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六本木・森アーツで開催中の「歌川国芳展」に立ち寄って来ました。地下鉄・六本木駅改札出口から六本木ヒルズ森タワーに向かう地下通路。地下道からエスカレーターで地上に上がって来ると左側にある滝の広場。待ち合わせするのは、解りやすいビューポイント。青空に立つ54階建て六本木ヒルズ森タワー。ブランド街のショッピング・モール、オフィス、上層部は展望台の東京シティビューや文化施設や美術館などで構成される森アーツセンター、森美術館があるのです。TOHOシネマズ 六本木ヒルズ。柱には様々な国芳の作品による案内が。江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人。 画想の豊かさ、斬新なデザイン力、 奇想天外なアイデア、確実なデッサン力を持ち、 浮世絵の枠にとどまらない広範な魅力を持つ作品を 多数生み出した絵師。坂田怪童丸は坂田金時の幼名。この真っ赤な体の男の子は皆さんよくご存じの金太郎。また、鯉は滝を登って竜になると言われています。つまり、ここに描かれているのは、やがて英雄と竜になる二者の幼い姿。男の子の健やかな発育を願う端午の節句に楽しむのにぴったりの図柄とのこと。展示場入り口。比較的空いていた。1500円を払い入場。もちろん場内は撮影禁止。よってクリアーファイルを購入。タイトルが「みかけハこハゐいがとんだいゝ人だ」という有名な作品。人間の身体を組み合わせて人の顔をつくってしまう「だまし絵」みたいな作品。一人が手を放してしまったり、ちょっと力を緩めてしまえば一気に崩れてしまう顔なのです。クリアーファイルに白紙をいれると、黒い外郭線のみが現れてくる仕組み。最近話題になっている作品。江戸時代なのに・・・スカイツリーが描かれているのです!絵の左奥は対岸の江戸・深川辺りで、他の建物を圧するような細長い構造物が二つ見える。 左側の低い方は当時存在した火の見櫓とされ、その右の巨大な組み立て式の塔は実在しなかったというのです。 国芳の予言?未来予想図?遊び心のある多くの作品や、身近な動物たちを擬人化して世の中を風刺したような数々の作品を楽しむことができたのです。そして幕府の財政が逼迫し世情が不安定だった当時、その閉塞した社会状況を打破するようなパワフルな数々の武者絵も。鑑賞後、土産物売り場へ。六本木ヒルズ森タワーから見た東京タワー。今年は歌川国芳の没後150年とのこと。現代もなお私たちを圧倒してやまない「破天荒の浮世絵師」、歌川国芳のパワーを実感し、その芸術世界を堪能できたのです。
2012.01.31
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湯ぱらだいす 佐倉に宿泊してきました。このホテルは天然温泉付きで、7階が宿泊部屋となっており、美しい雰囲気をもつ佐倉市内を一望できるのです。以前に宿泊したことがあり、また、駅から徒歩2分なので、目的地までバスやタクシーを使い、すぐアクセスすることが可能なのです。そして何より部屋が広いのが気に入っていたのです。フロントで温泉利用のためのタオル他の袋ビニール袋に入ったSETを受領。その中にはパジャマが。やや派手ですがこれを来てホテル内を歩いて良いのです。そして部屋の番号。私の誕生日と同じ。このホテルには『湯ぱら劇場』があり、最大で200人入る大宴会場とのこと。『大衆演劇』の人気劇団のイケメン役者達が、芝居を毎日やっているようだ。『大衆演劇』とは、全国各地にある大衆演劇専用公演の劇場・または、健康ランドやホテルなどで劇団員一行が時代劇を主とした公演をしているものを言うのである。フロント横の壁には講演予定が貼られていた。そして部屋からはJR佐倉駅が眼下に。翌日チェックアウトしJR佐倉駅へ。駅前ロータリーで再び出会ったカップルの像。JR佐倉駅から京成佐倉駅に向かう途中、像が立ち並ぶ通りを通過したのです。バスで京成佐倉駅へ向かう。佐倉駅の隣に大佐倉駅があることに気づく。そして隣駅臼井駅に向かう。途中車窓から風車が見えた。印旛沼のほとりにある佐倉ふるさと公園の中に設置された本格的なオランダ風車。一昨年は印旛沼の花火大会に招待され、この付近で迫力を楽しんだのである。そして臼井での告別に参列し帰路へ。今度は車窓から東京スカイツリーが。
2012.01.30
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先週松に旅友の新年会を品川・御殿山ヒルズレストランで行いました。当日は岡崎の旅友も参加予定でしたが、残念ながら欠席とのこと。レストランにつくと我々宛に岡崎の旅友からの荷物が送られていました。段ボール箱を開けてみると昨年岡崎のKさんが行ったトルコの新聞に包まれて、地元岡崎名物の数々がそれぞれの名札がついて規則正しく並べられていました。そして段ボール箱の蓋の裏には挨拶のメッセージが書かれていました。そしてトルコの地図も入っていました。今年は我々もトルコ旅行を計画していることをご存じだからなのです。この日のメニューはしゃぶしゃぶ食べ放題。何皿頼んだでしょうか。ビール、ワインと一緒にたらふく食べたのでした。デザートも頑張って!!完食。そしてまた近い内の再会を約束して記念撮影。そして自宅に戻り、トルコ新聞の袋を開けてみると、八丁味噌『味噌たまご』や『土手煮』と私の好物のオンパレード。明日からビールの摘みとして一つずつ楽しみたいと思っているのです。
2012.01.29
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昨日土曜日は、娘の嫁ぎ先のお祖父さんが92才の天寿を全うされ亡くなられたのでその通夜・告別式に参列しました。場所は京成臼井駅近くのセレモニーホール。導師は地元臨済宗 報恩寺の住職とのこと。臨済宗は、宋時代の中国に渡り学んだ栄西らによって、鎌倉時代に日本に伝えられたことのみ覚えているのです。しかし臨済宗での葬儀はあまり記憶にないのでした。しかし導師は、お経の合間に故人の御戒名の意味、そして『安心(あんじん)』、『往生(おうじょう)』等々の言葉の意味を分かりやすく参列者に語ってくれたのでした。そして御枕元での読経についても観音経や千手観音経や十一面観音経などの意味も語ってくれたのでした。例えば、千手観音は『あの手この手』で人々を正しい道に導く人間になるための、お手本として信仰されていることも。 【京都 三十三間堂 千手観音】更に『後生だから』の意味も。「後生」とは、「死後生まれ変わること」。輪廻思想で、今の人生は「現世(げんせ)、今生(こんじょう)」、生まれる前の人生は「前世(ぜんせ)、前生(ぜんしょう)」、死んだ後生まれ変わった人生を、「後世、来世(らいせ)後生(ごしょう)」というと。「後生ですから」は、「後生のために(生まれ変わった時に苦しまないように)」という意味で、人に何かをお願いする時に使う言い回しなのだと。臨済宗の読経によるお通夜の儀式は、穏やかな中に故人の冥福を愛惜の念をこめて祈る場であったのでした。そして私にとっても、初体験の心洗われる通夜そして告別式となったのでした。ふつつかな娘が大変お世話になった故人の優しさに感謝し、ご冥福をお祈りいたします。『合掌』。
2012.01.28
