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イスラエルによるパレスチナ人大虐殺を無条件で支援してきたアメリカのバイデン大統領は、調子に乗ったイスラエル軍がガザに食料支援をするアメリカ人を殺害したことに激怒して、ネタニヤフに「いい加減にしないとアメリカからの支援は打ち切るぞ」とどやしつけたところ、翌日にイスラエル政府は「ガザ北部への援助物資ルートを一時的に開放する」と発表したのであった。そのことについて、文筆家の師岡カリーマ氏は13日の東京新聞コラムに、次のように書いている; ガザで食料支援を行っていたNGO職員の車両が次々とイスラエル軍に爆撃され、米国・カナダニ重国籍者1名を含む7人が亡くなった事件は、これまでになくバイデン米大統領を怒らせた。イスラエルのネタニヤフ首相との電話会談で民間人の保護を迫り、改善がなければ(無条件に継続されてきた)イスラエル支持の方針を見直す可能性も示唆したという。 その直後、イスラエルは、ガザ北部への援助物資ルートを一時的に開放すると発表した。これらの展開からいやでも導き出される結論は(1)アメリカの兵器と支援が可能にした軍事作戦の開始から半年で3万3千を超えたパレスチナ人死者や200人近い援助関係者の犠牲はやり過ごせたバイデン氏にとっても、国内で批判されるであろう1人の米国人の死は重いということ(2)イスラエル支援を見直すという警告ひとつで頑ななネタニヤフ首相に物資搬入の拡大を認めさせることができるのに、餓死者が出てもそれをしなかったバイデン政権の責任はとてつもなく重いということ。それに歩調を合わせた「同盟国」たちの責任も。そして「同盟国」政府の立場を改めさせることができずにいる私たちの責任も。この惨状は、もっと早く、電話一つで止められるはずだった。 改めて、自らガザに赴き、命懸けで援助にあたる人々に、敬意と感謝を捧げたい。(文筆家)2024年4月13日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-その血は誰の手に」から引用 第二次世界大戦が終わる頃に西欧諸国の首脳がシオニズム運動に結集したユダヤ人がパレスチナに建国することを承認しようという議論をしていた時、パレスチナを植民地支配していたイギリスのチャーチル首相(当時)は,パレスチナにユダヤ人の国を建設すると言っても、今そこに住んでいる人々のことはどうするんだ、という質問に対して「昔からそこに犬が住んでいたとしても、犬に先住権を認める必要はない」と、パレスチナ人を犬呼ばわりして先住権を認める必要はないと公言したのであった。欧米にはいまだにアラブやアフリカ、アジアを見下す習慣が根強く残っていて、今もなお、ユダヤ人のパレスチナ・ホロコーストを批判すると「そのような反ユダヤ主義は認められない」と、批判される始末である。どこに「ボタンのかけ違い」があったのか、実に不思議な話である。
2024年04月30日
野党議員が群馬県の前橋地検高崎支部に出かけて、同支部に保管されていた100年前に出された朝鮮人虐殺事件について犯人の日本人に懲役1年6か月の判決を言い渡した「判決文」を確認した上で、このような判決が出ているということについて異論はないかと質問したところ、林官房長官が意味不明な回答をしたと、10日の東京新聞が報道している; 1923年9月―日の関東大震災後の朝鮮人虐殺を巡り、林芳正官房長官は9日の参院内閣委員会で、判決文の原本が残る群馬県で起きた朝鮮人殺害事件について「裁判所の認定が正しいかどうか評価する立場にない」と述べ、政府として事実認定の明言を避けた。立憲民主党の石垣のり子議員の質問に答えた。 石垣氏は前橋地検高崎支部が保有する判決文の原本を確認した。事件は大震災直後の9月4日、当時の群馬県倉賀野町(現高崎市)で発生。駐在所に保護されていた20歳の朝鮮人男性を「不逞(ふてい)鮮人」とみなした群衆が引きずり出し、刀で喉を刺して殺した。被告4人には懲役1年6月などの判決が出た。 石垣氏は「風説を信じ朝鮮人を虐殺した日本人が裁判で判決を受けたことに異論はないか」と確認を求めたが、林氏は一般論と前置きして「政府として、裁判所の認定した事実について、正しいかどうかといった評価を加える立場にない」と述べた。 関東大震災後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言が広がり、多くの朝鮮人や中国人が日本人に殺害された。野党議員らは、これまでも公文書を基に虐殺について見解をただしてきたが、政府は「事実関係を把握できる記録が見当たらない」との答弁を繰り返してきた。2024年4月10日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「政府、判決文現存でも認定避ける-関東大震災、群馬の朝鮮人虐殺」から引用 林官房長官の答弁は、安倍晋三や岸田文雄と同じで、極めて不誠実なごまかし答弁である。質問した石垣議員は、100年前の判決文の評価を官房長官に尋ねたのではなく、「このような判決が出ているという事実を認識しているのかどうか」を尋ねたのであるから、答えは「承知している」または「知らなかったが、今聞いてそのような事実があったことを知った」のどちらかであり、「その判決文をどう評価するか」などとは尋ねていない。官房長官は勝手に質問の主旨をすり替えており、不当な答弁と言わざるを得ません。これがまた、外国の裁判所が日本人に対して不当な判決を出したというケースであれば、「当該判決は不当だと思う」というような見解を述べることは出来るかも知れないが、自国の裁判所が外国人に対する日本人の犯罪を裁いた「判決」で、裁判所が事実に反する判決を出しているわけでもないのに、「事実確認」を迫られて答えをはぐらかさなければならない官房長官というのは、まともではないと思います。なぜ、100年前の当該判決をそのまま認められない如何なる事情があるのか、別の機会にでも聞いてみたいものです。
2024年04月29日
硫黄島の戦没者追悼式に参加したことを「X」に投稿し、硫黄島を「大東亜戦争最大の激戦地」と表現したことについて、10日の東京新聞社説は次のように批判している; 陸上自衛隊の部隊がX(旧ツイッター)への投稿で、アジアへの侵略戦争を正当化する文脈で使われることが多い「大東亜戦争」という表現を用いた。陸海の隊員が靖国神社に集団参拝したことも明らかになっている。過去の戦争を美化する歴史観が自衛隊内で広がっていないか憂慮する。 陸自大宮駐屯地(さいたま市)の第32普通科連隊は5日、日米が戦った硫黄島(東京都小笠原村)の戦没者追悼式への参加をXの公式アカウントに投稿した際「大東亜戦争最大の激戦地」と記した。この表現は8日に削除した。 日本は1941年12月の開戦直後、アジアの解放を名分に「大東亜戦争」と呼ぶことを閣議決定した。戦後「大東亜戦争」の呼称は連合国軍総司令部(GHQ)に禁じられ、現在は日本政府も一般に公文書では使用していない。 代わって「太平洋戦争」の表現が定着したのは、破滅的な敗戦につなかったアジアへの侵略と植民地支配を戦後、幅広い日本国民が反省したからにほかならない。 同様に自衛隊も現行憲法の下、旧軍と制度的に断絶する形で発足した。にもかかわらず、陸自部隊が公式アカウントで一時的とはいえ「聖戦思想」を疑われかねない投稿をしたことは深刻である。 懸念はこれにとどまらない。海自司令官と幹部候補生学校卒業生らが昨年5月に、陸自幹部ら22人が今年1月に、靖国神社を参拝した。もちろん隊員にも信教の自由はあり、防衛省は私的参拝と結論付けて問題視はしていない。 しかし、参拝が強制でなくてもA級戦犯を合祀し、先の戦争を正当化する神社に自衛隊員が集団参拝した事実は残る。内外から歴史観を疑問視され、憲法が定める政教分離にも抵触しかねない。 内閣府による最新の世論調査では、自衛隊に「良い印象を持っている」は90・8%に及ぶ。文民統制の下、防衛と災害救援、国際貢。献を積み重ねてきた結果だ。 一連の言動は自衛隊が築き上げてきた信頼を自ら損なうことになりかねない。防衛省・自衛隊は疑念を招く言動は慎むよう隊員への指導・教育を徹底すべきである。2024年4月10日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「社説-自衛隊の歴史観を憂う」から引用 この社説が言うように、大東亜戦争という名称は、当時の日本政府が泥沼にはまった日中戦争で欧米からの経済制裁のために石油が輸入できなくなったので、それならということで、英仏の植民地になっていた東南アジアを日本の支配下において石油を只で略奪しようとの目的で始めた戦争だったわけで、それを国民に説明するのに「英米に支配された東南アジアの同胞を助けるのだ」と真意を偽って、新たな侵略戦争に国民を駆り立てる手段として作り出したのが「大東亜戦争」だったのであり、戦後間もない日本人はそのことを知っていたから、自然に「大東亜戦争」などという者はいなくなり、「太平洋戦争」という呼称が定着したものである。それを、今時「大東亜戦争」などと言い出すのは不届き千万、責任者ともども厳重な処分にする必要があると思います。自衛隊の一般隊員が、このような間違った言葉遣いをする原因は、普段の隊員研修の講師に竹田恒泰とか桜井よしこのような右翼デマゴギーを招へいしているためであり、自衛隊幹部の責任も問われてしかるべきだと思います。
2024年04月28日
自民党内で広く行われていた「裏金事件」と呼ばれる政治資金規正法違反事件は、岸田首相が主導権を握って39人の議員を形ばかりの「処分」にすることで、軽くごまかした状況になっているが、そのことについて現代教育行政研究会代表の前川喜平氏は、7日の東京新聞コラムに次のように書いている; 裏金問題で自民党が39人の処分を発表したが、選挙に影響する「離党勧告」と「党員資格の停止」は塩谷立、世耕弘成、下村博文、西村康稔、高木毅の5氏だけ。「党の役職停止」以下は実害のない軽い処分だ。 1人だけ「党の役職停止」でも困る人がいた。岸田文雄総裁自身だ。岸田派と二階派は派閥で裏金づくりをしていたのだから、会長は処分されて当然なのだが、二階俊博氏の「不出馬表明」のおかげで、岸田氏は自分自身を処分から外すことができた。見返りは、地元和歌山で対立する世耕氏への重い処分と武田良太氏ら二階派幹部への軽い処分だろう。武田氏と地元福岡で対立する麻生太郎副総裁は、武田氏への重い処分を求めたそうだが、岸田氏は二階派への配慮を優先したのだろう。 裏金づくりの中心人物と目される森喜朗氏も不問に付された。代わりに生贄にされた塩谷氏は次の選挙で引退を余儀なくされるだろう。軽い処分で温存されたのは萩生田光一氏だ。安倍派を継ぐ者として遇したのだろう。岸田氏は電話で森氏に事情聴取したそうだが、実は処分の相談をしていたのではないか。 すべては自民党というコップの中の泥仕合だ。何の解決にもならない。本当の課題は、パーティーも含めた企業・団体献金の禁止と政治資金の使途の透明化だ。審判を下すのは国民である。(現代教育行政研究会代表)2024年4月7日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-コップの中の泥仕合」から引用 岸田首相がメインになって「裏金事件」を調査し、責任に応じて「処分」の軽重を決めるというのは、文字通りに実施されれば「解決した」と言えるかも知れないが、メインになって調査する人物も、実は「裏金事件」を抱えていて、しかもその「ご本人」は処分を免れるという実態が、国民の前に丸見えになっているのだから、これは「茶番劇」以外の何物でもないわけです。しかし、新聞もテレビも表立ってそのことを「批判的」に報道することはしない、これではわが国の「政界浄化」の実現はほど遠いと言わざるを得ません。「審判を下すのは国民」と言っても、その国民に自民党政治の腐敗の実態を周知するはずのメディアが、その機能を発揮しないことには、国民に適切な判断材料を提供することはできず、相変わらず選挙事務所で飲み食いの接待を受けた支持者が、今まで通りに自民党に投票していたのでは、何の解決にもならない事態が継続されます。「これではダメだ」と思った有権者が、投票に出かけて野党に投票するという行動を起こさないことには、まともな民主政治は実現しないのだということを、私たちは自覚する必要があります。
2024年04月27日
アメリカは表向き「民主主義」を標榜しておりながら、その内実は巨大資本に支配されており、巨大資本の利益にかなう政策を第一とするのがアメリカ政府の基本的ルールである。しかし、その結果はカール・マルクスが「資本論」に書いたとおり、資本家が栄えて労働者は搾取された結果、多くの労働者が疲弊してラストベルトと呼ばれる地域で貧困生活を強いられているのが現実である。そのラストベルトに住む恵まれない労働者階級を味方につけて大統領になったのがドナルド・トランプ氏で、彼は恵まれない労働者を救済するために、中国の工場でiPadを製造して世界中に販売して利益を上げているアップル社に対し「iPadの製造を、中国の工場からアメリカの工場に移動できないか」と相談を持ちかけたりしたのであったが、トランプ氏の提案は資本主義の理屈に合わない「提案」だったので、アップル社が彼の提案に応じることはなかった。それでも、トランプ氏は「アメリカの国家財政を少しでもアメリカ国民のために」との意図から、「アメリカは『世界の警察官』の役割を止めるべきだ」と発言し、NATOから離脱しようとしたこともあった。そのようなことを考えるトランプ氏だから、今年の大統領選挙で再び大統領になれば、今度は「日米安保はもう止めよう」と言い出すかも知れない、との観点から、神戸女学院大学名誉教授で凱風館館長の内田樹氏は、7日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 米大統領選はドナルド・トランプとジョー・バイデンの2度目の対戦となりそうである。3月の世論調査では、バイデンが1ポイントリード。しかし、多くの有権者は態度未定である。勝敗を决する「激戦州」では逆にトランプが3ポイントリードしている。トランプが2度目のホワイトハウス入りする可能性はかなり高い。2期目のトランプは何をしでかすのか、世界中が固唾をのんで見守っている。 ◇ ◆ ◇ トランプは予備選中に「プーチンと談合してウクライナ戦争を24時間以内に終結させる」「パリ協定から離脱する」「すべての輸入品に10%の関税を課す」などの政策を支持者たちには示唆している。欧州の指導者たちは米国が北大西洋条約機構(NATO)から脱盟すること、ウクライナを見捨てること、気候変動にコミットしないこと、前例のない保護主義的貿易を展開する場合に、どう対処したらよいのか、すでにその準備を始めている。 翻って、日本メディアで「トランプが大統領になった場合に日本にどんな被害が及ぶか」についての予測が載ることはまずない。誰が大統領であろうと、とにかく対米従属さえしていれば政権は安泰だと高をくくっているのだろう。 しかし、欧州諸国が米国のNATO脱盟のリスクについて備え始めている時に、日本だけが米国が安保条約を廃棄する可能性をゼロ査定しているとしたら、ずいぶん気楽なことだと言わねばならない。日米安保条約は一方の締結国が宣言すれば1年後に自動終了する。そして、米国には在外米軍基地の縮小や廃止を主張する議員が少なくないのである。「自分の国は自分で守れ」というのはリバタリアンとしては当然の主張だ。 そもそも戦後の在日米軍基地はソ連侵攻を想定して配備されたものである。だから、北海道には米軍基地がなく、ソ連から一番遠い沖縄に基地が集中している。それなら日本列島がソ連軍に蹂躙された後も米軍主力は無傷で残るからである。だとすれば、米国が対中戦争を想定して基地を配備するなら、最前線である沖縄と南西諸島はできるだけ自衛隊に委ね、米軍主力はグアム=テニアンの線まで退くのが合理的である。 ◇ ◆ ◇ 日本の左派は「米国が始める戦争に日本が巻き込まれるリスク」を語るけれど、ホワイトハウスはむしろ「台湾や韓国や日本が偶発的に起こした対中戦に米国が巻き込まれるリスク」を憂慮していると思う。 仮に日中間で軍事衝突が起きた時、米国は参戦するだろうか。トランプ大統領なら「参戦拒否」すると私は思う。議会でも「アメリカ・ファースト」の議員たちが「日本のために米国の若者が死ぬ必要はない」と言い出し、世論もそれに同調するだろう。しかし、万一「日本有事」に際して米国市民に死傷者が出てしまうと、そうも言ってられない。いやでも中国を相手に戦争を始めなければならなくなる。 だから、米国が中国との戦争を絶対に回避しようと願うなら「日本有事」で米国市民が一人も死なないことがどうしても必要になる。最も確実な方法は日本列島から全米軍基地を撤収することである。「日米安保条約」が機能しなくなる日に備えて、日本人も「日米同盟基軸」以外の道を考え始めるべき時が来ている。2024年4月7日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-日米安保条約が廃棄される日」から引用 第二次世界大戦が終わった時点ではスターリンが指導するソ連が武力で社会主義圏を拡大する危険性があると考えたアメリカが、沖縄に軍事基地を置いて社会主義圏の拡大を阻止する作戦だったが、それから80年も経ってソ連は崩壊し、共産党が政権を運営する中国も実質は資本主義経済システムで国家を運営しており、「社会主義VS資本主義」というイデオロギー対立で戦争になる危険性はなくなったと考えて間違いないと思います。今、戦争の原因になっているのは、アメリカを総本山にする資本主義勢力が、その支配権を認めようとしないロシアを追い詰める目的でNATOを東方に拡大する政策を進めた結果、ウクライナに米軍基地を置く構想が具体化するに及んで、ロシアが「待った」をかけたのがウクライナ紛争ですから、その点では、資本主義経済のルールを受け入れて米国企業の生産工場を国内に有する中国が、イデオロギー問題が原因でアメリカと戦争をするということは、もはやあり得ないと考えて間違いはないと思います。しかし、世の中に「戦争」がなくなると食い詰める運命の米国軍需産業は、中国の内政問題である「台湾問題」に無理やり介入し、隙あらば台湾限定の「局地戦争」を起こして糊口をしのぐ作戦であり、「台湾・韓国・日本が偶発的に起こした対中戦争に米国が巻き込まれる」など、言いがかりも甚だしいと思います。これからの日本は、沖縄の米軍基地の歴史的役割が「終了した」ことを明確に内外に宣言し、米軍基地撤退の交渉を米国政府に提起するべきです。その上で、近隣諸国には日本が軍事的脅威にならないことを明確に宣言し、自衛隊は専守防衛に徹すること、敵基地攻撃能力の保有などもってのほかであるなどを国会で決議し、平和国家として東アジアの平和に貢献する方針を明らかにするのが、これからの日本がすすむ道だと思います。
