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今年の夏に、東京太田美術館所蔵の浮世絵展が開催されましたが、それ以来のギメ美術館訪問。あまり時間がなかったので、日本の展示だけを見ることに。オーディオガイドを借りたのだけど、説明があまりにも一般的すぎて、一つ一つの展示物に対する解説ではなかったので、ちょっとがっかりでした。ギメ美術館自体も、結構浮世絵を所蔵しているはずですが、今日はすっかり展示がかわっていて、1830年代の新聞的なものの風刺画になっていました。あれはあれで面白いけれども、日本語のわからぬ外国人には、わけがわからないような・・・陶芸コーナーのところの、18世紀の重箱、あれは本当に美しいです。4段の重箱で京都で制作されたもの。ターコワーズブルーが基本で、そこに○のモチーフがあり、各○の中には、季節の花がそれぞれ描かれているもの。こんなの造ってみたい、と夢だけ膨らませながら。土佐派の源氏物語絵巻も気になるけれども、解説が全くないのは、ちょっと残念でした。今は、展示していないけれども、ギメはマリーアントワネットの漆のコレクションを所蔵しています。これは、是非またみてみたい。と思いながら、バタバタと美術館を後にしたのでした。
November 6, 2005
9月末より新規オープンしたパリのシネマテック。オープニング特集は、題して「ルノワール・ルノワール」。ジャン・ルノワールが監督した作品、そして兄弟のピエールの出演作品、スチール写真のクロードの作品などを上映、プラス同タイトルでの展覧会も開催。見ようと思っていた映画が、ちょうど満員で中に入れなかったため、「そういえば」と思って、展覧会の方へ行ってみました。これが、期待以上に素晴らしくって。映画の代わりに、と行ってみた展覧会ですが、これはルノワール家の総まとめ的なものといえます。ルノワールといえば、一番ピンとくるのは、印象派の大巨匠、ピエール=オーギュスト・ルノワール。そしてその息子ジャンは映画監督に、ピエールは俳優、クロードは陶芸家を経て映画のスチールカメラマンになりました。そのあたりの関係がどうもよくはっきりしなかったのですが、冒頭の家計図でその点は、すっきりクリアになりました。この展覧会は、いくつかの部から構成されていますが、基本的には、ルノワールの絵画があり、その隣に、ジャン・ルノワール監督の作品の一部を上映するというもの。驚くべきは、父親の絵画を見ながら育った息子たちは、実に父親の作品に忠実、というかかなりの影響を受けて、映画を撮影しています。ジャンが子供時代の狩猟に出る様子のポートレートの隣には、「ゲームの法則」の狩場面が上映。ムーランギャレの作品の隣には、その場面と類似した、「恋多き女」(原題は「エレナと男たち) 」を上映。日差しを浴びた女性の隣には、まさに女性が裸体で川遊びをする場面の「草上の昼食」の上映。ブランコの女の隣には、「ピクニック」の中で、同じ衣装を着た女性が楽しげにブランコに乗っている。まさに絵画が映像の中にピタリと同居。まるで、同じ人が違うフォームで、同場面を表現したかのよう。そして展覧会は、この対比をざっと今思い出すだけでも、10数点行っています。そして、多数のスチール写真。多数のルノワールの絵画。ルノワールの大作を見るだけでも、すごい価値です。オランジュリー美術館が未だに閉館中の今、ルノワールを主に所蔵するオルセー美術館でみるのが、一番手っ取り早いルノワールですが、ここでは、オルセーだけでなくオランジュリーの作品も数点あり、もちろんロンドン、アメリカからも作品を展示しています。全部で絵画が何点あったか覚えてませんが、絵画だけでも、十分楽しめる量でした。本物のルノワールと、フィルムとの対比。なんて贅沢な企画なんだ、と感嘆することしきり。そして、フランスの写真家の巨匠、アンリ=カルティエ・ブレッソンのブックもありました。1933年ごろに、ジャン・ルノワールに自分のブックを提出して、スチール写真の職を求めたもの。大物もやはり、自分を売り歩く時代があったのだなあ、としみじみと思ったり。こんな展覧会を見た後は、やはりルノワールの映画が見たくなるというもの。ちょうどこのあと、「恋多き女」が上映だったので、公園を散歩してリフレッシュした後、みていくことに。この映画は、英語版とフランス語版で作成されたそうですが、本日は英語版の上映に。しかも字幕なし。その連絡が舞台上であったあと、結構ブーイングで帰っていったお客さんもいましたが。バーグマンの美しさは、さすが。ジャン・マレとの共演もいい。あのはちゃめちゃでごちゃごちゃした話の展開と場面構成も、それがまた魅力的だったり。その後は、バランシンのバレエ「宝石」を観に、オペラ・ガルニエ座へ急ぎ。また機会があったら、それについては後日書きたいと思いますが。ちょっと詰め込みすぎにみえますが、意外とうまく消化できた感じがする1日でした。
November 5, 2005
ずっと話題の的だった欧州憲法の是非を問う、国民投票が、フランスで今日行われた。パリ、リオンでは夜の10時が投票締め切り。これまで、「イエス」の国ばかり、そしてフランスは国民投票(何と素晴らしい!)のため、今日一日は、いつもに増してこの話題で持ちきり。テレビで10時に大体の結果の発表。フランスは、55パーセント近くの投票により、「ノー」の答えが。投票率はおよそ70パーセント。政治家のディスカッションが続く中、やっと10時半頃、シラク大統領の演説が。これで初めて国民が、欧州憲法に対して「ノー」と言った国が出た。私も、投票権がもしあったらノー、だったので、なんだかほっとした。全文を読もう読もうと思いながら、結局読まずに終わってしまったけど、この文章、憲法という感じがあまりしない気がする。そして、何よりも、文章がわかりにくすぎ。これでは、「あなた、どうしますか」といわれても、答えようがないと思った。そして、内容が、経済に関することが大半を占める。これは憲法なのだろうか、と私の感覚からしたら思ってしまう。テーマは、「ヨーロッパの統一性」。けれども、例外、みたいのがたくさんある。これで、なんで何かを決めるときは、ヨーロッパ25カ国一致でなければいけないんだろう・・・などなどと思ったり。。。EUの中心的存在フランスが、批准しなかったことによって、今後どのようにかわっていくのだろう。これからの成り行きが楽しみでもあり。いずれにしても、国民投票って、やっぱりうらやましい。俄然、政治に対する興味度が変わる。
May 29, 2005
サンジェルマンデプレ界隈を、散策。目の保養もかねて、アンティークが軒を連ねるブティックを徘徊。やっぱり、贅沢な調度、素晴らしい邸宅、湧き出る新緑を目にすると、夢見心地になる。そうして、教会の広場に到着。なにやらモダンな幾何学形の彫刻が数体すえてあり。そして、カフェ・ドゥ・マゴの前には大きな人だかりが。何事かと思い、吸い込まれるようにそちらの方へ行くと。どうも、今夕が、この彫刻のヴェルニサージュであるらしく、今風の人々が、作者を囲んで談笑中。「ソフィア・ヴァリ」という女性彫刻家の作品が、今回堂々と、このサンジェルマン広場に燦然と並べられている。ついでだからと友達とそれらしくその場にいると、やがてカフェ・ドゥ・マゴの給仕が入れ替わり立ち代り、飲み物を運んできてくれ。私たちにも、当然のように飲み物が供される。しかし、来ている人をみると、結構そうそうたる人たちが多いようで。大使館関係、ギャラリー関係、女性誌ジャーナリストはともかく。ドゥ・マゴのある給仕が、私の後ろでアメリカ人女性グループに、「今日はボテロの展覧会でね~」なんていってるものだから、こりゃいけない、と思い、「今日はボテロじゃないですよ。ソフィア・ヴァリです。大体ボテロの野外展示会は15年前のシャンゼリゼでしょう。」というと、給仕の彼は、「なんだボテロじゃないんだ」とがっかり。けれども、この女性グループは、そうでしょう、そうでしょう、と私に相槌を打ちながら、ソフィア・ヴァリを探しに行ってくるわ、と揃って場を離れていった。ボテロか、、言われてみると、近い関係かも、、と周りを見てると、おおお、いらっしゃいました、ボテロ氏。やはりダンディな感じの、品の良い、方で。給仕の中で、少しだけ日本語を話す人がいたので、聞いてあげると、会社から1ヶ月、日本に行ったらしい。渋谷のドゥ・マゴへ。(渋谷にあったんですね・・・)良くぞ聞いてくれた、と満足げに、去年行った日本の感動を語リ始め。・・・知らない間に、2時間近くの時間が流れていました。こういうのに出くわす機会の多いパリは、やっぱり素敵な街だと、思わずにはいられません。
April 18, 2005
ピアニストの友人とオペラ歌手の人たちが、とあるお宅でサロンコンサートを開くという招待があったので、行って見ました。まず、このお宅にびっくり。天井が普通の2倍ほどあり、奥に位置するサロンは、ゆったりとコンサートが開ける。調度品の豪華さはさておき、久々にこのようなお宅にお邪魔して、ついつい優雅な気分に浸る。このコンサートはチャリティで、恵まれないアフリカの人たちのためにミシンを購入するという趣旨で、2団体が一緒に催したもの。話を聞いたときは胡散臭い、と思ったのだけど、実際行って見るといやはや、すごくちゃんとした団体でした。そういう会なので、おのずとお客は割と恰幅のよい方が多く。肝心のコンサート。あらかじめきいていたアラはさておき、自分の友人のピアノにはいつものことながら感動。聞いていると、おのずと元気が出てくる。そして、あの体力と集中力には脱帽。韓国人の歌い手さんで、スゴイ人がいました。繊細ながら、ダイナミックで、感情ほとばしる歌いっぷり。こぶしがきいているといいましょうか、情感がほとばしり、内容はわからなくとも、感動してしまう。胸が高まる。指導する立場の、先生がまた素晴らしい人で。元オペラ座の歌手でしたが、引退後歌を教えている韓国出身のマダム。彼女は敬虔なクリスチャンで、神の思し召しにより、引退後自分に何ができるか、と考えたとき、若いアーチストを育成すること、という声を聞いたらしい。コンサートの最後は、会場の客みんなが手をとりあい、オッフェンバックのホフマンを合唱。会場が一つになり、みんなで一緒に手をつないでうたい、気分が高揚し、胸のうちが浄化されるのを感じ。「世の中たくさん悩み事や辛いこと、空気汚染も多いけれども、このコンサートで、それらを洗い流していただけたのでは、と思います。」とのさいごのあいさつ。なんとも感動的な空気に包まれたクライマックスでした。その後は、ビュッフェを囲んで歓談。やはり客筋が良いだけあり、どなたともそれは楽しくおはなしができ。ふと、19世紀に盛んだった芸術家のサロンも、こんな雰囲気だったのでは、と思いを馳せ。魂の洗濯をしたソワレでした。
April 2, 2005
先週に引き続き、ジャック・ド・バロンセリの無声映画へ行く。1918年の未完成作品「スキャンダル」と1928年の「隣の女」。前回と同じく伴奏はアコーデオン。今日はどんな伴奏が聴けるのだろう、と思っていたら、なんと、なんと、前回とほぼ同じような音楽。な~んか手抜き・・・と思ってがっかりしてしまった。おまけに、彼の奏でるメロディが頭からほんとに離れなくなってしまった・・・けれども、違う映像で違うお話、それでもなぜこのメロディは、これらの映画にぴったりしっくりくるのだろう。前回見ていなかったら、なんの不自然も感じなかったでしょう。それがまた不思議。違和感がない。このアコーデオン奏者、マーク・ペローネの勝ち!と感じざるを得ず。この二つの映画、10年の差があるので、雰囲気もおのずと違ってくる。「スキャンダル」の方は、正統派ヨーロッパ(何が?)という感じで、ベル・エポックは過ぎようとしているのだけれども、「眺めのいい部屋」的な、ちょっと重々しい衣装。女性はコルセットからは開放されつつあるけれども、やはりロングのドレスにレースがひらりひらり。子供たちは天使のような大層な服装で。男性は、三つ揃え。これはあまり変わりませんが。テーマも、ある男性が妻子ある女性との一過性の恋を盾に、女性からゆすり取ろうという割とクラシックなお話。2つ目は、開放的な南仏。ファッションをみているだけでも、わくわくしてくるような。20年代30年代前半の、あの、ウエストが緩やかになりスカートも短くなりのあの特徴的で開放的なファッションは、現代でも十分通用する斬新さ。曲線を大切にした帽子の形とか、今だからこそ被りたい!と思うような、素敵さがつまっていて。やっぱり当時の風俗とか社会性が浮き彫りになっている映画は、目が釘付け。おまけに映像の美しさ、繊細は、現代の技術とはまた違った魅力にあふれ、なぜか自然と癒される優しさに包まれているようだ。
