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Break Timeアーティスト村上隆の美少女フィギュア Miss KOKO・ココかつて、NYクリスティーズのオークションで村上隆の造形した「HIROPON」と言う美少女の人形が38万ドル(4800万円)になり、写真の「Miss KOKO」の等身大人形が56万7500ドル(6180万円)になり、日本現代美術至上最高額をマークした事があります。※ アーティスト村上隆 氏の「Miss KOKO・ココ」の原寸大は2010年11月「村上 隆 MURAKAMI VERSAILLES Part 1」にて紹介しています。リンク MURAKAMI VERSAILLES 1 (Miss KOKO)リンク MURAKAMI VERSAILLES 2 (Tongari-kun)リンク MURAKAMI VERSAILLES 3 (Flowers)リンク MURAKAMI VERSAILLES 4 (Kinoko Isu)今回の写真はこのフィギュアを縮小して食玩サイズにしたものです。写真の品は、2003年美術手帖の付録の特別ペイント・バージョン(エディション付き)ですが、食玩として別のカラーでコンビニで一箱350円で売られた事があります。(今回は撮影しませんでした。)村上隆の人気で、その食玩は手に入れるのが大変な競争率でした。(それでも2箱の箱買いしましたが・・・。)フィギュア原型師 海洋堂の造形師ボーメ3日程大阪に行ってきます。ブログはお休みしますそれでは行ってきます。※ 村上作品展 六本木 森美術館リンク 森美術館 村上隆の五百羅漢図展
2009年10月29日
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ボルドー 4 ( サンテミリオン、モノリス教会)ボルドー地方(Bordeaux)サンテミリオン(Saint-Emillion)モノリス(一枚岩)の教会(Eglise Monolithe)前回も紹介しましたが、ここサンテミリオンの地名は、8世紀にこの地の洞窟に隠遁した僧侶聖エミリオ ン(Saint Emilion) に由来するそうです。街は小高い丘の上にあり、周囲わずか2km程の小さな街です。細い路地を登り、教会の鐘楼を目指します。モンサンミッシェルを思い出しますね。教会の鐘楼が見えて来ました。中世の趣を残していますね。モノリス教会(Eglise Monolithe)と鐘楼聖エミリオ ン(Saint Emilion)の洞窟の上に立てられた? 掘られた? 教会です。鐘楼の下の部分が「モノリス教会」鐘楼は、モノリス教会の上に乗っかっているわけです。モノリス(一枚岩)の教会(Eglise Monolithe)聖エミリオン (Saint Emilion) の死後、9世紀から12世紀にかけて地下の石灰岩層の一枚岩を削りくり貫いて作られています。高さ11m、幅20~30m。制作には300年、町の名の由来となった聖エミリオンを慕う弟子達によって作られたと言われています。モノリス教会を横から見た所。岩に乗っている建物が解ります。上の鐘楼をささえる為に内部には大きな柱があり、近年柱の周りは鉄の金具で補強されています。斜め後ろから撮影。右の建物はモノリス教会の聖エミリオン礼拝堂。モノリス教会の聖エミリオン礼拝堂の下に聖エミリオンがこもっていたと言われるエルミタージュ洞窟があります。(撮影禁止)750年~767年にそこで聖エミリオンが数々の奇跡をおこしたと言ます。奇跡は、洗礼盤の泉の水で目が見えるようになった・・・とか、エミリオの瞑想の椅子が、不妊症の女性に効いたとか・・・。聖人のミラクルの伝説がたくさんあるそうです。モノリス教会地下のカタコンベこのあたりは、石灰岩で掘りやすい為か? こうした地下の洞窟やカタコンベが無数にあるそうです。長い年月の間にその上に家が建ち、どこに幾つあるかも不明のようです。近年その洞窟が崩れて、地盤沈下事件が起きているそうです。サンテミリオンの街つづく・・・・のですが・・・・。リンク ボルドー 5 (サンテミリオン の街)
2009年10月29日
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Break Time (一休み)久しぶりの動物ネタです。今回はボツアナ、チョベ国立公園にいる仲良しキリン君です。キリンの分布は、エチオピア、スーダンの一部を含む東アフリカから西アフリカ南部にかけてと南部アフリカ中部に生息。キリン(Girrafe)界 動物界 Animalia門 脊索動物門 Chordata亜門 脊椎動物亜門 Vertebrata綱 哺乳綱 Mammalia目 鯨偶蹄目 Cetartiod科 キリン科 Giraffidae属 キリン属 Giraffa種 キリン G.camelopardalis (ラテン語で「ヒョウ柄のラクダ」を意味する)アミメキリンかな?サバンナや疎林に住むキリンは、誰でも知っている背が高い? 首の長い動物です。オスの体高は平均5.3mに達し、体重は平均425~550kgで、1tを超す場合もあるようです。極めて首は長いですが、頸骨(けいこつ)の数は7個で、殆どの哺乳類と数は同じなのだそうです。要するに一つ一つの頸骨(けいこつ)が大きいようです。そして、それを発達した筋肉で支えていると言う事のようです。この首はの筋肉は強く、「ネッキング」と呼ばれる、オス同士が首をぶつけ合いながら戦う戦法があります。発情期にメスを取りあうなどの諍いなどで起きる行動のようです。この仲良しキリンは双方オスだそうです。まだ若いバンビのような顔をしているので子供か若者? きっと兄弟かも知れません。本当に仲良しさんですが、このあたりには、この2頭しかいないようです。2~10頭で群れを作と言われていますが、実際そんな群れにはめったにお目にかかれないようです。たいてい1頭ずつポツンといるようで、2頭並んで写真に撮れたのはラッキーのようです。(このあたりでは・・・。)案外孤独な動物かも知れませんね。片時も離れないキリン君。片方の子の方が少しオチビさんです。「兄貴~。」とか言ってくっついているのかな足が長いため加速性は悪いようですが、時速50キロ程度で走る事が出来るそうです。それに足のキック力も結構あるようで、リーチがあるから応戦に効くようです。ただ、この長い足の欠点は、水を飲むときに不利のようです。血圧心臓から脳までの高低差は約2m近くあるので、大きな心臓のポンプでもないと血液を頭まで送る事はできない・・心臓は60cmくらいある? と思っていました・・・。(残念ながら心臓のサイズは不明です。)やはり動物の中で最も高い血圧を持ち、、脳まで血流を押し上げることができる仕組みがあるようです。首の血管には弁が付き、血液が逆流することを防ぐ。また、後頭部には「ワンダーネット(奇驚網)」と呼ばれる網目状の毛細血管が張り巡らされ、この「ワンダーネット」が急激な血圧の変化を吸収するそうです。「ワンダーネット」おかげで、急に頭を上げ下げをしても、立ちくらみをすることがないそうです。下の写真、右のキリン・・・ちょっと興味深い写真です。樹の葉を食べている所ですが・・・。頭をあんなに下げて食べています。首がそこまで曲がるのです。「キリンの首が長いのは、高い樹木の葉を食べられるように進化したためと考えられている。」と言うのはどうなのかな? むしろ遠い樹木の葉が食べられるから?食物の葉から摂る水分のみで、水を飲まなくても生きていられるので、乾期になっても移動しなくてよい体なのだそうです。よく樹の葉を食べてるようですが、葉だけでここまで大きくはならないのでは? と疑問です。タンパクはどこからとるのか? 脂質はどこから摂取するのでしょう・・・。柄から、このあたりのキリンでは無いようです。孤高の大人なキリンです。キリンの柄は亜種で異なると言われていましたが・・・。亜種は、地域的に隔絶した離島等で出現しやすいそうです。国立公園でもぞぞれ個体の分布差があるので、「住んでいる所で柄が違う」。柄の違いは種のせいだけではないのでは? と考えられているようです。アミメキリン・・・模様が淡くなり、蹄上の白地が目立たない。 分布・・ケニア北部、ケニア中央部、ウガンダ東部。マサイキリン・・・模様が上から続き、蹄上の白地あり。 分布・・ケニア南部、タンザニア北部、タンザニア中央部ウガンダキリン・・・模様がなく白地、蹄上の上から白地連続 分布・・ケニア北西部、ウガンダ北東部。
2009年10月29日
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ここだけ写真入れ替えました。ボルドーはまだ写真入れ替え中です。今はベルサイユで忙しいので正月すぎに編集予定。ボルドー(Bordeaux) 3 (サンテミリオン)ボルドー 3 (サンテミリオン)ボルドー(Bordeaux)サンテミリオン(Saint-Emillion)サンテミリオンの街の外(城壁の外)の畑ボルドー地区にはAOC(Appellation d'Origine Contrôlée)を名乗る地区が21あるそうです。※ AOCの説明は「ポルドー2」を見てね。有名なAOCの地区は、5地区メドック (Médoc)クラーヴ(Graves)ソーテルヌ (Sauternes)サンテミリオン (Saint-Émilion)ポムロール (Pomerol)下に主なボルドー・ワインの生産地の地図を載せました。その中でも、メドック、クラーヴ、ソーテルヌ、サンテミリオンの4地区は独自のシャトーの格付けを行っているそうです。今回は、サンテミリオンを紹介サンテミリオン(Saint-Emillion)ドルドーニュ川右岸にあるサンテミリオンは、ジロンド川左岸のメドック地区と双璧をなすボルドーの高級赤ワイン産地です。そして、ワインのみならず、この地域は、「サンテミリオン地域」の名でサン=テミリオンのコミューン共同体になっている8つの市町村とブドウ畑も登録の対象とされ、1999年に世界文化遺産に登録されています。サンテミリオンの街の中心から撮影街は少し小高い山に集落を作っていて、山の頂の教会を中心に広がっています。サンテミリオン (Saint-Émilion)は、中世に盛んになったサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼コースの札所にあたる。巡礼者の間でここのワインは大変評判となった。サンテミリオン城壁のすぐ外のブドウ畑教会のブドウ畑でしょうか?もともとサンテミリオンの村の名は、8世紀にこの地の洞窟に隠遁した僧侶聖エミリオ (Saint Emilion) から由来。この地の土壌がワイン醸造に適していた事から、エミリオに付き従った僧侶たちによって、ワインが作られ始めたと言う。先にも紹介したが、サンテミリオン(Saint-Emillion)はキリスト教の三大巡礼地に数えられるサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)の巡礼路に位置する。サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)の巡礼路を示すマーク。巡礼札所の教会の近くに必ずある聖ヤコブのホタテ貝モチーフにしたマーク。中世に高まった巡礼地めぐり。巡礼者の数は半端なかったはず。サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼は、巡礼地に至るコースにも意味があったからだ。現在も巡礼者は非常に多い。実際、この撮影もサンティアゴ・デ・コンポステーラに行く為にわざわざフランスから入ったコースなのである。聖ヤコブ(十二使徒)の聖地巡礼途上に立ち寄った巡礼者によって優れたワインの一つとしてサンテミリオン(Saint-Emillion)の名が広まったのである。リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 1 (巡礼)サンテミリオン城壁の外のブドウ畑ブドウの畑の植え付け方がメドックのシャトーと違って密集している気がしますし、ブドウの樹形も違うようです。土壌主要品種はメルロ種とカベルネ・フラン種。この地域の土壌は、表土が粘土質ですぐ下に石灰の分厚い白亜質の層があり、石灰の分厚い層が余分な雨水などの水分を吸収し、ブドウに水が少なくなるとその石灰層が逆に水分を与えてくれるのだそうです。この石灰の古い層の中にミネラル質が多く含まれていて健康で、味のある良質なブドウを育てるようです。また、畑によって土壌の違いを作り出す栄養も異なり、風味が違うのだそうです。土壌は、メルロにはふくよかな豊かな果実味を与え、カベルネフランには繊細で上品な華やかさを与える。このブドウの絶妙なブレンド、バランスの良さがサンテミリオンなのだとか・・・。たくましさと、きめの細かさ、複雑な風味を兼ね備えた長期保存に向くワインになるそうですが、メドックのワインよりはアロマの変化が速いそうです。ブドウの実のなり方もほぼ同じ高さに横に並んで実が付いています。メルロ(Merlot)かな?なんとなく素人でもメドックと畑が違うのが解りますね。最も、土壌も品種も苗木も違うのですから同じわけないですね・・・。サンテミリオン街につづく。以下はまだ未編集です。m(_ _)mリンク ボルドー 4 ( サンテミリオン、モノリス教会)
2009年10月28日
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Break Time (一休み)エチケット(シャトー・ムートン・ロートシルト)シャトー・ムートン・ロートシルト(Chateau Mouton Rothschild)ボルドー地方(Bordeaux)メドック(Medoc)ワインは第1~5級までに分類されています。AOCが土地そのものを図るのに対して、格付けは作り手を図るものだそうです。メドック(Medoc)1級格付けワインシャトー・ラフィット・ロートシルトシャトー・マルゴーシャトー・ラトゥールシャトー・オー・ブリオンシャトー・ムートン・ロートシルト第1級に格付けされているワインは、5銘柄あり、今回紹介するシャトー・ムートン・ロートシルトはその一つのシャトーです。シャトー・ムートン・ロートシルト(Chateau Mouton Rothschild)村名AOC、シャトー第1級(1973年に2級から1級に昇格)メドックのポイヤック(Pauillac)村にあるワイナリーで、所有者はロンドンのロスチャイルド家。「ロートシルト」は「ロスチャイルド」のドイツ語読み。「 Mouton 」はフランス語で「羊」。1924年までムートン・ロートシルトの各ヴィンテージは、メドックの他のシャトーと同じように、樽のままボルドーのワイン商人に販売され、彼らの手で熟成、瓶詰、販売されていた。それをいち早く自らのシャトーで瓶詰まですると言う、革新を行ったそうです。1946年以降、シャトー・ムートン・ロートシルトのエチケットは世界の偉大な画家や彫刻家、ミロ、ピカソ、シャガール、コクトーなど毎年異なる画家によってデザインされ、ムートンの商品管理とイメージを意義深くさせているそうです。(それが別のアート・ラベル・コレクターを呼んでいます。)今回は、何本か紹介。左からA.1985年、B.1985年、C.1988年A.1985年、エチケットの絵は、おそらくB.同じポール・デルヴォーの別バージョン?B.1985年、エチケットの絵はポール・デルヴォー 二人の少女と一房のブドウの魅力(目で見て、触れて、味わえる)が、別々に 分けて、水彩で描かれています。C.1988年、エチケットの絵はキース・ヘリング。左からD.1989年、E.1990年、F.1995年、G.1996年D.1989年、エチケットの絵はゲオルグ・バゼリッツ 伝統的なムートンの紋章がその年の最大の歴史的な衝撃「ベルリンの壁の崩壊」と 一緒にバゼリッツの逆さまの雄羊が描かれています。 さらに、バゼリッツは「向こう側がついに帰ってきた!」の一言を書き加えています。E.1990年、エチケットの絵はフランシス・ベーコン ワインを愛した一人として、ムートン1990年ラベルのために油彩で、ワイングラスを 取り巻くように、ボトルの曲線に沿って曲げられた奇妙な型の踊りを製作。F.1995年、エチケットの絵はアントニー・タピエ アクリル性のクレヨンで描かれたデザインは、「カタロニアで」と題がつけられ、 大地の血と人間のセンスとの、かつてない結婚が祝われ、そこに2つの ハート(心臓)、ひとつの鼻と口と耳が描かれている。G.1996年、エチケットの絵はグ・ガンエチケットの絵の希少性により、熟成具合の評価とは噛み合っていないようです。CとDのエチケットを拡大しました。Cは、キース・ヘリングの羊。Dは、1989年11月9日「ベルリンの壁の崩壊」の年なのですね・・・。感慨深いです。因みにキース・ヘリングもベルリンで、ベルリンの壁の有名なチャーリー検問所(国境検問所)の壁に絵を書いているそうです。シャトー・ムートン・ロートシルトのエチケットは、決して飲まなくても、視覚的な意味においても、それぞれに想いの詰まったワイン? 作品? になっているようです。派手で軽いと思っていた印象を覆すエチケットでした。関連リンク シャトー・ラトゥール(Château Latour )リンク シャトー・ラフィット・ロートシルトのボトル
