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「螢」の終わりで夕霧が登場したあと、彼が想いを掛け続ける雲井の雁の追想が入って、話は内大臣家の様子に移ります。― 内の大臣(おとゞ)は、御子ども、腹々いと多かるに、その生ひ出でたるおぼえ、人がらに従ひつゝ、心にまかせたるやうなる思え、勢(いきほひ)にて、みな、なしたて給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 内大臣は、お子様が、(あちこちの女君との)間でたいそう多く出来ていらっしゃって、その生まれた(母方の)お血筋や、(本人の)資質にしたがって、(今や)我が意のままになる声望や、時の勢いに任せて、みんな、(しかるべく)取り立てていらっしゃった。 何かと光源氏に対抗して、若かりし頃よりあちこちの姫君その他に手をつけては、大勢の子供をなした内大臣ですが、なぜかしかるべき血筋の女娘は、正妻である右大臣系四の君との間の「弘徽殿の女御」と、今は按察大納言に嫁いでいる皇族系の姫君との間に出来た「雲井の雁」の二人だけなのです。 しかし相手の身分を度外視すれば、何やらそのほかにもいそうな感じで、ハッキリしているのは、かつて「帚木」の帖で源氏たちに語ったこともある、娘子まで宿したまま姿を消した「夕顔」の面影。ここで私たちは、この玉鬘の話が「帚木」の帖で語られた「雨夜の品定め」と繋がっていて、それはおそらく「帚木」に始まるb系物語が「玉鬘十帖」まで、当初から一連の話として構想されていたことを確認するのです。 内大臣は大勢の子息たちに向かって、― 「もし、さやうなる名のりする人あらば、耳とゞめよ。心のすさびにまかせて、さるまじき事も多かりし中に、これは、いと、しか、おしなべての際にも思はざりし人の、はかなき物鬱(ものうむ)じをして、かく少なかりける、もののくさはひ一つを、失ひたる事の、口惜しきこと」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 「もし、そのような名乗りをする人がいたら、(絶対)聞き逃すなよ。(若気の)遊び心に任せて、みっともない話も多かったなかで、この人(夕顔)ばかりは、ホントに、そのような、月並みな相手とは思っていなかったのに、つまらないことで気落ちして(身を隠してしまったので)、このように(ただでさえ)数少ない、娘子の一人を、失くしてしまって、残念でならんのじゃ」 と、いかにも懐かしげに話すのですが、本当のところは例の光源氏への対抗心であるようで、― 中頃などは、さしもあらず、うち忘れ給ひけるを、人の、さまざまにつけて、女子かしづき給へるたぐひどもに、わがおもほすにしもかなはぬが、いと心憂く、本意なく、おぼすなりけり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) ひと頃までは、さしたることもなく、(行方不明の母娘のことなど)つい忘れていらっしゃったのであるが、源氏の殿が、しかるべき身分に応じて、我が娘たちを大事にお世話なさるようには、我が意がままならないのが、まことにうっとうしく、(また)残念に、思っておられるのである。 玉鬘のうわさは、内大臣のもとへも当然伝わっていて、なかんずく我が長男の柏木なども、その婿候補に名乗りも上げているのですが、何といっても内大臣としては冷泉現帝の中宮の座を、我が娘(弘徽殿の女御)は、源氏方の秋好中宮に奪われ、雲井の雁は源氏の息子、夕霧とおかしなことになってしまい、はなはだ腹膨れる思いであったところに、新たな姫君が源氏方に登場したとなれば、宮廷内での勢力図がさらに変化すること(一族にとって不利になること)を考えざるを得ないのです。― つづく ―
2010.01.31
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というわけで、話は内大臣家のほうに移るわけですが、その話は次の「常夏」の帖でまとめて話したいと思います。実質的に「螢」の帖はここで終わっていると言っていい。 しかし先に触れた「物語論」、― 「その人の上とて、ありのままゝに言ひ出づることこそなけれ、よきもあしきも、世に経る人の有様の、見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしきふしぶしを、心にこめがたくて、言ひおきはじめたるなり。 … みな、かたがたにつけたる、この世のほかのことならずかし。 … ひたぶるに、空言(そらごと)といひはてむも、事の心、違ひてなむありける。」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 「(そもそも、物語というのは)誰それの人のこととして、(何もかも)ありのままに語るということではなくて、善きにつけ悪しきにつけ、この世に生きる人の有様で、見るに飽かせず、聞き捨てにも出来なくて、後の世まで語り伝えたいような事柄を、心一つに収め難くて、語り置き始めたのでしょう。 … 皆それぞれ由あることであって、この世の他の話ではないのですよ。 … 何もかも全部、ウソと言い切ってしまうのでは、ことの本質を、見誤ってしまいます。」 という源氏の言葉を、つらつら反芻しているうちに、じつはもう一つ別の想念が、私には浮かび上がってきます。今まではもっぱら物語論とか、純粋に芸術観のレベルであれこれ詮索してきたのですが、ここの「空言にこそ、ことの真実が込められている」ともとれる揚言は、何かしら現実社会に対する紫式部の不適合感というか、不満のようなニオイが感じられるのです。 まあ一般論として言えば、彼女のように隔絶した天才性を持った人というのは、多かれ少なかれ現実社会との不適合感を常に抱くものですが、もう少し下世話な話として、彼女には当時ごく個人的にも不機嫌になるべき要因があったのではないか? それは取りも直さず、彼女と藤原道長との関係が、この頃からおかしくなっていたのではないか、ということなのです。ここから先は話し方に気をつけないと、また怒られそうですが、例の大野晋さんは「紫式部日記」の中味を分析して、前半の自信に満ちた書きぶりが、後半に行くにしたがって次第に不機嫌になっているのではないか、で、その原因は、おそらく道長との不和であろう、と推測されているのです。私は「紫式部日記」を読んでいないので、何とも言う資格はないのですが、もしそうであるなら、中宮彰子の懐妊で世の権勢をほぼ手中にし、我が世の春を謳歌した道長という現実(うつつ)に対し、何がしかそれを忌避する要素が彼女に無かったとは言い切れません。 彰子の部屋を宮廷随一のサロンにし帝の寵愛を勝ち取る、という目的のために、道長が部屋に侍る女房たちの人選や管理にどのような手を用いたか、光源氏の振るまいかたを見てもほぼ想像がつきますが、世俗的な目的達成に対して何の躊躇も抱くことの無かった道長が、逆に目的を達成したあと、どういう扱いを女房たちにしたのか、何となく想像がつきますね。露骨ではないにしても、そのあたりの空気の変化というのは、たぶん紫式部などには気鮮やかに感じられたはずで、彼女がこの物語の中で、光源氏が関係した女性に対して、決して自分から想い捨てにすることをしなかった、と繰り返し強調しているのも、逆に現実にはそうしたことが、ごく普通にあったろうことを、想像させてしまいますね(まあこれは今でもそうですが)。 物語とか小説とか、とかく文学とか音楽のような芸術作品の中味について、作者の個人生活をあれこれ平面的に投射して考えるのは、じつをいうと作品の享受のしかたとしては、あまり上出来とはいえないのです。ひらたく言えば、作品を作品の外部から裁断することになりかねないからで、同じ対談で作家の丸谷さんは、大反発されていてとても面白い。 私もどちらかといえば、作品と自身との関係性(つまり書き記された言葉と、それを読む私との関係)で、ずうっと話して行きたいと思っているのですが、それでも「現実(うつつ)よりはるかに本当の事を穿った空言もあるのよ」という言葉は、何かこれが彼女一人の声ではなく、同じような境遇の女房連を代弁しているような声にも聞えるので、ついこんな下世話な話をしてしまいました。すいません。― 源氏1000年 螢 おわり ―
2010.01.30
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古物語とはまったく異なった、新しい物語のかたちのようなものを、かなり明晰に意識したとはいえ、それを実際に表現するには、彼女自身もそしてたぶん相当高いレベルで、彼女に共感していたであろう周辺の読者も、まだもう少し時間が必要だったようです。実作上の技術の洗練とは別に、そういう表現をする場合、書き手は無傷ではいられないし、もちろん読み手もたんに面白がって読み了せられるわけがない。 藤壺や六条御息所との逢う瀬を、克明に描き出すのにずいぶん気を使った紫式部、この玉鬘の話のおおまかな筋書きや結末をどうするかについては、おそらく一連のb系物語を書き出した時点で、決めていたと思うのですが、それを実際にどのように持ち出すか、どう表現するかについては、彼女の心内ではかなり煮詰まってきたとはいえ、周囲の読み手が充分共感できる頃合いもまた注意深く探っていたことでしょう。 そうした経験を、彼女はすでに今まで見てきた、a系物語の端々で何度も感じていたのではないか?とういわけで、「螢」の終りのほうでは、玉鬘の話はそのままにして、久しぶりに夕霧が登場します。 「乙女」の帖の雲井の雁とのすったもんだで、内大臣に煮え湯を飲まされたと思っている夕霧、三年ほど経った十五歳の今も決して忘れていません。しかしこの賢明な若者は表面上は平静を装っている。光源氏もそのあたりはよく知っていて、息子をさり気なく応援しているのですが、六条院では世話役係の花散里と、南の御殿にいる明石の姫君とは立ち混じることを許しているのです。 紫の上のいる春の御殿は厳重に隔てを置いて、夕霧にはいっさいこの継母には合わせないようにしている。もちろんこれは、源氏自身の閲歴から来るものでした。父子とも偶然とはいえ、実の母の顔を知らずに育った境遇で、そうした父の扱いを、夕霧自身はどのように感じていたのか?― おほかたの心用ひなども、いと、ものものしく、まめやかに物したまふ君なれば、うしろやすく思しゆづれり。まだ、いはけたる御雛(ひゐな)遊びなどのけはひの見ゆれば、かの人の、もろともに遊びて過ぐしし年月の、まづ思ひ出でらるれば、雛の殿の宮仕へ、いとよくし給ひて、をりをりに、うちしほたれ給ひけり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) (夕霧は)おおむね性格なども、たいそう、慎重で、生真面目に振るまわれる君なので、(源氏の殿は、何事も)安心してお任せになっていらっしゃる。(明石の姫君は)まだ、幼いお人形遊びなどに興味があるように見えるので、あの人(雲井の雁)と、一緒に遊んで過ごした年月が、何かと思い出されて、(夕霧は、姫の御殿で)人形遊びのお相手を、たいそう心を込めてなさりながらも、時に、思い沈んでもいらっしゃるのであった。 この夕霧、紫式部はことさらに「おほかたの心用ひなども、いと、ものものしく、まめやかに物したまふ」と、マジメ人間であることを何度も強調しますが、彼のマジメさというのは、生まれつきというよりは、多分に装われたもの、意識して演じたものではないか、という疑いが、次第に明らかになってくるのですが、ここでは彼は源氏と内大臣家をつなぐ橋渡し役として使われている感じですね。したがって彼の話は、もう少し後にしたいと思います。 内大臣家には寄り付かないけれども、育ての親である大宮祖母には会っているようだし、雲井の雁だけには、相変わらず文も寄こしている。内大臣の息子たちから見れば、表面上涼しげな顔をしている夕霧というのを「なまねたし(生意気)」という感じで見ているのです。― つづく ―
2010.01.29
