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ある決定によって、それがどれだけの増収・減益になるかを正しく計算する方法は、直接原価計算方式による「増し分計算」である。「単位当たりの原価」という考え方をすると、すべての場合に間違ってしまう。会社全体で変わらない原価を、単位当たりに割り掛けるのだから、単位当たりの割り掛け金額が、数量によって違っているからだ。だから「単位当たり原価」という考え方は、きれいサッパリと捨て去らなければならない。「原価がつかめないのでは、どうにもならないではないか」という心配は無用である。つかめないのは「単位当たりの原価」であって、「会社全体の原価」はつかめるのである。そしてその原価は、設備を増やす、または減らす、人員を増加する、または減らす、というような何らかの変動がない限り、売上高が変わろうと、商品構成が変わろうと、そんなことに関係なく常に一定である。原価が変わらないのだから、利益を増大させるためには収益を増やせばよい。これは個人の家計でも全く同じである。 (一倉定の社長学 第5巻「増収増益戦略」より)
2005.04.30
バランスシートは事業経営の結果としてできあがるものでなく、社長の意思によって作りあげるものである。バランスシートこそ、事業経営のすべての結果を一表にまとめたものである。社長の評価もバランスシートによって最終的に行われるのである。それならばこそ、バランスシートは事業経営の結果としてできあがってゆくものではなく、社長の意思によって作りあげるものなのである。この、最も基本的な認識がほとんどどこにもないのである。 (一倉定の社長学 第1巻「経営戦略」より)
2005.04.29
資金は、会社存続という面から見れば、損益に優先する。「利益が出ていること」と、「資金収支のバランスがとれていること」は全く別のことである。資金は、会社存続という面から見れば、損益に優先する。赤字をいくら出しても、資金が続いている限り倒産することはない。反対に、いくら利益をあげていても、資金がショートすれば会社は潰れてしまうのである。社長たるもの、「資金は苦手」で済ますわけにはいかない。資金の実態を知り、わが社の事業経営に必要な資金を計画し、調達し、運用しなければならないのである。 (一倉定の社長学 第2巻「経営計画・資金運用」より)
2005.04.28
景気下降期に入った時、まず手を打たなければならないのは、資金対策である。景気下降期に入ったことが分かった時に、まず手を打たなければならないのは、資金対策である。売上が下がってゆくのに、売上の多い時に振り出した手形を落としてゆかなければならないからである。まず、売掛金の回収を急ぐ。資財は当用買だ。不急の支出は一切止める。新規設備投資は無論のこと、現在進行中の設備投資でも、中止できるものは中止し、中止できないまでも延期するか、ピッチを落とす。場合によっては、新入社員や欠員補充の削減、中止、延期が必要かも知れない。その上さらに、必要性があれば、いち早く銀行にかけ合って、借金またはその約束を取り付けるのである。ただし、約束はホゴにされるおそれがあることも事実だが。景気が上昇に転じた時には、他社に先駆けて行動を起こす。先手必勝の原理である。 (一倉定の社長学 第1巻「経営戦略」より)
2005.04.27
在庫が危険なのではない。在庫に対する考え方がないのが危険なのである。在庫恐怖症にかかると、ただ、やみくもに在庫節減をするようになってしまう。特に、経理担当者と社長が重症になる。困ったことには、経理担当者は在庫節減こそ、会社の利益増大法だと思い込んでいる。それ以外のことは何も知らないからだ。ここに危険が伏在する。如何に有効な販売促進も、経理の「それは金利が高くなります」の一言でつぶれてしまうのだ。「いくら金利が高くなるか」ということは計算せずに、である。これは、経理担当者が悪いのではなくて、在庫の正しい考え方を勉強しようとしない社長に全責任がある。在庫の正しい認識のないままに、ただやみくもに在庫節減をしようとする。だから、在庫を減らすシステムが開発されたと聞くと、無批判にこれに飛びついて、売上不振という大やけどをすることになる。 (一倉定の社長学 第1巻「経営戦略」より)
2005.04.26