March 27, 2005
オルセー美術館での今年の無声映画特集は、「ジャック・ド・バロンスリ(バロンチェッリと読むのだろうか?)」。この日は、1927年の「乗客」をアコーデオンの伴奏付きの上演でした。無声映画は時々みるけど、アコーデオンの伴奏は初めて。上演前から既に、舞台上で一人待機する、哀愁帯びた伴奏者を目前に、どんな上演になるのかと、わくわくしながら開始を待ち。上演と同時に演奏されるアコーデオン。耳について離れないテーマのある伴奏音楽。なぜか、ヤン・ティエルセン(アメリーの音楽担当者)に似通ったメロディ構成のような気がしたのだが、またそこがいい。勘所のツボを得た演奏で。主人公と共に悲しみ、興奮し、驚き、怒り、そして笑うこの演奏、これがあるからこそ、こんなにも映画が生き生きとした、実際のふくらみ、凹凸があるような存在感が出てくる。そこにはもはや、せりふもない画面だけの動画ではなく、明らかに立体感のある、別の形態に変わった映画以上のものが浮き彫りとなっていた気がしました。お話は、パリ。ある医者が、自分の銀行家のせいで破産しかけ、余儀なく銀行家を殺すことに。その後、この医者は、マルセイユから南米行きの船にのり、逃げることになる。船上で、穏やかにすごしていたが、ある日、艦長が、船上に殺人容疑のかかった医者がいる、という電報を受け取り。船で仲良くしていた若い母親とその子供。子供が病気にかかり、医者にみてもらわないと、命はない、という。この医者は、ここで自分が医者だと名乗れば、犯人であると告げることになるので、子供を診るのを「医者ではない」と断り続けたが、とうとう最後に診断することに。子供は無事回復。母親は大喜び、しかし、彼は逮捕される身になってしまった。艦長は、この勇気ある医者のために進路を弱冠変更。警察の手の届かない港の前で、彼を下ろす。特に医者が、子供を診断するかどうかの葛藤の只中が、ドラマチック。若き日のシャルル・ヴァネルの存在も素晴らしい。母親の子を思う気持ちと、良心の呵責にスポットをあてた作品だけど、そういう道徳的なテーマを、ベタっとせず、さらりと描かれた嫌味のない映画でした。
March 20, 2005
久々にバスチーユのオペラ座へ。ジョン・ノイマイヤーの「シルヴィア」を観に行く。何気にフラッと行った感じの舞台だったけど、期待はずれに良すぎて、結局メロメロ状態。あまりに素晴らしすぎて勝手に興奮状態・・・バレエをみてこんなに感動するのもなかなかない。普通に感動はあるけれども、心の底まで揺さぶられるのはなかなかないのだ。音楽からして私の好きなタイプで、高らかに謳歌するドラマチック系。こういう音楽を聴いていると、本当に気持ちも高揚し、気持ちが大きくなるような、なんだかスケールが大きくなったような、壮大な世界にいる気分になり。そして、その名の通り、大森林の中で舞台は繰り広げられ。躍りがいい。振付が素敵。上品に、でも何気に野性味あふれる人間の性と欲望があふれんばかりに湧きあがり。女性等のあの健康的な肉体美。それをうまく引き立てる男性群。どういうわけか、今村昌平の映画、「神々の欲望」だったっけか、時代遅れの島でのドラマを描いたそれを思い出した。全然違うんだけど何か通じるものがあるような。男性の今回の主役は、ジョゼ・マルティネスだったけど、彼は見るたびごとに自分の持ち味を生かし、素敵になっていく人だ。あの大きな肢体、ラテンの濃い顔つきが、昔は小さな箱に詰め込まれているようで窮屈そうだったけど、いつの日かエトワールになってからは、本当にのびのびと踊っているような。そして、かなり気障な役が、恐ろしいほど似合う。あの短パンにタキシードの心地の良いいやらしさは、彼だからこそ。シルヴィア役のレテシア・プジョルも良かったし、ダイアナのデルフィン・ムッサンは高貴な人、お高い人、をうまく演じていた。でもでも本日の大発見は、なんといっても羊飼い役のエルヴェ・モロー。マチュー・ガニオ云々言ってる場合ではない。彼のあの存在感、素朴な役柄を舞台全体を包み込むような躍りで、釘付け。スゴイ人が出てきたもんだ、と思った。私が知らなかっただけかもだけど。その一挙一動に心がときめく、というのもなかなかないもので。隣に居た初老の夫婦はブラボーの連発。ひょんなことから話し始めたら、昔はオペラ座のダンサーだったんだ、なぞとのたまったけど、いやいやよくみるとそういう風格の方でした。本当に、やられた!というこの舞台。うっとりして、うっとりして、美しいものを見た後の、心地のよい感動に浸りまくり。パリにいて、私はなんという幸せ者、と思ったりして。プログラムをこれからゆっくり読んで、ゆつくりと余韻に浸りたい。
March 18, 2005
ベルギーの国境近くに行く用事のついでに、折角なのでブリュッセルまで足を伸ばしました。センターの方へも今回は行ったのですが、ホテルがなかなかみつからなかったり、なかなか食事にありつけなかったり、と今一つついてないなあ、なぞと思った今回。しかも、結構感じた人種差別。ふだん感じることはほぼないのですが、こんなところで・・・もしかしてこれは、差別?と思ったりなぞして。例えば、カフェレストランで、満席だから待ってて、といわれて、カウンターで飲みながら待っていると、私たちには一向に順番が回ってこなくって、後から来た人たちをどんどん先に座らせていったり・・・やれやれ。国境近くの用事も、今一つ自分が思い描いていたこととズレがあったりして、もう一つ煮え切らない感じがしたし。そうして帰路につき、メールをチェックすると。先月終わったはずの仕事に対するコメントがきている・・・かなり力を注いだので、その話はもう終わりだと思っていたのに、ここにきてまたこういうメールがくるとは・・・今更何を・・・しかも長くなりそうではないか。最後にまたドーンと、重い気分にさせられてしまった日でした。
March 10, 2005
このところ、山崎豊子さんにはまっています。遅ればせながら、「白い巨塔」を読んだ後、「不毛地帯」を読みました。1巻は、主人公のシベリア抑留時代の描写が恐ろしく、なかなか進まず、もしかしてこの本はこの調子でずっと続いていくのか、と思うと、この辺でやめておいた方が無難かなあ、などと思ったこともありました。でも、それを超えると、もうとまらない、とまらない。先が読みたくてとまらない。ある商社における主人公の携わる仕事のスケールの大きさ。一企業というよりは、国家、世界レベルが舞台の仕事というのは、読んでいて本当にわくわくしてくる。商社のどろどろな戦いもさることながら、そして、60年代から70年代の、24時間働くサラリーマンの生活の描写もすごいけど、私にとって、そうしてあらゆる人脈を使い、世界各国の要人と会い、大きな大きなプロジェクトをこなしていくその有様に、興奮しました。それこそ、世界を自由にかけまわり、ある信念を持った戦略~人の使い方、接し方も含めた~でもって、仕事をすすめる。やはり、こういう国家的仕事を次々とこなすいうのは、大企業という器があるからこそ、携われる事柄なのかもしれない、と思うと、サラリーマンであることの利点がありありと見えるようでした。またしても、この小説にはモデルがいるらしい。読後、ネットをみていると、瀬島龍三氏がそう、ということで。こんな激動の人生を送る人もいるのだなあ、と、不思議な感動を覚えています。
March 8, 2005
やっとやっと、一つの仕事が終わりました。この10日ほど、朝から晩まで、睡眠も削りながら、必死にやってやっと納入。ふ~。終わらないかもしれない、という恐怖に何度も襲われ、夢にも出てくる有様。絶対無理だ、どうしよう、と不安陥りながらも、「大丈夫、絶対できる」と精神的にも物理的にも励まし続けてくれた人たちに感謝、感謝。時間と、精神的な戦いでした。実際に終わると、「やればできる」という気持ちで満たされて、ほっとしました。というわけで、納入後気持ちよくいけたオペラ座。女性振付家3人の作品で、始め1作目は見逃してしまったけれども、先に来ていた友達が、内容を説明してくれました。「よかったよ~」だって。2作目がミッシェル・ノワレというドイツの振付家の作品。舞台の上には、グランドピアノがどん、とあり、その静かな伴奏で静かなダンスが続く。なんだか、1920年代の無声映画を見ているような気分でした。あのとつとつとした伴奏なぞ。そして、振付は、バレエ・リュスの、1910年頃の、超前衛的だった、牧神の午後、のバックのギリシャ彫刻的なそれを髣髴とさせるような。それでいて、流れるように美しい。おまけに衣装が、袴みたいな感じだったので、それがさらに、尾を引くような美しさ、というか。。。静謐に、自己を反映するような、透き通った作品でした。3作目が、ローラ・スコッツィの「七つの大罪」。一つずつ、罪の名が付いた舞台がアメリカを旅する、という設定で、繰り広げられていくのだけど。これがまた、最高に良かった!音楽が1930年代の、ちょっとショスタコーヴィッチ風で、クラシックなんだけど、ひねってある。そして、なんともいえないドイツ的キッチュさ!衣装、振付とも、キッチュが誕生した60年代そのもの。そして、数人の歌手の演出も、舞台とすっかり一体化していて、まさに音と躍りの共存。舞台美術も、あの趣味の悪さが、さらにこの舞台を盛り上げる・・笑いあり(というのもダンスの世界では珍しい)、感動ありで、それでいて、ステレオタイプのミュージカルとも全く違う、「ドイツ的」なこの舞台、すっかり味わわせていただきました。そんなに期待していなかった舞台なだけに、大満足な夕べでした。
February 16, 2005
漫画家辰巳ヨシヒロ氏を囲むフォーラムが、パリの日本文化会館でありました。ちょうど、アングレム漫画祭で来仏されたよう。会自体は、彼の作品を映しながら、2人の仏人がインタヴューする、というもの。あんましパッとしない内容で、歯切れが悪く、眠気を装うもので残念だったのだけれども。それでも会の終了後、辰巳先生に挨拶に行きました。そうすると、快く対応して下さり、名刺まで頂いて恐縮してしまいました。もう70歳とのこと。50年代のアメリカ、フランス、イタリア映画からインスピレーションを受け、常に社会の底辺にいるような人間を描き続ける辰巳氏。劇画を創めたのも実は彼。売れる漫画、ではなく、自分の書きたいことを書いているので、経済的にはいつまでたっても苦しい、なんていわれてた。私など何も知らずに彼の作品を翻訳したのだけれども、こうしてお会いしてみるとなんだか感無量。お会いできるとは、夢にも思っていなかったから。今度日本へ行ったときには、是非またお会いしたい、と思いました。
February 3, 2005
