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家康が、九死に一生を得たと、自分でも感じ、周囲のものも愁眉(しゅうび)を開いたのは、それから二日目、いよいよ夏の盛りに入った六月二十八日だった。すでにそのころには、秀吉の関白色は決定的となり、勅使が立つばかりになっていたし、豊臣の新性もすでに選ばれて内々には決まっていた。したがって、家康の死というようなことがあったら、一も二もなく秀吉の矛先は向きを変えて来たに違いない。すでに彼は富山の佐々成政を討つために、万全の備えで兵を整えていたからであった。家康は二十八日はじめて床の上に起き直ると、「わしの病を大坂方では知っているかのう」と、真っ先に数正にただしていった。「知られておりませぬ。その証拠に.....」数正が身を乗りだして、秀吉から、家老二、三人を清洲まで人質に出すように言って来たことを告げてゆくと、「ほう」いかにも不審に耐えぬといった表情で、まだ鉢巻しめたままの首を傾げた。「使者は、富田平右衛門と津田四郎左の両人であったのだな」「はい。両人とも、殿の病気を、はじめから仮病と思い込んでいる様子で。案外あっさりと引き揚げて行きました」「それはまた奇妙じゃ。よし、こなたはすぐに岡崎へ戻っての、お申し出のことは、家康心外に思うと手紙を出してやるがよい」「心外に思う.....と、仰せられますると」「わしが佐々成政を近づけたのは、決して彼に謀反を強いるためではない。天下のために大きく眼を開いて、早く秀吉に降るようにとすすめたのじゃ。その証拠は、秀吉ご自身、富山をお攻めなされてみれば分かること、佐々は、それがしによく説かれているゆえ、さしたる抵抗もなく降るであろうと申し送るのじゃ」「そ.....そ.....それは、真のことでござりまするか」「おう、何で偽(いつわ)りがあろうぞ。また、家康が、根来の残党どもを召抱えたのは、こうした者どもをあちこちに散らしては、またどこかで騒動のもと.....そう思うて、わざわざ我が家に繋いだものじゃ。いずれも秀吉が天下平定の志を助けようための配慮.....それでもなお、重臣両三人の人質を出せと仰せられるか.....家康は、秀吉が心次第にて、天下のためを忘れた動きなど、寸毫(すんごう)もするものではないと申し送ってやれ」数正は、一瞬呆然として病み疲れた家康の顔を仰いだ。生まれて初めての大患で、家康は秀吉との尖(とが)った対立から抜け出し得たというのであろうか.....?数正は自分の身辺に立ち込めた不快な雲が見る間に新風に吹き払われてゆくのを感じた。「天下の平定.....」その時代の目的のために、両雄がもし心から溶けあい得たら、それはもはや、成し遂げられたも同然ではないか。「委細(いさい)、かしこまってござりまする」つい嬉しさが、弾(はず)む答えや動作に出た。家康はそれを柔いだまばたきで見送って、数正が退ってゆくと、すぐ酒井忠次を呼んだ。忠次は、作左衛門以上、今では、徳川家の硬派の主柱であった。***********************************************No.9参考 山岡荘八・徳川家康第十一巻/大患よりつづく最初から読む*この書き込みは営利目的としておりません。個人的に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2008年01月31日
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「お気がつかれましたか殿!」「おびただしく膿が噴き出ました。もはや大丈夫でござりまする」「さすがに長閑どのじゃ。灸の威力、感じ入ってござりまする」三人三方から、浴びせるような歓声であった。眼を開いた家康は、以前とは人が違ったようなたしかな視線で、ゆっくりと室内を見廻しながら、「楽になったぞ」と、もう一度言った。「わしは、自分でも死んだものと思うていたのにのう」「そうじゃ。死んでよみがえられたのかも知れぬ。そうじゃ確かに」作左衛門が昂(たか)ぶった口調で応じてゆくと、「作左.....」と、家康は視線をとめて、「水をくれ。のどが渇いた」「かしこまりました」焼酎で手をふき終わった長閑が、わきから水を口に注いでやると、家康はうまそうに舌を鳴らしてから、「わしは三途(さんず)の川を見てきた」と、ポツリと言った。「岡崎の菅生(すごう)川によく似た川での。何としてもそれを渡らねばならぬような気がした。そこでわしは.....」「お舘さま、そのようなお話なされてもよろしゅうござりまするか」「おお、よいとも、夢からさめたようなよい気持ちじゃ。それでな、わしは着物をかなぐり捨て、一気に泳いで押し渡ろうとした」「ほう、それはまたお元気な」と、作左であった。「ところがうしろから襟(えり)がみをつかまれての」「誰に.....でござりまする」「普賢菩薩(ふげんぼさつ)のシンダラ大将じゃ」「えっ、では寅(とら)の神、殿の守護神じゃ。してシンダラ大将は何と言わっしゃりました」「いやはや、叱られたわ叱られたわ」「ハッハッハ.....これはおかしい。殿が叱られたとよ」「いきなり川辺の礫(こいし)の上に蹴とばされての、こなたはこの川、六文払うて船で渡るを聞かなんだかと言わっしゃる」家康はそういうと、わずかに唇辺(しんぺん)をゆがめて笑った。「船で渡るべきところを泳ぐような無法者ゆえ、おのれは立派な大将にもなれぬのじゃ。なぜ船の来るのを待とうとせぬ。なぜもっと心気を平らげ、忍耐の徳をめざさぬのじゃとなあ.....」「ふーむ」「そして、そのあげくに、おのれのような者はこうしてくれると、いきなり利剣(りけん)をお抜きなされて、わしの胸を突き刺された.....と、思うと急にうしろから呼ぶ者がある。どうやらそれがこなたたちのようであったわ」こんどは誰も返事をしなかった。家康の死に瀕(ひん)した夢というのが、あまりにうまくできすぎている。(あるいはこの殿.....われらを力づけようとして、このようなことを考えていたのでは.....)そう思って、みんなで、そっと顔を見合わせたとき、家康はまた軽い寝息を立てて眠りだした。***********************************************No.8参考 山岡荘八・徳川家康第十一巻/大患よりつづく最初から読む*この書き込みは営利目的としておりません。個人的に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2008年01月30日
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今日も痛いぞ~~~♪ こりゃ相当ひどく打っちゃったね。 筋肉打撲傷って奴かな? まあ、今日も雨でサスガの「水捌け侮りがたし!」な 倉敷西中さんのグラウンドも無理っぽいから 療養ですね。 帰ったら愛ちゃんにこの間の土曜夜 フォースの練習後、倉敷のイーオンでゲットしてきた ”1/144 HG デスティニー”さんでも製作しょうかな・・・ 「お父さん、早く作ってぇヤ」ってうるさいですからね。 自分の物なら、ゆっくり・じっくり・どっぷり作るんですが 今晩あたり完成させてあげましょう。 さっき自分の製作用ガンプラをヤフオクで物色してて ついでにトレシューもチェックしていた(1年くらい前から^^;)んですが ええ感じのを発見しました。 ナイキのナチュラルティエンポ。 だいたいいつもは即決で3980円ってのが相場だったのですが 1980円スタートの2980円即決! ナカナカないぜッ!! ということで無理算段して 2980円即決しました。 送料が一律630円(青森から出品) 手数料198円の総額3808円 う~~ん・・・いい買い物だ♪ これで当分スパイク買わなくてすむぞっと。 倉敷西中はいいグラウンドなのでスパイクも そんなにチビはしないんですが 吉備中と庄小学校はガッチンガッチンっすからね。 これでまた一つお父さんの問題が一つ解決しまいた。(><)ヨカッタ 次は何とかフォースの練習用ジャージを買うぜ!(ガンプラより後回しになっていますから^^;) がんばって来月も売り上げ目標達成すっゾ!
