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■尊敬する将帥は児玉源太郎 - 大島日露戦争でいえば、私が一番尊敬するのは児玉源太郎です。日露戦争の時、旅順を攻めあぐんで肉弾攻撃を続けている乃木大将に代わって、日本から運んできた巨砲を据えて3週間ほどで砦を陥落させてしまった。児玉源太郎は乃木大将と違って、攻撃目標を定めた上で、その弱点を見抜いて全カを挙げてそこを叩いた。「着眼大局」「着手小局」を見事に体現しています。司令官はこうでなくてはいけません。逆に大嫌いなタイプは、その乃木希典。ああいう精神主義者は本当に嫌いです。司令官というのは何万人という将兵の命を預かっているわけですから、やはり合理的でないといけない。「突撃、突撃」という肉弾攻撃で、あんなに兵士を殺しては将帥とはいえません。■実戦経験が問われなくなった日本の軍隊 - 渡部私がわりと好きなのが黒木為禎です。日露戦争では一番いい戦いをした将軍です。黒木大将の第一軍は位置的には端に布陣していましたが、これが常に重要な時に勝ってくれたので、その他の軍も危うく助かりました。「救国の英雄」といってもいいと思います。ところが日露戦争に参加した軍司令官では、黒木大将だけが元帥になれませんでした。薩摩出身で、長州閥ではなかったという理由もあるかもしれませんが、『KUROKI』という英語の本まで出て外国であまりにも評判が良かったため、陸軍内で嫉妬された側面もあったと思います。あの頃の日本陸軍には、すでに嫉妬があったのです。そしてその後の日本軍は、実戦の経験や軍功があまりカウントされないで出世が決まっていくようになります。先ほど話にでたハンモック・ナンバーのように、学校でどんな成績をとったかが出世の決め手になっていく。私は「陸軍大学校」という名前をつけたことが、そもそも間違いだったと思っています。陸軍大学校というと、何か最高の司令官を育成する学校のように錯覚します。しかし実際に教えていたことは参謀学にすぎません。本当は「陸軍参謀学校」ぐらいにしておけばよかったのです。そうすれば、司令官は他にいるんだぞという発想になったことでしょう。参謀と司令官はまったく別物なのです。■司令官育成の四原則 - 大島司令官というものは、なかなかつくれません。後でも触れますが、私はSFCGの関連会社をどんどんつくって、今の幹部たちを「社長」に掘えて大いに活躍してもらおうという構想をもっています。いわば彼らには司令官になってもらいたいわけです。資質というのは、磨けば磨くほど光るものだと思います。しかし実際をいえば、物事に動じず、判断を誤らず、その上、常に勝利を目指し続ける司令官を育成していくのはとても難しいのです。そこで私がSFCGの幹部たちによく言っているのが「成功四原則」です。(1) 考えが変われば、行動が変わる。(2) 行動が変われば、習慣が変わる。(3) 習慣が変われば、人格が変わる。(4) 人格が代われば、運命が変わる。何かを感じたら、すぐ行動に移す。どんな単純なことでもいいから、まず行動に移すことだ。とりあえず実行してみる。いわば陽明学の「知行合一」の精神です。そしてそれがいい結果を生んだら、その行動を習慣にする。人間とは不思議なもので、そうすると「勝ち癖」のようなものがついてきます。人格まで変わってくる。積極的な人格になります。積極的な人生観を持つようになります。そうなると、運命まで変わってくるのです。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.31
■リーダー育成は非常にむずかしい - 渡部リーダー・司令官というのは、育成するのがとても難しいのです。■ハンモック・ナンバーはナンセンス - 大島日本軍は、陸軍士官学校や陸軍大学、あるいは海軍兵学校や海軍大学校で成績がトップだった人間がリーダーになったから駄目になってしまったのでしょうね。ハンモック・ナンバーとか恩賜の軍刀とか、ナンセンスですよ。やはり度胸があって戦さに強い人間が大将にならないと、戦争には勝てません。■リーダーは「運」も大事 - 渡部日露戦争までは大将は皆、実戦から叩き上げてきた人たちだったから日本軍は強かったのです。東郷平八郎など、幕末からの海の戦いで参加しなかった戦いはないほどです。大山巌だってそうです。あの頃の司令官は皆、実戦の経験者です。しかもここが重要なのですが、臆病ではなかったけれども、弾にも当たらなかった人たちなのです。「運」がある。リーダーは運もなければ駄目なのです。■弾に当たった英雄はいない - 大島おっしゃるとおりです。私が好きな言葉は「弾に当たった英雄はいない」です。弾に当たったら死んでしまうわけですから、そんな軍人は絶対に英雄にはなれない。■軍隊は「運隊」である - 渡部司令官には「運」が必要です。人格高潔だとか教養豊かだとか、そういう要素も必要でしょうが、英雄になるにはそれはあまり関係がない。重要なのは「運」です。だから「軍隊」というのは「軍」の字にシンニュウをつけて「運隊」といわなければいけないのではないかと、私は言っているわけです。軍隊では、臆病ではない歴戦の老将が貴ばれます。「老将」は、それまで何度となく戦場に出ながら、弾に当たらないでサバイバルしてきた軍人だからです。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.30
■SFCGの教育方針 - 渡部SFCGでは何か社員教育の方針のようなものはおありですか?■「創業時の私に挑戦せよ!」 - 大島私が「商工ファンド」を創業した時、社員は5人でした。「モノ」のない会社でしたから「ヒト」が財産だと考えて、人材育成には本当に力を注いできました。人材育成のために、社員に読ませようと本も書きました。『眼の輝いた若者よ、機関車となれ』という題名ですが、そのはしがきの一節に、私はこう書きました。「諸君は能力を用意したまえ。私はそれを出しきる場所を用意する」と。能力を出しきる場所とは、職場であり、そこで行われる人材教育です。SFCGでは、新入社員は徐々に副主任-主任-グループ長、さらに副支店長-店長-ブロック長と階段を上がって行くわけですが、この新入社員から副主任の段階で、一定のガイドラインをクリアした社員を集めて「SF松下村塾」という社内研修を行っています。この目的については社内の文書でこう書きました。《松下村塾とは、幕末の激動期に吉田松陰が主宰し、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文など、明治維新の志士を多数輩出した私塾である。この吉田松陰の松下村熟に因んで、SFCGにおける維新の志士を育成する為に開かれたのが、SF松下村塾である。SF松下村塾はリーダーの育成を主眼としており、経営信条に定める小集団経営を行うに必要なリーダーシップ論を学ぶ場である。小集団経営とは、商工ファンド創業当時からのスタイルであり、松下村塾生は入塾とともにチームという最も小さな単位のプロフィットセンターのリーダーになり、ここで初めてSFCGの経営者としての第一歩を踏み出すことになる。》私が塾頭兼講師を務めて「創業時の私(大島健伸)に挑戦せよ」をモットーにして教育しております。「松下村塾手帳」というものもつくりました。扉の裏に「SFリーダーシップ30箇条」を掲げて、クラウゼヴィッツなど、戦いに関する言葉ばかり挙げてあります。たとえば「統帥の中心たり、原動力たるものは、実に将帥にして、古来、軍の勝敗はその軍隊よりも、むしろ将帥に負うところ大なり。戦勝は、将帥が勝利を信ずるに始まり、敗戦は、将帥が戦敗を自認するによりて生ず。故に、戦いに最後の判決を与うるものは、実に将帥にあり」(統帥綱領)とか、「将帥は分析力と総合力が発展して、驚異すべき判断力、すなわち洞察力となったものをもたねばならない」(クラウゼヴィッツ)また中国の兵法書『尉繚子(うつりょうし)』からは「難に臨み疑を決す」という文言を引きました。難局において決断し、指揮するのが将帥本来の任務であるという意味です。また、「恐怖感を持つ人間は善いことよりも悪いことを信じやすく、悪いことは誇大に考えやすい」という文章もあります。これもクラウゼヴィッツの言葉ですね。こういうことを徹底的に教えています。やはり、どんな局面にあっても怖いと思う心がないと、駄目だと思います。暴虎馮河(ぼうこひょうが)の人間は馬鹿だと思う。トップとかリーダーは人一倍繊細で、極めてセンシティブでないと務まりません。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.29
■教育方針 - 渡部みなさん、実業畑ですね。お子さんの教育では何か注意なさったことはありますか。■自尊心は絶対に傷つけない - 大島私の主義として、子供の自尊心は絶対に傷つけないようにしてきました。「キミにはできないよ」という言葉は絶対に使わないようにしてきました。だいたい私は「できない」「わからない」という言葉が嫌いなのです。これまでのビジネス人生の中でも、一回も口にしたことがありません。SFCGの社員にも、「できません」「わかりません」とは言うなと言ってきました。「できません」と、否定的な言葉を口にした途端、思考はストップしてしまうのです。何かに立ち向かっていこうというポジティブなエネルギーも消え失せてしまいます。そういう思いがありますから、子供たちに向かっても、「そんなこと不可能だよ、できないよ」と言うことはやめようと決めていたわけです。ところが、つい口から出てしまったことが1、2回ある。その時は、無茶苦茶にやられました。一回は、娘に「そんなこと、できっこないよ」と言ったら、「いつもの教えと違う」と言われてギャアギャア泣かれました。もう一回は嫁さんが相手でした。ある時、「本を書きたい」と言うわけです。彼女はカラー・コーディネーターという、色のコーディネイトをする仕事を早くからはじめていました。いわば草分け的な存在だったので、本を書いてみたくなったのでしょう。その時、「お前に本なんて書けるわけがないだろう」と言ったら、いや、この時も滅茶苦茶怒られました。「そんないい方は、あなたの今までのセリフと全然違う」と言われまして、出版社を紹介しろと迫られました。そこで人を介して紹介したのが明日香出版社です。本名(大島由里子)で『カラー・コーディネーター』という本を出しました。この分野では結構売れて、ベストセラーにもなりました。その後もグラフィック社やK・K・ベストセラーズ社から本を出しています。■結婚 - 渡部大島さんは三井物産時代、重役の勧める縁談を断わったとおっしゃいましたが、奥さんはどういうところから・・・。■「知識」より「知恵」 - 大島私は、自由恋愛はするだけしましたから(笑)見合いで決めました。中堅の実業家の娘です。彼女のお父さんが非常に面白い人なのです。学問は全然なくて高等小学校を出た程度なのですが、本当に知恵がある。なにしろ、見合いをして二人だけになった後で顔を出して私に言った言葉が、「どや、くどけたか」という人ですから。これまでの人生で私が求めてきたのは、「知識」ではなく「知恵」です。一代で、巨万の富を築き上げた人のリアル・ストーリーを好んできたのも、そこにはたくさんの知恵が詰まっているからです。彼女のお父さんにもそういうところがあって、言うことが一々面白いので、私は大いに気に入りました。かくいう私も、大学には行ったものの、本当のところはセルフ・エデュケイテッド・マンだと思っています。自力で学んで生きた知恵を積み上げて、今日の自分をつくり上げました。だから、セルフ・エデュケイテッド・マンそのものだった岳父のことを大好きになったのだと思います。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.28
