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御殿場方面から箱根方面に続く国道138号線は、沿道に見どころが多い道路だと思います。乙女峠のふじみ茶屋から見た富士山箱根カルデラの中でも、乙女峠・金時山・足柄峠からは、富士山の裾野から山頂までを見ることができます。その国道138号線にあって、今まで素通りして来たのが、箱根の森ガラス美術館でした。植生に違和感がありますが、紅葉の季節に訪れました。ガラスの滝の向こう側には、箱根外輪山の中心部である神山が見え、大涌谷の噴煙も見ることができました。積雪の中を登ったのを覚えています。ところでガラスの森美術館そのものは、シュールすぎて私にはよくわかりませんでした。
2022/02/16
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歌川広重(初代)の風景画が好きで、東海道五十三次の街道めぐりや名所江戸百景を見て回る時など、なるべく同じ構図から眺めて新旧の風景を比べてみたりしています。富士山が世界文化遺産に登録されたこともあり、今度は葛飾北斎の風景画、富嶽三十六景を見てみました。富嶽三十六景では様々な場所の風景が描かれており、江戸市中のみならず昔は色んな場所から富士山を見られたようです。最も遠い場所では「尾州不二見原」とあるので、尾張国(愛知県西部)からも富士山が見えていたことになります。東海道五十三次では、遠江国見付宿(静岡県磐田市)が最西端とされており、宿場の名前も京都方面から江戸に向かう途中で初めて富士山が見えたことに由来しています。尾州不二見原桶の中に富士山を描き出してみせる葛飾北斎のセンスは素晴らしいと思います。それにしても気になるのは、こんなに大きな桶を作って、一体何に使うつもりでしょうか。実は北斎の富嶽三十六景の絵は46作あって、厳密には「富嶽四十六景」なるのでしょうが、その46枚の中でも、富士山だけを構図に描いたものは意外と少ない気がします。有名な「凱風快晴」(赤富士)と「山下白雨」の2枚くらいかも知れません。復刻浮世絵葛飾北斎「凱風快晴」(富嶽三十六景)【楽ギフ_のし宛書】復刻浮世絵葛飾北斎「山下白雨」(富嶽三十六景)【楽ギフ_のし宛書】例えば「上総ノ海路」とかはこんな風でした安宅船と思われる船が大きく描かれており、房州の山並み(?)の向こうに、気が付けば富士山があったという感じでしょうか。ところで葛飾北斎の富嶽三十六景と歌川広重の東海道五十三次・名所江戸百景では場所がかぶるところもあったりします。例えばその1つに江東区西大島にあった五百羅漢寺があります(名所江戸百景の記事→こちら)歌川広重「名所江戸百景 五百羅漢さざゐ堂」同じ五百羅漢寺でも、ここでは葛飾北斎の方がいいと思います。葛飾北斎「富嶽三十六景 五百らかん寺さざゐどう」やはり富士山は小さく描かれていますが、この構図で気になるのは右下の方に描かれた行商人風の夫婦です。富士見客を中心に描きながらも、富士見どころではない人がいたりして、なかなか興味深いと思います。さらには東海道五十三次でも、葛飾北斎と安藤広重がかぶる場所がいくつかあります。葛飾北斎「富嶽三十六景 東海道金谷ノ富士」東海道島田宿と金谷宿の間、大井川の構図です。ここでは葛飾北斎の富嶽三十六景よりも歌川広重の東海道五十三次の方が印象的で好きなのですが、広重の方はこんな感じです。歌川広重「東海道五十三次 島田」歌川広重「東海道五十三次 金谷」実際に東海道をめぐった印象でいくと、葛飾北斎の方がリアルな感じがして、広重の方はデフォルメされている気がします。それだけに広重の方が印象深いのかも知れません。ところで葛飾北斎の富嶽三十六景では、やはりこの一枚が素晴らしいと思います葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖波裏」波についてはデフォルメもいいところですが、その荒波の中でも魚を求める漁師たちの姿が感慨深いと思います。(富士山は水平線のかなた)葛飾北斎の描いた46枚の富士山、同じ場所からもう一度見てみるのもいいかも知れません。復刻浮世絵葛飾北斎「神奈川沖浪裏」(富嶽三十六景)【楽ギフ_包装】
2013/07/02
