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【送料無料】永山則夫 [ 堀川惠子 ]私:則夫は横浜の家庭裁判所に母と次男が則夫を引き取りに来てから、新宿の牛乳店に住み込みで働き、定時制高校に通うことを決意する。 則夫は入学して最初の中間試験で79人中13番の成績を残している。 ドストフェスキーを読み出す。A氏:やはり能力はあるね。私:しかし、ここでも最初は仕事は必死にやるが、途中で疲れ果て、逃げ出してしまうパターンが繰り返されようとしていた。 彼は孤独でそういうときに相談相手がなく、自分が無視されているような猜疑心が働く。 そのとき、横須賀事件の保護観察官に訪問される。 これで前科が店にバレたと猜疑心が働き、店を飛び出し、次男の家に飛び込む。 この後、事件を起こすまでの1年3ヶ月の間、さらに2度再起を誓って牛乳店に勤めているが、同じ行動パターンでやめている。 また、すぐにカネになる沖仲仕の仕事もする。 毎日、次男の家に泊まるわけにもいかないので、野宿もする。 三男は定時制高校を出て、中央大学法学部(夜間)の試験にも合格。 昼間は中堅の法律専門の出版社に就職していた。A氏:彼ら長男、次男、三男、則夫の4人兄弟は「カラマーゾフの兄弟」に登場する4人の兄弟とおどろくほどよく似ているね。 則夫もドストフェスキーを読んでいたというが、共感する点があるのかもね。私:その後、昭和43年、則夫は2回目の牛乳店を止め、神戸港に行き、フランス船に乗り込み逮捕される。 直前に自殺しようとする。 再度、少年鑑別所送りとなったが、自殺のおそれがあるとして、独居房に入れられた。 2月に東京・練馬の少年鑑別所に送られるが、ここでは幸いリンチはなかった。 しかし、転職を繰り返し、則夫は自殺未遂を繰り返すまで自分を追い詰めていく。 自殺を考えたり、実行しようとしたりした回数は19回にのぼったという。 2月16日、三男は東京・練馬の少年鑑別所を出て東京家庭裁判所に送られた則夫を引取りに行く。A氏:則夫は次男にも見放されたのかね。私:三男は、大学試験には合格していたが、入学金と初年度の学費を払えず、入学を諦めた。 三男に引き取られてから、三男に言われ、3度目の牛乳店の住み込みで再度、定時制高校に通うことにした。 真面目さを買われ学級委員長にもなった。 しかし、委員長に選んだのは、学校をやめさせるのではないかと、またいつものパターンの間違った周囲からの被害妄想が始まる。A氏:また、被害妄想か。 自己責任だろうかね。 それとも生い立ちのせいかね。私:牛乳配達で集金したカネを持ち逃げして、3年ぶりに青森の実家にもどるが母親からガミガミ言われる。 再度、上京し、沖仲仕をやるが宿はなく、野宿。 8月にもなると、暑くなり、沖仲仕の仕事はきつくなる。 組を抜け出し、「アンコ」になる。 池袋の次男のアパートに立ち寄る回数が増えた。 しかし、あるとき、次男のアパートに行ったら、「もう来るな」と言われる。 則夫は完全なホームレスとなった。 明日は、何故、殺人事件が起きたのかに移ろう。
2013.06.30
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【送料無料】永山則夫 [ 堀川惠子 ]私:則夫が上京した頃の兄弟の状況は次のようなものであった。 長男は、網走土木事務所に勤めていたが、体調を崩し、青森の父方の親戚の家に居候していたが娘のいる青森の家にはよりつかなかった。A氏:実の娘とは絶縁状態だね。私;長男はその後、栃木県小山市に移住、オートバイ販売修理店に就職し、営業をしていた。 そして経済的に恵まれた妻を持つ。 婿養子で入る。 問題は彼のマージャンづけの生活だった。 父親の博打好きと似ているね。A氏:兄弟の中で飛び抜けて頭のよかった次男はどうなったかね。私:都内の運送会社に就職し、すぐに運転免許を取得するが、2年後、交通事故を起こし、運送会社を転々とするようになる。 働きながら定時制高校にいこうとするが、果たせず、小山市の長男の家にころがりこんだ。長男は次男を自分が課長を勤める住宅会社のセールスマンとして雇う。 次男はそこで女性と出会い、婿養子で入籍。 25歳の三女は美容院に勤め結婚して退職し、夫の親と同居して男の子を出産する。 三男は板橋区の小さな米屋に就職。 自力で高校、大学に進むことを目指す。 彼が20歳になったとき、則夫が上京してくる。 則夫が最初に就職したのは渋谷駅前の青果店だった。A氏:なんで、東京のど真ん中の商店に就職したのかね。私:本人の希望らしい。 しかし、それから則夫が殺人事件を起こすまでの3年間、就いた仕事先は10ヶ所にのぼり、さらに細かいものまで加えると20近くなる。 そして、一ヶ所あたり最も長くて5ヶ月という短いもので、その期間が転職を重ねる度にどんどん短くなる。 辞める時の行動パターンが被害妄想(過去の青森の窃盗の罪がばれたのではないかというような思いすごしの邪推)で、全て類似しているという。 則夫には友だちができず、休日も一人だった。 相談相手もなかった。A氏:子ども時代からの孤独な生い立ちが影響しているのかね。私:青果店を勝手にやめ、横浜港の外国船にひそかに乗り込むが発見される。 次男が身柄引き取りに来る。 そのまま、小山市の長男の家に送られる。 長男のつてで近所の自動車の板金工場に勤める。 しかし、長男への過去の怨みから、「あてつけ」にわざと窃盗まがいのことをやる。 この「あてつけ」は、青森のときの窃盗を含め、2つ目の非行歴となる。 開けて昭和40年、則夫は長男の家を飛び出す。 これから則夫は、大阪、池袋、羽田空港、浅草などを渡り歩き、職を転々とした。 いずれも最初は、必死に働くが、辞めるきっかけはいつも同じで、人間関係を作れず孤立し、何をされても被害的に受け止め、果ては身一つで逃げ出すというパターンを繰り返す。 昭和41年9月6日に則夫はアメリカ海軍横須賀基地で3度目の「窃盗」で逮捕されている。 そして、横浜・保土ヶ谷の少年鑑別所に送られる。 ここでは同室の少年たちから徹底したリンチを受ける。A氏:また暴力虐待だね。私:1ヶ月半後の10月21日、横浜の家庭裁判所で母と次男が則夫を引き取りにくる。 次男は当時、小山市で結婚し、妻の家に入籍したが、妻の実家と折り合いが悪くなり、さらに妻が妊娠している間に、水商売の女ができ、離婚する。 そして、小山市を離れ東京の池袋にアパートを借りる。 女の稼ぎがあるので定職は急がなくてもよかった。 パチンコに明け暮れた。 これも父親の遺伝かね。 いわば、女の「ひも」だった。A氏:成績最優秀だった次男が崩れだすね。 自己責任かね。私:明日は則夫がホームレスにまで転落する後を追う。
2013.06.29
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【送料無料】永山則夫 [ 堀川惠子 ] 私:則夫は小学校の6年間、不登校が続いたが、何故か、5年生のときだけ、風邪をひいた6日以外は登校している。 この年は、長女セツが精神病院から退院して、青森の家に来た年である。 彼女は再び、献身的に則夫の面倒を見た。 学校の宿題も教え、担任の家庭訪問には、母親代わりに対応した。 19歳も年下の則夫は弟というより、我が子に近かったのであろう。 しかし、この期間は1年ほどで終わる。 セツに男ができ、妊娠するが、男は逃げたので堕胎する。 則夫はその子を墓に埋める。 セツはまた、精神病院に入り、生涯、入退院を繰り返す。A氏:せっかくの則夫の精神的に安定した生活がまた崩壊したわけか。私:そのうち、則夫が中学に入っても、不登校は続く。 三男も集団就職で上京し、則夫は朝夕の新聞配達を引き継いで行った。 この頃の則夫は学校に行かず、いつも一人であった。 則夫が中学1年の12月、父が岐阜で行き倒れのようにして死亡した報告が警察からくる。 父親が死んだ時の警察の現場検証のむごい写真を見る。 死に対面してためか、この頃から、則夫には自殺願望が生まれる。 父の写真を見てから中学を卒業し、集団就職で上京するまでの2年間は、大人しかった則夫が少しずつ変わってきた。 逃避の形で一時的に凌いできた憎悪のはけ口が、他者に向かって露出し始めた。 木刀を持って、姪のことをひどく殴るようになったという。A氏:虐待を受けた者は、逆に弱いものを虐待することになるね。 虐待の連鎖だね。私:夫を亡くした母は、則夫が中学2年のとき、近所の天ぷら屋と数人で夏休みの1ヶ月間、北海道に「リンゴの仕事」と称して留守にするとも言わずに、子どもたちを置いて出かけてしまった。 しかし、則夫は母に面と向かって怒りをぶつけたり、甘えたりすることは一度もなかった。 何も喋らない則夫に母は手を焼いた。 則夫が中学3年のとき、網走時代から脳卒中の気があった母は体の調子が悪くなり、病院に入院した。 家には則夫、妹、姪の3人が残された。 則夫は妹と姪に暴力をふるったので、2人は病院に逃げ出し、寝泊まりするようになり、家には則夫ひとりとなった。 則夫が翌年3月に集団就職で上京するまで、母と2人は一度も家に戻って来なかった。 則夫は一人飢えに苦しんだという。A氏:網走での置き去りと、母の北海道行きと、この母の入院で3回、則夫は放置されたことになるね。私:則夫の一人住まいの家は、いつの間にか不良少年があつまり、「賭博場」にもなった。 人の出入りが増えたことで近所の人が窮状を知り、差し入れもあったという。 上京前の2月、則夫は母への「当て付け」に不良仲間とかっぱらいをする。 母は学校に呼ばれ大目玉を食らう。A氏:窃盗行為の動機は親への「当てつけ」だね。私:昭和40年(1965)3月上旬、500人の生徒を詰め込んだ集団就職列車に乗せられて、15歳の則夫は東京に向かった。 駅のホームは教師や見送りの家族でごった返していたが、則夫の母と妹の姿はなかった。 明日からいよいよ、則夫の東京生活に移ろう。
2013.06.28
