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「その1」に引き続き、高崎地区の211系を掲載していきます。ここでは3両+3両の6両編成となっているC編成と、車内を取り上げます。高崎駅と両毛線足利駅で撮影したC4編成です。編成は(クモハ211-3005・モハ210-3005・クハ210-3005+クモハ211-3004・モハ210-3004・クハ210-3004)です。C編成は高崎線・東北本線用だった「5両+グリーン車2両+3両」の10両編成からグリーン車2両とサハ2両を切り離し、残りの6両を組み合わせて編成したものとなります。編成番号は10両編成時代のものをそのまま引き継いでいますが、便宜上車両番号を用いた「A○」の編成番号も付けられているようです。高崎駅で撮影したC8編成です。編成は(クモハ211-3029・モハ210-3029・クハ210-3029+クモハ211-3022・モハ210-3022・クハ210-3022)です。3両+3両の連結部分です。「A22」の編成札が見えます。両毛線足利駅で撮影したC15編成です。編成は(クモハ211-3047・モハ210-3047・クハ210-3047+クモハ211-3015・モハ210-3015・クハ210-3015)です。国鉄時代に製造された3000番台の車内です。ロングシートで、ドア横には半自動対応の押しボタンが設置されています。座席モケットは登場時はえんじ色でしたが青緑色のものに交換され、現在JR東日本に在籍するすべての211系が青緑色のモケットとなっています。JR化後に製造された車両とは座席上部の網棚の形状が異なっており、国鉄時代に製造された車両では金網となっています。(これは205系なども同様です。)また、先頭車両の乗務員室との仕切り窓の大きさが車両によって異なっています。JR化後に製造された3000番台の車内です。網棚がパイプ式となっています。サハ211(写真下)の押しボタンのみ新品に交換されておらず、旧来のものがそのまま使用されています。1991年に製造された編成では、吊革の形状がすべて三角形になっています。3000番台はオールロングシートですが、クハ210に設置されているトイレ前の座席のみ利用者の視線に配慮し、前向きの座席となっています。車内の車番表記はすべてステッカー式となっています。かつてはアクリル製のプレートがありましたが、盗難やいたずらなどを防ぐためか取り外されてしまい、ステッカー式になってしまいました。また、製造メーカーを示す銘板も取り外されてしまっており、非常に残念です。
2021.09.19
国鉄の分割民営化から30年以上経過し、国鉄時代に設計・製造された「国鉄型」の車両が次々に引退していっていますが、現在でも国鉄末期に設計され国鉄時代からJR化後にかけて製造された211系が、各地で活躍をつづけています。今回は、高崎地区のローカル路線で活躍する211系を見ていきます。高崎地区にはロングシート・寒冷地仕様の211系3000番台が活躍しています。高崎地区では、信越本線(高崎~横川間)、上越線(高崎~水上間)、両毛線、吾妻線の各線で211系が運行されています。以前は115系や107系が運用されていましたが、老朽化が進んだため2016年より211系に置き換えられていきました。現在は高崎線などへの直通を除くすべてのローカル列車が211系で運用されており、高崎駅では多くの211系を見ることができます。写真は高崎駅で撮影した4両編成のA9編成です。編成は(クモハ211-3009・モハ210-3009・サハ211-3020・クハ210-3009)です。現在、211系4両編成については「A○」(○はクモハ・モハ・クハの車両番号)という編成番号が付けられています。高崎駅で撮影した4両編成のA26編成です。編成は(クモハ211-3026・モハ210-3026・サハ211-3051・クハ210-3026)です。高崎地区の211系は元々高崎線や東北本線(宇都宮線)の運用が中心で、製造当初は5両編成(現在の4両編成にサハを1両追加した形)、2005年からは東海道本線で活躍していたグリーン車を組み合わせ、5両+グリーン車2両+3両の10両編成などがありましたが、E233系の導入に伴って大規模な編成の組み替えが行われました。10両編成をばらしてグリーン車は廃車し、残りの車両で4両編成と3両+3両の6両編成がつくられ、ローカル用に転用されています。両毛線小山駅で撮影した4両編成のA32編成です。編成は(クモハ211-3032・モハ210-3032・サハ211-3063・クハ210-3032)です。高崎駅で撮影した4両編成のA33編成です。編成は(クモハ211-3033・モハ210-3033・サハ211-3065・クハ210-3033)です。2020年2月11日の「211系の日」に撮影したもので、前面には雪が残っていました。高崎駅で撮影した4両編成のA36編成です。編成は(クモハ211-3036・モハ210-3036・サハ211-3071・クハ210-3036)です。この編成は高崎の211系では唯一、前面の表示器が幕式となっています。他の編成ではLED式なので、この編成のみの大きな特徴です。高崎駅で撮影した4両編成のA37編成です。編成は(クモハ211-3037・モハ210-3037・サハ211-3073・クハ210-3037)です。高崎駅で撮影した4両編成のA56編成です。編成は(クモハ211-3056・モハ210-3056・サハ211-3114・クハ210-3056)です。高崎駅で撮影した4両編成のA58編成です。編成は(クモハ211-3058・モハ210-3058・サハ211-3118・クハ210-3058)です。A26編成とA58編成が並びます。211系同士の並びは、高崎地区では日常の光景になっています。
2021.09.12
今回は、水戸線の駅の中でも開業時からの木造駅舎の残る駅として名高い岩瀬駅を紹介します。桜川市の中心駅となっている岩瀬駅です。立派な木造駅舎が乗客を出迎えてくれます。現在は水戸線のみの駅ですが、かつては筑波鉄道線の乗換駅としても機能していた交通の結節点でした。筑波鉄道線は土浦駅と岩瀬駅を結んでいたローカル線でしたが、利用者の減少が続いたため1987年に廃止されてしまいました。現在、線路跡地は自転車道として整備されています。ホーム側から見た駅舎です。古くからの跨線橋も残っています。駅ホームです。水戸線は3番線まであります。廃止された筑波鉄道線は駅舎と反対側の、現在空地や駐車場となっている場所にホームがありました。駅名標です。水戸支社管内でよく見られるタイプの建植式のほか、国鉄型電照式の駅名標も残っていました。国鉄型の駅名標の書体は角ゴシック体となっています。電照式の柱用駅名標もありました。こちらはすでに当ブログで掲載しています。名所案内です。図やイラストを多用した見やすいものとなっているのが特徴です。
