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アメリカ音楽の探究者を偲んで~柔らかさとタイトさと深みの不思議な同居 先日、訃報が届いたリヴォン・ヘルム(レヴォン・ヘルム、Levon Helm)。ザ・バンド(The Band)の欠かせない中心メンバーとして、さらには地味ながらソロとして、ここ半世紀ほどの現代アメリカ音楽に重要な足跡を残した。追悼の意味も込めて、ザ・バンド解散後のセカンド作にして、セルフ・タイトル作の『リヴォン・ヘルム2(原題はただ単にLevon Helm)』を取り上げてみようと思う。 あらためてリヴォン・ヘルムの経歴を挙げておこう。1942年5月26日、アーカンソー州生まれ。ザ・バンドのメンバーの中では唯一のアメリカ人(残る4人はカナダ人)である。10代後半になると地元のバンドで活動を開始し(当初はギターを弾いていたとのこと)、ジャングル・ブッシュ・ビーターズなる自分のバンドを結成する。このバンドはロニー・ホーキンスのバックを務めることになり、やがて、ホーキンスが新たなバックバンドであるザ・ホークスを作る際、リヴォンがそのメンバーに含まれることとなる。このホークスというバンドが、後のザ・バンドとなることは周知の通りである。1963年、ホーキンスから独立したバンドは、ボブ・ディランとも交流を深め、1968年の『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』でレコード・デビューする。1976年のザ・バンド解散後は、ソロでの活動を進めると同時に、1980年代~90年代のザ・バンド復活(『ジェリコ~新たなる伝説』など計3枚の新作をリリース)にも参加した。1996年に喉頭がんと診断され、一時期ヴォーカルをとるのは困難になったものの、見事に回復し、音楽活動を続けた。そして今年(2012年)4月19日、闘病生活の末、71歳の生涯を閉じた。 ザ・バンド解散後、リヴォン・ヘルムにとって最初のソロ作は『リヴォン・ヘルム&RCOオールスターズ』だった。ブッカーT、ポール・バターフィールド、ドクター・ジョンなどが参加し、まさしく豪華な“オールスター盤”であった。その翌年にリリースされた本盤『リヴォン・ヘルム』の方は、リリース名義も完全にソロ名義(前作は“リヴォン・ヘルム&RCOオールスターズ”名義)となり、メンバーの演奏もより落ち着いた着実なものになっているとの印象を受ける。 意外なことに、本盤の特徴はリヴォン・ヘルムが“ドラムを叩いていない”こと。その意味ではドラムのスティックをクロスさせて構えている本人の姿を収めたジャケット写真は、羊頭狗肉と言われても仕方ない。けれども、それとは裏腹に、内容の方は別物。ザ・バンドそのものは途絶えてしまったが、ザ・バンド時代からのヴォーカルは健在。いやそれどころか、バンド内の余計な気遣いなく、気兼ねなくできる仲間といっそう伸び伸びとした一体感のある演奏とヴォーカルを聴かせてくれる。 全体としては、南部サウンドのエッセンスを凝縮しつつ、堅苦しくない演奏を展開しているといった感じ。メンバーはメンフィス(前作に参加のブッカーTつながりのMG’s)からアラバマ(マスル・ショールズ)までといった南部コネクションから成る。大きなヒットを記録しなかったアルバムであるが、カナダから米国南部へと分け入っていったザ・バンドの続き、というか、もはや完成形(?)に近いものがここでは成し遂げられている。 捨て曲もほとんどなしの好盤だが、個人的好みで聴きどころベスト3曲を挙げておきたい。冒頭の1.「エイント・ノー・ウェイ・トゥ・フォーゲット・ユー」は、落ち着いて大きく構えたリヴォンのヴォーカルが印象的(同様の印象は、3.や7.からも受ける)。いかにもサザン・ソウルといった風情の6.「テイク・ミー・トゥ・ザ・リヴァー」は、3.など他の何曲かと同じくブラスが効果的かつ印象的。ザ・バンド、あるいは少なくともそのメンバーとしてのリヴォン・ヘルムが到達したかったのは、この境地ではなかったかと思わせてくれる。8.「レッツ・ドゥ・イット・イン・スロー・モーション」は、落ち着きのあるスワンプな雰囲気を存分に湛えたナンバーで、バンドの演奏の一体感を感じさせる。 全体的に地味なのは事実だが、ザ・バンド好きや70年代のエリック・クラプトン(参考記事)あたりを入り口として南部音楽(サザン・ミュージック)に関心のある層からもっともっと支持を受けてもいいように思う。リヴォン死去の今回のニュースがなくとも、聴き継がれてほしい1枚。[収録曲]1. Ain't No Way To Forget You2. Driving At Night3. Play Something Sweet4. Sweet Johanna5. I Came Here To Party6. Take Me To The River7. Standing On A Mountaintop8. Let's Do It In Slow Motion9. Audience For My Pain1978年リリース。 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2012.05.29
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40年前のエルトン、スーパースターへの仲間入りとなった作品 10年ひと昔、なんて言うけれど、その勘定に従うと、もはや“四昔”(つまりは40年)前の作品ということになる。稀代のスーパースター、エルトン・ジョン(Elton John)が若きシンガーとして売出し中だったことを考えれば、確かにだいぶ昔ということになるだろうか。 さて、そのエルトン・ジョンがヒットメイカーとしての地位を確実なものとし、スーパースターの仲間入りを果たすことになったのが、本盤『ホンキー・シャトー(Honky Ch?teau)』である。1969年にデビューし、翌1970年には『僕の歌は君の歌(原題:Elton John)』(グラミーにノミネートされた)および収録曲のシングル「僕の歌は君の歌(Your Song)」(英7位、米8位)のヒットがあった。その後、やや地味めなアルバムを制作し、並行してサントラやライブ盤を手掛けていたが、まだまだスーパースターというほどの貫録というか絶対的地位を得ていたわけではなかった。けれども、本作『ホンキー・シャトー』のリリース(全米で初めて1位を獲得)とそこからのシングルヒットで、エルトンは名実ともにスーパースターとなった。