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「空蝉」とは、「帚木」の帖の前半に描かれる例の「雨夜の品定め」で、好き者たちの「中の品の女」談議に刺激された光源氏が、最初に手を出す受領の後妻のことで、彼から見れば取るに足らない階級の女なのですが、結局手痛いしっぺ返しを喰らうという話で、短編として読んでもとても面白い。 いわば、ヨン様とかブラピのような天上の光り輝く貴公子が、しがない受領(しかも夫は単身赴任で家にいない)の妻に言い寄る構図で、最初からつりあわない相手であることは「空蝉」は百も承知。それでももとは中流貴族の出で、内心初老の夫の後妻であるわが身を情けなくも思い、光源氏にゆれる気持ちがある自分に気づく。ここに早くも寂聴さん云うところの「精神」と「肉体」の乖離というテーマが現われているのですが、私に言わせればこれは「精神」と「肉体」ではなく、「大脳」と「原始脳」の問題。 ここで大事なのはいわゆる没落貴族であっても、高い教養と矜持を彼女が有していることで、もし設定が成り上がりの受領の妻ならば、「空蝉」にことさらな階級差の意識は上ってこなかったであろうということです(成り上がりの妻ならば、源氏の愛をへりくだりながらも、甘んじて積極的に受け入れたでしょう)。彼女の聡明さとか気丈さは、弟の小君に対する指示のしかたによく現われているので、言い寄る源氏に小君を介して「ああ言いなさい、こう言いなさい」「こう言って断りなさい」「ああ言って、会えないことにしなさい」などなど、姉というより母親のような指図ぶりです。 対する源氏は小君を手元に引き取って、いわば「人妻落とし」のために彼を利用する。うまくいかないと小君を責める。「何とかしてくれ」と姉のところに赴くと、こんどは姉から怒られる、という仕儀で、それぞれの人物配置や語り口が冴えていて、最後はふられた光源氏が、小君に― 「よし、あこだに、な捨てそ(お前は、私を捨てるなよ)」 ― 同上と何となくユーモラスな感じが読後感として残ります。 ダメだと分かっていても、一度でも契りをかわしてしまった我が身体のなかに、源氏を求める信号が点滅する。この存在を認め、それを記述しようとした紫式部というのは、やはりたんなる文学的天才女性ではなく、結婚し出産も経て、夫と死に別れるという、人生一般の経験をしてから、物語を書き出したというのが大事だと思うのです。さらに言えば、たぶん結婚し出産した女でなければ、分からないだろう女の身体感覚というものを、自身の体験と女房社会の女たちに対する怜悧な観察で、とことん見究めてみようという強い意志があったのではないか。 はじめに光源氏の興味の対象は「年上貴婦人」というような話をしましたが、よく考えてみると、主人公が17歳前後であることを考えてみれば、恋の遍歴の相手はおのずから年上にならざるを得ないので、もう少し突っ込んで言うなら「空蝉」に限らず、あとに続く「夕顔」や、前後する「六条御安所」「藤壺」などなど、すべて相手はすでに男を知っている女たちだということです。 もちろん具体的な記述はないにしても、光源氏が手近な若い女房たちにかたっぱしから手を出していたであろうことは、頭の中将などとの若気の至りの競い合いで容易に想像されるのですが、紫式部が文章に書き記すに値すると判断したものは、そうしたドンファン物語ではなくて、成熟した女の身体感覚から感じ取れる、大脳と原始脳の乖離の感覚だったのではないか、人によってはこれを「女は子宮で、ものを考える」というような言いかたをされますが…。― つづく ―
2009.01.31
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宮廷内部のいわば私的生活を、こまごまと仔細に描くことが、そのまま当時の権力のしくみをあぶり出し、またそのしくみが、宮廷に依拠し伺候する女たちや、その一族の生活や運命を描くことになるという視点は、当時のこの物語の主たる読者層であった女房社会では、もっとも関心高くかつ切実な話題であったでしょう。 その方法として、彼女は宮廷社会を上から下まで自由に飛びまわり、かつ誰もそれを止めることができないというキャラクターを設定することで、実現しようとしたかのように思われます。 しかし、それはたんに並々の女なら手当たり次第という、好色一代物語ではなく、厳密に相手は選抜されているので、― かうやうに、例に違える、わづらはしさに、かならず、心かゝる御癖にて… ― 「賢木」(山岸徳平校注 岩波文庫)とは、六条御息所の息女である斎宮の女御に、懸想する光源氏を描いたときの記述ですが、元の斎宮(伊勢神宮に仕える皇女巫女)であり、新帝の后であるというような、「例に違える」事例(ハードルが高い相手)には、かならず好色を催すという性格づけは、世間一般が「およしなさい」と止める(禁止する)相手にこそ懸想する、という意味で、彼の重要なキャラクターなのです。 というわけで、「藤壺」との密通という天下第一の禁止を最初に飛び越えることによって、彼は希代のヒーローとなりえたのでした。やっぱりこの本来冒頭に描かれるべき決定的シーンがないというのはおかしいでしょう。爾後のエピソードは、いわばこの冒頭シーンの同義反復といっていいので、さながら宮廷内オデュッセイの観を呈します。 しかし禁止のハードルが高ければ高いほど、ますます思いが募るという、光源氏の英雄的性格像は、同時に男と女の性の深遠を、彼女に見つめさせることにもなりました。セックスには禁止や不快感が、大きければ大きいほど、逆に大きな満足を得られる(かもしれない)という生物生理的矛盾が、本来内包されており、彼女はここでもまた科学的知見がない時代であったのも拘わらず、ある程度正確にそのあたりの性の深遠を見究めていたかに思われます。 科学的知見とは、つまり個体としての生き物は本来異物を峻別し、外部と内部を厳密に区別することによって、その生命機能を維持しているのですが、セックスの場面においてのみ個体は外部に向かって開く、異物を受け入れることによって有限である個体の限界を乗り越えて、種全体の生存をはかっている、ということなのですが、そのときに起る性的快感というのは、日常的理性の統御する大脳系ではなく、はるか原始脳から発せられる快感物質(β-エンドルフィン)による一種の脳内麻薬作用で、マラソン選手のいわゆるランナーズハイ現象などと共通する作用です。そこでは苦痛や努力の歩幅が大きければ大きいほど、満足度も達成感も大きい(という感覚に陥る)。 光源氏が手出し無用の困難な相手にぶつかったとき、彼の思考回路は瞬時に大脳から、制御不能な原始脳に切り換わるので、彼自身それを分かっていても押し止めることができない。この人間の内部に潜む制御不能な信号を、彼女はどのようにして感じ取ったのか。それを看てとるに好い例が、はじめのほう「帚木」と「空蝉」のヒロイン空蝉にみることができます。― つづく ―
2009.01.30