2024年04月26日
ウランやプルトニウムを高速増殖炉で燃やせば発電しながら燃料を増やすことができるなどと称して高速増殖炉「もんじゅ」を開発したはずだった「動燃」では、実は管理職が公安警察と連携して職員の私生活を監視し、処遇に差別をつけるという違法行為が行われていたが、そのことを裁判に訴えた元労働者が、一審で勝訴したことを、4日の「週刊金曜日」が次のように報道している; 旧「動力炉・核燃料開発事業団」(以下、動燃)の元職員らが2015年7月、個人の思想や信条に着目した不当かつ差別的人事処遇などを受けたとして、動燃を後継する国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(以下、機構)を相手に起こした損害賠償請求訴訟の判決が3月14日にあった。水戸地裁(廣澤諭裁判長)は原告の元職員(当初4人。後に2人追加)について、提訴前3年以内の損害に限定したうえで差別があったと認定。約4700万円を原告の元職員5人に支払うよう命じた(退職が早かった原告I人については賠償請求権の時効を理由に棄却)。 元職員らは突然裁判を起こしたわけではなかった。動燃では1974年に再処理工場内で発生した転落死亡事故をめぐって労働組合がストライキを行なうなど、職員の間からも安全性を求める声が上がっていた。原告らも被曝しないための勉強などを、それぞれ労組を通じて熱心に推進。76年に動燃労組中央執行委員長だった円道正三(えんどうしょうぞう)氏が動燃所在地である茨城県東海村の村議会議員選挙に立候補した際には同氏を応援したほか、内部の不正に抗議したりしたことから、動燃からは「非良識派」として敵視されるようになった。 たとえば本来みなプルトニウム等の放射線を取り扱う技術職だった原告らが枢要業務から外されたり、業務に必要な研修の機会を与えられなかったり、洗濯係などの雑務や、人形峠(岡山県)の事務所に飛ばされたまま定年まで30年前後留め置かれたりもした。職位も一定に据え置かれ昇級も止められ、同期や同学歴の職員との比較で退職時までに約3000万円の賃金格差も発生。2005年には、有志数人がそれぞれ所属部署の部長や課長に不当な処遇を是正するよう要望書を提出したが、機構側は「差別の事実はない」として応じなかった。 ところが13年8月、『原子カムラの陰謀』が発刊され、高速増殖炉「もんじゅ」での1995年の事故の調査中に亡くなった西村成生(にしむらしげお)さん(当時動燃本社の総務部次長。自殺と報道)の自宅から、当時の動燃が警察や公安と連携のうえで組織的に思想弾圧や差別・選別、懐柔工作等を行なっていた実態を克明に記した資料(西村資料)が大量に発見されたことが明らかに。これを受けた機構の労組は機構に対し差別処遇の是正とそれまでの損害を補償するよう要求。しかし機構が「調査したが差別の事実は見えなかった」と対応しなかったことから裁判が始まった。◆認められた「西村資料」 裁判では動燃による差別政策と昇級差別の有無、その真偽の根拠となるべき西村資料の認定が主要な争点となった。同資料について機構は「誰によって、いかなる目的で作成したかが不明であり、一担当者が個人的に記した手控え又はメモの類」「意図的な改変が加えられた可能性」などを主張したが、裁判所は「極めて詳細かつ正確」な情報が多く「記載されている異動案の多くが実施されている」ことなどから信憑性を認め、動燃による差別政策を認定した。 判決後の報告果会で原告弁護団の平井哲史(ひらいてつふみ)事務局長は「西村資料に基づいて旧動燃による差別政策をしっかりと認定していただいた点については高く評価をしたい」としつつ、賠償の対象期間が提訴前の3年以内に限定されたことや、その消滅時効によって棄却された部分については「再度見直して頂いて旧動燃に償わせる判決を」として、控訴する方針を示した。原告らは、差別が組織的に行なわれたと裁判所が明確に認めたことや、当初被告側が「不知」としていた西村資料が証拠として認定されたことへの喜びを語った。 機構は翌15日に控訴。取材に対し「機構として申し上げることはない」とし、控訴理由については「今後裁判の中で説明させていただきたい」と繰り返すのみだった。 原告の支援者らは、発言抑制や差別が横行する環境が「もんじゅ」の失敗、さらには東京電力の福島原発事故にも密接に関連していると指摘する。闘いの舞台は今後、東京高裁に移る。(稲垣美穂子・フリーランスライター)2024年4月5日 「週刊金曜日」 1467号 6ページ 「きんようアンテナ-原子力産業、問題の根源を断罪」から引用 原子力発電は、「原子力」が発見されて大量殺りく兵器に利用されたりそのエネルギーで発電する技術が開発された当初は、あたかも科学の最先端の技術であるかのように喧伝されたが、その実態は、核分裂で生じるエネルギーで水を沸騰させて生じる水蒸気でタービンを回してその軸に固定した磁石をコイルの中で回転させて電気エネルギーを取り出すという、中学生が思いつくような発電方法であり、とても「ハイテクノロジー」からはほど遠い代物である。したがって、実際に核分裂によって生じた熱量のおよそ2割り程度が電気エネルギーになっているだけで、残りの7~8割りのエネルギーは余剰のエネルギーとして冷却用の海水によって海に捨てられているのが実態であり、経済効率の点からも、産業として成り立つものではなく、直ちに全ての原発は廃炉にして、太陽光や風力、潮力の発電に切り替えるのが、我々の子孫に安全な生活環境を提供する「道」である。それにしても、動燃で長年に渡って差別された労働者が、その差別を跳ね返して、雇用主に対して不当労働行為を認めさせる判決を勝ち取ったことは実に喜ばしいことである。控訴審でもしっかりと道理を尽くして、悔いのない結果を勝ち取ってほしいと思います。
2024年04月25日
国会で法案について審議する意味は、さまざまな角度から種々検討を加えて、より完璧な法律の制定を目指すという「目的」があったはずですが、安倍政権以来の自民党政治では国会で与野党の議論がまったくかみ合わず、政府与党の答弁は中身がまったく欠落しており、外観上は何か応えたような恰好をしながら、その中身は空っぽで、実質何も応えていない。それで一定の時間が過ぎれば、数に任せた強行採決で可決されるという仕組みで、数々の悪法が成立しているが、今また、国民の自由を縛る悪法が成立しようとしている事態について、ジャーナリストの青木理氏が7日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; 経済秘密保護法案(重要経済安保情報保護法案)が国会で審議されています。問題点をジャーナリストの青木理さんに聞きました。(田中倫夫記者) 経済秘密保護法案を一言でいえば、特定秘密保護法(2013年成立)の大幅強化・拡大版です。特定秘密保護法が対象とする「秘密」は(1)防衛(2)外交(3)スパイ防止(4)テロ対策―の4分野。その指定は時の政府が行い、市民には何が秘密かも秘密という不透明さで、刑事罰付きの秘密保持義務を課されるのは主に公務員でした。 それが今回は「経済安全保障」にかかわる「重要情報」を政府が指定し、秘密保持義務を課される対象は大小を問わぬ民間企業の社員、技術者、研究機関や大学の研究者などへと一挙に広がります。防衛関連産業などはもちろん、重要インフラやサイバー、人工知能(AI)、先端半導体等々、民生と軍事の両目的に使用できる技術-デュアルユース(軍民両用)の分野も対象となる。 しかも「秘密」の具体的な範囲が示されていないため、対象は際限なく広がりかねず。「漏洩(ろうえい)」者には最大5年の拘禁刑が科され、その「教唆」や「共謀」も処罰されます。ならばメディア記者や各種の市民運動まで刑事罰に問われかねません。◆病歴や酒癖も もう一つ大きな問題は、「セキュリティークリアランス」(適性評価)制度を導入し、「秘密」情報を扱える民間人、技術者、研究者らを調査・選別することです。 特定秘密保護法も同様でしたが、相当機微なプライバシーが調べられます。犯歴や精神疾患などの病歴に加え、借金などの経済状況や酒癖、さらには配偶者や家族、同居人の身上や国籍まで調査対象とされます。 特定秘密保護法の際の議論では、配偶者が米国籍なら問題ないが、中国籍や朝鮮籍だったりするとアウト、などという話が政府関係者から伝わってきました。明白な国籍差別、人権侵害です。 調査には本人同意が必要、といいますが、たとえば企業や研究機関の社員が「適性評価を受けてくれ」と言われて断れますか? 断ったら担当を外されるかもしれない。結果的に優秀な技術者、研究者が排除され、自由な企業活動や研究開発がシュリンク(縮小)していくことにもなりかねません。◎公安の活動に”お墨付き” 特定秘密保護法と同様、この法案は警察庁警備局を頂点とする公安警察の活動に新たな権限、相当に強力な”武器”が与えられることにもなります。 従来は公安警察が一般市民のプライバシーをむやみに調べれば批判されるので隠密にやっていた。私が30年近く前に公安警察を取材していた当時、彼らは中央省庁の幹部などはもちろん、基幹産業の内部に「共産主義者」や「左翼」がいるかをひそかに調べていました。事件や犯罪の嫌疑もないのにです。ある意味で法的にグレーな活動でした。 今回の法案はそれに公的なお墨付きを与え、グレーな活動を「合法的」に堂々とやれることになります。 今度の法案も何が秘密なのかわからず、メディアや市民団体にとってはいつ”地雷”を踏むかわかりません。 何が秘密かがわからず、「知りたい」「教えてくれ」と聞きまわれば、それが秘密漏洩の「教唆」や「共謀」になりかねない。国民の知る権利や市民運動が制限されてしまいかねないのです。◎冤罪が横行 経済活動脅かされる 今回の法案の″露払い役”になったのは、内閣に設置された「セキュリティ・クリアランス制度等に関する有識者会議」です。昨年秋の答申に沿って法案は作成されました。 会議のメンバーには北村滋・元国家安全保障局長がいます。故・安倍晋三氏の最側近で公安警察の外事部門を歩んだ人物です。同氏は最近、『外事警察秘録』という本を出しました。そこでは、特定秘密保護法成立のためには″メディア対策が大事だ″として「読売」主筆代理らに「反対の論陣を張らないでくれ」と頭を下げにいったということが公然と書かれています。 「経済安保」の動きをめぐっては、警視庁公安部の信じがたい暴走も起きています。「大川原化工機」事件です。優秀な技術を持つ同社が中国や韓国に化学機器を不正輸出した、と社長らが逮捕され、1年近くも勾留され、しかし初公判直前に検察が起訴を取り消す醜態を演じた冤罪(えんざい)事件です。 その背後には「経済安保」の旗を振るなか、組織拡大をもくろむ外事部門の存在意義をアピールしたい公安警察の思惑がありました。こんな事件が横行すれば、日本の産業を支えてきた中小企業や技術開発がつぶされてしまいかねません。 時の政権と警察の一体化が強まり、この十数年で特定秘密保護法や共謀罪法、通信傍受法(盗聴法)の大幅強化など、かねてから公安警察が欲しくてたまらなかった治安法が続々と整備されています。こうした「警察国家」化と防衛費の倍増など「軍事大国」化への動きはもちろん表裏一体、同時進行的なものと捉えて批判の目を注ぐべきです。<あおき・おさむ> 1966年生まれ。共同通信記者を経て、フリーのジャーナリスト、ノンフィクション作家。『日本の公安警察』『日本会議の正体』など著書多数。新著に『時代の反逆者たち』(河出書房新社)2024年4月7日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「経済秘密保護法案、ここが問題」から引用 この記事の終わりのほうで取り上げている「大川原化工機」事件は、お菓子の製造工程で砂糖その他の調味料を噴霧する装置が、テロリストに悪用されれば「細菌戦」の武器になる、などという荒唐無稽な「言いがかり」で、さすがの検察官も「こんな低レベルな言いがかりで裁判に勝てるわけがない」と直前になって提訴を取り下げたのでした。しかし、この低レベル公安警察に言いがかりをつけられた会社役員・数名は一年近く身柄を拘束され、そのうちの一人は持病を悪化させて死亡するという事態にまでなりました。このように、公安警察などというものが大きな顔をするようでは、国が滅びます。本当は「オウム真理教事件」が終わった時点で公安警察も廃止するべきだったのに、無駄に組織を温存してこの後も国の発展の方向も歪ませる危険性が大きい組織ですから、遠からず対策を考えるべきだと思います。
2024年04月24日
岸田政権は自民党の裏金問題で国会が紛糾する事態を悪用して、防衛費倍増の可否をまったく議論することなく数の力で強行採決するという「暴挙」に及びました。しかも、そのことを表立って批判するメディアもないという状況を、ジャーナリズム研究者の丸山重威氏は7日の「しんぶん赤旗で、次のように批判しています; 裏金事件の真相解明もないまま与党の自民、公明両党は3月28日、「岸田軍拡」を推進する2024年度予算案を強行しました。総額112兆。防衛費は7・9兆円で「審議の不足は明らか」(信濃毎日新聞30日付)なままの成立です。 岸田文雄首相は28日の会見で「重要施策を全速力で実行」と発言。「読売」(30日付社説)は「不信の払拭へ成果を出す時」とエールを送ります。 しかし、1976年から2014年まで、平和国家として国際紛争の助長を回避するため武器輸出を原則、全面禁止していた日本。次期戦闘機の第三国輸出の閣議決定(26日)は「国民的議論なき原則の空洞化」(「朝日」27日付)です。「安全保障政策の大きな転換・・・にもかかわらず、根本的な問題が議論されていない」(「毎日」同)のです。 「東京」(28日付)は「平和主義の堅持を掲げながらも、憲法9条に基づく専守防衛からの逸脱を続ける。憲法解釈の恣意(しい)的な変更を起点とする安保法が日本を再び『戦争ができる国』『軍事大国』に導く」と批判します。 テレビが全体として岸田大軍拡を掘り下げないなか、TBS系「サンデーモーニング」(31日)は「平和国家日本・・・?」との特集を組みました。 同番組で、コメンテーターの寺島実郎氏(日本総合研究所会長)は「発言力の小さい国でも自己主張するには『筋道の通った主張』が大事。国際社会で日本が持つ筋道はやはり非核・平和。新時代に向け国際社会で日本の役割は何か、自問自答していかないといけない」と表明。 ジャーナリストの青木理氏も「三木内閣外相の宮沢喜一氏は国会で『(日本は)武器を輸出して稼ぐほど落ちぶれちゃいない』と言いました。逆に言うと、今はそこまで落ちぶれていることになる」と指摘しました。 メディアがこの「筋」を見失わないように、と願うばかりです。(まるやま・しげたけ=ジャーナリズム研究者)2024年4月7日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-平和国家の筋道どこに」から引用 自民党政権が日々、国会を無視して勝手な法案をどんどん採決していく事態に対し、メディアがただ単に「批判」をするだけで、終わりという状況ではまずいのではないかと思います。メディアが批判をしたときに、政権がそれを気にして少しは反省し、批判的な意見にも耳を傾けてより良い政治を志すというのであれば、メディアの批判も民主的な政治の運営に一定の役割を果たしていると言えるわけですが、今の自民党政権は「メディアの批判など、いいたけりゃ言わせておけばいいのであって、こっちはそんなことお構いなしに、やりたい放題やるだけだよ」という姿勢をあらわにしているのですから、もはや「批判」などは何の役にも立ちはしないと知るべきです。こうなってしまったからには、もはや「批判」などで事足りる事態ではないのであって、メディアはその本来の能力を発揮して、全国民に広く「倒閣運動に立ち上がれ」と檄を飛ばすして、実力で阻止する以外に自民党政治の横暴を止める手段はないのだという「啓蒙活動」を始める段階に差し掛かったと思います。
