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覆面取材で有名?な「日経おとなのOFF」さんのNET版に掲載されております。今回は「ひとり旅で泊まりたい名(迷?)旅館」というテーマでのエントリーでした。私自身は旅館という賑やかな環境の中で育ち更にカシマシ三姉妹という生い立ちを持っていますのでひとりで旅をする、ということはよもやありませんが日々お迎えしていて最近は特におひとりでの気ままな旅を楽しまれる方が増えた実感はございます。大事な方との思い出深い旅行も勿論ですが、日常からのちょっとした気分転換としてまた、頑張ったご自身へのご褒美として『時』を忘れてゆっくりと寛いでいただくには飛騨古川という“まち”は打ってつけの場所だと思います。お隣の兄弟町“高山”と比べると(古い)町並みの規模も二回りも三回りも小さく、真剣に(お土産などの)買い物をしよう!と思ったら、若干の物足りなさは否めません。1時間程度そぞろ歩きしてしまったら見るところがなくなってしまうような(じっくり見ればそんなこともありませんが・・・)そんなまちだからこそ、変に観光地ズレ?していない昔さながらの“生活感”“人情味”そして“ほっ”と感に浸っていただけるのだと思います。今回、当館が取材対象になったのもそんな“まち”の中に佇んでいるからこそ、なのだと飛騨古川のまちにいかされていることを改めて実感しました。ちなみにこのブログの写真やHPのトップ画面は不肖、素人カメラウーマンの私が撮影させていただいておりますが当然ながらプロの方との余りの隔たりに、少し気恥ずかしい思いも改めて。。。。やはり違いますね。プロの写真は ↓ ↓
2007年02月28日
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今日は我が家の長女の参観日。普段は母親業をサボりがちな私としましては参観日=本日(も?)休業 という千載一隅のチャンス。ここぞとばかりに少しは“らしい”ところを発揮しようと意気込んで行きました。運動会や発表会など行事がある毎に、いつも仕事着(着物なのですが)で出掛けては五分ほど顔を出してすっ飛んで変えるのが常。今日は初めて?じっくりと子供の活躍を“拝見”して参りました。大勢の学友の中、ハキハキと発言する我が娘の姿は本当に頼もしくもたくましく家で見せる顔とは異なる一面を発見し、9年の長くも短い歳月を思い、少しばかり感傷気分。・・・・そんな気分に浸りながらも、昨夜からインフルエンザでうなされ出席停止処分で留守番をしている次女のことをはたと思い出し大慌てで家路につきました。帰るや否や“抱きついてくる”、、、と思いきや主人と過ごす時間で十分に事足りていたらしく、私のことはそっちのけ。少し肩透かしをくらった感もありましたが、そんなつれない7歳の娘を横目に見ながらまた、ひとときの幸せを感じるのでした。
2007年02月28日
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昨日日記(ブログ)を書き終えて程なく子供たちが下校。旅館の休業日だったこともあり、余韻も覚めやらず、で長女のバレーボールの練習をズル休みさせてお出掛け!GO!お仕事同様?行き当たりばったりのショートお出掛けはいつも車中(道中)での目的地決定。昨日の台風の目は、やや風邪気味の次女。強烈に“ステーキ”を主張。私の中ではフレンチorイタリアンな口になってしまっていたので『肉のみ』のオーダーを阻止すべく今回は“手札”の中からミューズ・バーをセレクト。ここは“国分寺通り”という高山駅から古い町並へ向かう導線にございます。斜め向いにある本店『ビストロ・ミュー』のカジュアル版で昼夜を問わずフランクに利用できます。次女ご執心の飛騨牛も ・量120~180g ・等級3~A4 ・肉質サーロイン~フィレと選択肢の幅が広く、ともかくご満悦。普段、食の細い長女も アンチョビ&ポテトサラダ エスカルゴのブルゴーニュ風 田舎風パテを次々とバケットの上に盛り付け、止めに温泉卵のカルボナーラ。その横で私は悠々?とヴーヴを一本飲み干しておりました。飛騨高山と云うと、『飛騨牛』『高山ラーメン』『みだらし団子』『山菜料理』というイメージが先行。もちろん、そういったお店の数は多く、またどこも美味しいのですが洋食系も意外にも充実しています。参考までに、あくまで主観、ですが私のオススメを。フレンチ系・・・【ビストロ・ミュー】こじんまりした店内に趣味の良いデコレーション。 その雰囲気に期待外れさせない、洗練された創作派。 【ミューズ・バー】いわゆる南欧風家庭料理が主流。カクテルも充実。 