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元来、一夫多妻の古代王権において、王の后と王の息子というのは微妙な関係でありました。ややもすると息子と第二第三の后の年齢は王との年齢よりも近く、この関係にはたん恋愛感情の危険だけでなく、権力奪取の危険も孕むのです(げんに藤壺の宮は、光源氏の五歳ほどうえの設定です)。 古代王権においてはこの危険回避の策として、息子に生物的な大人の兆候が発現した瞬間に、元服の儀式を行なって、息子を父のハーレムから追放したかのごとく思われ、みだりに近づくことは許されなかったであろうことは、源氏の時代でも本文に書かれているとおりです。 ここで私が古代王権といっているのは、もちろん平安中期摂関政治の時代のことではなく、王と王が直接権力闘争を演じていた飛鳥時代以前を指します。別の話でも触れたことですが、王の兄弟や息子というのは、本来的に王にとっては危険因子であるのですが、王権を支える組織にとっては、王たちの権力闘争というのは、より強いリーダーを生み出すために、構造的に内蔵されたしくみそのものであった(強いリーダーでないと、他の集団に滅ぼされる)とみることもでき、壮絶な闘争は組織社会的には、むしろおおいに望まれたのではないかと思われるのです。「古事記」や「日本書紀」の人代史は、さながら王たちの権力闘争史です。 しかしこれは、自分の領土を山に登って国見すれば、ひとわたりで見渡せるほどの牧歌的な時代の話であって、領地が日本の各地に拡がり始めた奈良時代前期には、王が直接統制する官僚機構が各地を治める大陸の律令制が制度的に定着したと思われます。律令制にあっては王の私的な権力争いというのは、統治の空白を生むので忌避され、むしろ王には権威だけを付着させて、実質的な権力は官僚が握るという組織に変貌したのでした。権威だけならば誰がなっても、組織全体が脆弱になることは無いのです。これがたぶん天武朝以後の時代にあたると思うのですが、兄から権力奪取した天武天皇は、自らと同様の行動を以後の組織で封印するためのしくみを作りあげたのでした。 では有力貴族が権力を操った平安中期というのは、どういう時代であったかというと、私領(荘園)で急速に財力を増した有力貴族たちが、権力の中枢たる天皇に自分の娘を送り込むことで、自分たちの血筋の皇子をもうけ、その外戚たる立場で実質的な権力を振うという構図に変貌した時代といえるのです。日本になぜ権威も権力も掌握(皇帝)して、その強い統制下での官僚(宦官・科挙)が育たなかったのか、という命題は今だ日本史の未解決の問題のようにみえますが、それはさておき、この摂関政の宮廷社会においては、権力闘争は必然的に天皇の私的生活の内部に関わってくることになるので、「源氏物語」はすぐれて当時の政治小説の一面も持ちうるということになります。 このあたり、紫式部がどの程度意識していたかは分かりませんが、彼女自身下級貴族の端くれである受領の娘であることで、少なくとも当時の政治制度のしくみは相当意識していたでしょう。ことに摂関政治の本質が、表向きの公事に存在せず、天皇を中心とした私的生活そのものである場合、それはストレートに下級貴族の女たちの生活にかかわってくる問題なので、彼女に限らず当時の受領階級の娘からは、いわば同時代の男たちよりもはるかに自意識に目覚めた女たちが数多く輩出したことはよく知られていますね。「源氏物語」のなかで、彼女が政治向きの話を厳密に排除しながらも、描かれる女たちの運命が、多く当時の政治社会制度に絡めとられて翻弄されているということを、彼女はよく知っていたのであり、言葉少なで間接的ではありますが、それを示すいくつかのエピソードも本文にはあります。 まあしかし、このへんの話はいささか彼女の印象を、社会派作家に傾けすぎるきらいがあります。こういう背景を充分に知悉したうえで、彼女は「源氏物語」で光源氏をどう描こうとしたのか。― つづく ―
2009.01.29
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さて生まれて始めて「源氏物語」を、現代語訳ででも通読したということで、多少興奮気味にながながとしゃべってきましたが、ここまで書いてきて、私のしゃべっていることなど、すでに多くの人たちが何度も指摘してきたことじゃないかという気がしてきました。屋上屋をかさねる話は退屈でもあるし、私の本意とすることがらではないのですが、かといって、1000年にわたる「源氏物語」論を渉猟して新しいことを見つけ出すのは、専門の研究者でもあるまいし、もとより不可能なことです。ここはひとつ自分の前知識をできるだけ更地にして本編を読んでみたい、そのとき私に残った新鮮な印象だけは、忘れないうちにできるだけ書いておきたい、という甘味な誘惑にかられて、書いて行くしかしょうがないかなとも思っています。 というわけで、話の重複や繰り返しは覚悟のうえで、「源氏物語」の大構造のようなものに入っていくわけですが、唯一この大長編を読み進めるにあたって、全体の道筋をたどるうえで参考にしたのが、先般亡くなった西郷信綱さんの本です。 西郷信綱さんの研究については、別の「歴史について」の話や「女性なるもの」などもそうなのですが、私のさまざまな考えかたの立脚点を成す人で、とくに「古事記」を中心とする古代文学あるいは神話の話は、学生時代からずいぶん読み耽っていたものでした。その話はまた別の機会ということになりますが、「源氏物語」については「日本古代文学史」 岩波現代文庫, 1951「詩の発生 文学における原始・古代の意味」 未來社, 1960、「古代人と夢」 平凡社ライブラリー, 1972、の「源氏」と「紫式部」に関連する稿を、今回あらためて読み返してみて、おおいに手を打つところがあったのです。以下の話はもちろん私の妄想ですが、唯一のネタはこのへんだと思っていただいて結構です。 ということで、まず「藤壺」のことなのですが、彼女の位置づけがはたして世評いわゆる、光源氏の母親思慕(マザコン)として理解されてよいのかどうか。むろんその気配が、一つのきっかけとして働いたことは否めないにしても、それが主人公の女性遍歴全体を支配する動因とするのは、ちょっと乱暴な気がする。というより母親思慕だけの主人公であってみれば、彼は稀代のヒーロー足るにふさわしいキャラクターを持ち得なかったのではないか。 先にも少し触れましたが、古来、英雄の条件とは「世間一般の禁止を、軽々と飛び越える」という、破壊行動の軽快さにあるので、この場合「藤壺」は他人の后だから禁止されているのではなくて、まさしく帝の第一夫人だからハードルが高いのです。この場合、母親似であることはきっかけではあっても、光源氏を英雄たらしめているのは、この世間第一の禁止を破るという行為によって保証されているのです。 先に「古事記」のスサノオノミコトの掟破りの話を引きましたが、神話の世界では掟(禁止)はまるで破られるために存在するかのようで、イザナギノミコトは焼け死んだイザナミノミコトの「な見給いそ(見てはいけません!)」の禁止を破って、彼女の死体を見た(暴いた)ために、冥界から命からがら逃げ帰る。死者の国の穢れをすすいだときに、左眼から天照大神、右眼から月読命が生まれる、というふうに国生みにつながっていく。あるいはまた、有名な山幸彦(ホオリノミコト)と、海神の娘、豊玉毘売神(トヨタマヒメ)の話、「産屋を覗くな」という禁止を犯して山幸彦が覗いたところが、姫が八尋和邇(ヤヒロワニ)の姿となって子を産もうとしている見て、びっくりして逃げてしまう。見られた姫は恥に思って、産んだ子(ウガヤフキアエズ)を置いて海に帰ってしまう。このウガヤフキアエズ尊(ミコト)の子供がカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)、すなわち初代天皇とされるのです。 このあたり、掟破りが、英雄の誕生=国の創造という共通の構造を、持っていることが見て取れるので、神話というのは一つのテーマを同義反復式に、繰り返し語るという特色を持っています。 では、英雄神話的な時代ははるか昔に去り、古代官僚王政による律令制が瓦解して、有力貴族による摂関政治が跋扈した、平安中期の貴族世界において、紫式部は光源氏のどこに新たな英雄像を見出したのか。― つづく ―
