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地球という惑星生命体が、アセンションに向って追い込みをかけている今、かなりの量と質の高いエネルギーが宇宙から降り注いでいるのが感じられる今日この頃です。私の場合、何をやってもスムーズに進むし、一切の不都合はありません。日々が楽しく幸せで、創造主に愛され、抱かれているという実感を味わっている毎日です。山の木々は、光を帯びてキラキラと輝いています。海からの波は規則正しいリズムを刻み、調和の取れた反復を繰り返し、静と動、陰と陽の調和が私に生きる手本を示してくれ、そこからも愛を感じずに入られません。惑星地球が、その活動領域を光一つ上げた世界では、想念が現象化するのに時間がかからないと言われています。これからの「その時」までの間は、準備の整いつつある魂には想念が現象化する時間がどんどん短くなることのようです。ここで考えなくてはいけない「愛に見える毒」の事。「何のこっちゃ?」と思うでしょう。親しい間柄では、当り前に使っている挨拶。「気を付けて行ってらっしゃい。」とか、「事故に遭わないように、・・・」とか。この言葉は、“無事に帰ってきて!”という自分の願いと、相手への愛ですね。でも、ここで考えなくてはいけないこと。この思いが過度に働いた場合、“事故に遭うかもしれない”という想念を発してしまう。“事故に遭ったらどうしよう”“怪我でもしたら・・・”“まさか死んじゃったら・・・”こういった否定的な想念を過度に発してしまったら、どうでしょうか。それが、現実化されてしまう傾向に流れます。愛を発したつもりが、呪った事になってしまう。毒を撒いてしまったことになってしまう。今、私が何をさて置いても第一に意識している統合意識。この意識こそが、本当の解脱した意識。多くの先達が挑んで、為し得るには程遠い仏陀意識です。このことで、私の友人であり先生でもある方々と話をしました。そしたら、こんな事を言われました。「それは近いです。近々、きっかけが訪れるでしょう。全てが繋がります。」「遠いと思ったら、遠くなるよと大きな意識が伝えてきます。」「遠いと思うと、上の人達は『遠回りが好きなんだね!』とあえて難解迷路を準備する。」(大きな意識、上の人達とはハイヤーさんを含む守護霊団の方達の事)程遠いという想念が、遠い物にしてしまう。仏陀意識に到達するには大変な道程を要すると、初めから決め付けてしまっている。これも、固定観念、先入観なのだ。このことを手放す事に主眼を置いている最中なのに。もちろん、この意識に到達するのに簡単ではないでしょう。だけど、ここまで来たのだからもう遠くはないと思う事。なんせ、応援団がたくさん控えていますから。意識するという事は、本当は凄いエネルギーなのですね。もし、否定的な想念を発した事に気付いたら、すぐに肯定的な想念を発してください。ひっくり返ります。調和の時代に向っている今、否定的な想念よりも肯定的な想念の方が早く現象化しますから大丈夫です。いつも言っている心配という事。過度な心配は、愛ではなく毒と思ってもいいでしょうね。
2009.02.25
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我々が生きている地球という三次元レベルは、多次元的とも思える波動階層が同居している、宇宙の中でも稀な惑星とも言われています。一般的な次元の概念は、同じようなレベルの波動を持つ者同士が同居できる世界であって、波動レベルが違う者同士では、一緒に存在する事は出来ない仕組みであるらしいです。この地球では、覚醒した魂レベルもあれば、グッと低い波動を持つ者も一緒に生活圏を共にしています。だから、解脱されていると思えるような覚者から、その生き方や考え方、行動を直接的、あるいは著作等で間接的に多くを学べます。又、未成熟な魂からも、ああなってはいけない見本として学ぶ事も多いことでしょう。だから、学ぶ姿勢さえあれば、短期間に素晴らしい霊的進化が望めます。だから、地球は多くを学べる学校です。でも、学ぶ事すらも義務ではなく自由です。学ばない事を選択をされた魂も、罰せられる事もありません。似たような波動を持っている人同士の世界に行くだけですね。さて、学びを選択された魂さんのお話です。自分の周りを見渡せば、確かにいろいろな人がいますね。そういう中での生活で、酒に交われば赤くなるみたいに、(これ、朱ですよね。誤変換です。