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▼…(略)こうした思考を導くものは、たとえ生存は荒廃した時代の支配を受けるとしても、腐朽の過程は同時に結晶の過程であるとする信念、かつては生きていたものも沈み、溶け去っていく海の底深く、あるものは「海神の力によって」自然の力にも犯されることなく新たな形に結晶して生き残るという信念である。こうして生き残ったものは、いつの日か海底に降りて来て生あるものの世界へと運び上げてくれる真珠採りだけを待ち望むのであり、「思想の断片」も「豊かで不思議なもの」も、そしておそらくは不朽の根源現象でさえもその中に数えられるのであろう。 p.317▼…(略)ゲーテは根源現象(Urpanomenon)の実在性を確信していた。それは現象の世界に発見される具体的な事物であり、そこでは「意味」(最もゲーテ的なことば、意味(Bedeutung)はベンヤミンの著述のなかでも再三繰り返されている)と現象、ことばと事物、観念と経験とが一致するのである。事物が小さければ小さいほど、それは最も集約された形のなかに他のあらゆるものを含むことができるように思われる。▼…(略)それは極小の真髄が極小の実在に現れていることであり、他のすべてのものはそこから生ずるのであるが、いずれもその意味においてその根源となったものには比較するべくもないのである。言い換えれば、最初からベンヤミンを深くひきつけていたものは、決して観念ではなく、常に現象であった。「正等にも美しいと呼ばれているすべてのものについて、逆説的だと思われることは、それがそのように現れているという事実である」(『著作集』第一巻349ページ)。こうした逆説---あるいはもっと単純にいえば、現象への驚異---が常にあらゆる彼の関心の中心にあったのである。 p.256-257▼…(略)「ことわざは粗野な思考の学校である」と、かれは同じ箇所で書いている。こうして、ことわざや慣用句におけることばを文字通りの意味にとる手法によって、ベンヤミンは---カフカにおいても同様であり、修辞の形態によってしばしば着想の源をはっきりとみわけることができるのであって、それが人々に「なぞ」を解く鍵を与える---現実への不思議に魅惑的で魔術的な接近を散文で書くことができたのである。 p.263 『暗い時代の人々』アレント 阿部斎(ひとし)訳 ちくま学芸文庫 ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)の章より抜粋 読みきれなくて、なかなかこの本から離れられない。*ベンヤミンは、ドイツの批評家で、マルクス主義的立場に著しく接近しながらも、カフカ、プルースト、ボードレールなどの作家にも傾倒し、独自の評論を残した。ナチスに追われて亡命途上で自殺をとげたが、戦後ドイツの若い世代の間で大きな支持を得ている。アレントとベンヤミンは、パリの亡命時代(1933-40年)に、親しく交際し、ベンヤミンがマルセイユからスペインへの逃亡を計った数日前にも、二人は長い時間話しあったという。 (訳者後記より p.428)
2007.09.30
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市立博物館で『インドネシア更紗のすべて』を観た。インドネシア国交50周年。オランダ、日本の占領下からの独立。「Batik バティック」という、ろうけつ染めの文様の多様さに驚く。ジャワ舞踊も見学できました。場内は撮影禁止でしたが舞踊は撮影可ということで、ちらりと展示物も写っています。こじんまりした家族的雰囲気のなか、ゆったりとした音楽と踊りのひと時でした。 ついでに近くの遺跡公園も散策。縄文・弥生時代の住居跡で写真はその復元されたものです。 こんなに間近な距離に祖先が生きていたことを、思い出させてくれました。
2007.09.24
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▼…(略)私は前述の二つの仮説に固執するつもりである。その一は、たとえ一般的にはゲーテが正しく、詩人には一般人より多くが許されているとしても、詩人も罪と責任の重荷に耐えねばならぬほど重大な過ちを犯しうるということ。そして第二は、かれらの過ちの大きさを明瞭に測る唯一の道はかれらの詩に耳をかたむけるということである。---このことはすぐれた一行の詩を書く能力も完全に詩人の意のままになるというより何らかの援助を必要とすること、その能力はかれに与えられたものであること、かれはそれを失うこともあることを意味している。 p.338▼…(略)とくにこれを選んだのは、これがそうした生命の賛歌に非常に顕著なもう一つの要素を描いているからである。すなわちそれは、ブレヒトの作中の冒険者や追放者に特有のぞっとするほどの自負という要素、言い換えれば絶対的に心配をもたぬ人々の自負であり、かれらは自然の破滅的な力にのみ屈服するが、尊敬すべき魂の高度な苦悩を別として、尊敬すべき生活の日常的苦悩には決して屈服することがない。 p.359 ▼問題となるのはまたも大空、人間が存在する前からそこにあり人間が去って後もそこにあるだろう大空であり、それゆえせいぜい人間にできることは束の間人間のものとなっているものを愛することなのだ。(略)たしかにこの世界には永遠の愛も普通の誠実ささえも存在しない。存在するのはただ強烈な一瞬、すなわち人間自体よりもさらに壊れやすい情熱である。 p.357-358 『暗い時代の人々』アーレント ベルトルト・ブレヒトの章より (ちくま学芸文庫)
2007.09.23