2008年01月29日
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オヒッサーで蹴鞠団へ行って来ました。 先週は天候不順と社員旅行があったので フォースの火・水練習が参加できず ちと運度不足を懸念して急遽ボスのカワッさんに連絡 ちょうど、おーちゃんとこのルーシアと合連だったので 楽しかったです。 私的な内容は、一応”ターン”をテーマにしていたので いい感覚をつかめたと思います。 たまにレベルを下げてじっくり覚えたことを 見直すのもいい練習になりますね。 フォースじゃ、ついていくのでお腹一杯ですから!!(^^;) シュートの方は”ぺナ外からでも少ないタッチ数でドン”ってのを 意識してやったけど、全部外れました~~♪ そんなシュートのために、ここんとこずーっと腹筋鍛えて かなりいい感じでミートできるようにはなっていましたが どうも昨晩はフォロースルーにまで力が入りすぎているのか 上に上に上がってしまう。 もうちょっと”当てるだけ”って、意識しないとイカンカネェ。 それと昨日最後のへでんぐのとき ディフェンダーの人とぶつかって 太股を強打して今日は歩くのもしんどい~。 明日の朝までに痛みがひかなかったら 火曜の練習は無理せず休もうかな~?
2008年01月28日
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背中にマウントされるファンネルラック兼バックパックを作りました。全部で8つのドラグーンがついていますが、劇中ではてっ辺のとんがり帽子みたいなのが、ジブリールさんを焼ききっていたのが印象的です。^^;スラスター系は説明書には赤で塗ってあるみたいなのですが、メタレッドで塗装してみました。ドラグーンを外したところです。基部は腰のサイドアーマーと同じスチロール樹脂製のパーツになっておりパーツ同士の互換性だけで取り付けるようになっていますが、ナカナカしっかりと取り付けられそうな感じでいいです。あと、ドラグーンはこれ1個で1パーツになっており、合わせ目は全然なくランナーから切り離すだけなので簡単に製作できるのでMGストフリのドラグーンのように、これ作るだけでお腹が一杯にならなくってよいですね。これで全て完成です。右肩のZAFTシールはMGフリーダムであまったものを流用し左肩のFAITH(スペルあってっかな?)のシールはMGデスティニーのケツのとこの物を使っています。この二つがつくだけで文句なしにカックイクなりました!リアビューです。各種スラスターも全てメタレッドで塗りなおしました。このレジェンドさん、パーツ同士の互換性だけの間接が多く保持力がよくないかなぁ・・・と思っていましたが「1/100シリーズ」侮りがたし!!!かなりいい感じでプランプランになる気配はなさそう。とうぶん「1/100シリーズ」攻めてみるのもありかな?実は、こんな動きもしちゃったりします。ガンプラルームへ戻る
2008年01月27日
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最近、監督の口からよく聞く言葉 裏をつく動きをするから中でプレーしやすくなり 中でプレーすると今度は裏をつきやすくなる これを意図的にやって流れをつくれ! ってのが、木曜日吉備中の練習をしていて ようやく具体的に見えてきました。 その木曜日、社員旅行から帰ってきて 火・水と練習できなかった分体を動かしておこうと 19時20分ごろから現地に向かったんですが 集まっている人数は僕合わせて5人 40分ごろに少し集まってやっと7人。 僕ら以外にも地元の中学校出身の26才前後の子たちも 同じグラウンドで玉蹴っているのですが その子らも集まりが悪いらしく5人しか来ておらず 「今日は一緒にミニゲしようか・・・」と誘って やっと10人越え。 こっちのチームは主に30前後の東岡工出身 向こうは26前後の光南と東岡工出身 こっちもけっしてレベルは低くないんですが あっちもそんなに飛びぬけている訳じゃないのに ボコボコにされちゃいました。 あれからその負けっぷりが悔しくて 「何で負けたのか」ずいぶん考えました。 で、まず思ったのが、こっちが攻めるとき 全然中盤にスペースがなかった。 パスコース作るのに顔を出しても 必ずすぐにプレスをかけられて振り向けもしない 最初は味方の最終ラインからボールが出た後 出した人間が出しッパで 5人しかいないのに出すとこがなく結局また最終ラインへ返し それを左右にまわしているだけ。 出した人間も動かなきゃいけないんじゃネエかと思っていました。 で相手は中盤にボールが入るとスススっと縦横に人間が動いて フリーでワイドなサイド、もしくは僕らのディフェンスの裏へ走らせる アーリーな裏パス。 そりゃボコボコにされるわってゲーム内容でした。 あの僕らがボールまわしていて「なんかおかしいぞ、やられそーだぞこれは」って 思ったときに、出してが動くというのは持ちの論なんですが 僕みたい、前線にいる人間がもそっと 意図的に裏をついて中をこじ開ける。 そして中で簡単にプレーできるスペースを作ってあげる。 おおおおっっっ! ジョゼさんがよく言っているヤツではないか・・・と 今さらながらに気づいてきました。 ということで 今までは練習で漠然と中に顔を出したり 裏をつく準備をしたりしていましたが これからはもうちょっとこの ”ゲームの流れ(一部だけど)を意図的に作ることの出来る動き” まあ、もちろん僕一人ではトータル面で出来ませんが(パッサーとの関係もありますから^^;) それが分かっていてする、裏をついたり中へ顔を出す動きは 私的には雲泥だと思うから 今後の練習・・・やや・・・ミニゲか・・・そん中で意識的に考えてやろうと 今さらながら考え出しました。 やっぱりウットコの監督はスゲェえゼ!!!
2008年01月26日
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あっという間の2連休 ロケットのような温泉旅行でした。 今回の旅館は、初めて三朝に行ったとき泊まった旅館 ”岩崎”さんだったのですが あの時はカニバスツアーに便乗して カニの食べまくりだったのですが どうもその時のカニがパサパサしてヤスッボかったということで 去年はカニ会席の8000円増しコースを違う旅館でチョイスし それもはっきり言って最初食ったカニとあんまかわんねーゾって 今年はカニコース関係なしの普通に宿泊コースで 旅行代理店にお願いしたんですが 今年は近年で一番おいしかったっす(T^T) 同じ旅館を2度目って言うのもあり 対応もよかったし♪ 来年から同じ旅館で毎年お世話になって 馴染みになるのもいいかもねって話になりました。 帰りに三朝からさらに北上、 国道9号線に出て東郷湖北にある道の駅 ”はわい”さんでお土産(カニ)を買って帰る予定だったのですが 9時半現地に到着し、 去年来た時はその時間カニがわんさと陳列してあったのに 今年はスッカラカン。 話を聞いてみると天候のためか商品が届いてないって。 10時にならないと到着しないとのこと。 僕は嫁さんと和志と愛とゃんにお菓子のお土産かって 一人で展望台みたいなところへ行き 日本海と東郷湖が見渡せる景色を眺め 「おっ!この風景を写真にとってブログのネタだ!」 と、携帯をとりに来る前帰り また展望台へのぼろうと外へ出ると 突然天候が悪化。 まあ、朝から日本海側に雷雲のような真っ黒い雲があって 車の中から「あの雲ヤバそうなね」って話してたんですが その雲がとうとう山陰道へ到達したのか ものすごい風とヒョウやら雪やらわかんないのが降ってきて 「ヤバイ!帰りの高速が帰れんようになる!」ってことで 風景を写真に撮るような状況でもなく(視界数百メートルってとこ?) 急いで在庫のカニを分けて頂き車へダッシュ 安全運転で岡山方面へ大急ぎ。 途中関金温泉あたりまでは道路に雪は積もってなかったのですが そこらあたりからは別世界、まさしく白銀の世界っす まるでスキー場へ向かうような景色で 思わず撮ったのが 怖かったぁぁぁぁっっっっ(運転してないけど^^;) こんなこともあろうかとスタッドレス・・・は履いておらず 一応この時期はとチェーンを携行していたので無事でした。 ちょうどこのころフォースの卓也君から 市民大会登録のため住所教えてってメールがあったので ついでにこの写真を添付して送ったら 返ってきた返事が 「遠足は帰るまでが遠足です」 って。 気をつけて帰って来てってことだったのかな?? 昔、遠足の帰りによく先生が言っていたその台詞を思い出し ふき出したぜッ!!!(笑) で、その後も大雪は久世のあたりまで続き 最後にビッグなイベントを堪能しました。^^ スキーやっててもあれだけの降雪は 近年ナカナカお目にかかれませんからね。 岡山についてから平和な別世界におどろきました次第です。
2008年01月25日
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昨日はよく飲みました( ̄―+ ̄)ニヤリ これが今朝の朝飯です。 これ食ってちりとてちん見たら帰ります。 じゃまた!(≧Д≦)ゞ
2008年01月24日
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毎年恒例の社員旅行です。 今年も去年に続いて三朝温泉へ来てます。(*^_^*) 通算三回目。 今日はこれから温泉に浸って蟹を食べて正月から、初売りの疲れを癒そうと思います。 ってか、携帯からブログ更新やりにくいで~~
2008年01月23日
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おととせの年始から去年の年末まで 酒に酔うこと365日。 は、冗談ですが^^ 年末年始で少しのみ過ぎ癖が出てきていたので 昨日は休肝日にしました。 最近子供にも言われていましたから 「父さん、あんまりお酒ばぁ飲みょーったら”きっとくる”なるで!」 って。 その”きっと来る”ってのはビートたけしがやってた番組の 健康問題の奴。(タイトル忘れました) それでリングの貞子のバックテーマ きっと来る♪きっと来る♪ ってのを、うちの子は好きでして 悪い病気になるって言うのを”きっと来るになる”と表現します。 とまあ、そんな感じで昨日は一滴もアルコールは摂取せなんだのですが しょっちゅう飲んでいるとナカナカ飲まない日というのが 意識しないと作れないんですね。 おかげさまで今日はすこぶる気分がいい♪ この調子で今晩も休肝日にしようかな。 明日は会社の温泉旅行で 飲みまくりますからッ!!!
