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捜し歩いてくるので、時間を割いてお相手をする。自立度は高いのですが、どうも依存が斜めに働いているような・・・・・・日常会話をするのですが、こちらから言う事はすべて否定しようとします。何かしらと、どうかして欲しいと相談を持ちかけてくるので、状況を見ながら2つ、3つの選択肢を考えて提案していました。必ず自己判断をしてもらうのですが、一時間もすれば「あんたが言ったけん」と言う事になる。おそらく私の言う事を優先して考えたと云う意味だと思います。「ん?こりゃマズイ」ってな事で距離を置くことにしました。本人が物事を決める間、付き添って答えを待つ事を辞め、一端離れて様子を伺う事にしたのです。その方の感覚で30分でも1時間でも良いわけです。動きが有ったら話を聞く、行動の決断があれば対応すると言う事です。ところが相手も考えるもので、部屋に来て見てくれと言う条件つけをします。冷たい空気が流れてくるから穴が開いているんじゃないか?とか・・・・・・床を這いベッドの下を確認し、窓を開けて外壁を見る。実は空調で、ベッドの下を流れた空気が出てきたとき冷たく感じるのだと分かりました。「今は何もないし様子見ましょうか。冷たい空気が流れてきたとき呼んで下さいね」と伝えた。便がやえ~(柔らか)けん汚してしまったらいけんけ~どうしたら良いか?とか・・・・・・・防水シーツの上にタオルケットを敷いていたので、こっちを汚す方が大変だから取りましょう とタオルケットを外し防水のスゴイところを説明しました。リハビリパンツを2枚履くようなことを言っているので 1枚余分に汚すだけだから1枚の方が良いと話し、便が出た時の対応を説明しました。あと 念を押すならオムツでしょうね と言うと そこでは返事もしなくなる(笑)自分で考えて結論を出さないと、選択肢の提案も相手に従ったという事で、失敗や間違いを認めない態度を示す人もいる例ですが、この方に悪意はないので良かったです。日頃から頼ってくれているので、感情移入してしまい余計なお節介をやかないよう注意したいと思うのでした。
2016/11/04
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高次脳機能障害病名ではない医学や脳科学、心理学の用語でもなく厚生省が補助や支援などを行う規制や基準のために、政治の都合で生まれた言語簡単に言うと、脳の進化?で一番古い部分(最深部)の働きは一次脳追って付け加えたように2次脳、3次脳と領域を広げ成長し進化?している様に見える外側を覆う最新の脳の領域を高次脳と考える高次脳の働きと関与事故や脳梗塞など病気の後遺症で高次脳に異常が見つかり、それが原因で現れる症状を高次脳機能障害と言う症状が有っても脳に異常が見つからなければ該当しないつまり 可視化できる異常によって起きている障害病歴の中に 高次脳機能障害 と書かれていたとして、どう対応すればよいのか?看護や支援介護の仕事で何人が答えられるだろうか?①高次脳機能障害⇔②認知症⇔③統合失調症 ④ ~性格~ ①②③の症状を区別するのは難しい高齢だと3つとも患っている可能性も高い最初の診断結果だけで判断する人が多い年齢などのバイアスが邪魔をして医者すら意識していない安定剤の種類は多く、薬効(副作用を含む)も共通し、睡眠導入剤としても幅広く使われている大体は服薬で何とかなるので、わざわざ時間とお金をかけて明確にする必要もないと言うのが現実としてあるところが院内や施設は、それ自体が一つの社会接するにあたって、図式の④番目の「性格なのか?」が重要になる現場ではこんな事が年がら年中起きているXさんは病的な感情の高ぶりがみられ急に怒り出すyさんは一方的で人の話を聞き入れないzさんは思う様にいかないと夜中でも叫びだすqさんは何事にもウソをつくoさんは執着心が強く問題行動がみられるそれぞれ図式の何番に該当し、どう対応すべきか?対応のミスマッチが虐待を生む答えを導き出すには、社会の属性と概念が必要になる学校では生徒や先生の立場や意義、会社では役職や職種も強調されるここでは病院や福祉関連施設での概念と知識この問題の難しさは、「答えが導きだせない=ノーマライゼイションと言う概念を踏み外し、本質を見失う」ところに有る性格が変わってオカシイと思っていたら高次脳機能障害や認知症だったと言うのが世間には多いが、真逆も当然ある高次脳機能障害や認知症かと思いきや、精神科で調べてもらったら性格だった統合失調症も非常に怪しい関係で認知症と思っていたら統合失調症だった転倒して2~3か月たって行動や発言に変化が起きた場合は脳に異常が見られ、原因が転倒による脳内出血と断定できれば分類は高次脳機能障害となるあらゆる認定をするには条件が明白でなければならないそれぞれ症状が重くなるほど、薬も違えば脳のリハビリや対応も変わる良い形で性格が変われば良いが家族の戸惑いは大きい一番の問題は現役で働いる場合社会的には、どこまで受け止められるか? 程度の問題になるケアを常に意識し、個人としっかり向き合える支援介護しかるべく姿は大切だが、性格の悪い人に合わせるわけにはいかないトラブルが多く人の心を傷つけ自覚できない場合が多いだからと言って隔離するわけにもいかず、薬も使えない高次脳機能障害や精神疾患、認知症なら症状を抑える薬物治療になる現実は暴力的な言動や行動に対して①高次脳機能障害⇔②認知症⇔③統合失調症の図式が当てはまれば性格の配慮はされない因果関係を特定していくのが難しく正解は出せない
2016/10/24
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ある社長のご厚意で施設でのお仕事を頂いております。あくまでも部外者として、客観的に現場把握しながら勤めさせてもらってます。それなりの結果も出ているとは思うのですが、そんな中でのちょっとしたお話です。現場入りすると自分を待っていてくれる人がいる。これ程有り難いことはないと分かっていますが、じっと待っているんですよね~!中には何日も待っているので野暮なことを言っちゃいます。「わざわざ待たなくとも、誰か近くの人にお話しすれば良いのに。」まぁ 答えは聞かなくても分かっているんですけど色んな意味でイラっとくるときが!その度に自分の未熟さと器の小ささを省みるのです。対応の途中で近くまで寄ってくる方や、強引に割り込む方もいます。「おいおい!待つのは今でしょ!」それでも常に優先順位は変わりますから、話は伺うことになります。(あんたの仕事です)と思っているらしく対応しない(できない?)スッタフにもイラっときます。それでも、ここでの私の役割はサポートと行動で示す事だと勝手に思っているので何も言いません。「〇〇さんは優しいから」「〇〇さんの時はできる」「〇〇さんの言う事は聞く」など残念な言葉をよく頂きます。優しいのではなく、ケアをしているだけです。できるのではなく、できるように誘導しサポートしているだけです。聞いてくれるのではなく、納得し協力して頂いてるだけです。私にとっての支援介護をはじめとするお仕事は、一緒に同じ空間(時間)を過ごし運命を共にするものです。