不意にメトロの広告に目をやると、なんと、シャトレ劇場で2月にマッツエックの公演があるではないか。題目はカルメン、しかも踊るのは、シルヴィ・ギレム。これは大変だ、とあわてて劇場に向かう。残席を聞くが早いか、窓口のおじさんは、どの日も、この席しかありません、そして続きの座席もありません、と目の前に柱があってよく見えない席、を指差す。マッツEKだもんなあ、シルヴィ・ギレムだもんなあ、ちょっと位見えなくっても、この際いっておくべきかなあ、と思案しながら、いやいや、見えないんだったら行ってもしょうがない、ここは潔くあきらめよう、と結局買わずに劇場を後にする。ふと思うところがあって、その向かいの通称サラベルナール劇場の前を通ると、全く同じ時期に、ロビン・オルリンの公演があるではないか。この、ロビン・オルリンという人、南アフリカの白人女性で、常に、人種差別を辛らつに、けれど見かけはユーモラスに演出する。長いタイトルはいつも挑発的で、全く今度はどんなことが始まるのだろう、と思わせられずにはいられない女性。ショートカットで小柄な見かけからは、想像のできない社会派だ。数年前の初公演では、始めの方かなり席が余っていたのに、口こみで人が芋づる式に増えてきて、最終日は空席を求める人で、劇場のホールが一杯だったほど。それから、公演があるたび、ちょっと話題になりながら、お目見えする彼女でした。そうだ、こちらの空席は、、、と確認することに。う~ん、もうたいした席はどの日も残ってないぞ。久々だから、後ろの席でもいいから行こうかなあ、と思いながら、でもなああ、と悩む。そうして、結局またしても買わずに劇場を後にする。どうも、歯切れが悪い。こういうこともあろうから、ちゃんと前もって調べておかなくてはいけなかったのに。・・・と、思った日でした。夜に久々に、韓国映画を見に行く。題名はPHONE、日本では、「ボイス」で公開された2002年映画。見ていくうちに、そういえばこれって日本ですごく話題にならなかったっけか、と思い始め。最初はすっごく怖くって、なんでこんなの見に来てしまったのだろう、しかも、夜に・・・と後悔しはじめたけれども、折角来たのだから、と最後までみることに。ああ、どうしよう、今晩寝られんわ、と思いながら、子役の女の子の演技がすごすぎる。けれども、結局、女性の嫉妬が直接の原因と知るにつれて、悪いけど、なんだアホらし、と思ってしまった。もちろん、お話は、パーフェクトな家族が裏ではこんなふうに、みたいな、なんとなくデビッドリンチの映画を思い出し、お話は凝っていたので、一言でこんなふうに片付けてしまうのは、よくないのだけれども。というわけで、始めはどうなることやら、と思っていたけれども、まあ、そこまで怖がらず、帰途につけてほっとしました。
February 2, 2005
武満徹氏は、オペラを執筆しようとしていたのだけれども、未完のまま、1996年に病に倒れた大音楽家。このたび、その意志を引き継ぎ、新しいオペラ「マイウエイ・オブ・ライフ」がパリで演奏されました。パリ初演、とあります。音楽監督は最近とみにその名を耳にするケント・ナガノ氏。ドイツベルリン交響楽団の公演でした。武満さんのことはよく知らなかったのですが、図書館でふと本をみると、あの映画「心中天網島」の音楽・脚本を担当されたとのこと。篠田正浩監督のこの映画は、もう「やられた・・・」と思うほど、すごいと思ったので、(2003年の私の日記にもそのこと書いたような・・)あの緊張感ほとばしる音楽をつくった人か・・・と思うと、そういえば映画音楽、よくやられてた人だったなあ、と思い出してきました。それではというわけでもないけれども、是非とも見に行かねば、と観に行ったわけです。なんというか、東洋と西洋が、近代と中世が、混然とまぜあわさっていて、不思議なものを見た気分です。ある老女が、自分の人生を回想し、自分が60のとき、35のとき、そして子供のとき、と思い出しながらそのときの風景が舞台の上に。あの尺八、琵琶の演奏はすごかった。こんなにいいものか、としみじみ思えて。開幕も、斬新だった。白い照明で奥行きをどんどん表していく様は、これから一体何がはじまるのだろう、と思わされる期待感に満たされて。「日本」をこういうかたちで、「西洋」に融合させる・・・東洋でもなく西洋でもなく、のどっちつかずではなく、東洋でもあり西洋でもある、この素敵さ。海外にいると、余計に気になる存在のあり方。はじめてケント・ナガノさんを拝見。すごく小柄で華奢な方で、とっても今風。ちょっと小澤征爾さん、意識してませんか。
January 25, 2005
初めてジンガロを見に行きました。バルタバス率いるこの集団は、馬とともに「魅せる」集団。馬といえば、競馬、の私には、衝撃的な舞台で。会場からすでにその世界に入っていて、大きなテント的カフェレストランは、あの太陽劇団のそれを彷彿とさせるような。そこで会場まで、食事をするなりアペリティフを楽しむなりして、会場の案内が入る。ぞろぞろと通っていく所は、馬の厩舎の中二階。その先に、サーカス小屋のような円形の舞台がある。今回はいつもと趣向が違い、チベット音楽を使ったどことなくアジアの草原を思い起こさせるようなもの。会場はお香の匂いが充満し、お経のような低い、それは低い重厚な唄が奏でられている。本物らしきチベット僧数人による音楽。唄と弦楽器と。照明をうまく使い、舞台上は真っ暗の中、気がつくと、数頭の馬が舞台中央にたたずんで。そうしてタイミングを見計らったように、馬は「ひとりでに」おもむろに動く。自分がそうしたいかのように、自分の意思でもって、動いていくように。そうして始まるこの舞台。騎馬民族チベット族の馬と死が一体となったような。骸骨の衣装と大仰な民族仮面。美しい女性とロバ。白馬とガチョウの白い世界。まるで、美しい映像をみるような本物の白の世界。全ての騎士と全ての馬との、恐ろしく一体化した姿。すごいものを見てしまった、という高揚。何か狐につまされているような、不思議なそして神秘的な世界。馬は全てを知っている、調和のとれた世界。呆然とするしか身の施しようのない得体の知れない酔いに包まれて、帰途につく。・・・1ヶ月ほど前に会ったMちゃんが、これがやりたくて、ドイツに住み始めたらしい。そして、フランスはちょくちょく、ジンガロの公演をわざわざ観にくるらしい。それで、機会があったらいこうかな、ぐらいに思ってたのだけれども、チャンスは意外と早くやってきて。何を見ても辛らつなSちゃんも、今回はご満足だった。
January 18, 2005
久々に韓国映画。キム・スヨン(金洙容)監督の「山火事」。1967年。50年代、戦争で男が一人もいなくなった、女だけの村。貧しい暮らしを強いられている。そこへ、ある党員がやってくる。ある女性をレイプするが、しだいに、彼女は彼をかくまうように。男に飢えたこの村の、あるやもめ女も、それを知り、自分から求めるように。しかし、ある日軍隊がやってきて、残党党員を撲滅するため、隠れやすい竹やぶを燃やす、という。しきりに村の女たちは反対するが、容赦なく火はつけられ、中から一人の男が、ほぼ死んだ状態で出てくる・・・全てが戦争のせいで。女しかいない村というのも奇妙。食べるものもない。やもめ女は子を宿り。男はただ自分が助かりたい。先祖から受け継いだ竹やぶを燃やすわけにはいかないのに。人を殺すために、広大な藪を燃やしてしまう愚かさ。胸が痛い映画だった。その中で、映像は、それでも美しかった。白黒で、広角で、時に竹やぶを見上げるように撮る。それで、知らず知らずのうちに、竹やぶの尊厳を私たちに植え付けられる。濡れ場は、逆に望遠でアップ。不思議に美しい映画だった。音楽がまた素晴らしく。尺八風の楽器や、琵琶などの弦楽器が、絶妙のタイミングで入る。うまく間を計って。そのときの心理をうまく音であらわしていて、あの音楽がなかったら、こんなに、はっとしたり、緊張したり、というのは、薄かったと思う。最初から最後まで、感服でした。一緒に行った友達は、いまいちだ、なんていってたけれども、私は、スゴイ映画だ、と、その余韻が渦巻いてます。主人公の男性は、先の「燕山君」と同じ、シン・ヨンギュン(申栄均)。
January 16, 2005
ふう~、山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」、遅ればせながら、読み終わりました。この1週間、どっぷりこの世界に浸りまくりで、不思議な気持ちに満ちています。久しぶりに、こんな力強い本に会った感じです。しかも、今まで、山崎豊子さん、読んだことなかったし。いろいろ取材して、それを元に、この小説を書かれたのだと思ってました。事実そうなのだけれども、話が、事実、というのが驚きでした。私は、てっきり、特に主人公は、架空の人物だとばかり、思っていたからです。実際に「恩地元」は、存在していたなんて!しかも、そのモデルになった方も、小説同様、カラチ、テヘラン、ナイロビへと盥回しにされていたとは。結局、ずっと日本航空に停年まで勤め、その後、アフリカ勤務が長かったことから、動物カメラマンになられたとのこと。環境などにも造詣が深く、動物や鳥、人類に関する本も出されているらしい。その逆境をうまく利用して、なぞと一言で言えるものではないだろうけれども、私は、アフリカにおける第一人者的存在になった、小倉寛太郎さん、なんだかすごすぎる、、、と胸が熱くなりました。残念ながら、2002年にお亡くなりになられたとの事ですが、もし今でもご健在だったら、一度ぜひぜひ、お会いしてみたかった方、です。アフリカで。
January 12, 2005
昨日のシネマテークでの予習を終えて、今日は、ガルニエ座での舞台観賞。今回の内容は、1. MinEvent2. View on Stage3. Sounddanceです。始めのMinEventは、今回のガルニエ用に作られたもので、背景に映像が流れるのだけれども、それが、公演日中、毎回映像が変わる、という、パフォーマンス的な舞台。なので、音楽も、舞台美術も即興的な感じで、毎日かわり、なんというか、新鮮さと新しさをすごく感じる。このダンスカンパニーの音楽監督は、コスギ・タケヒサという日本人の方でした。なんでも1977年から、ここで、演奏されているらしい。そして、ジョンケイジ亡き後、1995年より音楽監督に就任。へえ~、そういう人もいるんだなあ。海外でこんなに活躍されている日本人の方をみると、やっぱりとってもうれしいし、励みにもなります。ダンサーの中にも、ミズタ・コウジさん、という日本人が。ナルホド。View on Stageは2004年の作品で、フランス初演。舞台装置がこれもまた面白く、まるで、女性の子宮の中に見立てたような、それともカラフルな鍾乳洞なのか、ポップなんだけれども、美しい。衣装は、男も女も真っ白のスカート、というのが、キッチュな。Sounddanceは1975年の作品なので、1世代前なのだけれども、もちろんそんな感じは、しない。前衛的に新しい、と思う。やっぱりダンスの動きが、美しくもあり力強くもあり。クラシックとはまったく違う動きの、なんか人間的な力を感じるダンスだと思う。最後に、マースカニンガム本人が、舞台に挨拶に出てきてくれたのは、本当に感動でした。なぜだか、こう、ホロっと来ちゃって。一緒に行った友達もそうでした。マースカニンガムは、今年85歳。さすがに、ゆっくりと、杖をついて、でてきたのだけれども、存在感がある人で。いるだけで、この存在感。すごい人を見てしまった感じです。幕間で、ちょっとうれしいことが。後ろから呼び止められ、振り向くと、アメリカ人の至極上品な夫妻がたっていて、私の上着が、非常に美しい、とほめてくれました。どこからみえたのですか、とか、こちらの洋服はどちらで手に入れられたのですか、などと聞かれ、どこのデザイナーですか? というわれたときは、「忘れました」というよりありませんでした。奥さんが多分、かなり気に入って、だんなに私に話させたような雰囲気で、デザイナーを聞いて、私も買いにいこ、っと思っていた風でしたけど。しきりに、ほめてくださって、とってもうれしかったし、恐縮しちゃいました。この上着は、どこへ行っても評判がよく、うれしいのですが、実は、ごみから拾ったものなのです。この、アメリカ人夫妻には、口がさけても、ほんとのことは、いえまい、と、真実を口にするのは、こらえたのでした。
