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これは完全に個人的趣味ですが、私はどうも音楽に限らず、小規模でも完全な整合性と完結さを持ったものに傾斜するみたいで、数式的な論理ではないにしても、云わば感情の論理のようなものが、夢のように鮮明に現れるものが好きです。その意味で、伊勢神宮だの平屋の木造住宅だのに強く惹かれるのですが、同じクラシックで言えば、この「大フーガ」や、バッハの「シャコンヌ」、あるいはいずれぜひ触れたいのですが、J・シベリウスの「タピオラ」などが無性に好きです(「タピオラ」は自己完結の極みのような高みにある音楽ですが、民族神話という射程を入れることで、外に開いているのです。こんな作曲家を一人持っているだけで、フィンランドの人たちは幸せですね)。 後期ロマン派には、その点で自身の感情の起伏に、しどけなく惑溺しすぎているところがあって、ワーグナーやブルックナーなどは、その多彩な表現に魅惑されつつも(大好きですが)、ちょっとオタク的部分で引いてしまうところがありますね。 ベートーヴェンはこうした個人的な感情に浸り込みすぎる危険を、早くから察知していたみたいで、あふれ出る楽想をフーガのような「宮柱」を打ち込むことで引き締めているのです。彼の音楽が建築的な構築美に例えられる所以です。 同じことが彼の変奏技法についても言えるようで、前にも触れましたが、ピアノ即興の名手であったベートーヴェンにとって、変奏技法の彫琢は必然的な方向ではありました。即興というのは云ってみれば、感情の起伏を野放しに表現することで、変奏というのはこうした自然物のようにばら撒かれた楽想に、もっともシンプルな秩序=論理を与える技法だと思うのです。 ジャズの即興に一定のCode進行の約束があるように、「ディアベリ変奏曲」では33曲にもわたるあらゆる変奏の論理的展開を徹底的に行いました。ここで彼が変奏技法について、集大成のようなものを意図していたのは明らかです。 自己表現などといえば、ベートーヴェンはその晩年の来歴からいっても、古今のどんな作曲家よりも言いたいことは山ほどあったはずですが(これはどこに書いてあったのか忘れましたが、晩年の彼は音を聞くためにピアノの鍵盤を舌でなめていたというのですが、考えてみれば完全に聴覚を失っても、音は身体にじかに響くのですね。ちょっとつらい光景ではあります)、それを制御する音楽技法の彫琢も忘れなかったのは、私たちには幸いでした。 いずれにしても、彼はまたしてもピアノによって、その音楽の革新を行ったのでした。彼のピアノ曲は、大傑作の第32番ハ短調1822年(52歳)と「ディアベリ変奏曲」1823年(53歳)で終わり、以後は翌年に書かれた交響曲第9番ニ短調『合唱付き』1824年(54歳)をのぞき、きわめて内面的で渋い弦楽四重奏を数曲数えるのみです。 ― つづく ―
2007.05.23
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「傑作の森」以降のベートーヴェンは、多様な楽想は影をひそめて、渋く内面的な響きに傾斜していきましたね。これには前にも触れた難聴の悪化や、家庭的な問題も含まれているのでしょうが、それらについては多くの伝記や批評が出ているので、ここでは触れません。 晩年にいたる彼の音楽に画期を成したと思うのが、1818年(48歳)の時のピアノソナタ第29番変ロ長調「ハンマークラヴィーア」と、以前にあげた年代別の重要作品でうかつにも掲げるのを忘れた、1823年(53歳)の時のピアノ曲であるディアベリ変奏曲(原題「ディアベリのワルツによる33の変奏曲」)だと私は思います。 晩年のベートーヴェンの関心の方向は、多様な変奏技法とポリフォニック(多声部が独立して重なりあって聴こえ、多声部でありながら単旋律を浮きだたせるホモフォニックなロマン派の音楽と異なる)な対位法の徹底的かつ論理的な追及に向かっているようにみえます。 「ハンマークラヴィーア」では、その終楽章に古今の音楽史に絶後といえる難曲を施して、音の響きというよりは譜面上の音列に関心があったのではないか、と思えるような長大なフーガが展開します(例のG・グールドは「真ん中に鏡を置いたような、完全に対称となる音列がいくつかある」と言っていたそうです)。これは今聴いてもほとんど理解不能の音楽世界で、演奏者はもちろん、聴き手にも批評家にも相当覚悟を強いる響きなのです。それを書いた彼の意図というのは、その後に現われた「第9番」(1824年、54歳)の第1楽章、第4楽章の対位法的な展開部や、最晩年に書かれた弦楽四重奏曲「大フーガ」(1825年~1826年、55歳)を聴いてみると、多少はその意図に触れることができるかもしれません。 