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可愛いドラキュラもいる。すべてのドラキュラが恐ろしいわけではない。数ヶ月に一度、ほんの少し血をなめればそれで気が済むドラキュラもいる。 深夜の列車の中で、私の目の前に酔いつぶれている中年の男性がいる。若い女性が「大丈夫ですか。」とその男性の耳元で話しかけている。もちろん返事はない。 ほんの一瞬である。彼女がその男性の耳たぶに噛みついたのである。2,3秒間の行為である。耳たぶからそれほど血が出ているようにも見えない。血を吸うというより、少しなめた程度である。彼女はそれで事足りたのであろう。すっと立ち去って行く。 ただ、私はそうはいかない。これからあの男の血液の半分はいただかないと生きていけない。そういうわけで、毎日、深夜になると電車に乗って獲物を探している、他のドラキュラの邪魔にならないように。#97
May 31, 2009
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カップを持つわたしの手が少し震えたのか、真っ黒いコーヒーの液面が大きく揺れて液体が真上に跳ね上がった。そしてチャポンという高い音をたてて、飛び跳ねた液体がまたカップの中に戻った。「これはまずい。」と、カップを持っていたのとは反対の手で慌ててカップにふたをした。 透明な魚が飛び出ようとしているのではないかとわたしは恐れたのだ。これがオフィスの人々に見つかってはならない。もっと凶悪な魚に、もっと邪悪な魚に育てなければいけないのだ。必要なものは狂気である。 もともとこの魚がどこにいたのか、わたしは知らない。もしかすると、自宅のマンションのすぐそばを流れるY川にいたのかもしれない。 Y川はそれほど大きな川ではない。子供が石を投げれば対岸に容易に届いてしまう。幅がせまいだけではない。深さもあまりない。夏のある日、わたしはY川を横断したことがある。 浅いと言えども滑って転んだら流されてしまう。慎重に歩を進めていたときである。そのときにわたしは初めて透明な魚を見たように思う。透明だから体が透けて見える。ただし、透明と言えども水とその魚体の屈折率は微妙に異なるのだろう。その魚の輪郭が見えたのである。手を伸ばして捕まえようとする間すらもなかった。5,6匹はいただろう。透明な魚の群がわたしの横断する方向を横切って川上に向かっていった。わたしの視線がいやでもその方向を追う。 突然、水面を突き破って透明な魚が次から次へと空中に飛び出したのである。魚たちは大きく跳躍し、その魚体は柔らかいガラスのようにうねり、輝いた。透明な魚の輪郭をわたしは確実に捉えていた。その魚体は再び水中に落下すると予期した。しかし、実際は魚が最高到達点で一瞬止まったように見えて、魚体は消えたのである。 わたしは透明な魚を捕まえてみたくなった。だからと言って、川の中に入って網で透明な魚をつかまえようとしたり、川岸から釣り上げようとしたわけではない。そうすることがほぼ無駄であることがわかったからだ。透明な魚は空中を飛ぶ。飛ぶと言うよりは空中を泳ぐと言った方が的確かもしれない。 雨上がりにY川に沿って走る自動車道の脇を歩いていたときのことだ。歩道の水溜りから透明な魚が跳び出した。わたしはあっと小さな叫び声をあげた。しばらくはわたしの眼前30センチぐらいのところをわたしの歩調に合わせるように進んでいく。わたしは両手を合わせるようにしてその透明な魚を捕まえようとした。しかし、わたしの指先がその魚に触れるか触れないかというぐらいのときに、魚は消えたのである。 それ以来である。透明な魚は河川の近くや田んぼの水辺と言わず、どこでも、本当にどこでも、少しの水気でもあれば、例えば、建物内部の洗面所やトイレ、コップの中の水からでも、突然、ふっと現われる。その度にわたしは捕まえようとするのだが、まったく触れることができない。 しかし、その魚はわたしは意識している。わたしの周辺にいつも存在している。わたしの感情に呼応して透明な魚が泳いでいるように見える。 ある日、わたしは見たのである。通勤電車の中で、その透明な魚が年配の女性の喉笛を襲っていた。