January 11, 2005
ただいまマース・カニンガム・カンパニーが来仏中。それに呼応して、最近おなじみのシネマテークで、マース・カニンガムに関する映像を、本日上映することに。ちょうど、明日、オペラ座での公演をみにいく予定なので、予習もかねて、見に行く。残念ながらご本人の登場はならなかったけど、どうも裏では都合がつけば、来ていただく予定だったよう。しかし、ダンス系の映画の上映なのに、会場は超満員。彼の人気をここにして、見た思い。シネマテークがこんなに人で埋まることってそうそうないのに。上映は3本。1. SUITE FOR TWO 19611961年の、これはベルギーでテレビ番組用に撮影したものらしい。最近発見された、超お宝物級だそう。マースカニンガムが、若い!そしてやはりあの顔。ひと癖もふた癖もある、あの精悍な、顔立ち。鋭い鷲のような目つき。なのにどこか暖かさが。画面に出てくるだけで、絵になる人だ。2. MERCE CUNNINGHAM 1964舞台挨拶にもでたジャッキー・ライナルが、駆け出しのころ撮った作品。彼女は挨拶で、マースカニンガムとゴダールが彼女の人生にもっとも影響を与えた人物で、彼等との出会いがなければ、私はただの主婦で終わってたわ、と言っていた。ずーっと2人三脚の、音楽担当ジョンケイジのピアノ演奏方が、ユニークだった。ピアノの弦を使うのは、最近よくみるけれども(そういえば、こないだの無声映画の伴奏者もやっていた)、ピアノを打楽器のようにたたくのは、なんとも前衛的・・・と思ったり。なんとんなく、フィルム的には、フェリーニかなあ。3. MERCE CUNNINGHAM & CO 1982時代が一気に20年後のニューヨーク。彼のスタジオでの、練習風景。それにしても、姿勢がすばらしくよい。しかも衰えていない。体のラインは若いときのまま。一体この人は年をとることを知らないのだろうか。フランスチームの撮影なので、そちらと話すときは、フランス語で、お話をするマースカニンガム。頑張ってる。踊りはダンサーとともにつくっていくもの。自分がこう思っていても、ダンサーの意見に従うと案外よかったり、という彼は、ダンサーに恐れられていると思いますか、という質問に、自分の方が恐れている、と答えていたのが印象的だった。・・・映像を見ただけで、胸が熱くなる。一体、明日はどうなることやら。しかし、今日は見に来て本当によかった。
January 10, 2005
シネマテークの例の韓国映画祭。今日は、シン・サンオク監督の1961年、「燕山君」を見に。あまりにも長くて、ちょっと辟易としたのだけれども、私にとって始めてみるといっていい、韓国時代劇。15世紀の李朝10代目暴君、燕山君王のお話です。かなり暴君で、母親が殺されたなぞを知るにつけ、さらにやりたい放題の王。最後は、更生して、めでたし、めでたし、で終わると思いきや、最後までひどい。そして、これが続くのだった、という映画の終わり方でした。実は、この映画祭にちなんで、今回上映するすべての作品のあらすじ、解説、そして韓国映画の現状や、細やかな監督の紹介を網羅した、素晴らしいパンフレットを、カイエ・ド・シネマの名で発行されています。というか、いろんなところが協賛して、無料で誰でも入手することができます。これをみると、韓国の力の入れようを強く感じます。そのパンフレットの燕山君の写真が美しくって、ちょっとセピアかかった、けれどもちゃんとカラーのものがあります。あれをみて、全編こんなイメージでながれるのなら素晴らしすぎる!とちょっと期待して行ったのだけれども、実際は、いわゆる60年代の色、でした。がっかり。唯一、自分の母親が死を宣告されるシーンが、ちょっと色調が変わったかな、とも思ったのだけれども。さて、韓国の中世など、とんと知りません。衣装が、へえ、そうなんだ、って感じ。宮廷の女性はチョゴリ、頭には、大きな大きな頭幅の倍くらいあるかんざしを、ほとんど皆さんつけていて。そして、やっぱり原色系なんだなあ。男性のひげの生やし方は、中国のそれと同じ。こうやってみると、だらしない感じがするのだけれども・・・女性の頭にちょこっとつける、アクセサリー感覚の帽子を4分の1くらいにしたものは、あんまり趣味よくないなあ、なんておもったけど。映画どうこうより、韓国を知る良い機会!という位置づけが大きいかな。
January 9, 2005
昨日金曜日の晩は、「ルネ・クレールの夕べ」でした。パリのフォーラム・デ・ジマージュで、1924年の「幕間」、1923年の「眠るパリ」、そして1925年の「空想の旅」、プラス、エジソン・プロダクションの1905年の小品の上映です。「幕間」は、音楽がエリック・サティ、そしてキャストに、マルセル・デュシャン、マン・レイ、シナリオがピカビア!と、時代をときめく超大物とのコラボレーション。話に脈絡はないのだけれども、巴里の街中から次第に田舎の方へ何かにひきつけられるように皆が進み、最後は、マジシャンとともに消える、という内容。1924年にシャンゼリゼ劇場で上演されたバレエ「休演」の幕間に上映されたらしい。こんな22分の無声映画が、幕間に上映されたら、休憩する暇なしですね。けれど、ワイン片手にホールで見ることもできたのかな、なぞと、当時の情景を想像してしまいます。次の「眠るパリ」。確か、これがルネ・クレールの処女作。ある朝、エッフェル塔の守衛が目覚めると、パリが何一つ動いていないことに気づく。たまたま飛行機でやってきた数人と一緒に、眠るパリ、動かぬパリをあちこち散策。ある科学者が、パリをストップさせたのだった。さりげない恋や、ちょっとしたスリ、などいろいろ詰まってて、とってもファンタジーに、そしてコミカルに描かれていて、にやにやしっぱなしの36分でした。エジソン社の小品は、豚のようにがつがつ食事を食う1男性が、夢の中で空を飛び、悪魔に悩まされ、目を覚ます、というこの時代ならではの、やっぱりファンタジックなものでした。最後が、「空想の旅」です。一応これがお目当てで、74分のこの無声映画に、ピアノの伴奏付きでした。楽譜なしでの演奏。この映画は、前作にさらに輪をかけてファンタジックで、コミカル。「ありえない」と思っちゃいけない。そのままみて素直に楽しむべし、という内容で。ある会社で働く3人の男性は、職場で紅一点の女性にあこがれる。そこに、胡散臭い占い師がやってきて、それぞれを占ってあげることに。ある日、その占い師が森で子供たちにいじめられているのを、主人公である3人のうちの一人の青年が助ける。それをありがたがった占い師は、100歳の魔女だと称し、地下の穴を突き抜けて、ある館に招待。そこには、彼女の同僚がたくさんいた。若い彼にキスをされると、私たちは若返る、といわれ、いやいやある老婆にキスをすると、なんと彼女がうら若い女性に変身。驚いて、次々とみんなにキスをする青年。館は、若く美しい女性の園に変身。職場の女性がいないのを寂しがると、彼女もなぜかこの館に姿を現し。そうこうするうちに、ライバルの二人も穴を見つけ、通り抜け館に到着。けれども、ひとり意地悪な魔女がいて、そこで変な魔法をかけられ、いきなり、皆パリのノートルダム大聖堂の欄干に。主人公はいきなり犬になってしまっていた。会社のカーテンかけの輪っかが、魔法のキー。各自これの取り合いに。そうして、蝋人形館であるグレヴァン博物館で、ひと悶着。夜中におきだす人形たちに裁かれ、危うく死刑にされるところだった主人公=犬は、チャップリンに助けられ、ほっと一息。そして魔法も解け、めでたしめでたし・・・と、なんだかダラダラと書いてしまいましたが、本当にあちこちで笑える、微笑ましい作品でした。そして、伴奏も素晴らしかった。ここでこの演奏!だからこそ、余計映画も引き立つというもの。スクリーンをみながら音をあみだしていく様子は、なんだかかつての錬金術師のようだ、となぜか思えてきました。ひとつ。最前列でみていた、高齢の男性がいびきをかきだし。伴奏者は、さりげなくその男性を起こして、耳障りないびきをとめてました。その人ぐらいだったなあ、きっと。眠ってしまったのは。多分。・・・山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」で、ようやく主人公が日本に戻ってきたとき、私も、パリが舞台のフランス映画をみて、ここ2,3日の不思議な旅は、ひと段落、のような気分になりました。
January 8, 2005
ロバート・キャパの写真展に急がねば、と思って国立図書館へ行ってみると、なんとすでに終了。なんということ・・・とお互い言いながら、新しく始まっている「フランス報道写真展」を見ることに。世界の子供がいかな状況で暮らしているか、というテーマのコーナー、歴代のフランス政治家、世界の大事件、有名人のポートレート、オリンピックのスポーツ選手、などなど、見ごたえのある、フランスジャーナリズム写真のこの60年間の軸跡。なんとなくユネスコでやりそうな手合でしたが。とりわけ、子供の写真は見ごたえがありました。まるで大人のような表情で、銃を持つ中東の9歳くらいの少年。盲目で物乞いをする北京の少女。戦火での死体を囲んでおびえて立つ少年・・・どこまで真実でどこまで事実か、ということはさておき、やはりイメージは相当なインパクトがあり。そして、やはり感心したのは、報道写真でありながら、それでも美しいということ。一瞬を捉えながら、ただ撮ってます、というのではなく、写真としてどれも美しい。的確なフレーミング、ずれないピント、そして、しっかり測ったかのような露出、色彩の見事さ。一点一点が、報道とは別の枠ででも、作品、と仕上がっている。やっぱりプロだわ。今でも、「こんな場面にでくわして、よくものんきに写真なぞ撮ってられるなあ、先にすることがあるでしょ」とは思いますが、それと同時に、こういう場面にでくわしても、ちゃんとシャッターが切れるその度胸、そして、これをなんとしてでも公にしたい、という思いが表われている、というのは素晴らしいと思います。写真って一瞬なんだけど。
January 7, 2005
本日から、パリのシネマテークで、韓国映画祭が開催されました。2004年までの50年の韓国映画50本を公開するという企画です。プログラムをざっとみると、北朝鮮のフィルムは入っていないようですが、でもこれだけの韓国映画をまとめて見れる、というのは、本当に素晴らしい機会だと思います。そういえば、今年は、フランスにおける韓国文化年。この際だから、日本よろしく、韓国文化に積極的に触れてみよう、と思います。韓国語の学習も一緒にできるといいのだけれども、あまり欲張らずに。というわけで、今日は、イム・グォンテク監督の、1982年作品「汚された子供たち」を観ました。何せ、韓国語がわからないので、日本語のタイトルはっきりしませんが、ネットで調べると、フランス語のタイトルからみて、これだろう、と思ったのですが。孤児院で貧しく育った青年が、大企業に就職を果たし、その社長に気に入られ、是非うちの一人娘と結婚を、との申し出を受ける。フィアンセがいたけれども、自分の野望には勝てず、その半身不随の娘と結婚。何不自由ない結婚生活を送るが、なかなか子供ができない。4年経ちやっと子供がおなかにできたが、結局だめに。そのとき、彼女の病気は、手術で治ることが判明。それから、自分の奥さん、そしてその彼女の態度が急変。奥さんは、自由になった足であちこち遊びまわり、しまいには離婚することに。そのとき家族から、大金を手にいれた主人公は、それを全て自分が育った孤児院に寄付する。というところで、物語は終わります。ここで、出てくる「子供」は、確かに皆、「欲」によって汚されます。主人公アン・ソンギは、自分の今後の出世欲に従ったために、自分が本当に愛する人を失う。妻は、貪欲な両親によって、弟を交通事故で失う。妻の両親は、全ての基盤であるはずの事業がぐらつく。フランス語でのタイトル「腐敗者たち」の、どのようにそうなっていくかが、描かれています。けれども、最後に主人公が孤児院にお金を寄付する場面、そしてかつてのフィアンセが、そこで結婚してから幸せそうに働いてる様子は、さいごに転げ落ちる元妻の車椅子とともに、腐敗の終わりをきっぱり告げているような、新生が感じられて、ほっとしました。・・・山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」では、ケニヤのナイロビに来、メキシコ、オーストラリア、カナダ等へメールを書き、イタリア語の世界に入った後、韓国映画をみる、となると、昨日同様、なんだか世界をぐるぐる回っているような、またまた不思議な気分になった一日でした。