2009年10月28日
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ボルドー 2 (メドックのブドウ畑)ボルドー地方(Bordeaux)メドック(Medoc)AOC(Appellation d'Origine Contrôlée)原産地呼称統制AOC表示メドック(Medoc)の8つのAOCメドック(Medoc)・・・15000ヘクタールメドックのブドウ畑の特徴は、河口を見下ろクループ(丸い頂き)と呼ばれる砂利まじりの小高い丘(小石、砂、砂利の混合土)の連なりだそうです。痩せて水はけの良いこの土地のワインは、こしがしっかりした赤ワインで、長期保存ができるそうです。前回紹介したシャトー・マルゴーに向かう並木道です。シャトーは後ろ側です。視界をじゃまする物があったので、反対側を撮影・・残念。近隣のシャトーボルドーワインの98%がAOCと言う、ボルドー地方は、フランス最大のAOCワインの産地です。AOC(Appellation d'Origine Contrôlée)原産地呼称統制フランスの農業製品、ワイン、チーズ、バターなどに与えられる認証で、製造過程と最終的な品質評価で、特定の条件を満たしたものに与えられる品質保証です。フランスの法律では、AOCの基準を満たさないものは、AOCで規制された名称(原産地表示)で製品を製造または販売することは違法なのだそうです。AOC表示AOCの付いた製品は、ラベルや製品そのものに印刷された証印によって識別出来るそうです。ワインのAOC製品のマークとしては、印として、ワインのエチケットには必ず「Appellation Contrôlée」または「Applacion d'Origine(生産地)Contrôlée」の表示が入り、生産地の部分には、「Bordeaux(ボルドー)」などの地方名、「Médoc(メドック)」などの地区名、「Margaux(マルゴー)」などの村名が入るそうです。メドック(Medoc)の8つのAOC2つの地区名付きAOC・・メドック、 オー・メドック6つの村名付きAOC・・・・サン・テステフ、 ポイヤック、 サン・ジュリアン、 リストラック・メドック、 ムーリ、 マルゴー。他にもいくつかの格付けがあるそうです。ブドウの木ボルドーのワイは、数種のブドウを混醸して作られます。ブレンドの比率は、その年のブドウの出来具合や、8000近くあるシャトー(醸造所を持つブドウ園)によってそれぞれ異なるので、ワインの種類が豊富になります。ボルドー産の赤ワインに使用されるブドウは、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、メルローといった品種が中心になりますが、特にこのメドック(Medoc)では、カベルネ・ソーヴィニヨンが主で、まろみを出す為にメルロ種を補っているそうです。そういえば、シャトー・マルゴーもカベルネ・ソーヴィニヨンを主体とし、メルロとアッサンブラージュしているそうです。おいしそうなブドウです。おいしいワインがもうすぐ出来ますね。今年のできはどうかな?メドックは終わりですが、つづく。リンク ボルドー 3 (サンテミリオン)
2009年10月27日
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ちょっと美容院で時間かかりました・・・。今回手抜きのパターンですが・・・。Break Time (一休み)ヘルシンキの旧型トラムだけ紹介しておきます。興味の無い人にはどうと言う事も無いものですが、ヨーロッパでは、トラムが案外多いので、いろいろな所でとりあえず紹介していく事になると思います。ヘルシンキ(Helsinki)のトラム(路面電車) Part 2 旧型車両ヘルシンキ交通局(Helsingin kaupungin liikennelaitos)・略称HKLの運営する路面電車。8路線で12系統が運行。もともとヘルシンキの公共交通は、1888年に運行が開始された乗合馬車が始めなのだそうです。(乗合馬車の話は「馬車と駅馬車」で7月に紹介してます。)その後、民間事業者により1891年に馬車鉄道がスタートし、1900年に路面電車ずスタート。1936年にはバスが運行を開始されたようです。路面電車は、1999年から新型の低床車両を段階的に導入(アドトランツ、現ボンパルディア・トランスポーテーション製低床車両)したのだそうですが、進んでいないようです。(新型車両は「ヘルシンキの朝市 2」で紹介。)旧型の車両Valmet旧型でも旧型のこちらの車両?形式: Valmet Nr I車号: 31-70製造導入:1973-1975ヴァルメト製車両形式: Valmet Nr II車号: 71-112製造導入:1983-198780号は2006年に中間部を低床化改造。ヴァルメト製車両。停車場・・よくよく見れば、片側にしかドアが無いのですね。(電車と違って・・。)車両が単頭式(運転席が片方のみ)であるため、環状線以外の路線終端部はすべてループ線となっている。ループ線終端用ループ線(ラケット型ループ線)片端だけにしか運転台を持たない車両や片側にしかドアを持たない車両の折り返しや方向転換のためor急勾配を緩和してルートを形成する手法として使われる要です。下は、ループだった所ですが・・・。写真の枠が今日はもうないので・・終わりです。
2009年10月26日
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11月第3木曜日がボジョレー・ヌーボーの解禁日と言う事で、ワインのオーダー合戦が始まっているこの頃です・・・。今タイムリー? これ以上遅くなるとチャンスを逃すので、紹介しておきます。あまりワインには詳しくないので、下手な説明を載せると通の方に何だ? と思われるといけないので、ほとんどコメントは載せませんので・・・。ボルドー 1 (シャトー・マルゴー)ボルドー地方(Bordeaux)フランス南西部、3つの川(ジロンド川、ガロンヌ川、ドルドーニュ川)の流域に広がるボルドー地方は温暖な海洋性気候に恵まれて、ブルゴーニュと並ぶワインの一大名産地です。シャトー・マルゴー(CHATEAU MARGAUX)ボルドーのメドック地区ジロンド川沿いにあります。行った事のない人でも知っているこの館は・・・。どこで見た?ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人がシャトー・マルゴーをフランス宮廷に持ち込み愛飲したとか・・・。ギリシア神殿風のシャトーの建物は1810年に完成。ワインのエチケットでした。左から1993年、1999年、2002年、2005年。一番古いのが高いのか? と素人は考えがちですが、この中で一番高いのは2005年物です。左3本のほぼ4倍の値が付いています。2005年は日照が良く、近年最高のワインの当たり年だったからです。文豪ヘミングウェイが愛して「シャトー・マルゴーのように女性らしく魅力的に育つように。」と、孫娘の名前にしてしまったと言われるワインです。シャトー近くのブドウ畑メドック地方は「真ん中の土地」を意味するそうです。それは、大西洋とジロンド川の中間に位置するからなのだそうです。シャトーの近くの畑痩せた小石と砂まじりで、暖かい土地は、水はけが良くカベルネ・ソーヴィニヨン(赤のブドウの品種)にとりわけ適していると言われています。カベルネ・ソーヴイニヨンかもしれない・・・。、マルゴーは「女王」の異名を取るワイナリー。1855年のパリ万国博覧会の際に皇帝ナポレオン3世の指示でメドックのワイン格付けが実施され、シャトー・マルゴーはブラインドテイスティングで唯一20/20点を獲得し、シャトー・ラフィット、シャトー・ラトゥールに次いで第1級第3位にランクされたそうです。以降ボルドー・ワインの黄金期と共にシャトー・マルゴーの名声はよりいっそう高まったそうですが、60~70年代に名声にかげりが・・・。ギリシャの財閥メンツェロプロス家が1977年に買収して多大な投資を行い1978年のヴィンテージから奇跡の復活を果たしたそうです。メドックの畑・・・つづく。リンク ボルドー 2 (メドックのブドウ畑)
2009年10月26日
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初期のブログなので書き直したり写真入れ替えたい部分はありますが・・。リンク先ラストに加えました。パレードの前に女王陛下の近衛兵をもう一つ紹介です。バッキンガム宮殿(Buckingham Palace) Part 6バッキンガム宮殿も今回で最後です。残念ながら宮殿内部の写真はありませんから・・。バッキンガム宮殿 6 (軍楽隊)女王の近衛歩兵連隊のパレード女王の5つの近衛歩兵連隊の楽隊宮殿前のザ・マル(The Mall)」を行進中のアイルランド近衛連隊の軍楽隊軍楽隊(Military Band)軍楽隊の基礎は17世紀にフランスで作られ、当初は、オーボエ、ファゴット、ドラムで編成され、演奏曲目は行進曲や儀式用の音楽が中心であったそうです。その後、プロイセン、トルコなど各国軍隊も楽隊を作り、楽器が増えて行ったようですが、フランスでは軍楽隊出身者がパリ音楽院の教授を務めるなど、技術的洗練と芸術性が探究され軍楽隊用の優れたベルリオーズによる名作品も生まれたそうです。今日では軍隊内にジャズ・バンドやロック・バンドを置く国の軍隊もあるようです。イギリスでは、英国連合王国として、イングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズそれぞれに各地伝承の民謡をレパートリーに加えた特色ある軍楽隊を備えて発展。女王の5つの近衛歩兵連隊の楽隊コールドストリーム近衛連隊、アイルランド近衛連隊、スコットランド近衛連隊、ウェールズ近衛連隊、グレナディア近衛連隊(近衛歩兵第一連隊)の各近衛連隊では、それぞれ楽隊を持ち、隊の決まった行進曲(テンポの速い曲と遅い曲)を持っているそうです。一部曲の紹介コールドストリーム近衛連隊 テンポの速い曲「ミラノーロ」、並足の曲「スキピオ」、「フィガロの結婚」アイルランド近衛連隊 テンポの速い曲「セントパトリツクの日」、テンポの遅い曲「レットエラインリメンバー」スコットランド近衛連隊 「ヒーラン・ラディー」、「ガーブ・オブ・オールドゴール」ウェールズ近衛連隊 並足の曲「ハーレクの男」グレナディア近衛連隊 テンポの速い曲「英国グレナディア」、並足の曲「スキピオ」、「フィガロの結婚」スコットランド近衛連隊とアイルランド近衛連隊には、軍楽隊とドラム隊の他に、バグパイプを演奏するパイプ隊も擁しているのだそうです。写真はアイルランド近衛連隊の軍楽隊ですが、バクパイプは付いていませんね。特殊な行事用でしか演奏しないのかも知れません。(行進しての演奏は無理かな?)撮影パレードの撮影は結構大変です。何しろ人が多すぎて一度構えた場所からの移動が難しいからです。式典を狙うなら、3人組くらいで兵舎側と南中央門と北中央門近辺の場所を陣取る事ではないでしょうか? ツアーで行くと時間の自由もきかないから難しいかも・・・。行進のパレードも別の組が必要。一人で狙うなら毎日通って少しずつアングルを変えて行くしかないですね。最後に宮殿のショットを・・・。バッキンガム宮殿一応終了です。Back numberリンク バッキンガム宮殿 3 (宮殿と女王の近衛兵)リンク バッキンガム宮殿 4 (女王近衛騎兵連隊)リンク バッキンガム宮殿 5 (近衛隊の交替式流れ解説) バッキンガム宮殿 6 (軍楽隊)
2009年10月26日
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朝市は今回で終わりですが・・。最後に生神女就寝(しょうしんじょ、しゅうしん)大聖堂を載せました。ヘルシンキ(Helsinki)の朝市 Part 3以前紹介したバルト海クルーズのタリンク・シリヤライン(Talink Silja Line)の船上から港の沿岸に続く朝市のテント群を撮影。(すでに夕刻ですが・・。)後方に見えるのは、ヘルシンキ大聖堂。朝市に戻って・・・・時間とともに賑わいが出てきています。お土産屋さんも出ていますが、手作りではないですよね・・・。ポストカードやマグネットがあるようです。赤い屋根が食品のようでした。屋台も沢山出ていて、家族連れが多いようです。遠目にラーメンか? と思ってしまいましたが、よく見ると、サラダ、肉、ヌードル? 等の盛り合わせコンボでした。マーケット広場のはずれ近くまで来ています。奥に見えるのが度々写真に写り混んでいるウスペンスキー寺院と、左が大統領官邸です。せっかくなので、最後にウスペンスキー寺院を紹介。ウスペンスキー寺院(Uspenskin katedraali)生神女就寝(しょうしんじょ、しゅうしん)大聖堂北欧最大のロシア正教の寺院です。1862年~1868年、ロシア帝国の建築家(アレクセイ・ゴルノスターエフ)の設計により、ヘルシンキ市街を一望できるカタヤノッカ半島の丘陵地に建立。スラブ ビザンチン様式で建築。聖堂内のテンペラで描かれている12使徒の聖障(せいしょう)イコノスタシスが巨大にして、立派、必見のようです。生神女就寝(しょうしんじょ、しゅうしん)「生神女」は、聖母マリアを指す称号。「就寝」は、ロシア語の「眠り」に由来する言葉。「生神女就寝(しょうしんじょ、しゅうしん)」とは、生神女マリアが亡くなったことを意味し、ローマカトリックでは、「被昇天」と呼ばれますが、正教会では、「就寝」と使うそうです。「祭」が付くと、正教会の十二大祭の一つ(毎年8月15日)を指し、ローマ・カトリック教会の聖母被昇天の大祝日(8月15日)と同じ意味を持った祭りとなっています。要するに、ここはマリアに捧げられた教会のようです。(ロシア正教では、マリアは聖人化していない。)いわば、ここはカトリックで言う所のノートルダム寺院に相当するのかな?朝市は終わりますが、旧型のトラムは紹介しますね。
2009年10月25日
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初期のブログなので書き直したり写真入れ替えたい部分はありますが・・。リンク先ラストに加えました。パレードの前に女王陛下の近衛兵をもう一つ紹介です。バッキンガム宮殿(Buckingham Palace) Part 5バッキンガム宮殿 5 (近衛隊の交替式流れ解説)女王の近衛歩兵連隊のパレードバッキンガム宮殿の衛兵交替式の流れ(おおよその時間)資料を入れたので長いです。ノルウェー王室の来訪があるのでしょう。今日は、イギリス国旗とノルウェーの国旗が、「ザ・マル(The Mall)」の沿道に掲げられています。下の近衛隊は新しく任務に就く爲の隊列のようです。バッキンガム宮殿、セントジェームズ宮殿、ロンドン塔の警護にあたる近衛師団に祝日はありません。女王の誕生日の儀式では女王衛兵を編成して大がかりなセレモニーとなるようですが、儀式と身辺警護の爲だけに師団がいるのではないようです。パンフによれば、およそ8000人を擁するこの師団の半分は、常時海外で軍務に服しているそうで、近衛兵は、今も英国第一級の戦士なのだそうです。旗手の旗がよく見えていませんが連隊旗ではなく、各連隊の所有する深紅の女王旗のようです。(女王がロンドンにいる時だけ掲げる旗です。)バッキンガム宮殿の警護女王が宮廷内にいる時は、少尉の指揮官(サバルタン)と40名の近衛兵で編成。女王不在の時は、士官3名と近衛兵31名で編成。バッキンガム宮殿の衛兵交替式4月~7月、毎日1回、他月、2日に1回。AM11時過ぎ~12時過ぎ。(日曜日は10時? 大雨の日は中止,直前確認必要 )バッキンガム宮殿の衛兵交替式の流れ(おおよその時間)1. バッキンガム宮殿警護の任務を終えた旧近衛兵Aが衛兵所の前に整列してから前庭に整列。 (11時07分頃)2. セントジェイムズ宮殿警護の任務を終えた旧近衛兵Bがドラムに先導されて セントジェイムズ宮殿より行進してバッキンガム宮殿へ。(11時23分頃) 南中央門より入城してバッキンガム宮殿警護の任務を終えた近衛兵隣に整列。3. 任務を引き継ぐ、新近衛隊C、Dが北中央門から楽隊を伴い入城し、前庭に整列。 (11時30分頃)4. 二人の指揮官が交替の引き継ぎを行う。(11時33分頃) 新しい歩哨の配備。 楽隊が中央門で選ばれた曲を演奏。(5つの近衛歩兵連隊は、隊の曲を持っている)5. 任務を終えた旧近衛兵A.Bが中央門より去っていく。(12時05分頃)6. セントジェイムズ宮殿配備の新近衛隊Cが中央門を出て行進してセントジェイムズ宮殿へ。 (12時07分頃)7. バッキンガム宮殿警護の新近衛隊Dが衛兵所に行進して任務に就く。(12時09分頃)簡略すると、バッキンガム宮殿とセントジェイムズ宮殿の警護隊の任務の引き継ぎ(新旧の入れ替え)を同時にバッキンガム宮殿前庭で、盛大に執り行うと言うセレモニーです。儀式中の写真はありません。5つの近衛歩兵連隊の話は前にしましたが、載せられなかった資料も添付しておきます。コートの下の制服と各隊の記章です。夏場はこの服です。(夏場の帽子は暑いですね・・。)楽隊が後に続きますが、楽隊は次回につづく。Back numberリンク バッキンガム宮殿 3 (宮殿と女王の近衛兵)リンク バッキンガム宮殿 4 (女王近衛騎兵連隊) バッキンガム宮殿 5 (近衛隊の交替式流れ解説)リンク バッキンガム宮殿 6 (軍楽隊)
