全6件 (6件中 1-6件目)
1

丑寅の二人旅 第64弾 佐渡へ♪ 佐渡へ~と♪ 3日目-2たらい舟の小木港から車で10分、宿根木です佐渡国小木民族博物館(+千石船展示館)千石船の「白山丸」です千石船は1600年代から明治時代にかけて繁栄した日本海をルートとした北国廻船「北前船」でも使われました そのルートは大阪を発って瀬戸内海を西に、下関から日本海に出て山陰沖・北陸沖・新潟/山形/秋田沖を経由して北海道・松前に - 3月下旬に大阪を発って、5月下旬に北海道・松前 - 7月下旬に北海道・松前を発って、11月上旬大阪着途中多くの寄港地に寄って種々商品を売ったり・買ったり佐渡の小木は北前船の寄港地のひとつ北前船は日本海を通る通称西廻り航路と呼ばれ、それに対して津軽海峡を渡り太平洋を江戸に行くルートは東廻り航路甲板と帆柱(帆柱寝かせてます)北前船は、運送業でなく自ら商品を売買して利益を挙げていた廻船問屋畳まれた帆北前船の船主、当初は運送だけで近江商人が主導権を握っていたみたいだけど、後に船主が主体的に商いを行うようになったみたい船艙に米俵とバランスを取る石(手前)宿根木は北前船の寄港地と言うだけでなく、船主も、最盛期は10人余りの船主が居たとか船尾から見た千石船、舵がデカイ これを人力で操舵更に、宿根木、北前船寄港地(隣の小木港だけど)/北前船船主に加え船大工も集合(造船産業)港・廻船問屋・造船の三つが集まるとなれば、これは最強の千石船産業基地大珍宝 、白山丸祭・本祭で白山神社(女性神)から「ちとちんとんの里」の宿根木へ繰り出す神輿だとかちとちんとん、祭りの踊り、ちとちん(金精棒)、性的要素が多いけど、おおらかで楽しいお踊りだってさ (クリックで拡大します)佐渡国小木民族博物館は千石船展示館の隣、木造校舎をそのまま昔の校舎って天井が高いそれにしてもこの民族博物館、展示品、かなり雑多、大雑把?旧教室に貼られていたセピア色の写真の女の子、顔立ちは結構現代っ子ぽい主張が強い標識「ここが 宿根木 です」、普通は「ここは 宿根木 です」ですよね佐渡、地名標識が至る所にありますが、殆どが「ここが」です扨、佐渡観光の最後の目玉、宿根木の町並み町並みのシンボル三角家、密集した谷間の地、きちんとした屋敷が構えられない、工夫して地形に合わせました(この家、中に入れますが、今日は休み) (クリックで拡大します)三角家、裏と云うか表と云うか、反対側から宿根木と言えば、居ましたぁ この人 (ポスターです)宿根木の狭い路地軒下飾り、扇型の飾り「石」の字、船大工の技清九郎家、北前船船主でした部分部分に贅沢な造りを富豪の割には屋敷はデカクない、狭い宿根木の町なので、富豪と云えども、大きな屋敷は構えられません住居みたいだけど、蔵 海に近いから? 漆喰が駄目なんだぁ高台から宿根木を一望x2 (クリックで拡大します)流石に密集 (クリックで拡大します)宿根木にもたらい舟が、小木港に比べると規模は小さいみたい千石船(北前船)を繋ぎとめたボラード(係船柱)9月14日 4日目この時期の実って黄金色の田って、奇麗ですよね、 佐渡も米どころ小木の宿の風呂、板張りの天井が高い、千石船の再利用かも宿根木の少し先、長者橋、 橋の向こうに漁村集落小木から直江津にフェリーで、大型観光バスも乗り込みました佐渡を後にします ー 第64弾 佐渡へ♪ 佐渡へ~と♪ 終了です ー
2016.09.16
コメント(0)