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さてつづくくだりでは、なおのこと玉鬘に言い寄ろうとする光源氏と、玉鬘とのやり取りが語られるのですが、ここで紫式部はさらにコマを一歩前へ進めたようにも思えます。 「さて、かゝる古言の中に、まろがやうに、実法(じはふ)なる痴物(しれもの)の物語はありや。いみじう気遠き、物の姫君も、御心のやうにつれなく、そらおぼめきしたるは、世にあらじな。いざ、たぐひなき物語にして、世に伝へさせむ」と、さし寄りて、聞こえたまへば、顔をひき入れて、 「さらずとも、かく珍かなる事は、世語りにこそは、なり侍りぬべかめれ」と、のたまへば、「めづらかにや、おぼえ給ふ。げにこそ、またなき心地すれ」とて、より居給へるさま、いと、あざれたり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 「ところで、こうした昔物語の中に、私のような、律儀なる愚か者の話はあるのかね。おそろしく浮世離れした、物語に出てくる姫君でも、(あなたの)お心のようにつれなく、空とぼけている人は、世に居るまい。それじゃあ、めったと例のない話として、世に語り継がせて行こうかね」と、すり寄って来ておっしゃるので、(玉鬘は)顔を(衣の内に)引き入れて、 「そんなことをなさらずとも、このようなめったと無いことは、世間の語り草にもなってしまいそうですわ」と、お答えになるので、 「珍しいと、お思いですか、なるほど確かに、めったとない心地がするなあ」と(言って)、寄り添って来られる様子は、まことに、しどけないことである。 話の筋としては、そのまま玉鬘を口説く源氏の、口から出まかせの話として読めるのですが、ここの「まろがやうに、実法(じほう、仏教用語、まじめ、律儀)なる痴者(しれもの)の物語はありや」というくだり、表向き光源氏が自分のことを、口説きかけては自制するクソ真面目なバカモノ、と自嘲したように書いていますが、読みようによっては、そうした「実法なる痴者」を「あまりなるまで」描き切るのは私しかいない、と紫式部は暗にシグナルを読者に送っているようにも思えるのです。 というわけで、停頓した話の中で、彼女は繰り返し読者にも我が身にも、今後の物語の展開にかんして、ある種の覚悟を促しているようにも見えるので、それは要するに、この先まったく古物語とは異なった世界に入って行きますよ、「実法なる痴者」の姿を、最後まで隈なく追い求めて行きますよ、と宣言しているかのようです。 表向き、功成り名を遂げて、得意の絶頂になりつつある光源氏、そのままでは停止するしかしょうがなかった物語が、衣冠束帯を剥いだ素裸の源氏を見つめて行くならば、老いゆく彼の姿もまた「あまりなるまで」書いて行けると確信したのかもしれません。丸谷さんが言われるように、人の真実を表現するのに、あえてダーティーな主人公を仕立てあげるというのは、十九世紀以降の近代文学や映画などに見られる特徴で、ドストエフスキーやフロベールの主人公など、とてもじゃないが道徳的とは言いかねますね。 紫式部はそれより800年以上前に、あるいは「愚か者の姿にこそ、人の実相が現れる」という逆理を嗅ぎ取ったのかもしれません。 ちょっと余談ですが、反社会的なヒーローと言えば、映画でもいわば定番で、今どき多少食傷気味でもあるのですが、もうすっかり古いタイトルで、例えば「将軍たちの夜」(1967年、アメリカ、コロムビア映画)というのがありました。 第二次大戦下のドイツ軍を舞台にしたサスペンスですが、戦争中連続猟奇殺人を犯した将軍が、戦後十数年経ってネオナチの復興に重鎮として祀り上げられる。その祝賀会の面前で、彼の異常な過去が暴かれて、たしか自殺するのですが、軍服と勲章に飾られた将軍の化けの皮が剥がされて、猟奇殺人者の顔が現れるとき、主人公役のP・オトゥールの演技がすごかったせいでしょうが、なぜか素の異常性格者の顔に戻っていくにつれて、むしろ人間的な尊厳のようなものが色濃く現れてくるのを、戦慄的な気分で見たことを思い出します。 なかばサイボーグ化したヒトラーを思わせる冷血が、愚者としての本性に立ち返るとき、彼はむしろ心の平安を感じたのではないか?800年前の紫式部が、そこまで人を見詰めるうえでのカギのようなものを、掘り当てていたかどうか、これはまったくの推測でしかないのですが、ふとそんな空想に駆られます。 さて、そのようにさり気に言上げしたとはいえ、彼女はそのまま痴者の地獄の話に入っていくのか、といえば、そうでもなくて、どっちつかずの玉鬘の物語から、なぜか内大臣家の話に、話題を少しずつ移して行きます。何だか巨大タンカーが舵を切るみたいに、静々とひそやかに。― つづく ―
2010.01.28
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光源氏の目的が、別のところにあったとはいえ、ここに語られた「日本紀などは、たゞ、片そばぞかし。」という言葉は、当時の正統な教養とされて、男だけが許されていた「日本紀」(日本書紀ではありません、それも含めた漢文で書かれた六国史)など片端に過ぎない、ことの真実は事実の中だけでは語りきれない、と言っていっているわけで、ずいぶん思い切った物言いですね。 ただ私には、ここには論理の飛躍があるように思えるので、当然のことですが、今どきの考えかたでは、歴史と物語はその在りようが異なるのです。しかし紫式部は、おそらくそれを意図的にやったのでしょう。はたして続けて光源氏が語るには、― 「その人の上とて、ありのままゝに言ひ出づることこそなけれ、よきもあしきも、世に経る人の有様の、見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしきふしぶしを、心にこめがたくて、言ひおきはじめたるなり。よきさまに言ふとては、よきことの限り選り出でて、人に従はむとては、又、悪しきさまの、珍しき事を取り集めたる、みな、かたがたにつけたる、この世のほかのことならずかし。 … ふかきこと、浅きことのけぢめこそあらめ、ひたぶるに、空言(そらごと)といひはてむも、事の心、違ひてなむありける。 … よくいへば、すべて何事も、むなしからずなりぬや」と、物語を、いと、わざとの事に、のたまひなしつ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 「(そもそも、物語というのは)誰それの人のこととして、(何もかも)ありのままに語るということではなくて、善きにつけ悪しきにつけ、この世に生きる人の有様で、見るに飽かせず、聞き捨てにも出来なくて、後の世まで語り伝えたいような事柄を、心一つに収め難くて、語り置き始めたのでしょう。(人をことさらに)善いように言うとなれば、善い事ばかり書きたて、読み手におもねようとして、(逆に)これまた、悪いことばかり面白がって取り集めた(ものであった)としても、皆それぞれ由あることであって、この世の他の話ではないのですよ。 … (書き方に)深い浅いの違いは(もちろん)あるとはいえ、何もかも全部ウソと言い切ってしまうのでは、ことの本質を見誤ってしまいます。 … (ものは取りようで)好い方に考えれば、すべて何事も、ムダになることがあるでしょうか」と、(今度は)物語を、たいそう、値打ちあるもののように、言いなされるのであった。 ここに語られた言葉は、当時の通念をはるかに飛び越えて近代的で、感動的でさえあるのですが、さて当時の人は、どれほどかこのくだりの意味するところを捉えていたのでしょう。 紫式部は日本紀だけでなく、漢籍の史書や詩にも通じていて、当時としては稀な教養を身につけた女性だったのですが、同時に女が男の教養を持つことの危険も充分知っていました。とはいえ、プライドを捨て去ってまで、その表現をたわめる気もなかったわけで、彼女はそれまで書き記してきた「物語」について、それなりに相当な自信をもっていたことでしょう。で、上のような物語感は、おそらくこの物語を書き始めたごく初期(たぶん「葵」や「賢木」の帖あたり)から、かなりハッキリと意識していたに違いないのです。 しかし頭の中に意識されているということと、こうして言葉にハッキリと書き記すということは、これまた自ずと別のステージに上がる、という転換があるわけで、彼女はここで自身の物語感を、もう一度言葉で確かめていたのではないか?例えば、空言(そらごと)の集積が、ときに事実を越えた真実を語り得る、といった公理を。これは周囲を取り巻く現世の事実とは別の、独立した宇宙や時間を構成するということでもあり、であるなら女子供が絵空事にうつつを抜かす、という振るまいにも一理あるということになります。 とはいえ、彼女はこうした考えかたを、例えばベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」のように、宣言文にするわけでもなく、あくまで物語の中にさり気に塗り込めているわけで、分かる人には分かる、だけど別に分からないまま通り過ぎても、いっこうに支障はない形にしていますね。 で、そうした彼女の声を分かった人が当時いたのかどうか、私はいたと思うのです。ずうっと始めのほうで話しましたが、どんな大天才といえども、時代を超越して才能を開花させるということは、あり得ないので、彼女の周囲を取り巻く熱心な読者層の中には、相当程度彼女の意図を汲み取った人たちがいたのではないか、という気がしてしょうがない。そもそも宮廷には、物事を露わに言上げしない、和歌なら必ずその言葉に二重の意味を込める、という作法が普通に行われていたわけで、彼女の考え方を察した人は、少なくとも数人ほどはきっといたでしょう。― つづく ―
2010.01.27
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と、まず当時の物語に対する社会通念に従って、玉鬘を笑い飛ばし、続けて、― 「 … さても、この偽りどもの中に、「げに、さもあらむ」と、あはれを見せ、つきづきしく続けたる、はた、はかなしごとと知りながら、いたづらに心動き、らうたげなる姫君の物思へる見るに、かた心つくかし。 また、「いと、あるまじき事かな」と見る見る、おどろおどろしく取りなしけるが、目驚きて、しづかに、また聞くたびぞ、憎けれど、ふと、をかしきふし、あらはなるなどもあるべし。 … 「物よく言ふものの、世にあるべきかな。空言を、よくし馴れたる口つきよりぞ、言ひ出だすらむ」と、おぼゆれど、さしもあらじや」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「 … それにしても、こうしたつくりごとの中にも、『ホントに、そうだなあ』と、人情の機微にも触れて、もっともらしく書き綴ってあると、これまた、取り止めもないことと知りつつも、自然と心が動き、(物語の中で)美しい姫君が物思いに耽っているのを見ると、何となく心惹かれてしまうものなのかしら。また、『絶対、有り得ないことだ』と思っていても、たいそう大げさに書いてあると、(思わず)目を見張り、(しかし)落ち着いて、改めて聞いていると、(だんだん、そうでもないと分かって)つまらなくなるものですが、(それでも)ふと、心惹かれるくだりが、印象に残る場合もあるのでしょう。 … (近ごろ)『話のうまいやつが、世間にはホントに多い。(この手のことは)ウソを、よほど言い馴れた(やつの)口から、きっと出たものだろう』と、考えておるが、そうでもないのかなあ」 要は「物語」という「空言(そらごと)」に、夢中になって一喜一憂するのは、女子供の仕業、男はそんなものに騙されはしないが、世間には口のうまいやつがいて、だからはじめの「女こそ、『物うるさがらず、人に欺かれむ』と、生れたるものなれ。」ということになるのです。 しかし、それに対する玉鬘の返事は、なかなか気の利いたものでした。― 「げに、いつはり馴れたる人や、さまざまに、さも汲み侍らむ。「たゞ、いと、誠のこと」とこそ、おもう給へられけれ」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「ホントに、ウソをつくのに馴れている人だからこそ、いろいろ、そのようにもご推察なさるのでしょう。(私などには、物語は)『ただただ、まったく、本当のこと』としか、思えませんわ」 と言って、書写するのを止めて、硯を押しやる。この応対一件で、玉鬘が決してバカじゃないことが分かりますね。世間一般の通念でからかってみた光源氏ですが、しかし彼の目的はもちろん彼女を言い負かすことではなく、玉鬘とさらに親しくなることですから、次に語ったこととは、― 「こちなくも、きこえおとしてけるかな。神世より世にある事を、記し置きけるななり。日本紀などは、たゞ、片そばぞかし。これらにこそ、みちみちしく、くはしき事はあらめ」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「心ならずも、大いにけなしてしまったね。(物語というのは)神の代から世にある出来事を、書き記したものだそうな。(実をいうと、男の習っている)日本紀などは、(その)せいぜい片端にすぎないのさ。これら(物語)くらい、物の道理に、詳しい事はないんだよ」 と、先ほどとは反対のことを言って、憚るところがないのです。― つづく ―
