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時事的な話題をすると、それが現在進行形であるがゆえに、話が古びやすいうえに、そのつど出てくる動きにいちいち神経が興奮するというわけで、基本的にイヤなのです。長崎についてはHit Manを手引きした建設会社社長が捕まったり、市長の見張りをしていた男が指名手配されたりして、またまた裏の情報が飛び交いそうですが、これらにいちいち付き合っていてはキリがないので、触れません。 とはいえ、いったん持ち出した話題は、多少時間がかかって、回り道をしてでも(他の話題もそうですが)、とことんしゃべり尽くすというのが、「言い切りのサリエリ」(何やそれ?)の原則なので、はなはだ心許無いのですが、大迂回して「銃社会と刀狩り」のような地点から、社会とか文化の淵源みたいなものを考えてみたいのです。 というのも、時を同じくしてご存知のとおり、アメリカはバージニア工科大で銃乱射事件があり、32人が殺されたということで、アメリカの暗部だの、恥部などと殆んど嘲るようなコメントをなすマスコミもあったのですが、その翌日に長崎の事件が起こったので、皆黙ってしまったのでした。 他所の出来事を他所事として、いわば安全地帯からものを言うと、手痛いしっぺ返しを喰らうというのは、昔から日本ではよくあることで、早い話、当今の自爆テロだの、航空機乗っ取りだの、化学兵器テロといった手法は、多くは日本原産(ないし日本人が拘わっている)であるとも云え、はたまた政治手法としての今の北朝鮮というのは、国家が自国民をまるごと拉致しているという点で、戦前の日本(日本陸軍)の手法を継承しているのです(というより、今もこの戦前からの日本の半島マフィアは、北と南に分かれて存在しているようですね)。 自爆テロというのは、1972年の日本赤軍派による「ロッド空港乱射事件」が嚆矢であり、その淵源はひょっとすると敗戦間際の「特攻思想」かもしれず、航空機乗っ取りは同じく赤軍派の日航「よど号」ハイジャックから始まったのです。また反社会集団が、その反社会的行為の手段として化学兵器に手をつけたのは、例のオウム真理教の一連のサリン事件が最初であり、テロリスト集団が、いわば禁断の兵器に手をつけた最初となったのでした(その後、細菌化学兵器によるテロは2001年の例の9.11直後に発生した「炭疽菌」事件がありますが、なぜかアメリカはこれについて多くを語りませんね)。 日本ではややもすると、自爆テロにせよ、航空機乗っ取りにせよ、細菌兵器にせよ、他所のこと(アラブ人のこと、アメリカ人のこと)として、こうした悪魔的な行動心理を、自分の内部に大掴みでも引き寄せて考えてみる、ということはせず、同じ事象でも日本人のやった行為と、外国人のやった行為を峻別するきらいがあります。そしてそのあとに必ず出てくるのが日本人は外国を知らなさすぎる、という日本人特殊論であり、テロリスト集団としての一般的な括りで理解しょうとすることはめったにありません。岡本公三は日本人であるがゆえに、日本人として恥ずかしい、ということであり、ビン・ラディンはアラブ人であるがゆえに他人事なのです。 さらに云うと、その連合赤軍やオウム真理教などの反社会集団の行為についても、日本社会の中の特殊例として扱われて、自身の内部に巣食う反社会的心理や行為に引き寄せて考えることはしません(社会心理学的には、こうした思想的狂熱集団というのは、ある種の新興宗教集団やマルチ商法を生業とするグループなどにも多く見られる種類のものです。あるいは普通の販売会社でも?)。 これは一種の差別的思考法であって、起きた事象を特別なこと、特殊なことと心理的に峻別した瞬間に、物事の本質は見えなくなるのです。自爆テロもサリン事件も、特殊でもなんでもなく、ここ100年ばかりの日本の社会風土が生み出した暗部であって、ではそれが今のアラブやアメリカの事象とどう繋がっていくか、というような思考態度が必要だと思うのですが。 ― つづく ―
2007.04.30
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さてまたまた不愉快な話が出てきて、週刊朝日の記事に対して、いやに早い安倍さんの猛反発、先日の長崎市長謀殺事件に対するおざなりなコメントに比べて、この反応の早さは一体何なのかと考えてしまいます。まして「言論テロ」などと、長崎のときにも使わなかった言葉で非難するのはなぜでしょう。それをいうなら、長崎のときになぜこの種の行動が、政治的テロ行為であることを(犯人の意図に関係なく)、もっと声高に国民に言わなかったのでしょう。 もともと朝日系のメディアは左翼系ですから、この手の記事を書きそうなことは分かっているはずで、中味の正鵠は別として、安倍さんのこの一連の反応自体が、この人の関心の方向を示しているように思えてしまいます。要するに威迫と暴圧に対しては鈍く、言論に対しては敏感というふうな態度(attitude)に見えてしまうということです。 週刊誌の記事など、いってみればチャチなもので、たいていの場合、記事内容の半分も誰も信用していない(まあ、たまに「角栄研究」のように政権を覆すこともありますが、おおむね)、しかし長崎をはじめとして、政治家、行政(あるいは言論、市民)に対する威迫、暴圧行為は、紛れもない現実であり、それによって死んだり、傷ついたり、沈黙を余儀なくさせられている状態のほうが、よほど重大だと思うのですが、今時点での態度(attitude)を見ているかぎり、どうもそうではなさそうですね。 安倍さんは、ご存知のとおり岸信介の外孫であり、また安倍寛の孫でもあります。岸さんが右翼の大物児玉誉士夫や笹川良一と深い関係があったことは公然の事実で、60年安保当時、左翼の鎮圧のために裏で暴力団とのつながりがあったこともよく知られています。はたまた直系の安倍寛さんという人は、第二次世界大戦前から大政党の金権腐敗を糾弾したり、戦時中の1942年の翼賛選挙に際しても東条英機らの軍閥主義を鋭く批判して、無所属・非推薦で出馬当選した反骨の人で、安倍さんがどちらを向いているのかというのは、この二人の祖父の考え方をどう継承しているか、というふうに常に見られているのです。 私はステロタイプな左翼的報道というのが、退屈で時代遅れの中味であって、笑い飛ばしておしまいの種類だと思っているクチですが、現実的威迫に対しては敏感であるほうです。何度も言うので閉口してしまいますが、今の日本の首相という存立基盤が、民主的に公選で附託された権力であるということを、どこまで本当に理解しているのか、どうも急に紗幕が降りたようなボヤけた不安を感じてしまうのですが、どうなのでしょう。 