

ここは二つの路線に分かれる分岐点であり、昔はここを追分といっていた。一つは利府・松島方面への道(奥大道)、一つは岩切の町を経て多賀城・塩竈への道(東街道)である。
従是
右 しほがまミち 1り25丁
左り まつしまミち 3り27丁
年号は「安永3年」(1774年)
側面に「施主亀屋庄右衛門」「妻」「子より」と刻んである。
穀物問屋をしていた亀屋庄右衛門とその家族が、塩竈・松島遊歴の人々のために建てた。
台座の上に建てたが現在は地中に埋もれて台座(大きな石)は見えない。
刻んである文字はのびのびしており彫りが優れている。
県内屈指の道標といわれている。
岩切歴史探訪会



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