ひらたくいえば、感情の起伏が露わになろうとした瞬間に、いわば意志的に多声部のフーガを放り込むことによって、音楽の外形をくっきりと型取ろうとしているように見えるので、それは形式(あるいは構築性)への偏愛という意味では、最後の古典派としての彼の矜持であるかもしれません。「ハンマークラヴィーア」では、その前の緩除楽章がベートーヴェンのたどり着いたピアノ曲の感情表現の極北(私の最も好きな音楽の一つです)といっていいほどに、深々とした響きを聴かせるのですが、その対置としての終楽章があまりにもかけ離れた響きなので、ほとんどの人が戸惑ってしまうという仕儀に相成ります。 これと同じような対置は、「第9番」でも長大な変奏形式の第3楽章と、それまでの楽章の全否定から始まる第4楽章の間に見られるのですが、「ハンマークラヴィーア」の対置に比べたら、よほど理解できる(できそうな気がする)構造にみえます。しかし逆にいうとこの「第9番」の対置は、何となく説明的に聴こえ音楽形式として果たして成功といえるのかどうか? 私はその点で当初、弦楽四重奏曲第13番の終楽章として意図され、後に独立した弦楽四重奏曲として取り扱われるようになった「大フーガ」が、このころの彼の意図をもっともよく表現した音楽に思えます。単一の楽章の中に意志的なフーガとホモフォニックな旋律が交錯して、12,3分の曲でありながら巨大な構築性と完結性を感じさせて、これなら他の部分は要らないと誰しも思うでしょう。 ― つづく ―
2007.05.22
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さて銃社会とは何か、銃規制とはどういうものなのか、というようなことを考えているのですが、戦後日本では銃というものが、一般からは縁遠い未知の範疇に追いやられて、なかなか知れる機会がない(あるいは知らさない)状態が続いていて、はなはだ現実感がないでしょう。かくいう私も銃どころかモデルガンも触ったことがないのですが、こういう状態というのは、ひょっとすると世界でもまれな社会かもしれないのです。 人は多くを語りませんが、戦前までは日本でも銃に触れる機会は結構あったでしょう。国民皆兵で男はすべて一度は小銃を握ったはずですし、学校でも軍事教練が行われていました。木製の模倣銃であっても射撃の訓練はごく普通の光景ではありました。日本における銃規制というのが、まるで秀吉の「刀狩り」以来のもので、万古不易の社会体制のように思うのは、戦後日本の大きな幻想の一つです(戦前は拳銃もしかるべき手続きを経れば、合法的に手に入ったようです。ある種の資本家や右翼の家の壁には、拳銃がごくあたりまえに飾られていたでしょう)。 こういったなかで、銃について語るには相当慎重にならないと、独りよがりな空想になりかねないので、例のバトンルージュの悲劇も、遺族の方には申し訳ないですが、日米の認識のギャップが露呈した事件ではありました。 法の網というものが、銃があるということを前提にかけられるのと、無いというのでは随分異なってくるような気がします。国民一人当たりの銃の数でいうと、とかく話題になりがちのアメリカより、おそらく国民皆兵のスイスやフィンランドのほうが多くて、それによって生じる自殺や犯罪は当然日本より多いでしょう。それでもあまり話題にならないというのは、いくら銃が社会一般にいきわたっていようと、それを統制する法の網がかぶせられているという前提が(実態はともかく)あるようにみえるからです。 アメリカの事件が何かと話題にのぼるとき、簡単に(ほぼ無制限に)銃が手に入るということが問題だという報道がよくなされますが、私に言わせるとそうではなくて、乱射する犯人も射殺する警官も、いったん銃を抜けばほぼ無法状態で撃ちまくっているように見えるのが問題なのです。バージニアの乱射事件に関して、なぜ32人も無抵抗に殺される前に誰か応戦しなかったのか、という論調がアメリカでは一部の報道にありましたね。 この発想の根底は法というのが人と人とのあいだの規制(人と神ではない)であって、いったん破るものがあれば武器で排除するしかない、つまり法より優先する思想があるわけで、そこにアメリカの建国の歴史をみる向きもありますが、この無法状態というのは、例えばアラブやアフリカのある種の国ならば、ごくあたりまえの光景ではあります(アフリカのある国などでは、いったん銃が撃たれると、たちまち市街戦のような状況を呈するようですね)。 要はアメリカというのが、ほんとうに法治国家なの、というゆらぎが、こうした乱射事件の連鎖で出てきてしまうのが問題で、アメリカ自身がいくら国内問題だと力んでも、こうしたイメージは国際関係においてもアメリカの振る舞いかた(attitude)についての一定の予見を抱かせてしまうのです。もちろんだからアメリカがアラブやアフリカ諸国と同列だといっているわけではありません、それでもスイスやフィンランドが銃社会とは誰も思ってないでしょう。イメージというのは大きいと思うのです。 とはいえ、3億の人口に4億丁とも5億丁ともいわれるほどに、銃が行き渡ってしまうと、銃規制がかえって市民の安全を脅かすというジレンマが生じてしまい、うかつに規制を行うわけにはいかないでしょう。考えてみれば、これだけ無秩序に銃が(薬物並みに)社会に蔓延していながら、乱射事件がこのレベルで収まっているのは、むしろまだしもマシと言うべきなのでしょうか。 それの根拠はかろうじて法秩序が生きているからでしょうか、はたまたお互いに武器で向き合っているから保たれている秩序なのでしょうか。 ― つづく ―
