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今日はちょっと気が重いです・・・。彼女に「Steinwayのピアノってすごくいい音が出るんだよ。そのメーカーのピアノが欲しいなぁ」って言われたので、早速検索をして値段を調べてみました。本当に目玉が飛び出しました!。4、500万円するではありませんか!?僕がコツコツと貯めた貯金から支払えないことはないのですが・・・、でもピアノに高額のゼニをつぎ込むのは、今は少し厳しいかなって思っています。車も欲しいし、海外旅行(ドイツ以外の国)にも行きたいし・・・。あの~、ブログにコメントを書き込んでくださる方にお願いですが・・・ここに「ピアノ買っちゃえ」みたいなことを書かないで下さいね。彼女はいつもこのブログを隅々までチェックしているので、「あの人がああいうコメントしているから、ピアノ買おうよ。」って言うことになったら大変ですので・・・。 今日からドイツのゾースト(Soest)にある教会について書いていきます。その1回目は聖パトロクリ大聖堂(St. Patrokli-Dom)について綴っていきます。 街のど真ん中にそびえ立つ大聖堂は、まさにゾーストのシンボル的な存在で、巨大な石造りの聖堂がこんな田舎町にあっていいのか?って疑うほどです。僕が持っているドイツの一般的な教会のイメージは「シャープな形状」ですが、この聖堂に関しては「ぽっちゃり太った」聖堂という印象を持ちました(何を言ってんだか・・・)。11~12世紀にかけて建設された大聖堂は、ロマネスク様式に仕上げられ、古臭さは全く感じられません。この聖堂ののオススメは何と言っても壁画で、とても色彩豊かに描かれていて、芸術的な価値がかなり高いと思われるのです。上の写真が祭壇の奥に描かれた壁画で、スカイブルーのバックがとても美しくて、神々の姿が丁寧にかつ優美に描かれていました。写真では分かりづらくて申し訳ないのですが、壁画の間で水色に輝くステンドグラスも素晴らしく、僕が今までに見てきた教会の中ではトップクラスの芸術性だと思います(素人感覚ですが・・・)。 教会を巡るなら晴れの日が一番いいですね。太陽の光によって一段と美しくステンドグラスが輝くからです。右上の写真はステンドグラスからの光によって照らされた油絵です。虹色の光で染まった油絵は本当に神秘的で、これも瑠璃光(ステンドガラスからの光)がこの油絵に差し込むようにうまく計算されて配置されているのでしょう。 ゾーストの中心部の半径約1キロ以内に、大小様々な教会が8つあります。その中の3つが特に素晴らしいと言われていて、今日はそのうちの1つを紹介しました。残りはまた次回に写真と共にお話したいと思います。では、また。
November 28, 2008
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お久しぶりです。今日はゾースト(Soest)の旅日記を書いていきます・・・・・・と言っても、このときはまだ一人旅ですょ~(笑)。ゾーストという街は肥沃な土壌に恵まれていたために、農業に適していたために遅くとも836年ごろから集落ができていたといわれています。11から12世紀にかけて街が急成長し、ハンザ都市として1609年まで栄えていました。 僕がこの街に来るまでは、産業と流通で栄えた慌しい町だろうなって想像していました。ミュンスターから電車に乗ること1時間、ゾースト中央駅で降り、午後の青空が広がる下で新たな旅が始まりました。そこは中央駅と名乗るものの無人駅で、その中に小さなキオスク(売店)があるだけで、売店のおばちゃんの退屈そうな顔を横目で見ながら駅から出ました。そこは、あまりにも想像とかけ離れていて、ハンザ都市として栄えていた面影すら残っていませんでした。 ここが、最も栄えていたのがハンザ都市として活躍していた中世の時代であることは間違いないでしょう。でも・・・今では、ちょっぴり寂しさを感じてしまいますが、あの当時の街の面影として、街のいろんなところで美しい木組みの家を見ることができました。 