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【送料無料】永山則夫 [ 堀川惠子 ]私:厳冬の網走に母に捨てられた4人の兄弟は一冬を奇跡的に生き延びた。 春になって、やっと動いた福祉事務所が母親の居場所を探し出し、4人を青森の板柳に送る。 母は当時43歳。 長女セツ(23歳)は網走の精神病院に入院したまま。 長男(21歳)は、網走の土木事務所に勤めていたが、音信がなかった。 次女(28歳)は母と子どもの面倒見のために青森に移住したが、逃げるようにして住み込みで働き、看護師となり、結婚して、永山家から籍を抜いた。 網走で一冬過ごした三女(14歳)は板柳の中学校を出るや町内の美容室で住み込みで働き、通信教育で美容師の資格をとり、2年後に上京し、美容院に務めるようになり、家にはよりつかなくなった。A氏:女の子は、住み込みで外に出て行くね。私:こうして、板柳の家に残されたのは、次男(11歳)、三男(9歳)、四男則夫(4歳)、四女と孫(ともに1歳)の5人となった。 長女セツによると彼女が勉強の面倒を見た弟妹の中でずば抜けていたのが次男で、学年でもトップを争い、野球も上手であった。 しかし、家が貧しく修学旅行もいけないし、中学を卒業しても高校に行ける見込みはなく、集団就職するだけだ。 外では優等生だった次男の鬱憤は家庭という密室で一番幼い弟則夫に向かい、則夫は日常的に次男の暴力を受ける。 三男は見ているだけで、一切手出しをせず、則夫を無視していた。 連日の暴行で近所の知るところとなる。 しかし、母は意に介さず、泣いている則夫を「また、泣いて」と理由も聞かず殴った。 だが、母は則夫を殴るときは、決して自分の手で殴らず、道具を使う。 則夫には母に直にふれられた記憶は一度もない。 一方で、母ヨシは則夫より3年後に生まれた四女のことは何かと気にかけ世話を焼いたという。A氏:則夫は兄弟にも虐待され、母親の愛情にも欠けているね。 しかも、暴力を振るうにも、スキンシップがないのは異常だね。私:則夫は当時、一番辛い時間は夜、家族が集まる時間だった。 だから、夜になると家の外を徘徊したり、汽車に乗って家出もしたりもした。 しかし、度重なる家出で、迎えに行く母親は仕事ができなくなり、困り果て、次男に暴力を止めるように注意し、以降、次男のリンチはピタリと止まり、則夫は「家出は俺の勝利だと思った」という。 しかし、則夫は幼稚園に行っていないので、家に残り、孤独な生活を送る。 母は則夫の幼稚園入学申し込みを忘れていたのだ。 1年近く、独りで家にいた則夫にとって、小学校の入学式は緊張を伴うものになった。A氏:則夫は、幼少のとき、友だちと遊ぶという自然な人的環境が皆無だね。 被害妄想が生まれる素地ができているね。私:則夫の小学校2年生のとき、行方不明だった父親が板柳の家に来た。 次男と三男は木刀で一斉に父親に殴りかかり叩きだしてしまう。 この頃から、則夫は兄たちの新聞配達を手伝い、その特典で1日1回、映画を無料で見れる「パス券」をもらい、よく一人で映画を見に行った。 映画で父親役を演じる俳優たちに父の姿を重ねたという。 次男が集団就職で上京し、三男が新聞配達をするようになってから、則夫は炊事の担当になった。 則夫は父親譲りで料理がうまかったという。 明日は、則夫の小学から中学までの生活に移ろう。
2013.06.27
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【送料無料】永山則夫 [ 堀川惠子 ]私:母ヨシは、リンゴ栽培の技師だった武男と昭和5年(1930)、青森県板柳町で結婚した。 父武男は多趣味であり、頭も良かったが、問題は無類の博打好きだったことである。 母ヨシの親族はこの武男の博打好きを理由に結婚に反対したが、二人は押し切って結婚した。 長女、長男、次女が生まれた。 しかし、この父親の博打好きが一家の仇になった。 収入は博打に消えていく。 母ヨシは、早朝から夕方遅くまで、外に出ての行商でぎりぎりの収入を得る。 貧困が家族を襲う。A氏:父親の自己責任による貧困かね。私:生活に行き詰っていたとき、網走からリンゴ技師の仕事の話がくる。 昭和11年(1936)、一家は板柳に借金を残したまま、網走に渡る。 三女、次男、三男が生まれる。A氏:多産少死時代だね。私:長女セツは、網走女学校入学から卒業まで首席で通した。 長男も地元の高校を首席に近い成績で卒業し、地元の土木事務所に就職した。 しかし、同級生を妊娠させ、女の子を作ってしまった。 長男は就職で家を出てしまい、子どもは母ヨシが引き取って育てることになった。 次女も学校の成績は優秀だ。 永山則夫の年上の兄姉は皆そろって学校で3番以内の成績を残している。 次男はトップを走っていたという。A氏:技師の子どもたちだけあって、父親に似て子どもは、頭はよかったんだね。私:昭和16年(1941)日本は太平洋戦争に突入する。 父は、昭和19年に旧日本軍横須賀海兵団に招集される。 敗戦後、すぐに帰ってきた父は、今まで酒を飲まなかったのに、ひどく飲むようになり、そしてまた博打にのめりこみ、家に帰らない日が増えた。 家計のために、ヨシは1日中、行商に出かける。 長女セツは家事と育児のすべてを引き受けざるを得なくなる。 そんな状態の家庭で昭和24年(1949)、永山則夫が生まれる。 母は子どもが多いので一度は堕ろそうとしたという。 3年後には四女も生まれる。 かくして、則夫は長女セツが母親代わりになって育てた。 母の記憶の中には則夫を育てた記憶はなかったという。 夜、寝るとき、セツの布団で寝かせてから、母の布団に移した。A氏:則夫には母とのスキンシップが皆無だったんだね。 これも成長期の精神障害に関係するね。私:長女セツは、恋人の実家の助けを得て大学へ進学する夢を抱いていた。 勉強も怠らなかったが、しかし、オシメのとれない3人の子どもの面倒見で、セツは家を出られなくなった。 恋人との婚約を破棄される。 身ごもっていたが泣く泣く堕ろす。 それからのセツは人が変わったようになり、精神病院に入院させられ、精神分裂症として診断され、以後、5年間その病院で過ごす。A氏:子どもの面倒をみる者がいなくなるね。私:昭和28年(1953)10月、長女セツの入院で途方に暮れた母は、網走を後に、実家のある青森県板柳町に帰ることにした。 博打のカネをせびりに来る夫に追いかけられないという理由もあった。 則夫の妹(1歳)と、長男が同級生に生ませた孫(1歳)、そしてその2人の面倒を見る次女(17歳)の3人を連れ、後の4人は網走に置いて、カネは父親から貰えといってヨシは青森に移った。 残された4人の子ども(三女13歳、次男11歳、三男8歳、則夫4歳)の中で最年長の三女(13歳)は中学の成績は優秀で、女学校に進学を考えていた矢先だった。A氏:祖母が母を樺太に捨てたように、母は我が子たちを網走に捨てたことになるね。私:残された4人は冬を迎えつつあった極寒の網走での飢えと寒さが襲う。 父も家を出てしまう。 この後、どうなったかは明日ふれよう。
2013.06.26
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【1000円以上送料無料】永山則夫 封印された鑑定記録/堀川惠子私:則夫の母ヨシは明治43年(1910)北海道利尻に生まれる。 ヨシの父(則夫にとっては祖父)は秋田県から綿を打つ機械を買いに利尻に来ていた。 ヨシの母(則夫にとっては祖母)は島根県から利尻に移住してきた漁師の娘だった。 当時は、大阪から瀬戸内海経由で島根に寄り、北海道方面に来る定期航路があり、利尻と島根は物流上近い関係にあった。A氏:北前船航路は江戸時代からあるね。私:母ヨシが2歳になったとき、祖父は海で猛吹雪にあい遭難して死亡。 祖母マツは2年ほど港の仕事を身を粉にして働く。 しかし、家が火事にあい、行き場を失い、北前船航路にある樺太に渡る。A氏:当時の樺太は明治38年(1905)日露戦争で南半分が日本領になっていたね。私:国策により、日本本土から大勢の移民が渡っていた。 母娘ふたりが辿り着いたのは樺太南部の真岡という港町だった。 祖母マツはそこの缶詰工場で女工として働く。 ヨシも小学校に行かず、女工のこどもの子守りなどしながら、僅かな小遣いをもらい家計を助けた。 そのうち、祖母マツは同じ工場で働いていたYという男と同棲するようになり、生活は安定した。 ところが、Yは、ふだんはおとなしいのに酒を呑むと娘ヨシに暴力をふるう。 マツはこれを止めるのでなく、マツまで娘ヨシに暴力をふるったという。A氏:今で言う幼児虐待だね。 虐待を受けた者の精神障害の一因になるね。私:5年後、Yは郷里の北海道にひとり帰る。 マツは間もなく大工のMと同棲し入籍する。 マツは娘ヨシを料亭の住み込みの子守りの奉公に出す。 ヨシが10歳になった頃、Mは実家のある青森・板柳町に帰ることになった。 しかし、連れ子のヨシを連れて行くことは許されなかった。 マツは、ヨシを樺太においたまま、青森に行く。A氏:ヨシは母に捨てられたことになるね。私:捨てられたヨシは、住み込みの料亭で大勢の女給たちの子どもの世話をするという苛酷な労働に耐える。A氏:10歳で保育園の保母みたいな仕事をすることになるね。私:ところが、その料亭が半年もすると経営が行き詰まり、当時、日本人の移民が増えていたロシアのシベリア地方の極東の町、ニコラエフスクに移転する。 他に身寄りのないヨシもついていく。 ニコラエフスクの主要産業は鮭を日本に輸出することであり、1886年に長崎県出身の商人が成功してそれを機に日本移民が増えたという。 ヨシがニコラエフスクに渡ったのは大正8年(1919)。 ちょうど、日本のシベリア出兵の最中だった。 翌年、ロシアのパルチザンにより、住民の半数以上にあたる7000人が虐殺される。 そのうち、1割が日本の守備隊と居留民であった。 日本人居留民はほぼ皆殺しであった。A氏:有名な「尼港事件」だね。私:ヨシがこの事件をどのように逃れたか不明だが、焦土と化した極寒の同地で2冬過ごした。 ヨシの問診による証言はこの2年間が欠落しているという。 2年後の12歳のとき、シベリア出兵から引き揚げ途中の日本軍の憲兵に助けられる。 連れて帰られたのは同じ年くらいの女の子ばかり3人だったという。 ヨシは、青森県板柳町の母マツのもと(義父のもと)に送られる。 義父の家は裕福だったが、ヨシは連子の立場なので、自ら町の酒屋に奉公に出て、住み込みで子守りを続けた。 結局、小学校はほとんど通えず、読み書きソロバンは不十分で、友だちは一人も出来なかった。A氏:義理の父による虐待、祖母に捨てられたことによる放浪、そして乳幼児相手の子守りの連続ーーそれが則夫の母ヨシの半生だったということか。私:この母の半生の苦しみによる精神的障害がこのファミリーの次の世代にも受け継がれていくことになる。 明日の物語は、則夫の母ヨシの結婚から始め、則夫の誕生までいこう。