2008年01月22日
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僕たちは~迷いながら~たどりつく場所をさがし続け~♪かなしくて~涙流しても~いつか輝き~に変~えて~♪うぉぉぉぉっ!だいぶ間があいちゃったぞ!!??本当はもう完成しちゃっていますが、後世のためにアップしていきたいと思います。レジェンドさんの顔を製作しました。プロヴィデンスの後継機だけあって、青いマスクがそれを匂わせていますね。いい感じだ!顔を胴体に乗っけました。この状態だと、ずいぶんズングリムックリに見えちゃうのは気のせいかな?腕からマニュピレーターを作りました。可動範囲は肘の二重関節のおかげで申し分はございません。ちなみに僕はデスタネさんと同様の手首にあるビームシールド発生器、このデザインが大好きです。マニュピレーターです。もっと角カクなHGUCギャプランさんのようなものを想像していたのですが、はっきり言ってハイデテールです。素敵です。ただし、武器の持ったり外したりは掌を分割して外さないといけないのでメンドイです。胴体に取り付けました。これで正真正銘、レジェンドさんです。どうやらショルダーアーマーが尖っているのがSEED系MSの特徴ですね。ちなみにそのショルダーアーマーは、腕の付け根部分からプラッチックの互換性のみで可動となっているのでプランプランになっていくのは避けがたいようですな。後姿です。次はバックパックを製作する前にモチベーションの低下を防ぐため、武器を作りました。こいつを最後に回すと「たいぎ~」くなりますからね。白い部分はシールで再現となっていますが、見た目には全然オッケーなんで塗装せず、シールでいきました。武装の装着~~♪劇中ではもうちょっとビームライフルが大きかったような気がしましたが、これは大きいより長い感じっすね。最初から読んでみる
2008年01月21日
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「長松丸君を、お呼びせぬでもよいであろうか」正信が、また、そっと額に手をふれてみてつぶやいた。「まるで火のようじゃ。さっきよりもぐんと熱があがっておわす」しかし、それに答える者もなく、時は刻々にすぎていった。もはや息苦しさは通りこして、奇跡を待つ六つの瞳が全気力を家康の回復に注いでゆく、張りさけそうな緊張感の連続であった。「さて、二刻(ふたとき)になりますな」次の間から再び長閑が入って来たとき、人々ははじめてホッと息をした。長い時間には思えたが、二刻(四時間)も経っていようとは誰も思っていなかった。「もうそのように経ちましたか」正信がびっくりしたように答えたとき、長閑は静かに家康の額に掌をふれ、それからすぐに脈をとった。「眠っておわす。心地よげに」「なに、眠っていると?」「脈もずっと整うて参りましたし、熱も下がりかけました」「そ.....そ.....それは本当か?」作左衛門が頓狂(とんきょう)な声を上げて、自分で自分をたしなめた。「バカめッ。糟谷が嘘を言うものか。おう、熱が下がった!」「お静かに。そっと灸のあとを拝見いたしまする。やはりお舘さまは、ご運強うわたらせまするようで」言いながら、また胸から薄い夜具をのけ、黒くなって盛り立っている灸のあとへ、掌をふれたと思った瞬間だった。サッと空間に赤白い線が走り、手をかけた長閑が、「あ!」と叫んで首を縮めた。えりもとから首筋へ、空間へ延びたおびただしい血膿(ちうみ)が、パッといちどに散りかかったのだ。「おお!口ができましたぞ」「なに、口があいたと」「ご覧のとおり」長閑が再び両手を家康の胸に当てるとシューッとまた、噴水のようにあたりいっぱいに膿が噴き出した。「お小姓どの、用意の品をこれへ」長閑は鬢(びん)から顔へ飛びかかった汚物をも忘れたように、甲高い奇声をあげて松丸を呼んだ。「かしこまりました」松丸が、白布と焼酎の瓶(びん)をのせた盆をささげて入って来ると、長閑は勢いよく、羽織をうしろへ投げ、単衣(ひとえ)の腕を高々とめくって、家康の体へいどみかかった。家康がうーむと低い呻きをあげだしたのはそれからで、しばらくは、患部を圧する長閑と、血膿と呻きの格闘であった。これは決して奇蹟ではなく、ある年齢に達して細胞に変化を来たした肉体の腫物が、適宜な療法によって病毒のはけ口を発見したのに過ぎなかろう。しかし居合わせた三人は、それは地上で最大の奇蹟と見えた。全てが大自然の造化の神の、人間翻弄(ほんろう)の相とも見え、また訓戒とも受け取れた。「楽になったぞ.....」パッチリと眼を開いた家康が、三人の顔を交互に見やって、意外なほどハッキリと話しかけてきたのは、それからまた小半刻ほど経ってからであった。***********************************************No.7参考 山岡荘八・徳川家康第十一巻/大患よりつづく最初から読む*この書き込みは営利目的としておりません。個人的に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2008年01月20日
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「お静かに」と、さえぎってまた長閑はもぐさをつぐ。こうなると、もはや、誰もものの言い得る者はなかった。生命のもつ、儚(はかな)さと神秘さとが今さらのようにみんなの胸をしめつけた。健康なときにはほとんど「ある」とも思えぬ生命が、消えかけているとなると無限大の圧力で、各自の心を圧迫し続ける。それは戦場で考える「生命」とはまったく違ったものであった。戦場では白刃をかざして踏み出す瞬間、生も死も、嘘のように重量感を減じていく。文字通り生死は羽毛(うもう)の軽さとなり、あるものはただはげしい闘争心だけになるのであったが、病床で見るそれは地殻に貼りついて剥ぎとれぬ巨石か巨木のようであった。いや、あるいはもっと深く大地の中心に根を繋がれた不可思議な重さに見えた。石川数正は、四つ目の灸が赤い火団に変わるころから、とうとう眼を閉じて一心に唱名(しょうみょう)をはじめていた。彼は、誰彼の差別なく「死」は必ずあるものと悟ってから、自分の立場の苦しさが、嘘のように減じてきていた。言葉を変えていえば、どのような人間もやがては「死」という、同じ刑罰を約束された、運命的には同質なものだ.....そう思うことで、救われていたのだが、しかしその「死」が秀吉よりも若く、秀吉よりもはるかに頑健に見えた家康を、このような病気で拉(らつ)し去ろうとは想像もしていなかった。これでは公平のように見えても、少しも公平ではないのではないか.....?秀吉に、関白の宣下(せんげ)が待ち受けているとき、家康に死の宣下があろうとは.....「南無阿弥陀仏.....南無阿弥陀仏.....」重苦しい沈黙の底で、弥陀の姿を瞼にえがき、一心に妄想をおしのけようとしているときに、「終わりました」と、長閑の声であった。ハッとして眼を開くと、「ご臨終かッ!?」「いいえ、まだ分かりませぬ。灸が終わりました。私はしばらく次の間にさがっておりまする」「ご苦労」作左衛門はカーッと大きく眼を開いたまま、「呻きが止まった。いま、殿の守護神たちと、死に神とが、はげしく組み合っているところじゃ」とつぶやいた。しかし誰もそれに答える者はない。そういえばいつからか家康の重苦しい呻きは止まって、あるかなきかの弱々しい呼吸だけになっている。本多正信がそっと鼻腔の上に掌をかざしてみたのは、それがそのまま停止するのではないかと気遣われたからに違いない。「ある.....たしかに息は.....」それなり三人は押し黙って、むっつりとまたむくんだ家康の顔に見入った。灸によって楽になったのか。それとも末細りに昏睡のまま事切れていくというのか?それはもはや誰にも分からず、どうにも手の届かぬ人事のほかのことに思えた。小姓が足音を殺して燭台を運んで来た。日はもうとっぷりと暮れてしまっている。***********************************************No.6参考 山岡荘八・徳川家康第十一巻/大患よりつづく山岡荘八的お部屋へ戻る*この書き込みは営利目的としておりません。個人的に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2008年01月19日