■教えられるのが嫌いだった - 大島今は別ですが、誰か人に教えてもらうのが子供の時にはどうしてもだめだったのです。だいたい私は子供の頃、ずっと馬鹿だ馬鹿だと思われていたのです。大学病院に脳波をとりに行かされたこともあります。知能指数も調べられました。子供心にも傷ついたのは、隣の部屋で父親と母親が話をしていて、「どうもお兄ちゃんは頭が弱そうだ。妹の方ははしこくて賢いのに、お兄ちゃんはちょっと知恵遅れかもしれない」と言っていたことです。「お兄ちゃん」というのが私です。(笑)私は、本当は4月4日生まれでした。ところが旧暦に直して、2月26日生まれにされてしまった。それで一年早く学校に行かされたものですから、えらい目に遭いました。辛いですよ。とにかくクラスで一番年齢が下です。身長はともかく、体重は一番軽かったのです。何事も皆についていけない。だから小学校にはあまりいい思い出はありません。自分でずっと本ばかり読んでいました。同級生に追いつくには、ものすごく時間がかかりました。一般的な社会生活に順応するのも大変でした。だから私はトットちゃんの気持ちがよくわかります。小さい時は、発明王のエジソンだけが励みでした。エジソンも馬鹿だ馬鹿だと言われていましたから。実際エジソンはものすごく不器用な子供だったようです。小学校にも行っていません。それが発明王になります。その陰には努力がありました。「1%のインスピレーション(ひらめき)、99%のパースピレーション(汗・努力)」というのは彼の言葉ですが、私はこのアフォリズムがとても好きです。しかし、今のように創造性のない日本にエジソンをもってきても駄目でしょうね。アインシュタインだって東京大学に受からないと思います。■子供時代のわが長男 - 渡部お話を聞いていますと、私の長男を思い出します。長男はいつも口を開いていたので診てもらったらアデノイドだということがわかりました。そのせいか、学校へ行っても何も覚えてこない。■私もアデノイドだった - 大島私もアデノイドでした。■親子でリレー・エッセイ - 渡部宿題をもってこないので家内が担任の先生に、「この学校はいい学校ですね、宿題もなくて」と言ったら、「毎日出していますよ!」と言われたことがあります。息子は遊んでばかりいたわけです。1年生の時の教室が1階で、2年生の時2階になったのですが、そうしたらまだ教室は1階だと思ったのでしょうね、いきなり窓から外に出て下に落ちてしまった。下は花壇だったから大事には至らなかったのですが、そんな子供でした。ちょっと心配になって都立の知能検査へ連れて行ったことがあります。そうしたら、「この子は6年生以上の知能です」と言われました。「だから6年生以上のものを読ませてください」と。親は、それで安心して放り出してしまったから、その後もあまり変わり映えしませんでしたが、ただ好きな音楽の道へ進んだのは良かったと思っています。あまり勤勉な方ではなかったのですが、30歳近くなると意欲も出てきたのか、非常に熱心になって、今は文化庁の後援を受けてミュンヘンに行っています。チェリストですが最近は親子で『音楽のある知的生活』(PHPエル新書)というリレー・エッセイの共著も出しました。大島さんは、お子さんは何人ですか?■娘は大リーグ・オーナーの息子と結婚 - 大島ふたりです。上が息子です。彼は私と同じで、慶応大学経済学部から三井物産に入りましたが、2年で辞めました。家庭に何でも配達するデリバリー・ビジネスを興して、半年ぐらいそれをやっていたのですが、「このモデルは儲からない」と言って仕事を畳んで、ニューヨーク大学のビジネス・スクールヘ行き直しました。今度戻ってきまして、米国系投資銀行に入りました。下の子は娘です。東京大学の経済学部に入りましたが、「東大は全然面白くない」と言って2年間で辞めてしまいました。ボーイフレンドが阿呆ばかりで、まったくつまらないと、よくぼやいていましたね。彼らに「お前のお父さん、何やってるの?」と訊かれた時は、「やくざだよって言ってやった」とか。その挙句、経済学ぐらい面白くない学問はないからアメリカの学校に転籍したいと言い出して、イエール大学に転入しました。ハーバード大学も受かったのですが、イエールへ行きました。カルフーン・カレッジでカントの哲学を勉強している時、大リーグの「ニューヨーク・メッツ」のオーナーであるフレッド・ウィルポンの息子と知り合って、卒業と同時に結婚してしまいました。ブルース・ウィルポンという男が私の義理の息子です。現在はロンドンにいます。自然化粧品の会社を興すといって準備中ですが、おそらく間もなくスタートさせるはずです。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.27
■夢を叶える『マーフィーの法則』 - 渡部ハヤカワの意味論・言語学は私の本職です。ブリストルの『信念の魔術』は、私も2、3回読みました。いい本です。私の専攻は「英文法史・英語史」と「イギリス国史」ですから、金儲けとはまったく関係のない方面へ進んでしまったわけですが、それでも先ほど言いましたように昭和14年ぐらいまでの講談社の雑誌『キング』には「考えよ、そして偉くなれ」とか「金儲けは美徳である」と書いてあって、出世して金儲けをした人の話をずいぶん読みました。だから戦争が始まって統制経済が進むにつれて、非常におかしな方へ行っているな、窮屈な方へ行っているなと感じました。子供心にも、早く戦争が終わってくれないかな、戦前のあの『キング』の時代に戻ってくれないかなという思いは強くありました。したがって戦後、ブリストルの『信念の魔術』のような本が出ると、あ、これでまた『キング』の時代に戻ったなと感じました。ドイツからイギリスヘ渡ったのですが、その時日曜日にロンドンヘ遊びに行って本屋に積んである本を見たら、『マーフィーの法則』でした。あれも夢を叶える話で、『信念の魔術』に匹敵するいい本だと思います。前にも申し上げたように私は昭和30年にヨーロッパ留学をしましたが、最初はドイツへ渡ったものですから、東ドイツのことも知っていました。そして西ドイツと東ドイツの大きな落差、それは何だろうと考えた。もっとも、私の専門とは関係ないテーマなので一生懸命に考えたわけではありませんが、ロンドンヘ行ったら、あ、分かったと思いました。自由経済社会というのは、自分の欲しいものを自分で決めることができるシステムだ。自由主義国とは夢を持てる社会である。それに反して、東ドイツがまったく落ち込んでいるのはそうした志の立てようがないからだ、政府の権力の中を歩くよりしようがないからだと思い当たったのです。全体主義国家と自由主義国家の違いは、国民がこういう本を読めるかどうかだと思ったので、帰国したら訳してやろうと考えたわけです。それで日本に帰ってから訳したのがマーフィーの『眠りながら成功する』という本です。ただし、まだ駆け出しの講師時代ですから、英語学の人間が本名でああいう本を訳出するわけにいかない。だから「大島」というペンネームを使ったのです。産能大学出版部から出した本の訳者は「大島淳一」となっています。■『パーキンソンの成功法則』も愛読 - 大島大島というペンネームを使われたのですか。ますますご縁がありますね(笑)。『マーフィーの法則』も先生が翻訳されたのですか。あの本も興味深く読み、感動しました。もう一冊、イギリス人の書いたもので、なるほどと感心したのは『パーキンソンの成功法則』です。■第二法則も面白い - 渡部パーキンソンもいいですね。『パーキンソンの成功法則』が最初に出て、次が税金についての本が出ました。(『パーキンソンの第二法則 - カネは入っただけ出る』)私は二冊目の税金の方が面白かった記憶があります。■1200円の本で1200億円儲けた - 大島ブリストルの『信念の魔術』は1200円で買いましたので、私は若い人たちにいつもこう言っています。「この本はダイヤモンド社から1200円で出ていました。しかし僕はこの本で1200億円儲けました」と(笑)。「コスト・パフォーマンスがいいですよ」と。そんなふうにして面白そうな本を探してきてはそれを読んで、社会や人間を学んできたようなところがあります。「自分の学校」へ通ったというか・・・。その代わり、学校の授業は何ひとつ覚えていませんね。大学なんか、授業には全然出ませんでした。小学校から高校まで授業は一切聞いていません。人からものを教えられるのは、あまり好きではないのです。■塾は文科省の敵 - 渡部先生を選ぶことができないから勉強が面白くないのです。でも、塾なら選ぶことができる。塾に行けば自分の好きな本をさらに徹底的に教えてくれる先生に出会えるかもしれない。ところが文科省の目からみると、塾はずっと「教育の敵」でした。塾は教育界の「寄生虫」「隠花植物」と見なされてきました。■財務省の敵は金融業者 - 大島財務省にとっての金融業者みたいなものです。(笑)消費者金融、商工ローン、これは財務省から見ると「寄生虫」とか「隠花植物」だった。しかし私は、塾も嫌いでしたね。小学校5年生の時、母親に「英会話を勉強しろ」と言われて御茶ノ水のニコライ堂の英語塾に行かされましたが、初めて行った時、アルファベットを習わされて、それがアレルギーになって、翌週からは山手線を一周して「塾へ行ってきた」ということにしました。一年間それを続けて、英語塾にはその後二度と行きませんでした。■教育は出会いが大事 - 渡部あるいは別の塾だったら良かったのかも知れません。教育というのは「出会い」の要素が強いからです。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.26
■影響を受けた本 - 渡部大島さんはなかなかの読書家でいらっしゃるようですが、若い頃影響を受けた本を2、3冊挙げていただけませんか?■意味論に涙を流した - 大島大学一年の時に読んで感動した本が3冊あります。1冊目は、S・I・ハヤカワという日系カナダ人の『思考と行動における言語』というセマンティックス(意味論)の本です。ポーランドのコージブスキーが創始した意味論をハヤカワさんがまとめた本です。読んでいて涙が出るほど感動しました。意味論というのは、なるほどと思いました。もともとはナチスとマッカーシズムに抗して書かれた本ですから、言語の機能を究めることで人間の思考が誤りに陥ることから防ごうというモチーフが痛いほどわかりました。いろいろな意味での「レッテル貼り」とか、彼はユダヤ人だからこうなんだといった「記号操作」、そういうことがたくさん社会的に行われていることを知って、なるほどなと、ものすごく感心しました。権威とか差別というものについて色眼鏡を通して見るのではなく、その本質を見ることを教えられたともいえます。意味論=セマンティックスという学問と出遭えて、とても勉強になりました。2冊目はブリストルの『信念の魔術』です。この本を読んだ時、私が考えていることとまったく同じだと思いました。これは私が直感で思っていたことを書いた本だな、と。この本はバイブルのようにして6回、7回読みました。ブリストルは「思えば夢は叶う」と言っていますけれども、私はこれは事業に成功するコツでもあると思います。長い間ビジネスをやってきて、成功するには絶対に頭の中で成功のイメージを描けるようでなければならないと確信しています。具体的にイメージを思い浮かべて目標達成を念じる。そうすれば信念も固まります。そしてそれが成功の実現につながっていく。ビジネスもまさに「信念の魔術」です。本を読んで、いつかこうなりたいなと思ったのはメシュラム・リクリスという人です。オスカー・シスゲルという人が『合併の魔術師』という本で彼について書いていますが、この本が3冊目の愛読書です。リクリスというのは、ラピッド・コーポレーションとか、スミスクラインというタイプライターの会社、あるいは百貨店を次々に買収していったコングロマリットの開祖のような人で、大学一年生ぐらいにそれを読んだ時、いつか絶対に合併と買収をやって「帝国」を築いてやろうと思いました。この3冊からは学生の時に非常に強い影響を受けました。この他では、「人間」を学んだという点でシュテファン・ツヴァイクの『ジョゼフ・フーシェ』『マリー・アントワネット』『マゼラン』。これはどれも面白かった。特に『フーシェ』は面白く読みました。最後に私の一番影響を受けた本を一冊だけといわれれば、フランソワ・ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリエルの物語』を挙げます。ラブレーは16世紀に生きたフランス人ですが、当時のカソリック教会の腐敗や聖職者の堕落を指弾して、身辺に身の危険を感じながらこの本を書いたそうです。この本の第一巻は「ポノクラート帝王学」という題名ですが、ガルガンチュアが貪婪極まりない帝王学を朝から晩まで学ぶ有り様が書かれています。楽器演奏術、スピーチ術から人間関係術まで、あらゆる人間能力を貪婪に鍛えていくのです。この部分を読んで、「ああ、人間は意思次第でこんなことまでできる存在なんだ」ということを実感したのです。「知行合一」の陽明学の西欧版ですね。この第一巻に書かれている「汝の欲するところを徹底的に行え」という言葉は、私の座右の銘です。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.25