2013.06.25
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【送料無料選択可!】永山則夫 封印された鑑定記録 (単行本・ムック) / 堀川惠子/著 私:この本を読もうという動機は、ブログ「4月28日・今週の新聞書評」によると朝日新聞書評でとりあげていたからだね。 そのときのブログには下記のような書評の趣旨が書いてある。「永山則夫(当時19歳)というと昭和43年に起きた通り魔による連続射殺事件の犯人。 彼は極貧に育ち、中学を卒業すると「金の卵」で「集団就職」で上京。 働きながら夜学に通う少年だったという。 カネほしさの犯罪でないが、彼自身は何も語らなかった。 彼は獄中ノート『無知の涙・金の玉子たる中卒諸君に捧ぐ』を出版し、貧困が無知を生むのでなく、資本主義社会が形成すると言い、犯行は自殺するための計画的なものと告白したという。 しかし、評者は、彼の真意を理解できなかったが、この鑑定記録を読んで謎が解けたという。」 この書評で興味を持って、当時、すぐ図書館に予約しておいたが、やっと俺の順番がきた。 厚い本を一読して、「事実は小説よりも奇なり」を痛感したね。 著者は永山事件を取材中、裁判で採用されなかった、百時間を超える精神鑑定の問診テープを最近入手した。 このテープは、精神科医石川義博氏が、則夫を問診した記録で、278日間の鑑定による「封印された鑑定記録」だね。A氏:膨大な記録量だね。私:俺が驚いたのは、鑑定記録は永山則夫ファミリーの3世代にわたる壮烈な歴史物語だということだね。 A氏:そして検察の言う「カネほしさの殺人犯」というのは間違いだということかね。私:問診した石川氏は、東大卒後、ロンドン大学への2年間の留学を経て帰国し、東京八王子医療刑務所の技官として勤めていた。 そこへ、則夫の弁護団が精神鑑定を依頼してきた。 すでに精神鑑定は別の医師が行なっていたが、則夫がその医師に心を開かず、問診にまともに応じないまま、精神鑑定書が作られてしまったという。 則夫自身が精神鑑定をもう一度、きちんと受けたいと希望しているというが、無差別に4人を射殺した「連続射殺魔」を相手に精神鑑定ができるかという不安があり、最初、石川氏は断る。 しかし、則夫の弁護団は簡単に引き下がろうとしなかった。A氏:それがなんで精神鑑定を引き受けたのかね。私:とりあえず、則夫の生い立ちの記録を見て、その厳しい現実に医師の関心を惹かずにおかなかったのだという。 俺も則夫の生い立ちをこの本で読んでその判断を理解できたね。 こうして、石川氏の精神鑑定がはじまり、則夫ファミリーの軌跡が明らかになる。 この本は、問診テープをもとに、則夫ファミリーの姿が明らかにしているが、精神分析の都合上、話が前後する。 そこで、俺なりに物語的に時系列にまとめてみた。 そうしたら、日露戦争から高度成長の波にのまれるまでの3世代にわたる、ある日本の貧しいファミリーの壮大な歴史が浮かんできた。 殺人犯永山則夫はその歴史が生み出したものだね。 ここにこのブログに7回ほどに分けて物語化して記録しておいてみたいと思う。 第1回の明日は、まず、日露戦争後の則夫の祖母の苦難の物語からスタートしよう。
2013.06.24
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私:6月8日の阿川佐和子のテレビ番組「サワコの朝」のゲストは、作家の五木寛之氏だった。 もう80歳になるというが、髪は白髪まじりだが房々だね。A氏:五木氏は、洗髪しないということで有名だね。私:ホームレスにハゲはいないということから、ヒントを得たということを別な話で聞いたことがあるね。 洗髪をしない効果か、髪は豊かだね。A氏:そうなると朝シャンは髪に最悪だね。私:しかし、人にはいろいろな生き方があるから、他人には強制しないようだ。 五木氏は医者嫌いだが、理由は医者にかかると、医者に依存してしまうからで、自分なりに自分の体を見つめるべきだという。A氏:それにしても、80歳で、日刊ゲンダイに長年毎日エッセイを書いているのだから、健康だね。私;氏は、現代は情報が多く、ある意見の情報に対し、反対の情報もすぐに多く得られるので混乱するという。 酒は体に悪いと言ったり、少しならいいと言ったりするが、大酒飲みでも長生きしている。 結局、自分で判断するしかないという。A氏:日本は世界史上、未経験の最初の高齢者社会にトップをきってなりつつあるから、医者も未経験の老人の症状にぶつかることが多く、迷うことも多いのではないかね。私:氏は、80歳頃から死に至るまでの生き方を考えるべきだという。 ところで、80歳にもなると多くの知人友人が先に亡くなっているが、五木氏は、いい奴から先に死んでいるという。A氏:憎まれ者、世にはばかるかね。私:五木氏は新しい土地に行くことが楽しみで、目標は千ヶ所だという。 1日1ヶ所で1年に百日は旅行していて、すでに900ヶ所を超えているという。 かっては、1日行くと1泊してきたが、最近は交通の便がいいので、日帰りが多くなったという。 そのため行った先の駅のトイレに行くのだという。 1行1泊でなく、1行1滴だという(笑い)。 80歳代では、三浦雄一郎氏の健闘もあるが、五木氏も新聞記事長期連載と、知らない土地訪問千ヶ所達成のご健闘を祈る。
2013.06.23
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私:俺は、積読でかなりの本がたまったのに懲りて、Book Offから車で来てもらい売り払ってから、4年ほどたった。 本棚は今もガラガラ。 本は図書館で借りるようにしているが、これもネット予約で、受け取りに行く時だけ、図書館に行き、図書館内をぶらぶら歩き、読みたい本を探して借りる事はないね。 だから、書店で本を買うことはほとんどなくなった。 たまに、1冊千円前後の健康や趣味に関する実用書や雑誌を買う時はアマゾンで買っている。 当日、配達されるのもある。 本屋にほとんど行かなくなった。 積読時代には、週1、2回は行っていたがね。A氏:16日の朝日新聞b版で、「本はどこで買いますか?」という記事があったね。 調査対象は2501人で、40~70代が中心だという。私:それによると書店で買う人が50%で、ネット経由は16%。 書店派が健在だね。 週1、2回が18%、月に1、2回が37%。 書店派は、図書館をほとんど利用していないね。A氏:地方では街の本屋が減っていて、ネットに頼らないと本を手に入れにくい状況があるという。私:書店で買うのは、現物をみて、じっくり選んで買える利点があるね。 図書館でも同じだが、ネット予約で入手する本は、俺の順番が来てからはじめてカウンターで手にするので、そのときはじめて、あまり期待できない内容であることを発見することがある。 だから、あまり読まないで返す本も出てくる。 図書館の書棚で手にしてチェックしてから借りるのとは違うね。A氏:書店に行くのも、図書館に行くのも、ズラリと並んだ書籍になんとなく知的な刺激を受けることがあるね。私:ネット派の3割が電子書籍の経験があるという。 今後の展開はビジネス書や新書といった情報を手軽に得たい本は電子書籍で、じっくり大切に読みたい本は質感のある紙の本で、と使い分けが進むのではないかという。 それにしても、面白いのは本屋に行くと、トイレに行きたくなる人が結構いるらしいということだ。 原因は諸説あるが、本の紙やインクのにおいが排泄欲を刺激するのだという説が有力らしい。 俺はそういう経験はなかったね。A氏:同じ、出版関係で17日の朝日新聞朝刊で「出版流通再編成期へ・アマゾンの脅威 楽天と提携模索も」という見出しの記事が載っていたね。 インターネット書店大手のアマゾンが巨大化する一方、街の書店は年々減り、書店と出版社をつなぐ問屋「出版取次会社」は経営が悪化。 ネット通販大手・楽天との資本提携をめざす社も出てきたという。 取次会社は旧来のシステムを壊すような改革ができずにいるという。私:街の書店は現在約1万4千軒。 これに対してネット経由が増加していて、アマゾンが巨大化している。 日本では再販制度で、書店で売れ残った本は出版社に返せるが、高い返品率が重荷になっているようだね。 アマゾンにはそれはないとあるが、再販制度との関係の説明がないね。 出版業界は、出版の文化の豊かさを守りつつ、合理化をどう進めていくかが問われているという。 書店で買う人が50%というデータに街の書店は安心していられないね。 書店に行かなくなった俺にしても街の書店が減るのは気持ちがよくないね。
2013.06.22
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私:今、英語教育を小学校5年生くらいから教科に入れようかという動きがあるという。 グローバル化時代に英語の重要性は増していることが背景にあるね。 すでに日本企業で社内公用語を英語にした企業はいくつもある。 A氏:こういう傾向に対して、日本語をきちんと教えてから英語を学ぶべきだという意見もあるね。私:この朝日新聞の藤原帰一氏の意見を読んで俺は、自分と英語の出会いを重ねてみて、この問題を別の次元で考えるべきだと思ったね。 このエッセイでは外国語一般として論じているが、やはり英語中心とみなすべきだね。 まず、近代日本は外国文化の吸収が重要な課題だった。 外国語ができる日本人が国民に翻訳により伝え、これにより外に目を開き日本を変革するという感覚が多くの国民に共有されたという。 翻訳文化の登場だね。A氏:しかし、同じコミュニティの一員として外国の人々と一緒に仕事をするときに、受け身だけで発信のない翻訳文化は意味がなくなるね。私:藤原氏は、翻訳文化はファッションのように身をまとうだけで定着しなかったという。 しかし、政治や社会を考える時、日本語で書かれたもの、それも翻訳ではない日本語の文章を読み、他の言語で書かれたものを読まずに考える人々が増えたのは事実だという。 一方、世界は英語を母国語としない人も英語で発信し、学術成果を発表するのが当たり前になった。 ところが、この時代の日本は以前より日本語の世界に引きこもるようになったという。 経済成長し、国内だけで大きな市場を持つのだから、外国に目を向けなくても生きていける。 