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甥が牧師になることに決めたのだと家から連絡がありました。クリスチャンの話は、以前からバッハのカンタータやフォーレやモーツアルトのレクイエムを演奏してきたし、姉がクリスチャンの家に嫁ぎ、その息子の話なので、そう驚いた話ではありません。でも牧師になるとは……。「牧師」という呼び方はプロテスタントです。ほかに賛美歌がある、胸の前で十字架を切ることはしないことなどでカトリックと大体見別けられます。私自身は自然科学をいろいろとやってきたせいで、なかなか主イエスの存在を信じる、とまではいきません。薦められるので聖書を詳しく読んでいますが、それでも奇跡を信じることができない自分です。似たような自然科学者も多く、その人達の中に、最初は同じような反応をしながらも、結局信仰深い信者になったなどの話も良く有るのですが、そういった本を読んでも、肝心の奇跡を信じた根拠が書いてないし、最近では宇宙の年齢は147億(?)年だとかの観測結果も出たとのことで、聖書の記述からすると、天地を創造したのは神では無かったのではないかと思えてきます。私が子供の頃から持っていた宇宙に関して想像したひとつのイメージが、Men In Black (MIB)という面白い映画の最後の20秒くらいに有ります。これを見た時、同じような考え方をする人がいるものだなあ、と笑ってしまいました。
2005/02/28
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西安の山奥に寂しく二泊する予定が一泊に変更となり、上海に移って来ました。寂しい山里の村にある大工場で私の機械たちはかなり姿をなしてきました。これらの機械を作る人達は皆それぞれこの工場で毎日働いています。作られる機械に施された溶接、ドリル穴、手入れ跡は皆、仕事をしているお父さんやお母さんの生きていた証になるのだなあと思います。機械たちはその加工された顔を持ったまま、中国のまた別の都市に運ばれて20年以上、鉄の板を生産し続けるでしょう。そのうち自分の車が、その鉄板で出来ていることになるかもしれないが、自分にはそれがわからない。工場で働く人達は私の目から見れば貧しく見えますが、夕方になれば皆それぞれ自宅に戻り家族が5人、7人と居て、私よりも心豊かなゆっくりとした生活が有るのだと思います。目の前を多くの人が歩いていますが、皆違う家に帰るのです。地球の上で何処に飛行機で何時間かけて移動しても、そこには昔から住んでいる人がいて、黙々と生活しています。西安からの飛行機の窓から上海の市街を眺めながらいろいろと想いました。空から見る夜の市街地は、オレンジ色の街灯が道の位置を示しており、それはインドも上海も日本も同じように見えました。
2005/02/27
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先日レコードからCDを作ったから、今、バッハの無伴奏バイオリンが全曲持参してきたパソコンに入っています。ラップトップの音質は落ちますが、1人の旅先で聴くには十分です。中国の人は夕方が早いから、あの盃を空にする宴会が無い時は1人の出張は時間が余ります。今日から移動する先では寂しさを埋めてくれるインターネットも無理。そういう時にはDVDとCDがあればなんとかなるので、このパソコンは仕事の時間以外の方で貴重なのです。今聴いているのはパルティータの2番。楽器を持ってこれるとホテルの部屋で1人で練習できるなあ、でもボーイが飛んできて止めろといわれるかもしれませんね。
2005/02/26
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出張中ですが、中国の会社の昼休みは長いところが多く、ここでは11時45分から14時30分までとなっており、皆家に帰って食事をするのだそうです。この間に私はホテルに戻り、会社にメールしたり日記をつけています。工場の門は、その時間には自転車と歩行者で溢れ、私の送ってもらう車は、その人達をかき分けるようにして「プップー」と進みます。工場の正門を出て直ぐのところから、道の両側の家々の前にテーブルと椅子が並び、そこで昼食を採る人達も多く見られます。これはお金を払う昼食屋であり、自宅の人が外で食べているのではないように見受けます。