ですから必要以上の遠慮はしません。利用者とかお客様だとかサービス提供などの言葉は個人的には封印しています。日常生活ですから喜怒哀楽があってこそ!お互いが何らかの影響を受け、その日々の積み重ねが人生の営みですよね。つまり、人生の結果に関与していくわけで、特に施設で生活される方にとっては最終的な人生の在り方となるのです。先日、老齢の女性が亡くなりました。身内から延命処置を拒否された方です。現場では身勝手で厄介、手のつけようがないので距離をおかれ、「勝手にしてください」と、言われていました。仕方のない事ですが、それでも支援介護として仕事があるわけです。そこで必要となるのが知識と技術です。冷静に良いと思われる事を淡々とこなす。食事、体位交換、おむつ交換、整容、精神的サポートなど、ご本人に理解できる事は少なく拒否もしますから「来るな!」「触るな!」と、言われながら、結果 all right に持って行くしかないと思います。「どうですか?」と声掛けをしブスっとして黙っていれば正解です。その積み重ねがすべてのケアに繋がっていきます。「あんたで良かった」「なんですか?それっ 」と返しましたが、自分の対応が満更間違ってはなかったのかな?と思ったりもします。相談事や仕事でお話しするとき、自分の意見や考えは言わない様にしています。「自分が言っているのは摂理なので、評価するとか否定できるものではなく、まず知っておくこと。受け入れられるか拒むか?実行するかしないか?は、その人自身の問題。その都度結果は出ており人はそれを感じ取っている」と、言う事です。因果関係は複雑ですから、同じことは何一つなく、たどり着く先は未知数です。支援介護で自分達が今していることの積み重ねが、相手にとっての行先を決めているようなものです。気持ちを込めて向き合って欲しいと思います。と、は言っても人間ですからイラっときちゃうのです。イラっとしたら、大抵は相手に伝わってしまうので、発言、発語するようにしています。「え~っ!」「わぉ~」「ひ~っ」とか・・・・・・すると相手の方が笑ったり、「どうしたんか?」と聞いてくれたりします。何もかも感情を隠そうとしなくて良いと感じます。迷ったり、よく分からないときは相手に問いかけてみる事だと思います。例え認知症の方でも「どうしたら一番いいと思いますか?」「こうして、ああして、あっちを向いて」と、説明しながら指をさせば、その方向を見るものです。「それでは不安を与えませんか?」と、良く聞かれますが、相手の目を見ていれば不安なのか穏やかなのか判断はつきます。自立度の高い方には、程度に合わせて何か残すのも大切です。「後は、お任せしていいですか?」「手を抜くな~」と言う方もいますが、笑っています。支援介護の極意の一つ、自分が相手に甘えること!です。結構喜んでくれます。相手にとっては子供や孫みたいなものですからね!!
2016/10/22
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一昔まではグループみんなで楽しむ事が主流でした。現在は個別で多様なものが求められています。一口に支援介護を必要とする方は45歳から対象ですから90歳越えの方も多いので年齢差だけで50年、身体状況も大きく違ってきます。認知症の度合も考えるとみんな一緒になんて無理な話です。合理性や効率を考え、一般施設で介護度を指定して募集するのは無理です。出来るだけ幅広く受け入れる体制が評価に繋がってきます。そうなると優秀な人材が必要なわけですが、残念な事に人材はないと言っていいと思います。なので、細かい配慮が出来ていないのが現状になります。記録というものが有りますが、訓練、運動、余暇と分けられると思います。例えば、たった5ピース程のパズルでもAさんにとっては訓練で、Bさんには手の運動、Cさんは楽しむ事ができ、Dさんはバカらしく思い最初から手を出さない。Eさんは何をしているのかさえ分からい。AさんからEさんまでレクリエージョンが成立しているのはCさんだけです。運動を兼ねたペットボトルボーリングを行ったとしても同じようなものです。記録には今日のレクの項目としてパズルとペットボトルボーリングと記載されるでしょう。テレビや雑誌で見る活動では、比較的に近い能力を持った元気のよい人たちが揃えられているので成立してるように思えますが、実際は効果もまちまち、思いも人それぞれです。簡単に言ってしまえば、ご本人が苦痛ならレクリエーションではないわけです。レクリエーションとは、遊びながらもシッカリと目標を持って、生活の維持向上に貢献するもの。勿論、上手くいかず最初は嫌々取り組む状況もあります。その場合はお願いして付き合ってもらうことも有ります。方法はどうであれ、本人が「それじゃぁ ちょとだけ」と言う気持ちになってくれたら良いのです。それも人間関係、同じ空間で過ごす運命共同体ですから遠慮なく社会性に訴えることも必要です。喜びや満足感を感じて頂ければ成功です。お願いした場合、人助けとして依頼者が喜べば満足できます。能力を見極め状態を知るそれこそ医者が参考にできる程度の情報が必要です。支援介護の基本ですよね病歴から近況、運動能力、今日現在の心身の状態、理解力など、より正確に根拠と裏付けを持って挑まなければなりません。残念ながら、特別な施設で療法士が在籍しているところでしか対応できていないのが事実です。例えば、筆圧の無い方に硬い芯の色鉛筆を無造作に渡して何ができますか?絵を理解できず、上下の判断がつかない方にパズルをポイと渡して、結局は持って行った方が殆ど仕上げてしまうなど目的と意味が分かりません。途中で作業を辞めてしまう方を叱咤激励したり、怠け者とレッテルを張るようでは支援介護は辞めるべきです。動きが止まっていると何やら上から目線の説明がはじまり、相手はますます混乱しているのが分からない。一歩間違えるとイジメですよね。頻回すれば虐待です。(これで何ができるのだろう?料金は結構高いですよね~)レクリエーションから考えるリハビリや機能向上出来ない事を発見できたら、何故なのか?単純に原因を考え直す事が必要です。そして、ホントに出来ないのか?疑い、その理由を探します。動作として可能なのか、心身的な限界を見直します。可能性があれば、その方に最も適した方法を提供していきます。そして何よりも、楽しんでもらい、喜びを感じてもらう事です。出来ない事が可能になれば喜びが増えると言う事です。生活の幅が広がるだけでなく、心身共に向上し明るくなります。ポイントは楽しんでレクリエーションをクリアするが、楽ではないと言う事です。それを、少し頑張ってもらい、お手伝いをし見守っていくのが支援介護です。
2016/10/12
