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ここの処は夜に雪が降り積もったりはしているが日中は概ね穏やかな天候が続いている。とはいえ起きて躊躇なく部屋のストーブを点火するくらい(起床時の室温15度以下)なのでまだまだ。雪が融け始め、幹線道路や街なかはともかく市内で一番降ったうちの区の枝道はようやくアスファルトがところどころ顔を出し始めたくらいで、庭の雪は減ったのは判るがまだまだ雪割りもできない。車庫の両側に積んだ雪も同様で、雪割りするためには敷地内で路面が出ないと重労働の甲斐もないから当面は外階段と門内通路が何とかできればいいなと思っている。このためにはスポットでもいいから気温が10度以上になってくれれば桁違いに雪融けが進むから「つばなれ」はいつかと首を長くしている。週間天気予報によればそれは来週頃からで、なるほど例年より半月、いや年によってはひと月は遅い。どこのお宅もせっせと雪割りを始めておられるがうちはまだまだ先、外階段の踊場の氷を割って日当たりの良い方の雪山に乗せ、踊り場の下一段目をようやく出せたところ。その乗せた氷がまだ融けきらず乗せた雪山に刺さっているうちは本格的な雪割りどころではない。周回遅れどころか3週遅れになるけれど、それでもゆっくりゆっくり春は来る。
2013.03.31
予報はされていたけれど、昨夜の雪は思っていたよりも多かった。小屋根はもう殆ど屋根板が見えていたのに2枚ともうっすらとだが寝る前には真っ白になっていた。一旦融けてそこから積もるというのは積もり終わった分の倍は降っていると思っていい。昨日ようやく氷を剥がした外階段の踊り場もまた真っ白になっていた。といってもこれくらいなら慌てて雪を寄せるほどでもない。明日には凡そ消えている。まだ3月だから雪が降り多少積もるくらいは当地ではよくあることで騒いだり驚いたりするような話ではないけれど、しかし今年の降りようを見ているから「まだ降るか」と内心思ってるのも本当で、札幌市内でも降雪の多いこの区では今季累計降雪量は750cmを超えた。スキー場でもあるまいに建て込んだ住宅街でこれだけ降ると、うちだけではないどこのお宅もロードヒーティングであろうが除雪機があろうが労力がかかる。屋根の雪下ろしもそうだし家を嵩上げしているお宅が殆どで外階段もあるから。しかしこれまで雪が融けない年はなかった。だからそこに希望を持ち庭を1m以上上げているために例年近所で一番遅い雪融けを迎える我が家でものろのろとだが雪割りを始める。といっても例年より半月遅れなので一番遅くまで雪が残る家の裏などは5月までかかるかもしれないけれど。昨日は久しぶりに電線にゆっくり止まっていた雀を見たが今朝はまたどこぞの繁った樹の中に避難しているんだろうなあ。
2013.03.30
昨年までの民主党政権時にはさほどの騒ぎにもならなかった「一票の格差」(私はこの造語大嫌いだが仕方がない)とやらがまたぞろかまびすしいけれど。そもそも一票には何の格差もなく私やあなたが持っているから票そのものに格差があるわけもなく強いて言うなら結果の重みに差があるという。しかし現行の小選挙区はそれがどんな差であれ按分で結果が出るのは比例区であり、小選挙区選出に限るのであれば総体からの割合ではなく「一票でも多い方」が選択されるからそこに一票の重みが関与する部分は極めて少ない。だって隣の選挙区より計算上「一票の重み」とやらが軽かろうが重かろうが得票の多い方が当選するのであればそこに重みも軽みも関係なく、先ほど書いたように案分票の割合についてだってその県選挙区で閉じた話なのだから比較するのもおかしいということになる。屁理屈はともかく。今回の相次いだ高裁での違憲判決を尊重し、かつ民主党政権のように最高裁まで引き伸ばしそれから考えるなどという事をせずにいち早く司法判断を反映させる方法は削減よりもむしろ増加じゃあないのか。小選挙区制はそれだけであればまだしも民意の反映といえるかもしれないが、比例当選の仕組みとその比例当選議員のこれまでの去就のみっともなさと選挙後の顔の見えなさに私は苛立ちを覚えてもいる。これでも自民党のネットサポーターズだから北海道選出の自民党比例当選議員は記憶し顔と名前は一致しているけれど、しかしあの激しかった選挙期間中、吹雪の中も何度か街頭演説に行ったがその比例立候補組を一度も見ていない。ここは郊外だからこんな処まで来いと言ってないが街の真ん中に党総裁が来ようという時にも見ていない。名簿に載っていて今回衆院選の前にどういう政治活動をしていたかも知っているが昨年選挙に関しては道連職員よりも幻だった。おっと話が飛んだ。削減や縮小によってのみ是正がされるという考え方そのものがすでに20年前のトレンドで、その結果財政も国政もそして国家もかなりの痛手を負ったのは記憶に新しいというか目下その修復にあたっている。なんでもイケイケドンドンやれというのではないが、しかし20年縮小ベクトルでやってきてじゃあ一体誰が希望を持てたのか、これからの国家の足腰が鍛えられたかというと私はそう感じない。縮小し見直したからこそ判った事もあったから全部が悪か善かというのではないにしろ大きなベクトルとしてやってみて判ったのが縮小削減だけが能じゃないということだと思う。議員定数にしてもこれまでの国史、経緯を無視して簡単に諸外国と比べる前に本当に現行の選挙区制度や選出数が妥当なのか、ひょっとして少ないんじゃあないのかという考え方も選択肢の一つに入れ、そこも検討しないのは片手落ちというものだと思うよ。基本的には旧中選挙区のように同じ党でも政策やアプローチ、優先順位によって選択できるような選挙制度とそしてもう少し選択の幅を広げられるように比例を止め必ず議員は選挙の洗礼を受け有権者の前で選挙運動をする、主張を経て支持を受けるというのを必須にしてほしい。そうじゃないと当選して党に行き国政に携わる中でその議員自身が自分の政策の主張を党内や国政でできるのかという疑問や危惧を持ってしまう。是正=縮小削減などというあまりに単純な物の考え方だけが蔓延るってのは選挙に限らずどうにも賛成できないよ。
2013.03.29
ここの処妙に眠い。昨日一昨日くらいまでは先週の疲れが今頃出たかくらいに思っていて、それもあることはあったけれど2日ほど2度寝3度寝が続きそれでもまだ夕方や夜の早い時間に眠くてどうしようもなくなっていた。今は隠居で自由の身だから用事がないのならいつ寝ても起きても大して問題はないが眠さの頻度が甚だしい。と書いているからといって気にしているかというとそうでもないところも我ながら図太い話だが。昨夜は確か22時頃に布団に潜り込んでしまい、いつもなら気になる下の物音すら耳に障らず寝付いてしまったが、まだ暗いうちにすっきりはっきり目覚めたところをみるとこれはただの加齢、年取って早寝早起きだあと苦笑いしてもいる。下の爺婆の物音がしない時間帯は今だったかと久しぶりの静寂も楽しんでいて、先週くらいの騒動があると昼夜この部屋のドアを開けて下の様子に耳を澄ますのが続いていたからようやく春眠を噛み締めるようになったともいう。身も蓋もない話をすれば陽気もよくなってきたから外出するのに抗アレルギー剤をこれまでよりきちんと飲むようになったからもあるんだが、その眠気と春の眠気が一緒に来て泥のように眠っているのが本当のところだろう。ということは今度こそ春が来て、まだ堆い庭や家の周りの雪が融けるということでもある。部屋のストーブも朝晩焚かねば寒いが焚いたらすぐ暖かくなり、点けたり消したりの頻度も増した。なるほど春は眠気とともにやってくる。
2013.03.28