これ以上、この手の話はしたくないのですが、今どきの日本はなかなかそうさせてくれません。これでは権力附託の意味がないじゃないですか、我々は日々の生活に忙しいのに。私なんかにこんなことをしゃべらせるなと言いたいのです。追記 と、こう言っているうちに、早くも滋賀県の嘉田知事に、新幹線栗東新駅推進派(と思われる?)から威迫的な電話が架かってきて「長崎のようなことになるぞ」と脅す。しょっぱなで国の首長が断固たる態度(attitude)をしないから、この手の威迫、暴圧がまかり通るのです。 人は見た目が肝心などといいますが、仕事で人を見ていると、事柄に対する最初の行動や言動で、だいたいその人の性格や考え方は出てしまうもので、私など人と会うときは、特に最初の言葉に注意します。少しでも逡巡のある言葉が出るときは、あとでいくら修正されてもダメで、最初の態度(attitude)が、すべてを語っていると思うのです。 暴圧分子(近所の国も含めて)は、そのあたりの見極めにはとても長けているので、要するに民主国家である今の日本という国家体制がナメられているのですが、それにも気づかないんじゃ権力附託の意味がないじゃないですか。私たちのような市井のものに、こんなことを考えさせてはダメなんです。
2007.04.25
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大好きなベートーヴェンのことを、あれこれ書き付けているのですが、読み返してみると、まるでイッチョマエの解説者のような文言がチラホラして、赤面すること一切ならず、さりとて一体どんな結論へ向かっているのか、書いている本人がだんだん混乱して、話の進行を妨げます。 そもそも手垢に汚れた私のベートーヴェンのライブラリーを、もういちど更地に戻して新鮮な気分で聴いてみたい、ということが目的ではありました。私が以前から漠然と感じていたことがらが、はたしてまともな中味であるのかどうか、こうして文章にすれば多少なりと確かめることができると思って書き始めたのですが、実際に書いていると、どうしてもそれなりの知識が必要になり、そこをおろそかにすると、たちまちウソ(書くに値しないもの、読むに耐えないもの)になる。 かといって、自分なり言葉で再構成しておかないと、この江戸時代の作曲家は永遠に私の手元から離れて、古びた土蔵の骨董品になりかねず、どうしたものか思案してしまいます(なんちゃって!)。 囲碁の趙治勲十段「25世本因坊」の持論は「定石は悪手」、数百年の囲碁の歴史で編み出された「定石」は、囲碁のある局面では、白黒の両者にとって妥協できる手順がいくつかあり、初心者には「定石」をマスターすることが上達のカギとなっているのですが、趙十段はこれに疑問を呈します。両者にとって五分五分の手とは悪手に他ならず、もっと自分にとって最善手があるのではないか、というわけで本因坊手合いの場でも、誰が見ても疑問の余地のないはずの手筋を、もう一度初手から長々と見つめなおす。 というわけで、ときに誰が見ても絶対生きられないはずの局面で、まんまと凌いでしまうというのが、この人の凄味で、本因坊戦10連覇をはじめ、数々のタイトル戦の獲得は史上最強の棋士といっていいでしょう。 趙さんにあやかるわけではもちろんありませんが、成しうるならばベートーヴェンをもう一度、初手から(更地から)自分なりに、見つめなおしてみたいというのが、ひそかな願いなのですが、はたして ――。 旋律や和声が次々と泉のように湧き出てきて、留まるところを知らないというのは、シューベルトにおいて典型的にみられるので、彼の交響曲第8番ハ長調「ザ・グレート」(1825?)など、美しい旋律と和声が滞ることなく延々と続くので、指揮者によっては、かえって冗漫に聴こえるときがあります。 このあたり、なかなか微妙なところで、昔三島由紀夫が「文章読本」でしたか「作家が興にのって書いた文章は、あとで読んでみると冗漫にみえ、呻吟した文章は逆にスピード感がある」とか言っていましたが、湧き出る旋律をとめどなく書き連ねれば、当然聴く側にとっては退屈な部分も生じるのです(「未完成」にも多少あります)。 ベートーヴェンが極めて簡潔なモティーフを呻吟して展開した結果は、交響曲第5番や第7番の恐るべきスピード感となって現れました。私はこれはベートーヴェンがピアノの即興演奏の名手であったこと、難聴に陥ったこととやはり無関係ではなかったと思えるのです。 かつてはモーツァルトやシューベルトが生まれながらの天才で、ベートーヴェンは努力の人と云われましたが、こうしたロマンティックな区分けでは、本当のベートーヴェンの音楽は見えてこないでしょう。「英雄」や「田園」を聴けば、彼が多様な湧き出る楽想を持っていたことは明らかです。 ― つづく ―
2007.04.23
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ピアノソナタ第23番「熱情」の第1楽章を通して現れる高音のトリルの点滅は、ピアノの音でしか出せない響きの世界で、ピアノの音を熟知したベートーヴェンが到達した極北の世界の一つです。しかも感情の横溢が第1、第3楽章のガッチリしたソナタ形式によって完全に制御されているので、私たちはたんなる感情の激発につき合わされるというより、はるかに高い音楽世界に立ち会うことができるのです。 この手法は、翌年から始まった交響曲第5番の作曲技法で、さらに展開されて大完成し、その後のクラシック音楽の作曲家にとっては「交響曲」というジャンルが自身の作曲活動にとって、里程標のような主要な仕事として、長く位置づけられることになりました。その影響はドイツにとどまらず、ヨーロッパ諸国からロシア、南北アメリカまで及ぶもので、世界のクラシック音楽界は今でもドイツ的音楽観を、多かれ少なかれ引きずっているように思えます。 ところで、ベートーヴェンが第5番と並行して、第6番「田園」を作曲していったことは暗示的です。彼が自分の作曲技法に二つの可能性を見出していたことを、図らずも示しているので、それは第3番「英雄」において示された簡潔なモティーフの徹底的な展開と、分厚い和声の試みの方向を、ハッキリと二つの形にしたものでした。 第5番がその形式的堅牢さのゆえに、古典派の集大成として位置づけられるように、「田園」に用いられた色彩的といってもいい多様な響きは、その後のロマン派の音楽の嚆矢として位置づけられるのですが、この二つの作品の分岐点に立っているのが「英雄」なのです。 ベートーヴェンは晩年自分の残した作品の中で、交響曲第9番は別として第3番をもっとも好んだと言われますが、それは彼の音楽の可能性と方向性を、雄大な構図で示した「英雄」が彼の未来をはるかに展望する作品だったからでした。 