2019.02.24
先述した日光線日光駅の団体入口がある場所の壁面に、1960年代のものと思われるレトロな観光案内図が現存しています。日光は何度か訪れていますが、目立たない場所にあるため気づいたのは今年になってからのことでした。案内図の全体像です。イラストを多用したものとなっており、日光連山がかなり大きく描かれているのがわかります。右端がJR日光駅と東武日光駅で、中心にいろは坂、左側に中禅寺湖と、左端に日光白根山が描かれています。日光駅と、世界遺産に登録されている二社一寺周辺です。文字が薄くなっていますが、JR日光駅は「国鉄日光駅」と表記されています。また、見えにくいですが駅前から続く国道119号と並行して線路が描かれていますが、これは1968年まで存在した東武鉄道の路面電車「東武日光軌道線」です。日光軌道線は大谷川を渡るところでは神橋と国道119号の日光橋の間を通っていましたが、その部分も描かれています。また、日光東照宮の敷地内にかつて存在した「東照宮スケートリンク」も表記されています。少し左側に目をやると、日光軌道線との関連が深い「古河電工」の工場(古河電工日光事業所)が描かれていました。日光軌道線では、旅客のほか古河電工関連の貨物も運んでおり、軌道としては珍しい「貨物列車」が走る路線としても知られていました。いろは坂と中禅寺湖です。「第二いろは坂」の開通は1965年のことなので、少なくともこの年以降に設置されたものと思われます。日光軌道線の終点だった馬返と、明智平を結んでいた東武のケーブルカー(東武日光鋼索鉄道線)も描かれているようですが、色が薄くなっています。中禅寺湖と戦場ヶ原周辺です。この案内図は文字が薄くなり判読不能なところも多く出ていますが、1960年代の日光の観光地を今に伝える貴重な資料です。今後もこの状態で長く残していってほしいと思います。
2018.12.03
日光線の終着駅となっている日光駅。宮殿のような立派な洋風駅舎が特徴で、国際的な観光都市である日光の玄関口としてふさわしい名駅舎です。この駅舎は大正元年(1912年)に完成した2代目の駅舎で、当時流行していた洋風の意匠を随所に取り入れています。また、日光は御用邸などがあったことで皇族の利用も想定されたため、駅舎には貴賓室も設けられていました。駅舎の正面入り口です。重厚な扉が出迎えます。駅舎内部です。リニューアルされているため建設当時の面影はあまりありませんが、天井が高く開放的な構造となっています。駅舎の2階にはかつての一等車利用者専用待合室「ホワイトルーム」があり、一般客が見学できます。この階段は建設当時から変わらないもののようです。「ホワイトルーム」の内部です。大きなシャンデリアがあり、当時の豪華さが伝わってきます。現在は建設当時の写真などが展示されています。シャンデリアを取り付けている部分のデザインも凝っています。改札口周辺です。自動改札となっていますが、随所にレトロな雰囲気が感じられます。改札のすぐわきに貴賓室があります。この貴賓室は残念ながら一般公開されていません。(時折公開されることがあるようです。)多くの観光客は東武日光線を利用することが多いので、JRの日光駅は静かな時間が流れます。停車中の205系600番台です。停車中の「いろは」です。ホームは石積みとなっています。使用されている石は、この周辺の名産となっている「大谷石」です。この駅舎は本当にデザインが良く、私の好きな駅舎のうちのひとつです。これからもこのままの姿を保っていってほしいです。
2018.11.30
東北本線(宇都宮線)の宇都宮以北を中心に活躍している205系600番台です。それまで主に211系3000番台や107系が使用されていましたが、4ドア車に統一することになり205系600番台の導入が開始されました。改造内容は日光線用の600番台と同様、ドアの押しボタン式への改造や暖房の強化などとなっています。また、車体の帯色がE231系・E233系と同じく湘南色になっており、205系の湘南色は初めての登場となりました。編成はY1・Y4・Y5・Y7~9・Y11~12の8編成が存在します。大半が京葉車両センターから転属した通称「メルヘン顔」の車両ですが、Y11・12編成のみ川越車両センターから転属した通常タイプの前面となっています。宇都宮駅で撮影したY1編成です。元々は京葉車両センターのケヨ2編成でした。600番台ではトップナンバーとなっています。205系では初となる湘南色の帯が新鮮です。宇都宮駅で撮影したY4編成です。元々は京葉車両センターのケヨ3編成でした。宇都宮駅で撮影したY7編成です。元々は京葉車両センターのケヨ8編成でした。湘南色の編成は、日光線の運用につくことも時折あります。宇都宮駅で撮影したY9編成です。元々は京葉車両センターのケヨ10編成でした。宇都宮駅のホームにもよく馴染んでいます。それまでの211系などに代わって、205系が宇都宮地区ローカルでの主力車両となりました。宇都宮駅で撮影したY11編成です。元々は川越車両センターのハエ17編成でした。Y11・Y12の2本は元埼京線の車両で、前面が通常タイプとなっているほか、行先表示器がLED式となっています。Y1編成の車内です。日光線用編成と同様に、座席モケットが赤紫色となっています。車内の車番プレートです。アクリル製のものが設置されています。
2018.11.04
2018年4月から日光線のジョイフルトレイン(観光列車)として活躍している「いろは」。205系を改造した初のジョイフルトレインで、日光エリアの寺社や自然をイメージした高級感あるデザインとなっています。日光駅で撮影した「いろは」です。日光線用として600番台に改造されたヤマY3編成を改造したもので、元々は京葉車両センターのケヨ4編成でした。「いろは」は205系の歴史の中でも初となるジョイフルトレインで、片側4つのドアのうち真ん中の2つを埋め込み、2扉車となっています。全体的に和風イメージの車両となっており、帯色は金色、ドア部分は茶色となっています。先頭車両です。「いろは」のヘッドマークも取り付けられています。また、前面や側面のJRマークが無くなっています。車内です。ロングシートからクロスシートに改造され、座席モケットは花柄のお洒落なイメージです。床は木目調で、優先席以外の吊手は木製のものになり温かみがあります。また、外国人観光客も多く乗車することを考慮し、大型の荷物置き場も設けられています。車番プレートはステッカー式になっています。