英語を使わなくても豊かな生活を保持できるのは幸福だということもできる。A氏:しかし、その幸福は、ものを知り、考え、議論する空間が日本語の世界に縛られるという犠牲(コスト)と引き換えに得られたものだと藤原氏はいうね。私:藤原氏は英語問題に別な視点を提供しているように思うよ。 それは言語を使うということはいろいろな思考形式の訓練だということだね。 英語も日本語も言語だね。 対立するものでなく、表現形式としては補完するものとしてとらえるべきだね。 英語を学ぶということは、その表現の違いを通じて日本語を学ぶことでもある。 俺たち先祖も中国語からカタカナ、ひらがなという表現を考えだした。 俺が英語にぶつかったのは中学1年生の時だ。 小学生時代を軍国主義で育った俺は、英語との異文化の結集の出会いのショックは強烈だったね。 俺は、学科で英語を学ぶというより、主語が先に来る構文、複数形、現在完了など、異質の思考の表現形式にふれることの知的興奮に没頭したね。A氏:英語と日本語は対立するものでなく、表現文化を学ぶためには相補うものだね。 英語と比較することで日本語の特性も広く国際レベルで深めることもできる。 言語は歴史と文化の結晶だよ。私:当時、英字新聞「英文毎日」を購読して、中学1年から辞書を引き引き毎日、日課のように読んだね。 新聞英語は単語が限られていたし、表現も簡潔だから、中学3年頃には辞書なしで読めるようになったね。 そのおかげか、単語力はすごかったが、ひねった受験英語には弱かった。 しかし、英語を理解したおかげで日本語を書くときにも「ここは主語をいれるべきかな」と考えるようになり参考になった。 英語教育問題も、英語を読み書きするテクニック中心でなく、もっと日本語と英語の表現形式や文化の違いに焦点をおいて検討すべきではないかね。 英語と日本語の関係をウインウインの関係にすべきだね。 そうしないと、日本語に引きこもるか、受験英語のテクニックの習得で終わりそうだね。 言語の「ガラパゴス現象」になりそうだね。 今、日本の大学生の海外留学が減っているというが、それが1因かもしれない。A氏:こないだの国連の拷問禁止委員会で、日本の代表の上田人権人道担当大使が「日本は決して中世ではない」と言ったら、会場で笑い声があがったという。 そこで上田氏は「笑うな!なぜ笑う!黙れ、黙れ!」と言ったという。私:有名な「シャラップ事件」だね。 ところが、会場で笑いが出た原因は、上田氏が「中世」を英語でmiddle ageと言ったせいだという。 middle ageでsがないと「中年」という意味。 「中世」はmiddle ages とsがつく。 英語は、日本語表現と違い、名詞の単数・複数の表現形式に特徴がある。 英語の表現形式を使う時、日本語の表現形式と大きく違い名詞にsをつけるべきかどうか常に注意すべきなのにね。
2013.06.21
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私:今まで、大手企業の工場が海外に進出しても、部品は日本から送っていることが多かった。 だから、現地生産の拡大とともに、日本からの部品輸出が増えた。 しかし、この朝日新聞で「タイのマーチ」の例であげているように、部品の現地化が始まり、マーチの部品の9割以上は現地企業約200社から仕入れているという。A氏:日産マーチは、2015年には「脱日本車」になるという。私:品質も同じ物ができるようになれば、コストではアジア諸国にかなわないね。 東京大田区の工場は10年ほど前の1万社超から、6割以上も減り、地域は駐車場や空き地が目立つという。A氏:グローバル化は、日本の雇用もグローバル化だね。 以前、このブログでとりあげた「ブラック企業」に関連して、大手超国家企業のユニクロの柳井正会長は次のように言っていたね。 「グローバル経済というのは『Grow or Die(グロウ・オア・ダイ)』(成長か、さもなければ死か)だ。 非常にエキサイティングな時代だ。 変わらなければ死ぬ、と社員にも言っている (中略) 日本の電機の一番の失敗は日本に工場を作ったことだ。 安くて若い圧倒的な労働力が中国などにある。 関税も参入障壁になるほどの高率ではないから、世界中にもっていける。 本当は(安い労働力を使って世界中の企業から受託生産する)台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業のような会社を日本企業が作らないといけなかった」私:柳井会長は、日本の電機が失敗だと言っているが、この17日の朝日新聞では、パナソニックの部品の現地調達強化を報じているね。 今約5割という海外調達率をさらに引き上げ、国を問わず最も安く調達できる取引先を選び出すという。 A氏:柳井会長が指摘した失敗をとりもどそうとしているね。私:しかし、そのため国内の下請けメーカーの仕事は減るが、そうしないとパナソニック自体が海外のライバル企業との競争に生き残れないという。A氏:まさに『Grow or Die(グロウ・オア・ダイ)』(成長か、さもなければ死か)だね。私:内田樹氏が「壊れゆく日本という国」で警告しているように、「企業利益=国の利益」はウソで、グローバル企業化する日本企業が、自己の利益追求のために、最後に国を滅ぼす」ことになりそうだね。 同じ意味で、水野邦夫日大教授は「国家と資本が離婚する」という言い方をする。 その意味は、「資本の活動がもはや1国の国民経済を豊かにする方向に向かわない」ということだね。 生産拠点が新興国へとどんどん移転され、そこが資本蓄積の場になると、先進国の資本は高いリターンを求めてそうした新興国に向かう。A氏:そうなると先進国の住民は資本から見放され、仕事がなくなり、必然的に貧窮化する。私:資本が国民経済という枠組みから解放され、資本と国家は分離する。 利益は普通、国民に還元されるが、資本と国民が分離すると、国民は企業が稼いだ巨額の利益をこれまでのように享受できなくなる。 「資本は儲かるが給与は下がる」というすでに始まっているパターンを繰り返すことになるね。 国民総所得は増えるが、給与は減る。A氏:事実、このところ、貿易収支は赤字続きだが、所得収支は黒字続きだね。私:アベノミクスはこの問題をどう解決するのかね。 経済成長のスローガンだけかね。
2013.06.20
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A氏:今朝の朝日新聞で2頁大の「アジア・アントレプレナーシップ・アワード2013」の特集が載っていたね。 5月29日からの3日間、千葉県柏市で開かれたという。 このコンテストは、一般社団法人フューチャーデザインセンター[FDC]が主催したもの。 「アントレプレナーシップ」という長い横文字が登場するが「企業家精神。新しい事業の創造意欲に燃え、高いリスクに果敢に挑む姿勢」を意味する。私:大企業はゼロから何かを見出す非連続な創造は不得意。 だから、時代の転換期に立ちすくんでいるという。 それに対して「アジア・アントレプレナーシップ・アワード」に集まった企業家らの情熱の源泉は、新しい価値を創造したいというこだわりだという。 そして、これはアジアの若い起業家が一堂に会し、3日間にわたって開催する、日本発の国際的なビジネス・コンテストだという。A氏:君のいう「民間企業の爆発」の源泉となるものだね。私:今年度のアワードの第1位は京都の「CONNEXX SYSTEMS」社の身近な鉄をエネルギー源に使う蓄電池の開発で、創業者の塚本寿氏(58)は日本の大手メーカーを辞して、米国で起業して13年。 「東日本大震災で沈んでいる日本の役に少しでもたちたい」と帰国を決めたという。 賞金300万円。A氏:2位は、シンガポール、中国、タイの3社が分け合ったね。私:2006年の「ライブドア・ショック」はITブームと起業熱を冷やした。 卵は再び温まるのか。 起業を支援する「あきない総合研究所」の吉田雅紀代表取締役は 「公的な支えだけでなく、民間企業がベンチャーを支えてほしい。 ベンチャーが育てば結果的に自らのお客さんにもなる」 と話しているという。 このコンテストにアベノミクスの3本目の矢で「民間企業の爆発」と言った安倍晋三首相の出席がほしかったところだね。
2013.06.19
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私:昨日の夜10時過ぎ、なんとなくテレビのチャンネルを回していたら、テレ朝の報道ステーションにひっかかった。 キャスターが古館氏ではなく、女性である。 どうしたのかと思ったら、しばらくして、画面がアメリカに変わり、ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授と古館氏との対談に変わった。A氏:山中教授は情報収集によくアメリカにとぶようだね。私:そうしないと新しい情報取得が遅れるという。 対談で問題になっていたのは、ベンチャー企業の問題だね。 特に米国でのベンチャーと企業を結ぶディレクターの存在をとりあげていたね。 技術専門家出身者がMBAを取得して、ベンチャー企業の支援をしているのだという。 そういう人材が多く米国にはいるという。 山中教授は、日本でもそういう人材を育てる必要があると強調していたね。A氏:日本の経済成長のためには、日本の「民間企業の爆発」が必要だ。 そのためには、そのような米国のシステムを日本にも確立し、強化することが不可欠だね。私:政府の成長戦略の中に、この山中教授の言うようなシステムの話が大きく取り上げられていないのは残念だね。 こういう地道な積み上げがないと効果的な「爆発」は期待できないだろうね。
2013.06.18