2024年04月23日
大地震に見舞われた能登半島で炊き出しのボランティアをしたイタリア人について、友人の師岡カリーマ氏は6日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 旧友のアドリアーナは南イタリア出身の料理研究家。家庭料理教室などを通じて故郷の食文化を紹介する「La mia ltalia」を主宰している他、味噌好きが高じて自家製味噌の教室まで開いてしまうエネルギッシュな女性だ。 福島原発事故の直後、各国がチャーター機で自国民を避難させる中で彼女は「日本が大変な時に自分だけ逃げるわけにはいかない」と断言。「避難生活を送る人々をフルコースのイタリア料理で元気づけたい」と思い立つや否やキッチンカーを調達し、他の業者にも呼びかけて東北各地の避難所を回った。デザートとエスプレッソ付きの本格イタリアンだった。 そのアドリアーナが、今度は能登へ。珠洲や七尾など4ヵ所を回り、賛同者の力を借りて、3日間で野菜スープやパスタを含む温かいイタリア料理千食を配った。地元の人々によれば、お弁当や温かい食事が配られるのは、民間ボランティアからだけだという。 地震から3ヵ月経過した今も復興は遅々として進まず、国から見捨てられたという思いが被災者の間に広がっているとの声も聞かれた。アドリアーナ一行も、炊き出しに協力してくれた民間団体の頑張りと優れた組織力、人々のニーズに配慮した細やかな支援を絶賛する一方、東日本大震災の時に比べて復興がかなり遅いようだと、心を痛めていた。(文筆家)2024年4月6日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-能登の炊き出し」から引用 東日本大震災の時に比べて復興が遅いというのは、多くの人が実感しているのではないかと思います。東日本のときは政権も交代して間もない民主党政権だったし、先日も当時の閣僚経験者が「X」に投稿してましたけど、「予算のことなど気にしなくていいから、必要なことはどんどんやっていけ」と現場を励ましたものだったと述懐してました。そこへいくと、今の自民党政権は、被災地の惨状もさることながら、裏金問題で激震が走った党内の「惨状」も惨憺たるもので、首相自身と元幹事長は何のおとがめもなしなのに、安倍派のリーダーだったというだけで「離党勧告」などという見せしめのような「重罪」を突きつけられるなど、あまりみっともない姿をさらしていないで、潔く出処進退を決断するのが本来の「保守派」が理想とする「日本人」の魂というものではなかったのかな、と思う今日この頃です。
2024年04月22日
日本海に浮かぶ離島である長崎県対馬市では、高レベル放射性廃棄物の最終処分場を誘致すべきという市議団と誘致に反対の市長が対立していることについて、朝日新聞の小川裕介記者は5日の夕刊に、次のように書いている; 3月にあった長崎県対馬市長選は、原発で使った核燃料から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場誘致が争点だった。3選をめざした比田勝尚喜氏(69)は反対の立場を鮮明にし、誘致による経済活性化を訴えた新顔を大差で破った。 ただ、比田勝氏の表情は険しいままだった。選挙戦で訴えた「核のごみの誘致について分断が起きている。いち早く分断を静めたい」との言葉が、かないそうにないからだった。 対馬では、誘致を推進する市議らが住民投票をめざす動きがくすぶる。「島の経済がさらに疲弊すれば、誘致の動きが活発化する」との見方は根強い。 対馬は韓国との国境に近い離島で、人口減と産業の衰退が進む。選挙前、ある市議は「30年後、ここに人間はおらんごとなる」と嘆いた。小学校は廃校、漁師も後継ぎがおらず港には廃船が放置されている。 その危機感から、昨年9月、国の選定プロセスの第1段階「文献調査」を受け入れるよう求める請願が市議会で採択された。受け入れれば最大20億円の交付金が国から入るが、比田勝氏は「市民の合意形成が十分ではない」と拒否した。 すると、全国から「市長の英断に感動した」「多額の原子力マネーを受けとらず素晴らしい」と賛同する声が電話や手紙、メールで約200件も届いた。市へのふるさと納税も殺到、昨年度は過去最多になった。 過疎の自治体の首長が、「原子力マネー」を拒否したのは確かに英断だ。ただ、その判断に喝采を送って、それで終わりで良いのか、との違和感をもった。 原発が主に都市部の電力需要を賄って半世紀余り。約2万6千本のガラスで固めた核のごみが出る計算になる。原発の賛否を問わず、どこかに処分先を見つける必要がある。 しかし、選定の仕組みは、自治体が手を挙げれば交付金を出すというもので、疲弊する過疎地を誘うやり方に見える。都市部の豊かさを、国や電力会社から巨額の「原発マネー」をもらって地方が支える構造は変わらないままだ。 実際、国は水面下で市に接触をはかり、事業主体も対馬の業界団体や一部の市議に熱心に処分場の説明を繰り返した。比田勝氏は「市民に広く説明をして理解を広める努力があればよかった」と苦言を呈した。 岸田政権は最終処分事業で「前面に立つ」と言うが、分断を過疎地に広げるやり方は限界に来ている。(西部報道センター) *<おがわ・ゆうすけ> 1982年、埼玉県生まれ。長崎総局、科学医療部などを経て現職。一昨年、米ジョージワシントン大で核や原子力を学んだ。学生時代はラグビー漬け。タックルは「低く激しく」が身上で、取材も突っ込んでいく。2024年4月5日 朝日新聞夕刊 4版 9ページ 「取材考記-過疎地へ核ごみ、手法に限界」から引用 産業が衰退して、そこで働いて生計を立てるのが困難になれば、人は満足な収入が得られる仕事を求めて他所へ転出するのは当たり前の現象であり、仕事がなくなったら都会の「命を脅かす危険な放射性廃棄物を引き受ける代わりに生活費を要求する」というのは、人の生き方としてまっとうな「道」ではないように思います。そのような危険な「処分場誘致」を拒否する主張をして選挙に勝利した市長に、全国から称賛の声が寄せられたのは当然だと思います。産業が衰退して、あまり多くの人間が生活できないのであれば、他所で働ける人はそちらへ転出してもらい、その場で田畑を耕して食料を得られる人たちだけが島に残って生計を立てていくというのが、対馬のあるべき姿というものではないでしょうか。あるいはまた、大手の観光資本が進出して大きなホテルでも建てて、観光客を誘致できれば、多少の雇用も出てくることもあると思いますが、それにも限度があるでしょうから、危険な「核のゴミ」の処理場誘致というのは、未来に対する「夢」がないと思います。
2024年04月21日
昨日の欄に引用した機関誌「市民の意見」高嶋伸欣氏の記事の続きは、広島市長が職員研修に教育勅語を使用し始めたのは12年前からであったが、新規採用の職員に書かせる「宣誓書」から憲法順守の項目を外し、広島市独自の様式に変更したのは、実は40年前の荒木市長の時代であったことを明らかにしている;◆憲法遵守抜きの「宣誓書」が下支え 広島市役所は、なぜここまで違法な状況に対して鈍感な官庁になってしまったのか。最大の要因は、独善的な人物が、2011年4月以来の長期間、首長の座に君臨していることにある。 だがそれだけとは思えない。松井氏の講話への抗議や撤回を求めている市民グループ、各組織などが異口同音に指摘している疑問点の一つが、これまで内部告発等がなかったことだ。 公務員としての服務に際し、人権尊重等の憲法遵守を宣誓した経験のある者としては、納得できない。そこで、改めて広島市の宣誓書の検証を試みた。すると、同市の宣誓書の検索は不可能で、非公開同然という事態に直面させられた。 地方公務員法の31条(服務の宣誓)は「職員は、条例の定めるところにより、服務の宣誓をしなければならない」と規定している。全国の自治体では、電子版の例規集で条例も公表している。同条例では、宣誓書を条例の一部分とする「別記様式」で示し、その宣言書には憲法遵守を含む文言を明記しているのが通例だ。 ところが、広島市の服務宣誓条例には「別記様式」がない。代わりに、条例本文で、「任命権者の定める様式の宣誓」を義務付けている。任命権者とは市長のことだ。「別記様式による」としていた条例が改定されたのは、荒木武市長時代の1979年だった。以後、広島市では宣誓書の文面については、市長の専決事項となった。やがて1983年、荒木市長によって、宣誓書の全文が改変された。市議会などでの議論もなく、法治主義とは相いれない、密室同然の市長の恣意的便宜的な手順によってだった。改変後の宣誓文には憲法遵守の文言だけでなく、厳格に定義された用語頽はほとんど含まれていない。 なぜ条例改定から4年後の全面改変なのか。市側は「1980年に政令指定都市へと発展を遂げたことを機に熟慮の上」「1983年に改め、以後40年近くにわたり用いており、良い宣誓書であるとの評価もあるところです」(2021年9月27日、市議会総務委員会での企画総務局長答弁)としている。 政令指定都市への移行などでは、諸準備を数年前から進め、移行の時には関連規定の改定を済ませておくのが普通だ。1983年の改変の根拠を、1980年の制度変更とするのは、不自然すぎる。 前の総務委員会で宣誓書に憲法遵守の文言を除いた点を衝かれた企画総務局長は、概略次のように答弁した。「宣誓書にある国際平和文化都市は、最高目標の都市像として掲げている。そこには当然憲法の理念がそのまま流れ込んでいるものと考えます」と。理念が「流れ込んでいる」とのあいまいな表現に、「そのまま」という語を組み込ませている。論理性がない。それに議会にも諮らず、電子版での検索も不可能にしている。内部文書扱いの宣誓書を、誰にいつ見せて、「良い宣誓書」との評価を得たのか。密室での恣意的運用を証明したに等しい。 広島市の現行版宣誓書は、その策定過程が不明朗な点で際立っている。そのことが、宣誓書からの憲法遵守文言欠落と密接不可分の関係にあるように見える。 これら脱法・違法な手法によって、広島市職員は、憲法遵守、市民等への奉仕者理念を明確に意識する機会になる宣誓を骨抜きにされ、40年を経過した。「爾臣民」を引用した前代未聞の違憲違法な講話の存在が、12年間も外部に知られなかったのは、これら不公正な状況に市役所が覆われていたからこそだった。◆記者も市民も「爾臣民」に無反応 それだけではない。本件にはもう一つ深刻な問題点が潜んでいる。それは、昨年12月以後の各紙報道や論評、さらには批判や抗議をした市民団体などでも、「爾臣民」の引用を特に問題視している様子がほとんど見えないことだ。 そもそも本件は、全国規模のメディアの記者たち対象の11月16日の懇談会で、研修に用いた紙資料(A4版、19ぺージ)を市長自ら配布したのが発端だった。その中の勅語引用部分を問題視した初報道は、12月11日の共同通信配信の記事だった。「読売」「日経」を除く他社が12日から後追い報道をし、全国にも知られる事態になった。 その報道で松井講話の事実を初めて知り、東京在住の身ながら私も情報の拡散や異議の声を挙げた。やがて12月18日の記者会見で市長自身が、記者との懇談会で紙資料を配布したのが発端だったと明らかにした。そのことを、WEBで知った。そこで、懇談会はいつだったのか、広島の関係者に確認し、11月16日だったと判明し、愕然とした。資料配布から初報道まで問が空きすぎている。 オフレコが原則の懇談会であっても、重大な事案については、即報道となった前例は多い。11日以後の報道では、教育勅語総体や「兄弟に友に」などの徳目を問題視しているものばかりだ。「爾臣民」引用の反社会性を認識していれば、もっと早くの報道に踏み切ったのではないか。 12月14日の市議会でも、野党議員は「爾臣民」について追及していない。さらに抗議や批判の声を次々と挙げた市民団体や労働組合なども同様だ。 本件を違憲違法事案と認識している者としては、地元の弁護士会など法律家たちの動きが鈍いのも不可解でしかない。私は、日本国憲法施行から間もなくの社会科教科書で、自由平等の理念を学んだ。人権侵害や自尊心を傷つけられた時には声を挙げるのが、主権者としての権利と義務だと高校生に30年間語り続けた。大学での教員養成でも同様だった。生徒や学生からの異論はなく、同じ思いの教員仲間との交流を重ね、教科書執筆にも参加してきた。それなりの自負もある。 だが、松井事案によって、「爾臣民」という語に反発する意識(自尊心)が今の世の中では予想外に希薄なのだと、気づかされるに至った。我々の社会科教育は上滑りだったのか。教育勅語に関する教科書記述にも隙があったのではないか。 松井講話が浮上させた論点は、数多くある。議論の継続を強く望みたい。(たかしま・のぶよし/「教科書・市民フォーラム」共同代表、琉球大学名誉教授)*非公開同然の宣言書の本文や条例改定の経過などは、宣言書改変について追及している篤志家のブログ「広島市『職員の服務に関する宣誓書』」(その1~3)を参考にさせていただいた。2024年4月1日 月刊「市民の意見」 202号 26ページ 「広島市長が『爾臣民』を職員研修で心構えとして協調」から後半を引用 この記事を書いた高嶋氏は、戦争が終わったときには3歳だったらしいが、我々のように戦後に生まれた者にしてみれば、「爾臣民」などという文言を見ても、ただの古臭い言葉に過ぎず、そんな言葉を発する人間が目の前にいても、今時そんな言葉を発するのは奇人変人の類だとしか思えないのであるが、松井市長は何を考えて、職員研修の教材にそのような文言を入れたのか、聞いてみたいものだ。職員研修の教材に「教育勅語」を入れておけば、やがて日本を再び天皇が統治する国家に変革できるとは、私には考えられないが、しかし、天皇が国民に対して「爾、臣民!」と呼びかけることに違和感を感じない国民が、松井市長の思惑通りに増えていけば、日本の民主主義が終わる時が来る可能性は大きいと思います。野党議員もメディアも、このような事態に敏感に反応できていないのは、やはり危機的状況であることを示している気がします。
2024年04月20日