同時に本作はその次の年の『ピアニストを撃つな』、『黄昏のレンガ路(Goodbye Yellow Brick Road)』、さらには74年の『カリブ』へと続くスーパースター街道のスタートでもあった。 シングル曲としては、1.「ホンキー・キャット」と5.「ロケット・マン」がカットされ、特に後者は全英2位(米チャートでは6位)の、「僕の歌は君の歌」以来のヒットを記録した。ちなみに、前者の曲名はアルバム表題に似ているが、「キャット」であって「シャトー」ではない。 実は、この「シャトー」という語(フランス語で「城」、もしくは、貴族や領主たちの居城を意味する)の由来は、レコーディングの環境から来ている。このアルバムは、フランスの古城を改築したスタジオでレコーディングされた。そのため、本作の表題に「シャトー」という表現が用いられた。ちなみに、この古城スタジオはエルトンのこの後のいくつかの作品のほか、様々なアーティスト(主にイギリス系アーティスト)がレコード制作に利用している。例えば、フリートウッド・マックの『ミラージュ』、レインボーの『バビロンの城門』なども、この“ストロベリー・スタジオ”でレコーディングされた。 地味なジャケットで、しかも時系列的に見れば、この後にヒット作を連発(しかもエルトンは多作)していることもあり、“四昔”経った21世紀の今から見ると、影の薄いアルバム扱いすらされかねないが、やはり名作は名作で後世に伝わってもらいたい。特にA面(1.~5.)は、個人的には何度聴いたかわからないぐらい。[収録曲]1. Honky Cat2. Mellow3. I Think I'm Going to Kill Myself4. Susie (Dramas)5. Rocket Man (I Think It's Going to Be a Long, Long Time)6. Salvation7. Slave8. Amy9. Mona Lisas and Mad Hatters10. Hercules1972年リリース。 ホンキー・シャトー+1/エルトン・ジョン[SHM-CD]【返品種別A】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012.05.26
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2012.05.23
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若き日のボス、必聴の名チューン 1980年、ブルース・スプリングスティーンが発表したアルバム『ザ・リバー』は、彼の最初の多作期を示す作品だった。スプリングスティーンは、1975年の『明日なき暴走』で有名アーティストとなっていたが、1980年のこのアルバムからは、彼にとって初の全米TOP10に入るシングルが生まれた。LP2枚組の『ザ・リバー』で、1枚目のB面の冒頭を飾る若々しくも郷愁溢れるナンバーがこの「ハングリー・ハート」であり、実は筆者が最初に聴いたスプリングスティーンの曲である。 まずは、アルバム『ザ・リバー』に所収のオリジナル・ヴァージョンから。画像は動かないが、曲に合わせて詞が出るので、こちらをご堪能あれ。 続いては発表当時(1980年)のライヴから。ボス本人はもちろん、既に鬼籍に入ったメンバー(ダニー・フェデリシ、クラレンス・クレモンズ)もみんな若々しい。時期的には、『明日なき暴走』で既に名声は確立しているけれど、『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』での異常なブームはまだ起こっていない段階といったところで、何とも生き生きしている。 最後は90年代に入って、シングルとして再発された時(1995年)のビデオクリップ。演奏はいつものE・ストリート・バンドではなく、ドイツのBAPなるバンド。飛び入りなどのハプニング的なものを除き、こうした無関係のバンドでのこの曲の演奏はレアだが、何でもこのバンドがスプリングスティーンのフォロアーだそうで、見事なまでに、オリジナルの雰囲気を再現した“完コピ”といった風情で、“ボス”も気持ちよさそうに熱唱している。 [収録アルバム]Bruce Springsteen / The River (1980年)←スタジオ収録のオリジナル・ヴァージョン 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012.05.21
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シンプリー・レッドとスティーリー・ダンの意外な共通点(?) 唐突かもしれないが、実は筆者にとってこのシンプリー・レッド(Simply Red)というグループは、スティーリー・ダンと似た関係にある。やってる音楽に共通性が多いとか、そういう意味ではない。形式的なことを言えば、個別のミュージシャンが指揮をとり、バンドとしては必ずしも固定された平等な関係ではなく、“指揮者”がバンドという形態を動かしている部分、とでも言えばよいだろうか。 そういう形式のグループというのなら他にいくらでもあるではないかと反論される向きもあるだろう。けれども、筆者にとっての共通点はそれだけではない。感覚的な言い方しかできないのだけれど、聴いた時の印象というか感覚というか、それが共通しているのである。筆者にとって、両者の作り出す音楽は、思わず体が動くとか、カッコよすぎて無条件にしびれるとか言うのではない(そうだというファンの方々はお許しを)。聴きながら、あるいは聴いた後に、とにかく感銘を受け、感心し、凡庸でないことにひたすら驚嘆するというパターンなのだ。 1991年発表の本作『スターズ(Stars)』は、上記のような感想を持っている筆者にとって、シンプリー・レッドの典型作であり、実際、このグループがもっとも売り上げた作品でもある。前作(『ア・ニュー・フレイム』)に引き続き2作続けて全英1位を獲得した。アメリカでの売れ域はさほどでもなかったが、特にヨーロッパでの人気は高く、イギリスでは2年続けて売上No. 1の座をキープするアルバムとなった。同様に、リリース年から翌年にかけて5曲もの収録曲がシングルとしてチャートインした。 以前にもちょっと書いたように(過去記事『ピクチャー・ブック』を参照)、シンプリー・レッドの中心であるミック・ハックネルの言動を見ていると、この人は自分のことを本当に天才だと思っているかのようだ(そしてまた、本当に彼は天才なのだけれど)。