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赤字会社の共通点は、「無方針」「放任」である。商品というものは、どんな店においても売れるものなのである。ある雑貨店に座卓が陳列してあるので、聞いてみたら「でも売れるのですよ」という売場の担当者の返事である。社長に聞いてみると、そんなものまで仕入れろとは言っていないという。当然だ、雑貨店だからである。この会社は大きな赤字を背負っていたのである。店舖というものは、売れれば何をおいてもいいというものではない。採算がとれるだけ売れなければならないわけだ。そのために取り扱い品種品目を決めておかなければならないという、こんな阿呆みたいなことさえ分からないから赤字なのである。無方針、そして放任、これは赤字会社の共通点である。何でこんなくだらないことを書かなければならないのか。社長の怠慢、無責任があまりにも多いことを私は常に見せつけられているのである。 (一倉定の社長学 第8巻「市場戦略・市場戦争」より)
2005.03.31
優れた社長は常に「うちの社員はよくやってくれる」と人に語り、能力のない社長ほど、自社の社員の無能ぶりを他人にこぼす。社長は、社員に対しては、一生懸命やっている限り、寛大にならなければならない。会社の業績は、社長の考え方と行動によって決まるのであって、「企業は人なり」というのは、社長次第ということであって、社員のことではない、と解釈するのが、社長としては正しい。社長は部下の能力を向上させるための教育をしようとする前に、まず「優れた経営」をすることを自ら誓い、これを実行することこそ本当である。そうすれば、自然に人材が集まり、人材が育つのである。優れた経営者は常に「うちの社員はよくやってくれます」と人に語り、能力の低い経営者ほど、自社の社員の無能ぶりを他人にこぼす。企業の業績が上がらないのは、社員の無能の故であるという程、間違った考え方はない。 (一倉定の社長学 第7巻「社長の条件」より)
2005.03.30
クレーム自体の責任は追及しないが、クレームを報告しない責任と指示したクレーム対策を直ちに実行しない責任は追及せよ。クレームに対する正しい態度は、謝罪と迅速な解決である。それ以外は一切不要である。クレームに対する社長の正しい姿勢にもとづき、正しい処置をすることこそ、わが社の信用を高める。まず第一にしなければならないのは、「クレームが発生した時に、責任者を叱ってはならない」ということである。クレームを叱ったら、社員は社長に対してクレームを報告せずに、自分たちだけでもみ消そうとするようになる。誰しもわざわざクレームがつくように仕事をしているわけではない。みんな一生懸命やっているのだ。叱ることはやめるべきである。「お客様のクレームは直ちに報告せよ。クレーム自体の責任は追及しないが、クレームを報告しなかったことに対しては責任をとらせるし、指示されたクレーム対策を直ちにとらない場合の責任は追及する」という指導こそ本当なのである。 (一倉定の社長学 第3巻「販売戦略・市場戦略」より)
2005.03.29
馬車で長旅をする時、目的地に予定通りにつくためには、「なぜ遅れたか」を考えても意味はない。「遅れをどう取り戻すか」だけを考えればいい。馬車で長旅する時のことを考えてみよう。目的地に予定通りにつくために、途中で遅れた場合に、「なぜ遅れたか」を考えても意味はない。「遅れをどうして取り戻すか」だけを考えればいい。この例えのように、我々は、目標達成のためには、「これからどうするか」だけを考えればよい。そのためには、現状を確認する必要がある。しかし現状がこうなっている理由など全く必要ない。目標不達成の原因究明より、どうすれば達成できるかを考えよ。目標達成に必要な考え方は、「どうしたら目標を達成できるか」という対策である。 (一倉定の社長学 第2巻「経営計画・資金運用」より)
2005.03.28