2018.10.21
2013年から107系の後継として、日光線に導入された205系600番台を掲載します。日光線に導入された205系はすべて京葉車両センターから転属した車両で、他の205系と異なる前面デザイン(通称「メルヘン顔」)となっています。京葉線時代は0番台で10両編成でしたが、600番台は4両編成となっています。600番台は短編成化のほか、押しボタン式ドアへの改造、暖房装置の強化などが行われています。帯色は107系のものを踏襲した白・金色・茶色となっていて、小山車両センター所属のY2・Y6・Y10の3編成が存在します。当初はY3編成もありましたが、こちらは観光列車「いろは」に改造されています。宇都宮駅で撮影したヤマY2編成です。元々は京葉車両センターのケヨ1編成で、ケヨ1編成は私が始めて撮影した205系でした。帯色は異なるものの、京葉線時代の特徴をよく残していると思います。日光駅で撮影したヤマY2編成です。京葉線時代のケヨ1編成です。帯色が変わり、イメージも大きく変化しています。日光駅で撮影したヤマY6編成です。元々は京葉車両センターのケヨ5編成でした。宇都宮駅で撮影したヤマY10編成です。元々は京葉車両センターのケヨ9編成でした。Y2編成の車内です。ドアの脇に211系3000番台などと同じドアスイッチが設置されています。また、座席モケットが京葉線時代の青系から赤紫色に変化しています。Y2編成の車番プレートです。ステッカーではなく、アクリル製のものがしっかりと設置されています。Y6編成の車番プレートです。車体側面の車番は、0番台などと異なり目立たないところに小さく表記されています。旧車番を消した跡も残っています。
2018.10.19
高崎支社管内で使用されていた107系・115系の置き換え用としてローカル路線に転用されたのが211系3000番台です。高崎の211系は元々高崎線と東北本線(宇都宮線)上野口で使用されており、グリーン車を連結した基本編成の10両編成、附属編成の5両編成が存在していました。現在はグリーン車やサハ211の多くが廃車となったため、普通車のみの4両編成と6両編成(3+3両編成)が所属しています。211系の導入により107系と115系はすべて廃車となり、高崎支社管内から姿を消してしまっています。両毛線足利駅で撮影したC4編成(クモハ211・モハ210・クハ211-3005+クモハ211・モハ210・クハ211-3004)です。元々のC4編成は3005の編成にサハ2両と、グリーン車2両を加えた10両編成でしたが、現在はローカル用に6両編成となっています。両毛線足利駅で撮影したC15編成(クモハ211・モハ210・クハ211-3047+クモハ211・モハ210・クハ211-3015)です。小山駅で撮影したA10編成(クモハ211・モハ210-3010・サハ211-3019・クハ211-3010)です。この編成は4両編成で、元々は3009の編成とともにC16編成を構成していましたが、分離されてA編成となり、登場時の編成番号が復活しています。(登場時は5両編成でした。)小山駅で撮影したA32編成(クモハ211・モハ210-3032・サハ211-3063・クハ211-3032)です。この編成は4両編成ですが、当初は5両編成で両毛線の運用にも入っていました。クモハ211の車内です。車内は高崎線、東北本線(宇都宮線)のころからほとんど変化していませんが、ドア付近に黄色の滑り止めが施されています。サハ211の車内です。サハ211は、ドアボタンの形状が古い形のままとなっています。サハ211のドアボタンです。サハ以外の車両は大型ボタンとなっていますが、サハのみ小型のボタンとなっています。
2018.10.11
今年1月7日に引退した485系ジョイフルトレイン「NO.DO.KA」を以前、小山駅に行った時に偶然撮影していました。「NO.DO.KA」は新潟車両センターに所属していたカーペット車両で、主に団体・臨時列車で活躍していました。189系のグリーン車の改造扱いですが、車体は新規に製造されており、機器類は485系のものを流用したことから485系の一員となっていました。1990年の登場当初は「シルフィード」という名称でした。1号車のクハ484-701です。1986年に登場した「パノラマエクスプレスアルプス」と同様に、先頭車の前方は展望室となっており、特徴的なデザインの車体です。2号車のモハ484-701です。この車両には「NO.DO.KA」のロゴが描かれており、寒冷地を走るため115系1000番台のようなルーバー(雪切室)が側面に設置されています。3号車のクモハ485-701です。こちらも前方には展望室が設けられています。国鉄末期~JR初期に登場したジョイフルトレインの中でも長期にわたって運用された「NO.DO.KA」ですが、ついに引退してしまいました。貴重な車両を見ることができてよかったです。
2018.01.26
今日行われたダイヤ改正で、常磐線・水戸線で活躍していた415系1500番台の運用が終了しました。415系1500番台は、1986年に登場したステンレス車体・ロングシートの交直流電車です。車体は211系がベースですが、機器はそれまでの415系のものを踏襲しているため鋼製車との連結も可能でした。415系1500番台を語るうえで忘れてはならないのが、「奇跡の車両」と「悲運の車両」の存在です。2011年3月11日の東日本大震災では、常磐線も大きな被害を受けました。そんな中、被災区間の駅に長い間取り残されたままとなっていたのが写真のK544編成(広野駅に留置)と、K534編成(原ノ町駅に留置)です。K544編成は約2年ほど運用につかなかった後に見事に復活し、写真のように元気な姿を見せていました。一方で、原ノ町駅に留置されたK534編成は、震災以降全く動くことはなく、今月に入って原ノ町駅から撤去され廃車されてしまったようです。このように色々なエピソードがありますが、211系のスタイルに紺色の帯というデザインが格好よくて私がとっても好きな車両の一つでした。そんな車両が引退すると知って本当に残念に思います。今まで、本当にお疲れさまでした!!ありがとう、JR東日本の415系1500番台!!
