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丑寅の二人旅 第59弾 鹿児島に薩摩を訪ねて2日目2月29日:鹿児島市から知覧に最初は知覧武家屋敷庭園知覧は鹿児島市から南に40km、そんなに離れた場所に武家屋敷が???どうやら薩摩藩は、武士集団を鹿児島に集結させずに、薩摩藩領地内に外城と呼ばれる113地区に分散して統治させたようです公開されている七つの庭園森重竪庭園佐多直忠庭園佐多民子庭園佐多美舟庭園平山亮一庭園平山克己庭園西郷恵一郎庭園艶めかしい河童石敢当、T字路・三叉路にある家には魔物が侵入すると言う言い伝え、その魔物の侵入を防ぐお守りとして設置されたのが石敢当知覧ならではの二ツ家、知覧型二ツ家は、その分棟式の建物であるオモテ(居住部)とナカエ(台所等)が合体したもので、知覧大工によって創作された知覧独特の知覧町の建築文化オモテには、大きな男玄関(黄色矢印)と小さな女玄関(青矢印)が石垣と生垣からなる街並みも知覧武家屋敷の特徴知覧と言えば知覧特攻基地沖縄戦線での特攻戦死者数は1,036人知覧特攻平和会館には、特攻に出陣した二十歳前後の隊員の遺書・手紙・写真などが特攻戦闘機・爆撃機と共に展示されてます国の為・家族の為に出陣した心情を想うと本当に痛ましい沖縄戦線での特攻で敵艦への有効ヒット率は15%弱、殆どが敵艦に体当たりすることなく撃墜されたと言うから、やりきれないですもっと早く敗戦を受け入れていれば死ななくてすんだ筈、特攻隊のみならず終戦を遅らせて犠牲を大きくした当時の国・軍の指導者の仕業は腹立たしい限り特攻隊員に「母」として慕われた富屋食堂のトメさんと隊員の写真が刻まれた石原慎太郎氏作の石碑半地下の三角兵舎の外観と内部鎮魂の燈籠二人乗りだから練習機ですね特攻に多く使用された陸軍の名機「隼」知覧から指宿に移動、指宿の薩摩伝承館薩摩焼の逸品・大物が数多く展示されてます、殆どが幕末から明治にかけて外貨獲得の為に輸出されたものを買い戻した作品色絵金襴手人物図獅子乗大飾壺金襴の間今日は指宿に泊まります ー 3日目に続く -
2016.02.29
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丑寅の二人旅 第59弾 鹿児島に薩摩を訪ねて2月28日:鹿児島は、第12弾で霧島温泉郷に1泊しただけで、桜島も眺めず、謂わば鹿児島県の北の端を掠めただけでしたので、少しはジックリと鹿児島をと言う事で今回の「鹿児島に薩摩を訪ねて」に「薩摩」って、薩摩国と言う事ならば、鹿児島県の西半分だけですが、薩摩藩ならば、東半分の旧大隅国と宮崎県の一部も併せた鹿児島県の全てを含みます鹿児島観光には、どうしても薩摩藩・島津家が付いて回りますと言う事で、鹿児島市最大の名所のひとつ仙巌園へ元々島津家の別邸、明治維新後に鹿児島城(鶴丸城)が焼失した後は島津家の本宅に広大な敷地の至る所に拵えた庭園が見所桜島を借景にしています 松の形も良いですね梅? 桃? おそらく早咲きの桜だと思います、多分獅子乗大石灯籠、デッカイですよ庭のひとつ「曲水の庭」で行われていた流し雛孟宗竹の竹林、現在食されている筍は孟宗竹のタケノコですが、孟宗竹は外来種で琉球からここ仙巌園に移植されたのが始まり、これがなかったら、今でも筍が食べられなかった?島津家縁の地、当然ながらNHK大河ドラマ「篤姫」のロケも多く行われました桜島大根です鳥です仙巌園に隣接する尚古集成館、展示館なのですが、本来の集成館は幕末に島津斉彬が近代産業革命を推進する為に設立した研究所兼工場だったのですね反射炉製鉄・大砲・造船・紡績・ガラス事業などの洋式産業を推進写真は150ポンド砲のレプリカ鹿児島市内の足「市電」 ー 2日目に続く ー
2016.02.28
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