そして施政者に群がる商売人達と渦中から置いてけぼりな武雄市民という構図が4月のCCC-TSUTAYA図書館の開館に向けてますますはっきりしている今日このごろなのですが。この図書館に関しては市長の暴言恫喝もさることながら出来上がるはずの図書館そのもの、または利用者システム情報の行き先が今以って明確でない。図書館の利用情報もしくは検索情報というのは基本的には「人権擁護」の精神と同じスタンスでいるもので、だからこそ図書館の存在はそれを公共に求めまた多くの自治体でそれが成立しているのは「そこに本があって借りられて便利」な他にも重要な要素があるから。例えば自分の書庫に置くほどではない、はっきり言えば余り置きたくはないが参考のために読みたい、またはとある著者についての傾向を調べたいという時にも図書館は使いますよね。私も大嫌いな大江健三郎などは買う気には到底なれませんからほぼ全冊借りて読みました。んで。ここで困るのは「私という人間が大江健三郎を借りた」このデータがこれまでは図書館内にのみ残るはず(図書館宣言)なのに公表された武雄図書館の資料ではこれが何故かTポイントカードに図書貸出券が併用され情報がCCCに送られることになる。ここをまず遮断する、できるとは市関係者及び市長、またはCCC関係者もしくはTSUTAYA関係者は絶対に言ってくれない。この話はずいぶん早くから識者が指摘してくれていましたが、関係者は指摘と批判の区別もつかないようで罵詈雑言返信は早いけれど肝心の指摘には誰も答えないのがここ数ヶ月の繰り返しになっております。もう一つ、うちの図書館もそうなのですが十万冊規模の蔵書ともなると館内検索システムというものが必ずあります。館内端末で検索すると「今は貸出中」とか「ここの分類の棚にあります」とか出てくるあれですね。まさかと思うがこの検索システムの情報も統一化されCCCに送られていませんよね。Tカードというのは基本的にポイントカード風情でありながらDVDレンタルが本業のようなもので当然個人情報が満載されています。Tカード自体はそこを利用したい人が自分の意志で作るものですが、まさかそのカードに紐付けられて検索した図書やら借りた図書まで把握されていると想像するとかなりぞっとします。何故ならお金を出してDVD借りる時はそれなりの嗜好、もしくは軽い興味でもあるからまだいいが、図書館の本というのはそうとは限らないからですね。むしろ自宅の書庫に置きたくないが反対意見の本でも読んでみようかい、お金を出すのは抵抗あるが読むだけは読んでみるか的な「読んでいることを知られる自体抵抗がある」書籍である場合もかなり多い。これまで例えば札幌市は図書カードといわれるものは住基カード、住民票、印鑑証明ともお得意のSapicaとも別建てで発行していますしそれが当然だと思っています。市長と市職員組合など問題の多い我が札幌市でさえこの辺りは流石に今のところ図書館の独立性というものを一応は尊重している。いや普通そうだと思うのですが困ったことに武雄市長は議会でもまた一般的なネットユーザーにもそして情報セキュリティの世界では識者と言われる方々の意見を聞くどころか所属する機関や会社の名、時には上司議員を持ちだして暗に脅迫している。自治体首長が黙れというからにはその人達が黙る「ちゃんとした裏付けと説明」がなければならないわけですが、帰ってくるのが裏付けや資料ではなく恫喝なんですね。さて、これらの後また武雄市長が妙なバランスの「匿名投書」を紹介した後秀逸なBlogがありますので紹介します。本当に分かっている武雄市民とは誰か前にも書きましたが武雄市は人口5万、町村合併後の数字ですので人口分布はかなり散らばっていましてその上選挙区も市を分けている。人口5万という数字は人脈2ホップで誰が誰だか特定できる数なんですよね。誰かの誰かの知り合いはあなたの知り合いの知り合いである可能性が極めて高く、また大都市と違って僅かなヒントで人間を特定しやすいということです。そのせいか意図的なもんだと思うんですが上のBlogにある通りこれまで把握しているだけでも2人の武雄市民がネット上では事実上黙らされる事態に追い込まれている。かなり外側から技術的な問題点、懸念を表明した人間にでさえ会社名や所属機関名を挙げた上に上司だの国会議員だの持ちだす武雄市長ですから市民が声を上げるとこんな目に遭うという見せしめでしょうか。個人的には公立図書館というのはそこに住まいする者のためだけではない日本の誇る公共財の一つだと思ってもいます。ただ建物があって本が置いてあるだけのものを図書館とは言いません。ポイントカードと図書カードを紐付けする技術的な危惧、そして憲法上許されているのかどうかすら危ぶまれる市長の恫喝、図書館というものの本来的な存続、更には自治体として売り出しているはずのFB商品の商標登録者が樋渡市長個人のものになっているなどあまりに問題が多岐に渡っているので先日も紹介しましたが佐賀県武雄市の問題について:takeoproblemここが一番項目別に日々起きている問題を纏めています。このリンクをサイトトップにも置きました。何が問題なのか見る人や観点によりそれぞれおのおのあるとは思うのですが、これがもし自分の自治体に来たらと思うとあらゆる意味で住人の危惧するところだと思うのです。
2013.03.27
東京行きから帰ってきて1週間、その間に帰着翌日朝からの爺の短い脱走やその後の異変とまではいかないが爺婆揃った春の撹乱に付き合い、昨日は爺の薬を取りに行ってようやく爺婆共にいつものおかしさ程度に戻った。この部屋は2階だから晩きり付き合っているわけではないにしろ、今回のように爺の落ち着きがなく何もなくても大声を出しまたそれに婆も歩調を合わせて怒鳴り合いが繰り返されるとどうしても下の気配を伺うことになる。これでもまだ耳は大丈夫だから夜中でも明け方でも始まる騒動に耳ざとく気がつくが、といって毎回付き合っているとまではゆかず「あ、これは長引くかな」という時に顔を出す。何せ騒動の元になっている爺は最早時間の概念が失せているから夜夜中、明け方構わずで、婆に怒鳴る前兆も玄関を執拗に開けたてしたり時には寒中でも玄関を開け放したままだったりするので油断がならない。寝ることは寝ているし寝る暇もある生活だが、眠気が取れない1週間でもあった。起きてみるとうっすらと外階段に雪が積もっているのにも気づかず昨夜は寝こけたものとみえる。さっきまで薄陽も入っていたのに今は雪が舞っているから予報より気温は低い。春になるとおかしいのが出てくるというのを家の中で、それも一人が引き起こしもう一人が連動するのを毎日見ていると春は来ているらしいけれどもう少し暖かくなるとまた変わり目で似たような騒動になるのかなと、こちらの方はやや憂鬱。春になれば思うように外に出られなくなるのも相俟って心情的にはもう雪は沢山、早く融けろと思いつつ毎年同じ事を言っているのに平気で冬と同じペースで外仕事や買い物に付き合わされるんだろうなと、それをどう躱すかまで考えるとうんざりするのでせめて体力は戻しておかないと。アレルギーの話をすると必ず自分の漆かぶれを克服した話を持ち出すあの神経だけは我慢できない。認知症もやむを得ないといいながら無神経だが鬱になる前から無神経だった人間とまた神経を削られる春がきた。この疲れを解消するには部屋に閉じこもり口を利かないのが一番なんですがね。
2013.03.26
今夜だけかもしれないのでお題に「多分」と書いたのだが、春めいてきたと同時に認知症とはいえ妙におかしくなってきていた父が少し落ち着いてきた。これは鬱の母もそうで、今回はうまいことというか運悪くというか爺婆の波長が妙に合ってしまいここんとこずっと爺婆の怒鳴り合いを下を伺いながら聞いてこれはまずいかなと思うと下に降りる生活が1週間ほど続いていた。つまりお江戸から帰った翌朝の父の90分脱走から。こうなってしまうと理屈や多少の事で変わるものではないからとにかくまず母に落ち着いてもらい合間に父の様子を見つつ時間が過ぎるのを待つしかないのはこの2年半で悟ってもいる。そしてようやく昨夜から少し爺婆が落ち着き、久しぶりに部屋のドアを閉めて静かな夜を迎えている。安堵したのかそれともネットやらに集中できるせいか午前中から爺の薬を取りに行きついでにお使いもあるのにまだ眼が爛々としているのも困ったもんだが、気持ちが少し楽になったせいか寝不足は後で取り返せばいいやと高も括っている。実質的にこの1週間というものはネット絡みの事は眺めているだけのすっ飛ばしで、昨夜も返信しなきゃならないメールを見事にスルーしていたのを叱られた。他にもやらなきゃならないこと…まではいかないがそれなりでぽつぽつこつこつやらねばならないこともほんの1週間で積み上がっている。今からこんなことではどうにもならんなと自嘲しつつそれでも静かな夜を満喫しております、はい。