2016.03.26
415系1500番台に代わって水戸線での主力車両となったE531系。水戸線では5両の付属編成が運用されています。E531系は415系やE501系の代走として水戸線を走ることは何度かありましたが、定期的に見られるようになったのは2014年12月からです。その後は付属編成の増備と寒冷地仕様の3000番台の導入が進み、ついに2016年3月に415系1500番台の完全置き換えが発表されてしまいました。写真はK460編成です。E531系は415系1500番台の流れをくむ青色の帯が特徴的で、私も好きな車両です。415系1500番台の後継者として末永い活躍を期待しています。車内は小山寄りの1、2号車がロングシート、友部寄りの3~5号車がセミクロスシートとなっています。E233系でおなじみの黒色の三角形の吊革は、E531系で最初に導入されたものでした。特にセミクロスシートは415系鋼製車両以来、久しぶりに水戸線にやってきたものと思われます。今後はE531系の撮影数を増やしていきたいです。撮影日:15.11.03
2016.01.23
水戸線で活躍している415系1500番台です。415系はつい最近まで水戸線の主力車両として、小山駅に頻繁に顔を出していました。しかし、E531系付属編成の増備によって次第に活躍の場が減少し、ついに今年3月のダイヤ改正で引退することになってしまいました。私の大好きな車両なので引退するのはとっても惜しいですが、近代的な外観の一方で確実に老朽化が進んでいたと思われます。写真はK542編成です。私がまだ撮影していない編成でした。東北本線ホームから撮影したK542編成です。211系と同じステンレス車体に青色の帯が格好良くて大好きです。車内です。廃車まで登場時と同じえんじ色の座席モケットを保つものと思われます。車番プレートです。全ての車両でオリジナルのプレートが残っていました。415系1500番台といえば、震災後に広野駅に長期間留置されたのちに復帰したK544編成、そして現在でも原ノ町駅での留置が続くK534編成という2編成を忘れてはいけません。K544編成は2年以上動かず、ストライキなどの困難に直面しながらも見事に復帰し、現在も運用を続けています。そして、K534編成は震災後一度も動くことがないまま廃車を迎えてしまいそうで、本当に悲しくなります。651系K202編成とともに原ノ町駅でずっと閉じ込められています。K534編成が小山駅に姿を見せることも、もう二度とないでしょう。こうした震災の悲しい記憶を背負った415系の引退は、他の車両の引退よりも特別なものを感じます。残り少なくなった415系の活躍を、最後まで見守っていきたいと思っています。撮影日:15.11.03
2016.01.21
当ブログで何度も紹介している107系100番台です。115系とともに高崎エリアの主力車両となっていますが、短編成化された211系への置き換えの話があり予断を許さない状況となっています。写真は小山駅に停車中のR17編成です。R17編成の前に連結されていたのはR6編成です。どちらも後期製造車で、ドア間の窓は3枚となっています。こちらはR10編成です。車内は撮影できませんでしたが、R10編成の運転台を撮影しました。国鉄型電車と同じ仕様で、アナログなメーターが並んでいます。165系の発生品でしょうか?運転室の上部にあった車番プレートです。オリジナルのものかどうか不明ですが、アクリル製のプレートが残っていました。最後にR19編成です。この編成は107系100番台のラストナンバー車両です。運転室の上部に、R10編成と同じ書体のプレートがありました。クモハのものは撮れませんでした。撮影日:15.11.03
2016.01.19
1月15日、「115系の日」となる今日は、小山駅で撮影した湘南色の115系を取り上げます。この編成はT1039編成で、1000番台の3両編成となっています。高崎エリアの115系は、短編成化された211系が登場したことによって先はあまり長くないのではないかと思います。今のうちに記録したいと思います。高崎の115系の特徴は「湘南色」塗装を維持していることです。中央本線から横須賀色の115系が消え、JR東日本の近郊型電車の国鉄色は湘南色のみとなりました。先頭車の車内です。この編成にはリニューアルが施されていて、座席や化粧板などが更新されています。かつて房総地区で活躍していた113系S編成と同様の車内となっています。先頭車の車端部です。優先席の前は車いすスペースとなっています。中間車の車内です。車番ステッカーです。以前は手書きで書かれていてかなりみっともなかったですが、ここ1、2年の間にステッカー式の車番表記になりました。次回は107系と211系を掲載していきます。撮影日:15.11.03
2016.01.15
高崎駅から信越本線横川駅まで運行されているSL列車「SL碓氷」を高崎駅で偶然、撮影できました。私は運転日程などを全く知らなかったのですが、観光シーズンの土日を中心に運行されているようです。急いで撮影したため出来のよくない写真も多々ありますが、ご了承ください。先頭に立つ機関車はD51 498号機です。この498号機は1940年に当時の鷹取工場で製造され、岡山や新潟などで活躍したのちに1972年に運用終了、その後上越線後閑駅前に保存されました。民営化後、JR東日本は蒸気機関車を復元する計画を発表しました。復元に当たって人気のあるD51型で最も保存状態が良い機体として498号機が選ばれ、1988年に当時の大宮工場で復元工事が行われました。その後はJR東日本のSLの代表格として数多くのイベント列車を牽引し、現在に至っています。D51 498の運転室、炭水車部分です。形式プレート、鷹取工場の製造銘板、高崎を示す「高」の区名札が見えます。連結されている旧型客車を機関車側から見ていきます。まずはスハフ32 2357です。この車両は日本で唯一の現役のスハフ32型で、製造は機関車より古い1938年です。もちろんJR東日本の現役車の中では最古で、小窓が並ぶ外観は本当に美しいです。行先表示板と車両番号の表記です。碓氷峠対応を示す●マークも入れられています。次はオハ47 2266です。オハ47は戦後の1951年から急行列車用として製造されたスハ43系の仲間で、高崎の旧型客車では最大勢力を誇ります。元々はスハ43型でしたが、台車の交換によってオハ47型と改名されています。行先表示板と車両番号の表記です。製造、改造銘板です。製造は昭和27年(1952年)日立製作所、改造は昭和40年(1965年)小倉工場となっています。改造は近代化改造で、内装の変更や照明の蛍光灯化などが行われています。オハ47 2261です。こちらも2266同様、スハ43型から改造された車両です。行先表示板と車両番号の表記です。行先表示板による表示は、旅に出る気分を演出してくれますね。オハ47を1両飛ばしてしまい、最後にオハニ36 11です。オハニ36型は1949年から戦前製木造客車を鋼体化して生まれた60系客車の仲間です。この車両は現在では珍しい荷物車との合造車で、奥の部分が荷物室となっています。駅員さんがかぶってしまったり、ピンボケしていたりと出来のよくない写真です…今回は奇跡的にSL列車を撮影できて良かったです。次回はぜひ乗車してみたいです。撮影日:15.08.02
2015.10.05