明日の朝まで滞在予定の、この「とく陽」は、現在霞か霧がかかっていて、ホテルの部屋からは約1kmくらいまでしか見えません。日本には昨日黄砂が来たと聞きましたから、こちらはその源なのでしょうか。中国では、砂もありますし、工業煤煙などの影響で、青空が殆ど見られません。唐辛子拒絶反応のため依然調子のおかしい私は、ナビスコのビスケット100gのもの(2.8元=約40円)を正面のスーパーで買ってきました。ホテルの前は目抜き通りで、信号があります。それでも車が大体それに従っているだけで、歩行者は車の流れを横切ってゆっくりと横断します。歩行者が走ると車の運転者から歩行者の行動の予測が付かないため却って危ないようです。私もこの横断のしかたにだいぶ慣れてきました。明日の朝から西安に移動です。ここは行く先の工場が山間部にあり、昔は人が住んでいたという横穴が山腹に残っているような地域です。招待所と呼ばれる中国特有の工場付属宿舎に泊まりますが、前回泊まった時にはパスルームのお湯が出なかった……インターネットもできなくなるので、月曜日の上海まで暫くご無沙汰いたします。
2005/02/25
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義母が骨盤骨折との連絡が自宅からメールで入りました。ああ、やってしまったのか、と落胆。寝たきりになってしまうことが多いため、老人の骨折は防がなくてはなりません。体力回復のため三週間の入院の後、レビー小体症の治療を予定していた病院がやっと入れることになり、火曜日に転院したばかりでした。昨夜眠れなかったので、病院が睡眠薬を食事に入れたのだそうです。歩く時にふらついて転倒し、骨折。老人が転倒すると骨折しやすいのは病院では常識でしょうから、どうしてそんなに簡単に事故を起こしてしまうのかと悔やまれます。
2005/02/24
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今日は朝6時30分に自宅を出て、「とく陽」市に到着した時には夜の9時をまわっていました。(とく山の「とく」なのですがこの漢字は使えないのだそうです。)上海の浦東空港から虹橋空港へタクシーで移動、虹橋空港から成都へ飛行機で2時間50分、やっと彼女と再会です。日本で仕事をしてくれている通訳の子もグラビアに載せられるような可愛い子ですが、こちらは逆に落着いた美人です。中国では元宵節(?)と言って、旧正月の締めくくりが23日の今日なのだそうです。中国の会社は2月9日から一週間休みだったので、それで終りと思っていました。車で更に1時間半移動する途中で、彼女の薦めで四川料理レストランに入りましたが正月の終わりのため水曜日なのにお客で溢れています。残念なのは運転手と3人であること。砂鍋(鳥肉と椎茸の土鍋煮込み)と、インドの「ナン」のようなもの、餃子、鳥のコンソメスープなど、美味でした。失敗は四川省の唐辛子。私は唐辛子ショックで前回、前々回と、四川省に来ては激しくお腹を壊していたのでした。今回は注意していたのに、飛行機の中で練辛子味噌のようなのが出たのを少し食べたのと、さっきの砂鍋に少し使ってあったくらいしか考えられないのに、私の腸たちは明らかに拒絶反応を示しているのです。一度なると4日位続きますからね、皆さんも気をつけて下さい。こちら時間でもう10時なのにホテルの部屋で、花火の大きな音がずっと聞こえています。……っと、大きいのは10時で終わったみたいですね。
2005/02/23
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最近の電化製品はよく壊れる印象あり。ミニコンポとポータブルMDが壊れたのは先日の日記に書いたけど、今度は冷蔵庫が倒れる。庫内の照明が点灯しているので気付くのがおくれましたが、冷凍食品が融けかかって解りました。11年目だったから仕方ないのかも知れませんが、モーター部分がいかれるとは。回転するだけであまり故障するような場所は無いと思っていたのに。これで立て続けにお金ばかり払っている感じです。新しい冷蔵庫は展示現品で大分安く買いましたが、それでも二桁万円ですからね。狂っているミニコンポの方は、完全にいかれるまでは当分修理に出せません。それにしても、入替で持って行かれた冷蔵庫は今何処に佇んでいるのだろう。昨日から冷えるけど、寒くないだろうかね。自分が冷える物だからいいんじゃないの?と傍で言う人がいます。