NAOさんから言われて気づきました。でも、酒でもいい感じになっている。失礼しました。)あまり三次元的な物の中ばかりに身を置くと、雑音ばかりが多すぎて、精妙な波動にチャンネルを合わせずらくなってきます。出来る事なら、波動の高い人達に囲まれて生きることが望ましいといえるでしょう。心には、常にリラックスしている状態がいいですね。高いリラックス状態は、何も肉体的に楽な姿勢でくつろぐだけではありません。肉体的には運動状態のリラックスもあります。私がやっている朝のジョギングも、大変リラックスした状態の持続です。音楽や、好きな事をしている時も、高い波動が保たれているのでしょう。リラックスしている時は、感情や思念が大変居心地のよい状態です。ストレスがまったくありません。高い波動が持続されています。粗雑な荒々しい感情に揉みくちゃにされた生活は、よい学習環境とは言えませんね。でも、組織の中で仕事をしていたりする場合、中々難しい面もあるでしょうね。観ざる 言わざる 聴かざるこれは、人生の処世訓ですね。高い波動を持続する為の一つのテクニックです。見聞きするものを整理する術です。こういうのに関わっていたら、自分の波動を下げてしまうなと思える事を、シャットアウトしてしまいましょう。観ません、聴きません、もちろん言いません。それに関わりたい人だけでどうぞ!私はパスします!という具合です。何気なく過ごして来た事も、もう一度洗い出してみたいもの。これからの自分に、必要なものなのかどうかを。周りがそうだから自分も・・・では無くね。今までの世界で通用してきた価値観は、これからの世界では余計なものになろうとしています。これは、統合意識への第一歩。一人だけでも、出来る事から始めたいですね。
2009.02.21
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混沌とした今の世情だから、自分を守る、家族を守るという気持が多く働いているようですね。より安心安定を求めて、何かを求めている。外に安住の大黒柱を求めても、そこには見つけられない事を知っているのにね。そう、その安住の地は自らの心の中に在る事も知っている。でも世間の流れに流されて、そこを真摯に見ようとする事を先延ばししている。今までの分離社会のやり方を、更に引きずろうとしている人が多い。今のカオスの世を見れば、今までの人類の選択が正しかったとは言えないようですね。でもそこから、少しずつでもいいから統合の世界に移行してみませんか。それには、ちょっと冒険になるかもしれません。新しい服を着るのに、古い服を脱ぐように切り替えが必要です。以前も紹介しましたが、不安や恐怖といったネガティブな想念を発するものを手放す事。ああなったらどうしようとかの、不安や恐れです。病気になったら、収入が無くなったら、火事になったら・・・・・こういうのを、たらればの話と言います。ああなったら、こうなればのたられば。固定観念や常識といったものも解き放つ時期でしょう。「こうあるべきだ」という概念を持っていると、その概念に当てはまらない人や考えに対して批判的になってしまう。「常識を知らない」とか、「ああすべきなのにあの人は・・」とか、「○○して当り前なのに」とか。想念が現象化するスピードがどんどん速まって行き、地球アセンション後の世界は、想念を発した段階でそれが現実となってしまうと言われている。極端な話「あいつ、いなくなればいい!」と思っただけで、その人は消えてしまう。殺人すら可能かも。だから、批判的な考えや否定的な想念を持っている人はアセンション後の地球には住む事が出来ません。一切の闇的要素を持ち込めない光の国。だから、闇的要素を持っている人は、その人に相応しい場所が別に用意されるようですね。批判、非難、人を裁くといった想念を発する源は、不安や恐怖、固定観念や常識といった分離社会の垢なのです。意見や考え、イデオロギーを持つ事は、まったく問題ありません。でも、自分の考えを人に押し付ける事をしてしまったら、まずい事になります。更に、自らの考えに反した生き方をしている人を見た時、心の中で批判的になってないかを確認した方がいいでしょうね。今の世の中は、まだまだ覚醒には程遠い人が殆どでしょう。そういう一般の人達の中での霊性の向上ですから、至難の業に近いかも。余程強く意図と検証をしないといけませんね。私も、批判的とまではいかなくとも、嫌悪感が頭を持ち上げてくる時が稀にあります。こういう時は、そういう場面や人から離れて、なるべく美しい物を見るようにします。普段なら受け入れられる事でも、周期的にバイオリズムが下がる時があります。そういう時は、大いに要注意ですね。ウチのカミさんは、すでにこの宿題をクリヤーしているんですよ。批判せず、愚痴をこぼさず、文句言わず。人に対して、良い方にしか受け取らない。いつも、頭が下がりっぱなしです、ハイ。こういう事を繰り返して行く毎に、“許せる”という宇宙の叡智が顕現できるのでしょうね。海藻の開口になりました。赤く見えるのがフノリです。緑色の海藻がヒジキです。もっと伸ばしてから摘み取ります。