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100歳近くでも家の裏山に毎日登る人は多い骨格が変形し腰が90度に曲がっても普通に動き回っている人がいるとにかく元気な人は動くし、しっかり食べる歩けなくなるって?どう言うことなんだろう?施設や訪問マッサージで知る限り、わずか数ヶ月で歩行困難になっているベッドや車いすでの生活どちらでも同じように症状が現れてくるまず足を床に着けようとしなくなり、重心の位置がおかしくなっている姿勢を正そうとすると、強い力が働き無意識に背もたれにくっ付こうとするそこで介護度3以上の車いす生活者を対象にリハビリを行う脳が勘違いをして重心をバランスの取れる場所に移せないと考えた対象は85歳以上①座った状態で床を踏むことができない②足が前方に流れ、尖足(足首が曲がらなくなる)の兆候がうかがえる③足の動かし方が困難になり、忘れてしまう事もある④そこに認知症の症状が加わり認識力や記憶力に支障をきたしている為、自己判断で物事に挑むことができない基本的には体幹前傾活動座位をとるだけ最初は足裏で床を捕えることができないので身体が緊張する恐くて不安で落ち着かない膝辺りに痛みを訴える方が出てきた関節に問題ないかを確認し無理はせず安息座位をとる原因の多くは筋硬直による痛みで、屈伸運動の痛みが通常の場所でないとろで起きるストレスを感じた瞬間脳が嫌がってしまい抵抗する回数を重ね、適した姿勢を覚えると余分な力が抜けて本人が楽になってくる1か月目にして姿勢が良くなり、座っている時だけでなく立ったときのバランス感覚も良くなったその結果、本人の恐怖心も緩和し、余分な筋肉の緊張がなくなる本人に実感が持てると持続できるし次のステップに行きやすくなるもちろん一人ひとり違うので様子観察が重要何より自覚の有る方なら自信につながり、活発になる上手に座れないと言うことは立てっも危ないという事座位を安定させなければ、歩くリハビリは危険要素を増やすだけとなる歩くのは別問題と考え、腰掛けの延長線上に立つという姿勢がある視界も気持ちも変わる何秒かでも立つ事ができれば生活が変わる心にも少し余裕ができる
2016/08/28
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声掛けが重要と言っている私ですが、施設でこんな失敗がありました。たまたまですが、食べるのが異常に早い3人が同じテーブルにおりまして、常々スタッフがゆっくり食べる様に促しておりました。競う必要はないんだから、とか、血糖値に影響するだとか、詰まらせるよ~だとか言っておりました。ある日、言ってはいけない事を勢い余って言ってしまいました。「食べる速さを競い合うって、のどを詰まらせて誰が一番先に死んじゃうか競っているのと同じ様なものじゃん!?」あ~ しまった!!この失態をどう補正するか焦ってしまったのですが、みなさん爆笑、ウケてしまった・・・・・・すかさず、「病院やこういう所では、絶対言っちゃイケない事なんですけど」と付け加えました。、一時期の間笑いが治まらない程のバカウケでした。このブラックジョークと言うか?何故に通用したのか?自分の失態なので自己弁護になりますが、敢えて言わせてもらえば、受け取る側に理解力があり、余裕が有ったと言う事なんだと思います。私の得意なのは自虐ネタなので、分かりやすく、日頃から皆さんが悪い方に解釈していなかった事が功を招いたのかもしれません。エスプリとユーモア と言う著書に、そのような事が書かれていました。それと、ビーアライブの理念として常に相手の思っていそうな事を先に言える、或いは、分からなければ伺う、遠慮なく問いかけると言うコダワリがあるので、そこも皆さんが分かっていてくれ、ある程度は足してくれているのだと思います。納得いかなければスッタフとの口論でも、隠す必要のないものは利用者さんを含め皆の意見を聞くようにしてますし、挙手をお願いしたりもします。仕事中は、大きな声で「どうしようかな~?」などと自問自答し、終いには「どうしたら良いですか?」と利用者さんにズバリ聞くなどして接しているので、よく利用者さんに笑われます。とは言え、失言のないよう気をつけなくては!
2016/06/11
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先日、おむつ対応についての話がありました。沢山のメーカーから用途別に流通してますが、排泄の量、状態、体型などにより使用するものは変わりますし、製品企画では対応できない使用者さんは多く存在します。その為、常に工夫が必要ですし経済環境にも優しくなるよう考えていかねばなりません。今回は、その工夫の過程で何かが狂ってしまい問題となった良い例です。内容は在り来たりな尿漏れ。その対応の為の工夫が大量に使う吸水パットの固定でした。方法はホッチキスから始まり、現在はガムテープで張り合わせて対応しているとの事でした。流石に呆れてしまいましたが、現場ではこう言ったことが形を変えて発覚しては消え、常に何がしかの問題を抱えています。今回は従業員の仲が割れており、まとまる機能を失っていると言う事で、第三者の私が関わる事になりました。まず、現場でガムテープの使用を確認して欲しいとの事で確認をとり、スタッフから排泄状況の確認と対応状況をさり気無く聞いてみました。有ってはいけない事ですが、全く疑問なくガムテープを使用している方がいました。翌日にケアマネージャーと主任を交え、スタッフの理解力を検討しました。1から10までの説明が必要と言う事なので、個別でなく、朝礼でおむつ交換の見直しを課題として提供しました。ここは、時間をかけて根本的な考えから変えて理解しなければ、別の形となって問題が次々と起きると思われたからです。さらに、急な病院受診あってガムテープを使った状態で診察してしまいクレームが入ってしまったと聞いていたので、間髪入れず、おむつ対応では、おむつ製品に該当しないものの使用は禁止事項とさせて頂きました。パットやフラットなどは機能や役割を理解し、介護技術を模索していく事に専念するよう当たり前の申し送りしました。その程度では「(ガムテープ)直接肌に触れないからいいじゃん。」と言っている人がいるレベルでした。おむつ製品に求められること! は?今更ですが、何よりも安全性です。以前、おむつメーカーの方に講習して頂いた機会があり、装着感は寝返りを含め、良い眠りの妨げにならないように。との思いが込められている事を確認できました。通気性、吸水性は衛生面や不快感、褥瘡や発疹を含めた身体へのトラブルや負担を研究し開発されています。おむつ製品とて、例外なく色んな分野が関わり、大勢の各専門家の方達が日夜研究しているわけです。その機能を把握し、活かさなければ意味ないと言うわけです。機能が高ければ値段にも反映するわけで、かと言って安いから沢山使って良いなんて、100円均一なら子供に何でも買ってあげれば良いのか?と、言う問題に似ている気がします。何事も概念は大切だと思います。リアルタイムでのより良い対応は、概念がしっかりしていないとできないと思います。組織内での概念が分裂の起因となるので、学校の延長の様な社訓や理念が重要になるのだと思います。違う世代と、もともと違う人間の集まりですから、そこで施設(会社)の体質を変える!必要性が定期的に起こるわけです。個々の質を変える企業側の努力は常に必要になるのだと思います。同じ型にはめ込むのではなく、同じ志を持てるか?どうか?です。それが社員育成です。今回一番の問題は、工夫の際のプロセスに有ります。今回は、根拠と裏付けのない自己判断。根拠と裏付けは、知識と技術によって質が決まり、第三者をうならせる事ができます。もう一つは、仕事する側の視点でしか考えていない。