2010.01.26
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要するに、光源氏が本気で自身に泥をかぶる気がない以上、この「さすがなる御なか」は動きようがないので、既得権益を得ている人物というのは、物語的には魅力的足り得ないのです。はたしてこのあと、この二人の関係はどっちつかずの状態で、完全に停止してしまいます。 このかん、紫式部はこの物語そのものの中味を、もういっぺん根っこから考え直していたのではないか。a系物語が「槿」の帖で停頓したように、b系物語もまたここへ来て頓挫してしまうというのは、たんに古物語の換骨奪胎のムリということとは別に、共通した原因があるようで、それはどうやら物語が進んで終わりが見えてくるとともに、主人公が成熟してつまらなくなってくる、ということでしょうか。結局、「貴種流離譚」であろうが「求婚譚」であろうが、結末がすべて「めでたし」で終わるような結構だと、人物が動かなくなって来る。 彼女はむしろ結婚した(古物語なら、そこで「めでたし」で終わった)あとの、女の現(うつつ)の「あわれ」を、さまざまなパターンで見つめて来たわけで、してみれば、この希代の男主人公についても、同じ境遇が表現されてしかるべきではないか? というわけでもないのでしょうが、このあと有名な「物語論」が展開されるのです。爾来このb系物語には、いろいろ「~論」が多いので、「雨夜の品定め」の「女性論」をはじめとして、「筆跡論」だの「歌論」だの、とにかくあまり面白いとは言えない講釈がこんなに多い物語も、丸谷さんによればあまりなさそうです。 その中にあって、ここで語られる光源氏の「物語」講釈は、そのなかに色濃く紫式部の考え方を潜ませているので、取り上げざるを得ません。ただし、これはあくまで物語の文脈の中で、光源氏の話したこととして語られるのですから、その中味だけを取り出して紫式部の考え方とするわけにはいきません。彼女はあくまで、源氏の言葉として、あたかも玉鬘に対する口説きの方便のようにしてしゃべらせているのです。 五月の長雨が続いて、退屈し切っている六条院の姫君たちは、絵物語などで遊び暮らしているのですが、なかでも玉鬘の新姫は、こうした物語が目新しくてことのほか熱心で、終日読んだり書いたりして時を過ごしているのですが、そこへやって来た源氏が言うには、― 「あな、むつかし。女こそ、「物うるさがらず、人に欺かれむ」と、生れたるものなれ。こゝらのなかに、誠は、いと少なからむを。かつ知る知る、かゝるすゞろ事に心を移し、はかられ給ひて、あつかはしき五月雨(さみだれ)髪の乱るゝも知らで、書き給ふよ」 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「あ~あ、うっとうしい事よ。女というのはまったく、『(よくこれだけ)面倒がらずに、(まるで)人に欺かれよう』と(思って)、生まれてきたみたいだね。これら(物語)のなかに、本当のことなど、まずないだろうに。そのように知りつつ、このようなつまらん事にうつつを抜かし、騙されなさって、暑苦しい五月雨のなか髪の乱れるのも忘れて、書き写してらっしゃるとはね」― つづく ―
2010.01.25
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はじめの二つは明らかとして、第三の理由とは、もしこれが堅物の髭黒大将であったら、彼はこんな企みはしなかったのではないか。髭黒はおそらくマジで怒っただろうし、世俗の采配をいずれは握るであろう実力者と、気まずくなるのは避けたい。まして内大臣家の中将(柏木)は、玉鬘とは実の姉弟の関係ですから、会わせるなどとんでもない。 男やもめの長い兵部卿の宮、この一件で「螢兵部卿の宮」と呼ばれることになるのですが、源氏はどうも親王系の人たちに対して、一種見下したようなところがある。趣味の部分で親しそうにしているけれども、決して自分と同格とはみなしていない。ひらたく言えば「お前たちには、臣籍降下した私の気持や、振るまいかたなど、決して分らんだろう」といったような傲岸な態度であって、だから、からかう対象として兵部卿の宮など格好だったのでしょう。同じようなシチュエーションが、かつて兄の朱雀帝に対する仕方に現れていました。また紫の上の実父である式部卿の宮(かつての兵部卿)に対することさらな仕打ちも、一面ではそうした現われだったのかもしれません。 というわけで、つらつらこのあたりの光源氏の振るまいを見ていると、同じb系の裏話として語られていても、それまでの「帚木」「空蝉」や「夕顔」などに見られた彼と、「玉鬘十帖」における彼は明らかに違っている。何が違っているかといえば、もう気付かれている人も多いと思いますが、主人公の人生に対する真摯さのようなものの違いだと思うのです。 青春期の彼の振るまいは、今の内大臣(頭の中将)とともに相当悪い。悪いどころか人(夕顔)を死なせても、表向きは知らん振りをしている。しかしそれでも読者が若い彼に着いて行けるのは、相手を傷つけるのと同じレベルで彼自身も傷ついたり、相手の行く末を気にしたりもする、要はムチャクチャをやりながらも、朧月夜の一件がそうであるように、源氏自身も泥をかぶるような一生懸命という可愛気があるのです。このあたりは、それこそ若さの特権というべきものかも知れませんが、太政大臣になってからの彼の振るまいというのは、明らかに権力をほぼ手に入れた者の奢りというか、堕落が露呈してくるので、人に対する仕方としては、姫君にも殿方にも誠実であるとはとても言えませんね。何をやっても彼自身が傷つくということは絶対に無いのです。 「螢」の帖のこのあたりに、鮮やかに現れた退廃のムードこそ、我々を鼻白みさせる大きな原因でしょう。そのあたりを紫式部は、どのように考えていたのか? つづくくだりに、源氏の本心のようなものが語られます。玉鬘が、このままでは世間の笑い者になってしまう、と思い悩んでいるのですが、― さるは、「まことに、ゆかしげなきさまには、もてなしはてじ」と、おとゞは思しけり。なほ、さる御心癖なれば、中宮なども、いと、うるはしくや、思ひ聞え給へる。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 実際のところは、「(玉鬘を、妾妻のような)本当に、みっともない境遇には、貶めないでおこう」と、源氏の殿は思っていらっしゃる。(とはいえ)やはり、いつものお心癖もあるので、(秋好)中宮などに対しても、たいそう、(今だに)綺麗だなあ、とも想い掛ける気持もおありなのである。 秋好中宮に対しては、彼女が中宮に立つ前、源氏はさかんに懸想していた前科がありましたね。六条御息所の形見として、彼には重要な位置を占める人だったのです。とはいえ今や高い身分なので、おいそれと手を掛けるわけにはいきません(まして彼女は、我が息子、冷泉帝の后ですよ)。それに較べれば、 ― この君は、人の御さまも、け近く今めきたるに、おのづから思ひ忍びがたきに、をりをり、人、見たてまつりつけば、うたがひおひぬべき御もてなしなど、うちまじるわざなれど、ありがたく思し返しつゝ、さすがなる御なかなりけり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) この(玉鬘の)君は、お人柄も、親しげで今ふうなので、どうしても気持がガマンできなくなって、折々、人が、見申し上げたなら、疑いもかけられそうなお振るまいなどに、及びそうにもなるが、(そのたびに)何とか思い返しなさるという、めったとないご関係なのであった。― つづく ―
2010.01.24
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そういう玉鬘の「人ざまの、わららかに、け近く物し給ふ」うわさを聞いて、名乗りを上げた三人の中でも、取り分け源氏の弟の兵部卿の宮が熱心に懸想文を書いて寄こす。想い掛けてくる男たちの動向を、送ってくる文を検閲することで逐一ウォッチしている光源氏は、玉鬘にはなはだあいまいなアドバイスをして、しかるべき人には失礼のない程度の返事も書きなさい、と言ったりするので、玉鬘はますます混乱する。 もし源氏が玉鬘に対して本気なのであれば、他の男の懸想文など放っておけ、ということになるはずですが、彼はそうしない、どころか、兵部卿の文に対して、女房を介して対面OKの返事を出させる。そこには源氏のいたずらが含まれていたのですが、そのあたりの経緯は本文を読んでみてください。 要は、兵部卿の宮が玉鬘のところへ忍んでやって来た頃合いに、部屋のどこかに隠れていた源氏が、蛍を大量におし隠した衣を、いきなりさあっと開けたので、部屋が一瞬灯をともしたように明るくなって、両人ともビックリしてしまった、というわけなのです。― 「おどろかしき光見えば、宮も、のぞき給ひなむ。わがむすめと思すばかりのおぼえに、かくまでのたまふなめり。『人ざま・かたちなど、いと、かくしも具したらむ』とは、え推し量り給はじ。いとよく、すき給ひぬべき心、惑はさむ」と、かまへありき給ふなりけり。まことのわが姫君をば、かくしも、もて騷ぎたまはじ。うたてある御心なりけり。こと方より、やをらすべり出でて、わたり給ひぬ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (源氏は)「ビックリするような光がさしたら、(兵部卿の)宮も、(玉鬘の姿を、きっと)覗かれるだろう。我が(源氏の)娘と思ってらっしゃるゆえの想い掛けで、このようにも熱心におっしゃっているの(に決まっているの)さ。『人柄容貌など、(正真正銘)まことに、このようにも非の打ち所がない(姫)』とは、よもや思ってらっしゃるまいよ。(だから、この際)せいぜいたっぷりと、(宮の)好き心を、惑わしてやるのさ」と、企んでなされたことなのであった。(殿も)本当の娘君ならば、このように(ふざけて)、騒ぎ立てることはなさるまい。(まったく)困ったお心癖ではある。(殿は)別の戸口から、そのまま抜け出して、行っておしまいになった。 玉鬘の話を右近から聞いたときから、源氏の心はどうもこの姫君を、弄(もてあそ)び物にしようとしていた気配が濃厚で、ところが実際に「親がり」て、彼女の振るまいをじかに見るにつけ、思いのほか(ひょっとして母親以上に)魅力がある。はじめこそ畏れ多い我が娘、ということになっている彼女に群がってくる男たちを、けしかけてせいぜい面白がってやろう、くらいの感じで考えていたのが、源氏本人も少しおかしくなっている。しかしかといって、本気なのかといえば、この蛍の企みに明らかなように、そうでもないらしいのです。 ここの趣向を面白がっているのは、正確に光源氏本人だけで、他の登場人物はもちろん、読んでいる私たちも、たぶん書いている紫式部自身も、ちっとも面白くない。ひたすら鼻白むばかりなので、だから最後に「うたてある御心なりけり」という草紙地が入るのです。 このシラける原因が何なのか、このあたりにどうやら「求婚譚」というおとぎ話の換骨奪胎というムリとは別に、大きな理由が嗅ぎ取れそうです。 第一の理由は、言うまでもなく、彼が本気で玉鬘を考えているのか、相当疑わしいこと。 第二に、弄び物として、玉鬘だけでなく兵部卿の宮他の男たちも巻き込んでいること。 第三に、そのなかで、兵部卿の宮に企みを仕掛けたについては、それなりに算段を巡らしているらしいこと。と、いったところでしょうか。― つづく ―