これに反して、と言えばいいのだろうか、ハックネルが創り出す音楽には嫌味な部分がない。そしてどの曲も、特にこのアルバムでは、洗練された都会的響きがする。こういう部分が、筆者の中では、上で述べたスティーリー・ダンと重なり合っているのだ。 収録曲はどれもレベルが高くよくできているのだが、とくに印象が強いのは表題曲の2.「スターズ」。きれいなまとまりの中にもサッチャー(かつての英首相)に批判的な運動をしていたハックネルが反サッチャリズムの意味を込めて作ったとされるもの。他には1.「サムシング・ゴット・ミー・スターテッド」、4.「ユア・ミラー」、8.「ハウ・クッド・アイ・フォール」、10.「ワンダーランド」といったあたりが特に高い洗練度で好み。[収録曲]1. Something Got Me Started2. Stars3. Thrill Me4. Your Mirror5. She's Got It Bad6. For Your Babies7. Model8. How Could I Fall9. Freedom10. Wonderland1991年リリース。 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012.05.20
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デヴィッド・ボウイ/ジョン・ボン・ジョヴィ、シール&ロバート・パーマー/ジョン・レノン/B・スプリングスティーン 「ライク・ア・ローリング・ストーン」 その1に引き続き、いろんなアーティストによる「ライク・ア・ローリング・ストーン」のカヴァー、もう少しお付き合いください。 あまたあるカヴァー・ヴァージョンの中で、個性的という意味では、これがなかなかお気に入りです(画像が動かないのが残念ですが)。デヴィッド・ボウイ(David Bowie)による疾走感あふれるヴァージョンです。 同じく個性的と言えば、次のライブ映像も三者三様の個性が実によく発揮されています。最初のヴァースはイギリス出身のアフリカ系ソウル・シンガーのシール(Seal)、次に歌うのが個性的なソウル系ロック・シンガーだったロバート・パーマー(Robert Palmer)。そして最後に満を持して出てくるのがジョン・ボン・ジョヴィ(Jon Bon Jovi)です。全体としてはテンポを落として、歌を聴かせようという演奏で、今は亡きR・パーマーのソウルフルな歌いっぷりと、J・ボン・ジョヴィのパフォーマーぶりの対比がなかなか面白いように思います。 最後にマニアックなものを2つほど(どちらも音声は悪いですので、特に興味のある方のみ、どうぞ)。 1つめは、かのジョン・レノンのものです。31歳の誕生日に友人たちとジャムったものが録音されて残ったのだそうです。2つめは、アメリカン・ロックの大御所、ブルース・スプリングスティーンで、2009年のライヴでの演奏とのこと。どちらも大物が「ライク・ア・ローリング・ストーン」をやったレア音源ということで。 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012.05.18
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ジミ・ヘンドリクス/ジョニー・ウィンター/ジョン・クーガー・メレンキャンプ 「ライク・ア・ローリング・ストーン」 先日、ザ・ローリング・ストーンズによるカヴァーを取り上げたボブ・ディランの有名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン(Like A Rolling Stone)」について、追加で動画紹介です。 よく知られた名曲だけあって、様々なアーティストがカヴァーしています。まずは、有名どころから。ジミヘンことジミ・ヘンドリクス(Jimi Hendrix Experience)のヴァージョンから。 同じく有名なカバーで“百万ドルのギタリスト”ジョニー・ウィンター(Johnny Winter)によるもの(こちらは映像は動きません)。 どちらもギター・プレイが特徴的なだけあって、個性的に仕上がっています。ジミヘンの方は完全に彼の世界に曲を引き込んでしまっていますし、ジョニー・ウィンターの方は原曲の雰囲気を壊し過ぎないようにしながらも、このブルース系のギターは彼にしかできないという部分がしっかり主張しているように思えます。 続いては、ボブ・ディランのデビュー30周年記念コンサートから、ジョン・(クーガー・)メレンキャンプです。こういう系統のアーティストが歌っているところをみると、フォークを脱してロックに接近していった往時のディランが、アメリカン・ロックにおいていかに血となり肉になっているかがわかる気がします。ゲストのアル・クーパー(元のディランのヴァージョンでのオルガン奏者)の演奏も効いています。ちなみにジョン・クーガーは兼ねてからライヴ等でこの曲をやっていたとのこと。 まあとにかくいろんな人がカバーしていますので、もう何人か紹介したいと思います(その2に続く)。 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012.05.17
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80年代テイストのあの曲… 震災がらみでここのところ脚光を浴びることが多かったシンディ・ローパー(Cyndi Lauper)。気が付けば、シンディももうすぐ還暦…。時の流れは早いもので、30歳でメジャー・デビューしてから30年近い年月が流れたわけだ。 デビュー作に含まれていた「タイム・アフター・タイム」も、セカンド作のタイトル曲「トゥルー・カラーズ」(参考過去記事1・2)も、はたまた元気いっぱいの「ハイスクールはダンステリア(ガールズ・ジャスト・ウォナ・ハヴ・ファン)」も、外すことのできないシンディの名曲である。でも、その脇で忘れ去ることのできない(そして筆者には非常に80年代的テイストが凝縮されていると思う)曲がある。 セカンド・アルバムの『トゥルー・カラーズ』の1曲目に収録され、シングルにもなった「チェンジ・オブ・ハート(Change of Heart)」である。その当時はそうは思わなかったのだが、四半世紀経ったいまから振り返ってみると、このイントロからして何とも郷愁を誘う雰囲気である。 またこの曲がヒットしたその当時は、MTV全盛の時代でもあった。筆者もご多分にもれず、その時々のヒット曲のビデオクリップを繰り返しTVで見ていた。A-haのマンガ風の絵のビデオとか、マイケル・ジャクソンのダンスの映像イメージとか、強く心に刻まれているビデオ・クリップも多かったのだが、スカートの裾を振りながら街中で踊るシンディのこの曲も、どういうわけか筆者の心に強く刻まれた。 それにしても、このスカートの裾を掴んでの踊りは何だったのだろう? 80年代リアルタイムの読者の方々、記憶にありましたか?(筆者はずっと気になっていたのです…。)[収録アルバム]Cyndi Lauper / True Colors (1986年) 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012.05.15