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憲政記念館横の公園に立ち寄りました。公園の真ん中にある時計塔。1960年7月に竣工、高さは31.5m。チャイムは、一日4回(10時・13時・17時・22時)鳴るとのこと。塔は三角形(三面)で、これは立法、行政、司法の三権分立を表しているとのこと。皇居の桜田濠と土手には前日の雪が。時計塔が池の水面にも映っていた。塔の高さは「百尺竿頭一歩を進む」ということわざの努力の上にさらに努力して向上するの意味から、百尺より高くこの31.5mにしたと。子供が作ったのであろうか、雪だるま。既に倒れていたのだが。そしてこの日の目的地、憲政記念館へ。 建物にはいると正面で帽子を振って、憲政の神様といわれた尾崎行雄像が出迎えてくれた。衆議院当選25回、60年7月もの長い議員生活をおくり、衆議院から憲政功労者として、昭和27年に尾崎記念館館が建てられたが、それを吸収して今は、衆議院憲政記念館となったとのこと。
2012.01.27
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永田町の国会前庭北地区にある憲政記念館構内の公園の中に『日本水準原点標庫』という建物がありました。明治24年に建築されたローマ神殿の形式の建物。ここにある石造りの建物の中には、国内の高さの測量の基準になる日本水準原点が納めてありるとのこと。土地の高さは、平均海面を基準に取りますが、実用的には地上のどこかに、高さの基準となる点を表示しておく事が必要と。このため、明治24年に水準原点がつくられ、当時、隅田川河口の霊岸島で行われた潮位観測により、水準原点建物内部の水晶板のゼロ目盛りの高さが、東京湾平均海面上24.500mと決定されたとのこと。明治24年5月に設置されたとのことであるので、24.5mの場所としたのであろう。水準原点のあるこの地は調査の結果、地盤が強固な事が解ったのでこの地に決定したようだ。しかし、1923年の関東大地震では、この付近一帯に相当の地殻変動があり、測量の結果、原点の高さは東京湾平均海面上24.4140mと改定されたと。さらに、昨年の東北地方太平洋沖地震の影響による地殻変動が観測されたため、平成23年10月に、東京湾平均海面上24.3900mと改定されたとのこと。この部分は白い紙で数字が書き換えられていたのです。この中に貴重な日本水準原点が保管されているのです。菊の紋章も。右から『水準原点』と旧字で書かれていました。そしてこの建物の裏には出入りが出来るドアが設置されていたのです。尚、水準点は全国の主な国道又は県道等に沿って約2kmごとに設置されているとのこと。その数は全国でおよそ2万点有り、これらを基に各地の高さが測られているのです。さらに神奈川県三崎の油壺験潮場の潮位観測と定期的に行われる水準原点と油壺間の水準測量によって水準原点の高さを確認しているとのことです。
2012.01.26
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国会議事堂の近くに仕事で向かいました。徒歩でこの周辺を歩くのは久しぶり。建物は左右対称形を成しており、正面に向かって左側に衆議院、右側に参議院。折しもこの日は国会の開会の日。丁度国事行為としての国会の召集を終了し皇居に戻られる場に遭遇したのであった。国会前の道路は一時交通止め。前の道には大きな日の丸を持った大きな集団が。そして天皇陛下の車が前を通ると『天皇陛下 万歳』の大きな声が次々と。残念ながらデジカメでの撮影は間に合わず。それにしても多くの大きな日本国旗を見たのは久しぶりの出来事。 そして道路が開通すると都内観光の2階建てオープンバスが目の前を通過。寒い為か観光客は少ない。そして安政3年、1856年時のこの周辺の地図が。このあたり一帯は武家屋敷で、馬場のあった道筋に永田姓の旗本屋敷が並んでいたため「永田馬場」と呼ばれていたことが、この町名の由来とのこと。江戸時代中ごろから現在の議事堂裏の通りは「永田町」と呼ばれ始めたと。
2012.01.25
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今週初めに、品川から新幹線で新大阪に向かいました。この日は天気が悪く車窓からの富士山の姿を楽しむことは出来ませんでした。名古屋を出てしばらくすると、三日月型の黒い塊が姿を現しました。岐阜県安八町にある、三洋電機岐阜事業所にある太陽発電の施設。全長315m!の巨大なヤツ。しかし今までの姿と違うことに気がつく。以前は赤い文字で『SANYO』と書かれていたが今は青い文字で『Panasonic』。三洋は昨年3月に上場廃止となり、同年4月付でパナソニックの完全子会社となったのだ。よって「SANYO」ブランドを原則廃止し「Panasonic」へ一本化されたのである。 京都に向かう途中、遠くに雪を頂きにおく山が遠くに見えた。東海道新幹線が雪で徐行運転を行うことの多い岐阜県の関ヶ原付近。しかしこの時期には珍しい雪のない関ヶ原周辺。冬型気圧配置が強まると日本海でできた雪雲が関が原を通って濃尾平野に流れ込むのです。西に鈴鹿山系、東側に伊吹山とちょうど関が原が雪雲の通り道になっているのです。若狭湾→琵琶湖→関が原→濃尾平野 これが雪雲のルートなのです。そして伊吹山。滋賀県と岐阜県の県境にある標高1,377mの山。滋賀県最高峰の山であるが、この日は白き山頂は雲に隠れてしまっていたのである。
2012.01.24
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この週末は天気に恵まれず、我が家のソーラーパネルもお休みモード。昨日夕方、冷蔵庫に我が夕飯の主食?であるビールが切れている事に気がつき我が愛車の自転車で近くのコンビニへいそぐ。家を出てみると、西の空に久しぶりの太陽が顔を見せていた。秋の夕暮れは釣瓶落としといわれるのは、まるで深井戸に釣瓶が落ちて行くように早いから。秋の夕焼けが釣瓶落としなら、この冬の夕焼けはもっと早く、あっという間のものなのです。冬の夕焼けを冬夕焼、寒夕焼、寒茜そして私の好きな冬茜と言うのです。冬の夕焼けは夏の夕焼けと異なり、色が赤ではなく茜色なのです。遠く富士山の周囲の空も茜色に染まっていました。そして冬の夕日が遠く薬科大学の校舎の窓をも赤く染めていたのでした。自転車での夕方の買い物は寒かったのですが、この季節の夕焼けが際立つ一瞬・冬茜を楽しむことが出来たのです。
2012.01.23
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昨日は卓球の全日本選手権女子シングルスの決勝線をテレビで観戦。決勝戦は昨年優勝の石川佳純と福原愛の世界ランキング8位と9位の争い。 【いずれもNHKテレビニュース画面の撮影】福原愛は世界の戦いでは多くのメダルを獲得してきたが、何故かこの全日本選手権では過去12回は最高でもBEST4、全日本チャンピオンへの壁を敗れなかったのである。『全日本では違う自分みたいになってしまう』と語ったこともあったと朝刊に。この日は積極的に攻めまくったのであった。結果は4-1の愛ちゃんの完勝。石川は『愛ちゃんにどんどん攻められて、気持ちで負けた』と。初優勝の瞬間。思わず大きなガッツポーズ。そして小さな頃、試合で負けて母親の前で泣きじゃくる愛ちゃんがの姿が放映されていたが久しぶりにうれし涙を見たのであった。記者の質問に『自分の中で壁を越えられた』と。次は日本卓球界初の五輪でのメダルを目指して欲しいのである。そして今日はこの二人が女子ダブルスを組み、日本一に挑むのである。昨日の敵は今日の友なのである。私も学生時代、卓球部に入り卓球を楽しんできた。数年前までは地元の同好会にも参加し、休日に卓球を楽しんでいたのであるが癌の手術後が何故かご無沙汰なのである。「泣き虫愛ちゃん」と呼ばれた福原選手の、卓球を始めてから20年目、13度目の挑戦で、念願の日本一に輝いた姿を見て、私ももう一度・・・・・・・・。
2012.01.22