2007.05.16
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連休明けで何となく頭も身体も弛緩しているあいだにも、世の中はどんどん推移していくようで、フランスでは移民2世のサルコジ氏が大統領に選出されたり、国内では三角合併の解禁や憲法改正の手続き法案が可決されたりと、2週間ほど書き込みを休んでいるうちに、政治的にも社会的にも重要な動きがありましたね。 私のほうはというと、心身の洗濯をこのブログですることもできないほど、駆けずり周っていて、貧乏暇なしとはよく言ったものですな(自営業というのは、休みがないのです)。メタボリの若年寄や美女!事務が、優雅なる逃亡を敢行しているあいだこそが、私の仕事時間なのでした。というわけで、連休明けと共に戻ってきた従業員諸氏を追い立てて、私はやっとこれに専念することができるのです。 さて書きかけの表題がいくつか残っているのですが、それらについては、あせらずにまたの機会ということにして、先日のフランス大統領選挙、日本にはほとんど関係がないので、かえってこういう時のフランス人のattitude(態度、行為)を、高みの見物で興味を持って見ていました。血で勝ち取った共和制の歴史を持つフランス人は、一般に「思想は左、財布は右」といわれるように、外に対しては自国のPresence(存在感)を示す意味でも、反アメリカ=左的振る舞いをすることが多いのですが、内実は牢固たるヨーロッパ旧社会の保守のイメージがあって、今回どういう選択をするか面白味をもって見ていたのです。 今回の選挙結果は、こちらでは想像できないほど、フランス国内の社会的矛盾が大きかったことを示しています。21世紀は「移民の世紀」だとか、誰かが言っていましたが、旧植民地だけでなく、その政治的信条から世界各地の移民を受け入れてきたフランスが、方向転換をせざるを得ない状況になっていることを、フランス国民全体が感じているようで、サルコジ氏への権力付託というのは(フランス大統領の権力は、アメリカ大統領より大きいそうですね)、社会的矛盾解決のためには政治的信条など構ってられないということでしょうか。 とはいえ、サルコジ氏がハンガリー下級貴族とギリシア系ユダヤ人の子で移民2世であることが、今回の選挙のKeywordであるようです。日本で在日2世が首相候補になったと想定してごらんなさい(まあヨン様だったら別かもしれませんが)。移民でもフランス大統領であることを受け入れる度量というのは、現在のフランスが革命によって獲得せられた共和制によって成り立っていることによるので、フランス革命の主題は三色旗に示される自由、平等、博愛でありました。しかしこれは、移民でも何でも受け入れるということではなくて、移民に対して強いフランス化を求めているということでもあるのです。 というわけで、ここには移民が移民をより強く排斥するという論理が隠れているので、イギリスに帰化したアメリカ人のT.S.エリオットがイギリス人以上にイギリス的(はたから見てしんどいくらいに)であろうとしたように、サルコジ氏も同じ境遇に立つものに対して、むしろ酷薄であろうとしているように見えます。そして根っからのフランス人は移民2世であるからこそ強く当たれるサルコジ氏に期待しているのでしょう(同時に失敗すれば異邦人として片付けることができ、フランス的栄光は保たれるのです)。 このフランス人の選択がどういう結果を将来惹き起こすのか、というのは必ずしも日本とは関係がないので、ただ移民の子が国家の元首とは言わないまでも、都市や府県の首長でありうるという今の時代というのは、多かれ少なかれ日本においても現実味を帯びて考えざるを得ない流れなのでしょう。日本の平和主義と民主制、象徴天皇制に日本人以上に忠誠を誓った移民の子が出てきた場合に、はたして日本人にそれを受け入れる度量があるかということです。 同時に今の日本の体制が、はたしてそこまでの汎用性を持った体制なのか、これもまた問い直しの季節を迎えているので、憲法改正手続きの法案と三角合併の解禁は将来の日本を見据えるうえで随分大きな出来事だと思うのですが。
2007.05.15
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