目標はその通りいかないから、役に立たないのではなく、その通りいかないからこそ、役に立つのである。目標とは、手に入れたい結果である。だから、その通りにいくことが望ましいことはいうまでもない。しかし、現実にはその通りいくことなど、まれにしかない。それを、望み通りにならないから目標を立ててもムダだというのでは、話にならない。難しい企業経営の舵取りなどできるものではない。目標と実績の差は、客観情勢のわが社に及ぽす影響を量的に知らせてくれるものである。別の表現をとれば、客観情勢をどれだけ見損なっていたかの度合いを表しているものなのである。見込み違いが分かってこそ、正しい舵取りができるのである。だから、目標はその通りいかないから役に立たないのではなくて、その通りいかないからこそ役に立つことを知らなければならないのである。 (一倉定の社長学 第2巻「経営計画・資金運用」より)
2005.03.27
人間というものは、目標があると、それに向かって努力する、という不思議な動物である。人間というものは、目標があると、それに向かって努力する、という不思議な動物である。同時にこの目標指向は誰もが持っている。人間の持っている、そして恐らくは人間だけしか持っていない、この特性を有効に利用しないという手はないのである。社員を動機づけているものは、社長自らの決意と責任から生まれる会社の未来像であり、その中に示された目標なのである。ここに全員経営が生まれる。そして、業績は見る見る上がってゆくのである。 (一倉定の社長学 第7巻「社長の条件」より)
2005.03.26
経営計画書を、必ず自らの手で書き上げることこそ、社長として絶対にやらなければならないことである。リーダーシップの第1要件は「自ら意図を明らかにする」ことであるのは論を待たない。これを発揮するための最大のツールこそ経営計画書なのである。社長の決意、目標、方針、行動要項などが明確に示されている。これに社員は動機づけられるのである。社長は、会社の最高責任者である。その社長が、わが社の未来を決める最高方針の樹立と目標の設定を自らの責任と意思において、自らの手によって作り上げることこそ本当である。その最も重要な事を、他の人にやらせるということは、明らかに社長の重大な責任回避である。 (一倉定の社長学 第2巻「経営計画・資金運用」より)
2005.03.25
経営計画書は、社員の心に革命をもたらし、会社に奇跡をもたらす「魔法の書」である。社長が、自らの未来像を明示せずに、社員はどうして自らの未来を考えることができるのか。社員の最大の不安がここにある。この不安を取り除いてやることは、社長の責任である。これは、経営計画書を作ることによって自然に実現するのである。だからこそ、経営計画書を作り、これを発表した途端に会社が変わってしまう。経営計画書こそ、社長自身を、本当の意味で事業経営に目覚めさせ、自らの心に「革命」を起こさせるものである。同時に、社員に対しては、会社の将来に関する不安を解消させ、社長を信頼し、希望に燃えて働く意欲を心底から起こさせる、という心の「革命」を起こさせるものである。経営計画書こそ、まさに「魔法の書」といえるものである。 (一倉定の社長学 第6巻「内部体勢の確立」より)
2005.03.24
社長は年単位でものを考える人である。年単位で何年も先を考えるのである。月単位でものを考えたら、何年も先のことなど考えられるものではない。月単位で考えていては、目先のことしか見えない近視経営になってしまう。これは社員のやることである。社長は年単位で物を考える人である。年単位で何年も先のことを考えるのである。どんなことであれ、会社にとって重要な革新であれば、それを軌道にのせるのに少なくとも2年や3年はかかり、実りあるものにするには5年くらいはかかってしまう。だから、5年後にこうなりたい、と決心したならば、それを実現するためには、今行動を起こさなければならないのである。それだけではない。5年後にこうあるためには、2年後にはどうなっていなければならないか。3年後はここまで進んでいなければならない、という「中間の目標」が必要なのである。それらの目標を達成するための様々な活動と、その間のバランスをとらなければならない。このようにして初めて目標が達成されるのである。 (一倉定の社長学 第2巻「経営計画・資金運用」より)
2005.03.23
