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高校野球の本塁打新記録「87本」を達成した大阪桐蔭高・中田翔。大阪大会決勝、金光大阪高に敗れて3年連続の甲子園出場はならなかった。思えば2年前、辻内崇伸(現・読売)や平田良介(現・中日)などが目立っていたが、1年生の中田だってスゴイ存在感のある選手だった。今よりは、もっとホッソリしていたけど。昨年夏は、横浜高や早稲田実高とも戦った。早稲田実、投手はもちろん斎藤佑樹(現・早稲田大)だった。------------------------------------------------------今日の日刊ゲンダイより。「中田翔の前から、プロのスカウト陣が姿を消し始めている」そもそもプロ球団、投手としてよりは「打者」としての中田に興味津々だった。多い時はメジャーのスカウトも交え11球団が、球場で中田に熱視線を向けていたこともある。だが、この大阪大会。決勝戦まで、中田に本塁打は一本も生まれなかった。なぜか?相手投手に徹底的に研究され、弱点がバレてしまったから。その弱点とは「内角高め」。どんどん遠慮なく内角高めを突かれ、中田は本来のバッティングをさせてもらえなかったのが真相らしい。「こういう弱点があるのなら、中田から手を引こう」と考える球団が出はじめ、いま獲得を狙っているのは読売だけらしい(?)----------------------------------------------------------真偽はわからない。ただ、野球選手というのは、いかにプロ選手であっても弱点はあるものだろう。それをいかに克服するかが選手生命のカギだと思うが、「内角高めに弱い」ことは技術的に致命傷なんだろうか?日刊ゲンダイを読んで、そんなことを考えながら帰宅。テレビを見ると「甲子園への道」(テレビ朝日系)が放映されていた。番組内では中田翔にインタビュー。そして画面には、昨夏の早稲田実戦の模様が映し出されていた。打者はもちろん中田、投手は斎藤佑樹。ちょうど斎藤がフィニッシュの球を投げて、中田を空振り三振に打ち取る場面。中田が空振りしたのは、内角高めのボール球だった。えっ、ということは、斎藤は当時から中田の弱点を知っていたってこと?いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.31
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なにを今更? ではあるけれど。元・中日の投手だった堂上照氏(現・中日ドラゴンズ合宿所寮長)と、その息子・堂上剛裕(兄・中日選手)、そして堂上直倫(弟・中日選手)。親子とか兄弟で2人がプロ野球選手という例はある。でも3人となると、結構珍しい。家族ごと政治家になっている石原慎太郎一家の「プロ野球」版みたいだ。さて、本題。昨日の中日-ヤクルト戦。兄の堂上剛裕がプロ入り初本塁打を打ったらしい。日刊ゲンダイが伝えている。-------------------------------------------------------兄の剛裕、ドラフト6巡目で入団した4年目の選手。「ファーム選手の鑑」と言われるほどの練習の虫。昨日の本塁打は、日頃の努力の賜物ともいえる。でも、少しでも打撃の調子が落ちると、二軍の遠征にさえ帯同できないほどの「まだまだ」の立場にいる。一方、昨秋のドラフト1位で入団した弟の直倫。「将来の4番候補」として大切に育てられていて、よほどの事情がない限り「二軍の4番・三塁手」を固定されている。兄弟格差---。もちろん、年俸にもその差が表れていて、ルーキーの弟が1000万円、3年目の兄は580万円。--------------------------------------------------------まずは、お兄ちゃん頑張れ! と応援したい。堂上剛裕。愛工大名電高3年生の夏(03年)、甲子園に出場している。だが、初戦で鳥栖商高と対戦し1-2で敗退した。この大会、他のカード(1回戦)には、常総学院高-柳ケ浦高があった。結局この大会で優勝する常総学院の4番を打っていたのは坂克彦(近鉄-楽天-現・阪神)、そして柳ケ浦の4番は吉良俊則(近鉄-オリックス)だった。この2人、03年ドラフトで揃って近鉄に指名され、入団する。吉良は2巡目、坂は4巡目。だが、近鉄バファローズ消滅によりまた敵どうしになってしまった・・・。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.30
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雨で中断していた決勝戦。結局再開され、浦和学院高が2年連続9回目の優勝を決めた。昨年は、もともと優勝候補じゃなかった気安さがあっての優勝だった。が、今年は優勝候補の本命として戦い、そのとおりに優勝を果たした。(当り前のようだけど、これが結構難しい!)浦和学 000 202 011 =6 本庄一 000 100 001 =2 この埼玉大会。浦和学院、準々決勝の埼玉栄戦と準決勝の富士見戦はちょいと危なかった。<準決勝>浦和学院高 3-2 富士見高(延長10回)<準々決勝>浦和学院高 8-7 埼玉栄高 が、それ以外は堂々とした戦いぶり。浦和学院の強さは、「投手」「打者」ともに埼玉県内では傑出してレベルが高いことにある。「投手」。鎌田優、赤坂和幸、内山拓哉の3枚看板がいる。準々決勝で戦った埼玉栄、準決勝の富士見、決勝の本庄一がいずれも一人の投手で戦ってきたのと比べて、投手のコマが充実していた。「打者」。鮫島勇人、赤坂和幸の2枚看板。そして準々決勝から突如トップバッターに指名された、背番号「20」の中原大地。今日の決勝戦では本塁打を放った。また、主に7番を打つ新井大樹も期待できる打者。身長186cm、振りも鋭く、なぜクリーンアップを打たないのか不思議な打者ではある。※浦和学院、7番にいい打者を据えることが多い。以前は前野達郎(現・明治大2年)もよく7番を打っていたように記憶している。さ、浦和学院が甲子園に行く。埼玉では盤石な戦い方をするものの、どうにも甲子園では「よそ行き」の戦い方が目立つ。それがどうしてなのかわからないが。ぜひ、昨年(対金沢高戦)のようなことはないように期待したい。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.29
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会社で資料作りが一段落、先日買ったばかり携帯(ワンセグ)でNHK-TVを観戦中。というか、テレビをつけた途端に大雨で試合が中断に。埼玉高校野球、決勝戦。浦和学院高-本庄一高。スコアは5-1で浦和学院高がリード。9回表、浦和学院高の攻撃中だったが、小さなテレビ画面でも雨粒がわかるほどの大雨だ。浦和学 000 202 01 本庄一 000 100 00 テレビのアナ氏が言っているのを聞いて、初めて知ったが決勝戦は7回終了時点で「試合成立」というわけではないようだ。9回を終わらないと成立しないらしい。ということは、この大雨で万一中止になった場合は、この試合は無効。明日、再試合となる。リードしている浦和学院高にとっては堪らない!是が非でもやりたいだろうなぁ。いまだ、中断が続いている・・・-----------------------------------------------------思い出すのは、駒大苫小牧高が甲子園に初出場した時のこと。試合途中までリードしていたものの、たしか雨(?)で無効試合となり、結局翌日の再試合で敗戦してしまった。ま、駒大苫小牧の場合は、翌年以降に怒涛の逆襲劇が始まったのだけど。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.29
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高校3年間の夏が、あっけなく終わってしまった・・・。花咲徳栄高の選手たちは、おそらくそんな気持ちじゃなかったろうか。今日の準決勝・第一試合。花咲徳 100 100 0 =2本庄一 120 002 4 =9(7回コールド)7回裏、本庄一高の攻撃。二死走者二・三塁で、7番・西川拓巳がライナーの中前打を打つ。走者は2人とも生還し、その時点でスコアは2-9となった。グラウンドでは、淡々と次のプレーに進みかけた。だが、一瞬の間があって、少しだけ早く本庄一高はコールドゲームに気づき、三塁側ベンチを飛びだし、本塁付近に整列を始めた。一歩遅れて、花咲徳栄高ナインもバラバラに並び始めた。スタンドも同様で、多くの観客はコールドゲームになったことに気づきもしなかった。この試合は準決勝、しかも花咲徳栄と本庄一のカード。接戦にこそなっても、コールドなんてことは誰も予想していなかったはず。この試合、花咲徳栄にとっては3つの失策が、ことごとく失点に結びついた。■初回、二塁手の送球を一塁手が後逸(失点1)■2回、右前打を右翼手が後逸(失点2)■6回、一塁ゴロをカバーに入った投手へ悪送球(失点2)レベルが高くなるほど、つまらない「エラー」をしたほうが負けるとよく聞くが、花咲徳栄にとっては後悔を残す試合となったと思う。そして何より、エラーをした選手が打撃で挽回する時間が残されていたはずなのに、その機会を迎えることなくコールド試合になってしまったことに、一番の後悔を残したように思う。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.28