その彼女の首に大きな口を開いて噛み付いている透明な魚が、わたしにははっきりと見えた。彼女や周囲の人々にはその魚は見えないのかもしれない。彼女は突然下を向き、激しくむせた。すると、透明な魚は喰いついていた喉から離れるとふっと消えた。 帰りの通勤電車の中でのことである。立っていたわたしの前に座っていた人が立ち上がり、疲れていたわたしは席が空いたことにほっとした。その人が出やすいようにわたしが少し後ろに下がり体を斜めにしたときに、脇からその年配の女性がすっと割り込んで空いた席に座ったのである。まったく詫びれた様子もない。そんなときである。わたしの口の中から、もしかすると胃液かもしれない、透明な魚が現われ、彼女を襲った。 会社の仕事の最中に言葉で傷つけられたとき、それが昨日まではとても気が合う人だとしても、彼の喉笛を喰いちぎってほしかった。駅のホームやスーパーマーケットの売り場といった日常のささやかな場所で、マナーを守らず横柄な人がいれば、その人を懲らしめてほしかった。 その思いが募るにつれ、透明な魚がときどき現われるようになり、単に現われるだけでなく、本当にその人の喉笛を襲うようになったのである。もっとも被害者は血を流すわけではなく、今のところ、多少咳き込む程度なのだが。確かに、わたしの思いはこの透明な魚には伝わっている。その思いが強ければ強いほど、透明な魚は凶暴になるにちがいない。 わたしに必要なのは、狂気である。人をあやめてもかまわないという狂気がわたしを満たすとき、この透明な魚は喰いついた喉笛から離れることはなくなり、わたしの忌み嫌う人々の生存を脅かすにちがいない。 日常の生活に疲労し、そのうち狂気がわたしを覆うかもしれない。その日をわたしは楽しみに待っている。
May 24, 2009
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どうしてこんなことを覚えているのか不思議だけれども、わたしがまだ小学生の1年か2年の時だったと思う。 学校から家にまっすぐ帰るのが習慣だったわたしは、ある日の午後、ひとりで居間にいると、あたりは妙に静まり返っていてどうにも落ち着かなかった。 そんなときにブーンという音が耳元で聞こえ、蚊がわたしに近寄ってきていることを感じた。この明るい時間に蚊が飛んでいることはあまりなかった。多くの場合、警戒していてもふと気づくと、例えば足のすねの反対側の筋肉あたりにかゆみがあって、指で掻くとすぐにそのあたりがぷくんと膨れてくる。 そのときもやっぱりそうだった。既に蚊に刺された後で、二の腕のあたりに刺された跡があった。そのときまた「ぶーん」という音がしたからそのあたりで思い切り両手を打った。 すると「くしゃり。」という音がして両手を開くと、小さな硝子の破片のようなものが一瞬きらきらと輝いて飛び散った。何かが間違いなく潰されたが、それが生命の宿る有機体には思えなかった。飛び散った破片のようなものはとても小さくて拾い集めることはできなかったけれども、両手を開いたときの一瞬の輝きは印象に残った。 子供だったからそんなことはすぐに忘れてしまったけれども、そのことをはっきりと思い出したのは、大学受験に失敗し浪人をしていたときだ。予備校で模擬試験を受けていたときに、どうも足首のあたりが痒い。指でそのあたりを触れてみると、いかにも蚊に刺されましたというようにぷくりと膨れている。ともあれ今は試験に集中しないといけないと気を取り直してまだ白紙の部分が多い答案用紙の問題を読み直していると、「ぶーん。」という音がして、わたしの眼前を蚊が飛んでいる。普通は蚊は黒っぽく見えるのだが、それは硝子細工でできているかのようにきらきらと輝いて見えた。 反射的に両手を打った。試験中で静まり返っていた教室の中だけにその音は恐ろしくよく響いた。皆がわたしの方を振り向き、試験監督官が慌ててわたしの方にやってきた。しかし、わたしの関心は開いた両手から零れ落ちたきらきらと輝く硝子のような破片に対してであった。 硝子細工のような蚊が存在するという生物学的な関心よりも、わたしには芸術的な啓示を感じた。わたしはわたしの感性を信じた。この感覚は今までの人々では感じたことのないものだ。