今日の事業の収益は赤字でない限り、社長にとって大した重要性はない。大切なのは、あくまでも会社の将来の収益なのである。過去の数字が優れているということは、過去において優れていたということであって、現在も将来も優れた企業であるという実証ではない。現在優れているかどうかは、企業の未来に対して、どのような決定がなされているか、によって決まる。未来に対する正しい決定がなされている企業こそ、優秀企業なのである。いうまでもなく、その正しい決定とは、市場の変化の方向を正しくとらえ、顧客の要求を見極めてこそ、はじめて行えるものなのである。ボンクラ社長は、今年のことだけ考えて、未来を考えない。優秀な社長は、今年のことは考えず、わが社の未来を考える。今年のことは既に3年前に手を打っているからである。 (一倉定の社長学 第2巻「経営計画・資金運用」より)
2005.03.22
優れた企業は、必ず優れたビジョンを持っている。会社は絶対に潰してはならない。いつ、いかなる場合にも利益をあげて、存続させなければならない。これが経営者の最低限度の社会的責任である。そこに働く人々の生活を保証するという社会的責任である。次に、社会に貢献するという責任をもっている。そのためには、会社自体が繁栄しなければならないのだ。繁栄は、社会がその会社を必要としている何よりの証拠である。経営者は、まず以上のような社会的責任を自覚してもらいたいのである。さらに、従業員に対する人間的な責任がある。「とにかく食っていけばいい」「もうこれ以上大きくしない。こぢんまりやるのが私の主義だ」というような社長に、よくお目にかかる。こういう生き方は、個人としてなら結構である。はたから、とやかく言うことはない。しかし、経営者は従業員をかかえているのだ。社長がこのような気持ちでいたら、従業員は浮かばれない。人間は皆生活の向上を願い、自己の才能を発揮したいという欲求をもっている。一個の人間としての「自己拡大」の本能である。会社を発展させなければ、従業員の自己拡大の欲求は満たされない。人間としての欲求を無視することになるのだ。いったん、経営者を頼って入社してきた人間の欲求を満たしてやろうとしないのは、人間性無視も甚だしいといえよう。経営者は、以上のような社会的責任と、従業員に対する人間的な責任の両方を負っている。そのためには、どうしても長期的な繁栄を実現させなければならないのである。この自覚が経営者の使命感である。この使命感のない経営者は経営者の資格がない。この使命感の土台の上に、経営者のもつ人生観・宗教観などの哲学を積み重ねて「わが社の未来像」を心に描く必要がある。それを繰り返し反芻し、温め、次第に高めてゆく。その未来像は、自分に言い聞かせるだけでなく、絶えず従業員に語り、社外の人に話すのである。それが従業員に希望をもたせ、社外の人々の援助や協力が得やすくなる。自らは、それが潜在的に植えつけられて「必ず実現してみせるぞ」という信念が生まれてくる。こうなればしめたものである。未来像に基づく、長期目標が設定され、目標達成のための青図が引かれ、発展への軌道にのることになる。経営者の使命感を土台にした未来像のないところに経営はなく、繁栄はない。優れた企業は必ず優れた未来像を持っているものである。 (一倉定の社長学 第7巻「社長の条件」より)
2005.03.21
社長の決定で最も難しいのは、「捨て去る」という決定である。私のコンサルティングのうちで、最も難しく、最も急ぐ事こそ「捨て去る」ことを納得させることなのである。私は、社長の決定のうちで、何が最も大切で、何が最も難しいか、という問いに対して、躊躇することなく「捨て去る」ことであると答える。論より証拠、優秀会社は例外なく「捨てる名人」であり、破綻した会社は例外なく「切捨音痴」である。 (一倉定の社長学 第1巻「経営戦略」より)
2005.03.20