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昨日は起きてみると久しぶりの雨。もちろん今年になって初めての雨。通勤の支度をし朝食をすませる。そして部屋に戻ると外一面が真っ白に。今年の初雨があっと言う間に初雪に。いつもは自転車で駅まで向かう毎日であるが、諦め徒歩で。通勤路の脇の乾ききっていた畑も既に一面の白。ビニールトンネルの中にはレタスの苗が。タイヤに降り積もり始めた雪。そして車のフロントガラスにも。牡丹雪。ボタンの花びらのように降るからとも、水分が多くぼたぼたと降るような意からとも。明日大寒 舞いはじめたる牡丹雪 今乾きたる畑に覆い行く・・・・詠み人知らず季語が2つはダメ??でも俳句ではなく短歌のつもり。
2012.01.21
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東京電力さんから我が家の1月の太陽光発電(京セラ、5.76kw)の 『電気ご使用量のお知らせ』が届きました。期間:12月16日~1月18日(34日間)電気使用量 昼 : 105KWH 朝晩 : 411KWH 夜 : 610KWH--------- 合計 :1,126KWH 金額 :19,296円先月12月は802KWH、14、467円でしたが、正月休みでの暖房が定常化した事もあり+324KWH⇒+4,829円の大幅な増額となりました。 そして『余剰購入電力量のお知らせ』です。購入電力量 :274KWH購入予定金額 :13,152円の結果となりました。マイナス収支6,144円。太陽光発電開始以来の余剰電力の売電金額実績です。そして使用電力の推移です。
2012.01.20
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明後日は大寒。我が家からの通勤途中の道路脇に今年も臘梅の花が咲き出しています。花弁が蝋のような色であり、且つ臘月(ろうげつ、旧暦12月)に咲くからこの名がついたとのこと。土壌をあまり選ばず、かなり日陰のところでもよく育ち開花する丈夫な花木のようです。昨日は寒かったですが、今日は比較的寒さが緩やかでした。そして今日の帰り道には久しぶりにポツポツと雨が。 しかしまだ梅が咲くには早いのです。そんな中で、梅よりも一足先に咲く臘梅の花が咲き出しているのです。臘梅が咲き出すと一足遅れで梅が咲き出すのです。大寒の後は立春。季節は確実に春に向かって歩を進めているのです。そんな季節の先取りとも言える花なのです。
2012.01.19
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先程テレビクイズ番組『平成教育委員会』で日本の国歌『君が代』の歌詞の意味について出題されていました。君が代は『きみがよは ちよにやちよに さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで』この『いわお』とは何かと。君が代の歌詞を漢字を交えて書くと『君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで』となるのです。よって『いわお』とは『巌』の意味で【岩】のことなのです。全体の意味は『君の時代が、千年も八千年も、小さな石が大きな岩になって、さらにそれに苔が生えるぐらいまで長く長く続きますように』と。君は昔は『天皇』だったのでしょうが現在は『日本国民』と理解すべきなのでしょう。それにしても子供の頃は、この歌の意味を理解しないまま歌っていたのです。そして意味について先生から教えてもらった記憶がないのは私だけでしょうか。もちろん『国歌』は童謡ではないのですから、ただ分かりやすい歌詞というだけでは充分ではないのです。日本を代表する歌の歌詞として、日本文化の中から生まれたもの、古くから人々に親しまれ、しかも、格調の高いものであることが望ましいのでしょう。外国の国歌は、戦争や血や敵などという戦闘的なイメージが多いのです。それに比べて、日本の国歌は文化に根付いた歌詞なのです。 そしてもう一つ気になる点は、日本の国旗『日の丸』を見る機会が少ないこと。外国に旅すると解るのですが官庁舎・ 学校・駅・デパートやスーパー等等・・・至る所にその国の国旗が掲げられてるいるのです。私も子供の頃、昭和30年代までは、祝祭日に国旗を掲揚している家は多かったのでは。 日の丸掲揚が減ったのは、街宣車が大音響を轟かせて街を走るようになってから?特殊な団体がシンボルマークのように扱うのから? そして今年の正月3が日に僅かに見た国旗。箱根駅伝に向かう時に見た神奈中バス。そして箱根駅伝の関係車両。そして国道近くの民家。そして我が勤務地の五反田から新宿に向かって山手線を利用すると車窓から見えるビルディング。ドデカイ日の丸を建築のモチーフとした建築物。これぞ『日の丸自動車学校』。全ての国においても、その国の祝日や記念日には、大多数の国民が主義主張によらず国旗を掲げる。それがごく自然な習わしとなっているはず。どうしたことか、日本では、せっかくの祝日でありながら、道行く個々の戸口に日の丸を見る機会が減っているのですが、先祖代々の日本人であればこそ、元気を出して日の丸を飾りたいと思うようになって来たのですが・・・・・。偉そうに書きましたが、しかし未だに我が家は『国旗』は保有していないのです。そして何処で購入できるのかも理解していないのです・・・・・・・・・・・・・・。
2012.01.18
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胃癌の摘出手術から丸2年目の定期検査を昨年末に病院で行いました。その検査結果は良好とのことでしたが、唯一血液検査の結果、C型肝炎の指標であるHCVが陽性とのことでした。HCVとは、肝炎ウイルスの一つであるC型肝炎ウイルス(Hepatitis C Virus)のことです。HCVに感染しても、C型慢性肝炎の初期では自覚症状がなく、肝機能も正常のことがほとんどですが、血液中にHCV抗体がつくられるとのこと。この検査では、採血をして血清中のHCV抗体を測定することによりC型肝炎の感染の有無が解るのです。 先生の説明によると、 C型肝炎ウイルスの感染は空気感染や経口感染ではなく血液による感染とのこと。病気の治療の際の輸血や血液製剤などからウイルスが侵入するというものがほとんどとのこと。しかし私の場合、最近は輸血等の心当たりがないため、何故陽性になったか不明なのでした。インターネットで調べて見ると、 昔は注射針など治療器具の使い回しが多かった為、これらからの感染もあったとのこと。現在は使い捨ての針等を使用していますので、ここからの感染は全くといっていいほど考えにくいとのことです。 【http://www.ncgm.go.jp/center/forpatient_hcv.html】よりよって再度血液の精密検査を行うこととしました。今度はウイルス抗体検査(HCV検査)に加えてウイルス遺伝子の検査(HCV-RNA定性検査)も行うとのこと。 【http://www.c-kan.net/hepatitis-c/diagnosis/】より昨日その検査結果を聴きに行って来ました。やはりHCV検査は陽性でしたが、ウイルス遺伝子の検査(HCV-RNA検査)は陰性とのこと。よって現在はC型肝炎では無いことが判明したのです。恐らく子供の頃、何かの理由でC型肝炎に感染しましたが、体力が有ったため発病せず抗体だけが出来て今に至っていると言うことなのでしょうか。インターネットの別のページには、『C型肝炎の診断法が開発されてから多くの人がC型肝炎にかかっていることがわかったのですが、実にその40~70%は、感染の原因が不明のままなのです。』と。 いずれにせよ、検査結果に安堵し、またC型肝炎について学ぶことができたのでした。
2012.01.17