昔はこの地にお城が建っていましたが、今ではその姿形を望むことはできません。幸いにも、市街地を円形に取り囲む城壁が3分の2だけ残っていて、昔ここが城下町だったことを物語っています。この街に王宮博物館があり、そこに行くのを楽しみにしていたのですが、時間に間に合わずに中に入れませんでした。ちょっとだけ文句を言わせていただくと、この王宮博物館の開館時間が日曜日だと11:00から13:00までのわずか2時間だけなんです(火~土はもう少し長く開いています)。すごく短いと思いませんか?さて、ゾーストの見所は木組みの家だけではありません!!実はここにある3つの教会がとても有名なのです。だから王宮博物館が見られなかったぐらいで、愚痴を言ってはいけません・・・他の楽しみがちゃんとあるんです。それについては、次回のブログで詳しく書いていきたいと思います。 ところで、僕の彼女との関係を少しだけ関西弁で書きます(ちなみに彼女も関西弁しゃべります)。毎晩、電話で話してるんや・・・平均2時間ぐらいは話をしとるんとちゃうかな~。2週間前の土曜日なんかさぁ、めっちゃ話してもうて・・・10時間も話をしてしまったんやぁ。僕のことをよぉ知っとる友達がこんなこと聞いたら、「ぽんすけ君、すんごい変わったな?」って言われてしまいそうやわ。普段は、すんごい大人しくて、あまりしゃべらへんのに、何でか知らんけど彼女とやったら話せてしまうねん。どんなことを話してるのかっちゅうことはここでは言えへんけど、彼女が電話越しにピアノ弾いてくれたんやな・・・・。普段はめっちゃ可愛いんやけど、彼女のピアノの演奏聴いたら可愛いちゅうことなんて忘れてもうたわ。あぁ、こんなことをブログで書くのは、やっぱり恥ずかしいので、もう書きたくないです!!みなさんも読みたくないでしょ? では、また。
November 27, 2008
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しばらくのご無沙汰です。一昨日まで研究討論会がMuensterという街であり、その準備、出張、講演のために、しばらくの間ブログの更新をお休みしていました。一昨日、この冬一番の寒さとなり、雪が吹き荒れる中帰ってきまして、スーツケースと衣服は雪まみれになりました。今日も断続的に雪が降っていまして、研究所の屋根は真っ白に雪化粧をしています。さて、話を本題に移しますが、数ヶ月前のブログにケルン大聖堂のことを書きましたのを覚えていらっしゃるでしょうか?そこに「燃えるような恋がしたいと大聖堂で祈願しました」と、恥を知らずに書いてしまいました。また、突然「結婚します」と大きな文字で書いて、皆さんをビックリさせたこともありました(あれは上司のオオカミギャング(愛称)の結婚です)。あれから数ヶ月後、その願いが叶えられつつあります。僕はドイツ語がほとんど話せないために、ドイツ人の友達やオオカミギャングの助けが必要でした。しかし、ある人に出会ってから、その人が僕に対してとても好意的で、ドイツでの生活に困っているときに、いろんなアドバイスをしてくれたり、ドイツ語のできない僕に代わって問い合わせをしてくれたりしました。ドイツに来た当初から、研究さえ成功すればそれでいいと思っていて、異国の地で新しい恋人を作るなんてほとんど考えていませんでした。でも、あの人に出会ってから、僕に対してたくさんのことをしてくれて、それが積み重なっていくうちに心が動いていきました。恋人として付き合っていくのを確認しあったのはつい最近のこと。今、その人はドイツの遠く離れた町に住んでいますが、これから連絡を取り合って、お互いの将来を考えていくつもりです。遠距離恋愛で、そう簡単に会うことはできません。だから・・・・・・ぽんすけの一人旅は、今までどおり続けるつもりです。読者の皆さんは僕のLove Love日記なんか読みたくないでしょ?そんなの書いたら、一人旅の好きな「ぽんすけ」のイメージが崩れてしまいそうです。これからも一人旅を続けますので、変わらずブログを愛読してくださると嬉しいです。P.S. あの~、言っておきますが、このブログは冗談ではありませんよ~。いつも冗談を書いてしまうので、信じてもらえない気持ちは分かりますが・・・(笑)。