任せるのは「実施」であって、「決定」ではない。「任せる」というのはどういうことなのか?言葉の意味も分からぬままに、やたらに使うから、会社を潰しかねないような事が起こる。広くあまねく世間に行き渡って、大きな害毒を流し続けているのである。だから、「任せる」という言葉の定義づけをしておかなければならない。その定義はどんなものだろうか?事業というものは、やり方の上手下手で運命が決まるものではない。決定によって運命が決まるのである。その決定を行う人こそ社長である。社長が決定を誤れば会社は潰れるか、潰れないまでもピンチに陥ったりする。あるいは、いつまでたってもウダツの上がらないボロ会社でいなければならないのである。決定というものは実施に移される。その実施が社員の役割である。決定は社長、実施は社員の役割である。そして任せるのは実施であって、決定ではない。 (一倉定の社長学 第9巻「新・社長の姿勢」より)
2005.03.19
優柔不断は誤った決定よりなお悪い。決定で大切なのはタイミングである。客観情勢は容赦なく変わっていく。グズグズしていると時機を失してしまう。決定は巧遅より拙速の方が大切な場合が多い。速やかに行動を起こさなければ、手遅れとなってしまうかもしれない。たとえ決定が間違っていたとしても、決定しないよりは優っている。早く動きだせば、間違いも早く発見でき、それを訂正する時間が残る。いかに優れた決定でも、土壇場になってからでは、それを実現する時間がないのだ。躊躇逡巡こそ社長の大敵である。逡巡して何も決められない社長は会社を潰す。社長が最も戒めなければならないのは、優柔不断である。決定に伴う危険や部下の不満を考えて、イタズラに迷っていたら会社をおかしくしてしまう。 (一倉定の社長学 第7巻「社長の条件」より)
2005.03.18
電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、社長の責任である。「社長の責任において決定する」という意味は、「結果に対する責任は社長が負う」という意味である。それだけではない。「社長が知らないうちに起こったこと」でもすべて社長の責任なのだ。会社の中では、何がどうなっていようと、結果に対する責任はすべて社長がとらなければならない。人の上に立つ者は、「部下が何をしようとそれはすべて自分の責任である」という態度がなければ、本当の意味で人を使うことはできない。部下の信頼を得ることができないからである。社員というものは、社長を信頼することができない場合には、働く意欲を失い、社長がいくら気合いをかけても決してこれに応えようとはしないのである。 (一倉定の社長学 第6巻「内部体勢の確立」より)
2005.03.17
社長とは、「経済に関する危険を伴う意思決定をする人」である。経営者は勇敢に、潜在する可能性に取り組んでいかなければならない。危険を恐れてはいけない。凡庸な経営者は、危険を理由にして革新を避けようとする。可能性は、それが革新的であればあるほど、危険も大きい。危険を伴わない決定など、会社の将来に大した影響のない、次元の低い決定である。革新的な決定は、危険だけではなく、同時に社内の抵抗や批判も多いのだ。部下が悲嶋をあげたり、尻込みするような決定でなければ、優れた決定とはいえない。 (一倉定の社長学 第2巻「経営計画・資金運用」より)
2005.03.16
ワンマン決定は権力の現れではない。責任の現れなのである。優れた決定は、多数の人々の意見から出るのではなく、優れた経営者の頭から生まれるのだ。ワンマン決定は権力の現れではない。責任の現れなのであり、決定の大原則である。経営者は、すべての結果について全責任を負わなければならない。何がどうなっていようと、その責任を逃れることはできないのだ。全責任を負う者が決定するのが当然である。経営者の行う決定は、危険だけを伴うのではない。すべての人が喜ぶ決定もまた現実にはないのである。当然そこにあるのは、いろいろな反対を押し切るという、苦しい決定であるし、その苦しさは、反対を押し切られた側よりも、経営者の方がはるかに大きいといえよう。その苦しさに耐えなければならないのが、経営者の宿命なのである。 (一倉定の社長学 第1巻「経営戦略」より)
2005.03.15