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さいたま地方、今日の最高気温は33℃だったという。ホントにそんなもんか? もっと暑く感じたぞ。大宮県営球場で準決勝を観戦していた。ただ座っているだけで、額から汗がダラダラ噴き出し、意識が朦朧(もうろう)としていた。こんな時に野球をやっている選手や、応援席で踊りまくる選手やチアガールの皆さん、とてつもなく尊敬に値する!---------------------------------------------------春季大会の準決勝で対戦した、同じカード。浦和学院高-富士見高戦。春は4-1で富士見が勝利した。さて、今回は?富士見 000 001 100 0 =2浦和学 020 000 000 1X=3(延長10回)2-2の同点で迎えた延長10回裏。背番号「20」をつけた1番打者・中原大地が、大きく息を吸って左打席に入る。そして、初球をいきなり叩いて左中間に二塁打を放ち、浦和学院は願ってもないチャンスを手繰り寄せた。2番・三角大樹がきっちり送りバントを決めて一死三塁。そして3番・赤坂和幸が右打席に入る。バックホームに備え、内野は前進して構える。初球 三塁線へゴロのファール2球目 ボール3球目 三塁線へゴロのファール4球目 三塁線へゴロのファールそして5球目。赤坂が打った打球は、左中間を真っ二つに割り、その瞬間に、浦和学院の勝利が確定した。勝ち投手になったのは、完投した赤坂和幸。10回、146球、被安打5、与四死球3、奪三振8。一方の富士見高。接戦にしたくなかった。是が非でも先取点を取って逃げ切りたかった。だが初回、3本の安打で一死満塁のチャンスを作ったものの、併殺打で得点できなかったことが後々まで響き、エース・太田弾の好投が報われなかった。太田、それまでは赤坂、鮫島を完璧に抑えていたが最後にきて、ついに赤坂に適時打を許してしまった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.28
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2ー2の同点で迎えた延長10回裏、浦和学院の攻撃。一死三塁で赤坂が左中間を破るタイムリーを放ち、決勝進出を決めた。
2007.07.28
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埼玉高校野球、準決勝。花咲徳栄―本庄一は花咲徳栄の3つの失策がことごとく失点に結びつき、2―9と花咲徳栄、予想外の大敗となった。
2007.07.28
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強豪どうしの、意地をかけた「がっぷり四つ」の戦いだった。浦和学 003 400 100 =8埼玉栄 130 000 300 =7埼玉県大会の準々決勝、埼玉栄高-浦和学院高。昨日26日に行われた試合の録画ビデオを、遅まきながらいま再生している。「野球で一番面白いスコアは8-7」という話を聞いたことがあるが、まさにそのとおりの内容だった。埼玉栄高の先発は天城翔、浦和学院高は赤坂和幸。予想に反してこの2人、マウンドをリリーフに譲るのは早かった。天城は4回途中に近藤亮太、赤坂は3回の途中に内山拓哉に、それぞれ救援を仰いだ。あくまで結果論だけど、その2番手投手の登板した直後の出来が、勝敗に影響したようにボクは思った。特に浦和学院高の内山、今日は素晴らしい投球だった。背番号「10」をつけた内山が登板したのは3回裏。序盤、あっという間に埼玉栄に4点を奪われたものの、直前の3回表に3点を返して勢いに乗る浦和学院。突き放しにかかりたい埼玉栄が、一死一・二塁のチャンスを迎え、浦和学院にとっては何としても追加点を防ぎたい場面だった。埼玉栄高、7番・鈴木大旗が右打席に入る。初球 スライダー 1ストライク 2球目 キレのある直球でファール 2ストライク3球目 外角低めに大きく落ちるスライダーで三球三振。そして8番打者・天城翔が右打席に。初球、変化球を打たせ遊ゴロ。内山、素晴らしい球を駆使して浦和学院にとっての悪い流れを完全に断ち切り、続く4回表の大逆転につなげた。-------------------------------------------------------------内山拓哉(3年)。ボクが初めてこの選手を見たのは、昨夏の埼玉県大会・決勝だったように思う。増渕竜義(現・ヤクルト)を擁する鷲宮高とのカード。試合開始前のシートノック。肩にバッグをかけながら、淡々とノッカーにボールを渡す背番号「1」の選手がいた。それが内山。まっ、その試合に登板予定がないのであれば、当たり前といえば当たり前の光景かもしれない。が、その姿が妙に板についた様子に見えたので、内山の名前と背番号「1」を違和感をもってボクは記憶した。忘れられないのは5月の春季大会・準々決勝、対本庄一高戦。6回終了時点で7-1と大量リードした浦和学院、先発の鎌田に代えて内山が登板した。だが、内山に代わるのを待っていたかのように本庄一打線は、いきなり火を噴き始める。あっという間に3点を奪われ、最後は1点差で辛くも浦和学院が勝利した。森士監督は、内山を評して「慌てなければ、素晴らしい投手」と言っているらしい。言わんとするのはハートのことなんだろうか。とまれ今日の内山、とても堂々として見えた。----------------------------------------------------------------さて浦和学院、今日の準決勝は富士見高と対戦する。春季県大会の準決勝でも対戦しており、その時は富士見・太田弾投手を打ちあぐね、1-4で敗れている。その試合終了後、浦和学院のベンチでは森監督が選手全員を集めていた。そして三塁側・富士見のベンチに盛んに指さして、何やら語りかけていた。「今度、富士見とやるときは絶対に勝て!」と、発破をかけていたのかもしれない。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.27
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楽天・抑えの切り札、福盛和男(都城高)が登録抹消になった。楽天、福盛の登録抹消へ=プロ野球(時事通信)ひじ関節内に遊離軟骨が7個ほどあり、「痛みよりもしびれが強くなり、このまま投げ続けてもチームに迷惑を掛けるだけ」と福盛自身は話しているらしい。精密検査の結果次第では手術も考えるという。このニュース、夕方ネットで知った。昨日の西武戦に抑えで出場し、逆転サヨナラ負けを喫したばかり。その原因に遊離軟骨があったのかもしれない。もし今日の試合、終盤に楽天がリードしていたら誰が投げる?なんて思っていたら、小山伸一郎(三重・明野高)が1イニングをきっちりと抑えたようだ。------------------------------------------------------------福盛和男。都城高時代、甲子園出場はなかった。3年間すべて県大会決勝で敗れるという「稀有」な体験をしている。ちなみに3年生の時は、決勝で延岡学園高に敗れたが、その延岡の主軸を打っていたのが現・楽天のチームメイト、草野大輔だった。そして福盛、横浜-近鉄-楽天と3球団を移籍する。だが、たった1年間の在籍だったので、近鉄バファローズ時代の福盛の姿を、ボクはあまり憶えていない。今、福盛は「常に強気! 福盛和男の日記」というブログを開設している。家族が盛んに登場していて、とっても温かいブログになっている。クローザーという仕事は因果な商売だ。勝っている時はいいけど、逆転サヨナラなんて目に遭うと、手厳しいコメントを受けることもある。最新のブログには、こんなことが書いている(7月23日)。「(オールスターに選出されたものの、雨天コールドで出番なし)ボクは試合にすら投げられなかったし、またちょっと運のなさを感じたかなー。だけど、運命は自分自身で変えられるものだから、なんとか良い方向に変えてよいプレーをみんなに見せたいと思います」ま、イヤなことは忘れて、まずは治療に専念してくださいな、福盛さん!いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.25
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東京大学への現役合格者数がいつもトップクラスの東京・開成高。さる23日、東東京大会のベスト32を目指して修徳高と対戦した。修徳高は言わずと知れた、高橋尚成(現・読売)をはじめプロ野球選手を輩出する強豪校であり、今大会のシード校でもある。。「予想外」(失礼!)に互角な戦いに持ち込んだものの、結局は0-1で惜敗した。ボクは、日刊ゲンダイを読んで開成高の快挙を知った。開成高の監督は、東京大野球部OBの青木秀憲氏。「勉強中心の学校ゆえ練習時間には限界がある。野球は点を取るスポーツだから打撃の練習だけに集中し、あえてリトルリーグ以下の守備力には目をつぶった」という。----------------------------------------------------------------なるほど! と思った。でも、どうやって打撃練習をしていたのかは日刊ゲンダイに書いていなかった。ここまで勝ち進むには、きっといい投手とも対戦したのだろう。140km前後の速球を投げる投手もいたろうし、曲りの鋭い変化球を投げる投手もいたんじゃないか?ただ「打撃練習」といっても、具体的にどうやったんだろう。さっそく調べてみた。すると、青木監督のこんな発言が見つかった。「投球の軌道とバットの角度が正しければ、遠く飛ぶのが物理の法則。球種は気にせず、ボールの軌道とバットの当たる角度が上から見ると90度に近いところで打ち返す」(アサヒ ドット コム)そっかぁー、なんて書きながら、ホントのところボクはよく分かっていない。理論は仮にそうであっても、実際にどう練習するのか。疑問は深まるばかりだ。その疑問の一つには、東京六大学野球の万年最下位である東京大は、なぜそれを応用しないのだろう? ということもある。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.25
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「新潟中越沖地震」被災者支援へBs募金活動(スポニチ・アネックス)自身も神戸での震災を経験するオリックスの選手たち、試合前に「新潟中越沖地震」被災者への募金活動を始めた。この活動に参加した金子千尋投手、祖父母や親せきらが新潟で暮らしているそうだ。金子は、スポニチ・アネックスの記事には出ていないが、どこかの記事に「新潟出身のプロ野球選手が少ないので、自分も募金活動を頑張りたい」と語っていた。えっ、新潟出身のプロ野球選手が少ない・・・・?考えてみたが、ボクには思い浮かぶ選手が一人としていない。さっそく調べてみた→ 「熱闘の記憶と栄光の記録」たしかに少ない。が、過去の有名選手名があった。元読売・ジャイアント馬場(三条実高)、父親が44歳の時に生まれたから命名された元読売・関本四十四(糸魚川商工高)、そして、こんな名前もあった。元阪急・今井雄太郎(中越商高)。とっても懐かしい名前だ。なんといっても完全試合達成投手(史上14人目)として有名。でも、この人の場合は「無類の酒好き」だったことがもっと有名だ。あのイカツイ風貌からは想像がつかないが「ノミの心臓」と呼ばれ、一計を案じた上田利治監督(当時、阪急)は、登板前にビールを飲ませてからマウンドに送り出した。効果はテキメン、いきなり好投をするようになる。以来、登板のたびにビールをひっかけながら投球していた(らしい)。ちなみに完全試合をした時は、ウイスキーを飲んでいたという噂もある。 (参考)Wikipediaいつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.24