市民団体「市民の意見30の会・東京」が発行している機関誌「市民の意見」に「シリーズ・教科書問題」を連載している琉球大学名誉教授の高嶋伸欣(たかしまのぶゆき)氏は、この度、広島市で職員研修の教材に「教育勅語」の一節を使用したり、新規採用の職員に書かせる「宣誓書」に「憲法順守義務」の項目が欠落していたり、その「宣誓書」が他の自治体とは違って市民がインターネットで閲覧できない状態になっているという「非常事態」であることについて、予定を変更して、次のような緊急原稿を寄せている; 今回は緊急な話題の問題提起をシリーズの「番外編」として、お届けする。 シリーズ(1)では、教育勅語が戦前戦中の国内外に惨禍を及ぼす要因となった経過をまとめた。さらに、戦後もその悪影響が、「日の丸」への過度な敬意強調などに残っているとも指摘した。 ところが、最近になってその程度の指摘では済まされない事態の存在が発覚した。松井一実・広島市長が新採用職員の研修で講話をし、そこで教育勅語の一部を再評価していた。しかも、勅語の道徳の項目(徳目)部分にある「爾(なんじ)臣民(しんみん)」も引用して、「生きていく上での心の持ち方」の一つと強調していた。 松井氏はこの講話を市長に当選した翌年の2012年から毎年繰り返してきた。だが昨年12月11日に問題視する報道がされるまで、これらの事実が市役所外には知られていなかった。つまり、広島市役所職員からの内部告発は皆無だった。また、市役所内で市長に異議を唱えた者が皆無だった、と市長が認めた。 この件が発覚以後、批判・抗議の声が市の内外から多数寄せられている。だが松井氏は全く意に介していない。今後も職員研修等で同様の講話を行なうとしている。松井氏の任期は2027年4月まである。この講話が今後も継続され、同調する動きの拡大が懸念される。 「番外編」として、緊急の問題提起を目指す理由がここにある。◆勅語の徳目を「心の持ち方」に 焦点となっている講話の教育勅語に関わる部分は、受講者に配布された紙資料に明示されている(次頁図版参照)。それにより、徳目部分の「爾臣民 兄弟に 友に」云々など一部分を抜粋したのだと読める。 ただし、資料ではこれら引用部分の上に「5 生きていく上での心の持ち方」「(1)我々の先輩が作り上げたもので良いものはしっかりと受け止め、また、後輩に繋ぐ事が重要」との見出しが付されている。市職員たちに、これら徳目を心構えとするように諭している形だ。 さらに、引用該当部分の英語訳を上に、日本語の原文を下に配置した形で示している。こうしたのは「(原文が)漢文調で書いてあるから、逆に分からないから英文の方でいくと、むしろ読みやすいものになっている」からだという(12月19日「記者会見」での発言。広島市役所の電子版記録による。以下同じ)。 市の職員にはこの程度の漢文調の日本語資料を、「分かりにくい」だろうと、市長が判断したことになる。厚生省官僚時代にロンドンの日本大使館に書記官として出向した体験から、英語が堪能であることゆえの判断か。この間の記者会見などの様子をみても、松井市長の上から目線の応答、横柄に聞こえるもの言いが散見される。そうした姿勢が、「心の持ち方」説諭という思い上がりや、勅語解釈賛美の独りよがりを恥じない言動を生んでいるかのようだ。 松井氏は引用した徳目を「実は民主主義的な発想の言葉」で、「今の時代にも当てはまる」とし、「勅語を全否定したのは誤りだ」と主張している。そこに目新しさはない。田中角栄、福田赳夫それに森喜朗各氏が首相在任中に同様の主張をしている。しかも、それらに同調する動きはほとんどなく、一過性で終わっている。安倍政権下で耳目を集めた森友学園問題でも、教育勅語を暗唱させている幼稚園が話題になった。それも、ことのうさん臭さを印象付けただけであった。 また、「兄弟に友に」は今流の「兄弟姉妹同格平等で仲良く」という意味ではない。「長男は家督相続者であるから、弟はもちろん、年長の姉妹も家庭内では長男を優先するように心掛けなさい」だった。旧民法が前提にした家父長制、長子相続制に則した男尊女卑の心構え(道徳)を女子児童に植え付ける。その役割を教育界に指示したのが教育勅語だった。そうした点を無視した肯定的な解釈は、”サギをガラスと言いくるめる”詐欺師的手法でしかない。◆「爾臣民」を推奨する違憲行為 これら徳目についての現代的解釈をもって、「実は民主主義的な発想の言葉」とする主張は、これまでと同様で「またか」という観が強い。批判や抗議の内容も同様であるかのように見える。 だが、松井市長の主張には、これまでにはない問題点が含まれている。それが前述の「爾臣民」という3文字を引用している点だ。日本国憲法下でも天皇制は存続している。だが「国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(憲法第1条)に規定されている天皇が「爾臣民」という語を用いる余地は全くない。それを広島市長が職員に向けて用いた。まるで広島市役所では「私を天皇と心得よ」と言わんばかりだ。ちなみに松井氏は明治憲法下は「天皇が全部、朕ということでとりしきって」「結局戦前の日本になって戦争国家へ突人した」との解釈を表明している。天皇崇敬意識が鮮明な右翼などを刺激したのではないか、と危惧される。 「爾臣民」の無神経な引用は、同時に松井氏が戦前と戦後の法体系が抜本的に異なっている点に、無知同然であることをも示している。 明治憲法下の法体系は天皇制による勅令主義で整備されていた。明治政府は、元老や貴族院議員、大臣さらに道府県知事など行政組織の長などが勅撰で任命され、民意の反映は極めて限定的だった。衆議院選挙も選挙権が制限され、裁判も「天皇ノ名二於イテ」行なわれ(明治憲法57条)ていた。そうした法体系下で「臣民官僚」は天皇権限行使の代行者「お上」として君臨し、民主主義の芽をつぶし続けた。 国の進む道を誤らせた戦前の体験を反省し、戦後の法体系は法治主義に転換している。普通選挙によって選出された議員らによる法令に行政は従い、議会は行政を監視監督する権限を有している。法令の最上位にある日本国憲法の99条では、全ての公務員に憲法遵守と擁護の義務が有るとし、15条で「令ての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」としている。さらに国家公務員法と地方公務員法では、公務員として職務に就く(服務)際に、宣誓を課している。そして、大半の「宣誓書」には憲法の遵守が記載されている。 従って現在の日本社会で、公務員である広島市長が公的な場で、「爾臣民」の3文字に肯定的な意味を有していると主張することは法的にも許されない。しかも今回のケースは、職員の任命権を持つ首長が、自己の行政権限をもってその主張の聴講を義務付けている場での講話である。本件事案は明らかに憲法1条・15条・99条に違反し、違法だ。 同時に、市長としての本件での職権行使は職権乱用であり、典型的なパワーハラスメントでもある。そのことは、職員が身体的もしくは精神的な苦痛を与えられたことを意味している。本件は人権救済、あるいは損害賠償の申し立てなどの対象となる法的事案でもある。 さらに、課長級以上の職員も共同責任を問われかねない。松井市長は、同様の講話を、新任課長級研修においても、実施していることを認めている。管理職には部下の統率監督・指揮だけでなく、部下が公務員として働く公正適正で合法な職場環境整備の責任がある。課長職の管理職員は、自身の受講体験によって、部下たちが違憲違法な講話の聴講を強制されている状況を知り得たはずだ。だが、12年もの間、その違法な状況の是正を怠ってきた。(つづく)2024年4月1日 月刊「市民の意見」 202号 26ページ 「広島市長が『爾臣民』を職員研修で心構えとして協調」から前半を引用 広島市の松井市長の教育勅語の解釈は独りよがりで、戦前の社会で家父長制と男尊女卑を徹底させる役割を果たしたという「事実」の認識が欠落している。それも、「爾臣民」などと今では天皇自身も法律上言えない「言葉」を、さも知っているかのように職場研修のテキストに掲載するなどは、思い上がりも甚だしい。その上、時代錯誤の内容のテキストで「職場研修」を受けさせられた職員にしてみれば、むやみに拒絶するわけにも行かず、ただただ退屈な時代錯誤のお説教を聞かされる、典型的なパワハラだったわけで、広島市の市長と管理職は、大いに反省する必要があると思います。
2024年04月19日
ある在日の男性が、高校時代からの友人で大人になってからも時々一緒にゴルフに出かけたり同窓会であって楽しく酒を酌み交わした間柄なのに、ある日突然「在日の〇〇くん」とSNSに書き込まれて大きな精神的ダメージを受けたとして裁判に訴えた事例について、3日の東京新聞「こちら特捜部」は次のように報道している; 「在日の金くん」―。X(旧ツイッター)でこう呼びかけ、在日韓国人への敵意をあらわに繰り返された差別的投稿は自分に向けられていたとして、東京都内に住む3世の男性が先月、投稿者への損害賠償請求訴訟を東京地裁に起こした。投稿者は男性の高校の同学年で、50年来の交流があったという。男性が裁判に踏み切った思いとは。(山田雄之) 「投稿を見たとき、自分を指していると思った。本人に直接注意したのに聞かないから訴えた。『在日』も『金』も私にとって大切な言葉。人間としての尊厳を損なわされたんです」。原告の金正則さん(69)は3月29日の提訴後、東京都内で開いた会見で涙ぐみながら語った。 訴状によると、被告は福岡市に住む高校の同学年の男性。2021年3月~今年1月、Xで「在日の金くん」との言葉を入れながら、「朝鮮人ってやっぱりばかだね。救いようがないよな」「もう日本にたかるの止めなよ」といった人格を侵害したり、名誉を損なわせたりする投稿を15件繰り返した。金さんは精神的苦痛を受けたとして、慰謝料110万円の支払いを求めている。 金さんによると、被告は以前から別の交流サイト(SNS)で実名で在日韓国人や朝鮮人へのヘイト投稿を続けていた。クラスメートではないが、卒業後も同窓会などで交流があった。金さんは18~19年に面会や同窓会のメーリングリストで被告に注意したが聞き入れられず、20年から「在日の金くん」投稿が始まった。 提訴した15件の投稿以外には、金さんの親や子どもに触れた内容もあったという。金さんは「ネット上でのヘイトだけど、顔を知っているので身近な感じ。生活圏の中で差別を受けるのはつらい」と話した。 「金」姓は韓国人の姓の約2割を占めるという。投稿の一部に金さんが高校時代まで名乗っていた日本名、親しい友人の名前が記されており、自らに向けられたものだと「特定できた」とした。代理人の神原元弁護士は「投稿は差別的言動であり、人格否定。差別的言動自体が違法行為だ。裁判所は差別だとしっかり認めてほしい」と主張する。 被告の男性は2日、「こちら特報部」の電話取材に応じ、金さんとは「ゴルフをしたり、お酒を交わしたりしてとても仲が良かった」と話した上で、投稿理由については「お答えすることはできない」とした。 金さんは「『在日』の誰もがヘイトを経験する」と説明。裁判にあたり、他の在日の人から聞き取った被害例として、匿名で送ってきた年賀状での誹謗中傷(就職活動で朝鮮人だと分かると面接扣当の態度が急変したことなどを挙げた。 「『在日』などの属性で縛る表現は、属性で見られて差別を受けたことのある人に『次は私かな』と恐怖と緊張を与える。社会にあるさまざまな属性による差別を将来に受け継がせるのを止めたい」と訴えた。 金さんを支援する法政大名誉教授・前総長の田中優子さんや元日弁連会長の宇都宮健児弁護士も会見に同席した。田中さんは「民族や国籍、LGBTQなど差別はたくさんある。自分たちは加害者にも被害者にもなる」として、「金さんだけの問題ではない。社会全体として解決しなければならない。差別する側か持っている脆弱性にも目を向ける必要がある」と話した。 宇都宮氏は16年施行のヘイトスピーチ解消法に禁止規定や罰則がなく、差別による暴力や犯罪が続いているとして、差別禁止法の必要性を指摘。今回の訴訟について「日本社会に潜む差別意識を取り上げている。差別は戦争につながる。人権意識を定着させる重要な闘いだ」と強調した。2024年4月3日 東京新聞朝刊 11版 18ページ 「こちら特報部-『差別を将来に残したくない』」から引用 差別はやめようという「意識」が世の中に広がりだしたのは、世界的に見てもこれは最近の現象で、だいぶ昔からアメリカの黒人差別反対運動は有名だったが、日本人にしてみれは「日本には黒人はいないから、関係ない」という雰囲気だった。しかし、実はアメリカにも日本にも昔から女性を見下す習慣があったのは事実で、これが実は「差別」なのだということをはっきり認識したのは、つい最近のような気がします。認識したとは言え、まだ男女の賃金格差は厳然として存在し、この「差別」が解消されるのは、まだかなり先のような気がします。それにしても、上の記事が訴える「差別事件」はまた、何か不思議な感じがします。高校生時代からの友人で、大人になってからもゴルフに行ったり飲み会を楽しんだ友人だったはずなのに、ある日突然、SNSに差別むき出しの投稿をするというのは、どういうつもりなのか、「在日だから在日と書いただけで、差別するつもりはなかった」などと言い訳するのかも知れないが、そんな言い訳が裁判の場で通用するのかどうか、私たちの社会の人権意識が問われます。
2024年04月18日
安倍晋三は「拉致問題」を最大限自分のために利用して求心力を高めることに成功したが、肝心の「拉致被害者の救済」については何一つ努力することもなく、したがって「問題」はただの一歩も解決に向けて前進することもなく、前進どころが解決の道は閉ざされてしまっただけであった。しかし、その後、このままで放っておいてはいけないとの「動き」が出てきたと、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏が3月30日の同紙に、次のように書いている: 20年ぶりの日朝首脳会談はあるか。岸田文雄首相は北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記に「共に新しい時代を切り開くため、条件を付けず直接向き合いたい」と呼びかけてきた。2月、総書記の妹の金与正同党副部長が「関係改善の新たな政治決断をするなら、新しい未来を共に切り開ける」と異例の談話で応じた。その後、表の応酬はあっても、水面下でただならぬ動きが進んでいる模様だ。 27日、国会内の大会議室で「拉致問題の行き詰まりを破るカギは何か」を考える集会があった。ロシア近代史と現代朝鮮が専門の和田春樹東京大学名誉教授(86)が呼びかけ、国会議員や識者、報道関係者ら100人以上が参加。 横田滋さん(故人)と早紀江さん(88)が、2014年にモンゴルのウランバートルで、めぐみさんの娘(横田夫妻の孫)キム・ウンギョンさんとその娘(夫妻のひ孫)に対面した時の穏やかな笑顔、成人し元気だった頃のめぐみさんが写った秘蔵写真も映写され、会場は静まりかえった。 02年と04年、小泉純一郎元首相による2度の訪朝後、日本では安倍晋三元首相が拉致問題を自分の権勢拡大と権力維持に最大限利用した。世論向けに拳を突き上げ、外交交渉を事実上断絶し、結果的に問題解決を遠ざけてきた。 拉致は、北朝鮮の国家犯罪であり、重大深刻な人権侵害である。人として国として許し難い。でも、その北朝鮮と交渉しなければ解決はない。和田氏は「安倍拉致3原則」の転換を提言する。 原則1「拉致問題はわが国の最重要課題」→北朝鮮が核武装した今、むしろ北朝鮮と平和善隣関係を作ることこそ「わが国の重要課題の第一」であり、「拉致問題は重要課題の一つ」と改める。 原則2「拉致問題の解決なくして日朝国交なし」→「拉致問題の解決は日朝国交正常化交渉の過程で実現できる」としていた小泉外交の路線に戻る。国交正常化とは、北朝鮮を「良い国」と認めて利することではない。 原則3「拉致被害者全員の即時一括帰国」→小泉路線の「生存者の帰国および死亡者に関する納得できる説明と賠償」に戻る。 日朝国交正常化推進議員連盟の衛藤征士郎会長(一時中座)ほか衆参12議員が傾聴していた。 ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの戦いがやまない。いわく「悪は誰か、どちらが正義か」「命より大事な守るべきものがある」。誇り、尊厳、権利、憎しみ、愛国心。そして殺し合いは続く。乗り越えるべきは私たちの心の中にある。(専門編集委員)2024年3月30日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-安倍拉致3原則の限界」から引用 安倍晋三が唱えた拉致3原則は、被害者救出を目的とするかのように見せかけて、実はやたらと朝鮮民主主義人民共和国を敵視し人道に反する「国家犯罪だ」などと罵倒することによって、何かと朝鮮人を見下して優越感を得ようとする品性下劣な一部の日本人にうけようとする魂胆であったから、国内の求心力(?)を得ることには一定程度成功して長期政権になれたかも知れないが、いくら「国家犯罪」だからと言って、外交のルールを無視したのでは交渉もヘチマもあったものではなく、解決の道が閉ざされてしまったのは当然のなりゆきであり、拉致問題解決の肝心な時期に、実力の伴わない、何をやってもダメで、ただダラダラと長く続いただけの政権だったのは、拉致被害者とその家族に対しては大変気の毒な事態であったと言うほかありません。だいたい、拉致問題が国家犯罪だなどと大きなことを言う前に、日本はもっと前の戦時中に、数万人の労働者を大量に朝鮮半島から動員し、大半は法律に基づいた労働動員だったとは言え、中には募集に対する応募が少ない場合は、畑作業中の農民をその場から警察や日本軍兵士が強制連行したという事例も数多く記録されているのであって、そのような「史実」の認識もなく「国家犯罪」だなどと騒ぎ立てる輩は、恥を知るべきです。しかし、ここにきて和田春樹東京大学名誉教授が提案した「新3原則」は、理にかなった建設的な内容であり、相手側も交渉のテーブルに着席しやすい内容になっていると思います。わが国の政治家も、心を入れ替える覚悟で、隣国との国交を正常化し、種々の懸案事項を軽決していってほしいと思います。