November 23, 2008
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お久しぶりです。来週、主張&講演がありますので、それの原稿作りや準備に追われていて、しばらくブログをお休みしていました。さて、今日の天気は今にも雨が降り出しそうな空模様で、こんな日はショッピングを楽しむのが一番ですね。この前、日本人の街とし有名なデュッセルドルフに行ってきました。そこにペットボトルの「お~いお茶」が売っていて、確か2,50ユーロ(約300円)の劇高だったと思いますが、日本茶に飢えていたので迷わず買ってしまいました。日本にいたころは、旨いとも不味いとも思わず飲んでいたのですが・・・ドイツに来て約半年、キャップを開けて口に入れてみると・・・旨い あれほど日本茶、といってもペットボトル飲料が旨いと感じたのは生まれて初めてです。あのお茶の香り、そしてほろ苦い味、その全てが僕にとって懐かしい思い出です。この後、ラーメン屋さんに行って鶏唐揚げを食べたのですが、鳥肌が立つぐらい美味しかったです(ちとシャレなんですけど・・・)。こんな僕が年末に日本に帰ったらどうなるのでしょうか? さて、ミュンスターのブログ最終回です。今日はミュンスターのお城を書いていきたいと思います。正確に言うと、ここはお城と大学の両方の顔を持っているんです。ミュンスター大学の敷地内に建っていて、そのお城の周りでは近隣の人たちがお散歩やランニングをしていました。大学の敷地内に建つ城といえば、かつての金沢城を思い出します(今では大学が山の方に移転したので、金沢城は単独で存在しています。)。 ついでに金沢城の写真 大雪の中で・・・・・。顔が死んでます(笑) さて、話がそれましたが・・・ このお城の裏側がオススメなんです。そこにはちょっとした庭園があるんです。これって日本庭園(石庭)でしょうか?ドイツにいながら日本に帰っている気分にさせてくれる庭園でした。 次に向かったのは温室です。僕の推測ですが、ここはミュンスター大学の生物研究所の一部で、いろんな国の植物の生態を調べているんだと思います。そのため、サボテンはもちろん、熱帯植物、人食い植物(・・・んな分けない)も育成されていました。 今までに僕が見たことのない花もたくさん栽培されていて、新しい発見がたくさんありました。ブログ友達のohanazukiさんなら、全ての花の名前を当てられそうです。 中にはジャングルみたいな温室もあり、ターザンが「ア~アァ~」って言いながら降りてきそうで怖かったです。ミュンスターをのんびりした後、ゾースト(Soest)へ向かいました。その話はまた次回にします。では、また。
November 15, 2008
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こんばんは。何だか最近風邪をよくひくようになりまして、大阪にいた頃こんなに体が弱かったかな?って疑問に思っています。昨晩から喉が腫れて痛たくて、これは風邪かなぁって思いながら眠りにつきました。今朝起きて鏡を見てビックリ!!なんと顔まで腫れていて(笑)、随分と人相が変わってしまいました。 今日はミュンスターのプリンツィパルマルクト(Prinzipalmarkt)を紹介したいと思います。ミュンスターの中心街ともいえるプリンツィパルマルクトには、約100メートルほど緩やかなカーブを描きながらたくさんの個性溢れる切妻造りの建物がそびえたっています。 この家並みは本当に素晴らしくて、まさにミュンスターのシンボル的な存在であることが十分に理解できます。これらの建物の1階部分はブランド物を売るお店になっていて、切り妻造りの家並みばかりではなく、見るからに高そうなファッションや洗練されたブティックも同時に鑑賞して楽しめます。屋根の形もそれぞれの家で異なっていて、とんがっているもの、丸いもの、階段状のものなど様々な形をしています。そして規則正しく配置されたアーチ型の柱もミュンスターならではの景色です。 左上の写真の建物が市庁舎(Rathaus)で三十年戦争の終結を記念して建てられたそうです。市庁舎内部の平和の間は見学も出来ますが、僕がここを訪れたのは早朝だったので、残念ながら中に入れてもらえませんでした。また次回のお楽しみにとっておきます。これらの2つの建物は典型的な北ドイツの後期ルネッサンス様式です。次回はミュンスターのブログの最終回になります。では、また。ハックッション。