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昨日午後、年始挨拶の為に池袋から川越街道を車で走っていると、中央分離帯に大きなケヤキの木が五本突然現れました。慌ててデジカメを取り出し1枚。昭和初期の川越街道の拡幅工事の際、当時の上板橋村村長が屋敷林の一部のけやきを残すことを条件に土地を提供したとのこと。こうして残された屋敷林が5本残り「五本けやき」とよばれるようになったと。今では、川越街道上板橋付近のランドマークとなっているのです。
2012.01.16
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今年も昨日、我が地域恒例の小正月の行事「どんど焼き」が近くの公園で行われたので参加してきました。今日15日(日)に行われると思っていましたが、一昨日夜新年会を終え帰宅すると妻から「明日の朝」行われると。既に妻が3色の団子を作ってくれていました。 そして昨日の朝、早めに公園へ向かうと未だ準備中。既に火種となる枯れ枝の上に門松や注連飾りなどの正月飾りが納められていました。小正月に火祭りを行う「どんど焼き」行事の名称は、ほぼ全国共通で「どんど焼き」と呼ばれているようです。しかし、地域によっては、北陸、東海地方、そして京都府で「左義長」、大阪府で「とんど焼き」、九州では「鬼火焚き」と呼ばれるているとの新聞記事。子供の頃は我が地域では「さいと焼き」とも呼ばれていたと記憶していますが。村の長老が、どんど焼きの最中に「今年のさいと 笑ってやれ」と大声で掛け声を掛けていたことを覚えていたのです。 焚き上場の側では、老人会のオバサン達が参加者に配るお菓子やミカン、バナナの袋詰めを。私も何年後か?の練習のためにこれを手伝ったのでした。老人会の会長が火を付けるとのことですが中々姿を見せずに待つこと20分。漸く今年のどんど焼きが始まったのです。どんど焼きの案内書も役目を終え火の中に。そして次第に大きな炎に。御神酒で赤くなった顔に炎の熱さが加わったのです。今年の干支の竜が空高く舞い上がっていく姿に見えたのです。そして持ってきた団子を焼き始めたのです。我が家の団子。早朝に畑の隅の紅梅の木の枝を切って作った三つ叉の先端に三色の団子を差し込んだもの。妻が枝にアルミホイルを巻いてくれました。今年ややや薄めの色づけ。団子の並びはこれで良かったのでしょうか?どんど焼きの火にあたったり、焼いた団子を食べれば、その1年間健康でいられるなどの言い伝えもあり、無病息災・五穀豊穣を祈る民間伝承行事なのです。 妻が手前で熱さに耐えながら団子を懸命に焼いています。今年の夏に還暦を迎える大切な我が『北の方』の【焼き餅】の御姿なのです。燃やした書初の紙が高く舞い上がると習字が上手になり勉強もできるようになるなどともいわれているのです。三色の団子とオレンジの橙、そして赤き炎と色彩も豊かなのです。各家の特徴が出ている団子達。団子にアルミホイルを巻いて焼く家も。車いすで参加されている方も。早期のご快復を!!焼いた団子を近くの方と交換し食べ合ったのです。他家の団子を食べると更なる御利益があると謂われているのです。そして今年のどんど焼きを終え、自宅に戻りました。三つ叉の枝は我が家の門の横の塀の内側に供えました。これが魔除けになるのです。 最近は参加する子供の数が少なくなり、場所の確保も難しくなったため、この行事のやりかたも随分変わってきたのです。火災の恐れで江戸時代から禁止された東京をはじめ、都市部ではどんど焼きも廃れている傾向があるようですが、その一方で地域の伝統行事を見直そうという住民の機運が各地で盛り上がり、復活する例も見られているとテレビニュースでも。 いつまでも残しておきたい日本の古き良き伝統行事なのです。
2012.01.15
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翌朝はむつ市のお客様への挨拶に3カ所に立ち寄り、その後六カ所村役場を目指して国道279号線(別名はまなすライン)を上りました。進行方向右手には白波が立ったむつ湾が時々姿を現すのでした。途中一面真っ白な平地の隅に雪を被ったサイレージが。ここは牧草地なのであろう。サイレージとは青刈り作物や生の牧草を特殊なビニールで密封したもの。この中でじつは乳酸菌が活躍しているのです。正確には「ロールベールサイレージ」とのこと。これは昨夏の北欧旅行で学んだのです。しばらく走ると地吹雪が激しくなる。そして目の前が一瞬真っ白に。うっすらと前方を走る車が見えるだけ。同僚はその度にブレーキを慎重に踏む。急停車はスリップの畏れが。そしてホワイトアウト状態。ホワイトアウト(Whiteout)とは、雪や雲などによって視界が白一色となり、方向・高度・地形の起伏が識別不能となる現象。見えるのは道路脇のポールがうっすらとのみ。恐怖の瞬間なのであった。恐怖の地域から逃げ出すと、今度は前方に風力発電が。上北郡横浜町の風力発電。この町は菜の花で有名な町とのこと。デンマークVestas製、出力1750KWの風車6基が勢いよく回っていたのであった。羽径は60~70mか。巨大な風車である。その後再びホワイトアウト状態が数回我が車を襲う。運転している同僚から六ヶ所村に向かう道は、更にホワイトアウト現象が激しくなるであろうから今回の年始挨拶は延ばし、この日の最終目的地である三沢市役所へ との提案に合意。 よって279号線を野辺地に向かい直進する。そして2.5hr以上の地吹雪の中をドライブの後、みさわ駅前に到着。2010年北新幹線全線開業に伴い、東北本線から第三セクター方式の「青い森鉄道」の駅となったのである。昼食の為に駅前の食堂「きらく亭」に入る。同僚の薦めでホッキ丼定食を頼む。ここ三沢市はホッキ貝の名産地とのこと。12月1日~3月末までの期間限定のメニューと。味噌汁、マカロニサラダ、タクワン付き。ホッキ貝の貝の半身にはキュウリの上に乗った山葵が添えられていた。生のホッキと和風だれのピンクのホッキと2色の味を楽しめるホッキ丼。新鮮な生のホッキ貝にわさび醤油をかけて召し上がりくださいと店員が。肉厚のホッキ貝のにおい、甘みが山葵醤油で引き立ち絶品なのでした。この後、我が三沢事業所、三沢市役所への挨拶を終わり、この下北半島での仕事は終了。帰路は三沢空港から。三沢空港の売店で不気味なものを発見。カブトムシの巨大な幼虫?。横には『生ものですのでお早めにお召し上がり下さい』と書かれていた。商品名には『カブトムシようちゅうグミ』とのこと。本物と見間違えるほどそっくり!リアルなチョコレートの顔でカルピスレモン味 爽やかな甘酸っぱさ と店員が勧める。しかしこれを食べるには勇気が要る?よって購入は断念したのであったが面白いと購入する人もいるのであろう。 大雪のため40分遅れの離陸。地吹雪とホワイトアウトの恐怖そして寒さの厳しい青森の仕事を終え羽田空港からバスで帰宅したのであった。、
2012.01.14