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只今、我が家で・・・というか 愛ちゃんと僕の中でガンダムSEED旋風が吹き荒れており EDとOPテーマ曲を網羅したガンダムSEEDコンプリートベスト 先日、近所のゲオさんで借りてきてCDに焼きこみ 家と車の中で聞きまくっているのですが こうなってくるとSEEDデスティニーのコンプリートベストも欲しくなり ヤフオクでゲットしていたつもりだったのです がッ 届いたのはもうすでにもっている SEEDのコンプリートベストだった!(しかもスゲー美品) 間違えて落札しちまったよ~~~(号泣) なんてこった凹。 こうなりゃ持っていてもしょうがないので 転売するしかないね。 はぁぁ・・・めんどくせ。
2008年01月18日
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昨晩は、僕の実家の父さん母さんと我が家の面々で 近所に新しく出来た、回転寿司の”くら寿司”さんへ食べに行きました。 うちの母さん、同じ業種の回転寿司”すし丸”にお勤めなんですが 嫁さんが最近、岡山のローカルテレビにでていた”くら寿司”さんをみて うちの母と「食べに行こう」という話になったらしく 母さんはもうすでに開店当初食べに行き 画期的なシステムだと言っていました。 で、言ってみるとなるほど、食べたいものを注文するのに いちいち店員に声をかけなくて、テーブル横にある画面を PCみたく、選択・注文・キャンセルってな感じで お気軽に出来るんですね。 食べたお皿はテーブルに重ねていくのではなく 注文画面下にあるお皿排出口みたいなトコに入れていくと 画面端っこに只今何枚食べてます、みたいにカウントされていくというものでした。 で、そのお皿を入れるたびに当たりハズレが画面に出て 当たったら開店レーン上にある、昔で言う”ガチャガチャ”、 その中から”くら寿司グッズ”が出てきて子供も大人も遊び心満天。 あーやって消費枚数増やしていくモチベを増加させるんですね。 うまいもんです。 結局、全員6人で食べた枚数が58枚 あたりが出たのは 1回ポッキリでした~~♪ 1個しかないということは お兄ちゃんの和志が独占してしまい 愛ちゃんがふてくされてしまいました。^^; これも上手いように入り口にこー言った状況をフォローするためか 1回100円のガチャガチャがあり 愛ちゃんにガチャガチャで我慢してもらおうと100円入れてみると ナカナカ入んない。 おかしいぞ?とよく機械を見てみると [調整中] 「しゃーないわ。愛ちゃんガマンしぃや」と僕は歩き出し 後ろを振り向いて愛ちゃんを見てみると どっかで見た事のあるゴッチィ系でミラニスタなジャージを着た男が 残念がっている愛ちゃんに”くら寿司グッズ”をあげていました。 「だれだろう??」とよく見ると フォース・柔道科のはーらだ君じゃないっすか!!?? 「うぉッ!原田君来てたのか!」って声かけると 「いや、最初から愛ちゃん見て(一時期、愛ちゃんボール拾いしてました)じんさん来ているの気づいてたんですが ご家族で来られとるから声かけちゃマズイかなぁって」 おおっ!サスガ武道家!発想がじぇんとりめんダゼ! で、くら寿司のオマケについて少し語り 「このオマケなかなか当たらんよね。ウチは58皿で1個のみよ!」 っていうと原田君は 「いやぁ。僕も友達と2人で50皿中1個だけっすよ!」 って、2人で50皿・・・?? 食い過ぎじゃい!!!! 多分、俺の予想では 原田君のお友達もゴッツイ系と拝見したから 原田君30皿、お友達20皿ってところか・・・ 熱いぜ!原田君! そして、ありがとう!愛ちゃん喜んでたよ!
2008年01月17日
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昨日、すっげー蹴りたかったけど 勉強会だったのでガマンしたから 今晩は練習が楽しみだ。 明日はお休みだから明日のこと考えず思いっきり動くぞっと。 今日はちっちゃいコートのミニゲだから ディフェンス重視だな・・・ さっそく今日は土曜日の反省をかねて ”抜かれないディフェンス”をテーマにしよう。 攻撃に関しては”ターンの為の動き”、これは私にゃ難しいけど これでいこう。 監督の息子さん来るかな♪ ダイゴ君は周りを使うのが上手だから 勉強になるしやりやすい。 はりきってイコ。
2008年01月16日
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ということで今日は ちょ~ねみぃ~~~ 隔週ペースで行われる 神田昌典の”えもーしょなるまーけてんぐ”について勉強会。 去年から営業を始めるといっていた友達のE君を 「営業すんならうっとこの勉強会で時々営業の話するからおいでよ」 と、さそってあげ、せっせと参加しているE。 んがッ、しかしッ! 30過ぎて失職すること2回目 妻子がいるというのに・・・大丈夫か!? 勉強会でも(きっと俺のブログ読んでないと思うから書くけど)、 「分かったんですよ!営業がこーだってことが!」 と、その分かった理論を自信満々で話すんですが 理解するのはいい・・・ でも 自分の考えが正しいと思っているから 他人の言葉が真摯に受け取れない。 考えているだけで足を動かしていないから (本人は動かしているつもりらしいけど・・・) 足跡(結果)が残らないということに気づいていない。 サッカーでも彼はそう。 自分の理論が正しいと思って、人の話を聞いているようで まったく聞いていない。 頭ばかり動かしてその実 足がじぇんじぇん動いていない。 まあ、僕にも20代の前半 周りの人間がバカに見えて仕方がない時期がありましたが 30越えて今は、自分がいかに愚かで力のない男かってのに気づき やっと他人の意見・考え方ってのが分かるようになってきたんですが 他人の意見を聞くことが 自分に妥協することではないってことに気づかなきゃ。 彼もせめてそこに到達しないと この先苦労するぜ(読んでいないことを祈ろう^^) 。 きっと、おーちゃんあたりはこれ読んだら「まったくだ」と 声に出すだろうな。ハハハ が、他人のふり見て我がふりなおせ! 僕も自己中心的な考え・発言を嫁さんあたりにしているような気が・・・ ここらで姿勢を正しておこう。 ともかく 妻子のために 自分のためにも 人生がんばれEよ。日本の未来は明るいゼヨ!