November 11, 2008
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こんにちは。ミュンスターのオススメは大きく分けて3つあり、1つは大聖堂、2つ目はお城の庭園、3つ目はRothenburg通りの商店街郡です。今日はそのうちの1つ、St. Paulus大聖堂とLamberti教会をご紹介したいと思います。残りの2つのオススメは次回以降のお楽しみにとっておくことにします。(1)セント パウルス大聖堂(St. Paulus Dom)ミュンスター旧市街のど真ん中に位置するのがこの大聖堂で、そこの前は駐車場を兼ねた広場になっているので大聖堂の全体像を写真に収めることができます。この大聖堂は13世紀に建築され、創建当時の姿をそのままを残しているというのが特徴的です。銅板でできた屋根が酸化されてエメラルドグリーンに輝いているのがとても印象的で、黒ずんだ巨大な装飾品は歴史の深さを語ってくれます。この大聖堂の見どことは、その中にある天体時計(Die astronomische Uhr)です。 これは中世後半に作成されたのに、なんと2071年まで表示されているのです。僕は時間が無くて大聖堂の宝物館に入りませんでしたが、そこにはヨーロッパを代表する金細工と織物文化が納められているらしく、それらのお宝は必見だそうです。 ステンドグラスについては、青と赤を基調とした模様で構成され、眩しいぐらいの光が差し込んできて、キラキラと輝いていました。写真ではうまくその輝きが写せていません。一眼レフのいいカメラに変えようかなぁ~(笑)。(2)セント ランバーティー教会(St. Lamberti)この教会は1375年から1450年にかけて建てられました。、実は、セント パウルス大聖堂とこの教会は徒歩数分の距離にあり、移動が大変便利で、この2つは何が何でも見てもらいたい教会です。一際高く突き出した真っ黒の塔に取り付けられた金色に輝く時計が印象的ですが、この塔に備え付けられた3つの檻が有名らしいです。何で檻が有名なのかというと、16世紀中ごろの話ですが、3人の洗礼運動の指揮者の遺体が檻の中に入れられ、見世物としてこの教会の塔に取り付けられたそうです。今でもその檻が塔に残されているのです(もちろん遺体は取り外されていますが・・・)。 教会内部の調度品はどれもこれも素晴らしいものばかりで、歴史の深さと豪華さの両方が鑑賞できて、本当に見所満載の教会です。そして何と言ってもここのステンドグラスとパイプオルガンは素晴らしい!! ミュンスターの街には夜のお楽しみもあるのです。実は、この教会の塔から、時を告げる銅製の角笛の音が毎晩聞こえてくるのです。僕がここに来たのは朝でしたので、角笛の音は残念ながら聞けませんでした。 ミュンスターを代表する2つの教会はいかがでしたか?次回は、ミュンスターらしい街風景をお見せしたいと思います。では、また。
November 9, 2008