高崎エリアのローカル列車では、現在でも湘南色の115系が主力として活躍しています。ここでは、高崎駅で撮影した115系と107系を掲載していきます。まずは4両編成のT1147編成です。T1030編成と並ぶT1147編成です。高崎駅ではこのような湘南色同士の並びは日常的に見られます。羨ましい限りです。ただ、115系の老朽化が進んでいることもあり107系とともに211系に置き換えられることが予想されています。今のうちに記録をしていきたいと思います。T1147編成の車内です。リニューアルがされておらず、原型をよく残しています。座席モケットはかつての幕張の113系や豊田の115系などと同様の柄です。個人的にびっくりしたのがドア上の広告枠が未だに使用されていることです。長野の115系ではここは使用されていないため、ちょっと感動しました。こちらはT1159編成です。この編成は元々中央本線に投入された唯一の横須賀色1000番台で、私が注目していた編成でした。正規の編成はサハ115-1019を組み込んだ4両編成ですが、今回はサハがない3両編成でした。この編成は元々はサハ115-1027を組み込んだ4両編成として中央本線に導入されましたが、民営化後にサハが改造されてクハ115-1512となり、その後に残った3両も高崎に転属し、長岡から転属してきたサハ115-1019を加えて現在に至っています。山梨から遠く離れた高崎で、山梨に縁のある編成が撮影できてうれしく思います。クモハ115-1065の車外に記載された車番です。以前はプレートが撤去されて手書きになっていた車内の車番はステッカーに変更されています。こちらは107系R5編成です。107系も115系とともに長年高崎エリアで活躍していますが、終焉の時が近づいています。107系R1編成+R5編成の4両編成です。両編成とも初期型で、戸袋窓があることが大きな特徴です。107系の車内です。ロングシートですが、211系3000番台などと比べて厚みのある座席となっています。107系と115系が並びます。この並びも高崎では日常的に見られますが、そろそろ見納めになってしまうかもしれません。撮影日:15.08.02
2015.10.01
今日は4月15日、「415系の日」です。私の好きな車両である415系1500番台ですが、2015年に入ってE531系の付属編成(5両)が増備されたことにより運用を減らしています。水戸線では日中の多くの運用が置き換えられ、常磐線でもいわき以北の運用が始まるなど、勢力が拡大しています。写真のK532編成は現在廃車となってしまいました。このほかにも、いくつかの編成が運用を離脱しているようです。K532編成クハの車番プレートです。この編成は民営化後に初めて製造された415系になります。モハ415・414-1522は先に廃車となったため、当編成のモハの車番は1535となっています。こちらは私が「奇跡の車両」と呼んでいるK544編成です。この編成は東日本大震災での被災、広野駅での長期間にわたる留置を経て、見事に運用に復帰した編成です。常磐線原ノ町駅には大震災で被災したK534編成がいまだに留置されていますが、現状を考えると復帰は難しいのかなと思います。震災前に撮影できなかったことが悔やまれます。東北本線ホームから撮影したK544編成です。415系1500番台は、現在最後の活躍を見せています。私が見に行ける場所は限られていますが、好きな車両なので最後の日まで見守り続けたいと思います。
2015.04.15
2014年9月に足利を訪れた最大の目的は、この足利駅の駅舎を見ることでした。この駅舎は1933年(昭和8年)に完成したもので、かつての栃木駅や伊勢崎駅などに似た大きな洋風建築です。ほかの駅の洋風駅舎は建て替えなどで姿を消してしまいましたが、足利だけは今なお現役です。近づいてみると、美しく、きめ細やかなデザインに感銘を受けます。大正~昭和初期のハイカラなイメージが今も生き続ける名駅舎です。駅舎の入口。古レールを利用した支柱に注目です。駅舎内部。天井が高く、広いスペースになっています。入口上部にはステンドグラスがはめ込まれています。改札内1番線です。屋根の支えなどには古レールが利用されています。1番線と2番線を結ぶ跨線橋です。歴史を感じさせるデザインが特徴です。2番線です。こちらも、屋根の支えには古レールが利用されています。改札内と駅舎入口に掲げられた駅名標です。駅舎入口にあるものはJRマークのない国鉄仕様です。駅舎の遠景です。本当に立派で美しい名駅舎だと思います。いつまでもこのままの状態で残っていてほしいものです。撮影日:14.09.20
2015.02.15
両毛線で忘れてはいけないのが湘南色の115系。両毛線では、現在は貴重な存在となった湘南色の115系が現役で活躍しています。写真はT1145編成です。4両編成で、この編成は私が何度も遭遇しています。こちらはT1146編成です。T1145と同じく4両編成です。岩舟駅にて。両毛線ではドアは通年半自動扱いで、手動で開閉を行います。こうした風景も徐々に貴重なものになりつつあります。最後はT1032編成です。こちらは3両編成です。高崎地区の115系も、着実に置き換えが迫っているので今のうちに記録しておきたいと思います。撮影日:14.08.12/14.09.20
2015.02.06
211系に続いて紹介するのは107系100番台。両毛線で活躍する100番台は当ブログでは度々登場していますが、今回は車内の撮影もできました。写真はR14編成です。高崎方に連結されているのはR9編成です。クモハ107の車内です。ロングシートとなっており、印象としては211系に似ています。シートの形状は211系と異なっています。クハ106の車内です。天井のクーラーは165系のものを流用しているため角ばった古いタイプのものです。クハ106のトイレ前の座席です。211系や415系1500番台などと同様、ここだけ座席の向きが異なります。車内の車番は手書きでした。高崎車両センターのローカル線向け車両(115系・211系)には、こうした手書き表示が広がっているようですがみっともないと思います。撮影日:14.09.20
2015.02.05
現在両毛線の踏切記事を掲載中なので、両毛線の車両にもスポットを当ててみます。高崎線や東北本線などから撤退した湘南色の211系が現在も運用されているのが両毛線です。両毛線ではかつての付属編成であった5両編成が単独で運用に就いています。この編成は現在高崎車両センターに残る211系で、唯一幕式の前面表示器を残しているA36編成です。路線名を表示しています。小山駅の両毛線ホームは高架下にあり、どことなく重厚な雰囲気です。路線名を表示する幕部分のアップです。両毛線では「普通」表示も見ることがありますが、どのような基準で変更されているのか気になります。転属でいずれ見られなくなると思われるサハ211の車内です。現在残っている211系のサハ以外の車両は転属を見越して大型の半自動ボタンに変更されていますが、サハだけは旧来のボタンをそのまま使っています。高崎・東北本線用付属編成の証である号車札です。長野に転属した211系にはこうした札がなく、貴重な存在になっています。こちらは前面表示器がLED化されたA31編成です。写真はこの1枚しか撮影していません。現在、JR東日本で湘南色の211系が唯一使用されているのが両毛線です。ぜひともまた見に行きたいです。撮影日:14.08.12/14.09.08
2015.01.30
昨年9月に栃木県足利市に行ったときに立ち寄った岩舟駅。「岩船石」で有名な岩船山の最寄り駅で、かつては石材を輸送するための貨物も扱っていました。小さな和風の駅舎は2006年にリニューアルを受けていますが、戦前から存在しています。駅舎の土台部分は石造りで、石の町らしい重厚さが感じられます。駅構内を眺めます。かつて貨物扱いがあったためか構内は広いです。ここから足利方面は複線になります。駅名標と名所案内です。名所案内は書体は新しいものの、国鉄様式です。石造りの土台部分です。目立たないですがとても重厚で、駅の歴史を感じさせます。夕暮れの駅。静かな時間が流れていきます。撮影日:14.09.20