■金融の主導権をアジア人の手に - 大島渡部先生がおっしゃられるように、確かに現代のアメリカは世界最強の帝国です。金融の世界でも同じで、アメリカの銀行や証券会社が世界の金融市場をリードしています。よく言われるように、日本の銀行や証券会社はアメリカから十年遅れているといって過言ではありません。私は日本の金融界が、世界のレベルからはるかに遅れをとっていることが、口惜しくてならないのです。切歯扼腕しているといっても過言ではありません。金融という最重要産業の世界で、アジア人のイニシアティブを取り戻したいというのが、私の悲願です。私は今ニューヨーク大学でケンシン・オオシマ・スカラーシップ(奨学金)を支給しています。貧しいアジアの国からアメリカに勉学に来た学生(学部及び大学院生)に対して奨学金を出しています。昨年は、台湾、フィリピン、インド、マレーシア、パキスタンの5ヶ国、計5人の学部学生と大学院生に対して奨学金を支給しました。私の夢は、アジア人の中から金融技術の革新者が次々と生まれることです。私が支給する奨学金を受けた学生の中から、金融技術の革新者が出てくることが、ケンシン・オオシマ・スカラーシップを設立した私の願いなんです。将来的には、アジア人を対象にしたノーベル金融賞を創設したいと考えているほど、私のその願いは切なるものです。私は、年に2回、半期6ヶ月毎にSFCG株に投資しているか、もしくは投資候補に考えている海外の投資家向けに会社説明会を開いています。その説明会で投資家からよく出る質問に、「大島さんはSFCGを将来どのような会社にしたいのか?」というものがあります。この質問に、私はある時こう答えたことがあります。「私はSFCGをアジア発世界一のノンバンクにしたい。GEキャピタルを超える、文字通りの世界No.1の金融会社にしたい。万が一私が社長の時代に、この目標が達成できなかった場合には、次のSFCG社長がこの目標に挑み、いつの日か必ず達成します。世界一の金融会社をつくるという私の信念は、必ず実現させます。想い起こして下さい。紀元3世紀の頃、モンゴル高原を故地とするフン族の王アッティラは、ハンガリー、フィンランドを征服しました。ハンガリーという国名も、元はといえばフンガリー(フン族の国)であり、フィンランドもフンランド(フン族の地)から来ております。アッティラの時代から千年後の13世紀には、ジンギス・カンのモンゴル帝国が、東は中国から、西はロシアを越えてポーランド・ハンガリーまで征服しました。世界の3分の2がモンゴル帝国の支配下に置かれたのでした。ジンギス・カンの時代、当時のハンサムボーイのグローバル・スタンダードは、モンゴル人の顔でした。皆さんの前に立っているこの私のような東洋人、モンゴル人の顔が、当時のハンサムだったのです。ご覧になってお分かりのように、決して現代のハリウッドスターの顔ではありません。」このように私が言うと、最初はあっけにとられてキョトンとした顔の海外投資家も、2~3秒後には、”その意気や、壮とすべし”と大きな拍手とともに、私どもの会社SFCGに投資を決断して頂きました。西洋人の彼らが、反西洋的に聞こえかねない私の発言に拍手をしてくれるのは、私が本気で「世界一の金融会社」を目指すと考え、本気でそれを実行しようとしていることを彼らが理解してくれたからだと考えています。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.24
■「パックス・アメリカーナ」はいつまで続く - 大島太平洋戦争はアメリカに仕掛けられた面も強いと思いますけれども、石油をもったアングロ・サクソンの国を離れて、石油のないドイツ、イタリアの方へ舵を切ったのは間違いでした。三国同盟など結ぶべきではなかった。その意味では、今後の日本の針路もアメリカとの関わり方に左右される面が強いと思います。一時は「パックス・アメリカーナ」(アメリカ一国主義による平和)といわれたものですが、イラク戦争の戦後処理を見ていると私など、アメリカの一国支配がいつまで続くか分からないぞと見ているのです。あの偉大なローマ帝国ですら亡びたのです。■競争相手はいない - 渡部「パックス・アメリカーナ」がなくなれば群雄割拠の世界になってしまいます。日本でいえば戦国の世の中に舞い戻ってしまいます。私はアメリカの一国支配はまだまだ続くと見ています。世界中を見渡しても競争相手はいません。■その力はないのでは? - 大島今のアメリカにそれだけの力がありますか。だいぶ落ちているのではないでしょうか。■アメリカの強さは空前絶後だ - 渡部いや、私は、いまだかつてないほどアメリカには力があると思っています。ソ連があったうちは、いくらアメリカが強いといっても、まだ均衡勢力があったわけです。しかし、いまやそのソ連もない。アフガニスタンのタリバンを攻撃する時は、あのソ連がアメリカに航空基地を提供しています。そんな協力までしたのですから、ソ連はもう尻尾を巻いた犬です。今のアメリカは空前の強さだと思います。もう相手はいません。中国が少々頑張っていますけれども、アメリカは中国など問題にしていません。中国が原子力潜水艦をつくりはじめるまでは、そんなに心配はありません。中国のどこにミサイルがあるのか、基地はどうなっているのか、そんなことはみんな知っていますから、いざとなれば一挙にバンと叩けます。■ゲリラ戦には弱い - 大島今のイラクもそうだし、ベトナム戦争(1960年~75年)の時もそうでしたが、そのアメリカもゲリラ戦になると弱い・・・。■アメリカは「関ヶ原」以降の徳川幕府である - 渡部いや、ベトナム戦争の時も弱くはなかった。補給基地を叩けなかったから、あれだけ苦戦したわけです。ベトナムには武器をつくる力がありませんでした。武器は中国とソ連から運び込んでくるしかなかった。ベトナムの後ろの中国からは陸路で、またハイフォンにはソ連から船で武器が入ってきていました。しかし中国とソ連には手を出さないという建前でしたから、これは攻撃するわけにいかない。それでベトコンの手に武器が渡り、ベトコンはジャングルに潜り込んでいったのです。だからアメリカは勝てなかった。朝鮮戦争(1950年~53年)がうまくいかなかったのも、当時のトルーマン大統領が北朝鮮の背後にある満洲を叩いてはならないと言ったからです。だからマッカーサーも叩けなかった。満洲の方から共産軍があとからあとからやってくるのに、そこを叩けなかった。あそこを叩けば簡単だったわけですが、それをやると共産勢力との全面戦争になってしまう。そこで朝鮮戦争の戦線は膠着状態に陥ってしまったのです。今アメリカが朝鮮戦争をやったら、北朝鮮と中国国境である鴨緑江の向こう側、旧満洲まで攻め入ると思います。そうなればもう勝負にはなりません。その意味で、今のアメリカは見通しうる限り20年や30年は地平線の上に敵対者が見当たりません。そのうちに日本も集団的自衛権の発動ができるようになるでしょう。そうなった途端、中国は動けなくなります。日本とアメリカが一緒になったらとても太刀打ちできません。とにかく空母機動部隊をつくったことのある日米両国が一緒になるわけだから、これでは中国も動けない。そして動けない状態が20年、30年続いたら、今の中国は変質します。私は常々、日本史になぞらえれば、ソ連崩壊はちょうど関ヶ原の戦いが終わった時期に相当すると言っています。徳川幕府確立の時期です。徳川幕府の圧倒的な力を前にして、これに立ち向かう大名はひとりもいなくなりました。それと同じで、今アメリカに歯向かおうという国はありません。この時、日本が生きる道は、徳川時代でいえば藤堂高虎になるしかありません。藤堂高虎はもともと豊臣秀長に仕え、その死後は秀吉に仕えました。元来は豊臣家ばりばりの人です。しかし秀吉の死後は天下の趨勢を窺い、家康に接近を図ります。言い方は悪いけれどもゴマをすり、いつの間にか家康にとって役立つ人間になっていました。もともとは近江(滋賀県)の生まれですが、家康に仕えて伊予(愛媛県)宇和島7万石の大名になり、伊予・今治20万石から伊勢(三重県)の津22万石に取り立てられ、最後は32万石に加増されています。高虎は外様大名でありながら、幕藩体制の要衝である伊勢に封じられたわけです。これは実に重要なことです。東海道を押さえるためには、すでに名古屋城があります。しかし家康は高虎を伊勢に布陣した。もともとは豊臣恩顧でありながら、高虎はそこまで信用されるようになったのです。もう一ヶ所、琵琶湖の北を押さえるために配されたのが井伊家です。井伊直政を継いだ井伊直孝は大坂夏の陣での功績を認められて、やがて30万石の「大」大名になります。その上、三代将軍・家光からは元老の立場で迎えられ、意見があればいつでも拝謁できる権限を与えられます。家康は元来がケチな人で、譜代の家臣にしてもだいたい15万石程度しか与えていません。それが、京都に対する北の押さえとして井伊家には別格に30万石を与え、東海道に対する押さえとして藤堂家にやはり32万石を与えた。藤堂高虎はそこまで伸し上がったのです。藤堂家同様、日本はアメリカにとっては外様です。アメリカとは壮烈な大戦争もしました。しかし今回のイラク戦争を機に日本は、大西洋におけるイギリス、太平洋における日本という有利な地位を確保することができたのではないでしょうか。アメリカを徳川家と見立てれば、イギリスと日本はそれぞれ、京都の北を守った井伊家と東海道に布陣した藤堂家です。そんなアナロジーさえ浮かびます。日本にとってはこの地位を守ることが、一番安定して繁栄が続く道だと思います。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.23
■日本の銀行は飛べない鳥 - 渡部大銀行でさえ、あるときパタッと駄目になる。競争というのは、それを廃止する良さもあるとしても、しかし廃止することの恐ろしさの方が大きいのです。哺乳動物がいない島には飛べない鳥がいるそうです。食われる恐れがなければ「苦労して飛ぶことはないや」といって、飛べない鳥が出てきてしまう。それでも、その状態が永久に続けばいいのです。ところがそこへ猫などが上陸すると、飛べない鳥は全滅してしまう。日本の銀行もそれと似たところがありました。■銀行は過剰適応しすぎた - 大島明治以来、日本の銀行は「殖産興業」一本槍でやって、うまく機能してきました。しかし、百年以上も同じことをやってきて過剰適応してしまいました。例えば、太古の時代に翼竜が過剰適応して翼を広げるとグライダー以上の大きさになってしまった。温暖な気候の下ではそれが最適解でしたが、氷河期が来ると巨大な翼が邪魔になって滅亡してしまいました。巨大な翼竜が、小さな、しかし敏捷な鳥類にとって代わられたわけです。銀行も新しい時代に適応するのに大童だというのが実情ではないでしょうか。■戦前の日本も徐々に追い込まれた - 渡部戦前、アメリカにホーリー・スムート法などという超高率の関税法をつくられて貿易を止められたり、禁油法で石油を止められたりして、徐々に追い込まれていった日本を思い出します。その挙句に日本は、ドイツ、イタリアなどという石油のない国と手を組んで、石油をもっている英米と戦争する方向に舵を切ってしまいました。まあ、そこには多分に仕組まれた面があったわけですが、しかしあれは大いなる間違いでした。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.22