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ミュンスター(Münster)はNRW州の北部に位置し、僕の街からは列車で1時間ちょっとで行けます。そこは大学都市として栄えていて約4万人近い学生が勉学に励んでいるそうです。その中に日本からの留学生もたくさんいらっしゃるようで、ミュンスターについてブログのミクシーで検索するとたくさんヒットするそうです。僕はミクシーには参加していないので、どうでもいい話ですが・・・。 高級ブランド品店の看板 ピエロの看板・・・何屋さんなんだろう・・・さて、この街は第二次世界大戦による空爆で大打撃を受けた街です。しかし戦後の復興がすぐに行われて、今ではとても美しい街へと生まれ変わりました。街並みはドイツの古風さを保っていますが、だからといって古臭さは全く無く感じさせません。高級ブランド品を売るお店も軒を並べていて、ウィンドーショッピングはもちろん、これらの店のユニークな看板を見ながら散策するのも楽しいです。 高級ブランド品を売る旧市街 奥に見えるのはSt. Lamberti教会歴史的には三十年戦争(Dreißigjähriger Krieg)の講和条約が結ばれた地として有名です。ちなみにこの戦争は最後の宗教戦争と呼ばれていて、ボヘミアのプロテスタントの反乱をきっかけに17世紀初頭に30年間続いた国際戦争です。この戦争の終結はここミュンスターでヴェストファーレン条約(Westfälischer Friede )が結ばれ、長い戦いにピリオドを打った地でもあります。 Observanten-Kirche St. Martiniさて、ミュンスター(Münster)とは、日本語に訳すと『大聖堂』という意味があります。その名前の通り、この町には大小さまざまな教会がたくさんあり、僕が徒歩で見てまわっただけで8つもありました。St. Martini教会は僕が今まで目にしてきた教会の中では結構大きい方ですが、ミュンスターの中ではまだまだ小さいほうです。(もしかしたら教会の名前が間違っているかもしれませんので、信じないで下さいね。) St.Ludgerii教会(下写真)は12世紀に建てられたゴシック様式の巨大な教会です。NRW州では珍しく赤瓦の屋根の教会で、黒ずんだ塔がとても印象的です。もしミュンスターを訪れるなら日曜日の朝がいいと思います。静かな街に8つの教会の鐘が鳴り響き、教会の中に入れば美しい讃美歌やパイプオルガンの生演奏が聴けます。僕はキリスト教信者ではありませんが、ミサの様子を後ろの方で見学させてもらっています。なんだかミサには不思議な治癒力みたいなのがあって、いつも心が洗われた気分になります。 Liebfrauen-Kirche Buddenturm今日のミュンスターのブログは、まだマイナーな見所しか書いていません。次回以降にミュンスターのメジャーな見所を少しづつ書いていきたいと思います。では、また。
November 6, 2008
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今日でクサンテンの旅日記はおしまいです。その最後を飾るのにふさわしい話題にしようと思っています。という事で、ローマ博物館(Römer Museum)を書いていきたいと思います。この博物館のある場所は、かつてローマ時代につくられた公衆浴場が存在していたそうで、その発掘現場をまじかに見ることができます。ちなみにその当時の浴場を再現してみると以下の写真の模型のようになります。 上の写真ですが白黒のタイルの部分がマッサージ場で、赤いタイルの部分が湯船となります。浴室と更衣室は男女別になっていたこともこの発掘で分かっていて、暖浴場と水浴場とサウナも完備されていたて言うからビックリです。下のイメージ図ですが、もっと拡大したかったのですが、あまり大きくしすぎると「大切な部分」までハッキリ見えてしまうので・・・このサイズで我慢してください。 男湯 女更衣室今から2000年前のローマ時代からこんな素晴らしい公衆浴場が存在したとはスゴイと思いませんか?大阪にいた頃、大きな湯船の中でのんびりと湯に浸かりたいと思い近所の汚くて古臭い銭湯に行ったことがありますが、あれとこのローマ時代の浴場を比べると、全く比べ物にならないぐらいですね・・・今の方が遥かに文明が発達しているはずなのに・・・。 マッサージ場さて、ローマ博物館ですが、4階からなる比較的大きな博物館で、遺跡の発掘調査で出土したものが多数展示してあります。これらを見ると日本で発見された縄文式土器とどことなく類似しているように思います。