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今年もまた、苦手とする者が一番に見つけてしまった。毎年、玄関付近で出くわすのだが、今年は屋内の階段で遭遇。一瞬くらっとなって視野からはずしてしまう。今年は堪えて写真を撮った。怖いので大きくできない。秋たけて産卵するので、秋の季語なのだろうか。蟷螂・かまきり・鎌切・たうろう・斧虫・いぼむしり・いぼじり「いぼむしり」というのは、いぼをとらせるという意味の古名だそうだ。カマキリにいぼなどを取られたら、恐ろしさのあまり気絶してしまうであろう。
2007.10.30
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台風20号の吹き荒れる夜なのに、ヌーッとフテがやってきた。猫は一体に水が苦手で、濡れるのも嫌がるものだと思っていた。一日一回は喧嘩を吹っかける相手のチロが、いなかったからか、変わり者フテの面目躍如か。びしょ濡れの背中
2007.10.27
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ふと思い出して、お蔵入りになっていたビデオカメラを出してきた。昭和62年5月に買ったもので、平成3年頃まで使っていた(らしい)。取り出してみると黴だらけで、集音マイクのスポンジは手を触れると黒い粉末と化して、ぼろぼろ落ちてしまった。ファインダーの目を当てるゴムの部分も、つなぎ目が欠けてぐらぐら取れてしまう。電池の充電器も作動しない。ビデオカメラのアダプターコードは行方不明。これはもう捨てるしかないか、と思うのだが、せめて汚れだけでもと、拭きとってきれいにしてみた。カセットテープは撮影済みのものが十数本残っている。子供達が小学生から中・高校時代のもので、この頃私はパートで仕事をしていたため、ほとんど子供達が撮影したものばかりである。カセットアダプターも使えなくなっていたので、主人が探して買ってきた。同じものがまだ売られていたのだ。テープクリーナーで一回一回ヘッド掃除をしながら、昭和62年のものから見始めた。初めて見るものもあった。自分を含めた近親者が写っている映像の生々しさは、作られた映画やテレビの比ではない。懐かしさと共に、家族の空間というものの密度や秘められた怖さにも、たじろいでしまう。ここでは月日の流れは救いであるかも知れない。息子は今更見たくないよ、と興味なさそうだ。私も見るのにけっこう、気力と体力を要するので、まだ全部を見終わっていない。
2007.10.27
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少し肌寒いけれど、落ち着いた心持がする秋の雨だ。指先が冷えても頭は透明になれるような。昔、考え事をしながら家事をしたり、やり場のない気持ちをもてあまして、徒に薬缶や鍋を磨いたりしたものだ。そのうち家事労働が身体の節々に痛みを伴うようになると、強迫観念も増すことになる。ピカピカになった窓ガラスややかんは、秋の雨に似ている。
2007.10.26
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今年はすだちと柿が大豊作だった。すだちは庭に植えてから10年位してやっと実を付け始めたが、今年は果汁もたっぷり香りもよい上数も多くて、ご近所におすそ分けしても食べきれなかったほど。そこでネットで調べて「すだち酒」を作ってみた。写真は実を取り除いた後のもので、飲み頃は12月以降、熟成させるほどよいらしい。試飲するとなかなか良い感じなので、ちょっと楽しみだ。
2007.10.20
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☆18年ぶりに食堂のブラインドを交換。数年前の大掃除のとき、ブラインドを取り外して洗ったものの漂白剤をかけて大失敗。まだらに脱色してしまい洗う前より汚くなってしまった。以後は見て見ぬフリをして掃除もしなかったため、埃まみれの上結露のせいで黴も発生。ついに限界を感じて出窓のブラインドは撤去して、表からカーテンを付けて出窓に増えたガラクタごと蔽ってしまうことにした。さてどのようなカーテンにするか?まず防音効果も期待して、遮光カーテンにすることに決定。業者さんに見本のカタログを持ってきてもらい、お値段とも相談、ああでもないこうでもない。