2009.01.27
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上のような大省略とは別に、紫式部の文章というのは、あれだけ長大でありながら、実際に読み進んでいると、省略と暗示があちこちに満ち満ちている文体なので、その中には「くだくだしければ、略す」式の、明らかに彼女が意図的に省略したものと、果たして最初から意図したのかどうか分からないものとがあります。意図的な省略とは、このあとは読者の皆さんがかってに想像してください、と放り投げたような書きかたで、たとえば「玉蔓十帖」に出てくる典型的なヲコ役の「近江の君」、「源氏物語」には侍従や乳母のような身分の低い脇役に、けっこうヲコ(ヲカシ)たる笑わせ役が多いのですが、「近江の君」は「末摘花」とならんで姫君?でありながら、「常夏」の帖で終始笑わせ役を演じます。 この人、内大臣(かつての頭の中将、光源氏の古くからの友人かつライバル)の落し胤ということに一応なっていますが、どうもあやしい、と内大臣は思っている。それというのも無類の早口、KYな行動、何一つとっても姫君の品格など見当たらず、女房たちに呆れられている。扱いに困った内大臣が長女の弘徽殿女御(こきでんのにょうご、冷泉帝の妃)のもとに行儀見習いへ出すことにするが、そのとき女御宛に送った挨拶の文や歌が、またまた支離滅裂で失笑を買う。女御のもとでは、さてどんなてん末が…というところで終わっているのです。 涙を流さんばかりに笑い転げながら、読み進めてきた読者はエッということになりますが、紫式部はこの手の出し惜しみというか、Skipはいっこう平気だったようで、簡単には読者に迎合しない性格でもあったようですね。 しかしこのような小さな省略は、別にこの長編を読み進めるにあたって、たいした問題にはならないのですが、有名な光源氏の死亡を暗示する「雲隠」という名称だけで中味がない帖、これをはたして彼女が意図的に省いたのかどうか。これもまたこの帖の名称自体の存否も含めて、古来諸説紛々ですが、近世以降は最初から書かれなかった(意図的に省略した)という考えかたに傾いているようです。 どういう意図で省略したかについても、さまざまな説があるようですが、はじめにあげた三部構造のこの物語の流れからみて、ヒーローの凋落と人間的たそがれの部分でもある第二部の結末を暗示に止めるというのは、彼女ならおおいにやるだろう、というのが一般的な考えかたでしょう。 それなら「宇治十帖」の結末は、あれで本当に終わりなのかといえば、第二部が暗示で終わっているのだから、第三部もまた暗示で終えたのだろう、暗示さえも省略したのだろう、ということで、これもこの物語の大構造からみて一応納得できます。 というわけで、話はまた「藤壺」と「六条御安所」のところに戻ってきてしまいます。この二人との逢瀬については、前にあげたような理由で、意図的に省略することができない構造的必然性があって、紫式部も聡明な人でしたから、そんなことは重々承知していたでしょう。 ではなぜそこの部分が書かれていないのか、丸谷才一さんは中宮彰子の後ろ楯である藤原道長の圧力(彰子入内後の寵愛の手段として、「源氏物語」を一条天皇に献上する場合、その内容を顧慮した)を示唆されているようですが、要は式部自身の意図とは関係のない外部的要因で、省略ないし削除が行なわれたのではないか、というのは、この二人の女性の話に関してはおおいに有りえるだろうというのは、私も今回通読してみて感じたことでした。 これは話の流れからいうと、光源氏誕生から元服の12歳までの「桐壺」の帖と、例の「雨夜の品定め」で刺激された光源氏が、中の品の女遍歴を始める17歳の「帚木」のあいだに起った出来事でなければならないので、主人公はすでに17歳までに「藤壺」とも「六条御安所」とも関係していることになります(正妻の葵上はもちろんとして、いずれも年上貴婦人であることがミソ)。この場合17歳が若すぎるだのと言うことは、一応除外するとして、これ以後の光源氏の物語は、ほぼ編年体で死ぬまで途切れなく書きつづられているのに対し、12歳から17歳の5年間だけが、なぜか空白になっているという不自然さは、やはりおおいに気になるところです。 「帚木」を読んでいると17歳の主人公は、すでにいっぱしの女遍歴を重ねていて、もっと新たな刺激を求めて、「雨夜の品定め」にうつつを抜かす希代の好き者たちの話に、耳を傾けているという構図になります。このときまでにすでに「藤壺」との密通が行なわれていたことは、「若紫」に出てくる二回めの逢う瀬の記述からみて間違いがないので、丸谷さんの「輝く日の宮」や寂聴さんの「藤壺」のように、この間に想像上の挿入を試みられるケースも出てきましたね。― つづく ―
2009.01.23
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古代や中世の、いまだ理性が世の中を照らしていず、ものの怪や鬼が夜になると大手を振って跋扈していた時代というのは、今と比べてよほど感情の起伏が激しく、かつその表しかたがしどけなかったであろうことは、日本に限らずヨーロッパでもJ・ホイジンガが「中世の秋」という本で明らかにしたことでした。近代以降の西欧啓蒙主義は、無分別な感情の吐露を抑制し、理性による世界のコントロールをもくろんだわけで、今どきの世界にはものの怪や鬼が入り込む余地はなかなか無いのです。 今皆さんの住んでいる、蛍光灯の明るすぎる部屋を考えてごらんなさい。今どきの家は昼間(理性世界)の延長としてしか住居をとらえていません。毎夜必ず訪れる眠りや夢を、古代人はごく普通にもう一つの実体ある生活ととらえていたのですが、近代以降の私たちは眠りとか夢に、ほとんど意味を見出さなくなってしまいました(近代人が価値と見なす生活形態にとっては、夢も睡眠も余計なものだからです。まあしかしこれも別の話)。 というわけで、近代以降の理性主義(脳化社会)の洗礼を受けた私たちにとって、それ以前の感情の表出に遠慮会釈のなかった人たちの生活心理を想像することは、すごく困難な仕儀となるわけですが、それにしても― なお行き行きて、武藏の國と下総の國との中に、いと大きなる河あり、それをすみだ河といふ… さるおりしも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水のうへに遊びつゝ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。 