2009.02.15
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災難に逢ふ時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候良寛禅師一般的に言えば、災難や死を避けることに努力しているのが生活の基本となっていますね。仏教では、生病老死を四苦と言っています。四苦八苦(しっくはっく)の四苦です。生きる事、病になる事、老いる事、そして死ぬ事。一般的に考えると、それが苦しみであればどれも出来れば避けたいもの。高次元の意識からすると、苦しみは宇宙の真理から外れた生き方をした事へのお知らせです。過去に自分がした不調和への反動と言うか、反作用。だから、苦しみと感じる事は、本来の調和に戻す為の宇宙の摂理。それを、地球学校の学びと言われています。だから、調和が戻れば大いなる喜びがあるという事ですね。高次元からの意識では、苦楽、生死、悲しい出来事、喜ばしい事と区別はありません。善悪すらないと言う。差別は人間の自我、自分の都合で決め付けた偏見で、宇宙の真理は一切が愛という訳です。三次元的区別は分離意識と言われています。そして、高次元の意識は統合意識、普遍意識と言われている。普通の私達にはなかなか到達出来そうに無い境地です。解脱した意識。でも、魚座の分離個別の時代から、水瓶座の全体、統合の時代に変わった今、やり易くなったのも事実です。宇宙から降り注ぐエネルギーは、分離の意識のままだと上手く行かない事が、統合意識で進むとすべてが上手く行くとも言われています。自分に発生した事を、必然としてそのまま受け容れて、避けよう逃れようとせずに感謝を込めて対処出来ればよいのでしょう。また病気は「闘病」とか言って病いと闘う姿勢ではなく、天からのお手紙と思って有り難く受け入れ、病気と仲良く出来れば、その学びを終了できるかもしれません。今年の私のキーワードが、この統合意識です。その域に、どこまで近づけるのか。“許せる”という事だって、人間レベルか良寛さんレベルか。この想いすらも、自我からの想いであってはならない。純粋で崇高な、天に直結した“真我”からの叫びなのです。明けた10日早朝の満月です。海が黄金色に染まって・・・
2009.02.10
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砂上の楼閣とは、安定しない砂の上に建てた高層の建物の事。何時崩壊してもおかしくない、不安定な様を表す言葉。それは、外部からの影響を受けて安定さを欠いてしまうこと。正しく、今の時代を表現しているような言葉ですね。ちょっと経済が停滞しただけで、一部ではいろいろな問題が噴出されています。会社の倒産、失業、住いを失う、家庭の崩壊、・・・・・いろいろなものを失っている人が増えている。これは大丈夫と信じていた物が、見事に裏切られている。私も都会で会社を経営していた時に、2度の不渡手形を出した経験があります。倒産はまのがれて、自主再建という道に進んだけれど・・・血のおしっこがよく出ましたっけ。その時に思った事、それは世の中は儚い(はかない)ものだらけという事。ここで言う世の中とは、お金、会社、人間関係、常識という物質社会。お金を追いかけていた世界は、すべてが砂上の楼閣だった。幸せを掴もうとやって来た道が、その道はいくら進んでも幸せは掴めない道。外部からのちょっとした力で、難なく壊れてしまった。この学びは、私にとって素晴らしい体験でした。一旦、私を裸にしてくれました。そして、立ち止まって考える余裕もいただけました。何が大切なのか、どう生きるのか、どうしたいのか。その答えは、島にありました。外部に答えを求めようとせず、すべてが内部それはあるという事。内部とは、自分そのもの。