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僕は、文学青年になったあたりからかなりマニアックな映画ファンになった。もっともたくさん見たときは、月に30本、一日では6本というのが、僕が見た最高記録だろうか。入れ替え制のない映画館では、同じ映画を3回見たこともあった。そんな僕がいちばん気に入っていた映画評論家が佐藤忠男さんだった。佐藤さんの映画評には共感するところが多かった。佐藤さんのものの考え方というものに、何か心惹かれるものがあったからだ。それは、たぶん佐藤さんが独学で自分の映画理論を築いた人だったからではないかと思った。僕が尊敬する三浦つとむさんも独学の哲学者だ。三浦さんは小学校を卒業したあと、実業学校に進んで中退したという学歴だった。佐藤さんは、小学校ではかなり良くできた優等生だったが、中学受験に失敗したことがトラウマとなり、学校に対する信頼感を失ってしまった。だから、学校へは行かずに、独学の道をとったのだと思うのだが、学歴は定時制高校卒業だったと思う。定時制高校へは、卒業資格を取るためだけに、ぎりぎり卒業できる時間を計算して、最大限サボっていたらしい。僕は、学歴だけならとりあえず大学院の修士課程卒業となるのだが、自分の数学はほとんど独学だったと思っている。僕は、人から何かを教えてもらうと言うことがひどく苦手で、教えてもらっていて分からなくなると、そこでいつまでも立ち止まって、自分でそこを克服しないと先に進めないという子どもだった。そこで僕は独学の習慣が身についてしまった。僕は、学校の授業でも大学の講義でも、分かるところまでは聞いているのだが、分からなくなるともう耳に入らなくなる。そこで立ち止まって、引っかかったところを考え続けたいのだが、学校という所はそこで待っていてはくれない。だから僕は独学をするのだが、そういう勉強の仕方だから、僕は大学を卒業するまで、ノートをとったことがない。だから、人の話を聞いてメモをすることがひどく苦手だ。ほとんど出来ないと言っていい。話の最初の内は、ノートなんかとっていたら話が聞けなくなるし、分からなくなってからは、何をノートしていいかが分からなくなるので、ノートをとってもムダになるからとらなかった。そういうときは、僕は図書館で数十冊の入門書を片っ端から借りて、僕が引っかかったところを分かるように説明してある本を探す。50冊くらいに目を通すと、2,3冊はそういうものが分かるように書いてある本に巡り会う。三浦さんも、佐藤さんも、独学の楽しみは、自分の問題意識が高まってからそのことを勉強するので、その問題に切り込む深さが違ってくるからおもしろいと言っていた。僕もその通りだと思うし、自分の体験を振り返ってもそうだと思う。数十冊の入門書に目を通せるというのも、そこのところに引っかかって、どうしてもそこを克服したいというモチベーションの高まりがなければ、とてもそんなことは出来なかっただろうと思う。僕は、たぶん学校というものに不適応だった子どもだと思う。今だったら不登校になっていたかもしれない。しかし、僕が育った時代は、学校の価値がそれほどたいしたものじゃなかったので、僕は特に学校を無視していただけだが不適応にならずにすんだ。だから、佐藤さんが本の題名にしたように「学校なんてだいきらい」という気持ちは持っていなかった。だが、佐藤さんの体験を知ると、佐藤さんがこのような気持ちになるのも理解できる気がする。佐藤さんは、学校では体操のようなものが苦手だったが、本をよく読む勉強が出来る子どもだったらしい。だから、中学を受験するようにがんばって勉強したようだ。その中学受験の日に、校長が受験生を集めて話をしたとき、いきなり明治天皇の和歌を三首ほど朗唱したらしい。このとき、めざとい子どもは、この時代には皇室関係の話を聞くときはすぐに頭をたれなければならないことに気づいてそうしたそうだ。しかし、体育が苦手な佐藤さんは、そのような反応が人より鈍かった。ちょっと考えている間をおいて、周りの様子に気づいて頭を下げたのだが、明らかにそれは遅れたらしい。結果として、佐藤さんだけがその受験に失敗して落ちたらしい。他の科目では、佐藤さんは同じ小学校から受験した子どもよりも良くできていたものもあったそうだから、落ちた理由はこのことしか考えられないという。この校長は、一般論として明治天皇の和歌を朗唱しているときに頭を下げなかった子どもは忠義の精神に欠けると思っていたのだろうと思う。しかし、その一般論は、いつでも正しい一般論なのか。単に不注意だった人間は、その一度の不注意で、精神の評価まで決まってしまうと言うのだろうか。また、考えすぎて失敗することだってあるだろう。何も考えずに、そういうときは頭を下げていればいいのだと、刺激に対して反応しただけの人間の方が評価が高いというのは、全く合理的なものではない。このような評価をするような学校というものに不信感を抱き、そんなところに行くもんかと思った佐藤さんが、「学校なんてだいきらい」と叫ぶのは本当によく分かる。そして、自分を不忠者と評価したその校長を見返すためにも、もっと忠誠心を示せる方向に進もうと、予科練を志願した佐藤さんの気持ちもよく分かる。僕は、学校なんて言うところは過剰適応するところではないと思っている。そこは、利用価値のある間は行っていてもいいけれど、そうでなければ別に行かなくてもいいところだと思っている。勉強なんていうものは独学でかなりのところまでいけるものだ。なぜ自分を殺してまでも過剰適応するのか、ということに不満を持っていた。そのような人間にとって、佐藤さんの「学校なんてだいきらい」はとてもおもしろい本だった。今の子どもたちも、この本に共感できると、気持ちがずいぶん楽になれるのになと思う。僕は、佐藤さんの映画評論はもちろんたくさん読んだし、それ以外の教育論もかなり読んだ。特に、独学の勧めには大いに共感したものだし、三浦さんも語っていたように、本当の勉強は独学の中にこそあると思っていた。未熟な内は、まだ先生に習わなければならない時期があるかもしれないが、学習の完成(卒業)は、先生を必要としなくなるような、独学で進んでいけるような基礎を作ることだと思う。日本の教育改革がうまくいかないのも、いい学校を作ろうという思考の方向が強すぎるためではないだろうか。学校なんて、それがいいものであっても、たいしたことのないものだという受け止め方の方がいいと思う。たいしたことがないんだから、いかにして独学のモチベーションを高めるかということが、本来の教育改革ではないだろうかと思う。学校なんて所詮その程度、大事なのは自分なんだと、生徒の誰もが思うような学校こそが理想だと思う。
2009.12.31
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この二つの物語は、若い頃に読んでやはり印象深かったものだ。若い頃は、どちらかというとエミリー・ブロンテの「嵐が丘」の方が強く印象に残っていた。ヒースクリフという主人公に魅力を感じたのと、その情熱の激しさが強いインパクトを持って迫ってきたからだった。ブロンテ姉妹は、自身の日常生活は、田舎を離れることなく平凡なものだったであろうに、なぜにこのような激しさをイメージできたのだろうかと思ったものだ。「ジェイン・エア」も主人公の女性の激しさは、「嵐が丘」のヒースクリフに劣らない。激しさというインパクトでいえばもっと印象深くても良さそうだったのだが、若い僕には女性の激しさというものに感情移入するだけの条件がなかったのかもしれない。後にこの二つの物語を映画で見てからは、その印象がかなり変わった。どちらもモノクロの映画で、昔の名画と呼ばれるものになると思う。「嵐が丘」の方は、何度か映画化されているようだが、名優ローレンス・オリビエ主演の一番古いものが好きだ。ローレンス・オリビエの存在感というのは、どの映画を見てもスゴイものだと思う。「ジェイン・エア」の方は、主演した女優を忘れてしまったが、インターネットで検索してみたら1944年の映画がジョーン・フォンテイン主演で作られている。モノクロだったことを考えると、この映画だったかもしれない。映画の印象としては、僕にとっては、「嵐が丘」はローレンス・オリビエ主演であったにもかかわらず、「ジェイン・エア」の方が強く記憶に残っている。それは、強い女性というイメージが実感として分かりかけた頃に見たからかもしれない。この本を読んだ時点では、僕はまだ二十歳前後で、女性というものはどちらかというとよく分からない部分の方が多かったが、成長するにつれて男とあまり変わらない部分の方が多いと感じるようになっていた。だが、「強さ」という点では、男の強さと女の強さに若干の違いを感じていた。それを見事に表現している映画として、「ジェイン・エア」が印象に残ったのかもしれない。「嵐が丘」に登場する女性も激しさという点では負けていない感じもするが、その激しさはヒースクリフに引きずられているようにも感じる。自律した女性の激しさと強さは、「ジェイン・エア」によって確立されたのではないかという感じもする。この時代に、このような女性像を描けたシャーロット・ブロンテという人は、なんと文学的才能にあふれた人だったろうと思う。
2009.12.30