2005/02/22
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ところで、諏訪根自子さんのCDを作ってバイオリンの先生に渡すのは、著作権上問題ないよね。持ち主が病室で聴くためだからね。厳密に言うと私が今レコードを所有しているので本当はいけないのか。でも先生のためと、レコードの宣伝をするから許して下さい、キングレコード様。実は諏訪根自子のバッハの無伴奏は検索すればCDが出てきますので、興味のある方は購入をお奨めします。聴いたら感想を聞かせてね。彼女は現在でこそ有名ではありませんが、昔は世界で評判になった人です。その演奏の出来については先日の日記でもご紹介しましたが、あれからも録音しながら聴けば聴くほど好きになってきます。録音の質も良いから、戦前の演奏のような劣化した音ではなく、生き生きとした迫力が有ります。ところどころに、録音し直せばもっと良くなると思われる場所も有りますが、聴いていて全く気になりません。解釈もなかなか気に入っています。彼女のファンになりました。おなじ少女時代の彼女の写真を印刷した2枚目のCDが昨夜遅く出来ました。
2005/02/21
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諏訪根自子のCDは、ソナタ一番、パルティータ二番と三番を入れたものを一枚目として完成させました。CDの盤面には、内部の説明冊子に有った彼女が高校生くらいの時の写真を選び、曲名を記入して印刷すると、大正から昭和初期の時代が甦りました。私の先生は同じ門下生だったということだから、当時心を寄せていたのではないかと思い、還暦の写真でなく、若い時の写真にしたのです。病室で20分ばかり話しましたが、CDはとても喜んでもらえて、残りの二枚目もまた持ってくる約束をしました。また、あの500枚の中に、ジュリアード弦楽四重奏団がベートーベンの135番を演奏したのがあるそうで、それをCDにして欲しいと言われ、これも来週日曜日にできたらと思います。今諏訪根自子のBach無伴奏二枚目作りに時間がかかっているところです。
2005/02/20
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今日は雨の中を家具やさん巡り。レコードを入れられる棚を見つけました。専用にできたものはさすがにインターネットでないと、普通の家具屋さんにはありませんでした。それでも、飾りのないきちんとした作りの、奥行きが30cmある棚が見つかり、小売価格は結構しますが、卸値で買うことができ、だいぶ得をした気分です。これでレコード達も床上でなく、安心した生活ができることでしょう。MDプレーヤーとミニコンポの不調でなかなかできなかった録音も、ポータブルMDラジを使用して、このコンピューターに今取り込み中です。明日にはCDに仕上げることができるかも。
2005/02/19
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最近のオーディオはコンピュータ入りだから、思わぬトラブルが発生して困っています。1式6万円で6年前に買ったミニコンポのMDが、録音しても最初の三曲くらいまでは録音出来ません。それでは、と後半が録音できた後に最初の三曲を続けて入れると、なんとか全曲録音できる。最初の三曲の部分にはなにやら時間を食うデーターが記録されているらしいが、時間が表示されず、そのまま止まってる。これを嫌ってその部分をEraseして、「これで良し」と聴こうとすると、「ブランクディスク」と表示されてしまう。怒り心頭って言うのかなあ。ポータブルMDに入れて同じように変な部分をEraseしたら、今度はなんか訳のわからぬ「Caution」というのが表示されて、それ以降何も出来なくなった。MDを取り出そうと機械式のフックをスライドさせるが、今度は蓋が開かなくなって慌てる。貝のように閉じたMDと2日間勝負の末、カバーのねじを全部はずして本体を裸にしたら、蓋を開く内部部品に触ることができたので、何とかMD摘出。これで安心してまともなMDを聴きに掛ったのですが、「Caution」表示がまた出る。この病気は移るのかい!? ミニコンポの病気が移ったポータブルMDは、遂に諦めて修理に今日持ってく事にしました。諏訪根自子さんのCD化は暗礁に乗り上げています。