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“華麗なる反則技”の名曲シングル 周知のように、ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)はロックの代名詞的な老舗バンド。1963年のデビューだから、来年でデビュー50周年の区切りを迎える。現代的な意味でのロックの創成期に黒人音楽を積極的に取り入れ、その功績は本当に計り知れない(参考過去記事:『アフターマス』、『ベガーズ・バンケット』、『レット・イット・ブリード』)。 すっかりブランドと化してしまった90年代以降のストーンズには、正直なところ、筆者個人としてはあまり興味がない。そもそもジョン・レノンだって、ビートルズのことを“いつまでも同じままじゃいけない、さもなきゃ博物館行きだ”みたいな発言をしていたではないか。にもかかわらず、ストーンズは60歳を超えても、いやはや70歳になろうとしても(ミックとキースは来年2013年で70歳になる)、同じようにストーンズであり続けている。こうなりゃ、良くも悪くも生ける博物館だ。そう考えれば、何でもありという発想もあり得るのかもしれない。そんなストーンズが思わぬ“反則技”を披露してくれたのが、この90年代のシングル曲である。 ザ・ローリング・ストーンズというバンド名は、いまさら言うまでもなく“転がる石たち”の意。もともとこのバンド名は、シカゴ・ブルースの巨星マディ・ウォーターズの曲から採られたもので、初期のバンド・リーダーであったブライアン・ジョーンズ(1969年急死)による命名であった。 ストーンズのデビューから数年、フォークの貴公子ボブ・ディランは“ロック転向”を果たし、60年代を代表するかの記念碑的名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」を1965年に発表する。言うまでもなく、この曲のタイトルは“転がる石の如く”の意味である。ローリング・ストーンズは、自らのバンド名と重なり合うこの曲を、ライヴでやるだけならまだしも、シングル化して1995年にリリースしてしまったというわけである。 肝心の演奏はというと、案外、ふつうである。とりたてて奇抜なアレンジをするでもなく、ストーンズらしさを無理に押し出すわけでもなく、どちらかと言えばシンプルかつ忠実に往年の名曲を演奏してます、という感じ。まあ、聴き手の方も60年代後半から70年代初頭にかけての革新性みたいなものを求めているわけでもなければ、ストーンズ自身もそれを自覚の上でやっているのだろうから、それはそれでよいのだ。定番の古典を大御所の歴史あるバンドが演奏する。その組み合わせだけで聴衆に“うける”ことを分かった上でのシングル・リリースだったということだろう。 とまあ、オールド・ファンの目にはそう映るのかもしれないのだが、よく考えてみると、違う一面もあるのかもしれない。“ディラン、それだあれ?”、“この曲って昔の名曲なの?”という新しい若年ファン層にとっては、90年代のこの曲のリリースは、60年代の遺産の伝道者という側面もあったのかもしれない。自分たち(ストーンズ)が生きた、もしくは作り上げた時代のものを、数十年後に自ら伝える役割も果たすという奇妙なことになってしまっているが、そういう狙いももしかしてあったのだろうか…。 なお、このライヴ・テイクは前年(1994年)の作品『ヴードゥー・ラウンジ』に伴うツアーの音源を収めたもの。収録のアルバム(『ストリップトStripped』)は、ストーンズ初のアコースティック盤でライヴ・テイクとスタジオ・テイクの混合盤だが、この「ライク・ア・ローリング・ストーン」はフランス、パリのオランピア劇場での演奏とのこと。あと、この曲は1995年(日本では翌96年)公開されたS・スタローン主演の映画『暗殺者』のテーマにも用いられた。[収録アルバム]The Rolling Stones / Stripped (1995年) 【Aポイント+メール便送料無料】ローリング・ストーンズ Rolling Stones / Stripped (輸入盤CD)【YDKG-u】 【バンドグッズ/ミュージックグッズ】正規ライセンスグッズローリングストーンズRolling Stonesミニ缶バッヂB-0943【あす楽対応】ポストカード【音楽】ローリングストーンズ / Lipsローリング・ストーンズ Rolling Stones Warhol Tongues メタルカンバッチ (100110)メール便利用可¥3800以上のお買上げで送料無料!【1500円】THE ROLLING STONESインポートT-shirts!夏には必要不可欠Tシャツがこの価格!大人気Tシャツ!2color【1500円】THE ROLLING STONES T-shirts♪Tシャツ♪夏服♪ロック♪BunnyT-shirts♪ローリングストーンズ 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2012.05.14
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INDEXページを更新しました。ここ最近の記事を追加しています。INDEXページへは、下記リンクのほか、本ブログのトップ(右端の「フリーページ」欄)からも入ることができます。 アーティスト別INDEX~ジャズ編へ アーティスト別INDEX~ロック・ポップス編(A-L)へ → 分量が増えてきたので、2つに分けました。つづき(M-Z)はこちらです。 アーティスト別INDEX~ラテン系(ロック・ポップス)編へ アーティスト別INDEX~邦ロック・ポップス編へ 下記ランキングに参加しています。 お立ち寄りの際には、ぜひとも“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2012.05.12