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世間を揺るがせた「特待生」問題。その発端とさせられた感のある専大北上高。岩手県大会を勝ち抜いてきたが、とうとう決勝戦でサヨナラ負けを喫した。ただ一言、残念だ!【岩手県大会・決勝戦】専北上 100 000 020 =3 花巻東 000 020 002 =4 (9回サヨナラ)詳しい内容はわからない。後日、スカイAで各予選の決勝戦をすべて録画中継するだろうから、ぜひ見たい。----------------------------------------------------------そもそも「特待生問題」。西武が「裏金問題」を自ら公表したことから、騒動は始まった。その公表の中身は、東京ガスの選手と早稲田大の野球部員に、西武が金銭供与をしていたこと。特に早稲田大の学生は専大北上高時代に西武球団と接触していたことや、特待生であったことが次々と明らかになる。ここから、なぜか話題は「特待生」だけが焦点となり、春季大会では出場辞退する高校が相次いだ。問題の本質は「特待生」じゃなくて、裏金を受け取ろうとする指導者やブローカーたちにあるはず。でも、そこをほじ繰り出すと困る人が多いから、誰かが意図的に問題を「特待生」だけに切り替えたんだろうか。まんまと世論も「特待生」に注目し、以降はホントの問題点に触れられることはなかった。---------------------------------------------------------------一連の騒動で、一番ワリを喰ったのは専大北上高の現役選手たちだった。少なくとも、彼らには何の恥ずべきこともない。なのに、野球部を解散させられ、しばらくは対外試合もできず、世間の冷やかな視線を浴びた。どうせなら、もっと徹底的に全国の指導者やブローカーなどの「膿み」を出せばよかった。そうであれば、専大北上の現役選手も早稲田大の野球部員も少しは救われた。なのに、専大北上だけが「人身御供」のような扱いを受け、あとは尻すぼみになってしまった。彼らは、この大会をどんな気持ちで戦ってきたのだろう。ただ相手チームと戦うだけでなく、「目には見えない何か」とも、いつも戦っていたんじゃなかろうか。それでいて、決勝まで勝ち進んだのだから立派なんだけど。でも、甲子園での姿も見たかったな・・・いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.23
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埼玉高校野球4回戦、浦和学院高-杉戸高。優勝候補筆頭の浦和学院高、杉戸高に順当勝ちした。浦和 100 111 4 =8杉戸 000 000 0 =0(7回コールド)圧巻だったのはスコア2-0、2点リードで迎えた5回。昨夏の甲子園で本塁打を放った赤坂和幸(3年)のレフトスタンドへの特大本塁打。ここ大宮県営球場は左翼フェンスまでの距離が99mある。そのスタンドの奥に、ネットが高く張り巡らされている。赤坂の打球は、ネット付近まで飛んだのは肉眼で確認できた。-------------------------------------------------------ボクは、この球場でこれまで多くのゲームを観戦している。ここで見た一番大きな本塁打は、流通経済大・神戸拓光(現・ロッテ)がライトスタンドに放った打球。この時は、最深部に張ってあるネットの上部の当たって、ポトリと落ちた。---------------------------------------------------------その昔、長嶋茂雄氏の佐倉一高時代。関東大会が行われた、ここ大宮県営球場で長嶋さんはバックスクリーンに特大本塁打を放った。そのことが中央球界から注目されるキッカケになったという。話は変わるが、岩手県大会で専大北上高が決勝進出を決めたらしい。優勝まで、あと1つだ。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.22
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埼玉高校野球4回戦、埼玉栄高-新座総合高。1回表、埼玉栄高の攻撃。1番打者・白崎浩之(2年)が打席に入る前、新座総合の投手は7球の投球練習をしていた。まるでやる気がなさそう・・・というか、相手が優勝候補の埼玉栄ゆえ弱気になっているのか・・・。いずれにせよ「この試合の勝負は見えた!」と、ボクはその時思った。昨日からこれまで計3試合を見た。だが、どれもコールドゲームで今度こそは接戦の試合を見たいと思っていた。隣接する市営球場では、川越東高-所沢商高が行われている。本当は、そちらに行きたかった。そっちのほうが接戦になりそうだったから。でも、移動するのも面倒なので埼玉栄戦を見ていた。だから、新座総合高の投手を見て、自分の判断にメチャメチャ後悔した。ところが---。プレーボールがかかった途端、新座総合高の投手は別の顔を見せた。その投手とは窪田飛翔(3年)。次から次へと直球を繰り出す。それが、また速い。百戦錬磨の埼玉栄の打者、完全に振り遅れているシーンが目立つ。隣に座ったオッサン、「こりゃ、いい試合になりそうだ」と、そうつぶやいた。新座総 000 000 000 =0埼玉栄 000 003 00×=3埼玉栄はエースの天城翔(3年)。なかなか得点をとれそうにない新座総合。負けないためには、窪田は相手に1点もやらないことが最低条件のように思えた。たまに投げる変化球を狙い撃ちされて、ピンチを招くこともあったがどうにか抑え続けていた。だが、厚い雲から夏の日差しが差し始めた6回、ついに埼玉栄打線につかまる。先頭打者の二塁打を皮切りに一死一・三塁のピンチを迎える。そこで野選、右前打、スクイズ・・・などの攻めで、あっという間に3点を奪われてしまう。でも窪田、失点したのはこの時だけだった。もう一歩で「大金星」を逃してしまった。埼玉栄打線を相手に、9イニング、118球、被安打6、失点3は立派。そもそも、あまり期待していなかった対戦カード。思わぬ熱戦の展開にボクは満足した。試合終了後、窪田は一番左端に遠慮がちに整列し、一塁スタンドに挨拶をしていた。その後、悔しがるでもなく、涙を流すわけでもなく淡々とベンチに引き揚げた。その姿は、まるでいつもの練習が終わって、「腹も減ったし、そろそろ家に帰るかぁ」てな感じに見えた。最後まで飄々とした、面白い選手だった。この投手、大学か社会人で再び見ることができるのだろうか。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.22
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2か月ぶりで見た富士見高・太田弾(3年)投手、その時よりもだいぶ大きく見えて、風格さえ漂って見えた。いい意味で、相手チームを見おろす感じがあった。大宮県営球場で行われた埼玉大会の4回戦、富士見高-秩父農工科学高。富士見 310 302 0 =9秩父農 000 000 0 =0(7回コールド)富士見高の太田。先発して6回まで投げ、秩父打線を無安打無失点に抑えた。先日の関東大会、対銚子商高戦で見た時はコースを丹念につくピッチングと書いたが、今日見てそれは違っているように思った。変則的に横から右腕が出てくるため、打者からは球が見ずらい。なおかつ、緩急をつけた配球は絶妙。打者にとっては相当に打ちずらいだろうなと、そんな印象を受けた。太田投手、今日の成績は完璧だった。6イニング、打者数18、被安打0、奪三振7、与四球1、失点0。7回も投げれば、参考記録ながらノーヒットノーランになるな!そう思って試合を見ていたが、残念ながら7回には背番号「10」をつけた内田綾祐(2年)投手が登板。野手の好守もあり、難なく1イニングを投げ抜き、ベスト16入りを決めた。 いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.21
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一年ほど前、何気なく「ゆびとま(このゆびとまれ)」に登録をしていた。ボクがはるか昔に卒業した青森県内○○小学校の欄に。ボクは小学校5年・6年だけ父親の転勤で岩手から青森の学校に転勤していた。そして小学校卒業と同時に、再び岩手の中学校に転校している。だから、小学校の同級生たちと現在ではまったく音信不通になっていた。先日、小学校時代に「親友」と呼び合っていたT君からメールがあり、「ゆびとま」でボクの名前を見かけたと連絡があった。T君、今は都内の某シンクタンクに勤務しているとのことで、さっそく今日、30数年ぶりの再会を渋谷の居酒屋で果たした。開口一番、「おまえ、野球好きだったよな、近鉄とか、巨人の黒江とか・・・」T君、そういった。そんなことを憶えていてくれて、ただ単純に嬉しかった。ボクの「野球少年」時代をT君が話してくれるのを聞きながら、少年時代の忘れかけていた記憶を思い出していた。----------------------------------------------------------------ボクの母方のおじさんに、まさに「フーテンの寅さん」のような人がいた。一応住居は東京・豊島区にあるものの、いつも全国を渡り歩いていた。いったい何をやって、どんな職業だったのかは今をもってわからないが、いつも突然に(何の前触れもなく)我が家に突然訪ねてくるのが、そのおじさんの習性だった。まだボクが岩手に住んでいた、小学1年生のお盆の頃。おじさんは毎度のとおり突然、我が家に現れた。そして、「そんなに野球が好きか。だったら、正月に来るときに巨人・長嶋と黒江のサインをもらってきてやる」。おじさんはそう約束して再び旅に出た。その頃のボクにとって、プロ野球はテレビで見るものであり、球場でナマで見るなんてことは夢のまた夢。まして選手のサインボールなんて、ありえない「奇跡」に近いことだった。ボクは、おじさんのその言葉を信じて正月を待った。でも、おじさんは現れない。翌年も、その次の年もおじさんは来なかった。そして、約束をしてから3年後の夏。ボクがその約束をすっかり忘れた頃に、おじさんはひょっこり現れた。「おい、約束を覚えているか。サインボールをもらってきたぞ」。満面の笑みで、大事そうにサインボールをボクに手渡してくれた。ボクは興奮して受け取り、そのボールをじっくりと見つめた。ん?「白 仁天」と大きく書いている。そして脇に「張本勲」「大杉勝男」。こりゃ、東映フライヤーズ(現・日本ハム)じゃないか!申し訳ないので、ボクは無理やり笑顔を作った。でも、腹の中では「チェッ!」と舌打ちをしていた。こんなサインが欲しかったんじゃないぞ、と。おじさんがいる間、そのボールは居間に偉そうに鎮座していた。でも、おじさんが再び旅に出た後、ボクはボールを粗末に扱って行方知らずになってしまった。でも。野球をまったく知らないおじさんだった。どこでどうやって手に入れたのかわからないが、そのサインボールは結構価値のあるものだったなぁ、と今は思う。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.20