2015.01.24
「その1」の続きです。駅構内から大前方を眺めます。駅のはるか上空には「八ッ場大橋」が架かっています。今いる場所がいずれ水没してしまうのだということを痛感させられます。渋川方を眺めます。駅舎と跨線橋が綺麗にまとまっていて美しいです。この風景をいつまでも残しておきたいと思うのは、決して私だけではないはずです。これは何の建物なのでしょうか?かなり古そうです。駅舎にこんなポスターが貼ってありました。首都圏の駅でも見た気がします。跨線橋を渡って反対側へ。橋の上から見る風景は圧巻ですが、緑豊かなこの地がいずれ見られなくなってしまうことに寂しさを感じずにはいられませんでした。反対側から駅舎を眺めます。昔ながらの佇まいが美しいです。木造の小さな待合室がありました。室内にはこんな表示が。この駅の終焉が迫っていることを見せつけられます。駅に隣接して「川原湯管理室」(保線施設)がありました。現在は使用されていないようで、廃墟状態です。しばらく待っていると列車がやってきました。485系臨時快速「リゾートやまどり」です。大前方面から115系がやってきました。ここで交換です。運よく列車が入ってくるのを撮影できました。最後に、駅名標と駅名板です。廃止される直前に旧駅舎を見ることができて本当に良かったです。この周辺では集落や温泉街の移転が進み、旧駅周辺は建物もほとんどなく閑散としていました。新しい橋や道路ができるなど、八ッ場ダムの完成に向けて着々と動いている一方で、このような美しい風景が失われてしまうことに複雑な気持ちになりました。改めて、公共事業の意義を考えるきっかけにしたいと感じました。撮影日:14.09.16
2014.11.22
更新休止期間があったため8月~9月に撮影した写真がなかなか掲載できませんでしたが、ようやく掲載できるようになりました。私は、友人と9月16日に吾妻線の川原湯温泉駅を訪れました。川原湯温泉駅は群馬県長野原町にあるJR吾妻線の駅で、名湯「川原湯温泉」の玄関口です。しかし、現在はかつてのような賑わいはありません。政府が進める八ッ場ダム建設の影響を受け、この駅とあたり一帯は、ダムが完成するとダム湖の底に沈んでしまうのです。このことから吾妻線の一部区間は新線に変更され、川原湯温泉駅も別の場所に新設されました。新設された駅は10月1日から営業を始め、写真の旧駅は9月24日に営業を終了し廃止されました。駅は開業時(1946年)からの木造駅舎で、吾妻線では唯一の存在だったようです。瓦屋根と木の壁がいい味わいを出しています。駅舎入口には変わった形の郵便ポストが設置されています。駅舎入口の上部にある観光案内です。かつては温泉街への玄関口としてにぎわったこの駅も、温泉街自体が移転してしまい寂しい状態になってしまっています。下の写真は古びた観光ポスターです。鉄道の案内には廃止された碓氷峠区間と現在「しなの鉄道」に移管された信越本線の表記があり、少なくとも1997年以前のもののようです。駅舎内部の窓口です。木製の窓枠と壁が歴史を感じさせています。無人駅ではないので切符の購入ができます。待合室では塗り絵や写真の展示が行われていました。今しか見られない駅舎を一目見ようと、山間の小さな駅に多くの人が集まっていました。改札口です。首都圏の駅によくある簡易Suica改札機もなく、昔のままの状態です。国鉄時代からありそうな古い案内表示も健在でした。(つづく)
2014.11.21
上越線に乗車して長岡をあとにしました。上越国境を越える列車は新潟色の115系が使用されていますが、本数はかなり少ないです。この写真は最後に撮影した新潟色の115系1000番台で、編成はN4です。N4編成の車内です。新潟仕様のリニューアルが施されています。シートがバケット化されており、化粧板や網棚も取り替えられています。非リニューアル車と比べて明るく、個人的に好きなタイプの車内です。この形態の車内は新潟以外の115系では見られません。次に乗車したのは湘南色の115系1000番台。群馬エリアでは湘南色の115系が主にローカル区間で活躍しています。3両編成ですが編成番号は不明です。車内です。幕張の113系S編成や豊田の115系の一部で見られるヘッドレスト付きのシートを採用したリニューアル編成です。これに乗車して高崎へ向かいました。撮影日:14.03.26
2014.07.18
3月2日に小山駅に行き、水戸線の415系1500番台を見てきました。1500番台は私の好きな車両なので、よく見に行っていますが写真のK544編成は今回初めて撮影しました。このK544編成は、2011年3月11日の東日本大震災発生当時、常磐線いわき発原ノ町行き普通列車として運用されていた時に地震に見舞われ、そのまま福島県の広野駅に留置されたままになっていた編成でした。後に広野駅から所属車両基地である勝田車両センターへ移動されましたが、長期にわたって運用に入ることはなかったためこのまま廃車されてしまい、二度と撮影することはできないかもしれないと思っていました。K544編成は長期間福島第一原発に近い広野駅に留置されていたことから、「汚染車両」などとレッテルを張られたり、ストライキの原因となるなど不遇の時を過ごしてきました。勝田車両センターへ移動後も、センターの隅で留置される日々が続いていました。しかし、2013年7月から郡山総合車両センターで修理などが行われ、8月、ついに運用に復帰しました。この情報を知ったときは感銘を受けたことを今でも覚えています。2年以上運用から離れ、不遇の時を過ごしながら見事に復帰したK544編成を私は「奇跡の車両」と呼んでいます。K544編成は、困難や逆境にも負けない力強さを教えてくれた気がします。K544編成は、1500番台クハのラストナンバー車です。(モハのラストナンバーは現在K532編成に組み込まれているモハ415・414-1535です)元から4両編成ではなく、1両しかなかったクハ415-1901(2階建て普通車)を組み込んでいたかつてのK880編成の一部でした。本当に廃車になってしまうと思っていたので、このプレートが撮れるとは夢にも思いませんでした。今回は全車両のプレートを撮影しています。車内はほかの1500番台と基本的に同じです。車内の消毒記録は23年(2011年)2月の次が25年(2013年)9月となっており、この編成が2年以上運用されていなかったことを伝えています。「奇跡の車両」K544編成。今回撮影することができて本当に良かったです。「K544」の表示を見たとき、うれしさと感動のあまり涙を流してしまいました。415系1500番台には現在も常磐線原ノ町駅での留置が続くK534編成があります。K534編成もいつか見事に運用に復帰してくれることを願ってやみません。撮影日:14.03.02
2014.04.10
