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結婚した女性を奥さんとか奥様とか呼ぶけれども、 その語源は「奥方」から来ているそうです。 時代的に見れば、平安時代以降、貴族の屋敷では 邸宅は正殿の寝室を中心にして、奥の方に別棟が 設置されていたそうで、第一夫人は並びの別棟に あったために奥の方とも呼ばれていたようだが、 全体的な呼び方は、奥の方から「奥さん」「奥様」に 転化して来たものとして伝えられているとのことです。
2012.04.23
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本日は、歌にある「八十八夜」のことに触れてみました。 その言葉に秘められた意味は、やはり縁起の良い数字であると いうことです。立春からカウントして八十八日目の日を指している ことで、暦で言えば5月2日とさてれいるそうです。丁度、この頃は 春から夏へと季節の変わり目ということになります。 それでは、「八十八」が注目されている理由はどこにあるので しょうか。 古くから、「八」という字はその形状から「末広がり」に なっていることから、めでたい数字とされてきております。また、 歴史的なことをひもといて見ると、「八十八」という字を組み変える ことによって米という字にみることができます。米はとても貴重な もので尊ばれていたので、そのような意味から、とても縁起の数字 として伝えられて来ているのです。
2012.04.20
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世の中には運の強い人と運の悪い人とがいるように思われる。 運の強い人に対しては、強い「守護神」がついているからだと言う 人がいるようである。西欧では、「運命の女神」言われているよう である。 ところで、運の強い人と言われる人には、神様がついているのでは なく、運を自分の味方に招き入れる力の強い人のことではないだろう か。
2012.04.16
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私達が日常生活をおくる中で、見てはいけない場面を偶然に見てしまう 場合があると思う。例えば、妻子のある男性が、他の女性と仲むつまじく レストランで食事をしているところに居合わせたときなどである。 ビジネスの打合せをしているのかも知れないし、親戚の人かも知れないし、 もしかしたら・・・の関係かもしれないと気にかかるところである。このような 場面を見たときはどのように対応すのが良いのだろうか。 矢張り気の使い方としては、本人に対しては見なかったことにすることである。 奥様に対しては報告しない方が賢明だろう。家族や親しい人に対しは、その 事実について話したい衝動にかられるけれども、他人の秘密や過ちについて 大ぴらに告げることは、慎むべきであると思う。 更には、人に重大な迷惑を掛けていないのであれば、人に言いふらすべき ではない。長い人生には、人には過失もあれは間違いも起こるものである。 そのことを一々詮索しないで、相手の立場にたって気配りをしてやる大きな 心を持つことが必要と考える。
2012.04.07
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本日は話題を変えて英文のことわざに触れて見た。 “A burnt child dreads the fire ” タイトルは「やけどをした子供は火を恐れる(あつものにこりて、なますを 吹く)」・・・火遊びでやけどをした子供は、このことにこりて二度といたずらを しないというふうに解されている。子供に限ったことだけでなく、一度ひどい 目にあうと、苦い経験を繰り返さないように用心するようになるということです。 14世紀頃から現れて、現在の形で用いられるになったのは、16世紀である と見られている。 日本では、「あつものにこりて、なますを吹く」のように、熱い吸い物で口を やけどした者が、冷たいなますを吹きさます愚かさをあざ笑うことのように 解されている。
2012.04.05
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いにしえにおいては、近所とのつきあいは盛んであった。現在の 時代においては、核家族が進展し、主婦の方々もパートなどで多忙 となっていることから、近所の人と話をする機会がないような有様に なっているのが実情である。都市の大規模なマンションに住んでいる と、近所の人のことも全く知らない、隣りの人についてさえ、何をして いるか分からない場合が多い。 しかしちょっと考えて見ると、同じ場所に多くの人が住んでいながら、 全く無関心で交流がないとなると、人生をおくる上で寂しい感じがする。 人に緩衝しすぎるのは良くないことであるけれども、せめて挨拶を交 わすことから始めて世間を広げて行くべきではないだろうか。 そして、ある程度顔見知りなってくれば、自分がもらったものを近所の 方にさし上げる「おすそわけ」により、広く楽しみを分かち合える友好的 交流関係を進展させて行けるものと思う。隣人を大切にして行こう。
2012.04.04
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IT時代に伴って、コミュニケーションの手段として電子メールが多く利用 されているようである。 これを使うと、電話に比べて、自分の好きな時に メッセージを送っておける。相手は即座に受けとるが、自分の都合の良い ときに見れば良い。 簡単にできるからと言って、むやみやたらに発信してはいけないと思う。 相手側の迷惑にならないように考えて、必要でないメールは送信しない ようにすべきである。殊に、宛先を付け加えるだけで、何人もの人に対して 同じメッセージを送れるので、送る必要のない人まで送る結果になっていまう 恐れがある。 また、長文のものは、受けとった人が迷惑する。あらゆるコミュニケーション のマナーである、「簡潔」を旨としなければならない。長たらしい電子メールは、 どこにポイントがあるのかわからない。簡潔で的を得ている電子メールを受け 取ったときは、気持ちがよいものである。電子メールを作成するときには、相手 に迷惑の掛からないよう留意すべきではないだろうか。
2012.04.01
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