2013.03.25
例年、3月も半ば過ぎると街なかは勿論ここ郊外でも雪の色が濁り汚れてくる。今年は半ばどころか昨日も雪が積もりその汚れを上書きしてまだ白くしているけれど、それでもそこここの色合いが濁ってきている。下地と記憶がなまじっか白いせいか薄汚れ感が半端ないんだが、しかしこの小汚い雪の色は春に向かっているのを実感させることの一つでもある。今年のようにほぼ毎日雪が降り、本当は止んでから雪かきをするのが一番効率がいいけれど、そうもゆかず降りしきる最中に雪かきをしていると降る雪の音が聞こえたりまた降っている最中の雪の色に気づく。寒中の雪は耳元や積もりながら「しゃらしゃら」と音を立て、また降ったばかりの雪は青みがかった白だからいくら積もっても真っ白に見えるのだ。それが3月半ばともなると道路だけじゃなく積もりっぱなしの庭の雪もどことなく薄汚れてきて春の陽光の反射も鈍くなる。薄汚れているから融けやすくなるのかそれとも融けつつあるから雪の中の塵埃が目に見えてくるのかは判らないが、この汚い雪は春への第一歩になる。今日は穏やかな陽の光が入ってきているが、真冬なら眼を開けていられないほどの雪の反射がもう失せている。これで春がくる。
2013.03.24
本日から交通系ICカードの全国相互利用サービスが始まります実はこれで私は先日の東京行きでPasmoもしくはSuica買うのを止めて山手線はKitaca、地下鉄は現金で乗り通したんですよね。実施がもう少し前ならと思わなくもなかったけれど大して乗るわけではなかったですし。ただこれ私のように北海道のKitacaを使う場合には大きな問題にはなりませんが、文中にもあるようにエリアをまたいだ利用ができないというのは特に首都圏と東海エリアがくっついている時などは要注意。ですがこの前の東京で実はあれっと思った事があったことはあった。日程の最後、羽田に向かうのに山手線から京急に品川で乗り換えた時。あそこは大きな連絡口で京急ホームに入れます。ですが私は山手線にKitacaで乗ってしまい、乗り換えが京急ですから降りるときにはKitacaは使えない…から一旦山手線改札出て改めて京急の切符買うつもりだったのに吸い寄せられるように京急連絡口に行ってしまった。ラッシュの前で窓口も空いていたのでKitacaを差し出してみたら一瞬ひるまれたものの無事窓口の向こうで精算し、京急の切符を渡されそれで横の京急改札を通って空港行きに乗れました。来た時はちゃんと連絡口じゃない京急改札まで出たんですが帰りは魔が差したとしか思えない。山手線中央改札の場所は把握できていましたから迷ったとは言いがたく行ってしまった。おそらくですが私のようなのがそれなりの数いるんじゃあないかと。連絡口の方が非常に近いので足を引いて大荷物担いでいたから同情してくれたのかもしれませんが。しかしこれからの機会があるかどうかは判りませんがとにかく今日からはKitacaがあればどこぞに出かけてもエリア境界にさえ気をつければこれ一枚で移動ができる。似たようなカードを持つことがあまり好きではない私のような者には便利になりました。後は最寄りコンビニでチャージが出来れば言うことがない。こちらでもKitacaは街なか、特にJR駅近く構内では便利に使っています。自販機やちょっとしたものをいざ荷物持って買うという時にいちいち財布を出さずともカードがあれば買えますからごそごそした挙句小銭を落としてということもない。これでまた心理的な距離感も一つ減ったという感じでしょうかね。
2013.03.23
懇親会まで書きましたな。実は今回のお江戸行き、あまり派手に言って回ったわけではないのですがフォロアーさんやそれまでの知り合いにお茶でもどうだというありがたいお誘いも結構ありました。ただ、夜が空いているのが日曜、昼が空いているのが月曜という普通の方にご負担になる上に店も探しにくいという日程でしたから最初は一人でふらふらするつもりでした。それでも日曜夜でもいい、そして月曜昼間でもいいという親切な方もおいでで、結局日曜夜の約束の方は土壇場になって体調を崩されキャンセルになりましたが、正直その日その時になってみると私の疲労も限界でして大きな声では言い難いですが却って助かったと思っています。懇親会が終わり前の党大会でご一緒した方々とお茶でもということになり、私を入れて6人でほのぼのとお茶を飲み、ホテルにチェックインしたのは確か19時前。大荷物を担いで部屋に入るとそれまでの緊張感や疲れがどっと出たのに空腹も相まって手を洗うのがやっと。へたりこんでいつつその時点ではまだ約束が生きていると思っていますが、それでも念のためメールチェックなどはしなきゃならない。空腹も過ぎて食欲もなくしていましたが、とにかく何か口に入れてそれからネットの出来る場所にと。スーツも靴ももう無理と諦め春物セーターにジーンズ、スニーカー、コート、スカーフと小さいバッグでひとまず夜寝る前につまむものや雑誌などを買うついでにPCのある場所に出ました。虫の知らせとでも言うのかその夜の約束の方の体調不良を知ったのがまさにその時。お話したいこともあったしお渡ししたいものもあり残念に思ったんですが体力も限界に近かったのも事実で、すぐさまコンビニに向かいました。若いころなら日曜だろうとなんだろうとどこという宛てがなくとも繁華街に出ていたものが20時前にコンビニ寄って真っ直ぐホテルに戻りとにかく化粧を落としてベッドに潜りたくなるものなんですなあ。混んでいる時期に混んでいる場所で取ったホテルですから狭いのはともかく音が響くと困るなあと案じていたものの、少し熱めの湯船に浸かり何やら食べてちょっとニュースを見ているうちに眠気が来ました。ぐっすり眠って起きたのが7時頃。朝食は混みあう時間帯を避けて9時過ぎにしゆっくり荷物の振り分けを終えてからにしました。この日は午後にお茶をする予定で、それまでは自分の時間として2箇所ほどしか前もって予定していず、その予定場所も乗り換えに便利で行き帰りに荷物を預けるのに通る駅を起点に考えたというぐうたらさ。山手線→三田線→半蔵門線→南北線→山手線→京急で羽田という予定でした。東京の方なら何でその経路なんだと思われるでしょうけれどこれでも乗り換え入れた歩く距離、荷物を持つ手間を最大限省いたつもり。予定していた第一候補の預け場所が運良く空いていたのでそこに大荷物を置き午前中から神保町に行きました。ここは若い頃もよく足を踏み入れ、また事あるごとにほんの僅かな時間でも立ち寄れる時は寄った場所。神保町に寄れずともどこかに出かけた時は本を買うのが昔からの習慣のようなもので、裏小路やらを歩きまわり、途中でお茶一服などしつつ一冊だけ古本を買いました。お昼時近くになったところで神保町離脱。次の予定場所でお昼を食べてその後また別にお茶ということになります。お昼も相手に恵まれ充実したものになりましたが、どうも前日からの食欲不振とタイミングの悪さでものが入らない。すっかり残してしまい申し訳なかったのですが移動もありますからあんまり無理してもと謝りつつ東京の予定最後になるお茶に向かいました。このお茶の相手をして下さるのは実は10年ぶりに会う方。ここにもちらりと書いた記憶もあるのですがまさに10年お互い音信不通…と言っても私は相変わらずここに日記は書いていましたが-のままだったものが縁というのは不思議なもので、とある問題をきっかけにネット上ながら再会したと。向こう様はともかく私はその間に50過ぎ、隠居になりすっかり変わり果てている。ですがカフェの奥を覗きこんですぐ判りました。そこからそれこそ10年ぶりにネットのことやらで刺激のある話ができました。向こう様は私のレベルスキルをご存知ですから非常にわかりやすく疎くなった者にも話題をあわせてくださる。そんなこんなで約1時間半。もうちょっとと思いましたがその頃丁度強風でJR各線が徐行運転を始めたようで案じてくださり、予定より早めに固い握手で地下鉄のあちらとこちらの線でお別れしました。そこから私は地下鉄経由で荷物を取り山手線から京急を乗り継ぎ無事空港へ。かなり早めに着いたんですがもうその時点から飛行機はあちこちで延着や遅れになっていましてひょっとすると帰れないかもしれない、その時はどこに泊まろうかと首を傾げていました。結局前の便は遅れていたけれど私の乗る便は予定としてはほぼ定刻、途中で気流が悪く到着が遅れた程度でしたな。強くはないもののずっと揺れ続けましたが買った本を夢中になって読みふけり無事到着。そこから交通機関を乗り換え乗り換えて最後は買い物をして足場が悪すぎるのと疲れてしまいそこからタクシーで帰宅。疲れはしましたが充実した1泊2日でした。高齢のそれも認知症と鬱の親がいるといつでも行けそうで行けるのはこれが最後か、いやまた行けるかなと思っていたりします。でも楽しかった。