低収益商品を捨てる場合、それに代わる、より高収益商品がなければ、それによって得られていた付加価値分だけ、会社の収益が減ることを忘れてはならない。企業の利用できる資源の効率を高めるには、低収益商品を切り、それを高収益商品に投入する以外にない。「捨て去る」ことの難しさは、現実には想像以上である。ところで、低収益商品を捨てるといっても、「どれが低収益商品であるか」について、伝統的な全部原価計算でやると、とんでもない間違いを犯す。せっかくの意思決定も、その根本から間違っては大変である。低収益で赤字の商品でも、付加価値を生み出している限り、それを捨てると、それによって得られていた付加価値まで失う。一方、固定費はほとんど変わらないから、会社全体としてはマイナスになるのだ。だから、低収益商品を捨てる場合には、それに代わる、より高収益商品がなければ、それによって得られていた付加価値分だけ、会社の収益が滅る、と思っていれば、意思決定を誤ることはないのである。 (一倉定の社長学 第7巻「社長の条件」より)
2005.04.25
不況の時に、外注品を内製に切り換えなければならないようならば、わが社の事業に何か大きな欠陥がある。内製するか外注するかは、単なる「コスト」の問題ではなく、高い次元の戦略的視野からの決定でなくてはならない。外注比率を高めると、売上増大にも関わらず損益分岐点の上昇がわずかなので、外部要因の変化に対する弾力性が大きくなり、企業の安定度が増大する。どの会社を見ても、外注工場に対する明確な方針などはなく、外注担当者が「内作で間に合わない部分だけ外注する」「小型外注の方が安い」という程度のことしか考えない。外注利用ほど、会社の安全性と収益性を同時に向上させるものはないのであるから、社長は自らの会社の内外作区分についての、明確な方針と目標を持たなければならない。 (一倉定の社長学 第5巻「増収増益戦略」より)
2005.04.24
会社の中のすべての数字は、必ず「傾向」で見よ。事業経営に最も必要な情報は、「傾向」であって「断面」ではない。会社の数字というのは、絶対額で見ることはいうまでもないが、それだけでは不充分なだけでなく、時には、判定の誤りをおかすことになるから、心しなければならない。絶対額は大切である。しかし、傾向というのは、別の意味では絶対額よりも大切であるということを忘れてはならない。だから、会社の中のすべての数字は、かならず「傾向で見る」という態度をとり、事態を正しく捉え、正しい判定とそれに基づく正しい決定をしなければならないのである。 (一倉定の社長学 第5巻「増収増益戦略」より)
2005.04.23
事業は逆算である。目標を定めずに成りゆき経営を行って、懸命に努力して、結果はどうなったのかは、決算書でみるというのでは、正しい事業経営などできるものではない。「事業経営は逆算である」ことを、社長は肝に銘じて、経営を行わなければならない。その逆算は、利益計画から始まる。つまり、「手に入れたい利益を目標として設定し、その利益をあげるために必要な売上高を逆算する」というようにである。ところが、このことを知らずに、「まず可能な売上高を予測し、その売上高にもとづいて利益を計画せよ」と教える人は数多い。これは計画ではなくて、「計算」にしかすぎない。 (一倉定の社長学 第2巻「経営計画・資金運用」より)
2005.04.22
「経費節減病」というのは、多くの会社で繰り返しかかる病気であり、不景気や業績低下時に重症となる。無為無策の社長の関心は「経費節約」である。それらの社長は、決算書を見てもチンプンカンプンであり、損益計算書から低業績あるいは赤字と知っても、打つ手が分からない。そこでのめり込むのが経費節約である。経費に焦点を合わせて、これを節減しようとしても、よほど放漫な会社を別にすれば、経費を5%節減しようとしたら、ほとんどの会社で日常活動に大きな支障をきたすことはまず間違いない。「経費節減病」というのは、多くの会社で繰り返しかかる病気であり、不景気や業績低下時に重症となる。しかし経費節減に成功した会社は世の中にない。だから経費節減を試みるなどやめるべきである。事業の経営というものは、経費をおさえるという消極的な態度ではなく、売上を積極的に上げ、利益を大きくすることこそ肝要である。経費をおさえることは極めて難しく、利益をあげる可能性は非常に多いからである。費用は、単に経費という観点から見るのでなく、その特性の分析から出発しなければならない。そのために、費用をその投入対象にしたがって、日常の繰り返し仕事の管理に使われる「管理的費用」、「今日の収益」をあげるために使われる「販売促進費」、「将来の収益」をあげるために使われる「未来事業費」の3つに分類し、考え方を整理することが大切であり、それぞれの活動に対する基本的な方針を決め、推進することこそ、成果をあげる重要な態度である。そして中小企業の大部分では、管理的費用は過大であり、販売費と未来事業費は恐ろしく少ないのである。このことは、事業の経営は企業の内部を管理することだと思いこんでいる証拠である。事業の経営は内部を管理することではなくて、市場と顧客に対する活動なのであるという、正しい認識をもってもらいたいのである。 (一倉定の社長学 第5巻「増収増益戦略」より)
