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日常に埋もれて私は動けなくなった。さらに日常がのしかかってきて私はその圧力で化石になった。子供は化石を蹴っ飛ばそうとする。意外なことに、妻は最初から化石だったら良かったのにとつるつるとした化石の表面をなでている。#118
Nov 29, 2009
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わたしもこんなものを売ることになるとは思わなかった。 人々が本当に求めているものが何かをわたしは知ってから、これをわたしのビジネスにしている。しかし、これで沢山お金を儲けることを意図しているわけではない。わたしが生きていくためには多少のお金が必要だけれども、それより人々を助けたいという思いの方が強い。そして人々も感謝してくれていると思う。 いつの間にか都市の人々の生活から闇がなくなった。暗い夜道がなくなった。煌々と輝くネオン燈、深夜まで働き続ける人々のための高層ビルの室内灯、輝度の強い車の前照灯、人々の英知が闇を殺した。大部分の人々は闇が消滅したことを喜んだ。 しかし、ベッドタウンを突き抜ける高速自動車線のすぐ脇にある民家の老婆が望んだものは、漆黒の闇なのである。その老婆が子供だった頃に感じていたような、夜、外の便所に行くときに妖怪やら化け物が潜んでいると信じるにたる闇である。限りなく広くて距離感を失ない、わずかな音すらも人々を恐怖に陥らせる闇である。 わたしの性格がこのビジネスのために役立った。わたしは決して暗い性格ではない。人々の前では暗い顔、不機嫌そうな顔、憂鬱そうな顔、そんな陰のある表情を決して見せなかった。だから、わたしがその場にいるだけでその場の雰囲気がよくなると言われた。これは自分が小さい子供の時からそうであったと思う。しかし、それが高じて、いつの間にか、どんな人にも嫌われないように、さらに、嫌われないのではなく好かれるように行動することを意識するようになった。人々が嫌がることを進んで引き受け、困っている人、苦しんでいる人が目に付けば、必ず、彼らを助けたのである。 それが報われれば、また、違う可能性が開けたかもしれない。実際は、頼めば何でもやってくれる人間、使いやすい人間と見られたらしい。サラリーマン生活30年間はわたしにたいした地位を与えてくれなかった。助けてあげた人々も、助けた時は大変感謝してくれたが、すぐにそんな気持ちを忘れ、わたしが苦労していても、助けようという気持ちすら起こさない。 こうしてわたしの心の中に鬱積していくものがあったのだろう。それが心の奥底に沈んでいき、長いサラリーマン生活の間に堆積してコールタールのように粘着質な真っ黒なものになったに違いない。 真夏の一日、じりじりと照りつける太陽とコンクリートの照り返しで外回りをしていたわたしは気持ちが悪くなった。頭がくらくらしてきて、同時に吐き気がした。ネクタイを取り、ワイシャツの首のボタンを外した。それでも吐き気が抑えられない。わたしは溜まらず嘔吐した。 胃の中の物ではなく、心の中の今まで鬱積していたものが溢れ出た。ぶおっと出てきたもの、直径十センチぐらいの丸いもの、それが闇だった。 太陽のぎらぎらした強靭な光すらもその丸い闇を通過できなかった。その丸い闇の中では、完全に光は遮断され無限の闇があった。 太陽の下では結局氷が溶けてしまうように、わたしが吐き出したこの闇も太陽光の影響で徐々に薄れていった。しかし、できたばかりの闇の大きさは小さかったけれども、それを見つめると完全に光のない世界があることが容易にわかった。 わたしは高速自動車道路のすぐ脇に済んでいる老婆に、この完全な闇をプレゼントした。深夜、わたしは老婆の家の前に車を乗りつけると、そこで嘔吐した。わたしの体からでてきた闇を手で掬い上げると、老婆の家のカーテンが引かれ既に室内灯も消えている窓めがけて、それを投げつけたのである。自動車道路の両脇に立つ街路灯も、深夜と言えども続けて何台も通り過ぎていく自動車のヘッドライトも、もはや老婆の家に入ることはできない。完全な闇が老婆の家を包んだ。 これはビジネスになるとわたしは考えた。完全な闇を欲している人は予想以上に多かった。ただ、気をつけなければいけないことは、必ず前払いでお金を受け取っておくことだ。人々は完全な闇を手に入れて、再び目を覚ますことはないからだ。
Nov 22, 2009