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昨日行われたプロ野球・オーナー会議。今年3月に決めた「希望枠撤廃」、やっぱり考え直そうということになったらしい。あるオーナーの談話によると、会議の内容はこんな具合だった。「いえいえ、希望枠を復活させるのではありません。たとえば、大学生・社会人に入団したい球団を3つまで事前に申告してもらうとか、そういった方法も考えています・・・」いったい、これまでの希望枠制度と何が違うんだ?「西武裏金問題」が発覚して以来、これまで制度として設けていた「希望枠」への批判が起きた。プロ野球のオーナーたちは、その制度を維持したかったらしいが、世論に押される形で「希望枠撤廃」を決めたのは記憶に新しい。その時、根来泰周コミッショナーは「俗論にしたがっただけ」との迷言を残した。--------------------------------------------------------------------希望枠を撤廃しようという世論が巻き起こった理由は、「希望枠制度」が裏金の温床になっているから。選手を紹介して甘い汁を吸おうとする親、学校関係者、ブローカー。一方、選手に逆指名してもらうためなら金に糸目をつけない球団。その需給関係のバランスにより、契約金はもとより「裏金」の多寡が決まっていた。そういった問題点を十分に知りつつも、同じ過ちを犯そうというのだから、「裏金問題」はプロ野球界から永遠に消えるわけはない。別にボクは評論家ではないし、世に「道徳」を伝える伝道師でもない。だから、契約金などの上限が規定されていることが現実的でないのなら、上限を撤廃すればいいとさえ思っている。そうなれば、そもそも「裏金」なんてもの自体が存在しなくなるのだから。ボクが返す返すも残念なのは、早稲田大野球部を辞めるハメになった部員がいたこと。そして野球部を解散することになった専大北上高が、ただの見せしめに利用されてしまったということ。あれだけ世間の冷たい目にさらされ、それでいて、今となってはいったい何が問題だったのかさえ明確にならず、玉虫色の解決で幕を閉じようとしている現状---。今日の岩手県大会。その専大北上高はベスト8進出を決めた。ぜひ優勝して甲子園に行ってほしい。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.19
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春季埼玉県大会で優勝した滑川総合高が、伏兵・南稜高に3回戦で敗退する波乱があった。滑川 200 000 100 =3 南稜 200 200 00x =4 これで春季大会ベスト4のうち、春日部共栄高と滑川総合高は姿を消した。残っているのは、優勝候補筆頭の浦和学院高と、今日辛勝した富士見高の2校。いまスカイAを見ている。読売-阪神戦。阪神の4番手で登場した投手は久保田智之。この久保田、滑川総合高(旧称:滑川高)時代に捕手兼投手として甲子園に出場していた。-------------------------------------------------------一昨日は、春日部共栄高と阪神・鳥谷敬の母校である聖望学園高も敗れた。春日部共栄・本多利治監督(高知高)は試合を振り返って、こんなコメントを残した。「今年のチームは本気で全国で戦うことのできる、手ごたえのあるチームだった。ただひとつ不安だったのは、選手たちがみなマジメだったこと。まじめすぎて雰囲気に呑まれてしまったのかもしれない」。さて明日(いや、もう今日になっている)、昨年の決勝戦のカード、浦和学院高-鷲宮高の対戦がある。浦和学院に、増渕竜義(現・ヤクルト)のいない鷲宮が、どれだけ戦えるかがポイントなんだろう。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.18
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昨夜のこと、ロッテ-オリックス戦で乱闘事件が起きた。きっかけは、ロッテ・清水直行投手(報徳学園高-日本大)がオリックスの「ナントカ」という外人打者に死球を与えたことらしい。そしてローズの打席、清水がローズの内角に投げた初球。ローズは大袈裟にのけ反って、捕手の里崎に「危ない球を投げるな」とクレームをつけた。里崎は「いまのは危なくない」と応酬したところ、ローズがいきなり里崎に殴りかかった。---これが乱闘事件のあらまし。スポーツニュースで何度かそのシーンを見たけど、まったく危ない球には見えなかった。ローズよ、何をそんなにイライラしているんだ?先日の対読売戦。快打を放った後に、読売ベンチに向かって怒りのガッツポーズをしていた。「以前、まっとうな理由もなく俺との契約を打ち切ったから」と、その理由を試合後に語っていた。読売をかばうつもりはないが、当時のやりたい放題のローズを球団にとどめておくチームがあったら、そのほうがおかしい。元・近鉄バファローズのファンだったボクにとって、あなたの行為はとても見苦しい。頭にくればすぐに暴力に訴えようとする、いや、わざとケンカを吹っかけようとする態度は、どこぞの番長と一緒だ。(あっ、いまは同じチームだった・・・)-------------------------------------------------------------タフィ・ローズ。近鉄時代は、多少血の気は多かったけど、こんなんじゃなかった。中村紀洋や吉岡雄二らと一緒に夕食を食べながら「大阪、大好き!」とテレビ番組で叫んでいた近鉄時代は、たぶん心身ともに健全なころだったんだろうか。読売に行ってから、すっかり人間が変わってしまったように思う。そして、ローズの近鉄時代の数々のプレーを思い出して、ここに書こうと思ったが・・・・・・・・・・・・・・・思い浮かばない。当時、球場やテレビで何度も何度も、息子と一緒にローズを見た。小さかった息子は、いつもローズの打撃の構えをマネして遊んでいた。だから、いくつでも思い出せるはずなのに・・・思い出せない。無理やり記憶をたどろうとすると、ブライアントが頭に浮かぶ。いやいや違う・・・すると、オグリビーの顔が。そうじゃなくて・・・今度はフェイスガード付きのヘルメットを被るマニエルおじさんが・・・。なぜか、ボクにはローズのプレーの記憶が消滅してしまったようだ。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.18
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埼玉高校野球、さっそく番狂わせが起きた。優勝候補の一角、春日部共栄高が初戦であっけなく敗れた。市立川越 021 000 000 =3 春日部共 000 001 100 =2 詳しい内容がわからなかったので、地元のU局「テレビ埼玉」の「高校野球ダイジェスト」で確認しようと思った。が、このカードのVTRはなし、結果のスコアを伝えたのみ。きっと予算の都合上、この球場にはテレビカメラを持ち込めなかったのだろう。あぁ~、まるで試合内容がわからないままだ・・・。番組では、ただ一言。春日部共栄高のエース・難波剛太投手(3年)の試合後のコメントを女子アナが棒読みしていた。「情けないピッチングで、みんなに申し訳ない・・・」完投して3失点なら、投手だけの責任じゃないと思うが。春日部共栄高が予想外の敗退をする時、いつも異様な空気が球場全体に流れる。敗戦が決まった瞬間、相手校応援席のざわめき以外は、選手もスタンドの観客も「あっ!」と口を開けたまま、「時間」が止まったような空気が球場を包む。この試合、ゲームセットの瞬間にどんな空気が球場を包んだのだろう?------------------------------------------------------勝った市立川越高。ボクは予想外と書いたけど、市立川越の勝利を予想していたファンも多かった模様。昨夏の埼玉大会では、エース・木村文和(現・西武)を擁する埼玉栄高を破ったのは、この市立川越高だった。伝統もある。旧称の川越商高時代には、甲子園にも出場している(89年夏)。そしてOBには仁村薫氏(通称:仁村兄、現・中日コーチ)がいる。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.17
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序盤から中盤にかけては、さながら川越東高のセンター・森建人(3年)の「ショータイム」だった。センターを守る森の、左・右、そして後ろの難しいところに何度もフライやライナーが飛ぶ。それをいとも簡単に捕球する森。スタンドは「ほほう!」といった感嘆の声とともに、拍手が起きた。「こりゃ、センターに打ったら最後、絶対に抜けないよ」という、ネット裏から見守る観客たちの称賛のタメ息であり、拍手だった。足が速いことは間違いないのだろうけど、それだけじゃなく高い野球センスを持っているんだろうな、この選手は。------------------------------------------------------------今日の大宮県営球場、第2試合。伝統校・上尾高と私立の進学校・川越東高のカード。上尾高といえば、元・中日の仁村徹(通称:仁村弟、東洋大)を輩出するなど、埼玉県内においては屈指の伝統校として有名だ。一方の川越東高。女子ソフトの日本代表チーム・宇津木妙子監督の出身校「星野女子高(現在は星野高)」と同じ系列の高校。とはいっても川越東高、ことに野球部はこれまで強くはなかった。ところが一昨年、元ヤクルトの投手・阿井英二郎氏が監督に就任して以来、着実に力をつけてきた。今年のチーム、小柄な選手が多く打撃で目立つ選手はいなかったが、とにかく守備が固い。きっと「ディフェンス中心」のチームに育てられているんだろう。エース・有馬康文投手(2年)も、上尾打線を散発3安打に抑えた。----------------------------------------------------------------この試合、2回裏にスクイズで得点した1点を、川越東が守り切り1-0で勝利した。安打はたったの4本、ほかにチャンスらしいチャンスはなかった。勝利が決まった瞬間、川越東ナインは小躍りして優勝でもしたかのように抱き合って、上尾に勝利できたことを喜んでいた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.16