それを解らせてくれたのが、この島です。島の大いなる自然、ゆったりとした時間、まるで母の愛に包まれた揺り篭のよう。それは、神の懐に入ること。神と言う言葉が嫌なら、大いなる存在、宇宙の真理、万物を創造された叡智。その存在は、人間が不調和を起こせば、必ず知らせてくれます。本人の不都合という形で現象化されます。一点の間違いも無く、見事に知らされます。今回の世界的経済の停滞も、不調和を起こした事へのお知らせです。国家の不都合、会社の破綻、個人の失職、すべてがお知らせです。作用反作用の仕組み、過去世からのカルマの法則ですね。(カルマは、個人だけでなく国家や団体にも及ぶようです)「どうか、気付いてくれよ」という、愛そのもの。物質文明に偏り過ぎた不調和を、元の調和に戻すだけの事。失職した原因や、その後の救済を行政に求めている人がいるようですが、本人は被害者と思っているのですかね。もし、被害者だと思っていたらドツボに嵌まります。カルマにカルマを上乗せすれば、更なる厳しい形をとったお知らせがやってくるでしょうね。これを、自分が被害者と思うか、神の愛と思うかは自由意志です。被害と言うのは、自分の持っている何かが奪われる事ですね。物や肉体だけでなく、自尊心や誇りといった人としての尊厳、個人の幸せもあります。「奪われた!」と思えば、傷つき腹も立つかもしれない。でも、「奪われた!」と思わず、間違った生き方を修正するチャンス、と思えたら、“災い転じて福と成す”のではないか。元々は、裸一つでこの世の生を受けたはず。その肉体だって、いつかはお返しすべき物。ここで、自分の物、自分の所有とされる物は、過去生からの体験のみです。肉体の死後、持って行ける物はそれだけです。だから、奪われる物なんて何一つないはず。苦しく辛い時、励みになるのは家族です。いまこそ、家族が一つになって原点に立ち返り、なるべく不調和を起こさない生き方になってくれればいいな♪少々の貧乏は覚悟しましょう。貧困はいけませんね。貧乏だけど幸せという人はいるけど、貧困だけど幸せという人はいないみたい。心豊かな貧乏人(これ、私?)になりましょう。おっつけ、全世界の人類が経験するかもしれない困窮の世、ちょっと早いだけですね。神と二人連れ?なら、何も恐れる物は無い。
2009.02.04
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早朝のGoogleに載ってきたこのニュース。京都最古の禅寺、建仁寺に安置されていた十一面観音坐像が盗難にあったというニュース。http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090201-OYT1T00066.htm?from=navr建仁寺の担当者は「ご本尊が、どういう扱いを受けているのか不安で憤りを感じる。早く返してほしい」というコメント。“不安と憤り”ですって。仏教にたずさわっている方でも、こういう感情を残している。不安=恐怖憤り=怒りこれからの時代、真っ先に手放さなくてはならない事ですね。不安は、闇的勢力の格好の餌食。だから、不安を煽るような事を世間に撒き散らし、自分の陣営に取り込もうと画策していますね。(闇的勢力も、大いなる目的の一部ですけどね。)怒りは、高次元を目指す我らにとっては論外ですね。どうのこうの、の以前の問題。番外というやつ。(しつこいね)怒りの波動は破壊の波動。怒りの波動を発したその瞬間に、破壊のエネルギーとなって自分に返ってくる。大きな否定的なカルマを生じさせてしまう。人間の病の元凶は、怒りのエネルギーとも言われています。これからは、想念が具現化するのが早いから、すぐにそのカルマは本来の調和を取り戻そうとして現象化するでしょう。作用反作用、因果応報の仕組みですね。仏教関係者ですら、この事に気付いていないのですから、やはり我らが目指している事は、壮大なテーマなのでしょう。この地球学校の学びを、一つ一つ卒業して行かなくちゃあね。何の為に、この時期に合わせて転生してきたのか解らなくなってしまう。この時期に、日本に転生しているって、銀河系の生命たちの羨望でもあるそうですよ。このお話は、後日記事にする予定です。「盗んだ方の、幸せを祈ります。」ぐらいの言葉を言ってくれたなら、ちょっと嬉しかったな~~
2009.02.01
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