社長の決定はすべて外部への対応であり、未来志向である。社長の決断や決定は、すべて外部への対応であり、未来志向である。それは、社員の知らない世界のことであり、社員に意見を求めても意味のないことが多い。意見を求めるのは社内よりもむしろ社外の人の方が多いのだ。それどころか、重要な事ほど社員に意見を求めるわけにはいかないのである。これが事業というものである。このことを、平素から社員に話をして理解させておかなければならない。これをやっておかないと、経営を知らない社員は、「うちの社長は我々に相談をかけてくれない。ワンマン社長で困ったものだ。」というような、全くのトンチンカンな見解をもってしまうという危険があるのだ。 (一倉定の社長学 第9巻「新・社長の姿勢」より)
2005.03.14
ワンマン経営こそ本当である。ワンマン経営とは、社長が全てのことに権力をふるって勝手なことをすることではなくて、社長ただ一人が事業経営の全ての責任を負うことである。ワンマン経営のないところ、真の経営などあり得ないのである。会社が潰れた時の責任は、明らかに「社長ただ一人」にある。文字どおり「ワンマンの責任」なのである。このことを知っていれば、心ない人々が「あの人はワンマン社長だ」などという言葉が、いかに誤っているか分かるはずである。合議制、民主経営などということはまったくの誤りで、「ワンマン経営」以外はありえないのである。何事も部下に相談し、会議で決めるというようなことは、厳しい現実に対しては、決して正しいことではない。 (「経営の思いがけないコツ」より)
2005.03.13
いい会社とか悪い会社とかはない。あるのは、いい社長と悪い社長である。事業経営の最高責任者である社長は、まず何をおいても「正しい姿勢」を持たなければならない。一つは最高責任者としてのあり方であり、もう一つはお客様に対する態度である。「お客様の要求を満たす」ことこそ、事業経営の根底をなす会社のあり方であり、最高責任者である社長の基本姿勢でなければならない。社長が、この正しい認識を持つと、その瞬間から会社の業績が向上しだすのを、私はこの目でシッカリと見届けているのである。 (一倉定の社長学 第9巻「新・社長の姿勢」より)
2005.03.12
事業は学問でもなければ理論でもない。事業の存続を実現する戦いなのである。事業経営は「市場活動」である。この最も基本的なことが忘れられ、企業の内部を管理することが事業の経営であるかのような錯覚にとらわれている人々が大部分である。世にいわれる「経営学」なるものは、この錯覚に基づく間違った思想と理論に満ち満ちている。そしてそれが計り知れない害毒を社会に流し続けているのである。事業経営の最高責任者である社長は、この妄想に惑わされることなく、事業に対する正しい認識(事業の本質は市場活動である)を持たなければならない。そうでないと、正しい事業の経営はできないのである。マネジメントと称する内部管理の理論は、事業経営を知らない輩の、綺麗事の観念論である。事業経営に綺麗事は危険である。事業は学問でもなければ理論でもない。事業の存続を実現する戦いなのである。 (一倉定の社長学 第9巻「新・社長の姿勢」より)
2005.03.11
環境整備には、いかなる社員教育も、どんな道徳教育も足下にも及ばない。環境整備は、これを行った人々の心に革命をもたらす。「いかなる社員教育も、どんな道徳教育も、足下にも及ばないものだ」というのが、私自身でイヤという程思い知らされていることである。しかも、ただ一社の例外もないのである。多くの社長は、というよりも日本中の殆どの社長がこのことに気がついていないのは誠に残念である。「社運の隆盛は、運というよりも、自らの努力で勝ち取るものである。」というのが私の持論だが、それは、まず環境整備から始めるべきである。武芸でも芸事でも、大工でも左官でも丁稚小僧でも、いやしくも、それが大切なことである限り、水くみ、薪割りなどと並んで、修行の第一歩は常に「掃除」だった。昔の人は、この掃除がいかに重要であるかを、すなわち、これをやらなければ人間形成はできないことをよく知っていたのだ。 (一倉定の社長学 第1巻「経営戦略」より)
2005.03.10