2005.04.21
大きな収益に対しては少しの費用しかかからず、小さな収益には多くの費用がかかる。費用というものは、収益に応じて発生するものでもなければ、費用に応じて収益が発生するものでもない。一つには、社内の人々の活動状況に応じて発生し、二つには投下された資本に応じて発生するものである。それなるがゆえに、大きな収益に対しては少しの費用しかかからず、小さな収益には多くの費用がかかることになる。収益性の良い部門や商品に投入されている人件費も、収益性の悪い部門や商品に投入されている人件費も、収益とは関係なく、人数に応じて発生する。そのために、収益性の良い場合の人作費は割安となり、悪ければ割高となる。店舗の維持費は、売上高に関係なく発生するがゆえに、売上が上がれば割安となり、上がらなければ割高となる。 (一倉定の社長学 第5巻「増収増益戦略」より)
2005.04.20
大切なことは、「コスト」ではなく「収益」である。コスト病というのは、会社の中で最も危険な病気の一つである。必ず製品の質が落ちるし、一番大切なものは「コスト」になってしまい、お客様サービスにかかるコストなど真っ先に削られて、お客様を怒らせたり信頼をなくしたりする。極端な場合には、コスト病が会社を潰しかねない程恐ろしいものなのである。今時の中小企業では、すでに削れる費用などは殆どない。多少のムダはクッションとして必要なものなのである。大切なことはコストではなくて、「収益」なのである。コスト病患者にはこのことは全く分からない。1のコストを減らせれば、それによって10の収益が減っても、コストにしか関心を示さないのである。 (一倉定の社長学 第3巻「販売戦略・市場戦略」より)
2005.04.19
営業日報は、外部情報に限定せよ。たくさんの会社で、営業日報を提出させている。しかし、それらの大部分は営業日報ではなくて、セールスマンの「行動日報」である。一日の時間割りがあり、何時から何時にどこの会社に行き、誰に会い、どんな用件であった、というようなことを、細かく報告させている。いったいこんなことを報告させて何になるのだろうか?営業日報は外部情報に限定するのである。これは、セールスマンにとっては、自らの行動ではないので嘘を書く必要はない。外部情報とは、顧客に関することと、競合会社に関することである。顧客の要求、小売店舗の場合には売場占有率、欠品補充状況などが必要である。忘れてならないのはクレームである。競合会社の情報としては、新商品の蛇□作戦、セールスマンの蛇口訪問回数と、社長、営業部長などの偉い人の訪問の有無がその中心になるのである。 (一倉定の社長学 第3巻「販売戦略・市場戦略」より)
2005.04.18
セールスマンの報告だけ聞いても、外部の様子は分からない。社長が私に語ってくれたのは、次のようなことだった。「セールスマンの案内でお得意先を回ったが、訪問するところは三流店と思われるようなところばかりである。次に訪問するところは、立派だろうと期待していたが、それは全部外れてしまった。車を走らせていると、向こうに立派なスーパーが見える。そこへ寄るだろうと思っていると素通りである。次にまた大型店が見えて来たので、今度こそと思っていると、そこへも寄らない。まさか、うちの得意先が、あんな小さなところばかりとは、夢にも思っていなかった。本当にガッカリした。」と言うのであった。社長とは、かくも世間知らずである。会社の中にジッと座っていて、セールスマンの報告だけ聞いていても、外部の様子は分からない。まさに「百聞は一見にしかず」なのである。 (一倉定の社長学 第3巻「販売戦略・市場戦略」より)
2005.04.17