渡守に問ひければ、「これなむみやこ鳥」といふを聞きて、 名にし負はば いざ事問はむ みやこ鳥 わが思ふ人は ありやなしやと とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。 ― (「伊勢物語」下線筆者) といった調子で、家族を放擲してきた男達が、立ち行く先々で、残してきた妻子を思って、こぞって泣きわめくというのは、考えてみればずいぶん身勝手な話ではあります。 これと同じようなシチュエーションは「源氏物語」にもあって、例の「宇治十帖」のくだりで、匂宮が自分が無理矢理犯したのにもかかわらず、嘆き悲しむ浮舟の姿をみて、自分も悲しくなって涙を流す、というシーンがありますが、光源氏の時代の人々にとっては、ことの理非曲直より、我が身の感情の流れのほうが優先したのでしょうか。これはある意味、子供に近い心理構造といってよいのかもしれません。 まあしかし、これも和歌の問題と同様、昔の人はそんなものだったのかなあと、一応受け流しながら付き合っていくことができる範囲の問題ではあります。 重大なのは、むしろ三番めのこの物語の大構造からみて、当然語られねばならないはずの話が、この「源氏物語」においては、二つと云わず相当箇所省かれているのではないか、という問題です。特にはじめに挙げた「藤壺」と「六条御安所」との密通シーンというのは、「源氏物語」全体の構成上からいっても、光源氏を際限のない女遍歴に駆り立て、かつその自分の行為に、無意識にもうしろめたさを感じるという、彼の行動を特色づける重要な動因となるべき相手であるだけに、その逢瀬のシーンやその時の光源氏の心理がまったく触れられていないというのは、今どきの読者ならずとも相当戸惑うことになるのではないか。 帝妃である藤壺(義理の母)と密通するというのは、なき実母への憧憬が背景にあるとはいえ、父のハレムには手を出さないという、古代王朝からの暗黙の掟を破ることによって、この長大ロマンの主人公は英雄としての資格を得ている(スサノオノミコトが禁断の高天原に侵入して、大暴れするという掟破りをした結果、中つ国に放逐され、地上界の英雄となったように)わけで、その重要さから云って、この部分がないというのはヤッパリおかしい。というわけで、桐壺帝が崩御する「賢木」あたりまできて、本当にそのシーンが無かったのかどうか、もう一回はじめからページをバカみたいにめくったのですが、もちろんそんなものはありません。 六条御安所は、光源氏との密通後、その高いプライドと謎に満ちた素性から、生霊となり死霊ともなって、主人公を苦しめるのですが、なぜ彼女の魂だけが生身から「あくがれ出で」て、光源氏のヒロインたちにとり憑くようになったのか。これについても本文のどこを探しても、具体的な記述はなく、ひたすら他の貴婦人とはおおいに異なり、謎に満ちた、しかし格調高い女性としか説明されません。 前知識なさすぎ!と言われてしまいそうですが、ここまできて、しようがなしにいろいろな解説を読んでみると、こうした疑問もまた1000年のあいだ長々と議論が繰り返され、また新たな加筆を試みるといったことまでが行なわれてきたことがらで、いまさら不思議でもなんでもないことらしい。これは何も上の問題が、すでに解決されているということではなくて、この問題自体は誰でも知っている?ということです。今さらながら、本文を(たとえ現代語訳でも)通読もしないまま、「源氏物語」について、ざっとした文学史的前知識だけで、ある種の固定観念に縛られていた自分に気づくハメとなってしまいました。― つづく ―
2009.01.21
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「夕顔」の帖については、云わばゴシック・ホラー・サスペンスのノリで、受験時代の私は面白がっていたのですが、今回生まれて初めて「源氏物語」を寂聴さん訳と、途中から円地さん訳で通読してみると、新たな感想がムラムラとわいて出てきます。 「夕顔」の帖についても六条御安所の遊離魂に絡めて面白い話があるのですが、細かい話の前に全般的な読後感を言いますと、1. 煩瑣に挿入されている和歌をどう取り扱ったらよいのか2. 平安貴族は男も女も本当にあんなにしょっちゅう泣いたのか3. どう考えても語られないとおかしい藤壺や六条御安所との密通シーンが、なぜ無いのかといったところです。 まず、和歌の問題ですが、あれだけタフな散文で書き進んでいるのに、ほぼ一ページに一首は挿入されているとも思える和歌というのが、散文を読んでいる今どきの読者には、はなはだつらい。というか筋を辿ることをいったん休止して詩文(韻文)を味わえという。この物語が「伊勢物語」や「大和物語」の流れを組む「歌物語」の発展形であるなら、それもしょうがないか、ということになるのですが、どちらにしてもストーリーを追う醍醐味に慣れきっている私たちには、頭の切り替えが必要で結構努力しなければなりません。 これはいったい何なのか、ずうっと読みながら考えていたのですが、平安貴族にとって和歌というのが男女の馴れ初めのための必携ツールである以上、作中で和歌がケータイメールなみに取り交わされるのは、当時の文化として当然としても、地の文と照応しあったような歌が出てくるのは困る。困るというのは今どきの私たちの都合で困るという意味で、かつてはむしろ和歌作りの手本として「源氏物語」が珍重された時期もあったのです。 であるなら、ここは割り切って和歌を端折るという手も成り立つので、げんに円地さんは和歌をはなはだ散文的に訳されています(寂聴さんはいわゆる鑑賞文訳で、何だか受験時代を思い出します)。というわけで基本的には和歌は跳ばす、という前提で読んでいったのですが、途中でこれと似た経験が他でもあったことに気づきました。それは今どきのミュージカルやオペラでの歌とストーリーの関係と同じではないかということです。 オペラはまだ私には敷居が高いので、ミュージカルを例にとりますと、歌が始まると、とりあえず話の筋を追うのはいったん休止して、おもいっきり歌や踊りを楽しもうということになるでしょう。この間、劇としての時間は止まっているので、オペラなどではアリアのあいだ中、主人公の歓喜の極みか悲嘆の底に延々と付き合わされることになります(というより、それこそがオペラの麻酔的な魅力といわれるらしいのですが)。1000年後の人たちが今どきのミュージカルやオペラを観て、陳腐だの不自然だのと看做さないとも限らないように、1000年前の日本人にとって話をいったん休止して和歌を楽しむというのは、ちっとも不自然ではなかったのでしょう。 もう一つの問題が、光源氏をはじめとして登場人物たちが、何かにつけて「宿世」だの「あわれ」だのの決まり文句で、すぐに袖をぬらす。袖くらいならまだしも、額髪が涙で顔にくっつく、涙の海で枕がプカプカ浮かぶなどとなると、これはきっと当時のあいさつ変わりのような紋切り口調なのではないかと、私などすぐに疑ってしまいます。 好適な例として「伊勢物語」の都鳥のくだり、でしたか、ある男が「身をえうなきもの(役立たず?)」とみなして、都に妻子を残して友達2,3人と東ヘさまよって行く、三河の八橋というところで― その澤のほとりの木の陰におり居て、かれ飯(いい)くひけり。その澤に杜若(かきつばた)いと面白く咲きたり。 それを見て、ある人のいはく、『かきつはたといふ五文字を、句のかみにすゑて、旅の心をよめ』といひければよめる。 唐衣 きつつなれにし 妻しあれば、 はるばるきぬる 旅をしぞ思ふとよめりければ、皆人かれ飯の上に涙おとしてほとびにけり ― (下線筆者)かれ飯(乾燥米?)が落とした涙でふやけてしまったというのですが、こういう一種の誇張表現は古代から中世にかけての云わば慣用的な手法で、もちろん本当にふやけてしまったわけではないでしょう。 というわけで、「源氏物語」の中でも、主人公たちが本当に泣いているのかいないのかは、ストーリーの必然的な展開から判断するしかない、といって好いのではないか。― つづく ―