前後して同時期に発表された「ヴァイオリン協奏曲」「ピアノ協奏曲第4番、第5番」、あるいは先にも触れた「弦楽四重奏曲ラズモフスキー2番、3番」など、いずれをとっても堂々とした威容をしていて、まるで交響曲を聴いているようなスケールの大きさを感じさせられます。 しかし、「英雄」で示された2つの展望のうち、分厚い和声の試みは「田園」で途絶え、その後ベートーヴェンはモティーフの徹底的な展開と、音の律動性に大きく傾斜していったように見えます。これは彼のもっとも親しんだピアノという楽器の特性とも関係するのかもしれませんが(ちなみにシベリウスの最も親しんだ楽器はヴァイオリンでした、といえばバッハはオルガンかな?)、やはり難聴という困難を抜きにしては、彼の後期の作品の響きの特性は語れないでしょう。 F・シューベルトが交響曲第7番ロ短調「未完成」を書いたのが1822年、ベートーヴェンが「第9番」を発表する2年前ですが、ベートーヴェンを畏敬するところ篤かった彼の作り出した響きは、ベートーヴェンよりはるかに繊細な和声の進行であって、「英雄」や「田園」のロマン的響きに連なるものでした(残念ながら彼の生前に、この曲が演奏されることはありませんでした)。 第1楽章の有名なコントラバスの序奏の後に現れる、クラリネットとオーボエの第1主題は、そのどちらの楽器を強調するかで響きの表情が変わる。あるいはまた第2楽章の第2主題、クラリネットを支える弦の微妙な転調、さらに再現部では、同じ主題がオーボエでMinor Keyに転調されて出てきますね。このような微妙な和声の進行はベートーヴェンには無いものです。ついでに言うと「未完成」の第1楽章で煩瑣に出てくるティンパニの響きは、古今のオーケストラの響きの中でも最も美しいものじゃないかと私は思っています。 ― つづく ―
2007.04.22
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できるだけ浮世離れして、自分にとって楽しい話題だけを話しよう、成しうるならば、人に読んでもらえるに値することだけを書こうと思っているのですが、世間はそうした私の思いとは関係なく、どんどん進んでいくようで、日本でもアメリカでも、うんざりすることが起こってしまいましたね。とてもじゃないが、好きなクラシックの話をする気になれないのです。文化とか理性というのは、こうした暴力の前には無力で、今自分の好きな話をするのは、何となく不謹慎な感じもあるし、ベートーヴェンの話はしばらく休みです。 古来、先進的な文化国家が野蛮な後進国に滅ぼされた例は、代表的な例としては、古代ローマがゲルマンの蛮族に、漢民族の成熟国家である宋が、未開のモンゴル人に中原を征服されたようにいくらでもあり、近くは昭和初期の日本国家が軍部に壟断されたのも、その一つかもしれません。 これら統治機構が崩壊する時というのは、おおむね共通した社会情勢があって、一言でいえば、成熟した文化国家は得てして暴力に対して鈍感、ないし臆病になるということです。対して未開ないし野蛮な後進国は、暴力に対して敏感かつ肯定的で、他を攻撃することに何の逡巡も感じない。となれば、成熟した国家が後発の野蛮国に滅ぼされるのは、歴史的には必然の結果とも云え、私たちもまたそうした歴史の中から、ひとり逃れることはできないのです。 そうした中にあって、長崎の市長射殺事件というのは、それが市長選挙の最中であったということを置いても、もっともっと国の首長も官憲も国民も敏感になるべきだと思うのですが、私から見ていると歯がゆくてしょうがない。むしろ単なる逆恨みの犯行で(事柄を小さく)片付けようとする雰囲気が、マスコミにもみえるのはどういうわけでしょう。 犯人の動機が安っぽいインネンの連鎖(ヤクザの常套手段です)の結果であったとしても、しでかした結果は本人の意思とは関係なく充分に政治的であって、暴力ないし威力で持って公選された首長に意思を強要し、かつ謀殺するというのは、その時点で国家に対する反逆行為と言っていいのです。安倍さんや他の国会議員は、自分たちの身分が、どういう仕組みで成立し、何をその職務上附託されているのか、もう一度確認すべきです。 もし正確にそれを理解しているのなら、すぐにも長崎にとんできて、公選された首長に対する暴圧に対して、ハッキリと国家反逆に近い声明を発すべきだと思うのですが、東京にいたままで、たんなる非難談話というのでは、いかにも軽い。まさか彼らが暴力や右翼的威圧を恐れているということはないでしょうが、少なくとも反国家的集団は、国家の首長の態度(attitude)を見てますよ(ついでに言えば近所の国も2つ3つ)。 「民主主義の根幹に対する挑戦」ということは、取りも直さず日本の国家体制に対する反逆であって、それはそのまま公選された自身の存在理由に直結しているということが、なぜ分からないのでしょう。 今、長崎は対抗する立候補者も含めて、発言がしにくいでしょう。無知蒙昧な防衛大臣は後釜を立てないと、共産党にやられるなどと、発想の根底は利害打算ばかり、国家を守るという防衛大臣が、です。前長崎市長が右翼に襲われた時も(生還できたのは偶然ですよ)国会議員の動きはいかにも鈍く、左翼的だからと沈黙するのは、そのまま右翼的暴圧を認めた=自身の存在理由を否定したということでしょうが。 こういう時にこそ、安部さんとは言いませんが、誰でも国会議員(知事ではダメです、国家体制の問題だから)がやってきて、強い非難声明を長崎の駅前で、反国家集団に対して行えば、民主国家というのは守られるのですが(つまり安心して権力を附託できるのですが)。 これを許した、あるいは軽くみたのが、昭和初期の日本の政治家で、「青年将校の言い分にも一理ある」みたいな発言が、その後の軍部の威迫的な国家壟断に誰も逆らえない状態を作り出したのです(それを本当に理解していたのは昭和天皇だけでした)。暴力ないし威迫的手段によっては、何を云ってもダメ、即国家反逆だということを、強くハッキリという、そういう人こそ、まともな政治家と思うのですが、誰か長崎に来て云うかな。
2007.04.18