2013.03.22
先日のお江戸行きは第80回自民党党大会に行っていました。実は当日だけじゃなく前日の党本部での屋台村も行きたかったのですが、そもそも行けるかどうかそのものが今季の雪と爺婆の様子見つつでしたので最終的に決めて飛行機と宿泊手配したのが2週間前。この時点でもまだ雪はどうしようもなく結局1泊2日、党大会と懇親会だけ出席しました。往きは早朝起き出して支度、党大会と懇親会が続けざまですから普通は化粧含めた身支度は現地に着いてからの方が何かといいのですが現地到着、食事やらホテルチェックイン、会場受付諸々考えるとかなりタイトになるなと思いましてがっちり化粧その他。外套は薄い膝丈スプリングコートですが会場で着るスーツの下にとっくりセーター、ストッキングの上にタイツと重ね着し靴もスニーカーでしたが羽田でセーターとタイツ、そして靴を脱ぐことにしました。追い風とやらで10分近く早着し身軽になって大荷物とハンドバッグ分けて品川へ。宿泊するホテルに大荷物を預けようと思っていたんですがリーズナブルなホテルにしてよかったと思ったのがフロント横にコインロッカーがあり、まだ午前中なので空きもあった。こんなものを預けるのに人の手を煩わせるほどじゃないなと思っていましたからこれは幸運でしたな。しかしここからが予定が甘かった。田舎もんというのは東京のターミナル駅の日曜の混み具合が判っていなかった。短く言うと軽い気持ちで昼食摂ろうと思っていたのがどこもここも満員。受付が13時ですから余裕を持ってその前に会場に着きたいわけですが桜や庭も見たい。もうほんと30分ほどで食べられる軽食程度でいいんですがこういうところに限って行列ができている。これは仕方がないなと観念し、お陰で時間はありますから最短路ではなくもう一本向こうの会場ホテル群の手前にある庭園を拝見しながら会場に早めに向かうことにしました。途中の日当たりのいい場所の桜はもう満開でした。映像や画像では知っていたものの雪に埋もれた街から這い出て自分の目で桜や緑や花壇の花を見るというのはまた違った感慨がありますな。暖かさも半端なく、ロッカーにコートも預け薄い春物スーツだけなんですがちょっと汗ばむほど。庭園に入ると少し風が渡って気持ちがよく、どこもかしこも厳しい警備のせいか案外ひと気もなくゆっくりと庭を歩き会場に向かいました。前回(2011年)もそうだったんですがこうした大きな会合ですとクロークに物預けたりすると身動きが取れず、また受付そのものが無茶苦茶混みあう。おまけに今年は与党ですから入り口では検査もあるだろうと踏んで早めに受付してしまおうと思いまして。小声で言うと喫煙所の場所やそこへのアプローチも確認したかった。この喫煙所は会場外入り口にありましたがここで中々面白い体験をしました。はっきりは書けないながら「悪口にはオチつけるかよその人がいる時は実名遠慮しろ」ということで。受付は結構な列でしたが顔見知りと並んで入り、今度発売される安倍総裁と石破幹事長の似顔絵がついたトートバッグに入った資料を受け取り会場へ…の前に身体検査を受けて入場。ここまでで気がついたのは来場されている皆様の顔、そして空気感が2011年の時とは違う。熱気がありまたなんというか皆様本当に義理かけとか人数合わせとかそういう感じがない。2011年の時は何としても自民党を支えようという悲壮感やもしくは業界団体などの義理感を強く感じたんですが今回はむしろ熱気とか期待感を先に感じました。ネットサポーターズ席もちゃんと札があり、そこにとっとと席を取ったんですが会場に人が溢れてきて「アレ」という感じになりましたが無事みんな座れたようです。3000人超いたんじゃないでしょうか。党大会は動画で公開されるはずですしニコ生でも生中継したと思いますから探して下され。ここにも総裁演説があります党大会の会場の隣が懇親会会場でして同じフロアですから移動もスムーズ、時間通りに懇親会が始まりました。地元議員さんだけじゃなく色々な議員さんにご挨拶する機会でもあります。ですが今年はものすごい人で立席ですが会場内移動が大変。終いに私ちびなのに会場奥にいたせいか軽い酸欠状態になり一旦会場を出てすーはーしたり汗引かすのに外の喫煙所に行ったりしておりました。結局ここでは殆ど食べず仕舞い、おまけにあまりご挨拶も出来なかったのが悔やまれます。主に地元の議員さんには今回初めて作った名刺をお渡しできたのでよしとしました。長くなりましたので続きはまた。
2013.03.21
時刻を見て戴ければお分かりのように昨日付けの日記は帰着したまま寝る前に書いたもので、予定としてはお江戸での見たものなどを起きてから改めて書こうとしていた。そして寝る前に父の部屋の灯油があまりないと言われていたから起きたらすぐポリタンクを車庫から持ってくる…までは予定通りであった。何だかんだで寝て起きたのが9時前。身支度しつつブラインドを開けてひょいと下を見たら父が朝刊を大事そうに抱えて外階段踊り場にいるのを見た。実はこれだけでもここ2年なかったことで、外に出ることは勿論あるが母も私も必ず付き添っている。門を出て右か左かすら覚束なくなっているから。前の日の灯油の事かなと思い、そのまま顔も洗わずに身支度を終えて車庫に向かったが父はいない。あれ、入れ違いで部屋に戻ったかそれともトイレかと見てみたがいない。母に声をかけ、灯油を運び入れてそのまま探しに飛び出したけれど姿が見えない。前回のこともあったので一旦家に戻り警察に電話した。この警察を待っている間Twitterに父の近影を挙げて「いなくなりました」と書いた。雪融け時期でもあるので警察の到着も早かった上に2年前の履歴も残っていたから説明も短く済み、前回撮っておいた父の近影をデジカメで見せつつ手配の為の承諾書のようなものを書き終えるか書き終えないかくらいのタイミングで玄関で音が聞こえ、もしやと思い出てみたら父が玄関フードを開けようとしていてもう一人それを助けていた。門の前にはタクシーがドアを開けたまま止まっている。普段から下の様子に耳を澄ましているせいか耳聡いので私が「んっ」と言いながら居間から飛び出したのだが警察官2人も玄関に来てもう一人-タクシー運転手さん-に概略ながら話を伺い、父がどこも怪我せずお金も持っていたようなのでとりあえず部屋に入れて一応は落着となった。この間約1時間半。タクシーの運転手さんに心ばかりの謝礼をし、警察官に頭を下げパトカーを止めてもらった隣家に挨拶に行きこれで終わったけれど、ここ2年自分一人で外に出たことがなかった父が突然このようなことになったのには驚いた。自室に戻りTwitterに帰って来ましたと書いたけれどRTが止まらないので元Twを宣言後削除してネットの方も落着ということになった。よりによって東京往復から帰宅した翌朝かよと思ったのも本当だが、こういう間の悪いことはままあるもので。10年前にネットセキュリティ絡みで東京に出かけ懇親会のようなものが面白く朝まで話し込み殆ど寝ずに札幌に戻って仕事して泥のように眠った明け方地震があったのをひっそり思い出してもいた。
2013.03.20