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松下竜一さんも、佐高信さんの書評で知った人だった。僕は、20代後半で佐高さんに出会って、すっかり佐高さんを信用していたので、佐高さんが勧める人なら間違いなく優れた人だと思って、松下さんの本も手にした。松下さんは、デビュー作の「豆腐屋の四季」をはじめとして、ノンフィクションを書いた一連の作品もどれも素晴らしかった。世間一般から埋もれてしまって、誰も見ることのないようなところに光を当て、そこに素晴らしい宝があることを示してくれるような、そんな視点を教えてくれた。この「潮風の町」は、かつての記憶だけで日記を綴っているので、もしかしたら記憶違いの所があるかもしれないが、主人公として描かれているのは、魚の行商をしている一人のおばあさんだったと記憶している。松下さんがこれを書いた時代は、それはごくありふれた光景だったに違いない。それが芸術としての文学になるというのは、その平凡で一見つまらないと思われるところに、普遍的に人の心を動かすような場面を見つけたからだ。厳しい寒さの中で、凍えそうな手で氷の中の魚をさばく、その仕事の様子は、まじめで誠実に生きている日本人の姿を伝えて、仕事に一生懸命になって生きるということが普通だった時代の安心感や懐かしさで心が和むような気がする。また、このおばあさんは、お酒が好きで、稼いだお金をすぐ飲んでしまうような所があり、そこには庶民のささやかな喜びや、小さな幸せというものがどういうものであるかを語って共感を呼ぶ。そして、重要な脇役とも言える健気で優しい息子が登場する。僕は、主人公の女性がおばあさんのように見えたので、この少年は孫かと思っていたのだが、インターネットで検索してみたら息子になっていた。この息子は、母が厳しい寒さの中で氷の中に手を入れて魚をさばくのを見て、その手を温める方法がないかと考えていろいろな工夫をしてやる。また、学校を卒業して、家を離れて就職することになったとき、近くに頼る親戚縁者もいないので、松下さんの奥さんの店に来て頼み事をする場面が印象に残っている。母親がムダ使いをしないように頼んでいくシーンなどは、母に対する思いと、他人に対しては少し恥ずかしいような依頼をしなければならない羞恥、そして、松下さんの奥さんに対する信頼の大きさ、またそれに応える松下さんの奥さんの優しさなど、素朴な表現でその一つ一つが細やかな感情の動きとして伝わってくることが印象的だった。ついほろりと来るようないい場面だった。松下さんは、素朴に生きる庶民の美しさと、健気に生きる貧しき人々の暖かさを実に細やかに表現する作家だと思う。ついにベストセラー作家にはならなかったので、松下さんを知る人は少ないかもしれない。その松下さんを知ることが出来たということで、佐高さんの書評は貴重なものだったと思う。佐高さんの、人を見る目の確かさを強く感じるものだ。
2009.12.29
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この本も青春後期に入った頃に読んだ本だ。千葉敦子さんを知ったのは、確か佐高信さんの本でだった。僕は佐高さんの書評が好きで、佐高さんが薦める本を選んで読んでいったものだった。その中でも特に気に入ったものが千葉敦子さんの本だった。千葉さんは、国際ジャーナリストと呼んでもいい人で、英語を駆使して世界で活躍した女性だ。僕は男だったけれど、千葉さんの持っている強さと、何ものにも自分の率直さをぶつけていく揺るぎない信念とにあこがれたものだった。男と女という区別を超えて、これほどすばらしく魅力的な人がいるだろうかと思ったものだ。千葉さんは、乳がんに冒されながらも、最後までジャーナリストとして仕事をし続けた人だった。その壮絶と言えるような文章は、死を強く意識して、人生の一瞬をも大事にしていこうとした人の密度の濃い思考の結果を感じるものだった。この本には、千葉さんが自らを語る詩が収められている。この詩は、当時の僕に強い衝撃を与え、千葉さんのすばらしさは、このような詩を表現する個性にこそ秘められているのだと思ったものだ。全文を引用することにちょっとためらいはあるが、そのすばらしさは、全文を読まないと伝わらないのではないかと思い、あえてこの詩だけはすべてを引用しようと思う。 人生に求めたものは新聞記者になりたいと思った新聞記者になった経済記事を日本語で書いた経済記事を英語で書いたニュースを書いたコラムを書いた世界を旅したいと思った世界を旅したプラハで恋をしたパリで恋を失ったリスボンでファドを聞いたカルグリで金鉱の中を歩いた本を書きたいと思った本を書いた若い女性のために書いた病んでいる人のために書いた笑いながら書いた歯を食いしばって書いたニューヨークに住みたいと思ったニューヨークに住んだ毎晩劇場に通った毎日曜日祭りを見て歩いた作家や演出家や画家に会った明白な説明を受けて癌と闘った私が人生に求めたものはみな得られたのだいつこの世を去ろうとも悔いはひとつもないひとつも激しい人だと思う。でもその激しさにとても魅力を感じる。「私が人生に求めたものは みな得られたのだ」と言い切るその率直さに感動する。「いつこの世を去ろうとも 悔いはひとつもない」と言うその強さに美しさを感じる。千葉敦子さんは、20代の終わり頃の僕にとっては、理想でもありあこがれでもあった。密度の濃い人生を送った人に対するあこがれだったかもしれない。
2009.12.23
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本多勝一さんのこの本を手にしたのは25歳くらいだから、すでに学生を卒業して仕事に就いていた頃だったろうか。青春といっても後期に入るような頃だった。僕は、学生の頃は社会よりも学問的な真理の方への関心が強く、ある意味では社会を無視して生きていたような所があった。仕事に就いても、頭の中の理想を追うようなところがあって、現実の壁に挫折感を感じていた。そんなときに図書館でふと手にしたのがこの「貧困なる精神」のシリーズだった。僕はこの本で、社会をどのように見るのか、社会をどのように理解するのかということを学んだ。この本によって大人にしてもらったという感じがする。学生の頃は三浦つとむさんに心酔していたが、この時期からは本多勝一さんに心酔して、「貧困なる精神」のシリーズは全巻買いそろえた。手に入る限りの本多さんの著書を求め、たぶん僕の持っている蔵書では、本多さんのものが一番多い。本多さんが一番たくさん本を出しているからだ。この本では、何が「貧困なる精神」なのかというのを学んだ。普通の感覚で物事を見ていると、たいていは「貧困なる精神」が身についてしまう。浅はかな見方と理解が染みついてくる。それを常に反省して、貧困でなくなる努力をするには、物事を見る視点が大事だ。本多さんの言葉で言うと、「殺される側」の視点であり、「差別される側」「弱者」の視点でものを見るということになる。普通に表現されているものの中に、「殺す側」の視点を読み、支配者の論理を読み取ることによって、そこに「貧困なる精神」を発見できる。この「貧困なる精神」のもっとも古いと思われるものを開いてみたら、1974年2月に初版が発行されている。僕がまだこの本に出会っていない頃からこの本は書かれていた。このときは、僕はまだ18になる手前だったろうか。次の年に高校を卒業して大学へ入ることになる頃だ。その本の一節に、「ウィンディド・ニー占拠の報道態度」と題された短い文章がある。当時ウィンディド・ニーという場所で先住アメリカ人による、白人を人質にした占拠事件が起こった。このウィンディド・ニーは、本多さんに寄れば「今から83年前(1890年)、米軍第七騎兵隊の約500人が、強制収容されていた約300人のスー族を、機関銃で乱射して皆殺しにした」場所だそうだ。この占拠事件は、「白人側すなわちワシントン政府によって、常に破られ、踏みにじられてきた条約を確実に実行し、復権することを要求しての蜂起だ」と本多さんが語るように理解することが正しい。これが「殺される側」の視点であり、「差別される側」の見方だ。しかし、この当時の新聞報道では、「白人ウソツクナ」(朝日新聞)という見出しを掲げていたらしい。このからかいの言葉こそが「貧困なる精神」に満ちあふれた、「殺す側」の言葉であることを見て取るのは、本多さんの著書を読んだあとでは自然に身についた感覚だった。しかし、大新聞の朝日でさえもこのような表現をするということは、当時社会に蔓延していた論理が「殺す側」のものであることを意味するのではないだろうか。それが自然だと思い込んでいた人は、この見出しに何も引っかかりがなく、単なるギャグのような感覚で読み飛ばしていたのではないだろうか。僕は、本多さんを知ったことにより、このような「貧困なる精神」を避けて、このような言葉に引っかかりを持てるようなセンスを身につけられたことを誇りに思う。そして、このようなことを学ばせてくれた本多さんを尊敬している。本多さんを知った後は、僕はジャーナリストやルポライターの書いたものを好むようになり、しばらくはフィクションである小説を読むことが出来なくなった。現実の社会の持つ圧倒的な存在感の方が僕にとっては大事になったからだ。社会を無視せず、何とか社会の中で生きてこられたのは本多さんのおかげだなあと思う。
2009.12.22
