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5月の連休を中心に駿河城などで今川義元生誕500年を記念した企画が催されるそうです。 https://imagawa500.jp/reinstate/ 静岡県に移住してひどく不思議だった事があります。それは、名将今川義元の人気がなくて専ら徳川家康が持てはやされていた事です。県外にいる時は、義元こそが地元の英雄で、家康は侵略者で悪者だと思われていると予想していたので、大いに意外でした。静岡の人が大らかとか、義元時代の締め付けの記憶と言うよりは、おそらく後の支配者に都合の良い認識になっているのだと推測します。 信州では真田昌幸・幸村という名将がいますが、私の父や祖父もそうでしたが従来は東部以外の地方では嫌いな人が多く、なぜかと言うと侵略者武田信玄の手先だったからです。 県歌信濃の国に出て来る武将は二人だけで、木曽義仲と仁科五郎信盛です。信盛は武田信玄の子ですが、地元の領主の家を継承し織田軍と真っ向勝負で玉砕した所が、風見鶏的に戦国時代を生きた昌幸より人気なのだと思います。 さて今川義元は町人の自治を認めたり検地を行うなど優れた功績を残していますが、もう一つ特筆すべきは芸能など文化を大切にした事です。これは、今川家で過ごした家康にも大きな影響を与えたはずで、実は囲碁文化の保護・発展には義元も間接的に功績があるのです。義元の復権は大いに喜ばしいことです。
Apr 28, 2019
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2009年の団体戦の対局。白は私、黒は学生時代から活躍した東京のTさん。 白1は様子を見た手で、黒が下がりなら左側からハネツグ予定。ちょっと小賢しいかと思っていたが、結果的に後に役立って来た。 実戦図1 以下黒1から3が厳しい手。白は下にツゲば穏やかだったが、勢いで上を取った。 実戦図2 以下11までとなって白優勢となった。ただ、黒10が悪く、この手で■に打てば黒がやれたようだ。 実戦図3 上図白10では単に白1が良かった。以下の黒2や3の点にツケコシで切られるのを心配したのだが、左辺の白はすでに利かしている意味があるので、捨てて打てば悪くなかった。取られてはいけないとの思いこみがあった。 参考図1 以下白1が会心の手で、最初のツケが働いて一気にサバキ形となった。 実戦図4 続いて以下のようになり、延々と戦いが続いた。上辺白は取られないので白悪くないが、白4ではもっとはっきりした手があった。 実戦図5 ここでも白1から左辺の石を捨ててしまうのも良かった。黒2対して単に白5でも悪くないが、白3がさらに働いた手でビタッと締め付けが利く。現実は、石に情が入ってなかなか冷酷になれない。 参考図2
Apr 7, 2019
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