セールスマンの適格者は、頭の回転が遅く、社交性に欠け、口が重いことである世に有能なセールスマンのイメージというものがある。それは、頭の回転がよくて社交性に長け、弁舌がさわやかであること、というところが相場である。ところが、現実は全然逆で、このようなセールスマンは最も不適格である。こうしたセールスマンは個々の商談には強いかもしれない。しかしそれは、かえってお客様に「してやられた。今度から気をつけよう」というような警戒心を起こさせるような危険がある。だから「押し込み販売」には向くかもしれない。しかし「押し込み販売」は販売の邪道である。セールスマンの適格者は、頭の回転が遅く、社交性に欠け、口が重いことである。そして真面目で根気強い人間である。「陰ひなたなく根気強く」こそ、セールスマンに要求される最も大切なものである。 (一倉定の社長学 第3巻「販売戦略・市場戦略」より)
2005.04.16
セールスマンの能力と努力だけに期待して、自らは販売努力を放棄しているのは誤った態度である。どの会社でも、セールスマンに対して、過大すぎる期待と重責を負わせすぎている。過大すぎるが故に、その期待はいつも満たされることはない。当たり前である。社長の期待するセールスマンなど、会社の中にいるわけがない。もしいるとしたら直ちに大抜擢して専務にでもすべきである。さもないと、早晩会社をとび出して独立し、わが社に弓を引くことになるからである。社長は、まずセールスマンに過大な期待と重責をかけることをやめなけれぱならない。販売はセールスマンの能力と努力ではなく、自らの販売戦略によるものだと思うべきである。これは、セールスマンなどどうでもいいという意味ではない。それどころか、セールスマンの能力と努力は販売成果を大きく左右する。私の言いたいのは、セールスマンの能力と努力だけに期待して、自らは販売努力を放棄しているのは誤った態度だ、ということである。 (一倉定の社長学 第3巻「販売戦略・市場戦略」より)
2005.04.15
売上高について、「対前年比伸び率」という考え方は、してはならない。 損益計算書において、対前年比伸び率という物差しは、売上高以外の数字について、管理的には意味がある。しかし売上高については、対前年比伸び率という考え方は、してはならないものである。というのは、対前年比伸び率がどうであろうと、占有率を落としてしまったら何もならないからである。売上高の物差しは、あくまでも占有率であり、これ以外にはないことを知っていなければならない。 (一倉定の社長学 第5巻「増収増益戦略」より)
2005.04.14
値段を値切られるのは、値切られる方が悪い。「お客様あっての会社」これが私の信条である。だから、たとえ、どんなお客様であろうとも、誠心誠意のサービスをするのが当たり前である。もしも、お客様が十分な代価を払ってくれなければ、サッサとそのお得意先と縁を切るべきである。縁も切らずに、しかもそのお得意先一辺倒で、これの打開策を何もとらずにお得意先を恨むのは間違っている。と言うよりは、社長の怠慢以外の何ものでもない。お客様に少しでも恨み心がでたら、もう、そのお得意先に誠意をつくすことはできない。だから、恨むのではなくて、自らの力で新たなお得意先を開拓しなければならない。それもやらずに、お客様を恨むとは何事か、というのが私の考えである。自らの努力を忘れ、お客様を恨むのは誤りである。 (「経営の思いがけないコツ」より)
2005.04.13
タンクの油を減らすには、蛇口をひねることである。ここに油タンク(問屋)がある。タンクの中の油(わが社の商品)が減らなければ、油を補充することはできない。とするならば、タンクの油を減らすにはどうすればいいのだろうか?いかに頻繁にタンクの油の減り具合を見に行っても、油の減少速度を増加させることはできない。できることは、油の減り具合が分かるということだけである。これは「促進」ではなくて「監視」にしかすぎない。タンクの油を減らす手段は「蛇口」をひねることなのである。(蛇口とは小売店のこと)小売店の売上増大こそ、販売促進なのである。 (一倉定の社長学 第3巻「販売戦略・市場戦略」より)
2005.04.12
「こうしたら売れる」という売り方を実験によって見つけだせ。顧客の研究のないところに販売増進はありえない、という平凡な原理をふまえることが、事業経営を成功に導くものであることを肝に銘じなければならない。販売促進というものは、ただムチャクチャに押し込みをやっても意味がない。いろいろな売り方を実験してみて、その中から効果の大きな方法を探しだすのだ。これが分かればあとは簡単である。「こうしたら売れる」という売り方を実験によって見つけだせ。これが販売促進の基本原理である。 (一倉定の社長学 第3巻「販売戦略・市場戦略」より)