2024年04月17日
主要先進国がイスラエルによるパレスチナ人ホロコーストを止めようとしない事態について、ジャーナリストの北丸雄二氏は3月29日の東京新聞コラムに、次のように書いている; イスラエルのネタニヤフ政権によるガザ・パレスチナ人皆殺し作戦の映像や画像や情報を、ただただ見ているしかない毎日。瓦礫(がれき)の下の死体を含めれば殺された者は優に4万人超。日本には関係ない、ましてや私には関係ない、いやいやこのグローバル経済の中では間接的に(あるいは直接的にも)日本からイスラエルにカネが流れていて・・・とはいえ、複雑で見えづらいから見えないフリもできた。でも自分の税金が直結する武器兵器がどこかの人たちを殺すとなったらイヤだ。本当にイヤだ。 日本も共同開発の次期戦闘機が第三国に輸出可能になる。例によって閣議決定だけで決まった。戦闘機は「殺傷能力の最たるもの」。イヤだと言ったら「お花畑の平和ボケ」と返ってくる風潮は12年前、直後に首相となる人が「みっともない憲法」と嗤(わら)って極まった。憲法9条や戦争反対が反体制で反日で過激となった。9条講演会が政治的だとして自治体に拒否される倒錯の中で、憲法はみっともないのではなく作為的に悪者にされたのだ。 餓死寸前で横たわるガリガリの子供。粉塵(ふんじん)に塗(まみ)れ半身が埋まったままの女性の死体。そこに今後は日本人の私たちの不作為が加担する未来が来る。生理と理性がイヤだと言う。じゃ対案を出せ? 裏金の後始末にもグズる支持率20%の側が、不遜にもそんな御託(ごたく)を言える立場か考えることだ。(ジャーナリスト)2024年3月29日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-不遜なる精神」から引用 この記事を書いた北丸雄二氏は、プロのジャーナリストなのだから、自分の税金がイスラエルに流れてそのカネでイスラエル軍がパレスチナ人を殺すなどというのは「自分はイヤだ」などと個人的な気持ちを吐露して終わりではなく、広く社会に呼びかけて、「私たちはこのような状況を黙って見ていてはいけないのではないだろうか。戦争は止めろと声を上げて、政府に働きかけて、戦争を止めさせるべきではないだろうか」と、広く世間に呼びかけて、戦争は止めろ、人殺しの道具を製造したり販売したりする仕事はもうなくせ、という「運動」を呼びかけて、世界の「戦争」を止めさせるための努力をするべきではないかと思います。安倍晋三みたいな政治家が陰に陽に暗躍して「戦争反対だの、反戦だのというヤツは過激派だ」という風潮を世の中に広めてしまいましたが、そんな間違った考えを跳ね返して、堂々と「平和憲法を守ろう」と誰もが大きな声で言える社会を作るために運動を始めようと、そういう「呼びかけ」をするような記事を、新聞や雑誌にどんどん書いて、平和な社会を作るための「一歩」を踏み出す時期に差し掛かっているのだと思います。
2024年04月16日
炉心がメルトダウンした福島原発事故や、あわやその二の舞になりかねない事態だった志賀原発のこと、茶番劇のような政倫審騒ぎの裏で重大な政策変更が国会を無視して決められる日本の政治について、専修大学教授の山田健太氏は3月24日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 3月11日、福島でキャンドルナイトに参加した。点灯は、東京電力福島第1原発事故でメルトダウンが起こり、現在なお続いている政府の原子力緊急事態宣言が発出された午後7時3分。東日本大震災から13年たった当日も、福島第1原発からはアルプス処理汚染水が海洋に放出され、除染で発生するなどした汚染土を埋めるために原発周辺に設置された中間貯蔵施設には大型ダンプが行き来していた。一転、夜になると周囲の街は真っ暗で人影はない。 その前週には、北陸電力が報道陣に、能登半島地震で被害を受けた志賀(しか)原発(石川県志賀町)構内への立ち入りを初めて認めた。安全をアピールするのに2ヵ月を要したことになる。現地に行くと、周辺道路は隆起や地割れを応急処置した箇所が数多くあり、原発推進の町長が「これまで通り安全性をアピールはできない」旨を発言した状況がよくわかる。一方、各地で進行中の原発訴訟において、活断層の危険性や避難路の非現実性についての司法判断は否定的で、「想定外」の被害が続く実態との乖離はさらに広がっている。 ◇ ◆ ◇ こうした溝が生まれる要因には、地元と他地区、住民と中央行政や司法の間に認識のギャップがあり、報道のありように起因するものも少なくない。志賀原発でいえば、震災直前まで電力会社、行政、経済界、地元報道機関が一致して再稼働を推進してきたわけで、安全神話の刷り込みを払拭するには相当なエネルギーが必要だ。同じ構図は、福島の海洋放出で今起きている。この構造こそが、未曽有の原発事故を防げなかった理由でもある。 報道によるイメージ作りはさまざまな局面で起こりうる。政治倫理審査会もその一つで、その場に誰が出るのか何を話すのかに一喜一憂する状況が作り出される中、肝心の違法あるいは脱法的な資金調達や使途については曖昧なまま、政治資金規正法はじめ法整備の話は何一つ進んでいない。発言に責任を伴わない審査会を隠れみのにして争点隠しを行いたい政権党の思惑に、メディアが結果的に乗ってしまってはいないか。 その陰で実質審議はほとんどなされぬまま予算案は通過し、さまざまな法案がひっそり審議入りし、重大な政策変更の閣議決定も議論がないままだ。その一つが重要経済安保情報保護法案。経済界の後押しで2022年にできた法制度の補填(ほてん)で、政府が秘密指定すれば未来永劫(えいごう)国民の目から隠し通せる国家秘密情報は、民間分野にまで大きく広がり、そうした情報に接する一般企業の社員も含めた民間人が広く政府による身辺調査の対象になる。特定秘密保護法とセットで運用されることになるが、さかのぼるならば秘密保護体制は1980年代半ばに最初に法案化され、その後ほぼ10年おきに形を変えつつ制定の機運が盛り上がり、10年前に成立に至った経緯がある。 ◇ ◆ ◇ 大きな盛り上がりを見せる米大リーグの日本人選手の活躍も、95年の野茂英雄ほか先駆者たちの活躍が下地にあるに違いない。実際、テレビ番組や新聞紙面でこうした「過去」を振り返る場面が数多くみられる。そうであれば、戦後の原発の歴史も、国家安全保障の政策や法制度の変遷も、ことあるごとに振り返り、なぜ今に至ったのかを検証することが必要だ。問題が解決しないのには、過去に目をつぶる文化がある。2024年3月24日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-過去があって今がある」から引用 能登半島の地震では、志賀原発はたまたま稼働を停止していたから、福島のような大惨事にはならなかったが、それでもダメージを被り、報道陣に公開するのに2か月もかかった。これがもし、珠洲市にかつて北陸電力が計画した通りに原発が出来ていれば、事故は間違いなく起きて、住民はどこにも非難ができずに被ばくする運命だったのだが、数年前に地元を上げての「大反対運動」で原発建設が頓挫したのは幸いであった。ところが、裁判所はこのような事情にまったく関心がなく、各地の原発再稼働の動きに「再稼働反対」を訴える住民の裁判に対し、どの裁判所も「原発は安全だから、稼働計画をやめさせる必要はない」などという非現実的な判決を出している。常識的に判断すれば、世間を知らない裁判官とは言え、そういう判決は「間違い」であることは、裁判官自身分かっているのだと思います。しかし、もしここで自分の良心に基づいた判決を出そうものなら、自民党政府に眼をつけられて、一生地方の裁判所で過ごす「運命」となり、高等裁判所や最高裁判事への道が閉ざされることになるから、ここは「ウソ」でも電力会社に有利な判決を出すのが得策、と考えているのだと思います。「地元住民と中央行政や司法の間に認識のギャップ」があるなどと言うきれいごとではないと、私は思います。また、政倫審などという「茶番」の裏で、重要な政策変更が国会無視で次々と進められているのに、メディアはこれを取り上げて問題視することもなく、通り一遍の批判的な社説を掲載して「アリバイ作り」をしてお仕舞いにしているのも、政権与党を批判して大企業の広告がもらえなくなっては元も子もないという、「真実の報道」よりは「ゼニ勘定」を優先する日本のメディアの「体質」の問題であり、「過去に目をつぶる文化」などという上品な表現でこと足りる事態ではないと思います。
2024年04月15日
岸田政権が国会に諮ることもなく勝手に武器輸出三原則を踏みにじり、戦闘機を輸出する方針を決めたことについて、弁護士の白神優理子氏は3月24日の「しんぶん赤旗」のコラムで、次のように批判している; 自民、公明両党は15日、英・伊と共同開発する次期戦闘機の第三国への輸出を認める内容で合意しました。武器輸出禁止の従前の国会決議(武器輸出禁止三原則と政府統一見解に基づき、厳正、慎重な対応を求めた1981年の衆参両院決議)に反し、日本を「平和国家」ではなく「死の商人」国家に変質させる暴挙。在京紙社説の多くは批判します。 憲法の平和主義に関わる問題なのに、政府は閣議決定だけで押し切ろうとしています。「毎日」(16日付)は、「安全保障政策の根幹に関わるルールが、与党の合意だけで変更される。国会で十分に議論されないことを危惧せざるを得ない」とします。 「東京」(15日付)も、「憲法の平和主義に関わる基本政策の転換を、国会での審議を経ず、政府与党だけで決めることなど許されない」。「朝日」社説(2月23日付)は「平和国家として歩んできた日本への信用を揺るがしかねない」とし、3月14日付は「共産党の山添拓政策委員長は『(政府が)勝手な閣議決定を二重に行っても透明にならない。(これまでの安保政策の転換も)政府与党が国会と国民を無視して進めてきた』と指摘した」と伝えます。 一方「読売」社説(5日付)は「(首相は)国民の理解を得られるよう努力する必要がある」と要求。「産経」(15日付)は武器輸出こそ「平和国家日本の道」という元陸上幕僚長の発言を掲載し、キャンペーンを張る異様さです。 地方紙社説はこぞって批判します。「武器輸出国への変質だ。そこには国内の防衛産業を維持する目的もあろう」(東奥日報16日付)。「歯止め策など効くものか」(信濃毎日新聞9日付)。 「恒久平和を願い、国際社会で名誉ある地位を占めると誓った平和国家の理念を戦闘機輸出によって形骸化させてはならない」(琉球新報13日付) いまこそ憲法の原点に立脚した報道が求められます。(しらが・ゆりこ=弁護士)2024年3月24日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-『武器輸出』に各紙批判」から引用 政府が国会を無視して、戦後の平和国家としての基本路線を次々と覆し始めたのは安倍政権が「集団的自衛権は合憲」と言い出した時からだと思います。このままでは、平和憲法はますます空洞化して、遠くない将来には若者が再び武器を持って「殺し合い」を始める時代が来ないとも限らない、正に危機的状況です。一応「政権批判」をする新聞各紙も、通り一遍の「社説」でアリバイ作りをするような「批判」ではなく、政府の勝手な振る舞いを阻止するための「国民運動」を呼びかけるようなキャンペーンを張って「抵抗」するのでなければ、私たちの社会はずるずると戦前体制に戻っていくのではないでしょうか。
2024年04月14日
裏金問題が世間を騒がせているこの時期に、こともあろうに福岡6区の自民党議員が都内で堂々、政経パーティを開いたと3月23日の東京新聞が報道している; 自民党の鳩山二郎衆院議員=福岡6区=が19日、「新声会 政経パーティー」を東京都内で開いた。関係者によると、政治資金パーティーとして参加者を募っていた。自民は裏金事件を受け、派閥パーティーの自粛を決めている。議員個人のパーティー開催にも「何を考えているのか」と批判の声が上がっている。(秦淳哉) 19日の東京都内のホテル。記者が訪れると、入り口で「鳩山二郎 新声会政経パーティー」という大きな表示が目に入った。 会場のホールには、スーツ姿の男性や着物の女性ら。当日の参加人数は不明だが、ホテルのホームページによると、立食スタイルでは最大250人の収容が可能とある。 スター卜は午後6時。30分過ぎには、早くも会場を出る人がいた。帰り際に紙袋に入った土産を渡されていた。中身は鳩山氏の地元久留米のラーメンのようだった。 関係者に届いた案内文によると、パーティーの主催は鳩山氏の資金管理団体「新声会」。パンフレットに[衆議院議員]鳩山二郎」「『新声会政経パーティー』のご案内」と記され、「この催しは、政治資金規正法第8条の2に基づく政治資金パーティー」と明記されている。会費は2万円。先月下旬に郵送で届き、銀行名と口座番号が印刷された振込用紙が同封されていた。 新声会が総務省に提出した政治資金収支報告書によると、新声会は2020年と21年に各1回、政治資金パーティーを開催、合計4446万円の収入を得ている。 先の関係者は、これまでに鳩山氏からパーティーの案内が数回届いたという。「このご時世に政治資金パーティー開催とは何を考えているのか」とあきれ顔だった。 自民の裏金疑惑を巡っては、東京地検特捜部が今年1月、政治資金規正法違反(虚偽記入)の罪で安倍派(清和政策研究会)に所属していた現役の国会議員や秘書らを立件。党の政治刷新本部は同月の改革案で派閥パーティーの「全面的な禁止」を打ち出した。 ところが議員個人の政治団体のパーティーは対象外に。今月には広島7区選出で自民の小林史明衆院議員がパーティーを開催したことが明らかになっている。 本紙取材に対し、鳩山氏の事務所からは期日までに回答がなかった。 参加した男性は「鳩山先生の考えを知ることができて良かった。パーティーの何が悪いか分からない」と満足そうな表情。別の男性は「パーティー開催に批判があるのは分かっているが、いずれ衆院解散・総選挙もあるので、やむを得ないのでは」と話す。 鳩山氏は、16年に初当選して現在3期目。国土交通政務官や総務政務官などを歴任。解散方針を决めた二階派に所属してきた。父親は法相や総務相などを務めた故鳩山邦夫氏。新声会の収支報告書によると、過去3年間に二郎氏の母親から計5千万円の借入金を受けていた。父親の選挙区を引き継いだため、「地盤」と「カバン」を両親に頼っている格好だ。 日本大の岩井奉信名誉教授(政治学)は「政治家にとってみれば派閥のカネが期待できず背に腹は代えられないのだろうが、今の状況でパーティーを開催すべきではない。国民の批判を甘んじて受けるべきだ」と指摘する。 さらに企業・団体もパーティー券を購入可能な現行法の不備を踏まえ、「仮にパーティーを開催する場合は、政治家が購入者を自らホームページ上に記すなど販売状況を明らかにするべきだ」と強調した。2024年3月23日 東京新聞朝刊 11版 22ページ 「こちら特報部-自民・鳩山二郎氏 政治資金パーティ」から引用 自民党・鳩山議員のパンフレットによれば、政治資金規正法に基づいた政経パーティで違法性はないという「理屈」のようであるが、それは「法の抜け穴をうまく利用してるので、違法性はありません」と言ってるだけのことで、やはりこの際は法律を見直して、抜け穴はすべて撤去するべきだと思います。この記事の末尾に登場する日大名誉教授・岩井氏のコメントもいただけません。「政治家にとってみれば派閥のカネが期待できず背に腹は代えられないのだろう」と、学者にしては極端に非常識な発言をしていることには呆れるほかありません。「派閥のカネ」などというものを当てにして選挙をやれるのは自民党だけで、野党候補にはそのようなカネはどこからも出ません。それでも「政治にはカネがかかる」というので、与党にも野党にも議席に応じて国庫から「政党助成金」を支給しているのですから、どの政党もその助成金の範囲内で選挙活動をすればいいのであって、与党だけが大企業の金蔓を当てにして、余分なカネで有権者を飲み食いの接待でもてなして投票を促すという「違反」を容認するかのような風潮は改められるべきであって、「カネ集め」が目的のパーティーは一切禁止とし、政治資金の収支は洗いざらい報告書に記載を義務付ける、不正な記載については会計責任者に責任を押し付けるのではなく「連座制」を導入して、政治家の責任をはっきりさせるという「改革」が、今の日本には必要です。