【ロジェール】JR系列のホテルアソシア内。少し改まった時に。正統派。 甘いものに目が無い女性にはスイーツのワゴンサービスは高得点?イタリアン系・・【ボッカボーナ】若い?オーナーシェフが切盛りする活気あるお店。 ピッツアとパスタ、特にトマト系がいけます。 【フォルケッタ】こちらはクリーム系とジビエ系が充実してます。ついつい、外食というとウチの料理カテゴリーから遠いものを選んで行きがちですが先に挙げた“高山四天王”の分野や、地元古川にも美味なるお店はたくさんあります。追々ご紹介していきたいと思いますがやはり、初めてまだ一週間の初心者ブロガー・・・・ビジュアル掲載のためのデジカメをお留守番。。。次回は「忘れなければ」写真付きのリポートとさせていただきます。
2007年02月27日
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飛騨牛生誕の地と云われる清見。その何でもない田園風景と飛騨高山のベットタウン化しつつある境界線にその店はあります。その名は“キュルノンチュエ”。元々輸入車貿易を派手に?手がけられていた江戸っ子オーナーが燻製作りに魅せられて、ヨーロッパでも名高い(らしい)フランス・ジェラ山地-モルトオで3年間の修行を経て気象風土景観がよく似た彼の地で生ハム、ソーセージ、ベーコン等のアトリエ「キュルノンチュエ/ヤマオカ」を創業。その製品は今や全国を席巻しマガジンハウスのお取り寄せグルメ「酒の友」NO.1に選ばれるなど数々の雑誌やマスコミにも取り上げられております。まだ十年足らずの創業年数という新進気鋭?でもあり還暦を過ぎ威風のある職人気質な山岡オーナーの風貌を除けば飛騨=和のテイスト という固定概念がある中ほとんどの方はその生産現場が飛騨であることをご存じないはず。また冒頭に紹介したように清見は飛騨牛の「聖地」ではあっても山岡オーナーが手塩に掛ける燻製品の主原料“豚肉”とは余りご縁はなし。生まれも育ちも原料も(ちなみに豚肉は鹿児島の宮内庁ご用達の黒豚を使用とか)一見関係のないその店から、飛騨の匠?も唸らせるその逸品が産声を上げるのです。たまたま、主人と学閥?が一緒(勿論、親と子ほど歳は離れておりますが)ということもあってか、親しくさせていただいておりまして何故、飛騨か? との疑問に自ずから答えを見出したような気がしました。単なる気象風土景観が似ていただけとは思えない、、、、経済性(儲け)よりも「こだわる」ことに満足と美学を見つける“匠(たくみ)”のココロが共鳴して呼び寄せたのではないだろうか。と少し(飛騨を)身びいきに考えたくなるほど“おいしい”の達人なのです。当館でも(無理をお願いして分けていただく)白カビソーセージをしばしば懐石料理とコラボさせてお出しするのですがかなりの数のお客様がその味に惚れ込まれるとともにその出処をお知りになりたがられます。 当館より車で約30分。東海北陸道「高山西IC」の程近くにその居は構えられています。残念ながら、この白カビソーセージは“いつも”“常に”“何時も”品薄状態で現地で直ぐに入手できることは“奇跡”に近いことですが予約注文して「取り寄せ」る価値は十分にあると思います。昨年には、工房を少し拡張されて、買ったものをその場でいただける“イートイン”のスペースも確保され、私のお気に入りとなっております。ソーセージや生ハム、パテの他にもそれらに合うチーズやピクルス、パン、クラッカーなどがさり気なく用意されていて飛騨古川からはお気に入りのフルボディのボルドー系を持ち込むのみ。この時ばかりは主人に運転手役に徹してもらって昼間っから数少ないOFFの時間を満喫させていただいております。中京から西の皆様は、飛騨路を入られる際に東海北陸道の清見ICか高山西ICをご利用になることが多いかと思いますが是非とも高山西ICまで足を伸ばし立ち寄られることをお勧めします。また、東の皆様方も「高山市街地観光+往復1時間」で想像もしなかった飛騨の魅力を発見されることと思います。但し、火曜日はお休みなのでご注意、下さい。
2007年02月26日