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今日、午前10時13分。ボクは高校野球・埼玉県大会が行われている県営大宮球場のスタンドにいた。突然、スタンドが大きく横にグラグラと揺れた。そして、その揺れはしばらく続いていた。日本ハムやロッテの応援席じゃあるまいし、いったい何だ、こりゃ?と思っていたが、近くの人が「地震だ!」と叫んだのを聞いて合点がいった。携帯電話から調べると、新潟沖を震源にして新潟地方に震度6の地震が襲ったという。--------------------------------------------------------その最中、埼玉の強豪・埼玉栄高が川越総合高と対戦していた。埼玉栄のエースは、身長168cmと小柄な右腕・天城翔投手(3年)。投手でありながら、スタメンの選手の中で一番小さいんじゃなかろうか。野球能力の優れた選手たちが100人以上もいる大所帯にあって、この身長で(失礼!)エースナンバー「1」を獲ったのは立派。選手名簿を見ると「新発田東中学」出身と書いている。新発田---というからには、新潟県出身の選手なんだろうか?だったら、実家は大丈夫なんだろうか?こういう時、試合中であっても監督は本人に伝えるのかな?などと、あらぬことを考えながらの試合観戦となった。埼玉栄・天城投手。変化球を操りながら、ここぞというときには球質の重そうな直球をズバッと投げる。それが面白いように決まった。といっても、せいぜい130km台後半ぐらいのスピードだったろうか。ただ打者からは、もっと速く見えたに違いない。バットがピクリとも動かなかったシーンが何度かあった。試合は埼玉栄高が7-0(8回コールド)で勝利、次にコマを進めた。これから、どんどん強力打線が天城投手に立ち向かってくる。その時、どんな投球を見せるのだろうか。ぜひ勝ち続けて「小さな大投手」という称号を手に入れてほしいものだ。---------------------------------------------------------------「小さな大投手」---。天城投手を見ていて思い出したのは、元祖「小さな大投手」と呼ばれた福島・磐城高の田村隆寿投手。身長165cmながら、甲子園であれよあれよという間に勝ち進み、決勝で神奈川・桐蔭学園高に0-1で惜敗した。実はこの1点が、田村投手の甲子園での初失点。結局、ボクを含めた東北人の悲願・深紅の優勝旗の「白河越え」がならなかった。1971年(昭和46年)の夏、いまから36年も前のことだ。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.16
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フラフラッと上がった小飛球。ショートとレフトのちょうど真ん中あたりに、ポトリと落ちそうだった。ショート・二岡智宏は、打球を横目で見ながらレフト方向に懸命に走る。そしてここが限界というところで、左手を思い切り伸ばしてグラブを差し出す。するとボールは「ほほぅ、お見事!」なんて言っているかのように、二岡のグラブにスッポリと収まった。「超」がつくほどのファインプレー!スコア1-2と1点ビハインドで迎えた広島、4回裏の攻撃だった。二死走者を二塁において、打席に入った梵英心(三次高-駒澤大)の打球だった。二岡智宏(広陵-近畿大)、危うく同点になりそうなピンチを、まさに身体をはって救った。マウンド付近で待ち受ける高橋尚成とハイタッチし、ベンチに駈けた。いつものように、わざと笑顔を封印したような、ただ口元を歪めただけの二岡らしい「笑顔」だった。二岡、近畿大時代は楽天・藤井彰人とチームメイトだった。-----------------------------------------------------------------いま、日本テレビで読売-広島戦を観戦中。解説は野村謙二郎氏(佐伯鶴城高-駒澤大)。今日の注目は、駒澤大の後輩にあたる読売・高橋尚成(修徳高-駒澤大)と広島・新井貴浩(広島工高-駒澤大)の対決だと語っていた。そうか、高橋と新井はチームメイトだったのか---。興味をもったので、wikipediaなどで調べてみた。それによると、新井にとって、高橋は一年先輩。高橋、新井を評してこんなことを言っている。「(大学時代の新井は)打てない、守れないが、意外と足はそこそこ早く、素直で先輩の受けはとても良かった」。褒めているのか、けなしているのか ---。新井、高橋と対決する時は、いつも特別な意味があると話していたことがある。そんな思い入れもあってか、7月1日に行われた同カード。新井は高橋から満塁本塁打を含む2本塁打を放って、高橋を粉砕した。-----------------------------------------------------------------そして、新井と解説・野村謙二郎氏のつながり。新井の大学時代、本塁打は2本だけで、しかも守備がヘタくそだった。でも広島に新井の指名を猛プッシュしたのは、野村氏だったらしい。ドラフトで広島が新井を指名した時には、他球団の関係者から失笑が漏れたというエピソードも残っている。ほかにもたくさんの逸話がある。だが新井、今では立派な打者に成長している!(ようだ?)------------------------------------------------------------------話は戻って、二岡。2-2の同点に追いつかれた読売。突き放すチャンスを迎えた7回裏。二死満塁で5番打者・二岡が打席に向かいかけたとき、原辰徳監督が非常の采配。二岡に代えて小関竜也(國学院栃木高)を代打に送った。二岡、「えっ?」と信じられないような表情を浮かべ、憤然としてベンチ中央に腰を下ろした。解説の野村氏や掛布雅之氏(習志野高)は「原監督の作戦の意図がわからない!」と連発していた。結局三振に終わった小関。二岡は、ベンチに戻った小関に視線を移さず、宙をにらみつけていた。と、ここでテレビ中継は終了した・・・。二岡の心中はいかに?いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.15
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「(裏金問題は)OBがやったことでも、学校として罰を受けなければならないと生徒に伝えてきた。一から出直し、新たな伝統を築きたい」対外試合などの自粛期間が明けた6月2日、専大北上高・堀田一彦監督はそう語っていた。この春、高校野球界だけでなく大きな社会問題にさえなった「特待生問題」。端を発したのは、この専大北上だった。野球部は自主的に4月16日に解散。以降は、同好会として対外試合を自粛しながら練習を続けてきた。授業料免除等の特典をつけた奨学生制度は、対象26人全員が解約になり影響が懸念されたが、部員92人は1人も離脱しなかったという。さて7月12日、岩手県大会が開幕した。専大北上高、1回戦は盛岡三高に延長10回でサヨナラ勝ち!ていうか、ちょいと危なかった、冷や汗ものの勝利ではあった。続く2回戦は今日行われた。春の県大会で8強に進出した伊保内高を相手に、7対0(7回コールド)で破り、3回戦進出を決めた。---------------------------------------------------------さまざまな問題を引き起こした「裏金問題」。なぜだか、問題の落としどころは「特待生問題」になり、何やら尻すぼみの幕引きとなったようだ。ただ、その「特待生問題」さえも、いったい何が問題だったか? 現時点では判然としない。ま、いろいろな問題があるけれど、専大北上高の現役選手には何の関係もないこと。この大会、堂々と優勝して甲子園に行ってほしい!いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.14
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昨日に引き続き、日刊ゲンダイより。早稲田大・斎藤佑樹(早稲田実)。日米大学野球を終えて帰国したが、体重がベストの時と比べて激減(?)したらしい。米国での食生活はハンバーガーなどが中心。体重が増えるならわかるが減るのはおかしい。そう日刊ゲンダイは指摘している。その理由は何か?昨夏の甲子園以来、約1年間に及ぶ監視状態。アパートから近くの店に出かけるだけで、変装をする必要があるらしい。いつでも、どこでも、誰からでも、注目され続ける斎藤。延々と続く精神的なプレッシャーが、どうやらその理由らしい。まして斎藤、毎朝モーニングコールを母親に頼むなど「マザコン」の気がある。マザコン、それは母親の期待に応えようとがんばる特性をもつ。そして、ひいては自分に期待してくれるものに対して、必死に応えようととにかく努力を続ける傾向がある。うまくいっている時はいいが、歯車が狂いはじめると、精神的に強いプレッシャーを抱えることになるらしい---。以上、日刊ゲンダイ。ま、ボクが言いたいのは、斎藤がマザコンかどうかということではない。まだ20歳前の学生が、四六時中ずっと他人に注目されることのプレッャーはいかばかりか? ということ。また、どの対戦相手も、斎藤には必死の形相で立ち向かってくる。一方、同じチームにあっても「斎藤には負けたくない」と闘志をむき出しにされるケースも多いだろう。ベンチの中、グラウンド内、キャンパス、そして生活する場所。どこにいても心が休まる場所がない。まして、斎藤へのは期待は日増しに強くなる。限界のない膨らむ一方の期待に、必死に応えようとするマジメな性格ならば、余計に心配なことではある。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.13