2005/02/18
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食事を摂らなくなり危機的だった義母の調子は、入院後点滴で栄養を補給したため良くなって来ています。入院して二週間経ちましたが、その間レビー小体症の治療薬は使われていません。このまま痩せた体が戻ると共に病気の方も治ればいいのにと思います。来週の火曜日が本格的な治療を始める病院の入院日です。今の病院は年齢的にも病気もいろいろな人がおり、共同生活するうえでの悩みが本人には有るようでした。今度移る病院は老人が主体となっているため、おそらくそういった不具合は少なくなるのではないかと期待しています。今までに接した感触では、今度の病院も悪くは無いとおもっているのですが。
2005/02/17
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昨日夜、食事後ゆっくりバッハの無伴奏バイオリンのレコードを聴いてみました。驚いたことに、昨日の日記に書いたのと違って深味のある響きが伝わってきます。昨日のいまいちな印象は何だったのだろう。私はシェリングの演奏したバッハが好きで昔から影響を受けていましたが、諏訪根自子の弾く無伴奏も女性なので少し控えめな感じですが、その中に人生観のような迫力があるのです。昨日私が日記に、ストラディではない、と書きましたが、レコードの箱の中の説明の冊子を読むと、戦前に独逸に渡り、ストラディバリを授与されていたのだそうです。録音もおそらくストラディなのでしょう。ただ、私の耳には依然としてストラディではないように聞こえます。録音年代もそんな昔ではなく、1970年代の終わりでした。音質が良かったのはそのせいであり、またアナログ録音であることが良いのでしょう。デジタル録音では、フーリエ級数展開の時に、高次の項が無視されるため、あくまでも近似された音ですので、やはり耳にしっとりと馴染まないのでしょうね。録音した時の彼女は還暦で、その時の写真も箱と冊子の表紙になっています。これから、私の愛蔵盤になりそうです。
2005/02/15
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とりあえずピアノの下の使われていなかった空間に広がった500枚のレコード。早速 諏訪根自子さんの無伴奏を2番のパルティータから聴きました。戦前の人ですから、楽器も録音もかなり良いのですが今ほどでは有りません。楽器は諏訪さんの後の辻久子さん(こちらは知っている人が多いと思います)が持ち家を売ってストラディバリを買ったことが有名になりましたが、諏訪さんの楽器は他のアマティとかガルネリなどといった名器でも無いのだろうな、という響きでした。録音年代を見ていませんが、恐らく録音用のテープも含め、物資がそう多くない時代のことでしょう。少し失敗した演奏があっても、録音のやり直しは何度も出来なかったのだろうな、と聴きながら感慨深いものが有ります。CDに録るには、レコードプレーヤーに足音が入らないように、夜中にしないといけません。デジタル録音しか知らない人には不思議な話でしょうね。MDに一旦落し、それからパソコンに入れ、それからCDの作成です。でも諏訪根自子さんのレコードのCD化だけは急いでやろうと思います。出来たらすぐに病室の先生の所に持参する予定です。その後で500枚のレコードの情報整理用リスト用紙を作ってから、全体の整理に入り、不要なレコードで価値がありそうなものは、何れオークションに出して現金化したら先生のお小遣いにしてあげたいと思います。
2005/02/14