■福祉国家は必ず潰れる - 渡部それはいかにも大島さんらしいけれども、「天はみずから助くる者を助く」という自助の精神に溢れた人の人□比が大きい国が偉大な国です。逆に、国に頼るような人が多い国は潰れる。補助金ばかり出している福祉国家は必ず潰れます。国が保護した業界が必ず潰れるのと同じことです。だから今、これだけ公金を注ぎ込んでいる日本の大銀行も、先行きは暗いと言わざるをえません。■保護主義の時代は終わった - 大島要するに「ビッグバン」とか「大競争時代」というのは何かというと、「ノアの箱舟」で保護される時代は終わったということです。ノアの箱舟は、やがてくる大洪水に備え、リスのような小動物もトラやライオンのような猛獣もこの地上に残そうと考えて、生きとし生けるものを全てひとつがいずつ籠や檻に入れて箱舟に乗せます。すべての生き物が仕切られた箱で保護されて、すべての生き物が生存可能だったのです。ところがビッグバンとかグローバル化というのは動物を入れた檻を全部ぶっ壊して、ライオンもリスも羊も一緒にコロセウムで戦えということです。そうなれば、絶対にライオンやトラが勝ちます。かつての日本は、たとえば規模がまるで違う日本生命と大正生命を共存させていたわけですからノアの箱舟です。ところが今やビッグバンですから、厳しい適者生存の原理が働くわけです。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.21
■『自助論』の夢 - 渡部かつてはイギリスにもドリームがありました。それがサミュエル・スマイルズの『自助論』です。邦題は『西国立志編』です。幕末に中村正直(中村敬宇)が幕府からイギリスに派遣されます。彼は幕府の学校始まって以来の秀才といわれた男です。幕府留学生取締としてイギリスに渡ったのは、維新直前の1866年(慶応2年)のことです。そこで彼は非常に驚きます。国土の広さは日本と変わりないのに、イギリスは一等国中の一等国です。江戸城よりも高い建物に、なんと労働者が住んでいる。鉄道を見ても住宅を見ても工場を見ても、何を見ても幕府の時代の日本とは桁違いです。ナポレオンに勝って50年以上たった当時のイギリスは輝くばかりでした。なぜこんなにも彼我の差があるのか。その理由がわからない。やがて幕府が潰れ、中村正直は日本に帰ることになります。帰国直前、ある友人が「今イギリスではこの本がベストセラーになっている」と言って手渡してくれたのがスマイルズの『Self-help』つまり『自助論』でした。それを帰りの船の上で読んだら、日本とイギリスがどうしてこんなに差があるのか、それまで分からなかったことが初めて分かったといいます。幕府の時代は、すべて殿様次第ですから「セルフ・ヘルプ」ではありません。自分で立とうとしても立つ場所がない。大商人でも、早いうちから問屋制度ができていたから「セルフ・ヘルプ」という概念はほとんど育たなかった。そこで、「これだ!」と思って、『自助論』を何度も読んで暗記するまでになった。帰国してみると、自分を送り出してくれた将軍・慶喜は静岡にいました。そこで彼も静岡に行って『自助論』を訳した。それが『西国立志編』です。だから『西国立志編』の初版は静岡で出ています。あの『西国立志編』は福沢諭吉の『学問のすすめ』と並んで明治の2大ベストセラーです。あの本を読まないで志を立てた人はいません。『西国立志編』の一番重要なところは、「どの道でもいいから志を立てろ」ということです。幕府の頃は武士として出世するしかなかった。町人はせいぜい大店の番頭になるくらいです。ところが『西国立志編』は、どんな道でもいいから志を立てることが重要なのだと諭します。必ずしも大臣になれといっているわけではない。この本には、発明をした人、困難に打ち勝って起業した人・・・それぞれの道で成功した人の話が集められています。単に道路を直す工事人だけれども、植物が好きで励んでいたら植物学者として尊敬されるようになったという人も出てきます。そういう生き方も「立志」なのです。人間はどの道でも行けるのだ、好きな道へ進んでいいのだという、目の前がパッと開けるような開豁(かいかつ)さが『西国立志編』の一番のポイントです。■悪源太の思想 - 大島スマイルズは「天はみずから助くる者を助く」と書いていますが、私はそれをもっと発展させて「天は人の助けざる者を助く」と思っています。「人が助けたいと思わないぐらい憎々しいまでに強い人間こそ天に助けられるんだ」という意味です。私は悪源太みたいな方がいいなと思っています。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.20
■「ピーターの法則」の恐ろしさ - 大島日清・日露の戦争の時は、そういう要素は薄かったと思います。「勝利の全きところ」を目指していました。それはやはり「維新の精神」が生きていたからだと思います。明治の初めは何もないグリーンフィールズ(未開発地)ですから、たとえば数学でも菊池大麓が留学して数学の開祖になるとか、明石大佐みたいな人も出る。安田善次郎のような大実業家も登場する。ところが明治も後半になってくると、そうした太い幹ではなく枝葉ばかりになってしまいます。これは日本にとって結構つらいことでした。やはり「組織は無能化する」というピーターの法則が利いてしまうのでしょうか。 ※ピーターの法則 階層社会にあっては、その構成員は各自の器量に応じて それぞれ無能のレベルに達する傾向がある。■常に改新する力が必要である - 渡部断えず改新する力がないといけません。その点、何といってもアメリカが一番優れています。これは世界的数学者の広中平祐さんから聞いた話ですが、彼がハーバード大学にいた時、カリフォルニアの方の若者が数学ですごくいい業績を挙げる。するとハーバード大学は大学のメンツにかけてもその人を呼んでくるというのです。呼ぶには給料を高くしなければいけない。だから数学科の科長はその若者に、自分の給料よりもずっと高いペイを提示して呼び寄せたといいます。■実力次第がアメリカの強み - 大島年が若くても実力さえあれば破格の給料が提供される。それがアメリカの良いところですね。本当は、日本もそういう自由主義社会の国なのですが、その自由を本当に利用しようとしている人が少ないのではないでしょうか。封建社会では、大名の子は剣道も学問もしないで、大名になれました。地主の子は地主になりました。一方、どんなに立派な才能があっても、水呑百姓の子は水呑百姓にしかなれず、左官の子は左官以外にはなれませんでした。多少の例外はあったにせよ、封建社会の原則はそのような動きが無い固定した身分制の社会でした。ところが、我々は幸いなことに現代に生を享けました。現代社会では、出生や父母の職業いかんにかかわらず、その能力と努力に応じて、個性にあった職業を自由に選択し、その能力と努力によって高い地位や大きな権限、報酬を受けることができるし、個人の能力を自由に発揮できます。おまけに、この日本という国は言論も主義主張も自由な自由主義圏の国です。現代社会で、かつ、自由なこの日本では、卑屈な諦観と劣等意識にとらわれているいわれはないのです。我々が努力さえすれば、自己実現への道が豊かに開かれており、すべては本人の努力と責任に帰するわけであり、何の可能性に賭けようと自由です。つまり、機会を活かすも殺すもその人次第なのです。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.19
■明治の気概 - 大島しかし、明治時代の精神というのは気宇壮大でいいですね。たとえば日露戦争の時、戦時資金は高橋是清がクーン・ローブ銀行のジェイコブ・シフから集め、ヨーロッパには明石(元二郎)大佐を派遣してロシアに赤色革命を起こさせるべく乾坤一擲の勝負をしています。金子堅太郎はハーバード大学時代の同級生だったセオドア・ルーズベルト大統領を通じてアメリカ国内の世論を日本に有利なように導いている。あの時代の日本人は本当に気宇壮大です。ケチ臭いところがありません。■破壊工作に百億円 - 渡部日露戦争の時、明石大佐は今のお金で百億円ぐらい渡されたそうです。工作のためにヨーロッパヘ発つ前、奥さんから家の屋根が壊れていると言われたのですが、「実は俺はある理由で修理できないんだ」と言う。修理すれば、工作資金を使ったと思われるからです。明治人にはそういう潔癖なところがありましたね。それでいて、工作にはお金を使いまくっています。スウェーデンのストックホルムを中心に、各地に亡命している革命家たちに資金援助して、ロシア各地に反政府暴動や争議を頻発させました。そうなるとロシア政府も日本との戦争に専心できなくなってしまう。日露戦争における明石大佐の働きは「数個師団に匹敵する」とか「日露戦争の勝因のひとつは明石大佐の働きだ」と言われています。しかも明石さんは工作資金が四分の一ぐらい残ると、その金をちゃんと返している。一工作員のために今のお金で百億円ぐらいポンと出す政府も胆がでかいと思いますが、それくらいでなければ本当の情報など掴めるわけがないのです。■今のような鈍感なアンテナではなかった - 大島確かに明治政府の情報網はものすごいものでした。今の日本政府の鈍感なアンテナとはまるで違います。イギリスがヨーロッパの辺境の二等国から一等国になったのは、エリザベス一世の時代ですね。文学でいえばシェイクスピアが活躍したころです。その時の英国王室の築き上げた情報網というものはすごかったそうです。当時のヨーロッパの一等国だったスぺインの無敵艦隊を破った背景も、その情報網だったと聞いています。明治の日本といい、エリザベス時代のイギリスといい、国力が伸びる時には情報力がものをいうのでしょうね。■「勝利の全きところを専らに」 - 渡部明治時代は謙虚なところがあったからでしょう。列強による帝国主義政策の中で、日本という国が生き延びられるかどうか、ここが一番重要なポイントだったから、政治家も国民も本当に真剣でした。日本を植民地にしてはいけない、という気迫がみなぎっていた。そのために全国民が、一丸となって事に当たったのです。そこで思い出されるのが、忠臣蔵の大石良雄が討ち入りの前に全員に配った文書の一節です。彼は、《勝利之全所を専に》と書いています。勝利の全きところを専らにして働け。これは古今の名言です。討ち入りする場合、吉良上野介の首を取る人もいれば門番をする人もいるだろう。日頃仲の良い人も悪い人もいるだろう。だが、この際はお互いに助け合って、勝利の全きところを専らにして働け、というわけです。この前の戦争(大東亜戦争)を見ると、「勝利の全きところ」ではなく、陸軍と海軍が張り合ったりしている。往々にして、勝つことよりそんなことが重要になってしまうことがよくあるわけですから、大石良雄のこの精神は重要です。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.18