January 6, 2005
山崎豊子氏の「沈まぬ太陽」を読み始める。面白すぎてやめられない。頭の中で勝手に、主人公とナイロビやらカラチやら、テヘランやら、旅しながら。テヘランで一応ストップ。たまたま今日見に行った映画が、新しいレバノン映画の、「戦場の中で」というもの。12歳のみずみずしい少女と、彼女の大叔母のお手伝いをやっている16歳くらいの女の子との友情と決裂を描いたものでした。両親は離婚の危機、思春期の危うい心の葛藤を、戦時下のレバノン(どの戦争だろう)で、起こる日常。どうという話もないまま、淡々と、進んでいく。結局お手伝いの女の子が、フィアンセと逃亡を企てるのだけれども、12歳の少女のちくり、で、部屋に閉じ込められ、彼と一緒になることもできず。厳格な大叔母、大人の世界の中での子供の存在、度重なる空襲、静かにませた女の子たち。本当に映画は淡々と進んでいきましたが、私は、例の「沈まぬ太陽」で、イランの首都テヘランにいる最中。なので、どうもそれと、実際目の前にしているスクリーンとが交錯し、不思議な気分に酔いながら、映画を見ていました。レバノンとイランは近いわけだし。実際の戦争と、身内の戦争、人との交流の戦争、そんな何かも戦いの中で、少女の見たものは。。。が、テーマでしょうか。見終わって、無理やり何か言おうと思ったら、やはり少女の脆い年頃の心理の襞描写を、社会背景とともに描いて繊細な映画だった、という感じになったのだけれども、一緒に観に行った友人は、全くお気に召さない様子でした。それでも、あのあたりの国の事情に、私に比べればかなり明るい人。映画の中で、死んでしまった父親のお葬式は、教会で行われたのをみて、私が聞いたら、レバノンは、かなりいろんな宗教が混在していることを話してくれ、びっくりしました。大体、キリスト教が入ってるだけでも、私なんて何か不自然な感じがしてしまうし。そういえば、前、懇意にしていたクリーニング屋さんのおばさんがレバノン人で、たまに店に行くと、はなしてくれず、毎回レバノンのお話などをきくはめに。彼女も、そういえばアラブではなかったなあ。という記憶なぞが、よみがえってきました。いずれにしても、なんだか自分が地球のあちこちにいるような、不思議な気分な日でした。
January 5, 2005
待ち合わせ場所に行く途中、ふと、イングマル・ベルグマンの新作が、目にとまり。特に何の映画を見るか決まっていなかったので、それでは、と、この新作「サラバンド」を見にいくことに。ベルグマンのカラー映画って、なんだか不思議な気がしたけれども、スウェーデンの美しい自然の風景、そして、発色の美しさ、そして、テーマ曲バッハのサラバンドが全編に流れることでの静謐感が、漂う。相変わらずのベルグマン節だった。映画は10章に分かれていて、ある女性が昔の夫を何十年ぶりかに訪ねる、というところから始まる。その元夫の息子は音楽教師。娘の先生でもある。母親を早くに亡くした娘は、頑固な父親の言われるままに、進路を決めていくが。娘と父親、ひいては祖父にいたる不思議な関係。最後に娘のどんでん返し。その、心理描写、なんとなく屈折した親子、家族のつながり、この感じって、ベルグマンファンには、たまらないのだろうなあ・・・このどろどろと渦巻くような心理描写。
January 4, 2005
今年のクリスマスイブは趣向を変えて、オペラを見に行くことにしました。何も、イブに行かなくても・・・という感じもするのですが。でも、やりたかったのです。ガルニエ座で着物でのオペラ鑑賞。なので、折角だからイブにしよう、と思ったりして。お題は、ヘンデルの「ヘラクレス」。ヘンデルは、大好きな作曲家の一人なので、何をみても私はしあわせ。オーケストラもこじんまりして、クラブサンやら18世紀の楽器がメインに構成されていて、本当に優しい音色になり。聞いて心地よく、うっとりとした気分になれる。これがいい。たとえお話は悲劇系でも。・・・と音楽は、素敵だったのだけれども、演出が・・・あまりにもあっさりしすぎた、こらなさすぎの演出。衣装とかも、そのまま、普段着ででてきたような感じのは、ちょっと、かなり残念だった・・・音楽が素晴らしかっただけに余計残念。おまけに、ここ数日来、風邪をひいて、声が全くでず、もうろうとした頭では、話の筋を理解するのに、どうもうまくいかず・・・まあ、話はあんまし大切ではないようだったので、いいけれども。でもやっぱり、素敵なイブでした。着物でオペラに行くのは、ちょっと習慣になりそう♪
December 24, 2004
しばらくご無沙汰していましたが。11月は日本に居ました。帰国するのが、とても久しぶりになってしまったので、逆に日本がよく見えたような気がします。というか日本の良いところが。食べ物はおいしいし、人は信じられないほど親切、身にしみた家族のありがたさと友人たちとの再会、朝が早く天気が良い、自然が本当に美しい、などなど。割と当たり前な事が、うれしくって。朝起きるのは早く、というか、太陽が出るのが早く、毎日青空が広がるので、さあ、今日も一日が始まるぞ、と思いながら、暖かいご飯と味噌汁などをいただく。物価がフランスに比べて、かなり安く感じる。夜は暖かいお風呂に入れる。ああ、しあわせ。そして、私の日程に合わせて会ってくださった多くの人たち。楽天仲間の、春蝶亭多門さん、ロッタさんともお会いいただきました。どうもありがとうございます!お二方とも、日記の感じが人柄にも出ていて。初めて会うのに、初めてという感じもせず。楽しいひと時を過ごさせていただきました☆会う人によって、いくところとかの好みや趣味がみえて、それもまた、面白く。久々に両親をはじめ、親戚一同会うことができたのだけれども、今回は、本当に家族があるから私がいる、というのを強く強く感じ。田舎の人って、本当に親切だと思いました。道をきくと乗せていってくれたり、公衆電話を探していると、電話を貸してくれたり。旅館を探していると、みつからなかったら、うちに泊まりなさい、といってくれたり。わざわざおにぎりをつくってきてくれたり。美しい自然の中、そのような、土地の人々に会うと、素の親切さ、見返りは何も思わない優しさ、をしみじみと感じます。それとは別に、便利すぎる日本にも驚きました。街には物があふれていて、自分で考えなくても、なんでも道具や物が揃っている。店には、恐ろしいほどの選択ができる。しかも安い。私なんてどれを買おうか迷った挙句、何も買えなかったりして。一日中店にかかっている音楽はちょっと閉口。そこで働く人、あれをずっと聞かされたら、ちょっと気が狂いそうな・・・久々だから、いいところが良く見えたのでしょう。でも、毎日、本当に充実した素晴らしい滞在になって、しあわせでした。
December 13, 2004
チェコの作曲家ヤナチェックのオペラ「カティア・カバノヴァ」を、ガルニエ座で見てきました。指揮者は、ここ頻繁にオペラ座に登場する、シルヴァン・カンブルリング。長髪をひとつに結わえた、クラッシックでは割と異端児的なところが、そして、なんとなくラディカルな感じがするのが、彼の持ち味でしょう。全くどんなオペラかも知らずに行ってみましたが。テーマはなんとなく、イプセンの人形の家、などに通じる、家庭で抑圧された女性のお話。残念ながら、これは悲劇に終わってしまうのですが。舞台美術が、東欧!という感じで、私は衣装などは、70年代を思ったのだけれども。実際の舞台は1860年代のようで・・・この、妙に東欧、というような、物の選択権がないような衣装、団地的な環境、どこか、もやがかかったような、けれども色調が水色とピンク、で、私好みでした。お見合い結婚させられたカティアは、夫とその母と一緒に暮らす。しゅうとはカティアに冷たくあたり、息子は、母親のいいなり。ある日、出張に出かけた夫の留守の間、自分が本当に恋している男と10日間ともに過ごす。帰ってきた夫の前、みんなの前で、自分の罪を告白し、最後は自殺してしまう。。。と、なんとも、くら~いお話。けれども、舞台の清楚な美しさ、そして、音楽もこれもなぜか東欧的、と思うのだけれども、何がそう思わせるのだろう、どことなくドラマチック、けれどもある種のつつましさ、なんだか楽しくしてはいけない、という抑圧の上に成り立つような音楽、で、そして、この辛いお話によって、舞台に釘付けでした。歌はチェコ語。これまた、私は初体験。個性的な歌い手さんばかりで、みなさん、素晴らしかった。それだけでも、十分楽しめました。
November 3, 2004
ウォン・カー・ウェイの「2046」見に行きました。やはり、始めから、「in the mood for love」の香りが。あの降り続ける雨、木造の床のぎしぎしなるホテル、。雨に濡れる街灯。あの黄色がかったタングステンの色調。すれ違う男と女。知らない女性。同じような場面が、最後にも。監督の切り取るイメージはそれはそれは美しい。大体に、そこだけを中心にして、切ってしまう。そこだけにピントを合わせる。そして、少し湿ったような、清澄な色彩。(富士ですか)時に官能的。こんなにもセンシュアルでセクシュアルなイメージとなるのか。たとえば、ハイヒールの女性の来るぶりより下だけを映すと。電話をかけるところで、わざと顔は見えなくしてしまう。頭を切ってしまう。なんだか、ミステリアスな雰囲気が強調される。こんなふうに、映画を撮る監督は彼だけではないのだけれども。どうも、あの60年代香港という、不思議な貿易港のにおいたつ場所が舞台だと、どこか別の世界に迷い込んだ、静かな興奮感を感じてしまい。それとは対比的な、主人公の描く小説の中の世界。近未来的で、ポップで全自動。だけど、どこか漂う人間の感情。主人公の女性遍歴。強がっていてもやっぱりけなげな彼女たちをみると、私も女なので、ホロっとくる。ホロっとくる、というよりも、感情を押し殺さざるを得ないその状況に、最終的な彼女たちの強さを感じる。あの退廃的なムードたっぷりの世界、やっぱりどこかで憧れているのだろうな。そういえば、トニー・レオンの話す中国語、あれは広東語でしょうか。とっても南訛りを感じました。
November 2, 2004
月曜から、我がパリ市長、ドラノエ氏が、東京に訪問中のはず。記事によると、「超右派」の石原都知事と2,3のお話し合い、とのこと。さあ、どんなコラボレーションがうまれることやら。その後、京都、広島等、行くみたいです。個人的には、このドラノエ氏、素晴らしいと思う。彼は完全左派で、なんというか、言ったことは、どんどん実行していく。気持ち良いほど、実行していく。例えば、バスレーンをつくるにしたって。環境問題にしたって。パリ市民のための催し物にしたって。保育所問題にしたって。自分が同性愛者であることを公言し、あくまで一般市民の味方という立場を貫く姿勢は、もちろん良い悪いの批判は常にあるにしろ、見ていて本当に気持ちが良いです。今回が日本初めてのこと。さて、どんな土産話が出てくるのかな。
November 1, 2004