事がガムテープやホッチキスなんていうプロセスを踏む結果になるわけです。一般企業なら、ニーズを無視した企画や製品と言う事になります。人は、どのくらい成長するのか分かりませんが、この場合は資質の問題でもある様に思います。おむつ交換での問題は、特に夜間で2~3時間おきのお世話となるので睡眠の妨げになります。優先すべきはおむつ交換か睡眠か?などの問題も関わり、どこもが抱えていることなので似たようなトラブルは非常に多いです。排泄による夜間の全更衣はスッタフにも、お世話される側にもストレスを与えることに間違いは有りません。現場では、おむつ交換派と睡眠優先派と大きく分かれてしまいます。褥瘡問題とボディーメカニズム、睡眠科学、脳科学などと課題は多いです。おむつメーカーは衛生面や負担をを考え、おむつ交換頻度を下げるおむつの機能性を研究しています。何事も原点に返る事ができるか否かなのだと思います。そこを議論するならば、やはり知識と技術が必要で、あとは事業所の方針と言うことになります。おむつ交換問題の先には、排泄管理の在り方と言う大きな問題が控えています。
2016/06/08
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歌を聴きながらそして僕は、途方に暮れる / 大沢誉志幸豆板醤ベース和風出汁ベース らっきょう「その人らしい生き方」?世界福祉に「その人らしい生き方」と記されているここには非常に大きな問題が隠されているどんな仕事でもアセスメントと言う作業があり、簡単に言うと評価や査定、審査と言う意味です数字の見積もりや定量的な評価、将来想定される事態や影響などの事前評価、改善策を検討するための現状調査・把握などと記されています福祉関連では、対象者の環境を付け加えておきますさて、人が人に対してアセスメントを行う場合、そこに真実は有るでしょうか?私は無いと言い切ります同じ人を対象にする企業の人事やターゲット層などと、福祉で言うアセスメントは異なるものひとり一人の個別の心という厄介な壁があります支援介護でのアセスメントシートは、数枚セットで個人情報が届き、現場でモニタリングによる見直しますそれを基にケアマネージャーによって申請対象となるケアプランが組まれますその後は現場の現状報告を加え、定期的に行うことで管理機能も働くようにしています的確なサービスを提供できている場合に限っての国や市からの補助金受給ですいかなる理由であれ、そこに矛盾があれば不正の対象となりますシステムですから、これで良いのですが、現場で一番大切なのは何でしょうか?求められているのはトータル的なケアですが、やはり一番は心のケアだと思います事実上、人の生涯を管理下に置くわけです疑い、疑問を持つ事から始まるアセスメントシートには個性が反映されなければならないそれを裏付けるものとして個人記録が重要になります職歴、病歴、家族構成、過ごされてきた地域環境、人柄など最初は大雑把なもの例えば、職場や家族の知らない、或いは人には見せなかった本人が存在する存在は複数でユングが提唱したペルソナというもの同じ屋根の下で日常を過ごせば、ご本人が自覚しようとしない人格が見えてくるユングのシャドーなるものその人らしい生き方 をしてもらう事ができるでしょうか?その人らしい生き方を分かっている人は居ないましてや本人が分かっていない事が多い出来る事は、常にその方と向き合うことしかないこの方はどう生きてきたのか?今、何を考えているのか?ここに居て良かったと思ってもらえるだろうか?個人記録は、日常のありのままを記録する唯一のものありのままでなくてはならないそれは、現状報告に反映され、新たなケアプランが組まれ、現場が動きますこの記録の書き方が難しく、何年たっても上手く書けない人もいます無意識の虐待その人らしい生き方を決めつけ、勘違いする事でも起きてしまう例えば、趣味や好み家族や知人の情報とは全く違っていた事は多い※レクエーションで好きな事をしてもらっているのに楽しそうでないし、途中で止めてしまうので何故だろうと思ったスタッフは認知症進行や体力の問題として受け取り、それなりの声掛けをしていた話を聞いても本人は語ろとうせず、嫌な顔をする「もしかして、あまり好きじゃないんですか?」と、聞いてみると「あぁ・・・」と答えた趣味や好みが逃避や代償といった行動だった場合、家族や現実から逃げていたと言う事になる良かれと思い、それを提供していたのだから苦痛にしかならないその方は、認知症の進行どころか、スタッフ(施設)に合わせていてくれたそれも入居から何年も続けていた※真実は不明、とある物を突然拒否する方もいる部屋に飾ってある家族の大切な写真だったはずが、認知症が進んでいく内に、脅えて夜中に叫び出したケースがある最初は何か分からなかったが、最近よく写真立てが倒れているのを見ていたので手に取って「もしかして、コレ?」と聞いてみたその女性は手を払いのけ目を塞ぐので、写真を収納箱に隠した他には、こだわりや執着があるそこには不衛生な事や、危険な事が沢山あるので「なぜ、放置してるの?」と、スタッフに聞く「言う事聞いてくれない」「分かってくれない(納得)」と答え、個人の尊重と尊厳を口にする「何か有ったら、どうするの?」と、聞けば困ってしまい、自己責任でしょ?と、言うこだわりや執着は本人自身にも意図がよく分からないものも多く、質問すると本人にも答えられない結構、どうでも良いことや、本人のなかでのブームがある特に支援介護では、元気な頃の生活のイメージが残ったまま変えられないことも有り、他人から言われる筋合いはないと思っている親子関係や教育現場でよくある誤解でも有り、子供であれ、生徒であれ、従業員であれ、「言う事を聞いてくれない」「分かってくれない(納得)」のは当たり前人は等価価値の法則で行動を変えていきますが、非常に主観的な心理今持たれているこだわりや執着に匹敵する何かが有れば、人の行動は変えられるので、そこを考えることになりますその場に限って言えば、修飾効果で子供みたいに行動を変えることも出来ますその人らしい生き方は今、その人にとっての必要な生活環境があり、その人にとって当たり前の選択肢が有り、その人なりに考えて生きていける事そこを基軸として、明らかに不衛生な事や、危険な事であるのならば、良い方へ導くのも仕事の一つになります行動や言動には何かしら理由があるのですから、まずコチラが理解し、お互いに歩みよる事ができなければ、反感や不快を与える関係になってしまいます互いに【相手の事を思い、折れる・譲る】関係をつくるまでには、とてつもない時間が必要なときも有ります色んなやり取りの中で、その人らしさが見えてくるわけで、相手もコチラを見ている正解か否かは 信頼関係が築けていく実感を目安にしています ロゴポチ 応援お願いします→
2016/05/07