2010.01.23
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じつはそのヒントのようなものが、この「螢」の帖の初めのほうの挿話で、ずいぶん鮮やかに出ているように思っているのです。― おとゞも、うち出でそめ給ひては、なかなか苦しく思せど、人目を憚り給ひつゝ、はかなきことをも、え聞え給はず、苦しくも思さるゝままに、しげく渡り給ひつゝ、お前の人、遠く、のどやかなる折は、たゞならず気色ばみ聞え給ふごとに、胸つぶれつゝ、けざやかにはしたなく、きこゆべきにはあらねば、たゞ、見知らぬさまに、もてなし聞え給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (源氏の)大臣も、(その胸の内を)明かされて後は、むしろ(その想いを)辛くも感じなさるが、人目を憚りなさって、ちょっとしたことさえ、ようお話になることも出来ず、(それでも、恋しくて)胸苦しいお気持のまま、たびたび(玉鬘のもとに)お出でになっては、お側に人が、いなくて、ひっそりした折りには、ただならぬ気配で(とんでもない想いを)おっしゃるので、(玉鬘は)胸がつぶれるような心地ではあるが、ハッキリみっともないことと、申上げるわけにもいかず、ひたすら、気付かない振りをして、応対していらっっしゃる。 絶大なる権力者の、どう見てもねじけた想い掛けに対して(儒教社会なら、たとえ養女であっても、わが娘に懸想するのは、どうみてもアウトですよ)、玉鬘はただもう分けがわからない振りをして、受け流すしかない。ところがその素振りというのが、― 人ざまの、わららかに、け近く物し給へば、いたくまめだち、心し給へど、なほ、をかしく、愛敬づきたるけはひのみ、見え給へば、 … ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (玉鬘の)人柄が、(もともと)朗らかで、人懐っこくお振るまいな(性質な)ので、(自分では)たいそう真面目に、用心なさっていらっしゃる(つもりな)のが、かえって、可愛らしく、魅力的な雰囲気に、お見受けしてしまうので、 … 立ち居振るまいが、どうしようもなく、とくに男=オスに色香を感じさせる女性(顔かたちではありませんよ)というのは、確かに今の世でもいるので、私もかつて職場の女性から、別の人のことで「何で、あの人はあんなに雰囲気があるのやろう」と、なかば感嘆したような話を聞かせられたことがあります。本人が意識するしないにかかわらず、話かけられた男=オスどもの様子が、よく見ていると確かに全部ちょっとずつおかしくなっている。 こうしたフェロモンというのは、むしろ本人が意識していない場合ほど、濃厚にただよって来るので、いわゆる意識されたcoquetterie(媚態)との違いを男=オスは敏感に嗅ぎ取るものです(例えば、キャバクラの女性方の立ち居振るまいとは、ね。失礼!)。 それにしても紫式部は、そのへんの女性方それぞれの持ち味というか、振るまいかたにかんしては、本当に驚くほど仔細に、また男=オスのような眼で観察していますね。 とはいえ、問題はそのあとつづく話なのです。― つづく ―
2010.01.22
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季節がどんどん進んで行くなか、のどかな六条院の中で、相変わらず一人思い悩んでいる玉鬘ですが、― かの、監(げむ)が憂かりしさまには、なずらふべきけはひならねど、かゝるすぢに、かてけも、人の思ひより聞ゆべき事ならねば、心一つに思しつゝ、「さま異に、うとまし」と、おもひ聞へ給ふ。なに事をもおぼし知りにたる御齢(よはひ)なれば、とざまかうざまに思し集めつゝ、はゝ君のおはせずなりにける口惜しさも、又、とりかへし、惜しく悲しくおぼゆ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) あの、(筑紫のむくつけき大夫の)監の鬱陶しさには、比ぶべくもない気分ではあるけれど、このような(はしたない)話は、どう考えても、誰もお気付き申すことではないので、(姫ご自身の)心一つに思い収めて、「(殿の)様子がヘンで、イヤらしいわ」と、思い申し上げていらっしゃる。(もうすでに)何事も分別のつくお歳なので、あれこれ考え合わせられるに、(根っこは、結局のところ)母君が亡くなっておられないのが(原因)と無念で、(それを)また、あらためて、口惜しくも悲しく思っておられる。 要は後ろ楯のない悲しさ、真実を内大臣に知らせようにも、一人身の玉鬘には光源氏の圧倒的な権勢に逆らう術がない。これは仮に内大臣が彼女を知ることになったとしても、相当慎重な対応を迫られることをも示しているので、今や源氏の威光を止める人がいない、何だか今どきどこかの政府みたいですね。 ところで、皆さんは気付かれました?この玉鬘をめぐる「求婚譚」は筑紫の話につづいて、二回目であることを。こういう言わば二番煎じの話を、臆面もなく出してくることについて、紫式部はおそらく充分それを分かっていて、やっているのではないか、と思うのです。 筑紫での、はなはだ童話的な、ということは「竹取物語」のような昔物語の雰囲気に近い話を、彼女はもう一度根っこから見直して、まったく新しい物語を創ろうとしたかのようですね。換骨奪胎というのが、これまでの彼女の主たる得意な手法であることを考えれば、当初はこの部分を、結構自信を持って構想していたのではないか、と思えるのです。ということは、「玉鬘十帖」における最後の意外な結末は、最初から彼女の頭の中にあったかと思われるのですが、それがなぜこの途中に到って頓挫してしまったのか? 前の「胡蝶」の帖のおわりで、その根本原因がどうやら「求婚譚」という、使い古された題材にある、というような話をしましたが、それとは別に、例の大野さんは対談「光る源氏の物語」(中公文庫)で、b系物語全体を通じたテーマが、光源氏の失敗談であろう、という話をされていて、一つの手がかりになるのではないか。確かに空蝉も夕顔も末摘花も、そして結局玉鬘も源氏にとっては、言わばみっともない話、公けには出せない話として、正系(a系)の物語とは別に、並びの巻として編まれた可能性は高いのですが、かといって、玉鬘の結末は明らかに他の三人とはトーンが違う。 要は前の三人との話が、滑稽譚と猟奇譚で読者を引っ張っていって、じゅうぶん飽きさせない(その点では「末摘花」の話も、その品格は別として話し上手ではあるのです)のに対し、読むのも書くのもしんどいというのが、何度も言いますが「初音」「胡蝶」「螢」の三帖なのです。私はこの大野さんの説には必ずしも賛成できないのですが(a系物語にも失敗譚は、朝顔の宮のようにあるじゃないですか)、とはいえもし紫式部が失敗譚のくくりとして「玉鬘十帖」を考えていたのだとすれば、最後に面白くもおかしくもない話になってしまった、ということになってしまいます。 その原因の一つを、今回読み直しながら考えています。― つづく ―
2010.01.21
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しかし一度動き出した、例の「お癖」はもう止めることが出来ないので、源氏は上着を脱いで玉鬘の横に添い寝したりもする。しかしまあ、そのあたりもたいていの読者には、あらかじめ予見できたことなので、よろしければ本文を読んでみてください(原文でなくても、いいですよ)。 「求婚譚」を下敷きにして、何人かの殿方の競い合いが描かれるのかと思いきや、父親気取りの光源氏が割り込んできたことで、話はまことにややこしいことになってしまいました。紫式部がそれを最初から目論んでいたのかどうか?その後の彼の振るまいを見ていると、一瀉千里(いっしゃせんり、あっという間に)に玉鬘をモノにするわけでもない。 当時の通念では、そのまま后にしても別に不思議ではありませんでした。紫の上との関係じたい、養女という建てまえで拉致してきて、知らぬまに奥さんにしてしまっているわけで、今回は相手が最初から肉体的には、すっかり成熟した姫君であったというだけのことです。 ここのあいまいな光源氏の振るまいというのは、おそらく紫式部の作中人物たちに対する取り扱いのブレでもあったわけで、彼女はここに来て、この玉鬘の話に困ってしまったのではないか。彼女が日本や大陸の古物語を下敷きにして、「源氏物語」を構想したのは間違いないと思うのですが、「貴種流離譚」にせよ「霊験譚」にせよ、それらを創作のヒントにはしても物語の基本的な骨格にはしなかったわけで、周囲から手に入る材料を根底からいったんすべて見直して、まったく新たな物語世界を創り出したというところに、これまでの彼女の超絶的な独創があったと思うのです。 しかしそれらの試みが、ことごとく成功するかといえば、それは土台ムリな話で、新たな地平に向かうときに妙な陥穽(かんせい、落とし穴)にはまったりもする。これまでも例えば、「薄雲」の帖で唐突に現れた僧都の告白など、それまでの古物語のムードが一変して、突然今ふうのドラマが出現する。「槿(あさがお)」の帖まででいったん停止したであろう、いわゆるa系物語の魅力は、厚く塗り込められた古物語の下地から、ときどき生々しい人の心や叫びが浮かび上がってくる、ときにそれが巨大なバブルにふくれあがって、我々を圧倒しそうになるのですが、基本的にはまた元の古物語の地平に戻っていく、といったような感触にあると思うのです。 彼女は、おなじみの筋書きを換骨奪胎することによって、自身の話し上手の才能を開花させたわけですが、次第にその方法に飽き足らないものを感じていたのではないか?自身の表現をもう一歩進めるために、いったんa系物語を停止してb系の物語を始め、「帚木」「空蝉」「夕顔」で見事なくらい、新たな柔らかい表現を手に入れたのですが、b系本編の「玉鬘十帖」へ来て、再びa系と同じような倦んだ感じに陥っているのです。 それがどこから来ているのか?彼女自身がそれに悩んで、さまざま試行錯誤しているのが、何度も言うようにこの「初音」から「蛍」にいたる三帖で、その根本原因がどうやら「求婚譚」という、使い古された筋書きにあるということに、このころから彼女は薄々感じ始めていたのではないか、と私は疑っているのです。それを解決するには、まったく新しい物語の構図を考えなければならなかったのですが、そのヒントは次の「蛍」の帖まで待たねばなりません。 というわけで、「胡蝶」の帖は、はなはだ中途半端な状態で、玉鬘の、― 色に出て給ひて後は、… むつかしく、きこえ給ふこと多かれば、いとゞ所せき心地して、おき所なき物思ひつきて、いと悩ましうさへし給ふ。 かくて、「事の心知る人は少なうて、疎きも親しきも、むげの親ざまに、思ひ聞えたるを。かうやう気色の漏り出でば、いみじう人笑はれに、憂き名にもあるべきかな。父おとゞなどの、たづね知り給ふにても、まめまめしき御心ばへにもあらざらん物から、まして、いと、あはつけう、待ち聞きおぼさんこと」と、よろづに安げなう思し乱る。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) (いったん心の内を)色にお出しになってのちは、… (殿は)ややこしいことを、おっしゃることが多く、(玉鬘は)どうにも気が気でない心地がして、身の置き所なく物思いに沈んでしまい、ひどく気を病まれなさる。これは(結局)、「事の真相を知る人が少なくて、他人はもちろん身内も、(源氏を)本当の父のように、お思い申しているから(だわ)。(もし)このような(とんでもない)気配が漏れ出たなら、ひどく物笑いにもなって、(それこそ)みっともない評判も立つことだろう。(実父の)内大臣殿が、(私のことを)尋ね知ることにおなりになったとしても、親身なお気持でも(扱って下さることは)ないだろうから、まして(こんなことが分かったら)、なんて、浅はかな(娘だ)と、待ち聞きながらお思いになること(だろう)」と、何かにつけて心穏やかならず思い悩んでいる。 という述懐で、おわるのです。― 源氏1000年 胡蝶 おわり ―