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僕が三浦さんの本に出会ったのは二十二歳の時だったと思う。数学基礎論に大きな関心を寄せて、出来ればそれを専門にしたいと思っていた。それとの関連で論理学のいろいろを学びたいと思っていた。数理論理学とも呼ばれていた形式論理学については、前原昭二さんの「記号論理入門」という本が自分にピッタリ合って、とてもおもしろかった。そこで、今度は弁証法論理というものを勉強してみようと思い、弁証法に関する入門書をいくつか読んでみた。しかし、その最初から躓いてしまった。弁証法は矛盾を認める論理で、現実の中に存在する矛盾を分析する論理学だという説明がなされていたのだが、これは形式論理の原則に反しており、それだけでもう論理が破綻しているのではないかという先入観を抱いてしまった。よく考えてみると、弁証法で語る矛盾と、形式論理学の矛盾とでは概念が違うのだが、重なる部分もあるので、矛盾を認めるという部分が全く理解できずにいたところに、この三浦さんの本で、そのことがすっきりと分かったという実感を持った。僕はある程度論理を専門にしていたので、この本がわかりやすかったのだが、そうでない人には、三浦さんの「哲学入門」という本の方がわかりやすいだろうと思う。この本も、「哲学」とは言っているが、その内容は弁証法的唯物論の解説で、哲学一般を説いたものではない。この本では、日常の普通の出来事の中や、落語で語られる物語の中に、弁証法的な視点で理解できるものを見つけて、弁証法というものがどのようなものであるかを説明している。僕は、弁証法が矛盾を「認める」という言い方を、矛盾が法則的に成り立つことを「認める」というふうに読んでいた。これでは、形式論理の立場からは絶対に認めることが出来なくなる。しかし、三浦さんの本を読んでからは、この「認める」というのは、現実の中に「発見する」ということだということを理解した。これなら、何ら形式論理と対立するところはなく、発見した「矛盾」が何故に現実に存在しているのかという合理性を理解するために形式論理を利用することが出来る。矛盾の概念も、形式論理では、肯定と否定の完全な対立を矛盾と呼ぶが、弁証法では「対象が対立を背負っている」と表現される。これは完全な否定関係ではなく、「視点を変えると、一方が否定されたような面が見えてくる」という視点の問題になる。弁証法というのは、形式論理学のように、学として体系的にまとめられた完結したものではなく、視点を変えて物を見ることを勧める一つの「方法論」として理解することが正しいのだと思った。僕の尊敬する、三浦さんの弟子を自認する板倉聖宣さんもそう語っていた。この方法論は、複雑な対象を考察するときに役に立つ。形式論理のように、イエスかノーかを単純に引き出せないような対象を考察するときは、そのどちらとも言えるような状況を考察しなければならない。そこに対立を背負った(ある面では肯定されることが、他の面を見ると否定される)対象が見えてきて、弁証法的な発想でそれを捉えることが正しいのだという指針が見えてくる。現実の複雑な問題は、すべて弁証法的な視点で見ることが正しい。生きているのか死んでいるのか判断が難しい「脳死」の問題は、生と死の対立を背負っている。まだ未熟な子どもを導くために指導をするのが正しいのか、それとも子どもの自主性を尊重して子どもの自由な判断をさせる場面を作った方がいいのか、教育は自由と規律の対立を背負っている。そのほか、どの解決困難な問題を眺めても、それが解決困難であればあるほど弁証法的な性質が見えてくる。世の中がこのように弁証法的な性質を持ったものばかりだと、それは混沌としてわからないものになり、世界は無秩序で頼るものがなくなるような感じもしてくる。しかし、そこに登場するものが形式論理であり、それを基礎にした「科学」というものだ。形式論理は、現実には対立を背負っている対象を、抽象化によって対立を切り捨て、白黒をはっきりさせた対象にするとどうなるかを教えてくれる。それを現実の対象に対して、様々な分野で行うのが、分化された「科学」と呼ばれるものだ。だから、「科学」においては、その対象がどのように抽象化されてきたかという過程を知ることが重要になってくる。切り捨てたものが、実は現実には非常に大切だったということに気づいたら、もう一度弁証法的な考察を繰り返さなければならない。そして、切り捨てたということを意識しながら、科学の法則を適用する必要が出てくる。弁証法と形式論理は、そのようにして、お互いの得意分野でそれぞれの足りない部分を補うのだと、僕は三浦さんを通じて理解をした。三浦さんは、ものの考え方をわかりやすく説明する人としては群を抜いて優れた人だと思った。戦後まもなくは、若い労働者の教育や指導に大きな貢献をしたという。僕も、三浦さんのようなわかりやすい語り方が出来るようになって、三浦さんの遺産が伝えられる人間になりたいと思うものだ。僕はこの本以来、三浦さんに心酔して、手に入る限りの本を手に入れ、手に入らない本や雑誌論文などは、国会図書館に行ってコピーしてきたものだった。もっとも大きな影響を与えてくれた師として僕は三浦さんを尊敬している。
2009.12.21
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林竹二先生は、「先生」という敬称をつけて呼びたい、心から尊敬をする人だ。「先生」と呼ばれる人の中で、もっとも尊敬する人で、むしろ「師」と呼びたいくらいの理想の先生でもある。僕は、直接林先生から教えてもらったことはないのだが、その生き方や学問に対する姿勢・態度のようなものは、宮台真司さんが言うミメーシスを感じて林先生のものが「感染」している。林先生はソクラテスの研究者であり、世間的には哲学者と呼ばれるのではないだろうか。だが、この著書に見られるように、林先生は、小学生をはじめとして高校生までの子供たちを相手に全国で授業を重ねていった「先生」でもある。この本で紹介されている授業は、尼崎工業高校定時制で行われたもので、生徒たちは10代後半くらいで、学校からも社会からも落ちこぼれてしまったような劣等生ばかりだった。その劣等生が、ソクラテスの思想を基礎にした林先生から、「人間とは何か」というような問題を学ぶ。そんなことが自分に関係あるのか、と思ったとしても仕方がない。しかし、ここに写された写真を見ると、これほど真剣なまなざしで「人間」について考えている子供たちはいないのではないかと思えるくらいに、その学習は本物に見える。宮台真司さんが語ったように、林先生は本気で語る人だったのではないかと思う。相手が誰であろうとも、たとえ小学生であろうとも、学校から落ちこぼれた劣等生の高校生であろうとも、かなり難しい内容を持った話であるのに、林先生の本気が彼らを引きつけて、彼らの理解力が飛躍的に進んでいるのが見て取れる。どのようにすれば、林先生のように本気で話が出来る大人になれるのだろうか、というのが二十歳をちょっと過ぎた頃の僕にとっては最大の関心事だった。林先生のような、幅広い学問的な素養がなければ出来ないとしたら、それはほんの一握りの人しか到達できないものになってしまう。もちろん、難しい目標であることは確かだが、努力によって到達可能だと思えなければ、それは目標ですらなくなってしまう。若い頃の僕は、林先生に感動し、林先生を尊敬していたので、何とか少しでも近づきたいと思ったものだが、その壁の高さに何度も挫折感を味わったものだった。今では、林先生のすばらしい授業も、それを支える多くの人たち、尼崎工業高校定時制の先生方の協力があってこそ実現できたということが分かる。そして、その先生たちが、みな林先生に対する尊敬にあふれて、林先生のすごさに感染している人たちだったことも分かる。そして、今では、スゴイ人に感染することこそがすばらしいのだと思えるようになった。宮台真司さんが言う「リスペクト」の感情が、リスペクトされた人に自分を近づけるのだと思える。その人とすっかり重なってしまうことはない。それは出来ないことだし、それを目標にすれば挫折が待っているだけだろう。そうではなく、心からの尊敬感を抱くことが出来れば、そのことがすばらしいのだと思う。真にすばらしい人だと思える人に、若い頃に出会えたことの幸運を今感じられることがすばらしいのだと思う。
2009.12.20
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夏目漱石は、遠藤周作と並んで若い日の僕が好きな作家だった。この「こころ」も、先生と呼ばれている人物に親近感(自分に近いような気がした)を抱き、先生に惹かれていく語り手の私に共感したものだった。この「こころ」は、自分が恋する人を自分のものにしたいがために友情を裏切り、それを終生悔やんで、生きながらも死んでいるような生活をしている人物の「こころ」を描いたものとして僕は読んでいた。似たようなテーマで全く正反対の展開を見せているのは、中学生の頃に読んだ、武者小路実篤の「友情」という小説だ。「友情」では、恋よりも友情をとった。親友同士の男二人が、お互いに恋する女性をあきらめて、男同士の友情を選ぼうとして葛藤していた。結局は、女性の方が選んだ相手を尊重して、主人公である男は恋をあきらめて友情を選んだことを納得させて終わるという展開だった。これは、中学生だった頃は、それが正しいと思って読んでいた。純粋だったのだなと思う。だが、成長して振り返ってみると、そういう展開が美しく見えるのは、やはり中学生までだなという感じもしてくる。大人なら、もっといろいろな葛藤があってもいいし、きれい事で世の中が展開していくことには、現実を知れば知るほど違和感の方が出てきてしまう。そのような違和感には、漱石の「こころ」のほうが青年期にはピッタリくるような展開を見せてくれた。僕も、たぶんここに登場する先生のように、友情よりも恋の方に大きく揺らいでいくような気がするし、その気持ちを正当化したくて理屈を考えてしまうだろうと思う。そして、青年の日には、この先生のように大きく悔やんでその後を過ごすのではないかと思えた。特に、自分の行動によって親友が死んでしまうという結果をもたらしたことは、大きな責任を持って受け止めなければならないと考えただろう。今、青年期を終えて、他人事としてこの物語を眺めると、先生の親友のように、ある意味では突出して感受性の強い人間が普通の感覚を持った人と結婚などして、果たして幸せになれるだろうかという疑問も抱く。親友が死んでしまうということは、全く意外な結末だが、現実世界で考えた場合は、もし結婚が実現したとしても、この結婚はいずれ破綻する運命にあったのではないだろうかと感じる。そういう意味では、普通の嫉妬心やエゴイズムを持っていた先生は、これほどの罪の意識にさいなまれることがなければ、「お嬢さん」と平凡な幸せがある結婚が出来たかもしれない。これが、文学になり得たというのは、そういう結末ではなく、親友が自殺してしまったことにより、先生が自分の生を深刻に考えざるを得ないところにまで追いつめられてしまったということなのではないかと思った。文学的、あるいは感受性という才能の点では、先生よりもその親友の方が遥かに豊かで恵まれていたと思う。彼は、特に工夫しなくとも、文学的な主人公に出来ただろう。しかし、ある意味では平凡な先生は、このような事件の渦中になければ、文学的な主役にはなれないのではないかと思う。と同時に、普通の平凡な人間であっても、運命が彼を文学的な人生の主役にする可能性がある。そんなことを考えながらこの作品に魅了されていったことを覚えている。漱石は、後に三浦つとむさんを読んだら、理科系的な思考をする人だということが分かった。文学という学問を、科学を基礎にして、誰が考えてもそう結論せざるを得ない命題を引き出そうとした人らしい。そのためには、「文学とは何か?」という問題に解答を出さなければならないと考えた人だったようだ。漱石の小説は、実はこの問題への解答として書かれたと三浦さんは指摘していた。これが、もしかしたら典型的な理科系人間だと思っていた僕が漱石に惹かれた理由なのかもしれない。