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3時間弱の雪道を走り漸くむつ市内のビジネスホテルに到着。同僚と夕飯を兼ね、同僚行きつけの赤提灯に入る。女将さんに摘みはお任せする。まずは刺身。大間のマグロとホタテ貝とそして右隅のオレンジ色はホタテ貝の雌の卵巣とのこと。そして追加になったオレンジの上のクリーム色はホタテ貝の雄の精巣とのこと。ホタテ貝に雌雄があることを初めて知ったのであった。そしてこの様にホタテ貝の卵巣、精巣を刺身で食べるのは初体験なのであった。いつも見かけるのはこの雌の卵巣の方。そして何と、ホタテは性転換する貝だったのです。「新 北のさかなたち」では、次の様に記述されていました。「天然貝では0年貝と1年貝はすべて雄で、2年貝以上ではほぼ半数が性転換して雌になる。一方、放流貝と養殖貝は成長が良いため、1年貝で性転換するものもある」と。あの牡蠣は、幼い時はオス、1年目にはメス、卵を産み終えるとまたオスに変わって精子を作り、それを放出すると再びメスになると言う性転換サイクルを持っているとこれも広島に住む同僚から聞いた話。余計な心配だが自分が今、『雄それとも雌』か解っているのであろうか。人間世界でもテレビからは同じ様な・・・・・・。そして『マツモ(松藻)』。この地で冬の時期だけ出回る海草とのことで、シャキとした食感と、磯の香りが美味しい海草。マツモを鍋に放すと一瞬にして鮮やかな緑色に変わり、その変わりばなをサッといただくようにするのが美味しい食べ方と。煮過ぎるとドロドロになってしまうと。マツモを口に入れると海や磯の香りが脳幹を刺激、北国を訪ねた己を切々と実感。そして『トゲクリガニ』。トゲクリガニは「桜ガニ」「花見ガニ」とも呼ばれたりするほど、青森・むつ湾の名物とのこと。毛ガニよりも小ぶりであるが、甘く磯の風味がたまらない繊細な身。濃厚な味わいの蟹味噌、さらにメスの卵(内子)がこれまた絶品。そしてこちらでも名物の『みそ貝焼き』。下北では「みそかやき」とのこと。うにと塩辛入りで、いかのわたと味噌がとけあい、なんともいえない香ばしいにおいがただよう絶品。味付けに地酒を少々。慌しい年始の挨拶回りであったが、夜の部はしっかりと郷土料理に舌鼓を打つことは忘れなかったのであった。
2012.01.13
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五所川原から下北半島のむつ市に向かい車を走らせました。勿論私はこの積雪の中、運転できるはずもなく後部座席で様々な雪景色を楽しんで?いたのです。雪が降り続いていました。リンゴの木の枝にもかなりの雪が積もっていました。道路脇には、吹きっ晒しの道に長々と続いている防風雪フェンスが。傾いたパネル(調節できる)に雪が当たって下へ落ち、風も弱まるとのこと。除雪車が懸命に任務を遂行中です。そして不思議な光景。屋根に積もった雪が今にも落ちそうで落ちなくて、その姿に思わずシャッターを。何と、落下せずに内側に丸くなって頑張っているのです。雪質によりこの様な不思議な姿を見せてくれるのでしょうか?道路脇の民家の屋根からは巨大な氷柱が。 屋根に残った雪が多いほど日に日に伸びて来るのであろう。そして国道の除雪後の壁には青い帯が延々と。地吹雪が起きたときのホワイトアウト対策だと同僚の話。一面前後左右上下真っ白になると、空でも飛んでる様なスピード゙感と距離感の無い危険な運転状態になるため、路肩に着色することで、距離感を確保しホワイトアウト防止に非常に効果があるとのこと。豪雪地帯ならではの光景。除雪の毎に、除雪車の後方から吹き付けていくのであろうか?施工方法を知りたいと思ったのであった。
2012.01.12
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昼食終了後、6Fレストランから階段を利用して下に降りる。レストランの壁には立佞武多祭りの絵画が。五所川原立佞武多祭りとは、青森県五所川原市で8月4日から8月8日に開催される祭り。 「青森のねぶた」と「弘前ねぷた」と並ぶ青森三大佞武多の一つで、高さが最大で20mを超える山車の壮大な運行が魅力の祭りなのである。階段の途中から1Fホールに飾られた中型の立佞武多が見えた。そして途中のフロワーの壁には金魚ねぶたのミニチュアの展示が。そして立佞武多祭りの時に歌われる歌詞が展示されていた。そして今年の立佞武多祭りに向けて巨大立佞武多の製作が開始されていた。今年の立佞武多の完成予想図。『鹿島大明神と地震鯰』がテーマとのこと。東日本大震災からの一日も早い復興を願うとともに、震災の記憶を風化させず、同様の大災害が起こらないようにとの思いを託したとのこと。地震を起こすと謂われる鯰を鹿島大明神が要石で抑え込もうとしている姿なのである。木枠で原型を造り、それを頼りに太い針金で形を作り上げそこにLEDライトを巻き付けて製作していくことが解ったのであった。1Fのロビーの壁には武者絵のタコが飾られていた。一度是非この祭りを生で鑑賞したいと思っているのであるが・・・・・・。
2012.01.11
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青森・五所川原のお客様への年始の挨拶に行って来ました。昼食は同僚と『立佞武多の館』の最上階にある展望ラウンジ『春楡』へ。一面雪に覆われた白い津軽平野を一望しながら食事が出来たのです。このレストランの人気メニューである「おらほの定食」を注文。津軽の味満載の、スタッフもお勧めの一品なのです。ちなみに津軽弁で「おらほ」とは「わたしたちの」「ウチの」という意味。この定食には『貝焼きみそ』というホタテの貝殻を鍋にした、いわゆる味噌仕立てのホタテ入り卵とじ料理が付いていました。そしてこの貝焼きみそのレシピーが津軽弁と標準語で書かれたいました。・まんず、鍋っコさ火っコつけでけ(まず、鍋に点火して下さい)・卵をかましてけへ(卵を解きほぐして下さい)・グツグツど煮だってきたら、卵をへでけ(ツクツク煮立ってきたら、卵を回しいれて下さい)・あんつかかだまりかげできたら、スプーンでかましてけへ(少し卵が固まり始めたらスプーンでかき混ぜて下さい)・かましているうぢに、どんどん固まってくるはんで、こごでがっぱど火通してまれば失敗だんず(かき混ぜているうちに、どんどん固くなってきますが、ここで完全に火を通してしまうと失敗です)・まだゲチャゲチャどして、火っコ止めね方いんでねがぁ~、ず時に思いきって火っコ消してけ~(まだユルユルで火を止めない方がいいかな~、と言う時に思いきって火を消して下さい)・へば、かましているうぢに余熱でトロトロの貝焼きみそができるんず(そうすると、かき混ぜているうちに余熱でトロトロの貝焼きみそが出来ます)・ままさかげで食ってみでけへ。めぇ~よ!!(ご飯の上にかけて食べてみてください とっても美味しいよ~!!)そして、生姜みそこんにゃくおでんも最後に出てきました。戦後、冬の厳しい寒さの中、青函連絡船に乗り込もうとする船客のからだを少しでも暖めようとある屋台のおかみさんが、味噌に生姜をすりおろしていれたのが始まりだとか。貝焼きみそと生姜みそこんにゃくおでんは冷えたからだを暖めてくれたのでした。
2012.01.10
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我が社のグループ会社の、そして東海道線沿線湘南地域の住んでいる同僚、OBの新年会に参加してきました。場所は平塚駅南口にある海鮮和食家『いしけん』。総勢18名の賑やかな宴となりました。幹事がメニューにない飲み放題コースを店長にお願いしてくれていました。実はこの店長も若き頃の同僚なのです。平均年齢は60才?私も若い方からから数えた方が早いのです。店はカウンター以外は貸し切り状態。4人用の刺身盛り皿。写真を撮る前にあっと言う間に・・・・・・。そして、いしけん名物、金目鯛の塩釜焼き。店員の方が金槌で被われている塩の塊を割ってくれました。中には朴葉(ほうば)の下に赤い金目鯛が姿を現したのです。相模湾及び伊豆七島の名産の深海魚?。色々な食べ方ができる、おいしい魚。刺し身、煮魚、鍋物も絶品なのです。約2時間半の賑やかな宴会でした。全員の近況報告は体調、孫の話、趣味・・・・と尽きることはありませんでした。 店の壁には『たねは自分の畑から』の文字が。日本の農業は戦後、大きく様変わったのです。そのもっとも大きな変化のひとつが野菜や穀物のタネの扱い。現在では、農家が野菜をつくるとき、毎年わざわざJAや種苗店からタネを買うのです。農家はなぜ、自分の畑の作物からタネを採り、それを次の年に使わないのでしょうか。 それは、現代の農家のほとんどが「F1(一代交配種)」のタネを使っているためなのです。このF1とは、その土地の環境や風土とはまったく関係なく、日本全国で同じような色、味、カタチの作物ができるよう操作されたものであり、農薬や化学肥料で育てられることを前提としたタネなのです。まっすぐなキュウリ、粒のそろったナスや長さのそろった葱は、ほとんどがF1の種から育っているのです。つまり大量生産・流通・販売に都合のいい性質に作られた一代限りのもの。F1種を育てて種を採っても、次の世代では性質がバラバラになってしまい、流通・販売に向かないのです。だから、農家は毎年、F1種を購入することになるのです。そう言う私も殆ど種はホームセンター等から「F1(一代交配種)」のタネを購入しているのです。最近、写真のように、その土地でよくできた作物を選んでそこからタネを採り、次の年も同じ土地でその作物を作る事が注目されているのですが、素人の農園主には・・・・・・・・。