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ボクの地元・埼玉でも、昨日から高校野球が開幕した。今日の結果を見て驚いたのは、この試合。秩父農工科高 68-0 川本高 地方予選の1回戦、差が開くことはままあるけど、ここまで大差になるとは・・・。まるでラグビーのスコアみたいだ。日本代表とオールブラックスが戦ったら、こんな感じのスコアになるだろうか(いや、もっと開くか?)思い出すのは98年の青森県大会。深浦高が0-122で東奥義塾高に敗戦した試合のこと。----------------------------------------------------毎日愛読している日刊ゲンダイ。大好きな「松坂大輔物語」が今日で78回目となり、そろそろクライマックスに近づいてきたようだ。松坂大輔(横浜高、現・レッドソックス)のような投手が、再び現れるだろうか?そんな疑問を、高校時代の恩師である渡辺元智監督や小倉清一郎部長をはじめ、シニア時代の監督、早くから松坂に注目をしていたプロ野球・スカウトたちに聞き、拾った声を記事にまとめていた。野球アタマの良さ、メンタルの強さ、身体の強さ・柔らかさ。それはずば抜けた才能といえる。そして横浜高という、野球をやるには最適の高校で経験を積んだ幸運も重なった。だから、今後は二度と松坂並みの選手は現れないのでは?ほぼ全員がそう答えていた。-------------------------------------------------------------そんな記事を読んでいて思い出したことがある。だいぶ以前の、やはり「松坂大輔物語」に書かれていたこと。松坂、高校1年の夏。甲子園には行ったが、スタンドで応援するメンバーの一人に過ぎなかった。横浜高の伝統として、ベンチ入りこそ適わなくとも「有力」と判断された1年生選手は甲子園には来ない。学校に残って練習するのが当たり前だそうだ。本来なら、松坂も「学校居残り組」になる有力選手のはずだった。が、小倉部長はいまのうち松坂に甲子園を見せたいという、特別の計らいで、松坂は甲子園のスタンドに来ることになった。ただ松坂、小倉部長の思惑などまったく知らない。でも「学校居残り組」にならなかったことにスネるわけでもなかった。天真爛漫・・・?スタンドで応援していた松坂。いつもの屈託のない笑顔で、隣にいる男に突然に声をかけた。「3年生になったら、一緒にここ(甲子園)で優勝しような!」と当たり前のように呟やき、再びグラウンドに目をやったという。いきなり声をかけられ、「そんな大それたことを、なぜ平気で言うのだ?」平然とグラウンドを見つめる松坂を見て、男は不思議に思ったという。その男とは、現・中日の小山良男(横浜高-亜細亜大)のこと。実際にこの2人はバッテリーを組み、2年後の98年春と夏の甲子園を制することになる。どデカイことを平気でいい、実現してしまうことも「才能」というのなら、松坂はこの才も持ち合わせていたといえる。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.12
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最近、中国や韓国のニュースをネットで見ることがマイ・ブーム(ちょっと古い言葉だけど)。今日見た、韓国の中央日報。■マリナーズのイチローが、メジャーのオールスターMVPに輝いた。 日本では「日本人初」と書いている。が、中央日報では当たり前だけど 「東洋人初」と記してた。■タイトル:北赤十字「有効期限過ぎた薬でもいいから送ってくれ」 北朝鮮赤十字会が「有効期限が6カ月~1年ほど過ぎた医薬品でも いいから送ってくれ」と韓国側に対し打診していたことが明らかになった。 「有効期限が過ぎた医薬品を使って生じた問題は、北側がすべて責任を負う」 といった言葉が添えられていた。 「北朝鮮にたくさん入ってくる中国の薬は我々の体質にあまり合わない上、 偽物が多くて困っている」「韓国で製造した医薬品なら我々にとってとても 貴重な薬品」だと強調しているという。 →なぜ中国の薬が合わないのかわからない。が、韓国側はいくらなんでも 有効期限を過ぎた医薬品は送れない、と拒否する構えらしい。■公務員労組の情けない要求 中央日報、社説は怒りに満ちていた。 公務員労組は、政府に対して次のような要求をしている。 「休みを増やしてくれ」「公務員年金を改革するな」「定年を延ばしてくれ」。 そして、競争は疲れるから「成果給を廃止しろ」など。 まだまだある。 「無利子で借家資金を貸してくれ」 「55歳以上には“元老手当”を支給せよ」 「退職予定者に慰労観光費用500万ウォンをくれ」 「賃金を10%以上引き上げろ」 「90日の出産休暇を180日に増やして、男性公務員にも30日の産休を認めよ」 「同僚職員が産休・長期教育に入るとき、業務代行手当(月10万ウォン)」 「健康手当(10万ウォン)、危険手当(8万ウォン)、大都市勤労者生計手当 (5万ウォン)を新設せよ」 「本人と子供の大学の授業料を支援しろ」 「大学教授のように10年以上勤めたら1年間留年休暇をくれ」 など、なんと362項目もあるらしい。 社説では、 「生きるのに必死な民間に比べ、公務員は別天地で遊ぶ身の上だ」。 「国民が納める税金の使い方は、政府もちゃんと考えるべき」 と指摘している。 →これは他人事ではないのかも。 日本国内でも、社会保険庁(早期退職)OBの多くが厚生労働省傘下の団体 などに天下りしていた実態が明らかになった。 役人天国、両国ともひょっとしたら、あまり違わないのかもしれない。 ただ、日本の場合は明らかになっていないことが多いだけで・・・。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.11
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昨日幕を閉じた日米大学野球。救援で連日マウンドに上がって好投しても、残念ながら日本国内では、あまり注目されることのない投手がいた。國学院大・村松伸哉(1年、光星学院高)がその人。逆にいつも注目されるのが早稲田大・斎藤佑樹(1年、早稲田実)。勝っても負けても、投げても投げなくても、その一挙手一投足をマスコミが追い、日本に伝えられる。斎藤と同じ1年生の村松。彼も東都大学・春季リーグの開幕戦に登板し、初勝利を挙げた実績をもつ。東都において、これは21年ぶりの快挙だという。そして、結局リーグ戦では3勝を挙げ、日本代表に選出された。大学に入ってからの実績は、まったく斎藤に引けをとらない。だからといって、決して現状を憂いているわけではないだろうが、「あいつには絶対に負けたくない」と、村松は斎藤に強烈なライバル心を抱いている。-----------------------------------------------------------村松伸哉。先日のブログにも書いたが、光星学院高時代は背番号「10」をつけた二番手投手に過ぎなかった。だが、昨年冬。雪の中を長靴をはいて、連日10~20kmの走り込みを敢行し、下半身を徹底的に鍛えた。雑誌『野球小僧』(白夜書房)で連載企画をもっている「流しのブルペンキャッチャー」こと安部昌彦氏は、村松と斎藤を比較して、こう分析する。「斎藤はスライダーなど変化球を主体にボールゾーンで勝負するのに対し、村松は直球の角度とキレがあるため、ストライクゾーンで勝負ができる」。 (日刊ゲンダイ)------------------------------------------------------------メジャーのあるスカウトは、斎藤に不足するものとして「直球にパワーがない」と指摘していたが、その斎藤にないものを村松は備えているということもできる。ま、マスコミの注目度はどうであれ、村松はMVPを獲得した。「見る人は見ていた」ということなんだろう。秋のシーズンには、ぜひ國学院大の村松伸哉を観てみたい!いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.10
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「取材陣150人 アメリカ人を驚かせた、『ハンカチーフプリンス』の怪しい報道合戦」(週刊新潮)電車内の中吊りで目についた。が、雑誌は買っていない・・・。 詳しい内容は分からないけれど、日本から150人もの取材陣が押しかけたことと、斎藤佑樹(早稲田実-早稲田大)が「ハンカチーフプリンス」というニックネームをつけられたことはわかった。ていうか「ハンカチ王子」そのまんまだ!?----------------------------------------------------------外角ギリギリを狙って投げた直球がわずかに外れ、連続の押し出し四球となった。その瞬間、斎藤佑樹はイラ立ちを隠さなかった。元々は感情が表に出やすいタイプだったと、本人がかつて話していたように、悔しさに満ちたイラ立ちが斎藤の表情に見て取れた。日米大学野球第5戦(最終戦)。すでに昨日、米国開催の大会では初めての優勝を決めていた。第3戦に先発して勝利投手となった斎藤、この第5戦は7回に5番手投手として登板した。だが、たった2/3イニングを投げただけで、5点を失って敗戦投手となった。この時点で、斎藤の不敗神話は30戦目で途切れた。「力んでしまった。不敗神話と言われ、その気になっていた。もう少し謙虚にならないと」。そして「やはり直球にキレと質を上げたい」と、本人は語っていた。------------------------------------------------------------さて、72年に始まったこの日米大学野球大会。今回は36回目を数えます。今大会、日本は米国開催の大会において初優勝をしたのですが、初めて米国開催された73年の第2回大会(第1回は日本開催)。日本代表にどんな選手がいたか、わかりますか?捕手:楠城徹氏(早稲田大、現・楽天スカウト)内野手:中畑清氏(駒澤大、元・読売) 佐野仙好氏(中央大、現・阪神スカウト) 山下大輔氏(慶應義塾大、現・楽天編成本部長)そして、投手には、田尾安志氏(同志社大、元・楽天監督)がいました。※調べてみると、田尾さんは大学時代、エースで4番打者。登板しないときは、外野を守っていたらしいです、ハイ。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.09