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とある日の昼飯 フィリピン料理 名前は忘れた! 旨かった!!還暦前の若作り!!家庭内介護の在り方について!プロとしての支援介護と、ビジネスではなく人の面倒を自分なりにみると言う違いを見極めておくプロは社会基準においての責任を常に問われるため、客観視でなくてはならない家庭内介護は自分の世界感で主観視し勝ちだと相手を理解し、尊厳を保つことはできない身内ならではの主観は悪い事ばかりではないが、たとえ血のつながりが有っても相手の人格や性別を改めて見直す必要があるこれは思ったより難しく、大きなストレスとなる人格は作られるものなので真実だとは限らないし、性別は男性像や女性像を本人が演じている部分が多く本質とは限らないビジネス介護の在り方を参考に家庭内介護と比較して考える例えば、人と接する際、妨げとなる大きな要素、自己判断が有る他者の人生に関わる時点で自己の正義や道徳観は通用しないひと言で支援介護と言っても、そこでは一人のために大勢の人が関わり今後どうしたら良いのか意見を持ち寄って計画書が作られる何故なら、何を基準に相手を理解し受け入れようとしているのか?自分の物差しだけで何十人、何百人という個性とは向き合えない常に確認と見直しが必要になる福祉現場での医療身体的な管理は看護師や病院との連携で何とか形らしい事はしているしかし、医者とて知識や技術には大きな差が有り、中身が空っぽだったりする人は少なくない現実として基本的な問診や見診もろくに出来ない医者や看護師は多い特に定期受診では医療側の姿勢が見えてくる責任の放棄医療は命や生活レベルに直接関わる「私が責任を持って」と言える医者はドラマの世界だけで「ベストを尽くす」と言うのが正解なんだろう医療も福祉も同じで、次の台詞は「ベストは尽くしますが、後は本人次第」となる専門家やプロの対応には根拠と裏付けが必須で、エビデンスを持って取り組む義務がある一般人は、科学の進歩と共に学び、その時代を生きるために賢く懸命に生きる義務がある当たり前のことだけど多くの人が出来ないから文章にして掲示しなくてはならない正直な話、責任なんて自分自身と家族の事で目一杯ってところが一般的な人の能力と言える福祉の現場自己判断や思い過ごし、勘違いからのトラブルは非常に多く、特に自己判断のミス?では根拠と裏付けによって責任の有りようが変わる一昔前は信念やボランティア精神で通せたかも知れないが今は失笑され裁かれる対象になる思い過ごしは、より感情移入した自己判断で勝手に解釈して空回りする事が多いそれが虐待の種になる大人社会での勘違いは、注意不足、集中力の欠落として対応する処置が多くとられる上げ足を取って事が大きくなる様では、収支がつかず集団に大きなダメージを残すなので、少数を犠牲に事を収めようとする力が働く動物の行動は、防御力がないとすれば逃げるか?攻撃するか?の選択になる威圧や脅しは攻撃と防御の意味を持つ人も同じであり、言葉や態度で付箋を引き防衛線を張る毒を吐いている人は結構いるドラッグロック薬物によって行動の制限をする例、脳梗塞の後遺症で高次脳機能障害片麻痺で車いす生活、感情コントロールができず椅子を投げつけたり、他者に手を出す事も有り安定剤を服薬もともと入院中に処方されており、そのまま引き継ぎされてきたその方の高次脳機能障害について答えられる人がおらず、簡素な病歴や看護記録には記載もない薬が切れるのを機に、一端服薬を止めてみたらどうかと提案結果は、お変わりなく過ごされていたので薬は不必要本人と話してみると、もともと短気だったと認めた感情的になり大声出すには理由が有るまず、スッタフに対する不信感が一番と見受けられた認知症の方の悪気のない行動で大声を出すが、そう言う舞台を作っているのもスタッフご本人は現状を受け入れきれず不安定になったままだと察する事ができる自覚があり葛藤がある衰えていく恐怖を感じているのでは?と思い話していると、至る所で確認取れたある日、その方の様子がおかしいので看護師に聞くと、安定剤を飲ませたと言う最近、気が荒く大声を出すからと、スッタフみんな?に確認をとって飲ませたらしい翌日の朝礼で「本人の気持ち」「原因は別に有る」「副作用のリスク」を考えると服薬は安易であると話す皆に心当たりが有るのは分かっているので、流石に反論はなかったよくある施設の問題で、入居者や働く者の心理が良い方へ流れる環境は故意でないと作れない会社環境として経営の責任でもある好き嫌いで物事を考えるレベルでは無理な話になるちなみにその方は、何年か経った今でも変わらず感情をむき出しにする未だ多くのスタッフが信頼関係をつくれないでいるロゴポチ 応援お願いします→
2016/04/25
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ブリの刺身 ゴボウとニンジン、アサリの天ぷらわたしが残せたものベルトコンベヤーで人が運ばれる施設入居者の生活を1年早送りで想像してみる例えば、起床AM5:00~就寝PM5:00 営業時間か!?わたしの知る限り、世界中の施設で徹底さている 理由は有れど如何なものか?そこを壊す!睡眠について考える介護編施設では管理上、人の出入りを遮断する為、閉館と消灯の時間を設ける必要が有る夕食は17時~18時の時間帯で始まり、開始から1時間ほどで就寝介助が始まる働く側の基準なので、疑問に思う人は多いが変わる事なく2022年に至るそこで暮らす方にとって深刻な問題で、時間はたっぷり有るが寝るしかない規則正しさ?その人の生活環境や状況によるものでないと意味はない意思の尊重入居と同時に規則的かつ機械的に起床就寝介助が行われる生活意欲がなく寝て食べて排泄するという廃用的な本人の意思を尊重するスタッフ働く者の心理食事後、部屋に戻って、そのまま眠ってしまう手の掛からない方は助かる物分りの良い人で可愛がられる眠れず、不穏な行動を起こし、活発なほど危険でもあり、手間がかかるので迷惑な人コレ、違うよね?見る目も変われば言動も変わるセンサー設置なら駆け回ることになり、中にはストレスで切れてしまい暴言や自分の都合をまくし立てるスタッフが出てくる手におえないからと眠らせるなど薬を使う基準を間違ってしまう事になる一般的な社会生活を送る人体のサイクルおおよその時間 身体状況 6 コルチゾールのレベル上昇、脳と体が目覚める 7 メラトニンの分泌が止まる 9 性ホルモンの分泌がピーク 11 注意力のレベルがピーク 14 運動調整力が最も高まる 15 反応が最も速くなる 17 心臓血管系作用と筋力が最も高まる 19 血圧と体温が最も高くなる 21 睡眠に備えてメラトニンが分泌され始める 22 体が静まっていき、内蔵の動きも抑制される 2 睡眠が最も深くなる 4 体温が最も低くなる理想の睡眠7~8時間はこのサイクルが基準だと夜9時過ぎてからになる寝るのが早すぎたり、日付が変わってからでは当然ズレが生じるまた、夜の睡眠が関与し分泌の限られた成長ホルモンはアンチエイジングの代表的なもので、できるだけ分泌を妨げないようにしたい就寝介助後、退室する際に消灯冬なら18時の闇の中、目を開けて天井を見ている人を沢山見てきたこれは、せん妄や幻聴を助長する環境を作っていることになる心理的には洗脳や拷問に使うテクニックになる恐ろしい話です「何を考えてたんですか~?」と必ず聞く答えにはパターンがあり、ネガティブな事が多いマニュアルの「電気を消しても良いですか?(消しときましょうか?)」