サリエリの独り言日記
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ボッチめし 怠惰にまかせてUPをズル休みしていたら、あっという間に半年が過ぎ、年も改まって令和二年となりました。好きでやっている事柄というのは、面白くないと続きません。ここ数年、話したい内容は以前と変わらず、次から次へと湧いてくるのですが、いざ文章化するとなると、なぜか下書きの段階で指が止まってしまうのです。そうして滓のように溜まった草稿が、パソコンの中で持て余し気味に眠っています。 間違いなく言えるのは、以前と比べて、どうも周囲の時間速度に、自身の感覚が大幅に追いつけなくなっているということでしょう。感覚的には一日が一時間に、一週間が一日に、一か月が一週間ぐらいの速度で、目の前を通り過ぎているという感じで、これは明らかに老化の始まりと言っていいのではないか?これは何も令和の世が、やたらせわしなくなった(多少はあるかもしれません)ということではなくて、私の身体の代謝速度が歳相応に遅くなっているということの現れなのです。 と、こうしていたら、大学時代の仲間から年明けに集まらないかという誘いがあり、久しぶりに会ってきました(三年ぶりかな)。そうしたら、こういう会合には、まず出てこないだろうと思っていた後輩がなぜか来ていて、勝手に興奮してしまいました。というか、年甲斐もなく彼に居丈高に振る舞ってしまった私が恥ずかしい。多少アルコールのせいもありますが、これって大学時代の私の振りだったからです。同窓会というのは、それぞれの現況はとりあえず棚上げにして、四十年以上前の序列を疑似的に再現してしまうので、こういう事態になったのでしょう。 この男、私と少し似たボヘミアンタイプで、他の同窓がすんなり社会に同期化していったのに、彼も私もそうしなかった(たぶん)。彼からは異論もあるでしょうが、おそらく長い長いモラトリアムの時間を、別々の経路で過ごしてきたのではないか。それが証拠に他の同窓が、つつがなく会社務めを果たして次々とリタイアし、歳相応の老たけた相貌を呈しているのに対し、私と彼だけは経年変化を遂げない(要は、成長してない)「悪相」を今だに放っているのです。 それほど付き合いはなかったにせよ、何となく気になっていた男が現れたとなっては、こちらとしても何やら血が騒ぐものがあるじゃないですか。 というわけで、新型ウィルス肺炎の不安があるなか、多少の緊張感とともに(要は、マスクと手袋などをして!)京都に入りました。しかるべきイベントのあと、京都駅に集まって食事会をやったのですが、意外というほどの閑散ぶりに驚いてしまいました。日曜の午後と言えば、京都駅前はどこもかしこも外国人観光客であふれているのですが、人は決して少なくないのだけれども、何となく歯が抜けたような欠落感がある。 それは一言でいえば「喧噪」の度合いがいつもと違う、一番騒がしい中国語の音声が抜け落ちているということです。言い換えれば、いつもの京都駅は中国人観光客の大群が喧噪の大半を占めていて、それはもうこのあたりの景観の一部になっていたということか。知らず私たちは、そうした光景になじんでいたということなのでしょう。 こうした欠落感は、食事会が催されたレストラン街でさらに露わになってしまいました。そのフロアを歩く人影はほとんどなく、店によっては閉まっているところもあって、俺たちは来る場所を間違えたんじゃないか、どこか田舎の場末にいるんじゃないかという気分に襲われる。とはいえ、それは逆に、予約なしの宴席が奇跡のように開ける、ということも意味していたので(というか、当日の電話予約は受け付けていないみたい、アポキャンも多いみたいしね)、世話役にとってはよかったですね。おかげでけっこう大人数の宴会が、即席で楽しく開けるということになりました。それにしても、七十近い年齢の男女の集まりというのは、見た目もそうですが、何だか滋味深い趣がありすね。一言でいえば、「お互い無事生きてこれて、良かった!」みたいな。この場にいない先輩後輩同輩の中には、病気その他で亡くなったり、行方不明の人もいるわけです。四十数年というのは、そういう重みを感じさせる時間でしょう。 私は平成の世というのは、おそらく日本史史上でも、もっとも穏やかな時代の一つではなかったかと思っているのですが、それでもみんなそれぞれ固有の苦労や努力や辛酸を経て、ここに会しているわけで、しかもその中味などいちいち声高に口外しない。言わなくったって分かってるじゃん、というスタンスで穏やかにしているのです。 時に、「自分史」なるものを記したい、あるいは喧伝したいという欲求を持つ方がいるようですが、残念ですが、そんなものに興味を持つ他人などいませんよ。「熟年」というのは、共有できるものと、絶対共有できないものの分別がつく人たちのことを言うのではないかしらん。 前にも触れましたが、阪神大震災の被災者が私の周りにいましたが、これほど近い距離にあっても、その揺れを「共有」することは絶対にできない、要は他人の体験を追体験するというのは絶対不可能だということです。これは亡父の戦争体験も同じで、「共有」は最初から閉ざされている。であるにもかかわらず、他人ができることとは何かを考えたとき、それはただただ黙って、「寄り添う」ことだけなんじゃないか。「死」は、生き物全員に必ず訪れる経験ですが、厳密に閉ざされた個人的な体験なので、あたりまえの話ですが「共有」など絶対できない。であるにもかかわらず、私たちはただただ、「寄り添う」わけでしょう。 自身の職歴をたどってみたところで、おそらく大半の人はレポート紙二枚ぐらいで、語るべきことは済んでしまう。で、それが自分史だというのでは、これはやっぱり寂し過ぎる。かといって、特段の趣味でも書き記すのかといえば、これまた自身の「物語」としては、何やら貧寒とした感じがあるじゃないですか。要は今ここにいる自分を、しかと「定位」して、令和の世の中を、ひたすら面白がっていくしかないんじゃないか。 過ぎ去った過去の断片を拾い集めても、何も出てこないけれど、そうした自分の過去を一切合財引き受けて、目の前のさまざまな事象を語り続けるほうが、どうもいいような気がするのです。 二次会の少人数になった男同士の話は面白かった。それにしても、さっきの後輩がまだいて、何やら名刺のようなものをみんなに配る。このあたりの「鼻持ちならなさ」かげんも、以前のとおりで、笑ってしまいました(悪く言ってるんじゃないですよ)。 一人が「お前のブログは、難しくて分からん」、「やっぱり、じかに会って話するのが好い」と言ったのは、言い得て妙で、何万語費やした「言葉」よりも、生身の「身体」のほうが、はるかに「面白い」ということでしょう。さて、次の邂逅は何時のことになるのやら、来年か、再来年か、十数年先か。 表題の「ボッチめし」とは、一人ご飯のことですが、よく考えてみたら、私はこの十数年他人にご飯を作ることはあっても、作ってもらったためしがない。なぜそうなったかについては、あまりに個人的なことなので話しませんが、間違いないのは自分用に作るご飯は、人のために作るご飯より、確実にまずいということです。「自立単独」主義が是とされ「自己責任」論が吹聴されるなか、人の行動原理の根っこには、そうした単純な議論ではとても包み切れない動因要素があるのではないか。 「ボッチおでん」をつつきながら、そんなことを考えました。
2020.01.31
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