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▼根本的には、われわれはいつも、関節がはずれているか関節がはずれそうになっている世界のために教育しているのである。これが人間の根本状況である。▼それゆえ、そこでは、世界は死すべきものの故郷としてひととき役立つように、死すべきものの手で創造されるのである。▼世界は死すべきものによって作られるがゆえに消耗するのであり、また、世界はそこに住まう者が絶えず入れ替わるために、かれらと同様に死すべきものとなる危険を賭すのである。▼世界の創造者とそこに住まうものの死すべき運命に抗して世界を保存するためには、世界の関節は絶えず新たにはめ直されねばならない。▼要は、むろん確実とはいえないにせよ、この世界の整復が実際に可能であり続けるように教育することにほかならない。▼つねにわれわれの希望は各世代がもたらす新しいものに懸かっている。▼しかし、われわれの希望はひとえにこのことを拠りどころとするため、旧いものであるわれわれが新しいものを意のままにしようとし、その在り方を命じようとするならば、われわれはすべてを破壊することになろう。▼まさに、どの子供にもある新しく革命的なもののために、教育は保守的でなければならない。 『過去と未来の間』アーレント --第五章教育の危機--より ひとつながりの文章を行分けにして抜粋してみた。「保守的」という言葉の意味を、目から鱗の思いで読んだ。
2007.09.21
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▼しかし、健康と生の終わりが恐れられるところには本当の生はない。そこには不断の生があるのではなく、不断の恐れがあるだけである。 (アウグスティヌス『説教』306編・7)▼学ぶためには、われわれは必然的に二重の方法によって導かれる。つまり権威と理性による方法である。時間的には権威が先行するが、しかし事柄に即するならば理性が先行する。 (アウグスティヌス『秩序』第二巻九章・26)▼ところが人類は罪を衝動の重さよりも、習慣の重さによって測る傾向がある。… (アウグスティヌス『キリスト教の教え』第三巻十章・15) 『アウグスティヌスの愛の概念』ハンナ・アーレント (みすず書房 2002 発行)いずれも当たり前のことなのだが、私の壺にポトンと落ちた。
2007.09.20
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2000年4~7月「ハンナ・アーレント入門」 講師 高橋哲哉 1)全体主義とは何か 2)『人間の条件』1--労働・仕事・活動 3)『人間の条件』2--自由の地平 4)悪の凡庸さ--アイヒマンをめぐって 5)判断力の問題2007年9月1~8日「ハンナ・アーレントを読む」 講師 杉浦敏子 1)全体主義批判(公共性、複数性の問題も含めて) 2)行為の3類型(「労働」批判、「活動」とは何か)やっと2度めとなる、アレントの講座を聴講できた。○人間の条件○過去と未来の間○イェルサレムのアイヒマン○アウグスティヌスの愛の概念○革命について○暗い時代の人々○特集ハンナ・アーレント(現代思想1997/7)○アレント(現代思想の冒険者達17) 川崎修○アーレント入門 杉浦敏子○ハンナ・アーレント(フォー・ビギナーズ101) 文・杉浦敏子 イラスト・ふなびきかずこ○アーレントとハイデガー エルジビェータ・エティンガー○ハンナ・アーレント伝 エリザベス・ヤング=ブルーエル○(ユダヤ人)という存在 池内紀の仕事場2○技術の知と哲学の知 望月太郎どこまで読み取ることが出来るか自信もないのだが、まずはこれらの参考書に助けてもらいながら、上のアーレントの著作に挑戦してみよう。
2007.09.09
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0時頃までは昨日と変わらない断続的な雨が降り続いていましたが、今は強風が吹き荒れいます。玄関の植木鉢が落ちて、1個割れました。家は大木が数本あるので、倒木が一番心配です。のろのろ台風に苛々と、胸がざわつきます。風が唸り雨粒が吹き付けてきます。関東直撃typhoon 台風に吹かれ吹かれつブログ書く (台風に吹かれ吹かれつ投函す 石田波郷) を拝借しました。
2007.09.06
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台風の影響で、雷雨やスコールの中、休日の息子をやっと捕まえて、一緒に郵便局へ。急坂の途中に郵便局が、そしてもっと坂を上ったところに彼の通った小学校がある。私達にとって、苦しい思い出が蘇ってくる通学路だ。小児喘息が学校を嫌いにしたのか、悪循環の6年間だった。それでもまだ中学・高校時代に比べたら、無邪気でいられた分救いもあった。ゆっくりと歩いた。思い出すことは語らなかった。私は何もわかってはいなかった。○アーレント関連の本、今週中に目を通す予定なのだが今のところ順調。晴耕雨読よりも晴読雨読を目ざしていこう。最終的には「全体主義の起源」まで読んでみたい。
2007.09.05
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パソコンを変にしてしまった。送受信メールをみんな消してしまった上、アウトルックエクスプレスが使えなくなってしまった。我ながら頭の悪い性格そのままにいろいろいじってしまって、説明の仕様もない事態になってしまった。しまった、しまった、困ってしまった。楽天のメールボックスは大丈夫なので、ひとまずは安心ですが、明日はサポートを頼んで直してもらわなくては。
2007.09.02
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ハンナ・アーレント関連の本を数冊購入。この秋は少しまとめて読んでみたい。○暗い時代の人々○革命について○アーレントとハイデガー○ハンナ・アーレント伝その他には○文体練習 レイモン・クノー○コミック文体練習 マット・マドン↑この2冊は並行して読むと面白さが倍増する。○地下鉄のザジ積んであるだけで、本に触れているような親密な気分になれるのも、読書のうちね。
2007.09.01
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