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2012.05.11
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“アンダーグラウンドなロックのメイン・ストリーム”の出発点 ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(The Velvet Underground)は1965年に結成されたアメリカの前衛的ロック・バンド。バンドの母体はその数年前、ニューヨーク在住だったルー・リード(Lou Reed)が、イギリス(ウェールズ出身)から音楽を学びにアメリカにやって来ていたジョン・ケイルと出会ったことに始まる。ちなみにバンドの名前は道端に落ちていたSM小説から採ったものだという。1967年、デビューアルバム『ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ(The Velvet Underground and Nico)』を発表。同盤の制作に先立ち、ドイツ人女性シンガーのニコがバンドに迎えられた(ニコはこの1作だけに参加し後に脱退)。 ロック史上の名盤は数あれど、これほど売れなかった名盤というのも珍しい。当時はアルバム・チャートの100位内にチャート・インすらせず、せいぜいバナナの皮がむけるジャケットが話題にされた程度だった。このジャケット・デザインはアンディ・ウォーホールの手掛けたもので、そのために音楽誌ではなく美術誌で取り上げられるなどという、音楽作品という本来的な意味からすると本末転倒な事態も生じた。 時は流れ、70年代のパンク・ムーヴメント、90年代のグランジ、オルタナといったロック史を今から振り返る時、60年代後半当時には明らかに“アングラ”だった流れが、メイン・ストリームになって表れていったことに気づく。一言にしてしまえば、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは時代を大きく先取りしていた。というか、先取りし過ぎていたのだろう。同時期にビートルズのような秀でたバンドがロック音楽のサウンド的・アルバム作りなコンセプトを大きく変えていったが、そういう“光”の部分に対し、彼らは精神性を作品に体現しようとする、いわば“陰”の部分を作り出すことになったように思われる。その思想は、当時のアルバム売上には反映されなかったが、10年、20年、30年と時が経過するにつれ、確固たる名盤としての地位を確立していった。不遇な話だけれど、ロック史的には凄いということか。 今だから(当時に未来を見通す予言者がいたならば別だが)言えるのだろうけれど、この盤の中には、パンクもサイケもあればオルタナもある。そもそも“ポスト・ロック”な盤だったと言えるのかもしれない。10年、20年、あるいは30年と時が経つにつれて、ようやく時代が追いついたということか。はたまた本盤が時代を作った、つまり本盤がなければ次の展開はなかったのか。これを考え始めると“鶏と卵”で結論が出なさそうでもあるけれど…。[収録曲]1. Sunday Morning2. I'm Waiting for the Man3. Femme Fatale4. Venus in Furs5. Run Run Run6. All Tomorrow's Parties7. Heroin8. There She Goes Again9. I'll Be Your Mirror10. The Black Angel's Death Song11. European Son1967年リリース。 【送料無料】ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ/ヴェルヴェット・アンダーグラウンド[SHM-CD]【返品種別A】【smtb-k】【w2】 ↓アート・デザインが有名なジャケだけあって、巷ではいろんな形で商品化されています。↓ Tシャツにバッグ、ポストカードにステッカーといった具合です。 ロックTシャツ♪バンドTシャツ ヴェルヴェットアンダーグラウンドTシャツ#4 【ロックバッグ】 ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド ≪The Velvet Underground≫ポシェット ポストカード【音楽】ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ (The Velvet Underground & nico) 雑貨【ロックステッカー】ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ (The Velvet Underground & nico)/バナナジャケット 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2012.05.11
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累計のアクセス数が25万に達しました。 ブログそのものも、開始からもうすぐ3年になります。 こうやって、ぼちぼちながら続けていけるのも、ご覧くださる皆さんのおかげです。この場お借りて感謝いたします。 今後とも引き続きご愛顧ください。 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012.05.09