2009.01.19
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もちろん、ある種の「言葉」が「言霊(コトダマ)」として、一種霊的な力を持つと信じられてきた時代は、はるか昔に去り、平安京もすでに200年以上を経て、日本史上はじめて都市的な個人の孤独のようなものが(とくに宮中に仕える女性に)意識されだした平安の都に、古代人と同じような心象を持ち込むのは間違っているのですが、それでもモノを語る(モノをあらわにする)という行為にたいして、意識下にある一定の禁則が働いていたのではないか。 そのさいに言葉と文字の取捨選択は、上のような事情でけっこう慎重に行なわれたでしょう。はじめに「日本語自体の語彙がまだ少なかったのではないか」というような話をしましたが、語られる言葉と、書きしるされる文字には距離があっただろうと思うのです。例えば、今どきの若い人たちが発する「ダサい」だの「キショい」、こういう言葉を文字に書きしるすのは、今でも何となく気が引けるでしょう。 紫式部という人は、おそろしく聡明ですから、当時文字にするのを許されていた数少ない語彙を、自在に操って、見たもの聞いたもの感じたものを、どうやって書きしるせば正確に表現できるか、ということを知っていたのでした。しかしこうした、ものごとをあらわ(あからさまに)に書かずに表現するという言語表現は、平安貴族社会にとっては共通認識であったようで、有名な話ですが「更級日記」の菅原孝標女は、十代の前半から「源氏物語」を、あまり苦労もせずに耽読していたという記録を見ても(いくら早熟とはいえ)、素読でも今よりははるかに具体的な心象を結ぶことができたのでしょう。このあたり一千年の時間の推移を感じざるを得ないのですが、京町屋界隈ではいまだ少なからず、この種の表現が使われているみたいですね(これは別の話)。 さて受験勉強時代、四苦八苦しながら読みすすめた「源氏」ですが、唯一「夕顔」の帖だけはけっこう勉強を忘れて読み耽った記憶があります。源氏がふと見初めた夕顔を、知り合いの屋敷に連れ込んだところが、夜中枕辺に同じく付き合っている六条御安所(ろくじょうみやすんどころ)と思われる女が現われて、しきりと夕顔をおこそうとする、というところで源氏が夢から覚めると、夕顔はすでにもう息絶えていたという話。 「源氏物語」では六条御安所の遊離魂の話として、あまりにも有名ですが、これを今ふうにヒステリーだのパラノイアだの、はたまた古代的荒唐無稽な作り物語と断じるのは、ちょっともったいないので、要は紫式部がそれをどうとらえ描いたかということです。 伊勢物語風に「鬼一口に食ひてけり」といった怪奇譚の読後感とはまったく違って、一つ一つの場面や源氏の心理が手に取るように読み手に迫ってきます。例えば、先ほどの夢が覚めると同時に灯が消えて、これは不吉と思った源氏は太刀を抜く(この長い物語で、唯一太刀を抜く場面です)、暗闇で夕顔を揺り動かすが汗びっしょりで身動きもしない、従者を呼ぶために手を叩くと山彦のように反響するばかり、部屋の戸を開けると外の灯りも消えて、少し妙な風も吹いている、ようやく蝋燭が来て近づけてみると、夕顔の枕辺に先ほど源氏が夢に見た女が座っていて、ほぼ同時に消えうせる、夕顔は息もせず冷たくなって、すでに死体の様相を呈している、源氏は内心底知れぬ恐怖にうたれながらも、周囲には気丈なところを見せねばならぬと思う…。 といった調子ですが、悪夢から覚めたばかりの源氏の視覚、聴覚、触覚といった感覚と、そのとき源氏が感じている感情と意志が詳細に記述されて、私たちはいやでも源氏の心内と同化せざるを得ません。 これは人を脅かしてやろう式の怪奇譚とは違って、式部自身が主人公の恐怖と同化して、ほとんど戦慄しながら書いているから出てくると思うのですが、さらにその恐怖の心理的な詳細を怜悧に見つめる眼があって、だからこそこうしたタフな記述が生まれてくるのです。今の私には、むしろこのいつも怜悧に見つめている紫式部の粘着質な眼のほうが怖い。― つづく ―
2009.01.14
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話は変わりますが、実は寂聴さんの「宇治十帖」を通読したあと、「若菜」からあらためて読み返したのですが、あんまりおもしろいので「ホンマかいな」と思える表現やプロットがあるのです。話が現代的過ぎて、到底1000年前の物語と思えない、というわけで原文の読める本を買い求めるハメになりました。さいわいに岩波文庫から山岸徳平さんの廉価なシリーズが出ています。注釈本ではないので、私の読解力では意味不明ですが、少なくとも原文の音やリズムは多少味わうことができます。 しかし何しろ、もともとが長大な文章であるために、例えば「古事記」や「伊勢物語」のように、読めばただちに言葉が立ちあがる、香ってくるということはまずありません。おいおいこの物語の、いわゆる決定的瞬間の原文の味わいを、ここに載せたいと思っているのですが、まだ自信がありません。 ところでここからはまったく趣味の話ですが、寂聴さんの訳は「です・ます」調で、ほぼ逐語訳に近いそうですが、「です・ます」だと何となく、ことさらに昔物語的な語感があって、申し訳ないですが、途中で「桐壺」から「藤裏葉」までの前半部分を、「である」調の円地文子さん訳に切り替えました。どっちが好いかなどという話ではなく、まったく趣味の問題で、私はより小説的な引き締まった文体が好きです。 ただ一つ難を挙げるとすれば、寂聴源氏は巻末にしか系図がなく登場人物が補足しにくい。円地源氏は各帖ごとに簡便な系図が付してあって、読みこなすのにはなはだ便利です。というのも紫式部、300人以上の登場人物を、説明なしで取っかえ引っかえ、いきなり登場させるので、読むがわはそのつど立ち止まらざるを得ない、ということになるからです。 それにしても系図がたどることができるということ自体が、彼女が長編小説作家としての基本条件をみたしていることを示しているので、おそらく彼女は横に系図を置いて、執筆したり想を練ったりしたのでしょう。サイデンステッカーさんでしたか、源氏物語が最初から今の形として構想されていたのかどうかという話で、たとえば物語のはじめのほうに出てきた「夕顔」の娘の話が、20年もたった「玉鬘」以下の帖から唐突に浮上してくるというのは、最初から構想していたのならば普通常識ではありえない、とかおっしゃってましたが、まったくそのとおりで、彼女は大きな?系図表を眺めながら、次はどの人の話をしょうか、この女は今いくつになっていて、どんなことをし、どんなことを考えているのか、いろいろ想像をめぐらしながら書き進んだのでしょう。 