2012.01.09
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昨日は1月7日、七草粥の日。我が家も毎年行う行事。早朝、我が農園に七草を採りに行って来ました。七草とはセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの七種。この春の七草は子供の頃から『ゴロ』が良いせいか暗記していますが、秋の七草は覚えられません。春の七種と違い、秋の七草に直接何かをする行事が特にない?ことも一因なのでしょうか。しかし昨年は秋の七草の『ナデシコ』が超有名になりました。本当に「なでたいほど頑張ったかわいい女子」→「ナデシコ」だったのです。 七草の目的は、初春の野から摘んできた野草の生命力を食して、邪気をはらうということ。古来、宮中や神社でもこの日七種の野草を摘む行事を "若菜摘み" といい、多くの歌に詠まれたりしているのです。収穫してきた七草いや六草。ハコベラは残念ながら見つかりませんでした。この厳冬に、野生の春の七草は見つけにくいと思っている方も多いと思いますがこの風習は旧暦に基づいたもの。旧暦での正月は、現在の2月頃。まだ寒さも厳しいながら、陽射しには春を感じるころなのです。長い冬が終わりに近付き、野に出て春いちばんの息吹きを持ち帰る、七草粥の行事は新しい年が始まる喜びの行事だったと想像できるのです。まずは『セリ』。畑の下の小川から採ってきました。独特の香りを持ち、春先の若い茎を摘んできました。『ナズナ』別名ペンペングサ(ぺんぺん草)、子供の頃、果実が付いた花茎を折り取り、果実の柄を持って下に引くと、柄がちぎれて皮でぶら下がった状態にしたのです。このように多数の果実をぶら下げた状態にして、花茎を持ってくるくる回す(でんでん太鼓を鳴らすように)と、果実が触れ合ってちゃらちゃらと小さな音がするのを楽しんだのですが「田舎の子」供特有の遊びだったのでしょうか。『ゴギョウ』全体に細かな毛でおおわれているため、やや白味をおびています。暖かくなると黄色の花を多数つけるのです。『ホトケノザ』ピンクの可憐な花の咲いているものを摘んできたのですが・・・・・。妻からこれは七草のものではないと「アウト」宣告。七草のホトケノザは下の写真の種のことではなく、標準和名を「コオニタビラコ」というキク科の草とのこと。こちらも黄色い花をつけるとのこと。写真のものは食用には出来ないと。これには妻が一枚上。『スズナ』スズナはカブの古名。白カブの葉を採ってきました。最後に『スズシロ』いわゆる「大根」。「スズシロ」大根の古名。昔は「清白」と書かれていたためとのこと。なるほど。妻が早速『七草粥』を作ってくれました。実際は『五草粥』となりましたが。餅も入って 、一年の無病息災を願って食べたのです。雪の中から春の新芽が顔を出しているようにも感じられるのです。古人はこれを食べながら、早い春の訪れを願ったことも理解できたのです。この後近くのJA「わいわい市場」を訪ねると、『七草SET』が売られていました。380円と。朝食べる風習との理解ですので、昨日の「売れ残り」?余計な詮索はやめましょう。これは私の「無くて七癖」(笑)そしてこの七草粥は、正月の酒で弱った胃を休める為とも言われるているのです。と 解っていながら、今晩も湘南地区に住む同僚18名の新年会で平塚で再びお酒・・・。 しかしながら、日本の良き「風習」を大切にしていきたいと思っている還暦オジサンなのです。**************************************【追伸】妻が「ハコベラ」を近くから探してくれたとのことで、「六草粥」となっていたとのことです。
2012.01.08
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我が家の近くに国道沿いに『コメダ』がオープンしました。コメダは、東海地方を中心に、最近では、関東に進出をはじめている名古屋発祥の喫茶店。既に2回ほど行って来ました。最初はモーニングセットを注文。午前11寺までは同じ値段でトーストとゆで卵が付いてくるのです。トーストは柔らかく味が良いのです。そしてゆで卵。殻が非常に剥きやすいのです。針で穴を空けてあるのでしょうか?そして先日は妻と長男で。妻がTRYしたのは『シロノワール』。シロノワールは、コメダの看板メニューの一つのこと。温かいデニッシュ生地のパンケーキの上にソフトクリームを絞り出し、サクランボの実をのせたデザートであり、メープルシロップをかけて食べるのです。名前の由来は温かいパンケーキと冷たいソフトクリーム、黒っぽいデニッシュ生地と白いソフトクリームという二つの対比から、日本語の白(「シロ」)とフランス語で黒を意味する「ノワール(NOIR)」を組み合わせて命名されたとは店員の話。そして店の名前『コメダ』は創業者の実家が米屋であったことにちなむものであるとこれも店員からの受け売り。 そして私は『カツサンド』を注文。このカツサンドが巨大・デカイのでした。あげたてのカツを挟むパンはふっくらしたタイプのもので、たっぷりのキャベツとともに見ただけでお腹がいっぱいになりそうな迫力そのもの。何とか頑張って完食。広い敷地に広い駐車のフェミレス規模ですが、駐車場はほぼ満車・・・と賑わっているのです。
2012.01.07
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正月も1月6日を迎えましたが、遅ればせながら我が家の今年のおせち料理を紹介いたします。今年も全て妻の力作です。おせち料理は漢字で『御節料理』 。もちろん正月料理の事で、節日(節句)に作られる料理のことから御節と呼ばれているのです。最初に『栗きんとん』黄金色に輝く財宝にたとえて、豊かな1年を願う料理。日本中どこにでもある栗は、山の幸の代表格で、 「勝ち栗」と言って、縁起がよいとして尊ばれて来たのです。そして『黒豆』。「豆=まめ」は元来、丈夫・健康を意味する言葉。「まめに働く」などの語呂合わせからも、おせち料理には欠かせない料理。『昆布巻き』。巻かれているものは今年は身欠きニシン。昆布は「喜ぶ」の言葉にかけて、正月の鏡飾りにも用いられている一家発展の縁起ものなのです。『田作り』。小さいながらもお頭付きです。妻が一つ一つ苦い腸の部分を取ってくれたのです。五穀豊穣を願い、 小魚を田畑に肥料として撒いたことから名付けられた田作り。片口鰯の小魚を使った田作りは祝い肴のうちの1品。別のお重には煮物が。『シイタケ』シイタケは、季節にあまり関係なく発生することから、「四季茸」と言われることもあり、この言葉が訛って「しいたけ」になったという説もあるとのことですが、おせちとの関係は?『蓮根』孔が空いていることから遠くが見えるように先見性のある一年を祈願。『里芋』そして『八ッ頭』里芋は子芋がたくさん付くことから、子宝を願って。