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余談ですが、私の住む新興住宅地の駅前に、シネコンやペットホテル(ワンちゃんをそこに預けて、映画を観るのですかね)を含んだ巨大なS.C.が出来上がろうとしているのですが、そのとてつもない大きさ(京都駅の半分くらい)のわりに存在感が乏しい、昔ふうに云うとサーカス小屋のようなペラペラな印象なのです。 サーカス小屋といえば、昔梅田北側ヤードでやっていた劇団「四季」の「Cat‘s」の芝居小屋は、まさしくサーカス小屋(すぐ撤去するという前提)のイメージで好ましかったのですが、この鉄とコンクリートの巨大建造物は、中に入る百以上のテナントと同様、間違いなく50年後(ひょっとすると20年後)には存在しないのです。昨年の9月ごろから半年ほどで荒地を引っかきまわして、押し立てた建物ですが、5月のオープンを前にして、もうすでに古びた(錆びれた)相貌を放っているのは、たぶん最初から永続性を前提としていない建物として意識されているからで、それは当然、設計にも施工にも一種投げやりな感覚となってあらわれるでしょう。 何も造りが雑だとか、いい加減だとか言っているのではなくて、この建物自体に盛られた思想が貧しいといっているのです。どうせ数十年したら撤去するという前提なら、いっそ巨大テントとかドームであれば、考え方が一貫していて納得なのですが。 といえば京都駅ビルもその巨大さゆえに、かえって周囲を圧迫して、古都の蓄積された落ち着きには永遠に同化しない、京都タワーの醜さも相当なものですが、なぜ京都のみなさんはそれを指摘しないのでしょう。京都はディズニーランドではないのです。 こんな話をするというのは、今どきの資本主義社会のシステムというのは、チープなイメージの消費を前提で成り立っているということが言いたいので、永続的な洗練された商品では、還流してくるお金の流量が少ないので困るのです。 ご存知のとおり商品の流れとお金の流れはちょうど真逆で、私たちが商品を受け取ったときにメーカーにお金が入る、しょっちゅうモノが流れていかないとメーカーはたちまち資本が枯渇するというしくみであれば、できるだけチープなイメージで何回でも商品を供給できるのが望ましいので、化粧品や車などまさしく実体よりははるかにイメージで、巷に流れているのです(今ならさしあたってアジアンビューティーとECOのイメージ)。 作り手側としては、消費者に常に少しの満足と、大いなる枯渇感を植えつけるのが、いちばん望ましいので、昔ですと、カローラのお客さんは乗り心地の少しの満足と、次のコロナへの枯渇感を与えられる、コロナの次はもちろんカムリだのクラウンだのが控えていて、消費者は半ば以上(ほとんど90%以上)、次の夢を買っているようなものです。作り手側は消費者を連続した大きな夢(イメージ)の世界に取り込んでおくのが得策なので、絶対に実体に目覚めさせたり、モノをハダカで見る眼を持ってもらっては困るのでした。 巷間聞こえてくる「ECO」だの「和の心」だの注意していないと、大きな夢の世界を演出されているのかも知れず、数年後のデジタル放送への移行も、何となく政府と電機通信メーカー他の巨大資本の策略にはまって、新型テレビを買わざるを得ない状況になっていますね。 よく考えてみると、なんでデジタルなのか、さっぱり分からないでしょう。 そんなこんな、どうでもよいことを考えてしまうのは、前にも触れましたが、この小ぎれいに区画された新興住宅地そのものが、実体のない桜吹雪や紅葉に彩られて、大きな夢(悪夢かもしれないのに)の中にうずくまっているように見え、このたびの巨大S.C.ともども二、三十年後には、やはりこの街路樹もプレハブ住宅も、すっかりなくなっているだろうなと、ほとんど確信をもって言えるからなのです(小ぎれいの維持費だけでも大変ですよ、ここの自治体規模では。自然の還流システムに即していれば、たぶんたいした経費もかけずに永続するのでしょうが)。 何も昔ながらの貧乏生活(ECO生活)を標榜しているわけではなくて、モノ(外界)を素裸で見つめるというのが、ますます難しくなってきている時代であるということを言いたかったのでした。
2007.04.16
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こうしてベートーヴェンの作品を年代順に眺めていると、彼の作曲家としてのスタートは決して早いわけではなかったことが分かります。どうしても天才モーツァルトが、それこそ10代初めから世に知られていたのと比較して見てしまうからで、彼の10代というのは(他に収入源がなかった家族のために)、むしろピアニストとして仕事をしていたのでした。したがって作曲技法の本格的な勉強も、決して早くはなかったでしょう(ハイドンに師事したのが1792年、22歳)。 それでも彼のピアニストとしての才能は、早くから知られていて、特に即興が得意だったといわれています(その素質は後に変奏技法や、対位法の再構築に現われて、彼の作曲技法の大きな特色の一つとなりました)。というわけで、彼にとってピアノは終生にわたってもっとも親しんだ楽器であったでしょう。と同時に、楽器としてのピアノは、このころ大変革を遂げて巨大化、大音量化し、彼は常に最新のピアノに関心を持ち続けました。 彼の難聴が始まったのが20代後半とされ、30歳前後でほとんど聴力を失ったとされるのですが、それまでに書かれた彼の作品で、今でもよく取り上げられるのが上のピアノソナタ『悲愴』や『月光』で、交響曲1番2番は、たまに取り上げられる程度です。その意味で、彼の20代後半というのはモーツァルトの『傑作の森』時代とは本当に対称的で、難聴と自身の創作スタイルの確立時期が重なって、とてつもない困難を感じた時代であったでしょう。 というわけで、32歳のいわゆる「ハイリゲンシュタットの遺書」で区切りをつけたあとのベートーヴェンの創作意欲は、白熱というより自分の表現方法を見つけたあとの異常燃焼に近い爆発(Break Through)を感じるので、これは夏目漱石が40歳になって一切の公職を辞めて、作家に専念したあと、自身の体調を顧慮することなく、死ぬまで創作に突っ走ったのとよく似ていますね。二人とも今書かねば、創造の神様は永遠に逃げてしまうかもしれないという、強迫観念にかられて疾走しているようで、周囲の人たちはさぞかししんどかったでしょう。 とはいえ、「英雄」以後の10年間(34歳~44歳)の作品群の壮麗さは、いかがなものでしょう。彼のよく知られた交響曲、協奏曲、ピアノソナタ、弦楽四重奏曲他は、ほとんどこの時期に生み出されたものです(常識的に考えて、漱石ではないですが、これでは身体が持つわけがない)。 そしてこの劈頭を飾る「英雄」の勇壮さ、楽天性は、まさしく彼自身の気分を表わしているので、よく言われる第2楽章の葬送行進曲の試みも、むしろ曲全体の楽天性を際立たせるための演出とさえ思えてしまうのです。この第2楽章の荘重な気分は決して暗いものではなく、第1楽章の明るい気分を沈静させて、第3,4楽章のさらに底抜けに明るい気分への橋渡しをしているのです(第2楽章抜きで、これら三つの楽章を続けて聴いたらしんどいでしょうが、たちまちバランスが悪くなるのです)。 