主人と息子と私の好みやイメージはもちろん一致しない。結局、次期頭首予定の息子の意見を入れてメタリック調の紺色を選んでみた。付いてみると、さすがにわれわれの感覚とは違う、ロックの好きな男風で異質な雰囲気。行ったことないけど(笑)、これってラブホテルやカラオケ屋さんみたいじゃない?と秘かに思っていたりする。もう一箇所の窓は構造的にカーテンを付けられないので、再度ブラインドにした。こちらは比較的濃いベージュ系の落ち着いた色で、ハネの幅も25mmの広いものに。食堂の雰囲気が一新。違和感が少し残るが、外から遮断されている安心感と落ち着きがうまれて、食堂で読書や事務仕事をすることが多い私には喜ばしいことである。築18年にもなると、毎年家具や電気水道ガス器具のどこかに修理がかかる。リフレッシュできて楽しいことでもあるのだが、臨時出費には頭を悩ます。☆禁煙生活10ヶ月にして、最高の否最悪の便秘を経験。ああ~うう~おお~夜は、カタキの如く野菜炒めなどを食す。旅行以来、便秘薬の服用をやめることができていたのだが、油断大敵。この苦しみを如何にせん。旅行中がもっとも煙草を吸いたかったのだが、幸か不幸かホテルは全館禁煙。ゆえに、幸か不幸か煙草のない暮らしは続いているのであった。☆今期は早めに冬支度を済ませた。炬燵・ストーブ・掛け布団もオッケー。それと、湯たんぽを買ってみた。昔を思い出すなあ。
2007.10.17
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▼ 醒めて未練よ吾亦紅▼ これもまたバラ科の臭気吾木香
2007.10.13
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今宵は「Chanko Dining 若」で夕食。主人の誕生日だったため、テレビでも紹介されていた元若乃花のお店に行ってみた。八海山と塩味ちゃんこ鍋などをいただく。係りの若い女性が鍋からお雑炊までテーブルで作ってくれるし、盛り分けもしてくれるので私としては楽チンだった。その場で丸くこねて鍋に入れてくれるつくねも、地場産のお肉も、やわらかくて臭みもない。柚子胡椒を薬味に入れるとおいしさが増し、これは家でもさっそく取り入れることに。ほろ酔い気分の帰路、駅前の花屋さんで青いバラを一本プレゼント。自分用には吾亦紅を一本、買う。
2007.10.10
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美術館を出ると、公園の音楽噴水の時間に行き合わせたので、ベンチに腰掛けてくつろぎました。子供の歓声が騒音に感じられるというのは、よほど厳しい精神状態にいるときではないかと、思われます。噴水に虹がかかって音楽と子供の歓声と、和やかなひととき。美術館裏で撮影会?のモデルさん音楽噴水のはじまり! 4時の音楽噴水も終わってそろそろ帰ろかな
2007.10.07
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勅使河原宏展を見た後、常設展を見学。2時から学芸員の方がテーマ別に展示してある常設作品の解説をしてくださる、というメニューに恵まれていつもと違う目線で面白く作品の鑑賞をすることができた。以下は覚束ない記憶を基にしてでありますが。○芸術の中に表れている宗教性について深井隆作『逃れゆく思念---時の曳航』を例にとって解説してくださった。 今回はこの作品が一番印象に残った。 木で作られた長椅子の上に金箔のりんごが3個と金箔の本、 ひどく傷つけられた背もたれから伸びているよじれた金箔の2枚の翼、 4脚のうち後部の2本は未完のままに置かれている。○フレームについて 美術館が絵を購入する場合、すでに額縁が付いた状態のものがほとんどだそうだ。額縁自体にも、その絵の所有者の歴史が刻まれているということだ。 額縁に絵を描いて遊んでいた中川一政美術館でみた作品を思い出した。 なるほど額縁から出されて寝かされたルノワールの絵をケース越しに上から見る、というのは中々できない体験である。○中西夏之作『arc・green-I』では 油絵のキャンバスに貼り付けられた弓の弧の部分を延ばして円を描けばその空間に美術館の一部が取り込まれる、すなわち観客もその絵空間内に立っているという体験がうまれるという…。