2024年04月13日
関東以外の地域ではどうなのか知らないが、私の行動範囲ではあちこちでコーヒー・ショップ「スターバックス」を見かける。そのスターバックスとイスラエルの関係について、文筆家の師岡カリーマ氏は3月23日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 世界的に人気のコーヒーチェーン、スターバックス。中東・北アフリカでも店舗数は1900に上るが、ここ数力月で売り上げは激減、今月2千人の解雇が発表された。実は以前からスタバはイスラエルとの関係が指摘され、占領と人権侵害に加担しているとして、不買運動の対象になってきた。スタバは再三イスラエルとの関係を否定するも汚名払拭ならず、ガザが飢餓寸前と報じられる中、イスラム世界でスタバ離れが進んで企業価値は一時、100億ドル以上、下落した。 BDS(イスラエルと関連がある企業を対象とする不買運動)を、国際人権団体アムネスティは平和的な人権運動と認めている(なおスタバは、BDSのウェブサイトに掲載されている不買リストに含まれていない)。その一方で、BDSに対する反発は欧米を中心に根強い。米国政府は不買運動を「ユダヤ人差別」と呼んで制裁の可能性も示唆、イスラエル本国や支援団体も、純粋な「反イスラエル」感情の拡大よりBDSの方をはるかに警戒している印象さえある。それは「買わない」という消費者の決断が、利益優先の世界において、いかに大きな力を持つかを物語る。かつては南アフリカのアパルトヘイト廃止にも貢献した。社会に変化をもたらす上では、選挙で投じる一票に勝るとも劣らないのかもしれない。正しく使いたい。(文筆家)2024年3月23日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-買わない力」から引用 スターバックスはいつも若者で満杯で、コーヒーの上に真っ白な生クリームや、真っ白ではない赤と白のシマシマとか、緑色とか、何やらうまそうで、私もいつかは入ってみたいと思いながら素通りしているのだが、こういう記事を読んでしまうと、やっぱり敬遠したほうが良さそうだという気分になってしまう。アメリカは例によって政府がユダヤ人ロビイストに支配されている国だから、イスラエル政府がパレスチナ人に対してホロコーストを実行しているのに、「ホロコーストをやめろ」と言うと「それはユダヤ人差別だ」と、変な反論をしてくる。ドイツでも、ユダヤ人自身が「イスラエル政府のパレスチナ人ホロコーストを許すな」と叫んでデモをすると、ドイツの警察は「ユダヤ人差別は許されない」と、当のユダヤ人を逮捕する始末である。ドイツ政府はナチスのユダヤ人迫害を反省したはずなのに、イスラエル政府のパレスチナ人迫害は批判しないというのは、どういう理屈なのか、まったく理解できません。
2024年04月12日
「台湾有事」という事態は起こりうるのか、毎日新聞特別編集委員の坂東賢治氏は3月23日の同紙に、次のように書いている; 米中対立や中台関係の緊張で日本でも台湾有事の可能性が取り沙汰される。では台湾とは何か。台湾がたどってきた歴史の複雑さもあってその定義は簡単ではない。 日本統治時代の台湾は本島と澎湖諸島を指した。1951年のサンフランシスコ平和条約は日本が「台湾及び澎湖諸島」に対する権利や請求権を放棄すると明記した。 今の台湾にはそれに加え、中国沿岸の金門島、馬祖島が含まれる。国共内戦に敗れて台湾に逃れた介石政権が最後まで死守した島々だ。 台湾は世界貿易機関(WTO)に「台湾・澎湖・金門・馬祖独立関税地域」として加盟した。台湾の法律が適用され、有効に統治する地域。憲法や法律で自由地区、台湾地区と呼ぶ地域と重なる。 だが、世界共通の認識とは言い切れない。安全保障の後ろ盾である米国の台湾関係法は台湾と澎湖を明記するものの、中国沿岸に位置する金門や馬祖には触れていない。 台湾防衛を明言しないことで中国の武力行使も台湾独立も防ぐという曖昧戦略が米国の基本方針だ。バイデン米大統領はたびたび台湾を守ると発言したが、そのたびに米政府当局者が政策転換はないと打ち消してきた。だが、米国が台湾より中国に近い離島を守るかはそれ以上に曖昧だ。 台湾関係法の表現は79年の米中国交正常化まで台湾防衛の根拠だった米華相互防衛条約を引き継ぐ。58年の金門島砲撃戦の際、当時のダレス米国務長官は金門島などの防衛は「条約上の義務ではない」と語った。今の米政府がそれ以上に積極的とも思えない。 ◇ ◇ 金門島は「大金門」と呼ばれる本島と周辺の小島を合わせた面積が150平方キロ。小豆島とほぼ同じ大きさだ。かつては10万人の台湾軍が駐留する最前線の島だったが、今では数千人規模に減った。 10キロしか離れていない対岸の大都会、アモイ市から客船が運航し、平和を前提とした「観光の島」に変わった。5年前から中国が団体客の訪問を規制した上、コロナ禍もあり、地元の観光業者らは中国人観光客の復活を待ち望んでいるという。 かつて介石政権が持ち込んだコーリャン酒と中国軍が島に撃ち込んだ膨大な砲弾の鋼材を原料に作られた包丁が名物。観光名所は岩盤をくりぬいたトンネル状の海軍基地などかつての軍事施設だ。 島の沖合で中国の漁船が転覆し、2人が死亡する事故が起きたのは春節(旧正月)休暇中の2月14日。領海に当たる禁止水域で違法操業していた漁船が台湾海巡署(海上保安庁)の公船から逃れようとしていたという。 台湾側は「適正な職務執行だった」と強調したが、中国側は「台湾側に非がある」と責任者の処罰を求めた。さらに「禁止水域は存在しない」と主張し、中国海警局の公船が台湾側の制限、禁止水域を無視して金門島周辺でのパトロールを常態化し始めた。 一昨年のペロシ米下院議長の訪台以降、中国軍の航空機や艦船が台湾海峡での境界線として機能してきた中間線を越境する動きを見せているのと軌を一にする。中台間の「暗黙の了解」をなし崩しに白紙化し、現状を変更しようとする試みといえる。 ◇ ◇ 金門島での動きは軍事的緊張に結びつくのか。今のところ、1月の台湾総統選で当選し、5月就任する頼清徳次期総統への政治的な圧力を強める狙いが色濃い。 軍拡を続ける中国軍がその気になれば、台湾が実効支配する離島を奪取することは可能にも見えるが、リスクも大きい。台湾を事実上の独立に向かわせる危険性もある。 50年代の「台湾海峡危機」の際、米政府には金門、馬祖からの撤兵論が根強かった。歴史的に中国の一部である離島を捨てて中国と台湾を分離すべきだという主張である。 その論理的な根拠とされたのが国際法上は日本が放棄した台湾が中国に帰属するかは決まっていないとする「台湾地位未定論」だ。台湾独立派も支持してきた。 当時、大陸への反攻を掲げていた蒋介石は米国の思惑に抵抗し、撤兵論には応じなかった。58年の金門島砲撃戦では米国の撤兵論を知った毛沢東が「蒋介石を助けろ」と砲撃を命じたという話が伝わる。 講談調の話だが、両巨頭は中台分離反対では一致していた。中国軍の砲撃に台湾軍が応戦し、米国も撤兵を迫ることができなくなった。毛のおかげで蒋が米国の圧力に抗することができたともいえる。 しかし、今の台湾では現状維持派が6割を占め、統一派は1割弱だ。中国が金門を攻めれば、米国も台湾もあえて防衛せず、それを機に中台分離に動くかもしれない。 金門島は中国に融和的な国民党支持者が多く、中台交流にも積極的だ。毛沢東が「蒋介石の手中」に残した島は、故宮博物院の宝物と共に中台をつなぐ歴史の痕跡である。習近平国家主席もその役割を十分に認識しているはずだ。(特別編集委員)2024年3月23日 毎日新聞朝刊 13版 8ページ 「外事大事-米国は金門島を守るか」から引用 日本が十五年戦争に敗北して、それまで植民地支配していた台湾も朝鮮半島も日本領ではなくなった後、国共内戦で敗退した蒋介石軍は台湾に逃げ込んだ後、中国の人民解放軍はしばらくの間、台湾攻撃の前哨戦として金門島を砲撃した時期があったが、毛沢東は国民党軍を殲滅することよりも国内の内戦で荒れ果てた国民生活を再建することを優先し戦闘行動を中止して、大陸には共産党政権、台湾には国民党政権が成立するという事態になったのであった。その後、中華人民共和国は独自の社会主義体制の追及を棚上げして、改革路線に踏み出し、日本やアメリカと国交正常化を果たし、資本主義の経済ルールで貿易を自由化したところ、人件費が安いために世界の大企業が工場を立てて中国の労働者を雇用し、地元資本の企業も発展し、ついには日本を抜いて世界第二のGDPを誇る国になった。そして、現在の習近平政権は、これまでの国内の法律を改正して、まだ当分の間、習近平政権が継続する態勢が整っているのだから、中国がここで急いで台湾を統合しなければならない理由は、ないと思われます。中国はこのまま平和裏に経済活動を継続して、台湾を始めとする東アジア各国と平和を維持していけば、おのずと中国を中心とした経済圏が形作られるであろうとの予測を持っているはずで、ここで変な「野望」などに取りつかれて軍事衝突などを起こしてしまえば、中国にとって何も得るものはなく、ただ損をするだけだ、というような「計算」は、出来ていると思われます。人類は、早く「武器を持って殺しあう」という愚かな時代を卒業するべきだと思います。
2024年04月11日
車いすに乗って映画鑑賞に来た客が映画を見終わって帰ろうとするときに、映画館の従業員から「うちの映画館は車いす対応ではないから、もう来ないでほしい」と取れるような発言をされて、「とても悲しかった」と訴えて、映画館を運営する企業がウェブサイトに謝罪文を公開するという出来事があった。その件に関する世間の反応を、3月20日の東京新聞は次のように報道している; 東京都内の映画館で従業員が車いす利用者に不適切な発言をしたとして運営会社が謝罪文を公表した。「この劇場以外で見て」と言われたと利用者がX(旧ツイッター)に投稿したためだが、交流サイト(SNS)では利用者への中傷も起きた。法律改正で4月から企業にも障害者への「合理的配慮」が義務化される。識者は対立ではなく、当事者と共に解決策を探る「建設的対話」を重要視する。(宮畑譲) 「お客さまの映画ご鑑賞後に弊社従業員がお客さまに対し、不適切な発言をしたことが判明いたしました」。「イオンシネマシアタス調布」(調布市)を運営するイオンエンターテイメントが16日、ウェブサイトに謝罪文を公開した。 いきさつはこうだ。この前日に「車椅子インフルエンサー」を名乗る観客が希望した映画を観覧。上映後、従業員に「この劇場はご覧の通り段差があって危ない。手伝えるスタッフも時間があるわけではない。今後はこの劇場以外で見てもらえると、お互いいい気分でいられると思う」と言われたとXに投稿した。 「こちら特報部」がイオン側に確認すると、このやりとりがあったことは認め、「対応としては謝罪文の通り」と答えた。今後は従業員への教育再徹底と再発防止、全劇場で設備の改善を進めるという。 一方で「すごい悲しかった」と訴える車いす利用者の投稿には「特例対応を現場に強要するのはハラスメントでしかない」「何でも『優遇』されて当たり前の考えは捨てろ」といった批判のコメントがネット上に並んだ。 こうした論争は過去にも起きてきた。2013年、著書「五体不満足」で知られる作家の乙武洋匡氏が、車いすであることを事前に言わないで訪れたレストランに入店拒否された経緯を投稿すると、店への苦情とともに「傲慢」などと乙武氏にも批判が相次いだ。 この4月からは改正障害者差別解消法が施行され、国や自治体に加え一般企業にも障害者への「合理的配慮」が義務化される。国は合理的配慮の例として「物理的環境」「意思疎通」「ルール・慣行の柔軟な変更」を挙げるが、明確な基準はなく、企業側に「負担が過重」な場合は除かれる。 車いすで生活する川内美彦・元東洋大教授(ユニバーサルデザイン)は、企業の側が合理的配慮をどこまでできるかは状況に応じて変わるため、障害者と共に解決策を探る「建設的対話」が重要だと強調する。 「障害者が要望を伝えることは大切」としつつ、根拠や論理がないことまで主張してよいわけではないとも指摘。企業と障害者の関係は新たな段階に入りつつあるとし、「企業の側もできることとできないことを明示しておくことが望ましい。互いに主張しつつも譲歩し、満足できる合意点を探ることが建設的対話だ」と話す。 日本障害者協議会(東京)の藤井克徳代表は映画館の対応について「現場の従業員を責めるのは酷。あくまで会社の姿勢の問題だ」としつつ、「もし車いす利用者の訴えが『過重負担』とされてしまえば、法律の趣旨は骨抜きになってしまう。過重負担を企業の言い訳に使われてはいけない」と懸念する。 ネットでの批判については「匿名で非常にひきょう。根深い集団差別の一つだ。ただ、内心の問顯に踏み込むのは難しく、議論自休を抑え込むのも違う」と悩ましさを吐露する。その上で「批判の応酬では出口は見えない。まずは政策を実施し、社会を変えることが大切だ。障害者と健常者が同じように映画を見ている状況が当たり前になれば、多くの人の認識も変わる」と訴えた。2024年3月20日 東京新聞朝刊 11版 20ページ 「こちら特報部-車いす利用者への映画館対応に波紋」から引用 ともすれば、私たちは「障害を持つ人たちは健常者に比べていろいろ不便なことがあるのは現実で、しかし、それは本人の責任だから仕方ないだろう」などと考えがちですが、それは実は間違いなのだということに、最近の社会は少しずつ気付きつつあるのだと思います。私がそのことに気付いたのは、れいわ新撰組から立候補した2名の車いす利用者が選挙に当選して晴れて国会議員になったとき、車いすに乗ったまま議場に入れるように議場内を改造するということがありました。その時、人権意識の低い人たちは「障碍者が議員になったりするから、余分な経費をかけて議場を改築する羽目になった」と、あたかも迷惑であるかのような投稿をSNSに書き込む人たちがいましたが、あのような投稿は「間違い」だったわけです。健常者であれ車いす利用者であれ、私たちには同等の参政権があるわけで、車いす利用者は国会議員になれないなどという法律はありません。したがって、車いす利用者が議員になるまで、国会の議場が車いすでは入りにくい状態になっていたのは、国会の怠慢であり落ち度であったわけで、車いすでも何不自由なく出入りできるようになったのは、これで本来の「議場」がようやく完成したと見るべきです。また、上の記事では乙武洋匡氏の事例にも言及してますが、これもやはり、レストランを利用するに当たって、車いす利用者だけは事前に事情をレストラン側に通知しなければ入店できない、というのはまったく不合理な「決まり」であり、車いす利用者であっても普通の人と同じ条件でレストランを利用できる、そういう「当たり前」のルールが通用する社会に、日本もなっていってほしいと思います。
2024年04月10日
札幌高裁が「同性婚を認めない民法などの規定は憲法違反である」との判決を下したことに関連して、現代教育行政研究会代表の前川喜平氏は3月17日の東京新聞コラムに、1789年フランス人権宣言以来の人権思想の「進化」について、次のように書いている; 同性婚を認めない民法などの規定を違憲と断じた14日の札幌高裁判決。注目すべきは「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し・・」と定める憲法24条1項の解釈だ。同項が同性婚を禁止しているとする一部論者の解釈とは正反対に、「同性間の婚姻も異性間と同じ程度に保障している」と解釈した。 同性婚は、2001年のオランダに始まり、各国で法制化されてきた。日本の国会で同性婚を認めない政党は自民党だけだ。国民の6割から7割は法制化に賛成している。日本が人権後進国なのではない。自民党が人権後進党なのだ。 人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果(憲法97条)だ。フランス人権宣言が採択されたのが1789年。女性参政権が初めてニュージーランドで認められたのが1893年。生存権が初めてドイツのワイマール憲法に規定されたのが1919年。アメリカの連邦最高裁が人工妊娠中絶を憲法上の権利と認めたのが1973年。それを否定したのが2022年。フランスでは今月、中絶権の保障が憲法に書き込まれた。 過去幾多の試練に堪え(憲法97条)、人権の観念は時代とともに進化してきた。時に強い反動に見舞われ、行きつ戻りつしながらも、人権思想は普遍性を高めていくだろう。人権の進化は人類の進歩である。(現代教育行政研究会代表)2024年3月17日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-人権は進化する」から引用 人権思想は紆余曲折を経ながら、しかし着実に発展し不当な差別を解消していくのだという論旨に異論はなく、是非ともそういう方向で発展していってほしいと思います。日本では国民の6割~7割が同性婚を認めているのに対し、国会で「認めない」と言ってるのは自民党だけであるから、主権者である国民の意向が国政に繁栄されないというギャップを可及的速やかに解決し、不当な差別を社会から一掃するために人権思想の普及に務めていきたいと思います。