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菱川師宣の名前は知らなくても、「見返り美人」の名前を知っている人は多いかも知れません。作者よりも作品が有名な例もあまりないかと思いますが、私も「菱川師宣記念館」と聞いて、聞いたことがあるようなないような、そんな感じでした。それでも見返り美人の絵が描いてあったので、「そう言えば…」と思い当たった次第です。小学生の頃、細々と切手を集めており、その当時額面5円の「見返り美人」は未使用もので2万円の値段が付いていたと思います。すなわち、普通に封筒やハガキに貼ると5円の価値しかないのですが、切手商などに持っていくと、2万円(当時)の価値がありました。もちろん小学生には高嶺の花で、実物は見たことがあっても、自分のストックブックに並ぶことはありませんでした。当時は「さくら日本切手カタログ」なるものがあり、日本で発行された全ての切手について「未使用」・「使用済み」(郵便局のスタンプ入り)の、それぞれの値段(時価)が書かれていました。(友人との交換レートもこのカタログが基準でした)切手カタログの方は小学生でも買えるものなので、あれやこれやと眺めていたものです。それでもこの切手カタログは、後から考えれば歴史と地理と芸術の図鑑のようなものでした。「記念切手」には近代史が凝縮されており、シリーズもの(近代美術シリーズなどの芸術シリーズ)には、各方面の芸術が小さな切手片に描かれています。近代史も地理も文化も切手から学んだと言っても過言ではないのですが、菱川師宣の「見返り美人」を正面から見ることができるのは、「道の駅きょなん」だけでしょうか。さくら日本切手カタログ2013ところで、バンカー時代にたまたま新規で飛び込んだ先が「日本切手遊趣協会」、このカタログの発行会社でした。【永遠の人気!!】【切手趣味週間シリーズ】【5枚シート】 見返り美人 未使用
2012/10/02
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長門市出身の詩人と言えば、金子みすゞでしょうが、もう1人忘れていないでしょうか。長門の人に聞くと、金子みすゞは子供の頃から知っていても、そのもう1人は知らないとのこと。それでも「全盛期はユニコーンかアンジーか、っていうくらいだったんだぜ」と大真面目に言うと、「ユニコーンは知っているけど、アンジーは知らないです」と。どうやら広島のユニコーンか、山口のANGIEか、と思っていたのは私だけでした。(もっともANGIEはその頃福岡で活動していましたが)未だにアンジー(ANGIE)を聴いていますが、水戸華之介の詩は何年経って聴いても深いものがあります。長門の大寧寺を訪れた時、「大寧寺の変」ばかりが頭にあって、なぜ思い浮かばなかったのか自分でも不思議ですが、ここはアコースティックアルバム「ヒソカ」のレコーディングの場所です。「マグマの人よ」アコースティックバージョンヴォーカルの水戸華之介さんは、「るろうに剣心」の「悠久山安慈(ゆうきゅうざんあんじ)」のモデルでもあります。アコースティックバージョンではなぜか一部詩が変わっているのですが、個人的には原曲の方がお気に入りです。♪バカが一人蒸気を噴出して♪の自虐的な歌い出しが衝撃です。♪心臓が破れても熱帯びた深呼吸 猛烈に生きてやれ 美しきマグマよどうだい 青空を見ようじゃないか 胸を張って♪♪転がされ 土下座した泥だらけの純情が たった一度 一度だけ咲く時があればよい♪ANGIEの代表曲と言えば「天井裏から愛を込めて」、バブル時代を知る人は「夢で逢えたら」をご存知でしょうが、ANGIEも「天井裏から愛を込めて」で出演していました。(当時はカラオケでANGIEの曲はこの曲くらいしかなく、誰も知らないという状況なので、歌うに歌えず)個人的には「天井裏」はさほどお気に入りでもなく、やはり「マグマの人よ」や「サカナ」、「徘徊~ライオンの歌」、そして「銀の腕時計」でしょうか。他にも「しおしおのぱあ」とか、「でくのぼう」とか、詩がよろしいです。銀の腕時計アルバム「レアトラックス」の収録、日比谷公会堂のライブ(「祈り」と「徘徊~ライオンの歌」)ベートーヴェンの名曲に乗せて「昭和のごくつぶし、アジアのひまつぶし(笑)」プーシキン広場→ワシントン広場、中産階級→特権階級、アマゾン川→イムジン川、と歌詞が変わっています。「窓の口笛吹き」から「黄金時代」へ、そして「雲をつかんだ日」、伝説のバンドになってしまいました。【中古】afb ヒソカ /アンジー【中古】afb 窓の口笛吹き /アンジー【中古】afb 黄金時代 /アンジー【中古】afb 雲をつかんだ日 /アンジー
2012/07/31
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7/28の高校野球奈良大会は、大番狂わせでした。準決勝の第二試合、我が母校が昨年の優勝校智弁学園に4-3で競り勝ち、決勝進出を果たしました。思えば私の在学中は1回戦・2回戦で敗退していましたが、ここ最近は力をつけて昨年も準決勝まで進み、今年は決勝進出です。今日の決勝戦に勝てば甲子園初出場。決勝の相手はこちらも強豪、甲子園での優勝経験もある天理ですが、後輩諸君の健闘を祈っています。
2012/07/28
