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■テレビを点けると、県岐阜商高と大阪桐蔭高のゲームはすでに9回裏を迎えていた。1点差を追う大阪桐蔭、最後の攻撃。(3回戦、3月30日第3試合)県岐阜商 041 000 000 =5大阪桐蔭 201 010 000 =4■テレビカメラは、打席に入る打者ひとりひとりに声をかける大阪桐蔭・森友哉主将を追っていた。森は主将兼捕手、さらに中軸を打つチームの中心選手だが、昨日の練習中に足を負傷。そのため今日のゲームは欠場し、懸命にベンチからナインに声をかけていたのだ。だが森の声援も空しく、打線は県岐阜商・藤田凌司に抑えられ、あっという間に2アウト。「3大会連続Vを狙う大阪桐蔭の命運尽きたか・・・」と思ったが、そこから安打とエラーで2者が連続出塁して意地を見せる。そして 次打者、4番の福森大翔が初球を叩くと、打球は二遊間をゴロで抜けセンターへ。「あっ、同点か!?」と思った次の瞬間、あらかじめ前に守っていたセンター・青木翔哉は本塁へ好返球。神山琢郎捕手は余裕をもって、本塁を狙う大阪桐蔭・峯本匠にタッチしたが、峯本は猛然と体当たりし、その勢いに押され、神山のミットからボールがこぼれ落ちた。一瞬の間を置いて、主審がアウト(守備妨害)を宣告。ゲームセットになったものの、直後に神山がグラウンドに倒れこんだ。走者の体当たりで倒れ、動けなくなった捕手の姿を、ボクは半年前にも見たことがある。そう、その捕手こそが、今日のゲームでベンチから懸命に声援を送っていた森友哉だった。■2012年9月7日、18U世界野球の対米国戦。日本 002 102 000 = 5米国 000 211 42X =107回裏、米国選手の異常とも思えるラフプレーが三度繰り返された。ひとつは三塁手・田村龍弘(当時、光星学院高3年、現・ロッテ)への体当たり。残る2つはいずれも森友哉(当時2年)への体当たりだった。いや、体当たりなんて生易しいものではない。ヒジを森の顔面めがけてぶつけてきたのだから、間違いなく反則技である。森はそのたびグラウンドに突っ伏し、痛みを堪え気合いで立ち上がった。その後は三塁走者がいる場面で内野にゴロが飛んでも、内野手はだれも本塁に送球せず、三塁走者の生還を許した。なぜなら捕手に送球すれば、走者はまた森を潰しにかかることは明明白白だったから、それを回避しようとしたのである。この時の森の痛々しさと言ったら・・・。このシーンを見て、ボクは森友哉の名前をはっきりと覚えたし、「森友哉=捕手への体当たりの被害者」と記憶してしまった。そんなものだから今日のゲームで、森の目の前で、同じようなプレーが起きたことがとても不思議に思えた。さて今日のゲームに話を戻すと、峯本の体当たりはラフプレーとは思わない。悪意があったものでもない。ただ主審が守備妨害と判定としたことは的確なジャッジだったと思う。森は何食わぬ表情で、倒れこんだ神山捕手を見ていたが、半年前の自分の経験を思い出していただだろうか。だとすれば、いったい何を考えていたのだろうか? 一足先に世界の野球を経験した先輩として「このくらいで倒れてちゃ、世界では通用しないよ」ぐらいのことは考えていたのかもしれない。■蛇足になるが、世界野球の対米国戦の主な日本メンバーを書き留めておきたい。ピッチャー=現・阪神の藤浪晋太郎(当時、大阪桐蔭高3年)レフト=現・日本ハムの大谷翔平(当時、花巻東高3年)ライト=現・東洋大1年の笹川晃平(当時、浦和学院高3年)ショート=現・阪神の北條史也(当時、光星学院高3年)ファースト=現・法政大1年の金子凌也(当時、日大三高3年)大谷は米国選手のラフプレーを間近で見ていた。カメラが一瞬、大谷を捉えていたが、彼は呆然とした表情でカバーに入った場所に、そのまま立ち尽くしていた。「まんずまんず、これが野球だが? おっかねぇ(怖い)もんだ。冗談じゃねぇべ。岩手でそんなことやったら怒られるんだぁ。アメリカの野球なんか見たくもねぇ」と思っているに違いないとボクは信じ込んでいた。だが、その直後にメジャー挑戦を表明したものだから、ボクは驚いてぶっ倒れそうになったことを思い出した。今日も1クリックお願いします
2013.03.30