自称晴れ婆の名誉wにかけて羽田までの道中出たり入ったりの外歩きは何とかお江戸の天候は保ったようでしたが飛行機に乗ってる間までの神通力はなかった。東京のJR線の所々と直通地下鉄のダイヤが怪しくなってきたところで羽田に予定より早く飛び込んだのは正解だったようです。空港でかなり待ちましたが揺れながらも無事帰着しました。母は「帰ってこれないかもしれない」と思っていたようですが予定よりやや遅れて昨夜2230頃着きました。お江戸は行事と久しぶりに会う方々に恵まれて大変充実しまた自分の時間も充分取れて楽しかったです。ただ、困ったというか迷った挙句碌に食べていなかったのが今の酷い疲労感の元凶な気がします。書けないことばかりに巡りあったというかなんというかアレで「行ってきました帰って来ました」ですいませんという感じなのですが。自分の時間というのは神保町をかなりふらふらできたこと。荷物のせいかそれとも冬の間中傷めていた膝や腰や足首が一気に疲労で悪化したのか判らないのですが、昨日朝起きた時からすでに片足引いていまして足の甲と脚を繋ぐ甲やら足首やら踝など全部が錆びたみたいになってえらいみっともないよたよた歩きながらそれでも10店舗ほど舐めるように眺めて1冊だけ抱えて帰って来ました。この本が今回東京に行った証でもあり記憶になります。後はおみやげ的なものは何もなく(なんか買ってくるかと聞いても無反応でしたのでとりあえずとらやの羊羹をどすっとw非常食の代わりくらいにはなるべということで。自分の神保町での時間とオフレコ話が通じる相手との会話は誠に充実し、お一方はめったに会えないながら「こういうことはこうだよね」がそこはかとなく理解しあえる、もう一方は10年以上前からのネット+リアル知り合いなので分野は違うながら一晩中でもネタ話(こちらは情報系)が出来る人。あたしゃこの分野は違うながら安心して話せて思ったところを言える知人を持ったのがつくづく幸せだなあと思いましたな。帰ってくる道々移動中は買ったフル本読んでいたんですが頭のなかは今回ほど充実しきったお江戸行きはなかったですな。11年前のイベントに匹敵する充実度でした。
2013.03.19
陽光が光り竹がそよぎ桜が咲いている東京の朝です。今身支度し、朝食を終えこれから一服して出かけます。雪の中から這い出てきた目からは「ああ、違う国だなあ」と。ごった返している朝食会場の窓から竹が揺れているのをじーっと眺めました。これから都心近くに行きぐるっと回って夕方帰路につきます。江戸道中は帰宅後に(今日中に帰れると思うので
2013.03.18
ということでまだ暗いうちに起きだしこれから支度して東京に行ってきます。今日午前の便で行って明日夜の便で帰りますから本当に用事の為に往復するようなもので、それでも知人が日曜夜、月曜昼間なのに「茶でもどうだ」と誘ってくださったのでなんだかぼーっとしている今回の短い旅でも目的の会合と併せて行く甲斐はあったなと。先日ものたりのたり書きましたが加齢のせいかそれとも冬疲れか「東京行くっ、じゃああそことここ見てえーとえーと」とかいう覇気に乏しい自覚はあるものの、元は旅好き乗り物好きですからここに来てようやくああ、出かけるんだと実感は湧いて参りました。実は昨日の雪が思いの外降り続いたのと他の要因ながら空港までのJRが減便、加えて日曜早朝ということもあって本来要らない荷物を持たねばならず、1泊なのにえらいことになっていましてな。靴と防寒なんですね。例年であればいくら市内でも雪深いここら辺りでも幹線道路まで出れば夏の靴で何とか歩けるくらいにはなっているはずなのに今年はもうどうしようもない。んで、タクシーで最寄り駅まで往復する他ないなと先にそれだけは決めていたんですが、日曜早朝というのははっきりした予約ができないと。代わりの交通機関の為に出る時間ぎりぎりに電話して近くに車がいればタクシーで、いなければ履き替えの靴が要ります。空港までは仕方がないとして今度はできれば帰り、到着ロビーのロッカーに入れていければお江戸でえっこら担ぐものが減る。腰や膝が覚束ないので何としても荷物は減らしたいがどうしようもないので持ち歩きを最低限にしたいんですね。出る時と帰る時は重装備、雪の中から這い出して行きますが向こうは桜が咲き始めている。なので靴だけじゃない出る時スーツの中に着ていくセーターもタイツも預けて行きたいのが本音です。とまあgdgd書いているうちに本来起きる時間、目覚ましが鳴りましたのでこれから支度です。いくら3月半ばでもまだ暗いですなあ。それじゃ行ってきます。
2013.03.17
JINSのECサイトに不正アクセス、1万2036件のカード情報流出の可能性この見出しだけみるといささか見慣れた流出だが、実はこれ「セキュリティコード」も流出しているとJINSが公表している。不正アクセスによるお客様情報流出の可能性に関するお知らせとお詫び(PDF)これは知る限り前代未聞で、記憶ではセキュリティコードを記録しないのがECサイト作成のお作法だったと思うのだが。簡易とはいえオンライン決済の本人証明の砦的に使われる事が多く、また入力側も桁数が少ないのでさほど煩わしくないから便宜的にとはいえ一応スキミングにも有効とされてはいた。だがセキュリティコードごと情報流出ではこれはもはや流出したカードを再発行する他ないんじゃないかと私は一報を聞いて感じている。しかしそれにしてもどこぞの個人商店が知り合いの誰かにほいっと作らせたものでもあるまいに今時セキュリティコードを記録保管しちゃっているサイトをこさえるとは評判の企業にあるまじき話で、流石にそれはなかろうと思っていたところにJINS自身からの情報公開であった。何が起きるか判らんとはこのことだが、これは侵入された企業が一方的な被害者というにはあまりに杜撰なサイトの作りであったと言う他ない。これはひどい。
2013.03.16
日付上では明日(17日)早朝家を出るから今日のうちに東京行きの身支度その他終えていなきゃならないのだが、ついついいつも通りのんべんだらりと日を過ごし、今になってメモやら駆使して忘れ物チェックがないか調べていたりする。いつもとは違いある程度身支度してから到着後大急ぎで宿泊ホテルに大荷物を預け、そこから会場へという段取りだから出る時から顔も服もなんとかしてなきゃならん。唯一の救いは会合が2つだが続けざまなので着替えの荷物が楽になったからうまくすれば荷物を持ったまま翌日移動できるだろう。とか何とか言いながら前回とは緊張感がまるで違い、本当なら目的の会合を終えた足で夜ちょろちょろし出すところだがおそらく夜は大人しく夜景見てとっとと寝るんじゃないのかと。翌日の動き方すらポイント3箇所は一応決めたが東京八重洲南口から大手町駅に歩くのがめんどいという田舎者丸出しの怠惰さで、このままいけば一箇所飛ばして2箇所になる勢い?でもある。我ながら驚いているのが今回の前準備のぎりぎり感とそして回ろうとする場所の選択で、実を言うと膝も腰も怪しいからなんとか楽して歩き回ろうというだけにしても目的も何もぼやーんとしているのですな。さすがにこれはいかんと自覚し10年ぶりの知人とお茶の約束だけはしたけれど。何だか実感の湧かないお江戸行きであることよ。楽しみなのは間違いないが自分の用事の盛り上がりが今ひとつというこれはあれだ、加齢だ。
2013.03.16
ここにはやぶさ2のバナーを貼り、滅多にしたことがないバナークリックを度々お願いしてもう数年になる。バナーリンク先は当時有志が作った「はやぶさ2を実現させよう勝手に応援サイト」であった。実は一度2011年にごく僅かながら予算がついた際、このバナーを撤去しようと思ったこともあるのだが民主党政権ということもあり経緯を見守っていた。しかし最初のリンク先のようにプロジェクトが独立し、またはやぶさの成功、報道もあって認知度も理解も進んだと見極め、この度長く貼り付けていたはやぶさ2の応援バナーを明日16日を以って外します。長い間ご協力ありがとうございました。
2013.03.15