そもそも小説とか詩とかはもちろん、文学というジャンルさえ明確に意識されていなかった時代、「物語」というのはどういうふうに意識されていたのでしょうか。 これは私の妄想ですが、モノ語るとは、モノ思うとか、モノ憂くとか、モノの怪と同系統のモノ、つまり我々の周辺に潜む何か得体の知れないもの、自身の身体感覚とは別個に存在するがゆえに、理解しがたい不吉なものというようなとらえ方ではなかったのか、これは例えば古代人が、心と魂を別個にとらえていたのと似たところがあると思うのです。 古代人にとって「心」とは、我が身の手や足や目と同様、身体器官のひとつ(あるいは個体器官の根源、したがって個体が死ぬと「心」も失われる)であったのに対し、「魂」は個人の身体とは別個に存在し、ときに身体に付着し、ときに身体からふわふわと遊離するもの、要は自分たちの周囲を取り巻く自然や、悠久の過去から現在に続く時間を超えて遍在する何か、モノとしか言いようのないもので、それゆえにモノについて言葉を発し、モノについて文字に書きしるすという行為は、一種畏れ多いものとされてきたのではないか?(これは前に「歴史について」だの「女性なるもの」でしゃべりつづけて、今だに終わっていない話です)― つづく ―
2009.01.12
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「宇治十帖」の話からしようと思っていたのが、本編の話が割り込んでいるというのは、今とりあえず私の興味がそちらに向かっているからで、本質的に深刻なテーマを孕んでいる「宇治十帖」については、あらためて触れることにします。 宮廷内の勢力図で一条天皇の寵愛を勝ちとるための、藤原道長の息女である中宮彰子側の作戦は、彰子本人の魅力だけでなく、仕える女御その他の才能や魅力を利用しつくすことにあったので、美女の誉れ高い和泉式部や和歌の名手赤染衛門、伊勢大輔をかかえ、紫式部も当然傑出した物語作者としての才能を期待されていたでしょう。 寂聴さんも指摘されていますが、「玉鬘」以下の十帖こそ、書き下ろしで次々と宮廷に献上されたシリーズで、宮や女御たちはつづきがどんな展開になるのか、皆で話題にしたでしょう。宮廷内の話題をしょっちゅう独占することで、帝の関心を惹くという意味では、数多くの浮名を流した和泉式部というのも、今どきでいうゴシップ的な話題作りの感じがしないでもないので、冷徹な観察者であった紫式部は、そのあたりも仔細に見つめながら執筆に耽っていたのでしょう(私は「宇治十帖」の浮舟のモデルは和泉式部ではないかと思っています、これは別の話)。 「源氏物語」がどういう順番で書かれ成立していったのかというのは、何度も云いますが、古来諸説紛々でヘタに深入りすると、この物語をもっと楽しむという、このブログ本来の目的から逸れてしまいます。それでも宮中に出仕する前、宮仕え中、退出後の三期にわたって、この物語が書き継がれたであろうという想像は、中味を享受するうえで許されると思うので、若くして寡婦となった式部が、どういう経緯でか「王朝夢物語」を書き始めたところが、都で評判を取り宮中に召しかかえられて、ますますその名を知られるようになり、退出後はごく私的に自分の書きたいこと(このとき誰を対象に書いていたのか、ということも問題なのですが、ここでは触れません)だけを書き継いでいったのではないか。中味を通読していると、だんだんそんな気がしてきました。 彼女の才能というのは、子供のころから傑出していたもののようで、父の藤原為時がその天分をおおいに惜しんだというのは、よく知られています。 ところで、彼女の才能というのはどういうものであったのか。日本紀や漢文あるいは和歌に精通していたというのは周知のこととして、自分自身の体験や周囲の人々、ものごとの様子を冷徹に見つめる観察眼と、それを表現するタフな記述力いうのは、やはり時代を超えて共通する天才的な文学者の才能というものを感じざるを得ません。これは一気に跳んでしまいますが、明治の夏目漱石や、デビュー当時の三島由紀夫、大江健三郎などに共通した文学的才能とでもいうべきもので、むしろあふれ出る言葉の奔流を、どうコントロールするかというのが、こうした天才たちの重要なテーマでもありました(漱石の「猫」や三島の「鏡子の家」、あるいは大江の「遅れてきた青年」など、いわゆる文学的青春といわれる時期の作品です)。 「玉鬘」以降、云わば売れっ子作家として、ありとあらゆる人物像を自在に操れることを知った彼女は、ひょっとするとその途中で、その自在さゆえの空しさを感じていたのかもしれません。才能ある画家がパレットの色を操りすぎて(才能ゆえに操れてしまうので)、かえって出来上がった絵が全体としては生気を失うことがあるように。― つづく ―
2009.01.10
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と、また小難しい話から入ってしまいましたが、「源氏物語」全体の構成を通観すると(これもまた古来いろいろな論議があるのですが)、私もオーソドックスな「桐壺」から「藤の裏葉」までの第一部、「若菜」から「雲隠」までの第二部、そして宇治十帖を中心とした第三部の三部構成という見かたをしています(これは作者の構想とか意図とは関係なく、読む側の頭の中で三部構成というのが、音楽のソナタ形式と同様、何となく座りがよいという意味です)。 多くの分類解説にあるとおり第一部は貴公子たちの「王朝夢物語」、第二部は主人公たちの人生的なたそがれ、第三部は云わば第二部の縮刷版再現部といった内容で、この物語を長編小説(Roman)として読むならば第二部の「若菜」あたりから入るのが面白いかもしれない。逆にストーリーやプロットの巧みさ(Novel)を堪能するなら、俗に並びの巻と称される「玉鬘」以下の帖が無類に面白い。 紫式部のいわばストーリーテラーとしての才能というか、話し上手な部分は、むしろこの並びの巻と称される挿話の数々で、ことに充実しているように思えるので、これらを読む宮廷の女房たちの笑い声が聞こえてきそうです。ここの登場人物の造形は、主人公だけでなく端役の女房や地侍まで生き生きしていて、そのぶん主人公の光源氏や紫の上を画く式部の筆もリラックスしているようにみえる。実は今回宇治十帖のあと、初めから読み直していて、ここまできて「しまった!」と思っているのです。若いころに「玉鬘」までガマンして読み進めれば(相当難儀ですが)、あるいはこの古典に対する観かたが、もう少し変わっていたのではないかとね(マンガでも読める今の人たちは得しましたな)。 欲望と嫉妬、陰謀渦巻く暗く陰湿な宮廷社会という予断は、ここでは捨てたほうが良いかもしれない。 宮廷内には案外女房たちの笑い声が聞こえていたのではないか、という指摘は、たしか西郷信綱さんが「古代文学史」(岩波現代文庫)か何かでおっしゃってましたが、式部は当時の主たる読者層、宮廷の女房たちの期待に応えるべく、ハーレクイン並みの大サービスを行なっているようにみえます。 紫式部といえども、読者を意識せずには物語は書けなかったわけで、当初おそらく貴公子誕生の宮廷夢物語の着想で始まったのが、稀代のドンファン物語になっていったというのは、それを期待し要求する需要層があったからで、それは紛れもなく中宮彰子の依拠する宮廷内の女御、諸侯だったでしょう。