2009.12.19
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この小説はたいへん有名なものなので、おそらく知っている人が多いことだろう。感動的な物語で、特に若い頃に読むと、これもまたその時期にしか味わえない感動を味わうことが出来る。僕もこれを二十歳前後で読んだと思うのだが、たいへん感動して心に残ったことは確かだった。しかし、僕は主人公のハンス・ギーベンラートと自分を重ね合わせて深く感情移入するということはなかった。ハンスの運命に悲しみを感じて、かわいそうだとは思ったが、自分がそれを味わっているという実感とともにその悲しみを味わうことはなかった。僕はハンスのような運命を生きているという自覚は全くなかった。ハンスはとびっきりの秀才(村で一番だろう)で、エリートであることを強く感じて、それが心の重荷になっているような少年だった。僕は自分がエリートのような存在になったと思ったことは一度もなかった。数学少年だったこともあって、数学では誰にも負けないという思いはあったけれど、それは成績とかそういうものではなく、一日の大部分、起きていて食事をするとき以外は数学をやっていても飽きることなく集中できるというような面では誰にも負けていないだろうなと思っていた。僕は漫画少年でもあったけれど、漫画を読むよりも数学をやっているときの方が真からおもしろいと思っていたような中学生だった。心の中にさざ波が立って、物事に集中できそうもない心理状態の時でも、数学をやって30分もたつと、それに集中するおかげで心も穏やかになっていった。エリートというのはすべての面において他人より秀でていなければならないし、競争においては常に勝つということを要求されるものだというイメージが僕にはあった。ハンスはまさにそのような、エリート中のエリートのように僕には見えた。僕は数学以外のものに見向きもしなかったし、数学においても、その成績で他人と勝負しようなんていう気は全くなかった。本当の意味での理論が理解できれば幸せという少年だった。このような数学少年がハンスのようなエリートの悲しみと挫折を見て感じるのは、なんて気の毒な人生だろうというようなことだ。ハンスほどの才能があれば、いくらでも人生を楽しく幸せに過ごせるはずなのに、自らその可能性を捨てるような方向に向かってしまっている。もちろん、ハンスの周りが彼に圧力をかけて、彼がそのようになることを助長したということもあるだろうが、彼がほんの少しでも考えを変えていれば、というようなことをこの本を読んだときには感じた。ハンスの時代、というよりもヘッセの時代には、エリートがその価値を軽く見るような気持ちの転換は難しかったのだろうと思う。今の時代はどうだろうか。エリートの価値がかなり下がってきているとは思うのだが、エリートから挫折した人間の悲しみはもっと深くなっていたりしないだろうか。これはエリートでない人にとっても不幸なことではないかと思う。ハンスは挫折の中でも、誰かを恨んで復讐をするということはなかったけれど、エリートはある種の才能には恵まれているだけに、その挫折が復讐に向かったときは不幸な結果を招く。エリートからの挫折が人生の終わりのように感じてしまう価値観を転換していく必要があるだろう。宮台真司さんは、リスペクトという感情について語っていた。ある種の挫折を感じた人が、その分野での本当にスゴイやつに「感染」して、そのすごさをリスペクト(尊敬)するという感情についてだった。このようなリスペクトを持つことが出来た人は、たとえ挫折したとしても、それが恨みや復讐にはつながらない。むしろ、これからスゴイやつになるかもしれない、まだ無名な人間を応援するようになるだろう。エリートというのは一握りの人間しかなれないのだから、大多数は挫折する。しかし、挫折したときの感情の処理として、リスペクトというキーワードはとても大事なもののような感じがする。
2009.12.17
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「チボー家の人々」を読み進めていって、ここで描かれている「少年園」の一番の問題がなんであるかということが少し見えてきた。そこは牢獄のような学校で、四六時中子どもたちを監視し、一切の自由を持たないように縛り付けている。このことも問題ではあるけれど、それ以上に問題を感じるのが、「目的と手段」あるいは「原因と結果」の取り違えであり混同という問題だ。この「少年園」は、問題行動のある少年を矯正するのが目的で、社会の秩序を乱した行為を二度と起こさせないように、秩序に従順な人間にすることが目的になる。それが社会のためによいことであると信じて、この「少年園」は経営されている。創設者であるジャックの父親の善意は疑うべくもない。ここに携わる人間たちも、矯正こそが正しいという善意にあふれている。しかし、その矯正という目的のために執られる手段は、どのような命令にも異議を唱えさせず、とにかく従順さだけを植え付けるような日常を送らせるということだ。そこには、自らが判断を行うという場面は一つもない。とにかく、そこで権威ある人間が設定した規則を守り、自分では何も考えない人間になるということが結果として現れる。これは、果たして本当の意味での矯正になっているだろうか。自分で考えることなく、権威が与えた規則に従うという習慣は、権威に間違いがない間はいいだろうが、権威が間違えたときは、それを従順に守れば守るほど地獄への道へつながっていく。社会の秩序を守ろうというのが本来の目的であったはずなのに、その目的が果たされず、社会の秩序が破壊されていくような道へと向かっていくのではないか。自律して自分で考え、自らそれを守るべきだと意識して規範を守るようにすることが本来の意味での矯正だろう。規則を守ることが目的ではなく、それは矯正された結果として現れるものではないだろうか。規則を守ることが原因で矯正という結果が出るのではないと思うのだが、ここでは原因と結果の取り違えが起こっていると思われる。「少年園」では、ほとんどの人が善意で動いているにもかかわらず、そこは子どもたちを押し殺し、人間としてダメにしていくようになっている。ここでもう一つ問題を感じるのは、ここの指導者が、本当の意味での「教育」という対象を考えていないことだ。結果的に素直で従順な子どもになればいいというくらいにしか考えていない。「教育」というのは、本来は「教育」を必要としなくなるように、個人が自分の頭で考えて判断できるように成長させるような内容を持たなければならない。しかし、「少年園」の指導者は、そのようなことを全く考えていない。少年を厳しく指導する人間が、道徳的には堕落しており、平気で嘘をつき、悪癖に身を染めているような人間だ。「教育」に対して、もっとも専門的な知識と技術を要する仕事に、全くの素人で、何の見識も持たない人間が就いている。多くの矯正施設が、おそらくそのような状態で今日まで続いているのではないだろうか。「少年園」の持つ、解決困難な深い問題ではないかと思う。「少年園」は、規則で縛り付け、行動を押しつけて矯正するような所なので、この「押しつけ」や「束縛」そのものがいけないというイメージも生まれてくるかもしれない。しかしこれはもう少し深く考えなければならない問題だろう。仮説実験授業の提唱者である板倉聖宣さんは、「子どもが押しつけと感じないことは、説明抜きにどんどん押しつけてしまった方がいい」ということを語っていた。すでに身についている規範意識に従ったものは、それを守ることに何の抵抗もないのだから、理由を説明すれば、それに絶対的な根拠がないことが逆に意識されて、規範意識が薄れてしまうのではないかと僕も思う。かつて、「なぜ人を殺してはいけないのか」というのが議論になったことがあった。これは、自然科学的な法則という観点で考えると、絶対的な根拠はなく、それが正しいことを証明できない。社会学者の宮台真司さんは、我々は人を殺せないように育ちあがっているので、「人を殺せない」のであって、「殺してはいけない」という規範を守っているのではないと説明していた。もしこのことを規範意識として持っている人がいるなら、これこそがカントが語る道徳法則(定言命題)になるのではないだろうか。定言命題というのは、仮言命題に対立する概念で、条件を持たない「~ならば~」という形ではない命題のことを意味する。