○白髪一雄作『青波』は なんと、キャンバスを床に置いて、天井からぶらさげたロープにぶらさがり、絵の具をつけた足で勢いよく描かれたという、あっと驚く技法でありました。○その他小茂田青樹作『春の夜』、クロード・モネ作『ルエルの眺め』、キスリング作『赤いテーブルの上の果実』、藤田嗣治作『横たわる裸婦と猫』、土田麦僊作『甜瓜図』などが印象深かった。解説してくださった学芸員の方は、自由に見たこと感じたこと思ったことをどんどん話していいというやり方で、リラックスして楽しく鑑賞できた。そのほか名作絵画の中の人物や動物に、吹き出しをつけて漫画のように語らせるというコーナーがあり、高校生のつけたものが展示されていたが、これには大いに笑ってしまった。
2007.10.07
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テレビで見た竹の映像に撃たれて、埼玉県立近代美術館の「勅使河原宏展・生誕80年」へ。最終日の前日となる日曜日。まず館内のインスタレーション竹のトンネルを通り抜けると、風を感じて身体がふらっとそよぐような感じ。映画監督としてしか知識がなかったのだが、東京美術学校時代の油絵、草月流第三代家元・陶芸・書・作庭・竹のインスタレーション、どの仕事も勅使河原宏の世界を築いていて呻ってしまう。戦後、前衛芸術運動に身を投じ、岡本太郎、阿部公房らの「世紀」に参加したそうだ。八月十五日がすべての起因となっているという事だった。一時共産党の工作員として働いていたこともあるそうで、前衛芸術が社会運動に結ばれていた時代のことを思い起こさせられた。その後世界的な名声を獲得していくわけだが、権威というものが人を動かす力、その豪華さ正当さ、ゆたかな人脈、財力などについて考えさせられた。館内で放映されていた、厳島神社での武満徹追悼公演で千本の竹が人力によって生まれ変わっていく様子、霧や和紙を使った竹のインスタレーション会場設置の様子など、引き込まれて見入った。「他人の顔」「砂の女」「落とし穴」の映画予告編も見ることができたが、斬新なものだった。私は当時17歳から21歳くらいだったはずだが、学生時代は暗い穴の中でもがいてばかりいたので(今でもソウだあ~?)見逃してきたものがあまりに多い。生まれながらに身についた権威なんて在りはしないか?誰が権威を与えられえるのか?そんなことはしゃらくさい事か?「焼き物も、書も、竹の造形も、作庭も、私の場合はすべて独学できた。考えてみれば、映画もそうだった。その方が自分にとって楽しいのである。」ダイナミックに削ぎ落とされた独創的空間の迫力、人の感性を刺激してやまない力、日本的芸術の完成度、そんなことを考えていい心持になってそよぐひとときを過ごした。
2007.10.07
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そろそろ次の本を注文、アマゾンと楽天から届いた。○全体主義の起原 全三冊○暴力について○パーリアとしてのユダヤ人○ハンナ・アーレント ジュリア・クリステヴァ予定としては今年中に読む計画。ここに書くためにも、読まなくては。クリスティヴァは溌剌とした文体で、久しぶりに高揚したが、読み進むほどに難解さも増してくるようだ。こういう読書の仕方は初めての試みなので、年の功と言えるようなんとかやり遂げたい。
2007.10.05
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▼…(略)伝説は次のことをはっきりと物語っている。どんなに人間が互いに兄弟たりえようとも、それは兄弟殺しから成長してきたものであり、どんな政治組織を人間がつくりあげてきたにせよ、それは犯罪に起源をもっているのである、と。「はじめに言葉ありき」という聖ヨハネの最初の一句が人間を救済するための真実を語っているとすれば、「はじめに犯罪ありき」---「自然状態」という言葉はそれを理論的に純化して言いかえたものにすぎない---という信条は、人間事象の状態を示すうえで、幾世紀ものあいだ、この聖ヨハネの言葉と劣らないほど自明の真実を語りつづけてきたのである。 『革命について』ハンナ・アレント 志水速雄訳 (ちくま学芸文庫) 序章 戦争と革命 より
2007.10.02
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