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心温まるウェスト・コースト・ジャズの二人の巨人の邂逅 一方のスタン・ゲッツは、1927年ペンシルヴァニア州出身。ウクライナ系ユダヤ人家庭に生まれ育ったテナー・サックス奏者。13歳でサックスを手にし、1940年代後半からテナー奏者として活躍していく。他方のジェリー・マリガンも、同じく1927年生まれで、両親はアイルランド系。バリトン・サックス奏者として1940年代から頭角を現し、マイルス・デイヴィスの『クールの誕生』に参加。その後はチェット・ベイカーとの活動でも知られる。なお両者とも1990年代に60歳代で亡くなっている(ゲッツは91年、マリガンは96年、それぞれ64歳、68歳で没)。 ジェリー・マリガンはいろんなソロイストとの共演盤(『マリガン・ミーツ・何某』の類)があるが、その中でも本盤は特に異色の作。ただ単に、クール・ジャズあるいはウエスト・コースト・ジャズ(西海岸ジャズ)の代名詞的な白人プレーヤーの二人が共演しました、というだけの内容に終わっていない。何よりもまず、二人の息の合い方、演奏スタイルの組み合わせが実にぴったり合っている。 ゲッツはテナー奏者、マリガンはバリトン奏者と、同じサックスでも音色の全く違うサックスを演奏する。けれども、そもそも両者の演奏には似た部分がある。どちらも鋭く甲高い吹き方をするタイプではなく、“柔らかさ”を大事にするタイプという点だ。このスタイルの相似がぴったりと合ったことが本盤の成功の基本的な要因だろうと思う。 その上で面白いのは、ゲッツがバリトン・サックスを、マリガンがテナー・サックスを演奏するという“楽器入れ替え”があるという特色である。このことを告げられずにさらりと本盤をいきなり聴いたら、最初は気付かない人がいるかもしれないぐらい“しっくり”きているのである。いや、しっかり聴いても謎は解けないという意見もある。一般的には1.「レッツ・フォール・イン・ラブ」、2.「エニシング・ゴーズ」、3.「トゥー・クロース・フォー・カムフォート」の3曲(つまりLPでのA面)が楽器交換の演奏であるとされる(筆者もこの意見に賛同)。けれども、楽器が入れ替わっているのは3.だけだという人もいたりして、要は、それだけ楽器が入れ替わろうとも入れ替わらなくとも“しっくり”くる演奏なわけである。 1.~3.がいくぶん意表をついた“楽器交換サイド”とするならば、かつてのB面部分(4.~6.)は、それぞれの得意楽器での“直球勝負サイド”ということになる。が、それとて、各人が我を張って通すようなバトルというには程遠い。似たスタイルの演奏をしながら音程の異なる二つの楽器(テナーとバリトン)が1つの曲を追っかけ、極めていく感覚がある。あえて両者のスタイルの目立った違いはというと、どちらも“柔らかい優しさ”がある中で、ゲッツが“舞うように流れる感じ”なのに対し、マリガンは“包み込む感じ”というのが筆者の感想である。ちょっと感覚的に過ぎる表現かもしれないが、最初の3曲の“楽器入れ替え”もこの観点から聴くとそれぞれの特徴があるように思うのだけれど。 ちなみにリズムセクションはスタン・ゲッツの選んだメンバーとのことで、二人の主役を支える安定感がある。また、CD化の際に2曲(7.「スクラップル・フロム・ジ・アップル」、8.「時さえ忘れて」)が追加収録されている。こういう追加曲は圧倒的に蛇足の場合が多い(したがって、実際に自分が聴くときには省略して聴かないことも多い)。けれど、本盤のものは実にできがいいと思う。A面・B面のコンセプトに合わせて収録曲も決まったのだろうが、LPの収録時間という物理的制約も大きかったように思う。つまり、最初からCD時代の収録時間が用意されていたら、あえて削られなかっただろう。珍しく“プラス・アルファ”が聴けて、心底よかったと思える例のような気がする。[収録曲]1. Let's Fall In Love2. Anything Goes3. Too Close For Comfort4. That Old Feeling5. This Can't Be Love6. A Ballad~以下、CDでの追加曲~7. Scrapple From The Apple8. I Didn't Know What Time It Was[パーソネル・録音]Gerry Mulligan (bs, ts)Stan Getz (ts, bs)Lou Levy (p)Ray Brown (b)Stan Levey (ds)1957年10月12日録音。 【新品CD】【5000円以上送料無料】ゲッツ・ミーツ・マリガン・イン・ハイファイ/ジェリー・マリガン&スタン・ゲ[新品] 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012.05.08
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マニアックながらもしっかりハードバップなベルギー出身のジャズマンのリーダー作 ボビー・ジャスパー(Bobby Jaspar)はベルギー東部のリエージュ出身で、1926年生まれのフルート、テナー・サックス奏者。1950年からパリで活動をし、米国のジャズ・ミュージシャンたち(その中には後に結婚相手となるジャズ歌手、ブロッサム・ディアリーもいた)と知り合って行く。1956年からは米国へ活動の舞台を移し、J・J・ジョンソンの作品をはじめ様々なミュージシャンと共演をしていく。1963年に37歳の若さでなくなった。 リーダー作はそう多くないが、それでも、マニア向け(?)ながらも、相応の枚数のリーダー作は残している。本盤は彼が米国に活動の場を移した翌年のもので、筆者がこれまでに聴いた数少ない盤。ボビー・ジャスパーの名を耳にして“誰それ?”という人もいるだろうが、いろんな人のレコーディングに参加しているので、例えば、J・J・ジョンソンの『ダイアルJ.J. 5』や、ウィントン・ケリーの『ケリー・ブルー』なんかで耳にしているかもしれない。 かく言う筆者も、『ケリー・ブルー』の冒頭を飾る“あのフルート奏者”ぐらいのイメージしか最初はなかった。逆に言うと、サックス奏者としての彼のイメージは、実際にサックスの演奏も耳にしていたにもかかわらず希薄だった。そのせいか、本盤を最初に聴いた時は、フルートだけで判断していたイメージが覆った。1.「セヴン・アップ」だけで、実にハードコアな渋いテナーではないかと思い、ノックアウトされた気分だった(この感想は今も続いている)。 ところで、本盤の邦題は『ボビー・ジャスパー・ウィズ・ジョージ・ウォーリントン』となっている。ただし、原題は『ボビー・ジャスパー・ウィズ・ジョージ・ウォーリントン、アイドリース・シュリーマン(Bobby Jaspar with George Wallington, Idrees Sulieman)』であって、3曲(1., 4., 5.)でトランペットを演奏しているシュリーマンは邦題では無視されていることになる。単に知名度の問題で削られたと言えばそれまでなのかもしれないが、邦題に残ったジョージ・ウォーリントンの役割がなかなか大きいというのは確かのように思う。 