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私:今朝の朝日新聞の「風」欄で、朝日新聞アメリカ総局長の山脇岳志氏が、「ベンチャーを育てる・伸びる中国 日本はどうする」と題して、多くのベンチャー企業が集まるシリコンバレーの情報を伝えているね。A氏:俺も読んだが、シリコンバレーで存在感を増しているのは中国だという。 ハイテク新興企業中心の米ナスダック市場に上場している中国企業は98社で日本企業は2社。 米国内で起業し、上場を目指す日本人の数も少ない。 日本人はリスクを避ける傾向があるが、中国人は貧しい時代が長く、ハングリー。 だから、リスクを取る人の数が多いという。私:戦後、焦土の中から、ソニーやホンダなどが生まれ、日本の経済成長に貢献した。 しかし、最近は有望な新興企業が育たない。 日本では大企業ができたばかりの企業と取引しないという米国企業と違う企業風土があるという。 日本ではベンチャー企業が育ちにくい。 九州大学カリフォルニアオフイス所長の松尾正人氏は、 「日本は壊滅的な状態になったら復活する力がある。 でもできれば沈没する前になんとかしたい」 と言う。A氏:たしかに、焦土からソニーやホンダなどは生まれたが、あの当時の日本と今の日本とは違っているのではないの?私:少子高齢化だし、先進国となって成熟化しているからね。 ハングリーで「爆発」する力は民間にあるのだろうか。 ベンチャー企業への投資の税制面の問題もあるそうだが、設備投資減税よりそのほうの税制面の改革のほうが先ではないかね。 成長戦略の中核である「民間企業の『爆発』」は本当に期待できるのかね。 冷静に考えているのかね。
2013.06.17
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私:この昨日の朝日新聞のロングインタビューで、ジョセフ・スティグリッツ教授はアベノミクスの3本の矢は日本経済を立て直らせる正しい取り組み方だと言う。A氏:アベノミクスが成功すれば、やがて人々の実質所得が増え、経済成長率が高まれば、増税にも対応できるようになり暮らしはよくなると楽観的だね。私:しかし、教授はアベノミクスに欠けているものは、格差是正だと厳しい注文を出しているね。 3本目の矢は単なる成長戦略でなく、格差是正に配慮すべきだという。 これが、アベノミクスに欠けていると言う。A氏:格差是正は教授の著書「世界の99%を貧困にする経済」で米国経済について強く主張しているね。私:米国経済は成長しているのに、格差は拡大していることを指摘している。 格差を減らせば、消費が増え、経済ももっと成長するという考えだね。A氏:教授は消費税増税には反対だね。 逆進性を持つので格差が拡大する。 経済成長が先だという。 しかし、消費税増税を先送りすれば、国債相場の急落も起こりかねない。 そうなるとまた金利上昇だね。私:俺が教授の理屈に疑問を持つのは、経済成長は結構だが、スローガンだけで達成できるかどうかだね。 肝心の経済成長が、簡単にできるとは思えない。 具体性がなく官僚の「絵に描いた餅」で終わりそうな気がするね。 米国と違って、日本は高齢化が進み、民間活力が心配だ。 米国には世界の頭脳が集まっている。 「民間活力の爆発」がないと経済成長が達成できないが、米国よりベンチャー活動が少ない日本で期待できるだろうか。 その点、教授が楽観的なのが気になるね。
2013.06.16
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横浜は梅雨入り宣言をしてから快晴続きで「空梅雨」かと思っていた。 それが、この2日間ほど雨がよく降り、梅雨らしくなってきた。 昨日など、関西や日本海側では晴天で37度を超える地域が多かったが、横浜は小雨がぱらつき、気温も25度くらい。 雨天続きで自然公園ウオーキングができないので、運動不足になりつつあった。 今日も、午前中は天気がよくなく、時には雨との予報であった。 しかし、ときどき雲の切れ間から青空が見えたので、午後1時過ぎ、思い切って雨覚悟で自然公園ウオーキングに出かける。 念のため、折りたたみ傘持参。 日差しは強く、真夏並みだ。 森までは日陰を選んで歩く。 森に入ると涼しい。 連日の雨で森の中の小道が少し湿っている。 梅雨らしく蒸し暑い。 天気は崩れず、自然公園ウオーキング成功。 天気予報は完全に当たらなかった。 ニュースでは横浜の最高気温は今日は28度だったという。 汗をビッショリかいて帰宅。 すぐに風呂に入って汗を流す。 家を出る時、自販機で買ったペットボトル500mlは空になる。 2時間、12000歩。 明日は午前中から雨だという予報。 しかし、夕方の空模様からするとこれも当たらないのでは?
2013.06.15
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私:最近、要職にあるような人の質が低下しているような気がする。 まず、例のパワハラ問題や役員による不祥事があった全日本柔道連盟だね。 これだけ問題を起こして連盟のトップである上村春樹会長は居座るという。 そこへ、日本野球機構の例の「飛ぶボール」問題が出て、機構トップの加藤良三コミッショナーが、抜け抜けと公の場で「私は変更を知らなかった」と恥知らずの発言をするという有様。A氏:今朝の朝日新聞の「天声人語」でも、この2つの問題をとりあげ「スポーツ界の一部を蝕む無責任体制には唖然とするほかない」としているね。私:上村会長は、「柔術」はうまいかもしれないが、「柔道」を知らないようだね。 日本の伝統の「柔道」も落ちたものだね。A氏:加藤コミッショナーは、例のWBC参加問題では傍観していたというね。私:記者会見をテレビでやっていたが、しゃべり方やしゃべった内容の空虚さにそれこそ唖然とするほかないね。 第三者委員会で調査するというが、わけがわからないね。 ボールの変更をしたのは、誰かは明らかではないか。 ミズノに口止めしたのも誰がしたかは明らかではないか。 コミッショナーに報告すべきなのに、してないのは誰かは明らかではないか。 なんで第三者で調べる必要があるのか。A氏:第三者委員会で調べるというのは、自浄能力がないということを公言しているようなものだね。 恥ずかしくないのかね。私:それに加えて、復興庁の水野靖久参事官のツイッターでの暴言問題だね。 キャリアだというが、質が落ちたね。 文章に教養がない。A氏:シャラップ問題もあるね。 先月22日、国連の拷問禁止委員会で、日本の慰安婦問題や警察での取り調べなど、日本の人権状況について審査が行われた。 そこで、日本の代表として出席していた上田人権人道担当大使が「日本は決して中世ではない。この分野(司法)では最も進んだ国のひとつだ。笑うな!なぜ笑う!黙れ、黙れ!」と言ったという。 「黙れ」は英語では「シャラップ」だね。私:もっと教養ある英語の言い方が身についていないのかね。 こういう場合には、イギリス的なユーモアで即座に対応できないものかね。 まぁ、ケースが少ないのでなんとも言えないが、全体的に組織の幹部の地位にいる人の質が低下しているような気がするね。
2013.06.14
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私:今朝の朝日新聞の「きそからわかる黒田緩和」欄の11回目は「なんで株価が乱高下しているの?」という質問の見出しがあるね。 それに対する答えという形で記事が載っいるね。A氏:答えは一言で「海外投資家の売買の影響だよ」とこれも見出しになっているね。 本文を読むと、「ヘッジファンド」の動きの影響が大きいことをあげているね。 5月23日の例では、この日の朝、欧州系ヘッジファンドが株価がもっと上がるとみて、大量の買い注文を出す。 それに対して、米系ヘッジファンドは、株価は下がっていくとみて、朝から大量の売り注文を出していた。 昼前に公表された中国の経済指標が悪かったことで、欧州系も慌てて売りに走った。 売りが売りを呼んだ。A氏:大きな流れを変えたのは前日の米国FRBのバーナンキ議長が金融緩和の早期縮小に言及したことだという。 米国景気が安定してきたからだというようだ。私:ところが、朝日新聞の今朝の「クルーグマン・コラム」では、ポール・クルーグマン教授は、「米国の雇用統計:『普通』からほど遠い」として、まだ、財政投資の拡大、金融緩和の継続を求めているね。 いろいろな人がいろいろ言うたびに株価と円は連動して動く。 まさにカジノ経済だね。 問題は、円の上下変動で食品や電気料金など、実体経済に影響を与えていることだね。 特にカジノと関係ない庶民が負担を強いられやすい。
2013.06.13
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私:今、「永山則夫」の本を読みだしたのだが、児童虐待と脳の関係を述べた箇所があったので、「体罰」問題と関連してピックアップしておく。 1997年、アメリカ・エール大学のプレムナー博士は、幼児期に虐待を受けた大人と健常な大人のそれぞれ17人の脳を調べ、比較検討した。 結果、虐待を受けた人のグループの「左脳の海馬」が健常な人より平均12%萎縮していることが分かったという。A氏:「海馬」は記憶を司るところだね。私:言語などの記憶にとどまらない。 「情動」の記憶を作ったり思い出したりするのに重要な働きを持つという。 「情動」とは怒りや恐れ、哀しみ、喜びなどといった比較的、急速に引き起こされる急激な感情の動きのことだという。A氏:虐待により引き起こされる感情と一致するね。私:最近、福井大学の友田明美教授は、子どもが受ける虐待の「種類」によって影響を受ける脳の領域が異なるということを発表したという。 「種類」は3つで(1)性的暴行や両親のDVなど視覚的なもの、(2)暴言など聴覚的なもの、(3)過度な体罰だね。 (1)では、左半球の視覚野が8%減少し、うち左紡錘状回は18%減少。 (2)では、聴覚野の容積が増加し、うち左半球の上側頭回タンパク質は14.1%増加。 (3)では、右前頭前野内側部の容積が19.1%減少。 (2)だけ増加しているのは、耳から入る情報を雑草を茂らせることにより、減退させるためであるという。A氏:(1)では、見ることを拒否。 (2)では、聞くことを拒否。 (3)では、感情や思考を停止。私:見方を変えると、子どもたちは虐待を受けながらも生きてくために、自分の脳を虐待して「適応」しているとも受け取れる。A氏:一種の自衛行為だね。私:そういう子どもが脳の損傷をかかえたまま大人になるのは問題だね。 もっとも脳に何らかの障害があってもすべての人が異常な行動を起こすわけではないが可能性が高いね。 児童虐待の発生件数が過去最高を更新し続けている日本では、もっとこの問題を深刻に考えるべきだね。
2013.06.12