2010.01.20
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玉鬘のもとに次々届く懸想文を、親父の特権で、いわば「検閲」して、この人はどう、あの人はこう、返事はこう書きなさいとか、とにかく寄ってくる男=オスたちの人物評や、それへの対処法など光源氏はうるさい。もともとよくしゃべる男ですが、このあたりのくだりは、玉鬘にしょっちゅう会うための大義名分を取り繕うために、何やかやしゃべっているわけで、はたして会うごとに彼女を見る眼が変っていって、とうとう手を握ったりもする。玉鬘としては、最初からこの父親代行のような光源氏に、何となく違和感を覚えていたのが、ここへ来ていよいよヘンなことになった、と感じるのです。― 「むつかし」と思ひて、うつぶし給へるさま、いみじう懐しう、手つきのつぶつぶと肥え給へる、身なり・肌つきの、細やかに美しげなるに、なかなかなる物思ひ添ふ心地し給ひて、今日は、すこし、思ふこと聞こえ知らせ給ひける。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 「エライことになった」と思って、うつ伏していらっしゃる(玉鬘の)姿は、とてもゆかしくて、(握った)手つきがふっくりとしなやかでいらっしゃる、体つき・肌つきも、きめ細やかで可愛いので、(源氏の殿は)怪しげなる気持が沸き起こってらっしゃって、今回は、少しばかり、想い慕う気持をお漏らしになる。 何だか、女性の患者が、いつのまにやら男性の医者に、別の目線で見られていることに気付く、といった感じですね。― 女は、心憂く、「いかにせん」と、思えて、わなゝかるゝ気色もしるけれど、 「何にか、かく「うとまし」とは、おぼいたる。いとよく、もてかくして、人に咎めらるべくもあらぬ、心の程ぞよ。さりげなくてを、もてかくし給へ。あさくも思ひ聞えさせぬ心ざしに、また、そふべければ、世に類あるまじき心地なんするを。この、音づれきこゆる人々には、おぼしおとすべくやはある。いと、かう、ふかき心ある人は、世に有り難かるべきわざなれば、後めたくのみこそ」と、のたまふ。いと、さかしらなる御親心なりかし。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 女は、つらくて、「どうしよう」と、思って、震えているのがハッキリ分かるが、(源氏は)「どうして、そのように『うっとうしい』と、思われるか。(私は)抜かりなく、取り繕って、他人に非難されることのないように、注意しておる。(そなたも)さりげなくして、隠していらっしゃい。浅からず思っておった(親代りという)愛情に、もう一つ、(新たな愛が)加わったのだから、世に例のないほどの想いであるのに(なぜ、それを察してくださらぬ)。このように、懸想されて来る人たちより、(私を)思い貶めるようなことは(よもや、ありますまいね)。まったく、こんな、思慮深い男など、この世にいないに決まっているから、(こうして)心配ばかりして(いるのに)」と、おっしゃる。まったく、ふざけた御親心ではある。 今や権勢も極まって、向かうところ敵なしの光源氏、「いと、かう、ふかき心ある人は、世に有り難かるべきわざなれば、… 」という言葉は、彼の心奢りを示して余すところがないのですが、その前の意味不明の屁理屈も含めて、さすがに紫式部もうんざりしたのか、草子地に「いと、さかしらなる御親心なりかし。」と、しゃべらせていますね。― つづく ―
2010.01.19
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そういえば、内大臣家の中将(柏木)を別にすれば、恋のさや当てに名乗りをあげている兵部卿の宮や、右大将(髭黒大将)も今でいう中年男で、父親気取りの源氏も含めて、何となくオッサン方をどうしようもなく惹きつけてしまう濃厚なフェロモンが、玉鬘には本来的に備わっているようにも思えます。これはなにも玉鬘がお色気をプンプンと振りまいて、世の殿方を悩殺しまくったということではなくて、今でも時々いるでしょう、妙にオッサン方に人気のあるキャスターみたいな人が。 このあたり言いかたに気をつけないと、女性方からまたもやおおいに怒られそうですが、言うなれば、容貌もそこそこ、頭のほうもそこそこ、そして何に対してもノーと言うことがなくて、しかもいつも笑顔を絶やさない人というのは、娑婆の生臭い競争に明け暮れる中年男どもにとっては、はなはだ心惹かれる対象であるわけで、さらに彼女には何と言っても、他には換えがたい「若さ」という特権があるのです。彼女はこの頃二十二歳で、当時としては決して若いということではなかったのですが、とっくに若さはどこかへ失って、娑婆の競走に脂ぎった顔でうつつを抜かしている男たちには、まるっきりのコギャルよりは、すでに肉体的には充分大人になっている玉鬘のような姫君のほうが、むしろ眩しいほどの生気を感じさせられたことでしょう。 この時代(というより、一般的に日本では)、倫理的な意味での「処女性」というのは、女性の魅力の尺度としては、必ずしも厳密には求められなかったようですが(むしろ「人妻のほうが、あっちのほうはステキ」みたいなことを、確か源氏もどこかで言ってましたな)、こと玉鬘にかんする限り、そして懸想する相手が中年男たちである限り、彼女の処女性というのは、充分魅力たり得る。これは裏を返せば、そもそも「求婚譚」という古物語が、処女を前提に組み立てられた物語であることを示しているわけで、早い話、地上の男と交わったかぐや姫は、お月さまへ昇天できるわけがないでしょう(余談ですが、そういう意味でも「かぐや姫」伝説というのは、大陸由来の比較的新しい伝説で、「古事記」などに現れた日本古来の神話とは、ずいぶんトーンが異なるのです)。 この場合、まだ開いてない花を最初に咲かせるのは俺だ、という願望は年長組の男たちのほうが、はるかに強かったはずで、なぜなら彼らはそれによって、いくぶんかでも我が身を若返らせる、失った生気を取り戻すことが出来たからです。このシチュエーション(中年男と処女)のセックスとは、相手に与える以上に自分に得るところが、男=オスにはあったわけで、かつて中世ヨーロッパには、王様に「処女権」なる特権があったようですね。そういえばこの玉鬘も、あとあと帝の内侍を勤めることになるようです。内侍(ないし)が表向きの皇室秘書官という肩書きとは裏腹に、夜のお勤めも担っていたのは源内侍や朧月夜をみればわかります。 「玉鬘十帖」には、そういう意味で、後世の倫理性(儒教とかキリスト教とか)とは違った背景(今やそれもまったく無意味になってしまったようですが)のもとで、めずらしく「処女性」の価値観ようなものが、この求婚譚の根底を流れているわけで、そうでないとこの話のおわりの意外な結末を理解することは難しいのです。まあしかしそれは先の話。 とまれ、光源氏は表向きの父親役であることを利用して、ふつうの姫君に対するより、はるかに気安く彼女に接することが出来る。「親がり」て、何やかや用事を作っては、玉鬘のもとを訪ねる光源氏というのは、もうすでにかつての貴公子然とした容貌涼しげな殿様ではなく、いわゆるヘンなオッサンのイメージに近いですね。― つづく ―
2010.01.18
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ここを、いささか今ふうに口語訳するとすれば、 殿は、「(玉鬘を)こよなく可愛い」と、想いをつのらせなさる。(それを)紫の上にも話して聞かせなさった。 「不思議なほど、(人を)惹きつけさせる、気立てだなあ。あの、昔の人(夕顔)は、あまり晴れ晴れした様子のない人だった。この姫は、物の分別がよくつくのであろうか、人懐っこいところもあって、安心してみていられる」などと、お褒めになる。(源氏が、こうした場合)タダでは済まさないお癖であることを、(紫の上は、よく)見知っていらっしゃるので、(そのあたりを)推察して、 「思慮分別が、あるように、振るまっていらっしゃるのに、(あなたに)すっかり気を許して、頼っていらっしゃるとは、お気の毒だこと」と、おっしゃるので、 「どうして、(私が)頼りがいがないのかね」と、お聞きになると、 「あらまあ、私としましてもまた、堪えがたくも、悩ましい時々もあった、(あなたの)お心ぶりを、思い出す折りなどが、無いとでも(思っていらっしゃるのですか)」と、ニッコリして、おっしゃるので、(源氏は)「ありゃ、勘の早いことだわい」と、思って、 「つまらぬ邪推をするなあ。(もしそうなら、賢い彼女が)絶対、気付かないわけがないじゃない」と、ややこしそうなので、(とりあえず)その話は切り上げなさったが、心のうちでは、「紫の上が、このようにも推察なさるようでは、(この先)いかがしたものか」と、気持も乱れ、はたまた、いやらしくも、けしからぬ、我が心の性質(たち)にも、思い当たられる。 (しかし源氏は)心惹かれるまま、(玉鬘のもとに)しばしばお訪ねになって、世話を焼かれるのであった。 源氏は紫の上に対しては、とにかく出来るだけ開けっぴろげに、何でも隠し事なく話しているように装う。しかしその真意が、「こうして何でもあなたには正直に話しているのだから、私のやってることにイチイチ目くじら立てないでよ」という免罪符的な意図も含まれているわけで、長い付き合いの紫の上は、そのあたりの間合いは先刻ご存知。したがって、対する返事にはいつもチクチクした毒があるのです。このあたりは、すっかり成熟しきって多少倦んだ感じの夫婦の間柄がよく表れていて面白い。 で、そうした紫の上の若いときからの利発すぎる洞察力というのは、光源氏にとってはもっとも弱いところで、彼女と接している時の源氏というのは、睦まじい雰囲気を装いながらも、いつも多少の緊張を強いられる。春の御殿の北に花散里の館を置いたのも、気を使う必要もなく、しかも初老の彼女なら嫉妬される心配もないからでした。 ところで、嫌味を言うときの紫の上、目をとんがらせて言うのでなく、「ほゝゑみて、きこえ給へば、… 」という「氷の微笑!」は、いつぞや前にありましたね。「松風」の帖で、源氏が明石の姫君の養育を、紫の上に頼む場面だったのですが(松風 14.15.参照)、ここの「すこしうち笑み給ひぬ」という表情と何となく似ている。彼女もまたどんどん大人になって、ヘタな取り乱しかたはしなくなっているのです。年の暮れに各姫君に贈る衣装選びで、他の姫君の器量を探ろうとして、源氏に見破られたことへの意趣返しもあったかもしれません。 一本取られた形の光源氏、けん制球で気分はおおいに乱れますが、しかし玉鬘の若くて美しく、しかも優しくて頭も良さそう、という魅力には抗しがたい。ここから先の源氏は、若やいだフェロモンに翻弄される中年男のいやらしさとか、哀しさなどが色濃く出て来るのです。― つづく ―
2010.01.16
