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透明であることは、わたしにとっては他人にから見えないという点が魅力なのではなく、何色にも染まっていない、汚れることがないということがわたしを引き付けている。肉体だけではなく、精神も感情も透明になってわたしは存在していることがたまらなく嬉しい。空気のように人々に気にされることもなくわたしは存在できるのだ。 透明になって犯罪をしようとする愚かな男たちがいるのは事実だ。実際、物理学的に透明であるという利点が活かされるのは犯罪の時以外にはないのかもしれない。しかし、わたしのように人間集団内のわずらわしい関係から開放されて、それでいて人間集団の中にいて孤立しているわけではない状況を喜ぶ人もいるのは確かだ。 親切な行為をするときに、少し照れくさく感じてつい躊躇してしまうことはないだろうか。盲人が通勤電車に乗っていて、立っている。吊革の位置もわからなくて、ドアのすぐそばにたち立ち尽くしている。「こちらの席が空いていますよ。」と手をさし延べる。そうすることが周囲の人々から浮いてしまう。周囲の人々がそのような親切な行為を率先して行わないからわたしがやるのだと、周囲の人々を咎めているようにとられるかもしれないとつい周囲を気にしてしまう。それはその個人の気持ちの持ちようかもしれないけれども、少なくともわたしは周囲が気になってしまう。 神がそんなわたしに同情してくれたのかもしれない。ある日、わたしが下宿で眼を覚ますとわたしは透明になっていた。わたしはベッドから起き上がるときに瞬間的にわかった。わたしは空気の中に紛れ込んでいく。その感覚をわたしは感じた。ガラスの破片のように空間に切り込んでいくわけではない。空間の中に包み込まれていく感覚をわたしは知って、感情も和らいでいった。もう人に傷つけられることも傷つけることもない。 本当にわたしの心の中は平和だったのだ。透明になって、得るものは沢山あったけれども、失うものは何ひとつなかった。 だから、わたしは老婆が駅のプラットホームから転落したときにも自然に体が動いた。それは当然の行為だと思った。ただ、透明になったとはいえ、その運動能力は普通の人間並みなのである、もっともわたしの場合は並みの人以下かもしれないが。老婆の体は予想以上に重いし、わたしは飛び降りたときに足をくじいてしまったようなのである。スーパーマンやバットマンのようにわたしが活躍できるわけはなかった。 プラットホーム上の人々はざわめいている。何らかの行動をしてくれと祈るしかない。 列車が見える。見る見るうちに近づいてくる。恐怖で体が動かないならまだ自分が許せると思った。しかし、もはや線路上に転がる老婆に眼もくれず、わたしは自分だけが助かろうとくじいた足を引きづりながら線路から離れようとする。老婆のもがく手がわたしのくじいた足首を捉える。その激痛がわたしを変えたのに違いない。つかまれた足とは反対の足で老婆を蹴りつけた。 「誰もわたしを見えないはずだ。」わたしはそれを信じながら、必死でわたしの足にしがみついている老婆の手首をもう一度力いっぱい蹴りつけていた。
Mar 29, 2009
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再生する大人たち もう五十も超えて人生をやり直せるというなら、それは狂気に近い思想しかないと思っていた。 わたしはその思いを実行したのだろうか。 わたしはこれから起き上がろうとしているようにも思えたし、逆に徹底的に打ちのめされこれから意識を失っていくようにも感じた。とにかくわたしは強烈な熱情に襲われ何かに向かって突進していったのだ。その肉体的な感覚や精神的な高揚が今もわたしの中に感じられる。 余程の行動であったのに違いない。そこに思い至ってわたしはぎくりとした。もしかするとわたしは人を殺めてしまったのかもしれない。 両手を目の前に翳してそこに何かがついていないか見ようとするのだが、周囲がまっくらで、もしかするとわたしは視力を失っているのかもしれないが、何もわからない。指で顔を撫ぜて、液体のようなものがつかないか、その感覚を探ろうとするのだが、この漆黒の闇の中ですべてが麻痺しているようだ。大体、指の一本だってわたしの思うとおりに動いているのか、まったくわからない。 ただ、音だけは確かに知覚している。どっくんどっくんと響いてくる。