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3日前の約束どおり、今朝は9時前にバイオリン教室の下に着きました。これで最後の訪問なので、もう看板も取り外されるだろうから写真を撮っておきました。入り口の扉も。先生の娘さんが鍵を開けてくれましたが、彼女に会うのも20年以上振りでした。教室の中も写真を2-3枚取りましたが、彼女は撮ろうとして、かえって胸に詰まるものが有って、撮るのを止めたようでした。レコードは売っても全く価値がないからと、私が持ち帰らないものは捨てることになると聞き、全部持ち帰ることにしました。ずいぶん前からのものがあり、諏訪根自子のバッハ無伴奏バイオリンソナタとパルティータの箱入り3枚は、先生が昔勉強中に同じ門下生だったそうで、これはCDに作って先生に聴かせてあげる約束です。荷物が積み易い車ではないのでトランクと各シートにいっぱいになりました。総数約500枚のレコードは、とりあえずピアノの下の空間に40枚くらいずつの山にして積み重ねましたが、これから一枚一枚聴いて、リストを作っていこうと思います。
2005/02/13
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新年会がありました。(何で今頃?中国みたい)初めての指揮からもう殆どひと月経過。今日は午前中にパートリーダの特訓をやって、夕方から新年会です。去年は中国ビジネスで、会社の中でも今まで付き合ったことのない人を沢山知り、中国人の人も大勢知りました。今年は音楽に復活して、この飲み会で、また約40名の人と知り合いになるのです。若い人、還暦を過ぎた人、今から名前と顔を覚えて行きますよ。特にオーケストラでは、人格プラス、弾き方で性格が出ますから、それと合わせて覚えて行くのがまた嬉しい出会いです。
2005/02/12
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会社で仕事をしていると携帯が鳴りました。翻訳の仕事は来始めると集中するから、また次の仕事かと思うと、意外な人からなのでした。私のバイオリンの恩師の娘さんからで、ついにバイオリン教室をやめることになったのだと。太田亮輔先生はたしか93歳で、世の中でこんな高齢まで仕事している人は当然少ない。最近は体調を崩して入院が続き、今度は歩くのが大変になったため、家族も集まってそう決めたのだそうです。先生は私の音楽に対する考え方にのみならず、人生観にまでいろいろと正しい方向性を持った影響を与えて下さり、その恩に対して自分が答えられたかどうか未だに自身はありません。実は一昨年まで二十年以上も、先生には何も連絡も取らない無礼をしていたのです。自分が不自由なく忙しい状況にかまけて当座の自分に必要の無いことを怠っていました。高齢になられてからは、もう何年も前に亡くなったのよ、と電話で言われるのが怖く、度々会いに行くことを考えながら、電話できず会社の宴会の帰りに街の中心街に近いバイオリン教室の戸口に行ったこともあります。ああまだ教室がある、と驚きと喜びを感じました。一昨年勇気を出して電話をするとたまたま本人が出られたのは、後で聞くと入院も多かったそうで、昨日私が出張中でなかったのも含め本当に幸運だったと思います。その後は半年に一回程度病院か教室で会って来ました。昨日の電話は、沢山のレコード(LP)が有るのでそれを譲り受けて欲しいとの連絡だったのです。今でもレコードを聴いている私は、受取るために今度の日曜日の朝、バイオリン教室を最後に訪問する約束をしました。
2005/02/11
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なんとも胃の悪くなるような試合でしたが、とにかく勝って良かったですね。試合の途中の日本チームのまずい攻めは、ドーハ時代から変わってないな、何か日本人特有の心理的なものが原因なのだろうかと感じました。応援の様子も両国ともお行儀良かったようで、それだけでも嬉しく思いました。
2005/02/10
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中国では春節の今日、9名の中国からのお客様は、ちゃんと朝から打合せに出てこられました。昨夜のことを尋ねると、お酒はもういい、と二日酔いのようでした。昨日の餃子の材料とお酒のプレゼントに有難うと言って下さいました。中国とのレートと物価を考えると、日本の食材を買うだけでもばかみたいな大金が要りますからね。サッカーの話だったのですが、昨年の中国戦の時には、中国の観客の騒ぎが批判されましたが、それは昔の事や今の中国国内での歴史教育などを考えてあげることが必要で、日本の人が非難すべきことではないと思います。仕事で来られる中国の方々は皆良い人ばかりで、昨年は多くの友人が中国に出来ました。北朝鮮に対しても、政治が悪いのですから、テレビで見る批判口調のアナウンサーなど、そうするしか許されない訳ですから、可哀想なことだと思います。むしろ日本人の中に、北朝鮮の選手に対して悪い事をする人がいないかと心配です。今日は昼も次の翻訳を片付けるため、日記を書くつもりでは無かったのですが、こんなに書いてしまいました。夜7時からは絶対に試合を見るつもりです。見ていると、「シュートーォッ」と思った時に、足がピクッと動いてしまいます。