両毛線では湘南色の115系のほか、107系、211系も活躍しています。まずは107系。日光線用の0番台は今年3月をもって引退しましたが、100番台は両毛線などで現在も活躍を続けています。この編成は今年3月にも撮影したR1編成(100番台トップナンバー)です。反対側はR10編成でした。2両編成を2本連結した4両編成となっています。この編成は後期製造車で、窓の配置が若干異なっています。こちらは211系。ロングシートの3000番台5両編成(A30編成)です。以前5両編成は東北、高崎線の付属編成として使用されており、上野駅などで何度か撮影したこともあります。現在は運用から離れたものが多いですが、一部編成はこうして現在も活躍を続けています。最後の日まで、頑張ってほしいものです。反対側の表示は「普通」でした。車内の車両番号はなんと手書きでした。プレートが持ち去られてしまったようです。415系では多くの車両でプレートが残っていただけに、残念でなりません。すべての写真撮影日:13.10.12
2013.11.07
小山駅で水戸線とともに撮影したのは両毛線の車両。ここでは数少なくなった湘南色の115系が活躍を続けています。6番線に停車していたT1133編成。山梨県在住の私は横須賀色、長野色の115系を見慣れていますが、かつての東北本線、高崎線以来の伝統を持つ湘南色もとても好きな塗色です。反対側から。8番線に停車中のT1091編成。撮影したのはこの1枚のみで、この後すぐ桐生に向けて発車していきました。同じく8番線に停車中のT1145編成。この編成は今年3月にも撮影しています。反対側から。最近塗り直されたのか、塗装がとっても綺麗でした。すべての写真撮影日:13.10.12
2013.11.05
結城から小山に戻る時に乗車したK529編成。K531編成と同じく、国鉄時代の1986年に製造された編成です。反対側から。この編成は先頭車両前面の黒い部分が退色してしまっています。車内です。211系などと同様、民営化後に製造された車両とは網棚部分が異なっています。クハ411-1506のプレート。415系は他の編成も含め、プレートが比較的よく残っているので嬉しい限りです。こちらはK543編成。1500番台の中でも最後発となる1991年製造です。反対側から。凛々しい表情が素敵です。クハ411-1533のプレート。今回は以前撮影していなかった編成を含めて撮影できたので良かったです。また小山駅や水戸線に足を運びたいです。すべての写真撮影日:13.10.12
2013.11.03
2013年10月12日、水戸線結城駅まで行ってきました。以前水戸線福原駅を訪れたことで水戸線への関心が高まり、私の好きな415系1500番台の撮影と結城~東結城間の「踏切の旅」を行いました。小山駅は今年3月以来だったので久しぶりでした。ここでは小山駅で撮影した415系1500番台を掲載していきます。まず最初に撮影したのは15番線に停車中のK531編成。この編成は2011年に水戸駅を訪れた時、私が初めて見た415系1500番台です。国鉄時代の1986年に製造されました。結城へはこれに乗車して行きました。16番線に停車していたK539編成。民営化後の1990年に導入された1500番台です。こちらの編成は車内に人がいなかったこともあり、細部を撮影しています。K539編成の車内です。少し端が切れてしまったクハ411-1529のプレート。こちらは、製造を担当した近畿車輌のプレート。調べてみると1500番台はK534編成(クハ411-1524の編成)以降、近畿車輌でまとめて製造されていました。そういえば、K534編成は震災以降、ここから遠く離れた原ノ町駅に留置されたままになっているんですよね……(つづく)
2013.10.30
2013年9月21日、友人と北関東方面にドライブに出かけたときに偶然立ち寄った水戸線の福原駅。実はこの駅の存在は全く知らず、現地に来て初めて知ることになりました。近年建て替えられたのか、小ぶりできれいな駅舎が目を引きます。バリアフリーに対応したスロープもありますね。駅名は石に刻印されています。なかなか珍しいと思います。ホームは田園風景の中にあり、ローカル駅らしさが漂います。煉瓦造りの倉庫を発見。この駅の開業は1890年(明治23年)で、開業当時からあるものかもしれません。跨線橋のデザインもいいですね。写真には小山起点37キロポストも見えます。小山行の電車がやってきました。私の好きな415系1500番台です。K541編成でした。夕日に染まるK541編成が美しいです。ホーム上には小さな木造の待合室があります。この待合室の中に国鉄時代の駅名板がありました。周囲の枠の色は、「赤電」と呼ばれた415系のかつてのカラーリングに合わせているようです。偶然福原駅を訪れたことをきっかけに、私の水戸線への関心は高まりました。10月12日には結城に行き、小山での415系の撮影も行いました。(後日アップ予定)年内にはもう一度水戸線を訪問する予定です。すべての写真撮影日:13.09.21
2013.10.25
小山駅では水戸線のほか、両毛線も少し撮影できました。まず見かけたのは107系100番台。今回のダイヤ改正で引退した日光線の107系0番台と異なり、この100番台はまだまだ活躍を続けてくれそうです。4両編成で、前2両は100番台トップナンバーのR1編成でした。回送車のため、車内の撮影はできませんでした。後2両はR9編成。逆光でかなり光ってしまいました……続いてやってきたのは湘南色の115系1000番台。湘南色115系の撮影は初めてで、かなり興奮しました。以前は身延線や御殿場線でも活躍していた湘南色の115系ですが、現在は北関東エリアと岡山エリアのみの活躍となっているようです。4両のT1145編成です。高崎車両センターの115系は、編成番号がモハ114の車両番号に合わせられているようです。両毛線のホームは高架下にあるため、どことなく重厚な雰囲気が漂います。車内も撮影。非リニューアル車で中央線で活躍する長野色の1000番台と大差はないようです。かつて房総地区の113系でも見られた、ドア上部の広告枠が使用されているのはうれしい限り。撮影日:13.03.06
2013.03.27
3月6日は烏山線に行った後、小山駅に寄って水戸線の415系1500番台を撮影してきました。私の大好きな車両の「415系1500番台」ですが、撮影するのは震災前の2011年2月に水戸駅に行ったとき以来なので、2年1カ月ぶりになります。最初に撮影したのはK533編成。この編成は民営化直後の1988年に導入された2編成のうちのひとつです。クハ411-1623の車内です。平日の昼でしたが意外と乗客が多かったです。私はこの後、デッドセクション(直流と交流の電源切り替え地点)体験のため小田林駅まで乗車しました。車番の末尾が「23」で揃っています。ちなみに、クハの運転台側車番プレートの位置は211系と異なり、かなり下の方にあります。お次はK535編成。前面にある表示器は行先などが表示されず、無表示のままとなっています。モハ415-1525の車内です。基本的に211系のロングシート車と大きな変化はありません。シートモケットは登場時から変わらない、えんじ色となっています。車番の末尾は「25」で揃っています。最後に撮影したのはK530編成。国鉄時代に導入された1986年製の車両です。この時は車内に多くの乗客がいたため車内や車番プレートの撮影は行っていません。東北本線ホームから撮影したK530編成。水戸線では415系1500番台のほか、E501系も運用されています。(5両付属編成のみ)この編成は2011年3月の震災当時、私が常磐線で被災したときに乗車していたK752編成。2年ぶりの再会になります。415系と異なり、こちらは前面に行先を表示しています。青地に白文字の幕が特徴的。車内です。209系とほぼ変わりませんが、モケットの色が異なっています。今回は時間のあまりない中でしたが、私の好きな車両である415系1500番台、震災時以来の再会となるE501系を撮影できてかなり嬉しかったです。また小山駅を訪れたいと考えています。すべての写真撮影日:13.03.06