2008年01月16日
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「ではなあ糟谷、思うままにやってみてくれ」作左衛門は、わざとらしくハハハ.....と笑った。「殿がこのまま病に負ける.....そんなことがあるものか。病の根をいっぺんに叩き出せ」しかしその言葉とは反対に、作左衛門の額にも、ギラギラと不安の膏が浮き出している。内心では数正以上に、(あるいは死期が.....?)と、案じているのに違いない。長閑は、作左衛門の言葉などに頓着(とんじゃく)なく、きびしい表情で寄って来て、そっと家康の額に掌(てのひら)をふれ、それから脈を取り出した。「どうじゃ糟谷、脈は大丈夫であろうが」長閑は答える代わりにいよいよ眉間の縦ジワを濃くして首を傾けた。脈搏が停滞しだしている。(だから言わぬこどではない。もっと早く、わしの言うことを聞けばよいのに.....)彼がちらりと険しい眼をあげて三人を見廻したとき、三人はその視線から期せずして、事態の悪化を感じとった。。「手遅れでもよい。やってくれ」と、作左。「殿!殿!長閑どのが見えました」と、正信であった。しかし家康は眼を開かなかった。かすかに呻きが返事になったようであったが、そのまままた小刻みの呼吸になった。糟谷長閑は、そっと夜具をのけて晴れ上がった家康の胸をひらいた。乳のあたりはもう真っ赤になってブヨブヨと浮いている。「どうじゃ糟谷.....」長閑は答えずもぐさを取って、赤く腫れた患部の壺(つぼ)を探ってそれを盛り上げた。ひとつまみ指先でのせていって、さらにまた、その倍量も押し加えた。「そのように大きなものを.....」正信が小声で言うと、「シーッ」と、長閑はさえぎって、それから太い線香に火を移した。数正と作左衛門とは硬く拳を立てて固唾(かたず)をのんでいる。あたりが急に暗くなったのは西の山脈(やまなみ)のかげに陽がおちたからであった。「お舘さま!」もぐさに火を点ずる前に、長閑は一度家康に呼びかけて、「ご返事がない。あるいは意識が.....」そうつぶやいてからそっと火を点じて、微風を扇でかこっていった。すーっと青い煙が暮色の中にのび、見る間に、皮膚が焼けだした。パチ、パチパチッと、大きな音がしたとき家康の体はピクリと一つ波打ったが、熱いという言葉はついに口から洩れなかった。一つが終わると灰を指先でそのまま押し付け、さらに第二の火が点ぜられた。今度も前回以上に大きく、パチパチと火のはぜる音がして、燃えてゆくもぐさが、そのまま赤いぐみの実のように眼に映った。「殿!殿!」全然体が動かないので、作左衛門はあえぐような声で呼びかけ、長閑は、イライラとまた三つ目のもぐさを取って丸めだした。***********************************************No.5参考 山岡荘八・徳川家康第十一巻/大患よりつづく最初から読む*この書き込みは営利目的としておりません。個人的に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2008年01月15日
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この2日ほど考えてましたが 土曜日の練習、ミニゲームの中で K君が左サイド深い位置からセンターリング 僕はその前の練習でウェーブして受ける位置を ”よりゴールに対して視野が広くとれるファーに入るイメージ ” ってのに修正してこの日は練習していましたが ファーサイドよりに入ってセンターリングを待っていると K君のセンターリング失敗。もちろんディと競り合いながらの むずかしいセンターリングでしたが そしたら僕に「ニアかファーのアクションを起こして」って ??? オイラはファーサイドからニアでもファーでも受けられる位置で ニア側にディフェンス1人ファーにスペース アクション起こさなくても分かると思うし オイラはどちらでも受けられる準備をしてる しかもセンターリング挙げられなかった理由が俺のせいな言い方。 納得いかねぇゼ!K君よ! ちょいと愚痴っぽいけど。 あとディフェンスに関して フォースのやろうとしているサッカーはオフェンスも参加型の トータルディフェンスなサッカーと認識していますが 前線で私が突っかかり気味なディをしていて注意されるのは 仕方がない・・・ってか、只今中切るとこか立て切るトコなのか 指示に従って動くのを練習中。 でも中盤、centerを少し越えたあたりで 相手にドリブルされていて ディフェンスの枚数はしっかりある 僕とそのドリブラーとの距離は体を合わせられる距離 で、僕はこれ以上この位置でドリさせちゃいけないと思って 突っかかると「そこは取りに行かなくていい!」とK君。 ??? ここの位置で枚数あるのにストッピングだけ?? 僕の認識ではこの位置で運ばれるとフィニッシュに行かれる危険な位置 と思って枚数あるし、やらせちゃまずいぞと突っかけたのに。(もっとも、結局ぬかれちゃったショボイ僕ですが^^;) ガツッと取りにいくとボールが奪えなくても 相手がプレッシャー負けしてパスミスすることもあるし 2列目が連携して動くと、無駄なプレスが無駄になくなると思うんだけどな・・・
2008年01月14日
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「おう、殿はおめざめなされてござりましたか」「う.....」家康はかすかに首を動かして作左衛門に答えた。薄紫の皮膚にべっとりと脂汗が浮き上がって、吐く息が切ないまでに小刻みになっている。「暑い.....ばかなことじゃ」「は?何と言われましたので」今度は数正が眼を丸くして家康の顔をのぞき込んだ。自信満々の家康の口から、このような弱々しい反省じみた言葉を聞こうとは思いもよらなかった。それだけに、病の重さが胸に突き立つ刃物になった。「殿!お心丈夫に持たせられませ」「う.....人間の生涯には、大切な、大切な危機が三度はあるもの」「三度.....でござりまするか」「そうじゃ。子供から大人になるころの、無分別な色情.....それから、壮年期の血気に任せた闘争心。それで終わりじゃと思うていたら、もう一つあったわ、不惑(ふわく)を超えて、自分はもう完成したと思う慢心.....」作左は舌打ちした。そのようなくり言を聞いたとて、何になろうぞといったはげしい舌打ちであった。「殿!長閑を呼んで灸を据えさせまするぞ」「おう、そうしてくれ。秀吉が.....秀吉が.....関白になろうというときに、この家康は病に倒れる.....これは神仏の警告じゃわい。遠慮はいらぬぞ。ここで死ぬ奴ならば、御心(みこころ)にかなわぬ痴れ者じゃ」「お舘さま!」「正信は黙っておれ。作左、呼べ」そう言ったあとで、家康は、何を思ったのか数正を見返って、「こなたには済まなんだの。わしの慢心から、苦しめおったわ」数正はぐっと胸へこみ上げるものを覚えて、あわてて脇を向いていった。作左衛門は、家康が、それなりまた眼を閉じて、低くうなりだしたのを見定めてから立ち上がった。(これは死ぬかも知れぬ.....)呻(うめ)き声にめっきり力がなくなって、瞼の晴れがきわだって目立ってきた。手だけではなくて、足の甲までむくんで来ている。「殿のお許しが出たのじゃから、灸を試みるよりほかにあるまい」まだ正信が、険しい表情で、家康の顔をのぞきこんでいるので、なぐさめるように数正はいった。「いかがであろう。灸を据える前に、長松丸君をお呼びなされては」数正は首を振った。「それでは殿のご気力が、いよいよ衰えさせられようでな.....」万一聞いている場合のことを考えて、白扇をあて耳元にささやいた。作左衛門が、糟谷長閑と、もぐさと線香を盆に入れてささげた小姓の松丸を伴って戻って来た。いつか陽射しは傾いて、湖面を渡る涼風が爽やかに室内へ流れ込みだしたが、断続的にうめき続ける家康の、額の汗は一向に引こうとしなかった。おそらく全身で痛みをこらえているのに違いない.....***********************************************No.4参考 山岡荘八・徳川家康第十一巻/大患よりつづく最初から読んでみる*この書き込みは営利目的としておりません。個人的に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2008年01月13日