国立図書館で、「海」というタイトルの展覧会が、2週間ほど前からやっています。これから3ヶ月位続くのですが、こういうことは、思い立ったときに行っておかねば、と、早速行くことに。この国立図書館は、故ミッテラン大統領の命を受け、4,5年前に建設された超近代建築。パリの中心にあった国立図書館は、版画・写真部門のみを残し、それ以外は、ミッテラン国立図書館の方へ移されました。この展覧会「海」ですが、海にちなんだ事柄全てが展示されています。会場自体は、全体が海の深いところにいるように、薄暗く、海草がゆらゆらと揺らめいているような照明、そして、なんとなく海中でポコポコと泡が吹き出るような音がして。海と天地が切り離された、聖書の第2日目、3日目のエピソードから始まり、それにまつわる絵画、特にそれはそれは美しい15,16世紀の細密画、初期の各国における海洋地図、世界地図など。やはりポルトガルやオランダが強いのだけれど、ペルシアのものとか、チュニジアのものとかもあったりして。ハート型の地図とか。それにしても美しい。青や赤の色の出具合、独自の解釈を上質の紙に施した地図は、はっとさせられるほど美しく。地図でも、このあたりには、何々の神様がいますよ、みたいなのをあらわしたものもあって、海の厳しさをまざまざあと感じさせられたり。(でも、それぞれの聖人が描かれていてこれも美しい)ここには、こんな怪物がすんでますよ、と図解された中世の地図や。16世紀に日本がちゃんと載っていたりするとうれしくなったり。特に、昔の貴重な本、それこそ15世紀くらいの手書きの本の展示が結構多くって、印刷物ではわからない、本物の繊細で上品な本が目の前で見れたのは、なかなかうれしく。そうそう、1907年の4分の無声映画もやってました。作者は誰かわからないようですが、ある漁師が海の底の竜宮城みたいなところで、楽しむ、風なもの。なんとなく西洋の海のイメージの原型になっているような、そんな映画でした。それから、北斎の浮世絵があったのは、まあ驚かなかったけれども、日本の絵巻もありました。浦島太郎のと、住吉と。久々に絵巻を見ると、本当にあの色の美しさには、なんというか、胸の端にずーんと来るものがありますね。最後には、海に関する専門家、海洋学者とかナヴィゲーターなどのインタヴューもあり、これが意外と面白く。本当に自分も6000メートルの海底で、不思議な現象、生物をみているような気になったり。そんなこんなで、私はなんと3時間も過ごしてしまいました。一緒に行った友達は、1時間で出たらしく、ぐったりとして待っててくれましたが。科学と美術と技術が織り交ざったような展覧会、すっかり楽しめちゃいました。
October 30, 2004
先週パリ近郊で、2年に一度開かれる国際食品展示会がありました。そちらの方で、とある日本企業様のお手伝いをさせていただいたのですが。一応「国際」と名がつくだけあり、世界100数カ国、5200ブースの大規模なものでした。私たちのブースに寄る方も、フランスはもちろん、イタリア、ギリシア、スペイン、ポルトガル、イギリス、アイルランド等の近隣から、チュニジア、トルコ、サウジアラビア、レバノン、ロシア、などなど、一同にいろんな国の人とお話ができて、それだけで楽しいものです。そして、日本ブースは、アジアの中にあるため、周りのアジアの国の人たちは、本当にたくさんの人が訪れ。特に、シンガポールやタイ、台湾などの人たちは本当にみな元気で、生き生きとして、女性もマネージャーなどで、すごく頑張ってたりして、そういう人たちとお話をすると、とても刺激的で元気になったり。話をするのも楽しいし。アジアはやはり勢いとやる気が違う、というのを実感しました。しかし、居ながらにして、あらゆる国の人とお話ができるというのは、本当に素晴らしい体験で。そんなふうに1日がすぎていくと、気持ちが高揚したまま、5日間は、本当にあっという間、に終わってしまいました。こういう刺激は、本当に心地いいです。また、一緒に仕事をさせていただいた日本企業様も本当に素晴らしい方ばかりで。本当にありがとうございました、と声を大にして言いたい気分です。
October 27, 2004
去年の12月に、パリのオペラ座ガルニエの方で、上演されたのですが、今回は、バスティーユの方で、何も新たな装いはなく、そのまま再演されています。どこか、違うのでは、という淡い期待のもと、出かけてみたのですが。リチャード・ストラウスの「ナクソス島のアリアドネ」一応上演前から、超ソプラノ(というのですか?)のツエルビネッタ役ナタリー・デッセイが、リハーサル中にドクターストップがかかって舞台には立てない、というお断りはありました。あと、歌い手さんの幾人かは、前回とは別の人になっていました。そして、しょっぱなからおおっ、と思ったのは。指揮者が、若い!どうやら新進のスイス人フィリップ・ジョルダンという方らしい。どうみても30台の指揮者ってあまり見る機会がないので、なんだかギリシャのナクソス島から、新風が吹いてきたような、心地のよさを感じちゃいました。舞台の方、装置なんかは前回と全く一緒。ちょっとしゃれた車で、ダンスの一団が豪邸にやってくる演出なんかも一緒。同じなんだけれども、やっぱり素敵でした。特に、作曲家役のソフィー・コッホ。彼女の歌いは、もう絶品で、あのあどけない(ような)紅顔の美少年風の役、目をきらきらと輝かせながら、それは優雅に観客全体を引き込んでしまい。彼女の一挙手一投足、プラス一声一声に全体が酔い、目が離せず、そんな目立つ風貌ではないのに、人をひきつけてやまない、さりげない自己主張。ああ、本当に素晴らしかった、彼女の歌声。プロローグでしか、彼女は見れなかったのがそれはそれは残念で。やはり拍手もひときわ高く、ブラボーの声援で会場はうまり・・・夢心地の陶酔の時でした。プロローグのあとは、1幕。ここで、実際のお話が始まる入れ子構造になっています。ストラウス、好きですね、この構造。それはともかく。CDなどでこのオペラをきいていても、ちっとも面白くないのだけれども、実際の舞台は本当に見ごたえが。それぞれの持ち味を生かしたソロを聞かせてくれるのだけれども、特にびっくりだったのは、バッカス役のジョン・ヴィラー。あの声量、ただものではない。本当に生の声だろうか、と疑うほど大きく。前回みたのが約1年前と記憶が新しいにもかかわらず、それでも楽しめました。やっぱりストラウスは面白い。ドイツ語がわかるともっといいのに・・・
October 26, 2004
実は、13日と14日、日本文化会館で、浄瑠璃「淡路」の公演なんです。いつもぎりぎりにならないと、予定が立たないので、一応電話してみると、今回は、キャンセル待ちも何もなし。満員、満員、1席もありません、といわれてしまいました。それが、どうも悔しくて、残念で、がっかりで、だめもととは知りつつ、なぐさみに、市川海老蔵襲名、歌舞伎の方に電話してみました。すると、なんと今晩だけ数席ある、という返事が。あわててクレジットカードを探したものの、やっぱり忘れてる。すぐに、友人に電話して、そっちに電話してもらって、チケット購入するよう、お願いし。興奮してしまいました。まさか、歌舞伎、いけるとは思っていなかったものですから。私も久々の歌舞伎。一体いつから見ていないだろう・・・?で、 舞台の方。最初が、「鳥部山心中」しかし、女形ってすごいですね。やっぱり女性より女性らしい。美しいのと、あの上品な身のこなし。あと、久々に聞く、あの時代の日本語の美しさ。そして、役者の、表情の豊かさ。なんだか、うっとりとしてしまいました。次の「口上」これが素晴らしかった。フランス語と日本語の挨拶を織り交ぜて、フランス語も、歌舞伎調で皆さんお話になり。あっけにとられた15分。舞台も美しかったし。控えめな日本語の挨拶を、そのまま控えめにフランス語に訳されていたのも、印象的でした。最後のにらみ、怖かった!?ここまできて、今度日本に行ったときは、歌舞伎をみるぞ!と決意。美しすぎる。すごすぎる。こんな、シンプルな形容詞しか、今はでてこないけれども、ああ、見たい、もっと見たい、と強く感じて。最後が、「鏡獅子」海老蔵さんが、女形と獅子と二役、すごい迫力。おまけに、音楽も、雛壇形式にあのようにされると、ほんと、お正月をみる感じで。しかし、あの細やかな女形の躍りで、ぼ~っとなり、獅子で、はっとさせられ、胸のうちで高揚し。素晴らしく、幸せな夜でした。きてよかった・・・やはり、結構日本からのファンの方もいらっしゃってましたよ。
October 13, 2004
行くなら今日!とやっぱり行ってみたオペラ、メシアンの「アッシジの聖フランチェスコ」。日本語タイトルは、こうなるんだ、と妙に感心しながら、いやいやそのままではないか。全然別のことを考えてました、フランス語のタイトルからして。それにしても、長いのです、この演目は。17時半から始まり、途中なが~い休憩を2度挟んで、会場を後にしたのは、23時半。6時間もいたなんて・・・ふぅ~メシアンなので、覚悟はしていたけれども、演出にあまり抑揚がなくって、平面的な舞台でした。表情もあまり変わることなく、動作もゆった~りとして、決して眠くはならいのだけれども、いまいち、舞台に集中できませんでした。いろいろ他ごとが頭の中をよぎっていって。でも、こういうなんとなく超近代的な音楽って、たまに聴くと、いい。かなり数学的な感じもするのだけれども。楽器の数の多さと3幕目のコーラスの層の厚さは、圧巻でした。近代建築のバスチーユのオペラ座にふさわしい、題目だと思います。財布を忘れて、プログラムが買えなかったので、今度買いに行かなくては。やっぱり終わってみると、ちょっと肩が凝ったかなあ・・・やれやれ。
October 12, 2004
書きたいことはたくさんあったのですが。久々の日記になっています。9月が新学期のフランス。早いもので、9月の半ばから、パリ、オペラ座の新シーズンも始まりました。先日ガルニエの方で、「アルジェのイタリア女」を観て来ました。それは今日はちょっと置いておいて。今日は、ガルニエ座で、今シーズン最初のバレエに行って来ました。3プログラムセットで、1)ハラルド・ランダーの「エチュード」2)ジェローム・ベルの「ヴェロニク・ドワノー」3)ジェローム・ロビンスの「グラス・ピース」でした。ちょっと遅れて入場したのが残念でしたが。「エチュード」は、もう、はじめを飾るのにふさわしすぎる、題目でした。一気にお正月か春がきたような、華やかさと大胆な振付。もちろん、クラシック中のクラシックですが、テンションが高く、また登場ダンサーも多く、こう「はやる心の鼓動、躍動」みたいな、感じで。音楽も、ジゼルのような曲調になったり、はたまた、ショスタコーヴィッチになったり、と、一体だれが担当してるのだろう、と思って、プログラムで確かめると。なんと、原曲は、あのツエルニーでした。子供のとき、バイエルの後に必ずやるあの教本の。びっくりです。こんな、素晴らしい曲だったけかなあ、と思いながら。まあ、いい方に驚かされてるのだから、問題ないのだけれど。2つ目の題目。これが、曲者で、スジェのダンサー、ヴェロニク・ドワノーの一人舞台。独白と、軽い振付。彼女がどんなダンサーだったか知るのにはいいかな、という感じですが。しかし、この独白調で続けられると、劇をみにきたのではない!と怒りたくなったり。やはり、2つめが終わったあと、私たちの席の周りで、ちょっとした論争が起こりました。「私たちには彼女の私生活は関係ない。踊りを見にきたのに。」「はじめの5分だけこのように続けて、後はちゃんと踊って欲しかった。」確かにそうで、これが、テアトル・ド・パリなどでの上演だったら問題ないと思うのだけれど、ガルニエでなあ。という感じでした。ただ幕間の休憩から帰ってきたら、私たちを待っていたように、近くの席の人が、プログラムを読んだら、納得した、と言ってました。どうも、彼女の、ソリストも、コールドもこなさなければならない、しかし決して主役にはならないスジェにスポットをあてて、そのあり方を語りたかった、というのが、演出家の言い分。そして、演出家は、振付家でもないんですね。なので、今回、オペラ座にとって、全くあたらしい試みで。ちょっとちゃんとプログラム読んでみなくては。そして最後は、なんだか岡本太郎氏の太陽の塔を思い浮かべてしまいました。特にそういう振付があったわけではないのだけれど。生に対する、とめどなく噴出する火山のような情熱。終わりのない噴水。限りない生のエネルギー。心の中から、何かがはじけ、弾み、躍動していくような、元気!な、舞台でした。その後、また近くの人と議論に。こうやって、知らない人と、お互いの意見を自由にかわせる、って(今までここではやったことなかったけれども)、やっぱりいいものですね。そうか、そういう感じ方もあるか、と思ったり。ひさ~びさのバレエでしたが、やっぱり火がつきますね、ダンス熱。やっぱりダンス始めよう!と本気で思った夜でした。
