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ヤバスです。 昨晩からの蕁麻疹が引きません。夜寝ていたら前身のかゆみで何度も目が覚めかゆみのある部分にアトピー用の塗り薬ステロイド剤をぬるとある程度治まったのでその後寝ることはできたのですが明け方になるとあちこちの痒みに5時ごろから目が覚めちょいと早いが愛ちゃんの弁当の用意しようかと起きだしてシャワーを浴びに浴室へ行くと「なんじゃこりゃ!?」体のあちらこちらに蚊に刺されたような皮膚の膨れが出来てる!?あ...こりゃ小学生の時頃風邪ひいた時半生のホルモン食ってなったことのある蕁麻疹だ。 記念に写真の収めようかと思いましたが嫁が「気持わりいけ、やめとき」と。 で、ネットで原因と対処法をすぐさま調べたらどうやら食べ物アレルギーらしい昨晩食べたもので日ごろ口にしてないモノといえば...アジのみりん干し。これだ。 ここんとこの寝不足(和志と愛ちゃんの弁当作るのに早起きしてた)と急激な気温上昇による疲労の蓄積のあるところへ青魚に多いアニサキスとやらの寄生虫の死骸(生ではないから)によりヒスタミンが皮膚で大量に放出されたらしい。んで対処法としては1.痒みにはステロイド剤。2.ヒスタミンを抑えるには抗ヒスタミン剤。 両方所持しています♪ 1.は最近皮膚科に行って貰ってきたロコイド軟膏さん2.は今年ヒドカッタ花粉症対策の第2世代抗ヒスタミン薬、アレグラさん。 この2つで昼すぎまでは随分落ち着いていたのですが3時ごろからまた全身にかゆみが発生。 「昼飯の中にも何かあったのか?」と疑いましたが弁当のメニューはここ数カ月ローテーションで決まった内容のため日ごろ口にしないモノが特別に入ることはないので昼からの蕁麻疹はどうやらヒスタミン剤の効果が切れたらしい。 今はまたかゆい部分に軟膏を塗りアレグラ錠をのんで症状の悪化は治まりましたが今現在も全身に蕁麻疹が出た状態。体中がすごいことになっています(T.T) さいわい顔や手のお客様の目につく部分へは症状が出ていないから何とかなりますが今日の練習は...残念ながら止めておいた方がいいみたい...体温の上昇と発汗による塩分の刺激で悪化しやすいって。 ふぉぉぉ...今週1蹴りしかしていないのに 今日は我慢して明日おさまる様子がなかったら月曜日、素直に病院へ行こう。
2013年06月15日
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今考えていることがあります。最近復活したギターそこそこ演奏できるようになった曲を デジカメで動画とってブログにアップしようかと。ただの自己満足ですが(笑)で試しに今デジカメに入っている動画データ拡張子が.movを.AVIにかえてユーチューブにアップしてみたら出来ましたのヌーン。えらそうに教えていますが素人ですから(笑笑)よーーーーし、これで次はギター演奏あっぷするぞ!
2013年06月12日
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今朝、なにげのー和志と嫁さんの朝飯に目玉焼きを焼いていたらびつくり!?黄身が2個アリャりんした!!写真だけ見たら「なに。普通に3つ焼いとんちゃうん」ですが下の並列した2個!!これっす!!!卵割ったら2個出てきたんですよ!!! 37年間生きてきて卵を割ること13,505回。(毎朝1個計算)こんなの初めてですどーでもいい話ですがもったいないから写真の収めてブログに残しました。 これは...まさに...1卵生...ソーセージ...じぇじぇじぇじぇ。
2013年06月10日
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うぅぅぅぅんん。別にこれといった話題もないが久しぶりに日記を書こう。 基本的に歴史オタなわたし。今日は戦国期に起こった行事で有名なのを2つ紹介 一つ目は清水宗治自刃の日。 くぅぅぅぅぅぅううううぅぅ↑マニィィィィィィ↑ ちょうど2日前の1582年6月2日信長さんが本能寺でおっちんでその2日後になんやかんやで備中高松城が落城したんです。 備っ高ってぇと僕の母校高松農高があるあたり。 城址は最上稲荷の大鳥居があるちょいむこうですね。あの周辺の民家の中に宗治さんの首塚と胴塚がありんす。ちなみにその大鳥居の数百メートル最上稲荷にいった右手の岡に秀吉さんが本陣を敷いていたらしいです。太閤の腰かけ石...なぁーんてのもあったと思います。 そして最上稲荷のある山裾に熊本城を建てた加藤の清正公(マニアはせいしょうこうと読む)それと岡山城を築いた宇喜多家の御曹司秀家が陣を敷き 毛利方は庚申山に毛利元就の次男吉川元春。くぁぁぁぁぁぁ...この庚申山、高校時代よく先輩に走り行かされました♪ ちゃんと吉川元春の陣の跡って立て札があります。 さらに庄の地もピーにはなじみ深い日差山。ひーさしーのやまをーあーおぎーみーてー♪って校歌、ナツカシカァァァァァ その日差山には毛利元就の3男、小早川隆景さんが陣を敷いたのです。うぉぉぉ、すげぇぜ...。ちなみにその時代、高松の七牙城として加茂城(山地から足守川を渡ったあたり)やら、日畑城(赤木氏や難波氏がやたら多い所)やら、庭瀬城(僕が木曜日ってる吉備中そばにある焼き肉屋にしきの裏の辺)なーんて庄の人間には馴染み深い地名のお城が太閤記には出てくるてありゃりんす。 さらに地元ついでに僕の実家がある倉敷の西坂その尾根続きの山に福山城址ってのがあって南北朝の争乱期に新田義貞の弟、脇屋義助が足利尊氏の弟、足利直義と戦ってスタコラ逃げ捨てた城があります。太平記に出てきます。 こーやって地元と有名な歴史の史跡を照らし合わせるとナカナカおつなものがありんす。 もう一つ今日の歴史は動いた。一無庵ひょっとこ斎で有名な前田慶次郎利太(けいじろうとします)。彼の亡くなった日でもあります。 ああああっっっっ!!!そーいや先月、和志のカットお願いした時花の慶次、頂いて帰るの忘れてたの思い出したの忘れてた!! ちゃんちゃん♪
2013年06月04日
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