■福沢精神に学べ - 渡部中上川は諭吉の甥、桃助は養子ですから、やはり福沢精神を引いているのでしょう。諭吉の有名な「痩せ我慢の説」は一種の反骨精神です。げんに福沢さんはついに「官」に入りませんでした。今の慶応大学の教授はどうか知りませんけれども、その精神を引いているのが、かつて慶応の塾長をやった小泉信三さんだったと思います。あの人にはそういう面影がありますね。私が小泉先生を尊敬するのは、昭和26年のサンフランシスコ講和条約の時、先生ひとり、西側諸国とのいわゆる「単独講和」すなわち「多数講和」を主張したことです。ソ連のスターリンは日本共産党や社会党(現・社民党)に働きかけて、いわゆる「全面講和」を主張させます。岩波書店や朝日新聞という左派マスコミに拠る進歩的文化人たちは「単独講和反対」を叫んだ。全面講和でなければ、条約は結ぶなと言ったわけです。「全面講和」というのは、ソ連邦も入れた講和にしろということです。しかし当時は朝鮮戦争の真っ最中で、米ソ冷戦の戦端が火を噴いていた。そんな時、アメリカとソ連の間で話がつくわけがない。それでも当時の学者や文化人たちは、革命が起こったら殺されるのではないかと、粛清を恐れていましたから、みんな全面講和派に付いた。東大の総長・南原繁もそうです。その時、私の記憶では当時の学者でたったひとり、小泉信三先生が全面講和に反対した。西側諸国との講和を「単独講和」というけれども、世界四十数ヶ国みんなと講和を結ぶのだから「単独講和」ではなくて「大多数講和」ではないかと言ったのです。ここに入っていないのは、ソ連とかチェコ、せいぜいそれくらいではないかと反論した。全面講和派の人たちは「単独講和反対」といっているけれども、それは日本がついに独立を回復できないということである。日本が占領されたままでいいのか。小泉先生はそういうことをバーンと言ったわけです。私は感激しまして、小泉先生に手紙を書きました。ハガキで返事を頂いて、そこには「遠慮しないで、言うべきことは言うようにしましょう。」と書いてありました。それ以来私は、言いたいことを遠慮しないで言うことにしている。(笑)私がまだ大学院生の時の話です。共産党はもちろん社会党も講和条約に参加しませんでした。当時の首相・吉田茂さんは日本の政党を全部参加させたかったわけですが、しかし重ねて要請したにもかかわらず、社会党はついに参加しなかった。だから社会党も共産党も「日本独立反対者」なのです。日本の独立に反対するくらいの連中だから、今もって「国旗反対」「国歌反対」と叫んでいる。少しも変わっておりません。普通、一国が独立をしたらどこの国だって、独立反対派の連中は一掃されます。フランスを例にとれば、ナチスの崩壊でド・ゴール将軍が亡命先のイギリスから帰ってきた時、ナチス占領下にできたヴィシー政権は一斉にフランスを追われました。もっとも、ヴィシー政権はちょっと気の毒なところがありました。というのも、ナチス・ドイツがフランスを占領した時、誰かが国を代表しなければならなかったわけですから、ぺタン元帥もまあ仕方なく首相の座に就いたわけです。ところが、戦争が終わったらぺタン元帥は死刑宣告をされる。恩赦で死刑執行だけは免れましたけれども、流刑地で亡くなりました。アメリカ独立の時も「イギリスの植民地のままでいい」と言う人は相当いました。独立戦争が終わって、アメリカが独立を勝ち取ると、独立反対派の人たちは逃げ出さざるをえなくなります。これが普通です。ところが日本だけは独立反対派がまだ大きな顔をしてのさばっている。近頃は民主党にそういう連中が滑り込んでいます。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.17
■商売は揉み手だけではない - 渡部三菱にしろ、三井、住友、安田にしろ、明治期に成功した新興財閥を調べて特徴的なのは、江戸時代からの番頭や手代を抜擢していないことです。前時代の番頭をそのまま使ったところは、皆駄目になっている。これはやはり、時代が変わったらそれに応じて抜擢する人も変えなければいけないという教訓になりそうです。当時の新興財閥は下級武士を起用しています。新しい時代になると、やはり揉み手を商売の道だと考えている人たちでは駄目だったのだと思います。■抽象思考が必要 - 大島町人流の揉み手だけでは駄目です。江戸時代の町人は抽象思考ができませんから、激変の時代には通用しません。東京大学の吉野作造教授と並んで、大正デモクラシーの牽引車と呼ばれた東京商大(現一橋大学)教授、福田徳三博士がこんなことを言っておられました。「大商人たるには、抽象的、形而上的思考が大切である」というのです。福田先生のいわれる抽象的形而上的思考でいえば、我々金融業者はお客様に何を売っているのだろうかということを、創業以来私は懸命に考えてきました。現象面だけを捉えれば、金融業者はお金という商品に金利という値段を付けて売っています。だから、我々はお金を売っているのだという結論になります。しかし、この発想では福田教授のいう大商人とはなれないのです。どうすれば、金融界で大商人になれるのか、考えに考え抜いて到達した結論が、我々はお金ではなく「サービス」、「ノウハウ」、「安心」を売っているのだというコンセプトでした。私は社員に対して次のように語りました。《「諸君は何を売っているのか?」 この私の問いに「お金」と答えるのではSFCGのビジネスを 本当には理解できていないことになる。 念を押すが、SFCGの商品コンセプトは 「サービス」「ノウハウ」「安心」の3つである。 私たちは、日本という豊かな社会でビジネスを行っている。 だから、それにふさわしい商品を用意しなければ 顧客の満足は得られない。 たとえば、靴屋の主人に「何を売っているのか?」と聞いて 「履物」という答しか返ってこないとしたら、 彼は数十年前の感覚で商売をしていることになる。 豊かな社会での靴は、それを履く人間にとって、 周囲の人々に自己の存在をアピールするための メッセンジャーの役割を担う。 具体的、実用的な用途を満足させる商品というだけでなく、 トータルファッションの一部という抽象的な価値がなければ 顧客をつかむことはできないのである。 SFCGの営業マンも同様だ。 「サービス」「ノウハウ」「安心」という 抽象的な附加価値を踏まえてこそ、 「金を貸してやる」という前時代的な営業感覚から 脱却できるのである。》採み手だけではないビジネスという点で、福沢諭吉の甥の中上川彦次郎なんか、強烈な個性を発揮して三井銀行の大改革をやっています。お上に対しても強硬な取り立てをしている。あの手腕はすごいですね。諭吉の養子になった福沢桃助という人もいい。『桃助流』という本も書き残していますが、最初は要領一本で金を儲けて世の中に一泡ふかせてやるといった偽悪的な若者だったのですが、それがやがて中部電力を興して「電力王」と言われるまでになる。あの人の信条は、株も含めて全くの「自己責任」論ですから、私は潔くて好きです。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.16
■安田善次郎も偉大だ - 渡部財界人としては安田善次郎も大物です。彼の話は戦前の講談社の雑誌などによく載っていました。それを読みますと、安田善次郎が金を貸す基本方針は「目一杯貸すが、返還期日は絶対に延ばさない」ということです。■「担保には目一杯貸せ。期限は一日たりとも待つな」 - 大島「担保には目一杯貸せ。期限は一日たりとも待つな」という安田哲学は非常によくわかります。ではケチなのかというと、そうではない。東大の安田講堂を寄付しています。安田善次郎は筋の立つ人です。やはり好きなタイプですね。■「目配り」の利いた人 - 渡部安田善次郎は方々を歩いて茶屋に入って茶代を置く時、「一銭置け」とか「十銭置け」と言ったそうです。秘書がどういうわけかとその理由を尋ねると、お茶が出がらしか、初めての葉っぱか、それで差をつけるのだと答えた。田んぼを買う時もこんなエピソードがあります。あの頃はよく「田地を買う」といったものですが、安田善次郎はそういう時必ず自分で出かけて行った。まずどこへ行くかというと、村のお寺や氏神様をお参りした。村の人たちは「この人は信心深い人だな」と思ったそうですが、実はそういうことではない。氏神様がきれいに掃除されているかどうかを見たのだそうです。お寺や氏神がきれいに掃除されている村は小作争議が起こらない。そういう村の田んぼだったら、これは買っても心配ない。普通の人では気づかないようなところに着眼して、事業を成功させた人です。あの人は本当に町の金貸しから身を興して安田財閥をつくった。そしてそれが戦後は富士銀行になったわけですが、前にお話しした「四分の一貯蓄法」の本多静六博士によく相談をしていたようです。本多さんが書いたものによると、安田さんは「自分は年をとったし、儲けるのはずいぶん儲けた。 これからは世の役に立つことに金を使いたい。 その相談に乗ってほしい」と言ったそうです。それで安田講堂を寄付した。日比谷公会堂も、安田財閥の寄付金で建てられたものです。特別の才能がありましたね。そして、さあこれからいよいよ本格的にロックフェラーかフォード財団のようになろうとした時、おかしな男に殺されてしまった。■東京湾大改造も計画 - 大島安田善次郎は東京湾の大改造も考えていたようです。今でいう新幹線もつくろうとしていました。非常にスケールの大きな人でした。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.15
■ワンマン経営論 - 大島弥太郎で思い出すのは、「三菱は家業である。 したがって毀誉褒貶はすべて岩崎弥太郎一身に付託する」という言葉です。これはすごい。この独裁はすごいと思います。そして、そう言いながらも弥太郎は、番頭さんたちをみんな賢い人間に育て上げていった。ここも見習うべき点です。大体、目覚しい業績を挙げ、躍進的な成長を遂げている会社の経営者は皆ワンマンです。小さな会社だからといって「友だち感覚」でやっているところは絶対に成長しません。私も経営者はワンマンでなければいけないという主義です。常に「SFCGの社長は大島健伸である」と思っています。ワンマンといってももちろん、、自分の意のままにならないと機嫌が悪くなるような「わがまま」ではいけない、衆知を集めた上で、最後に自分が決定する。その責任は私が取ります。すなわち、「衆知を集めて独裁する」ということです。的確な決断力と統率力で社員をぐいぐい引っ張っていくワンマンでなければいけないのは当然です。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.14
■金子直吉の「天下三分」の書 - 大島私は好んで富豪や財界人の伝記を読みます。「先人の知恵」を掴みたいという気持ちがあるからです。日本の財界人では金子直吉が好きです。鈴木商店を日本一の商社に育て上げた金子直吉は第一次大戦の最中、ロンドンの支店長に宛てて「今こそ、三井・三菱と並んで天下を三分する絶好の機会だ」とハッパをかけ、それをそのとおり実現します。彼は『三国史』にならって「天下三分」という言い方で、新興企業の社員たちのエネルギーを燃え上がらせたわけです。その時の手紙がまたいいのです。《この戦乱の変遷を利用し大儲けを為し三井三菱を圧倒する乎 然らざるも彼等と並んで天下を三分する乎 是鈴木商店全員の理想とする所也 小生共是が為め生命を五年や十年早く縮小するも 更に厭ふ所にあらず 要は成功如何にありと考へ日々奮戦罷在り 恐らくはドイツ皇帝カイザルと雖も 小生程働き居らざるべしと自任し居る所也》戦乱を利用して飛躍するのだという考え方は、動乱の時代こそチャンスだという私の思いにも重なります。物産時代、金子直吉の「皇帝カイザルと雖も小生程働き居らざるべし」という文面を借用して、オーストラリアの上司に啖呵を切ったのはお話ししたとおりです。ただし、三井・三菱を抜いて鈴木商店を日本一の商社にした彼も、金融恐慌で破綻してしまいます。だから私は「ハッピーエンドの金子直吉になるんだ」と自分に言い聞かせています。いくら「日本一」になっても最後に潰れてしまっては意味がありません。私は、破綻しない金子直吉を目指しているのです。三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎も好きです。三井物産の入社試験の時、「尊敬する人物は?」と訊かれて「岩崎弥太郎」と答えてイヤな顔をされたことがありますが、本当に尊敬できる財界人のひとりです。■桶は底が漏るのが怖い - 渡部最近読んだばかりですけれども、ある時、三菱の番頭が金を持ち逃げしたことがあるそうです。みんなが大騒ぎしていると、岩崎弥太郎が、「そんなのは大したことじゃない」と言う。「桶の水を考えてみろ。 底のない柄杓で汲んだところでなんということはない。 しかし桶の底がしっかりしておれば、それでも水は溜る。 怖いのは底が漏っていることだ。 底から洩れば底のある柄杓で汲んでも水は残らない。 底が漏らないようにしろ」と。一杯、二杯、水を汲まれるのは怖いことではない、桶の底が漏っている方がよっぽど恐ろしい。これは、岩崎弥太郎の言葉としてはいいですね。何事であれ、底が漏っていてはだめです。やがて水は全部なくなってしまいます。至言だと思いました。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.13