大きいものから小さいものまで、そして丸っこいものから細長いものまで様々の形の土器が発見されています。 これ以外には、矢じりやまが玉のようなアクセサリーも展示してあり、どことなく日本の縄文時代・弥生時代の発掘品と類似しているような気がしました。また、石の彫刻を見てみても、日本の石仏(強いて言うなら大阪・能勢辺りの石仏)とどことなく類似していて、文化の類似性をたくさん発見できておもしろかったです。 ここの一番の見所は全裸少年のブロンズ像です。右腕の一部が壊れているものの、すごくいい状態で保存されていて、ローマ時代の美術品としてすごく価値の高いものだそうです。ガイドツアーが行われていましたが、この像だけは念入りに説明がされていました。 ローマ遺跡については全くの素人ですので、これ以上の解説を書くことは出来ません。詳細を知りたい方はローマ博物館のホームページ(英語)をご覧下さい。おまけ戦士の衣装はドイツの子供達に大人気だそうです。 次回はミュンスターのブログを書いていきます。では、また。
November 4, 2008
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今日はクサンテンのローマ遺跡について少しだけ書いていきたいと思います。クサンテンがローマ時代に大変栄えたと言うことは、昨日のブログで書いたとおりです。クサンテンの中心街にはローマ時代の面影は全く残されていませんが、そこから徒歩10~15分かけて郊外に行くと、Archaeologischer Park Xanten(APX)という考古学公園があります。実は、昨日のブログに載せた最後の2枚の写真はこの公園で撮ったものです。ブログを読んでくださった皆さんに好評だったので、もう少しだけ他の写真をお見せしたいと思います。 さて、何でここが考古学公園なのか? それは、今から約2000年前のローマ時代に、ちょうどこの場所に神殿や円形劇場が建っていたのです。このことは、発掘調査で分かっていて、これらの建物が発掘された場所に、神殿、円形劇場、石庭、門などが復元されて建っているのです。ちなみにここの公園は・・・ちゃんと入場料を取りますので、ご注意を・・・。あっ、でも一見の価値はあると思います。この隣に併設されたローマ博物館は超オススメでその入場料と併せて9ユーロでした。ローマ博物館は次回のブログで紹介します。 例えば、上の写真のような神殿は、言うまでもなくローマ時代を代表する建築物ですね。屋根の大半は発掘で見つからなかったそうで、ご覧の通り一部しか屋根が復元されていません。2000年も昔に、こんな巨大な神殿を造る技術があっただなんて、想像ができないですね。クレーン車やダンプカーなんてなかった時代ですよ!! 上の写真の円形劇場も見事に復元されていました。アーチ型のレンガ造りの壁がとても規則正しく出来ていて、すごく印象的でした。 どこまでも続く城壁と、見張りのための塔が各所にめぐらされていました。クサンテンはゲルマン人と何度か戦いを繰り返していて、そのためにこのように敵の進入を防ぐ門と監視塔が必要だったことが理解できます。 上の石碑(?)はレプリカではなくて本物だと思います。2000年も前に作られた石の彫刻が、その姿をほとんど崩すことなく、クッキリとハッキリと残されていました。そして、水道の技術も発達していたそうで、右上の写真のように地下水路も発見されました。僕の実家なんて水道が通っていないって言うのに・・・実は今でも井戸水で生活しています。僕の実家はローマ時代よりも技術が遅れているのか!!って嘆きたくなります。 おまけ ドイツの子供が可愛かったので、思わず撮ってしまった1枚です。 また、次回をお楽しみに。今日は、ホントに疲れた。
November 3, 2008