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雛話も今回で最後とさせていただきます。ところは“観月”。ご宿泊のお客様のご夕食とご朝食をご用意させていただく個室の料亭です。~閑話休題~昔の旅館スタイルだと『お部屋食』『お部屋出し』というのがステイタス!だったような時代もありますが当館では昭和59年よりお寛ぎいただく“客室”とお食事を召し上がっていただく“個室”を分離させていただいております。お人によっては賛否両論あるところかと思いますがここでは、【賛】側代表のディベートとして。1.食事の準備や後片付けなどのための 係による客室内への立ち入りが最小限となるため お部屋をゆっくりとお使いいただけ、寛いでいただける。2.ご就寝の際に夕食の残香が気になったり 布団上げした後の埃飛び交う中での朝食、という憂き目を見なくてよい。3.客室より個室料亭の方が調理場の近くにあるため より出来立てに近い料理を召し上がっていただける。4.料亭はあくまでも“個室”であるためプライバシーは守られるそして(個人的には)何より旅行に行くと「観光よりチェックアウトぎりぎりまで居座る」派の一家としては5.朝食を用意するという名目で『布団上げ』されずに、まったりゆっくり出来る。。。当館でも朝は基本『布団上げありき』ではなく布団上げしてほしい方はその旨お申し付け下さい、というスタンスを取らさせていただいております。【この件に関しては皆様よりのアドバイスを随時受け付けさせていただきます。】いつもいつも脱線ばかりしてしまいますが、フィナーレを飾るこの雛たち。料亭の中央のオープンスペースに展開する大正4年の七段飾り。このお雛様たちは当家より嫁いでいった、祖父の姉のもので当時は雛道具一式も供に連れていくのが通例ではあったのですが故あって?か、我が家に残り花を添えてくれております。箱書きは大正4年とありますが、本来の持ち主の生まれ年は昭和初期。昔はなかなか新品のものが与えられず、どなた様からか譲り受けたものと聞いております。ここでの見どころは、通常の五人囃子に当たる部分が雅楽の奏者になっておりお手本が存在しないため、今だにどの順番で並べてよいのか分からずこの時期になると慌てて資料などを探してみるのですが・・・・・どなたか正解をご存知の方いらっしゃいましたら、是非ともご教示下さいませ。また、『翁(おきな)』『婆(おうな)』の高砂の人形が付随しているのもこの時代の特長なのでしょうか。 6回に渡るシリーズもので我が家の“顔”的な雛たちをご紹介させていただきましたがこの子たち以外にも、地元山田焼きの素焼きの雛人形をはじめ館内各処にプチ古今東西な人形たちがお出迎えさせていただいております。あと一月強の猶予がございますので、機会があれば是非とも覗きにいらしてください。
2007年02月25日
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昨日映画をやっていましたね。東北の小藩を舞台にした時代劇でしたが原語?に近いセリフ回しだったせいか、類推解釈して理解したつもりで観進めた部分も若干ありました。実際のその地方の方言を知らない者にとってはかなりの臨場感と時代感をもって楽しむことが出来ましたが現地の方(ネイティブ)はまた異なる見方をされるのでしょうね。かくいう飛騨古川も、遡ること4年前NHKの朝の連続テレビ小説『さくら』の舞台になったことをご記憶の片隅にお持ちの方もおいでのことと思います。その折は、まさに私たちが上述でいう現地人だったのですが画面から漏れ聞こえてくる、その「飛騨弁」のおかしいこと。デフォルメされているのか、やはり異言語?の発音やイントネーションの習熟がプロの役者さんにも難しいのか、はたまた、はたから聞いたら、いやいや実は本物の現地人との差異が判らないのか・・・少なくとも自称 現地人には、少し違和感を感じるのは当たり前のことなのでしょう。マスメディアという電波に乗ってスタンダードがくまなく行き渡った現代では当館のスタッフも例外ではなく若くなればなるほど、方言濃度の薄まったキャッチボールになりがちです。が、なかには長老顔負けの猛者(もさ)もおりましてこういう子たちは、ほぼ間違いなくお爺ちゃん子ORお婆ちゃん子なんですね。お客様をお迎えするのに、キチンと理解?していただける丁寧な言葉を遣うことは勿論大事なことですが聞きなれない方言を端々(はしばし)に感じていただくのも旅=非日常を味わっていただける醍醐味なのではないか、と改めて思ったりもしました。他愛もないことなのですが昨夜の「隠し剣・・・」に「さくら」の助演男優!小沢さんが出ていたものですから懐かし半分、そんなことも綴らせていただきました。
2007年02月24日