環境整備こそ、すべての活動の原点である。環境整備とは、規律・清潔・整頓・安全・衛生の5つを行うことである。多くの人々は、環境整備について、知っているようで、その実よく知らない。大切なことだから、やらなければいけないと思いながら、中々積極的に実施しようとはしない。環境整備をテーマにした論文やセミナーなど皆無に近い。環境整備に対する認識も関心も薄いのである。私に言わせたら、これほど奇妙な現象はない。10カラットのダイヤモンドがゴロゴロと転がっている宝の山に入り、誰でも自由にこれを拾っていいのに、これを拾い上げようとしないようなものである。だから奇妙なことだというのである。これが環境整備に関する多くの人々の認識なのである。盲点中の盲点ということができよう。 (一倉定の社長学 第9巻「新・社長の姿勢」より)
2005.03.09
理想的な経営構造は、「工場を持たないメーカー」である。私の頭の中にある理想的な経営構造の一つに「工場を持たないメーカー」というのがある。設備をもち、材料を買って加工をするという形は、それが自社商品であれ、下請け加工であれ、その本質は工賃稼ぎである。これでは、いつまでたってもウダツがあがらないだけではなく、増設増員、増加資金の苦しみと、変化に対応できない硬直化の危険に常にさらされていることになる。どうみても上策とはいえない。それよりも、設備は止むを得ないものの他は一切もたずに、自らは強い営業力と優れた事業開発力を兼ね備えた「頭脳集団による経営」こそ賢明である。生産は、造ること以外に能のない職人会社にやってもらえばいいのである。このような経営構造ならば、増設に伴う苦しみと危険がないだけではなく、損益分岐点は上がらず、変化に対応する機動力と弾力性を常にもち続けることができるのである。 (一倉定の社長学 第1巻「経営戦略」より)
2005.03.08
市場を多角化するということは、どのような会社にとっても優れた企業構造の一つの型である。どんな業界にも、斜陽化の危険は必ずある。永久に成長し続ける業界はないのだ。もしも業界それ自体が斜陽化してしまえば、いくらその中で頑張ってもダメである。業界としての時期的な消長があり、業界固有の季節変動もある。一つの業界に棲みついていたら、それらの影響を100%受けてしまう。まともにこの打撃を受けたら、潰れないまでも、大幅な業績低下や季節変動による定期的な業績低下を来すのである。この危険を避けるためには、二つ以上の業界にまたがることである。「多角化」とは、棲みつく業界を多角化していくことである。「内部、つまり技術は専門化し、外部、つまり市場を多角化する」ということは、どのような会社にとっても、優れた企業構造の一つの型である。 (一倉定の社長学 第1巻「経営戦略」より)
2005.03.07
市場の全ての要求を満たそうとすると、全ての要求を満たせなくなる。お客様が望むのは、全ての品が揃っていることではなく、自分の買いたい品が豊富に揃っていることである。企業の持っている資源(人・物・金・時間)は有限である。それにひきかえ、お客様の要求は無限である。だから、どんなマンモス企業であろうとも、お客様の要求を全て満たすことは、初めからできない相談である。お客様の全ての要求を満たそうとすると、全ての要求が満たせなくなってしまうのである。とすると、有限の資源しか持っていない企業のあり方は自然に決まってくる。それは、「お客様の要求の特定の部分に限定し、その中でお客様の多様な要求を満たす。」ということである。お客様の要求の特定の部分に事業を絞り、これにわが社の資源と努力を集中することである。これが集中の原理である。 (一倉定の社長学 第1巻「経営戦略」より)
2005.03.06
企業の定義づけは、その会社の事業を変えてしまう。事業というものは、それぞれ何らかのお客様サービスを行っている。そのサービスの本質を明確に表現したものが「事業の定義」である。定義づけのメリットは、まず、サービスの質が向上することであり、第二には幅が広く、深みが増すことである。この定義でわが社の事業をチェックしてみると、それは定義の意味するところの、ほんの一部であることに直ちに気づく。手当たり次第にいろいろなものを手掛けていた事業が、明確なビジョンを持ち、洋々たる可能性を持ったスケールの大きな総合企業に変貌してしまう可能性がでてくるのだ。経営計画書は社長はじめ全社員を変えてしまうが、企業の定義づけは、その会社の事業を変えてしまう。 (一倉定の社長学 第1巻「経営戦略」より)