2005.04.11
顧客訪問の目的は、売り込みではない。顧客の確保である。売り込むまではせっせと通い、売った途端に訪問しなくなるのでは、顧客からみたら現金な会社だと、決して快くは思ってくれない。こうした誤りを犯すのは、「訪問の目的は売り込みである」という間違った考え方をしているからである。だから、いったん売ってしまえば訪問しなくなる。この考え方は多くの会社にはびこっている。訪問の目的は、明らかに売り込みではない。それは「顧客確保」である。訪問しなければ、他社に顧客をとられるのだ。訪問こそ、市場戦略の基本活動なのである。そして、それは訪問というよりは、巡回-つまり顧客パトロールなのである。警官のパトロールの目的が泥棒をつかまえることではなくて犯罪防止にあるように、訪問の目的は売り込みでなくて顧客確保なのである。この正しい考え方を社長自身がまず持たなければならない。 (一倉定の社長学 第3巻「販売戦略・市場戦略」より)
2005.04.10
社長の蛇口訪問一回は、セールスマンの訪問の百回に勝る。社長の表敬訪問は、実は「建前」なのであって、その建前だけでも絶大な効果があるのに、それに加えて「本音」の方にさらに大きなメリットがある。そのメリットとは、まず第一に顧客の要求とその変化を的確につかめることである。社長が訪問すれば、先方でも偉い人が応対する。偉い人ほど、雑談の中でさえ、事業経営に関する次元の高いことが話題になるからである。第二には、わが社のサービス不足やクレームを知ることができる。第三には、競合他社の動きに関する情報も入る。特に他社の社長が訪問しているかどうかは大切である。訪問していることは、まずないといえるが、訪問していなければわが社は優位に立っているのだし、もしも訪問しているようならば油断はならないのである。 (一倉定の社長学 第3巻「販売戦略・市場戦略」より)
2005.04.09
「小さな市場で大きな占有率」こそ、優良会社になる近道である。一般に、中小企業は大きすぎる市場を狙いすぎる。たくさんの会社が狙うために、当然のこととして過当競争になっていく。そして、その中で苦戦し、低業績に泣くことになるのである。賢い社長は自らの規模に合った市場を狙う。そこには強敵は少なく、弱小会社を相手に有利な戦いを進められるのである。「小さな市場で大きな占有率」こそ、優良会社になる近道なのである。大きすぎる市場の場合には、市場の細分化を行って、細分化した市場の中で必要な占有率を確保していく。占有率の高い、細分化された市場をひとつずつ増加していく。言い換えると、自らの手で対象市場を小さくし、その中で大きな占有率を確保する、ということなのである。 (一倉定の社長学 第5巻「増収増益戦略」より)
2005.04.08
最大の得意先でも、売上の30%以上を依存しないこと。得意先の組み合わせについて考えなければならないことは、まず第一に、主力得意先は3社以上が望ましく、一業界一社が理想的である。第二には、最大の得意先でも売上の30%以上を依存しないことである。第三には、主力得意先の中に、限界生産者があると危険である。社長たるもの、わが社の収益増大を図るのは当然として、その前にわが社の安全性を確保するための手を打っておかなければならない。外部情勢は、いつ、どのように変わるかも知れず、その影響を受けて、いつ得意先に大幅な業績低下が起こるかもしれない。あるいは、得意先自体の方針転換のために、わが社の受注が減少するか分かったものではない。将来の危険に対して、今のうちに手を打つことこそ、社長の重要な役割の一つである。 (一倉定の社長学 第1巻「経営戦略」より)
2005.04.07
総代理店を作るということは、生殺与奪権を与えることである。総代理店を作るということは、相手にわが社の生殺与奪権を与えることである。総代理店を通さなければ販売できず、もしも総代理店がわが社の必要売上げを確保してくれなければ、わが社は潰れてしまうからだ。そして、総代理店はわが社のことを考えてくれるのではなくて、自分の会社のことを考えている。これほど危険なことはない。その危険を全く知らずに「総代理店はわが社に忠誠を誓っている」と思いこんでいるのだから、まさにお目出たい限りと言わなければならない。 (一倉定の社長学 第3巻「販売戦略・市場戦略」より)
2005.04.06