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長門市にある「ルネッサながと」では、7月1日より観客ホールに巨大モザイク画が展示されています。長門市仙崎出身の金子みすゞのモザイク画です。さらにこのモザイク画は、約12万人の顔写真で造られています。「みんなちがって みんないい」関連の記事金子みすゞ記念館(長門市)→こちら金子みすゞ詩の小径(下関市)→こちら
2012/07/01
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下関の唐戸は童謡詩人金子みすゞとのゆかりが深く、詩の大半はここで創作されたものです。その金子みすゞゆかりの場所を巡る散策コースがあり、「金子みずゞ詩(うた)の小径(こみち)」と名付けられています。スタート地点は旧秋田商会ビルの前で、ビル内には金子みずゞのコーナーが置かれていました。旧秋田商会ビル秋田商会そのものは、金子みすゞとは特にゆかりはないようです金子みすゞは長門市仙崎で生まれ、20歳の時に母の再婚によって下関に移り住んできました。再婚した先は母の妹(叔母)の嫁ぎ先でもあり、上山文英堂書店を経営していました。金子みすゞが移り住んだ上山文英堂書店は残っていませんが、近くの「寿公園」には懸賞碑が建てられています。ここから徒歩10分ほどの距離にある商品館内の上山文英堂の支店で働きながら、「金子みずゞ」のペンネームで詩の創作と雑誌の投稿などを行っていました。上山文英堂の支店があった商品館跡商品館は現在のショッピングセンターのようなところで、その中に上山文英堂の支店があったそうです。ちなみに商品館跡から歩いて5分ほどのところには、林芙美子の生誕地があります。金子みすゞは林芙美子より1つ年上なので、ほぼ同時代を生きたことになりますが、顔を合わせたことはないかも知れません。金子みすゞが下関で詩の創作を行っている頃、林芙美子は尾道から東京に移って執筆活動を始めていました。詩の小径には所々に金子みすゞの詩碑があり、寿公園から商品館跡の間にある弁財天橋にも詩碑がありました。金子みすゞも通勤で渡ったと思われる弁財天橋と「ふしぎ」の詩碑~ふしぎ~わたしはふしぎでたまらない、黒い雲からふる雨が、銀にひかっていることが。わたしはふしぎでたまらない、青いくわの葉たべている、かいこが白くなることが。わたしはふしぎでたまらない、たれもいじらぬ夕顔が、ひとりでぱらりと開くのが。 わたしはふしぎでたまらない、たれにきいてもわらってて、あたりまえだ、ということが。詩の小径は唐戸を一周するようなコースになっており、最後は亀山八幡宮がゆかりの地となっていました。(詩の小径コースの終点は、唐戸市場となっています)亀山八幡宮の横にはかつて三好写真館があり、金子みすゞが26才で服毒自殺する前日に写真を撮った場所でもあります。かつて三好写真館のあった場所亀山八幡宮は特にゆかりの深い場所で、亀山八幡宮での詩をいつか残しています。~夏越まつり~ぽつかりとふうせん、瓦斯の灯が映るよ。影燈籠の人どほり、氷屋の聲が泌みるよ。しらじらと 天の川、夏越祭の夜更けよ。辻を曲ればふうせん、星ぞらに暗いよ。~噴水の亀~お宮の池の噴水は水を噴かなくなりました。水を噴かない亀の子は空をみあげてさびしさう。濁った池の水の上落葉がそつと散りました。~鶴~お宮の池の丹頂の鶴よ。おまへが見れば、世界ぢゆのものは、何もかも、網の目がついてゐよう。あんなに晴れたお空にも、ちひさな私のお顔にも。お宮の池の丹頂の鶴が、網のなかで靜かに羽をうつときに。 一山むかうをお汽車が行つた。~雨の五穀祭~ざんざの雨に流された、五穀まつりの夜更けて、いまはちらほら星が出た。誰もとほらぬ、ぬかるみに、消えた提灯映つてる。遠い通りを自動車で、わつと囃して通るのが、空ゆくやうに、きィこえた。ひとつ、ふたつ、みィつ、お空に星がふゥえた。どこかの軒の提灯が、またひとつ、消えた。関連の記事金子みすゞ記念館(山口・長門市)→こちら
2012/06/17
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松山城下、とりわけ大街道付近は訪れる度ごとに変わっているように思います。ちょうど1週間後にNHKで「坂の上の雲」第3部が始まるとあって、城下は「坂の上の雲まつり」みたいな感じでした。松山城のある勝山の南東側山麓には「坂の上の雲ミュージアム」があり、放送より以前の2007年4月に開館しました。安藤忠雄の設計によるものです。旧松山藩主である久松氏の別邸であり、重要文化財に指定されている「萬翠荘」と入口が同じなのですが、やはり「坂の上の雲ミュージアム」の方に人気があるようでした。萬翠荘と坂の上の雲ミュージアムの入口松山の市街地では明治の格好をした人をよく見かけたのですが、さほど違和感がないところが不思議です。大街道から松山城の東側に入ると、秋山好古・真之の生家跡があります。ここでも明治の格好をした人がいました。秋山好古像秋山真之像復元された生家には、秋山好古直筆の額や掛け軸がありました。こちらも秋山好古のものでしょうが、本人愛用のものかどうかは不明です。秋山兄弟の生家を後にして、松山城の東側を歩いていると、聞き覚えのあるテーマ音楽「Stand Alone」が聞こえて来ました。人だかりの方へ行ってみると、第3部の放映にあたって、記念セレモニーが行われるようです。撮影禁止でしたが、この後で秋山真之の妻季子役の石原さとみさんが登場しました。