ジョージ・ウォーリントン(参考過去記事(1)・(2))は、地味だけれども渋く、ふつうに弾いているようでありながら常に曲の演奏全体が見渡せているようなタイプのピアニストである。本盤でも全体に引き締まった端正な印象が残るのは、若きエルヴィン・ジョーンズのドラムのキレがいいのに加えて、ウォーリントンの才覚による部分が大きいのだろうと感じる。 最後に、本盤を知ったことで、筆者の中のジャスパーのフルート演奏の感想も変わったことも告白しておかねばならない。正直なところ、ジャズ演奏におけるフルートの音というのは、個人的にはあまり得意でない(好きだという方、ごめんなさい)。でも、フルートが主役なイメージで(あるいはそこにかかる比重がかなり大きなものとして)聴いていたから苦手だったのではないか、本盤を聴いてからはそう思えるようになった。アルバム前半(A面)と後半(B面)それぞれに1曲ずつ、ジャスパーがフルートを披露する曲がある(2.「マイ・オールド・フレイム」と6.「スウィート・ブランシェ」)。どちらも作品全体の中では、少し趣向を変えた息抜き的な部分を含むナンバーである。どちらもいい意味で少し肩の力を抜いての(したがって聴き手にも若干のリラックス感を与える)演奏になっている。わかりやすく言うと“どうだ、フルートだ!”という感じではなく、“サックスの合間にフルートも入れてみたよ”的な配置なのである。いやはや、ジャズ演奏におけるフルートを筆者が最初に聴いたのが本盤だったら、フルート好きになっていたかもしれないとすら思う。[収録曲]1. Seven Up2. My Old Flame3. All Of You4. Doublement5. Before Dawn6. Sweet Blanche7. The Fuzz (←CDでの追加曲)[パーソネル・録音]Bobby Jaspar (ts, fl[2., 6.])Idrees Sulieman (tp[1., 4., 5.])George Wallington (p)Wilbur Little (b)Elvin Jones (ds)1957年5月23日・28日録音、リヴァーサイド盤。 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2012.05.06
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ヴァイブにフルート、少し趣向の異なる楽器で聴かせるジャズの真髄 ミルト・ジャクソン(Milt Jackson)は、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)に在籍したヴィブラフォン奏者。よく言われるのは、MJQでのミルト・ジャクソンは、同じくメンバーでMJQの中心的人物のジョン・ルイスがクラシカルな志向を持つゆえに、どちらかと言えばそれに合わせた演奏をしたということである。それに対し、ミルト・ジャクソン自身のソロ作では元来得意のブルージーな即興演奏を存分に繰り広げたと評される。 そうしたミルトのソロ作の中でも、とりわけ代表作として知られるのが、本盤『オパス・デ・ジャズ(Opus de Jazz)』である。この盤は彼のソロの代表作であると同時に、カーティス・フラーの『ブルースエット』と並んでサヴォイ・レーベルの代表的なヒット作でもあり、1950年代半ばのジャズの熱さを存分に伝える盤である。 タイトルの“オパス(Opus)”とは、ラテン語で“作品”の意味で、クラシックでよく曲の題名につかわれる。つまりは“ジャズの作品”という意味のアルバム名である。収録曲も4曲中3曲(1.、2.、4.)が“オパス”の題名をもち、いずれもブルース・ナンバー。そのうちの最初の1.「オパス・デ・ファンク」は、ホレス・シルヴァーの曲で、まさしくファンクなジャズ演奏の先駆けとも言えるものである。ミルトのヴァイブの跳ね具合が印象的で、自由に演奏しているのがよくわかる。楽しく聴くうちにあっという間に13分の演奏が過ぎ去ってしまう収録曲のうち、3.のみがバラード・ナンバーで、1938年のミュージカルから採られた曲だが、これもまたアルバム全体の流れをゆったりさせるのにちょうどいい。 アルバム全体を通じてミルトのヴィブラフォンと同じく注目すべきはフランク・ウエスの参加。2.ではサックス(テナー)も演奏しているが、何よりフルートをジャズ界に本格的に持ち込んだ人物として知られる。本盤でもフルートの比重は大きく、ヴァイブ+フルート+ファンキー・ジャズの先駆けという、他のサックスなどの管楽器中心の50年代ジャズに比べて、一風変わった組み合わせで楽しく聴かせる一枚と言える。[収録曲]1. Opus de Funk2. Opus Pocus3. You Leave Me Breathless4. Opus and Interlude[パーソネル・録音]Milt Jackson (vib)Frank Wess (fl, ts)Hank Jones (p)Eddie Jones (b)Kenny Clarke (ds)1955年10月28日録音。 【送料無料】オパス・デ・ジャズ 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012.05.05
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西海岸の顔、確信犯的な(?)結成の裏側 イーグルス(Eagles)と言えば、西海岸(ウェスト・コースト)ロックの立役者。1971年、当時売出し中だったリンダ・ロンシュタットのバックバンドとして集まったのがその始まりであった。リンダとのツアーをする中でバンドとしての独立を決意したと言われ、1972年に本盤『イーグルス・ファースト(原題:Eagles)』でレコード・デビューする。アメリカン・ロックの新しい時代を築き、1970年代半ばには押しも押されぬトップ・バンドの地位を得て、1976年の『ホテル・カリフォルニア』をはじめとする有名盤を残した。1980年代に入ってバンド一度解散したが、1990年代に復活している。 とまあ、一般的にはたまたま集まったメンバーが独自のバンドになって独立していくという話のように思われがちなののだが、どうやら、イーグルス結成は、実際にはもう少し確信犯的だったようだ。 当時、グレン・フライは、J・D・サウザーと出会ってデュオでレコード作りをしたが、不発に終わりうまくいっていなかった。そんな彼は、 “週200ドル稼げる仕事”であるリンダのバック・バンドにドン・ヘンリーを誘う。