彼が本当の意味で、暗く深刻な音楽を書き始めたのは、「傑作の森」のあと死ぬまでの10年間で、作品の数も種類もグッと減って(大曲は「荘厳ミサ」と「第9番」ぐらいで、あとは弦楽四重奏が中心)、異常燃焼の後、創作に呻吟した感じが見て取れます。 ちなみに「英雄」の曲想の多彩さや和声の分厚さに比べて、「第9番」の響きがずいぶんと淡彩に近く、渋くなっているように思うのは私だけでしょうか。これはやはり難聴の進行と関係していたかと思わざるを得ません。後にブラームスがベートーヴェンの古典的な継承として残した「交響曲第1番」は、ベートーヴェンの第10番といわれることがありますが、それは10番めの交響曲ではなくて、この第3番の次を占める曲として位置づけられたとも言われますね。和声の分厚さが「英雄」から直截に継承されているように思わせるからでしょうか。 さてこの中期の「傑作の森」の作品群の中で、私が注目するのはピアノソナタで、昔、諸井三郎さんでしたか、「ベートーヴェンの作曲は、もっとも慣れ親しんだピアノ曲で、まず新しい試みを行い、それを交響曲というオーケストラ形式で大展開し、弦楽四重奏という、より純化された楽曲形式で締めくくっている」とか、おっしゃってましたが、確かに「ワルトシュタイン」や「熱情」を聞いていると、すべてはピアノで始まったと思わせます。 その前の「月光」もふくめて、そのピアノ的美観、形式美はすばらしいもので、ソナタ形式の大拡張が、彼の自己表現意欲と完全に一体となって、じつに堂々とした音楽を聞かせます。私は若いころ「熱情」を聴いて、これはピアノ以外では表現できない曲だと思ったものでした。 中期の作品群に通底する太いバックボーンはこの強いピアノの響きで、早い話、弦楽四重奏の「ラズモフスキー第2番」などピアノで聴いても、ひょっとすると不自然でないかもしれません。同様に「交響曲第7番」もピアノで聴けるかもしれません。逆に「熱情」は、いくらモティーフに「運命」の動機が現われるといっても、絶対にピアノ以外では表現できない響きでしょう。 ― つづく ―
2007.04.13
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ベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調「Eroica(英雄)」。彼の音楽の中でも規模が雄大で、しかも和声がとても豊か、ハイドンとモーツァルトが宮廷サロンの楽曲形式として確立した「交響曲」という形式を、自己表現の器としていっきに極限まで拡張させて、聴かせる対象も王様貴族ではなく、たぶんにそのころ意識されていた国民国家的な概念での大衆を想定していたでしょう。 そのころのウィーンの庶民はオペラ以外の管弦楽曲を聴く機会も、素養もなかったと思われるのですが、「英雄」によって自分たちに向けられた管弦楽曲というものを、はじめて手にしたわけで(その意味を聴衆が本当に理解していたかは別の話です)、この曲によってクラシックの世界に「オペラ」とならぶ「Symphony(交響曲)」が加えられ、その後の作曲家にとって重要なジャンルとなったのでした(20世紀以降、交響曲という作曲形式は廃れました。まえにも触れましたが、自己表現の肥大化が20世紀の時代状況と、大きく乖離してしまいました。今ではシンフォニックな響きは、ドイツの作曲技法を輸入したハリウッドの映画音楽に、その残滓をとどめているばかりです)。 ベートーヴェンの生きた1770年~1827年というのは、ご存知のとおりヨーロッパ史においては、フランス革命(1789年~1794年)からナポレオン戦争(1803年~1815年)ナポレオン帝政(1804年~1814年)の登場、ウィーン会議(1814年~1815年)以後のウィーン体制への移行とかさなっていて、彼自身のドラマティック過ぎる人生と、ヨーロッパ大変革の時期が同時進行していることに、あらためて気付かされます。ナポレオン・ボナパルトが1769年生まれということは、ベートーヴェンと1つ違いで(死亡は1821年)、まさしく同世代だったのです。 ナポレオンによって、王様貴族の国家から国民国家への転換を迫られていた当時のヨーロッパでは、自由主義というのは云わば最新流行の思想で、ベートーヴェンもたぶんにその影響を受けていました。彼の作品群を上の年表に当てはめてみると、「英雄」が書かれたのが、まさしく1804年ナポレオンがフランス皇帝を僭称した年で(それをベートーヴェンが怒って、第2楽章を葬送行進曲にしたというのですが?)、その後の「傑作の森」といわれる彼の10年間はナポレオン戦争によって、ヨーロッパ中が沸騰した時期にあたります。 天才の出現や、その作品の内容を、外部の状況とあまりリンクさせるのは、かえって作品理解を誤る場合もあるのですが、ベートーヴェンはたぶんに時代精神に鋭敏でしたし、自分の芸術の表現方法としても、それを必要としていたでしょう。モーツァルト(1756年~1791年)はナポレオンを知らずに早死に(36歳)しましたが、時代を超越したような彼といえども、王様貴族に仕えない自立した芸術家としての意識は、同時代の国民国家の精神と共有するものだったでしょう。 ちょっと煩雑になりますが、彼の主要な作品を時代順に並べてみると(多少の移動や類推があります、すいません)、ピアノソナタ第8番ハ短調『悲愴』1798年(28歳)交響曲第1番ハ長調1800年(30歳)ピアノソナタ第14番嬰ハ短調『月光』1801年(30歳)交響曲第2番ニ長調1802年(32歳)1802年のときには自殺も考えた。「ハイリゲンシュタットの遺書」(32歳)交響曲第3番変ホ長調『英雄』1804年(34歳)ピアノソナタ第21番ハ長調『ワルトシュタイン』1805年(35歳)ピアノソナタ第23番ヘ短調『熱情』1804年~1806年(34歳~36歳)レオノーレ序曲第3番1806年(36歳)ピアノ協奏曲第4番1806年(36歳)ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 1806年(36歳)弦楽四重奏曲第8番ホ短調『ラズモフスキー2番』1806年(36歳)弦楽四重奏曲第9番ハ長調『ラズモフスキー3番』1806年(36歳)交響曲第5番ハ短調1807年から1808年にかけて、交響曲第6番ヘ長調『田園』と並行して作曲(37歳~38歳)ピアノ協奏曲第5番変ホ長調1809年(39歳)ピアノソナタ第26番変ホ長調『告別』1810年(40歳)弦楽四重奏曲第11番ヘ短調「セリオーソ」1810年(40歳)歌劇「フィデリオ」1810年(40歳)交響曲第7番イ長調1812年(42歳)交響曲第8番ヘ長調1814年(44歳)ピアノソナタ第29番変ロ長調『ハンマークラヴィーア』1818年(48歳)ピアノソナタ第32番ハ短調1822年(52歳)ミサ・ソレムニス『荘厳ミサ曲』1823年(53歳)交響曲第9番ニ短調『合唱付き』1824年(54歳)弦楽四重奏曲 