■「新銀行東京」について - 渡部日本の銀行はその8%もなかなか守れなくて、今アップアップしている。ところで今度、東京都が商工ローンに代わるような銀行をつくろうとしています。これについてはどう見ておられますか?■都の銀行は大歓迎 - 大島それは是非ともおやりいただきたい。どんどん流動性を高めていただきたいと思います。我々の借主も東京都の銀行から借りていただければ、我々のところにはスムーズに返済していただけます。(笑)非常にいいことです。事業者金融の一番のポイントは、我々が全部のお金の供給者ではないということです。我々は資金の限界供給者なのです。「百」必要なお金のうち、我々は「二」とか「五」とか、そんなものしか貸し出せません。その他はやはり、先ほども言いましたようにタクシーに乗らずに、航空機とか汽車で行っていただきたい。ですから東京都に事業者金融をやっていただくのは大賛成です。■回収能カはあるか - 渡部大島さんの立場から見て大賛成だとしても、都民の側から見た場合、東京都の銀行がお金を貸すのはいいけれども、果たして回収能力はあるのかどうかが問題です。前の北陸の都市の例ではありませんが、誰も借りた金を返さないのでは困るわけです。いったい都に取り立てができるのかどうか。■「ノーコメント」 - 大島いやまだ、そこはノーコメントということで。■大銀行は取り立てをさぼった - 渡部しかし、そこが一番の問題です。大銀行を見ればわかります。大銀行は取り立てをさぼった。そして取り立てられない不良資産は国民の税金で埋めてもらった。都の銀行がそうなっては、都民税を納める我々としては困るわけです。 (以下、【第4章 「官」を撃つ】は省略)『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.12
■財政会議には民間の知恵も活用せよ - 渡部これは私の持論ですが、財務省の税制調査会でも何でも、経済政策を決める席には成功した消費者金融の人とか商工ローンの人、そういう人たちも入れるべきではないでしょうか。今はそういう人たちを入れないでやっている。だからうまくいかないのです。天保の改革だって、当時の大商人の鴻池だの三井だのを入れていたら、あんな馬鹿なことにはなっていません。経済がわかる人を入れなければ駄目です。何だかんだいってアメリカが一時の危機を脱したのは、株屋で一番儲けた人間(ロバート・ルービン)を財務長官にもってきたからでしょう。ルービンは世界的投資銀行であるゴールドマン・サックスの社長ですから、あれはうまい手だと思いました。■政府から守られたことは一度もない - 大島日本ではそんなことはちょっと考えられませんね。第一、我々は今まで政府から一回も守られたことはありません。たとえば1999年の商工ローン・バッシングの後、越智(通雄)さんという金融再生委員会の委員長は「商工ローン業者に邦銀が百億円単位の金を貸すのはおかしい、それは罷りならぬ」と言いました。共産主義国家でもないのに、政府が「どこそこには金を貸すな」というのはおかしいと思いました。資本主義国なのに、銀行の融資をああいうふうに規制するなんて、完全に間違っている。でも、我々は邦銀から全部金を引き上げられたわけです。その前の、バブル崩壊の引き金になった総量規制の時は、我々は「三業種規制」というのを受け、「ノンバンクと建設、不動産には金を貸すな」と言われて、本当に苦労しました。ですからアメリカのシティバンクと組んでABSを日本で初めてやりました。証券化という手法を切り拓いて、これで逃れました。あとは広く海外に資金調達の道を開こう、外国人に売り込もう、外国人にわからせようと考えました。海外のウォーバーグ証券とかベアリング社といった外資系金融機関を通じて、広く世界中から金を集めました。日本からではなく、海外へ迂回して資金調達をしようとしたわけです。■海外ネットワークはすでにあったのか - 渡部なるほど。彼らは日本の規制は受けませんからね。大島さんのところは、それまですでに海外とのネットワークは築いていたわけですか?■グッバイ・ジャパニーズ・バンクス - 大島いや、全然できていませんでした。三井物産を辞めて79年に「商工ファンド」を創業、89年に株式を店頭公開してから本当に久しぶりに英語をしゃべったようなものです。その間の十年間は「空白の十年」で、英語などしゃべる必要もありませんでした。ですから、その時から勉強をして、海外の各企業にプレゼンテーションをして・・・と、すべて「一」からのスタートでした。もっとも、私が海外へ目を向けるようになったのは、1988年のBIS規制の時からです。あの時、私は薄々おかしいなと感じました。戦前の日英建艦協定みたいに、たとえば英国が「十」戦艦をつくるなら日本は「六」とか「七」とすると。これは絶対に追い抜けないわけです。BISのあの自己資本比率の問題、あれについても私は欧米の銀行がアドバンテージを受けるものだと直感しました。自己資本を8%持たなければならないということは、分母が総資本で分子が自己資本ですから、増資などで分子をうんと増やすか、貸出しを押さえて分母を削るしかないわけです。だから、資金源を日本の銀行だけに頼っていては危いなと直感したのです。そこへ三業種への貸出総量規制が起こったものですから、私は1994年以降、特に生意気な表現ですが、「グッバイ・ジャパニーズ・バンクス」、つまり「日本の銀行よ、さようなら」という標語をつくりまして、資金はこれからは海外で調達しようと意を固めたわけです。同時に、公募増資もグローバルに世界中でやっていこうと決めた。94年以降すでに5回、公募増資を行いました。私が日本で初めてやったのは、海外の証券会社を単独主幹事にしたことです。ウォーバーグ証券です。それまでは野村とメリルリンチとか、日興とどこそこという形で日系の会社と外資を共同主幹事にするのが普通でしたが、私はウォーバーグ証券一社だけにした。日本の証券会社は抜きにしました。これは初めての試みでしたから英国の新聞には、我々は「グラウンド・ブレイカー」(最初の革新者)だと書かれました。そんなことをしながら着々と自己資本を厚くしていった。今自己資本比率は60%です。財務基盤は「絶対」といっていいくらい堅固です。そのおかげであの商工ローン・バッシングも乗り切れました。BIS規制は8%ですから、我々の60%という自己資本比率がいかに高いか、おわかりいただけると思います。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.11
■市がはじめた「消費者ローン」 - 渡部かつては私も「保証人制度」は問題ではないかと思っていたことがあります。しかし平均貸付額が400万円前後であれば、これはサラリーマンや公務員でも返せない額ではありません。友人のために一肌脱ぐこともできる額です。だから今は、そう問題はないなと思います。ところで金銭の貸借というのは、取り立てというか回収が難しいのでしょうが、こんな話を思い出しました。やくざの消費者ローンが問題になった時、北陸のある都市が「本当に困っている人には、市がお金を貸そう」と言い出した。これはどうなったと思いますか?■失敗に決まっている - 大島駄目になったに決まっています。■返す人が誰もいなかった - 渡部借りたお金を返す人がいなかったそうです。市の方でも取り立てるノウハウがないから、回収できない。一年ぐらいたってから、「あの件はどうなりましたか?」と訊いたら、「誰も返す人がいないので止めました」と。■行政が救うべきは破綻した人 - 大島そんなことをするのだったら、私は逆に、本当に破綻した人を救済してあげた方がいいと思います。行政は、破産してから救いの手を差し伸べればいい。その前にやってはいけません。モラル・ハザードに陥ります。金銭の問題はすべて市場のメカニズムに任せるべきです。経済改革についても、江戸時代には八代将軍・徳川吉宗(享保の改革)とか松平定信(寛政の改革)、水野忠邦(天保の改革)といった改革がありましたが、全部失敗しています。市場のメカニズムに行政が口出ししてはいけないと思います。そんなことをやりすぎると、世の中も暗くなります。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.10
■「金額限度付き、返済期限付き」の保証契約 - 大島あの時、私が国会でいろいろ言われたのは「商工ファンドの保証契約はおかしいじゃないか」ということでした。私は「根保証」ということについて自分で四コマ漫画を描いて、「金額限度付き、返済期限付き」の非常に明瞭な保証契約だということを明らかにしました。それまでは、いや、今でも銀行などの場合は「期間」について何も書いてありません。「金額」についても書いてない。そういう形の包括保証契約が一般的です。これでは江戸時代以前の高利貸しのやり方と変わりがない。お金を借りて、それが雪だるま式にどんどん増えていった挙句、借り手が「返せない」となったら、保証人になった人全部取られてしまうというのは、これはフェアではないと私は思いました。ですから私は、300万円なら、300万円の限度で保証をしていただく。期間は3年とか5年と明示をする。万一の場合はこれを保証人さんにきれいにしていただく、という方式にしたわけです。こうした限度がなければ怖くて保証人にはなれません。これは極めて穏当な形だと思います。ところが、この極めてフェアな金額、期限とも限度付きの根保証契約について、本質を解しない一部の政治家の人たちは、「それはおかしい」と言うわけです。中小企業や独立間もない会社の場合は、担保になりうるような土地やモノはなかなかありません。しかし、少なくとも事業をやるような人だったら、それを応援してくれるような先輩や友人、仲間やパトロンが必ずいるはずです。それくらいの人脈がなかったら、事業だってなかなかうまくはいきません。誰も保証人にならないという経営者には、我々も危くてお金を貸せません。そう考えたから、担保はなにも「モノ」ではなくて「ヒト」でもいいではないかと思って、保証人制度を導入したわけです。しかも今申し上げたとおり我々の保証契約は「金額限度付き、返済期限付き」です。それなのにこの本質を知らずに、印象批評をされるのは心外ですね。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.09