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しかしこうした新しい試みが、すべて上手くいくかというと、これはどんなことでもそうなのですが、失敗の危険もママあるわけで、私がここの長いおしゃべりで「末摘花」や「蓬生」「関屋」の帖の話をカットしたのは、それが失敗であると看なしたからです。 彼女にとって困ったことは、自身失敗と思っていた(想像ですよ)末摘花にかんする話が、宮廷内ではおそらくおおいに評判を取ったであろうことで、新しい帖を書くたびに「あの末摘花はどうなった?」といったリクエストが周囲からしょっちゅう出されたことでしょう。読者の下卑た性根に媚びたような話は、彼女としておおいに本意ではなかったと思う(思いたい)のですが、もちろん今どきのように作家が名士であるわけでもない時代、止む得ず妥協して読者サービスに努める場面が、とくにb系物語の途中では頻発したのではないか? だからと言うわけじゃないですが、この「初音」「胡蝶」「蛍」の三帖などには、彼女の表現に迷いがあるのではないか、というような指摘が、丸谷さんなどから出てくるのです。私もその尻馬に乗るわけではありませんが、ここの玉鬘の素描をみていると、いろいろ説明はしてあるけれど、少しも生きた魅力が出てこない、という印象を持っています。それはたぶんこのヒロインにかんして、魅力的なエピソードが語られないからでしょう。 それは同時に、彼女にだんだん惹かれて行く源氏の心理描写にも反射していて、これは予想されたことをたんに細々となぞっているだけじゃないの、という印象が免れないのです。 そのあたりを見切ったのか、何でも黙っておれない源氏が、玉鬘のことを紫の上に話した中味に対する、この奥さんの返事は、いかにも毒があって面白い。ひょっとすると、この「胡蝶」の帖で、唯一生きたくだりかもしれません。― とのは、「いとゞらうたし」と、思ひ聞え給ふ。うへにも、かたり申し給ふ。 「あやしう、懐しき、人の有様にもあるかな。かの、いにしへのは、あまり晴るけ所なくぞありし。この君は、物の有様も見知りぬべく、けぢかき心ざま添ひて、後めたからずこそ見ゆれ」など、ほめたまふ。たゞにしも思すまじき御心ざまを、見知り給へれば、思しよりて、 「物の心、得つべくは、物し給ふめるを、うらなくしもうち解け、たのみきこえ給ふらんこそ、心苦しけれ」と、のたまへば、 「など、たのもしげなくやはあるべき」と、きこえ給へば、 「いでや、我にてもまた、忍びがたう、物思はしき折々ありし、御心ざまの、思ひ出でらるゝふしぶし、なくやは」と、ほゝゑみて、きこえ給へば、「あな、心疾(と)」と、おぼいて、 「うたても思しよるかな。いと、見知らずしもあらじ」とて、煩はしければ、のたまひさして、心のうちに、「人の、かう推し量り給ふにも、いかゞはあべからん」と、おぼし乱れ、かつは、ひがひがしう、けしからぬ、わが心の程も、思ひ知られ給うけり。 心にかゝれるまゝに、しばしば渡り給ひつゝ、見たてまつり給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者)― つづく ―
2010.01.15
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そうなっていく経緯については、本文を読んでいただくとして、要は玉鬘の様子が、― ふかき御心用ひや、浅くもいかにもあらん。気色、いと労あり、なつかしき心ばへと見えて、人の、心隔つべくも物し給はぬ、人のさまなれば、いづかたにも、みな、心よせきこえ給へり。きこえ給ふ人、いとあまた物し給ふ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫) 深い思慮があるのかどうか、浅いとかどうとかは(まだ)分からない。(しかしその)振るまいには、なかなか気遣いがあり、人懐っこい性質と見えて、(周囲の)人に、気の置けるようなことはなさらない、性格なので、どなたも、皆、(玉鬘には)好意をお寄せになっている。懸想してこられる人たちも、大変大勢いらっしゃる。 新姫なので、まだ本当の性格は分からないとしても、見た目ずいぶん気配りができて、角が立たない人だ、ということで、多くの男どもが言い寄ってくる。まあそのなかには当然、光源氏の姫君というステイタスの魅力で惹かれて来るという思惑もあったでしょうが。 で、彼女の人物像を、紫式部は、― 似るとはなけれど、なほ、はゝ君のけはひに、いとよくおぼえて、これは、才(かど)めいたる所ぞ添ひたる。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) (どこが)似ているというわけではないが、それでも(何となく)、母君(夕顔)の雰囲気に、大変よく似ていらっしゃりながら、こちら(の方)は、才気のようなものが加わっている。 誰に対しても優しかった(であろう)夕顔に対して、その娘は母の持っていた優しい雰囲気はそのままに、さらに頭もよさそうだ、ということです。とすれば、この「才めいたる所」というのは、明らかに父、内大臣の血を引いたもの、ということになりますね。 ということでもう一度、では夕顔とはどんな人だったか、ということになるのですが、古来、男=オスにもっとも好かれるタイプということで概括されがちなこの人、私は必ずしもそうではない、というよりも、そこまで夕顔という人がこの物語のなかで詳しく語られているかと言えば、そうではないと思っているのです。おまえの読みが浅いと言われてしまえばそれまでですが、お頭のほうはちょっと弱いが、そのぶん(打算なく)誰に対しても優しい、なかんずく男=オスに対してすばらしいセックスを与えてくれる、といったような月並みなレッテルはM・モンローじゃあるまいし、ずいぶんと後世の都合によるイメージの過剰があるような気がするのです。 「夕顔」の帖で描かれた彼女のあえかな運命は、その若すぎる(しかも禍々しい)死によって光源氏の記憶に焼き付いているので、彼は彼女と実生活を共にしたわけではない。むしろそのあたりは、他ならぬ玉鬘を産ませた内大臣のほうが、夕顔をよく知っていたはずです。若い貴公子たちに翻弄されて、若死にしたという彼女の運命を、ことさらに一人歩きさせて、玉鬘の性格に付与するのはいかがなものか? 何度も触れましたが、紫式部が「帚木」の帖以下、b系物語(源氏1000年 その二 32.の表を参照してください)を、a系物語「槿(あさがお)」の帖まで書き上げたあと、書き始めたのだとすれば、この夕顔というのは、本来玉鬘をめぐる求婚譚の前史(エピソード)として構想されたのであり、もともと今あるような大きなウェートを残す話ではなかったと思うのです。 ところがここで新しい表現を試しているうちに、物語の別の面白味を彼女自身が発見したのではないか、ということもすでに何度も言いました。脇の話というのは、本筋から離れるぶん、いろいろ表現を試すことが出来るので、とくに「帚木」「空蝉」「夕顔」の三帖は、その前の「桐壺」とそのあとの「若紫」以下と較べると、同じ人が書いたのかと思えるぐらい、表現が軟らかいのです。― つづく ―
2010.01.14
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本というものが、今どきのように本屋さんですぐ手に入る、ということのなかった時代、ということはこの1000年のうちほとんどの期間ということですが、この物語もおそらく全巻をまとめて最初から読む、というようなことは、ほぼ不可能だったのではないか、と思うのです。 その場合、多くの人は「源氏物語」の評判を聞いて、とりあえず手に入る巻から読む、ということもけっこうあったのではないか。で、そうしたとき読むとは、たぶん漫然と読んでいくのではなくて、書写などをしながら読むことも多かったのではないか、と思うのです。一度他所に渡ってしまえば、まず二度と読むことができないだろう、ということであれば、書写して手もとに残しておきたい、というのは人の心でしょう。このあとの「蛍」の帖で、玉鬘が物語を熱心に書写しているのを、光源氏がからかう有名な場面がありますが、彼ら彼女らの多くは、気に入った物語を自ら書写しつつ読んでいたのではないか。 この時代、貴族たちは無聊(ぶりょう、退屈なこと)にまかせて、さまざまな遊びを工夫したようですが、そのなかでも「物語」というのは、ずいぶん持てはやされたようで、失われたものも含めて、ずいぶん数多くの「物語」類が書かれた珍しい時代だったようです。 そのほとんどは作者不詳で、題名だけかろうじて残っているものも多いらしい。その意味するところは「物語」が当時の社会評価としては、今どきの週刊誌並みに極めて低かった、ということを表わしているので、「源氏物語」のように作者がハッキリと特定されているのは、むしろ珍しい事例だったでしょう。それはそのまま紫式部という人が、当時から特異的な人として人々のうわさに上がっていただろうことも想像させます。 さて先にも触れたように、書写しつつ読むという場合「源氏物語」のような大作になると、全巻を一度に手に入れる、ということは不可能で、さしあたって手もとにある巻を写す、ということになりますが、途中から読み始めた(書写し出した)人たちには、ある意味間口を広げておかないと、この物語に簡単には入っていけない、ということも当然考えられるでしょう。初めからずうっと読んできて「葵」や「賢木」などの帖にあらわれた、人々の織りなす心理の凄まじさを知っている読者はともかく、そうではない人(当然そのなかには中宮彰子や菅原孝標の娘のような、年端のいかない女の子も混じっていたのです)がこの物語に入っていくには、なかなか敷居の高い要素がこの物語にはあるのです。 その点、この「玉鬘十帖」というのは、その意外な結末を除いて、ずいぶん読者サービスをおこなっているような印象があり、初読の困難さというのはあまり感じない。はじめの方を読んでいなくても、すでに巷間で伝説化されていたであろう光源氏の前知識さえあれば、誰でもすぐに入っていける内容なのです。しかし逆に言うと、それまでのこの物語を知っている人たちにとっては、多少戸惑う場面でもあったかもしれません。 この「初音」「胡蝶」「蛍」の三帖というのは、ある程度物語の進行が滞っても、とりあえず王朝物語のムードに引き込む役を負っているので、どうしても弛緩した印象がぬぐえませんね。 しかしあまりくさすことばかりしていては、このブログの本来の目的である、「源氏物語」を今どきの世で、いかに楽しく読むか、という主旨から離れるばかりなので、これくらいにしておきましょう。 玉鬘の恋のさや当てに、名乗りを上げたのは、光源氏の異母弟の兵部卿の宮、内大臣家の長男の中将の君、紫の上の異母姉を妻にしている堅物の右大将の三人ということになります。 兵部卿の宮とは、かつて「絵合」の帖でその風流ぶりから、絵の競い合いの判者にも選ばれた師(そち)の宮のことですが、光源氏とはその風流な趣味の部分で気が合って、今でも親しく付き合っている数少ない親王です。内大臣家の中将とは、のちの柏木のことで、この三人のなかでは際立って若い。ただし彼は玉鬘が異母兄妹であることを知りません。右大将はのちに髭黒の大将とよばれる人ですが、このなかではいちばん風流味に欠ける。しかし政務の実際にはおおいに長けていて、いずれは大臣を嘱目されている、という設定です。 この三人、詳しく語られるにつれて、それぞれに分けありで、ひらたく言えば帯に長く襷に短い面々であることが分かってくるのですが、物語はなぜかそちらではなく、源氏と玉鬘のほうに移ってしまうのです。― つづく ―
2010.01.13