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「荒療治をのう.....」「そうだ荒療治を」数正と作左衛門が眼を見合わせると、正信があわてて首を横に振った。「それは、今しばらく見合わせていただきたい」「ほう、なぜじゃな」「万一のことが.....」と言って正信は、家康の眠っているのを確かめてから、「それをおやりなさるならば、その前に、もし万一の場合のこと、よくご相談なされてからのことに願いたい」「なるほどそれもある」と、数正だった。「於義丸様は大坂にあり、長松丸君は、まだあのようにご若年(じゃくねん)だからのう」「フン」と、作左は半ばあざ笑うように言った。「当主の若年など今さらおどろくことか」「これはおかしなことを言わっしゃる、いまお舘さまに万一のことがあっては.....」正信がまた意気込んで言いかけると、「黙らっしゃい!」作左衛門は叱りつけた。「先代広忠公のお亡くなりなされたとき、殿はたった八歳だった。しかも織田家という敵の手中にあったのだが、家中一統心を合わせて、この栄を築いている。重臣というものは、いつでも殿の死ぐらいは考慮に入れてあるべきものだ」「では、どうあっても荒療治を.....」「そうじゃ。なあ数正、やって見ようか」彼らが荒療治と言うのは、もと武田家にあった糟谷政利入道長閑(かすやまさとしにゅうどうちょうかん)という医事に心得のある者が、「.....これは思いきって大きな灸(きゅう)を据えましては」と申し出ていることであった。このことは真っ先に侍医たちは反対した。全身が腫脹(しゅちょう)のために火のようになっている。そこへまた大きな灸など据えていったら、その発熱が加わって、衰弱している心臓は耐え得るものではないというのであった。ところが作左衛門は反対だった。「.....殿の心臓はな、並みの者とは出来が違うている。今度の病気にしても、これはいわば、天下を取らそうか、それともここらで病に負けて死ぬ奴か、お試しなされておわすのじゃ。ほかに手段がないとなったら、長閑の思うままにさせるが道じゃ」長閑は大きな灸で腫れ物の皮膚を焼ききり、そこから膿の出口を作ろうというのであった。ただ、あちこちと皮膚を刃物で切り裂いてみても、いっこう口らしい口が付かぬ。これは灸で外から焼くことによって、中の病巣に刺激を与え、内から病毒の噴出すように仕向けるのだと説明している。しかし、それは、いままで採用を見合わせられていたことなのだ。「どうだ。長閑を呼んで来ようか」「しかし.....それならば、それで、お舘さま、お眼ざめのおりに、一度よくお考えをおただしなさるが.....」正信が、もう一度言いかけたとき、眠っていると思った家康の口がかすかに動いた。「作左、運だめしじゃ。長閑に、でっかい灸をさせて見てく」薄く眼は開いていたが、その視線は腫れた瞼(まぶた)の奥で、焦点の定まらぬ、切ないほどに淡くうるんだものであった。***********************************************No.3参考 山岡荘八・徳川家康第十一巻/大患よりつづく山岡荘八的お部屋へ戻る*この書き込みは営利目的としておりません。個人的に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2008年01月12日
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ですてに~さんも完成してやることがなくなってしまった・・・と思ったらこいつをヤフオクでゲット出来ました。ストライクフリーダム・・・デスティニー・・・と来たら次はこれ、作らないとヤバイッショ!キラ・ヤマト・・・お前の存在だけは・・・許さない!分かるだろう?お前には。…俺は、ラウ・ル・クルーゼだ!はいッ!ってことでレイ・ザ・バレルさん搭乗のZGMF-X666Sレジェンドです♪本当はさきにクルーゼ隊長のプロヴィデンスが作りたかったんですが12/19バンダイさん静岡工場発送したはずのソレが僕が行きつけてるイーオンさんには見つかりませんでした・・・ガックリまあ、気を取り直して初のマスターグレードではない1/100シリーズ、堪能したいと思います。まずはレイによって例の如く足からくみ上げていきます。僕の認識では1/100はスタイル・・・イマイチ、色分け・・・イマイチ、モールト・・・ナッシング、可動範囲・・・イマイチってところでしたが、色分けはマスターグレード程でないにしろ、ナカナカの優れものっぽいようです。可動はサスガに足の真ん中でつま先立ちできる機構はないみたいです。足裏のモールトはかなり細かく彫ってあり、墨入れのやりがいは十分です。内部のフレームは再現されていないので1/100のHGUCと言ったところでしょうかね。足の付け根まで一気に組み上げられました。膝の可動範囲はオヤオヤ、思った以上に動きそうです。最近のMGやHGUCと違って間接にABS樹脂パーツを使わずポリキャップばっかの使用になっていますが、間接保持力はナカナカよさげな感じです。「やるなぁ!ぶらいとぉぉっ!!」あと、このレジェンドさんは脛の横のところに、ビームサーベルのラックが開閉する機構がついています。ここもパーツの互換性だけで保持するシンプルな作りなのですが、ナカナカしっかりしていそうです。いいぞ!1/100シリーズ!!想像以上の内容だぞ!!!ウエスト周りの製作をしました。サイドアーマーがUCシリーズで言うとこの"ファンネル"、SEEDの世界では"ドラグーン"というものがマウントされています。説明書を見たら、ドラグーン基部のパーツが柔らかいスチロール樹脂製とかいてあり、ABS樹脂製とは違うのかな?でもナカナカもってドラグーンとの互換性は良好です。ここまで作ってみて感想は、色分け・・・はっきり言ってグッド!可動範囲・・・ソコソコでポージングに影響はなさそう。スタイル・・・ここまでみてるとカックイイ(もともとカックイイから購入したのですがf^^;)。モールト・・・は、HGUC以上!と、想像以上の内容です。内部フレームはないですが、まだMG化されていないキットは作ってみてもいいような気がしますね。次はアスラン系のMS行くかぁぁぁぁっ!ウエスト周り、リアビューです。残念ながら、リアアーマーは可動不可になっておりまったく動きません。でも足の可動の邪魔にはならないので手間がかからない分、これはこれでありかな?ボディ・バストのユニットを作りました。腰とボディの付け根でしか可動は出来ないので、ここらの可動はHGUC並ですが、色分けはすばらしいです。完璧!でも、一番残念なのはコクピットハッチが開閉できないところですかね。お父さんはここが一番大好きなのですが・・・やはりこのキットもMG化してほしいものです。ガンプラルームへ戻る
2008年01月11日
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MOBILE SUIT ZGMF-X42SDESTINY GUNDAMZ.A.F.T MOBILE SUIT ZGMF-X42Sザフト製新型モビルスーツ ZGMF-X42S「デスティニーガンダム」1/100スケール マスターグレードモデル本機は、プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルの指令により開発された機体である。当初の開発コンセプトは、ZGMF-X45Sインパルスがシルエット交換によってなし得ていた多様性を一機の中に集約することであった。そのため開発はインパルスをベースとして、フォース、ソード、ブラストの各シルエットを統合した「デスティニーシルエット」の形で開発された。完成したZGMF-X56S/βデスティニーインパルスは4機が試作されたが、運用データからインパルスをベースとするより、ゼロから新規設計した方がより高性能機になるとの判断が下され、開発はまったく新しい機体であるZGMF-X42Sデスティニーへとシフトする。新たなスタートを切ったデスティニーの開発では、開発指令を発した議長から「最高の技術を全て盛り込む」ことが求められた。これはユニウス条約によって禁止された各種技術の搭載をも意味していた。結果、完成したデスティニーは、核エンジンとハイパーデュートリオンによるハイブリッドシステムを搭載し、さらにミラージュコロイドステルス技術を搭載した光学残像を形成する分身機構をも持っていた。加えて、非軍事組織であるDSSD(深宇宙探査開発機構)が独自開発したGSX401FWスターゲイザーに搭載されたヴォワチュール・リュミエールの技術をも転用。背中のウイングから光の翼が出現する、独自の推進システムの構築に成功している。開発陣は、これら既存の技術の発展転用だけでなく、掌部にビーム砲を搭載するなど、他の機体には見られない独自システムも多数搭載している。これらは、「モビルスーツによる戦闘運用の新たな創造」であり、デスティニーはそれまでの機体とはまったく違う戦闘をも可能とする機体となった。なお、デスティニーの型式番号には、ユニウス条約違反である核エンジンの搭載を示す「A」は故意に削除され、代わりにセカンドステージを示す「S」が付け加えられている。しかしながら、本機はセカンドステージの機体とは一線を画す性能を持ち、政治的配慮を考えず、純粋に性能で判断するならサードステージかそれ以上のハイステージに属する機体である。完成した機体は、ミネルバ所属のエースパイロット、シン・アスカに引き渡される。機体の引渡しは議長自らが行った。これは異例のことであり、議長がデスティニーとそのパイロットであるシン・アスカに高い期待を持っていたことの現われといえるだろう。なお、引渡し前には、それまでのシン・アスカの各種戦闘データを参考に機体への大掛かりな再調整、微改造も行われている。この結果、本機は専属パイロットであるシン・アスカが登場した時にこそ、最強の真価が発揮されることになった。BODY & HEAD UNIT人間を模した形を持つモビルスーツだが、硬い外装を持つゆえに人と同じように動くことが出来ない。それでも戦闘用に特化したマシンとして「銃を持つ」、「剣を振る」など、限られた基本動作は、ほぼ人間と同じように(もしくは類する運動に置き換えて)行うことが可能である。しかしながら、デスティニーにおいては、そうした限られた動作だけでは、十分な性能を引き出せないことが設計段階で判明していた。基本装備としてフォース、ソード、ブラストの各種シルエットの機能を併せ持つ本機では、全身のあらゆる箇所に武装が設置されている。