ネット選挙解禁法案を自民党が公明・維新とともに提出、今国会成立を目指すここをご覧になっている方にはよもやおられないと思うしそこがいつも痛し痒しだがこれはあくまでもネット選挙「運動」の一部解禁でありネット投票ではない。個人的には支持政党に限らず何処の党の主張、政策でもこの耳で聞きこの目で見たいと思っていたから選挙の際の遊説、街頭日程を告知してくれるのは大歓迎だ。自民党でさえといってはおかしいが、例えばニコ動生中継でもNGワード設定をせずにいる比較的理解のある議員が多い自民でさえ、昨年末の総選挙の際に一番困惑したのが党と候補者の街頭日程が掴めなかったことだった。J-NSC会員である事をTwitterでもここでも公開しているから時には知人(他選挙区有権者)からの問い合わせが何故か私に来たり時には別の知人から「この日程を告知するにはどうすりゃいいのか」という連絡があったりもした。候補者や党幹部の演説を出来れば生で見聞きするというのは大事な機会で、党としての主張や政策に対しての比重やベクトルもさることながら「その人」を見るのはこれはネット越しでは難しい。だからその機会を得るための手段としてネットで日程を知る事ができるのはこれは有権者にとって益になると思う。また仕事で忙しくてとても街頭にはいけないという人なら街頭の動画公開もされれば直接見られずともある程度の輪郭は掴むことも出来る。もう一つこの解禁には「選挙期間中の誹謗中傷の訂正」という大事な役目もある。これはネットに限らず昔からあったことだが、例えばそれらの訂正を本人側(被害者側)ができればソースとして成立するから選挙の本質からかけ離れまた訂正もできないというジレンマから少しは良くなると思う。もう一つネットは特別な社会ではなく、モニタの前にいるあなた、これを打っている私と同じようにそこには人がいる社会の要素の一つだが、たった一つこれまでのメディアと違うのは揮発性ではなく集積性があるということだ。ここが判らないと根本的な間違いを犯しやすい。記述の勘違いや間違いに関しては特にそうで、ネットの見た目で訂正や削除をして「なかったこと」にすることがまずできない。それもただの勘違いや間違いなら後日訂正という形も無論できるけれど、明らかに悪意を持ってという場合、騒がれたからといって削除して口を拭うというのが一番間違った対処になる。人は間違うがこの間違いの訂正の仕方も見られているということでもある。魚拓やスクリーンショットなどで瞬時に保存され記憶媒体が豊富な時代だから個人がいくらでも削除前のものを保存もできる。つまり口を拭ってなかったことにするのは一番の悪手ということだ。とまあ個人的には概ねネット選挙運動解禁に賛成なのだが、無論弊害もこれから思いもよらない形で出てくることもあるだろう。利便というのはその裏腹で何か弊害も出てくる可能性もあるということで、そうなったらまた早い対応をして戴きたい。一歩進んで振り返りまた足元固めて一歩進もうとする最初の歩みが始まったと私はそう思っている。
2013.03.14
最近は寝るのが早い。早寝しなければならないようなことは何もないが、春めいてきたのと今シーズンの雪かきの疲れが少し出てきているのかそれともただの年なのか何せ眠い。今朝は少しだが雨が降っている。ゴミ捨てに行ってみると道路はぐしゃぐしゃで人が通る分にはなんとかなっているが重量車はたまるまい。こういう事がないように3月の除雪ともなればある程度路面の氷も削りながらになるし、実際先週の除雪もそうだったけれどその後また降ったので元の木阿弥。路面はそうだが敷地内はまだ雪の山で、外階段の上4段は先週せっせと氷割りし、雪かきもあり気温も高いのでなんだかんだ言いつつ吹雪に埋まりつつもなんとか氷がつかずに出てきたが、今は踊り場が融けかけた氷剥き出しになっている。今日は雨のうちにこれを割り、ほんの少しずつでも春を引き寄せようと思っている。もう少し暖かさが続けば車庫シャッター前が盛り上がりしょうがなく段をつけたところから段幅を広くしていって底の高さを減らし、日当たりのいい場所に徐々にずらしたり門内の堆く積み上がった雪も同じように段差を広げる形で底の土に向かっていく。雪が少ない場所ならこうして「ああ、減ったな」と目で見えるが、庭や積み上げた雪の山に至っては減ったような気もするがまだ手を付けかねるからまだまだかかるだろう。昨年の倍以上積雪が残り、うちの区の累計降雪量は700cmになっている。
2013.03.13
長野県栄村が震度6強の地震に見舞われたのは東日本大震災の余震と混乱のさなかだった。この日記でも栄村の被害に触れたのは3月27日付け、つまり半月も経ってから書いている。いや知らなかったわけではない。ほぼ一晩中鳴り続けた緊急速報の音、そして交通機関などの情報と共に自分の目で「長野県北部で震度6強」は見ていた。しかし今から思うと自分にこの情報をきちんと整理する余裕がなかった。知人の安否が確認できてようやく「ああ」と気づいたのが本当のところで、何の被害も受けなかったのに我ながらなんという器の小ささだと反省する他ない。当時の僅かな報道とそしてネットで伝えられた事、そして2年経って栄村のサイトを見ると今のここと同じような積雪が地すべりを防ぎその代わり耐雪構造の家屋の倒壊を招いた。今、栄村では募金期間を今月末まで延長している。また最初に貼った栄村サイトには物産、特産品もある。東日本大震災のあの被害に対しても行き届かなかった民主党政権がこの小さな村への手当てが充分であったとはとても思えず、また私を含めて世間の関心も間遠い。この折にどうか知っていただきたく。
2013.03.12
今月に入ってから盛んにマスコミが被災地に現地入りしていて、昨日もそうした番組が多かった。無論被災地の現状、これまでの2年間、そしてこれからを視聴者皆で考える大きなきっかけにもなるだろう。けれどせめて今日の追悼は被災された方々、ご遺族と共に静かにできないものか。何事もなく日常を過ごせていた人間が言うのもおかしいことながら、せめて今日この日は何かのイベント記念日のような扱いではなく、静かに瞑目する日でいてほしい。
2013.03.11
昨日の日記を書いた後すぐ雪かきに向かったが外階段への出口、玄関フードはこの有様だった。玄関フード内側から見た外この引き戸を開けるとすぐ下が外階段一段目だからつまり階段の高さ20センチとこの雪の高さ凡そ30センチを足した50センチくらい吹き溜まっていた。こういう風になると時には開かないこともあるが慌ててはいけない。今回はあっという間に積もったので運良く開いたが、開いた場合は足の幅ほど開いたらすぐ雪の上の方を蹴飛ばす。上さえ蹴ってしまえば下積みの雪は幅もあるし土台もしっかり?しているので自立するからスコップの幅に広げつつ上の方の雪だけ順番に蹴ってからおもむろにスコップで縦横に雪を放り出し始める。開かない時はうちではウインドウオッシャー液(-40度用)を引き戸の下両方隅に垂らし少しずつ動かしながら開ける。吹雪や雪、急激な気温変化の時は氷が入り込み隙間がどうしてもできるからウインドウオッシャー液は車がなくても必需品。引き戸はアルミなので金物でつつきまわすより遥かに楽で傷も付かない。心配なら数度かけた後拭き取ればいいが今のところこれといった腐食もない。んで。今は重い雪が降っている。量としてはさしたることはないが、階段の上の方などだけは雪をどけておかないと予報ではこの上に今夜から50センチ降るとNHKでもL字の低気圧情報になっている。なので除雪が入るのは月曜出勤のぎりぎり前、明け方夜中になると思われるし一度吹雪始めると雪かきも徒労に終わるのでそれまでにある程度寄せておき、本格的な雪かきは吹雪の後ということになる。風があまりなく、荒れる前にある程度融けている分を片付けておく。雪かきはともかくとして。昨日の吹雪でもそうだったが願うのはもう犠牲になる方々がいないように、ただこれだけだ。週末でも仕事や用事のある人はたくさんいるけれど、どうか準備をなさってくだされ。命の前には多少の義理はすっ飛ばすのも大事です。
2013.03.10