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「胡蝶」の帖では、新姫(玉鬘)をめぐって、いよいよ男たちの恋のさや当てが始まるのですが、ややこしいのは本来親役であるべき光源氏が、だんだん玉鬘の魅力に惹かれていくことで、紫の上をはじめとして、読者もある程度予想していたこととはいえ、まことにややこしい事態となってきます。 冒頭、三月二十日過ぎの六条院、紫の上の御殿は春らんまん、光源氏は西の御殿に秋好中宮が里下りしているのに気を使って、龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ、船首にそれぞれ竜の頭と鷁の首とを彫刻した二隻一対の船)の唐風の舟をつくらせて、池に浮かべたりする。池は東西の御殿を南側でつないでいるようです。 光源氏としては、さまざまな機会に各姫君を目合わせたい、じかに対面するのは無理でも、文のやりとりだけでなく、声ぐらい直接交わせる場面を作りたいのでしょう。中宮本人は軽々しく立ち混じるわけにも行かないので、中宮方の女房たちを舟に乗せて東の春の御殿に迎える場面、― 中島の入江の岩蔭に、さしよせて見れば、はかなき石のたゝずまひも、ただ絵に書いたらんやうなり。こなたかなた、霞みあひたる梢ども、錦をひきわたせるに、お前の方は、はるばると見やられて、色をましたる柳、枝を垂れたる、花も、えも言はぬ匂ひを散らしたり。ほかには盛り過ぎたる桜も、今さかりにほゝゑみ、廊をめぐれる藤の色も、こまやかに開けゆきにけり。まして、池の水に影を映したる山吹、岸よりこぼれて、いみじき盛りなり。水鳥どもの、つがひを離れず遊びつゝ、細き枝どもを食ひて飛びちがふ、鴛鴦(をし)の、浪の綾に文を交じへたるなど、物の絵やうにも書きとらまほしき、まことに、斧の柄も朽たいつべう思ひつゝ、日を暮らす。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) (東西の御殿を分ける南側の)中島の入江の岩陰に、(舟を)漕ぎ寄せてみると、それとない(配置の)石の姿も、まるで絵に描いたようである。あちらこちら、霞がかった(木々の)梢が、錦を張りめぐらせたようで、(東の御殿の)御前の方は、はるかに遠く見渡せて、(新緑に)色づいた柳の、枝が垂れ、花々も、えも言わぬ香りを放っている。他所では盛りを過ぎた桜も、(ここでは)今は盛りと笑うように(咲き誇り)、渡り廊にめぐらせた藤の色も、色濃く(紫に)咲き始めている。ましてや、池の面に影を映している山吹は、岸から咲きこぼれて、まさしく(今が)盛りである。(その池に)水鳥が、つがいになって離れずに遊んで、細い枝などをくわえて飛び交うのは、オシドリが、波の綾に文様を交えたようで、何かの図柄にも描きとどめて置きたいような、まことに、斧の柄が朽ち果てるのも忘れるほどに(時を忘れて)、日が暮れていく。 以下、舟楽と花の宴の様子がえんえんと語られるのですが、ことさらに物語の筋と絡んでいくわけではなく、ひたすら六条院の雅びな様子が描かれます。歳時記的な文章としては、まことに豪奢でケッコウでした、と言わざるを得ないのですが、小説読みとしてはなかなか辛抱を強いられる場面ではあります。 せっかく里下がりした秋好中宮ですが、紫の上との春秋優劣論に絡めた和歌のやりとりがあるくらいで、物語に参入してくるわけではありません。というわけで、このあたりは本文を読んでみてください。 とはいえ、このようなドラマをともなわない情景描写や和歌のやりとりというのは、前にも触れましたが、ある種の読者には、はなはだ居心地の良い部分であったろうことも、やはり無視するわけにはいきません。ある種の読者とは、同時代なら物語の筋に興味はなくても、とりあえずこの物語の雰囲気を知っておきたい人、後世の人ならありし日の詩歌管弦の雅びな雰囲気に浸っていたかった人、ということになりますが、かといってこれらをムダとか余計とか一概に排除できないというのも、これまた「源氏物語」の属性なのです。― つづく ―
2010.01.12
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じつは年が明けてからも、いろいろ私事が重なってブログのUPが滞っています。私のつもりでは「玉鬘十帖」で紫式部が四苦八苦している部分は、できるだけ軽く端折って、面白そうなところを重点的に話そうと思っていたのですが、しゃべるこちらのほうがあれこれ足を取られて、思うにまかせません。 白状しますと、上のような私事だけでなく、私の関心がここのところ別の方面に向かっているのが、よく分かるのです。それが何かというと、先日も少し触れましたが、「時間論」というやつで、文系方面の哲学用語を弄ぶような議論にヘキエキしていた私としては、例の橋元淳一郎さんの「時間はどこで生まれるのか」(集英社新書)という本は、それこそ眼からウロコのような衝撃で、あまりの明晰さに逆にためらいを感じるほどの中味だったのです。 この本は昨年の正月に、寂聴さんの口語訳源氏といっしょに買って、早く話しせねばと思っていたのですが、「源氏」のほうが思いのほかというか、予想をはるかに超えて深入りしてしまったので、内心どうしたものかウズウズしていたのでした。 橋元さんというのは、大学教授、SF作家兼予備校の人気物理学講師とかで、もちろん理系の方なのですが、今どきの私たちにとっては晦渋な哲学論議よりは、分からなくても明晰な肌合いの理系的手法のほうが、はるかに親しみを感じる。これは例えばアインシュタインの「相対性理論」がまったく分からなくても、「時空のゆがみ」といった議論に親和性を感じるのと同じことだと思うのです。じつは、この本でもはじめのほうで、相対性理論の解説がしてあって、文系にはお手上げの数式でも、こけおどしの絵解き解説でもなく、グラフで時空のゆがみを説明されます。私としては初めてこの理論の考え方が、少し理解できたような気がしました。この世で光の速度だけが絶対的(光速度一定の法則)なものとすれば、時間と空間の縦横軸は連動して歪んでこざるを得ないということ?がです。 このあたりは、しかし文系頭の私の説明ではかえって、読む人が混乱するばかりでしょう。 私はむしろこの本のおわりのほう、― 過去と未来は生命という『意思』によって生じる ―という結論が魅力的で、「自然界のエントロピー拡散の圧力から、生命的秩序を維持するために、生命は時間を創り出した」というのはどこかで似たような話があったな、と思っていたら、二年ほど前に「Bio Fragments」という項目で取り上げた福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)に出てきた、― 生命とはエントロピー拡散の圧力から、生命的秩序を維持するために「動的平衡」でなりたっている存在である ―というようなくだりを思い出したのです。で、そこの話でも福岡氏が目下取り組んでおられるらしい、ノックアウトマウスが何度ノックアウトしても、くたばらない。くたばらない理由がどうも時間に絡んでいるのではないか、生命というのが、受精した瞬間から時間の相のもとにあって、片時たりと変化することを止めない(止めた瞬間エントロピー拡散の方向へ向かう、すなわち死ぬ)結果、ある種の部品を取り除くように、遺伝子情報の一部を切り取った(ノックアウトした)としても、生命はその秩序の維持を止めないのではないか、というような話だったと思います。 両方ともあまり簡単に話せる中味ではないので、私自身じゅうぶん咀嚼してから話そうと思っているのですが、なかなか難しいですね。こういう話は得てして、巷にあふれるエセ科学とかスピリチュアルに結びつきやすい性格があって、げんに福岡さんの論に対してはさまざまな所から批判も出ているようです。 今のところ私は、福岡さんは現役の分子生物学の専門家であるということで、その話にしばらくはつき合って行こうと思っているし、橋元さんの話は純粋思考実験のようなところがあって、やっぱり手放せない。 というわけで、この正月休み、この人たちの新たな本を買うハメになってしまいした。福岡氏のは、そのものズバリ、 ― 「動的平衡」(木楽舎)橋元氏のは、これもまた似てますが、 ― 「時間はなぜ取り戻せないのか」(PHPサイエンスワールド新書) 両方とも前の本と同工異曲な感じもするし、とくに福岡さんのはハードカバーで、新書の約二倍の値段、二倍の値打ちがあるかといえば私は疑問符をつけますが、まあ出版社の事情もあるのでしょう。橋元氏のは前の時間論の発展系で、そのぶん私には難解になっています。 というわけで、決してこの手の本を皆さんにすすめるつもりはありませんが(「源氏物語」はおすすめします!?)、今どきの私が何を考えているのか、いわばアリバイ作りのような話をしてしまいました、すいません。
2010.01.10
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月影の冴えわたる明け方の月夜、雪はますます降り積もってきた。松風が、小高い梢から吹き降ろしてきて、興ざめしそうになるなかで、(踏歌の人々の)青色の袍(ほう、束帯の上着)が萎えかかり、かさねた白襲(しろがさね)の色あいは、これといった飾り気もないように見える。(しかし)插頭(かざし、冠に挿した花や枝)の綿飾りは、色艶もないけれど、場所柄のせいか、雅趣があって結構で、命も延びるような心地がする。源氏の殿の中将の君(夕霧)や、内大臣の君達(柏木たち)は、そのなかでもひときわ、目立って華やかであった。ほのぼのと夜が明けていくころ、雪はまだ散らついて、そぞろ寒い折りから、「竹河(催馬楽の曲名)」を謡いながら、寄り添い舞う姿、ゆかしい声々を、絵のようにも描き止めることが出来ないのは、(何とも)残念なことである。 「男踏歌」とは、平安時代隔年ごとに行なわれた大陸由来の正月行事の由で、Yahoo辞書によれば、「足で地を踏み鳴らし、調子をとって祝歌を歌う集団歌舞。平安時代、正月十四日または十五日に、四位以下の人が催馬楽(さいばら)を歌いながら宮中から貴族の邸を巡回する行事」ということなのですが、それにしても冬のいちばん冷え込む時節柄に、夜を徹して御所から朱雀院、六条院と謡い踊り歩くとは、ずいぶん難業ですね。 「踏歌節会」は平安時代、五節会として特に重んじられた公式行事の一つで、饗宴も伴うのですが、夜明けどきになった六条院では酒と湯漬けだけの饗応で、とにかく暖を取るのが肝心だったでしょう。 それにしても、今どきの私たちと較べると、昔の人というのは暑さ寒さに強いというか、無頓着にさえ見えるときがありますね。京都の冬の寒さは今でもハンパじゃなくて、私など気分的には裏日本の気候感覚に近いとさえ思っている(少なくとも太平洋側の冬の気候ではありません)のですが、彼らはいっこうに気にするところがないようです。 この時代、火鉢のような円形の火桶(ひおけ)と方形の炭櫃(すびつ)はあったようですが、炬燵などはなかったはずで、ましてエアコンやホッカイロなどあるわけもなく、家屋の構造も基本的に夏向きで風通しが良いうえに、畳なども部分的にしかなかった(床は基本的に板張り)のですから、貴人たちといえども暖はひたすら重ね着をするしかない。まして庶民たちはと想像すると、それこそ身震いしてしまいそうですが、狭い民家ならむしろカマドとか囲炉裏とかがあって、かえって暖を取る手段としては有効だったかもしれません(その代わり大量の煙と煤に覆われることは覚悟しなくてはなりません。炭は煙も煤も出ないので貴族の持ち物でした)。 とはいえ人間というのは、相当な環境でも適応できる生き物であるようで、私自身振り返ってみても、子供時代相当貧寒な暮しをしていたと思うのですが、案外意に介さなかった記憶があります。これは環境が人とその振るまいを自在に操っている結果とも言え、逆にいえば、人はいったん楽な環境に入ってしまうと、それに際限なく過剰適応してしまう性向があるわけで、とくに今日のような寒い日だと、凍てついた明け方どきの冴え冴えとした月影など、私はとても拝む気にはなれませんね。 イヌイットの人たちが、自分たちの住む極寒の世界ほど恵まれたところはない、と自慢するように、平安の貴族たちもまた、この生活スタイルこそ我が世の春と信じて疑わなかったのです。人の思い込みというのは、別の時や場所から見れば、ずいぶんヘンに見えて理解困難な事例はよくあるものですが、当人たちにとってはそれがごくあたりまえ、自分たちの価値観を支えるシンのようなものだったでしょう。 それはそのまま今まさに暮らしている私たちの生活スタイルや振るまいにも言えることなので、デフレ環境が進行して日本はますます悪くなって行く、と思い込んでいる人たちは、こうした人(や生き物)の生活していくうえでの可塑性というものを、古典や地誌や生物学でもっと知ればよろしい。いちばん不幸なのは、中国に抜かれただの、アメリカに干されるだのといった、可塑性のない思い込みに囚われた、頑ななる思考態度だと思うのです。この囚われがちな思考態度とは、どうも人にだけ特有の振るまいかたであるようで、それは以前なら宗教という形で人社会を覆っていました。今の世界(とくに日本)は宗教的振るまいは表向き影を潜めていますが、それが気鮮やかに見えなくなったぶん、ヘンな具合に人の振るまいに現れることがよくあるのです。 そのあたり宗教の衰退とナショナリズムの勃興を、宗教者と近代官僚に共通する振るまいかたに見い出して、一体で考えようとしている例の佐藤優氏の「はじめての宗教論 右巻 見えない世界の逆襲」(日本放送出版協会)は、とても面白いのですが、よろしかったら一読してみてください(ただしこの本全体は、キリスト者でない私のような読者にはちょっと難しい。問題の所在を確認するだけなら、序文のところだけで充分な感じもするので、立ち読みでもいいか?) 時や場所を変えて見れば、ああだったこうだった、とあれこれ難癖をつけるのは後知恵で、実際にそういう環境になればなったで、人というのは(生き物は)それらに不満をかこつこともなく、それなりに(人の場合はシンを見い出して)生きていくものでしょう。 想像力の手間を省いて、あれはおかしい、これは間違ってる、といった安直な思考に走る態度こそいちばん危ういのではないか? またまた話が逸れてしまいました。「初音」の帖はこの正月行事でおわり、季節が春に向かうにつれて、玉鬘の物語も少しずつ動き出すみたいですね。それにしてもおお寒!頭のなかも早く「春よ来い!」― 源氏1000年 初音 おわり ―