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「ほら、ピアノの音が聞こえてくるような気がしませんか。」フーゲン・ボーアの黒い絵「黒いピアノ」を見ながら、画商にそう言われると確かにそんな気がしてきたのだ。画商はさらに続けて「もしもピアノの音が聞こえてこなくなったら、本当の闇の中でこの絵を見てください。原因がわかるかもしれません。」この絵はフーゲン・ボーアの描いた絵であるのは間違いない。この黒い絵の中に私は確かに黒いピアノが見える。いくら周囲の人々がこの絵はキャンバスを黒く塗りこめただけで、わたしはだまされていると言われても、わたしには見える。その上、ピアノの調べが聞こえてくる。しかし、買ってから1週間もするとピアノの音がぱたんと消えた。相変わらず、ピアノはその黒い絵の中に知覚できるというのに。わたしは画商の言葉を思いだして、深夜、自宅の地下室にその絵とともに閉じこもった。電灯を消して、地下室の中に完璧な無音と完璧な闇を作り出すと、その絵の黒い世界と地下室の闇が繋がった。わたしはその黒い絵の中に入り込めたのだ。手探りで絵の中にはいっていき、わたしは黒いピアノに到達することができた。わたしの指は黒いピアノに誘導されて曲をかなで始めた。すばらしい音色だった。わたしの技量をはるかに超えて、わたしはピアノの付属品と化して曲を引き続けるのだった。どれほど引き続けたのだろう。いつの間にかわたしはピアノを弾くことをやめられなくなっている。ふと気づくと、自分の足元に人が倒れているではないか。以前の黒いピアノの奏者であったにちがいない。あの画商の声が響いてくる。次の顧客にこの黒い絵を説明している。「ほら、ピアノの音が聞こえてくるような気がしませんか。」#117
Nov 15, 2009
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わたしは最適の時を待っていた。子供ながらにわたしは計算していた。雪かきをしていた老人が屋根から落ちた。わたしはその瞬間を見ていた。老人がどすんと落ちたのに続いて、屋根からかなり大量の雪が落ちた。老人はもはや自力では起き上がれないようであった。落下地点あたりの雪がしばらくもこもこと動いていたようであったが、やがて動かなくなった。頃合いを見て、わたしは近くの民家に息を切らせて飛び込み、「大変だ。老人が屋根から落ちた。助けてあげてください。」と叫ぶ算段だった。わたしは、その老人から何度も厚くお礼を言われたかったし、周囲の大人たちからも賞賛されたかった。そのためには、落ちた老人がそれなりに苦しんでいなければいけなかった。受けた苦しみとそこから助け出されたときの感謝は比例することをわたしは知っていた。そろそろいい頃だと思って、わたしは思い描いた行動をとろうとしてふと気づいた。なぜ、落下した直後に大人の助けを求めなかったのかとわたしは問い詰められるではないか。その可能性、その危険性に気づくとわたしはこの事故に対する興味を急速に失っていった。そこでわたしの記憶は切れている。その後、その老人がどうなったかは覚えていない。遠い、遠い子供の頃の記憶のためであろう。#115
Nov 8, 2009
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窓から外を覗いていると、人がゆっくりと歩いている。わたしは、つい、声をかけたくなる。「気をつけてくださいね。」声を振り絞っても返事ができないほど緊張している。まっさおな顔をして、地面を凝視しながら歩を進めていく。しかし、どんなに地面を見つめても無駄なのだ。埋まっている地雷が見えるわけではない。歩かないに越したことはない。家の中に閉じこもっているのが一番だ。おそるおそる歩いている人を眺めていると時間がたつ。どどどーん。地面が揺れて、人が倒れる。その倒れた場所が悪くて、また、どどどーん。家の近くにまだ地雷がたくさんある。このあたりには、何千、何万発と地雷が埋められている。それだけではない。破裂させても、誰かが地雷を夜の内に埋めにきている、そんな噂も聞いた。深夜、わたしが窓を開けたままで寝ていると、誰かが息をこらえて歩いている気がする。いや、あれは泣くのをこらえているのかもしれない。あの足音の軽さは、若い女にちがいない。夜の闇の中でも地雷は眼を覚ましている。いつ女は地雷を踏むのだろう。早く踏んでほしいわけではないのに、いつ踏むか、いつ踏むかと耳をそばだてている。女を心配していたのに違いないのに、いつしか爆発音を待ち望んでいる。女が平然と地雷をすりぬけられるなら、わたしもできるはずだ。明日、太陽が燦然と輝くときに、何年かぶりに外に出たい気もする。いつまで経ってもその音が響かず、わたしの感情が揺れる。女は通り過ぎた。歩ける可能性はある。しかし、それは自分の命を賭けた可能性で、わたしに恐怖心が芽生える。早くこの女が地雷を踏みつけてほしい。その可能性を断ち切ってほしい。長い間聴覚に意識を集中していることが私を疲れさせた。ほんの少しだけだが、わたしはまどろんだ。はるか遠くで、どどどーん。かすかにわたしは女の叫び声を聞いたような気がする。これは、夢だったのか、真実の音だったのか。わたしは、女の陰謀を見破った。この女こそ、わたしの家のドアのすぐそばに、わたしが第一歩を踏み出すところに、地雷を仕掛けたのにちがいない。明日になっても、わたしは決して外に出ないだろう、この安全な家から一歩も。#113
Nov 1, 2009
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