わたしに表現する手段があれば、わたしは新しい感性を切り開くことができると思った。 わたしは大学の志望校を変更した。経済学や商学といった実利的な分野よりも、芸術に正面から取り組もうと思った。若かったせいもあるだろう。さらに浪人することを恐れることなく、芸術分野でトップの国立大学を目指した。 ただ、こうして老いてみるとその若い時の情熱がいかに無駄なものだったかよくわかる。結局、能力や才能がない人間が夢を見たに過ぎなかった。その後さらに2年浪人したが、目指す大学に入ることはできず、あまり聞いたことのない私立大学のアート系の学部に入学した。自分の作品はその大学の教授にすら注目もされず、就職先も小さな広告代理店に過ぎなかった。 結局、わたしは世の注目を集める作品のひとつも生み出すことはできなかった。わたしの半世紀以上生きた証は何も残らず埋没していく。しかし、年をとるとそれもやむをえないと納得できるようになるものだ。 よちよち歩きの孫がわたしのところに向かってくる。それがわたしには嬉しくてたまらない。そのうち座布団の上で昼寝をするだろう。ときどき孫の柔らかい足に蚊が忍び寄ってくる。わたしは孫を守るために、蚊を両手でたたく。その音に孫は寝ていてもびくっと体を動かす。 わたしはもう驚かない。硝子細工のような蚊がいて、潰された破片がきらきらと輝いても。
May 17, 2009
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これは夢である。夢であるにちがいない。 おそらく妻は、わたしがいつの間にかいなくなってしまうことを願っていたのかもしれない。外見的には幸福な家族が形成されていて、でもそれが自分ではどうしようもないような力で、わたしが消えてしまう。例えば、交通事故や病で、もしくは、地震でも台風でもそんな天然災害でわたしがいなくなってしまう。妻はそんな運命を静かに待っていたように思う。 妻のその思いはそんなに強かったのだろうか。 ふとわたしが気づくと、わたしという思念が野球のボールのような球体になって自分のマンションの床に転がっている。わたしは体を小さく丸めているという意識はないのだけれど、球体、しかも透明な球体になっている。 置く場所がそこしかなかったという理由で、畳の敷いてある部屋に妻の鏡台が置いてある。わたしの意識が回復し始めたときに、偶然、その大きな鏡が見えて、わたしはわたしの姿を理解したのである。透明といっても、純粋な空気とは屈折率が異なるのか、角度によってはわたしという球体が見えるのである。直径は10センチくらいであろう。 わたしという球体はわたしの意志で移動できるのだろうか、それとも空気の流れに押されて勝手に転がってしまうのだろうかと考えた。鏡台のある畳の部屋の隣のリビングルームに行きたいなと思うと、ころころと球体は転がりだして、畳の部屋とリビングルームの段差で少し跳ねたが、リビングルームの絨毯の床に無事到着したのである。そうか自分の意思で動けるんだと思った時に、妻がべランダから中に入るために、リビングルームのガラス戸を大きく引いたので、外の風がびゅっと中に入ってきた。するとわたしはその風に物理的に抗しきれなくて、今度は自分の意思とは無関係に転がり出すではないか。 わたしが球体になっても、妻がわたしを探す様子はない。もしかすると妻は気づいているのかもしれない。 わたしは、風と掃除機と妻の足には気をつけた。風に流されないように、掃除機に吸い込まれないように、家内の足に踏み潰されないようにである。家内が意識しているのか、していないのか、わからないが、時々、球体のわたしのすぐそばを通り過ぎていくことがある。その度にわたしはひやっとしている。もしかすると妻が、「あなたをいつでも踏み潰せる。」ことを示すためにわざとやっているのかもしれない。 危険が少ないと言う意味からも、深夜が一番落ち着いていられた。時々転がるだけという運動量の少なさのためなのか、わたしが思念として存在しているためなのか、ほとんど眠くならない。深夜、玄関とリビングの間の廊下にいて、球体という形態のために多少ふらふらとしている、そんなときをわたしは好んだ。 その日も一睡もすることもなく朝を迎えた。