そして八ッ頭は同じく小芋がたくさん付くことから、また八には末広がりの意味をかけて子宝、子孫繁栄を願うのです。『筍』タケノコは「雨後の筍」ということわざがあるとおり、ものすごく成長の早い植物。成長を願っての1品。『牛蒡』細く長く地中にしっかり根を張る牛蒡は縁起のよい食材。「細く長く幸せに」を願っているのです。『蛸(たこ)』タコは八本の腕を使って抱きしめ、締めつけ、吸いあげる・・幸せを吸いあげる・・・。チョット無理がありそうですが。『数の子』。子宝と子孫繁栄を祈る1品。数の子はニシンの卵。二親(にしん)から多くの子が出るのでめでたいと、古くからおせちに使われました。我が家は正月のみに食べる料理?『伊達巻き』。「伊達」の由来は華やかさや派手さを表す言葉で伊達政宗の派手好きに由来することの他、諸説あるとのこと。見た目の豪華さで定番となる。巻き物(書物)に似た形から、知識が増えることを願う縁起物なのです。『いくら』。美しく輝く粒を財宝に例えたり、子孫繁栄を願って食べられているのです。そして別皿の『なまこ』。切る前の形が俵に似ている事から俵子とも呼ばれる豊作への願いが。そして締めは『雑煮』。今年も同僚が自ら餅つきしてくれたものを、たくさん届けてくれました。餅は昔から日本人にとってお祝い事や特別の日に食べる「ハレ」の食べ物。関西地方では丸餅、寒冷地や関東周辺は角餅を使うと聞いていますが・・・。よって我が家は角餅。残念ながら写真は撮り忘れしました。 今年も夫婦二人分の多品種少量。元旦に祝うおせち料理には、それぞれの料理に理由があり、子孫繁栄や豊作、長寿など、様々な願いを祈ったものが多いのです。 今年の正月も、これら1つ1つの料理にこめられた願いをかみしめながらおせち料理を楽しんだのです。
2012.01.06
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県から封筒が年末に届きました。中には『みつばち飼育届』の提出依頼の書類が入っていました。養蜂業を行う場合は、養ほう振興法第3条1項に基づき、『みつばち飼育届』を毎年1月末日までに県知事に提出する必要があるのです。趣味の養蜂の場合は、上記の法による届け出義務はないのですが、1)蜜源の競合を防ぐため、飼育場所等の事前調整が必要2)家畜伝染病予防法に基づく家畜保健衛生所によるふそ病検査が必要3)県内の飼養状況の把握が必要との観点から提出が求められているのです。記入内容は、養蜂場所の詳細住所、養蜂群数の記入が必要なのです。この届け出により、2)の検査のために年1回 係官が来園されるのです。 併せてみつばち協議会発行の『養蜂マニュアル』が同封されていました。このマニュアルは『養蜂家向け!』とあるように、非常に専門的な内容になっています。女王蜂をたくさん欲しい場合や群から女王蜂を作成する方法等、養蜂業者が必要な専門的な情報が記載されており、非常に参考になるのです。我が趣味の養蜂は現在2群が越冬中です。12月上旬に、越冬の保温のために巣箱を段ボール箱の中に入れ、中の隙間に梱包用ビニールシート(所謂プチプチ)を折って入れ込みました。併せて巣箱の中には、砂糖水を給餌箱に満杯に入れ、併せて疑似餌も入れ込みました。段ボールの外面もプチプチで包み込み、保温かつ段ボールの雨よけとしました。最後にブロックの上に発砲スチロールを置きその上にこの保温済み巣箱を設置したのです。更に巣箱上部には、数枚の畳表を被せその上にビニールトタンを重ねて更なる保温と雨よけを行っているのです。巣箱の入出口は、段ボールおよびプチプチに小さな穴を開け出入りが可能なようにしてあります。そして出口付近には、砂糖水を置いてやりました。先日も、正午頃気温が上昇したのか、働き蜂の何匹かがこの砂糖水を集めに出てきていました。砂糖水を呑みやすいように小さな小枝も入れてあるのです。出口にも数匹のミツバチが姿を見せていました。早咲きの菜の花に戯れているミツバチも確認できました。なんとかこの2群が元気に越冬して春を迎えて欲しいと願っている素人養蜂家なのです。
2012.01.05
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我が家の12月の太陽光発電(京セラ、5.76kw)の 実績報告です。 発電量 : 498KWH消費量 : 1171KWH売電量 : 280KWH自給率 42% と言う稼働実績となりました。今年の12月の発電実績は昨年度の543KWHには達せず498KWHという僅かに500KWH未達の月別実績結果になってしまいました。月初めの悪天候が大きく影響したことが解ります。12月中旬は好天候に比較的恵まれ発電量が増えていることが解ります発電開始以来の月別発電量実績です。緑が本年2011年の実績です。今年は1月から月別の過去最高を更新中でしたが今年の5月~8月は昨年を下回る結果となっていました。しかし再び9月、10月は月別の過去最高を取り戻しましたが、この11月,12月は再び昨年を下回る結果となってしまいました。しかしながら、年間発電量では昨年度の7081KWH/年を上回る7308KWH/年と過去最高の年間実績となりました。2009年からの年間発電量実績です。2011年度の月別発電量実績です。月別売電金額実績です。2011年の売電金額は246,432円/年となりました。月平均で2万円を超える実績となりました。月別の使用電力実績です。年間9461KWHとなりました。買電量は7,434KWH/年となりました。そして月別買電金額(東電支払金額)実績です。118,363円/年の年間実績です。よって246,432-118,363=128,069円/年の利益となりました。月平均+1万円強の利益となっています。太陽光発電導入以来の東京電力さんとの収支です。青が東電さんへの支払い(買電)、赤が東電さんからの支払い(売電)です。2009年12月までは売電金額が25円強/KWHでしたが、その後法律改正により48円/KWHとなりこれが10年間継続することになったのです。青の買電金額のパターンはあまり変化していませんが、それ以降赤の柱の高さが大きく変わったことが解るのです。
2012.01.04
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今日も箱根駅伝 復路の応援に妻と行って来ました。この日はバスで向かう途中から 会社の独身寮にいる長男が、長野のスキーから戻り合流。私の駅伝好きのDNAを息子も受け継いでいるのであろうか。遊行寺の境内への坂を登る妻と長男。今日の応援場所は復路8区の正念場の遊行寺上り坂の途中。今日は応援客の出足が早く、道沿いは既に人又人の為、道路の土手の上の高見の応援とした。前方にはNTVの遊行寺固定カメラが。先頭の到着を待っているとローソンの『カラアゲくん』のマスコット人形も応援に参加。上空には取材&通信用?のヘリコプターが。ぶっちぎりの首位の東洋大学 大津選手。大差をつけられたが必死に追う母校W大学 志方選手。僅差の3位の明治大学 有村選手。大健闘の城西大学 浜本選手。復路はブレーキもなく順調の東京農大 竹内選手。シード権確保が見えてきた青山学院大学 井上選手。 順天堂大学 山崎選手。遊行寺の急坂に苦しみながらも必死の中央学院大学 冨山選手。学連選抜 大沼選手。集団で競う國學院大 端坂選手、帝京大 山川選手そして拓大 那須選手。国士舘大 久井選手と地元神奈川大 山中選手。遅れを取り戻しシードを狙う東海大 吉川選手。上武大 坂口選手。日体大 今崎選手も必死に坂を上る。20選手が必死の形相であったが元気に遊行寺の坂を上っていったのであった。応援場所近くの諏訪神社。赤い旗は駅伝のための応援旗ではなく大黒天の旗。