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先ほど書いた斎藤佑樹(早稲田実-早稲田大)、日米大学野球の第3戦で先発し、勝利投手となったことを書くのを忘れていた米国では、「松坂大輔に続く日本のヒーロー登場」と伝えるメディアもあったらしい。(ほほう!)松坂と聞いて、数日前に読んだ日刊ゲンダイの記事を思い出した。-----------------------------------------------------------松坂大輔。横浜高3年のとき、甲子園で春夏連覇をし、あとはドラフトで指名を待つ身となっていた。本人の希望は「横浜」ということで世間には伝わっていた。だが、その頃になって急に松坂指名を決めたのは西武。堤義明オーナー(当時)のツルの一声だった。夏の甲子園を見て、堤氏は松坂に一目惚れしたのが真相らしい。ただ、西武のスカウトたちは近畿大・宇高伸次(PL学園高)の1位指名をすでに決めており、慌てたのは当時スカウト部長だった楠城徹氏(現・楽天スカウト)ら。すぐに松坂1位指名に路線を変更した。-----------------------------------------------------------あおりを喰ったのは宇高伸次(元・近鉄)。結局、その98年のドラフトで近鉄バファローズからドラフト1位指名を受け、近鉄に入団することになる。2位指名は、現在楽天で活躍する藤井彰人(近畿大付高-近畿大)。宇高と藤井は近畿大でバッテリーを組んでいた。そのコンビが揃って近鉄に入団することになった。当時、いろいろな噂があったらしい。近鉄の監督は佐々木恭介氏で、たまたま近畿大とのパイプが強かった。その流れで、宇高獲得の条件として近畿大から出されたのは、「セットで藤井を受け入れること」。それを、近鉄は快諾したということ等々・・・。真偽はわからない。ただ、そんな話が過去にあったことを思い出した。松坂に自分の将来を振り回された格好の宇高。そして、その宇高に引きずられたと噂のあった藤井。だが、宇高は実質的な現役生活をたったの3年で終えた(2勝2敗)。一方の藤井は、楽天に移籍して一層その存在感を高める途上にある。人生、何が起きるかわからないもんだ。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.07
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斎藤佑樹(早稲田実-早稲田大)への冷静な評価を初めて聞けたような気がする。高評価と厳しい意見が混在 米スカウトが見た斎藤(スポーツナビ、共同通信)いま開催されている日米大学野球。おもに米国チームの選手を視察するために球場を訪れた、メジャー球団のスカウトたち。日本からやってきた報道陣から、斎藤のことを執拗に聞かれたのだろう。毎度聞くような高評価もあったようだけど、マリナーズ・ハイド環太平洋スカウト部長のコメントは鮮烈だった。「日本の野球界がヒーローを求めているから、斎藤にはかわいそうなところもある。ベストの投球はしたが、魅力は感じない。高校のころと変わっていない。きょうの投球は直球を使わず、変化球で攻めた捕手の力だ」その根拠にあるのは、どうやら直球にパワーがないということらしい。なるほど! 冷静に見ればそういった評価もあるのかと。斎藤佑樹、耳に優しい言葉を連ねた報道が多い。だから、本当にいいことばかりなのか? と疑心暗鬼になっていたが、そんなときに見た客観的な報道だった。-------------------------------------------------------他にも、スポーツに関して客観的な報道が少ないように思う。それは・・・、とっくに引退したものかと思っていた清原某のこと。まだオリックスに在籍していたことを、先日の記者会見で知った。報道は、その清原の言葉をただタレ流していた。擁護記事ばっかりかよ?内容はどうでもいいけど、清原、この人は何かあるとすぐに息子を話題に出す癖がある。以前もそんなことがあった。なにやら姑息な取引の道具にしているようにしか見えない。それが一番イヤだ。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.07
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サヨナラ勝ちを決めた楽天イーグルス。まだ勝利の余韻が冷めやらぬベンチ裏、野村克也監督へのインタビューがあった。そこで意外な発言が野村さんから飛び出した。「主審が、今度抗議したら退場ですよ、というんだ。だから、どうぞと言ったんだ。その代わりぶん殴ってやるぞと言ってやった」。自慢げに語る野村さん。そのやり取りは、こういった場面で起きた。試合中、野村監督は主審の判定が納得できず、主審の側に歩み寄った。そしてバットのグリップを(意図的に?)主審の顔に向けながら、強い口調で抗議を続けていた。その時の主審と野村さんのやりとりを自らが明かしたのだ。なぜ自慢げにこんなことを言うのだろう?ボクはそう疑問に思った。日本のプロ野球界、審判の地位がとても低い。地位もお金も名誉もある野村さんから見たら、審判なんて取るに足らない存在なのかもしれない。でも、そういった暴言を吐くこと。そして、そのことを自慢げに話すこと。どちらも異常な行動に思える。著書『野村ノート』が学校教科書に採用されることが、つい先日報道された。日頃から「社会人としての礼儀」とか「アタマで考えることが必要」などと、立派な発言を繰り返している。でも、本当に賢い人なら、そんなバカなことは言わない!と思うが・・・いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.05
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打った瞬間、楽天のサヨナラ勝ちがわかった。スコア3-3の同点で迎えた延長10回、一死満塁の好機だった。打席に立った高須洋介(金沢高-青山学院大)は、素直に「おいしい場面だ!」と、そう思ってバットを構えた。今季無傷(22S)の馬原孝浩(熊本市立高-九州共立大)が投げた2球目のスライダー(フォーク?)。いつものように無理のないスイングをした高須の打球はライナーでセンターに飛び、その手前でポトリと落ちた。「必殺仕事人」の異名をとる高須、ボクは高須が打席に立った時点で「たぶん、ここで決まるんだろうな」と思って見ていた。というか、多くの人がそう思ったんじゃないだろうか。それだけ最近の高須には安定感がある。そして、もう一人のヒーローは藤井彰人(近畿大付高-近畿大)。同じ回、無死一・二塁の場面で登場。プレッシャーのかかる場面で、難なく三塁線に送りバントを決めた。これが、高須のサヨナラ打の呼び水となった。藤井、ベンチに戻るときは口を「へ」の字に結んで、喜びを抑えていた。が、ベンチに到着するのが先か満面の笑顔となって、チームメイトたちとハイタッチを繰り返した。直後に胸を撫で下ろすポーズをしていた。藤井の気持ち、わかりやすい。この好機にバントを失敗したら、野村克也監督に何を言われるかわからないのだから。さて、高須のことに話は戻る。高須洋介。金沢高時代、93年春と夏の計2回にわたり甲子園に出場している。春のセンバツ、関西高に1-2で初戦敗退。そして夏も、初戦で甲府工高に2-4で敗れた。その時の甲府工のエースは、現在楽天のチームメイトでもある山村宏樹だった。ちなみに、この夏の大会。藤井彰人も2年生ながら近畿大付高の一塁手兼捕手として甲子園に出場している。だが、こちらも一回戦で常総学院高に1-4で敗れた。常総には、現・日本ハムの金子誠がいた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.05
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昨日の続き。2001年9月26日、近鉄バファローズが球団最後の優勝を決めた。北川博敏(大宮東高-日本大)が代打・逆転・サヨナラ・満塁・本塁打を放ち、優勝を決めたことで有名な試合だ。その一打が飛び出したのは対オリックス戦。スコア2-5のビハインドで迎えた9回表だった。この回、先頭打者として打席に入ったのは6番・吉岡雄二(帝京高)。相手投手・大久保勝信(日高高-立命館大)の2球目を叩き、レフトに目の覚めるようなライナーの安打を打ち、近鉄逆転の突破口を作った。あの打球、吉岡らしい鋭い打球だった。--------------------------------------------------------------帝京高時代、89年の春と夏の計2回、甲子園に出場している。いずれもエースで4番打者としての出場だった。春は報徳学園高に初戦敗退したものの、再挑戦の夏は全国制覇を果たす。決勝ではエース・大越基(早稲田大中退)を擁する仙台育英高を、延長の末に2-0で破り優勝を決めた。吉岡、この大会の成績がスゴイ。全5試合に登板しすべて完投、その内3試合は完封している。そして防御率は驚異の0.22。一方の打撃ではこの大会で3本の本塁打も打った。結果として、仙台育英が優勝して優勝旗の「白河越え」を期待した東北の希望を打ち砕いた、その張本人ということができる。が、その吉岡がいま、仙台に本拠を置く楽天に籍を置いているのも奇妙な縁ではある。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.04
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吉岡雄二が今日、今季一軍初登録で即出場を果たした。7番・ファーストでスタメンに名を連ね、一、二打席目は凡退したものの、同点に追いついた7回裏。なおも三塁に走者を置いてホークス・新垣渚投手の直球を、右前に弾き返す適時打を放った。やったね久々に登場しての活躍だから、吉岡の表情に笑みがこぼれたのかな。いや、ド派手なガッツポーズでも見せただろうか。テレビでは見ていないけど、答えは決まっている。否! だ。吉岡に限ってそんなことがあるはずがない。いつもうつむき加減にして、ほとんど笑顔やパフォーマンスのない男、それが吉岡。帝京高から89年、ドラフト3位で読売に入団した(1位は大森剛)。当初は、高校時代から引き続き「投手」だった。が、3年目のシーズン長嶋茂雄氏が監督就任と同時に内野手に転向した。だが、長嶋一茂との三塁手争いは、どうにも吉岡にとって「分」が悪いように見えた。そして97年、石毛博史(市立銚子高)とともに、近鉄・石井浩郎(秋田高-早稲田大)との2対1のトレードで近鉄に移籍した。吉岡、近鉄に移籍してからは大車輪の働きを見せ、リーグ優勝した01年には主に6番打者として活躍した。ボクは、近鉄時代の吉岡をよく見た。最もよく憶えているプレーは、試合前のフリーバッティング。(ん?)とにかくほぼすべての打球が、レフトスタンドに飛び込んだ。当時、まだ小さかった息子を連れて、東京ドームや西武球場のレフトスタンドに足を運んでいた。でも、吉岡のフリーバッティング時だけ、息子の身が危ないのでレフトスタンドの最も高い場所に移動して、吉岡の打撃を見守っていた。大きな打球が目の前に飛び込んできては、椅子を直撃して「ゴン! ゴン!」と鋭い音を立てていた。※長くなったので、続き(おもに高校時代)は次回のブログに・・・いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.03