■「勘定合って銭足らず」 - 大島事業をやっていると、「勘定合って銭足らず」というケースは非常に多いわけです。■短期金利と長期金利はまったく別物だ - 渡部かなりの長期で借りるなら話は別でしょうが、当座を凌げれば銭はそのうち入るという場合は、金利なんて問題にならない。そういう短期金利を、大企業が十年単位で借りるような金利と一緒に考えてはいけないと思います。■商工ローンはタクシーである - 大島我々だってお金を10年、20年単位で借りていただきたくはないのです。基本的に、我々の商売はタクシーなんです。たとえば、東京から大阪や沖縄へ行くのにタクシーで行きますか、ということです。その場合にはJRを使ったり飛行機を使っていただきたい。運賃の安い定期輸送手段を使っていただきたい。つまり銀行と我々を上手に併用して下さいということです。我々はタクシーです。ドア・ツー・ドアで非常に便利です。雨でも、目的地まで濡れないで行けます。最短距離を短い時間で行けます。しかしタクシーで九州、沖縄、北海道まで行ったら馬鹿高いですよ。そういう場合は使っちゃいけません。私は、我々をタクシーだと思って、利便性を考えて正常に使っていただきたいわけです。そうすれば金利はそんなに高くはないはずです。これが我々の考えです。■人と状況によって価値は異なる - 渡部私の場合、自宅から都心までタクシーで出るとざっと6000円です。バスと私鉄を使って行きますと、3~400円くらいでしょう。まあ、十分の一ぐらいの値段で済みます。しかしその間の時間とか、乗り継ぎの手間、あるいはタクシーだったら静かに仕事ができるとか、そういうことを考え合わせると、私の場合はタクシーの6000円の方が安い。家から目的地まで連れて行ってもらえて、その間はラテン語の章句や漢詩の暗記もできる。私の価値観からするとタクシーの方がずっと安い。急場の商工ローンというのは、それと同じだろうと考えてよいわけですね。しかも大島さんがやっておられる仕事では、平均400万円前後だと知りました。■平均貸付額は400万円 - 大島400万円強です。平均で434万円。最高でも1千万円程度です。例外的に3千万円の貸出しもありますが・・・。■返せない額ではない - 渡部平均400万円だとすると、これは、多少金利が高くても返せない額ではありません。400万円借りて25%の金利なら年に100万円、月に8万円台強、1日3千円弱の支払い金利です。それにもかかわらず1999年に商工ローン・バッシングが起こったというのは、やはり「日栄」の「目ん玉売れ!」といったような乱暴な取り立てがあったせいでしょう。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.08
■黒字でも倒産する時代 - 渡部だいぶ前、まだバブルの頃、ウシオ電機会長の牛尾治朗さんと食事をしながら話をしたことがあります。その時牛尾さんは、「今は会社はなかなか潰れませんよ」と言っておられました。赤字だろうが何だろうが、手形の決済ができれば潰れない。またあの頃は金融が緩んだ時代でしたから、いくらでも資金を貸してくれた。「だから、赤字だって潰れませんよ」と言っていました。ところが今は「貸し渋り」とか「貸し剥がし」といわれる時代です。中小・零細企業は黒字でも潰れることがあるわけです。政治家たちはここのところをどれくらいわかっているのか。■ベンチャー企業から感謝される金融業 - 大島先ほどもシェイクスピアやディケンズを出してお話ししましたけれども、金融業者というのはまったく評価されません。先日もある本でちらっと読んだのですが、「お金の商売をする人は妬まれる」と書いてありました。「金融業者はだいたい攻撃される」と。これはロスチャイルド以来、金融業者の宿命なのでしょうが、しかし実際をいえば、ほとんどのお客さまから本当に感謝されているのです。今の時代は独立して起業する人も多くなっています。さて、一本立ちして事業をはじめて、一番途方にくれるのは何かといったら運転資金です。仕事は順調にスタートを切ったとしても、取引先からの手形の支払い期日は90日先、つまり3ヶ月先などということはザラです。しかし、さしあたっての運転資金が必要だから一日でも早く割ってもらいたい。そこで銀行へ飛び込む。ところが取引実績がなければ門前払いを食ってしまうわけです。そこで我々のところへ相談にいらっしゃる。そんな時にうまく条件が合ってSFCGで現金化できたというケースが銀行より圧倒的に多いわけです。そういう人たちは心底我々に感謝してくださいます。私はベンチャー企業の経営者に会う機会が多いのですが、「創業時にはお世話になりました」と挨拶されることが多いのです。また、うちと付き合いのあった会社で、後に上場した会社も少なくありません。金融業には守秘義務がありますので、お客さんの名前を申しあげるわけにはいきませんが、私が今社名を覚えているだけでも、数十社の上場会社がかつてはSFCGのお客さんでした。「おかげさまでこのたび上場の運びとなりました」と、うちに挨拶に来られた社長も多いんですよ。■金利より現金が重要な時 - 渡部要するに中小企業というのは赤字か黒字かという前に、月末に決済できないことが怖いわけです。決済日を越えれば、また金は入ってくる。だから金利などあまり気にしなくてもいいようなケースが多いはずです。実際は黒字だけれども少々払い込みが・・・という人が借りにくるわけですから、金利よりは、さしあたっての現金の方がよほど重要でしょう。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.07
■金があるのに返さない面々 - 大島一番不合理だと思うのは、弁護士を雇って「余分に支払った利息を返せ。金利を15%に引き直せ」と言ってくる人たちです。こういう人たちは、事業が破綻したから返せないと言っているのではないのです。それどころか、「利率を下げろ」と言って弁護土を雇って主張してくる人は、お金を持っているから弁護士を雇える人なわけです。お金を持っている、すなわち我々の貸したお金で急場をしのいで経済的に成功している人なのです。それなのに、契約した金利で返そうとしない。これは異常です。我々のお金を使って事業に成功した時は何も言わない。ところが今のように「借りたカネは返すな!」などという風潮になってくると、その人たちが今度は弁護士さんを使ってイチャモンを吹っかけてくる。そしてそれが通りそうになってしまう。日本のダブル・スタンダードの一番酷いところだと思います。ある特殊な弁護士団体が声高に叫ぶと、その意見が通ってしまう。これはとても怖いことです。声が大きいところが勝つというのは非常にまずいと思います。■良貨を駆逐すれば悪貨がはびこる - 渡部ああいう左翼弁護士連中は、口先では弱者である債務者を救うのだと、さも正義の味方のようなことを言っていますよね。正義の味方なら、国選弁護人のように無料で弁護を喜んで引き受けているかというと、実はそうではないのでしょう。自分が弁護料でお金儲けをしたがっているから、裁判をしているのでしょうね。大島さんがやっていることは文明的で、私のような素人から見ても一応リーズナブルです。それなのに悪者扱いされる。そこで私が恐れるのは、大島さんのようなところを圧迫するとどうなるかということです。事業をやっていれば決済のためにお金が必要になって、ローン会社から借りなければならない人は必ずいるわけです。その時、SFCGのような会社がなければ、闇金融のように恐ろしいところに行かざるをえない・・・。■商工ローンの「マクドナルド化」 - 大島渡部先生もずい分過激にことの本質をついてこられますね。私がSFCGでやろうとしていることは、端的にいうなら事業者ローンの「マクドナルド化」です。今までは少々わけのわからないところがあった業界でも、SFCGへ行けばちゃんと一定の品質を守ったお金が借りられる、というふうにしたかったのです。ローンのハンバーガー化です。事業者がお金を借りる時は「遠くの親戚より、近くのSFCG」というのが我々のモットーです。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.06
■近代的な貸借をわかっていない政治家たち - 渡部隣の人にお金を貸す、あるいはちょっとお金を借りるのとは違います。もちろん、そこで暴利を取ってはいけないけれども、きわめて個人的な金の貸し借りとは違う。それなのに契約が済んでから金利をどうこういうのは近代的なセンスではありません。議員の連中は何にもわかっていないなと思いました。■フランスには高利貸しはいないという嘘 - 大島そのとおりです。そのうえ、ノンバンクを目の仇にする弁護士は、「フランスは素晴らしい。フランスには高利貸しは存在しない」などとありえないことを言っている。そんなはずはない。ハンフリー・ボガートの「ペペルモコ」やジャン・ギャバンのギャング映画じゃありませんが、フランスはギャングもれっきとして存在する国ですよ。そして、ギャングのあるところ闇金融の高利が存在します。それは常識でしょう。■左翼系弁護士は非諭理的 - 渡部ああいう連中はこれまでも「北朝鮮は素晴らしい」なんて言っていたわけだから、全員、北朝鮮へ強制送還したらいい。だいたい左翼というのは基本的に欠陥があるわけです。彼らは「私有財産否定」の立場です。私有財産を運用して儲ける時、人のお金(私有財産)を借りたら利子がつくのは当たり前なのに、元来が私有財産否定だから、どうしてもそこが理解できないのでしょう。冗談抜きで、左翼の人は日本なんかにいないで、中国へ行って中国民衆のために働いたらどうかと思います。それも、豊かになりつつある中国沿海部ではなくて、いまだに非常に貧しい山間部へ行ってみじめな労働者たちのために活躍する。そこからはじめたらいいと思います。ある弁護士が言ったそうですね。「商工ローンで金を借りて期限まで返せないと、彼らはさらに期限を延長したり、追い貸しをしたりする。これでは追いはぎみたいなものだ」と。そう言われたものだから、日栄かどこかは「では、追加は貸さない」と言った。そうしたら弁護士は「それはやめてくれ」と言い出した。論理もへちまもありません。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.05
■「利子は悪」という思い込み - 渡部日本人はカトリックでもないのに、中世のカトリック信者みたいに何が何でも「金利が悪い」という思い込みがあるのではないでしょうか。金利は、タダより高いと必ず「高い」といわれる。カトリックの場合は、簡単にいえばこういうことだったわけです。つまり、困った人がいる。病気の人がいる。そういう人に小麦を貸す。そして病気が治ってその小麦を返してもらう時、利子みたいにして余計に返してもらうのはよくないといったわけです。だから金を貸しても利子は取るなといった。ところが産業が発達してきますと、病気だとか、暮らしに困っているということではなくて、自分が儲けるためにお金を借りるという形態が出てくる。この場合は当然、金利を取るべきだ。これが近代なのです。また、そうやって産業も発達してきたわけです。■プロとプロの賃借関係 - 大島金融のアマチュアが借りる消費者金融と違って、私たちのような事業者ローンの場合、お客様は自分で事業をやっていて、自分が儲けるためにお金を借りるわけです。ですから、お金を借りる方もプロなのです。消費者金融のお客さんは、印鑑証明を持っていないか、持っていたとしてもほとんど使ったことがない人が大半だと思います。しかし、我々のお客さんである中小企業経営者の場合は、印鑑証明なんてしょっちゅう使っている人たちです。銀行取引はありますし、手形を発行したり受け取ったりもしている。取引に際して不動産などの担保を取っている会社も多いのです。また、毎年の決算では、支払い金利は経費として計上されて税額から控除されます。消費者金融では、金利が経費控除されるなんてことはありません。つまり、私どものお客さんは会社の経営者なのですから、つまり経営と金融のプロなのです。こちらもお金を貸すプロである。いわばプロとプロとの間のお金の貸し借りなのですから、借りた時点では、私は利息制限法を知らなかったから利率を変えろなんて、これは通る話ではありません。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.04