丑寅の二人旅 第64弾 佐渡へ♪ 佐渡へ~と♪ 3日目9月13日: 金山関係を離れて別のジャンルの文化を楽しみます最初は妙宣寺、日蓮宗のお寺さん日蓮聖人の直弟子阿仏房日得が1278年に自宅をお寺としたのが始まり日蓮さんが1271-1274年に佐渡に流罪になっていたので、その時に熱心な信者になったのでしょうね五重塔、これ新潟県唯一の五重塔なかなか良い雰囲気の塔 (クリックで拡大します)本堂 (クリックで拡大します)鬼瓦? 下に降ろしているけど?蓮の葉で覆われた池と庭 (クリックで拡大します)続いて佐渡歴史伝説館CGと人形(ロボット)で佐渡縁の人物・伝説を展示・紹介門の上には佐々木象堂の瑞鳥が順徳天皇の第一皇女慶子女王仲間由紀恵似の人形が「松あれば 佐渡が島なるから崎も しかすがにこそ見まくほしけれ」って謳っていました順徳天皇・配所の月承久の乱に敗れて1220年に佐渡に流刑日蓮聖人・佐渡法難日蓮聖人・塚原問答1271年北条時宗の勘気を受けてに流罪に世阿弥・雨乞いの舞世阿弥は1434年将軍足利義教に疎まれて流罪におけさ伝説猫が可憐な乙女に変身して踊り、飼い主の蕎麦屋を繁盛させる物語佐渡おけさのおけさは猫の名前黄色丸、踊っているおけさの影は猫の姿 (クリックで拡大します)おけさの歴史は、熊本天草の牛深港に伝わる酒席の騒ぎ唄牛深ハイヤ節が北前船の船乗り達によって小木港に伝わり、「小木おけさ」として広まり、それが相川の佐渡金山の鉱夫達に広まって「選鉱場節」として哀愁漂うメロディに変調されたと言う説がありますうーん、猫のおけさの方が楽しいですねこの他に安寿伝説(安寿と厨子王:母は佐渡に流れて来てましたね)、夕鶴伝説(鶴の恩返し)がありますそして再度瑞鳥ですだけどこれは本物、佐々木象堂記念館が併設、なにせ人間国宝、日本一の鋳金家ですから(本施設のパンフレットから)佐渡の西端の小木へ金山に並ぶ佐渡観光の目玉「たらい舟」 (クリックで拡大します)たらい舟漕ぎ体験、櫂捌き、これがメッチャ難しい、同じ所でグルグル廻るだけこのお父さん、奥さんを信用できないのか? 縁を掴む腕が強ばってるぅたらい舟乗り場に置かれた金盥に、何故か体長5cmくらいの縞鯛の子が記念撮影で掲げる札、変態って、どんな時に使うんだ ー 3日目-2に続く ー
2016.09.15
コメント(0)

丑寅の二人旅 第64弾 佐渡へ♪ 佐渡へと♪ 2日目の-3佐渡金山坑道から2km弱、最近脚光を浴びている近代産業遺産「北沢浮遊選鉱場跡」金の抽出は大雑把に言って1.鉱石の採掘:金山坑道2.鉱石の粉砕:粉末状まで粉砕3.選鉱:(1)比重の違いを利用、金は重いので早く沈む (2)親水性の岩石、疎水性の金を水・油/その他薬品を使って 分離して取り出す4.製錬・精錬:金を鉛等と結合させ、岩石から完全に切り離し、その後灰吹法等で鉛を除去する。この北沢浮遊選鉱場は、2/3の粉砕と選鉱、特に選鉱能力は凄く、1940年頃は東洋一の50,000トン/月の処理能力だったとか(と云われても、どんなに凄いのかピンと来ませんが)北沢浮遊選鉱場跡遠景です (クリックで拡大します)これは鋳造工場、この処理場で使っている機械の交換部品等を製造煉瓦の建物は火力発電所、1908年建造、三菱時代ですね北沢浮遊選鉱場、1937年建造、能力アップの為、旧選鉱所にプラスされました鉱山からの鉱石のみならず、七浦海岸の浜石*も粉砕・選鉱(*浜石:本第64弾初日参照)これは選鉱場を上から見ました違う角度から見た北沢浮遊選鉱場、歴史的関心も然ることながら、「天空の城ラピュタじゃん」と楽しめます (クリックで拡大します)北沢50mシックナー(thickner):鉱尾(低品位の鉱石)から金成分を沈殿・濃縮1940年建造、高品位の鉱石が枯渇し、低品位の鉱石から金を取り出す為に導入されてみたい (クリックで拡大します)これもラピュタ、はたまた古代ローマのコロッセオこちらは旧北沢青化・浮選鉱所、1892年建造だから官営時代です北沢浮遊選鉱場の次は、直ぐ近くの佐渡奉行所跡にこの奉行所、お察しの通り、佐渡金山を管理するために設置、1603年、初代奉行は大久保長安(因みに佐渡金山、最初の金脈発見は1601年、3人の山師にょり発見)佐渡奉行所、その生い立ちから普通の奉行所と異なり、1.御陣屋(奉行の住居)、2.御役所(行政)、3.勝場(せりば)等(金製錬工場)から成ってました行政の一部お白洲 お白洲全部で3カ所、身分により使い分け扨、金関係、勝場(せりば)鉱石の粉砕の石臼(緑の丸)、選鉱の樋(橙色の丸)(布を敷いた緩やかな傾斜の樋に石臼で砕いた粉末を水に混ぜて流すと重い金粉末が沈んで布に付着する) (クリックで拡大します)金を鉛と結合させて、その後鉛を灰に付着させ分離する灰吹法製錬に使用した鉛板(長さ70cm 重さ20kg程度)大判・小判もこの奉行所で鋳造されましたところで、この奉行所5回も火事に遭ってますどうやら他所での灰吹法製錬で発生した灰の火の粉が飛んできて火事になったみたいです佐渡金山、蟻の巣みたいに坑道が、坑道の総延長距離400km、1989年(平成元年)に閉鎖するまでに産出した金は78トン(江戸時代の270年間での産出は41トン)佐渡の金山関連、七浦海岸・大間港・金山坑道・資料館・北沢浮遊選鉱場跡・佐渡奉行所と見てきました佐渡はこれらの世界文化遺産登録を目指して頑張ってますだけどぉ、某有名観光ガイド本(るるぶじゃない方)、取り扱い少なぁい、北沢浮遊選鉱場の記載は1頁の1/25、大間港は記載無しそんなものなのかなぁ ー 3日目に続く ー
2016.09.14
コメント(0)

丑寅の二人旅 第64弾 佐渡へ♪佐渡へと♪ 2日目-2佐渡観光の目玉のひとつ佐渡金山代表的なコースを二つ、最初は明治官営鉱山コース「道遊坑」佐渡の岩盤、メッチャ堅い、掘るのは大変だけど、掘った後は崩れません坑道にはトロッコのレールが機関車、電動かな三菱マテリアル ワークショップですね佐渡金山のシンボル「道遊の割戸」江戸時代の露天掘り跡、金山採掘初期のもの、金脈を掘り進み山がV字に割れた様に、割れ目は幅30m/深さ74m、優良な金脈「道遊脈」 (クリックで拡大します)道遊の割戸の麓、坑道の穴道遊坑の脇、鉱石処理施設がまずは鉱石がトロッコで運ばれて粗砕場、金を含んだ鉱石を出来る限り細かく粉砕搗鉱場(とうこうば)低品位の鉱石を更に粉砕し、水銀によって金を回収する施設続いて江戸金山絵巻コース 宗太夫坑採掘作業を人形で分かりやすく再現、少し動いたり、声を出したり、なかなかのものです真ん中の竹の筒「水上輪」、水を汲み上げる手動ポンプ、坑道溜まった水を排水する為(この水上輪、アルキメデスが発明したアルキメデス・ポンプが原型だとか) (クリックで拡大します)ここでは水上輪と手桶で排水してます山留大工掘った坑道を柱・梁で補強水替人足坑道を掘り進むと狭くなって水上輪が設置出来なくなり、桶で汲出すのが唯一の手段金山採掘は排水との闘い水替人足の前の貯水溝はトレビの泉状態この硬貨は浄財として年一回の無宿人塚の供養にひとときの休憩時間手前の人足喋ります「早く外に出て酒を飲みてぇなぁ 馴染みの女にも会いてぇなぁ」とうーん、ちょっとリアリティが、「女を抱きてぇなぁ」でしょうね、ここは (クリックで拡大します) この様にゆっくり休憩できるのは優遇されている技術者の金穿大工だけ、4時間毎に交代して、坑道内で休憩水替人足などは隔日で一昼夜勤務、24時間働いて24時間休み、給金は悪くなかったみたい 金穿大工金採掘の主戦場、金槌と鏨で鉱石を採掘佐渡金山メッチャ堅い、20cm位の鏨、2日で消耗 (クリックで拡大します)良質な金脈を探り当て、安全な採掘を祈祷、「金銀山大盛」のお札が宗太夫坑を出て、金山資料館へ金の精錬・小判鋳造を行っていた佐渡奉行所のジオラマの一部 (クリックで拡大します)高台の佐渡奉行所とその周辺(京町)に広がる金山関係者の住居鋳造されていた大判・小判など、時代により金の純度が違います享保小判(1716-35)純度87%、慶長小判(1596-1615)84%、元禄小判(1688-1704)57%、安政小判(1854-60)57%末期の安政等になると超優良な金脈は枯渇傾向で小判の金純度が落ちたのかなだけど未だ早い時期の元禄小判が57%、純度が落ちてる元禄文化が華開き贅沢三昧、お金が幾らあっても足りません、小判の数を優先し純度落としたか佐渡金山の金脈のジオラマ黄土色の薄っぺらいナンみたいなのが金脈 (クリックで拡大します)金脈は、マグマで熱せられ金が溶け込んだ熱水が断層や岩石の割れ目に吹き出して形成されるので、薄っぺらいナンみたいに赤い矢印が「道遊の割戸」で赤い星の金脈が道遊脈、緑の星がついているのは青盤脈(これはデカイ)、黄色の矢印部分は宗太夫坑佐渡金山坑道を後に、最近脚光を浴びている金山関連の近代産業遺産「北沢浮遊選鉱場」に向かいます ー 2日目-3に続く ー
2016.09.13
コメント(0)

丑寅の二人旅 第64弾 佐渡へ♪佐渡へと♪ 2日目9月12日 今回の旅唯一の自然景観、尖閣湾、遊覧船での絶景観覧この尖閣湾、今人気沸騰中のアニメ映画「君の名は」のロケ地・・・ではなく、1953年大ヒットした岸惠子主演の映画「君の名は」のロケ地海中が覗けるグラスボートの遊覧船ノルウェーのフィヨルドみたいな尖塔状の断崖が連なる景観が見所なので、グラスボートは要らないのではと思いますが、いやいや海中を覗くのも楽しかったです下北半島の仏ヶ浦、岩手の浄土ヶ浜に比べると小振りうーん断崖の変化は引けを取らないかも尖閣湾の景観を (クリックで拡大します) (クリックで拡大します) (クリックで拡大します) (クリックで拡大します)海、少し荒れてますカモメ ウミネコ映画「君の名」で真知子と春樹が抱き合った遊仙橋、当時は木造の吊り橋次は佐渡市相川大間港に佐渡金山に関連する近代産業遺産、物資・製品の搬入・搬出の港湾施設大間港は埋め立て・護岸による人工港湾で明治25年頃完成していたみたい港湾施設遠景トラス橋とクレーン台座船渠中央部分には南東ー北西間に鉄骨造のトラス橋(赤い矢印)が架け渡されています、トラス橋はホッパー施設で、橋梁上に鉱車等(トロッコですね)を乗り付けて、トラス橋の下に停泊させた艀(黄色四角部分)に鉱石を落下させて積載させたみたい緑の矢印はクレーン台座、最初はトラス橋からのホッパー方式での積載で、後により効率的なクレーン積載に移行したのかも (クリックで拡大します)クレーンのバケットですねクレーン台座跡ローダー橋脚ローダー橋脚は、大間港で搬入・搬出される貨物(石炭・鉱石)を陸揚・船積・運搬するための橋(軌道)を支える構造物で(この上にレールが走っていた)、昭和13年頃の完成らしいです少し離れたところにあるクレーン台座、形も違いますね反対側から眺めたクレーン台座とトラス橋 (クリックで拡大します)煉瓦倉庫、民間工場の敷地内になってますこの工場の所有物になっちゃたのかな大間港の資料少なくてぇ パンフレットへの記載も少なくてぇ埋め立て護岸での港湾完成は明治25年頃ですが、上物の設置年次はローダー橋は昭和13年らしいですが、トラス橋とかクレーン施設の建造年次は分かりません ローダー橋より早いと思いますがそれとぉ、鉱石の搬出って、佐渡で精錬してた筈だけど、何処に持って行ったの色々悩んでしまいます 悩みながら本丸の金山へ ー 2日目-2に続く ー