昨日、外階段の踊り場より上の4段の氷を綺麗にした。土日の暴風雪予想は無論知っているが、しかし気は心というか一旦綺麗にできるものはしておくと積もった後も楽だしと。で、昨日は週末の荒れも考慮に入れてお江戸行きに買っておこうかという小物や食料を買いに出かけてほっとしていた。夕方から降雪予想が40センチということになり、風も付くことだし夜が明けて収まるのを待ってから雪かきするが、その後また日曜に吹雪くという話なので寄せる程度にして日曜の吹雪後にという話をしていたのだが。やはり夜からの吹雪によく寝られなかったせいかさっきまだ暗いうちに起きた。窓の外は真っ白で向かいのお宅の門内にある軽がバンパーまで埋まり、うちも外階段がただの坂と化し、見えていた部分だけでも50センチはあった門内のコンクリート部分が埋没している。また、小屋根に出る窓も昨日までは端の屋根板が見えていたものが窓が開きにくくなるほど雪が乗った。確かに40センチは降ったようで吹雪だから吹き溜まり部分はその1.5倍はある。除雪は未だ入らず、土日といえどもそろそろ出勤の人もいそうなんだがこれでは普通の車も人も身動きがとれない。しかし手を付けかねる積もり方でもどうしようかも何も明日また降るから止み間を見てやってしまわねばならないが、この1時間の間に更に降りしきっている。用事があるのか車を出すのか向かいのお宅が雪かきを始めたが正直今ではない。灯油給油のためにわずかに開けている車庫前も今日はシャッターを開けて中側からやらないととてもじゃないが雪かきできない。予報では止み間は昼頃なんだがそこまでほっとけるのかちょっと考えてもいる。参ったなこりゃ。
2013.03.09
慌ただしい日程のお江戸行きまで10日切ったわけだが到着日は日曜で夜遅く以外全く空き時間がない上に翌日月曜も帰宅ラッシュを避けて帰ろうとしているので出発日も朝から夕方くらいしか余裕がない。元は土曜からの2泊3日の予定だったから気が抜けたのもあるが、我ながら歳を取ったなと思うのが短い時間でもここに行ってあそこを見ての心づもりの中に所謂繁華街、渋谷や新宿など方面に行こうとしていない。今そこはかとなく予定しているのは靖国神社、神保町、そして八重洲の福島県ショップで、行きか帰りに自民党本部のお土産でも買えればというくらいで本来はそこに国立博物館などを加えて見たいと思っていたものが月曜なので全滅したというのもある。行く場所も予定も詰め込まず行きたい場所を数時間かけてふらふらほのぼの歩き、あんまり重たくならない程度の買い物をしてよっこらしょという感じなんですよね。なるほど我ながら隠居の生活が身についたということと「ここには行っておかねば」の対象が様変わりしている。僅かな時間ですが行きたい処をゆっくりじっくり見てこようと思っております。
2013.03.08
昨日は珍しく午前中から爺婆がアクティブで雪が少し積もったのを気にした私とテンションの周波数が同じようになり、結局これまた珍しく母と昼前から買い物に出かけた。近隣とはいえ交通機関も使うが、当初複数店舗に行くはずだったものが雪と風で断念し一店だけで当座間に合うものだけ買ってさっさと帰ってきた。しかし母も私も人の目を気にする方ではないが妙な所で意地を張る悪い癖がある。昨日の予報は+4度ということで、出かけた時はやや雪だったけれど暖かくなるなら今更毛皮でもあるまいと高をくくって出たのが間違い。結果+4度どころじゃなくベタベタ雪の吹雪という降った端から濡れる最悪の状況だった。時間を見ていたからそんなに立ち尽くして待っていたわけじゃないけれど、私は皮ジャンとコーデュロイパンツ、母はロングコート(オーバー生地)、そして手袋が濡れたのが決定的だった。這々の体で家に着き下は焚いていたが上のここはストーブを消していったから点火…したが間に合わず夕方前には風邪のようになってきた。風邪としても大したことがないのだけは判るが一応風邪は風邪。迂闊な自分にうんざりしつつ昨日夜はほぼ養生で終わった。起きてみるとまだちょっと風邪気は残っているが熱っぽさはなく喉もほんの僅かな違和感で済み何よりものすごく眠れた。母に言わせると雪かき雪下ろしが一段落して疲れも出たんだろうということで、私もその自覚はある。何せ3ヶ月近くほぼ連日何かの雪かき作業があり、やらねば次の日は倍になるという緊張感と疲労が積み重なっていたから。だがそれにしても毎年毎年相変わらず3月のこの頃にうっかりと薄着して風邪を引くのは学習してないなと苦笑いした。もういい婆さんなんだから季節じゃあなく自分に合わせたものを着ないとねえ。
2013.03.07
ベネズエラのチャベス大統領が死去時には「デキレース」かと思うほどの強硬「姿勢」がある意味北米と南米の間のやじろべえの要になっているのではないかと感じてもいたチャベス大統領が亡くなった。療養のさなかと年が明けてからの経緯から先進国は織り込み済みではあるとは思うものの、こういうことはいざ起きてから事態がどう変遷するのかが歴史の歯車が動くということだ。そしてベネズエラ自身もスペイン占領後の独立戦争を経て20世紀に至っても繰り返されたクーデターを経験し今に至っている。昨年末ようやく終わった民主党政権の事を考えれば人様の国のことを言っている場合ではないが、民主主義というのは怖いものだと改めて今後含めて考えてもいる。結局「正義」というのは宗教とか思想とか頭のなかで一旦済ませてから現実の政治を横の頭で考えてくれとしか言い様がなく、「正しいのベクトル」はなるべく太く長く保っていないととてもじゃないが国家は安定運用できない。概ね合っているという程度が無数のベクトルが選択する制度の中では案外正道なのかもしれないと。そしてもう一つチャベス大統領が今日54になった私と幾つも違わないと知り改めて驚いてもいる。
2013.03.06
先週土曜の暴風雪で何人ものいたましい犠牲があった。Twitterでも何度か「できるだけ外に出ないでくだされ」と呼びかけたが、人には用事も仕事もある。私達道民は猛吹雪に巻き込まれ目の前が見えなくなり見当識を失うことを「巻かれた」という。今はホワイトアウトと言うのだそうだがまさに白いカーテンでぐるぐる巻きにされその上息もできないほどになり結果焦るので余計に判断を失う。そして道内の殆どの地域は車がなくば身動きも取れないから警戒情報が出ても、いや出ているから車で出かける。吹き溜まりに突っ込むというが暴風雪の間はどこが吹き溜まりなのか道路なのかはたまた道路じゃないのか判らない。そしてこの吹き溜まりもゆうに2mを超えているので大型重機でさえ突っ込むとえらいことになる。実はこうなってしまい車に閉じ込められたら一番先に考えるのはマフラー(排気管)の確保。しかし突っ込んだ時点からマフラーにも雪が入り更に吹雪だからこの雪が融けるどころか暖かいものが急激に冷やされるのであっという間に詰まる。車が出られそうならマフラーの雪をどけに外に出てもいいけれど、大の大人でもドアが開かない程の強風とそして突っ込んだなら雪の圧力がある。突っ込んだ時点でエンジンを切り、毛布などにくるまり暴風雪が和らぐまでか救助を待つ他ない。今は分からないが昔は冬ともなれば車に必ず毛布やスコップや濡れにくいジャンバー、手袋などは積んでいた。けれど第一はエンジンを止め身体が濡れないように車の中でじっとしているのが一番。登山をしたことがある方は判ると思うけれど、体力の消耗や凍死を防ぐには「濡れないこと」。これしかない。願わくばこのような惨事が二度と起きませんように。
2013.03.05