2024年04月09日
グローバル企業として名高いビール・メーカーのキリンが、テレビコマーシャルに「高齢者は集団自決」などと非常識な発言をした成田某を起用し、世間の批判を浴びた後に当該コマーシャルを取り止めにした事例について、3月17日の東京新聞は次のように論評している; キリンビールは缶酎ハイ「氷結無糖」のウェブ広告から、経済学者の成田悠輔氏の広告を削除したと明らかにした。成田氏はかつて日本の少子高齢化を巡り「解決策は高齢者の集団自決しかない」と発言。人権感覚が疑問視されるとして、今回の広告起用について交流サイト(SNS)では批判が飛び交っていた。人選の意図は何だったのか。(森本智之) キリンは4日、成田氏が氷結無糖を手に「時代を作るものは、いつだってシンプル」とアピールするウェブ広告を開始。すると、X(旧ツイッター)では「#キリン不買運動」というハッシュタグ(検索目印)を付けた批判や嘆きの投稿が相次いだ。キリンは8日後の12日、広告を削除した。 テレビ番組でコメンテーターを務めるなどして知名度を上げた成田氏。「歯に衣着せぬ」と評される物言いだが、2021年のインターネット配信番組で、「(少子高齢化の)唯一の解決策は、はっきりしていると思っていて、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなのしかないんじゃないか」と発言。海外メディアでも問題視された。 広告削除の理由についてキリンの広報は「こちら特報部」の取材に「さまざまなご意見を頂戴したため、総合的に判断した」と説明。「さまざまなご意見」には、集団自決発言を巡る批判も含まれると認めた。人選の理由は「ご自身の言葉で氷結無糖の良さを幅広い立場の方に語っていただくことを目的に企画し起用した」という。過去の発言については「一人一人の発言、影響について過去にさかのぼって個別に把握、確認しきれていなかった。今回のことも教訓に今後は確認していきたい」などと回答した。 広告業界関係者は「広告代理店は企業側にCMについて提案する際、起用を検討している人の身体検査を必ず行う。『(発言を)知らなかった』というのは考えにくい」と驚く。 その上で「成田氏はアンチもいるが一定のファンもいる。不特定多数が目にするテレビCMなら起用は難しいと思うが、ウェブ広告は特定の層をターゲットとすることが多く、その層に届けばいいと発想しがち。そのために判断が甘くなったのでは」と推測した。 人権の観点でキリングループは過去にも批判されている。キリンはミャンマーで国軍系企業と合弁を組み、ビール会社を運営していた。国際人権団体のアムネスティーインターナショナルは18年、イスラム教徒少数民族ロヒンギャを迫害する国軍に、合弁会社が寄付をしていたと発表。キリンは調査と釈明に追われた。 キリンは21年、国軍がクーデターを起こした後に合弁解消の方針を表明。23年に保有株式の売却を終え、ミャンマーから撤退した。 アムネスティの発表後にキリンを取材したジャーナリスト木村元彦氏は「合弁解消まで時間はかかったが、当時キリンも調査を進めそれなりの動きはしていた。ミャンマーの件で懲りたと思っていたので、今回の広告起用に驚いている。人権に対する知見が甘かったのではないか」と述べた。 一方で「学者のように公正に発言を求められる人が一企業の広告に出ること自体が、そもそも問題ではないか。線引きがあいまいになってきているのではないか」と疑義を呈した。 元博報堂社員で作家の本間龍氏は「集団自決発言はかなり物議を醸したので、なぜ成田氏を起用したのか人選は疑問」としつつ、ウェブ広告を削除したキリンの事後対応は「非常に素早かった」と評価した。 「人権や差別に関する問題への社会の関心は高まり、なかでも海外の人は敏感だ。キリンのようなグローバル企業は特に活動内容が厳しく問われるようになっている」とくぎを刺した。2024年3月17日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「問われる企業の人権意識-『高齢者集団自決』発言巡り」から引用 東京新聞「こちら特報部」の取材に対応したキリン広報部の談話は、コマーシャル起用を検討する人物の過去の発言までチェックするという所までは手が回らなかったというような話であるが、不祥事が発覚した自民党みたいなセリフで、本当は批判されるまで「集団自決」発言は問題だ、という認識がキリンの広告担当者に最初からなかったのが実態ではないのかと疑いたくなります。しかし、このように世間を騒がせている成田某という人物を、それでもまだ番組コメンテーターとして出演させているテレビ局もあるらしいとのことで、私たちの社会の人権意識の低さはまだまだ「啓蒙活動」を必要としているレベルであると言えます。
2024年04月08日
自民党の裏金問題に関連して、学習院大学教授の井上寿一氏は日本の政治が100年前から「カネまみれ」だったことについて、3月16日の毎日新聞に次のように書いている; 政治資金パーティー収入の裏金問題は、衆院政治倫理審査会の開催(2月29日、3月1日)をもたらした。自民党はこの問題の幕引きを図ろうとする。国民世論は批判を強める。板挟みのような状況の突破を試みる岸田文雄首相・党総裁自身の出席と公開形式による政倫審の政治的効果は、不発に終わった。2、3日の世論調査(JNN)によれば、政倫審に出席した安倍派・二階派の幹部5人について86%が「説明責任を果たしていない」と回答している。 「政治とカネ」の問題の歴史は政党政治の歴史と言っても過言ではない。100年前からそうである。100年間の「政治とカネ」をめぐる政党政治史を振り返りながら、日本の政党政治を考える。 1924(大正13)年6月、憲政擁護運動の結果、護憲三派(憲政会、立憲政友会、革新倶楽部)による政党内閣=加藤高明内閣が成立する。翌年、普通選挙法が公布される。政治参加が満25歳以上の男子へと拡大する。大正デモクラシーの大きな成果だ。加藤の死去で、この内閣は短命に終わる。代わりに26年1月に成立したのが憲政会の若槻礼次郎内閣である。 ここに「政治とカネ」の問題が顕在化する。松島遊郭疑獄である。大阪の松島遊郭の移転をめぐる贈収賄事件は、内閣を揺るがす。若槻からすれば野党=政友会の論難はお門違いもはなはだしかった。収賄側には政友会の議員もいたからである。責任があるとすれば、与野党ともにそうでなくてはならなかった。 劣勢をはね返すには解散総選挙に打って出て、有権者の信を問うべきだった。しかし若槻には勝算がなかった。選挙には「カネ」がかかる。若槻は、自ら認めていたように、「金のできない総裁」だった。若槻は政友会、政友本党の両総裁との「三党首妥協」によって、政権の延命を図る。ところが脆弱(ぜいじゃく)な権力基盤の若槻内閣は、金融恐慌に見舞われ、2年にも満たずに終わる。 代わりに政権の座に就いた政友会の田中義一首相も、「政治とカネ」の問題を抱えた。田中が陸相在任中に機密費を着服したとの事件が発覚したからである。 他方で政友会の田中内閣の下、第1回普通選挙が実施される。憲政会の後継、立憲民政党と政友会の2大政党制が確立する。しかし2大政党制に基づく戦前昭和のデモクラシーは、7年足らずで挫折を余儀なくされる。選挙には多額の費用がかかる。財閥からの政治資金の援助は限られていた。政党は資金源を求めて利権をあさり歩く。政党は国民の政治不信を取り除くことができなかった。 戦後も政党政治には「政治とカネ」の問題がつきまとう。独立の回復と経済復興を成し遂げた吉田茂長期内閣であっても、退陣の直接のきっかけは造船疑獄事件だった。近年、再評価されるようになった田中角栄も、「田中金脈問題」が追及されて、内閣総辞職に至る。 55年体制下の最後の内閣=宮沢喜一内閣は、リクルート事件をめぐる政治改革の機運に対応できず退く。2009年には民主党への政権交代が実現する。しかし鳩山由紀夫内閣が1年も持たなかった原因の一つは、自身の政治資金規正法違反疑惑だった。 以上のように「政治とカネ」の問題は枚挙にいとまがないほど多発している。注目すべきは、この問題に対する国民の批判がきわめて強く、内閣を退陣に追い込んでいることである。 そうだとすれば、4月の衆院の補欠選挙の結果はおのずと明らかだろう。しかし岸田内閣は続く。「政治とカネ」の問題をめぐって、自民党総裁候補のライバルたちが後景に退き、派閥の解消によって、岸田首相・総裁は権力を強化しているからである。 さらに55年体制の崩壊や民主党内閣の成立は、「保守が割れた」からだった(反自民の政策ブレーンとして知られる政治学者の山口二郎法政大教授の回顧録「民主主義へのオデッセイ」)。今の自民党に割れる気配はない。「政治とカネ」の問題をめぐって、次の選挙で自民党が議席を減らしても、起こるのは政権交代ではなく、自民党を中心とする連立の再編にとどまるだろう。 「政治とカネ」の問題はなくなりそうにない。それでも裏金問題の規模がかつての疑獄事件とは比べようもないほど小さいとすれば、それは90年代の政治改革の効果が及んだからにちがいない。 政治家は有権者の鏡像である。私たち有権者もポピュリズム(大衆迎合政治)の陥穽(かんせい)に落ちることなく、漸進的な政治改革を求め続ける一方で、政治家を政策本位で選ばなくてはならない。そうなれば連立の再編ののちに、政権交代の機会が訪れるだろう。<学習院大教授>2024年3月16日 毎日新聞朝刊 13版 9ページ 「近代史の扉-『政治とカネ』の100年史」から引用 大正デモクラシーとか憲政擁護運動で普通選挙が実施されたとは言え、その内実は有権者に飲食を只で提供して「気前の良さ」で票を集めるという日本独特の「選挙運動」を展開していたのでは「選挙はカネがかかる」はもっともな話で、「大正デモクラシー」は聞いて呆れるということです。この記事では、「自民党の『政治とカネ』問題に対する国民の批判がきわめて強い」として、「4月の衆院の補欠選挙の結果はおのずと明らかだろう」と、3月の時点で書いているが、果たしてその「予測」が当たるのかどうか、興味深いところである。いずれにしても、選挙に当たっては「気分よく飲食を提供してくれる候補者」にではなく、政策本位で候補者を選ぶという中学生でも知っている「常識」に基づいた投票行動ができるようにならなければ、この国の「民主主義」は覚束ないと知るべきです。
2024年04月07日

かつてはアメリカに次ぐ世界第二の経済大国と言われた日本も、台頭してきた中国に追い抜かれて第三位となったのもつかの間、今ではドイツにも追い抜かれて第四位となってしまったことについて、朝日新聞記者の米谷陽一氏は3月21日の同紙夕刊に、次のように書いている; 2023年の日本の国内総生産(GDP)が、物価の影響をふくめた名目ベースでドイツに抜かれ、世界4位に転落した。1月中旬、それが確実になったことを報じたところ、さまざまな議論がわき上がった。 円安なので米ドルに換算すると日本のGDPが縮んだだけ。ドイツは急激なインフレで名目の数字が膨らんでいる。順位なんか気にしなくていい――。そんな意見も多かった。もちろん、自国の衰退を喜ぶ人なんていない。だが、現実を冷静にとらえなければ、物事の本質を見失う。 《次のグラフ》をみてほしい。日本、ドイツ、米国の名目GDPの推移を自国通貨ベースで示したものだ。 1994年を基準にすると、この30年で日本は1・1倍になった。それに対し、ドイツは2・2倍、米国は3・7倍だ。為替の影響を取り除いてみると、「失われた30年」における日本経済の停滞が際立つ。 どこに問題があったのか。信頼する専門家が口にしたのは「リスク回避の思考」という言葉だった。 日本の戦後を支えた製造業の多くは、為替リスクを避けるため海外に活路を求めた。国内に残った拠点も統廃合が進み、非正規雇用への置き換えも広がった。財務の悪化につながるリスクをとことん減らしたしわよせは、家計にいった。 国の統計を分析すると、その傾向は明らかだ。 企業が人件費をどのくらい払っているかを示す指標に「労働分配率」がある。財務省の法人企業統計をもとに23年の数値を試算すると、資本金10億円以上の大企業は40%を切り、この半世紀で最低の水準だった。 働き手を大切にしてこなかったせいで、所得は増えず、消費も伸びない。デジタルなど新しい分野への投資も遅れ、労働生産性も高まらない。名目GDPが4位に転落した衝撃は、日本経済が抱える積年の課題を浮き彫りにした。 一方で明るい兆しもみえてきた。今年の春闘では大幅な賃上げが実り、ようやく「人への投資」を厚くする機運が高まってきた。物価があがった途端に家計が苦しくなる社会は、やはりおかしい。これを機に、働き手を重視する経済に変えてゆかなければならない。 歴代政権は経済を支えるためとして、巨額の予算を投じてきたが、GDPを押し上げるという意味では、ほとんど効果がなかった。「人」を軽視してきたからではないか。政策報道に携わる者として、今後もしっかり検証していく。(経済部) *<よねたに・よういち> 2001年入社。民間企業や官庁の取材が長く、大阪経済部デスク、AERAと週刊朝日の副編集長も務めた。マクロ経済の担当として、数字から人の営みが浮かび上がるような記事の執筆を心がけている。2024年3月21日 朝日新聞夕刊 4版 9ページ 「取材考記-GDP4位転落 働き手への投資、軽視の末に」から引用 「失われた30年」は何処に問題があったのか。この記事によれば、経済の専門家は「リスク回避の思考」が問題であったと言ってるらしいが、それは本質をオブラートにくるんだ表現で、何も知らない者には理解が難しい言い方だ。もっと砕けて言えば、企業が予測不能の「経済的危機」に備えて内部留保を確保するために労働者への給料の支払いを低額に抑え込んできたのが、この30年間の経緯で、それは見事に効果を発揮して大企業各社の金庫にはうなるほどの現金がため込まれている。これは、上品に言えば「リスク回避の思考」の結果なのかも知れないが、はっきり言えば、労働組合が賃上げ闘争をしなかったために経営者は何の苦もなく労働者を搾取することが出来た、その結果、国内の消費が低迷し、名目GDPの下落という結果になってしまったということである。ドイツの裁判所が出した判決文の一節に「スト権を確立した上での賃上げ交渉でなければ、それはただの『物乞い』交渉に過ぎない」との有名な文言があるが、日本の労働組合も「労使協調路線」などという馬鹿げた妄想を捨てて、生活を守るための闘いに立ち上がるべきだと思います。
2024年04月06日