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今回は我が家の天使たち?に送られた当館の「花の間」にある「真多呂雛」のご紹介です。雛話は五回目で佳境に入りました。主人は福岡の久留米出身なのですが、商売柄なかなか里帰りも出来ない不出来な嫁にとっては 年一回正月明けに行く九州への小旅行が、本当に楽しみな大イベントです。我が家は結婚一年後に長女が。年子で次女が授かりましたので2人の節句人形という事で福岡の両親に買っていただきました。平成12年3月、宅配で届けられた大きな箱には「真多呂」と書かれ、かわいらしいお顔の木目込み人形がお目見えしました。そしてもうひとつの箱、明らかに人形とは違うものが。。。小さなお手玉のような人形たちがたくさん糸でぶら下がっているもの。。。これって何?福岡では常識?の“さげもん”。この愛らしい吊るし飾りは伊豆稲取の「つるし雛」、酒田の「傘福」と並んで全国的にも有名なんだそうでございます。通常は雛壇の両端に上から吊り下げられます。7列の赤糸に7つの細工人形と中心の大きな鞠を合わせて51ケ。その昔、女性の寿命が短かった頃よりの風習で人生50年より長生きできるようにと願いが込められているそうです。上段には花や鳥、野菜。 中段には動物。下段には這い人形が飾られます。ちなみにこれらの細工とともにちりばめられる三角や四角の金色の紙はお金に例えられ、生活に困らないようにとの意味が込められています。子は宝、子はかすがいと申しますが 色々なものに願いを託し、子供の健康や健やかな成長を祈る気持ちは いつの時代も変らない親心です。
2007年02月24日
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今回は私に纏わる雛飾りの紹介です。昭和4?年の私の初節句の際に購入。当館では最もビッグサイズになるため正面玄関に据えられております。同じ歳月を歩んできたもの同士、並んでみました。総勢15名のオールキャストに数々の道具類。塗りは全て“輪島”で、まさに昭和の高度経済成長期の申し子。。。といったような絢爛さです。豪華七段飾りを更に見栄えよくしようと、本来付随していた雛壇ではなくお出入りの指物師さんにお願いしてひとまわり大きな壇にしてもらった、という挿話もございます。おかげでお人形たちは“お隣さん”を気にすることなく、伸び伸びと並んでおります。二十四節季の“雨水”に入り、今季の飛騨路はもう雪景色を望むべくもないのは重々承知しているのですが今朝ほどのように、本当の“雨水”が滴り落ちてくると余りにも感じることの出来なかったこの『冬』に憐憫の情さえ禁じ得ません。
2007年02月23日
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皆様“お座付き”ってご存知でしょうか。このあたり飛騨地方では、宴席において『礼講』と『無礼講』がはっきり明確に区分されます。乾杯の後、しばらくは自席にて大人しく?飲食をします(しなければなりません)。その時間帯では、席を立ってお酌をしたり、歌を唄ったり、よもや“ご乱行(乱れる)”はご法度。時間にして約15分~30分、料理で行くと、初献(吸い物)の次のお造里が配り終わった頃、やおら、「座押さえ(幹事さん)」が一座の年長者級に『めでた』という祝い唄のご発声を依頼します。その儀式(いつか詳しく解説します)が終わると堰を切ったように、怒涛の酒宴の本幕が切って落とされるのですが更に本式の宴席ではその儀式の前座として“お座付き”があります。飛騨生まれ飛騨育ちには、どれが方言で、何が標準語か判らないので勝手に“万国共通語”だと思っているのですがお座付きとは舞台清めの舞踊や詩吟、剣舞などのことを指します。前置きがかなり長くなりましたが、昨日、地元の調理師会の総会懇親会が当館でございまして、久々にその舞姫?(という歳ではありませんが)の役を仰せつかりました。一応、日本舞踊は6歳の頃より、名古屋西川流をかじらせていただいておりましたが高校時代に熱血!バレーボールに没頭するようになって中断。約20年。。。のブランクがございます。年に一度か二度、このような依頼を受けてタドタドしく舞ったりもするのですがこちらもバレーボール同様、“自身”ではなく、最近は専ら傀儡化を図っております。嫌がる九代目後継者たち(こちらも女系!二人姉妹!?)を引きずって月に一度の集中稽古に連れ立っております。こう書くと、いかにも教育ママのような印象をもたれるかもしれませんが少し弁明、させていただきますと元々はきらびやかな着物を着たいが為に本人たちが『やる!』と言い出したこと。『やる』といった以上は小学校の間くらいは続けてもらわないと根性無し!!になってしまうという優しいやさしい親ゴコロから。。。。これを世間では、教育ママ、、と申すのでしょうか。 心外ですが。。
2007年02月22日