October 9, 2004
最近の好調な天気につられて、私のお気に入りの場所、サンクルーの森へ、ピクニックに行きました。森の中を歩いていると・・・「さるのこしかけ」風きのこが、木の回りにどっさり!香りも非常に素晴らしく、食べるとおいしいだろうなあ・・・と思いながら、その後薬局へ。けれども、街の薬局は、冷たかった。「今専門の人がいなくて、わからない」と冷ややかな答えが返ってくるのみ。次の薬局でも、「木に生えてたなら、私なら食べないわ。食べたら絶対病院行きよ!」とまるで相手にしてくれない。田舎だったらちゃんと、これはなんのきのこで云々かんぬん教えてくれるのに・・・がっかり。食べても問題ないんだろうけど、やっぱり、「大丈夫ですよ!」の一言が欲しくって、ゴミ箱行きになってしまいました・・・薬局はいずれにしてもあんまし信用できないし、自分できのこ図鑑を買って、確認するのが得策なのかな。やれやれ。
September 18, 2004
しばらく日記から遠ざかってましたが。前回書いたときから今日まで、見た映画をここで整理してみようと思います。イングマル・ベルグマンの特集が始まったので。●「第七の封印」1957彼の作品の中でも、秀作とされている(らしい、フランスでは)。あの死神との共存。当時大流行のペストの恐怖。恐れる死と最後はみんなで手をつないで、歩いていくシーン。人間の愚かさ、と素直さ、恐ろしいと思う気持ちの交錯を、うまくまとめてある。いや、ほんとに素晴らしい秀作。●「ペルソナ」1966精神病患者を看病する看護婦が、だんだんと精神分裂を起こしていく。ところどころにちりばめた、分裂イメージ、きりきりと心をえぐっていくイメージが、映画の中の実際の話をさらに、強調し、同化していく。人間の性を恐ろしく、そして憎いまでに、この映画でまとめた彼の才能が、これまたニクイ。恐ろしく素晴らしく、すごすぎる映画。ヒッチコックは●「見知らぬ乗客」1951一時も退屈させることを知らないヒッチコックは本当に偉大。見せ方が本当にうまい、今更なにを言うまでもない、素晴らしいストーリーテラー。50年代のファッション、風俗、電車の中の豪華さなど、他にもみるところはたくさん。最後は正義が勝つところも、やっぱりいい。ルビッチは●「生活の設計」1933なんども見てるのだけれどもなんどみても飽きない。久々に1930年代ヨーロッパの上流社会、憧れの世界に浸りたくって。3人で紳士協定を結ぶところ、でも私は紳士じゃないから、と後でいうところをはじめとして、全体に流れる粋な空気は、やっぱりルビッチなんだよなあ。家で朝食を食べるのに、タキシードとゆるいドレスで、というのも、(普通じゃ考えられないから)好きなんだよなあ。忘れてならないフェリーニは●「青春群像」1953やっぱりいつだって男ってこうなのね・・・出てくる俳優人が、先の「白い酋長」と重なり、当時のフェリーニファミリーというかんじがして、不思議な温かみを感じたりして。全然ちがうんだけど、なんとなくエットーレ・スコーラの「あんなに愛し合ったのに」を思い出し。これも早く見に行かなくっちゃ。テレビ代わりに映画館に通って。そうこうしているうちに、もう9月。オペラ座もこの土曜日からまた始まるし、あちこちで、「新シーズン」のお知らせが。そういえば、シネマテークの9月からの特集、「ジャンピエール・レオー」。これも結構楽しみなんだな。今シーズンも、やっぱり見たいものが目白押しです。
September 7, 2004
気がつくのがちょっと遅かった。7月に、アメリカで、 第27回アジア映画祭 が開かれていたようです。特に目をひくのが、アフガニスタンの女性ジャーナリストによる作品。タリバン政権が続き、同じ女性として目をあてられないような、信じがたい情勢の後を、彼女等の目で映像化した作品らしい。社会情勢に疎い私でも、太陽劇団のセンセーショナルでショッキングな演劇をみたあと、興味を示さずにはいられない事柄。今年になって、これまた衝撃的な映画「オサマ」を見たあとでは、気にならない方がどうかしているかも。そして、シンガポール映画。ほこりひとつ落ちていない、といわれるこの国の「良い点」を逆手に取った映画らしいが。しかし、こういう映画祭に参加したら、なかなかみられないアジア映画を堪能した上で、すっかりと各国を回った気分にさせてくれるのだろうな。そうして、この言語を学んでみたい、こういう民族に実際会ってみたい、この自然の中に身を置きたい、という欲望が、静かにでも沸々と湧いてくるのだろうな。だから、旅というのはいつまでも終わりを知らない。来年こそは、この映画祭、注意を払っておきたい。
August 26, 2004
レイモンド・ドパルドンといえば、どちらかというと、写真家として名高い。先日までパリ市庁舎にて、「ドパルドンの見たオリンピック」という題で、彼の初めてのオリンピック、東京からの彼のスポーツ写真展が開催されていました。ほほ~っ、そんな昔から撮っていたんだ。しかも1964年のトーキョーといえば、まだまだ発展途上国。カメラのバッテリーが足りない、とか何々が不足、などというエピソードもついた、迫力のある展覧会でした。ところで彼は、いくつかの興味深いドキュメンタリー映画も撮影しています。今年公開の彼の監督作品は、「第10簡易裁判所」。パリの簡易裁判所に特別カメラを設置。実際に裁かれる人、裁く人を、匿名で、そして本人等の許可をとり、撮影されています。アルコールテストにひっかかって、深く反省の様子を浮かべる男性。これまたアルコールテストにひっかかって、今まで一度も酒を飲んで運転したことはない、運が悪かった、と陳述する初老の女性。このあたりまでは、なんだか覗き見趣味、というか、ワイドショー的な感じがしたのですが。友人から手に入れた鉄砲を試しに撃ってみた元薬中らしき男性。何度も国外退去になりながら、スリを繰り返す男性の、涙ながらの迫真の演技。自分の元彼女に、ストーカー的行為を続けるモロッコ青年。これらの事象を、話をきちんと聞きながら、てきぱきと処理していく女性裁判長の見事な手さばきに関心し。判決は、夜中の2時半になることもあり、その仕事量の多さに、愕然としたり。麻薬のディーラーや、身元不明の黒人青年、公園での深夜のナイフ所持者などなど、いろんな事例が出てくる。しかし、やはりメインは、移民の外国人ばかり・・・ひとつどうも納得がいかない事例が。フランス人社会学研究者が、携帯ナイフを所持し、これを武器、というふうにとられて、法廷に。彼は、弁護士をつけずに、自分で法律を調べ、自分の正当性を主張。それがかえってしゃくに触ったのか、それともあまりにも疲れていたのか、女性裁判長の攻撃的な発言。加えて、検事の、よくそんなことが言えるますね、あなた、的な、あまりにもばかげた発言。この判決は、映画ではみせませんでしたが、だんだん最後になるにつれて、女性裁判長の、如才なさにもかげりがみえ、所詮彼女も人の子。人間なので、情に左右されるのだなあ、と思いはじめ。そして、検事群の、こっけいさ。あまりにも権力をふりかざしたような発言に、多くは女性なのだけれども、あなたたちに人を裁く資格はない、と憤慨し。このような内容でも裁判を開くのはいかがなものか、そして、こういった費用は一体誰が支払っているのか、と問いたくもなる。弁護士は弁護士で、本当に質に差があるなあ、と。弁護にならない弁護、こじつけだらけの弁護、演技派弁護など、まるで全てが、劇をみているような、錯覚に陥る。一般公開されているとはいえ、なかなか足を運ばない裁判所。この映画をみながら、フランス社会について考え、考えさせられ。そして、このような内容の映画を制作、上映できる素晴らしさを称え。満員の映画館の中のひとりひとりも、それぞれいろんな考えを巡らされたと思います。やっぱり「人」が題材なので、かなり笑いのでる、映画でした。
August 23, 2004
今回のフェリーニ特集の内容ですが白い酋長 (1952年)青春群像 (1953年)道 (1954年)崖 (1956年)カビリアの夜 (1957年)甘い生活 (1959年)8 1/2 (1962年)魂のジュリエッタ (1965年)サテリコン (1969年)フェリーニのローマ (1972年)女の都 (1979年)そして船は行く (1983年)ジンジャーとフレッド (1985年)となっています。さすがに本日の8 1/2のお客の入りはすごく良かったです。マルチェロ・マストロヤンニという男、本当に美しい女性に囲まれている姿って似合いますね。しかも、ちょうどあぶらののった頃。映画撮影クランクインはされているのに、いつまでたっても撮影に入れず、結局撮影中止で終わってしまうこの映画。このもどかしさ、けれどもあまり感じないもどかしさ。それよりも、女性は「魅せるため」に存在するもの、というメッセージを強く強く感じました。パラッパパラ、パラッパパラ、と口ずさむ場面がいつまでも頭に残って離れません。
August 20, 2004
「アマルコルド」の新スクリーンでの上映を記念して、とある映画館では、フェデリコ・フェリーニ特集が始まりました。初日の今日は、1952年の「白い酋長」フェリーニといえば、「8 1/2」や「甘い生活」ぐらいしか見ていないので、まとめてみるのには、いい機会かも。フェリーニのイメージは、甘い生活、マストロヤンニ、だったので、今日の映画をみて、なんだ、こういうのもつくってたんだ、なんて思いました。結婚式とハネムーンで、あるカップルがローマに到着。新妻のワンダは、「白い酋長」に夢中。ファンレターの返事を持って、だんなの休み中に、一目会いに行く。一目のつもりが、撮影現場までのトラックに乗せられ、ついには、酋長と一緒に代役で、撮影に参加。甘い言葉をかけられるが、酋長リヴォリの恐妻が誕生。その場はぐちゃぐちゃに。その間、ローマでは夫のイヴォンが、てんやわんや。親戚へのだましだましの対応、警察への届け出、でもうくたくた。ローマになんとか戻ってきたワンダは、夫への罪滅ぼしに、河へ身を投げようとするが、水深ひざまでではなんともならず・・・結局二人は、再会し、無事結婚式を挙げることができました。ワンダは、あなたが私のシークよ、と言いながら。イヴォン役の表情の変化と豊かさが素晴らしかったです。基本的には、喜劇、なのかな。みていてとっても微笑ましい。ワンダだって、決して悪気があったわけではなく、「夢見る人形」を文字通り、やってみたかった無邪気な女の子で。なんとなく、まだ貧しいイタリアと、確かな身元の上流イタリアとのちょっとした対比。撮影のトラックを追いかけていく子供たち。イヴォンの身元のしっかりした家族。そして、撮影隊の、テーマがシーク、ということもあって、なんとんなく感じる哀愁。イヴォンが夜中、噴水のところでうちひしがれているところ、二人の女性が勇気付けようとするのですが、そのうちの一人がジュリエッタ・マシーナでした。彼女の、あの天真爛漫な、無邪気さも、ほっとする、癒し系。みつかったワンダを、病院に迎えに行くイヴォン。その中、患者が移動式ベッドで運ばれていくが、あれはフェリーニ、だったのでは?ローマの古い街並みもやっぱり素敵で(あまり変わってない気がするけど)、素直に楽しめる映画でした。見終わった後、自然と笑いがこみあげてくるような。