朝の空気を取り入れるためなのだろう。妻がリビングのガラス戸を少し引いて、さらに、廊下の突き当たり、玄関のすぐ横にある部屋の窓を開けたとき、たまたまわたしは廊下に転がっていて、突然、室内に流れこんだ室外の冷たい風の思った以上に強い力に慌てふためいた。わたしという球体は床を離れ、宙に浮いて、窓のある方向に飛ばされていく。その開かれた窓には網戸が引かれていない。五階のマンションの窓からわたしは飛び出していくのか、もはや絶対絶命と思った時に、妻がリビングの窓をばしんと閉めて風がなくなった。 妻がわたしを助けてくれたのだろうかと考えながらわたしは廊下に転がりながら戻り、そんな考え事をしていたためか、日頃あまり行かない台所にまで行ってしまった。自分のいる場所に気づいたときと「あっ。」と叫んだのがほぼ同時であった。 妻の足は大きい。かかとと指の間が普通の人より長いように思う。その足の裏がわたしという球体の真上に落ちてきたのである。 妻はわたしを助けたのではない。風にわたしが飛ばされて行方不明になるよりも、自らの足でわたしを踏み潰したかったのだ。いや、台所という妻の領域にわたしが入ったことに対して怒ったのかもしれない。それとも、単なる偶然なのか。 妻の行動の理由はどうでもいいことであった。ともあれ、わたしは転がることもできず、真上から妻の圧力をまともに受けた。 でも、ここから先はさすがの妻も予測できなかっただろう。 わたしは妻の足の圧力で潰れたのである。しかし、血や肉が飛び散ったわけではない。球体が破裂して、サランラップのよう透明なシートになって、木の床のように見える台所のビニールの床に張り付いたのである。そしてビニールの床と同一化した。 そういうわけで、ここ2,3日、妻は執拗に台所の床を濡れた雑巾でこすっているけれども、わたしは何も物理的に感じることはなく、床から毅然として妻を眺めている。
May 10, 2009
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娘は幸福ではないと思った。 しかし、そんなことをあからさまに聞いてどうなるというのだ。確認する意味がない。形だけでいい。本当に豊かで幸福な人生をどれだけの人間が送っているというのだろう。家があって、一定の収入があって、子供がいて、外から見て家族のように見えるのであれば、それを幸福として受け入れなければいけないのだ。 春になると庭に生えてくる蕗(ふき)を摘んで醤油とかつお節で煮る。庭で自生する蕗はそれほど太くないので蕗の皮は特には剥かない。蕗の醤油煮は娘の夫の好物だ。娘はあまり食べないのだけれども、その夫は本当に好きだ。そういうことから、毎年、この季節になると煮込んでは娘のところに送っている。 電話で娘の夫と時々話すのだが、それなりにわたしと話をする。特に不満はない。それでも娘は幸福ではないと思った。親の六感でそれは確かなような気がした。頑なで人と交わるのが下手な娘だ。その性格はいまも変わっていないだろう。それがやはり影響しているのかもしれない。 それでもいい。ともあれ、ここまで来たのだ。ずるずるとこのまま今を引きずっていけばいい。それをわたしは願っている。 蕗には発癌性物質が含まれている。これは科学的に実証されていることだ。しかし、加熱すればほとんど問題がない。そもそも蕗は毎日大量に食べるものではない。ただ娘の夫は異様に好きで、放っておいたら茶碗一杯の蕗をぺろりと食べてしまう。 今朝方、娘のところに電話した。しばらくの間話していなかったので、声を聞きたくなったのだ。娘は不在で、娘の夫がかわりに出た。それほど話すこともなかったが、娘の夫は気を使ってのことなのだろう、すぐには電話を切ろうとしない。その気の使い方に好感が持てたが、やはり娘に対してどうなのかということが気になった。 蕗の煮る時間がいつもより少ないような気がした。それは発癌性にも影響するのだろうか。例年よりも苦味が強いようにも感じた。それがわたしからのメッセージとしてなんとか娘の夫に伝わらないかとわたしは祈った。
May 3, 2009
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