結局、前日の往路1位の東洋大が従来の母校の記録を何と8分以上短縮する合計10時間51分36秒の大会新記録で、2年ぶり3度目の総合優勝を果たしたのであった。我が母校は最終区で明治大学のエース鎧坂選手に抜かれ4位。しかし大健闘であった。それにしても神奈川大学の9区鈴木選手から、10区高橋選手への襷リレーは感動的であった。ラインオーバー、時間オーバーも問題ないのであった!。係員の武士の情けに超満足。これぞ襷の力なのであった。 毎年観に行く箱根駅伝であるが、人間性が大事になる競技であるといつも実感。必死になって襷を繋いでいく姿に毎年、多くの国民が目を奪われているのです。しかし、国際的に駅伝を考えると、そこまで有名ではないのです。マラソンやトラック競技は高いレベルで争われていますが、駅伝のように長い距離を複数の走者が繋いでいく競技は国際的には認知されていないのです。 私はここに日本人特有の国民性が表れていると思うのです。チームのために犠牲心を持ち、死に物狂いでゴールを目指す姿に日本人は『絆』を実感し心打たれるのだと思っているのです。そして。この箱根駅伝の位置づけについては、いろいろな意見があることは承知していますが毎年の初めに、頑張って走る選手や、チームで団結している選手を応援せずにはいられないのです。選手の必死な姿に元気と勇気を貰えるからなのです。
2012.01.03
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今年も我が家の恒例の箱根駅伝の応援に妻と行ってきました。箱根駅伝とは第88回東京箱根間往復大学駅伝競走。関東学連加盟大学のうち、前年大会でシード権を獲得した10校と、予選会を通過した9校と関東学連選抜を加えた合計20チームが出場したのです。自宅からバスを利用して向かう。ワンセグ放送を見ながら観戦場所の藤沢橋近くまで向かう。遊行寺前でバスを降りる。遊行寺入り口の宿場の景観に配慮した建物の前には東海道五十三次 藤澤宿の錦絵が。往路の今日は昨年と同様に母校の応援場所に向かった。受付で卒業年、学部、氏名を記帳し、炊き出しの豚汁をご馳走になる。地元稲門会への参加の案内板。選手の到着をワンセグを見ながら待っていると漸く日本テレビのテレビ中継車が目の前を通過。その後に首位争いの我が母校の矢沢選手と東洋大学 山本選手が通過。この場所は遊行寺の坂を一気に下り、藤沢橋を通過後の上り坂。戸塚の中継点での12秒差から追いついた矢沢選手であったが・・・。2区で初めての区間賞をとり、3位で大健闘の青山学院大学 福田選手。ゼッケン番号からするとこの日の朝にエントリー替えで選ばれた選手。駒大、日体大、明治大の4位争いも熾烈であった。やや遅れて東海大学 刀祢選手 山梨学院大学 コスマス選手と拓大 モゼ選手のケニヤ留学生同士の争い。この二人の足取りはやはり違う。結局 コスマス選手は3区の区間新記録を樹立し16位→9位まで順位を上げたのであった。20位は東京農業大学 浅岡選手。最下位ながらかなりのスピードで調子は良さそう。帰宅してみると18位まで追い上げていたのであった。TOP通過から約7分で全大学が通過したのであった。今年も応援を終え、母校の活躍を願って恒例の校歌斉唱。それにしても若い卒業生や現役の姿は殆ど無し。早稲(ワセ)田ではなく晩稲(オクテ)田??終了後、養蜂の師匠のYさんに出会い二人で、これも恒例の遊行寺に立ち寄る。境内は駅伝応援後に集まった初詣客が、お参りのために本堂前で行列を作っていた。ここでの初詣は諦め(地元神社の御利益を信じ浮気はしない!!)骨董市を散策。これもいつもと同じ。妻は駅伝通過後、これも恒例の駅前百貨店の福袋を目指して単独行動。『神頼みより行動あるのみ』か。さすが今年の年女。『龍?ものは追わず』の私。帰路のバス停前の古き土蔵。『東海道 藤澤宿 昔話のある街』の黒地の表示板が土蔵の手前に。帰宅し早速テレビをつけてみると、5区の箱根山登りの東洋大学 柏原選手が新記録樹立のペースでTOPを爆走中であったのだ。終わってみれば、東洋大学が5時間24分45秒の往路新記録で、4年連続4度目の往路優勝。5区の柏原選手は1時間16分39秒の区間新記録をマークし、山登りのこの区で4年連続の区間賞。「僕が苦しいのはたった1時間ちょっと。福島の人たちに比べたら、全然きつくなかった」と、被災した故郷へメッセージを送ったのである。 アッパレ以外の言葉なし。我が母校も、明治大学と山登りで抜きつ抜かれつの戦いを制し2位を意地で維持。それにしても再度2位を確保した直後に長~~いコマーシャル。日テレさん、CS(顧客満足)が出来ていませんね。この時のCMスポンサー社の評価は下がってしまいますよ。『スポンサーのご厚意によりこのまま中継を継続します。』で評価は一転するのではと我が儘にも感じているのですが・・・・。放送中に最終走者の東京農大の選手はゴールできず。背中を痛めたのであろうか。しかしゴール手前に陣取り、選手の到着を待つ東京農大応援団の『大根踊り』は印象的であったのです。そして放送終了後、しばらくして日テレのテレビ放送にテロップで、東京農大選手の無事ゴールを報道。こちらは大いにCS花◎ですよ。明日も応援に行こうと考えている、箱根駅伝オタクのオジサンなのです。
2012.01.02
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明けましておめでとうございます。2012年のスタートの日です。先ずは我が家の正月飾りを。一組の松を門の両側に。輪飾りをかける略式門松。玄関は、今年は小型の注連飾りとしました。そして床の間。三方にのせた鏡餅と橙、うらじろ、ゆずり葉のSET。葉つきの橙は〈繁栄〉、うらじろは〈長寿〉、ゆずり葉は〈家系が絶えない〉の願い。そして神棚。しめ縄〈ごぽうじめ〉を飾り、さかき、お供えの餅を飾って、灯明と御神酒で新年を迎えました。さて毎年、湘南江の島海岸まで妻と初日の出を見に3年連続で出かけいましたが、天気予報によると、今朝は生憎の曇り空ということで諦めて、早朝の地元の神社に初詣に行って来ました。昨年の破魔矢をお焚きあげに。今年は辰年。地元の神社の池の麓には今年の干支『竜』の置物が。干支(えと)とはこの世界の森羅万象を12に区分けしたものですが、5番目にあたる辰は季節でいえば5月にあたり、新緑が勢いよく芽吹いていく季節なのです。このことから、辰年は成長や発展の年だとされています。古書に「辰は震なり」とあり、奮い立つエネルギーの象徴として「吉」を表す架空の動物の「竜」にもなぞらえているのです。そして妻も今年は『年女』。昨年にも増して、下の竜の写真の如く大きく口を開き「奮い立つ」つもりなのでしょうか? 『あな 恐ろしや・・・・・』。お手柔らかに!!身代り不動尊の参道には赤いのぼり旗がたなびいていました。そして帰路にもう一つの神社へ。今年も破魔矢を購入。正月の縁起ものの一つである破魔矢は、「守り」や「魔よけ」の意味があるのです。破魔矢はその名のとおり、魔を破る、という意味から、魔よけの弓矢とも言われており、厄い封じとして使われるのです。神棚の屋根に祀りました。そして我が家の近くの材木屋さんの店の前には、今年も巨大な干支の材木飾りが。『龍』の字が見事に表現されていました。自宅に戻ると朝日が。湘南海岸の初日の出は見られたのでしょうか?今年も健康に留意し、『懸命に走る』のではなく『堅実に歩んで』行きたいと考えています。しかし『昇り竜』の如く成長していく飛躍の年にしたいとも本音は我が身もわきまえず考えているのですが・・・。さらに休日は菜園、養蜂を楽しみながら、海外旅行としては文明の十字路・トルコを予定しています。そして訳あって英国も。今年もいろいろな場所を訪ね、様々な出会いを重ね、『一期一会』の時間を大切に!!
2012.01.01
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