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私:昨日のブログで「プロサバンナ計画」にふれたが、これはモザンビークの一部の地域の農業開発だね。 それなのに、農地は日本の耕地の3倍になるという。A氏:いかにアフリカ大陸が広大かがわかるね。私;改めて、日経ビジネスの5月27日号アフリカ特集を見ると、3022万キロ平方メートルとある。 そして、他の大陸をアフリカに重ねあわせている。 そうすると、北米、インド、メキシコ、中国、EUがアフリカにあまりはみ出さないで重ねることができる。 地球上の陸地の2割を占めるという。A氏:これらが農地として開発出来れば、世界の食糧問題は解決だがね。私:しかし、アフリカの人口も今の10億人から、2050年には倍の20億人になるというから、輸出に振り向ける分が出るだろうか。 アフリカの「農業開発の爆発」がキーワードだね。 技術開発の「爆発」には、ニーズ(Needs・需要)とシーズ(Seeds・ネタ)が必要だというが、20億人のニーズがあり、ブラジルで成功した「セラード計画」のシーズがある。 「爆発」の確実性は高いね。 ところでアフリカにとって考えさせられるトピックス「怒れる『ウガンダの父』」がこの日経ビジネス特集号に載っている。 「ウガンダの父」と呼ばれた柏田雄一氏はアフリカのビジネス界では有名人。 1965年、英国から独立したウガンダ新政府の要請に応えてシャッツ工場の稼働に貢献したが、内戦で頓挫したりして、最終的に工場が国有化したので帰国した。 ところが、15年経った1999年、ウガンダのムセベニ大統領は基幹産業として繊維産業を今度こそきちんと育てたいと、三顧の礼で柏田氏を迎えたという。A氏:ウガンダは天然資源がないのかね。私:数年間、ムセベニ大統領と柏田氏の蜜月は続いたが、それが2009年に唐突に終わりを迎える。 電話しても出ず、連絡がとれない。 原因は2006年にウガンダで石油が発見されたことではないかという。A氏:石油が出れば、あくせく繊維産業で稼ぐこともないということか。 石油ビジネスは言わば濡れ手で粟だからね。私:北にあるスーダンは石油が出ているからね。 「資源の罠」に陥らなければよいがね。 もう、柏田氏の3度目のカムバックはないと日経ビジネスは報じている。 しかし、アフリカ54カ国といっても、資源国は十数ヶ国だ。 製造業、農業の開発は必要だがね。 昨日のモザンビークは鉱物資源国だが、「プロサバンナ計画」で農業開発に乗り出している。 そうありたいね。
2013.06.11
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私:6月8日(土)の夕方のTBSテレビの報道特集を見ていたら、アフリカ・モザンビークに日本・モザンビーク・ブラジルで協力して、モザンビークに日本耕地の3倍の土地を農地として開発する「プロサバンナ計画」の特集があった。A氏:このところのアフリカブームで俺もこの特集を見ていたよ。 日本は270億円の支援をすることになっているね。私:これは2009年4月に日本とブラジルの両首脳で決めたものだね。 当時の日本の首相は麻生太郎氏。A氏:なんでブラジルがアフリカに関係するかというと、ブラジルの「セラード開発」と関係しているんだね。 1973年、アメリカの大豆の不作で日本の食糧供給に影響した。 1974年、田中角栄首相は、東京都の1.6倍・34万ヘクタールと言われる不毛の土地とされていたブラジルの熱帯サバンナ地域セラードを農地にて関する支援をブラジルと提携する。私:開発支援金279億円。 その結果。40年前まで農業に適さないとされていた広大な熱帯サバンナ地域は一大穀倉地帯に変貌。 そして、現在、「セラード開発」の成果は「農学史上20世紀最大の偉業」、あるいは「奇跡」とさえ評価されているという。A氏:このセラード地域の農業活動をテレビの映像で見ると、壮大な機械化農業だね。私:このブラジルの「セラード開発」をモデルにアフリカのモザンビークの日本の耕地3倍のチンブラに展開するのが「プロサバンナ計画」だね。A氏:テレビでは、モザンビーク農民でこの計画に反対する人々が、第5回アフリカ開発会議(TICAD5)を開催している横浜に来た。 土地を奪われる農民に相談なしで、計画がすすめられているからだという。私:この問題で記者会見で質問を受けたモザンビーク大統領は問題ないと発言している。 また、運輸通信大臣も記者会見で「モザンビークの土地は国有なので問題ない」と言っているね。 モザンビークは社会主義政権時代から、土地は国有化されているのだという。A氏:テレビでは、農民を現地で取材していたが、各農家が狭い土地を自ら手作業中心で耕作し、農産物を自給自足し、多少余ったものを市場に出すという姿を映していたが、近代以前の農業形態だね。私:これが「セラード開発」のように機械化された巨大な集約された農業になるんだね。 個々の農民の生活も大きく変わるね。
2013.06.10
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私:朝日新聞の夕刊では毎週木曜日、劇作家の三谷幸喜氏のエッセイが載る。 A氏:俺もよく読んでいるが、このエッセイは、自分の生活や映画や劇作やそれらに関係する俳優・監督のことを中心に書いていて、政治・経済に関する内容はゼロだね。私:先々週と先週の2週は、自作の「おのれナポレオン」の舞台で、例のマスコミでも話題になった天海祐希の代役宮沢りえの奮闘ぶりの裏話を書いていたね。 やはり台本に多少手を入れたんだね。A氏:今週も、この「おのれナポレオン」劇に関することで、準主役の俳優内野聖陽のことを書いているね。私:実は、俺は内野聖陽ファンだよ。 特に警察ものの推理ドラマ「臨場」の検視官役の彼の演技はいいね。 再放送を見ても新鮮な感じだね。 脇役もいい。 原作は横山秀夫だから、ストーリーにも厚みがある。A氏:テレ朝の警察ものの連続推理ドラマの2つめにはヒットした「相棒」があるね。 これも君が愛好しているドラマだね。私:これは杉下右京という東大出でロンドン留学したという警部が「特命係」というポジションに左遷される。 そこでの推理ドラマだね。 推理が理屈っぽいのがいかにも杉下右京という人物に合っているね。 そして、聴きこみ捜査をして帰ろうとして背を向けたとき、振り返り「もう1つだけお聞きしたい」と人差し指を立てるのが癖だね。 これは「刑事コロンボ」の癖を真似たのかね。 もっとも刑事コロンボはヨレヨレのレインコートを着ているが、エリート出の杉下右京はクロのダンディーなコートだがね。A氏:「相棒」は今まで相棒役が3人変わったね。私:これがどうもよくないと思ったね。A氏:テレ朝には、さらに3つめに「科捜研の女」という沢口靖子の警察ものの連続推理ドラマがあるね。私:知的な美人の沢口靖子が分析官をやっている。 これは、俺はあまり見ていないがね。 このドラマはアメリカの連続推理ドラマ「CSI:科学捜査班」を真似たものだろうね。 「CSI:科学捜査班」はラスベガス、マイアミ、ニューヨークと3つあってにぎやかだね。A氏:最後の4つ目に刑事ドラマの上川隆也主演の「遺留捜査」があるね。 これは被害者の遺留品をもとに推理していく。 遺留品は被害者の遺言だという。 泣かせる刑事ドラマだね。私:確かに犯人探しの推理だけでなく、人情をからませているね。 主人公が最後の方で「私に3分だけいただけませんか」という有名なセリフがあるね。 これが毎回出てくる。 3シリーズ目の主題曲は小田和正の『やさしい風が吹いたら』で、哀愁があっていいね。 これらはいずれも基本的に1話1時間で完結だから、見やすいね。 再放送も含めテレビの内蔵録画にしているんだが、なかなか見きれなくて、録画したまま放置しているものが多い。 本の積読と同じだね。 再放送分は思い切って整理しないとね。
2013.06.09
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私:今朝の朝日新聞の「天声人語」は冒頭で安倍首相の「爆発」というキーワードに驚いたとあるね。 しかし、俺は驚かなかった。 精神論になるだろうと思っていたからね。A氏:君は、4月11日のブログに「新成長戦略の疑問点」として、新成長戦略は、具体性のない官僚の作文に終わるだけになるだろう言っていたが、先日の安倍政権の発表はその通りだね。 都内で講演した首相は「民間活力の爆発」を成長戦略のキーワードとして強調したね。私:「天声人語」は「問題は、爆発した先の日本がどんな姿になっているのかだ」とある。 しかし、俺は「民間活力の爆発」というが、爆発が本当に起きるのかが問題だと思うね。 エジソンはたしか発明は99%の汗(perspiration)と1%のひらめき(inspiration)からなると言ったというね。 問題は汗なしではひらめきは生まれないが、汗を出したからといって、必ずひらめきは出ないことだ。 ひためきは気まぐれだ。 汗だけで終わることもある。 iPS細胞にも汗と「ひらめき」があった。 シェールガスだって、ジョージ・P・ミッチェルというヒューストンの中堅石油・天然ガス開発業者の「ひらめき」と30年近く試行錯誤の汗があった。 このような日本の「民間活力の爆発」はどこに、いつあるのかね。A氏:「こうありたい」というのと「こうなりつつある」というのは雲泥の違いだね。 世の中、希望をいくら声を大にして言っても、その通りいかないのは厳しい常識。 株価はそのためか、ガッカリで急激なダウンだという。私:それもおかしな話で、利口な投資家なら新成長戦略には、最初から期待していないと思うね。 株価がムードで上がったら、空疎な新成長戦略で、株価が下がる前に高値で売っていて今頃、祝杯をあげているかもしれない。 こないだから、ブログで成長が確実視されているアフリカ経済とミャンマー経済をとりあげたが、これらが、日本経済を牽引する「爆発力」になるかはかなり先の話だね。 果たしてそれまでに日本の「民間活力は爆発」するだろうか。 爆発するかもしれないし、しないかもしれない。 運を天に任せるしかない。
2013.06.08