第12番 変ホ長調1825年(55歳)弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調1825年(55歳)弦楽四重奏曲『大フーガ』1825年から1826年(55歳)弦楽四重奏曲 第15番 イ短調1825年(55歳)弦楽四重奏曲 第14番 嬰ハ短調1826年(56歳)弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調1826年(56歳) というわけで、真ん中の中期の作品群が、先ほどのナポレオン戦争(1803年~1815年)の時期に完全に当てはまるのです。 ― つづく ―
2007.04.11
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ときどきちょっとつついては、休んでいる淡海(近江)の話ですが、今回の統一地方選挙で滋賀県議会議員の勢力図が逆転して、嘉田由紀子知事派の「対話の会」が躍進したことで、少し話題になっていますね。 従来、長野や徳島でみられた革新知事と保守系議会のねじれ現象が、今回の滋賀県では一応解消されたことで、新幹線新駅凍結やダム建設の見直しを掲げる嘉田さんの政策には、おおいに追い風となるでしょう。前に「淡海幻想」とは別のところで触れたことがあるのですが、武村正義県政時代(もう30年近く前の話です)の「粉せっけん」運動以来、滋賀県はECO先進県のイメージがあって、それまでの保守王国とは一線を画するところがあったのでした。 私の感じるところは、滋賀県の県民性が進歩的とか、先見性があるとかいったことではなく(もともとの県民性は紛れもなく保守的ですよ)、県外からの流入人口が極めて多いこと、その滋賀県に移り住む人たちの感覚にECOに対して思い入れの強い人たちが多いんじゃないかということでした。 それが証拠に大津草津近辺に住む新興住宅地の人たちは、私が大津営業所で仕事をしていた当時、ほとんどが京都大阪からの転入組なのに、この人たちが京都大阪のいわば習俗慣習をそっくりもとの地に置き捨てて、滋賀県に移り住んでいるように感じたことでした。これは私が京都、大阪、奈良の各営業所支店にも居る機会があって感じたことなので、早い話、奈良の近鉄沿線などは大阪からの流入人口が大半を占めていて、文化もそのまま大阪ふうを持ち込んだ感じがあります。 地域性を概括的に決め付けるのは危険で、奈良にいて私の感じた大阪ふうというのは、もともと奈良にあった風土性なのかも知れず(河内弁の元祖は葛城だという話があります。実際、橿原より南、吉野口あたりの人たちとしゃべっていると、これは河内どころかひょっとすると近畿の原風景ではないかと思わせられたことがあります)、あまり軽々しく話するのはちょっとひるむところがありますが。 仕事の付き合いですから、当然ゼニカネ損得の話題が中心となるのですが、大阪や奈良ではゼニカネ損得が何の衒いもなく、ストレートに表に出る(お葬式の香典返しの中味を「これ何やろ」と人前で開けてみる)のに対し、京都というところはミヤビの牢固たる伝統のせいか、ゼニカネを前面に出すのを嫌う、何だかどこまで商売しているのか、人品の批評をしているのか分からないところがあって、はなはだ居心地が悪い。京都は昔から商売のしにくい町とよく言われます。 同じ商売の話でも、滋賀県というのは鄙びた感じがあって、かつて近江商人で栄えた先見性など、どこにも感じられないのですが、もし一つ特色をあげるとすれば、物事に対する感謝の感覚ということでしょうか。こういうのは現地の販売員の女性に報酬を払ったときに、モロに出てくるもので、大阪や奈良ではもらって当然という顔で、こちら側としては何だか支払い甲斐がない気分になるのですが、滋賀の人は割合素直に会社の評価を受け入れてくれる。 会社の方針や計画を説明しても、奈良や大阪だとその裏を嗅ぎ取る感じがあって、しゃべっていても油断がならない。滋賀県ではみんな取り合えず賛同してくれますが、逆に反駁されるときは極めて正当な論拠であることが多く、手練を駆使した大阪方式ではうまくいかない場合が多い。販売員の裏の裏を読んで、目標数値やキャンペーンを設定するなどということは、滋賀の場合はあまりよくないようです(だからあっちはダメでこっちは良い、という話ではありません。実際の販売力では奈良大阪のほうが、いろいろ問題はあったにせよ?はるかに上でした)。 ところで、そうした私自身の思い込みから言うと、今回の滋賀県議会議員選挙の結果は、少し意外な感じがしなくもありません。というのも私の概念から言うと、嘉田さん支持派は当然人口流入の多い大津草津が中心となるということになるのですが、結果からいうと「対話の会」支持は、むしろ彦根や浅井郡のような郡部に多くみられるので、このあたりやはり固定観念にはまった考え方はダメだなと思わせられます。どうやら都市部は大阪京都と同じく、無関心層が増大しているみたいで、このままだといずれ滋賀も京阪神の近郊都市文化に組み込まれてしまいそうです。 保守色の強いと思われる郡部に幅広い嘉田支持派がいるということは、取りも直さず京大湖沼研究所の研究員以来、県内をくまなく歩いてこられた嘉田さん人気の層の厚みを示しているので、このあたり滋賀県人の人をみる目というのは、手練を駆使して損得を嗅ぎ分ける都市の文化とはやはり違うような気もします。 そしてもちろんその背景に琵琶湖という巨大な風景が横たわっていることも間違いないところでしょう。滋賀県人にとって30年前の南湖の赤潮の映像は、よほど強烈な県民の恥だったのかもしれません。これは最初草津の新規参入組の女性から始まったECO運動が、今では相当全県に浸透していることを表わしているのですが、地の人、新規参入組の人関係なく、琵琶湖というのはその存在があるということだけで、民意を統一してしまう、それほど大きいのかもしれません。象徴的に言えば琵琶湖を味方につけたほうが勝ちということでしょうか。 何だかちょっとナイーブな話になってしまいました。
2007.04.10