2009年10月24日
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Break Time (一休み)姉がホンコン旅行から帰って来たようです。旅行全般食事以外はまずまずだったようですが、ツアーの中に浮いたペアが一組いて、「全体を台無しにした。」と怒っていました。私はあまりツアー旅行をした事が無いのですが、団体旅行は協調性が求められるので、人に気を使えない人は個人旅行にした方が良いですね。(私は人に気を使いすぎて疲れてしまう人ですが・・・。)ヘルシンキ(Helsinki)の朝市 Part 2 とトラム前回紹介したフィンランド共和国の首都、ヘルシンキの朝市の続きです。ここの朝市の条件は、手作りの品の出展だと言う話をしましたが、普通の朝市より、規模が広く、様々な種類のお店が出ていて、何よりとても賑わっています。(夏場だから・・。)花市のコーナー市場は延々と続いています。遠くに見えるウスペンスキー寺院のあたりまで、続いています。手作りの手編みのニットやセーターのコーナーです。個人の小規模の出店のようですね。おばさん達が趣味と実益を兼ねて造った小物やアクセサリーです。日本もカルチャー・ブームでこう言った品をよくもらうのですが、お金を出して買うとなるとセンス、技術、品質が求められるから、食品や花などと違って売るのは大変そうです。トラム(路面電車)湾岸のマーケット広場は距離がけっこうあるのでトラムで移動して買いたいコーナーに直行しても良いです。新型車両のトラムです。ヘルシンキ・トラムは、世界的にも早い時期(1900年)に馬車鉄道から電化に移行した路面電車で、ヘルシンキ地下鉄よりも利用者は多いそうです。写真の車両は、おそらくアドトランツ(現ボンパルディア・トランスポーテーション)製低床車両形式:ヴァリオトラム車両:201-240導入:1998-20031999年から新型の低床車両を段階的に導入したのだそうですが、技術的な問題により旧型車の置き換えはあまり進まず、この新型車両は少ないようです。別の車両はまた次回に、朝市もつづく
2009年10月24日
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初期のブログなので書き直したり写真入れ替えたい部分はありますが・・。リンク先ラストに加えました。パレードの前に女王陛下の近衛兵をもう一つ紹介です。バッキンガム宮殿(Buckingham Palace) Part 4バッキンガム宮殿 4 (女王近衛騎兵連隊)女王近衛騎兵連隊ホワイト・ホール(Whitehall)トラファルガー広場から伸びるホワイト・ホール(Whitehall)は、ロンドンのウェストミンスター地区を南北に走る道路です。英国政府の各省庁の建物が周辺に立ち並ぶ地域で、東京の霞ヶ関にあたり、政府を指す言葉としてもホワイト・ホールが用いられるそうです。通りに面しては軍事関連の官庁が多く国防省、イギリス陸軍本部、イギリス海軍本部、そして、現在、近衛騎兵連隊の司令部となっているホース・ガーズもそこにあります。ホース・ガーズ(Horse Guards)1698年の火災で焼失した旧ホワイトホール宮殿内の馬上槍試合場付属の衛兵詰め所が起源だそうです。17世紀にセント・ジェームズ宮殿が王の居城となっても入り口はホワイト・ホールにあると考えられ、現在も近衛騎兵隊の司令官が本部として使用しているそうです。ホース・ガーズで歩哨の任務中のライフガーズ連隊(冬用の外套を着ています。)午前10時から午後4時までは乗馬した近衛兵が一時間ごとに交代。女王近衛騎兵連隊ライフガーズ連隊 (The Life Guards) ・・・・緋色の制服、白の頭飾り、白い鞍 ・・・・清教徒革命期(1641年~1649年)に設立された王党派の騎兵中隊が 王政復古後に統合されて出来た連隊。ブルーズ・アンド・ロイヤルズ連隊、(ロイヤル・ホース・ガーズ及び第一竜騎兵)(Blues and Royals (Royal Horse Guards and 1st Dragoons) ・・・・青色の制服、赤い頭飾り、黒い鞍 ・・・・1650年に創設され1821年に王室騎兵隊(Household Cavalry)となった 王室近衛騎馬連隊(Royal Horse Guards)通称 Bluesと 1661年、旧王党派兵士で設立された第1王室竜騎兵連隊 (1st The Royal Dragoons)通称 Royalsが1969年に統合。王室騎兵隊(Household Cavalry)に所属する近衛騎兵連隊は2個連隊からなり、さらにその中で編成組み分けされています。(女王エリザベス2世本人の直接の意向)王室騎兵連隊(実戦任務の戦闘部隊)・・・・各々2個中隊を抽出して計4個中隊で構成王室騎兵乗馬連隊(儀仗部隊)・・・・・・・・・・各1個中隊を抽出して計2個中隊で構成女王の警護とホワイトホールの女王近衛兵の任務。128頭の馬を持つ騎兵大隊にして、英国最後の鎧を付けた軍隊なのだそうです。(もっとも現在は、戦車と装甲車の装備もされているようですが・・・。)いづれにしても歴史ある軍隊です。ライフガーズ連隊 (The Life Guards) ブルーズ・アンド・ロイヤルズ連隊、(ロイヤル・ホース・ガーズ及び第一竜騎兵)(Blues and Royals (Royal Horse Guards and 1st Dragoons)ほぼ毎朝、女王近衛騎兵連隊はハイドパークの兵舎から騎乗して、コンスティチューション・ヒルを下り、バッキンガム宮殿を通り過ぎ、「ザ・マル(The Mall)」を通って、ホース・ガーズの警護の任務に付くそうです。写真が少しボケていますが、ブルーズ・アンド・ロイヤルズ連隊が、バッキンガム宮殿前を通過して、「ザ・マル(The Mall)」に入った所です。ロンドン市警察(City of London Police)の騎馬警官の先導が付いています。女王がロンドンにいる時の編成は ・・・・指揮官1名、下士官3名、兵11名。 騎兵連隊旗が掲げられ、あし毛の馬に乗ったラッパ手が先頭に立つのだそうです。女王不在の時は・・・・下士官2名、兵10名。 騎兵連隊旗も無し。女王近衛騎兵連隊の通過時や、衛兵のパレードの時はロンドン市警察(City of London Police)も出動するようです。宮殿前は観光客でごった返しているので、確かに警官も出動せざるおえないでしょうね。つづくBack numberリンク バッキンガム宮殿 3 (宮殿と女王の近衛兵) バッキンガム宮殿 4 (女王近衛騎兵連隊)リンク バッキンガム宮殿 5 (近衛隊の交替式流れ解説)リンク バッキンガム宮殿 6 (軍楽隊)
2009年10月23日
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Break Time (一休み)映像癒されタイムです。私のハワイのお友達だったハナちゃんは、もう4年ほど前に亡くなりましたが・・。無口で大人しいハナちゃんに似た子を見つけたので・・ハナちゃんを偲んでしまいました。シベリアン・ハスキー(Siberian Husky)シベリアからカナダ北極圏にかけてのツンドラ地帯を原産地とする犬で、エスキモーから「犬ぞり」として人荷の運搬、狩猟補助犬として重用されてきた犬でもあります。ハスキーの名は、「エスキモーとその犬」を探険家や毛皮交易の北米商人がまとめて呼称した呼び名だそうです。カナダで見つけた子この子は、まだ若そうです。足が細いし・・・。(因みにハナちゃんはブルー・アイでした。)ハワイのハナちゃんは万何匹に一頭と言う犬の血液の病気にかかり、犬輸血までして立ち直り、2度ほど死にかけて・・・数年生きて、亡くなりまりした。平均的な寿命は約10~13年と言うので、暑いハワイにしては平均は行ったと思いますが、ハワイで出迎えてもらえなくなった事はとても寂しいです。散歩の時間になると無言でスリ寄ってきて、傍らによって座って「時間ですが・・・。」と、待ったり、(ハワイは暑いので散歩は早朝と夜8時過ぎです。)散歩コースを自分の好みでコース変更、最後にドーナツ屋の前で「どう?」と、言った風にするしぐさは、たまらなくカワイイのでした・・・。(何があっても吠えない子でした。)ペットの登録ところで、まだ子供の頃、暑い日中にふらっと家を出てどっかに行ってしまった事があります。暑くて危険な日中なので、必死に捜索(ダルメシアンを使って)、見つからず・・・そんな時に動物保護局? から電話があり、よその家で捕獲されているのが解りました。アメリカでは、ペットも誘拐の材料になります。だから首のタグには飼い主の名前や番号は直接わからないシステムになっています。見つけた方も犬好きの方で、タグから保護局?に電話を入れてくれたので、引き取りに行きましたが、「犬が出て行く家・・。」と一瞬虐待を疑われたそうです。ハナちゃんは、公園で、暑くなって、よその車に乗り込んでしまったようです。少しお姉さんのダルメシアンにひどく怒られていました。(吠えまくられていた・・・。)シルバー・フォックスのような毛並み。毛足が長く寒い地では良いですが、ハワイでは大変でした。家で一番涼しい場所を知っているし、クーラーの部屋から出ない彼女でした。好物はバウム・クーヘンで、行く度に日本から大量にお土産として持ち込み、牛肉ヒレ・ステーキ、ヒツジのスペアリブも好物でした。冷凍室から出した冷凍肉の固まりの匂いもかぎ分けてやって来る嗅覚はさすがです。非常に大人しく、控えめな犬種です。漫画「動物のお医者さん」で日本でも一時人気となった犬種ですが、都会では運動量がいるので、飼いにくい・・・犬が可哀想。大型犬は、広い家の中で飼える方に限ります。(どんな犬種も家の中で飼ってあげてください。外でしか飼えないなら飼うな・・・です。)病気になった時に抱きかかえて病院に行く事も考慮してくださいね。
2009年10月23日
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初期のブログなので書き直したり写真入れ替えたい部分はありますが・・。リンク先ラストに加えました。バッキンガム宮殿(Buckingham Palace) Part 3バッキンガム宮殿 3 (宮殿と女王の近衛兵)女王のライフガード 5つの近衛歩兵連隊18世紀にこの宮殿が売りにだされた時に、大英博物館も建物の購入を検討したそうです。結局30000ポンドは高額過ぎたので、10000ポンドで現在の建物である元モンタギュー公の宮殿を買い取ったのだそうです。A王室所有の宮殿は、いくつかあります。バッキンガム宮殿(女王の公式のロンドンの宮殿)セント・ジェームズ宮殿(ヴィクトリア女王が戴冠する前の住居で、この近所にある。)ケジントン宮殿ロンドン城(ロンドン塔には英国王家の秘宝が保管されています。)ウインザー城(女王が現在週末に過ごす館)王室旗がはためいています。今日のパレードは少し特別です。B女王のライフガード 5つの近衛歩兵連隊宮殿は、女王の近衛兵とホースガードによって警備されています。ほぼ毎日のようにおこなわれる衛兵交代は特に有名ですが、彼らは国王の個人的な衛兵なのだそうです。写真Aを拡大した所ですが、もうすぐ交代式があるための準備かも・・・。拡大写真によれば、この隊はアイルランド近衛連隊のようです。冬のコートを着用C帽子の羽根飾りがブルーになっているので・・。5つの近衛歩兵連隊コールドストリーム近衛連隊 ・・・1650年に創設した部隊であり、継続して任務に就いている部隊としては 世界最古。 赤い羽根、上着のボタンは2個ずつ4組で計8個アイルランド近衛連隊 ・・・1900年にヴィクトリア女王により創設。 青い羽根、上着のボタンは4個ずつ2組で計8個スコットランド近衛連隊 ・・・1642年3月にチャールズ1世の命令により創設され、1651年連隊は解散。 王制復古後の1661年、チャールズ2世によって連隊は復興。 羽根無し、上着のボタンは3個ずつ3組で計9個ウェールズ近衛連隊 ・・・1915年ジョージ5世により創立。 緑と城の羽根、上着のボタンは5個ずつ2組で計10個グレナディア近衛連隊(近衛歩兵第一連隊) ・・・起源はピューリタン革命で亡命中の皇太子(チャールズ2世)の護衛隊。 1656年にブルッヘで創設。私的衛兵の伝統を受け継ぐ。 ワーテルローの戦いで勇敢にフランスと戦った事から、 1815年に近衛第一歩兵連隊に改名。 白い羽根、上着のボタンは等間隔に8個この5つの連隊はバッキンガム宮殿、セント・ジェームズ宮殿、ロンドン塔の警護、祝日の警護、儀式で活躍します。近衛歩兵第一連隊かな? 羽根が見えないけど・・。かぶっている帽子は熊の毛です。持っているライフルは・・・。アサルトライフルL85。イギリス軍のSA80ファミリーのうちの一つだそうです。ライフルとは付いていますが、小型・軽量の自動小銃です。さらにそれに銃剣も装着しているようです。伝統的な衣装に近代的なL85小銃を抱えた姿も結構イケテルかも・・・。カバーしてるけど、命中精度を高める為の取り外し可能なスコープサイトを備えています。スチールを多用しているので現在重量は4980g(弾倉に30発フル装填して・・) かつぐのもわかりますね・・。イギリスの近衛歩兵連隊のライフルの歴史は軍隊の中でも早いようで、ワーテルローの戦いでフランスと戦った時には、すでにライフルを保持していたそうです。ライフルでも近代的な装備のものになると、街中でそんなものを使うのかな? と思ってしまいますが・・・。イギリス軍に配備されている銃のようです。言いようによっては女王陛下を守る銃なのです。話がずれてしましましたが、次回、衛兵パレードです。Back number バッキンガム宮殿 3 (宮殿と女王の近衛兵)リンク バッキンガム宮殿 4 (女王近衛騎兵連隊)リンク バッキンガム宮殿 5 (近衛隊の交替式流れ解説)リンク バッキンガム宮殿 6 (軍楽隊)
2009年10月22日
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マンションの工事が外壁の修復に入り、ここ2~3日ベランダを職人さんがうろうろ・・・・。朝9時前から建築工具の音で騒がしくなるのです。しかも、私の寝室がちょうど角部屋の突出にあり、3面+1面が外壁に面しているため騒音は、アナログ・サラウンドで攻めてくるのです最近・・朝に押しているのですが・・昼寝るのはやはり無理がありそうですところで今回は建物を離れて・・・映像の気晴らし・・・ですかね・・・Break Time (一休み)以前フィンランドとスウェーデン間を運行するバルト海クルーズの紹介をした事がありますが、そのタリンク・シリヤライン(Talink Silja Line)のフィンランド、ヘルシンキの港の朝市を紹介します。ヘルシンキ(Helsinki)の朝市ヘルシンキは、フィンランド共和国の首都。フィンランドの南部の都市です。ここの朝市の条件は、手作りの品の出展なのだそうです。夏場は毎日、皆、各々車や船で手作りの品を持ち込んで商売しています。夏の北欧は一年で一番過ごしやすい季節なので、街も活気があって華やかです。市場には青空カフェテラス? 食堂? もあります。青空市場なのにテーブル・クロスがかかって、とてもお洒落なところが素敵です。テントの色も綺麗です。そこに行くと日本のテントは白しかない・・・。運動会も市場も救命センターも白しかない・・・。食品ならなおさら、テントも色覚も意識するべきだと思います。もっとも、「素敵なテントの店は高い」のが日本ですがね・・。野菜コーナー船で持ち込む人も結構いるのですね。根菜類のようです。近くにはタリンク・シリヤの大型客船も停泊している港なのに、自由で良いですね。それに、何だかとっても、のどかさを感じる港です。フルーツ・コーナー北欧と言えばベリーです。酸っぱそうですが美味しそう・・・・。フィンランドでも、ヘルシンキは一番南に位置するので夏でも暖かいとは言いますが、海(バルト海)から吹く風で体感温度は内陸よりも低く感じられるのだそうです。夏の市場や商店、デパートは、たいてい毎日営業するようですが、夏が終わればまた薄暗くて寒い季節に入るので、日曜に営業するところはめっきり減るようです。フィンランドだけでなく、その他の北欧の国も夏以外の日曜はたいていお休みになります。北欧での休日の買い物はできないと思ってください。ヘルシンキの気温は、7、8月では最高気温30℃行く事はあるようですが、最低気温は3~6℃と差があるようで、やはり夏でも侮れない寒い国です。