2016.09.12
コメント(0)

丑寅の二人旅 第64弾 佐渡へ♪佐渡へ~と♪ 初日9月11日 佐渡へのフェリー・ターミナルは朱鷺メッセ(写真左側の建物)の隣、朱鷺メッセ、会議室・展示会場ばかりで何も無いですね12:35発のフェリー、10:00に着いちゃいましたが、朱鷺メッセ、何も無いので時間潰し出来ません佐渡フェリー、航送車待機場です、赤い矢印がフェリー丑寅の車、一番乗りなので列の先頭(青い矢印)フェリー待合場にあった「瑞鳥」のレプリカ、佐渡の鋳金彫刻家「佐々木象堂」の代表作、そのデザインは皇居正殿の屋根の両端の棟飾りとして採用されています出航、カモメも一緒このフェリー結構デカイ、旅客1500人、乗用車168台積載船内には、ビッフェコンビニゲーセン佐渡に上陸、最初は能楽の里ロボットが演じる薪能「道成寺」のダイジェストが見れる能楽の舞台・・・・が、・・・何処にも・・・・2009年とか、2011年とかに経営不振から閉鎖・売却したらしいです能楽の里跡を示すモニュメントあーぁ 小さくなり果てた舞台ぞ哀しき・・・です(庭の片隅に能舞台のレプリカ)何故か佐渡は能楽の島、知ってましたか?全盛期には200とか300とかの能舞台が、今でもでも33カ所に能舞台が現存、人口6万人強だから、能舞台密度は日本一父観阿弥と共に観世流能楽を大成させた世阿弥が1434年に将軍足利義教によりこの地佐渡に流刑されていますが、能面も多く運ばれて来ています、これが佐渡能楽のルーツ近くの牛尾神社に能舞台があると云うので行ってみました写真、右側が本殿、奥に見えるのがどうやら能舞台能舞台、背景の松は、舞台正面先にあると想像される「影向(ようごう)の松」が舞台側に写ったものらしいです、だから背景と云っては駄目能舞台、背景の絵は全て松この牛尾神社、古いですよ、792年創建、「794ウグイス」より古い本殿も良いですが、屋根?向拝を支える梁の透かし彫り曲がって虹の様に突きだした梁、海老虹梁って云うのかな佐渡の能楽、盛んになるのは江戸時代、どうやら佐渡金山を取り仕切った佐渡奉行大久保長安に関係しているみたい能役者の息子であった大久保長安は、佐渡赴任にあたり、シテ方、囃子方、狂言方といった能役者を同伴し、佐渡各地の神社に能を奉納し、武士だけではなく庶民にも広く能を開放したみたい茅葺きの末社?手水、水が切れちゃってはいけません瓦付きの鳥居今宵の宿は島の西側七浦海岸(地図の赤丸)ホテルの調度品にあった蟹の飾りこの七浦海岸、夕日の名所、これがその夕日ところで、9/3 NHK放映のブラタモリで、タモリがこの七浦海岸に金鉱脈の上部が数十万年~数百万年渡り浸食され相川湾に流れ出し、それが七浦海岸に打ち上げられた金を含む鉱石が浜石実際この浜石を採掘して金を取り出す為に、この辺りの住居300戸余りを撤去したみたいブラタモリ、海岸での浜石探しこれが浜石 ー 2日目に続く ー
2016.09.11
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1