自衛隊の幹部が集団で靖国神社に参拝した事件について、憲法学者で恵泉女学園大学教授の斉藤小百合氏は3月20日の朝日新聞で、次のように述べている; 日本国憲法の制定には、旧体制(アンシャン・レジーム)と決別する意味がありました。自衛隊員の靖国神社への集団参拝から感じるのは、旧体制が復活しようとしているのではないかという強い危惧です。 旧体制とは、天皇を絶対的な君主とする大日本帝国憲法下での天皇制、軍国主義を進めた軍隊、神聖な天皇が国家の中心だという国家神道などでした。結果、生まれたのが、天皇を象徴とする1条、戦力の不保持をうたう9条、厳格な政教分離を定めた20条でした。 憲法では、個人の信教の自由も保障されています。だから1974年の防衛事務次官通達は、国の組織である自衛隊が部隊として宗教施設に参拝すること(部隊参拝)や、隊員への参加強制を禁じているのです。 今回発覚した集団参拝について、防衛省は、全員が自由意思で参加しているので「私的参拝」だと説明します。しかし、綿密に組織的な計画を立て、大勢で参拝している実態を考えれば、組織的な参拝とみるほかありません。個人の信教の自由という説明ですが、上意下達の組織で、自由意思がどこまで働くかも疑問です。参拝しないという意思表示をする隊員をあぶりだすことで忠誠心をあおるなら、戦前の靖国神社の役割そのもの。国家と宗教との結びつきを禁じた政教分離原則に違反します。 政教分離が生まれた背景について、愛媛県が靖国神社に納めた玉串料などを公費負担したことを「違憲」とした97年の最高裁判決は、こう説明します。「国家と神道が密接に結びつき種々の弊害を生じたことにかんがみ、信教の自由を無条件に保障しその保障を一層確実なものとするため政教分離規定を設けるに至った」。なかでも軍国主義の精神的支柱だった靖国神社への集団参拝であることに留意し、その意味を真剣に考えるべきです。 一方、9条を巡っても、政府自身が否定してきた集団的自衛権の行使を容認し、9条との関係を説明もせずに敵基地攻撃能力さえ持てる、と。ここまで歯止めを失いつつあります。 国家神道を解体した20条と軍隊を解体した9条は、自由を確保する基盤です。その足元が揺らぎ、国の機関が軍神をまつる神社で祈り、9条をかなぐり捨てて軍事化の道を進む。20条と9条の空洞化が、共鳴し合うように進んでいる。「神々がよみがえるとき、憲法がたそがれる」。そう思えて仕方がありません。(聞き手・編集委員 豊秀一) *<さいとう・さゆり> 1964年生まれ。恵泉女学園大学教授。専門は「信教の自由」。著書に「打ち捨てられた者の『憲法』」など。2024年3月20日 朝日新聞朝刊 13版S 13ページ 「耕論・自衛隊と靖国参拝-空洞化が進む、20条と9条」から引用 この記事の冒頭で、筆者は日本国憲法の制定には旧体制と決別するという意味があったのだと書いてますが、その割には満州帝国などという傀儡国家の官僚として辣腕を振るった岸信介、池田隼人、宮澤喜一と、その子分として活躍した人脈が、そっくりそのまま新体制の官僚組織の中に潜り込んで、その後の「新体制」を担ったのですから、気が付いて見たら「旧体制」になっていたということに、今後ならないという保証はどこにも無いと言えるのではないでしょうか。私たちは、政治のことを政治家と官僚に任せきりにするのではなく、手遅れにならないうちに、「憲法を守れ」をスローガンにした国民運動を立ち上げる時期に差し掛かっているのだと思います。
2024年04月05日
公務員が不幸にして勤務中に殉職した場合に、雇用した側はどのように哀悼の意を示すべきか、元防衛事務次官の守屋武昌氏は3月20日の朝日新聞に、次のように書いている; 任務遂行中に殉職した自衛隊員に哀悼の意を表する殉職者慰霊碑が、東京・市谷の防衛省にあります。背広組トップの事務次官のとき、この慰霊碑を敷地内に置くかどうかで、制服組の幹部と口論になったことを覚えています。 陸海空の幹部らが出席した会議で、慰霊碑を置く方針を説明したら、彼らは私に「亡くなった隊員を、そういう辛気くさいところに入れると士気が落ちます」と言ったのです。憤りを感じて「そんなことを言っていいのか。隊員の家族の前で同じことを言えるのか」と言い返しました。 前身の警察予備隊以来、訓練中の事故などによる殉職隊員は計2千人を超えており、毎年、追悼式を行っています。親や子ども、夫や妻がどんなにつらい思いをしているか。殉職した隊員は立派な仕事をしたのだと、きちんと示さなければいけないと思ったのです。 といって、先の大戦の戦死者らをまつる靖国神社に自衛官が集団参拝すれば、「戦争を反省していない」と批判されてしまいます。中国や韓国、欧米からも反発されるかもしれない。いろいろ考えて、防衛省に慰霊碑を置いたのです。 ただ、このことはわかってほしい。旧日本軍と自衛隊は違いますが、自衛官は国民のために命をかけています。その意味で「同じ職業」という意識はあるでしょう。幹部らの靖国参拝の報道を見ましたが、戦争を美化しようとしているのではなく、公務に殉ずる意識の表れだと私は思います。 ロシアのウクライナ侵攻をみればわかるように、戦争のない世界が実現したわけではありません。自衛隊は防衛の任務はもちろん、災害派遣や国連平和維持活動(PKO)もあって、大変な時代を迎えています。 小泉政権の2002年、当時の福田康夫官房長官の私的懇談会が「国立の無宗教の戦没者追悼施設が必要だ」との報告書をまとめましたが、実現しませんでした。米国のワシントン郊外にあり、各国の要人も訪れるアーリントン国立墓地のようなものがあればいいのに、と思うのですが。 これは靖国に限った話でも、自衛官に限った話でもありません。警察官や海上保安官、消防士、民間人でも、日本のために命を落とした人をどう追悼するか。政治家は、もっと議論すべきです。本人や家族の同意があれば一緒にまつり、胸を張って参拝できる形を考えてほしいと思います。(聞き手・小村田義之) *<もりや・たけまさ> 1944年生まれ。宮城県出身。2003年から07年まで防衛事務次官。著書に「『普天間』交渉秘録」「日本防衛秘録」。2024年3月20日 朝日新聞朝刊 13版S 13ページ 「耕論・自衛隊と靖国参拝-殉職者追悼する形、議論を」から引用 この記事で、守屋氏は靖国神社に集団参拝した自衛隊幹部は「戦争を美化しようとしているのではない」などと言ってますが、それは認識が甘いと思います。靖国神社は単に戦地で命を落とした兵士を祀るのみならず、戦争犯罪人として処刑された「戦犯」を神様として奉っており、今も「あの戦争はアジアの同胞の独立を支援するために、共に戦った」などと虚偽の「歴史観」を堂々と公言している神社なのだから、そのような特殊な「神社」に、現職の国家公務員が白昼堂々公用車を使って集団参拝して良いわけがありません。また、命がけで仕事をしているのは、何も自衛隊員に限定されるものではなく、消防署員や警察官も危険を冒して働いています。それを、あたかも「自衛官だけが国民のために命をかけている」とでも言うかのように、陸軍省・海軍省が国民の戦意高揚のために利用した神社に、今更集団で参拝するのでは、中国や韓国、西欧諸国のみならず、戦後の学校教育を受けた我々日本人であっても「戦後の日本は、過去の戦争を反省したのではなかったのか?」と批判したくなるのは当然のなりゆきというものでしょう。あの自民党でさえ、裏金問題の議員を処分するとのことですから、集団参拝した自衛官も相応の処分が必要だと思います。
2024年04月04日
自衛隊の幹部が集団で靖国神社に参拝した事件に関連して、東京大学名誉教授の高橋哲哉氏は3月20日の朝日新聞に、次のように書いている; 安倍政権で集団的自衛権の行使が一部容認され、岸田政権で敵基地攻撃能力の保有に踏み出しました。防衛費倍増の方針が打ち出され、台湾有事での「戦う覚悟」を迫る政治家の発言もありました。そんな状況の中で、まるで戦争準備の一環のように、自衛隊員が戦死したらどうするのかという議論が始まっています。 例えば、陸上自衛隊の元幕僚長が昨年、「日本会議」の機関紙に「国家の慰霊追悼施設としての靖國神社の復活を願う」という文章を発表しました。「近い将来国を守るため戦死する自衛官が生起する可能性は否定できない。我が国は一命を捧げる覚悟のある自衛官たちの処遇にどう応えるつもりなのか」と問い、靖国神社を国の施設にするように訴えたのです。 今回、明るみに出た陸上自衛隊と海上自衛隊の幹部らによる靖国神社への集団参拝は、こうした流れと無縁ではないでしょう。 陸自での問題発覚後、山田宏・自民党参院議員は産経新聞のインタビューで、「国のために尊い命をささげられた英霊を、自衛官が参拝するのは当たり前だ」と述べ、靖国神社への「部隊参拝」などを禁じた1974年の次官通達を見直すべきだと主張しました。 そんな理屈が成り立つのでしょうか。靖国神社がつくられた明治以来の大日本帝国憲法下では、天皇を中心とする国のために命を捧げることが素晴らしいという教育がされ、靖国は戦死した軍人らを顕彰する施設でした。一方、日本国憲法が想定するのは、個人が尊重される国です。「国」の中身が根本的に違っているのです。日本国憲法の下で生まれた自衛隊員が、靖国神社に参拝する必然性はありません。陸自の参拝は航空安全祈願のためと言われていますが、なぜ靖国神社でなければならないのか、説明がつきません。 靖国神社は、東京裁判で戦争責任を問われたA級戦犯が合祀(ごうし)されたことで批判を浴びてきましたが、私は軍国主義の精神的支柱として国民を戦争に動員する役割を果たした責任が大きいと考えています。旧帝国と旧軍の歴史の反省の上に今があるべきなのに、いまだに過去との連続性を断ち切れていないところに自衛隊の参拝の問題があります。 いま問われているのは、戦後二度と戦争をしないと誓ったはずの日本が、靖国も含めてこのまま「戦争準備」を進めて、日米同盟のもとで本当に戦争をするのかどうかということです。(聞き手・編集委員 豊秀一) *<たかはし・てつや> 1956年生まれ。東京大学名誉教授。専門は哲学・現代思想。著書に「戦後責任論」「靖国問題」「国家と犠牲」など。2024年3月20日 朝日新聞朝刊 13版S 13ページ 「耕論・自衛隊と靖国参拝-断てない、戦前との連続性」から引用 かつて日本では、60年代から70年代にかけて先の戦争で軍人だった家族を失った遺族を中心にした右翼団体が自民党議員の協力を得て「靖国神社国家護持法案」を国会に提出し、否決されても否決されても、繰り返し何回も提出したことがありましたが、当時は今と違って国会議員の意識もはっきりと憲法を認識していたので、「特定の宗教を国が護持するのは憲法違反である」との明確な理由をどうしても覆すことが出来ず、結局廃案となったという経緯があります。この記事によれば、陸上自衛隊の元幕僚長が「一命を捧げる覚悟のある自衛官たちの処遇に、国はどう応えるつもりなのか」という、時代錯誤の発言をしたらしいが、現在のわが国憲法は「場合によっては命の危険を犯してでも働け」などと言われて仕事に従事する、そのような職場の「存在」は、働く者の基本的人権をないがしろにするもので、もしそういう職場があれば、それは「憲法違反の職場」だということになり、そのような「職場」は「あってはならない職場」であると言えます。これからのメディアは、わが国憲法の主旨を広く国民に周知することに今まで以上に努力を払い、農業や商工業、警察官、自衛官などあらゆる職場で働く全ての労働者の「人権」が、憲法で保障されたものであることを、全ての国民の共通認識となるように務めるべきだと思います。
2024年04月03日
2月末から3月にかけて開かれた衆院政治倫理審査会をメディアはどのように報道したか、ジャーナリストの古住公義氏は3月17日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; 自民党派閥の裏金問題をめぐっで開かれた衆院政治倫理審査会は2日間にわたり、開かれました。実態解明についてテレビはどう報じたのでしようか。 岸田文雄首相が出席した初日、29日の「ニュースウォッチ9」(NHK)は、「疑念の払拭につながったとは言い難い」と政治記者が指摘。「報道ステーション」(テレビ朝日系)も、衛藤征士郎安倍派最高顧問の「新しい何かはなかった」との声を紹介していました。「news23」(TBS系)は、視聴者アンケートを実施。「岸田総理は自身が掲げた改革を実現できると思うか」との問いに94・5%が「実現できないと思う」と答えていたのは注目されます。 2日目の3月1日は安倍派4幹部が出席。「ニュースウォッチ9」(NHK)は、「これまで言ってきた内容と同じ説明。政治と金の問題は今後も尾をひく」と政治記者。「news23」(TBS系)は、裏金への課税額合計は1億3500万円余とする全国商工団体連合会の試算を紹介。浦野広明税理士の「一般企業で考えたら全員逮捕されなきゃいけないような事件」とのコメントを伝えました。 「報道特集」(2日・TBS系)は山梨県知事の例を挙げ、地方政界にも裏金問題が波及していることを取材。政倫審については、上脇博之神戸学院大教授が「証人喚問せざるを得ない。政治パーティーは全面禁止しなければならない」とコメント。正鵠(せいこく)を射ていました。 「サンデーモーニング」(3日・TBS系)は「驚いたのは総理の発言。他人事なんですよ。国民は怒らなければならない」(藪中三十二さん・元外務省事務次官)など、コメンテーターがそろって批判していました。 ただ全体として疑惑を隠して予算案を強行した暴挙への批判が弱いのが残念でした。マスコミには幕引きを許さない深い取材を期待します。(こすみ・ひさよし=ジャーナリスト)2024年3月10・17日合併号 「しんぶん赤旗」 日曜版 35ページ 「メディアをよむ-政倫審に各局から批判」から引用 政治倫理審査会を開いても、今まで記者会見で言ってきたことと同じように「自分は知らなかった」と言えば「ああ、そうですか」で終わってしまうので、これでは何のために審査会を開いているのか、まったく意味がありません。結局、岸田政権に対して「政権として努力義務は果たした」という「アリバイ工作」をすることを許したということで、野党と国民はまんまと岸田政権の術中にはまってしまい、憲法違反の武器購入予算をろくな審議もせずに「承認」したことになってしまいました。自民党政権のこの違法な予算の通し方は、将来に大きな禍根を残すことになると思います。私たちは、安倍政権以来の疑惑に満ちた政権の行動を、今後も逐一批判して多くの国民に、この国の民主主義が蹂躙されていることを訴え続けなければならないと思います。
2024年04月02日
昨年9月に87歳で生涯を閉じた歴史家の宮田節子氏について、3月16日の朝日新聞夕刊は次のように追悼記事を掲載している; 「日本人が見る朝鮮は現代でも軽蔑に満ちている」「過去の日本が何をしたか、正確に知らなくてはならない」。1990年代、早稲田大学の東洋史の講義で、学生がノートに書き留めた宮田さんの言葉だ。 朝鮮人に日本式の名前を押し付けた創氏改名など「皇民化政策」の研究の先駆者。講師として複数の大学の講義を掛け持ち、研究の拠点は自宅だった。 早大で共に中国史を学ぶ先輩が突然、「自分は朝鮮人だ。本名を名乗る」と打ち明けた。なぜ日本人として生きざるを得なかったのか、仲間にしどろもどろに語った。後の歴史家、故姜徳相(カン・ドクサン)さんだった。「その深き悩みを知り、日本人としての責任を感じた」。朝鮮史を志した。 卒論は朝鮮の「3・1独立運動」に決めたが、見るべき先行研究がなく途方に暮れた。中国史の恩師が、朝鮮総督府の元高官が集まる団体が東京駅近くにあると教えてくれた。ビルの一室を訪ねると、棚の隅にほこりをかぶった風呂敷包みが二つ。支配者が「騒擾(そうじょう)」と呼んだ独立運動の報告書だった。原史料を使った卒論の評価は高かった。 これが縁で総督府元高官が呼びかけた研究会が毎週、開かれた。かつての政策担当者が証言し、植民地支配に批判的な大学院生らが質問する会だった。姜さんと共に参加した。 会は500回を超え、証言を録音したオープンリールのテープは膨大な数になった。学習院大学に保管され、晩年は客員研究員として文字に起こし、解説と注釈を付けて紀要を出す作業に没頭した。「未来の世代も学べるように」との思いだった。 追悼記事を書いた韓国紙ハンギョレの元記者金孝淳(キム・ヒョスン)さんは、「日本では最近、歴史を直視しない風潮が広がっている。二度と過ちを繰り返さないよう、事実を掘り起こした仕事は、もっと評価されるべきだ」と私に語った。(桜井泉)2024年3月16日 朝日新聞夕刊 4版 5ページ 「(惜別)宮田節子さん 植民地支配下の朝鮮を研究」から引用 この記事の末尾に、韓国紙の記者が「日本では最近、歴史を直視しない風潮が広がっている」と述べたと書かれているが、実際のところ「歴史を直視しない」態度は「最近」のことではなく、戦後一貫していると私は思います。60年代の中ごろに日韓国交正常化交渉を行った際も、日韓両国政府の代表者の会議は途中に何回も、史実をめぐって意見が対立し中断したのは、日本政府が「違法な植民地支配」を認めず、日朝間の合法的な「併合条約」に基づいていたと主張したからであり、そんなことで「対立」してばかりいると、経済活動が阻害されて日韓両国の「損失」になるからと、「問題」を棚上げして、日本から韓国に提供した資金は「植民地支配時代の損害賠償金ではなく、経済協力金なのだ」と強弁したのであった。したがって、日韓両国政府の間には「過去の植民地支配」が何だったのかという問題が、まだ残されていると知るべきです。しかし、現在の日本政府は、歴史学の研究で「不当な植民地支配」の実態が明らかになりつつある状況とは裏腹に、「日韓併合は合法的に行われた」と根拠もなく言い張っているだけです。このような政府が長らく政権を担当していると、中には「当時の朝鮮人が日本風の氏名を名乗ることを希望したから、創氏改名が実施された」などと言い出す閣僚が出てきたりしてますが、やがてはまともな教養を身に着けた政治家が出てくる時に備えて、実際の「日韓併合」はどのようであったのか、研究を重ねていくことは大切だと思います。
2024年04月01日
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