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お久しぶりです。先日、あるドイツの財団から彼らの後援している会議に出て欲しいと招待を受けまして、11月の中頃に出張して僕の研究を公演することになりました。ドイツに来て初めての出張で、そして公の場で研究を討論するのは久しぶりなので、少し緊張しています。 ドイツ・NRW州にあるクサンテン(Xanten)という町をご存知でしょうか?10月12日にその町に行ってきましたので(半月前の話題ですが・・・)、今日から少しだけクサンテンの街並みや歴史などを書いていきたいと思います。僕の住んでいる街から電車で6分のところにデュースブルグ(Duisburg)という中型都市があります。そこで3両編成の小さな気動車に乗り換えて、ローカル線をひたすら北上しました。車窓はデュースブルグの慌しい都会の景色は一変して、畑と牧場の広がる田舎町の風景が見晴らせます。写真を何枚か撮ったんですが、この日も霧がすごくて、晴れやかな写真が一枚もありません。でも、霧の中の街並みは幻想的で一風変わった景観が楽しめていいかもしれません。 終着駅のXanten 車内はめっちゃきれいかった(関西弁)ローカル線の旅・・・その終着駅がクサンテンです。たくさん乗っていたお客さんも一駅一駅で数人ずつ降りていってしまって、終着駅で降りたのはわずか10数人だけ。無人駅で小さな駅舎と券売機が備わっているだけで、どことなく寂しさを感じます。 町の入り口 巨大な風車(内部はお土産屋さんです)町は静けさに包まれ、穏やかな風が吹く中、町を歩いていると大聖堂から鐘の音が聞こえてくる・・・。今ではすごく小さな町になってしまったけど、約2000年前のローマ時代にはすごく繁栄していたのです。その証拠として、たくさんのローマ時代の建築跡や遺跡が発掘されていて、今でもクサンテンの各所で発掘調査が行われています。 聖ヴィクトル大聖堂入り口 聖ヴィクトル大聖堂外観(すごく巨大です)この町で発掘された数々のローマ遺跡を展示した博物館にも行ってきました。それについてはまた次回ブログで書いていきたいと思います。この町が栄えたのは、ゲルマン人の侵略から守るための軍営都市をここに築いたからだと伝えられています。ローマ時代にはゲルマン人の襲撃を見事に防いでいました。しかし、ローマ帝国が衰退するとともに、ゲルマン人の攻撃により町は荒廃してしまいました(3世紀)。 ツタが見事に紅葉しています 聖堂前のキリストの処刑像中世になって新たに集落が誕生し、9世紀には「聖者たちの場所」を意味するクサンテン(Xanten)という名前が付けらました。この地名は今も変わらずに引き継がれています。町のシンボルとも言える聖ヴィクトル大聖堂(St. Viktor-Dom)の建設は12世紀末から始まり、1530年に完成しました。 クサンテンの中心部の街並み ドイツの古き良き街並みが続いていて、すごくお洒落です。僕のブログに度々出てきたワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪』ですが、その楽劇に出てくる英雄ジークフリートが生まれた町はここクサンテンとされています。第二次世界大戦の空爆により、町は大きく破壊されてしまい、カナダ軍によって一時的に占領されてしまいました。でも、日本と同様に戦後の復興が盛んに行われ、1980年ごろから観光事業に力をいれて、多くの観光客を受け入れているそうです。でも、日本で市販されているガイドブックには1行もクサンテンの案内が書かれていなくて、少し残念です。古代ドイツと中世ドイツの歴史の面影が今でも残っていて、NRW州の代表的な観光名所と言えると思います。今日ご紹介した以外の見所は次回から少しずつ書いていきたいと思います。もう1つ、クサンテンのメリットを書いておきますと、全ての見所は駅から近くて、すべて徒歩でまわれます。なので、急いでまわれば2時間、のんびりと観光すれば4時間でクサンテンの町を満喫できるはずです。僕は4時間かけて、じっくりと見てまわりました。次回はローマ時代の遺跡に焦点を当てて紹介したいと思います。では、また。
November 1, 2008
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