2009年10月22日
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わかりやすい写真を乗せる為に季節や天気がチャンポンになってしまいました。その点は気にしないようお願いします。バッキンガム宮殿(Buckingham Palace)簡単な地図をのせましたほぼ中心にヴィクトリア女王記念碑があり、宮殿前でロータリーになっています。女王様のお出かけや、大がかりなパレードは右上の「ザ・マル(The Mall)」をかならず通ります。「ザ・マル(The Mall)」の並木道はロンドンで最も美しいとされていますが、残念ながら写真がありませんでした。バッキンガム宮殿は、セント・ジェイムズ公園とグリーン公園、パレス・ガーデンズと三方を公園に囲まれています。宮殿左下にあるロイヤル・ミューズ (Royal Mews)は。侍従達の王室厩舎。記念碑を正面左側から撮影。宮殿は写真左手ヴィクトリア女王記念碑は案外大きいです。交通規制があるのか車が少ない日に撮影。パレードはこの周りを回って宮殿に入ります。衛兵交代のパレードが無い日や、大雨の日は中止になるので、人も車も減ります。撮影には人がいなくて良いのですが・・・。下は、パレードのある日で、人であふれている日です。下は、雨の日・・・本当に人がいないので゛驚きです。じゃまな人がいないので宮殿が全て見渡せますが、空の色が・・・。ちょっとこの写真では見えませんが、王室旗が付いているので。女王様が居城しているサインになっています。日本の皇室と違って、女王様との距離がとても近いのが親しみ安いですね。パレードや馬車の入る正面ゲートつづく
2009年10月21日
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ウエストミンスター地区はグレーターロンドンを構成する32区の内の一つだそうです。東京で言えば千代田区のような所です。ロンドンの中心地図を見ると、ほぼ中央に、昔は宮殿だった国会議事堂(The Palace of Westminster)があり、そのすぐ後方(西)にウエストミンスター寺院が控え、さらにその後方(西)わずかの所にバッキンガム宮殿があります。バッキンガム宮殿(Buckingham Palace)現在のイギリス王室の居城となっているバッキンガム宮殿は、1703年に、バッキンガム公ジョン・シェフィールドが自らの邸宅として桑畑を購入して建てたバッキンガムハウス (Buckingham House) が始まりとされています。1762年、それをジョージ3世が私邸として30000ポンドで購入。1825年、ジョージ4世時代に、建築家ジョン・ナッシュによって全面改築され煙瓦造りだったバッキンガムハウスはネオクラシック様式に改装1837年に完成。1837年のヴィクトリア女王の即位よりセント・ジェームズ宮殿から移り住み、イギリス王室の公式の宮殿となったそうです。宮殿正面広場には、大理石でできたヴィクトリア女王記念碑が建立。その前からのびる道路「ザ・マル(The Mall)」がトラファルガー広場まで続いています。ザ・マルは儀式用の道路として19世紀後半から20世紀前半にかけて建設された道路なのだそうです。ヴィクトリア女王記念碑の周りは、衛兵交代を見学する人達のたまり場「ザ・マル(The Mall)」は、国賓がイギリスを訪問した際に、国旗が飾られ、ザ・マルを国賓と女王を乗せた馬車が通りバッキンガム宮殿へと向かうパレード・コースなのだそうです。ヴィクトリア女王記念碑の建設年が解りませんが、ザ・マルが儀式用の道路として建設されているので、その同時期か女王の在位後かも知れませんね。比較的新しく見えます。ヴィクトリア女王ジョージ3世の四男ケント公エドワードの一人娘アレクサンドラ・ヴィクトリア(Alexandrina Victoria)(1819年~1901年 在位1837年~1901年)大英帝国の黄金時代に君臨した女王のその治世はヴィクトリア朝と呼ばれています。バッキンガム宮殿つづく。
2009年10月21日
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5月頃の話ですが、昔の写真のネガ・フィルムやスライドの保存についてどうするべきか・・と言う事を書いたと思います。二度と行けない貴重な映像の保存の為に、製造中止になっているニコンの製品(デジタルに読み込む機械)をアメリカのサイトで見つけて日本に逆輸入する事にしたのです。姉が持ち帰ってくれた機械はスーツケース1個分の大きさでした。そして、最近読み込みを始めています。いつになるか解りませんが、近い将来に少しずつ紹介できればと思います。読み込んでみないと画質が解りませんが、今は撮影できない教会内部や、美術館の作品が結構たくさんあるはずだからです。(気が遠くなりそうですが・・・。)今回は、お試し読み込みしている南極大陸の写真を何枚か公開します。南極は家族の行った写真なので、もう15年くらい前かも知れません。基本的には今も変わらない所ですものね。今回は、スライドにして保存していた分です。画質が少し暗いので色調調整して明るくしています。もしかしたらもともと暗かったのかもしれませんが・・。ゴミを除去したり結構大変です。南極大陸一見アルプス山頂に思える写真ですが、ペンギンがそんな所にいるわけないですものね。氷河とペンギンこそ、私たちのイメージですね。穏やかに暮らしています。ちらっとしか見えていませんが、けっこうゴッソリといて、鶏小屋のようにフンで臭いのだそうです・・・・真実は。またそのうちに・・・・。
2009年10月20日
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2013年にタワー・ブリッジ橋の内部も含めて更新しています。リンク先ラストにのせました。今回は、タワーブリッジ続編。橋を渡っている写真を紹介ですが、その前に、英国について少し・・・。俗に呼ばれる通称「イギリス」or 「英国」の本当の国名はとても長い。グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国(the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)「連合王国」とは・・・・・・・・United Kingdom略して(UK)「グレート・ブリテン」とは・・イングランド、スコットランド、ウェールズを指し、それに北アイルランド(アイルランド島北東のアルスター地方9州の内の6州)が加わって連合王国をさしています。 注・・・アイルランド統治法(1920年)によってアイルランドは南北に分割。 南部26州はアイルランド共和国。つまり、イギリスは、本島であるグレートブリテン島と隣のアイルランド島の一部(北東部)とその周囲大小の島々、ブリテン諸島を持って、四つの非独立国とで構成されているのです。実質的には単一国家なのに何故か? それは中世からの長い伝統を受け継ぎ、イングランド王国、スコットランド王国、ウェールズ公国、北アイルランドのそれぞれに共通の王を戴いていると言う建前なのだそうです。現在のエリザベス2世は、それぞれの国の女王としてその地で戴冠式をして即位しているそうです。イギリスの首都はロンドン。と、単純に思いがちですが、それぞれ首都があるのです。イングランド・・・・・ロンドンスコットランド・・・・エディンバラウェールズ・・・・・・カーディフ北アイルランド・・・ベルファストイングランドの首都であるロンドンが、同国最大の都市としてイギリスの首都機能が置かれているのは確かですが・・。英連邦王国(Commonwealth realm) ところでこの間、カナダの蒸気機関の話をした回の事ですが、「カナダの政体は立憲君主制で、公式には今もイギリス女王が国家元首として君臨している。」と書きましたが、英連邦王国と言うものがあります。「UKの王座にある者を自国の国王として戴く国家形式の国」です。現在16の国家が存在するようですが、かつて英国の植民地で、現在は英国に従属しない独立国となっている国々です。ポピュラーなところでは、前出のカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、バハマやジャマイカもエリザベス2世がそれぞれの国の女王として戴冠して君臨しているのだそうです。「君臨すれども統治せず」なのだそうですが、完全脱退した国もたくさんあります。大英帝国の凄さが、今もまだ残っている話ですね・・・タワー・ブリッジ(Tower Bridge) Part 2ロンドン塔方面に向かって渡る走行中の撮影なので、少しボケています。今でも、車で2車線しっかりとれる道幅と、ハイデッカーのバスでも楽勝で通過できる柱のトンネル。歩行者もとても多い。橋の左右を支える立派な門のようです。左が渡りきった対岸です。歴史の重みがズッシリとする国の橋はたった120年でも重いですね。 おわりBack numberリンク タワー・ブリッジ 1 (テムズ川から)2013年にタワー・ブリッジ橋の内部も含めて更新しています。リンク先ラストにのせました。リンク ロンドン(London) 4 (タワー・ブリッジ 1)リンク ロンドン(London) 5 (タワー・ブリッジ 2)因みにロンドン(London) 1「テムズ川」。ロンドン(London) 2~3は「テムズ川に架かる橋」の紹介をしています。リンク ロンドン(London) 1 (テムズ川)リンク ロンドン(London) 2 (テムズ川に架かる橋 1)リンク ロンドン(London) 3 (テムズ川に架かる橋 2)
2009年10月19日
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2013年にタワー・ブリッジ橋の内部も含めて更新しています。リンク先ラストにのせました。さて、今回はテムズ川にかかる最もロンドンぽい橋を紹介します。最初にウキペディアでパブリック・ドメインとして公開されている写真を借りてきました。空撮です。(こればかりは自力で撮影できないので・・・。)どんな位置で存在しているかの参考に載せておきます。タワー・ブリッジ 1 (テムズ川から)写真手前がロンドン塔。奥の橋がタワー・ブリッジ。(ウキペディア・コモンズ)タワー・ブリッジ(Tower Bridge)1886年に着工、1894年に完成したロンドン市内を流れるテムズ川に架かる跳開橋です。手前にある11世紀に建設されたロンドン塔の景観と調和するように配慮されてヴィクトリア様式のゴシック建築で建設されたそうです。当時はヴィクトリア女王の治世で、産業革命による経済の発展が成熟し資金力もあったイギリス帝国の絶頂期で、建築ではゴシック様式が復興されていた事が大きく起因しているのは間違いないでしょう・・。ロンドン塔の前から撮影。下はクルーズ船乗り場。全長244m、水面からの上部の橋までの高さ42.4m、橋が跳ね上がった時の水路の幅は61m。19世紀後半、ロンドン橋より下流に橋は無く、テムズ川でもロンドンのもっとも下流に位置するこの場所にも人口の増加などから、橋の必要性が生じたのだそうです。ただし、上流に航行する船舶のマストの位置を考慮して42.7m以上の高さを確保する事。荷馬車の馬に負担がかからないように進入路と道路の高さを同じくする事などが盛り込まれての設計であったそうです。主任建築士で橋のデザイナー・・ホレース・ジョーンズ(Horace Jones)技術者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ジョン・ウルフ・バリー1884年にヴィクトリア女王の裁可があり、多くの見物人が工事の進行を見守り、完成時、1894年エドワード王子が開通を宣言すると市民から歓喜の声があがったそうです。タワーの高さは40mタワー内部は展望通路とタワーの歴史展示館があるそうです。橋の開閉は、現在は1日に2~3回、開通当時は船の時代なので1日に50回くらい開いたそうです。タワー・ブリッジは、まさしくロンドン入り口の門だったようですね。次回タワー・ブリッジを渡る・・・です。リンク タワー・ブリッジ 2 (渡る) & 英国連合王国と連邦王国2013年にタワー・ブリッジ橋の内部も含めて更新しています。リンク先ラストにのせました。リンク ロンドン(London) 4 (タワー・ブリッジ 1)リンク ロンドン(London) 5 (タワー・ブリッジ 2)因みにロンドン(London) 1「テムズ川」。ロンドン(London) 2~3は「テムズ川に架かる橋」の紹介をしています。リンク ロンドン(London) 1 (テムズ川)リンク ロンドン(London) 2 (テムズ川に架かる橋 1)リンク ロンドン(London) 3 (テムズ川に架かる橋 2)
2009年10月19日
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Break Time (一休み)昔から秋は「芸術の秋」と言うようですが、なぜ秋がそうなのか疑問でした。日本の秋は「しみじみ」とするからでしょうか?程良い季節で、人々の足が美術館に向きやすいからでしょうか?展示ホールの貸し出しにもからくりがありそうですね・・・そこで、今回は珍品アート? の紹介です。思わず「ゲゲッ!!!」とする作品? です。人によってはじんましんが出るかも・・・・注意です。訂正ベルギーのブリュッセル(王立古典美術館)で見つけた作品? です。地球儀を思わせる大きな球体で、ピカピカと光って綺麗だったので、近づくと・・・・。「キャー!!!!」 の一品でした。(ほぼ実寸?)これは酷い・・・・。何匹昆虫を殺ろしたのだろうか? と、アートはすっ飛び怒りが・・・コガネ虫? 絶滅してしまうのでは? と思ってしまった・・・。作品を造った本人はアートだと思っているのでしょうが、ここまで来るとアートとして認める一線を越えてしまったと思います。これが偽物の昆虫を貼り付けたなら「なるほど・・。」の理解も出来たけど、「こんな作品? とかの為に昆虫が無駄死にさせられたのか・・・。」と思うと「造ったヤツ悪魔だな!」と思えてしまいました。アートとは、「見た人達が、豊かな気持ちになるものでなければ、独りよがりの駄作なのだ!」とつくづく思った作品でした。
2009年10月19日
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今回も香港旅行を逃した私です。直前キャンセルなど3回目。本当に香港には縁がないのかも知れません。行ってはいけないのかな? もっともイギリス統治時代の香港には興味がありましたが、中国の香港には興味は無いですが・・・。で、今回はイギリス、ロンドンの観光名所でも・・・。ウェストミンスター宮殿と時計塔ビッグ・ベンについては、2016年6月「英国のEU離脱の失敗 ・ ウェストミンスター宮殿」で改めて紹介しています。リンク 英国のEU離脱の失敗 ・ ウェストミンスター宮殿ビッグ・ベン(Big Ben)と国会議事堂(The Palace of Westminster)イギリスの国会議事堂の正式名称はウエストミンスター宮殿です。テムズ川河畔に存在する宮殿は現在イギリス議会が使用し、付属の時計塔(ビッグ・ベン)は、ロンドンの観光名所の一つです。32000平米の宮殿敷地には1100を越える部屋、100の階段。11の庭が広がり南北の長さは265m。中央から左(南側)が上院。右(北側)が下院。ところで、ウエストは、シティーの西を意味し、ミンスターは修道院付属の聖堂を指しているのだそうです。11世紀にエドワード懺悔王がこのゴシック建築の宮殿と、大規模な聖堂付き修道院(ウエストミンスター寺院)を建てたと言う事で、この宮殿の後方にウエストミンスター寺院が控えています。(ウエストミンスター寺院の話は別の回に。)中世後期より1529年の大火が発生するまでウェストミンスター宮殿は王の住居だったそうです。同時に、ほぼ全ての議会は王の居住する宮殿内で開催されされるのが通例だったようで、火事の1529年以降、王の居住の宮殿が他に移り、ウェストミンスター宮殿は議事堂としてのみ残ったようです。しかし、1834年10月16日に発生した火災によって宮殿の大半は焼失、再建計画が最終的に完了したのは1950年なのだそうです。北の端に付属する時計台(Clock Tower)の大鐘の愛称がビッグ・ベン(Big Ben)正確さには定評があるようですが、2009年5月31日には、150歳の誕生日を迎えたそうです。「ベン」は、初代の時鐘設置委員長で、工事責任者だったベンジャミン・ホール卿 Sir Benjamin Hall のニックネームから命名されたらしい・・・。「ビッグ」は、この時計塔で一番大きな鐘だったからのようです。時計台の高さは96.3m。下部の61mは煉瓦造、残りの高さは鋳鉄の尖塔。時計は1854年に完成。時計台の完成は1859年。振り子は時計部屋の真下にあり、振り子の長さ3.9m、重さ300kg、2秒ごとに時を刻む。重さ5tとか・・・。(振り子が付いているなんて知りませんでした。)文字盤は直径7mの鉄枠に312個の乳白ガラスがはめこまれ、文字盤周囲には金めっきされている。文字盤の下には金文字のラテン語で「DOMINE SALVAM FAC REGINAM NOSTRAM VICTORIAM PRIMAM」(主よ、我等が女王ヴィクトリア1世に御加護を)」と刻まれていると言う事ですが、拡大しても見えませんね。毎日正午に奏でられるビッグベンの鐘のメロディは、4つの音で奏でられる日本の学校等でお馴染みのチャイムです。正式な曲名はウェストミンスターの鐘だそうで、あれも曲だったのですね。近年、時計台はわずかに北西へ傾いているそうです。