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今回の“雛”は当館最古?にして新入り、さんです。箱書きには『文政年間 松田家』とありまして 山形の酒田から遥々お嫁入りしてくれました。雑学通?の方はお気づきのことと思いますが、そう、酒田と云えば東北でも指折りの『雛祭り・雛人形』処なのです。最上川河口に位置する湊町 酒井 はその昔は江戸や大坂との交易でたいそう賑わったそうで由緒ある雛人形の宝庫としても近年注目を集めております。今年、ご縁あっての“お輿入れ”だったのですが、実はその昔(元禄の頃)、飛騨を治めていた金森家が六代目にして同じ山形県の出羽(今の上山市)に一時転封されていたこともあり、いにしえの縁を少しばかり感じてしまいました。江戸時代と云えば、少し面長の享保雛が有名ですが文政頃の流行りなのか、酒田という土地柄なのか、お子たちはややふっくらした面持ちでございます。こちらも風雪を耐えた?と見えて、愛らしい五人囃子も残り少なくなった髪の毛を振り乱しておりますが、これもご愛嬌。当館の本館(明治再建の飛騨商家造)の旧玄関の正面(通常は恵比寿さんと大黒さんの定位置)におわします。
2007年02月22日
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このブログの管理ページの一角に【ブログデータ】なるものがあるんですねえ。いまいち(このブログの)運用の仕方が分からず、2月15日に開設した?ことになっていたのですが昨日まで“放置”していたら、立て続けに書いているのに日記記入率20%なんて表示になっているではありませんか(驚)。飛騨の地でおっとり生まれ育ち、時代も今ほどの時代ではなかったため地元の高校になんとなく入り、県外に出たいばっかりに行っただけの女子大(表現に差障りがありますので、校名は伏せておきます(笑))だったので、残念ながら受験での競争心は煽られませんでしたが、その分、『アタックNO1!』。バレーボールには青春かけて、勝った負けたで一喜一憂する日々。。。。を高校時代は送っておりました。その時以来でしょうか。メラメラと高次の目標を達成しようという使命感が出てきたのは。。。。。なかなかうまく(書かせるように)作り込んであるんですね。ニンジンをぶら下げられると、突き進む単純な性格であったことに、今更ながらに気付かされたところです。
2007年02月21日
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昨日の公約どおり、雛たちのご紹介。トップバッターは大正と明治のコラボレーション☆セット です。箱モノ?の“御殿”は大正時代から昭和初期にかけての流行り【トレンド】だったようです。中に収まっている雛たちは明治のもの。元々は別々に存在していたのですが、な~んとサイズがピッタリなことに気付き、目出度くコラボレーションして当館の月の間の床の間に鎮座ましましております。皆様は前に敷かれた段通にツクバって(注:飛騨弁で正座の意)しげしげとご覧になったり、一緒に記念写真をお撮りになられたりと当館でも人気ナンバーワン?の座を争っております。百年以上の時を越え、備品などの若干の紛失、破損は残念無念ではありますが着物の布地などは大変見ごたえがございます。
2007年02月21日
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あまり最初から飛ばしすぎる?とこれからのマラソンブログ人生に息切れしてしまうかも知れませんがスタートダッシュ!!ということもありますので、初日は矢継ぎ早で。実は私で八代目となる八ツ三館は代々女系家族。かくいう私も三人姉妹の長女。母は一人娘。。。。万世一系?だったのは初代と六代目だけ、というかなりの筋金入り。そんな女系旅館の特徴が如実に現れるのが、そう、雛祭り なんです。江戸の安政年間に創業した我が家は明治後期の古川大火(町並みの8割以上が消失したそうです)で一度「灰」に。その後、明治38年に再建した本館を中心に今でも往時のたたずまいを伝えておりますが雛さんたちも、その頃のモノから、大正、昭和、平成と各時代の女衆にまつわる人形が所狭しとひしめき合っております。その数200体は悠に超えております。明日からは、解説かたがた“メイン”の雛たちをご紹介していきたいと思います。
2007年02月20日
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はじめまして。岐阜県はかの有名な“飛騨高山”の少しだけ北に位置する兄弟町“飛騨古川”の地にて八ツ三館という宿屋を営んでおります。生まれ育ったこの地、山紫水明に包まれたセピア色が似合うこの街の紹介とともに妻として母として、そして若女将としての葛藤?とおとぼけ?の日々を綴らせていただきたいと思います。
2007年02月20日
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