などは寝るのが前提の声掛け誘導場所にもよるがカテーンの開閉も同じで、プライバシーが都合よく誇張され閉めれば良いと言うものではない退室時に「夕焼けが出てますね」など声掛けをし、反応を見ておくと心の状態が伝わってくる静寂と闇は孤独や恐怖の要因なので、音楽を流したりとテレビやラジオをさり気なく使う夜間の覚醒基礎代謝の下降による必要睡眠は短くなる介護現場では早く寝てしまうので、夜中24時を待たず覚醒が始まるのは珍しくない訪問活動で【夜目が覚めて眠れなくなる相談】は多く、どんな感じか当てると驚かれるスタッフも本人も「眠れない、寝なくて困る」と思いこむむしろ、朝まで12時間一度も起きない方が異常と考えることが出来るので、覚醒の状態を確認し行動を知っておくのは大切な要素でも有る睡眠を妨げる排泄病気でない限り、夕方早くから寝て真夜中にトイレに行きたくなるのは当たり前排泄のメカニズムは複雑目が覚めると、起床準備などとして習慣的に脳が排泄を促す眠れず身体がONになれば尿意は起こるそこの見極めができないと、施設の薬物依存が起きる機能低下や疾患でもないのに排泄コントールされる安定剤用途や目的が同じような物で安定剤や認知症の薬としてそこら中に出回っている眠導入剤や優眠剤・袋に眠前薬と書かれて乱用されていますが、副作用の効果を狙った【偶然の効果】です薬の乱用は医者の考え方で大きく割れていて、医者同士の連携を妨げる原因になる理由として、使用基準の見直しと新薬で副作用のリスクが下がって使いやすくなった事もあり、お気楽な医者は「取り合えず、薬を出す」人を薬でコントロール乱用についてはドラッグロックと言って注意勧告があるよくある施設のパターンは夜のほうが元気が出て寝ない方や夜中に覚醒してしまう方に飲んで頂き安静を確保するその前に家族や知り合い、自分に置き換えて考えみる眠らない理由に対して「策を講じ、より良い選択として残ったものだろうか?」夜間勤務の実証では殆どの方に安定剤は必要なかった ただ勝手な自己判断は禁物で、服薬の必要性については多方面の意見を聞き、支障が無ければ検証する服薬時間のタイミングについては翌日の影響を考え、ぎりぎり24時までとした例えば、すでに対象者が寝ていたのなら起こしてまで服薬することはない申し送り「Aさんは良眠されていました。」根拠の無い個人的な意見は記録してはいけない眠りの質は専門家でも見た目だけで判断できない断続的な眠りであったか?温度調整が上手くできているか?身体に一時的な圧迫痕や変色がないか?寝返りの痕跡など、眠りの質に影響する事を見ておく日常生活に個人差があるのは誰もが理解できるが睡眠に関しては統一してしまおうと言う姿勢になる施設施設の運営の問題と取組み姿勢が分かるショートスリーパーやロングスリーパー、朝方や夜方が有る個人にあった施設生活の実現は難しいわたしが残せたものは、ある施設の就寝時間夕食後もホールで過ごせるよう流れを作った5年になりますが、続けられていますもちろん、クリアすべき問題は沢山あります そこは企業努力と言うもので、居住者方の残された時間を大切にする思いが前提になる ロゴポチ 応援お願いします→
2016/04/19
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人の行動は等価価値の法則で成り立ち、攻撃、逃避、代償と言った行動を起こす良くも悪くもストレスを解消する必要があり、どこかで精算しバランスを取るために必要な行動パターンになる心理学で言うストレスは喜怒哀楽すべてが及ぼす脳への影響大きな出来事や行事では葬式でも結婚でもストレスが大きい自分の描く人生に誤算が生じ、精算しきれないとなると、ストレスを溜めることになる精算を人に向けたときの「憂さ晴らし」はイジメとなり、マヒして日常的に行われ虐待に発展してしまう家族介護の環境は、家屋・個室など閉鎖された空間にあって、虐待の種が芽吹きやすくなっている家族とは?同じ縄張りで生活し、無防備になれるなら家族として受け入れる結婚はその一つ良いもので在るべき家族?人生最初の人間不信は家族であり、多くは母親に抱くと言う見方がある最初のライバルは兄弟や父親とされている自己認識が始まり自我が目覚めると、他との比較が始まる比較は、まず身近な家族が対象になるやがて蓄積された情報や検証(経験)で人格形成が行われる多かれ少なかれ家族は反面教師となり、その過程で邪魔になったりもする他の家族(社会)の一員となるにも、やはり同じような過程を踏む事になる自分の人生の妨げになるストレスを脳が封印してしまう事がある生活に支障が出るとトラウマとして他者によて認識される※トラウマは本人に自覚できない無意識の領域、潜在意識を自分が理解することはできない※隠しているものを掘り出そうとすると強い拒否反応で精神が不安定になる家庭内介護の問題は?無意識の領域が働いたとき誰が認識するのか?大勢が集まる施設では集団的な無意識の領域が働く誰かが誹謗中傷されると、多数が賛同する例えば「あの人は常識がない」など、世間話からでも始まる個人レベルの家族介護で賛同するのは、もう一人の自分天使と悪魔の囁きがある虐待を客観視できる者が近くに居れば認識されるが、賛同者は誰も認識に及ばず止めることができない等価価値の法則は非常に主観的客観的に解決しようとする試みが裁判で、判決は等価とする価値です。主観的な等価は自己満足を得て、初めて脳内で精算される慰謝料は最も分かりやすい例「いつもお世話になっているから缶コーヒー1本をご馳走した。」バランスが取れているか?捕らえ方は様々で自己満足度で終わることは多いまた、環境の左右や事情にもより、至らないとれば精算不十分となる家庭内介護で費やす時間やお金や労力も、必ず脳内で等価価値の天秤に掛けられる怖いのは、無意識の領域が引き起こす行動が、どのように現れるか?例えば八つ当たりは、自己の解消が対象を変え他者への攻撃と言う方法を選んでしまったまた、全く関係ない人を対象に、精算できない事をその人の中に描くとんでもない事もする阿部元首相暗殺は典型的なパターンになる何となくでも、嫌ったり恨んだりしたあげく攻撃に移行してしまうのですが、近所の人や職場の人に向けられる事が多いと言われています逃避には一瞬のものから、戻る事ができなくなるものが有る現実逃避は現実を消し去ろうとするのか?打ち勝ち精神の回復を図ろうとするのか?どちらも立ち直れなければ精神に支障をきたす一般社会人を基準とした正常な脳では攻撃、逃避、代償を行ったり来たりしている白か黒か?良いか悪いか?社会的問題行動を引き起こす・自己コントールできない 状態は精神疾患の重要な定義で両極端な思考で二者選択になっている誰もが経験するとされる鬱症状も同じ理屈で、日常生活では躁と鬱を行ったり来たり繰り返しているアクセルとブレーキと言った関係とも言われ、やる気や反省に繋がるとされているそこのバランスが崩れ段差が大きくなり行き来できなくなると、どちらかに留まり脱出は難しい家族という密着度の高い関係はストレスの巣屈でもあるマニュアル的な事を言えば、疎遠な方ほど介護には適している家庭内介護は主観的で思い込みが多く、遠慮もなく自我が出易いので無意識の領域が働きやすい環境と言える自己コントロールの及ばない世界を知っておくことは非常に大事なことで、ある程度の適当さと距離感が必要になる相手も自分も追い詰めず、脳が過剰な精算勘定しないようコントロールする必要が有るできれば下ロゴ、ポチお願いします
