えるとも限らない。だけど、諦めから入る治療なんて絶対しない。最新といわれる抗癌剤治療の手法を取り入れ、独自の腹膜切除術、更に、術中温熱療法を施行。患者さんの負担は小さくないけど、リスクもあるけど、これを乗り越えて3年、4年、5年・・・と術後元気にしているスキルス胃癌・腹膜播種の患者さんは実在してます。
2013年01月08日
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今年から、まいちゃんの成長期を改めてシリーズ化しようと思います。以前も書きましたけど、昨年、膵臓癌でまいちゃんのお婆ちゃんが他界されたこともあり、改めます。全くご存知ない方の為に簡単にご説明しますと。。。2007年~2009年にかけて、まいちゃんのパパ(30代前半)を「そりゃないよさん」と名づけてシリーズ化して書いています。2007年1月に手術したのですが、この時、スキルス胃癌が直腸と腹膜に転移した状態でした。その後、TS-1を服用するも、腹水が認められるようになります。この頃、私に相談メールが届いたのでした。米村先生の元へ来られた時は、既に再発していて・・・というよりも、腹膜の癌に手をつけていなかったのですから、再発というよりは、かなり進行している状態でした。この時、病状の深刻度よりも精神的にも、相当参っていて睡眠薬を多量に服用してしまうという、うっかり「事故」とも、「自殺行為」とも思える行動をとっていました。2008年7月に米村先生の手術を受け、その後、2009年6月に他界するまで、私はずっとサポート体制を取っていました。患者さんが他界後も、ご遺族となられてからもお付き合いは続いていて、そりゃないよさんのお母さん(2012年10月・膵臓癌で他界)、奥さん、娘のまいちゃんとは仲良しです。このまいちゃん、1月2日生まれなんですよ。そう、お正月生まれなんです。2009年の1月から毎年、まいちゃんの写真が送られてきます普段でも時折、送られてきますけども、お誕生日は必ず届くんですよ。2009年1月は4歳のまいちゃんです。パパとママとのスリーショット写真でした。病院のベッドで起き上がるパパに甘える、まいちゃんとママの写真でした。ママも甘えん坊してますこの頃、まいちゃんは病院の中でアイドル的存在でね。看護師さんも可愛がっていたようです。たまたま病院に来ていた、どこぞのお婆ちゃんに パパはね、ふくすいがたまっているからくるしいの だからね、ふくすいをぬいているのなんて病状説明なんかしてましたっけ。まいちゃんは、この頃から家族の一員としてパパを支えていたんです。子供だって、異常事態くらいわかりますからね。子供だから、可哀相だから、話してもわからないから、と蚊帳の外ではただ不安になります。だから、まいちゃんのパパとママ、そして爺ちゃんと婆ちゃんは、まいちゃんにもパパの病気は癌だということ、大変な病気だということ、だから家族みんなでパパを支えて、パパに頑張って貰わなければならないこと、ちゃんと話したんです。確かに4歳のまいちゃんには過酷な現実だと思いますが、いくら可哀相でも事実は変えられません。ただ訳もわからず不安にさせるよりは、理解できずとも異常事態であること、だから家族はみんな必死になっていることは教えておかないと・・・って私も思いました。そのまいちゃん、今年は8歳です今年の写真はと言いますと、まいちゃんの体くらいあるテディペアのぬいぐるみと一緒に写ってました。このでっかいテディベア、パパが入院していた病院、同じく、お婆ちゃんも入院していた病院の院長先生から貰ったものなんですって。何の因果か、パパとお婆ちゃんの二人がお世話になった病院で、4歳のアイドルは8歳になってもアイドルみたいです。2009年6月に30代前半の若さで亡くなったパパからも、当時、時々私にメールが届きました。 まいとバージンロードを歩くのが夢なんですそう書かれていたことがありました。まいちゃんがお嫁さんになるまで、私も元気でいないといけないなぁ・・・パパの夢、ちゃんと見届けないとなぁ・・・と思う私です。
2013年01月06日
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2013年、新年を迎えました。今年もどうぞ、宜しくお願い申し上げます。年末年始の私はと言いますと・・・大晦日は大忙しで、朝からずっと動きまくり。もちろん、夕方は入院中の母の元へ。大晦日の病院って、さぞ寂しいかと思いきや、逆に結構、患者さんのご家族が来ていて院内は特に変わりはなかったです。元旦は、仰せ付かっている地区のお役目で、朝早くから化粧して身なり整えて午前中待機。そのお役目を終えると、すっかり忘れていた父の元へ。そう、お墓の掃除を忘れてました何せ、母が入院してからドタバタと年末に向かっていたもので^^;いやぁ、ごめんさない。それから母の元へ。一応、毎年恒例の黒豆は煮たし、我が家のお雑煮の鶏ガラ出汁も3時間かけて作ったし、何とかお正月の体裁だけは整えましたけどね。この丹波の黒豆は、2007年にスキルス胃癌で他界された60代男性患者さんの奥さんが、毎年、暖かなエールを込めて送って下さる心のこもったお豆なんです。ですから、そのお気持ちに応える為にも、ちゃんと毎年煮てます。毎年秋になると届く梨と言い、お豆と言い、そりゃないよさんのお母さんもずっと新米を送って下さってくれて、何年経っても、ご遺族からもこんなに愛される私は本当に幸せ者です。もちろん気合入れる為にも、ここは強く言ってしまいますけども、元旦からメールのお返事はやってまっせ~ そこで超特急事項があって、2日の朝・・・昨日ですけども米村先生に今年初の電話を入れました。元旦に米村先生から年賀状が届いていながら、私ってば喪中なんで出してない。こんな失礼もあったので、新年の挨拶も含めての電話です。 (そー言えば、この年末年始のご予定を聞いておくのを忘れた 先生、どこにいるのかしらん 日本にいるのかしらん)とか思いながら・・・これまでずっと、年末年始のご予定は聞いてたんですが、私も何せドタバタしてたもんだから。日本にいないことも、過去から珍しくなかったから繋がらないかもと思ったんですが、米村先生、病院におられました。米村先生も元旦も2日も、病院に出向いておられました。私も目的は違うけど、「病院」に出向いているんで、「も」 という言葉を入れてみました私の感覚だと、年末年始に病院に来ている医者って若い医者ばかり。実際、母の入院している病院では、年配の医師を見かけない。 えっ先生、病院なんですか 母が入院している病院なんて、 年末年始は若い先生ばかりですよ 先生~、ヒラの医者は辛いですねぇと実に失礼なことを言うてみたら あっはははは・・・そうそう これからはねぇ、ジジィの医者の時代ですわ あっははは・・・とこれが大ウケ医者ってホント、大変な仕事ですわ。そもそも、上でふんぞり返っているのが嫌で現場に戻ったお方ですけどね。本題は、超特急でセカンド組みたい患者さんの話ですけどね。年末に届いた相談メールなのですが、これが過去(2011年)にも相談を受けた方なんです。命を救えずに、あっというまに駆け抜けて逝ってしまった30代の方でした。手術まで持ち込むことさえも叶わなかった患者さんでね。その妹さんに同じ病が見つかったと。米村先生も、あの時は無念をあらわにしていて、そのせいか、良く覚えておられました。今度こそ救わねばこの命
2013年01月03日
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