2005/02/09
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翻訳の仕事、結構急に来ました。今年になってから仕事が少なかったのでとにかく稼ぎたいのは事実。納品が明日(既に今日)なので、終わるまでやるしかない。昨日の夜は時間が本来なら有ったのですが、夕方から会食が有って、中国の会社の人たち9人と、盃を空にする飲みでした。幸いなことに、団長さんがあまり飲まない人だったため、他のしっかり飲める人が遠慮して、それ程沢山は飲みませんでした。沢山飲んだ時は、翌朝も酒が抜けず、出勤をフレックスで10時にしたことも有ります。中国の人は強いです。彼らはつい一時間半程前に新年に突入したばかりです。実は今日は中国の大晦日で、日本に来ている人は仕方有りませんが、それでも自分達で宿舎で餃子を作ったのです。良い人達ばかりで、男ばかりなのですが、協力して餃子を作っている様子が目に浮かびます。皮から手作りなのです。中国の事を書いていると、なんだか文章が中国風なてきました。
2005/02/08
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弦楽アンサンブルなのですが、先日1月15日に今度から指揮をやって欲しいと依頼されて初対面、それから昨日まで、練習の予定が無かったのです。3週間の空き時間は正直前回の事を忘れるくらいの長い日数でした。久しぶりに、朝10時から14時まで、ブランデンブルグ協奏曲第3番と、セントポール組曲の練習をしました。アマチュアの社会人団体で、最年長は70歳を越える人も、若い人もおり、かなり弾ける人も、楽器を始めて余り年数のたっていない人もいます。だからトレーニングしながらの説明にも、全員に理解できる言葉を使うことが必要ですし、弾けなくてもそれはそれで本人の努力とその成果が出てくれば良い訳ですから、頑張ろう、と本人が感じることができるように指導ができれば、そのサークルの意義が有ると言えるでしょう。出来上がる音楽の質も、演奏者が頑張っていろいろと問題点を修正しながら練習したら、素人でもかなり良いものになるのです。練習の録音を帰って聴いてみると前途多難だなあと思いますが、来週は練習がまた有るので、やっと本格的に音楽を作り上げていく作業ができそうです。可愛い彼女も、3週間前に紹介したプロの人のレッスンは決まっていないので、話がまとまらない場合は私が、「個人教授」をすることにしました。(ウフフ) 話がまとまらなければいいなあ。
2005/02/06
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義母の入院から1週間が経過。最初は隔絶された世界に送り込むような感じがして本当に良かったのだろうか、もう少し自宅で看護した方が良かったのではないかと悩みましたが、毎日面会に行っている妻と義父の話では、看護士や介護士の方々が個人々々に細かい配慮がされていて、患者のためにとてもよい病院だったようです。昨日は義母の調子も良く、話を良くしたそうで、また退院して家族と暮らせるのでは、と期待が膨らんでいるところです。病院の方々に感謝しています。
2005/02/05
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薬の値段は高いですね。高い原因は政府の認可、政治献金、病院や医師、医大へのリベート、製造費用は格安と聞いていますが、恐らく本当なのでしょう。医薬品のうち一部は薬局で個人購入できる範囲が拡大されたそうですが、病院で処方される薬については殆ど自分で入手できません。特に義母の精神状態を治療するために、効果と副作用の様子を1日2日単位で家族が観察しながら量を増減したり、違う薬に切替えたり出来れば、適切な薬を早く選び出すことが出来るのだが、と思います。医療の知識もなくそのようなことをしては危険という考え方からなのでしょう。でも1週間副作用が出ているのに、次の診察で効果と副作用を一緒に生活している家族ほど理解してもらえず、また同じ薬を貰って帰るとか、患者が年寄で痴呆であるが故に、治らなくても仕方ないと、病状を重視して貰っていないのではないかというもどかしさが家族には有るのです。