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A氏:昨日までこのブログでは「最後の経済成長大陸アフリカ」についてふれてきたが、今朝の新聞では「アジア最後の未開拓市場」のミャンマーが報じられているね。私:今までミャンマー軍政に対して、経済制裁をしてきた米欧だが、ミャンマーの民主化に伴い、最近、米欧のグローバル企業がミャンマーに殺到しているという。A氏:6日には首都ネピドで「アジア版ダボス会議」が始まった。私:コカ・コーラはすでに第2工場を稼働とあるが、同社が正規ルートで商品が売られていない国は、北朝鮮とキューバだけ。 ミャンマーはアジア最貧国の1つで、人件費は中国の6分の1。 消費市場としても製造拠点としても今後注目される。 ミャンマーのGDPは1930年には1910年の4倍の2千億ドルになると予想される。A氏:ミャンマーは、80年代まで、日本が最大の援助国で、スズキなど十年数社が進出しているというが、多くは下準備を行う駐在員事務所を開いただけ。私:先行している日本に対するミャンマーの期待は大きいが、同じ期待は米欧に向けられていて、新聞は「日本勢、同列扱いに」とあるね。 規模は小さいがアフリカ同様、グローバル企業の競争の場となるね。
2013.06.07
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私:これからは、中国の人口は今のまま横ばいで、2030年頃には、減少に転ずる。 しかし、アフリカの人口は2030年に中国、インドを抜き、平均年齢が低いので2050年には今の倍の20億人になる見込みだ。A氏:長期的には底なしの成長を期待できるね。私:「アフリカ知的街道」の「経済大国アフリカ」でふれたように、すでに中国のアフリカでの進出はダントツだね。 しかし、中国のアフリカ進出方法には批判が多い。 資源を囲い込む一方、大量の中国人が押し寄せる。 だから、アフリカに雇用が生まれない。 そして、アフリカで購入した資源を中国国内で加工して、製品をアフリカに大量に売る。 これではアフリカの製造業が育たない。A氏:それで「新植民地主義」と言われることがあるんだね。私:しかし、今のアフリカブームの火付け役は中国であることには違いない。 そして、中国がアフリカに道路などのインフラ整備をやったので、それがアフリカ開発の基礎になっている。A氏:しかし、先進国は自国企業の受注を前提とした発展途上国への開発援助金の使い方が制限されているね。 例えば、日本が開発援助金で橋や道路をアフリカから受注しても、日本のゼネコンは動けない。 発展途上国の仕事を奪うことになり、開発援助にならないからだね。 しかし、そうなると現地に適切な企業がないとインフラ整備はなかなか進まないね。 一方、中国は先進国でないから、この制限がない。私:だから、インフラ開発などの分野で資金援助を実施し、その工事を中国企業が受注するというパターンでアフリカ各国に深く入り込んでいる。 そういう中国先行の状況で、かってはアフリカに植民地を持っていたイギリス、フランスが旧宗主国の関係を利用し、巻き返しをはかりだしたという。 他にインドやASEAN(東南アジア諸国連合)の企業進出も目立っているという。A氏:そういう中で、日本はどのように行動すべきかね。私:現在の日本とアフリカとの関係をみると、輸入は資源が多い。 輸出と輸入の相手のトップは南アフリカだ。 だから、資源と南アフリカ偏重が現状だね。 企業の進出は商社先行型だね。 在留邦人は、アジア33万人、北米45万人、西欧18万人に対し、アフリカは8千人。A氏:出遅れているね。私:だから、短期的に勝負する必要があるので、現地企業や進出して活動している外国企業とのM&Aが望ましいとしている。 過去、日本企業による海外企業の買収は大半が失敗するか、相乗効果を出すにも時間がかかるというが、今度はそんなことを言っていられない。 日本政府も安倍晋三政権の指示で、インフラで中国に対抗するため、ODA(政府開発援助)で日本企業の受注を増やすために、外務省は制度を変えたという。 今回のODAは1.4兆円だね。 日経ビジネスでは「日本企業単独の進出では限界がある」として、日本にとって効果的なアフリカ市場攻略には、次の5つのパターンがあるとしている。 1.関係の深い南アフリカを起点に北上する。 2.旧宗主国のネットワークを生かす。 3.進出済みのアジア企業と協力する。 4.有力な地場企業と提携する。 5.官の支援をうまく活用する。 「勝負は5年で決まる」という。 アベノミクスの3本目の矢の1つになるか。 アフリカをめぐって、国際経済競争はあわただしくなってきたね。
2013.06.06
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私:昨日のブログでアフリカ文学の名作「崩れゆく絆」にふれたが、この小説の舞台となったナイジェリアについて、この日経ビジネスのアフリカ特集の一部でふれている。 見出しはナイジェリアの「爆発する消費パワー」とある。A氏:ナイジェリアは、アフリカ最大の産油国だね。 2000年代の資源高騰で国は潤っているのではないかね。私:しかし、「資源の罠」がある。 資源への過度の依存が産業を崩壊させ、政治や社会をも荒廃させる。 富の再分配がうまく機能せず、格差拡大につながる。 だが、プラス面もある。 ナイジェリアは、欧米から勝ち取った債務免除など、過去10年の経済政策の効果で足かせが一気に軽減した。 これにより、「暗黒大陸」の象徴ナイジェリアが、「ビジネスの大陸」としてのアフリカを牽引しようとしている。A氏:たしか、ナイジェリアの人口は日本より少し多い1億6475万人だね。私:今後5年は年率約5%の経済成長が見込まれていて、早ければ来年(2014年)にも南アフリカ共和国を抜いて、アフリカ最大の経済大国になるだろうという。 ナイジェリアをエンジンとして、サハラ砂漠以南(通称サブサハラ)地域の経済規模は、今後数年でインドの経済規模を抜くと予想される。 その成長力に魅せられて、世界中のヒト・モノ・カネがナイジェリアに流れ込んでいる。 それまでは、資源以外は蚊帳の外だったのにね。 現在、中間層が育ち、その消費意欲は爆発的だという。 最大の小売店の22台のレジは週末になれば、45分待ちの行列になるという。 イギリスの黒ビール「ギネス」の最大市場は、英国でなくナイジェリア。 さらなる増大に備えて、現地ではビールの生産能力を倍増した。A氏:ナイジェリアはどうやら「資源の罠」から脱することができそうだね。私:すでにアフリカ主要国の経済成長に占める産業別の比率では、サービス業が5割を超え、石油やガスを含む鉱業・採石は2割にも満たない。 過去の資源依存型のアフリカのイメージは通用しなくなっているね。A氏:すでに「暗黒大陸」でなくなり、「世界最後の最大市場」になろうとしている。 そのアフリカ市場獲得に、中国をはじめ各国が進出しているね。私:日経ビジネスは「突き進む中国、巻き返す欧州:勝負は5年で決まる」と題してこの問題にふれている。 競争は激しい。 日本もウカウカしておれない。 明日はこの問題に移ろう。
2013.06.05
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私:昨日で、横浜市でやっていた第5回アフリカ開発会議(TICAD5)が終わったね。 ちょっとしたアフリカブームだったね。 ちょうど、このアフリカ文学の古典小説「崩れゆく絆」を読了したよ。 日本訳本は出版してから30年以上もたっているから、図書館で借りた本も修理の跡があったね。 この著作は1958年に発表され、世界で1千万部以上売れ、50以上の言語に訳され、ノルウェー、イギリス、米国などで小説100選の1つに選ばれたという。 英語圏では中高生の必読書に指定されているという。A氏:アフリカは54ヶ国あるが、著者はアフリカのどこの国の出身かね。私:ナイジェリアだね。 アフリカは、奴隷貿易時代、植民地時代、独立後の政治不安定時代と3つあるが、この小説は植民地時代のある集落の長編物語だね。A氏:ナイジェリアは、旧イギリス植民地だからイギリスが乗り込んでくるわけか。私:主人公はオコンクオという男で、18歳の時に7年間土つかずの力士を投げとばして、若くして地域に名前を知られるようになったという。 親父はそれに反してそれこそ「ろくでなし」であった。 それをオコンクオは恥ずかしく思い、体力があるので実によく働いた。 3人の妻を娶った。A氏:題名に「絆」とあるが、人々のつながりを意味するのかね。私:原書は英語で題名は「Things fall apart」だね。 ものごとがバラバラになって崩壊していくことで、和訳の題名は意訳だね。 部落には祭りや、部落民の冠婚葬祭などの伝統的な慣習がある。 伝説も語り継がれている。 長老たちが慣習を世代に残していく。 こうして部落がつながっている。 主人公のオコンクオが中年になった頃、まず、キリスト教の宣教師が通訳を連れてやってくる。 物にも神が宿るという部落の多神教を否定し、一神教を宣伝する。 教会を立て、布教活動をする。 オコンクオにとって不幸なことに長男が入信してしまう。 オコンクオは叱るが、長男は飛び出してしまう。 入信者が増えるにつれ、部落の慣習も崩れ、人々の絆もなくなっていく。 この崩壊を見て最後にオコンクオは白人を殺し、自殺する。A氏:悲しい物語だね。私:最後にイギリスの地方長官がオコンクオの死体を見て 「この男のことは興味をひく物語として書ける。 題名は『ニジェール河下流未開部族についての宥和政策』だ」 と言う。A氏:先進国による植民地化は未開地の歴史記録という観点から書かれてきたんだろうね。 アフリカ文学はそれを自分たちの立場から描いているんだね。私:それにしても、植民地化のトップをきって現地に乗り込んでくるのはキリスト教の宣教師だね。 キリスト教が植民地化侵略の先兵で、その背後に本物の軍隊がいるというわけだ。 キリスト教宣教師には油断できないことになる。 日本はそれを察して、キリシタン禁止令、そして鎖国となったのかね。A氏:君がイギリスのサッチャー政権以前の労働党時代のイギリスの「自虐史」に「人種差別を正当化するキリスト教」とあったというが、「未開部族」という言葉にそれが端的にあらわれているね。私:「人間は神によって作られた特異な存在だ」というキリスト教の理念は、動物を別の存在と見るね。 だから、進化論は反対だ。 人間も人間として1人前でない幼少のうちは、動物と同じだから、動物のようにムチで打ってしつける。 著者チヌア・アチェベの祖父時代に宣教師が来て、祖父は改宗したという。 父親は教会の責任者でミッションスクールの教師でもあったという。 著者は1930年生まれで、そのミッションスクーで6歳から学んだという。 日経ビジネスの5月27日号は「アフリカ・灼熱の10億人市場」という特集を組んでいるが、それによると、現在、ナイジェリアはの人口は1億6475万人。 現在、ホンダ(2輪)、カネカ、味の素などの日本企業が進出している。 「暗黒大陸というウソ」と大きな見出しがあるほど開発が進んでいるという。A氏:「暗黒大陸」というのは「ブラック大陸」かね。私:なんでもブラックにしてはいけないね。 英語では「ダーク大陸」で内部が暗くてよくわからないという意味のようだ。 この小説は、その「暗黒大陸」時代のアフリカのストーリーだね。