August 18, 2004
続けてエルンスト・ルビッチ特集へ。入場券を買うとき、前にアメリカ人の女性がいて、どうも言葉が通じない。切符売りのおばさんは、「何を見ますか、ルビッチ?」と聞いていたけど、どうも通じない。結局、彼女はルビッチを、「ビッチ」と聞こえていたことが判明して、みんな大笑い。和やかな一面でした。さて、今日のルビッチは、1932年の「君とひととき」。ちょっとコメディミュージカルが入った作品です。往年の大スター?モーリス・シュヴァリエが、主演。お話は、いつもの通り恋愛遊戯、恋のかけひき。で、舞台はやっぱりパリ。熱々の結婚3年のカップルがいて、妻の一番の友達が、だんなに恋をして。だんなの一番の友達が、ずっと妻に恋焦がれていて。最後は大団円の、いつもの通りのお話だけれども、それははっきりいってどうでもよい。やっぱりいつもながら目がいくのは、すごく素敵な邸宅。そこで繰り広げられる、かつての社交界の豪奢。淑女のドレス、コートのエレガントさ。数多くの召使。上流社会の洗練さ。機知に富んだ会話。いつもこれがあるから、彼の映画は、ひととき夢見心地にさせてくれる。うっとりと、かなわぬ憧れを抱かされて。このなんともいえない、軽妙洒脱さと嫌味のない豪華さ。このルビッチ・タッチを味わいに、ついつい映画館に足を運んでしまうのでした。
August 16, 2004
大好きなエルンスト・ルビッチの特集、今日は1937年の「天使」を見に行きました。あの軽妙洒脱な話の進み方、コケティッシュな女性群、扉で語る男女の仲・・・彼の描写スタイルは、いつも粋でニクイ。この「天使」も、マレーネ・ディートリッヒを囲んだ、三角関係。外交官の夫が出張中にパリに遊びに行く妻。旧友のロシア貴族宅に遊びに行った際に知り合った男。男は本気。女は・・・ロンドンにて、ある昼食会ででくわした夫と男。しかし二人は戦争中の旧友で、意気投合。男はパリで出会った「天使」について、熱く語る。翌日3人でランチをすることに。そこで、女はしらばっくれるが。あの、氷のようにクールなマレーネ・ディートリッヒだからこそ、この役ができるのだと思います。あくまでクールに、夫を邪魔することのない、優等生妻。パリで出会った男性が、目の前にあらわれても、動揺しない、あの堂々とした身の振る舞い。あれが、ルビッチお決まりの、クロード・コルベールだったらどうなるか。個人的には大好きだけれども、彼女では、この、ぴしっとした切れる感じはでないだろうな。笑って笑って、ギャグにしてごまかしちゃいそう。冒頭の、パリをうつすシーン、凱旋門上空の威風堂々たる映像、素晴らしい。「どうだパリだ!」という気持ちが、でているような。しかし、いつもながら、彼の映画にはお決まりの役者がでてきて、とってもほっとします。そして、洗練された衣装。舞台。今回はなんとなく、シュトラウスの「カプリッチョ」を思い浮かべました。・・・そういえば今日地下鉄の中、向かいの席におばあさまが。70代くらいかしら。真っ白のシャツに真っ白のフレアー系スカート。紺のピタッとしたカーディガンに紺のスカーフを巻き。そして黒のストラップつき靴。とてもかわいらしい感じの方でしたが、手には、パリスコープ。(パリのぴあみたいなもの)そして透明のカラフルバックの中から見えたのは、フェリーニのアマルコルドの文字が!9月の半ばから、新しくコピーされた画像で上映されるこの名作、もしかして、おばあさま、プレイベントか何かに行かれたのかしら。そういえば、あの微笑方なんかも、ジュリエッタ・マッシーナに似ている、と思いながら。そんなはずは絶対ないのだけど。絵に描いたようにかわいらしい方で、向かいで見ている私の方が、気になって、ちらりちらりと、そちらの方ばかり、見ちゃってました。
August 15, 2004
最近映画づいてます。さあ、今晩は何をみようか、ということになり、出てきたのがハンフリー・ボガード。彼の特集を組んでいることもあり、今晩は1950年の「孤独な場所で」。年代が年代だけに、登場するあの車の美しさは、車を知らない私でも、おおっアメリカ!とうれしくなるようなものなのだけれども。脂ののったハンフリーボガードも、あの渋さがかっこよかったのだけれども。あれだけくだけたスーツの着こなしが合う人はいないと思いながら。女性のあのエレガントさ、日常着の女性らしさ、そして完璧に整えた髪をみるのはとっても心地よい、と思いながら。サスペンスというにはちょっと無理があり。話もなんだか中途半端に終わるかんじで。こうなると、原題、邦題よりも、フランス語題の「凶暴者」というのが、映画の内容からすると一番あたってる。映画のシナリオライターのディック(ボガード)は、かっとなると、自分の書くシナリオ同様、人を殺してしまうほど気がどうかなってしまう。最後には、愛する女性(グロリア・グラハム)さえも殺そうとしてしまうが・・・だんだん、彼女の方も、彼の本当の性癖を理解していき、怖くなっていく。けれども、心理描写、というか、だんだん追い詰められていくような、抑えられつけられる恐ろしさ、みたいな表現が、残念ながら欠けていたと思うんです。ちょっとがっかりして映画館をあとにしました。
August 13, 2004
やっとやっと、やっと、マイケル・ムーアの最新作、先のカンヌでパルマドールを受賞した、「フェアレンハイト9/11」を見に行きました。私たちが館内に入ったときは、さすがにほぼ満員。しかし、これだけブッシュを真っ向から批判する勇気は本当に素晴らしい。映画は、彼が大統領に(選任)されたところから始まります。彼と石油におけるサウジアラビアとの癒着、アフガニスタンのタリバン政権との関係、そしてイラク侵略、と、彼のキャリアをほぼ全てを網羅。映像は、日本人の人質事件さえ、含んでいるので、ほぼぎりぎりまで撮影していたことになります。監督からみたブッシュ像が、とてもクリアに撮られています。イメージが、実際の彼の容貌を形作っていくようで。だんだん彼の顔が、間抜けに見えてきたりして。いかにもアメリカ的な、カントリー風の音楽をウェスタンぽく取り入れたり、懐かしの映画の場面を、現代のブッシュになぞらえたり、と味付けしながら、どんどん進んでいく2時間。表現の自由の原則が、てきめんに表われているドキュメンタリー映画でした。私的には、次から次へと放射されるアメリカ英語を追うべきか、字幕をどんどん読んでいくべきか、その狭間で話を追うのに、ちょっとだけ疲れちゃいましたが。 もうひとつの「ボウリング・トウ・コロンビア」、こちらもまだみていないので、早く見に行こう、という感じです。
August 12, 2004
私の選択ではないのだけれども、なぜか「波止場」を見に行くことに。マーロン・ブロンドが亡くなったのもつい最近だし、まだ見たことなかったし、特に異論はなし。はじめに驚いたのは、映像の画質の素晴らしさ。新しくリメークしたにしても、この白黒のきりっとしたシャープさ、ピントの合い具合、すっきりとした画像、は見ていて本当に気持ちがよかったです。しかし、この映画、はじめから終わりまで、ずっと緊張のしっぱなしでした。手に汗にぎる、ではないけど、漁業組合の裏のマフィアの世界、それを明かそうとするものが、残虐な手段で、次々に殺されていく。そしてそれに一人立ち向かおうとするチンピラ、テリー。(マーロン・ブロンド)舞台が波止場の漁師。これだけで、なんとなく犯罪の匂いがぷんぷんと。女性の影は全くなし。無骨な男の世界、が白黒によってまた強調され。そして、テリーは屋上で大量の鳩の世話をしている。これがまた、みすぼらしさをうたっていて。唯一の光は、イディ(エヴァ・マリー・セイント)。この暗~い男の世界に、咲き誇る大輪の百合のように画面に映る。名前にセイント、とあるように、まさに聖なる存在でした。それはそれは美しい彼女でしたが、50年代独特のしつこいメロ、ではなかったのが、またよかったかも。アメリカの労働社会を硬派に描く、エリア・カザン。この岩のようなごつごつさ、が、素晴らしい、と思いながら、あまりにもずっと息が抜けなくって、エンドの文字が浮かび上がった後も、息苦しさが抜けませんでした。しかし、波止場にて、元締めが一人ずつ今日働く人を指差していき、必要人数に達したら、「ではまた明日」と、仕事を待っている人たちを後にする。ある日などは、労働者に配るそのカードを、みんなが殴り合いをしながら奪い合う。胸がつまるシーンだった。そして、テリーが、牧師さんの教えに従い、イディに彼女の兄を殺したのは自分だ、と告白するシーン。汽笛にならされて、言葉が聞こえない。ただ、半狂乱となるイディの表情がみえるだけ。あのうなるような汽笛の音が、さらに一層、彼女への恐怖、を大きなものにして。ふ~っ
August 11, 2004
友人Yがワイン畑を買ったので、それをみにいく、という名目で、数日間、フランスの南の方、ラングドック地方へ行ってきました。自然が恋しくて恋しくて、車、人・ヒト・ひとの騒音がないところに身を置きたくて。とりあえず、ベジエまで電車で行き。その後は、山と河とワイン畑の続く、自然がそのまま残る地にて、自然とたわむれ。なんとく日本の田舎風景を思い出したり。ワイン畑を枝豆にかえたら、そっくりのような。河で泳いで魚を釣っての毎日は、本当にいい!・・・と半ば泣く泣く、この地方を後にして、今日パリに戻って来たのでした。
August 9, 2004
今年も始まりました。パリ市が主催の野外映画。今年で3年目だか4年目だったか、よく覚えてませんが、とにかく2週間ほど、毎晩場所を変えて、映画とゆかりのある場所にて、映画を上映する、というもの。今年のオープニングは、モンマルトルの丘にそびえる、サクレクール寺院のふもとの芝生にて、ゴダール監督の「女は女である」。映画の舞台自体は、もう少し南にある、サンドニ門のあたりだけれども、あのあたりはスペースがないので、仕方がない。今晩は、この映画の主演女優、アンナ・カリーナも舞台?挨拶に。1961年のこの映画、やっぱり雰囲気が「パリ」なのよね。日本にいるとき、パリとは、こういうイメージ、というのが、まさにこのヌーベルバーグ全盛の映画群。どこか気取っていて。あの完璧切れ長メイク。60年代独特ファッション。ちょっと世間づれしたような会話。おまけにアンナ・カリーナの舌足らずの猫がこびるような甘えたしゃべり方。話の内容はどうでもよくって、あの生活のあり方、スタイルをみるのが、この時代の映画をみる楽しみ。久々に、その昔、パリにあこがれた「パリ」をみて、あの頃とっても大人にみえた、パリを、みちゃった、、という感じです。
August 4, 2004
遅ればせながら、今晩誕生日パーティをやっぱり行いました。どうしようか迷ったけれども、なんとなく区切り、という感じでやることに。形式は、やっぱりピクニック。暑いので、外だと気持ちいいし、これだと人数あんまり関係ないし。バカンスシーズン中なので、みなさんいないかな、と思いながら、そして3日前に連絡したにもかかわらず、30人近く来て頂きました。場所は、今回はエッフェル塔のところの公園シャンドマルス。美しいエッフェル塔を目の前に、芝生に座り、おいしいものと友人に囲まれてすごすひと時は、何にもかえがたい幸せ。そして素敵な驚き、かなり感動させていただいたのが、デザート。私は急に目隠しされ、あるものの前に。Sがチョコレートケーキを焼いてきてくれたのはいいのだけれども、そこには明かりのついたろうそくが20本!決して年の数ではないのだけれども、それはいいとして。みんなが誕生日のうたを歌ってくれ、本当に記憶にないほど久しぶりに、ろうそくを吹き消しました!本当に胸が一杯の、しみじみと友達をありがたく思った、2004年の誕生日となりました。。。
August 3, 2004
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