2005/02/04
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久しぶりに指揮用スコアを購入しました。(スコアを知らない人もいるかと思うので:総譜とも言い、指揮者が指揮台に置いて見る大きな本くらいの、オーケストラ全楽器が上下に勢ぞろいした楽譜です。)指揮をすることについては暫くブランクが有ったので、楽譜の注文は久しぶりでした。以前注文していた頃はまだインターネットが無く、電話で注文したり、定期的に楽譜リストが届いたりしていました。電話で神戸楽譜という楽譜屋さんに依頼すると、以前の私のデータが残っており、すぐに注文依頼できて、大変懐かしい気持ちになりました。海外からの輸送も以前よりは早くなったようで、程無く届いた真新しい楽譜を開くと、小学校の頃の新しい教科書を開いた気分が蘇ります。今まで持っていたミニチュアスコア(A5版より小さい)に書き込んでいたメモを書き写しました。肝心の練習日までは、前回の練習から3週間あったので、やっと今度の土曜日です。初めての団体なので早く団員を知りたいのですが、これでは当分時間が掛るかもしれません。楽譜の予習だけはしっかりできましたが。
2005/02/03
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義母の治療はどうすれば良いのか、最近は常に考えています。インターネットで調べると、特に介護した人の体験日記が多くみつかり、それを読んでいるうちに、当事者の苦悩を今まで全く知らなかったことに驚きました。徘徊して行方不明になるのを何度も探しに歩いたり、家の中がひどく壊れたり、病院任せにせずに自分で介護しようとする人ほど苦しみ、憔悴している様がとても胸を打ちました。これまでに築き上げてきた、夫婦の愛と理解が、全く葬り去られるように崩れてしまい、後は悲惨な毎日であることが記されていました。一生懸命に勤勉な生活をしてきた人であろうと容赦なく病気が襲い、その完治は望めず、進行を遅らせるくらいしかできないのです。周りからの援助もなく、病院にも暴れて危険なため退院して欲しいと言われたりと。私の場合は未だ良い方なのだと思いました。それにしても、先日私の義母が徘徊して保護された交番の警官は、義父(義母はいろんな電話番号などは正確に言える)に電話して、ちゃんと見ておかないといけないじゃないか、と義父を叱ったのだと聞き、なんと愚かな警官だろうと感じました。人の立場を少しでも理解しようと考えれば、なぜ一人で徘徊する結果となったのかを尋ねるまでは何も言えないはず。しかも警官が電話した義父の家は、私の家から遥かに遠い町なのに、どうして、ちゃんと見ておかねばならないと叱るという発想が出るのでしょうか。浅ましい限りです。
2005/02/02
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私の地方では珍しい5cm以上の積雪でした。5cmも積もるのは恐らく10年ぶりくらいでしょう。余り日が出ず、昼の間もずっと吹雪いています。前夜は車にカバーをかけていたので、綺麗な車で出勤しましたが、昼には車の除雪をしなければなりませんでした。こういう時にはサイドブレーキは引かないで、ワイパも上げておくのだと茨木出身の人から聞いて、ふうんと思いましたが、そうするのを忘れていて、夕方発進する時に、サイドブレーキの凍結のためかカチッと車が鳴りました。朝の道路は雪が載っていて、ノーマルタイヤでチェーンなしという無謀な私は、時速40キロまでで、前の車からは40~50mあけて走りました。止まるときはABSで真っ直ぐ止まりますが、走り出す時は(リヤドライブのため)車体の後ろが横に動き、危なっかしいです。橋の前後には坂も有りますし。みなさん冬装備を忘れずに。
2005/02/01
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