2013.06.04
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A氏:連日、マスコミを賑わせた横浜市で開催している第5回アフリカ開発会議(TICAD5)が今日で終了だと新聞の朝刊が報じているね。 「横浜宣言」や「横浜行動計画」を採択して閉幕だという。私:アフリカ54ヶ国のうち、政情不安定なマダガスカル、中央アフリカ、ギニアビサウの3ヶ国だけが不参加だから、ほとんどのアフリカ諸国が参加したことになる。A氏:安倍晋三首相は、精力的に各国首脳と会談をしているね。 政治的というより、経済的な連携を強化しようとしている。 アベノミクスの3本目の矢の一つにしたいのだろうね。私:しかし、アフリカへの経済攻勢は中国が一歩進んでいるね。 昨日の朝日新聞では「アフリカ支援 中国追う日本」とあるね。A氏:君のブログの「経済大陸アフリカ」では中国はすでに2006年に「対アフリカ政策文書」を発行していて、これは経済分野、安全保障分野などを含めた総合戦略的なもので、豊富な資金を背景に破竹の投資攻勢をしてきている。 2000年から11年までに中国は7兆5千億円の開発資金をアフリカに提供したという。 さらに、中国の習近平国家主席は3月にアフリカ向けに今後3年間で約2兆円の融資枠を作ると表明。私:安倍首相も負けじと、官民連携により、今後5年間で最大3・2兆円をアフリカに支援すると表明し、1・4兆円は政府開発援助(ODA)を充てるという。 さらに、中国のアフリカ政策は、資源を購入し、中国国内で加工して、アフリカで商品を売るというものだ。 事実、アフリカの消費市場の成長に目をつけ中国のアフリカへの商品輸出はダントツで世界1位だね。 アフリカの雇用はあまり増えていないで、中国人の進出が多い。A氏:だから、中国とアフリカの関係を「新植民地主義」だ、と一時批判が出たことがある私:この中国の弱点に目をつけたのか、日本はアフリカでの日本企業による雇用者数を現在の推計20万人から5年間で2倍の40万人に増やす目標を掲げたという。A氏:安倍首相も今回頑張っているが、今までの政府要人のアフリカ訪問は、日本の首相、外相が延べ26ヶ国、中国の主席や副主席のアフリカ訪問は延べ80ヶ国。 日本の首相が最後にサハラ以南を訪問したのは7年前。 明らかに大きく出遅れているね。 日系アフリカ駐在員は10年遅いという。 横浜に来たアフリカ首脳の中には、横浜の会議の帰りに中国に立ち寄る人もいるだろうという。私:日本は最近、ミャンマーに力を入れているが、アフリカの市場は「地球最後の巨大市場」というだけに、市場規模は桁が違う。 アフリカでの日中経済戦争が開始されそうだね。
2013.06.03
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【送料無料】ろくでなしのロシア [ 中村逸郎 ] 私:プーチンは2007年に、 「宗教弾圧で30万人以上の聖職者が殺害され、ロシアにおける道徳教育は破壊されてしまった」 として、 「今後、政府が正教会への財政支援策を検討し、正教会をとりあげるテレビ、ラジオ番組が増える」 ことに期待感をにじませたという。 そして、2010年、プーチンは正教会が権利として有していた旧財産の返還と財政支援も行うことを正教会に約束し、返還が開始される。 著者が、2009年に、ある正教会の寺院を訪問した時に、寺院の通路の壁にプーチンの画像がかかげられているのを目撃する。 世俗とは離れているはずの正教教会の寺院に世俗の象徴であるプーチンの画像が堂々と掲げられていることの違和感を著者は感じたという。 ロシア全土に支配力を拡大するプーチンは正教会のなかにも権力を浸透させているという。A氏:ロシアの内政はどうなのかね。私:汚職は白昼堂々と行われ、無法状態だという。 都市部より地方が深刻。 公務員の汚職は許認可に関するものが多い。 ロシアは官僚国家だね。 しかし、汚職はロシア帝政時代からはこびっていて、ロシアの伝統文化までになっているという。A氏:野党はどうしているのだろうかね。私:反政府的な活動は、すぐに取り締まられる。 政権政党がそのまま、政府となっているという。 野党は蚊帳の外だね。 ロシアは多数の少数民族をかかえているし、宗教もイスラム教などいろいろある。 その意味で、国家内で多くの問題を抱えながら、国家として統一していくには、国民は多少の不満もあっても、強権的なプーチンに期待せざるをえないのだろうね。 下手な政治家に任せると国家が混乱する。 プーチンに代わる政治家はいない。 さらにプーチンはその支配力を強化するため、正教会に深く立ち入っている。 ところで、著者は、北方領土を訪問しているが、日本が返還を要求している島に、すでにロシアの正教会の寺院が建っている。 それは政府と軍と実質一体の象徴だ。A氏:北方領土問題は日本にとって前途多難だね。私:最後に著者は、 「ロシア人の生身の営みを学問的な議論にもりこむことの困難さに圧倒され、学問的な射程からはみ出す、50%のよけいなロシアに私は今回も敗北した」 と言う。 俺もロシアという国は、依然として「よくわからない」ということが分かったよ。 ただ、言えることは今後のロシアの運命は組織よりもプーチン個人の政治や宗教を含めた活動に大きくかかっていることは言えそうだね。
2013.06.02
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【送料無料】ろくでなしのロシア [ 中村逸郎 ]私:この本は、4月28日の日曜日の朝日新聞書評欄を読んで興味が湧いたので図書館に予約した。 1ヶ月待ちで入手。 当日のブログに次のように図書館に予約した動機の記録がある。 「『ろくでなし』という言葉は、ロシア人がつくる社会システムの非効率、独善性など、当のロシア人自身があきれ怒り出す時に発するものだそうで、この本の題名はそこからきている。 とにかく、ロシアという国はわかりにくいね。そこで興味を持った次第だ」A氏:「ろくでなし」という言葉は最近あまり使わなくなったのではないのかね。 インターネットの語源辞典でひくと「なんの役にも立たない人」とあり、もとは性格が曲がった人という意味らしい。私:その意味からすると、この本を読むと題名の「ろくでなし」はどうも適切でないようだね。 「わけの分からないのロシア」とか「矛盾だらけのロシア」とでも言ったほうがいいかもしれない。 大体、プーチンが2000年に大統領に就任し8年の任期を終わり、メドベージェフが大統領、プーチンが首相となり、4年後の2012年にメドベージェフの大統領の任期が終わると、プーチンが大統領に復帰するというくるくる交代すること自体、「わけがわからない」ね。 ところで、この本のメインテーマはプーチンという「ロシアの世俗世界のトップ」と、「世俗を離れたとップのロシア正教」との2者の関係だね。 ロシア正教というのはキリスト教の教会で、ロシア地域の独立した教会。A氏:マルクスは「宗教はアヘンだ」と言ったことから、ロシア革命後は、ロシア正教は政権からの庇護を解かれるね。 そして無神論のキャンペーンが大掛かりにしかけられる。 さらに教会の土地所有者の権利を剥奪され、国有化され、すべての宗教施設が閉鎖される。私:スターリン時代には大半の教会は閉鎖され、聖職者の逮捕や処刑が相次いだ。 ソ連の宗教弾圧は1937年から38年にピークとなり、この2年間で60万人以上の聖職者が処刑されたという。 しかし、1942年、事態は急変する。 ナチス・ドイツの軍事的な脅威に対抗するため、スターリンは民衆にロシア愛国主義を啓発することを目的に正教会を利用し始めた。 国を防衛するという愛国心の啓発には、国家単位で形成された正教会のほうが、国際主義的な共産党のスローガンより説得力がある。 正教会の一部の寺院で復興が始まった。 スターリン死後、フルシチョフは非スターリン化を行うが、皮肉にも、正教会に対する対応は後退してしまう。 それは、ブレジネフ、ゴルバチョフと続くね。A氏:しかし、ソ連の政治・経済的な混乱で、人々は精神的な救いを求めるようになる。 1987年にはソ連共産党の中でも正教会を評価する言論が相次いで発表された。 ゴルバチョフの正教会への対応は急変する。 ゴルバチョフはペレストロイカを切り崩す社会の内部からの脅威を跳ね返すために、正教会を味方につけようとした。私:ソ連が崩壊した1991年、ロシア社会では民衆は精神的な空洞を埋めるため、空前の宗教ブームが巻き起こった。 人々は欧米的な価値に希望を持ち、多くの新興宗教も流入した。 日本からもオウム真理教が入るね。 正教会はこれらの新興宗教に対して劣勢に立たされる。 これは正教会が本格的な宗教改革を経験しなかったことによる内部的な問題があったからだという。A氏:1990年代にブームが去り、正教会への回帰が始まる。 しかし、ソ連時代に破壊された正教会は運営のための経済的な基盤を失っていた。 1994年、エリツィン大統領時代に、正教会は外国製のワインとタバコを非関税で貧困にあえぐ貧民の「人道支援」という名目で輸入することで政府の許可を得る。 これは後に原油、貴金属ビジネスまで拡大していく。私:これを皮切りに正教会は世俗のビジネスに手を染め大きな経済的な力を次第に持つようになるね。 「ろくでなし」正教会だというわけだ。 かくして、2000年にプーチン大統領時代を迎える。 これは明日、ふれよう。
2013.06.01
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