フリーページ
お政の許婚の夫長次郎は正直素朴の性質で兄長三郎の家事を助けて居たが家運は年々に傾くばかりで、遂には先祖以来の大家も引拂ひ田畑も売って長次郎と共に裏の納屋に引篭り幽かに生活するような運命となった。
お政も生まれ落ちると母を失い、四才の時には又父を失い嘉右衛門夫婦の愛育による楽しい日々も短く、すくすくと育つに運れて本家同様不運に向かい、その凋落は目に余るものがあった。
お政十一才の時嘉右衛門夫婦は婚禮前の行儀見習いと云う事で黒田候の納戸頭を務める明石久衛門行憲と云う武家屋敷に禿奉行に出した。
彼は藩主の信任厚く文家兩道に秀でた立派な武士で十一才から十八才至る七ヶ年間の彼の本に於ける教化は後世節婦お政としての美名を残すに至った素地をつくったのである。
なをお政を最も感化したものは主人行憲の必生の著述と云われる三婦傅烈で「己の貞操を守り良人の身代わりとなって生命を果たした袈裟御前、死すべき時に死して良人の名を辱しめなかった細川忠興の妻、良人の留守中敵方に組した舅の奸計を退け、よく一城を守り通した真田信之の妻」この傅記こそお政の最も愛読したもので肺腑の中に深く深く喰い込んで行ったのである。