2010.01.07
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こうして今現在、光源氏が関係している姫君たちを整理してみると、実際に彼が閨房をともにしている相手というのは意外に少なくて、厳密には紫の上と明石の方の二人だけということになりますね。この話では語られませんが、彼は六条院各御殿の上臈女房どもには、ほとんど手をつけているとみて間違いないのですが、大事なのはそれらのことは、このお后たち同士の嫉妬や競争心の対象にはなっていないということで、したがってこの長い物語の端にも上がってきません。 紫式部にしても紫の上にしても、彼が周囲の女房たちにやらかす戯れ事は、まあ(遊びだから)仕方がないと割り切って、重大なのは自身の地位や気分が侵されたと感じられるシチュエーションなのでしょう。その前提で今現在の光源氏の振るまいで明石の方の次に怪しいのは、当然玉鬘ではないかと紫の上は目をつけているわけで、それはこののち図星となって現れてくるのです。 それにしてもこの六条院の夢のパンテオン、華美と豪奢を尽くした建て前ですが、どこかのハーレムのようなものと同一視すると、ずいぶん貧寒な感じがしないでもない。後宮三千人とかいって、「朕(チン)は成人してから一人で寝たのは、たった十六日だけだった」といった王様のため息とも取れるような述懐は、ここからはとても出て来そうにありませんね。各部族を統合していくためには、差し出された后たちには一人たりと失礼があってはならないわけで、オスのサラブレッドよろしく、毎夜種付けにいそしまなければならなかったのでしょう。もし「源氏物語」がこれらと同断の後宮物語であったり、ドンファン物語であったとすれば、おおいに浮世離れした夢物語として楽しむことはできても、早い話このようにながながと感想を書き綴る必然性は、ここから先もないでしょう。 となると、この六条院で繰り広げられる男女の心理的なやりとりは、意外と今どきと似たような、わりと狭いドメスティック(家庭的)な印象を与えるので、華美と豪奢の現実離れした道具立てでありながら、少し想像力を働かせれば、驚くほど今どきの男女の心理に近しいやりとりを感じることが出来るのです。 光源氏の生涯全体を通してみても、彼が戯れ事以外に心底身も心も関係した女性というのは、世に喧伝されているほど多くはなくて、ひょっとすると今どきの普通の男女が、一生涯に深く関係した(するであろう)数に較べても、あまり変わらないのではないか?こんなことを言うと、またまた(主として女性軍から)大ブーイングが巻き起こりそうですが、少なくとも先にみた後宮三千人のような荒唐無稽な話でないことは間違いないでしょう。(それにしても大塚ひかりさんのように、光源氏のセックス日誌をたんねんに年表にしておられる方もいらっしゃいますね。こういう作業は女性でないとやっぱり出来ない、と私は思うのです)閑話休題 「初音」の帖が、見るべきくだりもなさそうだ(退屈だ)ということで、よけいな話をしてしまいましたが、まるっきり触れないのもどうかと思うので、おわりのほう、男踏歌のくだりをあげておくと、― 影すさまじきあかつき月夜に、雪はやうやう降り積む。松風、こだかく吹きおろし、物すさまじくもありぬべき程に、青色のなえばめるに、白襲(しろがさね)の色あひ、何の飾りかは見ゆる。插頭(かざし)の綿は、匂ひもなきものなれど、所からにや、おもしろく心ゆき、命のぶるほどなり。殿の中将の君、内の大殿の君達、そこらにすぐれて、めやすく花やかなり。ほのぼのと明けゆくに、雪やゝ散りて、そゞろ寒きに、竹河謡ひて、かよれる姿、なつかしき声々の、絵にも書きとゞめ難からむこそ、口惜しけれ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者)― つづく ―
2010.01.05
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昨日の話を修正しないといけないのですが、「初音」と「胡蝶」の帖を褒めちぎっているのは「無名草子」の俊成卿女だそうです。Wikipedia によれば、「無名草子」は― 鎌倉時代初期に書かれた、女性の立場から述べる王朝物語評論。日本の散文作品に対する文芸評論書としては最古のもの ―ということで、歌論「無明抄」とはまったく別ものですから、いいかげんな記憶でものを書いてはダメ!という見本のようなことになってしまいました。 とはいえこのあたり話の筋を楽しむというよりも、宮廷社会の雅びなムードに浸りきるという意味では、たしかに光源氏を移動カメラにして、六条院の広大な御殿と姫君の様子を次々と描いていくわけで、ある種の読者にとってははなはだ居心地が好いのかもしれません。この場合、ある種の読者とは、この世に存在しない王朝社会の雅びなムードにひたすら浸っていたい人たちという意味で、同時代ならハードな物語を読むのが苦手で、さしあたって和歌や有職故実の教科書として「源氏物語」を活用したい人、鎌倉時代以降なら失われた貴族社会のムードを、かりそめにも我が身に引き寄せて、自身の矜持を保っていたい人、ということになります。 しかし今どきの読者なら、こうしたベタな描写よりはドラマの進行と並行して、社会とか時代とかがありありと浮かび上がってくる、といった手法に慣れているので、道具立ての説明のためだけに、話がえんえんと費やされるというのはいかにも疲れるのです(しかしかつての社会主義国には、このようなベタな表現を臆面もなくやる映画がよくありましたな。日本でも撮影の苦労話を本編に紛れ込ませるという、初歩的な編集のミスをやる映画監督は今でもよくいるのです)。 紫式部はおそらくそのあたりのごく一般的な読者へのサービスとして、これらの帖を書いたのでしょう。これだとそれまでの長い長いこの物語を読んでいなくても、とりあえず王朝物語の中に入った気分にさせてくれるわけです。 こちらもそのあたりの事情を察することにして、逐一この帖の中味を追いかけることは止めにして、さしあたって今この六条院に住まう姫君たちの御殿を整理してみると、南東の春の御殿には言うまでもなく正妻の位置にある紫の上と、明石の方から預かった新姫君、北東の夏の御殿にはよろず便利屋さんの花散里、ここには以前から源氏の息子である夕霧が寄宿していて、さらに今回玉鬘が別棟に住み始めたのは前の帖で見たとおりです。北西の冬の御殿には明石の方がおり、南西の秋の御殿は六条院の母屋に当たると思うのですが、秋好中宮の里下りの家として構えているわけです。 さらには、源氏のもとの御殿である二条院には、例の「ヲコ」役の末摘花となぜか尼姿の空蝉が住んでいて、源氏はまめまめしくこちらにも挨拶に出かけているわけですが、そちらでもさしたるドラマもなく、何となく正月の顔見せのような感じがしないでもありません。 あえてこの帖でドラマを汲み取るとすれば、元旦早々源氏が正妻である紫の上の許でなく、明石の方の御殿でついつい夜を明かしたということ(許せませんね)と、正月の男踏歌の見物で玉鬘が初めて紫の上の許に挨拶に上がった(じかに顔を会わせたわけではなく、たぶん御簾を隔てて言葉を直接交わした)、といったぐらいでしょうか。― つづく ―
2010.01.03
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― 年立ちかへる朝(あした)の空の気色、名残なく曇らぬうらゝかげさには、数ならぬ垣根のうちだに、雪間の草、若やかに色づき初め、いつしかと気色だつ霞(かすみ)に、木の芽もうちけぶり、おのづから、人の心ものびらかにぞ見ゆるかし。まして、いとゞ、玉をしける御前(おまへ)は、庭よりはじめ、見どころ多く、磨(みが)きまし給へる御方々の有様、まねびたてむも、言の葉足るまじくなむ。 春のおとゞの御前(おまへ)、とりわきて、梅の香も、御簾(みす)のうちの匂ひに吹きまがひて、生ける仏の御国とおぼゆ。さすがに、うちとけて、安らかに住みなし給へり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者) 年の改まった朝の空の様子、どこも曇りなく(晴れ渡った)うららかさというのは、取るに足りない(家の)垣根のなかでさえ、雪の間の草は、若々しく色づきはじめ、(早くも)春かと思わせる霞に(誘われて)、木の芽も萌え出でて、自然と、人の心ものびやかに見えるようである。まして、玉も敷き詰めた(かのような、六条院の)御殿は、庭をはじめとして、見どころが多く、装い凝らしていらっしゃる姫君方のご様子など、説明するのも、言葉が尽くせないほど(すばらしい)。 春の御殿(紫の上)の御庭は、とりわけ、梅の香りが、御簾の内のお香と紛うほどで、(さながら、これこそ)この世の極楽浄土かと思われる。(上は)さすがに、くつろいで、落ち着いてお住まいになっていらっしゃる。 まったく駘蕩(たいとう、平穏でのんびりとしているさま)とした書き出しの「初音」の帖の冒頭ですが、さすがに元旦の日ぐらいは、日頃の憂さはいったん棚上げにして、のんびりしていたいというのは、変わらぬ人の心で、紫の上も少しは落ち着いているようです。 とはいえ「雪間の草、若やかに色づき初め、いつしかと気色だつ霞(かすみ)に、木の芽もうちけぶり … 」という早春の自然の鮮やかな点描は、昨年秋に六条院にやって来た玉鬘という新姫の鮮やかさも反映しているので、いつも以上に御殿全体が浮き浮きした(浮ついた)感じを暗示していると言えなくもない。源氏の大臣も落ち着いたもので、各姫の御殿を次々と訪れてはご機嫌を取るという具合で、まことに順風満帆、屈託するところがなく、六条院の雅びな様子が描かれて行きます。 このあたり、新しく完成した六条の大御殿の様子と、優雅に住まう各姫君方の様子を、ことさら奇を衒うでもなく、ダラダラと描いているというのは、何かある種の読者に対して大サービスを行なっているのではないか、という気がしないでもありません。そのあたりは本文を読んでみてください。 この「初音」から「胡蝶」「蛍」とつづく三帖というのは、この六条院にやってきた新姫をめぐっての殿上人たちの恋の鞘当てと、本来親父格であるべき光源氏の玉鬘への思い懸けを、歳時記的に季節の推移とともに描いている、ということが出来るでしょうか。 実はここの三帖、「源氏物語」中でももっとも退屈な部分ではないか、と私は思っているのです。この場合の退屈というのは、あくまで今どきの小説的ストーリーの面白味とか、心理的な駆け引きの妙を期待した場合、という意味で、古来和歌や有職故実を重んじてきた貴族や貴種を愛する人たちは、逆にここの三帖をこの物語中もっとも良く出来ていると喧伝してきたそうです(例の鎌倉初期の歌論「無明抄」に載っているそうですが、私は読んでないので知りません)。 だから「昔の人は源氏物語の読み方を知らない」と、大野晋氏は例の丸谷才一氏との対談(「光る源氏の物語」中公文庫)で、こき下ろされているのですが、私はかえって、そこに昔人の本音と建てまえというか、うわべはどうでもいいような帖を誉めそやしておいて、実際は御簾の内に隠れて別のところを愛でるという、はなはだひねくれた感性というのを、鎌倉以降の落剥した貴族たちは持っていたのではないか、と思ったりもしているのですが。― つづく ―
2010.01.02
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