「人を殺してはいけない」という命題が、何らかの条件の時に成り立つなら、それは仮言命題であり、条件なしに、すべての場合に成立すると考えるなら、これは定言命題になる。カントは、真の道徳法則は定言命題でなければならないと主張した。これは、自然科学の法則とは違う。自然科学の法則は、現実を抽象化し、抽象的な前提を設定した上で成立する法則になっているが、道徳法則には、そのような現実的な根拠はない。それでは、これが何故に法則となるのか。カントの言葉で考えると、この法則に普遍性があるのならそれは定言命題であり、道徳法則になると考えられる。つまり、誰もがこのように考えると結論できるかどうかに、これが道徳法則として成立するかがかかっている。誰もが「人を殺してはいけない」と考える社会なら、これは道徳法則になりうると考えられる。かつて、この疑問が少年から発信されたとき、日本社会はこの道徳法則を失いかけたのではないかと思う。宮台さんの言葉で言うと、「底が抜けた」状態になったのだと思う。底が抜けて歯止めがなくなったのではないかと僕は感じる。このような定言命題が道徳法則になるのなら、それは、「ダメなものはダメ」ということで大人たちは語ることが出来るだろう。それは、教育としては子どもたちに押しつけることになるのだが、子どもたちは、これが道徳法則である限りは、その押しつけを押しつけと感じることがないだろう。教育における押しつけは、このようなものに限定されて行われることが正しいのではないかと思う。教育をする方も、される方も、道徳的判断においては、間違える可能性を常に持っている。教育は、その間違いを修正していくシステムとして確立されるべきだろう。有無を言わせずに、結果的に従順になることが目的になり、手段を問わないという教育になったとき、それは間違った教育になるのではないかと思う。
2009.12.17
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この本は、宮台真司さんが「日本の難点」で紹介していたものだ。ここには「本気」で話をする先生が登場してくる。そして、その先生の「本気」が生徒に「感染」していく様子が描かれている、と宮台さんは紹介していた。確かに、この本には何か真剣に引き込まれずにはいられないものがあるのを感じる。先生の「本気」が読み手である僕にも「感染」しているような感じだ。久しぶりにこのような本に出会った。重松清という作家の本を読むのは初めてだが、非常に興味を引かれて、さらに次の本を読みたいと思うようになった。この物語は、いじめがあった中学校が舞台になっており、自殺未遂という事件をきっかけにして、いじめをなくそうと努力する姿が描かれている。しかし、その姿は、「もう終わってしまったことは忘れてしまおう」というような印象を与える。誰も「本気」でいじめのことを考えていないように見える。そこに登場した先生が、いじめの記憶を忘れてはいけないということを言い、いじめについて「本気」で考えて話そうとする。そして、これが大事なことだと思うのだが、一人の中学生が、その先生の「本気」を感じ取り、その「本気」をまた自分も表そうとしていく。印象的だったのは、この物語の表題にもあるように、「青い鳥BOX」という、いじめの告発を勧める投書箱のようなものを巡って、この先生に感染する中学生が叫ぶ場面だった。そこには、「誰かを嫌うのもいじめになるんですか?」という質問が書かれていた。この少年は、「本気」でそのことに疑問を感じていた。だから、そこにいた先生に質問をしたのだが、指導をしていた先生は、その「本気」を受け取らずに、一般的な無難な回答をした。「一人で、心の中で嫌ってるだけなら、いじめにならないんじゃないですか?」という少年の質問に対して、その先生は、「最初は心の中で思っているだけでも、すぐに態度や行動に出るようになるんだ」と答えた。少年はそれに納得できず、「じゃあ、先生には、嫌いな人はいないんですか?」と質問をたたみかけていくが、そうなると、先生の方は少年の言葉を単にへりくつを言っているものとしか受け取れなかった。通り一遍の言葉に対して疑問を感じるのは、「本気」になった人間には当然のことであるのに、その「本気」は全く伝わっていなかった。しかし、この物語の主人公の先生には少年の「本気」が伝わった。この先生の、この場面での言葉をそのまま忠実に引用すると次のようになる。「みんな間違ってる、けっ、けど、園部くんは、いま、本気で言った、本気で言ったことは、本気で、きっききき聞かないと、だっ、だめなんだ」この先生は吃音があるので、このような言い方になる。僕が、このシーンを印象深く思ったのは、「本気」が伝わる人間は、他者の「本気」も分かるということが表現されているのだと感じたからだ。この少年には先生の「本気」が分かった。それが「感染」して、少年も「本気」になった。その「本気」は誰もそれに気づかなかったが、この先生だけには分かったのだ。「本気」が「感染」するものだということがここに表現されているのだと僕は思った。「本気」は「感染」しなければ空回りするだけになる。単に、カッコをつけているだけだと思われたりもする。「本気」は「感染」した人間が存在したとき、それが本当に評価されるようになる。「感染」する人間が誰もいなくなれば、どのような「本気」も、誰からも評価されなくなる。宮台さんは、この「本気」に「感染」する能力が、今の時代では弱まりつつあるという。これが強く残っていると、他者へのコミットメントが深くなりすぎて、かえって傷つく可能性が高くなるので、現実への適応という面からいえば、「本気」への感受性が鈍くなる方が有利だというからだ。僕は、読書においては「感染」することが多く、「感染」した人の著書を片っ端から読んできたという読書をしてきた。重松清さんにも今「感染」を感じている。「感染」は、今の時代には傷つく可能性が高いかもしれないが、それと引き替えに大きな感動と喜びが得られるような気もする。やはり「感染」を味わっていきたいと思うものだ。
2009.12.16
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この物語は、キリスト教への強い関心を持っていたことと、これがノーベル賞を取った小説だという二つの理由で手にしたものだったと思う。ノーベル賞を取るほどの小説なら、きっと名作だろうという単純な思いがあった。これも若い日に手にしたことを幸運に思うような小説だった。「「クォ・ヴァディス」とはラテン語で「(あなたは)どこに行くのか?」を意味し、新約聖書の『ヨハネによる福音書』13章36節からの引用でもある」とウィキペディアでは記されている。このことは、『カント入門』(石川文康・著)という本でも次のように書かれている。「ペテロはローマをあとにし、ひたすらアッピア街道を下る。ローマを少し離れた地点で、ペテロは何年も前に十字架の死を遂げ、昇天したはずの恩師キリストの声を聞く。彼はキリストに尋ねる、「クォー・ヴァーディス・ドミネー?(主よいずこへ行かれるのですか)」。キリストは答える、「お前がローマにいる我が民を捨てるのなら、私がローマへ行って、彼らのためにもう一度十字架につかなければならないではないか」。ペテロははっと気づく。そして意を決して、殺されることを覚悟の上で再びローマへ戻る。結局ペテロは十字架に、それも逆十字架にかけられ殉教することになる。」このペテロの行為を、『カント入門』では最高の道徳的価値を持つ行為として考察をしている。カントの道徳論については、カント『道徳形而上学原論』の読書会というコミュニティで議論していることもあり、それとの関連で『カント入門』を読んでいたのだが、ここに懐かしい「クォ・ヴァディス」の言葉が出てくるとは思わなかった。ペテロの行為は、殺されると分かっているのに、「あえて」その行為を選ぶという厳しい選択をするものだ。カントの言葉で言えば「義務」から発した行為となり、それが最高の道徳的価値を持つものとなる。感情的な気持ちの問題でこのような行為を選ぶことはたぶん出来ないだろうと思う。自分にはとても出来ないと若い当時も思った。しかし、若い頃は、この行為に対するほとんど無限とも思えるくらいの大きさでリスペクト(尊敬)する感情がわき上がってきたのも確かだ。やはり若い頃に読んでおいてよかったと思う。今この物語を振り返ると、このような尊敬の気持ちとともに、それはイエスという神だからこそ選べる行為ではないかということを冷静に考えたりする。ペテロがそれを人間の身で選ぶことが出来たのは、イエスに対する強い信仰があったからではないかと思える。また、人間の身ではとても出来ないような偉大な行為をさせてくれるものが強い信仰心というものだろうとも思う。カントによると、道徳を行う「善意識」というものは、道徳的な格律(主観的な原理)、たとえば「死が待っているとしても、あえて死を覚悟して、民を救うためにローマへ戻れ」というような自分を律する規律のようなものに対する「尊敬」の気持ちから生まれるという。若い頃の僕は、「クォ・ヴァディス」を読んで、確かにそこに描かれた行為に尊敬を抱き、出来れば少しでもそれに近づきたいという気持ちが生まれてきたことは確かだから、これは本当だと思える主張だ。この物語を、大人になってから読んで、それでもなおかつこのような純な尊敬を抱くことが出来る人がいれば、その人はたぶん「善意識」において、大人になる過程で汚れずにすんだ人ではないかと思う。僕はあまり自信はない。やはり若い頃に読んでおいてよかったと思う。「クォ・ヴァディス」は映画にもなっているようだが、僕はそれは見ていない。紹介などを見ると、どうやら娯楽性の強い作品になっているようだ。娯楽性が強すぎると、僕が小説を読んで感動した部分が薄れてしまうのではないかと、ちょっと心配になる。「ブラザーサン、シスタームーン」のように、娯楽性をちょっと抑えてくれると、若い日の感動が再び味わえるかもしれない。いつか機会があったら見てみようかと思う。