2009年10月18日
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今回で鉄道もラストです。いろいろ調べて見ましたが、この機関車については、「1907年にスウェーデン人が作った2-8-0系機関車」と言う事くらいしかパンフにも情報がありません。詳しい方ならわかるかも・・・。残念ながら写真のみ紹介してラストです。ハル・チェルシー・ウェイクフィールド・スチーム・トレイン Part 4Hall Chelsea Wakefield Steam Trainカナダ(Canada)、終点折り返しポイントウェイクフィールド(Wakefield)にて撮影バックしている機関車車庫で撮影タイムエルネギー源が石炭やコークスではないようなので、重油かも知れません。熱エネルギーを発生させてボイラー内の水を沸騰させて蒸気を得る方式である事は間違いなさそうですが・・・。(蒸気機関車ですものね・・。)カナタのオタワに行ったら、5月~10月までですが、乗車してみてはどうでしょう。ハイシーズンは今頃です。(値段が少し高くなります。)終点折り返しポイントのウェイクフィールド(Wakefield)は、アンティークやカワイイ小物のお店が並ぶとてもノスタルジックな街なので、散策も楽しめるようです。ハル・チェルシー・ウェイクフィールド・スチーム・トレイン・・・おわり
2009年10月18日
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今回で最後です。ノートルダム寺院は、塔の上に登る事が出来ますが、残念ながら登った時の写真がないので今回は無しです。入り口は、寺院正面左にあり、入場料金を払ってから386段の螺旋階段を登って北塔に登ります。シテ島周辺の見晴らしも素晴らしいですし、雨樋(あまどい)のガーゴイル(Gargoyle)や魔除けの怪物が至近距離で撮影できるので、いつか撮影できたらまた紹介します。ノートル・ダム寺院(Cathédrale Notre-Dame de Paris ) パリ今回は、南側から撮影した教会を紹介してラストにします。南側の左岸からシテ島を撮影教会の対岸が水上バス乗り場で、セーヌ川クルーズ(バトームッシュ)の折り返しの地点です。この角度の教会が一番良いショットかも・・。南側のジャン(ヨハネス)23世小広場(Square Jean-23)側から撮影実は、南側の聖堂後陣側には、宝物館が建っています。そのせいで、南翼廊の張り出しがはっきり見えないのです。写真右のゴシックの建物が宝物館の入っている建物です。写真左は南のバラ窓ですが、その下には門が付いています。聖ステパノのポルタイユ(門)ですが、聖堂の中からは、バラ窓に目が行っているし、暗いのでこんな所に門があったなんて気がつきませんでした。もちろん北のバラ窓の下にもクロワートルのポルタイユ(門)が付いています。花越しのノートルダム寺院の鐘楼と南の翼廊バラ窓です。こうして見ると、確かに翼廊の天井が高くいのが解りますね。世界のノートル・ダム寺院ノートル・ダムを冠した教会堂は世界各地のフランス語圏の都市に結構たくさん存在します。聖母マリアを指すその名前の通り、聖母マリアを奉った教会を指すからです。以前7月の「聖母マリアの家とマリア崇拝」で紹介しましたが、聖母マリアは、神ではないが、神の子を産んだ神の母であるある故、キリストに次ぐポシジションとしてゴシック期からルネッサンス期にかけて図像学的にも聖母崇敬が起きてきたからなのかも知れません。聖母マリアに献堂された教会は地元の別の呼び名はあっても、「ノートル・ダム」なのです。フランスだけでも、このパリの他に、ランス、シャルトル、アミアン、ルーアン、ストラスブール他にも・・。ベルギー、ルクセンブル、カナダ(ケベック)にもあります。教会の建物から見て、コジック期に建てられた教会が多いようなので、聖母崇敬が流行だったのかもしれませんね。ノートル・ダム寺院(パリ)・・おわり。
2009年10月17日
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ハル・チェルシー・ウェイクフィールド・スチーム・トレイン Part 3Hall Chelsea Wakefield Steam Trainカナダ(Canada)、終点折り返しポイントウェイクフィールド(Wakefield)ミュージシャンのお兄さんが何やら一生懸命押しているそれは・・・。人力のターンテーブル。反対側にはHull車両のコンパニオンのおじさんも・・・。お兄さんは、ミュージシャンと言うよりは、この為の要員だった気がします。転車台(turntable)主に片側にしか運転台がない車両を載せて回転させて、車両の向きを進行方向に向ける為の機械です。主に蒸気機関車の方向転換に用いられ、蒸気機関車の全盛期には車両基地や拠点駅・起終点駅に必ず設けられていたそうです。蒸気機関車が廃止され、電気機関車やディーゼル機関車に変わり、方向転換が不要となると、撤去されてほとんど無くなったようです。(アメリカでは、まだ片側にしか運転台のないディーゼルがあるので、結構残っているようですよ。)ウェイクフィールド(Wakefield)到着後、乗客が降りた後にすぐ、客車を切り離して機関車部の方向転換をします。(それも見所。)切り離した車両が転車台に向かってる所。転車台の上に架線を張ることが難しいため、通常転車台は電気推進の車両には用いられないと言う事です。しかし、転車台そのものが手動の「人力」と言うのも今はめずらしいかもしれません。(その他は、電動機や蒸気圧などによる動力で回転)機関車だけで93tの重量があるそうです。それに転車台の重さが結構ありそうですが、先ほどのミュージシャンや客車のコンパニオンや食堂車の店員まで加えて数人で、機関車を180°転換させるのです。この機関車は昔から材木を運ぶ為にあった物なので、これが昔のままの設備なのでしょう。それにしても乗員総出の作業です。ターンテーブルを押さない人は、観光客などが近づき過ぎて事故がないように警備にまわります。つづく
2009年10月17日
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シャルトルの聖堂なら、教会中のステンドの位置と名前の入ったガイド・ブックがあるのですが・・・。ノートルダム・パリは説明書ないですねノートル・ダム寺院(Cathédrale Notre-Dame de Paris ) パリ内陣の後ろ周り、(後陣)には、小さな礼拝所が隣接しています。教会が資金集めの為に、後陣に小さな個人用礼拝室をしつらえて、100年単位くらいで礼拝所の使用権利を貸し出していたようです。(今は知りませんが・・。)教会建築の為に高額な資金を必要とするので、王侯貴族やあるいは、お金持ちの商人でないと費用が出せなかったでしょうが・・・。下のマリア様の絵画の礼拝所は、絵画の美しさのせいで、ラテン系の観光客に非常に人気のある礼拝所です。どなたのかはしりませんが・・・。彫刻が素敵だったので撮影した礼拝所。シンプルでもお金がかかってる・・・。内陣の上の1番上のステンドグラスだったと思います。シャルトル・ブルー? が高貴な美しさと近寄りがたい厳粛なムードを醸し出しています。エナメルで描かれた顔も非常に美形です。左、聖母マリアと、右がキリスト。ステンドグラスは3段くらいで構成されていて、上に行くほど色は濃くなっています。下のステンドは、2段目くらい。上のステンドグラスを拡大・・ほぼエンメル技法のペイント式ですが、聖母の表情がとても細かく綺麗に描かれています。色合いも穏やかです。柄は統一されていませんが、一番下の段はおおかたシンプルです。おそらく、19世紀に流行ったグリザイユ技法による絵ガラス。白ガラスに絵付けで描いたものなので、ちょっと見、ガラスにプリント・シールをはっているような安っぽさが感じられます。現在は昔ながらのステンドに回帰して、このタイプのステンドグラスは修復以外では入れていないと思います。前にも紹介していますが、1965年にはめ込まれたル・シュヴァリエの作品で、中世の製作法と色彩を復活させているらしいので・・・。つづく
2009年10月16日
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ハル・チェルシー・ウェイクフィールド・スチーム・トレイン Part 2Hall Chelsea Wakefield Steam Trainカナダ(Canada)、オタワ(Ottawa)&ガティーノ(Gatineau)客車は1両づつ名前が付いていて、各車両にはコンパニオンのおじさん達が付いています。この車両はHull。写真のおじさんが、コンパニオンで、ちょっとした観光ガイドをしてくれます。英語とフランス語のみですが・・・。(このおじさん2カ国語できるのです。)英語とフランス語の文化圏オタワの住人は、歴史的、政治的、地理的背景から英語とフランス語が出来る人が多いようです。何しろ、もともとアメリカ大陸は先住民を押しのけて、ヨーロッパからやってきて移住した人が造った国? ですからね・・・。そもそもオタワがカナダの首都になったのは、1857年のヴィクトリア女王の裁定だそうです。イギリス系とフランス系の移住者達と中立的な土地だった事、アメリカから遠かった事が理由だったようです。1982年憲法により、二言語多文化主義が採択。(異なる文化を持つ集団(民族)が存在する社会において、それぞれが対等に扱われるべきだという考え方または政策) 素晴らしい・・。政体は立憲君主制で、公式には今もイギリス女王が国家元首として君臨している国です。ただし、形式的にはカナダ総督が女王の代理を務め、実質的な首長は、やはり、総選挙で国民から選出された連邦政府の首相なのだそうです。たいくつしないようにサービスで演奏も付いています。正直景色は期待薄です。でも、所用時間も1時間20分程ですし、音楽も無くても良い気がしますが、実は彼らには他にも重要な仕事があるのです。だから乗っているのかな・・・たぶん。車内売店・・軽食も売っていますが、最初にある手程度注文を取るので、スナックしかないかも・・。写真の枠がないのでお土産コーナーの写真が載せられませんが、お土産はかなりいろいろあるようです。(かなり商売熱心・・・。)蒸気機関車の運転士さんと機関室。どうやらつなぎがユニフォームだったようです。機関室。機関室の中は、ウェイクフィールド(Wakefield)でターンした後で、外から撮影させてくれます。運転士さんのイスが一応あるのですね。どうも立ちっぱなし・・と言うイメージがありました。つづき
2009年10月16日
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今回は建築の話になってしまいました。ノートル・ダム寺院(Cathédrale Notre-Dame )ジャン(ヨハネス)23世小広場(Square Jean-23)聖堂後陣のある東側をジャン(ヨハネス)23世小広場より撮影。A19世紀初頭までは礼拝堂や大司教館が建てられていてノートルダム寺院の聖堂後陣側が望めることはなかったと言います。1831年、反王党派の暴動の際に建物全体が完全に破壊され撤去。B1844年に、小広場とネオ・ゴシックの噴水が出来て見晴らしよくなったようです。盛期ゴシックを代表する建築の特徴が伺える聖堂の建築がよく見えます。Cゴシック建築の特徴1. 正面入口の両側に高い2本の塔と入口の上にはバラ窓。2. 身廊にはリブ付きの高い交差ヴォールトの天井。3. さらに天井まで一杯に広げられた先尖りアーチの窓にもステンドグラス。4. 内陣の背後の壁も身廊と同じ高い窓になり、ステンドグラスが入り、聖堂全体が驚くほど広く、明るく出来ている。5. 高く持ち上げられた側壁は、外側からフライング・バットレスで支えられている。ゴシック建築は12世紀半ばから15世紀まで続き、3期に分けられます。12世紀半~13世紀初頭 初期ゴシック (ノワイヨン、ラン等) ~13世紀中半 盛期ゴシック (ノートルダム・ド・パリ、シャルトル、ブールジュ、ランス、 アミアン、ソールズベリ、リンカーン等) ~15世紀 後期ゴシツク (ルーアン、ケルン、ストラスブール、ヨーク・ミンスター、 グロスター等)後陣の屋根の上から内陣の壁を支えるフライング・バットレスDフライング・バットレス(Flyng Buttress)ロマネスク時代に側廊屋根裏に隠されていたアーチを屋根(身廊天井)を高くする為に外に出して、側廊から空中アーチで高い身廊の外壁を押さえる為に架けた飛梁です。バットレスは、もともと建築物の外壁の補強のための、屋外の張り出しを言います。簡単に言うと、積んだ石壁が、上からの重みで壁が外に押し出され、湾曲しようとする推力を押さえる為の押さえです。側廊屋根よりも高い位置に設置される為に身廊上部が塞がれる事もなく、大きな窓をとることができるようになり、ステンドグラスがたくさん入れられるようになったわけです。後陣と側廊の屋根の上から内陣の壁を支えるフライング・バットレスE聖堂内陣上部のステンドグラス。写真Dの窓の内側Fフライング・バットレスのおかげで、内陣の礼拝所の上に窓ができて聖堂内の昼は明るくなった。フライング・バットレスは後陣の屋根の上にあるので、その下の後陣には区切られた小さな礼拝室が並んでいます。つづく
2009年10月15日
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ノートルダム寺院は、まだ数回ある予定ですが、教会ばかりも飽きるので・・・久しぶりに電車ネタを差し込みます。場所はカナダ東部のオタワの街に、観光目的に蒸気機関車を走らせている所があります。もはや前世紀の遺物となった蒸気機関車など見たこともないと思います。私も詳しくないので説明は出来ませんが、紹介です。カナダ(Canada)オタワ(Ottawa)オンタリオ州東部に位置する地方行政区で、カナダの首都です。そのオタワと隣接するガティーノ(Gatineau)は、ケベック州ですが、オタワと双子都市になっています。蒸気機関車の出発点はオタワになっており、オタワ川とガティノー川の合流地に位置するガティーノは19世紀初頭、林業の発展で作られた街です。そのガティーノからハルに向けてかつて作られた材木運搬用の線路を利用して機関車は走っています。(5月から10月までの期間)ハル・チェルシー・ウェイクフィールド・スチーム・トレインHall Chelsea Wakefield Steam Train出発駅Ottawaガティーノ川を越えて、終点ウェイクフィールド(Wakefield)まで全長64km。所用時間は1時間20分あまり。運行は通常1日1回。シーズン中は2回(8:30発と14:00発)。シーズン中には食事の付いたコースも用意されるようです。客席は528席、売店もあり、乗車時の注文でサンドイッチを買うことも出来ます。終点Wakefieldで2時間程停車してからUターンしてOttawaに戻るコースが一般的(往復が通常)ですが、日本人のツアーでは片道乗車で、帰りはバスで戻るようです。Ottawa駅1907年にスウェーデン人が作った2-8-0系機関車機関車は、終点Wakefieldでターンする時にゆっくり見学させてくれます。今日はこんなもので・・・つづく