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最近何となくピアノ人気復活のきざしがあって、テレビでもよく放映されていて、またしても何やら策略のニオイを感じたりもしているのですが、それというのもNHKに限らず、どうも最近のメディアは日本礼賛の番組が多すぎるんじゃないかと感じているからです。 「和の心」だの、「美の壷」だの、「Cool Japan」だの、ここ最近の日本全体の右傾化傾向に迎合するタチの企画が多すぎる。私などこういうのを見ると、またまた裏で何かを誘導しょうとする、ある種の意図を感じてしまうのですが、大半の人たちは、たいした関心も抱かずに通り過ぎてしまうのでしょうね。 何も日本文化を否定しているわけでないことは、私のブログを呼んでいただければ、分かっていただけると思いますが、それにしても無批判的な、あるいは反批評的な礼賛傾向というのは、却ってその国の民度を貶めることになるので、私はあまり好きではありません。ここは北朝鮮ではないのです、外人を使って日本を礼賛させるのは止めてほしい。ところで、―― 今回話するのはベートーヴェン(L・V・Beethoven 1770~1827 56歳)です。ドイツ語読みではルートウィッヒ・ファン・ベートホーフェンというのが、より原語に近いらしいのですが、日本ではなぜか彼だけ英語読みで発音されます。彼はドイツのボンの生まれですが、祖父はベルギー出身のフランドル系であり、ファンという名前は同じくフランドルのヴィンセント・ファン・ゴッホなどにも使われてますね。 名前の話はともかく、彼の多量な作品はあまりにも巨大で、かつさまざまな逸話に彩られて、ストレートにその音楽を享受するということが難しくなってしまいました。これはたぶん演奏する側にとっても同様で、毎年恒例行事のように行われる第9番「合唱付き」を、毎回新鮮な気持ちで演奏することは、相当至難の業でしょう。 とはいえ、彼のクラシック音楽の世界にあたえた影響は、言うまでもなくとてつもなく大きく、音楽のひとつの型(クラシック)を作り上げたという意味でも、その影響は今だに続いているように思えます。今でも新発見が彼の音楽の響きの中から、見出せる場合があるのかもしれないのです。 さて私はもちろん素人ですので、専門的な楽曲の分析や、伝記的な話はできないのですが、それでも語らずにいられないのは、更地で彼の音楽を享受したいからで、新鮮な気分で彼の音楽を聴くには、どうしたら好いか、どういう態度(attitude)でのぞめば、新たな響きを聞けるのか、みたいなことを考えているのです。 更地を行くのに、ひとつの態度として、まったく彼の来歴を捨像(neglect)して、音楽を聴くというやりかたがあるのですが、それでは彼の音楽の半分も聴いた気になれないし、かといって彼の凄まじすぎる人生を、事細かく知ることで彼の音楽が立ち昇ってくるかといえば、これまた追体験するにはあまりにもしんどい話ではあります。 まえにモーツァルトのことでも話しましたが、他人の人生は横や結果から判断して、かわいそうだのすごいだのといっても、これでは当事者本人の現在進行形の気分は分からないわけで、ひょっとして時には渋面の裏側に哄笑が隠されていたのかも知れず、となると私たちは結局、こちらの気分の都合で音楽を享受するしかないのかもしれません。 ベートーヴェンの来歴を概略程度に知ったうえで、彼の音楽を聴くと、どうやら大きな転機が二回ほどあって、その一回めというのが、交響曲第3番の書かれた1804年前後(34歳)であるらしい。それまで多かれ少なかれ、ハイドンやモーツァルトの影響が聴かれた彼の音楽が、奇跡的な大飛躍を遂げて真の意味でのクラシックが誕生する、要はベートーヴェン以外に聞くことのできない威容というか、美観が出現してその後の「傑作の森」といわれる10年間が始まるのです。 その意味でも「エロイカ」として知られる、交響曲第3番は大きな位置を占めているようですね。 ― つづく ―
2007.04.06
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近ごろあまりにつまらなくて、見る機会が少なくなったテレビですが、とくに民放の番組のレベルはひどいもので、夜のゴールデンタイムにぜひ見てやろう、と思う番組が一つもないのです。視聴率至上主義の成れの果てが今の日本の民間テレビメディアで、結果的に視聴者を愚弄しているケースが頻発し、よくこんな品のない番組にスポンサーがつくなあ、と思うこともしばしばなのですが、日本のスポンサーは一社だけで一番組を提供することはまれだし、CMの時間帯を押さえることが目的なので、内容には基本的に無関心なのかもしれません。 というわけで、がまんして見れる番組のほとんどがNHKということになってしまうのですが、こちらは高い視聴料を払っているのだから、面白くて当然という気がするし、どちらにしても頭にくることに事欠かない今日この頃ではあります。 それにしてもNHKの視聴料金は高すぎる、いくら公共的要素を喧伝するにしても、立派な番組は金がかかるといっても、公共放送としての基本料というなら、せいぜい月500円で充分だと思いますよ。立派な番組と言うなら、従量制で(電話のように基本料金とは別に)料 金を取ればいいのです、デジタル化はそのツールにもってこいのはずですが。 というわけで、NHKも広大なグループ企業を構成して、いつのまにやら国の役所にぶら下がった特殊法人の群れとよく似た組織になっているように思えます。これらグループ企業はいくら儲けても、別企業ですから、利益が視聴者に還元されることはないので、これは民放とは別の意味で、視聴者(こちらはPayerですよ)をバカにしているのです。全世帯から毎月数千円を(市民税並みに)徴収するということの意味を、たぶんNHKグループはちゃんと理解していないと思う。これは優れた番組を維持提供してやってるんだからという、言い分けではきかない問題なんです。要するに組織も予算もデカすぎる、今から徹底して組織構造を削減しないと、身動きが取れなくなりますよ。 みんな国会も含めて、よく黙っているなあと思うのですが、日本人はこういうことには優しいんですかね。 民放がつまらないといっても、なかには気骨のある番組もあるので、例の「やしきたかじんのそこまで言って委員会」は、あのおそらくチープな製作コストで、よくもここまで面白くみせるな、と思わせます。これは東京に対する反骨ということだけではなくて、それを充分に茶化してみせるセンスが利いているのです。弱い国が強い国に立ち向かうのにセンスだけを頼りに(北朝鮮みたいに)戦うのと同じで、気の利いたセンスは100倍の資本を投下した番組に充分対抗できる、そんな気分にさせるのです。 一例が、先々週の地球温暖化の思い込みに対する警鐘で、平たく言えば、北極の氷が全部溶けても、地球の海水面は上がらない、という話。