2009.12.15
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この本も若い頃に夢中になったものの一つだが、『罪と罰』のラスコーリニコフと違って、この物語の主人公のジャック・チボーに対しては、僕は自分と重ねると言うよりも、ジャックのような人間になりたいというあこがれのようなものを感じて夢中になったような所がある。宮台さんの言葉で言えば、スゴイやつに「感染」したということだろうか。ジャックにミメーシスを感じていたという所だ。ジャックのどこにそんな印象を持ったかといえば、その行動に対する率直さと、原則を守って思考するラジカルさといえばいいだろうか。ジャックは本当の意味での革命家であり、自由を最高価値とする原則を守る人間だった。僕のそれまでの育ち方は、むしろジャックとは違っていた。つまり、ジャックと自分を重ねるには、その違いの方が大きかったので、ジャックに感情移入するにはかなりの想像力が必要だった。自分の個性のままですんなりと感情移入できるのは、ジャックの親友のダニエルの方が近かっただろう。僕は、ダニエルのように自由な雰囲気を持った環境で育ったからだ。ジャックは、古い名家の出身で、厳格で古い規律を持った環境で育っている。強い保守的な考え方が支配する家で育っていた。その環境は、ジャックの自由を求める気持ちを押しつぶし、厳格な規律を守るように、型に押しはめるような所のある圧力をジャックにかけてくる。それに抵抗しながらも押しつぶされそうになり、それでもなお自由を求めるジャックの姿に、自分では経験していないながらも、そのような環境に遭遇したときには、ジャックのように行動したいものだとあこがれたものだった。この物語に引きつけられたのは、そこに登場する人物がみな個性的で輝いているように見えたこともあるだろう。ジャックだけがすばらしくて、他がみすぼらしかったら、この物語は名作とは呼ばれなかったに違いない。ただ、若い頃はやはりジャックのすばらしさが大きくクローズアップされて、他の個性があまり目に入らなかったということはある。今、この物語をちょっと読み返している。他の個性を、年を経てからはもっと理解できるようになったかを確かめたいと思ったからだ。若い頃は、ジャックの敵として、保守の象徴のように感じて、むしろ憎しみの感情さえ抱いていたジャックの父親に対しても、自らが父親になったという経験を経てみると、きっと違った印象を持つだろうと思う。この物語は、マルタン・デュガールのノーベル賞と合わせて語られることが多いようだが、本当に読んだ者は少ないと言われているそうだ。これは、最初に読むのはやはり10代でなければ夢中になって読めないのではないかと感じる。10代でこれに遭遇する幸運を持つ人間が、あまりいないのだろうなと残念に思う。
2009.12.14
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僕は、今また「チボー家の人々」を図書館から借りて読んでいる。その第2巻は「少年園」とタイトルがつけられていて、主人公のジャックが入れられることになる、問題行動のある少年を矯正する施設(学校)が登場する。牢獄を思わせる学校で、ジャックは一切の自由を奪われ、自分で考えることを禁止されるような状態になる。感情の表現が出来ない、生きているとは思えないような活気のない少年になっていく。学校に対する「牢獄」のようなイメージは、今では多くの子供たちが抱いていると思われるが、特に昔のヨーロッパではそのイメージが強かったのではないかと僕は想像する。学校というのは、その当時を支配している大人たちが、子供がその社会にふさわしい行動が出来るように、ある種の習慣や性質をたたき込むところというのが一般的だったのではないだろうか。ジャックが入れられた「少年園」はまさにそのような学校だが、映画「制服の処女」で描かれていた学校も、やはり「牢獄」をイメージさせるものだった。「「制服の処女」あらすじ」を見ると、そのあらすじなどが書かれているが、ここに描かれている学校は、「凛々しく勇気と名誉とを以って辛苦に耐え悲しみにも抗して強き未来のドイツの母となる修養をつまねばらなぬ」という使命に応えるような学校だ。マルクスの言葉に、「地獄への道は善意によって敷き詰められている」というものがあった。これらの「牢獄」のような学校における指導者たちも、それこそが正しい教育であって、立派な人間を作るためにはそうすることがもっともよいのだと信じている善意の人たちだ。この人たちは、善意にあふれているだけに、それに歯止めをかけようというためらいが感じられない。その教育が、実は子供たちの感受性を破壊し、何も感じない死んだような人間を育てていることに気づかない。これは、古い伝統を守ろうとする人々には共通に見られる感受性かもしれない。ロビン・ウィリアムス主演の「いまを生きる」という映画の舞台になった学校も伝統のある全寮制の古い学校だった。その学校では、保守的な教師たちが、生徒の自由な思考や感情を抑えつけることを、正しいことと信じていた。それこそが悪に落ち込む彼らを正しく導く方法だと信じていた。西欧の学校は、子供を矯正するところであり、ある種の性質をたたき込むところというイメージが続いていたのではないだろうか。それは、自由を愛する人々からは、きっと「牢獄」のように見られていただろう。その学校が、今の欧米ではもはや「牢獄」ではなくなっているのを感じる。映画の世界でも、リチャード・ドレイファス主演の「陽のあたる教室」では、生徒の個性を引き出し、才能を最大限に伸ばすことこそが教育として正しいものだという主張が感じられる。発達が遅れた精神遅滞の青年が主人公になっていた「僕はラジオ」という映画では、この青年がありのままに振る舞うことこそが、人間として正しく美しいもので、教育によってそれを矯正するというような発想は見られなかった。現在の実際のヨーロッパ諸国の教育の実態を見ても、たいていの国では、やはり子供の個性に合わせた教育が行われているのを感じる。翻って日本の教育を見てみると、日本人における学校のイメージは、母のように包み込んでくれるものという感じで、「母校」という言葉がそれを象徴していたように思う。映画「二十四の瞳」でも、厳しいだけの先生は何か疎んじられ、批判されているように見える。やさしく包み込んでくれる大石先生こそが先生の理想だった。日本での学校は、決して「牢獄」のイメージではなかった。しかし、登校拒否や不登校が始まった頃から、日本の学校も「牢獄」のようになってしまったように感じる。しかも、この牢獄は、ヨーロッパと違って、それこそが正しいという革新的な善意によって作られているのではなく、目に見えない協調圧力というものが、それから外れることを許さない鉄格子として働いている牢獄になっている。これは、善意によって敷き詰められた地獄への道よりも、もしかしたらもっと始末が悪いかもしれない。間違った善意による圧力は、それを受けている人間にとって、「大きなお世話」という気持ちを生むことによって、それへの抵抗の意識と怒りもわいてくる。だが、協調圧力による「大きなお世話」は、たいていの場合は、それが出来ない自分が悪いのではないかという、自己否定の方向へと向かってしまうのではないだろうか。抵抗や怒りを生むエネルギーをも殺してしまう。日本の学校の深刻な問題は、牢獄でありながら、それが牢獄であることに気づかないようにさせられていることではないかと思う。久しぶりに「少年園」を読んで、このような連想が浮かんできた。若い日にこれを読んだときには、その牢獄のような学校に対する怒りの気持ちが大きくわいてきたことを思い出す。
2009.12.13
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この物語は、文学に目覚めたときに読んだ初めての外国文学として印象に残っているものだ。初めて読んだ日本文学は志賀直哉の「暗夜行路」で、これについては苦労して読み終えたという記憶がある。「暗夜行路」の方は、若かった僕には感情移入が難しかったのだろうと思う。今の年で読めばまだ違うのかもしれない。しかし、この「ピエールとリュース」は、その冒頭の場面から引き込まれていくような感じがして、この純愛物語を味わうには、当時の僕はちょうどいい年だったと思う。お金持ちではないけれど、生活苦は感じていない学問に情熱を燃やしている青年のピエールはいろいろと重なる境遇を感じたのですぐに感情移入することが出来た。違うところといえば、彼の生きた時代が戦争のまっただ中という不幸な時代だったことだろうか。戦争は彼の日常を破壊し、未来への希望を奪っていった。彼がニヒリズムと絶望の中で出会った唯一の希望と幸せが、清純なリュースという少女だった。リュースは、貧しい境遇の中にいながらも健気に生きる少女だった。この健気というキーワードは、『父ちゃんのポーが聞こえる』を読んだときも、作者の少女に感じたもので、僕の中ではかなり高い価値を持った特質だった。そこで、僕はこのリュースの姿にも引き込まれるものを感じ、ピエールが一目で恋に落ちるのに、一緒にそのような感じを抱くことが出来た。戦争の中で、未来への希望を語ることが出来ない二人は、今二人でいることの中にだけ幸せを見ることが出来ていた。この戦争がもたらす絶望に、僕は強い憤りも感じ、その後日本の戦争やそのほか様々な戦争の場面の事実というものを知りたいというきっかけにもなった。日常性を破壊する戦争というものに、どんなに大義名分があろうとも賛成することは出来ないと思ったものだ。この純情な恋物語は、今の時代にはもう古くさいと思われてしまうだろうか。しかし、そうであるならば、今の時代はなんと不幸な時代になってしまったことかと思う。この純情さに共感できるというのも、僕らの世代がまた幸せな世代だったということを語るものではないかと思う。この本は薄い文庫本で読んだので、実をいうとまた読み返そうと思って図書館で借りてみた。仕事の行き帰りの電車の中で、3日間ほどで読み終えることが出来た。そして、若い日の時の感動に近いものがまた味わえた。僕の中の純情さはまだ消えていなかったのだなと思うとうれしい気がした。若いときの純情さを持ち続けているというのも、僕らの世代の特徴ではないかと思う。今の若い世代にも、純情さの持つ価値を伝えたいものだと思う。