2011/12/04
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こちらに来て初めて金子みすゞの名前を知りました。3月以降にAC(公共広告機構)のCMで流れていたあの詩の作者が金子みすゞだということは、最近になって知りました。(長門の人に言わせれば、金子みすゞの詩はずっと以前から当たり前のように知っていたそうです)金子みすゞは1903年に山口県長門市仙崎(旧大津郡仙崎村)で生まれ、生家の跡に「金子みすゞ記念館」が建てられています。金子みすゞの実家は書店を営んでいました。記念館の中には金子みすゞの書斎が復元され、ゆかりのある品々が展示されていました。金子みすゞは1930年に26才で自らこの世を去っており、詩が世に知られるようになったのは死後50年近くたってからのことです。公共広告機構のCMで有名になった「こだまでしょうか」を始め、とても80年前に書かれたとは思えないほど、現代にも通じる詩の数々です。「三島の次は」って言うと、「新富士」って言う「豊橋の次は」っていうと、「三河安城」って言うこだまでしょうかarranged by たけB777
2011/11/19
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「マダガスカル島にはアタオコロイノナという神さまみたいなものがいるが、これは原住民の言葉で『何だか変てこりんなもの』というくらいの意味である。私の友人にはこのアタオコロイノナの息吹きのかかったにちがいない男がかなりいる・・・」思えば高校に入学するにあたり、読書感想文が課題として与えられました。それまでまともに文学小説など読んだことがなく、文庫本と言えば星新一のSFショートショートくらいしかないので、全く想像もつかなかったことがあります。そこで人に相談したところ、「ヘルマン=ヘッセの『車輪の下』がいい」と薦められました。早速文庫本を買ってきて読んだものの、入学を辞退してしまうのではないのかと思うほど重い内容でした。(一応進学校と呼ばれる高校に入ったので・・・)「車輪の下」は何とか読み終えて感想文も書けそうだったのですが、入学早々に「学校批判」と思われるのもどうかと思い、「車輪の下」はやめることにしました。それでも入学式まで日がなく、わからないままに本屋で文庫本コーナーを物色していると、聞き覚えのある「北杜夫」の名前に当たりました。(星新一のエッセイには友人として登場していた人ですが、「星新一以上に奇特な人」くらいのイメージしかありませんでした)船に限らず乗り物は好きだったので、「どくとるマンボウ航海記」の題名が付された文庫本を手に取り、目にした書き出しが上の記述です。しばらく読んでいたのですが、いつの間にか手にとってレジへと向かっていました。家に帰って読み始めると止まらなくなり、いつの間にか読み終えていたような気がします。もはや時間もないので、「航海記」で感想文を書くしかない状況になってしまったのですが、感想文の方は駄作以下だったように思います。これまで本は数多く買ってきましたが、今だに手元にある1冊が「どくとるマンボウ航海記」です。マンボウ先生のご冥福をお祈りします
2011/10/26
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「海が見える 海が見えた五年振りに見る尾道の海はなつかしい汽車が尾道の海にさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡がって来る赤い千光寺の塔が見える山は爽やかな若葉だ緑色の海、向こうにドックの赤い船が帆柱を空に突きさしている私は涙があふれていた」 林芙美子「放浪記」より林芙美子「放浪記」碑(文学のこみち)尾道水道(千光寺公園)千光寺本堂尾道美術館と芸予諸島(千光寺公園)「六時になると上の千光寺で鐘をつくごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる其頃から昼間は向島の山と山の間に一寸頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。それがピカリと光ってまた消える造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す」 志賀直哉「暗夜行路」より千光寺鐘楼尾道大橋としまなみ海道向島のドック(千光寺)千光寺公園から「文学のこみち」を通って千光寺へ、何度目かは忘れましたが、再び夏の尾道にやってきました。「また尾道に来てしまった」と思いつつ、「また来たい」と思う場所でもあります。