2016/04/15
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歌を聴きながら〔P3〕When The Moon's Reaching Out Stars車いすを考える定義の一例誰が何処で何の為に?利用者の身体的、心理的、目的(使用)環境的、社会的、経済的どうなのか?より最適であることが求められる車いすの使用は決して安易であってはならない歩行の可能性がある限り使用の際はプランを立て目標達成の道具として使いこなす使用者の人生を変えてしまうのだからプロとしての仕事が求められる認知症、経済環境、キーパーソン(家族など)の思いなど検討すべき課題も多いまた、やもなく座上での生活となった場合、離床しながらの廃用症候群にならないよう支援介助を行わなければならない車いすのフィッティング(適合)の問題点マニュアルのフィッティング基準身体に合うと言った要素とは別に、人権のもと本人の意向を汲み取る①使いづらい②本人が気に入らない③嫌がって乗りたがらないなどしかし、これはエビデンスを持ってするならば全部否定しなければならない①何事も最初からフィットしたりマッチング出来る事の方が珍しい認知力と認識力が劣る程その余地はなくなる使いやすさには癖や習慣が潜んでおり、そこを正す方が重要になる事が多く、本人の感覚ではなく物理的な物差しで考える必要がある② 今後の人生に関わる事態にあって好き嫌いを言っている場合ではない例えば、髪型を変えて違和感を感じたときは「いつもの自分と違う」不安を感じてしまう心理が働いている 気に入る気に入らないなど感覚の問題に結びつける時点で間違っている③健常者で有っても説明したとして、専門知識もなく理解の程は知れている判断基準がない・判断力を失っている状態の方に望ましい結果を求める方がおかしいまず「使ってみようか?」と思ってもらえるよう話を薦めておく必要がある選択肢を用意するなら、どれを選んでも間違いのないものを用意しておく技術が必要になる何が正解なのか?認知症レベルにより、判断は曖昧になる「良い結果に結びつく選択肢を用意できるか?」が福祉関連従事者の腕の見せ所になる身勝手な拒否でケアプランを書き換えるとなると、有事の際は自己責任という括りでキーパソンを含め一筆いただくことになる一般的に身体、心理、目的、環境、社会、経済、どれを取っても満たされる事は稀な話身しょう者や認知症の方を特別あつかいするのは間違いで、倫理的にどう接するかが社会の道徳心になる福祉用具の選択よく指摘されるのが専門家の思い込み最新の技術や性能、質感を何でも良い物と勘違いしてしまうまた、使用する本人の感想は曖昧ないことも多く、場に流され適当に返事することも多い気に入ったモノを購入しても不安や後悔をしたり、髪型を変えて違和感があるのを考えて、可能な限り試用期間をもうけ、モニタリングで具合を探ることが重要になる車いす(介護用具)は双方が使いこなすのであって、頼るものではない考え方も大切で幸福感の一つの条件にはquality of lifeの実現がある車いすのポジショニング(体位交換)車いすの使用は支援介助によって大きく左右されるふらつく歩行者よりはリスクも減り手間も省けるので、多数は介助側の都合になる事も多い体力と筋力の低下を防ぐ負荷のある姿勢と安息の姿勢をどう取り入れるかは難しい問題で、日頃の車いすや歩行器の使い方が重要になる1 体幹前傾活動座位 食事をしたり、作業をしたりするときの姿勢で足はしっかり床を踏んでいる(膝が90度以上曲がっている)背筋は床に対して直角、もしくはやや前傾となるなので背もたれの接触はない平衡感覚を養い筋力維持に期待。2 体幹後傾休息座位 足を前方に伸ばし背を後方に倒す身体と車いすとの接地面積が広く負担は軽く安定しているが頻度が増すほど廃用症候群に繋がる。1が負荷 2が安息と考えた場合ADL向上と維持1>2 痛み対策や養生1<2身体機能が高ければ1の頻度が上がり、マイナス要素が加味するほど2の頻度が増すということになる一般の車いすは体幹前傾活動座位でいかに一日を過ごせるか?使用者が自立し意識した扱い前提なので使用者自身の動きでのトラブルが多い。寧ろ機能の多いもの程、支援介助側の不注意でトラブルが起きるので知識と技術が必要になってくるヘッドサポート首がしっかりしているのに無意味に使うと頭を押し出すことになったりストレスを与えてしまう必要ないときは触れないように収めて確認をするリクライニングを利用者の動きを封じる為に使うことはよくある動き回るから自走式を辞めたり、フットサポートから足を下ろす度に定位置に戻すなど間違った対応も多い入浴、トイレ、就寝など車いす停止時のロックをしない人は多いテーブルの高さの都合で車いすと利用者を合わせている場にいたことも有る例えば、メーカーと担当と看護3人が集まって車いすを選ぶもともとスタッフ側に車いすの機能依存が強く、全部の車いすを改めていくのに半年ほど掛かった何故、難しい項目なのか?現状報告、アセスメント、ケアプランで施設生活(今後の人生)が決まってしまう車いすの使用は依存度が高く機能低下も早い危険防止対策ではなく付加価値としてのおまけ生活向上のための車いす自立し、社会生活をおくる以上、危険リスクを誰もが抱えている買えば高い車いす国は要介護2を基準に車いす使用をの補助を定めている介護度が下がり、いきなり車いすを取られて危険リスクが何倍にも跳ね上がるという矛盾が起きるバリアフリーで何とかなる理屈もあるが、支援介護の比重は要支援や介護度が低いほど上がる動きが大きくなるほど危険で手を差し伸べる機会が増え、時間や手間を必要とする介護度が下がり補助金が減ると単純に人員振り分けができない結果にもなる現場では、そうは言ってられないので正しくボランティア精神で働くことになるが良いことはないプロの現場においてボランティア精神は百害有って一利なし責任追及が常にあり通用しないプロはプロ意識を高める方向をはき違えている
2016/04/14
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FFM-BEALIVEは、管理者び~あらいぶの個人ホームページです完全無料・購読料システムなども有りません家庭内介護の怖い話 復讐のための介護!女性に多く男性からは聞いた事が有りませんでした歪んだ愛情による執着心男女の関係ではよく聞きますが、愛情の裏返しなど極めて身勝手な話です家庭内の虐待暴力は珍しくなく程度の問題になっていると感じます肩をゆすったりお尻をパチンと叩くくらいはカウントに入れない人もいる家族の都合で生かされてる世間体が前面に出ていて分りやすく、それを施設に押し付けるのでクレームや要望が多く愛情は感じなのですこれ等の行動に良し悪しはなく、それぞれ人生ドラマの途中経過にすぎない人間模様施設や他者による介護は、介護される側を主人公と見立てる個人レベルの家庭内介護では介護する側も主人公誰もが主人公だと悲しい出来事が起こる家庭内介護は主観的なので客観的な福祉概念や人権とは仲が悪い難問を楽観的に紐解く力が必要になる本文はこちら もちろん無料家庭内介護を考えてみた-2022年更新 ロゴポチ 応援お願いします→