2009年10月15日
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先ほど季節性のインフルエンザの注射を受けました。(今年は少し早め。)ここ数年友人の先生とレストランでお食事をした後に注射してもらうのが恒例で、なんとなく楽しみにしている行事です。今年は季節性のインフルエンザ・ワクチンでさえなかなか入手出来ないと聞きます。新型のワクチンは私たちまで回らないかも・・・。ノートル・ダム寺院(Cathédrale Notre-Dame )大聖堂内、西門のバラ窓南北のバラ窓以前からあった入り口の最後の審判の門(ポルタイユ)の上にある聖母マリアの飾られた西門のバラ窓も紹介します。キリストの系譜と受難、復活までのストーリーがあらわされている西門のバラ窓。コマの左から右、下から上に読み進むようになっているようです。字の読めない人にも解る、目で見る聖書の役割もしています。12世紀にできた直径10m近いこのバラ窓は長い間史上最大を誇って存在していたそうです。また、7世紀の間、寸分の狂いも生じなかった設計と職人のワザもあったそうです。ステンドグラスは割れなければ永久に・・・と言う事はありません。実はガラスの重みと、鉛の想像以上の重みによって、重力でたわんでくるのです。それを計算して、カット割りと接合部の計算がされていたのかも知れません。それなら凄いシャルトル・ブルーが美しい西門のバラ窓には、何やらじゃまする物体が・・・。1868年に作り直されたパイプ・オルガンでした。110の音管列を持つフランスでも有数のオルガンなのだそうです。演奏時間は毎週日曜の17時45分。4人のオルガニストが演奏しているそうです。身廊と入り口の西門とバラ窓を撮影。ステンドグラスは、中世のものに代わり、18世紀、19世紀とガラスも工法も変わり、1965年にはめ込まれたル・シュヴァリエの作品は、中世の製作法と色彩が復活しているのだそうです。身廊トランセプト手前から左の北側方面を撮影。トランセプトから右側の南のバラ窓と左側が内陣南側上のステンド。172窓のステンドグラスがはめ込まれていると言います。(もっとありそうですが・・。)まだつづく・・・。
2009年10月14日
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前回に引き続き今回は南のバラ窓を紹介。グレゴリウス聖歌についても少し触れています。ノートル・ダム寺院(Cathédrale Notre-Dame )大聖堂内、南のバラ窓 東 (内陣) ピエタ 北 南 (北の翼廊) トランセプト (南の翼廊) バラ窓 バラ窓マリアのステンド キリストのステンド 西 (正面門)南のバラ窓南の翼廊のバラ窓、内部黙示録キリストの周囲に新約聖書の使徒や、殉教者や聖人が描かれています。なんとなく寂しく感じるのは下の聖人の衣装など華やかさに欠けるせい?万華鏡を思いおこさせる華やかな色の配置は、ある意味偶然・・。万華鏡も偶然の配置に美しさが潜んでいる。神の光の世界を表現したステンドグラスはやはり、非現実の世界観で、教会の中は神の宇宙を示しているのでしょう。宇宙と言えば・・・。太古より人は惑星の鼓動に耳を傾けて天空の音を求めたと言います。それは原始信仰として、「神」と言う者の存在さえ認識していない頃、唯一天界の音と楽とが人々の魂を揺さぶる存在として求められたからかも知れません。宇宙から感じられる音は魂を揺さぶる不思議な旋律を持って人々の心に入り込み、そこに表現する事はできない、何かよくわからない存在、「神?」 を感じとったのかも知れません。神が存在するなら、それは宇宙の混沌から人間に語りかけている「何か」なのかもしれません。グレゴリオ聖歌7世紀初頭に教皇グレゴリウス1世は、遠い昔からローマ・カトリックの修道院で歌われてきた賛美歌と言われる以前の天界の音楽を伝承させるべく尽力したと言われています。「グレゴリオ聖歌」がそれに当たります。(現在ではカロリング朝時代にローマとガリアの聖歌を統合したものと考えられているそうですが・・・。)グレゴリオ聖歌(単旋律、無伴奏の宗教音楽)は、「ネウマ」と呼ばれる「暗号潜法」で記録され、(各音の絶対的な音高や、各ネウマ間の相対的な音高の関係は示されていない)旋律は解明できても、そのリズムは今にいたるまで謎なのだそうです。ENIGMAの音楽ギリシャ語で「謎」を意味するENIGMAと言うグループがいます。彼らのの音楽は「グレゴリオ聖歌」の中に魂の宿りを見いだし、あらゆる人に太古、宇宙の波動を感じさせてくれる旋律と音を持った音楽になっています。宇宙からの音を彼らなりの方法と感覚で拾った、グレゴリオ聖歌をルーツとするような楽曲で、新世紀ミュージックに分類されるヒーリング音楽でもあります。暗がりの中の幻想的なステンドグラスに囲まれた教会の中で、曲によっては(iPodで)聴きながら歩くと向こうの世界に行ってしまいそうです。Beyond The Invisible(見えないものを越えて)が好きです。ノートルダム寺院つづく
2009年10月14日
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ノートル・ダム寺院(Cathédrale Notre-Dame )大聖堂内、北のバラ窓東を向いて建てられた教会の聖堂内部は縦長ではありますが、十字の型をとっており、身廊、内陣を縦軸に、トランセプト(袖廊)が十字の横に当たります。 東 (内陣) ピエタ 北 南 (北の翼廊) トランセプト (南の翼廊) バラ窓 バラ窓マリアのステンド キリストのステンド 西 (正面門)ノートルダム寺院は、北と南の翼廊にある直径13mバラ窓の美しさが見事です。今回は北側のバラ窓から紹介します。北側面「クロワートルのポルタイユ」・・北のバラ窓を外から見た所。かつては、クロワートル(高位聖職者の宿舎)があった場所から名に由来が・・・。北の翼廊に明かりを入れるべく、大胆に開口部をとって改築。繊細なレースのような細工が素晴らしいです。北の翼廊のバラ窓、内部13世紀半ばのガラスがほとんどそのまま残っていると言われる北のバラ窓は採光の多いはずの南の窓より美しいと言う人が多いです。その理由は、もしかしたらステンドグラスの製法とガラスにあるかもしれません。昔は、色ガラスを鉛でつなぎ止めてパーツでデザインを構成すると言うシンプルな工法でしたが、後世の教会のステンドグラスは透明ガラスにガラスの粉で絵を描いて焼き付けると言うエナメル技法に頼っています。エナメルでは、ガラスカットでは表現できない細かなラインが絵筆なら描けるので、絵画としては完成度が高くなりますが、当然赤や青の色の発色については、エナメルではおよばないからです。エナメル絵付けの技法だと、ガラスのカット割りも少なくてすむ上に、ガラス代金が大幅に削減できるのでコスト安ですし・・・。北窓で、光が望めないので、光の通りやすい青みがかった模様に工夫されていると言います。直径13mは非常に大きい。見る角度でも色が異なって見えます。ステンドグラスの制作は、9世紀のカロリング朝の時代にフランスで始まったと言われているそうで、聖堂の窓に使われるようになったのは12世紀の中頃だそうです。南北二つのバラ窓のうち、この北のバラ窓は聖母マリアを中心として、旧約聖書の預言者や王が配されています。次回、南のバラ窓に、つづく。
2009年10月13日
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免罪符について書いたリンク先を追加しました。Break Time (一休み)ノートルダム寺院はちょっと休憩して・・。もうすぐハロウィーンなのでカワイイ写真を紹介。でも、もとは、ハロウィーンは子供の祭りでも、収穫祭でもなかったようです。ハロウィーン(Halloween)のルーツ?子供がお菓子をもらい歩く子供の祭り? ハロウィーンジャック・オ・ランターン(Jack-o Lantern)ケルト人の先祖供養子供がお菓子をもらい歩く子供の祭り? ハロウィーン10月31日がハロウィーン(Halloween)の日イギリス、アイルランド系の人達が移民した国、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどで主に行われていた子供のお祭りです。なぜなら、もともとが古ケルト民族の風習に由来するものだからです。しかし、今のハロウィーンはどこもカボチャ一色で限定ですが、本来は根菜(こんさい)です。イギリスではスイードと言う大きな根菜をくり抜いて、目鼻を書き、ロウソクを立て行燈(あんどん)を作ったとされたいます。アメリカでは大型のカボチャが代用されたのでしょう。ジャック・オ・ランターン(Jack-o Lantern)ランタンは、行燈(あんどん)の事。昔で言う明かりロウソクの事です。かつてジャックと言う男がおり、死後、天国にも地獄にも行けず暗闇の煉獄(れんごく)をさまよう中で、カブをくりぬいて明かりをともして足下を照らし歩いたと言う。それ故、ハロウィーンのランタンはジャック・オ・ランターン(Jack-o Lantern)と呼ばれる。子供達はこれを手にして夕方から仮装して街を歩き、家々を訪ねて回ってお菓子をもらうのです。本来仮装はオバケ限定です。顔に墨を付けたり、お面を付けたり、頭巾をかぶったりするのですが、子供だからとてもカワイイ。そして彼らは訪ねた家々でこう言うのです。Trick or treat 「いたずらされたくなければご馳走を頂戴」※ 訳の言葉はいろいろあり。要するにお菓子をくれればすぐに退散するよ。と言う意味です。訪ねられた家では、おびえたフリをして、「お菓子を渡して悪霊にお引き取り願う。」と言う筋書きになっていて、ハロウィーンには訪ねて来た子供達の為にお菓子をたんさん用意しておかなければにならない。と言う慣習ができたのです。お菓子がいつからスタートしたのか解りませんが、当初はカボチャのパイとかクッキーとかから始まった? アメリカなど、今では配り用のキャンディーポッドやクッキーの詰め合わせなどハロウィーン用にお菓子セットが売られています。もっとも最近はただの仮装大会になってしまったようで、もはや子供は関係無し。近年の渋谷で見られるハロウィーンの乱痴気騒ぎは、もはやただのコスプレ大会。だいたいハロウィーンは古ケルトからキリスト教下での行事です。ジャックにいたっては、煉獄でさまよい苦しむ霊です。霊を救済する思想がそこに込められている事を知っておかなければなりません。煉獄思想とジャックについては、以下にも書いています。リンク 2013年ハロウィーン(Halloween) 1 (煉獄思想とジャック)煉獄思想にからめて中世の教会が発行した救済のお札「免罪符」のリンクも載せました。カトリックの中世の死生観「人は行いにより地獄or煉獄に振り分けられて審判を待つ。」ルターが怒って宗教改革を断行したお札、救済の「免罪符」について書いています。リンク アウグスブルク 6 フッゲライ 2 免罪符とフッガー家カナダ、オタワ、バイワード市場いろんなカボチャがありますね。カナダではひな壇に並べるのがお好き?こちらはアメリカみたいにくりぬかないで、顔を描くのが主流?カボチャ自体も違うのかも。こちらのはカボチャは食べられるのかもね。アメリカのハロウィーン・カボチャはスカスカなので食べてもマズイから観賞用です。ケルト人の先祖供養元は、ケルト人の日本のお盆に非常によく似た風習です。ケルト人は、1年を冬と夏の2期に分け、冬は11月1日~4月末夏は5月1日~10月末10月31日から11月1日は年が変わる時であり、ケルトではあの世とこの世の境が開いてご先祖様の霊が里帰りすると信じられている。その為に家の周りにかがり火をたいてお迎えをしていた事が本来のランタンの由来かも。先ほどジャック・オ・ランターン(Jack-o Lantern)の事を書きましたが、それはやはり中世からの話しかも・・。(本当に日本のお盆とそっくりですね。日本の場合はロウソクとお線香、orわらを燃やすとか・・。)あの世とこの世の境が開いた時に、招かれざる悪霊も出て来て、家に入られる恐れがあります。だからご先祖様の霊だけ中に入れて、悪霊を追い払おうとする行為が、子供の祭りの中に風習として残ったもののようです。オタワ郊外の農場の野菜販売所ケルト人はBC2000年頃からヨーロッパにいたようですが、カエサルのガリア戦記のようにローマ軍やゲルマン人に追われて、だんだん北部に追いやられ、イギリスやアイルランドに追い詰められて、そこに後世も文化が残ったのだそうです。ケルト人の王であったアーサー王も、キリスト教に改宗した事になっています。以前、ヴァイキングの特集をしていますが、彼らもケルト人です。11月1日の万聖節と11月2日の万霊節もハロウィーンに関係して存在しています。ケルト人が征服され、キリスト教が入ってきてからも先祖を迎える風習は残り、2日の万霊節は家族でお墓参りする日なのだそうです。ローマ法王グレゴリウス4世がカトリックにその風習を取り入れ、(835年)11月1日の万聖節・・・「すべての聖人を追憶し、しのぶ日」と定め、11月2日の万霊節・・・「亡くなった全ての人をしのぶ日」と定めたそうです。因みに墓参りの花は、故人の好きな花の場合もあるようですが、一般には菊の花なのだそうです。菊の花=墓参りの花 ヨーロッパでは常識なのだそうです。日本も仏壇、お墓=菊の花のイメージがありますね。「古代ローマ水道 9 (イギリス バース編 2)」で「先住ケルト民族の移動」について書いてます。リンク 古代ローマ水道 9 (イギリス バース編 2)日本のカボチャより色がきれいだから映えますね。
2009年10月13日
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聖人の区別に悩んで時間がかかってしまいましたが・・・・結局全部は解らなかった・・・。ノートル・ダム寺院(Cathédrale Notre-Dame )大聖堂のファサードの飾り彫刻サン・ドニ(聖ドニ)聖ドニは3世紀にパリで初代の司教をつとめていた実在の聖人です。ローマ帝国のキリスト教徒迫害の時にモンマルトルの丘にある処刑場まで向かう途中で斬首され、その首を自ら持って歩き、モンマルトルの丘を越へ、現在のサン・ドニ聖堂のあたりで倒れたと伝説が残っています。そこにサン・ドニに因んで大修道院が建立。そのサン・ドニ聖堂は、フランス王家の菩提寺になっている教会です。(教会の写真はありれませんが・・)ノートル・ダム寺院の左の聖母マリアの門のには、ヴィオレ・ル・デュック作のサン・ドニ(聖ドニ)の像があります。天使に支えられる聖ドニの像ヴィオレ・ル・デュック作の12使徒中央の最後の審判のキリストの左右に控える使徒。右側部分私の知識で見当の付く使徒だけ・・・間違っているかも知れませんが・・・。左から1.バルトロマイ ? ・・・・ナイフ ?、本。2.ゼベダイの子ヤコブ ・・・・ホタテ貝「聖ヤコブの貝」と杖。3. ・・・・福音書? と戈槍。4.フィリポ ? ・・・・十字架。5.マタイ ・・・・インク壷と戈槍。6.マティア(イスカリオテのユダの欠員) ・・・・開いた本。12使徒左側部分解るのだけ・・・左から1. ・・・・不明2. ・・・・福音書と杖。3.アルファイの子ヤコブ ? ・・・・司教杖 ?4.トマス ? ・・・・定規? 5.ヨハネ ・・・・毒杯。6.ペテロ(一番弟子) ・・・・天国の鍵。どこの文献にも石像の説明が無いので、自力でガンバッテ見ましたが・・・。間違ってるかも知れません。悪しからず・・・。気づいたのは、この12使徒は、福音書からではなく、「使徒行伝」から選抜されていると言う事です。理由は、ユダが外されて、マティアが加入している事。さて、いよいよ聖堂内部へ全長130m、幅48m、高さ35m、6500人収容。ここは、フランス史に残る数々の儀式や祭典が行われた教会です。イギリス王ヘンリー4世の戴冠式やジャンヌ・ダルクの名誉回復裁判の開始。ヘンリー6世や、ナポレオン・ボナパルト、シャルル10世の戴冠式も行われています。(ダヴィッド作のナポレオンの戴冠式の絵はルーブル美術館にあります。)正面入り口からの身廊ロマネスク様式からゴシック様式に変遷して、神を光として崇めるべく、壁を壊し、窓を取り入れ、そこに彩色ガラスの美しいステンドグラスがはめ込まれ、幻想的な内部空間を造り上げています。ノートルダム寺院と言えば「バラ窓」ですが、「バラ窓」は次回に。内陣歴代のパリ司教と大司教は内陣下の地下聖堂に埋葬されているそうです。後陣の回廊には、墓碑と礼拝室が並んでいます。ルイ14世により奉納されたピエタ像ピエタはキリストの亡骸を抱いて嘆き悲しむ聖母マリアを現したものです。ピエタの拡大はこちらにリンク ノートルダム大聖堂の悲劇 1 奇跡のピエタ