彼ら彼女らの主たる関心が意中の相手をいかに惹きつけるかという、恋のさや当てゲーム(寵愛を受けるということは一族郎党の繁栄に直結する)であってみれば、ありとあらゆるケーススタディのリクエストは当然式部に対してあったはずで、式部はなかば記号(Symbol)化した男=オスとしての光源氏を仕立てることで、それに応えようとしたのです。 それがほとんど現実にはありえない存在だというのは、式部本人にも読者にも普通認識であったようで、登場人物の侍従や公達にも「またビョーキが始まった」という種類の、なかばあきれたような述懐をさせています。 私たちはどうも本居宣長以来の「源氏物語」=「もののあわれ」感の先入観に取りつかれているようです。全編が宿世だの無常だの、深刻な色合いで進行していたなら、しんどくて仕方がない。もっとも、宣長は「もののあわれ」というキーワードを、それまでの仏教的無常観や儒教的倫理観ですっかり汚された「源氏物語」観を、突き崩すために用いたので、「もののあわれ」がまたさまざまな先入観に彩られていったのは、むしろ明治以降の文学者たちの「深刻好き」によるところが大きいのかもしれません。 王朝夢物語としてスタートした「源氏物語」が、おそらく本人も予想外の宮廷内外での好評で、思いのほか長く書き続けられることになったのが、書き続けるうちにたんなる輝く日の御子の成功物語では飽きたらず、主人公以下の人生的な内面を描いていくようになった。ところが光源氏と紫の上では、それまで書き込んできた人物造形や帝の御子という設定が、あまりにも偉すぎて描きにくい。そこで副主人公ともいうべき夕霧だの柏木を登場させたけれども、結局光源氏の光源が強すぎて、表現としては充分納得できない。というわけで、いったんすべての登場人物をシャッフルして、より私的な内々の物語(Domestic Roman)にしようとしたのではないか、というのが、私のはなはだ荒っぽいですが、現在の「源氏物語」成立の経緯ではないかと思っています。― つづく ―
2009.01.08
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若い人からみれば、いきなり一番アタマにくる感想から入ってしまいましたが(他ならぬ私自身が、若いころ一番反発していたのが「大人になれば分かる」という、問答無用の言葉だったので)、それでも50も後半となった我が身になって考えてみれば、この物語は少なくとも「宇治十条」に関していえば、「大人にならなければ分からない」としか言いようのないものです。 この場合の大人とは、仕事も恋愛も結婚も子育てもひととおり経験して、ふと振り返ってみれば我が身だけにこびりついている、取り換えようのない閲歴の後味のようなもので、これがないと薫や匂宮、なかんずくこの男たちに弄ばれる浮舟たちが繰り広げる、この人生的な地獄の絵模様というのは、おそらく真に理解しがたい。いやもっというと大人(年長けた人)でも、理解できる人は限られているのかもしれません。何も私だけが本当に分かる、などというつもりはもちろんなくて(あたりまえです)、前提条件として、取り返しのつかない一回性の時間というものを実感できるのは、人生の後半に入ってからだろうということです。 これらは私のような卑小なたわいのない人生を送ってきた身であっても、ただただ50数年という時間がもたらした、ごく個人的な達成だの喪失だのというのは、今となっては間違いなく二度と戻ってこないだろう、再現されないだろう、という一種の痛みのような感覚であって、人によってはこれを「かけがえのない」と形容するところのものであるでしょう。 サカリがついたように、女遊びが止められない匂宮(これ、実は悲劇なのです)、自身の出生の秘密を知っているがゆえに人生を韜晦しながらも、さりとて出家を覚悟できずに、娑婆を彷徨しつづける薫、暴行同然の不倫を強要されながらも、そこに歓びを見出している自分を発見し、千々に思い惑う浮舟、これらの登場人物たちをこうした行動に駆り立てている動因とはいったい何なのか。それはたぶん上に述べたような、今この瞬間は二度と戻ってこない、取り返しがつかない、自分たちがすべからく、生きているがゆえに逃れようのない時間の相のもとにある、という一種の焦燥感からきているので、これはそれらを描き出した紫式部自身の述懐でもあったでしょう。 それにしても宇治十条における男二人と女一人の人生の軌跡の交差は対称的で、寂聴さんはそこに男に対する諦め、あるいは復讐に近い式部の執念を見出されますが、たしかに冒頭謹厳実直で聡明な薫、二代目光源氏として輝くばかりの匂宮の二人は、後半に到って相も変わらず現世の欲を断ち切れずに、修羅場をウロウロするばかり、最終的には二人とも男=オスという記号に近い存在としてしか描かれず、今にも蒸発してしまいそうです。 かといって、浮舟が出家によって真に救いの道を見出したのかといえば、これもまた茫々たる「夢の浮橋」の最終帖の結末では実は何も分からない。円地文子さんが「宇治十条は決着していない」とおっしゃっていたというのも、またさまざまな「浮橋」以後の物語が、後世書かれたというのも無理からぬところです。 物語が本当にここで終わっていたのか、という話は、他の「源氏物語」全体の成立論とも絡めて、これまた古来さまざまな論争があるようですが、今現実にないものをああでもないこうでもないというのは、無為な論争なのでここでは触れません。私たちは今ここにある残された「源氏物語」だけを享受するしかないので、答えも(もしそんなものがあるとして)その中から探すしかないのです。 しかし私の率直な読後感からいえば、紫式部は輝く匂宮も世間的栄達を果たした薫も、すべからく人生という時間の相に投げ込んですましているように、浮舟もまた女=メスとして記号化されて蒸発しかかっているようにみえ、結局これは彼女が読者全体を、茫漠たる人生の時間の相に投げ返すように意図したようにも思えてくるのです。― つづく ―
2009.01.07
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古今の世評名高い「古典」といわれる作品群には、当然それに付随したさまざまな批評や感想や研究の類が、その周囲を星雲のように取り巻いているので、なかなか素で中身を味わうということができません。 まして「源氏物語」のように登場してから1000年のあいだ、常に日本文学の金字塔として時代ごとに読み継がれてきた作品というのは、おそらく世界的にも空前絶後で、その結果私たちは中身を読まずとも、一般教養としての「源氏物語」の通念がイヤでもこびりついています。さらには原典は名にし負う超難解文ですから、とりあえず全貌を通観するには現代語訳に頼らざるを得ない(これは「古事記」や「伊勢物語」の古文語釈とは根本的に異なる、享受のしかたを強いられざるを得ないことを意味します)。 「源氏物語」の原文が難解といわれるには、たぶん二つあって1. かな文字が女の文字ツールとして発達してきた結果、いわゆる女性特有の主語なし文と、句読点なし文が主たる語法に多用されているため、誰がしゃべり何がおこったのか、一読して判読できない。