わたしの心臓、もしくは血脈かもしれないが、自分の内部と言うよりはわたしというもの全体を包み込むようにどっくんどっくんと聞こえてくる。 記憶が少し蘇り、わたしはアスレティッククラブから出ていこうとしていたことを思い出す。週に一度の水泳教室が終わって帰ろうとしていた。いつものようにわたしの一部失われた肺に思いを寄せながら、それでいながら、火照る筋肉に多少の満足を感じていた。 受付の年配の女が「お疲れさまでした。」と微笑みながら挨拶するのにわたしも応じようとし、ただそれだけではなくて、ついわたしの視線が彼女の顔にまとわりついた。彼女をどこか他のところで見かけた気がしたのだ。わたしに悪気があったわけではない。ひどい強度近視でもあるわたしは、その人の顔がよく見えなくてつい見つめてしまうことがある。 同時に、「この微笑は本物ではない。」とその瞬間思ったような気がする。それにこの女が気づいたのかもしれない。 微笑があっという間に醜悪な怒りに変わり、女は山猫か蛇のように顔をゆがめ歯をむき出すではないか。「くわっ。」と叫び声をあげると女の首がわたしに襲いかかる。 何百年、何千年も前にもこれと似たようなことがあった気がする。 そして、いきなりフルに充電された機械のように、わたしの感情が隆起し、それにつれてわたしの顔も醜悪にゆがみ、女の首に対抗するように口を開き、奇声を発する。 高揚しきった感情がそれからの記憶を忘却させて、わたしはこうして闇の中に放り込まれている。上下の感覚がない。わたしはどこかに落ちていく最中なのだろうか。ただ、この漲る充実感はどうだ。全力を尽くしたという余韻がある。不安であるとか、恐怖とかを乗り越えている。今まで生きてきた中で、決して平坦な人生ではなかったが、これほどの充実を実感したことはなかった。これこそが生きる意味だったのかもしれない。 わたしは生まれ変われる。再生する予感を感じていた。 しかし、わたしはあの女との一騎打ちに勝つことができたのだろうか。 わたしは女に喉笛を噛み切られたのかもしれない。いや、逆にわたしはあの女の頭を噛み砕いたのかもしれない。もしくは、相打ちで女も今のわたし同様に意識だけが存在を証明し、闇の中で体を横たわらせているのかもしれない。 どっくんどっくんという重い響きが伝わってくる。これはすぐそばにいるに違いない女の生命の音かもしれない。この女にも未来に向けて躍動する可能性はあるはずだ。 しかし、わたしはこの先どうなるのかまったく予測がつかないけれども、これこそわたしが再生する音であると信じている。
Mar 22, 2009
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まだ短い人生であると言うのに子供たちはやり直すと簡単に決めてしまう。 「やっぱり僕はとてもすごいお金持ちになりたいから」とつぶやくと、どこでそんなものを手に入れたのか、ポケットから丸い薬を取り出すとぱくっと口に放り込んでしまう。するとみるみる内に顔色が変わり、血の気を失い真っ白な顔になってしまう。それで彼の生涯の最後の作業は終わりだ。 有名大学に現役で入れなかったからとか、さらにさかのぼって有名受験高校に入学できなかったからと言って、人生のリセットを図る。例えば、何百億円、何千億円の資産を持つ大金持ちになったり、一国の大統領になったり、そういった並の人間ではありえない人生の華々しい成功をおさめるには、人生の途中でつまづくわけにはいかない。失敗して失った分を取り返すために努力するよりは、最初からやり直した方がいい。 小学校の夏休みや冬休みで習字の宿題が出たが、1枚の半紙に全部で6文字書かなければいけないとき、最初の一文字目を書き損じて、残りの5文字を真剣に書こうとするだろうか。二文字目以降の文字がいかに上手に書けたとしても、一文字目がうまくできていないからそれ提出することはできない。次の半紙をうまく書くための練習として、最初の一文字目を失敗してもそれ以降を書き進める心のゆとりを持つ人は少ない。 その上、人生をやり直すのと毎日の眠りにつく行為とどこに差があるのだろう。いずれにしてもその瞬間において意識を失う。自分を失う。今までの生きてきたという事実を夢にすり替えればいい。楽しかったことも、辛かったこともすべてを完璧にするために捨ててしまえばいい。 子供は親を選べない。選べないのであれば、最高の親にめぐり合うまでやり直せばいい。 狂気に満ちているわけではなく、あくまでも冷静に子供たちは判断し、自分の人生をやり直していく。 子供たちは再生すると信じている、血の気を失い真っ白な顔になってしまうその時まで。