小売店に払うマージンは「売場借用料」であり、問屋に払うマージンは「販売網使用料」である。もしも、自分の会社で自社の商品を売る販売網を作ろうとすれば、多額の費用と多くの時間を必要とする。そのような努力を全く必要としないのが、代理店と契約するということである。その報酬が代理店に払うマージンなのである。だから、マージンというものは「販売網使用料」であって、「販売手数料」ではないのである。販売はあくまでも自らの会社で行うものなのである。このことは、小売店に対しても全く同じである。小売店に払うマージンは、販売手数料ではないのである。その本質は「売場借用料」なのである。自ら小売店舗を作るには、これまた多額の費用と時間を必要とする。そのようなことをやらずに済むのが、既存の小売店を利用することである。当然のこととして、売場借用料を払うのである。小売店の売場を借りて自ら売る、のである。 (一倉定の社長学 第3巻「販売戦略・市場戦略」より)
2005.04.05
お客様を忘れた自己本位の考え方を「天動説」という。この「天動説」がとことん販売を阻害する。自己本位の考え方を「天動説」という。この天動説が、とことん販売を阻害するのである。だから、天動説を捨て、相手の立場に立って、物を考え行動すると恐ろしく目立つ。天動説をとっている会社では、根本的に誤った2つの信念をもっている。それは、「流通業者はわが社に忠誠を誓っている」「消費者はわが社の商品に絶大な支援を惜しまない」というものである。この2つの誤った信念がいたるところに顔を出し、販売を阻害している姿を、私は、うんざりするほど見せつけられてきているのである。人間というものは、これほどまでに「自己中心」でしか物を考えられない動物なのだろうか、とつくづく思うのである。だからこそ、「相手の立場に立つ」ことは、販売でも素晴らしい威力を発揮するのである。 (一倉定の社長学 第3巻「販売戦略・市場戦略」より)
2005.04.04
いつ、いかなる場合にも、自らの商品は、自らの手で売らなければならない。何がどうなっていようと、自らの商品は、自らの手で売らなければならないのである。このことを認識しない限り、販売は絶対といっていいほど伸びない。たとえ伸びても、やがては頭打ちしてしまう。ところが業績不振会社はいうまでもなく、中小企業全般の傾向として、販売に意欲も関心も示さない社長が多すぎるのである。販売というのは、営業部門に任せておけばいい、というような軽々しい問題ではない。会社の浮沈に関する重大命題なのである。わが社の商品が売れなければ、会社は潰れてしまうのである。 (一倉定の社長学 第1巻「経営戦略」、第3巻「販売戦略・市場戦略」より)
2005.04.03
ハンコとギンコーは大丈夫か。銀行印というものは、社長の責任において、外部への支払いを保証するという意思表示のために押されるものである。企業間信用は、この銀行印によって供されるという重要な意味がある。だから、社長自ら押すものであると同時に、他の誰に任せてもいけないものなのである。昔、使用人がたくさんいた大問屋の主人でも、戸締まりと火の始末だけは、主人自らやったという。使用人がたくさんいるから、任せることはできるし、火の始末や戸締まりなど、誰にもできることである。それにも関わらず、主人自らやるということは、行為自体の問題ではなくて、その意味こそ大切なのである。銀行印も全く同じである。社長以外の誰にやらせてもいけないことなのである。 (一倉定の社長学 第9巻「新・社長の姿勢」より)
2005.04.02
ボロ会社に限って、立派な社長室がある。社長室なんてものは、事業経営の必要性からみたら、どんなものでも一向に差し支えない。社長室からは一文の収益も生み出せないからだ。そんなものに貴重な資金を注ぎ込んで、自分一人だけいい気になるようなことはバカらしいというのが、優秀会社の社長の気持ちであろう。優秀会社の社長の関心は、常にわが社の優れた業績にあって、立派な社長室などには全く関心を示さないからである。ボロ会社の社長は、社長室に関心を示す。立派な社長室は営業政策上必要である、という大義名分があるのだが、本音は、立派な社長室に入るとイイ気分だし、偉くなったように思い込むらしい。一坪一坪に、血の出るような金がかかっていることを忘れるようでは、落第である。 (一倉定の社長学 第6巻「内部体勢の確立」より)
2005.04.01
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