よく考えてみれば、とてもシンプルすぎて笑ってしまうほどのものですが、小中学校の理科実験で、水に浮かんだ氷が全部溶けても水面は上がりませんね。ところが環境保護派が地球温暖化で、氷が溶けて海面が上昇すると叫ぶと、誰もこれに反対できなくなる。 思い込みとか、世論誘導というのはコワイので、新聞でもテレビでも、こうした素朴な疑問とか論理的な指摘をわりと無視するところがあって、むしろ体勢の流れに呑まれてしまうところがある。これを指摘したゲストの科学者がおっしゃってましたが、日本の学界でこれを発表したら無視されるか、国賊呼ばわりされたと言うのですが、ことほどさように日本では周囲の空気とか雰囲気が(ECOマークのお化けが、かつてのアンポお化けやカミカゼお化けと同様に)、今だに物事を支配しているのです。 先週も面白いゲストが来ていて(この番組は定例のコメンテイターより、ゲストの選び方がおもしろい)、例のタミフルはインフルエンザに効かないと言う。それが証拠に日本以外では、どこの国もこんなにタミフルを使ってないと言うのですが、そもそもなんで日本だけこんなにインフルエンザを恐れるようになったのか、インフルエンザは本当にコワイのか、という話になって、最後に何となく製薬業界と厚生労働省の癒着と利権の構図が、透けて見えてきたりしておもしろい。結局タミフルも鳥インフルも巧妙に仕組まれた、いつもの官・業癒着の話かいなと、手を打ったものでした。 私はだから地球温暖化はウソ、タミフルは効かないと言っているのではなくて、大事なのは、何が真実で何がウソかという前に、それを多面的に判断させる材料と思考方法を提供してくれているかということです。もちろん中には相当いかがわしいゲストやコメンテイターも含まれますが、むしろそのほうが強面の政治座談会より真実に近づきやすいのかもしれないと思うのです。そういえば、ゴアさんもあれだけECOマークをまとっていたのに、自宅の消費電力は一般家庭の100倍使ってるなんて書かれると、ああやっぱりなとなってしまいますね(政治的にECOを利用しただけだなと)。 ちなみに似たような番組に例の「たけしのTVタックル」がありますが、あきらかに「たかじん~」に負けている。これはキャラクターのセンスの差ではなくて、製作者のセンスの問題、さらにいうと東京であることの縛りが、どうしても出てしまう、といったところでしょうか。 東京の人や車の流れが、妙に統制が取れていて、関西人にはどうしても居心地が悪いのと同様に。まあ大阪の何でもありの道路状況が推奨ものだ、とはとても言えないのも事実ですが。
2007.04.02
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ランゴリアーズ このけなげさとか、いじらしさというのは、ロリコン気味のおっさん趣味というのではなくて、一回限りの時間というものを端的に示してくれることにあると思うのです。言い換えれば、生命(存在)のいじらしさのようなものでしょうか。 生きている時間というのは、失われていく瞬間の連続ということと表裏一体で、音楽というのが時間芸術であるとするなら、それが発せられた瞬間に、音は残響とともに過ぎ去り、二度と戻ってこないということを、ライブというのは端的に知らせてくれるのです(そういえばS・キングの中篇「ランゴリアーズ」は、過ぎ去った時間はランゴリアーズなる怪物によって、次々と喰われてしまい二度と戻ってこないというような話を書いてましたな。私が唯一認めているキングの小説です、まあこれは別の話)。 そうした中で、女性ソリストの存在というのは、失われていく瞬間の連続のなかに男=オスからみれば、間違いなく性的要素も含んでいることを見出すわけで、異性のパフォーマンスを見た瞬間に、男=オスのなかであるスイッチが入るのが分かる。 これはたぶん、オオカミが仲間同士でケンカしていても、相手がお腹を見せた瞬間にスイッチが入って、襲うことを止めてしまう(殺してしまうと種族全体が滅びる)のと同じ反射なので、これは失われてゆく時間に抗って生存を続けようとするDNAからの信号なのかもしれません。私たちはこの瞬間に、今時なかなかまみえることのできない濃密な生きた時間を共有しているので、それだからこそ曲想とは関係なく、分けもなく涙がこぼれてくるのです。 こぼれてくるというのは、繰り返しますが、生きた時間というのが、失われていく瞬間の連続と表裏一体で、感得させられるからで、哲学的な言い方をすれば、私たちが「時間内存在」であることを認識させる、これは同時に自身の有限の認識でもあります。 このあたり一回限りという禁則は、性的行動においては不倫や浮気において、端的に現われるので、もう二度と会えないかもしれないという禁則が、逆に異性同士を燃え上がらせる、この禁則=禁忌(Taboo)というのは、どうやら社会道徳的な範疇ではなく、生物的な「時間内存在」としての個体を、永遠に存続させようとするDNAからの信号に動かされているようで、渡辺淳一氏はそのへんをどれくらい理解されているのですかね。 まあそれはともかく、今過ごしている(共有している)時間は二度と戻ってこないという認識は、人=生命を激しく駆りたてます。夫婦関係とはとりもなおさず社会的存在で、互いが「時間内存在」であることを気付かずに、すましていられるのですが、不倫や浮気はうわべの社会的禁則の裏に、生命(存在)の根本的な矛盾から発せられているもののようで、それはまえにも触れましたが、個体としての有限性を種全体の永続性へ結び付けようとする、DNAにもともと組み込まれた信号によるものかもしれないのです(生命=DNA生存機械論)。 私たちが日常目にしている、おびただしい性的信号や美的信号は、ひょっとすると生命にもともと組み込まれた生存機械としてのメカニズムの作動の結果かもしれず、先ほどのオオカミの行動に、もちろん道徳がふくまれていないのと同様に、これらの信号は生命に内蔵されたスイッチの切り替えの反射の結果かもしれないのです。 またしても何だか話が怪しくなってきましたが、時間に駆りたてられる存在、過ぎ去った時間は一瞬の内に「ランゴリアーズ」に喰われて永久に戻ってこないという認識は、性的行動を除けば、今やライブのこのようなコンサートホールやボールパークやアイスリンクでのみ味わえるので、ここ最近、私がライブに懲りだしたのはそういう理由であるからのようです。 ビデオやDVDが命の抜け殻であることを、一度コンサートホールに行って味わってごらんなさい、とくに恋人とか愛人と一緒であれば、なんちゃって。 ― つづく ―
2007.04.01
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