当時、ドン・ヘンリーもまた、バンド活動がうまくいかず、ケニー・ロジャーズに見出されてデビューしながらも売れない日々を過ごしていたという。どうやら、この時点で最初に声をかけたグレン・フライには新バンド結成の意図があり、後々バンド・メンバーとしてやっていける仲間を探していたようだ。このアイデアに乗ったドン・ヘンリーは、グレン・フライとともに他のメンバーを探し求めていく。 この二人に合流することになったのは、ランディ・マイズナーだった。バッファロー・スプリングフィールドの元メンバー(リッチー・フューレイとジム・メッシーナ)が結成したポコに参加するも、バンド内での立場への不満からデビュー作のリリース直前にポコを脱退したばかりであった。さらにもう一人の参加者は、バーニー・リードンであった。一度リンダのバックを務めた後、フライング・ブリトー・ブラザーズに参加し、セッション・ミュージシャンとしての活動を経てから再びリンダのバック・バンドに戻ってきて、グレン・フライ、ドン・ヘンリー、ランディ・マイズナーと出会うことになった。 こうして半年ほどの期間を経て、バンド独立に彼らは動いた。本デビュー作の出来はメンバーにとって納得のいくものでなかったとも言われるが、西海岸らしい爽やかさの中にどこか憂鬱で湿った感覚が同居する、その点では、後々のイーグルスの音づくりの基盤はかなりできていたとも言える。 本盤からは1.「テイク・イット・イージー」と2.「魔女のささやき(ウィッチー・ウーマン)」がシングルとしてヒットした(米チャートでそれぞれ12位と9位)。ちなみに「テイク・イット~」の方は、同年デビューのジャクソン・ブラウンがグレン・フライと共作したもので、彼らは当時同じアパートの住人だったという。 アルバム全体としてはまだカントリー/ブルー・グラス的なサウンドと、本格的なロック志向との間をさまよっている部分もあるが、翌1973年の『ならず者』をはさみ、1974年の『オン・ザ・ボーダー』(5人目のメンバー、ドン・フェルダーが加入)へと向かってバンドのサウンドを確立していくことになる。そのことを踏まえて聴き直すと、3.「チャグ・オール・ナイト」、8.「早起き鳥(アーリーバード)」、10.「トライン」などは、本盤の中で決して目立つ曲ではないが、先につながるものだったような気がする。[収録曲]1. Take It Easy2. Witchy Woman3. Chug All Night4. Most of Us Are Sad5. Nightingale6. Train Leaves Here This Morning7. Take the Devil8. Earlybird9. Peaceful Easy Feeling10. Tryin'1972年リリース。 イーグルス・ファースト/イーグルス[CD]【返品種別A】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012.05.03
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伝説的シンガーの遺作 ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)は1943年、米国テキサス州生まれの白人女性ブルース・シンガー。17歳で家出し、サンフランシスコへ辿り着いた彼女は、この町を拠点とするビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーにヴォーカリストとして加入。その活動で全米に知られるシンガーへと成長していく。 しかし、その栄光も長く続くわけではなかった。上記のホールディング・カンパニーの活動でジャニスが知られるようになったのは1967年のことだった。その後、一緒に活動するバンドメンバーを変え、試行錯誤をしながら活動を展開するも、1970年にジャニスは急死している。死因は服用していた薬の中毒だったという。ちょうどこの死が訪れる数か月前、ジャニスは新たなアルバムの制作に入っていた。結局、突然の死によってこのアルバムは完成にはいたらなかったわけだけれど、遺作として翌1971年初頭に発表された。このアルバムこそが本盤『パール(Pearl)』である。 有名な1.「ジャニスの祈り(ムーヴ・オーヴァー)」からして、もはや完成の域に達したジャニスのヴォーカルが激しく響く。上のようにアルバム制作中に亡くなったため、5.「生きながらブルースに葬られて(ベリード・アライヴ・イン・ザ・ブルーズ)」は、ヴォーカル・トラックがない。つまり、本来はここにヴォーカルが入るべきであったインストの演奏のみが収録されている。ジャニスが亡くなった後からしてみれば、題名からして何とも暗示的な曲である。ここにどんなヴォーカルが乗っかったのであろうかを想像しながら聴くと、何度聴いてもジャニスの死が悼まれる。だけれども、それと同時にバックバンド、フル・ティルト・ブギーの演奏力にも目を見張るものがある。 バンドは、コズミック・ブルース・バンドからのメンバーであるジョン・ティル(ギター)とブラッド・キャンベル(ベース)に加え、新たなメンバー2人(ピアノのリチャード・ベル、ドラムのクラーク・ビアソン)が入っている。演奏を聴く限り、このメンバー編成に至って、ついにジャニスは存分に歌い切れる環境を得たんではないかと想像する。まだまだ成長し名作を残し得た、そんなタイミングで死を迎えたからこそ、ジャニスは伝説になったということだろうか。否、そうではないような気がする。本盤を聴くと、その後の生死に関係なく、つまりは、この後ジャニスがもし仮に生き延びていたとしても、もうこの作品の内容だけで“伝説”となり得たように思う。そうは言っても、聴き手としては、ジャニスの死を連想せずに聴くことが難しいのも事実だけれど。[収録曲]1. Move Over2. Cry Baby3. A Woman Left Lonely4. Half Moon5. Buried Alive In The Blues6. My Baby7. Me And Bobby McGee8. Mercedes Benz9. Trust Me10. Get It While You Can1971年リリース。 パール/ジャニス・ジョプリン[CD]【返品種別A】 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2012.05.01
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