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(前回の続き)■昨日(3月23日)、富士大と法政大のオープン戦を5回まで観戦した(於:法政大G)。富士大 000 23法政大 000 00(富)吉田、(法)浅野盛岡大附高が甲子園10度目の挑戦にして初勝利を挙げた日、同じ岩手の富士大打線は法政大を相手に爆発した。5回までに9安打して得点5。投げては背番号21の右腕・吉田将太(2年、鵡川高)が長身(186cm)を生かした投球で法政大打線を完璧に抑え込んだ。ボクが注目したのは主将で3番の山川穂高(4年、中部商高)。175cm、90kg。上背はないものの、がっちりした体躯はスラッガーの風格が漂う。それでいて確実性の高い打撃でセンター、そして左中間に安打を放つなど魅力的な選手に見えた。■花巻東高が台頭するまで、岩手の野球は全国レベルに程遠かった。甲子園では0-10で相手にリードを許し最終回に1点でも返そうものなら、実況アナは「さすがに東北の粘り!」とか言って、慰めてくれたものだった。甲子園の抽選会でも同じ。岩手勢と対戦が決まった相手は大喜びするのが定番だった。花巻東の佐々木洋監督も初出場の時、抽選会場で相手校が喜びに沸く姿を目の当りにした経験をもつ。その時の悔しさがいまの活躍につながったと後日述懐している。地元中学生だけを集めた花巻東、関東等から多く選手を集めた盛岡大附高、沖縄をはじめ全国から選手を集めた富士大。違いはあれどすべて同じ岩手勢。アテルイ伝とあわせ、ぜひ「岩手旋風」を巻き起こしてほしい。■(話を戻す)一方の法政大はまったく元気がなかった。金光興二監督を中心とした現場組と五明公男会長を中心としたOB会(副会長は山本浩二WBC「日本代表」監督)の諍いが暗い影を落としているのかわからないが、投げてもダメ、守ってもダメ、そして打ってもダメ。この試合に出た選手でいえば、大城戸匠理(4年、寒川高)、河合完治(4年、中京大中京高)、そして4番に入った高木智大(4年、福岡大大濠高)あたりには奮起してほしい。また投手では、左腕・浅野文哉(2年、中京大中京高)がボロボロ。ひょっとしてWBCの公式球? と見間違えるほど、球が指にかからずよく滑った。当然制球がままならず、甘く入った球を痛打された。■富士大vs法政大といえば、2009年大学野球選手権・決勝を思い出す。富士大が先制したものの、終盤に法政大が追いつき、そして最終回に大八木誠也がバスターを決めて富士大を突き放す感動的な試合だった。(2009年6月14日)法政大 000 000 014 =5富士大 000 010 000 =1この時の選手で思い出すのは、法政大の大八木(現・王子製紙)をはじめ、主将の石川修平(現・JR東日本)、先発した三上朋也(現・JX-ENEOS)など。そして最後を締めくくったエース・二神一人は現在、阪神にいる。また富士大の先発投手だった守安玲緒は現在三菱重工神戸、捕手だったジエゴ・エンヒケ・フランサは新日鉄住金かずさマジックでプレーしており、先頃開催されたWBCではブラジル代表選手として出場した。今日も1クリックお願いします
2013.03.24
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■昨日センバツが開幕し、今日の第3試合は盛岡大附高が安田学園高(東京)と対戦した。安田学園 000 200 001 =3盛岡大附 000 200 011X =4追いつ追われつの好ゲーム、試合が決まったのは9回裏だった。一死一・三塁のチャンスに、2番・吉田嵐が三遊間にゴロの打球を放つと、ショートがこれをファンブル。その間に三塁走者が生還し、盛岡大附高がサヨナラ勝ちした。解説の大矢正哉さんも言っていたが、「流れ」が変わったのは4回裏だった。二死二・三塁の場面で、8番・豊田祥之が一塁ベンチ前にファールフライを打ち上げた。なんでもないイージーフライに見えたが、一塁手が打球を見失って捕球できず。直後に豊田がセンター前に適時安打を放ち、盛岡大附高が同点に追いついた。たらればを言っても仕方ないが、もしこのファールを捕球していれば安田学園から流れは動かなかったかもしれない。※なんだか1979年夏の星稜高と箕島高の対戦を思い出してしまうが、この時の星稜エース・堅田外司昭さんが今日の試合の塁審をしていたのも何かの因縁か。■盛岡大附高は甲子園10回目の挑戦にして、今回が初めての白星だった。また昨夏は大谷翔平を擁した花巻東高を破って甲子園に出場したにもかかわらず、閉会式で奥島孝康・高野連会長が「甲子園で花巻東を見たかった」と言われた。奥島さんに他意はなかったと信じたい。だが盛岡大附高からすれば「もう甲子園なんてどうでもいい!」と自棄になっても仕方ないと思うのに、そんな感情までも乗り越えての価値ある今日の勝利だった。■盛岡大附高の関口清治監督は、盛岡大附高が1995年夏甲子園に初出場した時に同校の捕手として出場した。この時は高知商高と対戦し、スコア5ー7で惜敗した。高知商のエースは東出康成だった。また解説した大矢正哉さんの経歴は東邦高ー法政大ーJR東海。東邦高時代はバンビこと坂本佳一とバッテリーを組んでいたらしい。ということは、1977年夏、甲子園決勝の延長10回に坂本がサヨナラ本塁打を打たれた時も、マスクを被っていたのは、この大矢さんだったんだろうか。 今日も1クリックお願いします
2013.03.23
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