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昨日ブログに書いた坂克彦(常総学院高)の追加。まず補足しなければいけないのは、横浜戦で放った初安打は初本塁打だったということ。そして。以降は、日刊ゲンダイより。常総学院高3年の時、甲子園で優勝した実績や本人の優れた野球センスもあって、卓越した野球理論を彼なりに持っている。それは、指導者にとっては疎ましく思えることもある(かもしれない)。そもそもは近鉄に入団した(近鉄最後のドラフト選手だった)が、翌年に合併するオリックス球団にはプロテクトされずに楽天へ。田尾安志監督(当時)と出会うが、坂は田尾さんの指導に不満を持ってむくれたこともある。左打者の坂、イチローのように前(右)足に重心をかける打撃だった。が、田尾さんの指導は後(左)足に重心を置くことであり、坂はそれに従おうとはしなかった。(↑先日書いた山崎武司とは真逆の話だ)。昨年、野村克也監督に代わったものの、「盆踊りみたいや!」と、坂の打撃を揶揄された。でも、それでも自分のフォームにこだわって、指導者の話に耳を貸さなかった。立派と言えば立派、ただの偏屈といえばただの偏屈男ではある。それが祟ったのか、昨シーズンの途中に阪神に移籍することになる。だが、何が幸いするかわからない。岡田彰布監督の目に止まり、昨日めでたく初安打・初本塁打・初打点の「初」づくしを経験することになる。どうやら信奉するのは金本知憲(広陵高-東北福祉大)らしく、トップでタメを作って、軸を回転させて打つフォームに今では変更しているらしい・・・。--------------------------------------------------------坂克彦。常総学院高時代、1年の夏から合計3回も甲子園を経験している。全国制覇したのは03年夏。決勝の相手は、現・日本ハムのエースダルビッシュ・有を擁する東北高だった。坂がダルビッシュから放つ安打は、ことごとく逆転や追加点に結びつき、勝利(=優勝)に大きく貢献した。極論すれば、東北出身のボクがいつも期待する、深紅の優勝旗の白河関越えを阻止したA級戦犯といえるかもしれない。そういえば、楽天には仙台育英高から優勝を奪った吉岡雄二(帝京高)もいる。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.02
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「いまの世の中、勝ち組とか負け組とか言うじゃないですか。たとえいまは負けていても、譲ってあげているんだと思えばいいじゃないですか。いつかは自分が! と思っていれば」。「結果じゃなくて、プロセスが大切だと僕は思っているんです」。帰宅して偶然に見たTBS系「NEWS23」。パイレーツに入団が決まり、米国に渡って現在までの桑田真澄(PL学園高)をドキュメンタリータッチで制作していた。本人の言葉を借りれば、「日本では、これまでマスコミなどに散々叩かれた」桑田。叩かれても叩かれても、現役投手を全うしようと努力をしてきた(ようだ)。そして今度は、以前から夢を見てきたメジャーへの挑戦。もう一歩でメジャー昇格が叶う試合で、審判と接触しての大ケガ。スタンドには、はるばる日本から応援に駆け付けた奥さんと2人の息子さんが観戦していた。家族の目の前で起こった悲劇。再起が困難かもしれないと思われるケガを負って、「僕は、いったい何のために米国までやってきたんだ?」と自問自答した。が、再びリセット状態から這い上がって、ついにメジャーのマウンドに立った。「プロセス(努力すること)が大切」を口癖にする彼の真骨頂ともいえる。この桑田、座右の銘にしているのは、恩師である故・藤田元司氏の言葉。「野球を簡単に辞めることをことを考えるな。野球が好きならとことん喰らいついていけ」。--------------------------------------------------------------はっきり言って、ボクはこれまで桑田に興味を持ったことはなかった。バブルの頃には「登板日漏えい」を疑われる事件が起きたり、活発な不動産投資で「投げる不動産屋」との異名をとったこともある。結果、多額の借金をこしらえたが、読売グループが桑田の財布を預かることを条件に借金の肩代わりをしたこともある。そんな最中に「メジャー挑戦」を直訴した桑田に、「ならば、肩代わりした借金を一括で(読売に)返済しろ!」とナベツネさんが恫喝したという報道もあった。そんなこんなで、ボクは桑田という男をどうにも好きになれなかった。今回のメジャーも、本当の目的はなんだろう?なんて勘ぐったりもしたが・・・。-------------------------------------------------------------------番組の最後、メジャー初登板の翌日、単身赴任を続ける桑田のもとに、日本で野球をしている長男から一個のボールが届く。それは、中学3年になる長男が初めて打ったホームランボール。早くホームランを打ったことを父親に知らせたかったのだろう。そのボールに、長男の想いが見て取れた。大事そうにボールを両手で触れる桑田。その目に涙が溢れているのを見て、ボクも少しだけホロッとした。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.02
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横浜スタジアムで行われた横浜 - 阪神戦。高校生時代の同級生対決があった。東福岡高時代にチームメイトだった吉村裕基(東福岡高)と上園啓史(東福岡高-武蔵大)。今日の試合では2度対戦した。1打席目は一ゴロで、投手の上園啓史が勝ち。2打席目は打者・吉村裕基が本塁打を放ち、吉村の勝ち。試合は、阪神先発の上園が5回で降板したものの勝利し、上園は2勝目(0敗)を挙げた。この2人、01年のセンバツに一緒に出場している。吉村は2年生ながら4番を打ち、背番号「3」をつけ一塁を守っていた。一方の上園、背番号「11」をつけた控え投手だったようだ。準々決勝まで進出したが、常総学院高に2-4で敗退した。最近の東福岡高。ラグビーだけでなく、多くのプロ野球選手を輩出して元気がいい。前述の2人以外にも、横浜・村田修一(日本大)、日本ハム・田中賢介らもいる。------------------------------------------------------この試合、元・楽天の坂克彦(常総学院高)がプロ入り後、一軍で初安打を記録した。イースタンの試合で初めて見て以来、坂克彦を高いセンスをもった野球選手として憶えている。初めてのお立ち台では、「これを機会に、ボクの名前を覚えてください」と叫んでいた。吉村や上園が甲子園で敗れたとき、その相手となった常総学院のベンチに坂はいなかった。翌年の甲子園から、坂はスタメンに名を連ねている。当時のチームメイトに現・楽天の横川史学(常総学院高-青山学院大)がいた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.01
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今日午後13時16分に達成しました。日記件数:911件目、開設:834日目です。05年3月20日、ただの思いつきで始めたのですが、なぜか2年以上も続き、20万件を達成することができました。大概のことが「3日坊主」で終わる性質なので、これだけ長く続けることができたのは、いつもコメントを寄せてくださる皆さんのお蔭によるものです。皆さん、どうもありがとうございます!これからもボチボチ続けていきますので、今後ともよろしくお願いします。
2007.07.01
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「善戦むなし、打線は好調? 本塁打は偶発的なもの。いい点の取り方じゃない」(朝日新聞)楽天・野村克也監督。昨日行われた西武との試合に敗戦後、こんなことを言って嘆いてみせた。楽天-西武の9回戦。スコア2-4の2点ビハインドで迎えた9回表。走者を一塁に置いて草野大輔(延岡学園高)がライトスタンドに2点本塁打を放ち、4-4の同点に追いつく。だが、それもつかの間。その裏、西武は走者を一人置いて、代打・高山久(九州学院高)が初球のチェンジアップを叩き、いきなりサヨナラ本塁打を放ち、試合をあっという間に決めた。楽天の投手は渡邉恒樹(相洋高-東農大)。5番手としてたった今、マウンドにあがったばかり。投げた初球で、いきなりサヨナラ本塁打を被弾した。この日の楽天、得点はすべて本塁打。野村監督の言う「偶発的な」得点に過ぎず、理詰めによる必然的な得点はなかった。ならば、西武のサヨナラ本塁打も勝利も、野村さんの伝でいくと「偶発的」に過ぎなかったのかもしれない。高山久。強肩・強打・俊足の選手。同じ熊本県出身の秋山幸二(現・ホークス二軍監督)に準え「秋山2世」と呼ばれたこともあるが、今はまだ「未完の大器」の印象を拭えない。高校時代、98年と99年のいずれも夏、甲子園に出場している。2年生の時から4番を打ち、通算43本塁打を放つなど早くからプロに注目された選手。だが、戦績はいずれも一回戦負け。甲子園で期待された本塁打が飛び出すことはなかった。一学年違うが、チームメイトに現・ホークスの吉本亮がいた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.01
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