今月の半ばに用事があり、ちとお江戸に行くことになった。当初は土曜からの2泊3日と思っていたがまだこちらはまだ冬名残りで雪が多く、何かあればどうしようもなくなる上に土曜に用が出来結局1泊2日の慌ただしさになった。その為に昨日雪のなかをよっこらしょと街まで出かけ手配を済ませてきた。街は一昨日の暴風雪の後とは思えない賑わいだった。日曜というのもあるがどこもここも大層な人出で、年度替わり進級進学時期でもあるからだろう。先に用を済ませたから後はもう一つ小物さえ買えば街を離れていいのだが久し振りだし少しうろうろしゆっくりとコーヒーも飲んだ。そこからゆっくりといつもとは違うルートで帰ってきたのは古本屋さんに寄るためで、実は持っていたはずの文庫本が見当たらず、もし間違って置いてあればと当てにもせず立ち寄った。なんだろうねえ、こういう時というのは雪の中を厭わず3丁歩いたご褒美なのか。数千、いや万冊あろうかという古本屋さんでぴたりと探し当てたというかあった。朝河貫一「日本の禍機」講談社学術文庫奥付を見るとまだ新しいもので所謂読み垢もついていない。ふとその棚の下の方には淡島寒月のこれも文庫になった随筆のようなもの「梵雲庵雑話」もあったのでこちらも迷わず購入した。家に戻ると階段は埋没していたし案外疲れていたけれど気持ちというのは恐ろしいものですぐ着替えて雪かきを終えられた。ここまではよかったが午後から数時間歩いただけで案外疲れていたのだろう。いつもよりころりと寝てしまい早々と起きて除雪が入り夜の間にまた埋もれた外階段を上から眺めていた。これを打ったらもう一度雪かきし、少し横になって今度は買い物の付き添いに行くはず。ようやく晴れ上がったので気分のいい朝になりました。
2013.03.04
政府の決算書に誤記…参院委開けない状態に足りない見出しで「2010年度決算書」な上にここ読売もすぐ記事を消すので引用。引用↓ここから 政府の2010年度決算書に添付する資料の一部に、誤記があったことがわかった。 国の債務負担行為に関する資料の中に、誤った数字がいくつか見つかった。政府は今後、ほかに誤記がないかどうかを含め、数万件ある関連資料を点検する考えで、「訂正には1か月以上の時間が必要だ」(政府関係者)としている。 与党は2月中の決算の承認を目指していたが、このあおりで参院決算委員会が開けない状況となっている。引用↑ここまで誤記というから何かの言い回しの間違いかと思ったが数字を間違うとは一体どういう決算書だったのか。決算というからには細かい項目別の数字をそれぞれ間違いないか確認後足し合わせて大項目に直し更に大項目もそれぞれ確認後仕上げるという作業自体は代わりがあるまいが、当然コンピュータ使うであろう今時数字の間違いが複数見つかるということがあるのかね。2010年度だから予算も決算も民主党政権時の話ではあるが一体これでどうやって次年度の残高合わせたのか。桁は多少大きいがこれで次年度の繰越から何から数字がおかしくなるからとんでもない話になったのだけは間違いない。一体何をやってたんだ民主党政権。うちは隣のどっかみたいに統計の数字から疑われるような国じゃないのに泥塗りおって。
2013.03.03
というのも変な話だが、待ち望んでいるわけではないがまさに荒天を待っている。昨日は雪が降ったが見かけほど大したことはなく目安になる外階段に積もっていない上に夜になって雨模様になった。これはこれでまだ分厚い雪の下の氷が剥き出しになるだけ、または大きな交差点などは融けた水のゆきどころがなく大きな水たまり(泥水でしかも下はところどころ氷)で難儀はするけれどここら辺りだとまだ雪が深い上に高台なのでそこまではいかない。起きだしてみると寝る前の雨は雪にはなったらしく少し白くなっているが朝日がうっすらとだが照っていて本当に荒天になるのだろうかと思ってもいる。ただ本当に北海道の冬は恐ろしいもので晴れからものの1時間で猛吹雪というのはよくある話だから3月なのに冬というのも妙だが一番厄介な荒れ方をするのがこの3月という月。山どころか下には雪が残りその下は氷、しかし街なかや幹線道路は深く除雪が入るのでアスファルトが出ているから歩道との境目が盛り上がった氷になりそれが昼夜で融けたり凍ったりを繰り返し歩きにくくなる。大雪だったから早く融けてほしいのは山々だがいきなり融け始めると低地が溢水したり、河川に雪を捨てる不届き者も多いので今年は心配だ。また敷地の雪山を少しでも融ける方に移動させたり崩したりするのにも昨夜のように雨で締まると小さなスコップで少しずつ掘り割るしかなくなる。これを打っている窓の外には小さな山が連なっているが、その向こうの鉛色の空がこちらに向かうと大荒れになるのだろう。どうなることやら。
2013.03.02
第183回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説昨日は午前中から国会衆院予算委員会を、午後から首相施政方針演説をネットで見ていた。午前中の予算委員会質疑は主に民主党議員で、それなり閣僚を経験した「重鎮」だったけれどあまりの酷さに最初怒っていたものが次第に薄笑いに変わり最後は気の毒になってしもうた。結局国家を担うどころか物事の積み増さねや事象に対処する能力、対処の視野全てが国会地方問わず議員としてというより成人としてどうなのかというレベルなんだなと改めて3年3ヶ月の悪夢を思い出した。よく日本は持ちこたえたなと。こんな自分達のやらかしたことそっくり人のせいにしようなどという浅ましい連中の言い分をいくら聞いても日本は前に進まない。午後からの首相はじめとする閣僚の方針演説を聞いて気持ちを変えてすっきりしようとした最初の方針演説で心の底からほっとした。ほっとしたというか「ああ見ていてくれるんだな」と思えた。道民としてほっとしたのは原発の再稼働に踏み込んだ演説で、実のところ福島第一原発だって被災の原因は地震(地盤)じゃなく津波による破損と緊急電源喪失であるというのに規制委員会は断層の定義すらコロコロ変えて稼働させない方向性に従って結論を向けている。地震破損したというのならともかくあの古いF1にして緊急停止まではできていたし女川も同様で地震対処はできているのだ。問題は緊急電源の場所選定ともう一つ周辺住人の避難地域選定と避難経路であって、泊の場合なら過疎地域でもあるから国が避難指定道路をまずは複数選定し、更に50キロ圏外にヘリポートも複数整備していついかなる時でもここは除雪、保全を確約し避難車両なりヘリで100キロ圏外に逃げると決めればいいのだ。例えば泊から50キロ以上離れた市町村に一時退避所、そして更に100キロ圏にと拠点を複数選定して避難するということにすればいい。北海道は広いのでそれくらいなら整備は可能だ。何にせよ安全確認されれば原発を再稼働するというのは本来当たり前の話で、日本が経済的に立ち直るというのなら北海道も無論それに乗らなきゃどうにもならず、経済産業の米ともいえる電力が乏しいままそれを行うのは現状不可能なのだから。今札幌では元は除雪の堆積場であった広い土地に市長が何を思ったかソーラーパネルを敷き詰めそれが為にこの大雪に雪捨て場所が足りずえらいことになっているが、ソーラーパネルは埋まったままだという。そりゃそうだろう、今年の雪と寒さは近所にある「建物壁上部に垂直に貼り付けたソーラーパネル」にさえ雪氷がついている。屋根の上のソーラーはもっと無残で、屋根に積もった雪がつき半端に融けて氷が屋根板から上り屋根の重量を増やすだけの邪魔物になってしまっている。今年の雪と寒さであれば屋根にソーラーパネルを付けるのなら2mは足を履かせないと雪から逃れられず、逃れたとしても融ける暇もないほど降りしきりまたすぐ凍るし2mの鉄骨を屋根の上に組めば重量がどれくらいになるか。四の五の言うより一体どれくらいソーラーパネルを付けている家があるか、そしてそれがどうなっているか見に来たほうが早い。うちでは今季これまでに大屋根2回、小屋根2枚は3回雪下ろしをした。これでうっかりソーラーパネルなんぞ付いていた日には雪下ろしすらままならない。これから少し暖かくなる時期が春の楽しみなのだが雪かきの最もつらい時期でもある。昨日の雪はほんの15センチほどだったが重さが堪えた。けれどこれで原発再稼働という方向性になってくれれば気持ちが違う。気持ちだけではない現実に民主党政権下で円高だろうがなんだろうが上がり続けたガソリンや灯油の値段にも反映されるだろう。例年より寒くまた雪の多かった冬を電力不安で更に縮こまるようにして過ごすのはもう沢山。濡れて凍えた身体を暖かい部屋でほぐしたい。まだまだ冬と雪は続くが先に明るい兆しを感じた国会演説であった。
2013.03.01
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