■闇金融が跋扈しはじめる - 渡部闇金融が跋扈するようになったというのは、金利が下がりすぎて、リーズナブルな金利で金融ができなくなったからというわけですね。■このままではモラル・ハザードに陥る - 大島かつての109.5%という金利は、1年借りると倍になってしまう。そんな金利から、現在29.2%と4分の1にまで下がっているわけです。ノンバンクは価格破壊の優等生なんです。銀行系のクレジット・カードも消費者金融も商工ローン会社も、すべてそのあたりの同じようなゾーンで戦ってしのぎを削っている。先ほども言いましたように、利息制限法の15%でやっているところなんて全然ありません。一社もありません。しかしそれは違法ではないわけです。貸金業法というれっきとした法律があって、そこにはこう定められているわけです。貸金業者はちゃんとディスクロージャーをしなさい。契約書類は顧客に渡しなさい。顧客から元利金を受け取ったら、その都度ただちに領収書を発行しなさい。また顧客に強要して営業をしてはならない。任意でやりなさい。そういうことも決められている。結局、通常の商売におけるレシートを出しなさいという当たり前のことを決めているわけです。そしてこの当たり前のことを守れば、貸金業者は出資法上限金利の29.2%まで利息を取っていいですよと、そういう法律ができているわけです。我々はそれをきちんと守っています。ところがその貸金業法が簡単で当たり前のことをいっているにもかかわらず、浅野内匠頭を吉良上野介が細かな規則や慣例などを持ち出していじめたように、本当に重箱の隅を突っつくような形で、一部の弁護士が「返す時は15%に引き直せ」といってくることがあるのです。たとえば、銀行振込みの場合は「その都度、元利の領収書類を直ちに渡せ」といわれても書類は渡せません。それでも「遅滞なく書類を発行しなければいけない」という規定があります。ですから、我々は受け取り証書を後から送っています。契約書面も「貸付利率」「返済方法」「返済期間」等々、細かく記さなければいけない。それこそ重箱の隅を突っつくような規定があるわけです。そして、それがひとつでも満たされない場合は、「出資法の29.2%は認められない。利息制限法の15%に引き直しなさい」と、裁判所がいってくることがあるのです。29.2%で契約したのに、後になって15%に引き直せという。そうなると貸金業の債務は、法律用語でいう「自然債務」すなわち、賭けごとの債務と同じようになって、債務者は払っても払わなくてもよいというおかしなことになってしまいます。ある高名な商法の学者は、こんなバカげた返済請求がまかり通るならば、金融業者に支払われる金利は、神社仏閣のお賽銭にも劣ってしまうことになるので、おかしいといっています。賽銭箱に入れたお賽銭を返せという参拝者はいないのに、金融業者に払った金利は返せといわれる。お賽銭を返せといわれたら神社仏閣が成り立たないように、金融業者の経営も成り立たない。だから、こんなバカな利息制限法利率への引きなおし請求など認めるべきではないというのです。要するに、15%と29.2%の間に非常に曖昧なゾーンがある。こんなヘンな国は日本だけです。何度も言うようですが、借りる時は「29.2%でOK」といっておきながら、返す時には「15%にしろ」といって弁護士を雇って値切ろうとしてくる。これでは我々にすれば、「ツル(鶴)だと思って貸したらサギ(詐欺)だった」(笑)という笑い話にも何もなりません。異常ですよ。我々にすれば、これは計算できない損失です。こんなことが罷り通ったら、日本の経済はメチャクチャになってしまいます。やはり、上限金利は出資法の29.2%に絶対に一本化すべきです。そうでなければ、ますますモラル・ハザードが強まってしまいます。だいたい我々は、リスクをとっているわけです。スコアリングによって借主さんのリスク評価をしているわけです。ここのところは本当に自己責任でやっています。回収できる相手かどうか、必死に見定める。そうやって我々も貸倒れリスクをとっているわけです。従ってスコアリングで弾けなかったリスク、すなわち、残念ながら貸倒れになってしまった場合のリスクは自己責任で取っています。ただし、借りる時は出資法金利(29.2%以内)で喜んで借りて、返す時になると利息制限法金利(15%)に引き直せといってくるような、モラル・ハザード・リスクは、スコアリングでは計測できません。だから金利は絶対に出資金利(29.2%)に、一元化すべきです。ダブル・スタンダードではなくシングル・スタンダードにすべきです。そうなれば、競争原理によって金利をもっと下げていくところが出てくると思います。モラル・ハザード・リスクを考慮する必要がなければ、その分金利が下げられる可能性が出るわけです。すなわち、正直者が得をするというわけです。もっと競争をしながら健全な業界をつくれると思う。今は不合理すぎます。利息制限法と出資法の二本立てというのは、完全にモラル・ハザードの温床です。ちなみに、アメリカはどうかといえば、たとえば週給制の労働者に対して貸し出す「ペイデイ・ローン」というローンがありますが、この実質金利は数百%になることもあります。アメリカの大手銀行のカード・ローンについても手数料を入れますと、実質的には4割前後になる場合すらあります。すなわち、日本の出資法の29.2%に違反しているわけです。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.03
■「利息制限法」と「出資法」の関係が問題 - 渡部そこで知りたいのは、「利息制限法」と「出資法」の関係はいったいどうなっているのかということです。■上限金利は下がり続けた - 大島金銭の貸借契約に際しては、原則として貸主と借主の間で自由に利率を決めることができます。原則的にいえば、私はこれでいいと考えています。金利は自由に任せた方がいいというのが私の意見です。余談ですが、昔、町奉行の遠山金四郎は「さすがだな」と思える意見を吐いています。当時も高利の金がありましたが、そういうものについてこう言っています。「あまりにも高利だったら、そんな金は借りる人がいない。だから、だいたいのことは任せておけばいい。金の問題でぎゅうぎゅうやると、窮屈な世の中になる。不自由になるよ」と。これは当たっていると思います。金利も自由に任せておけばいいのです。ただし現実には「利息制限法」という法律があって、金利の上限が定められています。それが15%です。ところが全部の貸借を利息制限法でやりなさいといったらどうなるか。どういうことが起こるかといいますと、アメリカのプライムレートは1980年前後のレーガン時代、20.5%という時期がありました。これが最優遇貸出金利、すなわち、日本でいえばみずほ銀行のような大銀行が、新日鉄や東京電力のような巨大会社に貸付ける金利なのです。従って、日本の利息制限法(15%)を守れというのであれば、アメリカの巨大銀行を全部ふん縛ってしまわないといけない。あるいはアメリカの長期国債についても、その頃は、18.5でしたから、アメリカ国家も利息制限法でふん縛らなければいけなくなる。こんな馬鹿な話はありません。したがって、消費者金融や信販会社の小口ローン、あるいは銀行系のクレジットなどでも15%の利息制限法でやっているところはありません。資金コストというものは時代や状況によっていくらでも伸び縮みします。利息制限法を作った方々はそのあたりの事情をよく知っていたものですから、制限利率を決める一方で、「債務者が任意に払った場合には返還請求はできない」と決めています。これが利息制限法の一条二項です。また、利息制限法には違反者に対する罰則規定もありません。金利契約は自由にやりなさいと、利息制限法はいっているのです。では、もう一方の「出資法」とはどういう法律なのか。利息というものは基本的に暴利はいけないという趣旨でつくられたのが出資法です。そして利息制限法より高い上限金利が定められ、違反者への罪則も決められました。戦後すぐの昭和24年、山崎晃嗣という東大生が「光クラブ」という闇金融の会社をつくって失敗し、最後には自殺するという事件がありました。続いて昭和29年には伊藤斗福のいわゆる「保全経済会事件」が起き、それで出資法ができたのです。最初は109.5%という上限金利が定められました。消費者金融がものすごく伸びたのは、上限金利109.5%の時代に原始資本を蓄積できたからです。ところが1980年代の初めあたりに、サラ金が社会問題になりました。すごいサラ金バッシングが続いた。あの時、109.5%という金利は高かろうというので貸金業法と出資法が改正され、73%に引き下げられたのです。その後も徐々に下がっていくわけですが、わかりやすくいいますと、・109.5% (1983年以前)・73% (1983年)・54.75% (1986年)・40.004%(1990年)・29.2% (2000年)ということになります。40.004%の段階は、借主にとっても貸主にとっても非常にいい状況でした。いってみればハネムーン関係が続いたわけですけれども、我々が槍玉に挙げられた1999年の「商工ローン・バッシング」を機に、一気に29.2%に下げられたのです。そうすると、どうなったか。かえって闇金融が跋扈するようになったのです。というのも、29.2%が上限だというなら、3、40%のあたりでちまちま違反して摘発されるくらいなら、1000%とか2000%の暴利を取ってボロ儲けした方がよいということになってしまったからです。また、この29.2%ヘの金利引下げによって、小規模ではあっても良質な金融業者も廃業を余儀なくされました。その真空地帯に、山口組系五菱会系の闇金融グループのような連中が闇金融として市場に登場してきた。闇ですから被害は何兆円ともいわれています。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.02
■バザールの経済だ - 大島私が学生時代に経済学の教科書として読んだ本に、ノーベル経済学賞を受賞したポール・サムエルソン教授の書いた「サムエルソンの経済学」という書物がありました。そこで「合成の誤謬」という経済現象が紹介されています。貯蓄に励むことは、個人としては美徳なのかもしれませんが、すべての個人が貯蓄だけをすることは社会全体にとっては最適とはいえません。消費が行われず貯蓄ばかりが行われる経済の行く末は、不景気どころか経済全体の破綻につながります。このように、個々人としては最適と思われる経済行動をとっても、それが必ずしも社会全体にとって最適の経済行動とはならないような状況が、「合成の誤謬」です。出資法金利を約束して借りた人が、利息制限法金利を越えた分を返せと主張して我々を訴えるということは、道義的にはともかくとして、経済的利得だけを追求する借主にとっては最適な経済行動かもしれません。しかし、こうした行動をすべての借主が取るとすれば、信販、クレジットカード、消費者金融、事業者ローンといったノンバンクの金融分野は壊滅することになり、結果的には日本経済全体に対しても大きな打撃を与えることになります。これはまさに合成の誤謬です。そして合成の誤謬が行きつく先は、「バザールの経済」です。発展途上国に見られるバザールには、「定価」というものがありません。何かを買おうとすると、必ず価格交渉をしなければならないのです。私が商社マンとして駐在していたインドネシアでは、ベチャと呼ばれる人力車が交通手段としてよく使われましたが、ベチャには日本のタクシーのようなメーターは付いていません。だから、乗る前には毎回必ず値段を交渉しなければなりません。価格交渉に要する時間が乗車時間より長い場合もあります。戦後の焼け跡闇市時代が終わってからは、日本経済からこんな非効率なバザールの経済は姿を消したはずですが、彼らの主張を認めれば、こんな非効率的な経済が復活することになってしまうのです。「約束した出資法の金利では返さない。利息制限法の金利を越えた分を返せ」という彼らの主張は、要するに約束(契約)を無視するということです。契約したことを認めないのですから、渡部先生がおっしゃるとおり契約の履行に基づいた近代的なビジネスは成り立ちません。『異端の成功者が伝える億万長者(ビリオネア)の教科書』(渡部昇一氏・大島健伸氏共著)より
2005.01.01
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