2009.12.13
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この小説は、その中の一部が「銀の燭台」というような題をつけられて教科書の中に入っていたのではないかと記憶している。だから僕も、たぶん最初に読んだのは、その部分だったと思うが、この一部だけを読んだのでは、道徳くさいにおいが強くてあまりおもしろいとは感じなかった。この物語は全編読み通して初めて「銀の燭台」の場面の意味も感動もよく伝わるのではないかと思う。たった一つのパンを盗んだために監獄に入れられ、働き手のいない家族のためにやむにやまれず脱獄を図った主人公のジャンバルジャンが、すべての人間を信用しなくなったとしてもそれは無理のないことだ。温かい食事と寝床を用意してくれたミリエル司教に対しても、これまでの自分の運命を考えれば、土産の一つとして「銀の燭台」を持って行くのも当然だし、盗られるような所に置いておく方が悪いと考えても仕方がない。村を離れるときに警察に見つかったのは運が悪かったのであって、ジャンバルジャンは、それが悪い行いだとは考えていなかっただろう。ところが、ミリエル司教は、自分を非難するどころか、もう一つの高価な品までも、なぜ忘れていったかといって持たせるような人だった。それは、ジャンバルジャンが「もらった」といういいわけをしたことを警察官に信用させる意味もあったのだろうが、この温かい心が本物だと悟ったジャンバルジャンは、この瞬間に人間が変わってしまう。この更正の場面は、「銀の燭台」の場面だけを読んだのではリアリティを感じられない。その前後があって初めて、そうなんだと納得がいき、登場人物に感情移入することが出来るのではないかと思う。ユゴーがここで描いた貧困の姿は、今となっては若い世代には想像することが難しいかもしれない。我々の世代がかろうじて、そのことを想像できる最後かもしれない。だが、この物語に共感し感動するには、貧困の中で高い志を持っていながらも堕落してしまう人たちの気持ちに自分の気持ちを重ねられるような想像力が必要になるだろう。我々の世代は、文学を味わう上でも幸運な世代だったと言えるだろう。僕の好きな哲学者の三浦つとむさんは明治生まれの人で、僕よりもかなり年上で祖父の世代といってもいいくらいの人だが、その三浦さんはジャヴェール警部に共感を寄せていた。ジャヴェールは、職務に忠実な警察官で、最後まで囚人だったジャンバルジャンが再び罪を犯すのではないかというのを疑って付け狙っていた人物だった。ジャンバルジャンの天敵といってもいい人間で、若い頃の僕はなかなか共感することは出来なかった。年をとってから振り返ってみると、ジャヴェールという人物は、とても原則的な人物ではないかということが分かる。原則があるからこそジャンバルジャンをそう簡単に信用することが出来なかったのではないかと思われる。だが、これだけ邪魔をした自分を、この世から消すことも出来るような立場にジャンバルジャンが立ったときに、ジャンバルジャンは、彼を助ける行動に出た。これは、ジャヴェールには全く理解できないことであり、彼の原則が崩れるような出来事だった。この原則をとうとう受け入れることが出来なかったジャヴェールは最後は自殺してしまうのだが、その姿は、原則に対してはあくまでも誠実だったのではないかと思える。こんなところが三浦さんが共感を寄せたところだったのだろうか、などと今は感じる。この物語は、ジャン・ギャバン主演の映画と、ジェラール・ドパルデュー主演の連続ドラマで二つの映像作品を見たことがある。どちらもよかったと思ったが、若い頃に抱いていたイメージからいうと、ドパルデューの大きな体格から来る圧倒的な存在感が、僕が抱いていたジャンバルジャンのイメージに近かっただろうか。若い頃の感動が再び味わえるかどうか、また読み返してみたいと思う物語だ。
2009.12.11
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この本は、大学1年の時の英語の教科書として読んだものだった。教科書というものは、「読まされている」という感覚が強いのであまりおもしろものはないのだが、この小説は夢中になって読めるくらいおもしろかった。「冬の夢」とは、主人公にとって高嶺の花と思えるような美しい少女のことだった。名門の大学を出た、家柄のよい青年が、将来を約束されて故郷へ戻ってきた。そこで遭遇したのは、美しい一人の少女だった。その少女がいるだけで周りが華やいだ雰囲気になり、誰もがその少女に注目せずにはいられない、そんな少女だった。この青年も、家柄のよい、将来性のある青年ではあった。けれども、少女を巡ってのライバルたちのしのぎ合いはたいへんなもので、やがて、とても自分には手の届かないものだとあきらめる。その少女を、冬の夢として心に刻んで青年はビジネスの世界へと飛び立っていく。青年はビジネスの世界で成功を収め、ひとかどの人間として認められるようになる。そんなある日、故郷から来た商売相手が、あの冬の日に見た夢の少女の近況を伝えてくれた。しかしそれは、青年のときに抱いていた夢を打ち砕くようなものだった。冬の夢は、手の届かない永遠に高いところにあるものだからこそ夢だったのだ。そして、その夢は、青年の頃からずっと大切に抱いていたものでもあった。その夢だった少女は、今では色あせた普通の女になっていた。成功した実業家の男とは比べものにならないくらい平凡な男の妻になり、田舎町で社会奉仕に精を出しているという。男は、その話の途中でビジネス相手の口を封じて、それ以上しゃべらせないようにしたいとどんなに思ったことだろう。冬の夢をズタズタにしたその相手を殴り倒してやりたいような衝動を感じたものだ。僕は、その気持ちに同化して感情移入していた。細かい部分の記憶では間違っているところがあるかもしれないが、スコット・フィッツジェラルドの「冬の夢」は、ざっとこんな話だったと思う。これを教えてくれた英語の先生は、この物語の一番いいシーンを試験に出すと宣言していた。僕は、何度も読み返してこの物語をほとんど覚えてしまったので、どこが出ても大丈夫だとは思ったが、一番いいシーンは、やっぱりラストの夢が壊れるところの男の悲しみと怒りを表現するところだと思った。この予想が、試験の時に見事に当たったときはうれしかったものだ。もう一つの英語の授業では「ザ・ダム」という小説を読んだが、こちらの方は、一人の男を巡って母親と娘が争うものだった。娘よりも男の方を選んだ母親の気持ちには、残念ながら同化することは出来なかったが、物語としてはかなり迫力のあるおもしろいものだった。高校までの英語はつまらないもので全く勉強する気がしなかったが、大学で接したこの二つの小説を使った英語の授業はおもしろかった。おもしろい物語で、もっと早い時期に英語を勉強したかったと思ったものだ。
2009.12.10
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この本は、涙なしには読めない本だった。それは感動の涙というよりは、この本の作者である少女を襲った過酷な運命に対する悲しみの涙だった。こんなかわいそうな運命があっていいのかという、もし僕が何かの宗教に関わっていたら、神に対する憤りの気持ちからくる涙だった。松本さんは、現代の医学では治療の方法すら発見されていない、筋肉が萎縮してしまうハンチントン舞踊病という病気と戦いながら、病院のベッドの中でこの詩を綴ったという。僕より上の世代の人たちは、「愛と死を見つめて」という映画の原作になった本が、僕が感じたようなことを感じる本だったのではないかと思う。僕は、「愛と死を見つめて」の時代にはまだ子供だったので、このようなことがわかる年になってからは、この本が僕の世代の本になったのではないかと思う。これを読んだのは、大学へ入ったばかりの、もうすぐ19才になる頃だったと思う。本そのものはもう少し早く出されていて、僕は、この本を古本屋で何気なく手にして手に入れたものだった。それが強い印象を残すものになったのは、それを感じることの出来る年に、これを読んだからだろうと思う。「健気(けなげ)」という言葉が松本さんにはピッタリくる言葉だと思った。自分自身がこのような過酷な運命の下にあるにもかかわらず、自分を助けてくれる人たちへの、愛にあふれた思いを伝える言葉の一つ一つに僕は強い感動を覚えたものだった。短い生涯を終えた人は、これほどまでに密度の濃い人生を生きるのかと、心にジーンとくるものがあった。この本は、吉沢京子主演で1971年に映画化されたようだ。でも、この映画は僕は見ていない。この時代に、もっと熱烈な吉沢京子ファンだったら見ていたのにと思うと残念だ。地味な映画だったのでDVD化されることはなさそうだ。青春の一こまとして忘れられないものだけに、映画も見たかったなと思う。
2009.12.09