2016/04/10
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熱が出た!!小さなお子様については参考程度にして下さい。それ以外の方で、私の知る限り100歳くらいの方までを対象にした介護や医療現場での捉え方です発熱とは何か?物理的代謝で生じる炎症による発熱体内の化学反応熱と摩擦熱炭化は炭水化物やたんぱく質など代謝の成れの果てに起きる一つの現象になり、修復回復は不可能裂傷や圧迫による組織破壊や外部からの伝導熱によって誘発される熱理由が違えば対応も違う 外傷のみられない、体内で何か起きているであろう発熱何を優先するか?ポイントエリア脳へのダメージ >38.5度c 内臓へのダメージ >38.0度c熱発 > 37.5度c 免疫活性=37.2度c微熱エリアでは基本何もしない喉の渇きは潤す急に水分補給すると戻すこともある通常で水分を取って腸が吸収できるのは180ccクーリングについて最も大切なのは高熱による脳へのダメージお子さんや高齢の方は内臓へのダメージも受けやすいので要注意です無責任な熱を下げる方法メディアで取り上げられる信じられない医者のアドバイス 内臓への負担を考えお腹を冷やしたり、心臓付近を冷すなど何の設備もない個人レベルでは危険!悪寒は脳の指令発汗無理やり汗を出させるのはダメージを与えることになり非常に危険真似てはいけない失笑する看護の対応・・・・・・本編はコチラ ⇒ 熱が出た!どうしましょ? ロゴポチ 応援お願いします→
2016/04/03
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支援介護は誰にでもできるものではない施設は一つの社会として成り立つ家庭・友達・会社など日常のトラブルを回避し収める技量が必要です支援介護の現場でスタッフ同士のトラブルが絶えぬ様ではすでに失格もう一つ、支援介護は見守りと声掛けで始まり終わるそこには沢山の知識と技術が必要で、優しいとか人が良ければ良いものではないその時点で脱線しているので、せめてパートとして修まってほしいです社会福祉に関わる人に描く像看護師、医者、幼稚園の先生、政治家など、理想とする人間像が有るどう言う人をイメージするか?とか、どう言う人が望ましい?とか、どう有るべき?と言ったことです福祉に関してわたし自身が思うには、特に現場において聖人君子・仏さまのようでなくては無理!と判断「あたしゃ無理っす」と最近特に思うのです今までは、そこに近づくために必要なのが知識と技術で「自分の足りないものを補う心構えと謙虚さが求められる」と提唱していた「それも もうムリっす」現場は、精神疾患や認知症の方、障がい者、重病だけど病院には居られないとか、ただただ高齢の方などチャンポン状態です同じ一軒屋に住む管理人のあなたは、家族や国からお金をもらい預かっているのですが、社会の評価を受けながら、何を何処まで出来るでしょうか? 仏の顔も三度までって云うけどそんな尻込み男のわたしが何ですが、今後増えるであろう家族介護についてアドバイスをさせて頂くコーナーです人権、尊重・尊厳家庭内介護は、身近なだけにそう言ったものが欠けてしまい易くて難しいそれでも家庭内介護を選択しなければならないのならば!1 オープンにする閉ざされた環境は いじめや虐待の畑になる自分に対して客観視出来ることが非常に重要になるが難しいので、人の目が入るようにする教育者、介護経験者、子育てにしても思わず手を掴んだり引っぱたりした事は?ありませんか❓人でなくてもモノを叩いてしまったとか、自分の体の一部を叩くとか、限が無いのでスルーしてしまう事は当たり前の動作や行動なんですが、何が何処に向くるか?の選択は、脳が瞬間的に判断しますそれをコントロールするのが知性や理性と言われていますですが反射と言うのも有って、噛みつかれたり抓られたりした瞬間に相手を叩いてしまうのを見ることができます首を絞められたり、掴まれたりしながらでも相手との話を続ける(意味がある)わたしでも何回か有りますから、反射には勝てません暴力的な人でも、回避のできない精神や認知的なものを制しながら、介護するのが義務なので、力業で強硬突破することも有るのが現実ですそれは、ひとつのトリガーポイントになり密室や家庭の中で起きてしまった場合、再々起きてしまうと麻痺する事があります恐いのは、日常化し無意識のうち自分を肯定し始める事です○○だから、こうなった、仕方ないパターンとしては多いと考えられ、子育て家族では「躾のため」だとするものですねこの様な話が出たときに「そんな事あり得ない」と言う人ほど危険です何故なら、人の特性を分かっていないからですいじめや虐待は誰にでも起こりうる事を知る事が大切になり、そこを素直に受け入れられる人でないと支援介護の資格者(教員や指導者)とは言えないですね2 自分たちは特別じゃない支援介護される側が身障がいだろうが老衰だろうが、その症状や言動、その方の個性においても特別なものではない支援介護する側の言動や行動も同じ勿論、個々の違いはあるわけで、良いことも悪いことも受け入れて共有することが大切になる閉ざされる家庭には、支援介護をされる側と、する側の関係で毒母・封建的・近親との相姦などが有るそれもまた人の側面であり、どこでも起こりうる事最も良く有る支配関係の現れは「誰のおかげで・・・」「誰が飯食わせているんだ」ですが、聞き覚えありませんか?その延長線上で様々な虐待の種が芽吹くので、殆どの人が当てはまります虐待は常に存在しているのが前提び~あらいぶの提唱する「無意識の虐待」です【何故、そうなるのか?知ること、考える事】が虐待の予防と防止になる3 利用できるものは活用する。自分ができること、できない事を早めに見定めて地域の包括や施設は遠慮なく使う医者や療法士、病院隣接の薬局やケアマネージャー、専門知識を持った方に無料で相談できる事は沢山あって知らない事だらけに気づく知らない事だらけでは、頑張ったのに悪い結果が出ても当然 一人では出来ない支援介護これは現場でも課題となる介護は24時間365日、引き継ぎがうまくいかないと間違った対応をしてしまう業務でなければ尚更無理なことは誰にでも分かる支援介護には正解がないと言う問題もある医療も教育も同じく結果が出るとも限らない正解が出せず結果が出ないと未解決のまま報酬が出されず脳にとっては大きなストレスとなるこの種の問題を、よりベターな結果に結びつけるには?今一番良いとされるものを、それぞれの知識を持ち寄って、検討しながら対応することになるつまりはエビデンスを持った発想と転回が必要になる更に、支援介護を受ける側と提供する側の人間関係が重要になるこれから急増する家庭内介護は、身内やご近所、知り合い、身近なものとして受け入れていく地域性が大切になる介護の悩みや問題が井戸端会議の項目であっても良いそこでは悪口や愚痴もあるだろうが、また、それも人の側面しっかり向き合って何かしら考える機会になればいい ロゴポチ 応援お願いします→
2016/03/31
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