それを戦闘中にタイムロスなく使いこなす必要があるのだ(場合によっては、複数の異なる性質の装備を同時に使うことも想定された)。この問題への解決策として、「より人間に近い動きが可能となる機体」が開発された。採用された技術として、基本構造体を細かなパーツに分割し、それぞれを連動させる方式がとられた。また、間接部においては、PS装甲技術を転用した特殊素材が採用された。これは運動に合わせ間接部の素材性質を変化させるもので、文字通り「柔軟性のある間接」を生み出すことが可能となった。PS装甲は、送電により色が変化するが、この間接特殊素材は、アクティブな状態では鈍い金属光を放つ。要求通りの性能に達した本機だったが、その構造は通常のモビルスーツの数倍複雑であり、生産とメンテナンスの面では、大きな問題を残すこととなった。LEG UNIT本機の脚部は、装甲を複数のパーツに分割し、それぞれをフレキシブルにスライドさせることで、広い関節可動範囲と高い運動性を実現している。もちろん、装甲を分割し可動範囲を広げることは、装甲に隙間を作ることと同意語であり、防御力の低下は避けられない。しかしながら、ザフト開発陣は、専属パイロットであるシン・アスカの戦闘データを解析し、パイロットの運用実績に合わせた可動範囲の設定と装甲分割を行っている。これにより、デスティニーは敵に対する無防備な隙間を最小限にとどめながら最大の機動性を発揮することが可能となった。なお、この装甲調整はシン・アスカに引き渡されたあとも、複数回にわたり微調整が行われている。実は同様のシステムは、ZGMF-X20Aストライクフリーダムにも採用されているが、根本的なシステム思想は大きく異なる。ストライクフリーダムでは、パイロットのキラ・ヤマトの被弾率の低さから、機動力を挙げることで被弾しないことを前提としており、乱暴な表現をするなら「防御力の低下を無視する」使用である。これは一歩間違えば機体をロストしかねない。それに比べデスティニーの使用はかなり現実的なものであると言えるだろう。なお、両機体はもともとザフトによって設計開発されたものだが、この装甲システムは同じシステムとして当初から盛り込まれていたものかどうかは、ストライクフリーダムの設計データがザフト開発局のメインサーバーから、クライン派によって消去されてしまっているため確認の手段がない。WING UNITウイングパーツは、メインスラスターを中心に左右対称に配置されている。大型のパーツの内部に小型ウイングが収納されており、展開すると合計十基のウイングとなる。ウイング内のスラスターにはDSSD(深宇宙探査機構)で開発されたヴォワチュール・リュミエールの技術が転用されており、出力を上げると光の翼が現れる。なお、非軍事組織であるDSSDは、プラントの支援を受けている組織ではあるが、軍事への技術協力を完全拒否しており、同技術がDSSDから直接伝えられたとは考えにくい。完成したシステムに関しても、DSSD製のGSX401FWスターゲイザーでは、光の幕で太陽風を受けるソーラセイルのシステムを基本としているのに対し、デスティニーでは、システムから得られる特殊なエネルギー変換による強大な高圧を加速時のメイン推進とするなど運用法にも大きな違いが見られる。おそらく基礎技術のみが共有されており、それぞれ平行に異なる進化をしたものと考えられる。なお、同様の光の翼による推進システムを搭載している機体には、もともとはザフトで設計され、後にキラ・ヤマトの手に渡ったZGMF-X20Aストライクフリーダムや、火星移住者(マーシャン)の依頼でジャンク屋によって製作されたGSF-YAMO1デルタアストレイなどが確認されている。これらの機体ではシステムの細部が、異なる使用になっているようだ。もし一つの基礎技術から、複数の場所で同時に完成したとすれば、モビルスーツ開発史において、非常に興味深い事例だといえる。WEAPONSMMI-714アロンダイドビームソード背面右部に装備されているビームの歯を持つ長刀。エクスかリバーの改良型であるが刀身はさらに伸びている。高エネルギー長射程ビーム砲と同様に折りたたまれた状態で装備される。これだけの長さの剣を扱うためには、機体そのものの柔軟性も必要であり、仮にデスティニー以外の機体に装備させても使いこなすことは不可能だ。M2000GX高エネルギー長射程ビーム砲背面左部に装備された、破壊力と制度を併せ持った大型ビームランチャー。通常は折りたたまれた状態にあり、展開時の銃身は機体の身長を超えるほどである。折りたたみの技術には、本体でも採用された基本構造体の細部化と連動が生かされている。他にも変形機構を持つ武装は存在するが、ここまで複雑化したものはない。ガンプラルームへ戻る
2008年01月10日
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エルガルディさんホームページ上での質問に関しては僕が返事を書いているのですが、よく考えてみるとみなさん、同じように分かんないこと、聞きたいことがあるんだろうなと思いここに、これから質問に対して返事をした内容を乗っけていきたいと思いまーす。********************************************************2008.01.06ご職業 = 技術系社員問合せ内容 = 初めまして、○○と申します。4月から就職をするので、2着目のスーツが欲しいと思いお店を探していたところたどり着きました。オーダーメイドで服を作ってもらったことがないので、初歩的な質問をさせてください。「仕立て代」というものには布やボタンの料金は入っていないんですよね?2、3万円でスーツを作れたらいいなと思い探しています。お返事よろしくお願いします^^返信内容>「仕立て代」というものには布やボタンの料金は入っ>ていないんですよね?との事ですが、お仕立て代の中には服地代は含まれておりません。ちなみに当店では一番安価な服地で10,290円となっており仕立て代との総額31,290円が一番お求め安い価格となっております。尚、釦・裏地などの付属はそのお仕立てランクでセレクトされたものが込み込みで選べるようになっております。ただし、特別な指定(釦の位置やポケットの数など)がある場合はそれぞれオプション料金が設定されてありますのでご了承ください。********************************************************2008.01.09スーツのジャケットの中胴はゆとり寸どのくらいが良いでしょう?中胴の実寸プラス何センチくらいが綺麗なシルエットがでますか?返信内容>スーツのジャケットの中胴はゆとり寸どのくらいが良いでしょう?>中胴の実寸プラス何センチくらいが綺麗なシルエットがでますか?とのことですが、中胴・・・ゆとり寸・・・オーダーのことをよくご存知な方のようですね。通常、レギュラーのゆとり寸で実寸プラス14~15センチが妥当なのですが体系にもよります。Y体の人で15YA体で14A体で14AB体で12B体で12BE体で10って感じで胸周りとのバランスでゆとり寸は変わっていきます。あと、スタイルによっても、ゆとり寸は変わっていきます。レギュラーを基準にして、ソフトスーツでプラス4センチ前後タイトなスタイルでレギュラーのマイナス4センチ前後と変わっていきます。あとは身長やらいろいろ考えて私たちはゆとり寸を考えます。最後に綺麗なシルエットということですが、綺麗なシルエット・・・ちょっと抽象的な表現で分かりかねますがシルエットというのは人によって好みがあると思いますので、どんなスタイルで着るスーツのシルエットで考えればいいのではないでしょうか。********************************************************もどる
2008年01月09日
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***********************************************No.1秀吉ははじめ征夷大将軍をのぞんで、当時、備後の鞆(とも)に隠れ住んでいた前将軍の足利義昭を説いて、自分を猶子(ゆうし)として、将軍職を譲るように交渉してみたのだが、落剥(らくはく)していよいよ偏狭さを増してきている義昭は応じなかった。すると秀吉と最も親しかった右大臣の菊亭晴季(きくていはるすえ)が、「.....それならばいっそ関白にならせられては.....」と、思いがけない進言をしていった。左大臣の近衛信伊(このえのぶただ)は、関白の二条昭実(にじょうあきざね)をしりぞけて、自分が関白になろうとして、しきりに二人の間で争いを重ねている。そこで、いっそ両者ともしりぞけ、秀吉を、前関白近衛前久(このえさきひさ)の仮子として、関白にしようというのが晴季の考えで、すでにそれは六月中に、ほぼ決定の運びにまで漕(こ)ぎつけ得ていた。正式に関白宣下(せんげ)のあったのは七月十一日で、続いて新たに豊臣の性を賜り、ここに新しく関白豊臣秀吉が生まれ出ようとしているその寸前の六月二十六日であった。おそらく秀吉にとっては生涯でもっとも充実した生き甲斐のある時期であったろう。その同じ時に、一方の家康の上には、生涯ただ一度の大患がおとずれて来ていたのである。侍医(じい)はすでにさじを投げていた。「.....