2013.03.24
107系は、それまで165系で運用されていた北関東のローカル線の体質改善を目的として導入された通勤型電車。民営化直後の1988年から導入が開始され、0番台は日光線で、100番台は両毛線や上越線などで活躍してきました。2013年3月16日のダイヤ改正で、日光線で205系600番台(元京葉線用0番台の改造車)が活躍を始めることになり、107系0番台は活躍を終えることとなりました。私は今回(3月6日)初めて日光線の107系を宇都宮駅で撮影しましたが、これが最初で最後の撮影になりました。107系N8編成。引退が迫っているため、窓下には「ありがとう107系」の文字が。日光線は本数が少ないため、私が撮影できた運用中の車両はこれのみです。車両番号は所属先の標記の脇に小さく掲げられています。宇都宮駅の日光線ホームは駅名標も車両に合わせたレトロ調。留置線にたたずむ107系N1編成と211系A28編成。この顔の並びは癒されます……211系も東北本線(宇都宮線)へのE233系導入により、活躍の場が狭まってきました。N1編成の後ろにも107系がいました。すべての編成に「ありがとう107系」と書かれているようです。駅には205系の導入を告知するポスターがたくさん貼られていました。この205系は、私が京葉線でお世話になった車両なのでまた撮りにいきたいです。私にとっては馴染みの薄い日光線の107系ですが、引退の直前に少しでも撮影できて嬉しいです。ありがとう、日光線の107系!!撮影日:13.03.06
2013.03.20
烏山駅周辺を散策してみます。駅前の通りはこんな感じ。典型的な地方都市のたたずまいですが、人通りは平日の昼間ということもあってかほとんどありませんでした。駅前には、JRバス関東が運営する蕎麦屋があります。ここで休憩しました。次は、駅の先にある引き上げ線を見に行ってみます。駅舎脇の駐車場から。あれ、線路がここで終わってる……?向こう側のホームも線路が剥がされ、すでに使用を終えているようです。駅周辺には、このような古い倉庫が点在。かつて、旅客だけでなく貨物の集積地であったことをうかがわせています。倉庫近くにある踏切跡。かつてはここまで線路が来ていたはずだったのですが……最終的な烏山線の終点は、この少し先だったはずです。現在はすべての線路が撤去されてしまいました。広い駅構内も、かなり遊休化してしまい一部が駐車場になっています。キハ40が停車中の烏山駅。私の好きな、ローカル線らしい光景です。駅へ続く一本の線路。再び駅前へ。商店街にはこのような古い建物も多く残っています。これから、また列車に乗って宇都宮へ戻ることにします。「駅長」の表示は国鉄時代からある看板ですね。宇都宮にて。国鉄一般色のキハ40 1007。烏山線のサボ。烏山線には「宝積寺」「大金」といった縁起の良い駅名が多いことから、七福神をあしらったイラストが描かれています。こちらはキハ40 1005。昭和54年、富士重工製。地元宇都宮で生まれ、この地で長年活躍する車両です。この後は宇都宮で少し電車を撮影し、小山へ向かいました。すべての写真撮影日:13.03.06
2013.03.17
2013年3月6日、「青春18きっぷ」を使って烏山線に乗ってきました。今回は、その模様をレポートします。烏山線の一部の列車が発着する宇都宮駅。ここから乗車します。東北本線黒磯方面に向かう211系3000番台。3000番台は久しぶりに見ました。5両編成です。烏山線では、1979年から現在までキハ40が活躍しています。関東では唯一の存在で、首都圏から最も近いところを走るキハ40でもあります。烏山線色のキハ40 1005と国鉄一般色のキハ40 1007の2両編成が到着。キハ40への乗車は、実家のある鹿児島で乗って以来約10年ぶりです。先ほどの211系と並びます。早速、キハに乗り込みます。車内はロングシートに改造され、トイレも撤去されています。モケットの色は211系(登場時)などと同じえんじ色を採用。ここからは、宝積寺まで東北本線を走り、宝積寺から烏山線に入ります。田園風景の広がる、のどかな景色の中を進んでいきます。途中駅では下りず、終点烏山まで乗車しました。(次回は途中駅で下車したいと思います。)烏山駅に到着。国鉄タイプの駅名標です。烏山駅に停車中のキハ40 1005。国鉄一般色のキハ40 1007はこんな感じです。国鉄型車両とはいえ、国鉄時代のキハ40になかったカラーリングなので少し違和感があります。車端部から車内を撮影。久留里線で活躍したキハ37のように、非常に長いロングシートが特徴的。烏山駅の外観です。立派な木造駅舎で、風格があります。烏山は、毎年7月に「山あげ祭」が行われるときにはかなりにぎわう駅のようです。少し駅周辺を散策してみます。(つづく)
2013.03.14
続いては仙山線などで活躍するE721系です。P-8編成です。E721系は仙台地区に残る国鉄型電車の完全置き換えのために導入されたセミクロスシート車です。E233系などと同様、バリアフリーに配慮したつくりになっているのが特徴です。常磐線で3.11の津波にのまれ廃車となった編成も存在しています。こちらはP-5編成。P-5編成の車内です。セミクロスシートとなり、701系よりも明るい車内となっています。車番とメーカーのステッカーです。最後は719系。仙台地区の電車では一番好きな形式ですが、回送だったため車内の撮影はできませんでした。集団見合い型のセミクロスシートの車内がどんなものなのか気になります。撮影日:11.06.26
2012.08.07
震災後の2011年6月、仙台に行ってきました。そのときに仙台駅に立ち寄って在来線の車両を少し撮影しました。まずは東北本線などで活躍している701系1000番台です。小牛田行きのF2-18編成です。701系は客車列車や老朽化した国鉄型電車(455系など)の置き換え用として東北地区の各地に導入されたロングシート車で、209系をベースにしたステンレス車体が大きな特徴となっています。ロングシートなので一部からは不評を買っていますが、仙台都市圏のラッシュ時には大きな威力を発揮します。このF2-18編成は現在は勝田車両センターへ転属し、K618編成として常磐線相馬~原ノ町間で活躍中です。F2-18編成の車内。ロングシートですが、長距離運用を考慮して209系などより厚めのクッションを採用しています。こちらは一ノ関行きの701系F2-23編成です。松島行きのF2-505編成です。この編成は1000番台の増備車となる1500番台です。F2-505編成の車内です。車端部は木目調の化粧版を採用し、温かみがあります。車番はシール式となっています。(つづく)
2012.08.02
震災前の2011年2月に水戸駅で撮影した、E501系K702編成です。E501系は元々、上野~土浦間の快速運用に使用する車両として導入されました。209系をベースとし、交直流対応の機器を搭載します。編成は10両+5両の15両編成が基本となっていました。現在はE531系の導入により上野口15両での運用はされなくなり、10両編成は常磐線土浦以北、5両編成はそれに加えて水戸線でも運用されています。個人的に結構好きな車両で、3.11の震災時はK752編成の車内で被災しています。方向幕は独特な青地のものを採用しています。車内です。209系とほぼ同じですが、座席モケットの色が異なっています。撮影日:11.02.19
2012.07.13
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