2009年10月12日
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セーヌ川とシテ島とパリのゼロ・ポイントパリの街を東から西に流れるセーヌ川は、北側を右岸、南側を左岸と言って街を分けています。北側の右岸・・・・・ビジネスの中心地で、企業が集中。「右岸に住んでいる。」と言えば、主に高級住宅地である北西部の住人を指すのだそうです。南側の左岸・・・・・文化、芸術の中心地。左岸の中心ぶにはソルボンヌ大学等の名門校が集まり、ファッション、ブティック、骨董品店やギャラリーが多く集まっているそうです。高級志向の右岸派、小粋な文化志向の左岸派と住人の個性も違う? と言われています。地図のシテ島右の島はサン・ルイ島。シテ島の右側の建物がノートルダム寺院左側に裁判所(旧王宮跡)、サント・シャペル、コンシェルジュリーが建っています。コンシェルジュリーは、マリー・アントワネットの独房となっていた所。ゼロ・ポイント標識ノートル・ダム寺院の前のパルヴィス・ノートルダム広場には、パリのゼロ・ポイント標識があります。パリから何キロ? とかの標識の基準点0になる所です。日本で言えば東京日本橋の橋の中央の道路元標です。参考に東京の標識。因みに、通常、市役所や県庁なのだそうですが、首都、東京は江戸時代を踏襲して、日本橋を道路元標としているので、橋の上にあるようです。ノートル・ダム寺院(Cathédrale Notre-Dame )今回は、中に入る前に左岸側からの季節の異なるショットを紹介初夏のノートルダム寺院(聖堂側から)秋のノートルダム寺院(聖堂側から)冬のノートルダム寺院(聖堂側から)長い歴史の中にたたずむ教会です。それぞれの季節に趣がありますね。つづく
2009年10月12日
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モデム・チェンジをしたらネットが繋がらなくなり、苦労しました。時間も押しているので、あれこれ考える時間も無いので、今日はノートルダム寺院の正面から行こうかと思います。(たいがい正面からですけどね・・・。)ノートル・ダム寺院(Cathédrale Notre-Dame )フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂は、ゴシック建築を代表する建物です。1991年にユネスコの世界遺産に教会のあるシテ島ごと「パリのセーヌ河岸」として登録。1163年、パリl司教モーリス・ド・シュリーによって着工され、最終的に1320年頃に完成。カペー王朝最盛期に、建設された中世フランス文化の結晶と言われているそうです。正面入り口69mの建物は、階層になっている。上から1. 鐘楼2. 列柱の階3. 西のバラ窓の階4. 諸王の階5. 門ノートル・ダムは、「我らの貴婦人」を意味し、聖母マリアを奉る教会です。西のバラ窓には聖母マリアの像があり、バラ窓を後輪のように背負っています。入り口は、だいたい2箇所くらい開いています。3つの門の上の諸王は、ダビデ以来のキリストの先祖。門、左から1. 聖母マリアの門 上段・・・天国で、マリアが戴冠。 中段・・・永眠したマリアをキリストが来迎。 下段2. 最後の審判の門 上段・・・この世の終わりに、死者がよみがえるシーン。 中段・・・悪魔と大天使ミカエルにより天秤で天国か地獄に振り分けられるシーン。 下段・・・厳しい表情のキリストが君臨。 右・・ヨハネ 左・・聖母マリア最後には慈悲深いマリアがとりなしてくれると言う信仰の元にノートルダム寺院は建立。3. 聖アンナの門。 上段・・・聖母子像。 中段・・・キリスト誕生の物語。 下段・・聖母マリアの母アンナの物語 最後の審判の門ドア左右の彫刻は、12使徒。ドアの中央柱はキリスト。最後の審判の門ズーム。ドアのアイアン・ワークが素晴らしいので拡大しました。この門が開くことはめったに無いようです。つづく
2009年10月11日
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レインボーブリッジの散歩も今回で最後です。今回はいよいよアメリカの入国審査場に到着ですが、残念ながら入国はせず、そのままUターンしてカナダに戻ります。ナイアガラ川の国境越 4 (アメリカ入国審査場)ナイアガラ川(Niagara River)国境越え Part 4レインボー・ブリッジ(Rainbow Bridge)アメリカ出入国とカナダ入国と注意前方に見えるのがアメリカ入国のゲート歩行者は右に・・・。柵の向こう側、右がバスのレーンです。乗客はバスから降りて建物内で入国審査です。アメリカの入国は当然車が多いのですが、カナダより検査が厳しいので、かなり渋滞しています。歩行者用の入国審査のゲートです。今回はアメリカ入国はしないので、ここでUターンして戻りますが、ここからのアメリカの出入国について説明。アメリカ入国(レインボー・ブリッジからの入国)一般の飛行機でのアメリカ入国より簡単に入国できるようになっています。パスポートI-94 (アメリカへの入国カード)入国審査料 6$税関申告書はいらないようです。やはり観光で行き来する場合が念頭にあるようです。アメリカ出国(レインボー・ブリッジからの(出国)パスポート入国審査場の前からカナダ側を撮影。Uターンして、カナダに戻るもと来た道をそのまま戻る形になります。つまり、カナダ出国者とアメリカ出国者は橋の上ですれ違う事になります。ある意味、橋の上は国際線の飛行機の中と同じで、何処の国でも無いのです。もうすぐカナダのゲートです。そこで再び入国検査を受けます。前面の長いゲートの下は車両用ですが、右レーンのカナダ入国は、レーン毎に信号機が付いています。歩行者のゲート。右がカナダ入国。左のドアはアメリカに行くときに出たドアです。カナダ入国(レインボー・ブリッジからの入国)カンダ入国はあまりうるさくないようです。パスポートカナダの入国カード(I-94 の半券)原則これだけで、レインボー・ブリッジからの入国は、税関がないようです。係官は、カナダの入国スタンプがあるかないかをチェック。新規の入国者に関してはチェックがあるようですが、再入国者にはうるさくないようです。注意I-94 の問題I-94 の半券・・・・アメリカにCome Backする人は、半券は返さないで、I-94は所持。 ・・・・戻らない人(完全にアメリカを出国する人)は、I-94 の半券をカナダ入国時に入国管理官に提出してカナダ入国する必要があります。ナイアガラ日帰り観光の再入国が念頭にあるようで、言わないとI-94の半券の回収をしないようです。I-94の半券を渡し忘れると・・・。アメリカを出国した事になりません。アメリカを出国した事にならないと、書類上、不法滞在者と見なされます。次回アメリカ入国時に不法滞在が指摘されて、ややこしい事になるようです。記念に取っておくとか、捨ててしまうとかは駄目ですよ。ナイアガラ川の国境越・・・おわり。back numberリンク ナイアガラ川の国境越 1 (カナダ出国)リンク ナイアガラ川の国境越 2 (橋を渡る)リンク ナイアガラ川の国境越 3 (橋上の国境線)ナイアガラ川の国境越 4 (アメリカ入国審査場)リンク ナイアガラ・フォールズ 1 (瀑布の歴史)
2009年10月10日
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ナイアガラ川の国境越 3 (橋上の国境線)ナイアガラ川(Niagara River)国境越え Part 3レインボー・ブリッジ(Rainbow Bridge)の国境線(International Boundary Line )橋脚の弧を描いている部分のトップが国境線。(右側がUSA)カナダ国旗ととアメリカ国旗の間に・・・・あるのは街灯ですが・・・そのあたりが真ん中。国境を示すプレートInternational Boundary Line (国際的な境界線=国境)United States ←→ Canada国境の上の双眼鏡。ナイアガラのビュー・ポイントでもある為に置かれていると思われます。(普通は国境の上に双眼鏡は無いと思う。)ある意味レインボー・ブリッジの国境越えは、ナイアガラを見る為の観光用的な意味合いが強くあっての、歩行用に許可された国境越の橋だと思います。歩いて渡る人はほとんどいないようです。地元で働く人や仕事上の特別許可のある人はPart 1で紹介した3本目の橋レインボー・ブリッジの次の橋を利用するのかもしれません。ワールプール・ブリッジ(Whirpool Bridge) ・・特別なVISAの所有者のみ一応国境からのナイアガラの滝。改めて見ると、滝は左のアメリカ寄り(川が左からカーブしてくるので、)なので、滝の見学はやはりカナダ側からの方が迫力があるのかも知れないです。肉眼ではちょっと遠いですね。つづくリンク ナイアガラ川の国境越 4 (アメリカ入国審査場)
2009年10月10日
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ナイアガラ川の国境越 2 (橋を渡る)ナイアガラ川(Niagara River)国境越え Part 2レインボー・ブリッジ(Rainbow Bridge)を渡る注意 パスポートを忘れないでください。前回、カナダの出国は御自由に・・・で50セントだけ入れればいつでも何のチェックもなく出国出来るのですが、パスポートがないと、アメリカへの入国が出来ないだけでなく、カナダに戻って来る事もできなくなります。帰りのゲートでは入国になるので、パスポートが必要になるからです。カナダ側のゲートを抜けて、振り返った所。アメリカ行きの車がゲート下を通過。車は50セント入れなくても、そのままスルーで出国出来ます。普通に右左折して橋を渡れてしまうので、気を付けないと、車は途中でUターンは出来ません。右側通行の右4レーンはアメリカ行きで、左レーンはカナダ入国のゲートです。(写っていない所にカナダ行きのレーンがあります。)歩行者用ゲートを出てレインボー・ブリッジに向かって歩いているところ。右手が上流の滝がある方向です。見える建物はナイアガラのカナダ滝の滝壺が見えるホテルです。一番手前がスカイロン・タワー(レストラン)。その目前がクイーンビクトリア公園です。川に沿って道路(ナイアガラ・りバー・パークウェイ)が走り、通常はクイーンビクトリア公園からの眺めが絶景ポイント。手前がアメリカ滝、奥がメインのカナダ滝です。左の塔がアメリカ側からの滝壺見学船の乗り場で、向いにカナダ側からの滝壺見学船乗り場があります。(滝壺では、アメリカ船もカナダ船もごっちゃに入り交じっているわけです。)滝の見学は時間があれば、双方の国側から見た方が良いと思います。二つの滝の間にあるのはゴート・アイランド(Goat Island)で、ニューヨーク州になります。滝の写真は6月に特集している「ナイアガラ・フォールズ」シリーズも見てねさて、橋に戻って、アメリカへ。歩道が工事中で残念。突き当たりにみえるのがアメリカ入国の建物です。まだ真ん中の国境に達していませんが、車の渋滞が始まってきたようです。次回、国境ラインです。リンク ナイアガラ川の国境越 3 (橋上の国境線)
2009年10月09日
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今日は以前紹介した「ナイアガラのレインボーブリッジ 」の続編を急遽入れる事にしました。カナダを出国して、レインボー・ブリッジを渡って国境を越えてアメリカ側に行ってUターンしてくるコースです。写真を入手したので、散歩しているつもりで橋を渡って国境越えです。ナイアガラ川の国境越 1 (カナダ出国)ナイアガラ川(Niagara River)国境越え Part 1レインボー・ブリッジ(Rainbow Bridge)ナイアガラ川には4つの国境を越える橋が架かっています。つまり、ナイアガラ川がアメリカとカナダの国境になっています。(地図では右がUSAで左がカナダ)橋は、それぞれ渡る為の規定があり、歩行者が渡れる橋はレインボー・ブリッジのみなのです。エリー湖(Lake Erie)(地図下)から順に1.ピース・ブリッジ(Peace Bridge) ・・一般車両、トラック、トレーラー2.レインボー・ブリッジ(Rainbow Bridge) ・・一般車両、バス、歩行者3.ワールプール・ブリッジ(Whirpool Bridge) ・・特別なVISAの所有者のみ4.ルイストーン・クイーンズ・ブリッジ(Lewiston-Queenston Bridge) ・・一般車両、トラック、トレーラーカナダ側からレインボー・ブリッジと川向こうのアメリカを臨む写真です。左端の中程の建物が免税店で、アメリカに入国する人のみが免税で買い物が出来ます。そこからスタートです。出入国のゲートです。カナダ側とアメリカ側の双方にあります。歩行者用アメリカへの入り口→右の扉がTo USA出国料金は50セント。右に両替機。案外せこいゲート。「出国する人は御自由に。」の奔放さ・・・。ドアを出たら一応カナダを出国した事になります。陸の国境のない日本にはない感覚ですね。扉の向こうは外国ですよー。つづくリンク ナイアガラ川の国境越 2 (橋を渡る)
2009年10月09日
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サンテミリオン(Saint-Emillion)はドルドーニュ川右岸ジロンド川左岸のメドック地区と双璧をなすボルドーの高級赤ワインの産地です。今回はそのワイン以外の特産品? の紹介です。サンテミリオンの特産品 (マカロンとカヌレ)マカロン(macaron)カヌレ(Canele)一時期、日本でもマカロンが流行っておりましたが・・。マカロンの歴史は古い。とっても古いのです。最も古いマカロンは、791年から現在まで製造されているロワール地方のコルムリー修道院のマカロンだとか?それにくらべけば1620年なんて新しいほうだけれど・・・。サンテミリオンの特産品の一つが、マカロンとカヌレなのです。サンテミリオン(Saint-Emillion)の街ジロンド川左岸のメドック地区と双璧をなすドルドーニュ川右岸にのサンテミリオンは、ボルドーの高級赤ワイン産地です。実はワイン造りに関連してカヌレは誕生しているのです。フランスのジロンド県ボルドー、サンテミリオンにあるNadia FERMIGIER,Saint-Emillion MACARONS(マカロン)のお店です。マカロン(macaron)これがマカロン? 私たちの知っているマカロンは何?もとは泡立てたメレンゲに砂糖、アーモンドプードル(パウダー)、等を加えて混ぜて焼き上げた軽いクッキーのような物。直径4.5cm。1シート12個×2 がたたまれてBoxに入り6ユーロ。マカロンは店によっても違うようですが、味も形も全く異なる日本で売られている最近の主流とは全く別物。現在の形は、2枚のマカロンにジャムやクリームをはさんで、1930年に売り出されたものが定着したようです。カヌレ(Canele)以前フランスの「ポール(Paul)のデニッシュ」で紹介したこともあるカヌレ。フランスのボルドー女子修道院で古くから作られていた菓子で、蜜蝋(みつろう)を入れる事と、カヌレ型と呼ばれる小さな型で焼くことが特徴なのですが、もう一つ・・。ボルドーではワインの澱を取り除くため、「コラージュ」をする時、鶏卵の卵白を使用していた。そのため大量の卵黄が余り、その利用法としてボルドーの修道女が考案したお菓子のようです。ガラス・ケース越しなので少し反射してますが、これはマカロンと同じ店の品。Nadia FERMIGIER,Saint-Emillion随分素朴なカヌレですね。カヌレ型使っている割にはサイズやふくらみが違いますが・・・。残念ながらこれは味見していません。もう一つ別の店のカヌレを紹介。こちらは随分と蜜蝋(みつろう)でテカテカしたカヌレですね。以前紹介したポール(Paul)のカヌレ。フランス北部のリールの街にできたパン作りの名人シャルマニヨ・メイヨのお店で1889年の創業当時のレシピを守っている。下は、ポール(Paul)の六本木店の品。中身の参考に・・・。堅いゴムのような弾力のものかと思っていたら、これはやわらかくて美味しかった。食感も味も店で違うし、好みですかね。でもマカロンは本家とは違いすぎるんですが・・・・。
2009年10月08日