2005.03.05
経営戦略とは、「戦わずして勝つ」あるいは「戦わずして優位に立つ」ための事業構造の変革であり、それによって自然に高収益を生むことができるような体勢を実現することである。孫子の戦略の定義を経営に当てはめてみると、それは「高収益型事業構造」のことである。しかも、「自然に高収益が上がるような」事業構造でなければならない。事業は、永久に存続しなければならないという至上命令を背負っている。そのためには存続に必要な利益を確保しなければならない。経営戦略は常に先手を取ることによって大きな効果を発揮する。しかもその戦略は、そのごく一部を除いて敵は中々気付かないし、気付かれても反撃が難しい場合が多い、という誠に安全度の高いものである。その上、状況の変化に対応することもやさしいのである。だから戦略のあるなしでは、長期的に大きな差がつくものである。 (一倉定の社長学 第1巻「経営戦略」より)
2005.03.04
わが社の赤字は、お客様を忘れたのが原因である。会社の業績が振るわない根本原因は、必ず社長がお客様の要求を無視しているからであり、お客様の要求を無視している限り、何をどのようにやっても会社の業績は絶対に良くならない。お客様を無視する会社は、お客様から無視される。その結果は、倒産への道を歩まなければならないことになるのだ。それにもかかわらず、お客様を無視する会社は決して少なくない。もしもわが社の経営が不振であったり、行き詰まってしまったならば、まず第一に反省してみなければならないことは、「お客様を無視していないか」でなければならないというのが私の主張である。何も言わないお客様なるがゆえに、お客様の無言の叱責が分からず、業績不振の対策が全く見当外れになっている例を、私は数多く見せつけられるからである。 (一倉定の社長学 第9巻「新・社長の姿勢」より)
2005.03.03
社長たるもの、お客様の要求を満たすために、自ら先頭に立って、社内に混乱をまき起こせ。お客様の要求というものは、相手の都合に合わせるのではなくて、自分の都合に合わせてなされるのである。たくさんのお客様の、それぞれ勝手な要求が会社に殺到する。会社の都合と合う筈がない。お客様の要求と食い違うわが社の都合を、お客様の都合に合わせなければならないのだ。当然のこととして、そこには混乱が発生するのだ。わが社の都合を第一にしてお客様に不便をおかけして低業績を我慢するか、お客様の要求を第一に考えて内部は混乱しても優れた業績をあげるか。これを決めるのは社長である。社長の決定によって繁栄する会社とボロ会社とに分かれるのである。好業績経営を実現する根本原理はただ一つしかない。それは、「わが社の事情は一切無視し、お客様の要求を満たす」ことである。 (一倉定の社長学 第9巻「新・社長の姿勢」より)
2005.03.02
事業の成果はお客様から得られる合理化、能率、品質というようなものは、それ自体は結構なことではあるが、それは内部管理の優秀さの実証であっても、必ずしも優秀企業の実証であるとは限らない。商品の収益性が低かったり、販売力が弱くては、優れた業績は期待できない。企業存続に必要な収益を手に入れることによってのみ会社は生き続けることができるのである。この、何とも当たり前のことが、意外な程分かっていない。収益は、ただ一生懸命努力することによって得られるのではなくて、商品が売れることによってのみ手に入れることができるのである。収益は会社の内部にはない。内部にあるのは費用だけである。収益は外部にあるのだ。つまりお客様のところにあるのだ。それは、お客様の要求を満たすことによってのみ手に入れることができるのであって、他のいかなる手段によっても手に入れることは不可能なのである。 (一倉定の社長学 第1巻「経営戦略」より)
2005.03.01
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