2. かな文字草創期にあって、日本語自体の語彙がまだ少なかったのではないか。今なら多様な感情や行為の表現が「あわれ」や「いみじ」といった、非常に漠然とした形容で表現される(アフリカの「ジャンボ!」やハワイの「アロハ!」の言語表現に近い)。 皮肉なことですが、主語なし句読点なしで、ながながと(ダラダラと!)続いていく文章というのは、ときどきのゆれ動く感情の表現にはぴったりフィットするので、よく言われることですが日本語とは優れて女性の言語なのです!(これは同じ分量の長大な文章を駆使する英語などをみれば、主語や時勢は関係詞で厳格に仕分けされて明晰さを失わないので、日本語の言語用法とは根本的に異なるのです。なにしろ文章の途中で主語が入れ替わったり、時勢がずれていくのは当たりまえ、あとになってこれは光源氏の思っていたことなのか、などということはしょっちゅうです) というわけで、現代語訳とはそれぞれの訳者の「現代語釈」とならざるを得ないのですが、なにしろ名だたる作家や古典研究家が次々と挑戦されているわけで、それほどまでに実作者の想像力を刺激する作品だということなのでしょうか(少なくとも他の古典ではありえない現象です)。ところが、それぞれの訳にたいする厳密な評価というのが、日本ではわりあい少なくて、なかば読者に丸投げされている(そのあたり何となく商業的なニオイもしないではないのですが)。 例のA・ウェイリーの英語訳は、その訳文の完成度の評価が極めて高かったため、「The Tale of Genji」は英文学の古典に名を連ねたわけで、それ以前に何度か英訳が試みられたのはあまり知られていません。かの国では翻訳作業というのは一種の文化事業、文化移殖のような位置づけであって、この作業によって英語圏に、どのようなあらたな言語的豊かさをもたらしたか、というような捉えかたなので、商業的要素は最初から薄い(これは仏語や独語訳でもたぶん同様の考えかたであったでしょう)。 まあしかし、かたくるしい前口舌はこれくらいにして、ともかく入り口ではね飛ばされないように、寂聴さんの「宇治十帖」を読んでみましょう。なぜ「宇治十帖」かといえば、本体のはじめ「桐壺」や「帚木」は受験勉強の手垢に汚れて読む気がしない(私の父の世代が、カボチャをどうしても食わないのと同じ)ので、世評、心理小説としても面白いといわれるこの部分から入ることにしました。 一読してほぼ予想したとおりの読後感が残ったので、ひと言で云えば、これはやはり大人でなければ、その面白味は分からないだろうな、ということです。― つづく ―
2009.01.06
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みなさん、明けましておめでとうございます。 昨年の人間界はたいへんな騒ぎでしたが、みなさんはいかがお過ごしだったでしょうか? 今年がみなさんにとって幸いな年でありますように。 さて私はというと、商売がら盆と年の瀬くらいしか、娑婆の世界から逃れることが出来ないので、この時とばかり本屋に飛び込んで、できるかぎり浮世離れして一日二日では到底読みこなせないような本を、あえて意識して買い求めます。 この場合、読みこなせないというのには二通りあって、たんに物理的に長いものと、中味が難解で解読に時間を要するものに分けられます。さらに浮世離れしているという要件を満たすものといえば、古典とか理数系の本が思い浮かびますが、昨年はちょうど源氏物語千年紀ということで、ずいぶん源氏ものが本屋さんに並んでいましたね。 さらに理数系といえば例の素粒子物理学の三博士ということになるのでしょうが、南部さんの「クォーク」(講談社ブルーバックス)、店頭に金の帯をまかれて並んでいますが、中味を読んでスラスラ理解できる人はほぼ皆無に等しいでしょう。この本、素粒子物理学入門の書として理系の世界では、古典的な名著とされているらしいのですが、たんなる素粒子ファンにとっては、チンプンカンプンの類に入ってしまう種類の本です。 これはたんに中味が高度だからという問題ではなくて、おそらく現代の素粒子物理学の描く世界が、文系の我々だけでなく、ほとんどの人にとって頭の中で具体的な像を結んでこない、ということにあるようで、その原因はもちろん文系の我々の勉強不足と云われても仕方がない。しかし最先端を行く人たちが一般の人たちに、ものごとをどう伝えていくかということも、とくにこの素粒子物理学の分野では大事な気がします。 というのも何年に一回あるかないかという陽子崩壊の観測を行なうために、地下に何万トンもの超純水を貯めたり(スーパーカミオカンデ)、ミニブラックホールも作れるかというような超巨大粒子加速器(LHC)が、現実に巨額の予算を投じて造られているからで、それがいったい何の役に立つのか、何のためにそれを行なうのか、という説明は、むしろ専門家のほうから仔細な分りやすい説明があってしかるべきですが、どうもそのあたり、大きな隔たりがありそうです。 逆にいうと、それくらい現代の物理学は一般の常識感覚を越えたところがあるらしく、とくに量子力学の世界は私たちにとってはマジナイに等しい。専門化どうしであたりまえの常識が、どうも私たちには当たりまえでないらしいのですが、とくに優れた(ノーベル賞を取るような)人たちは、そんな説明をしているヒマなどないようです。 というわけで、一般の私たちにも多少の想像力を分けてくれるような本はないかと、探していたところが、別の方面から、ちょっと頃合いの本をみつけました。ま、しかしこれの解説というか、感想を書くにはまだ充分な解読が済んでないので、しばらく待ってください。 もう一つのやたら分量が多くて、短時間では手も足も出ない本の代表格は、やはり「源氏物語」でしょう。これはもうひとつ古典という関門があって、気軽に原文を読むということは、これまたほとんどの人にとって不可能でしょう。 そこで手軽く現代語訳、あるいは抄訳ということになるのですが、ざっと今この本屋さんに並んでいる現代語訳「源氏物語」だけでも5種類、書評を見ているとさらに何人かの訳業が進んでいるようで、これはいったい何なのかということになってしまいます。白状しますと、これはほとんどの皆さんがそうだと思いますが、私は今まで「源氏物語」を現代語訳でも通読したことがないのです。 かつて受験勉強時代に古典の参考書で、その面白味の一部に触れてはいたものの、いかんせん原文の難解さは他の古典文に比べても、ズバ抜けているので、たいていの場合「帚木」か、せいぜい「夕顔」のあたりで沈没ということに相成ります。これにはもう一つ理由があって、古今の長大文学が共通してもっている特徴、「偉大な作品は怠惰な読者を最初で追っ払う」という面を「源氏物語」も多分に持っているのです。 さらに付け加えるなら、この物語はストーリーではなく心理描写に重点があることで、筋書きやプロットを面白がる若者にはしょせんムチャなテキストではありました(よくこれを教科書で取り上げていたと思いますよ)。 というわけで、もうそろそろ好いだろうと、とりあえず世評の高い寂聴さんの「源氏」を、後ろの「宇治十帖」だけ買って読んでみたのですが、―― さて?
2009.01.03
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