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ロンドン・タクシー(London taxi)英国のタクシーの名称ロンドン・タクシーは、商標でもあるそうです。走るグランド・ピアノと呼ばれる黒塗りの、箱形のタクシーは、最近こそ広告を付けて品位を落としているけれど、相変わらずタクシー車両の仕様には厳格な規定がある為に、その形は大分変化したにしても、古めかしいスタイルを今も踏襲しているようです。ロンドン・タクシー・インターナショナルのLTI TXシリーズ?1948年にリリースされたオーステイン車のFX-3の形が未だ踏襲されて現在にいたっているようです。全長は、15フィート(4.57m)を超えてはいけない。全幅(サイドミラーを除くボテ゜ィー)は、5.9フィート(1.75m)を超えてはいけない。座席のクッションが一番沈んだ点から天井までの高さは38インチ以上なければならない。座席の全幅が・・・・など車内外のサイズにまで及ぶ規定。Uターンの時のU字の幅の内径が28フィート以内でなければならない。性能についての規定まであるので、スタイルはおのずと決まってしまったのでしょう。(ロンドン・タクシーはこうでなければならないと言うスタイルがこれにより決まった?)この規定現在は多少の数字も変化していると思いますが、基本1906年に決められた法律で、小型の一頭立て馬車の大きさと能力が元になって作られた規定のようです。実際ロンドン・タクシーが全て自動車になったのは第二次大戦後の事だそうですが、17世紀からつづく馬車タクシーの歴史は今もいろいろな規定や呼び名でたくさん残されていて歴史の深さを感じさせてくれます。キャブ(Cab)とも言われるタクシーは、19世紀にフランスから来た小型軽量で快速で走る一頭立ての2人乗りの小型馬車の名から来ているそうです。エレガントでかっこ良くても、人をはねたり、街頭を倒したり、乗客を振り落としたり・・と、交通事故も非常に多かったそうです。しかし、きどる若者には人気で、キャブに乗った回数が自慢になるほどだったとか・・・。最近見かける広告タクシー。「MARC JACOBS」のコーシャルだ・・・。ちょっと前までは考えられない・・・。紳士淑女の乗る馬車から発展しているので、山高帽(シルクハット)をかぶっても乗れるのがロンドンのタクシーの規定ですが、時代の流れといってもちょっと残念かも・・・。下の広告よりは花柄のがましだけど・・・。座席はシートに3人向かいのシートを2個たおして2人。向かい合わせは馬車の名残ですね。今は、車いすもそのまま乗れるそうです。ロンドンタクシーの運転資格ロンドン・タクシーの運転手の愛称はキャッビー。タクシー運転手のライセンスを取得するのは非常に難しいそうです。運転実技、性格テストに加え大変なのが地理テスト(Kowledge)。ロンドン市内の全ての通りの名と番地を覚え、主要な建物ホテルを覚え、一通や右左折の禁止等も覚え、常に最短距離を即答できなければいけないそうです。下は、勉強中の見習いさん・・・バイクで走りながら覚えるようです。雨でビニールをかけているけど中はクリップで止められた地図などの教本のようです。ロンドンには半径100km圏に22000本の通りがあるそうです・・・・独学ではやはり無理なので、専門の養成所に入るそうですが、ストレートの合格者はほとんどいないそうです。一度落ちると8~12週間は試験が受けられず、合格まで12~14回試験をうけるのが一般的で2年6ヶ月はかかるようです。定年がないのが良い所だそうですが、これだけ難しいとある意味エリートですよね。一般的には会社に入り、何年か働いて、お金を貯めたら自分で車を買って、オーナー・ドライバーになるのだそうです。
2009年10月08日
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やはり、残した画像があるので・・ナミビア共和国のナミブデザートに近いサバンナの日没を見るツアーナミブサンセット・ドライブ Part 2ナミビア共和国(Republic of Namibia)ナミブ砂漠(Namib Desert)近郊やさしくサバンナの日が落ちる頃・・・。動物たちも家路を急ぐ・・・。オリツクスの群れ。砂漠やサバナに生息し、乾燥の激しい地域で生活する為、食物から摂取した水分のみで長期間生きられるようです。オリックス(Oryx Gazella)界 動物界 Animal門 脊索動物門 Chordata亜門 脊椎動物亜門 Vertebrata綱 哺乳綱 Mammalia目 鯨偶蹄目 Cetartiodactyla亜目 ウシ亜目 Ruminantia科 ウシ科 Bovidae ここからウシ亜科、ヤギ亜科、等に分岐亜科 オリックス亜科 Hippotraginae属 オリックス属 Oryx種 オリックス(ゲムズボック)Oryx gazellaロッジから日没を見る為にドライブ。ドリンクを飲みながら夕日に乾杯。ここにもカワイイ生物が・・。私の好きなカメレオン・・とてもおとなしい・・・。ちょっと小デブだけどね。・・・・もしかして妊娠中かな?アフリカ、サバンナの夕日広大なサバナで、こんな夕日を見ていたら・・・・明日の事なんてどうでも良くなる。ナミブサンセット・ドライブ・・・・・おわり
2009年10月07日
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Break Time (一休み)コペンハーゲンの写真を見ていて見つけた一品。なんて、愛らしい・・・なんて、怠惰な・・・だだをこねているのかな???すごーく親近感が沸いてしまったブルドックです。飼い主の命令を無視! 無視! 無視!もう歩きたくない・・・・かな?「私は、もう、一歩も歩くつもりはありません・・・。」と果てた感じです。尻尾と足の裏がたまらなく、可愛いブルちゃんです。それにしても毛づやの良い・・・きっと良い物を食べさせてもらって、ブラッシングされて、たっぷり可愛がってもらっているのが解りますね。人間ぽい・・感じか良いですね。彼? 彼女? は、しばらく、このままですね。ちょっと太めなので散歩は足に堪えるのかも知れません。(人間も犬も一緒。)ハワイの姉の家にいたダルメシアンが、太って仔牛のようになった時、散歩がつらくて、自ら登りコースの中腹で迂回路をとって散歩をショート・カットをさせる事がありましたが、歩くだけましです。大きいとだっこできないし・・・。車で迎えに行ったら喜んで飛び乗りそうですね・・。そういえば、姉の家のダルメシアンもハスキーも「散歩に行くよ。」と言うと、車の前で喜んで待っていました。「車じゃないのよ。」と言うと、ものすごーく、ガッカリしていたのが思いおこされます。もう2匹はいませんが・・。ワンちゃんの知能は人間の3~4歳児に近いと聞いた事があります。無垢だから癒されるのですね・・・きっと。
2009年10月07日
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ナミビア共和国(Republic of Namibia)ナミブ砂漠(Namib Desert)近郊砂漠地帯に近いサバンナに住む、トカゲちゃん・・・。物憂げな瞳が良いですね。詳しくはないので種名はわかりません。ほぼ実寸サイズ ?界 動物界 Animalia門 脊索動物門 Chordata亜門 脊椎動物亜門 Vertebrata綱 爬虫綱 Reptilia目 有鱗目 Squamata亜目 トカゲ亜目 Lacertilia有鱗目には他に ヘビ亜目 Serpentesとミミズトカゲ亜目Amphisbaeni がいる。南極大陸を除く全大陸にいるそうです。ナミブ砂漠に近いロッジの庭に生息?トカゲはロッジのマスコットにもなっていますから、よほどたくさんいるのでしょう。引きの画像で生息地を紹介このロッジの庭の縁石で発見。とてもおしゃれなロッジ・・・のメインロビー。このロッジの全体像。プールもある素敵なロッジ。もっと引きで撮ると、このロッジはサバンナの中に-ポツンとありました。このロッジの存在は、トカゲちゃん達にも快適な居所を提供していると思いますが・・・。
2009年10月06日
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マンションの修繕工事でベランダが閉鎖中と言う話は以前したと思いますが、ボーっと起きてきたらリビンク正面の窓に2~3人の人が張り付いているのでビックリしました。どうも窓の上に発生しているヒビ? の補修のようで、外から室内は見えにくいとは思うのですが、部屋の電気も付けられず、(テレビはつけてしまったが・・)自分がどこに待機したらいいのか迷って、ウロウロ・・・。東京は今週はずっと雨予報、寒いし・・・工事の人もご苦労様です。さて、前回に引き続きコペンハーゲンの地下鉄を紹介。と、言っても意外に日本に似すぎていて、都内の地下鉄のどこかにありそうな光景なのです。デンマーク王国(Kingdom of Denmark)コペンハーゲン(Copenhagen)地下鉄(Subway)コペンハーゲン市内の公共交通機関はデンマーク国鉄NSB・・・・エストー(S-tog)・・・近郊を走る電車首都圏交通公団HUR・・・地下鉄、市バスの3種類だそうです。エストーと地下鉄、市バスのチケットは共通で、利用料金はゾーン制。目的地まで何ゾーンあるかで料金が決まるそうです。我々外国からの観光客は、ツーリスト用の期間を決めた乗り放題の「コペンハーゲンカード」を購入しておくと、エストーもバスも電車も乗れます。(所により美術館もタダになります。チボリ公園の入場料金もタダ。)地下鉄Norreport駅強いて言えば副都心線のどこかの駅? 最近できた副都心線の池袋もこんな感じ・・。ラクガキなど無いきれいな清潔な構内。(新しいからね・・。)いろんな意味で、さすがにデンマーク。デザイン性にすぐれている気がします。ホームはガラス張り。日本も最近転落防止のフェンスが多いですが、ガラス張りだとスッキリ。そうだ、この光景はどこかの空港内のモノレール乗り場(ターミナル移動の)に似てるかも・・。椅子の配置から考えると、日本のように乗車率が100%を超える事はないのでしょうね。カラーもシンプルでモダンな配色。車幅が狭い割に広々見えます。そう、棚もつり革も無いからです。つかまる所がほとんど無いようです。JR山の手線の1~2両目の折りたたみイスの方がクッションは良いかも・・。地下鉄Kongens Nytorv駅右がデパート?ヨーロッパの地下鉄でも比較的東京に似ているので身近に感じる地下鉄出入口。実は地下鉄ができたのは2002年10月なのだそうです。案外日本がモデルになっていたりして・・。エストーと市バスを乗り継いで、フレデリックスボー城に行った時、「城まで行きますか? 」と聞いてバスに乗ったら、城の近くで運転手と乗客の皆さんに「キャッスル(Castle)!」と知らせてもらった事が・・・。皆さん親切でした。
2009年10月06日
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夏のデンマークの街は自転車がにぎやか? そして自転車にやさしいシステムがあります。デンマーク王国(Kingdom of Denmark)コペンハーゲン(Copenhagen)雪におおわれた冬のどんよりした街にも自転車を走らせる人はいますが、夏には観光用自転車も走って活気があふれているようです。乗ってどこに行くのでしょうね。自転車専用のラインがあります。日本のラインは歩道に近いですが、ここは自動車道に近い扱いかも・・。郊外に向かう電車には自転車持ち込み専用車両があります。自転車のタイヤを固定できる工夫が・・。倒せばイスにも・・。コペンハーゲンの電車デンマーク国鉄NSB・・・・エストー(S-tog)この郊外に向かう電車ですが、窓が大きく設計されていて、ガラス貼りの電車のような錯覚さえ覚える開放的な明るい電車です。(普通の自由席の電車です。)明るいリビンクのような広めの車内はとてもリラックスできる作りで、私は今まで乗った電車の中で一番居心地の良い電車でした。冬の雪の中を乗車した時はちょっと感動がありました。半袖でもいられるような暖かい車内。リビングのような開放的な空間。大きく開けられた窓。清潔な車内。空から落ちてくる雪を眺めて、かつ真っ白な雪の森を走り抜けて行く電車に、いつまでもそのまま座っていたいような心地良さが感じられました。(日本の電車に感じる圧迫感は肘掛けのせいですね。)デンマークは、冬でも日光を取り入れたい国柄のせいで、窓が広くあけられ、ガラス張りの建物が多いせいか、薄暗い北欧にありながら、どこもとても明るい感じがします。清潔度もトイレも非常に日本に近く、親近感も非常にわいた国ですが、電車事情で日本と異なるのは、自転車輸送車両の他にもう一つ・・・。この国には改札が無い? ようです。一応ゲートはあるし、キップも売っていますが、「みんなお金を払って乗車するのだ。」・・と言う事を信じて、改札の検査係が一人もいないのです。(改札の全く無い駅も・・。)(簡単に言えば無賃乗車が簡単にできてしまえるわけです・・。)でも、時々抜き打ちチェックがあって、見つかると罰金はかなりの高額になるそうです。私たちはキップをヒラヒラさせながら誰もいない改札らしき・・を通過しましたが、基本無いので自由です。競馬場の馬の出走ゲートのようなパリの地下鉄の改札を思うと、同じヨーロッパなのに文化の根本が違う? 考え方が違う? レベルが違う?いや、これが「成熟した文化」と言うものですかね・・・。
2009年10月05日
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どうも風邪を引いてしまったようです。気管支炎かも?今年の東京はいつもより早く、少し寒いです。暖かい大阪から戻って、東京は雨続き。湿度は高く室内は蒸し暑く・・クーラーかけたり消したり・・・湿度90を超えた部屋の除湿機を一晩中かけているうちにのどから? とりあえず、用事が済んでほっとしたせいもあるのか今日はやる気も出ないのでグゥーたらしてました。風邪薬のせいかちょっとボーっとしているので、今回は映像Break Timeです。ナミビア共和国のナミブデザートに近いサバンナの日没を見るツアーの光景です。ナミブサンセット・ドライブナミビア共和国(Republic of Namibia)ナミブ砂漠(Namib Desert)近郊の国立公園日没直前のサバンナ穏やかな時間が過ぎていく感じですね。夕刻のエサ探し? ダチョウものんびりと解放された空間でくつろいで食探し・・。大きいダチョウも小さく見える周りのスケールです。日没の静寂。ビルも無い地平線なんて狭い日本ではなかなか見られない光景。静寂こそ心の休息・・。いろんな意味で1日ボーっとする事はありえない我々の日常生活。何もしていないつもりでも、パソコンのメールチェックと、携帯メールの返信と・・・ちっとも休んでいない自分がいるんですよね・・・。日没の2回目どうしようかな・・・。
2009年10月05日
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Back numberをラストに載せました。記載日は古いです。多少現状は変わっているかもしれません。あくまで参考の一部にしていただければ・・。昨今はお土産を買う人が少なくなったと聞きます。お土産を大量買いする私には信じられない事です。飛行機の荷物の重量制限が厳しくなった今、お土産の重さにも非常に気を遣い、あきらめる品も多いですが、自分の為なら例え手荷物でも・・。この間のベトナムでは、梱包してもらうまで、重い事に気づかず、買った漆のパネル3枚、3kgありました。(荷物チェックを通過するまでドキドキ。)軽くて、予算に合う素晴らしいお土産を探すのは全く大変な事です。でも、「あの人にはこれ・・・。」と、お土産探しも楽しいものです。私のお土産品を買う鉄則・・・「必ず余るように買う。」です。チチカカ湖 5 (タペストリー)チチカカ湖(Lago Titicaca) Part 5お土産品刺繍を施したタペストリーは、手作りなので、デザインも売り子さんのオリジナルで、一人一人全く異なるようです。カエルさばいていたお姉さんの作品。インカの怪物みたいのがギッシリ・・面白い。基本的に制作者のセンスかも知れませんが、中には非常にアート性の高い作品もあるようで、どんな絵を気に入って買って来るかで、自分のセンスも問われるかも・・・。タペストリーなら軽くてお土産に最適、でもあげる方も、もらう方もセンスのない人には向かないか・・・。お土産買ったらお見送り?そういえば、島の人がかぶっている帽子。ボルサリーノですが、雨が降ると濡れないように上からビニール袋をかぶるのだそうです。なぜか帽子は脱がないそうです。浮島は、ある程度密集して浮いています。チチカカ湖の朝明け。チチカカ湖・・おわりチチカカ湖 Back numberリンク チチカカ湖 1リンク チチカカ湖 2 (トトラと浮島)リンク チチカカ湖 3 (浮島テーマパーク)リンク チチカカ湖 4 (浮島の現実) チチカカ湖 5 (タペストリー)
2009年10月04日
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