2011/07/23
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今年も8月の第一土曜日、江戸川区花火大会の日がやってきました。江戸川の河川敷で打ち上げられ、対岸の市川では「市川市民納涼花火大会」となります。夜の帳が下りてくると、この夜空に14,000発の花火が打ち上がります。尺玉なかなか静止画像では色の変化までは表現できません。連続花火静止画像だとあまり迫力がないので、動画もあります→こちら(ダウンロードしてご覧下さい)
2010/08/07
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亀有駅北口近くに亀有公園は実在するのですが、公園前に派出所はありません。こち亀の亀有公園は広い通り(環七通り?)に面した場所にありますが、実在の亀有公園はひっそりとした場所にあります。そして亀有駅北口の駅前にあるのこちら交番です。こち亀のモデルになったと言われていますが…亀有駅北口には両さんの銅像も建っており、柴又が寅さんならば、亀有は両さんでしょうか。
2010/04/26
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毎年8月の第1土曜日になると、小岩駅周辺は色とりどりの浴衣を着た人たちであふれ返ります。今年も江戸川花火大会の季節がやって来ました。真夏の夜空に描き出される光は、一瞬一瞬で変化しながら、はかなく消えて行きます。光と音で作り出される、まさに一級の芸術品です。ようやく夏が来て、そして夏が終わった気がしました。
2009/08/01
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毎年8月の第1土曜日に開催される江戸川花火大会は、75分間で14,000発の花火が打ち上げられます。この花火を見るためにマンションを購入してしまったようなもので、今年も自宅から見物しておりました。真夏の夜空をキャンバスにして描き出される光と音の競演は、花火師たちが一瞬に賭けた芸術品ではないでしょうか。
2008/08/02
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楽天ネーム「RICARDO」さんと大手町で会って話をした後、次の予定まで時間が空いたので、「ブリジストン美術館にでも行ってみようかと思います」などと冗談っぽく話しておりました。さすが美術館通のRICARDOさんは、「今は『岡鹿之助展』をやっているよ」と教えてくれました。RICARDOさんと違って絵画には全く興味を示さない私ですが、岡鹿之助の名前にはすぐに飛びついたので、RICARDOさんもこれには少々驚いた様子でした。ブリジストン美術館では7/6まで「岡鹿之助展」が開催されています。岡鹿之助の作品がテーマごとに数多く展示されていますが、私が目指したのは「雪の発電所」でした。子供の頃に「雪の発電所」を写真か何かで見た記憶があるのですが、強烈に印象に残っており、その時から「本物を見てみたい」と強く思っていました。展示室内を探し回っていると、一枚の絵の前に人だかりが出来ていました。その合間からは、見覚えのある絵が見え隠れしています。学芸員の人がその絵の解説をしていたので、一緒になって聞いていたのですが、少し離れた場所から絵を覗き見るような格好でした。しばらくすると解説が終わり、学芸員と一緒に人だかりも次の展示室へと移動して行きました。私の周りから人はいなくなり、目の前には「雪の発電所」の絵だけが残っています。ゆっくりと絵に近付いて行き、「本物だ~」と長い間立ち尽くしておりました。学芸員の人の解説によると、「雪の発電所」は実際に長野の志賀高原にある水路式発電所を題材にしたそうです。日本の雪山の景色と洋風の発電所の構図からは、新鮮なノスタルジーを感じました。岡鹿之助「雪の発電所」の“絵葉書”の写真。絵葉書は10枚も購入してしまいました。1枚はフォトスタンドに入れて飾りましたが、残りは友人に配ろうかと思います。
2008/05/23
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