Mar 15, 2009
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夜、深夜なのかもしれぬ。時間がわからない。 通勤電車の中。胸ポケットから携帯を取り出して時間を見るのもうっとうしい。 車内の人々の顔はなぜどれも不気味なんだろう。人々の肌が土色に沈んでいる。美しい顔、きれいな顔はない。人々の顔を見ると必ず見てはいけないものを見てしまったような気になる。 今日は本当に不愉快な日だった。久しぶりに出席した会議で役職が相当上の上司から言われたことが胸に刺さっている。年だけとって昇進できないということは本当に惨めなものだ。 勤務中はまだ逃げ場があった。目先の仕事に追われて意識がそのことに向かわなかった。帰りの通勤列車に乗って会社の仕事から開放され、気が緩んだせいであろう。侮蔑的な言葉を言われたその時の場面が思い返される。 とりあえずはこんな不愉快なことは忘れた方がいい。別のことに集中することだ。そう思いながらも意識がそのことから抜けられない。 二人の初老の女性が乗り込んできた。やはりこの電車に乗り込んでくると土色に覆われてくる。もっとも彼女たちの年齢が肌を土色にしていることは否めない。彼女たちは吊革に掴まっているわたしのすぐ横にくると世間話をし始めた。手に持つ荷物が重いのだろう。電車の床にそれを置いてしまう。 他人に親切にしてやろうと思った。日頃、そんな殊勝なことを考えたことがないが、不愉快な感情から一時的にしろ逃れるために、わたしは親切な行為で気を紛らわしたかった。 彼女たちの立っているすぐ前の席が一つ空いた。二つ席が空いたのであれば、一緒に腰を掛けたにちがいない。二人が互いに遠慮しているときに他の人が座った。次の駅で二人の内の一人が下車し、同時にわたしの前の席が空いた。神がくれたチャンスなのだろう。「どうぞ。」手振りを交えて、その初老の婦人に空いた座席に座るように促した。「いえ。」彼女が軽く拒否したが、わたしはもう一度「どうぞ。」と言った。彼女はわたしと同じぐらいの年かもしれない。 彼女は床に置いていた荷物を引き寄せながら、お礼を述べて座席に座った。 この親切で少しはわたしの感情が上向くはずだった。暖かい感情がわたしを救ってくれるはずだった。しかし、心の底に重く溜まった不快感は少しも去りはしなかった。 わたしは願った。わたしの前にすわった女の顔がみるみる内にどす黒く、その上、腫れあがっていけばいいと思った。肉が盛りあがり、反対に彼女の黒い眼は肉の中にうめこまれていくのだが、その眼光はわたしを捉えている。最初はやさしそうに見えていた眼がいつの間にかわたしを睨みつけている。そんな風にこの女の顔が急変してほしかった。 しかし、実際はその女の土色の顔色は社内の照明の下でそれ以上に変わりはしなかったし、女は眼をつむり安息を得ようとしていた。 わたしはこの世の中の何からも見放されたように消沈し、この列車が早くわたしの降りる駅に到着しないかと強く願っていた、早く到着することに何の意味も見出せないというのに。
Mar 8, 2009
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(新聞への投書) 私は自宅の近くのコミュニティセンターでボランティアとして働いています。ちょっとうれしい話がありましたので、投書します。 多目的ルームで、ジュースやお菓子、弁当を持ち込んで会食をしていたグループがいました。ところがごみを片付けないで帰ってしまいました。しばらくすると、中学生らしい女の子がひとり、その部屋にやってきて、ごみをゴミ箱にいれ、机や椅子を元に戻して、何事もなかったように立ち去って行ったのです。 この様子を私は事務室のモニターで見ていたのです。カメラの角度の関係から、後ろ姿ばかりでその子の顔は見えなかったですが、心が暖まりました。私にも中学生の娘がおりますが、今時の中学生も捨てたものではないと思いました。(投書が掲載された日の日記) おかあさんは、ボランティアだといって外を出歩いてばかりいる。たまには、家にいて私の話相手になってほしい。 しかし、おかあさんにはがっかりした。後姿で、自分の子供がわからないのだろうか。おかあさんとはもう口をきかない。#96
Mar 1, 2009
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