これは、われらの手では、どうにもなりませぬ。奇怪な腫れ物にござりまする。この分では間もなく全身が膿(う)み腐ってゆくのではござりますまいか」そういえば、いよいよ肥えて来ている体が、不気味に大きくふくれあがって、首筋から左頬まで、人が変わったような生々しい腫れ方だった。その痛ましい枕辺へ入っていって、「使者だけは追い返したが.....厄介(やっかい)なことを言うて来たぞ」家康は、うつらうつら仮睡しているらしい様子なので、本多作左衛門はひっそりと坐りこんでいる石川数正と本多正信につぶやきかけた。「厄介なことと言われると?」正信が訊き返すと、「家老二、三人、清洲の城へ人質に送れというのじゃ」「というと、越中攻めでござりまするな」「そうじゃ。殿が、このような病気になると分かっておれば、成政など、わざわざ近づけはせなんだが.....」「作左どの」石川数正は、そっと家康の額(ひたい)に手を触れて、「ひどい熱じゃ。このままでは今日明日が案じられるぞ」「弱音をふくな。人の生死は、何ともならぬわ」「しかし、使者には、この重病、秘しておいてくれたであろうな」「いや、はっきり病気だといった。しかし向こうで信じない。おかしなものだ」「ふーむ」数正は低くうなった。「やはり、朝日姫を貰うておくべきだったの」「愚痴はよせ数正」「愚痴ではない。人間には唯一つ、見えないものがあるというのだ。病いと生死.....これだけはなあ、それゆえ、この計算が何事によらず、なされていなければならぬというのだ」数正がそういうと、作左衛門は舌打ちして、「どうだ、思いきって、やってみるか、荒療治を」言いながら、彼もまた家康の額に無骨な手をかざしていった。***********************************************No.2参考 山岡荘八・徳川家康第十一巻/大患よりつづく最初から読む*この書き込みは営利目的としておりません。個人的に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2008年01月08日
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家康さんのピンチは三方ヶ原と伊賀越えだけではなかった・・・ってことで、ここも大好きだから紹介しておきます。小牧長久手の後、秀吉は関白にのぼりつめようとし、家康は秀吉の妹朝日姫を迎えて上洛すべきかどうか迷っているあたりのくだりです。***********************************************秀吉が紀州から大阪に凱旋(がいせん)したのは四月二十五日、家康が、甲斐から信濃を見まわって、浜松に帰りついたのは六月七日であった。大阪に戻った秀吉が、すぐには兵を動かし得ないことを心憎いまでによく計算した旅行ぶりで、その間にも家康は、紀州の残党を迎え入れたり旅の途中で佐々成政の密使に会ったりした。したがって六月はじめに浜松城へ帰りついたのは、そろそろ秀吉が、富山城の攻撃をはじめるため、北陸に兵をうごかすとわかっていたからであった。彼が兵を近くに動かすときには、家康もまた厳然と城にいて武備の充実を示してゆく必要がある。それらの駆け引きはまことにあざやかなものであったが、秀吉の方でもまた手はこまぬいていなかった。彼は富山の佐々成政を攻めるにあたって、富田左近将監(さこんしょうげん)と津田隼人正(はやとのしょう)を使者として、織田信雄(のぶかつ)と連署の覚書を届けて来た。それによると、秀吉は今や越中に軍を発そうとしているゆえ、家康は家老のうち二、三人を人質として清洲まで送りこまれたし。それは家康と成政とが、特に懇(ねんご)ろに通ずるところがあったからである。しかしこれを、於義丸や、勝千代と二重の人質だと思うてはならぬ。於義丸以下の者は決して人質ではない。それゆえ、もし心配ならば、三人とも一時岡崎へ送り返してもよろしい。万一成政が家康の領国へ逃げ込むのを許すようなことがあれば、そのときには秀吉に相当の存念がある.....という言い分だった。この使者に対面したのは、本多作左衛門で、彼は、使者にこう答えた。「ただいま家康病中にござれば、われらより覚書のおもむき、確かに取り次ぎましょう」「ほう、また家康どのは、ご病気でござるか」使者は朝日姫のことは口には出さず、病気と聞くと顔を見合わせて苦笑した。多分そう言うであろうと予期して来たもののようで、「では、十分お大切に。しかし家老人質の儀と、成政の儀は早急に計らわれたい」案外あっさりいって帰っていった。作左衛門は、使者が戻ってゆくと、小鬢(こびん)を掻きながら家康の居間をめざした。今度の病気は、決して仮病ではなく、いま家康は、ひどい発熱で、時々うわごとを言ってはそのあとで、眼をそむけたくなるほどに悶(もだ)え苦しんでゆくのであった。病気は右胸の腫物で、これまでほとんど病気らしい病気を知らぬ家康が、甲州から戻って来て、「ふーん。おかしなところに根ぶとができたぞ」そういって無造作に指先で腫物の口をいじったことにあった。「これはおかしい。今までにない痛みじゃ」そう言いだしたのは六月二十日ごろで、それが三日目には、首も手も動かぬほどの腫れ方で、全身が桃色がかった薄紫に変わっていった。そうなると痛みと熱が交互に襲って、さすがの家康も脂汗をかいて病床をのたうちまわり、ときどき意識を失うほどであった。しかもそれは皮肉なことに、相手の秀吉が、いよいよ関白の栄位にのぼろうとして、しきりに側近の公卿たちが大阪と京の間をゆききしているころだった。***********************************************No.1参考 山岡荘八・徳川家康第十一巻/大患よりつづく山岡荘八的お部屋へ戻る*この書き込みは営利目的としておりません。個人的に一人でも多くの方に購読していただきたく参考・ご紹介させていただきました。m(__)mペコリ
2008年01月07日
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まだデスタネ~さん、完成をアップしてないけど それは次のお休みの日にとっといて、 先ほどこいつをヤフオクでゲッチュしました。 レイ・ザ・バレル搭乗機、レジェンドさん♪ 定価2700円のこいつを 1100円でゲッチュ♪送料手数料込みで1800円ほど。 私の行きつけ”倉敷イーオン”なら2000円ほど。 トイザラスさんなら2200円ほど。 ま、大して差はないんですが、ナニゲニお徳です。 また、来週から製作するぞっと。
2008年01月06日
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けど、まだだるいぞ。 なんてこった、新年早々風邪とは・・・ 1月は23・24日に毎年恒例の温泉旅行♪ 近年は皆生と三朝でほぼ決まってて 去年は三朝で今年も三朝になりそう。 数年前からカニバスツアーに便乗して2万前後の1泊2日。 去年は値段を+8000のカニのゴージャスコースで行ったけど 通常のコースで食べたカニとそう変わらないというオチがあって 帰りに買ったお土産のカニの方が美味かったりしました。 カニもいいけど温泉に浸ってゆっくりしたいなぁ。
2008年01月05日
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昨日は朝二日酔いで 「二日酔いで体の節々が痛いなんて・・・初めてだぜ・・・」 と、思っていたら昼過ぎくらいからセキが出だして 夕方から寒気がしてう~う~いってました。 何のことはない、熱が出ていたようで。 帰ってからすぐに風邪薬飲んで風呂入って床について 昨晩は寝汗もかいていたみたいで最悪の一日でした。 多分、実家に帰って寝泊りしたとき ソファーの上で力尽きたまま寝ていたらしく(記憶がありましぇん) どうやらそのとき風邪を受付ちゃったみたいです。 オマケにウットコの和志も風邪をひいたみたいで 年末、愛ちゃんがセキをしていたのを そのまま愛ちゃんの風邪がうつったと豪語しているようです。^^ 8日がフォースの初蹴りだから それまでに体調を戻しておかんといけないぞっと。 はやく球蹴りしたい(T.T)
2008年01月04日
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おかげさまで今朝から最悪の二日酔いです。 はっきり言って死にそうです。 ねんねん飲めなくなってくるなぁ・・・ いっそ飲まなきゃいいんですが 年末年始は飲まざるべからざるべし! ってことで 年末12/31にホームセンタータイムさんで げっとしたゲーラーカイトというのかな? 子供と一緒にたこあげした写真です。 この日はかな~り風が強かったから あんまり糸を長くすることが出来ませんでしたが 風がないよりヨッポドましっすね。 二人とも上手に上げていました。^^ 僕も子供の頃以来ですかね、たこあげしたの。 すっげぇシンプルで面白かったです。 翌日もやろうとしたんですが風が少なくて この日のみのたこあげでした。
2008年01月03日
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本日よりお仕事です。 今年も一生懸命がんばりますので よろしくおねがいしま~す!
2008年01月02日
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