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僕は22,3の頃児童文学にも夢中になった。そのきっかけになったのは、灰谷健次郎の「兎の眼」という本だった。これは何回読み返したか分からないくらい夢中になって読んだ本だった。この物語は、若い新任の小学校の女性教師が主人公だ。その先生は、育ちの良さを感じさせるお嬢さん先生で、下町のやんちゃ坊主がたくさんいる小学校ではかなり苦労しているように見えた。特に、寡黙で一言も言葉をしゃべらず、しかもハエを飼って大事にしているという、ちょっと変わった少年が一番苦労をかけていた。この先生が、単にお嬢さん先生で、人がいいだけの先生だったら少しもドラマにはならなかっただろうが、この先生はお嬢さんではあるけれど、子供たちをよく見て、子供たちの反応からいろいろなことを学び取ることの出来た先生だった。お嬢さんであって、人生経験が足りないという点では、この先生は先生としての素質には恵まれていなかった。この本で描かれている同僚の足立先生などは、人生経験豊富で、多くのことを知っているために、子供たちを理解する度量も深い。それに比べるとひどく頼りない先生に見える。だが、子供から学び取ることが出来るという、そのことがこの若い先生の、先生としてのセンスの良さにつながり、物語の進行とともに確実に成長しているということが分かる。この先生が、苦労をかけていた鉄三少年と心を通わせて、最後に作文を読むシーンなどは、何度読んでもつい感動の涙がこぼれてくるくらいいいシーンだ。このほか特に印象に残っているのは、鉄三少年と二人暮らしをしているバクじいさんという登場人物が、この先生を招いて食事をしながら話す内容だ。バクじいさんは、戦争中に特高警察の拷問を受けて自分の親友を裏切って警察に売ってしまった過去を持っていた。特高警察の拷問の末のことだったのだから、それは仕方のないことだったといいわけも出来るのに、バクじいさんは生涯その負い目を背負って生きていた。そのバクじいさんが、「裏切られる人間よりも、裏切る人間の方が何倍もつらい」と語る言葉には重みを感じたものだった。裏切る人間は、その裏切りをどうしても正当化していいわけをしたくなる。だが、それをせずに、裏切ったという負い目を背負い続けるのは、バクじいさんの誠実さではないかと若い僕は感じた。このような誠実さを持った人間の姿というものに感動し、それを描いた灰谷健次郎に心酔したものだった。僕は、だれかを裏切ったときに、それを背負い続けられるだろうか。もしかしたら正当化したくなるんじゃないだろうか、というようなことを考えていたものだった。幸いなことに、僕はバクじいさんのような、特高警察の拷問というような過酷な経験をせずにすんだので、今のところ負い目を背負うほどの裏切りをしなくてすんでいる。これは幸運なことだと思うとともに、自分の誠実さはまだ試されていないということも感じる。「兎の眼」は、奈良の西大寺の善財童子の眼だと物語では語られている。そこで僕は実際に善財童子を見に奈良に行って来た。それくらいこの物語が好きだった。後に河合隼雄さんの本をよく読むようになってからは、河合さんが推薦する児童文学をよく読んだ。優れた児童文学は大人の鑑賞に堪えるし、むしろ普通の文学よりも大きな感動を与えてくれる。「兎の眼」も、今読み返してもきっと感動を与えてくれるに違いないと思う。
2009.12.08
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僕は、二十歳前後の頃に遠藤周作の純文学が好きでたくさん読んでいた。テーマはいずれもキリスト教の信仰に関するもので、そこからは、日本人にとって本当にキリスト教的な信仰を持つことが出来るのだろうかということに対する答えを読み取っていた。僕は、高校の世界史のレポートの「ブラザーサン、シスタームーン」という映画を見て感想を書くというもので、この映画を見に行って聖フランチェスコに魅了されてしまった。その無私無欲の清らかさに感動し、これほどの深い信仰があれば、人生は大きな幸福に包まれるのだろうかと漠然と感じたものだった。それ以来キリスト教の信仰が持てるかどうかは、僕の中では大きな関心事になり、聖書などを読み始めることになる。若い頃は青春の悩みもいくつかあり、その悩みを解決するためにも強い信仰を持つことが救われるのではないかと考えたこともあった。実際に教会へ通ったこともあった。しかし、どうしても信仰への最後の一歩が踏み出せなかった。もし最後の一歩を踏み出していれば、僕は洗礼を受けて、本当のキリスト教徒になったと思うのだが、それが出来なかった。僕は典型的な理科系人間で、基本的な考えが唯物論的なものだったせいもあるのだが、教会で会う人々はみんな善良で清らかで、映画で会った聖フランチェスコのイメージが重なるような人たちだった。しかし僕はどうかといえば、打算的で、信じるということに対してどうしても疑問が先行するような人間だった。そのような自分の気持ちに答えるような文章が、遠藤周作の一連の著作だった。遠藤周作が描く人々も、強い信仰を持ちたいと思いながらも、現実に直面する問題においては、信仰よりも自分の感情や考えの方が優先して、「そうすべきではないか」という行動がとれずに、自己嫌悪の中で、自分は信仰の薄いキリスト教徒だと思いながら生きているような人々だった。このような人間でも、なおイエスは救ってくれるのだろうか、ということに、遠藤周作は、救いがあるということを信じることが本当のキリスト教だろうというような答えを与えてくれたように感じた。しかし、それは普通の意味での、功利的な形での救いではない。「沈黙」においては、イエスは何の奇跡も起こしてくれず、人々を苦しみから救うということがない。むしろ苦しみの中で死んでいく人々を見捨てているようにも見える。イエスには何も出来ない。何もしてくれない姿を見て、救ってくれないと感じたら信仰というものはもてないのだということを主張しているように僕は感じた。イエスは何も出来ないけれど、イエスは同じ苦しみをともに苦しみ、いつでも信仰を捧げる人の近くにいる、ということが感じられるというものが信仰なのだというふうに僕は考えたものだった。イエスは、信じるものに寄り添い、ともにすべてを感じてくれるということが救いなのだという感じだろうか。この信仰は、唯物論的な観点からは、現実の不正や矛盾から目をそらせることになるという批判も出来ると思いますが、若い僕にとっては魅力的な考えでした。遠藤周作の「キリストの誕生」などにもこのような考えを読み取っていました。
2009.12.07
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僕は数学少年だったこともあり、大学へ入るまでの間は、小説をはじめとする文学はほとんど読みませんでした。小学生の頃は推理小説とSFが好きだったのですが、中高生の頃はもっぱら数学関係のものと科学読み物、それから考古学的な古代に関する本を読んでいました。その反動からか、二十歳くらいの時に文学青年になり、日本と世界の文学全集を1巻からずっと読んでいくというようなことをしていました。その中で、あの頃読んでよかったと思うものを、「青春の日の読書」として思い出してみました。「人間の絆」はモームの自叙伝的な要素が濃い小説のようですが、それだけに、青春の一時期に強い葛藤や悩んだことが実感を持って胸に迫るような所がありました。主人公のフィリップは足に障害があります。これは、自分の将来を考えたときにいつも不安と葛藤を起こさせるものです。このような不安は、誰でも何か持っているでしょう。自分と重なるところがあるものだと思います。それでもフィリップは自分の好きな道である芸術の道を選んで努力をします。これも青春の一時期には誰にも経験のあるものでしょう。自分の可能性に不安を抱きながらも夢を追いたいという気持ちです。ここでフィリップは、自分を指導してくれている先生に、自分は果たして絵の才能があるのだろうかという相談をするところが今でも心に残っています。もう30年以上前のことなので正確には覚えていませんが、その先生は、「自分の人生が下り坂になり、黄昏が近づいてきたときに、自分にはその才能がなかったことに気づくほど寂しいものはない」というような言葉を返したように記憶しています。最終的にはフィリップも芸術の道をあきらめて医者になる道を選びます。まあ、医者になれるのだからフィリップの才能はかなりのものだということも出来ますが、夢をあきらめるということの葛藤は、若い日にとっては深刻な悩みでもあります。僕も当時は、学問で身を立てたいという夢がありましたが、どうもその夢は実現の可能性が低いというのを自覚してきた頃であり、この部分のストーリーが妙に身にしみて感じられたものです。これだけを聞くと、この物語は、身分相応の人生を選ぶことがいいのだという、何か道徳的な教訓を垂れているようにも聞こえますが、大きな夢の実現も幸せの一要素だけれど、身近な日常生活の中に小さな喜びを見いだすのも、それに劣らずすばらしい幸せをもたらしてくれるのだ、ということを感じさせてくれる物語として僕は読みました。今この年でこの物語を読み返しても、青春の日々に感じたような葛藤がもうないので、あの頃のような感動は味わえないと思います。その意味では、青春の日に一度この物語に触れたのは幸運でした。一度触れておけば、この年になって読み返したときも、青春の日のような感動は味わえなくても、懐かしさとともに穏やかな感動が、青春の日々とは違う種類の感動が味わえるのではないかと思っています。そして、青春の日と同じ物語を読んで、もう一度感動できるとすれば、その物語は普遍性という宝を持った本当の名作なんだろうなと思っています。今度、この作品をもう一度読み返してみようかなという気になってきました
2009.12.05
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